第二部 6.陰の中の光  -永遠の闇の国の物語-

 漆黒の騎士、ユリウスに宛がわれた部屋はセスの塒よりも幾らか狭かったが、それでもこんなご時勢ではそれなりに豪奢なものだった。その点に全く気付いていない光太郎は、まるで閉じ込めるようにして外から鍵をかけて出て行ってしまった、この部屋の今の主の顔を胡乱な気分で思い浮かべながら唇を噛んでいた。
 ベッドから降りてウロウロと室内を歩き回ったところで充分な考えなど思いつきもしないが、それでも何かしていないと居ても立ってもいられない、そんな焦燥感に襲われている。
 今、この部屋の外で沈黙の主とセス、そして漆黒の騎士であるユリウスが何を話しているのか…知りたい。
 その純粋な思いが、何より、その話し合いの結果がどれほど甚大なダメージを魔物たちに与えてしまうのか、考えるだけで胃の辺りがキリキリと痛み出すのだ。

「…なんとかしなくっちゃなぁ。せっかく敵陣の真っ只中に入り込めたんだ、少しでも何か情報を盗んでから闇の国に帰らないと。何よりも、こんなところに閉じ込められてるってのも冗談じゃないし」

 元来から向こうっ気の強い光太郎のこと、こんな場所でジッとしているような性格ではない。
 窓は相変わらずビル3階分は高い位置にあるし、先ほどから何度も試してはいるものの、一向に開く気配もない扉にはうんざりして思わず蹴りを入れてしまって、思わぬ痛みに蹲りそうになって溜め息を吐いてしまった。

「はぁ…何やってんだろ、俺」

 思わずガックリと肩を落として寝ることもなかったベッドにへたり込んでしまう。
 抱き締めてきていたユリウスが、ポカンッとしている光太郎の柔らかな唇にキスした丁度その時、外からノックされて「主のお呼びです」と声をかけられた途端、それまでの甘い雰囲気など何処吹く風で、暗黒の騎士は言葉もなく立ち上がると出て行ってしまったのだ。
 光太郎に声を掛けることもなく、厳しい、まるで何かを強烈に呪ってでもいるかのような火傷の舐める相貌を鉄化面の裏に隠しながら…ユリウスは行ってしまった。
 その後ろ姿が何故か不穏に感じてしまって、光太郎は追い縋るように扉に近付いたものの、ピシャリと目の前で閉じてしまった重厚な扉は、カチリと外から鍵の掛かる冷たい音を響かせていた。

「こんな砦の中で、俺が何処に逃げるって言うんだよ!?…ホント、アイツって変わったヤツだ…って、あれ?そう言えば俺、アイツの名前を聞いてないや」

 サメザメと悲観に暮れて腹立たしそうにブチブチと悪態を吐いていた光太郎は、パチクリと目を見開いて、それから唐突に上体を起こして首を傾げてしまう。
 よくよく考えれば、沈黙の主だと勘違いしていたままで結局、光太郎はユリウスの名前すら聞いてはいなかったのだ。あまりに多くのことが起こりすぎて、そんな大事なことを忘れてしまっていた。
 驚くほど無残な火傷の痕は、あの黒甲冑の騎士が言うほど醜い…と気になるよりも寧ろ、そのあまりの痛々しさに正直光太郎は言葉が出なかった。
 憎々しげに自分を見下ろした紅蓮の双眸が怖くなかった…と言えば嘘になるし、全身に広がった炎の苦痛に死ぬよりも酷い体験をしたに違いない彼の、全身を纏うあの狂気のような殺気からは逃げ出したかった。
 それでも。
 ふと、光太郎はベッドの縁に腰掛けたままで目線を伏せた。
 それでも、全身で拒絶しているはずのユリウスの、そのルビーのように澄んでいる紅蓮の双眸の奥に、見え隠れしていたあの光が、頼りなげな寂しさだったとしたら、それが自分の思い違いでないのだとしたら、光太郎は放ってはおけなかった。
 自分はそんなに出来た人間じゃない、できれば、ユリウスから逃げ出してシューの元に少しでも早く帰りたいとすら思っている。

「…偽善、ってヤツなのかな」

 それでも、あの白髪と紅蓮の双眸を持つ悪鬼のように世界中を憎んでいるようなあの黒騎士の瞳に見詰められてしまうと、逃げ出しそうになる足が勝手に止まってしまうのだ。
 立ち止まって、せめて自分ぐらいは踏み止まって、どんどん闇に堕ちていきそうなあの漆黒の騎士の腕を、確りと掴んでいてやらなければ…そんな思いが、光太郎の怯みそうになる膝を奮い立たせていた。
 どうすることも出来ない、侭ならない思いに溜め息を吐いたその時だった。

『光太郎!おい、ここに居るのか!?』

「バッシュ!?」

 聞き慣れた声にハッと顔を上げた少年は、転がるようにしてベッドから降りると慌てて重厚な扉が口を閉ざす、この部屋の唯一の出入り口に走り寄っていた。

「バッシュだろ!?ここにいるよ!」

 慌ててドンドンッと両手で扉を叩くと、向こう側からケルトの声が「やっぱりここだった!」と、ちょっと嬉しそうに響いている。

「ケルトも居るのか?よかった、みんな無事だったんだね」

 別にあの黒騎士が何かすると言うわけではなかったのだが、それでも元気そうな皆の声を聞けば、光太郎はホッと息を吐いてしまう。

「ここだよ、ホラやっぱり!早く早く、早く開けてあげてくださいッ」

「んも~、判ってるよ。そんな、せっつかないで欲しいね」

 プリプリしたようなアリスの声も聞こえて、一緒に彼も来てくれたのかとホッとしたのも束の間、ハタと彼と致してしまった性行為を思い出した光太郎は顔を真っ赤にしてしまった。

『だー!!ゴチャゴチャうるせーなッ。叩き壊せばいーだろーがッッ』

「あん!もう、ちょっと短気すぎッ。魔物は引っ込んでてよね!」

『なんだと、この人間が!!』

「もーう!!光太郎さんが待ってるんだから早くしてよーッッ」

 ギャアギャアと扉の外で言い合うアリスとバッシュと、それらの仲裁をきっとビクビクしてるに違いないと言うのに、一番幼いケルトがしているのだから、光太郎は思わず苦笑してしまった。
 待っててくれる人がいる…その思いが、じんわりと胸の奥に広がって、光太郎は自分と彼らを隔てている扉にソッと手を当てると、幸せそうに笑って瞼を閉じた。
 きっと、バッシュが『待っていてくれる人がいると勇気付けられる』って言うのは、こう言うことなのだろうと、今更ながら思っていた。

「もう!ホントに煩い連中なんだからッッ…っと、ホラ、黙ってても鍵なんだから開くに決まってるじゃない」

 不貞腐れたアリスの言葉に被さるようにして、重々しい扉から軽快に響くカチャリッと鍵の開く音に、光太郎がホッとするのも束の間、乱暴に開いた先から飛び込んで来た小さな身体と鱗と甲冑に覆われた大きな身体に人間の少年は埋もれてしまっていた。

『光太郎~、良かった俺、お前が黒騎士に喰われたんじゃないかって心配で心配で!』

「ずっと捜していました!ボク、ボク…ぅえーん」

 ギュウギュウと抱き締められて呆気に取られていた光太郎は、それでも自分の身を何よりも、ましてや我が身よりも心配してくれているバッシュやケルトの優しさにじんわりと嬉しさがこみ上げて、そんな長時間離れていたわけでもないのにもう随分と長いこと、彼らに会っていなかったような気がして大きな背中と小さな背中に両腕を回して静かに瞼を閉じていた。

「ありがとう、心配かけてごめん」

 抱き付かれた勢いで思い切り床に尻餅をついてしまった格好で抱き締めている光太郎を、オンオンと泣いている蜥蜴の親分と蜂蜜色の髪を持つ小さな少年の後ろから腕を組んで呆れた顔をするアリスが肩を竦めて見せるのだ。

「大袈裟なんだから~。でもね、こーゆうこと見付かったら、たぶんきっと処刑だね」

「ええ!?」

 アリスにも御礼をしようと顔を上げた光太郎は、その物騒な台詞にギョッと目を見開いて信じられないとでも言うように首を左右に振って見せた。

「冗談でも脅しでもないよ~。そんなの面倒臭いし?僕が言うワケないでしょ。あの黒騎士って言うのは沈黙の主さまの右腕、つまり戦場で皆殺しのナントカって言われてるぐらい怖いひとなの。そのお気に入りを脱走させちゃうんだもん、バッシュもケルトも、モチロン僕だって処刑ぐらいされると思うけど?」

「ま、マジで!?」

「マジマジ、大マジ♪」

 キャハッと笑うアリスに、殺されそうなのに何がそんなに楽しいんだよ!?と、光太郎がアワアワと面食らいながら蒼褪めていると、双眸を真っ赤にしたままで上半身を起こしたバッシュがガオッと吼えるようにしてそんな光太郎に食って掛かったのだ。

『殺されることなんか怖くねぇよ!!俺は、光太郎を助けるって決めたんだからなッ』

「ぼ、ボクも!こんなところで一生を終えるのなら、光太郎さんのお役に立ちたかったんですッッ」

 ケルトまでもが小さな身体を起こしてポロポロと水晶のような涙をマシュマロのように柔らかそうな頬に零しながら、光太郎の身を案じて恐怖を乗り越えてここに来たのだと訴えるのだ。
 驚きと嬉しさと不安の綯い交ぜした複雑な表情で眉を顰める光太郎に、アリスは呆れを通り越して「感動的じゃない」と悪態を吐きながらも肩を竦めて苦笑した。そんな彼でさえ、無謀を冒して彼らに加担しているのだから、その口調とは裏腹の優しさが垣間見えてしまうのは仕方がないことだ。

「…バッシュ、ケルト、それからアリスも。こんな俺の為にありがとう」

 掛け値なしで呟くように礼を言う光太郎のその素直な謝辞に、どこかこそばゆいような表情をする魔物と幼い少年がはにかむ背後で、仏頂面で唇を尖らせるアリスがフンッと外方向いてしまう。その耳元が、雪白の頬と同じぐらい真っ赤に染まっていることに気付かない、それほど無神経ではない光太郎は有り難さと嬉しさに思わず泣いてしまいそうになっていた。

『…さて、これからどうするかな?』

 漸く本当に光太郎が無事なのだと理解したバッシュが、本来の魔族の大隊長としての顔を覗かせて立ち上がると、その腕に支えられるようにして同じように立ち上がった光太郎は深刻な表情をして頷いた。

「ここに、沈黙の主が来てるみたいだから…懸念してたような、南の砦への攻撃はまだ始まっていないんじゃないかな?」

「ご名答」

 アリスが思わずと言ったように口笛を吹いてから、この何の取り得もなさそうなただの少年の思わぬ洞察力に感服しながらも、アリスも綺麗に整った眉を顰めて可憐な唇を尖らせた。

「わざわざあの黒騎士まで引き連れてだから…光太郎のこと、結構気にしてたみたいだね~」

「え?…何故だろ??」

 思わずドキッとしたようにアリスを見ると、彼は肩を竦めながら首を左右に振って返した。

「知らないよ。セス様も詳しいことはたとえ閨でも漏らしてくれないしさぁ…どちらにしても、ここにずっといるってのも拙いんじゃない?」

『だな。ついさっき、酷い剣幕であの不気味な暗黒騎士が出て行ったばっかりだが、いつ戻ってくるか判らないし…取り敢えず、あのふざけた後宮とやらに一旦戻らないか?』

「うん、賛成」

「俺もだ」

「ボ、ボクも!」

 話を聞いているだけでなんの案も出せずにオロオロしていたケルトが賛同すると、アリスは呆れたように軽く溜め息を吐くし、いつからそんなに仲良くなったのか、バッシュは蜂蜜色の髪に鱗に覆われた掌を置いて無表情で乱暴に掻き回すし、そんな姿を見詰めながら光太郎は、嬉しくてクスクスと笑っていた。
 こうして、難攻不落…と言うワケでもない黒騎士ユリウスの部屋からの大脱走劇は、そのままこの砦の今の主であるセスが後宮と呼ぶ砦の中心に位置する部屋へと持ち越されることになったのだ。

Ψ

 深い森の中を、馬の足で3日は掛かる第二の砦へ赴く行程を、シンナは野兎のような敏捷さで只管走っていた。時折、深い森の古木に凭れては、顎を伝う汗を片手で乱暴に拭いながら、その空を閉じ込めたような透明な瞳で前方を、行く手にあるはずの第二の砦を睨みつけていた。
 光太郎は、自分は白兵戦に向いているから行ってもいいかと聞いたとき、あんな戦場の最中で、聞けば戦すら知らない平和な世界から来た少年は、ほんの一瞬、寂しそうによく晴れた夜空のような双眸を揺らめかせただけで、それでも力強く頷いてくれた。

「気をつけて」

 と、戦場に躍り出るシンナに彼は言った。
 誰も、家族ですら特出した能力のあるシンナを疎ましく思い、満月の夜に闇の国の深い森に幼い子供を捨てたのだ。その時ですら誰も、「気をつけて」などと、その身を案じる言葉など与えてはくれなかった。
 母ですら、何かおぞましいものでも見るような目付きで、早く低級魔物に喰われてしまえばいいと呪ったぐらいなのに…あの少年は。

(光太郎はあたしに笑い掛けてくれたン)

 ハァハァと荒く肩で息をしながら古木に片手を付いて咽喉元を押さえるシンナは、ふと、雑草の茂る足許に目線を落とした。
 小さな花が、まるでその頼りなげな存在を精一杯主張しようとでも言うように、草の中に埋まるようにして健気に咲いていた。
 薄紅の小さな花は、押し合い圧し合いの雑草の中でその存在すらも消えてしまいそうなほど頼りなかったが、それでも懸命に生きている。私を見てね、と、咲き誇っている。
 誰の為でもないこの人生が、もしかして、自分が思うほどに必要があるのだとしたら、それはきっと光太郎が生きて一緒に過ごす時間の中にこそ光り輝くんじゃないだろうか。
 シンナは風に揺れる可憐な花を見下ろして、一瞬だが、その強さが光太郎に重なったような気がした。

「花を見て、光太郎と思うなんてどうかしてるわン」

 花を見下ろしたままでクスッと笑うと、思い直したように双眸を閉じて考えていた。

(そうよン。この命が誰の役にも立たないものだったとしても、光太郎は、光太郎だけはきちんとあたしの存在を見詰めていてくれるン。そう思えるから、あたしは生きていけるン)

 ああ、だから。
 ふと、シンナは俯いたままで可憐な花を見下ろして思う。

(あたしはこんなにも光太郎を、【魔王の贄】にしたくないと思っていたのねン)

 誰でもない、あのゼィですら理解できない深い闇の発端を、どこか遠くの世界から無理矢理連れて来られてしまったあの少年は、容易く見出してしまった。そのことを、恐らく光太郎自身は気付いてもいないのだろうが、彼の言葉がどれほどシンナを救ったか。

「俺はここにいるから。だからきっと、独りぼっちだなんて思わないでね」

 他の誰かが言えば、いや、言ってくれる人など誰もいないのに…だからこそシンナにとって光太郎が掛け値なしの優しさでくれたその言葉は、唯一無二の宝物となっていた。

(何れ、きっと気付くわン。ゼィも魔王様も…そして、シュー。あなたもン)

 手離せない心の拠り所は、あの血臭と砂埃の舞う戦場で、驚くほどあっさりと消えてしまった。
 それも、全て自分の不注意で。
 このまま助けに行って、もし、最悪の事態が起こっていたとしたら…城では魔王が真の力を取り戻し世界をますます暗黒の世界へと導いてくださるに違いない。
 でも、じゃあ自分は?
 他の誰でもない、「気をつけて」と「ここにいるから、どうか独りぼっちだと思わないで」と言ってくれた、あの優しい少年を亡くしてしまった自分は?
 考えるだけで何か判らない、凄まじい熱さがカッと頭に昇ってきた。
 目の前が一瞬、真っ赤に染まったような気がしてギリギリとシンナは歯軋りしていた。

「ねぇ、光太郎ン。あなたが死んでしまったら、あたし、独りぼっちじゃないン」

 古木にギリギリと爪を立てながらシンナは、まるで心を何処かに置き忘れてきた人のように惚けた顔をして、そのくせ、その双眸だけは真っ赤にギラギラと鈍い光を放って激しい殺意を滴らせている。
 助けなきゃ…シンナはまるで何かに憑かれたように幾度となくその言葉を復唱しては、華奢な身体には似合わない咆哮を上げて走り出した。
 振り返りなどしない。
 ただ只管前を見詰めて。
 必ず魔城に、そして自分たちの許に、あの優しい光を取り戻さなくては。
 シンナは思っていた。
 人間にくれてやるわけにはいかないのだと。

Ψ

 ユリウスの部屋から大脱出に成功した光太郎一行は、取り敢えず、ケルトに与えられた小さな部屋で身体を寄せ合って作戦会議なるものをしていた。

「せっかく敵陣の真っ只中にいるんだから、逃げ出すことばかり考えてるのは良くないと思うんだよね」

 光太郎が尤もそうにそう言うと、バッシュが呆れたように蜥蜴顔を顰めている。

『逃げること以外に何かしようなんて思ってるとな、また捕まっちまうんだぜ』

「それは判るけど」

 間髪入れずに指摘されてしまえば、光太郎は敢え無くしょんぼりする他に術はない。
 とは言え、その場にいるのが光太郎とバッシュだけだったならばそのまま逃げ出す方向で話は進んでいたに違いないだろうが、ここにはケルトもいれば、何より面白いことには目のないアリスまでいるのだ。

「えー、でもぉ。光太郎の言うとおりだと思うけどなぁ。せっかくなんだし、沈黙の主さまがいらっしゃってるんだから内偵してみたらぁ??」

『お前なぁ、他人事だと思って茶化してんじゃねぇぞ!』

「おっかなーい!他人事ではあるけど、ただ単に興味本位だけで自分の地位を脅かしてまでお手伝いしようなんて思わないよーだ」

 べーッと舌を出して思い切りあっかんべーをするアリスに、無表情にしか見えない蜥蜴の親玉は頬を引き攣らせながらそれでも、どうやら笑っているようだ。
 その顔がかなり怖かったのか、ケルトが蒼褪めたままで言葉をなくしている。

「あー!もう、喧嘩するなって。取り敢えず、結論から言ってもやっぱり少しは敵情も探る必要があると思うんだよ。どこかにきっと綻びとかあると思うから、そこから逃げ出せるんじゃないかな」

「光太郎の方が絶対!バッシュより!頭いいよね~♪」

『うるせー、人間が!』

「魔物に凄まれたって怖くないもーん」

 どんなに言っても反りが合わないのか、歯軋りするバッシュとツーンッと外方向いているアリスは互いにいがみ合いながらも、それでも結局は光太郎の提案に乗っかる形となるのだった。

「沈黙の主さまたちがいるのは、たぶんこの砦でその昔、外交に使われていた謁見の間だと思うんだよねぇ」

 どこを偵察に行くかで議論となって、結局、この砦では一番古参のアリスが提案を出した。

「少人数ですから第三の間も考えられませんか?」

「あ、それも有り得るかも~。セス様って陰険だから、規定通りのことしたがらないもんね」

 あれほど嫌がらせばかりしていたアリスが、ケルトに対して極々自然に接している姿を見て、光太郎は自分がいなかった僅かの間に一体何が起こったんだろうと首を傾げてしまう。そう思ってしまえるほど、アリスはケルトに優しいし、ケルトはバッシュに懐いてて、バッシュは相変わらずアリスといがみ合うがケルトのことは気に入っているように見えるのだ。
 だが、どちらにしても光太郎にとってはアリスとバッシュのことを抜きにして言えば、とても理想的な関係図が出来上がっているような気がしてホッとしていた。

「ん~…じゃあさ、こうしよう。二手に分かれるんだよ」

 腕を組んでムーッと悩んでいた光太郎は、ポンッと右拳を左掌に打ちつけながら頷いて見せた。

『…俺は光太郎と行くからな。絶対行くからな。何が何でも行くからな。嫌だって言っても行くからな』

 思った以上の押しの強さで光太郎に抱き付いたバッシュは、同じ砦内にいながら黒騎士に掻っ攫われてしまったあの時のことを思い出して身震いすると、絶対に離れないぞとでも言うようにギューッと抱き締める腕に力を込めて言い募る。

「く、くるし…よ、ちょ、バッシュ、わかた」

 なぜかカタコトになりながらその大きな背中を軽く叩いてギブアップする光太郎を、信じられないとでも言うように首を左右に振って『もう離れないんだからなー!!』と泣き出しそうなバッシュに、アリスが呆れたように肩を竦めながら溜め息を吐いた。

「んもう、図体でかいくせに子供なんだから…って、ん?」

 ふと、呆れていたアリスが傍らを見ると、零れそうな大きな瞳の愛らしいケルトまでがその双眸にいっぱいに涙を溜めて、今にも泣きだしそうにえぐえぐと嗚咽を噛み殺しているようだ。

「え?え?なに??ケルトまで一緒に行くとか言いだ…ッ」

「ボクも!ボクも光太郎さんのお供をしたいです!」

 同じく光太郎のその身体にガバッと抱きついてこちらは本気で泣いているケルトに、アリスは一瞬言葉をなくし、それから憤りを抑えようとでもするかのようにハァァァッと溜め息を吐いて、それから困惑したようにあわあわしている光太郎に向かって陽気にニコッと笑うのだ。

「僕も光太郎くんのお供がしたいな♪」

「…って、ちょ!それじゃ二手に分かれられないじゃないかぁ!」

 慌てて光太郎が抱きつく魔物と幼い少年に成すがままにされながら思わずと言った感じで叫んでしまうと、アリスはシレッとした顔をして小指で耳など掃除している。

「えー、仕方ないじゃーん!じゃぁ、僕一人でどっちか一方に行こうか??」

「それはダメだよ!…あう~、もう仕方ないなぁ。じゃあ、みんなで行こう」

 仕方なさそうに決断する光太郎の情けなさそうな顔を覗き込みながら、アリスが呆れたように鼻先で笑った。

「最初からそうしておくべきだったと僕は思っていたよ」

「後先の忠告ありがとう」

 フフーンッと笑うだけで、ぎゅうぎゅうと抱きついてくるバッシュとケルトから救ってくれると言う気持ちはなさそうなアリスに、ちょっと意地悪な気持ちになった光太郎がそう言ってシニカルに笑うと、少女のような面立ちの少年はちょっとポカンとして面食らった顔をするのだった。
 当初の提案通りになったとは言え、幾分か効率の悪い方向で決定した隠密行動はこうして実行される運びとなった。
 夜はまだ、これからである。