Act.37  -Vandal Affection-

 アレックス博士の努力のおかげで闇雲に進んでいた俺たちに一遍の光が射した気がし
た。
 それは俺たちの進むべき道を指し示していたが、その光には後戻りできない覚悟が付いてくるってことも解っていた。
 だからと言って立ち止まることは出来ない。
 俺がそう決心を固め、冷たい金属製の銃身に手を掛けた時だった。

「お前さんたちがどうしてもこの先に進むというのには何かしらの事があってのことじゃろうから、ワシからのささやかな餞別代りにひとつ情報を教えてやろう」

 アレックス博士はそう言うと、一枚のコピー用紙を俺に手渡した。

「これは?」

 コピー用紙には一人の男の写真とその男についてのプロフィールらしいものと、アレックス博士のものらしい直筆の手紙、それにサインも書かれていた。
 博士はそのコピー用紙にクリップ止めされた写真の男を指差しながら、視線は今までにないくらい真剣な眼差しで話し始めた。

「その男はここで唯一のワシの知人じゃ。カルロス・ヴァンジェリスといってな、ここのエリア警備を仕切るシステムエンジニアじゃ」

「システムエンジニアが何だって言うんだ?」

 タユが俺の肩越しに男の顔を確認しながら怪訝そうに言った。
 その顔には『また新手の問題出現ですか?』という色がありありと出ていた。
 付け加えて言うなら『勘弁してください』と言いたげな顔にも見えた。

「カルロスは腕利きのシステムエンジニアで具体的な仕事内容はその資料にまとめておいたからの、そいつをじっくりと読んでからこの先の事を考えても遅くはないじゃろうと思ってな」

 博士の親心的な親切からだろうが、逆にそれはこれ以上こんな危険な場所で見ず知らずの人間と係わり合いになる事への警戒心を持つ俺たちには、新たな選択肢を投げかけられたような気がしたんだ。
 こんな場所で見ず知らずの人間を頼って……それも命を掛けてここから脱出してやろうなんて考えてる人間が、ほかの人間に協力なんてするはずがないだろう。
 それがこの時の俺の正直な気持ちだった。
 不意に横で俺の手にした資料をジッと見つめているタユの横顔に困惑に彷徨っていた俺の視線が辿り着いた。
 こいつはどうなんだろう?
 その気持ちが徐々に俺の心の中に不安さを広げていくんだ。
 こいつは生き残るためだけに戦ってきたんじゃないのか?
 最後まで一緒に俺たちの為に戦ってくれるだろうか?
 戦う?
 誰と?

「……だからオレたちには必要な人間だな」

 俺の心に訳の解らない気持ちが渦巻きだした時、タユの言葉でハッと我に返った。

「ん、何がだよ?」

 それまでボーッとしていた俺は慌ててタユの言った言葉を聞き返そうとした。
 そんな俺の肩に腕を掛けながら、タユのヤツが不真面目そうな口調で書類を指しながら言うんだ。

「おいおい、ちゃんと人の話を聞いてくれてるのかい?」

「ああ……すまない、ちょっと疲れがでたのかな」

 タユはその言葉と俺の動揺した態度から、考えていた事がどういったものだったのか勝手に判断して言葉を続けた。

「まぁ、心配するなよな。胡散くせぇヤツならコイツでズドンッて黙らせりゃいいってことだしな」

 銃口をアレックス博士に向けながらニヤッと笑って見せた。
 博士はその銃口の先をそらせながらタユに困った顔で説明を続ける。

「こらこら、その血の気の多さで彼を殺してしまっては、この先に進むお前さんたちが困るだけなんじゃぞ?それにな、この先は冷静さを欠かせば即死につながる危険な場所だという事は、今に解ってくるじゃろうからあまりとやかくは言わんが、とにかくカルロスだけは何としても説得して自分たちの仲間に入れておくんじゃ」

 博士がタユを睨みながら言った。
 アレックス博士の真剣な眼差しからも、このカルロス・ヴァンジェリスという男がこれからの俺たちの行動のカギを握っている事だけは、その場の雰囲気からも充分に判るような気がした。

「この男がそんなに重大な事でも知ってるのか?」

 俺は敢えてその言葉を口にしたみた。
 それに対する答えを、タユがアレックス博士に代わってその理由の説明する。

「カルロスって男はこの施設のセキュリティ関係全般に関わっている男みてぇだな。いわゆる「システム管理者」って事だ。で、ここからが重要なんだが、このエリアは警戒厳重度が『ランクAAA(トリプル・エー)』ってワケだ。ここじゃ、A・B・C・Dという警戒態勢にランク分けしているって言えば、その厳重度が凡そ検討がついただろう。つまり、この建物の中で一番警備が厳重だってこと」

「だから?」

 判る?とでも言いたげに肩を竦めて見せたタユは、俺の言葉にこめかみに指を押し当てながら話を続けた。

「簡単に言えばこのエリアが『施設内最高機密』って事だろう?そこにこれから行こうっていうオレたちは、ここのお偉いさん達にご招待でもされていたかい?」

「まぁ、冗談はそのくらいにしておいてな、佐鳥君。つまり、お前さん達はここで一番の厚いセキュリティの壁を突破しなくてはならんという事なんじゃよ。勿論、そんなセキュリティにそこの若造がいくらカラ元気を出したぐらいじゃ何の役にも立たん事は言うまでもないじゃろう?」

 タユはその言葉に肩を竦めながら首を振るジェスチャーを加えて見せた。

「いくらオレがその道のプロでも、コソドロのような真似事までは流石に出来ないからな」

「それじゃ…8時間のタイムリミット以内には須藤たちを助け出す事は出来ないって事になるんじゃないのか?」

 俺の言葉に一瞬の間を置いた後、口を開いたのはアレックス博士の方だった。

「いや、それは心配いらんじゃろう…」

 博士はこの施設内の監視カメラにアクセスをかけると、複数の場所に『動力不足』という赤いエラーコードが表示されているのを見せた。

「ここの全部を自家発では補えん。そうなると、緊急時には最高機密に値する場所にだけ必然的にエネルギーを集中させる仕組みになっておるんじゃ。ここまで話せばもう理解できるじゃろう?」

「つまり…今、そこの場所はもっとも重要な場所にだけ厳重なセキュリティがしかれているって事か?」

「そうじゃ。だが、もしマクレガーを使ったマクベルがお前さん達の仲間を何らかの理由で監禁しているというのならば、話はもっと厄介にはなるんじゃよ」

「えっ?」

 アレックス博士はこれから俺たちの行くエリア内のマップを表示させた。
 マップに映し出されたエリアは横向きに長く続き、僅かだけ地下に向かって伸びたような形をしていた。地下に伸びた分の横には、実験に必要な化学薬品庫やタンクなどが設置されているようで、それを含めた施設を1フロアとして纏めている様だった。

「マクベルがエリア総括責任者という事を忘れんでくれよ。奴ならどんな状況であってもエリア内を自由に移動できることが出来るからな」

 そこまで言うとマップの地下部分を大きく拡大させた。
 そこには上のフロアにはない広い部屋が一つ設けられていた。

「ワシもあまりよく知らんのだが、何かの実験室といったような感じのものじゃと考えてくれ。じゃが、ここは政府関係者、特に要人に分類される連中以外の入室を許されておらんエリアになっとるから、簡単には入る事はできんのじゃ」

「じゃ、須藤や桜木が捕まっていると考えるなら間違いなくこの実験室に?」

 アレックス博士は眉を寄せて頭を掻く仕草をしながら自分の考えを話し出した。

「まぁ、ワシが奴ならここ以外に完璧な“隠れ家”はなかろうな。全てのアクセスを拒否させる事も進入を許す事も、奴の指先一本で済ませられる唯一の場所じゃからの…」

「逆に言えば『袋のネズミ』って事だな?」

 タユが何かを企んでるような笑みをニヤッと浮かべて、何か自信ありげな顔をして見せた。

「本当にこの若造は真剣に物事を考えておるのかのう?良く画面を見るんじゃ、お前さんが考えている事は大方検討はついとるが、念の為に説明しておこう。袋のネズミはお前さん達にも言えることなんじゃぞ」

 アレックス博士はもう一度画面の見取り図を拡大させた。

「仮にマクベルがお前さんの友達をここに連れ込んでいたとして、万事うまく救出成功したとしても奴は『ハイそうですか』といって逃がしてはくれんじゃろう。この実験室の出入り口は一つしかない、しかもそれはエリアの入り口までの長い通路状の実験室を通らねばならんのじゃ。マクベルが実験室を封鎖すれば即厳戒態勢がエリア内全域に敷かれる。そうなれば4人揃っていよいよ身動きが取れない状態になりうる事は予想できるじゃろう?」

「おいおい、さっきはセキュリティが働くのはこの実験室だけみたいな事いってたじゃねぇかよ!」

 タユが話が違うじゃねーかよ!とでも言いたそうな勢いで叫んだ。

「お前は本当に率直な奴じゃな、『重要機密漏洩』を阻止しなくてはならんのに「セキュリティが働きませんでした」で事が済むと思っておるのか?アカデミーの雇われ警備員が見回りするような場所じゃない事は何度もワシが説明しておるじゃろうが!」

 そう言って博士が俺の顔を見つめながら言った。

「友情を重んじて真っ直ぐに進むお前さんのような日本人はワシも好きじゃ。じゃから出来る限り生存できる全ての手段を考えてこの先を乗り切って欲しいんじゃ。ワシも堅物の頭が生み出したいやらしいトラップの前に、よもやお前さん達が倒れることになるなど考えてはおらん」

 そう言って、アレックス博士はタユの方に視線を移した。

「お前さんにも良い所はある。こう見えても伊達に年を喰っておるわけじゃないんじゃぞ。見た目以上に訓練された者のニオイがお前からはする。少し短気さが心配じゃが、二人で力を合わせればきっと友達を救い出せるじゃろう…」

 そう言って博士は俺の肩を掴んで一言ポツリと洩らした。

「死ぬんじゃないぞ」

 それがアレックス博士の最大の気持ちの全てだったと、この時の俺には判らなかった。

「もう、時間じゃな…この部屋から出たら後戻りはできんから、行動はくれぐれも慎重に行うんじゃぞ」

 博士は後ろで腕を組むと、不意に背を向けて俺たちに言った。
 その肩は薄暗い部屋の光の中で、微かに震えているようにも見えた。
 それを見た俺たちが博士に掛ける言葉を探して声にしようとした時、爺さん博士が力強い言葉でその場を締めくくったんだ。

「行くんじゃ!」

 博士の決心したような、もう後戻りは出来ない事実を叩きつけるような、そのくせ力強いその声に、俺たちは後押しされるように部屋を飛び出した。
 そう、ここからが本当のクライマックスだ。
 須藤、桜木を助けたらその波に乗って教授と女史を一気に助け出す。
 そしてこの悪夢のような、こんな馬鹿げた物語に終止符を打つんだ。
 たとえ、そうたとえ、その先にどんなエンディングが待っていようと構うもんか!
 物語ってのは自分で作るもんだ、そうだろ?
 運命すらも変えて見せる勇気を、俺は信じて歩き出すしかない。