第二部 5.夜に啼く漆黒の鳥  -永遠の闇の国の物語-

「趣味悪ぅ~、僕を呼んだのは自分のセックスシーンを見せるため?」

 こんな何もないはずの砦の部屋には珍しく、趣味の良い女神像の影から姿を現したアリスは呆れたように腕を組んで溜め息を吐いた。

「ククク…可愛いアリスちゃんに楽しんでもらいたいのさ」

「バカばっかり」

 ツンッと外方向くアリスに向かって、淫らに腰を蠢かしてメイド姿の光太郎を鳴かせるセスは、咽喉の奥で小気味良さそうに笑っている。
 敏感になっている襞の部分を撫で擦られて、悲鳴のような声を上げながら光太郎は、背後に立っているのだろうアリスの視線を感じて全身を真っ赤にしていた。

「い、…嫌だ!…んぁッ…リス、見るなよぉ!」

 嫌々するようにサラサラの絹糸のような黒髪のウィッグを揺らして、身じろぐ様は可憐で淫らで、だからこそ内壁の蠢きに気を良くしたセスは華奢な腰を引き寄せると太い怒張で敏感な内壁をグリグリと擦って更に光太郎を鳴かせるのだ。

「…で?僕は何をしたらいいの、セス様。このまま見てればいいの?それとも、自慰でもしてよっか??」

 どうでも良さそうに溜め息をつきながら組んでいた腕を腰に当てて、悪趣味な当主を困ったように眉を顰めて見つめている。

「ここに挿れろ」

「…!」

 瞬間、セスの長大な陰茎を含まされて、先走りがとろとろと零れる後孔の襞を捲るようにして太い指先で穿たれると、光太郎の背中がビクンッと波打って、まるで信じられないものでも見るような目付きで自分を支配している男を睨み付けた。

「じょ、冗談!ムリに…ん!…決まって…ぁ」

「アリス、挿れるんだ」

 グイッと、光太郎の必死の訴えなどまるで無視して、自らの股間部を跨いで上半身を倒しているメイドの秘部を、これでもかと言うほど捲り上げると、彼は絹を裂くような悲鳴を上げた。

「裂けちゃうじゃない」

 恐らく、待ち受けているだろう凄惨な場面など目にしたくもないアリスは、まだ始まってもいないのに噎せ返る血の匂いを感じたような気がして長い睫毛に縁取られた瞼を閉じた。

「何を言ってるんだ、アリス?コイツのケツが使い物にならなくなったからってどうなるって言うんだ。いいから、早く来い。俺は、お前を抱きたいんだ」

 荒く息を吐き出しながらニヤッと嗤うセスは、必死に抵抗して嫌がる光太郎の双丘をもみしだくようにして内部で凶悪に蠢いている自らの陰茎で突き上げた。その行為に前立腺を刺激された光太郎は、唇の端から蝋燭の明かりに煌く唾液を零しながら悦楽に身震いする。

「何を躊躇ってるんだ、アリス。見ろよ…ッ、コイツは男に抱かれて喜んでるんだ。遠慮なんかしてやるな」

「…僕を2人で犯せばいいじゃない」

 そう、セスの長大な陰茎だけで翻弄されているような光太郎だ、アリスまでその身体に受け入れてしまえば流石の光太郎でもぶっ倒れてしまうに違いない。
 その点、ふと、アリスは趣味の悪いセスを軽く睨み付けた。
 アリスは散々、セスや兵士たちの手によって酷いことをされ続けてきた。だからこそ、今ではなんでも受け入れることができるようになっているのだ。
 経験の浅い光太郎では到底無理だろう。

「お前を?そんな勿体無いことできるかよ。遊ぶには丁度いい…クッ!そんなに締め付けるなよ。ククク…玩具があるんだぜ?来いよ、アリス。すぐだ」

 無理だと知っているから、セスはわざと腰をグラインドさせながら自分を誘うんだろう。
 溜め息を吐いて、アリスは音もなく近づくと、主人とメイド姿の少年が睦みあうベッドを軋らせた。

「や、…嫌だ、…そんな、アリ…ッ!…ひぃ」

 必死に抵抗して、その顔には快楽と恐怖がベットリと張り付いていて、それでなくても嗜虐心を思い切り刺激すると言うのに…光太郎は馬鹿な子だとアリスは唇を噛んだ。

「…凄く痛いけど、我慢せずに声を出した方が楽だよ」

「?…ぅあ!?…ッア…ぃ…ひぃあぁぁぁッ!!」

 ゆっくりとその華奢な背中に伸し掛かるようにしながら呟くアリスに、一瞬、怪訝そうに視線を向けた光太郎は、それでなくてもめいいっぱい開かされて悲鳴を上げている後孔に、さらに指よりも太い陰茎を挿入されてこれ以上はないぐらい双眸を見開くと、夜のしじまを切り裂くような絶叫を上げて激痛に硬直してしまう。

「ひ…ぃ…ぅく、…ィ~~~ッ」

 その後はもう声もなくて、先走りを撒き散らしながら2本の雄が鬩ぎあう後孔の痛みは半端じゃなくて、今まで味わった苦痛の中でも群を抜いて光太郎を苦しめた。

「…ゃ、ア…ン。いい…もち、い…ッ」

 光太郎の身体を慮ればそれほど動きたくないのに、教え込まれた身体は驚くほど快楽に弱くて、モジモジと腰を揺するようにして、狭くて滑る内壁に、何よりも太くてゴツゴツした陰茎に擦り寄るとアリスは雪白の頬に朱を散らして悦んだ。

「ククク…そうだぜ、アリス。快楽を味わうんだ」

 光太郎を犯しながら快楽に頬を染めて没頭してしまう人形のようなアリスの顎を捉えると、セスは瑞々しい果物のようなアリスの口唇に唇を重ねるて、ねっとりとした舌を挿し込んで口中を思う様味わった。
 その口付けにも素直に従いながら欲望に忠実に従うアリスの可愛い仕種に満足して、その時になって漸く、セスは息も絶え絶えと言ったように、快楽さえ追えないでいる虫の息の光太郎に気付いてニヤリと嗤うのだ。

(そうだ、主が来る前に気絶でもするんだな。死にはしないんだ、気軽に意識を失っとけ。お前に目覚められてちゃ迷惑なんだよ…あのお方がもう少し早く連絡さえ寄越してりゃ、主に報せたりしなかったんだがなぁ)

 忌々しそうに舌打ちしたセスは、額にビッシリと嫌な汗を浮かべてぐったりしている光太郎の腰を掴むと、まるで腸壁を突き破ろうとでもするかのような激しさで責め立てた。

「ヒ…っ、ふ…ひ、あ…アア…ッ」

 思い出したように小さな声が上がるだけで、力も失くしてぐったりした身体はセスとアリスに犯されても力なく揺れるだけで、抵抗らしい抵抗もしてこない。だが、後孔だけは意識あるように痛みに窄まろうとしては、その瞬間を突き立てられて収斂を繰り返す。その行為がセスたちを悦ばせているなどと言うことには、もちろん意識も覚束なくなっている光太郎に気付けるはずもない。血液と精液を零す後孔を激しく蹂躙される感触に力なく悲鳴を上げるしかなかった。

(まあ、俺は楽しめるからいいんだがな)

 クククッと咽喉の奥で嗤っていると、可憐に打ち震える夢のように綺麗なアリスが、身体の下で息も絶え絶えにセスに凭れている光太郎を激しく犯しながら甘えるように、強請るように口付けをせがんで擦り寄ってくる。

「ん…んぁ、セス様…アン!…んん」

「アリス…もっとだ、アリス」

 光太郎の身体を挟むようにして、二匹の雄が互いの口唇を貪りながら甘い吐息を漏らしている。
 突き立てながらイッてしまうアリスの腰がふるふると快楽に震えて、白濁がぐぷっ…と粘着質な音を立てて零れても、それでもセスは許そうとはせずに更に深くアリスの腰を引き寄せて光太郎の後孔を貫かせた。

(も…い、やだ。…やめ…ッッ)

 声にならない悲鳴を上げる光太郎になど微塵の憐憫も見せずに、セスは愛妾の腰を抱くようにして、まるで彼を犯しているような甘美な快楽に溺れながら、いつ果てるともなく光太郎を犯し続けるのだった。

Ψ

「これが、風変わりな人間か?」

 夜半過ぎに、予定よりも早く到着した沈黙の主は目深に被った漆黒のフードはそのままに、ベッドで力なく横たわるメイド姿の少年を見下ろしていた。
 ぐったりとした顔には血の気がなく、何よりも、紺色のスカートの裾から伸びた華奢な足には、なぜか血液と精液がこびり付いている。

「ハ!折角ご足労を願ったのですが、主よ。どうも、私の誤認だったようで…」

 セスが、彼にしては珍しく恐縮したように頭を垂れている。
 感情の読み取れない無表情で意識をなくした光太郎を見下ろしていた沈黙の主は、傍らで恐縮しているセスをチラリと見遣ると、ヤレヤレと溜め息を吐いたのだ。

「単なる男好きの小僧でして…魔物と共にあるなどと言って我らを謀ったようでございます」

 セスが口から出任せの言い訳を試みると、主はどうでも良さそうに片手を上げて黙らせた。

「言い訳はいい、セス。どうも、無駄足だったようだな。戻るぞ」

 そう言ってさっさと部屋から出て行こうとする主の背中をニヤリと北叟笑んだセスが見送る傍ら、ふと、彼はベッドサイドに立っている鉄仮面の男に気付いて眉を寄せるのだ。

「…ディア」

 ふと、その仮面の向こうから呟かれた不明瞭な言葉を聞き取ることはできなかったが、彼が熱心に光太郎を見詰めていることに気付いて一抹の不安を覚える。

「ユリウス殿、何か…?」

 セスの問い掛けもまるで無視して、この不気味な鉄仮面の男は暗い仮面の向こうから光る双眸でただただ、淡々と光太郎を見下ろしているのだ。

「ユリウス!戻るぞ…何をしている?」

 一旦は部屋を出た沈黙の主は、いつも影のように寄り添っている片腕の不在に気付いたのか、戻ってくるなり突っ立っている忠実な部下を見つけて訝しそうに眉を寄せた。その声で漸くハッと我に返った鉄仮面の男は、胡散臭そうな目付きをしている主に気付いて居住まいを正した。
 取り繕う、などと言うことは一切しなかったが、それでも、鉄化面の男ユリウスは尊い沈黙の主に片膝を付く騎士の最敬礼をして、そのフードの奥に隠れた相貌を見上げると低い声音で言うのだ。

「主よ。必要ないのであればこの少年、私が貰い受けても宜しいでしょうか?」

(なんだと!?)

 表情にこそ出さなかったが、セスはギョッとしたようにユリウスを盗み見た。
 どこをどう見て光太郎の今の姿が、この朴念仁のような男の心を動かしたと言うのだ。
 散々犯されて穢された少年は、心身ともに傷付き疲れ果てたように眠っている。
 セスのユリウスに対する認識は、孤高で気高いと言うものだった。
 何処かの貴族の出身だと言う噂があるにも拘らず、そんな噂はどこ吹く風で、寡黙にして主以外の何者も目に入らないと言った風情の彼は、心底から国の復興だけを望んでいるのではないかと実しやかに囁かれていた。
 セスのように野蛮な男にしてみたら、どこか鼻をつく存在になりうるはずなのだが、どう言ったわけかセスはユリウスにだけは関わり合いたくないと思っている。
 いや寧ろ、恐らくセスにしてみたら一生認めはしないだろうが、彼はユリウスの存在に怯えていたのだ。
 不気味な鉄仮面に隠された素顔は主すらも見たことがないのではと言われていて、音もなく近付き、そして戦場にあれば凄まじい殺気に魔物どもは蹴散らされてしまう。
 皆殺し…の言葉がとてもよく似合う、不気味な黒甲冑の騎士なのだ。

(性欲なんざ、ねーんじゃねぇかと思っていたんだがなぁ…)

 思わぬ誤算にセスは内心で舌打ちしていたが、何よりも、国の頂点に立つ男が恐らくそれを拒絶するだろうと高を括っていた。

「…お前が何かに興味を示すとは珍しいな。だが、コレはもう使い物にはならんだろう。よく似た者を用意してやるぞ」

 沈黙の主がこの黒甲冑の男を大事にしていると言うあの噂は、強ち嘘でもなかったようだなと、目の前で繰り広げられる絶対的な信頼を寄せる主従関係をセスは冷ややかな眼差しでコソリと観察していた。

「いえ、主。私はこれが欲しい」

 そう呟いて、片膝を付いている黒甲冑の鉄仮面の騎士は、ふと肩越しにベッドでぐったりと横たわっている光太郎を見ているようだ。
 その熱心さに面食らったような沈黙の主は、ゆったりと腕を組むと高圧的な眼差しをしてふざけたメイド姿の少年を見下ろした。

「ふん、よかろう。身体の相性もあるだろうから今夜はここに泊まることにしよう。セス、用意をしておけ。明日の朝早く発つからな」

「あ、ハハッ!」

 その言葉を聞いて、セスはますます渋い顔になる。
 案の定、沈黙の主は穢されて投げ捨てられたような少年には一切興味を示すことはなかった。そこまではセスの思惑通りだったと言うのに…よりによって何故、影のように寄り添っているだけであるはずの主に忠実な騎士が興味を示すのだ。
 ギリッと、奥歯を噛んで盗み見た不気味な鉄仮面の騎士ユリウスは、主の言っていることをいまいち理解していなかったのか、訝しそうに首を傾げている。
 沈黙の主はそれだけを言うと、呆れたように肩を竦めてセスの部屋から出ると大広間まで堂々とした足取りで戻って行った。

「…ユリウス殿」

 希望した少年を手に入れた寡黙な鉄仮面の騎士がどの様な表情をしているのか窺い知ることは出来ないが、またしてもベッドサイドに突っ立ってウィッグの長い黒髪を持ち上げてジッと見下ろしている。その漆黒の外套を纏った背にセスが声を掛けると、彼は振り返りもせずに短く「なんだ?」と気のない返事を返してきた。
 その態度は下級の部下に対するものなのだから致し方ないことではあるが、まんまと獲物を掻っ攫われてしまったセスとしては面白くない。

「その小僧は男に抱かれることを何よりの悦びだと思っている淫乱です。どうぞ、毎夜激しく抱いてやってください」

「…それは真か?」

 はい、と軽く答えて肩を竦めたセスは、人の悪い笑みをニヤリと浮かべて顎をしゃくるようにして光太郎を指し示した。

「今日も、主がご来臨されると言っているのにこの様ですよ。恐らく、主が仰ったのは今夜、貴殿が彼を抱かれると思われたのでしょう」

「…」

 ユリウスは何を考えているのか、その思考を仮面の裏側に隠したままでムッツリと黙り込んでしまった。

(ふん、やはりお綺麗な騎士殿は薄汚れた小僧などに興味はないんだろうよ。おおかた、物珍しさで言ってみたんだろう)

 セスはニヤニヤと笑いながら、これからユリウスが「やはり、これはいらない」と言い出すのを、親切にゆっくりと待ってやることにしたようだ。

「ソイツは魔物とも寝るような奴ですぜ。確か、バッシュとか言う…ああ、魔族の大隊長の地位にある魔物ですかね。暴れていたので今は地下牢にいますが…ヤツがいないと夜も眠れないそうなんで、ソイツを引き取ってくださるのなら、あの魔物もお連れ下さい」

 矢継ぎ早の駄目押しを言って、さてどう出るかな、この戦好きの不気味な黒騎士はと、セスは半ば面白半分で様子を窺っていた。

「…なるほど。貴様が主に報告したのは強ち嘘でもないと言うことか」

「と、仰ると?」

 セスが内心でフンッと鼻先で笑うと、ユリウスは弄んでいる漆黒の黒髪をそのままに、どうやらニヤリと笑ったようだった。

「大隊長が可愛がっている小僧か…なるほど。だが、まあいい。ところで、セス」

「なんでしょう?」

 少年の黒髪のウィッグから手を離したユリウスは、その時になって漸く、彼はセスに振り返ったのだ。

「この衣装は必要ない。彼が普段着ている服装に戻して、部屋に連れてくるように」

「…ハッ」

 内心でチッと舌打ちしたセスの気持ちを、まるで見透かしたように腕を組んだ黒騎士は、仮面の向こうから意味ありげに嗤うのだ。

「案ずるな。そのバッシュとやらも、オレが連れて行ってやる」

「…!」

 不意にハッと顔を上げるセスに、ユリウスは仮面の奥の双眸を一瞬キラリと光らせて、口許にどうやら皮肉気な笑みを浮かべているのだろう、そう言い残してサッサと部屋を後にした。
 その後ろ姿を言葉もなく呆気に取られて見送っていたセスは、唐突に我に返ると、途端にムカついたようだった。

「なんだ、アイツは。とんだ猫被りじゃねーか!」

 畜生!と吐き捨てて、セスがキャビネットを蹴り上げる頃、完全に意識を失っている光太郎は辛そうな溜め息を零していた。

Ψ

 散々痛めつけられた身体は、それでも慣れてきたのか、随分と回復は早くなってきたようだ。
 セスが沈黙の主やユリウスの相手をしている間に幾らか回復していたのか、寝かされていたベッドの上でふと意識を取り戻した。
 ぼんやりする意識を必死で覚醒させながら、光太郎は背筋を貫くようにして脳天を直撃する痛みに一瞬息を呑んでから、恐る恐る身体を起こそうとしてギョッとした。
 てっきり、セスの部屋にいると思い込んでいたのだ。
 なのに、今見渡した部屋は彼の部屋よりも幾分か豪華だったし、何よりも、目の前に無言で突っ立っている黒甲冑を着た不気味な騎士を見ればギョッとしても仕方がないだろう。
 怯え…というよりも寧ろ、そのあまりにもあからさまに怪しげな格好に吃驚して声を出せないでいる、漸く上半身を起こした光太郎が目をパチクリさせていると、黒甲冑の男ユリウスはボンヤリでもしていたのか、ハッと気付いて目を覚ましている少年を見下ろした。

「目覚めたのか」

「…あんたは誰だ?」

 それでなくても衰えた体力ではダッシュで逃げ出すこともできず、光太郎は警戒しながら大きなベッドの上を後退ろうとして、ふと自分がいつもの服を着ていることに気付いた。

(あのふざけたメイド服じゃなくなってる!…よかった)

 ホッとしたのも束の間、ガチャッ…と鎧を鳴らして近付いてきた黒騎士にハッと気付いたときには、既に光太郎の顎は掴まれて上向かされている。
 意志の強さを秘めた良く晴れた夜空のような双眸を、どんな表情で見下ろしているのか、全ての感情を仮面の裏に隠してしまった男は無言で見下ろしていた。

「誰なんだよ!?やめろよ、俺に触るなッ…!」

 身体の自由が半分以上奪われている状態では凄んでみたところでお笑い種なのだが、それでも光太郎は嫌々するように首を左右に振ってユリウスの手を疎んだ。しかし、感情の読めない騎士は冷徹な力強さで持って少年の身体を慮ることもなく突き放した。

「ふん、矢張り気のせいだったな」

「…イテテッ。何が、何が気のせいなんだよ?って言うか、あんた、ホント誰なんだ??」

 ベッドの上に突き飛ばされるようにして倒れ込んだ光太郎は、それでなくても痛む身体を庇うようにして起こしながら、いったい今度は自分の身の上に何が起こったのかと苛々したように首を傾げている。この砦に来て初めて見る顔に、その時になって漸く光太郎がハッとしてポンッと左の掌に右拳を打ち付けた。

「そっか、あんたが沈黙の主なんだな!」

「…いや、オレは」

「あんたに話があるんだ!地下牢に閉じ込められている魔物を解放して欲しい。それが駄目なら、せめて綺麗なシーツとキチンとしたご飯を与えて欲しいんだッ」

 勝手に勘違いした光太郎は身体が悲鳴を上げるのも厭わずに、訝しげに立っているユリウスの胸元に縋るようにして掴み掛かりながら言ったのだ。

「魔城に囚われてる人間の兵士たちはちゃんと持て成されてるよ!そりゃあ、場所は地下牢なんだけど…でも!ちゃんと清潔なシーツと美味しいベノムのご飯と、綺麗な空気が入るように通風孔だってあるんだ。でも、ここの地下牢は最低だよ。魔物にだって感情はあるんだ。ほんの少しでもいいから、ちゃんとした場所で休ませて欲しいんだよ!」

 矢継ぎ早に言って懇願する光太郎を、黒騎士は無言で見下ろしていた。
 反応を示さない鉄仮面の騎士に、焦れた光太郎はどうして判ってくれないんだろうと困惑したように眉根を寄せて首を傾げてしまう。

「沈黙の主!俺は…ッ」

 そこまで言いかけて、光太郎は言葉を飲み込んだ。
 素早い仕種でユリウスに顎を掴まれて上向かされた先、鉄化面の向こう側から、まるで怒りを滴らせたような紅蓮の双眸が睨み据えていたからだ。

「魔物に…慈悲を与えろと?」

 腹の底から、いやまるで、地獄の底から搾り出したような低い声音で吐き捨てられて、彼の地雷原に足を踏み入れてしまったことに今更気付いた光太郎は、どうすることもできずにコクリと息を呑んだ。
 だが。

「そうだよ!慈悲とか、そんな偉そうなもんじゃなくていいんだ。ただ、ちょっとの優しさだよ。ほんのちょっとの、相手を思い遣る優しさなんだ。魔物にできるのに、どうして人間ができないんだよ!」

 それが悔しくて、同じ人間なのにどうして、魔物が持つあの泣きたくなるほど温かな優しさを持つことができないんだろう。
 光太郎はたとえここで殴られたとしても、それを訴え続けようと覚悟を決めていたのだ。

「…ふん。面白いことを言う小僧だな。己の立場と言うものを理解していないのか?」

「判るもんか!俺は俺だ、それ以上でもそれ以下でもない」

 強く顎を掴まれてその双眸を覗き込まれながらも光太郎は、負けるもんかと震え出しそうな両足を内心で叱咤して目線は逸らさない。
 その意志の強さに、ふと、ユリウスは何か面白いものでも見つけたような仕種をした。なぜならそれは、じっと覗き込んでいる、その紅蓮の双眸が一瞬細められたからだ。

「そうか、なるほど。セスの報告は矢張り間違いではなかったのだな」

「セス?」

「…貴様は、人間でありながら魔物を擁護する。その根底にあるものはなんだ?」

 なんだと聞かれても…難しいことが判るはずもなくて、光太郎は頭をフル回転させながらシックリくる言葉を探していた。その言葉を叩きつけてやって、晴れて魔物たちを解放してやるんだと意気込みながら。

「答えられないのか?所詮そんなものだ。情けなど自分の為にも、ましてや人の為にもならん」

 顎を掴んでいた手を離して息を吐いたユリウスは、仮面の奥から紅蓮の双眸で一瞬光太郎を睨んでから視線を逸らしてしまった。

「でも、情けのないヤツなんかクソ食らえだ!日本には人情って言葉があるんだぞ。あんたらには判らないだろうけどな!」

 フンッと、一方的で身勝手なことを言われてカチンときた光太郎はそう言い放つと、ベッドの上に胡坐を掻いて座りながら鉄化面の騎士を見上げた。

「どうして判ってくれないんだ!?魔物たちは、みんなちゃんと優しいのに。捕まえた人間たちを、ここにいる人間たちみたいに殺そうとしたり…その、ヘンなことしようとしたりはしなかったよ。それどころか、傷付いてる人たちの手当てまでしてたんだ!」

「煩い、小僧!」

「…ッ」

 ヒュッと咽喉が鳴って、光太郎は首を締め付けられながらベッドに押し倒されてしまった。

 突然、嵐のように襲ってきた漆黒の手甲に成す術もなく押し倒されて、それでもハッと我に返ると慌ててその手から逃げようと暴れるのだが、黒騎士の力は尋常じゃなく強かった。
 息苦しくなって顔を真っ赤にする光太郎を覗き込みながら、ユリウスはゆっくりと空いている方の手で自らの顔を覆っている仮面に手をかけたのだ。

「見るがいい。オレの顔に刻み込まれた魔物との長い確執の理由を」

「…ッぁ!」

 伸し掛かるようにしてベッドに押さえつけたままの光太郎の眼前で、ゆっくりと仮面を忌々しそうに剥ぎ取った黒騎士の素顔を見て、光太郎は言葉をなくしてしまった。
 その顔は、鮮やかな白髪に縁取られ憎しみに濡れたように光る紅蓮の双眸、高い鼻梁に酷薄そうな薄い唇…そして、その整った顔の右半分を舐めるようにして這う火傷の痕。
 唇も溶けたようにケロイド状になっていて、ともすれば目を背けたくなるほど酷い有様だった。

「この顔になってなお、このオレに魔物に優しくなれと言うのか?ふん、だが顔などどうでもいい。この傷がついたあの日、国が一夜にして滅亡する様をまざまざと見せ付けられたあの日…それをオレに忘れろとでも言うのか、貴様はッ」

 恐らく彼は、その火傷の痕から察するに、命辛々で生き延びたに違いない。
 そうしてその目で、燃え盛る自らが忠誠を誓う国が滅んでいく様を見せ付けられてしまったのか。
 顔から首に掛けて舐めるように這う火傷の痕は、そのまま身体にも延びているのだろう。
 光太郎は首を絞められて気が遠くなりながらも、鉛のように重くなる腕をノロノロと上げて、ビクッと肩を揺らす黒騎士の火傷を負った頬に、伸ばした掌をソッと当てていた。まだ、痛んでいるのかもしれないと躊躇するから、その手つきはとても優しかった。

「何をするんだ?」

 震えそうになる声を必死で冷静に保って、ユリウスは視線を逸らすこともしない見上げてくる漆黒の双眸を見詰め、それから居た堪れないように目線を伏せてしまった。
 それまでの怒りがまるで嘘のように引いて行くのは、誰もがその傷痕を見るとあからさまに嫌そうに顔を背けるか、哀れっぽい眼差しをしてから申し訳なさそうにソッと目線を逸らしていたと言うのに、光太郎は嫌がるどころか、まるで怯まずに一心に自分を見上げてくるのだ。
 少なからず、自分はこの顔に劣等感を持ってしまっていたのだなと、その時になってユリウスは認めたくはなかった心理を仕方なく受け入れて眉根を寄せた。

「…痛い?」

 訊ねられて、ユリウスは悔しそうに瞼を閉じた。

「今はもう、痛まん」

「そうか…でも、きっと。心は痛いんだよな?」

 ハッとしたように瞼を開くと、光太郎が今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 言葉にしてしまえばどれも嘘っぽく聞こえてしまう、でも、言葉に出さなければ伝わらない想いもある。
 心を伝える為に、だから、言葉はあるのだと言うのに、人間は言葉の遣い方を驚くほど簡単に間違えてしまう。
 間違えないように、そんなことあるはずがないように、光太郎は躊躇わずに思いを言葉にしていた。
 隠さなければいけない思いもあれば、口に出さなければいけない想いもある。そんな難しいことは判らなかったが、それでも、光太郎は今心にある思いは言葉にしようと思ったのだ。

「痛くて痛くて仕方ないよな?でも、あんたは大人だから。泣くこともできないから、余計に苦しくて痛いんだよな」

 ふと呟いた光太郎の顔をマジマジと覗き込んで、ユリウスは眉間に皺を寄せて鼻先が触れ合うほど顔を寄せて言い放つのだ。
 この忌まわしい顔を見て、そろそろ我慢も限界ではないのかと。

「何を綺麗ごとを。貴様、この顔を醜いと思っているんだろう」

「醜い…とか、よく判んないよ。そんなことよりも、痛そうで辛いよ。だって俺、痛いの嫌だからな」

 眉を寄せてムッと唇を突き出した光太郎は、ユリウスの頬に触れた掌はそのままに、どうしてこの分らず屋は判ってくれないんだろうと首を傾げている。いつの間にか首を絞めていたはずのユリウスの大きな掌も光太郎の頬を捉えていて、気付けば2人ともお互いの頬に触れ合って、まるでキスをする寸前の恋人同士のようではないか。
 そんなこと、気付けるはずもない2人だが。

「今はもう痛まん、と言っただろうが」

「そうは言うけど、痛そうだよ」

 心配そうに見上げてくる瞳は不安に揺れて、一瞬、ベッドで横たわっていたときに感じたあの感覚が、もしや誤りではなかったのかとユリウスは動揺して、そして思い出していた。
 優しかった、あの漆黒の瞳を…
 今目の前にいる少年は、ベッドで力なく倒れていた少女のような儚さは微塵も感じ取れない。それどころか、忘れかけていた心の在り処を暴き出しそうなほど真摯で純粋な、その強さが眩くて…ユリウスはもしやと、儚い希望を見出しそうになっている自分に驚いていた。

「痛みはしないさ、その証拠を見せてやろう…」

 そう言って、ふと、ユリウスはきょとんとしている光太郎の唇に、自らのケロイドで右半分が引き攣れている唇を押し当てた。嫌がって逃げればそれでもいいと思っていたが、光太郎は吃驚して双眸を見開くだけで、別に逃げ出そうとはしなかった。
 もう、この国に連れ去られてきてからと言うもの、男が男にキスをしたり抱き締めたりすることに妙なところで免疫ができてしまっていたのだ。
 軽い口付けは、やがて息が上がるぐらい深いものになったが、ユリウスがそれ以上の行
為に進もうとした段階で、漸く光太郎がむずがるようにして嫌がった。

「…なぜ、嫌がるんだ?お前は男が好きで、抱かれることが好きなんだろ?」

「ハァ!?なに、言ってんだよ!!?」

 きょとんっとして首を傾げるユリウスに、光太郎はガバッと身体を起こしながら黒騎士の胸倉を掴んでグイグイッと引っ張った。

「む、無理矢理、その、エッチなことはイロイロされたけど…でも!!男が好きだとか、その、エッチが好きだとかそんなことはだなッ!」

 そこまで言って、唐突にハッとする。
 そうだ、自分はシューが好きなんだと。それもやはり男好きになってしまうんだろうか?と、光太郎が蒼褪めて頭を抱える頃には、ユリウスはどうやらセスにハメられたかとムッとしたものの、胸倉を掴んだままで考え込んでいる物怖じしない、不思議な雰囲気を持った少年を見下ろしてフッと笑った。
 独特な雰囲気を、そうあるように漂わせていたユリウスに、唯一物怖じせずに触れ合ってきたのは後にも先にもこの少年ぐらいだろう。忌まわしいこの顔を見ても、怯むどころか痛々しそうに傷を気遣ってくる人間など…ましてや魔物にだって、在り得はしないのだ。
 沈黙の主でさえ、例外ではなかった。
 ユリウスはあの忌々しい日からもうずっと、仮面に傷も、そして心すら隠して生きてきたと言うのに…
 セスにまんまと騙されはしたが、手に入れた少年は世にも得がたいものだったかもしれないと、ユリウスはもう一度、信じることにしたようだった。

「男好きではないのか、そうか。では、今からオレを好きになれ」

「はぁ?」

 首を傾げる光太郎に、自分の素顔を見ても物怖じすらせず、痛みを分かち合うように辛い表情をした掛け値なしの優しさを、人の好意を信じることに臆病になっていた頑ななユリウスが受け入れようとしているのだ。その事実にもちろん気付けるはずもない光太郎は、何を言われたんだろうとポカンッとして首を傾げてしまった。
 その間抜け面を覗き込みながら、ユリウスはクスクスと笑って柔らかな口唇に唇を押し当てるのだ。

「好きにならずとも、もう手放しはしないがな」

 懐かしい太陽の匂いがする黒髪と、晴れた夜空のような優しい双眸を持つ少年は吃驚したように目を見開いていたが、右半分に醜い火傷の痕を晒す漆黒の甲冑に身を包んだ青年はその身体を愛しそうに抱き締めた。
 とんでもないことになっちゃったんじゃないの、俺!?と、光太郎が動揺して慌てふためくのは、それから暫く後のことになる。