第一話 花嫁に選ばれた男 3  -鬼哭の杜-

 呉高木蒼牙との初対面を唐突にしてしまった俺は、できれば関わり合いたくないタイプだと瞬時に悟ってしまっていた。でも、蒼牙の方はそうじゃなかったらしく、上機嫌で鼻歌なんか口ずさみながら俺の手を取って山の中を気侭に散歩している…そう!俺たちはあのまま別れたんじゃなくて、半ば強引に腕を掴まれて勝手に散歩に付き合わされてるんだ!!
 ブスッと思い切り不機嫌なツラをしてるってのに、それとは対照的に蒼牙の表情は極めて明るい。
 思い切りノロノロと歩いている…ってワケじゃない。山道に草履はやっぱちょっと辛くてさ、歩き慣れている蒼牙の速度に追い付けるわけもないし、引っ張られてるに任せているってのもどうかしてるのかもしれないけど。

「見ろ」

 不意に立ち止まった蒼牙に声をかけられて、俺はもうちょっとですっ転ぶところだった。
 しかもコイツ、ちょっとだとかなんだとか、声をかける前の予備みたいな言動は全くなくて、唐突に「見ろ」だからな。なんて言う横柄さなんだ!
 これもやっぱり、本家の当主ともなると我侭放題ってことなのか?いや、ますますムカツクなコイツ。
 立ち止まると同時に腕を引っ張られたおかげであわや転びそうになったところを、蒼牙の広い背中に鼻をぶつけながら受け止められる形で助かった俺は、こちらを振り返りもしない本家の御当主様の横顔をムゥッと眉を寄せて睨んでやった。

「綺麗なところだろ?」

 俺の気分や感情なんかはまるで無視して言うだけ言った蒼牙にますますムカツキながら、それでも指差された場所を見てビックリしてしまった。
 明らかに人工物だと判るのは架けられた石造りの小さな橋だけで、横たわる清流は眩しい緑と苔生した岩肌を覗かせる岩に囲まれて滾々と水を湛えて流れている。今までムカツイてばかりいて気付かなかったけど、もう随分と夕暮れになった日差しはそれでもまだ高くて、キラキラと葉に夕日を反射させながら、奥入瀬の清流をコンパクトにしたような小川が涼しげに流れている様子は、それだけでも涼しい気分になるんだけど、実際にあんなに掻いていた汗はサッと引いてしまった。
 ああ、本当だ。

「綺麗だ…」

「雨量の多い梅雨時はここには来られないがな、この時期は一番の清涼スポットさ」

 言うだけ言うと、もうちょっとこの場所で涼んでいたい俺の気持ちなんかお構いなしに、蒼牙は俺の腕を引っ張ってそのまままた歩き出してしまったんだ。
 いやもう、俺帰りたいんだけど…
 流石に当初、俺だってギャアギャアと反発したんだけど、コイツはどう言った強靭な神経の持ち主なのか、いやたぶん、心臓に剛毛でも生えているんだろう、我が道を行く精神でもって俺の言い分なんかまるで聞きもせずに今に至っているというワケだ。
 だから俺がガックリと項垂れて、最早反論もできないでいる状況でも仕方ないって判って貰えるはずだ。
 全く、なんてヤツだ。
 ブツブツ呟きながら腕を引かれるままに歩いていると、また唐突にピタリと足が止まって、相変わらずグイッと腕を引っ張られて転びそうになる。
 その背中に何度目か鼻をぶつけて、コイツいつか絶対ぶん殴ってやると決意を固めて睨み付けようとしたけど、まさかこっちを見下ろしてるなんて思ってもいなかったから不覚にもドキッとしてしまった。
 夕暮れの日差しを背にした表情は上手く読み取れないが、その光の加減によっては青っぽく見える意志の強そうな意地悪そうな黒い双眸だけはハッキリと見えるから、余計に弱気な心臓が跳ね上がっちまったんだろう。

「な、なんだよ?」

 それでも意地になってムッとした顔をしたままで睨み付けたら、蒼牙はちょっと頬の緊張を緩めたようで、なんだ、コイツも少しは緊張とか人間らしい感情を持っていたのか。

「覚えてもいないんだろうな、この場所で俺たちが出会ったことを」

「へ、そうだったか?」

 不意に思ってもいなかった台詞を言われて、俺は左手にある小さな白い花が絨毯のように敷き詰められた空間を見ながら首を傾げてしまった。いや、ハッキリ言ってスッカリ忘れちまってたからな。

「…俺には大事な場所だったんだ。そこにアンタが来たのさ」

 なるほど、蒼牙にとって大切な場所を、当時の俺はズカズカと踏み込んで荒らしちまった。それにムカツイて今回のような嫌がらせを始めたってワケか。
 なるほど、それで合点がいったぞ。

「よし判った。俺が悪かった!だからもう、こんな悪ふざけは止めにして俺を家に帰らせてくれないか?」

 この通り、頭は何度だって下げてやる。
 まだ子供の頃のことなんだから、これぐらいで許してくれよ…って、自分よりも年下の男にプライド捨てて頭下げてるんだから、いい加減許してくれねーかな?
 頭を上げた後、恐る恐る蒼牙の顔を見上げたら、ヤツはまるで17歳には見えないほど大人っぽい表情をしてシニカルに笑ってやがるんだ。
 う、なんだ?

「矢張り覚えてないんだな。まあ、それでも構わんが…」

「覚えてないって?俺は…わわ!?」

 そりゃ確かに綺麗サッパリ何も覚えちゃいないが、それよりもどうして俺は今、蒼牙に突き飛ばされてあの白い小さな花が可憐に敷き詰められた場所に背中から仰向けに倒れなきゃいかんのだ!?

「イテッ!」

 フワッと白い花弁を散らして咲き誇る花を押し潰しながら、抵抗する間もなく俺が倒れ込むと、思った以上の素早い動作で蒼牙はそんな俺に覆い被さってきたんだ。

「あわわわ…」

「ふん、面白いヤツだ。さあ、本気の抵抗とやらを見せてみろ。さもないと今日、この場所でアンタの純潔を奪うことになるぞ」

 それでなくてもどんな顔をしていいのか判らない俺は、両手を顔の横で押さえ付けるようにして組み敷かれた状態で、そんな恐ろしい台詞を吐かれてしまってますますどうしていいのか判らなくて、酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせてしまう。
 いや、もちろん。
 こんなのは性質の悪い冗談だよ…な?
 恐らく、とんでもない形相で真上にある蒼牙の青味がかった不思議な瞳を見詰めながら、蒼褪めた俺は動き辛い首を必死で左右に振っていた。
 蒼牙はそんな俺の双眸を覗き込んで、眉を上げると同時に肩を竦めながら言いやがる。

「そんな哀れそうな目をするな。抵抗とやらを見てみたいだけかもしれないんだぜ?そら、必死で逃げてみな」

「ちょちょッ…ちょっと待て!お前はッ!なんでそ…んなことッ…ばっか、…言うんだ!?」

 首筋に顔を埋めてキスしながら鎖骨に舌を這わせる蒼牙の悪戯を避けながら、必死で暴れる俺の声は変な風に跳ね上がったり、舌が縺れたり、自分自身ちゃんと言葉になっているのか判らないほど動揺して抵抗しまくった。でも、蒼牙にしてみたらそんな都会育ちの抵抗はどこ吹く風なのか、思う以上に強い力で捩じ伏せながら暴れる俺の口を少しかさついた唇で塞いできたんだ!

「…んぅ!…ッ」

 乱暴に歯列を割り開いて口付けながら、蒼牙の指先は実に巧みに浴衣の胸元から忍び込んで、何が面白いのか俺の乳首を抓んできたんだ。口が自由に使えるんだったら、今頃俺はふき出して信じられないものでも見るような目付きで蒼牙を見ていたに違いない。
 いや、現時点では両目をこれ以上はないぐらいに見開いて、その間近にありすぎて霞んでいる蒼牙の顔を両目を見開いて凝視してはいるが…
 おい、お前。
 一体何をしてるんだ!?

「んー!んー!んー!」

 口唇を塞がれたままで自由になった片手で胸を悪戯する腕を引き剥がそうと試みるが、そうかその前に、まずはこの気持ち悪いぐらい蠢いている舌を口から引き抜かないとダメなんだ。
 そう考えて、どちらにしろ無謀な行為だったんだろうけど、俺は胸元の掌をそのままに、
蒼牙の額に自由になっている片手を当てて引き剥がそうとした、が!これが易々とは離れてくれなくて…と言うか、蒼牙がその気でもならない限り、どうもこの他人の口腔内を我が物顔で這い回っている舌を引き抜くことは到底出来そうもない。
 さあ、困ったぞ。
 巧みな舌先が俺の舌に絡み付いては軽く吸われ、それでなくても酸欠でクラクラする頭は熱を持ったようにボゥッとしてしまう。ああ、いかん。このままでは思考回路が停止して、あのおぞましい台詞の通り俺の貞操が奪われちまう。

「…ゃ、めろッ!この変態!!」

 漸く渾身の力を込めて唇をもぎ離した俺は、諦めずに顔中にキスを落とす若干17歳とはとても思えない呉高木蒼牙の顔を簸た睨みに睨みつけて声を上げていた。
 もう殆ど条件反射だったと思う。
 男にキスされて胸を這い回る掌に乳首を擦られたりして、それでなくても猛烈な羞恥心に苛まされてるんだ。何か言ってないとどうにかなりそうだ。

「変態だと?ふん、面白いことを言うな。じゃあこうしたら、アンタはなんと言うんだ?」

 顔を起こした蒼牙はふと小憎たらしい笑みを浮かべて、いきなり俺のトランクスを引き下ろしやがったんだ!

「!?」

 呆気に取られていると半勃ちになっている俺の息子を扱き始めるから、思わずクラクラと眩暈がした。これはたぶん、きっと暑さなんかのせいじゃない。そんなに弱い性格だとは思っていなかったんだが、どうも俺は、この非常事態に思考回路が追いついていけそうにないようだ。
 そんな風に戸惑っている間に、男ってのはかなり悲しい生き物で、本能に従って立ち上がった息子はもっと激しい刺激を強請るように先走りの涙をボロボロと零し始めた。
 ああ、お願いだから勘弁してくれ。
 こんなのは悪い夢だと言って、誰か俺の頬を引っ叩いて目を覚まさせてくれないかな…?
 そんな馬鹿らしいことを考えているもんだから、集中力が疎かになって蒼牙の手淫に喜ぶ息子がますます涙を零す羽目になっちまう。

「…ッ、ぁ…やめ、そう…が!…やめて、くれ!」

 最近、自分で弄るのも忘れていた俺の息子は、他人から与えられる初めての快楽に歓喜して、易々とその手に堕ちていく。ダメだと知りながら甘美な快感は、俺の思考回路の奥にある本能をドロリと溶かしてしまって、悲鳴のような声を上げながらも腰は強請るようにはしたなく動いている。
 なんだ、これは…俺はどうなっちまったんだ!?

「ここをこんなにして止めて欲しいのか?肛門までぐっしょり濡れてるぜ?」

 ピンッと指先で弾かれただけでもイキそうなのに、そんな風に耳元で囁かれて尻の穴に指先を咥えさせられたりしたら俺は…俺は。
 羞恥心で顔が真っ赤になるじゃねーか!

「んなことッ…す…から!…ヘ…ッタイ…なんじゃねーか!!」

 顔を真っ赤にして快楽の波に押し流されないように必死に理性に縋り付きながら蒼牙を睨んでいると、呉高木の現当主様はニヤッと形の良い口角を釣り上げて笑うと、有無も言わせずに俺の片足を抱え上げやがったんだ。

「うひ~」

 そんなあられもない姿にされて、なんで俺がこんな目に遭わなきゃいかんのだと思わず泣きそうになってしまったが、蒼牙の次の行動で一気に頭から冷水を浴びせられたように浮かされていた熱が足許まで下がってしまう。
 思わず目を見開いて蒼牙の、あの珍しい青みがかった黒い双眸を覗き込みながらその表情に答えを探そうとする俺を、呉高木の当主は何が可笑しいのか咽喉の奥で笑いながら覆い被さってきたんだ。
 その瞬間、本来なら出す行為にしか使用しない小さな窄まった器官に押し当てられていた、熱い鉄の棒を柔らかなゴムか何かで包んだような物体の先端がグッと押し入ってきた。
 全てを咥え込むには狭すぎて、先走りの滑りだけではどうしようもない太い杭の衝撃に、ギチギチと悲鳴を上げる小さな器官の痛みはダイレクトに脳天を貫いてくる。

「…ッ!ぅあ!…あ、ああッ」

 やめてくれ!と叫びたくても声にならない悲鳴を飲み込んで、生理的に浮き上がる涙を頬に零しながら、噴出す汗に全身ぐっしょりと濡れていく錯覚を感じて俺は、思わず蒼牙の着流しの胸元を掴み掛かっていた。
 できたら殴らせてくれ。

「…んの野郎!な、に考えてんだッ!抜け!早く、抜けよッ」

 痛みのせいか、額に嫌な汗がビッシリと浮かんで、尻に同じ男の逸物の先端部分を咥え込んでいるなんとも情けない姿だったが、そんなこと気にしている余裕なんかあるか!
 蒼牙の方も激しい俺の締め付けに、それ以上進むこともできずにどうやら躊躇しているようだ。
 判ったから、抜け。

「抜け?ここまで来た男が素直にはい、そうですかと言って抜くとでも思っているのか?お目出度いヤツだな」

 お前にだけは言われたくない。

「ぁ!…ひぃ」

 ほんの少し腰を押し進められて、俺はか細い悲鳴を上げてしまう。
 こんな凶悪な圧迫感を全て飲み込まされたら、多分俺の尻は裂けちまうだろう。そんな恐怖心が余計に俺を駆り立てて、締め上げるはずの胸元を掴んだ拳は力なく開いて、それでも必死にその身体を押し遣ろうと格闘している。
 肩に担ぎ上げられた足とは反対の足首を掴まれて、もうどんな格好をしているのかもどんな体勢になっているのかも判らない俺は、半分以上泣きながら蒼牙の胸元をメチャメチャに叩いていた。
 23にもなる大の男が、17歳の男に組み敷かれて泣いている図なんてのは…大事な場所を荒らしたヤツへの制裁にしてはスマートで滑稽で、楽しいじゃねーか。こん畜生ッ!

「…ぅ、…あぅ!…あぁッ…ひッ」

 強引に身体を押し進めてくる蒼牙のその気迫にとうとう根負けした俺は、襲ってくるだろう激しい痛みを予想して諦めたように歯を食い縛った。息子なんか萎えちまって、縮こまっている。
 先端を咥えさせられただけでこの痛みなんだ、その先を予想しただけでも…気絶しそうだ。
 悲惨な気持ちなんかまるで無視したお構い無しの、問答無用でグググ…ッと、蒼牙の持つ凶悪な灼熱の兇器が俺の胎内に潜り込もうと狭い器官を切り裂きながら押し入って来ようとしたまさにその時だった。俺と蒼牙の荒々しい息遣いと鳥の声、山に吹く風の音しかしない空間に、俺を救う低い声が静かに響き渡ったんだ。

「蒼牙様、お止めください」

 山に静かに響いた声音はこんな姿の俺たちを見ても、全く動揺すらしていないように淡々としている。それでも蒼牙には何か感じるところがあったのか、小さく舌打ちして上体を起こした。俺の胎内に少しだけ納まっている先端は、親切にも引き抜こうとしてはくれないがな。
クソッ!

「桂か。見て判らないのか?俺はお楽しみの最中だ」

 苦しそうに喘ぐ俺をチラッと一瞥しただけで、それでも顔色一つ変えようとしない黒スーツを着こなしている桂は、目蓋を伏せるようにして目礼してそんな蒼牙に毅然とした声音で言った。

「蒼牙様、まだ祝言を挙げてはおられません。どうぞ、楡崎様をお放しくださいませ」

「嫌だね。これは俺の花嫁だ。好きなときに純潔を奪って何が悪い?」

「どうぞ、蒼牙様。楡崎様をお放しくださいませ。祝言を挙げられる前に純潔を奪われた者は花嫁になる資格をも失ってしまわれます。花嫁候補はまだ2人もいらっしゃいます。楡崎様を妾とされるのなら何も申し上げませんが。ご判断を、蒼牙様」

 ニヤッと笑って血の気の失せた俺の手を掴んで唇を寄せる蒼牙に、桂は無表情のままで言葉を重ねる。その態度が気に喰わないのか、蒼牙はまるで駄々っ子のように唇を尖らせた。

「2人の花嫁候補など俺は知らん。花嫁は光太郎だけでいいと言っただろうが」

「蒼牙様」

 低い声音は独裁者の魂をも震え上がらせるのか、一瞬そんな錯覚をした俺の目の前で、蒼牙は派手に舌打ちしてわざと乱暴に俺の胎内から灼熱の兇器を引き抜いたんだ。

「…ぁうッ」

 ビリッと痛みが走って思わず声を上げる俺を見下ろした蒼牙は、わざわざこの山道を俺たちを追ってきてくれたのか、それとも監視でもしていたのか、いずれにせよ目の前にひっそりと佇んでいる桂に向かって素っ気無く言い放った。

「光太郎を介抱してやれ。俺は先に戻っている」

「畏まりました、蒼牙様」

 それでも然程怒っているようには見えない様子で立ち上がった蒼牙は、軽く身支度を整えてから恭しく頭を垂れる桂と、だらしなく浴衣の胸元と裾を肌蹴た、まさに犯されそうになった姿で呆然としている俺を無視してサッサと歩いて行ってしまった。
 呆気に取られて見送る俺の傍らに、音もなく近付いてきた桂はニコリともせずに。

「では楡崎様。肛門の手当てを致しましょう」

 悶絶死してしまいそうな台詞をさらりと言って、俺の片足を掴んだりするからぶっ倒れそうになっちまった。
 主が主なら従者も従者だ。
 波乱の幕開けは、蒼褪めた俺の悲鳴から始まった。

 結局、治療らしい治療なんかせずに、と言うか、治療らしい治療なんかさせてやらずに、って言うか結局は未遂で終わったんだから本当は何事もなかったんだけど、それでも挿入されそうになったと言う衝撃で足が萎えてしまった俺は恥ずかしくも桂におんぶしてもらって山を下りることになったんだ。

「桂さん、すみません…」

 蚊の鳴くような、消え入りそうな声で詫びを入れると、この暑さで黒スーツなのに額に汗も掻かずに涼やかな相貌をした桂は、なんでもないことのように首を左右に振って背中で縮こまる俺を元気付けてくれたんだと思う。いや、何も言ってくれないから判らないんだけどな。
 ペラペラと何かを喋られても、今は嫌な気分になるだけだからそれはそれでいいんだけど。

「…花嫁候補は俺以外にもいるんですね」

 それでも、俺にとっては願ってもないことだったから、どうしてもそのことだけは聞いておこうと背中越しに桂に言ってみた。寡黙な男だから必要なこと以外は主に忠実で喋らないかもしれないけど、聞いておく価値はあるはずだ。喋ってくれればの話なんだがな。

「先々代の弟君のお孫様と、楡崎様のように分家の方がいらっしゃいます。私は楡崎様のお世話をするお役目を申し付かっておりますので、どうぞ、ご不満などございましたらお申し付けくださいませ」

「不満なんてないけど…強いて言えば、家に帰りたいかな」

 はははっと笑ってみたけど、それに対する桂の返事なんか期待していなかった。どうせ、何か言ったところでこの人は、ただ黙っている壁のように聞き流すんだろうから。

「私は蒼牙様の花嫁は、御当主自らがお選びになった楡崎様を置いて他にはいないと確信致しております。数多の思惑を抱えたご息女様方はお持て成し致しますが、あくまでもお客様でございます。この屋敷の奥方様は楡崎様でございますので、どうぞ、毅然とした態度でいらっしゃってくださいませ…申し訳ございません。差し出がましいことを申し上げてしまいました、どうぞお聞き流しくださいませ」

 驚くことに、桂は黙ってはいなかった。
 それどころか、蒼牙の花嫁は俺しかいないなんて言う恐ろしい発言を熱っぽく語ってくれたりするから、なまじ顔が見えない分、この人にも感情らしいものがあるのかとホッとしつつも、やっぱり屋敷の部屋で感じたように畏まって言われてしまうと今更、そのご息女様たちと喜んで代わっても構いませんが?とか言えなくなってしまう。

「…でも、一体誰が花嫁を決めるんだ?」

「蒼牙様ご本人でございます」

 思わず桂の背中で気を失いそうになった俺は、しっかりしろ!と自分を叱咤して気を取り直した。
 蒼牙本人って…じゃあ、花嫁候補なんか要らないんじゃ…
 そもそも蒼牙は、ほぼ無理矢理わざわざ楡崎の家から男である俺を花嫁候補に仕立て上げたんだ、さっきも俺だけでいいとか言ってたし、恐ろしいことに結果なんか目に見えてるんじゃないのか?
 いやでも待てよ、そうは言っても本当の本命は祖父の弟の孫娘とかで、俺は嫌がらせにその女の子たちの間に恥を掻かせるためだけに呼び寄せた、と言われてもおかしくないからなぁ…うーん。

「蒼牙…様はその、変わってるな。俺は男なのに花嫁にするだとか…」

「変わってなどおられませんよ。蒼牙様は、貴方様が十三夜祭りの巫女装束をお召しになっている姿を見て想いを寄せられたのでございます」

 十三夜祭りか、そう言えば昔、この村の行事だとかで誰かが倒れて代打したことがあったっけ?女の服なんか着たくないと駄々を捏ねて、親父に拳骨食らって耳を引っ張って連れてこられたんだったな。
 はぁ、思い出したくもない昔話だ。
 確か十三夜祭りは巫女と鬼の悲恋を物語る踊りを踊るんだ。
 なんか内容とか良く判らんし、殆ど遣っ付けで踊ったんだけど蒼牙はどこにいたんだ?
 まあ、大方お偉い御当主だ、上座とかに座って高見の見物でも決め込んでいたんだろう。

「はぁ…もしかしたら桂さんたちにとってはなんでもないことなのかもしれないけど、男である俺にとっては今回の件は、充分過ぎるぐらい度肝を抜かれたんだよね」

 どうせ、単なる愚痴ですよ。
 そんなの言ったところで、もうここまできたら諦めるしかないんだろうけど…恥を掻いて終わるんなら、まあ話は別だけどさ。
 あんな、あんな行為を本気でしたいなんて蒼牙が思っていると考えるぐらいなら、男のクセにノコノコとこんなところまで来て花嫁面するなんて恥ずかしいヤツだ、とでも言われてサッサと追い出された方がまだ100万倍もマシってもんだ。
 充分すぎるぐらい興奮していた蒼牙の灼熱の兇器が、グリッと潜り込んできた瞬間のあの感触を思い出してゾッとしちまった。
 まだヒリヒリと痛む小さな器官がその感触を思い出したのか、ひくんと震えて窄まった。
 あわわ、何を考えているんだ俺よ!

「正直、私も驚きました」

 不意に、この村で桂に出会って初めて、この人が笑う声を聞いた。
 表情までは見えなかったけど、それでも、微かには笑っていただろうと思う。
 次の瞬間にはもう元の桂に戻っていて、「申し訳ありません」と耳に心地好いあの低い声で呟いたんだ。
 俺はなぜかもっとこの人と話していたいと思って、いや、多分こんなところで散々酷い目に遭って、唯一助けてくれた桂を親のように慕う心が芽生えていたって言った方がしっくり来る感情で、肩の力を抜いて話しかけたんだ。
 それに、誰かと話していた方が、心に焼き付いちまった衝撃が少しでも楽になるような気もするしな。
 俺、こんな女々しいヤツじゃなかったんだけどなぁ…

「桂さんでも驚くんだな」

 俺が別に気にしていないように軽く笑って聞いたからか、自分の発言に感情を害していないと察知した桂は、幾分かホッとしたようにポツポツと話してくれた。
 それは、あんな風に蒼牙の花嫁は俺しかいない!と熱っぽく語るんじゃなくて、淡々と、それでもただの世間話のような気安さで、本来寡黙な人なんだろうと思わせるような口の重たさで、でも聞いていて嫌じゃない会話だったと思う。

「ご幼少の砌よりお世話させて頂いていた蒼牙様が、12歳になられたばかりのある日、先々代に仰られました。花嫁を見つけたと」

 12歳でいきなり花嫁を見つけたとか言われた爺ちゃんは、一体どんな思いで孫の顔を見たんだろうな…

「先々代は驚かれたようでしたが、本家の後継者とあれば御自分の伴侶を見つけるのは当たり前のことだと、大変喜んでおられました」

 ああ、そうか。やっぱ喜ぶのがこの村じゃ普通なのか。
 普通の生活をしている俺たちみたいな一般ピープルだと、12歳で結婚だなんだと言っていたら早すぎるとか言って拳骨の一発ぐらいお見舞いされるんだろうけどな。いや、今は違うな。幼稚園児ですら将来を約束し合う世の中だ、その点で言ったら蒼牙は最先端だったと言うワケか。ふーん。

「そのお相手をお尋ねになったところ、楡崎家の光太郎様だと仰られて、さすがに先々代もお言葉がありませんでした。畏れ多くも、この私めも同席を許されておりましたのでその場にいたのでございますが、驚いてしまいました」

 遠い日を懐かしむように呟いた桂さんに、俺はそりゃあ爺ちゃんもぶっ魂消て寿命が10年は縮まっただろうなと言いそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。
 この村は呉高木家こそ神なんだ、下手なこと言ったら殺されるかもしれない。

「後日先々代はこう仰られておりました。寿命が十年は縮まってしまったと」

 それを聞いて思わず俺は吹き出しちまった。
 そっか、蒼牙の爺ちゃんも俺と同じようなことを考えちまったってワケか。
 まあ、当たり前と言えば当たり前なんだろうけど。

「それで、よく先々代が許したな」

「はい。蒼牙様のご意思は強く、その分、その意思表示として先々代とお約束された文武両道をお貫きになられました。そうされますと先々代も頑なに拒むわけにもゆかれず、ご承知致したのでございます」

「認めちゃったのか!?…まるでアンビリバボーな話だ」

 言葉とは裏腹にガックリ項垂れそうになる俺に、桂はふと、それでなくても低い声をもっと潜めて、まるで眉間に皺でも寄せている表情が浮かんできそうな声音で言葉を続けたんだ。

「ですが、先代の直哉様がご反対されまして、蒼牙様の花嫁候補にと先々代の弟君のお孫様と分家の大木田家のご息女様とのお話を進めてしまわれたのでございます。それにご立腹された蒼牙様が、早々に楡崎家へ養子縁組を申し出られたのでございます」

 なるほど、グッジョブ狸親父!…ってことかな?
 俺が溜め息を吐いてそうだったのかと呟くと、何を勘違いしたのか、桂は「とんでもございません」と、いきなり静かではあるが強い口調で言い返してきたんだ。

「蒼牙様の花嫁様は楡崎様以外にはおられません。どうぞ、弱気になられずに凛といらっしゃってくださいませ」

「いや、そう言う意味じゃないんだけどね…」

 それ以上話すとまた、蒼牙の花嫁は云々と話がヤバイ方向に続きそうだったから、俺はそれを曖昧に受け流して黙ることにした。だってこの桂と言う人は、黙っていても別に気にならない空気のような人だからな。
 ただ、悶々と考えていたんだ。
 狸親父が招待する息女たちがどんな女で、どういう風にしたらソイツらに蒼牙を押し付けることができるのか…だってさ、あんな話を聞いたからには、どうしても俺はこの呉高木家の嫁にならないといけなくなりそうじゃないか?
 そんなのは嫌だ。
 俺は男なんだ。
 養子ならまだしも、花嫁として迎えられ、蒼牙と毎晩あんなコトをしないといけなくなるんだぞ。
 花嫁とはそう言う意味だ。
 俺は桂の背中に負われると言う恥ずかしい格好のままで、下唇を噛み締めて考えていた。