第一話 花嫁に選ばれた男 28  -鬼哭の杜-

 結局蒼牙は、昼頃まで俺を離してはくれなかった。
 まるで溶けて混ざり合いたいとでも思っているように、執拗に俺を抱いた蒼牙は、それでもまだ抱き足りないとでも思っているみたいに、濡れた身体を寄せ合って抱き合うようにして眠っていた。

「う~…眩し…」

 片手を上げて汗で張り付いてしまった前髪を掻き揚げながら呟いた声は、自分が思う以上に掠れていて、どれだけ泣いて蒼牙に甘えたのか、昨夜のことがたった今起こったような生々しさに感じて顔が真っ赤になってしまう。
 件の俺の旦那様、若干17歳の本来なら高校生である不思議な青白髪をした龍の子は、身動ぎして昼の暑さにうんざりしている俺に、抱き付くようにしてぐっすり眠っているみたいだ。
 うわ、寝起きの良いあの蒼牙が、安らかな寝息を立てて眠ってるなんか信じられねーよ。
 俺が目を覚ますといつも布団の中は蛻の殻で、いつも独りぼっちで目を覚ましてたってのに、今日はなんだか嬉しいぞ?
 目の周りとか頬とか、身体の至るところがバリバリになってるんだけど、そんなのはこの際無視して、俺は物珍しいものでも見るように、ぐっすりと眠っている蒼牙の寝顔を、今度はいつ拝めるか判らないんだからじっくりと観察していた。
 まだ、たったの17歳なんだよなぁ…高校生特有の性欲に翻弄された身では、外見がなまじ大人びているばっかりに、なんでも知っている大人をイメージしがちな俺に、確り年齢を実感させてくれた。
 下半身が重くて、まだ当分は起き上がれないんだから、蒼牙が目覚めるまでの間、滅多に見られない寝顔の観察も悪くないよな。
 俺はふふんっと独り言を呟いて、あの神秘的な青味を帯びた双眸を目蓋の裏に隠してしまっている、世界で一番大好きなヤツの寝顔を堪能していた。
 うーん…やっぱ、コイツはカッコイイんだよな。睫毛も長いし、眠っている時ですら引き結んでいる口許とか、鼻筋も通っているし、眉なんか、青白髪なんだけどキリリ…ッとしていて、肌だって高校生にしてはニキビもなくて綺麗なもんだ。ホント、見ていて飽きないんだから不思議だよなぁ。
 その点で言えば俺なんか、気付けば口は半開きだし、たまに半目開けて寝てることもあれば、涎だって垂らすんだぜ。ホント、できれば蒼牙には寝顔を見られたくない…とか、乙女みたいなことを言っちゃうほどには、悲惨な顔だと思うぞ。
 まだ若いくせにさー、俺なんかのどこが良かったんだろうな?
 思わずじっくり観察しながら、気付いたら鼻先を指でぐにっと押してしまっていた。
 やべ、と思って慌てて指を引っ込めた時には、既に蒼牙はパチッと目を覚ましていたんだ。
 ホント、どれだけ目覚めがいいんだか。

「…光太郎?なんだ、もう起きたのか??」

 障子から真夏の陽射しが透けていて、やっぱり蒼牙も少し眩しそうに眉を寄せたものの、上半身を起こすようにして俺を覗き込んできてそんなことを言うから、俺は顔を真っ赤にしてエヘヘヘッと笑うしかないだろ。

「もう…って、もうお昼になるんじゃないか?寝すぎだよ」

 俺は身体を起こす余裕とかないから、寝転んだままで笑ったら、蒼牙も珍しくやわらかく微笑んでから、遅いおはようを呟いて口付けてきた。
 俺はクスクス笑いながら、その口付けを確り受けるんだよな。
 夜が明けるのも気付かずに、夜が明けても抱き合っていたんだ、それから寝たんだから…それでも、まだ3時間ぐらいしか寝てないのか。
 蒼牙は今日も仕事なのに、なんだか悪いなぁ…
 上げるのも億劫な腕で蒼牙の首に縋るように抱きついて、朝の挨拶にしては濃厚なキスを堪能していたら、不意に低い声が障子の向こう側から聞こえてきてギョッとした。

「蒼牙様、光太郎様。お目覚めでございますか?」

「桂か」

 俺の身体を抱き締めるようにキスしていた蒼牙は、唇をずらすようにして声に応えるんだけど…抱き締める腕は緩めないんだから、その、元気がいいよなと思う。
 若さにクラクラだ。

「はい、蒼牙様」

 何か言いたそうな気配の桂なんだけど、キスの合間に戯れるように「風呂に行くか?」と呟く蒼牙と「できれば…一緒に入りたいなぁ」と冗談のつもりでそれに頷く俺とのいちゃいちゃした雰囲気に気圧されているのか、いや違う、この場合は仲の良い夫婦に水をさしてはいけないと真剣に思っているから何も言わずに待っているみたいだ。
 「もちろん一緒に決まっているだろ」と蒼牙が鼻先を擦り付けるようにして悪戯に言いやがるから、いきなり顔を真っ赤にしてしまう俺に、意地悪な当主がクスクス笑った時点で、このいちゃいちゃムードは一段落したと考えたのか、桂は厳かに口を開いた。

「蒼牙様、婚礼の儀の準備が整っておりますが…」

 申し訳なさそうな、控え目な執事の鑑とも言うべき桂の言葉に、嬉しそうに笑っていた蒼牙は一瞬だけど「はて?」と言いたげな表情をした。表情をして、それから唐突にガバッと身体を起こしたんだ。
 起き上がるのも億劫な俺はそんな蒼牙をギョッとして見上げてしまった。
 なな、なんだって言うんだ。

「そ…うか、朔の礼か」

 唇を真一文字に引き結んでいた蒼牙は、それから徐に、キスの痕を散らす肌を隠すのも忘れ、なんとかやっと上半身を起こすことに成功して心配そうに覗き込んでいる俺の顔を見下ろしたんだ。
 眉を寄せて首を傾げたら、蒼牙にしては本当に珍しく、バツの悪そうな、決まりの悪そうな顔をして言ったんだ。

「今夜、婚礼の儀を執り行うことに決まっていたんだ。すまん、忘れていた」

「へ??」

 思わず目を丸くする俺に、困り果てた顔をした蒼牙はバツが悪そうに首を左右に振って、後で行くからと言って桂を退席させてしまうと、布団の上に胡坐をかいて青白髪の頭をバリバリと掻いている。
 なんでもコンピュータみたいに正確な蒼牙が、忘れるとか…信じらんねーよ。
 でも、人間らしくて、俺はなんだかホッとした顔をして笑ってしまった。

「こんな風にアンタに無理をさせるつもりじゃなかったのに…すまん、昨夜は我を忘れてしまった」

 俺に謝ることとか絶対ないと思っていたのに、ほんのり頬を染めて素直に謝る蒼牙の、その子供っぽい仕種に俺はますます嬉しくなった。

「なんだよ、朔の礼って今夜だったのか?」

「ああ、今夜は新月なんだ。だが、無理をしなくてもいい。婚儀は来月に延ばすこともできる」

 蒼牙は俺の身体を労わるような眼差しをして、自分の不甲斐なさを悔やんでいるような顔をしたんだけど、我を忘れるぐらい俺に夢中になってくれた旦那様を、どうして俺が無碍にできるって言うんだ?
 それに俺は…

「嫌だ!結婚を延期するとか、俺は嫌だよ。蒼牙、俺ならそんなに軟じゃねーから。だから、大丈夫だから今日、結婚しよう」

 もう、1日だって延ばしたくない。
 俺は早く、蒼牙の本当のお嫁さんになりたいんだよ。

「だが、アンタには無理をさせてしまった。起き上がるのも困難じゃないのか?」

 心配そうに、蒼牙は俺の身体を引き寄せて抱き締めてくれたから、俺は素肌に触れる蒼牙のぬくもりを感じながら首を左右に振ってやった。

「大丈夫だよ。そりゃ、今はちょっと辛いけど…だから、風呂にじっくり浸かってさ、ゆっくりしたら絶対復活できるって!式は何時からなんだ?」

「宵宮を予定している。だいたい、19時ぐらいから執り行う予定だ」

「…と言うことは、まだ7時間もあるじゃないか。だったら、大丈夫だって」

 そりゃあ…何時間も受け入れさせられて、散々喘いでいたんだから、咽喉だって痛ければ身体の節々も痛い。ましてや熱を持ったように腫れぼったく疼く下半身なんか憐れなものなんだけど、それでも俺は、頑張って蒼牙のお嫁さんになりたいと思っている。この決意はちょっとやそっとじゃ揺るがないんだぞ。
 身体は確かに蒼牙に全てを捧げて、逸早くお嫁さんになったんだけど、やっぱり村の人たちとか、親族とかにもちゃんと認められたいと思うんだ。特に、これからことあるごとに顔を合わせるに違いない村の人たちには、やっぱり祝福して欲しいなぁとか思ってしまうんだから、どれほど乙女ちっくなんだよ俺と、凹みそうになるのは仕方ない。

「だが…」

 と、まだ言い募ろうとする蒼牙に、俺はムッとしたように唇を尖らせて、青白髪の髪をグッと掴んで引っ張ってやった。

「なんだよ、蒼牙は俺と結婚したくないのか?俺は、村の人たちとか、繭葵とか、眞琴さんたちにも祝福して欲しいんだよ。それに…こんな俺を最初から受け入れてくれていた村の人たちに、早く安心して欲しいんだ」

 驚いたように目を瞠る蒼牙に捲くし立てて、思わず下半身に響いてさらに眉が寄ってしまう俺に、蒼牙はそれでも心配そうな顔をしたけど、ソッと頬に口付けてきた。

「辛くなったら遠慮なく言うんだぞ。アンタが倒れてしまっては、朔の礼など意味はないんだ」

「うん、判った」

 俺が嬉しそうにニカッと笑うと、蒼牙はやっぱり心配そうに大丈夫かなぁ…と言いたそうな顔をするんだけど、大丈夫だって!色んなバイトして鍛えてる身体なんだぞ、都会育ちだからって舐めんなよ♪
 嬉しくて笑っている俺なんか無視して、そうと決まれば蒼牙の行動は早かった。
 サッと脱ぎ散らかしていた着流しを適当に着ると、ヘンな決心をしている俺に浴衣を引っ掛け、さっさと抱え上げて部屋を出た。それから行き着く先は、この屋敷に入って一番最初に驚いた、天然温泉が滾々と湧き出ている大浴場だ。
 ヘンなちょっかいなんか出さずに、蒼牙は労わるように俺の身体を洗ってくれて、甲斐甲斐しく世話をしてくれたんだけど…明るい陽の下で見た自分の惨状に、思わず言葉をなくしそうになってしまった。
 だってさー、すげーんだぜ?
 身体中にキスの痕が散っていて、まるで昨夜の蒼牙の言葉通り、至るところに蒼牙の烙印を捺されているんだから…顔が真っ赤になっても仕方ないよな。

「…俺、ホントに蒼牙のものになったみたいだ」

 自分の身体を繁々と見下ろして思わず呟いたら、抱き締めるようにして一緒に湯船に浸かっていた蒼牙が、ムッとしたように眉を寄せた。

「なったみたい…じゃないだろう?なっているんだ。アンタはもう、俺のものだ」

 そう言って背後からぎゅうっと抱き締めてくれるから、俺は顔を真っ赤にしてエヘヘヘッと笑うと大きく頷いて言ったんだ。

「うん、そうなんだけどさ。今夜、俺ホントに蒼牙のものになるんだろ?なんかドキドキするな。スゲー嬉しい」

 そう言って肩越しに振り返ったら、蒼牙はなんとも言えない顔をして呆気に取られたようにポカンッとしてたんだけど、次いで、すぐに顔を赤くしてますます抱き締める腕に力を入れるから…おいおい、苦しんですけども。
 頬の赤さは温泉の熱さばかりじゃないんだよな、ちゃんと、照れて赤くなっているんだよな。
 そんなひとつひとつの仕種がやっぱり嬉しくってさ、俺の胸はドキドキしっ放しだった。
 今夜、俺。
 蒼牙のお嫁さんになるんだぜ、ホントに信じられないよな。
 幸せすぎて、顔がにやけっ放しで元に戻らなくなったらどうしよう。
 そんなどうでもいいことを考えながら、俺は蒼牙に凭れるようにして幸せを噛み締めていた。

「結局、ちゃんと晦の儀を迎えたんだね」

 遅い昼食を摂っていたら、既に終わらせてるはずの繭葵が、お手伝いさんたちから貰った菓子を食いながら俺の横に腰を下ろして、湯上りでポカポカしている俺を見ながらそんなことを言いやがった。
 う、確かに…晦ってのは新月の前の日なワケだから、蕩けちまうような昨晩のえっちが、やっぱり晦の儀になるんだよな。
 顔を真っ赤にしていたら、繭葵は菓子を食ってるくせにごちそうさまと言いやがったんだ。

「蒼牙様はご飯も食べずに朔の礼の打ち合わせかい?大変だねー」

「まぁな。ところで繭葵さぁ、お前って朔の礼がどんなことするか知ってるか?」

 実は俺、朔の礼の内容を知らないんだ。
 蒼牙のヤツは、昨日散々草臥れさせてしまった俺を気遣ってか、何も考えずに座っていればいいとか言いやがってさ、何も教えてくれなかったんだよ。
 いや、それには語弊があるな。
 式での俺が言わなけりゃならない言葉とかだいたいの流れとか、そんなものは教えられた。
 でも、なんか、『朔の礼』とかって、呉高木家だけに伝わるような結婚式なんだから、何か他にもあるんじゃないかと疑っているだけなんだけどな、本当は。

「ゲ、光太郎くん、呉高木のお嫁様のくせにそんなことも知らないの??」

 ダメじゃん!…とその顔は言っているんだけど、確かにダメじゃんな俺ですがね、突いても蹴っても何も教えてくれない、やっぱり秘密主義の旦那様が全て悪いんだ。
 フンッと鼻で息を噴出してやったら、繭葵は嫌そうな顔をして仕方ないなーっと唇を尖らせた。

「朔の礼ってのは婚礼のお式のことだよ。それは知ってるよね?んで、呉高木家の婚礼のお式ってちょっと変わっててね。公開のお式なんだよ」

「公開?」

「意味判んねって顔だね。えーっと、前回、『弦月の奉納祭』の時に行った神社があったでショ?あそこで祝言を挙げるんだよ。その際は、その様子を村人たちが見守るんだ。なんせ、この村を護る龍神様にご報告の儀式だからね」

 首を傾げている俺に、繭葵は大福を食いながらそんなことを言ったから、なんだ、祝言は普通に挙げるのか、と俺はちょっとホッとした。そんな俺を横目で見ていた繭葵は、途端に邪悪な顔をして、ニヤーッと笑いやがったんだ。

「な、なんだよ、その顔は?!」

「今、ホッとしたでショ?ホッとしたよね。残念でした、『朔の礼』はそれで終わるわけではありません」

「ゲ、じゃ、その他にもやっぱり何かあるのかよ??」

 繭葵はニヤニヤ笑いながら、俺の茶を分捕って飲むと、教えようかどうしようか迷っているみたいだ。
 いや、お喋り好きの妖怪娘が何を悩んでんだよ、さっさと教えてくれよ。

「見てからのお楽しみ…って言いたいところだけど、初々しいお嫁様にそれ以上の心労はよくないもんね。教えたげるよ。実は『朔の礼』ってお祭りなんだよ」

「へ??」

 思い切り驚いた顔をしたら、繭葵のヤツはケタケタと笑いやがったんだ。

「まあ、結婚式ってのは本当は全部お祭りなんだけどね。でも、今の日本じゃそんな考え方する人とか少ないだろうから、ビックリするよね、フツーはさぁ。祝言が終わったらどんちゃん騒ぎだよ。あの神社の境内で、みんな呑めや歌えや踊れやってね、夜明けまでどんちゃん騒ぎが続くんだよ」

 そう、だったのか。
 だから蒼牙は俺の身体を心配して、朔の礼を延期しようとしたんだな。
 うっかり屋さんの青白髪の旦那様の顔を思い出して、俺は思わず笑ってしまっていた。
 そんな俺に、繭葵は「おや?」と眉を上げて首を傾げた。

「でもそれってさ、披露宴の後の二次会みたいなモンじゃないのか?」

「あー、そんな感じかもしれないけど。アレってたぶん、こんなお式の流れが高じて派生した形じゃないかと思うんだよね。ま、似たようなモンだろうけどさ。でもちょっと違うのはそれが親族は勿論、関係のない村人まで交えての大宴会が夜明けまでぶっとうしで続くことだね」

 はー、なるほどな。

「お嫁さんとお婿さんは白無垢と紋付袴でどんちゃん騒ぎなのか?ソイツは大変だろうなぁ…でも、楽しい結婚式だな。俺、もっと格式ばってるのかと思って緊張していたんだけど、そんな結婚式なら大歓迎だな」

 だってさ、みんなが楽しめるんだぜ。
 普通、結婚式とか言ったら本人たちが楽しむものだろ?でも、この村に息衝く古い因習は、なんて陽気で楽しげなんだろう。
 みんなで祝福して、みんなで喜んで、みんなで幸せを分かち合うんだから…村人たちに、どれほど慕われているんだろうな、呉高木家ってさ。

「ふふふ…光太郎くんならそう言うと思ってたよ、実はさ。たぶん、白無垢は途中で着替えると思うけど、晴れて夫婦となった2人も夜明けまでどんちゃん騒ぎに参加するんだよ。だってね、村の一員になって、何より、ご当主様のお嫁様の初披露なんだからさ~」

 繭葵は楽しそうに笑っている。
 そうだよな、想像しただけで楽しそうだもんな。
 篝火に囲まれた境内ではあるんだろうけど、みんなで敷物を敷いて、酒を呑んだり踊ったり、本当にどれだけ楽しいんだろう。

「だからね、晦の儀は前の日なんだよ。お嫁様は体調が悪ければ途中で退席して、ご当主がホストを務めるってワケ。初披露の日ではあるんだけど、結局、ご当主を祝福する宴だしね。でも勿論、お嫁様が臨席されるのが一番村人たちには喜ばしいことなんだけどね。だって、お嫁様を大歓迎しますって、心からはしゃいでるんだから」

 繭葵の説明を聞きながら、俺は大きく頷いていた。
 うん、途中退席なんか絶対にしないぞ。

「最初に思ってたよりも、この村の人たちって明るいんだよな」

「ああ、うん。地図にも載ってないぐらい閉鎖的な小さな村だから、最初は取っ付き難いだろうと思ってたんだけど、早起きだし、仕事もチャキチャキこなして、みんな朗らかで明るいんだよね。僕も最初は偏見とか持ってたんだけど、目から鱗が落ちちゃったよ」

 秘密主義はご当主と同じなんだけどな。
 村の秘密については誰も口を開かなかったけど、何故だか最初から、俺のことはお嫁様と言って大事にしてくれてたんだよな。たぶんそれは、蒼牙が昔から花嫁は俺だって決めていたから、村人たちは当然俺のことを知っていたんだと思う。
 それだけ蒼牙は、揺ぎ無い気持ちで俺を花嫁に迎えようとしていたんだ。
 それが判ったから、俺は、蒼牙のお嫁さんになりたいって思うようになったんだぜ。
 蒼牙は知らないだろうけどな。

『そんな村じゃなければー、お嫁様を呉高木に嫁がせる気にはならなかったのよー』

 ひょこんっと、どこから現れたのか、何時の間にか縁側に立っている座敷ッ娘が嬉しそうに双眸を細めて着物の袂で口を隠しながら言ったんだ。

「座敷ッ娘、お前何処に行ってたんだよ」

「ザシキッコ?え、誰に言ってるんだい??」

 繭葵がキョトンッとしたように唇を尖らせると、キョロキョロと周囲を見渡しながら俺の肩を叩いて首を傾げている。その仕種は冗談とかコイツ特有の悪戯ってワケでもなさそうで、どうも本気で座敷ッ娘が見えていないようなんだ。

「え?誰にって、そこにいるじゃないか」

 ニコニコ笑っている座敷ッ娘を指差しながら、俺はワケが判らずに眉を寄せて言ったら、繭葵は真剣に「はぁ?」と言いたそうな顔をして大袈裟にキョロキョロするんだよな。
 眞琴さんはちゃんとコトノハって呼んで見えていたのに…え?どう言うことなんだ??

『それはねー。繭葵は呉高木の血が殆ど入っていないのよぉ。だから、私が見えないのー』

「でも、眞琴さんは見えてたじゃないか」

『眞琴は巫子なのよー。だから私や小手鞠が見えるのぉ。でも、繭葵も小手鞠は見えるわよぉ』

 座敷ッ娘は嬉しそうにニコニコしたまま説明してくれる。神妙に頷いている俺の横で、もしかしたらあんまり蒼牙とラブラブになって、それが信じられなくて頭のネジが何処かに飛んで行ったんじゃないかって、繭葵は真剣に心配しているようだった。
 何故なら、座敷ッ娘と話している間中、そんなことを言いながら俺の額に手を当てて熱を測ったり、小林のじっちゃんを呼ばなければとかワァワァ言ってたからな。

「なんだ、そうだったのか。じゃぁ、繭葵は可哀想なんだな」

「え?何がだい??」

 眉を顰めて可愛い顔を顰める繭葵に、俺はなんでもないと肩を竦めてみせた。

『私たちが見えないからー?可哀想かどうかは判らないのよー、でも、繭葵は私たちが見えなくてもそれなりに楽しんでいると思うけどねぇ』

 座敷ッ娘は訝しそうに眉を寄せて俺を見上げている繭葵の傍らまでトコトコ歩いてくると、本当に幸せそうにほっこりと笑いながら唇を尖らせている妖怪娘の顔を見上げた。
 そうだなと座敷ッ娘の返事に応えて、俺はこの時ふと思ったんだ。
 こんな風に、何処彼処に呉高木や楡崎のように、不思議な血を持つ一族がいて、昔はそんな人たちが多かったから、妖怪だとか物の怪なんかを見ることができていたんじゃないかな。でも、日本人は文明開化だとか、そう言った近代文化に慣れ親しんで、いつしかその記憶を忘れてしまった。だから、もう二度と、彼らと触れ合うことはなくなってしまったんじゃないかな。
 それはなんだか、日本の持つ古来からの良さを失くしていっているような気がして、俺は寂しいと思った。

「なんだよ、急に黙り込んじゃってさぁ…ホント、今日は大丈夫なワケ??」

 可愛い唇を尖らせて眉を寄せていた繭葵は、それでもふと、心配そうに尖らせていた唇を引っ込めると俺の顔を覗き込んできた。
 でも、ああ、そうだな。
 こうして、民俗学的なものを執拗に追っかけているようなヤツもいるんだ。
 たとえ、彼らの存在を見ることができなくなっていても、心の奥深いところで絶えず流れる川のように連綿と受け継がれる何かがあるのだとしたら、彼らの存在は消去されたのではなく、ソッと大切に保存されている…ってことになるのかもしれないな。
 うまく、説明とかできないんだけど。

「大丈夫、大丈夫!ちゃーんと、お前に蔵開きを見せてやるって」

 うはははっと笑って箸を持つ手を左右に振ったら、それでもなんか、一抹の不安とかありそうな顔付きをした繭葵は、大福の最後の欠片を口に放り込みながら言いやがった。

「ま、根性だけはありそうな光太郎くんだもんね。蟹股をなんとかしたら立派なお嫁様に見えなくもないよ」

 ニヤニヤ笑われて、う、俺ってば今、そんなにヘンな歩き方してるか??

「お、男なんだからいーだろ、蟹股ぐらい」

「お嫁様なのに男ってねー。まぁ、いいんだけどさ。初々しすぎてこっちの方が恥ずかしいよ」

 ナニが、とか言わないのな。
 いや、言われても言い返す言葉が思い当たらないんで、言われる方が俺としては大変なことになるのは確かなんだけど。

「後は体力回復なんだよな」

「ホントはヘトヘトなんでショ?根性は認めるけど、無理はしないよーに!」

 そんなことを言って、繭葵はウィンクしながら、これから眞琴さんと打ち合わせがあるからじゃあねと言ってさっさと行ってしまった。
 その後姿を見送っていたら、黙って話を聞いていた座敷ッ娘がニッコリ笑って言ったんだ。

『蟹股は蒼くんに愛された証だから仕方ないのよー』

 頼む、繭葵ですら遠巻きに言ったことを、直球で言ってくれるなよ、座敷ッ娘。
 恥ずかしくて、歩けなくなっちまうよ。
 俺はガックリと溜め息を吐いて項垂れてしまった。

 宵宮…と蒼牙が言ったように、その日の19時頃から婚礼の儀は滞りなく始まったんだけど、その前に俺は白無垢に着替えて蒼牙の前に引き出されていた。
 俺は、恥かしながらも角隠しと白無垢と言った出で立ちで、呉高木家の家紋の入った紋付袴を着ている蒼牙の前に眞琴さんに介添えしてもらって立っていた。
 何を言ったらいいのか判らないんだけど、何か言わないとと思えば思うほど、言葉ってのはなかなか出てこないもんなんだ。
 だから俺、頬を染めて俯いていたんだけど、エヘッと笑って蒼牙の顔を見上げた。
 そりゃあな、真っ白に塗ったくられた面して、真っ赤な口紅をちょっと塗ってる、どこのお化けだよの顔をしているってこた判ってるんだ。だからってさ、んな呆気に取られた顔とかしてくれるなよ。

「…何か言えよ、蒼牙」

 照れ臭くてモジモジしている俺は、片手で白無垢の裾を持って(…って、こうしていないと歩けないんだよ)、片手は眞琴さんに預けて支えて貰っているんだ。
 そんな俺を、蒼牙は少し、眩しそうに見詰めていたんだけど、俺に言われてハッと我に返ったのか、滲むように笑って頬を染めたんだ。

「綺麗だ」

「ぶッ」

 思わず噴出したら、綺麗にビシッと化粧を決めて巫女装束を着ている眞琴さんは、整った柳眉を顰めてそんな俺をチラッと見るんだけど、誰だってんなこと言われたら噴出すだろ。

「こんな真っ白い顔してるのが綺麗なのか?ったく、判らんこと言うよなー」

「そうか?アンタは綺麗だ」

 まるで、ずっとこの瞬間を待っていたんだとでも言いたそうな表情をして、蒼牙は俺を真摯に見詰めている。その痛いほどに強い視線を受け止めて、俺は照れ臭くて、思わず俯いてしまった。
 伸ばされる指先が、ソッと頬に触れて、俺はおずおずと蒼牙を見上げた。

「アンタはもう、後悔することはできない。これから永遠のような時を、俺だけを愛して生きて行くんだ」

 蒼牙は厳かに命令した。
 これから呉高木家の一員になる以上、絶対的地位にいる当主たる蒼牙の言葉だ。俺は素直に頷くか、「喜んで」と誓わなければならない。
 でも、俺はハッキリとそれを断った。

「それはできない」

「!」

 この喜ばしき日に何を言い出すんだと、蒼牙はスッと表情を変えて、掴んでいる手に力を込めた。
 俺の心変わりに驚いたのか、信じられないのか、冗談だと思ったのか…一瞬のうちに冷やかな双眸になった蒼牙は、それでも、事も無げにシニカルに笑ったんだ。
 眞琴さんはばっちりポーカーフェイスなんだけど、嬉しそうに柔和な表情を浮かべていた顔が、一瞬にして真顔になったから、やっぱり動揺しているんだと思う。
 でも俺は、ちゃんとこれだけは言っておかなくてはいけないと思うんだよ。

「俺、蒼牙を愛してることに後悔とかしないし、この村で生きることもちゃんと納得してるつもりだ。でも、この先蒼牙だけを愛して生きていく自信はないよ」

「なんだと?」

 シニカルな笑みを片頬に浮かべたままで、神秘的な青味を帯びた双眸がすぅっと細められて、思わず逃げ出したくなるほど冷徹な眼差しが突き刺してくるから、俺はできればこのままダッシュで逃げ出したい気もしたんだけど、今一歩で踏みとどまるのは、やっぱり蒼牙を愛しているからだ。

「だって、仕方ないだろ。お前と同じぐらい大切で愛しい人がきっと現れてしまうんだから」

「アンタは…自分が何を言っているのか判っているのか?」

 この好き日に?
 蒼牙の双眸はいよいよ凶暴になり、俺の頬を掴む手もますます力を増してくるから、俺は思わず顔を顰めてしまった。

「蒼牙さん」

 冷静で、落ち着いた口調のまま呟いた眞琴さんの声には、底知れぬ威圧感があって、これが蒼牙じゃなかったらみんなビビッてサッと手を離していたに違いない。
 でも、相手はあの蒼牙なんだ。眞琴さんの脅しなんか何処吹く風で相手もしていない。
 あちゃー、こんな反応が返ってくるんじゃないかって、予め予想はしていたんだけど、それでもやっぱり祝言を挙げる前にハッキリ言っておかないといけないこともあるってワケだ。

「…ッ。ちゃんと、判ってるさ」

 持っていた白無垢の裾から手を離して、俺は頬に触れている怒りっぽい蒼牙の掌に触れると、目蓋を閉じてその大きな手に頬を摺り寄せながら、溜め息のように言った。
 俺が触れると蒼牙の手の力は緩んだんだけど、怒りを滲ませている目付きに変わりはなく、俺は目蓋を開くと腹立たしげに睨んでいる、これから俺の一生の全てを抱き締めてくれる生涯の伴侶の顔を見詰めたんだ。
 何故だと腹を立てている蒼牙、なぁ、俺が言いたいことが判らないのか?
 俺の身も心も全て、俺はお前にあげたんだ。
 その俺が、どうしても、その条件だけは飲めないって言ってるのに、判らないのかよ。
 なんでも、全てパーフェクトにこなせる蒼牙だけど、人の心は移ろい易いから判らないんだよな。
 俺だってそうだ、この瞬間でさえ、蒼牙の愛が欲しくて仕方ないんだから…

「だってさ、俺、お前の子供を授かってしまったら、やっぱりお前と同じぐらい、いやそれ以上は愛してしまうと思うんだ。だから、お前だけを愛することはできないんだよ」

「俺以上に愛するだと?それはダメだ。そんなことは許さん」

 双眸の凶暴性はなりを潜めたものの、でも、蒼牙はまるで子供みたいに唇をへの字に曲げて、唐突に俺を抱き締めてきたんだ。
 思わず眞琴さんの手を離すは、角隠しは歪みそうになるはで散々だったんだけど、それでも俺は、そんな風に憎まれ口を叩きながらも、俺が子供を愛してしまうことをけして否定はしなかった蒼牙が愛しくて仕方なかった。
 俺は幸せで仕方なくって、思わず幸福全開で笑いながら蒼牙の背中に腕を回して抱きついていた。
 …こんなことがあったもんだから、お色直し(?)をしなくちゃいけなくなって、本当は婚礼の儀の開始時間は延びてしまったんだけどな。
 巫女装束を身に纏った眞琴さんに先導されて、俺と蒼牙は式場となるご神殿に入場した。俺たちを先頭に媒酌人夫婦である親族のおっちゃんとおばちゃん、それから俺の(何時の間にか来ていた)両親と蒼牙の養父である直哉と伊織さん、それから血縁関係の近い親族が順に並んでの入場だったから思いっきり緊張するよなぁ。
 神棚に向かって右側が蒼牙と呉高木家の親族、左側が俺と楡崎の親族が並ぶんだけど、媒酌人夫婦は俺たちの後ろにそれぞれ並んだようだった…ってのも、角隠しも重いし、振り返って確認とかできる雰囲気じゃなかったからな。
 全員が揃ったら、斎主が入場するんだけど、その姿を見てビックリしてしまった。
 神事に携わっている素振りなんかちっとも見せなかったくせに、厳かで荘厳な雰囲気の中、神職の姿をした桂が入ってきたんだ、驚かずにいられるかよ。

(そっか、桂さんはこの呉高木家の神社の神主でもあったのか)

 なんか、ビックリしまくりだよな、おい。
 最初に行われるのは『修跋の儀』と言って、全員起立して拝礼をする。それから斎主である桂が御祓詞(はらえことば)を唱えながら、新郎新婦、それから参列者の身を浄めるためのお祓いをするんだ。そのお祓いが終わったら全員着席した。
 で、 『斎主一拝』ってのがあって、全員起立し、斎主である桂が神棚に向かって一拝をするんだけど、それに合わせて全員で一拝をしないといけない。これは神への敬意を表し、一度おじぎをするってことで、一礼とも言うんだそうだ。
 それから『祝詞奏上』 ってのがあって、これは斎主が神に結婚の報告と結婚を祝う祝詞(のりと)を奏上、つまり読み上げるのをみんな起立して聞くんだけど、桂が着席したら俺たちも着席する。
 神前結婚しきってのは、なんか屈伸運動が多いような気がして、やっぱり身体には結構負担がかかるけど、ここで倒れるわけにもいかないんで、俺は気合を入れて臨んでいた。
 つーか、両親が来ていることにも驚いていたんだけど、花嫁が結婚前に両親にお別れの言葉を言うじゃないか?そう言うの、俺にはなかったよなと考えていたけど、そう言えば、呉高木の家に来る前の日に俺、母さんにはちゃんとさよならを言ったんだよな。
 長い間有難う…って、今にして思えば、あれが花嫁が両親に向ける言葉に似てなくもないかなと思う。
 どんな気持ちで、母さんはそれを聞いていたんだろう。
 てっきり俺は、普通のしがないサラリーマンをして、普通の女の子を嫁さんに貰って、普通の可愛い孫を作って、それを抱き上げながら恙無く同居する…って、母さんは思っていたんじゃないかなぁ。
 だからあの日、あんなに寂しそうに泣いていたんだ。
 もう、戻ってくることはないだろう、旧家に嫁いでいく息子を、どれだけ複雑な想いで見送ったんだろう。
 いやもしかしたら、母さんも楡崎の人間だから、俺の行く末は判っていたのかもしれない。
 父さんがあれだけだらしなくても、母さんは必死に俺を育ててくれた。
 そんな母さんを見ているから、俺もきっと、子供には優しくありたいと思うんだ。
 物思いに耽っているうちに、『三献の儀』が終わっていた。『三献の儀』と言うのは、三三九度の盃を交わす儀式のことを言うんだ。巫女の姿をした眞琴さんが俺たちの前に大中小の3つの盃とお神酒を持ってくる。飲むときには、1.2.3と三回、盃を傾けるんだけど、1、2回めは口をつけるだけで、3回目に飲み干すようするんだと。三つの盃を三回ずつ飲むから、三三九度と言うんだそうだ。
 順番は最初に小の盃(一献め)を新郎である蒼牙が受け、まず飲み、新婦である俺に渡し、俺が飲むんだ。それから中の盃(ニ献め)も蒼牙が受け、まず飲み、俺に渡し、俺が飲む。最後に大の盃(三献め)で、それもやっぱり新郎である蒼牙が受け、まず飲み、新婦である俺に渡し、俺が飲む…と言う順番になっている。
 三献の儀ってのは、「式三献」とも言われ、宮中などで正式な祝賀のお祝い膳の初めに供された盃三献に由来するんだと、繭葵が婚礼の式の前に話していた。一献ごとに酒肴が変えられるんだそうだが、内容は「熨斗鮑」のしあわび(別名うちあわび)、「搗栗」かちぐり、「昆布」などだ。「打ち(のし)、勝ち、よろこぶ」という縁起を担いだってワケだな。戦国武将たちも出陣前に三献の盃を飲み干して勝ちどきをあげたってんだから、これがどれだけ重要な儀式だか判るよな。祝賀、婚礼、大切な客人の接待、宴席、出陣などで用いられる儀式として受け継がれてきたんだそうだ。現在では神前結婚式の一連の儀式の中でも最も厳粛な儀式の一つになってるんだから、ボーッとしてるワケにはいかなかったのに、俺ってヤツはやれやれだ。
 それから『神楽奉納』があって、『誓詞奏上』があるんだけど…この段階で、俺はちょっとウルウルしてしまった。
 だってさ、これっていわゆる『誓いの言葉』ってヤツなんだぜ。
 俺と蒼牙が神前で誓いの詞(ちかいのことば)を読み上げる儀式なんだ。
 まずは蒼牙と俺が神前に進み出て一礼し、蒼牙が誓いの詞が書かれた巻紙を持って読み上げるんだ。読み終わったところで、蒼牙は名前を述べて、俺が自分の名前を述べるんだけど…蒼牙は、威風堂々とした態度で、耳に心地好い朗々とした声音で読み上げた。その姿を盗み見ながら、この瞬間、俺は蒼牙のお嫁さんになったんだと、自分の名前を言う時、ちょっと声が震えてしまった。
 嬉しくて、気恥ずかしくて…でも、やっぱり幸せだったから、ウルウルしちまったんだ。
 読み終えたら、蒼牙は誓詞をもとどおり巻き直したあと、神前に献上するんだけど、『玉串案(たまぐしあん)』ってのに乗せるんだな。
 俺たちは二礼二拍手一礼をして、『誓詞奏上』の儀式は終わる。
 この後は、『指輪交換の儀』があったんだけど、本来、神前結婚式ではこんな儀式はないんだけど、蒼牙がどうしても指輪の交換はしたいと言ったから、特別に設けられた儀式なんだそうだ。
 巫女装束の眞琴さんが指輪を持ってきてくれて、蒼牙が俺の左薬指に結婚指輪を嵌めるんだけど…その時、蒼牙は真摯な双眸で俺を見詰めたんだ。照れとか、気恥ずかしさとか、蒼牙からは伺えなかったけど、これからの決意のような、生涯を守ってみせるからな…と、その不思議な青味を帯びた双眸が物語っているようで、やっぱりここでも俺は思わず泣きそうになっていた。
 まるで永遠の誓いのような、甘い束縛のように、左手の薬指の指輪が嬉しい存在感をズシリと感じさせてくれた。
 俺、たぶん、毎日この指輪を眺めてはニンマリするんだろうなーとか、そんなことを考えていたら、涙目で笑ってしまった。
 そんなはにかむような顔をして蒼牙の左手の薬指に指輪を嵌めたら、蒼牙は、やっぱり同じように万感の想いを秘めた双眸で指輪の嵌る薬指を見詰めていた。
 洋風の結婚式じゃないから、キスとかできないんだけど、できれば今すぐ抱きついて、愛してると言って誓うように口付けたいなぁ…と思うのは、護り神である龍神さまに悪いよな。
 思わずエヘヘヘッと笑っていたら、『玉串奉奠』の儀式が始まった。『玉串奉奠』って言うのは、『たまぐしほうてん』と読むんだけど、神式の儀式に於いて神前に玉串を捧げる、謹んで供えると言う意味なんだそうだ。
 巫女の眞琴さんが玉串を持ってきて、俺たちはその玉串を受け取り神前に進んだ。それから一礼して玉串案に供え、一歩下がってから二人揃って二礼二拍手一礼をする。俺たちに続き、媒酌人、親族代表の順で玉串をお供えする。
 これが終わったら『親族盃の儀』と言う儀式があって、これは『御親族御固めの儀』とも言うんだそうだ。両家の親族の固めの盃を交わすってワケだな。親族の前に眞琴さんがお神酒を注いで、全員にお神酒が注がれたら一同起立をして酒を飲み干す。飲み干す際には、三三九度のときと同じように、1.2.3と三回、盃を傾けるんだけど、1.2回目は口をつけるだけで、3回目に飲み干すようにしないといけない、だからみんなそうしていた。
 俺が寝てる間に両親と親族が集まっていたのか…声ぐらい掛けてくれれば…ってそうか、まだ結婚式前だってのに蒼牙に散々抱かれてヘトヘトの身体で両親に会えるワケないか。
 思わずガックリしそうなところで『斎主一拝』 と言う儀式に入った。
 それから退場で神前結婚式は終了となるワケだが、この退場のところから、呉高木家の結婚式は様相を変えちまうんだよな。
 『斎主一拝』が終わった瞬間、固唾を呑んで見守っていた村人の間で歓声が上がって、思い切り拍手されるんだ。それを機に、親族一同もワイワイとお社の前の境内みたいなところに敷かれた緋毛氈の上に銘々、村人たちと座って、飲めや踊れや歌えの大宴会に突入するってワケだ。
 あの爆裂娘も「光太郎くん!おめでとうッッ」と叫びながら、行き着く先はダッシュで緋毛氈の宴会場に突撃ってところだ。目指すは酒と肴と歌に踊りか?はぁ、元気いいよな繭葵。
 でも、祝福されるのは悪い気はしないから、大いに飲んで食って歌って踊って、今日の日を一緒に祝って慶んでくれ。
 そんな繭葵を見送った俺は、大役を終わらせてホッと息を吐いて用意されている椅子に腰掛けたんだけど、蒼牙が気遣うように俺の、指輪の嵌っている左手を取ると、口許に引き寄せながら言ったんだ。

「大丈夫か?」

「ちょっと、スゲー緊張したから草臥れたけど、うん、大丈夫だ」

 ニコッと笑っても、蒼牙は苛立たしそうに眉間に皺を寄せて、角隠しに隠れてしまいそうな俺の顔を覗き込んできた。

「具合が悪いようなら、無理はするな。アンタは大事な身体なんだ」

「何を言ってんだよ、蒼牙。お前だって大事な身体なんだぞ。無理はするなよ」

 思わずアハハハッと笑ったら、蒼牙のヤツは片頬でニヤッと笑って、誰も見ていないのをいいことに、屈み込みながらチュッと唇にキスしてきたんだ。
 俺がビックリして目を白黒させると、蒼牙は俺の手を握ったままで屈み込んでいた上体を起こして、やっぱりニヤリと笑いやがる。

「洋風の婚礼の儀では、こうして神の前で誓いのキスをするんだろ?龍神にも俺たちの仲を認めてもらおうじゃないか」

「…なんだよ、それ。って、でも嬉しいな」

 顔を真っ赤にしながらも、俺はドキドキと高鳴る胸を押さえて、嬉しくて笑ってしまった。
 俺たちの背後では大宴会が村ぐるみで催されて、お囃子の音まで聞こえて、調子に乗った何人かが踊り始めたりするから、ドッと歓声が沸き起こった。
 元気がいいよなぁ…とか思いながらも俺は、涙腺が弱くなっている双眸で、愛しくて仕方ない不思議な青白髪の龍の子を見上げたんだ。
 ああ、コイツととうとう結婚したんだなぁ、俺。
 本当ならとんでもない運命に導かれて結ばれたんだろうけど…なんと言うか、どんな運命だって、こんな幸福な気持ちにしてくれるのなら、どんと来いって気分だ。
 蒼牙がそうしたように、龍神様の前でもう一度、俺は誓いたいよ。

「蒼牙…俺はこんなだけど、お前が迷惑に思わない限りはずっと、お前について行くからな。何が起こっても、俺は蒼牙を愛して、蒼牙を信じ続けるから、だから…」

 だから…蒼牙も。
 どうか、俺を愛して欲しい。
 俺を信じて欲しい。
 できれば…愛人とか持って欲しくない。

「俺、自分がこんなに嫉妬深いって思わなかった。もし俺に子供が授からなくて、蒼牙が俺以外のひとを…女でも男でも、愛人にしたらどうしよう。そんな時はきっと、俺はどうにかなってしまうって思うんだ」

 唇を尖らせて、涙腺が弱くなっているから、ポロリと頬に涙が零れたら、蒼牙は無言のままでそんな俺を見下ろしているようだった。
 だって、呉高木の因習では、もし正妻に子供ができない時は、何人でも愛人を囲ってもいいんだ。呉高木の資産は、俺が見たこともないぐらいの桁を有しているし、不動産も世界各国にあるぐらいの大金持ちなんだぜ。愛人の50人ぐらいは余裕で持てるんだ。
 心配がないって方が、どうかしてる。

「俺さ、頑張るからな。お前に愛されるように、頑張ってみせるからな」

 角隠しが重くてあまり顔を上げられないんだけど、涙の零れる頬を拭いもせずに、俺は蒼牙の顔を見ようとした。
 ふと、蒼牙が吐息したようだった。

「言いたいことはそれだけか?」

 声音は何故か、当初、蒼牙に出会ったときのように尊大で冷やかだった。
 だから、妙に不安になって眉を寄せたら、いきなり抱き上げられてビックリしてしまった。
 だってよ、白無垢と角隠しって結構重いんだぞ!しかも、俺は普通の男のガタイはあるんだから、スゲー大きな花嫁さんを抱き上げてるんだぞ。しかも、不機嫌以外に表情も呼吸も乱れていないんだから…どうかしてる。

「アンタは俺の妻だ。たとえば俺が誰かを愛人として娶ったとしても、アンタは黙って俺の傍にいなければならない。どれほどアンタが逃げ出したくても、俺の傍から離れるワケにはいかないんだ。アンタはこの場でそれを誓い、後悔すらできない立場になった」

 うん、判ってる。
 俺は甘えたことを言っているんだ。
 角隠しで顔が隠れてしまえばいいのに…俺はポロポロ泣きながら唇を噛んで、黙って蒼牙の言葉に頷いていた。

「…その逆もある。たとえば、俺がアンタに夢中になって、片時も離さなかったとしても、アンタは黙って俺の傍にいなければならない。どれほどアンタが逃げ出したくても、俺の傍から離れるワケにはいかないんだ。俺は人一倍、嫉妬深いからな。光太郎が泣いて謝っても許しはしない。たとえそれが、我が子に向ける愛だとしても、俺に向ける以上に愛情を傾けることは許さない。そう、言わなかったか?」

 冷徹で冷やかな口調ではあるんだけど、それは裏返しの愛情だと気付いている。気付いていても、俺は零れる涙を止めることができないし、そんなの理不尽だよなぁと思わず笑ってしまう。

「光太郎…たとえ相手が俺たちの子供だとしても、村人たちだったとしても、いいか?俺に向ける以上に、その心を砕くことは許さん。アンタはこの日より、俺だけのものだからな」

 俺に泣かれるのは辛いと言う本音もよく判るけど、今日の蒼牙は、たとえ俺が泣いても許してはくれないようだ。
 眩暈がするような蒼牙の執着は俺だけを求めているから、俺は、なんつーのかな?その、嬉しいとか思ってしまうのは、やっぱり俺もどうかしてるのかもしれない。
 でもさ、どれも杞憂に過ぎない誓いだったんだと思い知らされる蒼牙の台詞に、俺はポロポロと泣きながら、やっぱり傲慢で尊大で、でも、それら全てがとてもよく似合う呉高木家の現当主の絶対的に俺を手離さないと躊躇いもせずに宣言してしまう、その偽りのない直向な心を愛しいと思っていた。

「蒼牙、愛してるよ…」

 俺の愛はきっと、蒼牙と言う突風にこれからも散々翻弄されるんだろうけど、それでもこの愛は、そんなに軟じゃないから振り落とされないように確りとしがみ付いて、どこまでもクルクルとついてまわるんだろう。

 蒼牙…俺はお前を愛しているよ。
 最初の頃、あれだけ嫌いだと思っていたのに、ずっと憎めなかったのは、お前の愛が俺には眩しくて、そしてとても羨ましかったからだ。
 いつしか俺が忘れてしまった、純粋で直向で、真摯な想いが身体の隅々まで行き渡って…どれほど俺が、幸福を噛み締めて、でもこれは一時の夢なんだと自分に言い聞かせて、溺れてしまったら後戻りはできないと怯えていたか判るか?
 俺は男で、お前も男だから、一夜の遊びに高い金を出して俺を買ったんだと、これは割り切らなければいけない愛なんだって、俺が泣いたことをお前は知っているか?
 だから、蒼牙。
 お前こそ、覚悟を決めるんだ。
 俺はもう、お前を愛することを諦めたりはしないからな。
 これからの長い月日を、お前だけに心を砕いて…ああ、本当にそうして生きていければいいのに。
 まるで、全てが夢みたいで、このまま目が覚めなければいいのに。
 これが儚い運命のような縁だとしても、俺は千切れてしまいそうな運命の糸を手繰り寄せて、ぎっちり結んで、お前が知らないうちに絶対的な絆にしてみせるんだからな。
 だから…どうか、蒼牙。
 このまま俺を攫って、お前の愛で雁字搦めにしてくれ。
 それが俺の、唯一の望みだ。

第一話 完