第一話 花嫁に選ばれた男 1  -鬼哭の杜-

 呉高木の本家には『龍の子』と言われる子供がいるらしい。
 先々代当主の一人娘、桜姫と書いて『サクラヒメ』と読むとても綺麗な娘が、妖怪と交わってできた子供なんだそうだ。
 本来、この呉高木家は代々こう言う風習があったらしく、特に誰も気にせず、婿として迎え入れた分家の五島谷の長男も平然とその子を次期当主に決めていたってんだから、山間に位置する旧家が仕切る閉鎖的な村ってのは不思議なもんだ。
 浮気してできた子が現当主に迎えられる、つまり浮気してもOKってことなんだからな。
 妖怪なんて、そんな屁理屈が通るのは閉鎖的な村だけさ。
 鄙びた道とも言えない道を、俺を乗せたバスはガタゴトと進んでいる。
 文明社会から見捨てられたような牧歌的な光景が広がる、そのものズバリの『田舎』の景色に、俺はこめかみが痛み出すのを感じていた。
 だが、事はそんな簡単なことじゃない。
 この呉高木の次期当主は、出産した母親が狂ったせいで長らく祖父と生活を共にしていたらしい。
 その祖父と言うのが頂けない爺さんだったらしく、母譲りの綺麗な顔をしているらしい孫を、手篭めにしていたんだそうだ。
 とは言え、倫理がある常識人な俺としては、どうも納得のいかないその行為も、閉鎖的な村だからか、歓迎して受け入れられていた…ってことは、その子は村公認で祖父の愛人だったってワケか。
 ん?男の子だったよな、確か??
 桜姫と結婚した五島谷家の長男も、最初から狂人だった妻に関心なんか示すはずもなく、2人の愛人を連れ込みあまつさえ養女にしたくせに、尚且つ『龍の子』と呼ばれる自分の息子を犯していたんだそうだ。血は繋がっていないとは言え、ゾッとしない話だ。
 なんにしても、理解し難い村の風習に俺が馴染めるとか、打ち解けられるかとか、そんなことは問題じゃない。俺は何が何でも、その村に解け込めないといけないんだ。 こんな予備知識までご丁寧に記された手紙を、知らないうちに握り締めていたことに気付いて、仕方ない溜め息を零しながら手の力を緩めるともう一度、5日前に届いた手紙の内容に目を通した。
 ささやかな時候の挨拶のあと、綴られた達筆な文面は、相も変わらず俺なんかには解読できそうもないものだった。これを解読したのはつまり俺の親父で、倒れかけたテメーの会社を建て直すのに、家族と相談もせずに本家である呉高木に多額の借金をしやがった、この事態を引き起こした張本人だ。
 返せる当てなんかまるでないくせに、いったい何に一縷の望みを託したって言うんだ?
 もちろん返済期限なんかとっくの昔に過ぎていたし、過ぎていなくても返せる当てなんかありもしない、オマケに頼みだった会社はこの不景気で倒産ときた。首でも括ってこの世とおさらばでもするか…ってな矢先だったワケだ。この奇妙な手紙が届いたのは。
 本家の秘密を洗い浚い記した文面、そして、親父が着目した重要な内容…借金返済の代わりに、分家である楡崎の1人息子を養子として差し出すこと。
 つまり、楡崎光太郎、俺だ。
 俺を養子にすれば借金はチャラ、その上、結婚よろしく結納金などと言うものもくれるってんだから、俺ん家のクソ親父が差し出さないはずもない。

『別に死ぬってワケじゃないんだ。盆暮れ正月ぐらいは会えるさ。気負わずに行ってこい』

 門出の親父の台詞だと言えば、俺のこめかみがジンジンからズキズキに変わってきたって言っても別におかしなこたないだろう?
 養子に出される息子へ言う台詞か、バカ親父。
 どんな婀娜っぽい色白の妖艶な息子…ってのもヘンな言い方だけど、が居座ってるのか。
 先々代はもう亡くなったってことだし、龍のように気高くも冷徹な息子と、血の繋がらない狸親父、その愛人であり『龍の子』の義姉が2人、お手伝いが山ほど、そして有無を言わせぬ総資産…妖怪ならぬ、化け物屋敷の養子になるってことは恐れ戦くよりも前に震え上がって帰りたい心境だぜ。
 何度目かの溜め息が俺の口から零れ落ちた。
 養子なんてのは体のいい口実で、その裏側に隠されてる真実を、俺は出発前に親父に暴露されていた。嫌がって逃げ出しても、とっくの昔に『結納金』を使い果たしていた我が家だ。俺なんかじゃ見たこともない資産を持つ本家の連中が、逃亡する俺を見つけ出せないなんてことはないし、そんな親父が俺を庇って悠然と守ってくれる…なんてこた、富士山が噴火するぐらい有り得ない。
 そりゃ、俺だって男だ。
 必死で、我武者羅に、何がなんでも抵抗したさ。
 抵抗したんだけども、泣くお袋が『許してくれ』と言って、土下座なんかするもんだから…俺は一世一代の親孝行を決行したってワケだ。
 あくまでも親父の為じゃない。
 親父なんかの為じゃない。
 一応言っておく。
 お袋に別れを言って飛び乗った電車、俺を、本家の現当主の花嫁として受け入れようって言うふざけてるとしか言いようがない鄙びた村に導いてくれる、電車に乗ること5時間。
 ありがとうよと別れを告げてバスに揺られること4時間…バス停から歩くこと2時間の距離にあった閉鎖的な村。
 大きな荷物を抱えている俺の方が却って異様な姿に見える。
 まるで時代遅れの農村の家は藁葺屋根があったり、未だに釜戸で炊事をしているとしか言いようのない煙が上がっているし、暖を取るのは薪ってことか…?
 オマケにコソコソと人の気配がするにも拘らず、まるで人気がないのにはわけがある。
 そう、村の連中は物見遊山なくせに家の中にいて、立て付けの悪そうな戸の向こうから覗いているんだ。でも声をかけるのは怖い、都会から来た変なヤツとは目を合わせるのも嫌
ってわけか…
 思い切り文明社会から抜け出してきた俺としては、こんな、ネットもコンビニもテレビもない、あまつさえ臆病で奇妙な連帯感のある住民のいる村の様子を見渡しながら、ゴクリと息を呑んでしまった。
 電気すらないんじゃないか?
 本当に俺、こんな辺境の地でやっていけるんだろうか…

「光太郎さん?あなた、楡崎の光太郎さん?」

 不意に声をかけられて、そんな風に疎外された気分にどっぷりと浸っていた俺としては、少し驚きながら背後を振り返った。振り返って、あまりの時代遅れな光景にクラリと眩暈がしてしまった。
 いや、鈴のようにコロコロと可憐に響く声音と、それを口にした女性の面立ちは確かに絶品だと思うし、ヘンに毒気された都会の女どもに比べれはそんな格好なんかどうでもいいとは思う、思うけど、そんな明治時代にでもタイムスリップしたような格好は頂けん!頂けんと言うか、俺の思考回路が追いつかない。
 キチンと眉の上でつみ揃えられた前髪に、カールした揉み上げ、刈り上げられた襟足はどう見ても一昔前の髪型だし、日傘を持つ上品そうな手首が覗く袖は着物じゃないか。
 真っ赤な唇が笑みを浮かべ、キリリと弧を描いた見事な柳眉の下で、油断なく俺を観察する切れ長の綺麗な双眸…これが噂の呉高木家の愛人兼義姉ってワケか。
 そう言えば、迎えに来るって書いてたっけ。

「どうなすったの?あたくしの顔に何か?」

 怪訝そうな素振りを見せながらも、妖しいほど妖艶に微笑む彼女は、どうも俺を端から楡崎光太郎だと認識していたようだ。当たり前か、こんな辺鄙な田舎に大荷物抱えた人間なんて、旅行客だって有り得ない。住み着くために嫌々来た、本家の客人だとハッキリ判るに決まってる。

「いえ、ども。楡崎光太郎です」

 ペコと頭を下げると、日傘に和服姿の似合う彼女は、コロコロと小気味よく笑って軽く会釈した。

「どうぞお見知りおきを。あたくしは眞琴、呉高木眞琴ですわ。ご当主がお待ちですのよ、ご案内しますからおいでなすって」

 楚々とした風情で俺の脇を通り過ぎた彼女は、肩越しにチラリと振り返ってニッと笑う。 その微笑は確かに綺麗だし、男ならクラリと来るだろう。
 でも、なんと言うか。
 背筋が無意味にゾクリとする。
 なんだろう?意識していないところがゾクリとした。
 ふと、見渡してみれば何の変哲もなさそうなこの村だって、あちらこちらがどこか微妙にヘンだ。
 だいいち、この文明社会にこんな取り残されたような辺鄙な村が実在するってのもおかしな話だ。
 まるでそう、狐にでも抓まれたような気がする。

「こちらですわよ。光太郎さん?」

 鈴が転がるような涼やかな声音に呼ばれて、俺は不意に浮かんでいた馬鹿らしい考えを振り払った。
 どのみち、どんなに御託を並べ立てたところで俺は、この辺鄙な村で生涯を終えないといけないわけだ。まあ、もしも俺よりも先にご当主さまがお亡くなりあそばせば話は別なんだろうけど…
 でも、それだって淡い希望にしか過ぎない。
 なぜなら、この畦道をまっすぐに行ったところにある、あの小高い場所に居住まいを構え
た純和風の邸宅で俺を待ってるだろうご当主は、俺よりも若いってんだから希望なんか有
り得ないだろ。
 俺はご当主の魅惑的な義姉の後姿を追いながら、人知れずに溜め息を零していた。

「ふふふ」

 不意に含み笑うような気配がして、俺は先を行く眞琴さんをみた。

「おかしな場所だと思ってなさるんでしょう?」

「はあ、まあ…」

 曖昧な返事は、ズバリ胸中を見抜かれたような気がして居心地が悪かったからだ。
 しかし、突然何を言い出すんだ?
 いや、それともやっぱり、この人もここがおかしな場所だって思ってるんだろうか…

「確かに余所から来た人には珍しい村だと思うわ。だからほら、あたくしちゃんとお手紙に書いてあったでしょう?」

 それを聞いてギョッとした。
 あの手紙の送り主がまさか、この可憐そうに見える時代錯誤な着物がお似合いの、この美人だったなんて!!

「嘘だとお思いなすったのでしょう?強ち全てが嘘と言うわけではありませんのよ」

 日傘をクルクルと回しながら、眞琴さんは砂利の多い畦道を慎重に進んでいるようだ。そのくせ、足許に転がる石を草履の爪先でコツンと蹴った。
 コロコロと転がった石はすぐ脇の田んぼの横にある溝に落ちてしまった。

「光太郎さん、あのお屋敷は妖怪が巣食うお屋敷ですのよ。可愛らしい花嫁様がいつまで耐えられるのか…あたくしたち姉妹は楽しみにしていますの」

 クククッと笑って肩越しにチラリと振り返る眞琴さんの、その表情はどこか虚ろで薄ら寒いような感じがしたのは…たぶんきっと、気のせいだ。
 そう思いたい。

「…じゃあ、強ち嘘じゃないと言うのなら、眞琴さんともう1人のお義姉さんはその…」

 何を言いたかったのか、俺の口は勝手にそんなことを言うくせに、その先が続かなくて口篭ってしまった。

「愛人かとお尋ねになりたいの?そうですわよ、手紙の通りですわ」

 コロコロと一風変わって陽気に笑った眞琴さんは、着物の袖で口許を隠しながら俺の方を向くと、綺麗な双眸を細めて小首を傾げる。

「そうそう、あたくし手紙にちゃんと書いていなかったことがありますの」

「え?」

 キラリと光る瞳の色が一瞬、黒ではないように思えたのは日差しのせいか、俺の目の錯覚なのか…どちらにしたってこの村は、いや、この村も眞琴さんも雰囲気も何もかもおかしい。
 どうかしてる。
 暑い日差しに頭をやられた俺が一番どうかしてるのか、クラクラする頭の痛みを我慢しながら、目を細めて綺麗な小顔の眞琴さんを凝視していた。

「呉高木と楡崎と言うのはねぇ…」

「眞琴さん」

 言いかけた形の良い唇の動きが止まったのは、不意に彼女の背後から掛かった声のせいだったんだと思う。眞琴さんは居心地の悪そうな顔をして、綺麗な柳眉を顰めながら背後を振り返った。

「伊織お義姉さま」

 確かに眞琴さんは楚々とした美人だったが、伊織と呼ばれた2人目の呉高木家の養女は、ゴージャスな美女だった。豊満な肉体を包むワンピースはやっぱりどこか古いデザインだとは思う、思うけど、それに気付けないぐらい彼女の容姿はハッと人目を引いている。
 腕を組んで煙管から紫煙を燻らせている派手な美人は、下唇を噛んで俯き加減になっている眞琴さんをチラッと胡乱に睨みつけてから、俺を見遣ると繁々と下から上を舐めるように観察してきたんだ。
 眞琴さんよりは下世話な雰囲気の女性だ。
 でも、なぜだろう俺は、そんな伊織さんを見てなんとなくホッとしていたんだ。

「眞琴さんはお喋りが好きなようねぇ。まあ、いいわ。早く母屋にお出でなさいな。ご当主とお義父さまがお待ちよ」

 フンッと鼻先で小馬鹿にしたように笑ってから、スッと無表情になった伊織さんは肩に羽織ったカーディガンの裾を揺らしながらさっさと屋敷の中に消えてしまった。
 面白くなさそうな表情は俺に対してなのか、お喋りな義妹に対する当て付けなのか…どちらにしろ、どうもこの2人は馬が合っていないらしい。
 当たり前か、お互い睨み合いの愛人関係にあるんだし。
 なんか、初っ端からとんでもない無言の攻防戦を目の当たりにしてしまったような気がしてガックリと疲れてしまった。
 俺はやっぱり、とんでもないところに嫁いで来ちまったようだ。

「あの方が呉高木家の最初のご養女である伊織お義姉さま。目敏く口喧しいひとではありますが、放っておけば然程害にはなりませんことよ」

 とは言うものの、それまで柔和だった眞琴さんの表情には俄かに厳しい色が見えている、ってことはなるほど、彼女にとって伊織さんは天敵なんだろう。

「さあ、光太郎さん。こちらですわ」

 そう言って大層な門構えを潜った眞琴さんが向こうから俺を手招いた。

「ご当主がお待ちですわよ」

 まるで現実の世界とあやふやの世界との区切りのような門構えを見上げながら、俺は額に浮かぶ汗も気にすることなくゴクリと息を呑んでいた。
 立派な門構え…まるで魔界に続く暗い迷路の入り口のようにポッカリと虚ろに招く奇妙な門、その向こうで、色の真っ白な美人がニタリと笑って手招いている。
 これは本当に現実なんだろうか、それとも俺は、あの電車の中で悪い夢に魘されてるだけなんじゃないだろうか…祈るような思いで両眼を閉じていた。
 俺は、いったいどうなるんだろう…