光太郎がトルンから見た、大パノラマのガルハ帝国首都ラングールは、煌く城を中心に石造りの壮大な街並みを築いた、自然と共に共生している…まさにお伽噺から抜け出てきたような荘厳にしてどこか懐かしい街だった。
「…」
ポカンッと口を開けたままでキョトキョトしている光太郎に、ルウィンは快調にかっ飛ばしながらニヤニヤ笑っている。
今まで見てきた小規模な町を想像していた光太郎が、『街』と言うものを見てどれほど驚いているだろうかと、今すぐその顔が見られないのが残念だとさえ思っている。
「どーだ、凄いだろ?」
すっ飛んでいく周りの風景と同じように風に千切れ飛ぶ言葉に慌てたようにその背中にしがみ付きながら、光太郎はうんうんと思い切り頷いて大声で叫んだ。
「すっげー!!まるでRPGの世界、いるようッ」
「アールピージィ?そりゃまた、よくワケの判らんことを」
ルウィンは思わずと言った感じで噴出しながら、軽く前輪を浮かせて更に速度を増せば、光太郎とルウィンの間でヒーッと悲鳴を上げるルビアがヒョコンッと頭を覗かせて喚き散らした。
《飛ばしすぎなのね!いっくらお家が恋しいからって子供っぽいのねッ》
「うるせー!別にオレは家が恋しくて飛ばしてるわけじゃないッ」
《じゃあ、なんなのね!?》
背後で悪態を吐くルビアにルウィンは、普段は掛けないのだが、かっ飛ばすときにだけは着用するゴーグルの奥でニヤニヤと笑っている。
銀の髪が切れそうなほど吹き付けてくる風に飛び散るように舞い、それが綺麗だと思うのは賞金稼ぎを生業としているハイレーン族の青年の背中に守られている光太郎ぐらいで、件のルビアは苛々と押し潰されていた。
「そりゃあ、もちろん!」
そこで一旦バウンドした車体に振り落とされないようにハンドルを握り直したルウィンは、にやぁっと笑って猛然と吹き付けてくる風に挑むようにトルンに魔力を注ぎ込んだ。
「光太郎にもっとRPGとやらの世界に浸ってもらう為だろッ?」
「ええー!?」
いきなり名前が飛び出て吃驚する光太郎を他所に、ルビアは《それなら仕方ないのね~》と納得してしまっている。それにも驚く光太郎だが、彼は知らなさ過ぎるのだ。
ルビアが過保護すぎるほど大事にしていると言うことに。
「もっとって…街凄い??」
語彙に乏しい光太郎が必死に尋ねると、ルウィンは速度はそのままで肩を竦めている。
「さぁな。見てからのお楽しみでしょ」
そんな2人の会話をムッツリしながらも聞いていたルビアはふと思うのだ。
最近のルウィンには感情がある、と。
別にまるっきり感情がなかったわけではないのだが、このハイレーン族の高貴なる王族の血を色濃く受け継いでいるルウィンと言う通り名の賞金稼ぎは、どこか飄々としていて何事にも関心を示さない無関心な男だった。
それが光太郎を弥が上にも養うようになってからと言うもの、無関心であり続けることができなくなったのか、そもそも本当はこれが本来のルウィンの性格だったのか、今の彼は光太郎と付き合っている間に饒舌にもなった。
ちょっとした冗談も言えば、根気良く言葉覚えに付き合うような面倒見のよさがうかがえる一面すらあるのだから、ルビアが嬉しそうにふふふっと笑っても仕方がない。
「なんだ?思い出し笑いなんかして気持ち悪いぞ」
《んふふふ♪だって、ルーちゃんがいい感じなのね》
「はぁ?」
相変わらずワケの判らない相棒である深紅のチビ飛竜の思惑など与り知らぬルウィンは、どうでもよさそうに肩を竦めて一路ガルハの首都、ラングールを目指すのだった。
すっ飛ばしたおかげで夕暮れ前にラングールに無事到着した一行は、取り敢えず今夜の宿を決める為にトルンを引きながら徒歩で大通りに入った。
本来ならトルンに乗っていても別に気になるほど狭い道ではなく、下手をすれば光太郎がいた世界の4車線ある車道をゆうに超える広さがあるのだが、今は何か祭りでもあるのか所狭しと露店が軒を連ね人込みも半端ではない。
「ルウィン、お祭りする?」
「…ああ、この国の皇子が結婚するんだとよ」
「ええ!!?」
ルウィンの台詞に驚いたように声を上げたのは、深紅のふんわりふわふわのクルクル巻き毛をツインテールに結んで、それだけが爬虫類の名残を思わせる縦割れの瞳孔を持つエメラルドの瞳を大きく見開いた少女の口から発せられていた。
「?」
迷子にならないようにと光太郎はルウィンの服を、ルビアは光太郎の服を掴んでゾロゾロついて歩いていたのだが、その飛竜族の皇太子にして賞金稼ぎ見習いは吃驚したように目をまん丸に見開いている。
そんな目付きに凝視されて、居心地が悪そうにトルンを引くルウィンは不機嫌そうに外方向いている。
「皇子さま、ケコンする?よかたね」
ニコッと、状況を良く掴めていない光太郎が笑いながらルウィンを見上げると、これ以上はないほど眉を寄せてうんざりしているルウィンがそんな自分を複雑そうな目付きで見下ろしていることに気付いてドキッとしてしまう。
でも、よくよく見れば、彼の先端の尖った長い耳はへにょりと垂れてしまっている。
どうやら『参った』の気持ちのようだ。
「おっどろいたの!だから、ガルハに戻るって言ったのねッ」
ムスッとしたように眉を寄せて鼻に皺を寄せる美少女に、銀髪の賞金稼ぎはフンッと鼻を鳴らして外方向く。
「あー、そうだよ。こんなことでもなきゃ、オレは国には戻ってこないからな」
「…あ!」
その台詞だけで、小さな頃から常に一緒にいた幼馴染のようなルビアは気付いたのだ。
「あー、なるほどなのね。早く言ってくれればいいの」
「言ってどうかにかなる問題かよ。やれやれだ」
うんざりしたようにトルンを引きながら人込みを掻き分けるように進む銀髪の賞金稼ぎと、あの王様もよくやるなぁと思っているような美少女を交互に見ていた光太郎が、ポツンと疑問を投げかけた。
「…どして、ガルハ皇子さまのケコンでルウィン戻る?」
「え!?」
思わずギョッとしたように自分を見上げる漆黒の双眸を見下ろしたルウィンは、微かに動揺したように目線を泳がせてから、どう言う対応をするんだろうと楽しみそうにワクワクしているルビアの目の前でニコッと笑ったのだ。
「そりゃあ、お前!オレがガルハの皇子と知り合いだからさッ」
「なぬ!?」
思わずギョッとするルビアの足を軽く蹴って問答無用で話を進めるルウィンに、光太郎は驚いたように眉を跳ね上げたのだ。
「ルウィン、すごいね!皇子さま知り合い?」
「あ、あー、そうなんだ!賞金稼ぎでもランクSになると特別でさ。王族とも良く顔を合わせることが多いんだ。オレなんか優秀だから、引っ張りだこで参っちゃうね!あっはははー」
(ゲロばれなのね)
いやぁ参ったなぁと片手で頭を掻きながらしどろもどろで下手糞な作り笑いをするルウィンを信じられないものでも見るような目付きで凝視しながら、ルウィンがガルハ帝国の皇位継承者である皇子だと光太郎に内緒にしているだけに、ルビアが内心でハラハラしながら見詰めていると…パチパチと瞬きをした光太郎はちょっと考えるように小首を傾げたが、それでもニコッと太陽に似た花が咲くような笑みを浮かべて頷いたのだ。
「やっぱ、ルウィンはすごいね!」
「え!?ばれないの!!?」
「そこ、煩いよッ」
ルウィンが天然で嬉しそうな顔をする光太郎に突っ込みを入れるルビアの頭を軽く殴ると、光太郎はニヘッと笑ったままで不思議そうだ。
「じゃあ、ルウィンは皇子さま会う?僕も会える?」
「…お前は会えないよ」
ワタワタと慌てふためいていたルウィンはだが、ふと神秘的な青紫の双眸を伏せて微かに俯くと、少し伸びた銀色の前髪に表情は隠れてしまう。
「そっか。RPG、滅多に王様に会えない。無理しない」
素直に頷いた、妙なところで理解力のある光太郎を呆気に取られたように見下ろしたルウィンが内心で、「グッジョブ、RPG!」と思ったかどうかは別として、そんな2人を見詰めていたルビアが少しだけホッとしたように肩を竦めた。
(ホントは目の前にいるのね、光ちゃん。もう会っちゃってるの。…ルウィンも言っちゃえばいいのね。ヘンなの)
別に隠すほどのことでもないだろうにと肩を竦めるルビアの傍らで、トルンを引きながらルウィンが顎をしゃくるようにして光太郎を見下ろした。
「その代わり、オレの知り合いに会わせてやるよ。酒場を経営しているんだが、宿屋も兼ねているからな。今夜の宿はそこにする」
「ドンちゃんのところなのね?嬉しいの!久し振りに会うのね♪」
「そうだな、キティから国に戻ったら立ち寄ってくれと言われていたんだが…なかなかチャンスがなかったから今回は助かるよ」
パッと嬉しそうな顔をするルビアに肩を竦めたルウィンが少し嬉しそうに笑うと、どうやらその「ドンちゃん」と「キティ」はルウィンとルビアの親しい知り合いだと光太郎は認識した。
ルウィンたちの知り合いに、この世界に来て初めて会う興奮に光太郎の中から既に「皇子」と言うキーワードは消えていた。
「ドンちゃん、キティ。会うが楽しみ♪」
「あっは♪光ちゃん、違うのね」
「え?」
キョトンとする光太郎をルウィンもクスクスと笑っている。
ウッキウキしているルビアといつもより少し楽しげなルウィンのその姿を見ると、よほど、その2人は近しい人に違いないと言うのに、何が違うんだろうと光太郎は首を傾げてしまう。
「ドンちゃんもキティも一緒なの♪愛称なのね」
『あ、そうなんだ!なんだ、俺てっきり違う人の話をしてるのかと思った』
ホッとした安心感からか、光太郎は思わず日本語で話してしまってハッと口許を押さえてキョロキョロと周囲を注意深く見渡した。
「別に、ニホンゴだっけ?いいぞ、喋っても。お前は逸れカタ族だからな」
「なんなのね、それ」
呆れたようにルビアが銀髪の賞金稼ぎを見上げると、彼はフフーンッと胸を張るように口許に笑みを浮かべて言うのだ。
「それに、少しだがニホンゴとやらも判るようになったしな。語源が全く違うから難しかったけど、最初は『そうだ』…いや、これは違うな。こうだ、『そうなのか』って言ったんだろ?」
「…る、ルウィン!ホンット、すごい!!」
「え?え?当たっていたの??うっわ!ルビアも吃驚なのねッ」
「ふふん♪」
今までただ単に判らないと言って放っていたわけではなく、ルウィンは根気良く言葉覚えに付き合いながら、光太郎の世界の言葉も吸収していたのだ。
さすが、好奇心で城を抜け出して、世界の不思議の全てを知ろうと貪欲に旅を続けているだけのことはあると、ルビアは驚きを通り越して感心してしまった
「伊達に聞いてるだけじゃないんだぜ?光太郎に言葉を教えながらオレも覚えていたのさ。まだある。『ルウィン、あれは花。色がたくさん、キレイ』だろ?それから『これは石、小さな石』だ」
実際にトルンを引きながら片手で露店の店先に並んだ色とりどりの花を指差して見せると、次は大通りにある砂利を指差しながら的確に言うから、光太郎はますます目を丸くしてしまう。なぜならそれは、光太郎よりも発音が完璧だからだ。
そのうちルウィンは、もしかしたら日本語すらマスターし、自在に操ってしまうのではないか。
「…ルウィン、日本来れる。すごい」
「お、そうか?じゃあ、いつか行けたらいいな♪」
あはははと、珍しく声を出して笑うルウィンに、光太郎は本当に感動したようにその雪白の綺麗な顔を見上げていた。
上機嫌でふふんっとトルンを引いているルウィンから目線を逸らせば、確かに彼が産まれて育った街であるだけに、同じ種族の人が道を行き交っている。先端の尖った耳と雪白の肌、綺麗な人もいれば浅黒い肌にガッチリとした体格の人もいて…だが、その人々の中に在っても、出で立ちこそ長い旅に草臥れた衣装だったが、独特な異彩を放っているように見えるのは光太郎の目の錯覚ではないはずだ。
もしや、世界中を旅していると言っていたのだから、この異世界アークの言語の全て習得して、それでもなお、もっともっとと知識を蓄えようとしているように思えるルウィンは、同じ種族の中でもひょっとしたら秀でた方なのではないかと光太郎は納得した。
(きっと、彰と一緒なんだ。彰も語学力が高いって先生が誉めてたからな)
「ルウィン!えーっと…頭たくさん!すごいッ」
「…ははは、オレはお前の共通語の方がある意味凄いと思うけどなぁ」
たまに何を言ってるのかさっぱり判らないこともあるが、やはりもとの姿に戻ったルビアとだけ通用する会話をされるのも気持ちのよいものではなかったし、何より、この不思議な人間が大事そうに使う母国語と言うものに興味を示したのだ。
「異世界の言葉も面白い。発音が不思議だ」
「それはホーゲン。仕方ない」
「ホーゲン?へぇ、何れ日本語をマスターしたら、今度はホーゲンでも覚えるかな?」
「今度は僕、センセイ?」
エヘヘヘと笑う光太郎に、ルウィンはそうだなと頷いた。
(すげー、ホントにルウィンて人は凄いなぁ。俺でも共通語に四苦八苦してるってのに、この人ってホントはどんな人なんだろう?)
さすがに最高クラスの賞金稼ぎだなぁと光太郎が感心していると、彼の服の裾を掴んでいた美少女がクスクスッと笑って服を引っ張るのだ。
「ルビア、なに?」
「面白いことを考えたの。ヘンなホーゲンを教えるのね。それでルビアが竜に戻ったら意味を教えてもらうの。一緒に笑ってしまうのね!うっぷぷぷ」
「あ、それいいね」
コソコソと2人で囁きあって声を殺して笑う光太郎とルビアを、全て筒抜けで聞こえてるんですけども…と、ルウィンが先端の尖った長い耳をへにょっと垂らして呆れたように笑っていると、前方に見慣れた看板が見えて、彼は悪巧みしている相棒どもの頭を軽く小突いて注意を促した。
「そら、着いたぞ。バー【アンカー】だ」
「アンカー…」
軽く小突かれた頭を撫でながら見詰めた先には、派手なネオンも装飾もない、木製の扉にロゴの入った看板が軽く揺れていて、そろそろ暗くなってきたせいでたった今、店内から出てきた緑色の物体が、手にしたシェードがついていない火付け用のランプから下がったランタンに炎を燈すところだった。
『ま!!魔物ッッ!!ルウィン!街に魔物がッッ』
「…さすがに早口で何を言ってるのか判らんが、モースを見て驚いてるってこたよく判る。と言うことは、魔物がいるって言ってるんだな?」
「落ち着くしない!魔物、おそう。怖い!!」
思わず抱き付いてぎゃあぎゃあと喚く光太郎の傍らから、走り出したルビアがクルンッと人込みの中で一回転して飛竜の姿に戻ると、嬉しそうに緑色の物体に抱きついたのだ。
「る、ルビア!?ああ、どしよ」
グルグルなっている光太郎を観察するのも大変面白くもあるが、このままでは大変なことまで口走りそうだと思って、ルウィンは恐慌状態に陥っている光太郎を片手に掴んだままで道の端に避け、トルンをその場に停めると慌てふためく光太郎を抱え上げて緑色の人物のところまでスタスタと歩いて行った。
「わわ!?え?え?もしかして、る、ルビアさま!!?」
ちょうど、ルウィンがやれやれと溜め息を吐きながらパニック状態の光太郎を小脇に抱えて歩いてくる途中で、思い切りドーンッとぶつかった小さな飛竜に抱き付かれてガサリとした緑色の皮膚を持つ、頭頂部にひと房だけある毛らしきものを華奢な意匠の施された髪留めで1つに纏めた、腰布だけの出で立ちの魔物らしき生き物が驚いたように声を上げている。
「よう、モース。元気にしていたか?」
「へ?あ、ああ!ルウィンさまぁ~!!」
思わずと言った感じで細い両目を更に細めたモースと呼ばれた緑色の生き物の、嬉しそうな甲高い声に光太郎はビクッと身体を竦めたが、それでも親しげに話しているルビアとルウィンを見ているうちに、どうやら彼が魔物ではないとやっと理解したようだ。
「お元気でおられましたか?キャサリンさまが大層心配されておいででしたッ。ああ、でもご無事で何よりです!ささ、早く店内へ」
「悪いな」
ルウィンが親しそうに話をしているのだから、まさか彼が人を襲う魔物などではないはずだと、光太郎は深紅のチビ飛竜を抱きとめてニコニコ笑っているモースを見上げながら、ハラハラしたようにジーッと観察している。
と。
「おや?これはお可愛らしいお連れさまですね」
「!!」
ヒョイッと、腰を屈めたモースにゴロゴロと懐くルビアを抱き締めたままで細い目を更に細めてニコニコ笑いかけられると、怯えて竦んだ光太郎はそれでも、恐る恐る引き攣ったままでニコッと笑うのだ。
「こ、こにちは」
「おお!これはカタコトでご挨拶ですか。本当にお可愛らしいお連れさまですね♪ささ、立ち話もなんですし、ルウィンさまもルビアさまも、そしてカタコトの可愛らしいお連れさまもお入り下さい」
微かに震えながらも頷いていた光太郎はふと、人の悪い笑みを浮かべながら自分を見下ろしているルウィンに気付いて眉を顰めた。
「だいじょぶ。もう、怖がるしない」
「だと、いいんだがな」
語尾に力を込めながらこれ以上はないぐらいの邪悪な笑みをニヤァッと浮かべるルウィンの凄味に、今度は完全に度肝を抜かれてしまった光太郎はヒクッ…と、咽喉に言葉を詰まらせて目を見開いたまま何も言えなくなってしまった。
光太郎がそんな恐慌状態に陥ってることなど露とも知らぬルビアとモースは、久し振りの再会にお互い嬉しそうに積もる話をボチボチしながら店内へと姿を消した。
その後を追って、嫌々と首を左右に振って儚い抵抗をする光太郎を小脇に抱えたままで、えらく楽しげにククク…ッと笑うルウィンは未知なる木製の扉を押し開いて、このガルハ帝国で尤も混沌とした場所に足を踏み入れたのだった。