第一章.特訓!14  -遠くをめざして旅をしよう-

 仲間に弄ばれて…もとい、戻ってくるよう諭されて、それを言い包めて戻ってきたデュアルを待っていたのは、眠ってるの?と聞きたくなるほど細い目をしたリジュの深刻な眼差しだった。

「最初っから言えばいいのにさ。これだからレジスタンスは手に負えないねぇ」

 全くもって興味のなさそうな口調で欠伸を噛み殺すふざけたピエロに、コウエリフェルの王宮竜騎士団の団長であるリジュはこめかみに痛みを感じながら溜め息をついた。
 深刻な表情をしたリジュはその手にレジスタンスから届けられたと見受けられる書状のような物を持っていて、これからすぐに地下にある彼らのアジトに来るように…と書かれた文章に困り果てていたのだ。どんな時でも旅道化と行動を共にしなくてはならないリジュは、彼の不在に慌てていた…ちょうどそこに件の道化師がご帰還召されたと言うわけだ。
 宿屋を出る時には月は中空から幾分か傾いでいたし、家に灯る明かりも少なかったことから、今が真夜中であることは嫌でも判る。そんな夜半過ぎに、彼らは汚水が垂れ流しになっている地下道を松明の明かりだけを頼りに進んでいた。

「何があるんだろうねぇ?」

 水滴が天井から落ちて脇を流れる汚水に跳ねる音が響いて、反響する壁に手をつきながら松明を翳して進むリジュは、先ほどからうるさいぐらいに良く喋るピエロを胡乱な目付きで振り返った。

「なんでも、珍しい客が来るんだそうだ。俺たちに会いたいと言っているらしい」

 口調はきわめて冷静。
 リジュはいつの間にかデュアルに免疫力をつけていたらしい。

「お客さん?」

 目を丸くするピエロに肩を竦めたリジュは歩行を再開する。

「ねーねー、それってやっぱコウエリフェルのお役人さんかなぁ?それとも、全く予想外の人物だったり?まあ、いずれにしろここにいるってことがバレてるってのは確かだねー」

 続けざまに口を開いて言いたいことだけを言ったデュアルは肩を竦めると、気のない口笛なんかを吹きながら竜騎士団の団長の後を追った。
 始めの頃、まだ小さかった【紅の牙】と名乗るレジスタンスたちのアジトは、下水の流れ込む地下水路の、遠い昔にここを建設した人々が使っていたのだろう、朽ちた仮眠所を使用していた。それを増築したり改築したりと、長い時間をかけてどんどん拡張していった為に、ウルフラインの裏の顔のように何時の間にか地下都市として構築されていた。
 リジュが松明の明かりを人目につきにくい場所にある壁に取り付けられた鉄製の火消し具に押し込むと、デュアルは訝しげな顔をしたが、納得がいったのか何も言わなかった。
 リジュが灯火を消したのはそこからが地下都市の入り口となっていたからだ。
 都市の入り口、瑣末な鉄組みの梯子を下に降りると、いきなり開けた広場に出る。そこが中央通りになっていて、八方に道が別れていた。
 皮肉なことに、彼らの主である【紅の牙】の頭領カインのいる館は、ウルフライン城の地下の真下になっていた。

「こんなに人がいるのに、どうしてウルフライン王は取り締まろうとしないんだろうね?」

 デュアルが物珍しそうにキョロキョロと辺りを見渡しながら気のない調子で訝ると、先を進んでいたリジュが肩を竦めてそれに答えた。

「彼らも丸っきりバカと言うわけではない。ダミーや囮の扉に騙されて、何人もの兵士が命を落としたらしい。探索の手は当の昔に諦めたのだろう」

「ふーん。たかが子供の集まり。されど子供の集まりねぇ…痛いしっぺ返しが来なきゃいいけど」

 さほど心配もしていないくせに、面白そうにそう言うとデュアルはもう一度欠伸を噛み殺した。
 デュアルはリジュに伴われなければこの場所を知ることはなかったのだ。リジュ自身でさえ書状を見なければこの場所を知ることはなかっただろう。自分たちが通されたあの場所が、本来はダミーの部屋であることに、ここに来て初めて気付いたといった具合だ。
 漆黒の闇をともす松明の明かりが、まるでモグラにでもなったような錯覚を起こすあの暗い通路を抜けた町を、まるで真昼のように明るくしていた。明り取りの空気は常に供給される仕組みになっているのか、大きな機械仕掛けの扇風機のような物が天井で回っていて、デュアルは初めて見る巨大な物体に目を丸くこそしたがあまり興味はないようだった。
 町は広かった。
 普通の町と言っても過言ではない広大さに、ピエロはここに来ればもうちょっと儲けられるかもね、と道化師団【クラウン】の総帥の顔を思い出して小さく笑った。
 上の町とは裏腹に、おかしなことに、地下都市の連中の顔は明るかった。そこかしこで呼び込みの威勢のいい掛け声がしたかと思うと、子供たちがハシャギながら駆けて行く。どこにでもある町の風景だが、ウルフラインの首都アセンハラでは既に見なくなってから久しい光景である。
 …と言うよりもむしろ、この時間帯に子供が無邪気に走り回っているのは大問題なのだが。そう言ってしまうと、四六時中何かしらの露店が建ち並んでいること自体が、この町の異様さを物語っているとも言える。まるで眠らない町だ。
 夜半をもう随分と過ぎていると言うのに暗夜の町の住人たちは誰もが元気だった。長らく日の光を浴びていないと判るのは、透けるように白い肌をしていると言うだけで、それだって地上に仕出しに行くのだろう露店の主などにいたっては、太陽に見事に焼けている。年老いた者、まだ幼い子供を除けば、皆が皆健康的な肌を持っている。
 八方の別れた一番端の露店の建ち並ぶ通路を人込みを避けながら進むと暫くして、リジュは一軒の3階建ての家の前で立ち止まった。ゆっくりと後方から追いついたデュアルが腰に手を当てると、大層な門構えの屋敷を見上げて眉をヒョイッと上げて見せる。

「ここなの?なんとまぁ、随分とご立派なことで…」

「いや、この屋敷を入って中庭に行く。そこにある井戸に入ってさらに真っ直ぐ進む…らしい」

「らしい…って。はぁ、まだ歩かなきゃならないの?もう、ヘトヘトだよ~」

 なんか、帰りたくなって来たんですけども…とブツブツ悪態を吐きながら首を左右に振ってガックシと項垂れたデュアルを促して、苦笑したリジュは大きな扉に下がるノッカーを勢い良くガツンガツンと鳴らしてから問答無用でドアを開けて入り込んでしまった。

「団長さん…結構アクティブになったじゃん。惚れ直しそうよ」

 趣味の悪い冗談を言って腐るデュアルを無視して、やけに無用心な屋敷へと潜入した。
 屋敷の内部は思ったほど広くはなく、正面にある階段の左右にはファタルの御使いだと称される有翼の女神像が建立されていた。

「ふーん、趣味だけは良さげだねぇ」

 そう言ってデュアルが女神像に触れた。

「あ!このバカ…ッ」

 リジュがハッとした時には既に遅く、ゴウッ…と風を切って飛んできた鋭利な鎌がデュアルに直撃した!…が、陽気なピエロは一瞬早く跳躍していて、その左右にゴウンゴウンと揺れる鎌の上に面倒臭そうに座って頬杖などをついていた。

「やっぱ、趣味がいいね。このお屋敷」

「降りて来い。行くぞ」

 小さく息をついてから気を取り直したリジュはそう言うと、既にスタスタと歩き出していた。

「あ、待ってよ~」

 大鎌の上からヒョイッと飛び降りたデュアルはサッサと中庭を目指すリジュを追いかけて、その後、あの大鎌はまた元の位置に戻る仕組みになっているのか確認したかったのだが、止む無く諦めて奇妙なエントランスを後にした。

 随分と進んだ一行が漸くカインの居住区であるアジトに辿り着いた時には、デュアルは眠気も頂点に来ていたのか、胡乱な淀んだ双眸で暗い室内を見渡した。石造りの室内は寒々としていて、地下都市にあるような活気は見受けられなかった。裏寂れた場所は彼らのボスの根城と呼ぶにはあまりにもお粗末で、墓場と呼んだほうがお似合いの陰気臭さだった。
 だが、上階にあるウルフライン城が給水として引いている井戸があって、地下水脈が豊富なことを物語るように石で囲んだ貯水場は並々と清らかな水を湛えている。
 つまり、ここはちょうど調理場の下に位置するらしい。
 剥き出しの岩に背を預けるようにして腕を組むリジュは、先刻、最初ここに来た時に道案内をしていた少女に言い渡されて瞑目して時間を過ごしていた。その間も、客人とは何者なのか、どう言った用件なのかと言った疑問をあれこれと推理しているようだ。
 一方、デュアルはそんな風に静かに待つことほど退屈なものはないと考えている彼らしく、ブラブラと歩き回っていたが所詮狭い地下室のようなものだ。すぐにやることがなくなって貯水場の岩に凭れながら欠伸を噛み殺した。
 昨夜から殆ど寝ていないのはリジュも一緒だが、忍耐力のとことんないお気楽極楽の旅道化としては、このままクラウンに帰ったほうが追っ手がかかって楽しいかもしれないと、そんな物騒なことを考えていた。
 と。
 何かの気配を感じてリジュを見たが、彼は何も感じなかったのか、相変わらず瞑目して何事かを考えているようだった。訝しみながら首を傾げていたデュアルが何度目かの欠伸をしながらふと、貯水池に目線を落とした時だった。不意に彼の行動が止まって、欠伸を仕掛けたままでジッと池を見下ろしている。

「…?」

 唐突に賑やかだったピエロが大人しくなったことに異変を感じたのか、リジュは双眸を開くと興味津々と言った感じで池を覗き込む派手な衣装を見つけて声をかけた。

「どうした…」

「ねえ、団長さん。人間が浮いてくるよ」

「は?何をバカなことを…」

 言いかけて、デュアルの傍らまで来て池を覗き込んだリジュもやはり、唐突に動きを止めて、食い入るように池を凝視してしまった。
 水面がゆらりと揺れる。
 深淵のように深い…わけがないはずの貯水池の遥か下方から、純白のローブをユラリと漂わせた何者かが浮き上がって来ようとしていたのだ。始め小さかったその姿はグングンと大きくなると、身体中から水滴を滴らせて水面に浮き上がり、不意に驚愕に目を見開いているリジュと訝しそうに眉を寄せるデュアルの目の前で水面に立ち上がったのだ。
 まるで平然とした足取りで水面を優雅に渡りきったその時には、既に純白のローブを滴らせていた水滴はものの見事に消えていた。まるで何もなかったかのように音もなく岩場から舞い降りた優雅な人物は、目深にフードを被ったままで彼らを無視して奥に続く通路をゆっくりと歩いていたが、闖入者の来訪を知ったのか、奥から姿を現わした『紅の牙』の頭領に気付くとその場で立ち止まった。

「これはようこそ。コウエリフェルの」

「無駄口は結構です。用件は手短に」

 凛と澄んだ声音はこのような陰気地味た暗い地下洞窟のような場所ではなく、気品溢れる地上の静謐とした神殿にこそ似つかわしいとリジュが思ったとき、不意に黙り込んでいたデュアルがあっけらかんと口を開いたのだ。

「あれぇ?その声はファルちゃんじゃない?」

 ファルと名指しされた純白のローブの人物は一瞬、僅かに肩を揺らしたように見えたが、フードの裾から覗く形の良い綺麗な口許が小さく笑みを象るのをカインは見逃さなかった。

「…わたくしの声を覚えておいでだとは。さすがデュアルさまと言っておきましょう」

 まるで地下の瘴気にやられるのを疎んでいるように、この綺麗な客人は常に純白のローブを着て、フードの下にそのかんばせを隠していた。下賎の輩に見せる為にある顔ではないとでも言うような客人の態度にはムッとすることもあるカインだが、正規軍と唯一戦える強国の主が遣わした高貴な使者である。その態度を咎めて諍うわけにはいかないのだ。
 その高貴な使者が、今日はこともあろうか、滅多に見せない花のかんばせを惜し気もなく瘴気の元に晒したのだ。カインが驚かないはずがない。

「やっぱり~。ファルちゃん、元気そうだねぇ」

「これは…ファルレシアさま」

 慌てたように片膝を付く古式に則った騎士の礼をしながら驚いたような呆気に取られた表情をするリジュに、フードを肩に払ったコウエリフェル国最高神官であるファルレシア=ストーンは、腰までもある豊かな流れ落ちる蜂蜜の滝のような黄金の絹糸を模した髪を惜し気もなく晒し、奇跡が彫刻を人間に戻したかのような整った女神の顔立ちでゆったりと、神々しく微笑んだ。

「団長さまもご健在で何よりでございます。どうぞ、面を上げてくださいませ」

 雪白の額に揺れる涙型の水晶が下がる額飾りは大神官の証であり、それはとてもよく、この女神とも見紛うばかりの美しいファルレシアに似合っていた。
 春の陽光のように穏やかな笑みを絶やさない口許は、天然色素が淡い桜色で、一目見た者の心を奪わざるを得ない麗しさだった。彼を見たさに毎日信者がバラシャティ神殿に詰め掛けるほどなのだ。この朴訥としたリジュですら、あまりの神々しさに畏怖を感じ、近寄りがたい存在だと認識し尊敬しているほどだった。

「ファルレシアさまがなぜこの様な所に…?」

「決まってるでしょ?ウルフラインへの内通者だよ」

 一概には信じられない事態にリジュが動転しても仕方ないのだが、あっさりと秘密をバラす普段通りで怯みもしないデュアルにファルレシアはクスクスと笑った。
 どうなっているんだと聞きたいのはリジュばかりでなくカインもだった。まるで取り残されたように事の成り行きを見守る彼の前で、デュアルは腰に手を当てて呆れたような溜め息をついた。

「随分と信用されていないんだねぇ。あのセイラン皇子が大事~にしているファルちゃんを偵察に寄越すなんてさー」

「信用していないはずなどありません」

 よく晴れた空を切り取って水晶に閉じ込めて凍らせたような双眸を僅かに細めて、ファルレシアは不機嫌そうに唇を突き出してフンッと外方向く旅道化を見つめて言葉を続けた。

「あのお方はそれだけ【竜使い】さまの御出座しを心から望んでおいでなのです」

「竜使いねぇ…ふーん」

 殺してしまえと嘯く皇子の、あのニヤけた甘い顔を思い出しながら、デュアルは舌を出して胸焼けを回避しようとした。

「それで?どんな御用を仰せつかって参られたの?」

 わざとらしく丁寧そうに、丁寧ではなくあくまで丁寧そうに尋ねるデュアルに、ファルレシアは双眸を閉じてクスクスと笑う。

「此度は殿下の御言い付けで参ったのではありません。わたくしが個人的に、デュアルさまと団長さまに無駄をして欲しくないから参ったのでございます」

「…と言うことはまさか」

 デュアルが嫌そうな顔をして傍らに立つリジュを見たのと、眠っているように細い目を訝しそうにさらに細めているリジュが目線を合わせたのはほぼ同時だった。
 派手なピエロが溜め息をつく。

「竜使いさまはどうやらこちらには御出でにならないご様子です。旅路を改められませ」

 ニッコリと微笑んだファルレシアの痛恨の一言は彼らの無駄な徒労を慰めてもくれなかった。
 結局、デュアルとリジュは振り出しに戻ることになった。
 いずれまたの再見を勝手に誓って、彼らは呆気に取られている『紅の牙』の頭領に別れを告げるとサッサと地下都市を後にしたのだった。

「…どう言うことだ?」

 彼らの去った地下洞窟で、貯水池の岩に腰掛けて水面に片足を浸すファルレシアに、困惑した面持ちでカインが口を開いた。

「聞いたままですよ」

 長い黄金の髪が冷たい地下水を湛える池に零れ落ちて、松明の明かりをきらきらと反射していた。

「アンタはここに舞い降りるだろう竜使いを狙って来てたんだろうがよ」

 素っ気無い態度にムッとしながら唇を尖らせると、長い髪を煩わしそうに肩に払うファルレシアは冷やかにそんな幼いレジスタンスのボスを見遣って微笑んだ。

「時が延びたと言うだけです。いずれこちらに参られることでしょう」

 ふと、本来なら見えることなどけしてない頭上の井戸の入り口を振り仰いで、ファルレシアは囁くように呟いた。

「…なぜ、それをヤツらに教えなかったんだ?」

「…さて?」

 クスッと微笑んだファルレシアは不意に水が滴る白く艶かしい足を水面から引き上げると、足を組むようにして岩場に座りなおした。麗しいコウエリフェルの大神官は、同時に邪悪な面も持ち合わせている、創造主が創りたもうた最高傑作の【人間】だった。

「さあ、よくできた貴方にはご褒美が必要です…」

 うっとりと微笑む神官の表情に吸い込まれるようにして、カインはその足許にフラフラと赴くと跪き、レジスタンスを束ねる屈強なる彼らの頭領は、何かに惑うようにその高貴で淫らな白い足に口唇を寄せた。
 ゴツゴツとした岩を背中に感じながら、覆い被さってくる若い肉体に両腕を這わせて、ファルレシアは天上で灯りを燈すウルフラインの井戸を睨みつけていた。