Act.34  -Vandal Affection-

 俺たちは結局、元来た道を戻らなければならなくなっちまった。
 タユは俺の速度に合わせてくれているのか、それともいつ化け物が出てくるか判らない…と言うか、あのフィリップがどうなっているのかも判らない場所に戻ろうとしているんだから、恐らく慎重に進んでいるに過ぎないんだろうけど、行きの速度じゃなかっただけ助かった。
 尋常な速さじゃないからな、タユの足は。
 階上に到着した俺たちは、須藤と桜木の姿を捜して漸く、もう見慣れちまったリノリウムの床が敷き詰められた通路にでたんだ。当時は真っ白だったに違いない壁も今は煤けていて、所々に茶色い染みが浮いている。それが何であるかなんて、なんとなくは理解していても、口にまでしたくはなかった。
 迷路のような通路を左、右へと曲がって走りぬけた俺たちの目の前に一つのドアが現れた。

 『資材庫通路入り口』

 俺とタユは顔を見合わせると、ゆっくりとドアの前に立った。喉が上下に動いて、お互いやけに緊張してるなとタユが自嘲めいた苦笑を浮かべて肩を竦めたりするから、なんだか余計に目の前にある新たな道への緊張感を駆り立てやがるんだ。
 ドアノブにタユの手が掛かる。

「ま、待てよ。無防備に開けたりすると大変なことにならないか?」

「…あのさ、コータロー。ここまで来てるんだぜ?何が出たってかまうかよ!」

 タユは一瞬、呆れたような顔をしてノブに手をかけたままで腰に空いてる方の片手を当てながら俺を振り返ると、馬鹿にしたようにそう言って慎重になっている俺を無視しながら一気にドアを開きやがったんだ!
 思わず身構えたけど、そこは研究室が幾つも並ぶ通路へと繋がっていて、両サイドには各部屋への入り口となっていたドアが顔を向かい合わせているだけだった。
 ホッ…としながらも俺は、ムッとしてタユを見た。

「いきなり化け物が襲って来たらどうするんだよ!?」

「いきなり化け物に襲われてるヒトミとヨシはどうしてるんだよ?」

 言い返されてウッと言葉を詰まらせていると、タユのヤツは肩を竦めるだけで腰に挿していたハンドガンを構えて歩き出した。
 予め、タユが手渡してくれていたハンドガンを握り締めながら、俺はその後を追うように一歩一歩、慎重に足を運んでいたが、緊張している感覚を刺激するような物音すら立つことはなかった。
 やがて俺たちの足がまたしても厚い鉄の扉の前で止まる。

「どうやらここがさっきの【資材倉庫】って場所の入り口のようだな」

 タユが俺の前に一歩踏み出して言った。

「ここに入れば須藤や桜木の情報が手に入るかもな…それに、武器の調達も忘れないようにしないと」

「全くその通りだと思うぜ、コータロー。賢いなお前」

 タユのヤツがニカッと白い歯を覗かせて嫌味っぽい笑い方をしながら、俺の方を軽く振り向いて頭をワシワシ掻き混ぜながらそう言うと、ドアのノブに手を掛けた。
 一々、なんかやたら気に障るヤツなんですけども…
 それでなくても髪の毛が脂っぽくなってるってのに、ワシワシされたままの形になっている髪を片手で払っていると重い音を立ててドアが開いた。
 ギッ、ギギィ…
 随分と時間が過ぎているのか、ドアは錆付いたような、軋んだ音を立てて入り口を開けると、意外にもそこは思っていた以上の広さと高さがある通路になっていた。さらに通路はその機能の特徴を生かしているのか、倉庫にもされているようだった。
 ま、資材倉庫って言うぐらいだから、倉庫になっていて当たり前なんだけどな。
 俺は通路に出てぐるっと辺りを見回したんだ。
 さまざまな物資が所狭しと貯蔵されていて、期待以上の収穫が物資面ではありそうだな。

「軽~くゾンビどもや怪しげな生物どもを蹴散らしてここまで辿りついた甲斐はありそうだぜ」

 ハンドガンを構えたままで、タユのヤツは自慢げにそう言った。
 まあ、タユがどんな経由を辿ってここまで来たのか、奴も教えてくれないから判らないけど、たぶん、俺たちと同じぐらいには、いや、もしかしたらたった一人だったんだから、コイツの方がよほど激戦を潜り抜けてきたんじゃないだろうかと思う。
 辛辣になっても仕方ないってことか?
 でも、辛辣ってワケでもないし…なんかこう、俺をからかってるような気がしなくもないんだが…

「アイツらの情報だけだな、タユ」

 俺が言うと「そうだな…」と、タユは突然トーンを落として呟いた。
 少し浮かない顔をしながら銃を腰に戻すと、タユのヤツはどこに隠し持っていたのか、周囲の気配に気を配りながら片膝をついて床にフロア構造図を広げてみせた。

「何だよ、それ?」

 タユの傍らに同じように片膝をついてしゃがみながら覗き込んでみると、ヤツが手にしているモノはどうやら設計図のようだと思えた。

「警備のゾンビが何かを握っていたからな、何かなってまあ、ちょっと拝借してきたのさ」

 ニヤッと笑って俺に答えるタユが、腕のポケットからペンを取り出して印をつける。

「これはここの地図だ。オレたちがまず目指す場所はこの自家発電機ってことになる。この図を見るかぎりだと、この先のフロアに設置されているらしい。少なくともコイツを稼動させない限り、ここ以降のフロアへ足を踏み入れる事が出来ない仕組みらしいぜ」

 そう言いながら地図を俺に寄越すと、スクッと立ち上がったタユが目を細めてその通路の先を見た。通路はストレートに伸びていて体育館などにある水銀灯のような照明ライトが規則正しい間隔で取りつけられている。その照明の光が広い通路で唯一の光源になっているのは誰が見ても明らかだったが、それにしたって明るさが足りないんじゃねぇのか?
 通常はここで多くの従業員達がストックされた薬品や資材などを大型のリフターやフォークリフトを使って取り出したり、収納したりしていたんだろう。だけど、今はそんな様子も人の気配も全くしない。ただ、シンと静まり返った雰囲気と冷たい空気が漂っているだけだ…

「いかにも何かありました…ってニオイがプンプンしてくるな。ここも相当ヤバイかも知れないぜ?」

「まぁ、こんな施設だし。何処に居たってヤバイんだろうけど…そんな事よりも『現場事務所』ってのがあるはずだ。そこに端末があれば何か判るかも知れないんだけど…」

 俺はそう言って近くの荷物に張ってある送り状を見ていた。普通ならば内部の人間に判るように現場事務所の場所が書いてあったりする。それを探っていると、タユが俺の腕を引っ張った。

「ヘイ!あそこに見えるあの小さいドアがそうじゃないのか?」

 確かに他よりも少し明るい感じの光がドアの隙間から洩れていた。
 答えを出すか出さないかと言う前に、タユは強引に腕を引っ張りながら歩きだしていた。
 確かに棚の1スペースをまるまる部屋のように仕切って造られたその空間は事務所の様になっていた。だが、事務所というにはさびしい感じだったがドアから覗いたその場所に置いてある物を見てその考えが消え去った。

「間違いない、ビンゴ!」

 タユはゾンビがいきなり襲いかかってこないか注意しながら、銃を構えたままでその部屋の中に入って行った。その後を追うようにして中に入った俺の目に飛び込んできた部屋の状況は…まるで突然何かにでも襲われたのか、机や部屋の床には書類が散乱していたし、壁には茶褐色の染みが大量に天井にまで飛び散っていてこびりついている。それは、誰が見ても血飛沫の跡だってのはよく判る、だが、どれも既に渇き切っていて生々しさは残っていなかった。

「この状況だと時間が随分経っているようだな…いったい何があったんだ?」

 タユが首を傾げながら辺りを慎重に調べ始めた。

「俺はこっちを調べる。アイツらのことや、武器が置いてある場所だけでも探っておかねぇと」

 俺はそう言って床の書類を拾い上げながら、その一枚一枚に目を通した。
 そして明かりの洩れるパーテーションで仕切られたスペースのドアを用心深く押し開けてみた。そこはシンと静まり返り、コンピュータのファンが回る音以外に存在をアピールしている物はなかった。正確には年代物の扇風機が首を振りながら、主の居ない点けっぱなしのデスクトップへと風を送る音もしていたが、何故だかそれがあまり気にならなかった。
 何気なく室内を見渡していると、その風に煽られてヒラヒラと数枚の書類が捲れ上がる姿が目に止まったから、俺はさほどそんなものは気にならなかったけど、まあ、何かの役に立つかもしれないと単純に考えてそれに手を伸ばしていた。

「何かの送り状みたいだな…【HR-9β版の搬出について】?」

 書類の見出しにはそう書かれていた。
 だが、どれを何個、箱数をどうすると言った指示書きしか載っていないその書類からはソレがどういった物で何に使われる物かなんかはまるでサッパリで、つまり、俺の知識ではそれ以上の情報をそこから検討することはできないってワケだ。

「これは関係無いだろうな…おっ、【弾薬庫への荷物移動依頼書】か、これだよ、これッ!」

 書類に書かれている文字は見出し以外に何も書かれていなかった。強いて言えば規則正しく並ぶ縦ストライプの線だけだったんだ。それに添付された小さな書類に扱い方が書いている。

『担当者各位

 新しい管理体制も導入された反面、入庫の品物も増えています。各人は別紙に記載された【バーコード】を各事務所に設置された端末で読み込ませ、書類を呼び出して作業を行って下さい。

                                                        資材部』

 書類の内容はこのバーコードをどう使うかと言うことだった。つまり、コイツは目の前の端末が使えないと意味が無いってことなんだろう。
 俺が机に置かれたスキャナでその書類に付いているバーコードを端末に読み込ませようとした、その時だった。
 カツカツカツカツカツカツ!!
 俺たちのいる事務所の横を何かが走り去るような気配を感じたんだ。
 いや、気配だけじゃない。
 そう、『音』がしたんだ。

「!?」

 咄嗟に俺は、パーテーションの上から顔を覗かせてタユを見た。
 音と気配。
 単純だがそれが却って今の俺の恐怖心を煽っていた。
 それでなくてもこんな状況下にいるんだ、研ぎ澄まされていく本能って奴が馬鹿みたいに警鐘を鳴らしやがるけど、それでも俺はできるだけ動揺しないようにタユを見たんだ。だが、どうやらタユもそうだったようで、涼しそうな顔をしているくせに額には薄っすらと汗さえ浮かんでいた。
 そりゃそうだろうな、その音は明らかに人間が複数で走ってるようなモノなんかじゃなくて、女のヒールから出る鋭い音の、いや、なんて言うかもっとこう、力が篭った音に似ていたからだ。

「今…何か通らなかったかい?」

 タユが暢気そうな口ぶりで俺に、そのくせ口許の端を引き攣らせて笑いながら聞いてきたんだ。
 俺はこんな音を以前、確か何処かで聞いているような気がしていた。
 だが、ここまでにあんまりにも色んなことが起こり過ぎていて、俺の頭はその音を思い出してくれないんだ。
 その問いは、なぜか俺の頭に浮かぶ僅かな可能性に光を灯していた。

「…いや、音しか聞こえなかった」

 そうだ、行方不明になっている博士たちに、そろそろ出会っても良い頃だ…とか、そんな夢みたいなことを考えていたからなんだろう。ただ、「根拠は?」とか聞かれちまうと答えに苦しむんだけど、俺はできる限りそうであって欲しいと考えていた。そうでなかったら、頭の隅で煩いほどがなり立てるこの警鐘の音を無視することができねぇんだ。
 だけどもちろん、俺には疑問があった。

<考えてみれば、女史はハイヒールを履いていたか…?>

 その言葉が、俺に新たな不安を抱かせやがる。

「タユは何か見たんじゃないのか?」

 タユのいる位置からなら何かが通った姿を、その下ろされたブラインドの隙間から視界に捕らえることができる筈だった。いや、だけど、それならタユは見たモノを説明するじゃないか。
 それに、それがなんであるかなんて判ればタユが即答で教えてくれるに決まってる。

「いや…まあその、何て言うかだなー…」

 奴は首を左右に振って見せる。
 だがその素振りから何かを目撃していることには間違いないってことが判る。
 タユ、何を隠してるんだ?
 やたら心臓の音が早くなって、俺は、一刻も早くこの場所から立ち去りたいような、奇妙な焦燥感に襲われていた。

「ああ、クソッ!冗談はよしてくれよな…これから、用が済んだらさっさと出ようって時に…ッ」

 俺は口ではそう言うものの、その時になってタユが手にしていたマシンガンの安全装置を外していることに気付いたんだ。
 完全に【気のせい】なんて言うおめでたいことはないんだな…

「今、データを…クソッ!急げ、急げッ…よし、メモした!」

 危険を感じていたんだろうタユの奴は、俺の傍に来ると、その言葉と同時に俺の手を掴んだ。だが、それ以上先には進まず、逆に今度はいきなり机の下に押し込めやがったんだ。

「なっ、何…ングゥ…ッ」

「シッ!静かにしてろッ」

 カツカツ……カツカツ……
 さっきの音がする。
 その音の主が僅かだが隙間の開いたブラインド越しに、確かに事務所の中を覗いているような気配を感じたんだ。咄嗟だったが、タユが俺を机の下に隠さなかったら今頃は鉢合わせになっていただろうと思う。パーテーションで区切られてはいるものの、端末の背面は通路に向かっていて、そこにある窓には他と同じようにブラインドが下ろされているだけだ。

「この直ぐ後ろに立ってやがるな…殺気がビリビリ肌を刺しやがる」

 引き攣った笑みを浮かべるタユの額には汗が浮かんでいて、呼吸も早くなっていた。
 俺が、タユを無条件に信頼してしまうのはこう言う時なんだ。
 実際、誰かの戦闘シーンなんてものにはお目にかかったことはねぇが、命懸けで戦う時、まあ映画の影響なんだけどな、人間て奴はこんな風に鼓動を早めながら息を殺して、相手の隙を伺いながら臨戦体勢に入るんじゃないのかな。その動作には無駄がなくて、たとえて言うなら野生の肉食獣が獲物を狙い定めている時のあんな感じ…と言えば納得のいく説明のなるのかどうか…よく判らねぇけど、まさにタユは今、完璧に臨戦体勢に入っているんだ。それこそ本能で相手の力量を感じているのか、やり過ごすにしろ戦うにしろ、どちらでも対応できる体勢に入っていたんだ。
 タユはもしかしたら、かなり場数を踏んだ奴に違いないって、俺の中の本能が教えてくれる。
 結構、嫌味な奴ではあるんだけど、コイツと一緒なら生き延びる可能性がジワジワと湧いてくる気がするんだ。
 タユと一緒なら助かる…そんな途方もない安堵感が。
 だけど、それでも今の俺にはとてもじゃないけど、口で説明できるような【冷静さ】なんて維持できる状況じゃなかった。
 薄い仕切りの一枚向こうに、どんな形状をしてるのかも判らないバケモノが獲物を求めて立っているんだ…想像しただけでもゾッとする。
 そのうえにだ、パソコンモニタ以外の照明が無い薄暗い部屋の壁に、ソイツの姿が影となって蠢いているのを見ちまった俺は、目を丸くして叫びたいのを必死に我慢して息を殺しながら無意識にタユの腕を掴んでいた。
 のっそりと現れたその姿は明らかに人間じゃなかった。
 しかも、それは人間の三倍は確実にデカイ。
 その影が獲物イコールたぶん俺たちを捜しているのか、ゆらゆらと左右に揺れていた。
 もちろん、生きている心地なんてしなかった。するワケがなかった。
 どんな生き物にしたって、その気で体当たりされちまえば俺たちに逃げ場なんかないんだからな。
 それでジ・エンドってこともありえるんだ。
 だからと言って俺とタユが持っているハンドガンなんかじゃ応戦もできないだろう。
 フィリップの落とした武器にしたって、タユが温存させていた武器にしても、弾数に自信がない。
 カツ…カツカツ……カツカツカツカツカツ!!
 息を殺して耐える俺たちとソイツが根気比べに入ってからどのくらい時間が経ったんだろうか、ソイツの方がシビレを切らせてこの事務所内を探ることを諦めたみたいだった。
 その瞬間、何事もなく事務所の前から離れて行く足音が耳に届いてきたんだ。

「ふぅ…行ったようだな」

「参った、突然だったから」

 タユの溜め息を項に感じながらガックリと脱力している俺の口許から手を離して、タユのヤツはやれやれと首を左右に振っているようだ。
 俺の心の奥に忘れかけていたここの常識的な恐怖心が蘇ってくる。
 不思議なことに闘っている時は自然にそういった感覚は麻痺しているんだけど、時間に間隔が空いたり、ほんの少しでも平和的な時間が過ぎてしまうと恐怖心がまた新鮮なショックを与えてくれやがるから参っちまう。
 そうだ、そうだった。
 ここはコンカトス半島で、でもってあの変態野郎のいるような研究所のど真ん中、化け物だってウジャウジャいるんだ。ああ、なんてこった。ここでは化け物が当たり前に徘徊しているってのに、俺って奴は…
 確かに仲間が増えたことで俺の心にゆとりができたことは否定しない。だけど、逆に須藤や桜木たちの行方が判らなくなっているんだ。それなのに、少なからずタユの奴が本格的な訓練を受けているような雰囲気を持っている人間ではないかと言う認識が、俺を危険な方向へと歩ませていたんだろう。
 それは傍にいることで俺の中に芽生えた『誰かに頼れる』と言う安心感。
 まるでタユに頼りっきりになろうとしているそんな気持ちで、まさか俺は、本気でこんな悪夢のような施設から生きて抜け出せるなんて、思っていたんじゃねぇだろうな。
 須藤たちを見つけ出せるって?
 ああ、そうか。
 何時の間にか【先頭に立つ人間が現れた】ことで、俺のなかに甘さが出てきちまったんだ。
 それが今回の一件でハッキリ判った気がする。
 立ち上がって額の汗を袖で拭いながら呼吸を整えるタユの、その横顔にはもちろん余裕なんて見えない。見えるはずがない。
 命の遣り取りに余裕があるなんて馬鹿なことを言うヤツだ誰だ?
 これからは、俺はもっと…

「…ヘイ!コータロー?何を考え込んでいるんだ」

 不意にタユが事務所のドアの前で外の様子を伺いながら俺に声を掛けてきた。

「あっ、えっと…いや…なんでもない」

「…なんだって構やしないが、考え事をしながらの行動はするなよ。命が幾つあっても足りなくなるぜ」

「あ、ああ、気をつけるよ」

 そう言って手に握っていたメモをジーンズのポケットに無造作に押し込んだ。いつのまにか床に置いていたハンドガンを片手に握り締めていた。

『佐鳥、コイツはお前が持ってろよ』

 須藤が不安を顔に出さないようにしながら俺に手渡した銃だ。

『お願い、最後は佐鳥くんしか頼れないから…』

『いや、俺は…』

 その銃に手を重ねながら桜木は俺の顔を見ていたが、彼女も敢えて不安の色を見せることなくニコッと笑うと『大丈夫、大丈夫!!』とガッツポーズをして見せた。
 須藤たちと一緒だった時の、きっとそれは比較的よくある光景。
 今思えば須藤たちに残してきた武器は僅かな弾数のライフルと、火災用に用意された斧と、もう、弾すらもないかもしれない小さなハンドガンだけだ。それだけであんな化け物がウロウロするこの施設の、しかもあの気が狂っていたフィリップが創り出したんだろう化け物どもと命からがらで戦っているのかもしれないんだ。
 そう思うと、急に胸が締めつけられる思いがした。
 奥歯をかみ締めながら拳を握り締めた俺は外の様子を窺っているタユに言った。

「タユ、先を急ごう」

「おい、今度はいきなり何なんだ?」

 俺は制止するタユを無視して事務所から飛び出した。

「やれやれだな。ホント、命が幾つあっても足りないってのはこう言うことだぜ」

 タユが呆れたように溜め息をつきながら首を左右に振って俺の後に続いて出てきたことなんか、まるっきり無視してその倉庫兼通路の長い距離を自家発電機のあるエリアまで走り出していた。こうなったらこっちから行動してやるまでだ。さっきまでここを何かがうろついていたなんてこた関係ないぜ。
 そう決心を決めた矢先に、小さく見える扉の前でヒョロッとした『何か』が立っていることに気付いて俺は、俺たちは足を留めたんだ。
 遠くで【カツカツ……】と言う音が響いている。
 その主は背骨がそのまま伸び出して長く尾のようになり、腕は昆虫さながらに4本へ増え、何よりも人間にはありえない体色がそれを証明していた。
 急にソイツがこっちに向かって走り出して来たんだ!

「ケケケヶ……誰かと思えばぁコータローじゃないかぁ…う、うひへへへ…ッ、さ、捜したよぉ、ぼ、ボクの可愛いおも、おもちゃぁ…」

 気色悪い笑みを浮かべたフィリップの顔がソイツの口からニョキと現れると、不気味に口許を歪めてヘラヘラと笑っていた。
 ただですら薄気味悪いフィリップのツラに粘液が滴っている様子は、遠く離れている場所から見ていても吐き気がしやがる。

「チッ!厄介な相手だぜ、全く。どうやら、あの蠍と融合したようだな」

 タユがそう言いながらハンドガンを構えた…けど、標的が近付くスピードと持っている弾数で仕留められないと判断したのか、タユのヤツは俺の首根っこをひっ掴んで逃げようとしたんだ。

「放せ、タユ!!」

 俺はタユの腕を振り払った。

「こ、このバカヤロウ!そんなオモチャで敵う相手じゃないんだぜ!!」

 タユ、悪いがここで後には引けないんだ。
 この先の発電機を動かさないと…武器輸送用コンベアが動かないってモニターに表示されていた。それに、先に進む道を塞いでいるオートロックも外せなくなるんだよ。
 どうしても…ここだけは譲れない!!

「ダメだ、タユ!!アイツを何とかしない限り、どっちにしたって俺たちは死ななきゃならなくなるんだ!それに須藤や桜木たちも自分を危険に晒しながら俺が来るのを待ってるに違いない!…何があっても、一歩だって引けるもんかぁ!!!」

 俺はフィリップを睨み据えてそう叫びながら走りこんで行く。

「んな…ムチャクチャだなッ、アンタ!」

 タユはそう叫ぶと尻餅を着くような勢いで反転して俺の援護にまわった。

「く、クククッ…馬鹿な連中だなぁ。この進化したボクの餌食にでもなりたいのかぁ~?ふ、くふふふ…いいよぅ、コータローぉ…!お、お前にはぁッ、人間と昆虫の融合が思っていたよりも悪くない事を教えてやるぅぅ!!」

 ヤツが持っているサソリ特有の鋭いハサミが俺を狙う。
 だが、距離を置いて援護射撃の準備をしていたタユが、ここぞとばかりに銃弾をフィリップの眉間目掛けて打ち込んだ。咄嗟に差し出した鋏で反射的に顔を庇ったことで、僅かだがこめかみを掠っただけでヤツの眉間を撃ち抜くことはできなかった。
 だけどそれで十分だ!

「オッサン、下がノーガードだぜ!!」

 難を逃れた俺は絶好のポジションでフィリップの股下へと滑り込んでいった。

「なっ、貴様ぁ!!」

 俺の勢いのある股の下への滑り込みに、フィリップは上から圧し潰そうとしたが、スピードの乗った身体が慣性の力でつんのめってくれた。

「くぎぃぃぃぃーーーッッ!!」

 甲高い悲鳴の様な声で叫ぶと勢い良く後ろから伸びた尾っぽの毒針を振り下ろしてきたが、構造上そっちには曲がらないんじゃないのか?
 思っていたように人間の構造で整形されたサソリの身体には欠陥が多いようだった。
 現に尾っぽも反対側に湾曲できない造りになっているし…結構、昆虫と人間の融合ってのもたかが知れてる感じだぜッ!

「ぐぞおおぉぉぉぉッ!!」

 するりと抜けた俺は一目散に後ろの扉へと駆け出した。

「ナイスだ、コータロー!!」

 ハンドガンをかざしてタユが尻上がりの口笛を吹くと、フィリップの眼光が俺からタユへと向けられたようだった。

「おのれぇ……お前らぁ…ぼ、ボクをバカに、バカにしやがってぇぇ…ッ」

「やっべ、今度はオレの番かい!?」

 ブンッ!!
 ガキッ!!!
 フィリップはジャンプする様にタユの前まで来ると、鋭いハサミの激しい攻撃でタユを仕留めようとしていた。タユは銃身で間一髪の所を受け流したがその威力まで防げずに後ろへと吹っ飛ばされる。

「おわぁっ!!!」

「タユッ!?」

 ゴロゴロと転がりながら後退するタユが口から赤い筋を零しながらゆっくりと立ちあがった。
そして俺に眉を寄せると【早く行け!!】と目線だけでジェスチャーを送って寄越したんだ。

「カーッ!!いいねぇ、いいぞぉ…お前たちぃぃ…!!実に美しい友情だ……実に……美しいぃぃぃ!!」

 フィリップは俺たちの間に立ちながら両手を真上にかざしてうっとりとした顔でそう言った。その間にヨロヨロしながらも、銃身をしっかりと構えたタユはチラッと横のレールに乗ったトロッコに視線を送っているようだ。そしてゆっくりとトロッコに背を向けたタユは銃でフィリップのヤツを狙う。

「死にやがれ、コンチクショウ!!」

 その弾はヤツの右側のハサミに当たっただけだった。
 それと同時に空いていた左側のハサミが鋭い勢いでタユを射ぬいた。
 …ようにこちらからは見えたんだけど、それは大きな間違いだったんだ。
 タユは咄嗟にバック転でハサミの突きをかわすと、そのままトロッコに飛び乗った!
 そして勢いのままフィリップがタユを乗せたトロッコを押し出す形になっちまったんだ。

「何だとぉ!?今度はお前までこ、このボクを利用するだとぉッ…ぐうぅ…許さんぞぉ!!」

 だがフィリップはそう言った後、ニヤッと笑いながら勢い良く飛び出したトロッコがずっと先まで進むのをジッと見ていた。やがて、タユを乗せたトロッコが終点まで着くといきなり車輪止めで止まり、勢いに乗っていたトロッコはそのままひっくり返ってタユを放り出しちまったんだ!
 な、何をしてるんだ、アイツは!?

「ひゃはははッ!一人、片付いちゃったぞぉ…」

 そう言って振り向くフィリップの足を何処からか現れた鉄のバーが薙ぎ払った。

「ウグッ!?」

 足を掬われたフィリップの呻き声が上がる。
 それと同時にモーターの回る音と機械の動く音が、広いが反響する室内に響き渡っていた。
 ウイィィィン!!ウイィィン!!
 俺の操る乗り物が床をワルツでも踊るように優雅に動くと、静かに後ろ向きにタユの方へと戻って行く。

「グググゥゥ……ッ」

 フィリップはまるで昆虫のような動きですぐさま起きあがると、耳障りな足音を響かせて俺を追いかけて来る。その形相は尋常じゃなかった…と言うよりも、既にヤツ自体の存在が異常なんだけど。

「クソッ、電動フォークじゃ追いつかれちまうぜ!」

 バッと俺を飛び越えたフィリップが行く手を遮るようにハサミを振りまわしたんだ!
 咄嗟に旋回してフォークリフトのアームでそれを払いながら後退した。
 フィリップの動きが速いお陰で、思った以上にヤツと張り合えそうだ。

「こ、このぉ…チョコチョコぉ…動きやがってぇッッ!」

 俺がチョコマカと小回りをきかせてヤツの右へ左へと動き回ると、ヤツが俺の動きを追いながらその大きなハサミを左右まとめて突き出すチャンスが訪れたんだ。
 待っていたんだ、この瞬間を!
 ドスッ!!
 アームに反らされたヤツの腕が、後ろの鉄板資材に突き刺さると抜けなくなっていた。

「この、この!!キィィィッ!!!」

 神経質な金切り声が上がる一方で俺は、フォークリフトに用意されていた端末であるモノを操作していたんだ。それはこの場所で、なくてはならないモノ。

「うまくいってくれよ…」

 ガコン!!
 ウィィィィィン!!
 聳え立つ棚の側面に据え付けられた移動式小型リフターが、レールを滑るように進みながらこちらへとやって来た。

「早く…頼むから早くッ!!」

 フィリップの動きを意識しながら祈るようにリフターを見上げる俺の耳に、嫌な予感を促す音が、まるで地獄の底から蘇える化け物の悲鳴のように聞こえてきたんだ。
 ズッ、ズズッ……
 フィリップの腕が僅かにだが抜け出そうとしている。

「抜けろ!!ぐぅうぅッ!ぬけろぉ!!!」

 狂っている…とは言ってもこの施設で働いていたエリートだったんだろうフィリップにも、俺の考えが読めたみたいで、その動きはいっそう激しさを増した。
 だが、その結果が訪れるまでに時間はそんなにかからなかった。
 ガッチャン、ゴクンッ!!
 フィリップの真上でリフターのゴンドラが止まったんだ。

「くぅ!よ、よせッ!うわぁ!よせ、よせぇぇぇッ!!」

 フィリップの声を無視するように俺は操作盤のキーを素早く押した。
 ガッ!
 【ヒュッ!!】という音と共にリフトのロックが解除され、レールが縦向きに変わるとストッパーの効かない荷台が落下してきた。
 そのスピードはジェットコースターより速い感じだった。

「ひいいいいぃぃぃぃぃっ!!」

 ズボッ!!
 瞬間に両手が抜けたフィリップが転がる様に床へと投げ出された。
 俺はどうなったのか一瞬理解できないでいたんだ。

「ウギャァァッ!!!」

 ヤツがヨロヨロと起きあがってその腕を見ながら悲鳴を上げている。
 両腕がスッパリと切断されていた。抜けたお陰で身体は無事だったが、代わりにハサミが犠牲になったってワケだろう…もしかしてチャンスなのか?
 ヤツの尻の毒針は左右から回り込める程のスパンはない。そのワケはフォークリフトのアームの長さが邪魔をして横へ回り込めないんだ。しかも、後ろから攻めようとしても戦車の様にその場で旋回できるこのフォークリフトのせいでヤツは後ろからの攻撃もほぼ封じられてしまっている。
 これなら、いけるんじゃねーのか?
 ドンッ!
 俺は勢い良くフィリップを突き飛ばした。
 そのままアームが刺されば良かったんだが、ヤツが残った腕でそのアームを掴んだせいで結果的には突き飛ばされた形になって床に転がった。
 俺はそのまま後ろ向きにタユが居るはずの場所へと全速力で戻って行く。

「タユのヤツ、死んでないだろうな…」

 ヒュッ!!
 俺の横を何かが通り抜けた。
 ソレはいきなり俺の眼前に迫る。

「や、ヤベェッ!!」

 俺はハンドルを回して急旋回しながら、レバーを動かしてアームを引き上げた。
 だがその動きを予測していたのかピョンとヤツがアームの上に登りやがったんだ!
 ズンッ!!
 ヤツの尾が俺の頭上にある天板に突き刺さるッ。

「クヒヒヒ…ッ!次はぁ、次はお前の脳天に突き刺してやるからなぁ~ッッ!!」

 ドンドンドン!!
 突然、フィリップの真後ろから銃声がした。フィリップの背中には数発の弾痕ができたし、それに驚いて戸惑った奴の隙をついて俺は急ブレーキを掛けてヤツを引き離すと、一気にレバーを戻して全速力でヤツのど真ん中に突き進んだんだッ。

「行けぇぇ!!」

「グギッ!?」

 フィリップは咄嗟に起き上がりながら両手を突き出して身構えた。だが、俺はアームを下げてヤツの足元に突き刺したんだ。

「なっ、なにぃ!?」

 グンッ!!
 フィリップは勢い良く掬い上げられると宙を舞うようにそのまま機械の上に用意された板の上へと落ちていった。

「何かと思えば…くくく、操作を誤ったかぁ?」

 何も知らないのかフィリップが余裕の顔で立ちあがる。
 だがその機械の本当の恐ろしさにヤツは気付いていなかった。
 俺はレバーを下げて動作範囲内にいる電動フォークを後退させた。その動きにフィリップも自分が立っている場所が、いったいどう言う場所なのかと言うことに、どうやら漸く気付いたようで、慌てて俺の方へ飛び出そうとしたんだ。

「タユッ!!」

 俺はそう叫んで機械の横に設置された操作盤の前に立っている人影に声を掛けた。
 その声に反応したフィリップの動きが、新たな敵の存在に一瞬だけ鈍ったようだった。

「さよならだな、オッサン!」

 俺の行動を予め予想していたのか、いや、あんな時にまさかこの機械を使うことまでは予想なんかしていなかったと思うんだけど…それでも何時の間にか現れていたタユが赤いボタンをガツンッと勢い良く叩くと、黄色い回転灯の光が騒がしく回り出して俺たちを交互に照らし始めた。
 ガコン……
 フィリップが我に返った時には既に鉄の柵が下ろされて、その場所から外へ出る事ができなくなっていたんだ。

「ま、まさか…こ、このクソガキがぁぁぁ!!」

 ウイィィン、ガッ!!
 機械のアームが瞬時にフィリップの身体を掴むと、別のアームがヤツの頭を掴んで天板の真ん中へと引き戻して行った。
 フィリップは足をバタバタとさせながら必死に抵抗を繰り返していたが、強引に抑え込まれるとゆっくりと天板ごと回転を始める。

「なっ、ヒッ、ヒィィイィィッ!!く、くそぉ~、コーダローぉ~ッッ!」

 そして、俺を睨み据えるフィリップの横から伸びたアームから、薄いラップが伸び出すのが目に入ると更にその悲鳴に悲痛さが加わった。

「アンタもこれでジ・エンドだ。まぁ、息もしないで生きていけるってのなら、話は別だがな…」

 タユが薄いビニールのラップを巻きつけられていくフィリップを見ながら呟くようにそう言った。
 俺はまるで繭のようになっていくフィリップを見ながらフォークリフトから降りたんだ。

「ウギュゥ……ギャァァ!!」

 ラップが終了すると、天板の溝にホースが刺し込まれて、内部の空気を抜き始めている。
 予想を反した動きだった。
 しかも、フィリップの身体が圧迫に耐えられずぶしゅぅ…っと身体中の体液と言う体液を撒き散らしてラップ汚していった…それだけでも中の様子が凄まじいことを物語ってるじゃねーか。
 もう、既に人間とも化け物とも見分けのつかなくなったフィリップの残骸…その、恐らく人間としての顔だった部分が萎んだラップにベチャッと張り付いて、どす黒い液体に濡れるラップにズルズル…ッと落ちながら目玉がギロッ…と俺を見た。
 …ような気がした。
 ギクッとして思わず片腕で自分を抱き締めたら、タユがそんな俺の肩を軽く掴んできたんだ。

「先に進もうぜ」

 気軽な調子でポンポンッと肩を叩かれて、俺は緊張と激しい動揺で詰めていた息を吐きだしながら、俺としては驚くほど素直にコクンと頷いていた。
 そうだ、こんな所で竦んでいるヒマは、俺にはないんだ。
 ヤツを倒したことで新しい道が開けた。
 これがここのルール。
 『生き抜く』と言う、それがこの厳しいゲームのルールなんだ…