やわらかく触れる唇の温かさに、ホッとした。
まるで誓うような口付けに、涙が一滴、ぽろりと頬を滑り落ちていく。
愛しいと、想うし、そう想って欲しいと切望している。
山の中腹にある、禁域として何者をも立ち入ることを拒んでいた気配が、今はやわらかく霧散していた。
俺と蒼牙はあの後、館に戻らずに禁域の祠に行ったんだ。
禁域と言うと、俺のなかではあの蒼牙のお母さんが閉じ込められていたって言う座敷牢を思い出すんだけど、どうもこの場所はそことはまた違うようだ。いったい、どれぐらいこの山には禁域があるんだろう。
でも蒼牙の話では、この場所こそが本当の禁域らしい。
俺は懸念して眉を顰めたんだけど、俺をその、お姫様抱っこしている蒼牙は、一見すれば判り難いんだけど、どうも嬉しそうに笑っているんだろう、そんな顔して「大丈夫」だと言うから、その胸元に頬を寄せながら蒼牙に全てを任せることにした。
どうせ俺があれこれ頭を悩ませたって、蒼牙がそれでいいんだと言えば、この村にいる誰でも、あの呉高木家の護り手と呼ばれてる小手鞠たちでさえ、口出しはしないんだから悩むだけバカらしいよな。
「俺がいいと言っているんだ。いったい誰が、それを制すると言うんだ」
傲慢な年下の旦那様は、俺の懸念を腹立たしそうに否定するから、思わず笑うしかないじゃないか。
「…今更だけどさ、蒼牙」
「なんだ」
俺を抱きかかえていた蒼牙は、嘗て、蒼牙のお母さんが次代当主を身篭った場所にそっと俺を下ろしながら真摯な双眸で見詰め返してきた。
「その、ホントに俺でいいのか?今ならまだ…」
「間に合うとでも思っているのか?アンタは、本当にお目出度いな」
蒼牙は鼻先でクスッと笑う。
なんだよ、そんな、見たこともないような大人びた態度で、そんなこと言わなくてもいいじゃないか。
俺はただ…そう、ただ、本当に俺で蒼牙の未来を壊してしまいやしないかと、不安で仕方ないんだ。
一遍の揺らぎだってない、純粋な想いは胸の奥深いところにちゃんと根付いているから、今ならまだ、お前と言う想い出だけでも俺は満足できる。
でも、お前に抱かれてしまったら…きっと俺は、お前から離れられなくなる。
未来ある蒼牙の負担になるんじゃないかと、無駄に年を食って大人になっちまった俺の、軟なハートが不安がっているんだ。
「ん?いや、待てよ。今ならまだ…と言うことは、アンタの中では俺はまだ迷いの対象になっていると言うことか?」
祠の中は部屋になっていて、月明かりが届くこの場所には毎日変えられている布団が敷いてあるんだ。
それは、いつかこの場所で、蒼牙も花嫁を娶るのだと誓っていたから、当主になったときから欠かしていない日課だったそうだ。
その布団の上に横たえた俺に覆い被さるように傍らに横になる蒼牙が、ふと、ムッとしたような顔をして唇を尖らせるから、その子供っぽい仕種も愛しいのに、迷いなんかあるもんか。
違う、そうじゃない。
「へ?いや、そうじゃない。お前のことを迷ってるんじゃないよ、俺自身のことだ」
目線を落とすと、蒼牙はムッとした表情のままで訝しそうな目付きをした。
俺自身に迷いがある。
あの時、蒼牙に迷わないでくれと思ったってのに、今の俺は迷いだらけだ。
溜め息を吐いて、鼻先が擦れそうなほど近付いている蒼牙の男らしい顔を見詰めて、俺はちょっと苦笑してしまう。
「俺さぁ、こんな姿だし、年だってお前より上なんだぞ。女になった…とは言っても、一部だし。自信なんか全然ないんだ」
お前を繋ぎ止めておけると言う。
蒼牙が愛しいと言って抱き締めてくれる腕の確かさを感じながらも、それでもやっぱり、出来損ないの女になっちまった身の上としては、その腕に甘えてばかりもいられないと思うから。
「それは、アンタ自身の迷いなんかじゃない。矢張りアンタは、俺を疑ってるんだよ」
ムッとした子供みたいに下唇を突き出して睨んでくる蒼牙に、どうしてそうなるんだよと、俺は呆れたようにその顔を見詰め、その頬を片手でやわらかく包み込んだ。
「違うって言ってるだろ。これは俺自身の問題だよ」
「いいや、違う。アンタは俺を疑ってるのさ。姿、年、性別に自信がないだと?なんの自信だ。俺が心変わりでもすると疑っているんだろう」
そこまで言われて、あ、そうかと、俺は蒼牙がムスッとして腹を立てている理由に今更気付いたんだ。
そうか、自分に自信がないってこた、蒼牙の心が離れてしまうかもしれないと言う不安を言っているようなもんだったのか。
そりゃぁ、傲慢不遜な俺の旦那様は腹を立てるよなぁ。
「俺が唯一お前に威張れるのってさぁ、楡崎の血の持ち主ってそれだけなんだぜ?それだけで、これからずっと長い生涯を、蒼牙を引き留めておかなくちゃならないんだ。そりゃあ、少しは不安がったっていいんじゃないのかよ?」
クスッと笑ったら、そんな俺を暫く見下ろしていた青白髪の綺麗な呉高木家の当主様は、馬鹿馬鹿しいとでも言うようにフンッと鼻で息を吐いてから、俺に口付けてきたんだ。
蒼牙にしては優しい、啄ばむようなキスで、俺はそのキスが大好きだったから嬉しくて、目蓋を閉じて受け入れていた。
「こんな善き日に不安がられる花婿の気持ちは無視なんだな」
キスの最中に、やっぱり腹立たしそうに唇を離した蒼牙はそんなことを呟くと、ムムッとしたように青味を帯びた不思議な双眸で見下ろしてきた。
そんな真摯な顔をされると、お前に参ってる俺の心は鷲掴みだ。
たぶん、蒼牙のヤツはそんなこと、考えてもいないだろうけどさ。
「楡崎の血は関係ない。たとえ光太郎が楡崎の人間でなかったとしても、俺はアンタを愛していると言っただろう。それから姿…だが、今だって十分、欲情してるんだぞ?」
囁くように呟いて額にキスされると、う、生々しい表現に、今のこの状況を思い出して顔が真っ赤になってしまった。
「う、うん。判った」
俺だって、今すぐにだって蒼牙に抱いて欲しいと思ってるぐらいには、欲情してるんだ。
抱きついて、不安がないって言えばいつだって嘘になるんだけど、今はそんなこと考えたくない。
蒼牙もそう思ってるんだろうか。
照れ隠しに頷いたのに、蒼牙はそれじゃ許してくれない。
「判ってないな。光太郎は何も判ってない。年齢も何もかも、全てを超越しても手に入れたいと思うこの衝動を、アンタは何も判らないんだ」
呟くように言って、動揺している俺にいきなり激しく口唇を重ねてきた。
肉厚の舌で唇を開くと、思わず噛み締めた歯を舌の侵入を許すように舐めて、勿論すぐに根負けする俺はそれを受け入れてしまうから、蒼牙とのキスは深くて激しくなる一方だ。
むせ返るようなキスの中で、俺の緊張していた身も凝り固まっていた心も蕩けてしまって、気付いたら恥も外聞もなく両腕を回して縋りつくようにして抱きついていた。
その身体を片手で受け止めて、空いている方の腕…蒼牙の悪戯な指先が浴衣の合わせ目から忍び込んでくると、もう何もかも、俺の全てを蒼牙に差し出したくなった。
どうなってもいい、この腕に抱かれるのなら。
全身で俺を愛しいと呟くこの男のものになるのなら、俺の全てなんか、すぐにだって奪い去ってくれ。
身体を隈なく辿る指先にいちいち反応して、キスの合間にも甘い溜め息を零す俺に、満足しているのか、それとも…そんなこと信じられないんだけど、あの世界の中心は自分で回っているぐらいは平気で思っているんじゃないかって思える、俺の年下の旦那様は、ホッと安堵しているようなんだ。
「蒼牙…蒼牙…」
甘えるように溜め息を吐いて頬を摺り寄せると、蒼牙は俺を安心させようとするように、「愛してる」と囁いてくれた。
それに、俺が嬉しいと思うのは当たり前のことなんだけど、指先が…あの場所に触れた瞬間、ビクッと身体が強張ってしまう。
嫌なワケじゃないんだ。
勿論、すぐにでも受け入れたいと思ってる、でも…頭で理解はできているはずなんだけど、本能の、多分女になっている本能の部分が、愛する男の愛撫に怯えて竦んでしまっているんだ。
愛しているのに、反射的に男の指に怯えたんだろう。
既にねっとりと粘り気のある液体を滲ませている女の部分は、撫でられると収斂して、そのくせ受け入れようと、中をかき混ぜる指先に絡み付こうと蠢いている。
その全ての一連の行為が、俺の羞恥とかそんなものをスパークさせて、目を白黒させながら蒼牙を見詰めてしまう。
「…怖いか?」
呟かれて、反射的にポロッと涙が零れた。
怖くない、と言えば嘘になる。
俺、本当は男だからさ、女として男を受け入れること事態、本当はよく判らないんだ。
それを理解しろと言われても、男の部分が理解できずに拒否するし、そのくせ、女の本能が目の前の男を生涯の伴侶だと認めてしまっているから、早く受け入れようとしているんだ。
バラバラでチグハグな感情をどう呼べばいいんだろう。
それでも、やっぱり最初に言ったように俺に欲情してくれている蒼牙を見てしまうと、バラバラでメチャクチャに混乱していた頭の中が急に冷静になって、いや、その言い方もおかしいな、冷静じゃない、興奮してるんだ。
蒼牙が欲しくて仕方がない。
こんな感情、初めてだ。
「怖くないよ、蒼牙…俺を、たくさん愛してくれ」
囁いて、蒼牙に縋りつく。
その言葉に蒼牙は目蓋を閉じると、愛しいと呟くように俺の色気もクソもない黒い髪に唇を寄せた。
前を寛げた蒼牙の、前はあんなに怖くて、嫌で嫌で仕方なかった雄の証が足の付け根に触れて、頭では判っているのに緊張に身体が強張ると、蒼牙は宥めるように背中を擦ってくれて、安心させるようにキスしてくれた。
ああ、大丈夫、これは蒼牙なんだとホッとしたように全身の力が抜けた瞬間、滑るように愛液を漏らす女の部位に、熱い灼熱の杭のようなソレが侵入しようとした。
思わず目を見開いた俺は、それから、次に襲ってきた激痛に目蓋を閉じてしまう。
「う、ぅぅぅ~ッッ」
俺の女の部分は侵入の衝撃に悲鳴を上げて、女としてはまだ未熟なのか、それともそれが当たり前なのか、あんまりの痛みに脳内がグルグルする俺の気持ちとは裏腹に、それでも必死に受け入れようと愛液を溢れさせて絡み付いている。
粘るそれが潤滑剤になっているのか、入り口の辺りで躊躇している雄の侵入を助けるくせに、拒もうとでもするように収斂を繰り返して許して欲しいと涙を零す。
俺はワケが判らなくて、どうしていいのか伸ばした指先は蒼牙の背中を掴まえていた。
無意識に爪を立てながら、無理に抉じ開けられる衝撃をやり過ごそうとする。
「光太郎…愛してるんだ」
まるで蒼牙こそ、許しを請おうとしているように呟くから、俺は咽喉の奥で引っかかった悲鳴を飲み込みながら、ポロポロ涙を零して唇を噛み締めて、それでもうんうんっと頷いてしまう。
「お、っれも、愛してる…ぅッッ」
女で男を受け入れるなんて言うセックスをしたこともない俺は、こんな時だって言うのに、この痛みを幼い蒼牙も感じていたんだと思ったら、余計に悲しくなっていた。
大の男である俺でさえ我慢できない激痛なのに、幼い身体でそれを受け止めていた蒼牙、どれだけ辛かったんだと、俺を陵辱しているはずの、今は逞しい呉高木家の当主に抱き付きながら、蒼牙の過去すらも抱き締めたかった。
ああ、だから。
痛みに霞む目を開けたら、欲望に目許を染めながらも、心配そうに俺を見下ろしてくる青味を帯びた不思議な双眸を見つけて、ホッとしたら涙が零れた。
蒼牙はこの痛みを知っているから、こんなセックスの最中だと言うのに俺を労わる心を持っているんだ。
だから、あれほどチャンスがあっても、この時まで俺を抱かなかったんだ。
「蒼牙、蒼牙…ッ!…ぅあッ…あ、…ッッ」
大丈夫だから、俺はこんなことぐらいで壊れたりしない。
涙が零れた瞬間、ふと、蒼牙が一瞬動きを止めたかと思うと、嫌な汗をじっとりと浮かべている俺の身体を抱き締めて、もっともっと、もっと深く交じり合おうとでもするように身体を進めてきたんだ。
ハッと目を見開いた。
胎内の奥深いところで、不意に何か、神聖で大切な何かが散ってしまうような、そんなことがあるはずないのに、硝子細工が弾けたような錯覚がした。
蒼牙が決意して破ってしまったその神聖な何か、その償いのように溶岩のような熱を持った、粘る流れが内股を伝って溢れていた。
俺はああ…と、痛みを一瞬忘れて、儚い誓いを全て捧げた愛しい男を見詰めて、その身体に抱きついて、キスしてくれと強請った。
一瞬の躊躇いさえ見せずに、欲望に濡れた双眸を閉じて、蒼牙は俺に期待通りキスしてくれた。
灼熱に焼かれた鉄をオブラートか何かで包み込んでいるような先端で、破瓜されたばかりの胎内をゆっくりと掻き回されて、子宮の奥が痛みを伴ってジーンッと疼いた。
こんなに痛くて、死にそうなのに…なんだろう、この充足感は。
できれば、もっと、と頭の片隅で考えている俺がいて、それには流石に驚いた。
でも、すぐに判った。
俺の中にある女の本能が、蒼牙の子供を欲しているんだ。
だから、ねっとりと蒼牙の灼熱に絡み付いて、蒼牙の律動にあわせるように身体が反応を始めたんだと思う。
蒼牙と俺の間で擦れていた息子は、あまりの痛みに項垂れていたはずなのに、何時の間にか熱を持ってガチガチに硬度を増すと、先端から後から後から粘る涙を零して濡らしていた。
本能が蒼牙を求めている。
それと、俺の気持ち。
「ぅ、…あ、アァ…ッ…んぁ……ッ」
ゴツゴツとした先端で胎内を擦られて、その感触に快感が混じり始めたから、俺は漸く安堵して絡みつけていた腕の力を抜いたけど、蒼牙はそれを許してくれず、もっともっとと深く俺を貪りながら、濡れている身体が溶けて混ざり合ってしまいたいと思っているかのようにギュッと抱き締めてくれた。
快感に、たまに思い出したように痛みが閃いて、だから、蒼牙がそんなことしなくても、すぐに俺は怯えたように抱きついてしまうんだけどなー
ああ、なんだろう、この幸福感は。
「そ、が…俺を、俺を感じてる…?」
俺はお前を感じているよ。
身体の奥深いところで、これ以上はない充足感に支配されながら、もがくようにお前を求めて、お前を見つけて、安心してお前に全てを委ねながら、お前の全てを感じているよ。
この気持ちを、蒼牙、お前にも感じて欲しいんだ。
俺、凄く幸せなんだよ。
「ああ…光太郎、俺はアンタを感じている。これ以上はない、幸せだ」
男らしい双眸を細めて、濡れて額に張り付いた不思議な青白髪はそのままに、顎から汗を滴らせて、俺の、俺だけの旦那様はキリリとした口許に笑みを浮かべている。
「…ぅあ…ッ、蒼牙、お、俺…俺も、幸せだッ」
ポロポロと涙が頬を零れ落ちたけど、汗なのか涙なのか、見分けなんかつきやしないけど、それでも俺は幸せすぎて眩暈がしていた。
「…ッ」
男らしい蒼牙の口許から溜め息のような声が漏れて、その瞬間、俺は胎内にマグマのような奔流を受け止めていた。子宮の全てで、俺はそれを受け止めたかった。
子供を孕むと言うことが、どんなことなのか、男だった俺には判らない。
痛いとも聞くし、不安だとも聞いた。
それでも、今、この瞬間。
俺は蒼牙の子供を欲しいと思っていた。
どうか、ここにはいない遠いところに鎮座ます誰か。
生まれてきたら、きっと、可愛がって悲しい想いはけしてさせないから、だから。
蒼牙の子供を俺にください。
俺に、蒼牙の子供をください。
ぽろ…と涙が零れて、俺はビクンッと身体を震わせながら逞しい蒼牙の背中に抱きついて、同じ昂揚とした気分を分かち合っていた。
手離しそうになる意識の中で、蒼牙の唇がやわらかく俺の唇を啄ばむ感触がした。
俺は、貪欲な欲望と満ち足りた幸福の中で、目蓋を閉じていた。