Act.30  -Vandal Affection-

 暫 く俺たちは呆然とその場に突っ立っていた。
 こんなところにいたって、時間の無駄だってのは良く判っている。でもなぜか、名残惜しい何かが後ろ髪を 引っ掴 んでいて、ここから立ち去れずにマゴマゴしているんだ。

「ここにいたって何も始まらん。どうやら一階上に投げ出されたみたいだ。さて、どうする?」

 傍らで手持ち 無沙汰 に突っ立っている須藤のヤツが、腕を組んで顎をしゃくりながら俺をチラッと見て首を傾げている。どうする…って俺に聞かれてもな。このままここから飛び降りるってのも気が引けるし…ってか、こんなところからダイブできるほど俺の心臓はそれほどタフじゃないって。

「取り敢えず、だ。まずはこの階を調べてみよう。おおかた、どこかに非常階段でもあるだろうし」

「佐鳥くん」

 不意に桜木の小さな声がして、俺と須藤が声のした方に振り返ると彼女は柵から離れた場所にある白い扉の前に立っていた。

「見て?ここ、ここが開くよ。他にも開きそうだけど…ちょっと遠いみたいだから」

 案外、桜木の方が実は結構タフなのかもな。
 俺と須藤は顔を見合わせると、肩を竦めながらちょっと呆れてしまった。
 小さく笑って、そうだな。
 桜木の気持ちを考えたら今は何も考えずに先に進む方がいいんだろう。

「須藤、行くぞ」

「…OK」

 頷いて、俺は桜木を脇に寄せるとマシンガンを構えた。
 銃弾なんてもう数える気にもならなかったけど、だからっていちいち文句を言うヤツはもういない。ここがどう言う状況の場所かってのは、もう十分把握できてるからだ…とか言ってるけど、実際はなんにも判っちゃいないんだ。
 なんせ、初めて手に入れた重要文書を得体の知れない変態野郎に燃やされちまうし、やたら逃げまくるばかりでこれまでの場所で何か発見していたとしてもかなりの確立で見落としている予感がする。いや、確信とでも言うか…
 まあ、だから今は慎重なんだけど。
 白い扉はどうやら鍵が壊れているオートロックなのか、少し突いただけで向こう側に開きそうだ。
 この施設(遺跡?)は 椎名文太郎 が発見するよりも以前に、恐らく遺跡をカモフラージュにしたこの施設内で、何かの実験中に事故か何かが起こったんだろうな。施設内をウロつく化け物地味た研究員も、ここは地下で、光合成もしないで生きている 羊歯植物を元にして作られたような得体の知れない植物も、突然馬鹿でかくなっていたあの蜘蛛も…なんにしたってこの施設に存在する全てがおかしい。
 どんな研究をしていたんだ?
 まさか、何かのウィルスとかで感染してあんなになっちまったんじゃないだろうな。
 だとしたら俺たちは…って、俺はバカか?
 感染してたらとっくの昔に俺たちだってあの研究員みたいになってるって。ったく、これだから大学の連中に『脳味噌筋肉野郎』って陰口を言われるんだ。
 そう、ウィルスだったら何らかの形で俺たちも感染しているだろう。そしたら、黒ずんだ肌で、皮膚は裂けて…でも傷口は膿んで弾けた筋肉組織を覗かせながら痛みすらも感じていない様子で迫ってくるあのゾンビの様になっちまってるのか…

「佐鳥?」

 ゾクッとしたら、突然行動を止めてしまった俺を 訝 しげに見ている須藤に肩を掴まれて唐突にハッと我に返ったんだ。

「いや、なんでもない」

 そう言ってもいまいち納得していない顔の須藤は、それでも片頬を上げる独特の皮肉げな笑い方をしてふんっと鼻を鳴らしやがった。

「ボーっとしてるってこた、お前。まさか腹が減った、なんて言うんじゃないだろうな?」

 医務室での一件を思い出して思わずブスくれた俺は、気を取り直して白い扉を押し開いた。
 扉の向こう側は…チッ。
 もう見慣れてしまった白い壁に覆われた回廊だ。青い色のくすんだリノリウムに、汚れてしまったスニーカーが足跡をつける。埃の積もった床にはその他に足跡が無く、閉鎖されてからの時間の流れを物語るような 静寂 に支配されていた。
 ほんの少しでも何か行動の 痕跡 でも残っていれば… 或 いは何か掴めたのかもしれないんだけど。結局はここでも大した収穫なんて得られないんだろうと俺が溜め息をつきかけたその時、唐突に少し離れたところにある左斜め前の扉が激しく内側から押し開けられたんだ!

「!?」

 俺は背後から入ってこようとしていた須藤と桜木を突き飛ばしてマシンガンを構えた。

「佐鳥!?」

 須藤の驚いたような声が上がるけど、今の俺にはそんなモンに構っているヒマはなかった。
 なんてこった!
 それでなくても残量がたかが知れてる武器しか持ち合わせてねぇってのに!
 不気味な 唸 り声を上げて姿を現したボロボロの研究員たちは、ある者は足首が奇妙に捩れたまま骨を晒して近づいてくるし、ある者は脇腹から内臓を垂らして近付いて来る。虚ろに空洞を晒す眼窩は奇妙な液体がこびり付いていて…クソッ!

「須藤!…お前の銃弾の数は!?」

「ああ?…数十発ってとこだ!」

「佐鳥くん!?どうしたって言うの!?ねえ!」

 俺が立ち塞がるようにして扉を覆っているせいで内部の状況を理解できていない桜木は喚いているけど、逸早く状況を察した須藤がマガジンを確認したのかどうか、取り敢えず答えを寄越してきた。

「…そうか。そなれなら大丈夫だな」

「佐鳥!?」

 俺はそう呟くと、徐に開いている扉に手を掛けて力いっぱいその扉を閉じたんだ!

「さ、佐鳥!どうしたって言うんだ!?」

 くぐもった悲鳴のような声が聞こえて、それでも俺は、その扉を開けるわけにはいかなかった。

「それだけ銃弾があれば大丈夫だ!できることなら、地下でまた会おうぜッ!!」

「佐鳥!」

「佐鳥くん!」

 ドンドンッと扉を叩く音が聞こえたけど、俺はイカれちまった電子ロックの下にある手動でもできるロックを下ろして鍵を閉めた。うまくいけば別の場所から抜け出すことだってできるだろう、だけど今は、ここで三人とも死ぬわけにはいかねーんだ。
 賢い須藤のことなら判ってくれるだろう。
 今度会うとき、会えたら。
 桜木はまた 愚痴 ってくれるかな…
 少し笑って、俺は扉から俺を目掛けて襲いかかってくる半端じゃない数の研究員たちを睨み据 えた。数少ない銃弾しかなかったけど、研究員たちとは違う方向に走り出しながら威嚇発砲して奴らの意識を俺に引き付けたんだ。
 案の定、こちらで何が起こってるのか気付いたのか、扉を叩く音がすぐに止まって気配がなくなったようだ。獲物を見失った研究員たちが 一斉 に方向転換すると走っている俺を追って来やがったから、それがなんとなく理解できた。凄まじいスピード…ってワケじゃないから、難なく振り切ることができる。だが、前方から新手が来たりなんかするともうダメで、だからこそ前方にも注意を払いながら進むしかない。
 それでも進むしかない。
 肩で息をしながら両サイドにある白い扉を押したり引いたりしてみるが閉まっていて、なるほど、この階で壊れていたオートロックはあそこだけだったのか…ってこた、須藤たちは。
 ヤバ…くはねぇだろう。
 アイツのことだ、出られないと知れば残り少ないとは言え的確にロックの部分を撃ち壊すだろう。
 研究員たちは俺を追って来てたから、もうあの場所にはいないだろうし…銃声で方向は教えたつもりだから、馬鹿じゃなきゃ俺の後を追って来ようなんてこたしねーだろう。
 はぁ、疲れた。
 走り回ってヘトヘトになった俺は、どこか遠くで銃声がしやしないかとハラハラしながら薄汚れた白い 壁 に背中を凭れて休むことにしたんだ…けど、壁だとばっかり思っていた場所はどうやら扉だったらしく、俺は唐突に開いた空間に背中から 敢え無 くダイブしちまった!

「おわ!?」

 転がるようにして入り込んだ俺の目の前で、扉は音もなく無情に閉まる。

「…ててて、なんだって言うんだよ?」

 強かに打ちつけた後頭部を擦りながら上半身を起こして周囲を見渡すと、そこは回廊になっていて、どこかの通路に出てきたようだ。
 須藤たちとは反対の壁に凭れていたってこた…あの一帯には部屋になっているスペースと、その更に奥に通路と部屋があるんだな。二重構造ってワケか。
 薄ぼんやりと明るい通路はどれも同じなのか、一辺倒で壁が白い。青いリノリウムだけが階層ごとに違うようだ。

「ここから下に行く階段なんてあるのかよ…?」

 虚しく呟いてはみたものの、だからってこのままここでじっとしてるワケにもいかなくて、俺は溜め息をついてマシンガンを構え直した。
 ヘビが出るにしろジャが出るにしろ、一先ずはここからの脱出を考えよう。
 下に行って須藤たちと会うのはそれからだ。
 アイツら…無事でいてくれよ。
 俺はそう願いながら歩き出した。