Act.31  -Vandal Affection-

 奇妙な違和感がある。
 それがなんであるのか、とか、そんなことは判らないんだけど…この違和感はなんなんだ?
 あのジャングルで感じていたのと…そう大差ないような気もするんだけど。
 俺は薄ぼんやりと天井のライトが照らす長い回廊をマシンガンを構えたままで歩いていた。
 左右にはくすんだ白い壁が続き、こんなところにいるとどうかなっちまいそうな気がしてくる。いったい、この広い施設で何があったって言うんだ?
 奇妙と言えば施設が地下にあるってこともかなり奇妙だ。
 でもそうか、地上にこんな目立つ施設を建築しようものなら世界中の注目を浴びるぐらいには、高いビルになるんだろう。そうすると嫌でも人目につくワケだから危険な研究はできない、ってことは、ここではかなり危険な研究をしていたことだけは間違いないってことか。
 あんなに追って来ていた研究員もなりを潜めていて、全くの静寂が支配している。
 化け物が、どこに潜んで獲物を待ち受けているのか…考えただけでもゾッとする。
 身震いして、俺は唯一の武器であるマシンガンを構え直すと、その金属的な音を聞いて少しだけ安心した。銃弾は、もう殆どない。
 こんな状況下で、どうして須藤たちと離れてしまったんだろう…
 考えたって仕方ないんだけど、あんな数の化け物と化した研究員を相手にたった三人で何ができるって言うんだよ。せいぜい、殺されちまうのがオチってもんだ。
 一人でなら逃げ切れる自信があった。
 でも三人じゃ、どうしたってダメな時もある。
 須藤だってそれを感じたんだろう、アイツは頭がいいから、きっと桜木を助けて階下に行ってくれる。
 きっと会える。
 …なんてな。
 そんなこた、身勝手な願いってもんだ。
 こればっかりは…判るわけねーよ。
 アイツだってこんなわけの判らん状況下で、 臨機応変 に対処できるってだけでも凄いことなのに、桜木って言う 足手纏 いを抱えて化け物の 巣窟 を潜り抜けて階下に来いってのも…
 俺も凄いことを頼んじまったと、 今更 ながら後悔してるってのも本音だ。
 足手纏いなんて言ったら…桜木は頬を真っ赤にして怒るんだろうな。
 …俺は、アイツらを助けたいと思いながら、本当は自分が楽な道を勝手に選んじまったんじゃないのか?
 それこそ、自分の性格のゾッとする部分がいきなり浮き彫りにされたようで、俺は心臓が早鐘 を打つような早さでがなり立てる音を耳元で聞いていた。冷や汗が浮かぶ、嫌な気分だ。
 壁に手をついて緊張感と、また別の意味でも浮かび上がる汗を空いている方の手で拭っていると、唐突に壁にポッカリと空間が開いて、俺はまたしても汗を拭ってる態勢のままその空間に倒れこんだんだ!

「な、なんだって言うんだよ!?」

 態勢を崩して倒れ込んだもんだから、強かに肩を打ち据えて眉をギュッと顰めた俺は、痛めた肩を庇うようにして起き上がりながら毒づいていた。
 薄暗い回廊はいよいよ足元が見えるか見えないかと言った感じだ。周囲の埃臭さでここが長いこと使われていないことが判る。
 なんてこった、またワケの判らん場所に迷い込んだってことかよ…
 もう、手当たり次第に壁を触りまくるか、それともどこにも触れないで進むべきか…
 どちらにしろ、元いた場所に戻ることはできそうもないようだ。
  畜生 …どうも、なんか、おかしんだよな。
 どうしてこう、隠し扉みたいなモンがあるんだ?
 俺は目を凝らさないと見渡せない周囲の様子を窺いながら一歩ずつ進んでいると、どうやらここが広い部屋、と言うか、広い研究室のようなところだと判った。
 …どうも俺は、この部屋に導かれていたらしい。どこを見渡しても広いこの研究室には扉らしいものがないんだ。
 『隠し研究室』…そんな言葉が脳裏を過ったその時。

「ッ!?」

  唐突 に首筋に鋭くて熱い痛みを感じて前のめりに倒れ込んでしまった。首筋を押さえながら俺は、痛みに 霞 む目を 歪 めながら背後の何かの気配に振り返ったんだ。
 振り返ったその先、薄暗い闇の中で 微 かに 煌 く光を見たような気がする。
 あれは…眼鏡か?
 ああ…クソッ。俺ってヤツは、またあの変態野郎に捕まったってことかよ…
 それからすぐに、意識は深い闇に落ちていった。

「くっくっく…」

 男の、やけに 粘 りつくような、 咽喉 の奥に 絡 んだような 哄笑 が響いて、俺はふと、深い意識の 混濁 から目覚めた。

「…?」

 周囲は薄暗く、良く目を 凝 らしてでさえ辺りの様子を窺うことは困難だった。
 ここは…どこだ?
 身動きしようとして、不意に腕の自由が利かないことに気付いた俺は、ハッと我に返ったように本格的に 覚醒 した。
 そうだ!須藤たちとわかれて俺は、別の道に進んでいた。それから変な隠し研究室のようなところに迷い込んで…ん?迷い込んだ?
 ギチッと手首に食い込む 縄 の感触に、俺は我に返った。
 なんだって言うんだ!?
 腕の自由を取り戻そうと 躍起 になって暴れたけど、 縛 り方が複雑なのか、前に回された両腕はビクともしなくて余計に縄が食い込んできやがる。
 ふと、デジャヴュのようなものを感じて、俺は 眩暈 がした。
 そうだ、あの変態野郎に捕まった時も確か両手を縛られていたような…今度は柔らかいベッドじゃなくて冷たいタイルの床の上だけどな!
 変態野郎…そうか、またアイツに捕まったんだ!

「くくく…暴れろ、暴れろ!その方が楽しめるってもんだ」

  下卑 た笑いに 紛 れた英語のイントネーションで、俺を捕まえた野郎がアイツじゃないって事が判った。判って驚きはしたものの、だからどうにかなるってワケでもないし…
 どうやら最悪の事態のようだって言うのに、俺の恐怖に 麻痺 した 脳味噌 は思うような答えを弾き出してくれない。

「お前は誰だ!?」

 前で縛られているから噛み切ろうとした俺はそれが無駄な努力だと判っても必死で止めなかった。噛んでも噛みきれない…いったいどんな材質で出来た縄なんだ!?まるで何でも御座れって施設だな!
 闇に漸く慣れてきた両目を細めながら、俺は必死に声のする方向に怒鳴っていた。

「ボクが誰だか知りたいのかぁ?その前に、キミに紹介したい人たちがいるんだけどねぇ」

 キヒキヒと奇妙な笑い声を上げる男の薄気味悪さに嫌悪感を感じながら、俺はふと須藤と桜木、それから生息の確認ができていない連中のことを思い出した。

「だ、誰か、俺の他に誰かここにいるのかよ!?」

「いるよぉ!」

 研究室の無機質な壁に反響した思ったよりも大きな声が、耳を覆いたくなるような金切り声になって俺は思わず眉を顰めてしまった。

「なんだぁ…?その顔は!反抗的なヤロウだ!!」

 まずい!機嫌を損ねちまったら誰かが危ない。モチロン、俺も危ない。
 せめて誰が捕まってんのかだけでも聞かないと…

「悪かった!頼む、お願いだからソイツの名前だけでも教えてくれよ」

 懇願するように頼み込むと、男はヘラヘラと笑って洟を啜った。

「おいおい、マジかよ?他人の心配をする前に自分の事を考えたらどうだぁ?」

 どこかラリったような口調に背筋の冷えを感じながら、俺はコイツがまともな精神状態じゃないことを知ってますます竦みあがりそうになった。
 なんとか意識をその誰かから俺に集中させたくて、腕の戒めを解こうとさらに神経を研ぎ澄ましながらも、俺はこの施設で初めて出会った、あの生きた人間だったアイツとはまた違う狂気の匂いがする口調の、その見知らぬ男に声を掛け続けることにしたんだ。

「な、なぁ。アンタ、誰だよ?ここに来て二人目の生存者だし、せめて名前ぐらいは教えてくれたっていいだろう?」

「ひっひっひ…名前ねぇ。可愛い事を言うじゃねぇーか。ボクはフィリップ。さあ答えたんだ。今度はお前の番だろ?」

 ジャリ…ッと砂を踏み締めるような音を響かせたソイツが近付いてくるのを感じて、俺はできるだけ遠ざかろうと尻で後退さろうとした。けど、背中はすぐに冷たい壁に当たって、逃げ場所が後方にないことを教えてくれた。教えてもらったってあんまり有り難くはないけどな。
 できるだけ神経を 逆撫 でないようにしながら…それが 媚 びるように聞こえたのか、フィリップは俺の顎に伸ばした指先で頬を擽るような仕種をした。カサついた指先はゾッとするほど気持ち悪い。震え上がりそうになる嫌悪感を抑え付けながら、俺は唇を噛み締めて抵抗はしなかった。

「どうしたぁ? 怯 えて声も出ねぇって感じだなぁ?ええ、おい」

 擽っていた手で強く顎を掴まれて、俺は咄嗟の行為に苦しさを感じて僅かだが喘いでしまう。

「…ッ、こう、光太郎だ」

「コータロー?へえぇ、奇妙な名前だなぁ、おい?あの女を犯ろうかどうしようか悩んだんだけどよぉ、それじゃぁスタンダード過ぎて面白味がねぇだろぉ?だから、お前にしたってワケさ」

 生臭い息が顔に吐きかけられて、すぐそこに得体の知れない男がいるんだと判った。
 お、女?ってことは、桜木か三浦女史ってことか!?須藤か博士がいるのかもしれねぇ、この状況をまずはなんとかしないと…
 クソッ!でも腕を縛られてるんじゃ、何も反撃できねーよ!…ん?腕?
 そうか、よし。いちかばちかだか勝負してみるか。腕がダメなら…

「足だ!」

 不安定な場所での足技はかなり高度なテクが必要だが、そんなことを考えてるヒマなんかねぇっての! 勢 い任せの成り行き次第ってヤツさッ。
 だけど…

「甘ぇ、甘ぇ!甘ぇっつーんだよ、このバカが!」

 言うなり男、フィリップとか言うソイツは勢いだけで繰り出した俺の蹴りを、まるで見えているかのように簡単に受け止めて足首を掴み直すと、そのまま床に 引き摺り倒しやがったんだ!

「クッ!」

 後頭部を強かに強打した俺が痛みに一瞬怯んだ隙に、どうやらしゃがみこんでいたソイツは立ち上がると、癇に障るけたたましい声を張り上げて笑いやがった。

「活きがイイねぇ!犯りがいがあるってもんだ!」

 ゾッとするような事を言ってのけたフィリップに俺が青褪めた視線を向けると、まるで本気で楽しんでやがるヤツは小馬鹿にしたように声を引き 攣 らせて笑い続ける。

「イッツショーゥタイム!」

 どこか調子っぱずれのその声と同時に明かりが付いて、眩しさに目を細めた 途端 だった、前で縛られていた腕がグンッと勢いよく上に引っ張られて、俺はそのまま釣り上げられてしまった。

「!?」

 驚きに愕然とする俺の目の前で、フィリップは鋭利なコンバットナイフをちらつかせながらニヤニヤと寒気すら覚えるような目付きで俺を見ていた。片手にコンバットナイフ、片手には暗闇でも通常通りに見えるって言う、暗夜スコープらしき物を持っている。肩口まである艶のない茶色の髪は乱れ放題で、白かったはずの白衣は埃や得体の知れない液体で汚れきっていた。鼻を突いているのは汗だとか、そんな饐えた臭いだ。
 蛇のような滑った質感のある目付きに吐き気を覚えながら、コイツの出で立ちがあまりにもあの男に似ていなくて驚いてしまった。まるで正反対だ、いったいどう言うことなんだ!?

「誰かを抱くなんて久し振りだからなぁ、 手加減 なんかしてやらねーぞ!」

 ひっひっひ…と、何がそんなに可笑しいのか、狂ったような哄笑にいい加減ゾッとした俺は、よせばいいのにフィリップを睨みつけて鼻先で笑ってやった。

「いい様じゃねーかよ!男を抱くなんてな。この施設で働かされてたんだろ?案外、お前らも国の実験体だって思われてたんじゃねーのか?お前らの好きなマウスは雄同士でゲージに入れてると堪らずに犯り出すって言うからな。動物だって見られてもしかた…ッ」

 言葉は途切れて、頬に熱い痛みを感じて眉を寄せた。パッと広がる血の味に口の中は切ったんだろうと思う。クソッ!

「立派にモノを言う口を持ってるじゃねーか。ええ?可愛がってやろうかとも思ったけどよぉ、お前はダメだ。お前はひぃひぃ言わせてやる!」

 そんな風に子供地味た口調で言ったフィリップのヤツは、突然、その鋭利なコンバットナイフで俺のジーパンを切り裂きやがったんだ!器用なのかそうでないのか、下着ごと切ったようだが俺の皮膚には傷がついていなかった。
 両手を頭上で縛り上げられて吊るされた状態で、既にボロになっているT-シャツだけで、下半身裸って言うのは恥かしいし不安にもなる。だから俺は、恥も外聞もなく女みたいに内股になって近寄ってくるフィリップを牽制したんだ。

「こっちにくんな!この変態野郎ッ!!」

 どうしてこの施設で生き残ってる連中ってのはこう、男を…しかもこの俺を抱きたがるんだ!?何か呪われてるんじゃねぇだろうな、俺!

「そんな格好で威嚇しても男を煽るだけって判らねーのかぁ?くっくっく」

 ボロのT-シャツで漸く覆うだけの下半身に手を伸ばされて、俺は思い切り腰を引きながらその手から逃れようと試みる。

「あんたが言った他の連中はどうしてるんだよ!?」

 逃げる口実ってのもあるんだが、正直こんな姿を誰かに見られたくないって気持ちも充分すぎるぐらいにあった。だが、強引なフィリップはわざと尻に手を回して双丘の肉を揉みしだくようにしながら太股を触ってきて、俺は鳥肌を立てながら逃げようと身体を揺すった。そんな姿を見て喜ぶ変態フィリップは捕まえている連中の事なんか 微塵 も考えていないとでも言うような仕種をしやがる。
 アイツら…本当に大丈夫なんだろうか?
 いや、他人事じゃないんだけどね、マジで。
 現時点で一番ヤバイのはきっと俺だろう。

「ヒッ」

 思わず声が出たのは、太い指がなんの前触れもなく尻の中に突っ込まれたからだ! 第一間接までギュウギュウと詰めこまれて、胃が競りあがるような 圧迫 を感じながら渋々と飲み込んだ指先は断りもなく内部で動き出した。
 引っ掻くような突付くような…奇妙な感触に吐き気がする。

「こんな時まで他の連中のことを気にするなんて、コータローはお人好しだなぁ…まあ、いいや。その心意気に免じて教えてやるよ、他の連中はボクの可愛いペットと仲良くあっちの部屋にいるんだ」

 子供染みた口調であっちと言われても何処か判らねぇじゃねーかよ!
 ひひひ…と甲高い声で小気味良さそうに笑うフィリップに、俺は尻にヤツの指を咥え込んだままと言う恥ずかしい格好で、それでも間近にある顔に威嚇して歯をむいてやった。

「何をするつもりなんだ!?いいかてめぇ!仲間に何かしやがったら絶対にただじゃおかねぇからなッ」

 俺の剣幕を間近で見ていたフィリップは、呆気に取られた風でもなく、ゲラゲラとさも可笑しそうに笑って俺の腰を抱き寄せながら尻に突っ込んでる指を動かしやがる。うう、気持ち悪ぃ!!

「こんな状況でボクに何ができるんだぁ?可愛いあの女の子を犯すよりもやっぱりキミの方が面白かった!なんてボクは頭がいいんだ!キミがボクにできること」

 ヒィヒィ耳元で生臭い息を吐きかけながら笑うフィリップは、異常に大きく 膨 らませた前を俺の太腿に摺り寄せながら、とうとう指1本を無理矢理捻じ込ませた尻の中を引っ掻くようにして内部から押し広げるような仕種で蹂躙するから、俺は胃がせり上がるような息苦しさと苦痛の綯い交ぜした奇妙な感覚に堪らずギュッと眉を寄せて唇を噛んじまう。
 時折触れる前立腺に指先が引っ掛かって、俺は精液の漏れるような奇妙な感覚に鳥肌を立てた。

「決まってる!ココを遣ってボクを喜ばせるコトさ!!!」

 グリッと、わざと乱暴にしこりの様にあるその部分を思い切り引っ掻いて、大声で笑う狂ったような哄笑を聞きながら、俺は自分が痛いぐらいに勃っていることに気付いていた。
 ああ、なんてこった。
 俺は感じてるんだ。あの変態野郎の時のように無理に感じさせられてるんじゃなくて、グリグリと刺激された前立腺の甘い誘惑に、俺の本能が自分から 陥落 しようとしてる。
 嫌だ!
 嫌なんだ…
 俺は目尻に浮く生理的な涙を堪えながら、嫌々する様に首を左右に思いきり振って、この地獄のような痛みと快楽から逃げ出したかった。
 可愛い女の子…桜木のことか。
 ああ、桜木、俺はどうにかなっちまいそうだ。須藤とお前、きっと助け出そうと思ってるのに…どうして。
 どうしてこんなことになっちまうんだろう…この施設は狂ってる。
 それとも、狂ってるのはこの俺なんだろうか…?
 逃げ出したいと思いながら俺は、どうしてこんな時なのに…思い出しちまうんだろう?
 須藤でも桜木でもない…あの男のことを。
 どうして俺は…
 フィリップの狂ったような哄笑を耳元で聞きながら、俺はキツイ刺激に堪え切れなくなった意識が遠ざかるのを感じていた。
 遠ざかる意識の中で感じた柑橘系のあのいい匂い…でも今、俺の鼻先を掠めるのは饐えった異臭で。
 そんなはずはないのに、けしてそんなことはないのに…どうしてか俺は、あの男に抱かれている錯覚に陥っていた。