小さい事務所のような個室の中で折りたたみの椅子に座って話をしていたタユは、カルロスの話を聞いている間にだんだんと眉間に皺を寄せると、それから股に肘を付くと額に両手を当てて屈み込んだんだ。
カルロスの説明は見えかけた俺たちの光を、一瞬にして消し飛ばすような話だった。
「おいおい。念を押してもう一度説明するがな……」
カルロスの話は簡単に言えばこう言うことだ。
俺たちが須藤や桜木が居ると信じている場所にそれらしい人物が連れて行かれる所をカルロスは目撃していた。
これは俺にしてみれば重要でかなり期待の持てる有り難い情報だった。
セキュリティもカルロス自身の設計によるもので、会社に教えていないパスワードでこの先にあるという大きな電子ロック付きの入り口に侵入することもできると言うのだから、アレックス博士が言うようにカルロスは出会わなければならない人物だった事もよく判った。
問題はそこへ行くまでの経路を危険な生き物が守っていやがるって事だけだ。
「電子ロックが外せるのに何分掛かるんだ?」
僅かに残るヤツの食料品の中で目敏く見つけ出した缶コーヒーをぶん取ったタユが、猫のように目を細めて美味そうに啜っていると、散乱した書類の中から白紙を見つけ出して、落ちていたペンでカルロスを指しながら聞いたんだ。
「特殊な装置は必要ない。このカード状のICチップをメンテナンスボックスの基盤に差せれば直ぐにでも…」
「時間だ」
「5分…それが限界だ」
「5分か……」
そう言ってタユが白紙に『5』と書いた。
「ところで、アレックス博士は無事なのか?」
そう言えば、忘れてた。
俺は考え込むタユの横からカルロスにアレックス博士から渡された書類を差し出した。
「博士から預かった手紙と、エドガー・マクベルの資料…それに、このエリアの見取り図だ」
俺から書類一式を受け取ると、カルロスはその中の博士の手紙を真剣な顔で読んでいた。
「おい」
タユの呼びかけに気づいていない。
「おい、人の話をちゃんとちゃんと聞いてんのかい?」
「えっ?あっ、すまん……」
タユの不機嫌そうな顔を見ながら、何かに焦る様子で書類と手紙を茶色い封筒に押し込みながら意識を集中させるカルロスの姿が、唐突に俺には不自然に思えた。
ん?気のせいだろうか…まあ、いいか。
「この先にいる『コード』っていう生き物は何なんだ?」
タユはそうか、その存在を知らないんだ。
戦いが全てで、戦う事だけの為にこの世に産み落とされる生き物の存在。
目を閉じればあの壮絶な戦いが、今だって鮮やかに俺の瞼に蘇ってくる。
でも、もう一つの『コード』だったアイツは。
最後の最後で戦い以外に大切なものがあるって事に気付いたんだ。
それに気付いたことで、自分に刻み付けられた『コード』という烙印を消し去ったのかもしれないな。
そう、アイツはもうコードじゃない。
「戦闘能力を極限まで引き上げた生物…ある研究薬品によって生き物を高等化させ、学習能力を上げる事に連中は成功したんだ」
「“連中”ってのは?」
その言葉にカルロスが不思議そうな顔で首を傾げた。
「お前たちもここへたどり着く前に通ってきたエリアで見たんだろう?あんな研究をしている連中さ。ここにいる研究員だけでも刑務所がいっぱいになりそうなくらい、ヤバイ研究をしている連中達の事さ」
「はーん、だろうな」
「だろうなって、判ってんなら聞くなよ!」
カルロスがあからさまにムッとした顔で、シレッとして目線を逸らすタユを軽く睨みながら先を続けた。
「ここの警備員を識別できていたのがいつまでの話か判らないが、施設が何かしらの“事故”でこうなってからはソイツは放置状態のままらしい」
ムカムカしているらしい、案外子供っぽいカルロスは、同じく子供っぽく意地悪そうに嫌味を言うタユにそれでもその生き物の説明をする。
自分は一度しか見た事はないと前置きをしてから、そいつがサルのような化け物である事。そしてその行動は機敏かつ敏捷で、的確な素早い状況判断ができ、知能もかなり高いということ。さらに言えば、戦う事に対するあらゆる訓練を潜り抜けていると付け加えた説明に、俺は背筋の辺りがゾワゾワするような感触を覚えちまった。
「その話を聞いた時点で、その怪物を倒せる手段はないってのがオレの結論だな」
がっくり肩を落とすタユは、握っていた空き缶を握り潰しながら言った。
だが、缶を握り潰してガックリしてるだけじゃないタユは、白紙だった紙にこれからの計画を書き始めたんだ。
「何があってもこの扉は突破するつもりだ。爺さんも言ってたが、オレたちのごり押しで開くようなもんじゃないってことは判っているから、カルロスにはそこまで来てもらわないといけないってワケだな」
「ああ、俺しか基盤を弄る事はできないだろうよ」
「で、オレはカルロスが工作している間の5分を持ちこたえるって作戦だ」
そう言ってタユはニヤッと笑った。
ん?ちょっと待てよ。
「おい、俺の出番は?」
「何言ってるんだ?アンタは開いたゲートの先に重要な仕事が残っているだろう」
訝しそうに眉を寄せてタユの肩を掴んだ俺に、一瞬キョトンとしたタユは、それからニッコリ笑って俺の肩を叩きやがったんだ。
そ、それってまさか…
「そうと話が決まれば先を急ごう、俺にもあまり時間がないようだしな」
そう言って立ち上がるカルロスの椅子の下には血溜まりができていた。
「おい、止血できてねーじゃねーか!」
俺が焦ってその手を掴もうとすると、カルロスは軽く笑って身を引いた。
「アンタ…悪い事しちまったな」
そんなカルロスに珍しくタユが、すまなさそう眉を顰めて言ったんだ。
もともと、そんなに性格の悪くないタユだ。心底からすまないと思っているんだろう。
「おいおい、こりゃぁ俺がしでかした事だぜ?気にすんなよ、それよりも先に進もうぜ!」
よろけながらもカルロスのヤツは、俺たちの先頭にたって事務所の出口へと向かったんだ。
「まさか、お前ら…嫌な事考えてないだろうな!?俺だけ先に行くような事言ってるけどさ!」
続いて立ち上がったタユの服の裾を引っ張って、俺は眉間に皺を寄せながらタユに詰め寄った。
そんなのは嫌だぞ、それだけは絶対にゴメンだ。
「あん?」
俺の気持ちを知ってか知らずか、タユのヤツは俺の鼻っ面を押しながらニヤッと笑ったんだ。
「状況次第だ、ジョウキョウ!」
そう言うと銃を握り締めたタユが俺の腕を掴むと事務所の外へと連れ出した。
「ここから真っ直ぐ走って一つ目の梯子を下へ進む。そして梯子を下りきった時点でまたダッシュだ」
カルロスが黄色い回転灯が照らし出す、蒸気が立ち込めた細い通路を指差して言った。
「ヤツはどの辺りでオレたちを察知するんだ?」
「詳しくは判らんが梯子をくだり始めたら察知されるだろうな。俺たちの存在、つまり侵入者を察知したヤツはゲート前から約5分程で俺たちと衝突するだろう」
カルロスが目を伏せる。
「5分か。梯子は長いのか?」
「いや、3メートルもない。この床の真下だからな」
俺はゴクリと唾を飲んで床を見つめた。
この真下に、ヤツはいるのか。
「そいつを避けて通る手段は本当にないのか?」
その問いに、カルロスは殊の外あっさりと首を左右に振ったんだ。
「そいつがいる限りゲートのロックを外せない。仮に外せたとしてもお前たちの後を追う事は必至だ。つまり、ここで倒せなかったら後が辛いんだ」
「と言うワケだ、判ったかい?」
タユが俺の肩を抱きながら言った。
こうなったらもう、やるしかないんだろう。
命懸けの戦いなんか、もう何度も潜り抜けてきた。
その一回一回が堪らなく恐ろしくて、本当は内心で震えていた。
でも、ああそうだ、でも。
いつも、それでも仲間を見つけて助け出して、みんなで帰るんだと須藤や桜木と約束してたじゃないか。
たった独りきりになったってワケじゃない。
俺にはタユがいる。
「…どんな状況になろうと、俺を独りにするなよ」
どうしてそんなことを言ったのか、こんな状況でけして口にしてはいけないその言葉を、どうして俺は言ってしまったんだろう。
でもタユは、そんな俺を見下ろしながら仕方なさそうに頬を緩めたんだ。
「お姫様のご要望とあれば」
そう言って、いきなり俺の腕を掴んだタユがそのまま強引に引き寄せると、わざと派手に音を立ててチュッと額にキスしてきた。
目を白黒させる俺と、ギョッとしたように眉を寄せるカルロスを前にして、タユのヤツは極平然とニヤニヤしながら肩を竦めやがったんだ。
「なんつってな」
結局そんな風にはぐらかして、肯定も否定もせずに見下ろしてくるタユに一抹の不安を覚えながら、それでも幾分か緊張が解けた俺はヤツの向こう脛を軽く蹴飛ばして、それから唐突に気付いてしまった。
タユに、冗談とは言え額にキスをされても別に嫌な気分にならなかった。
触れられただけであんなに嫌悪感がしたって言うのに…タユには何か、不思議な力でもあるんだろうか?
そこまで考えて俺はプッと笑ってしまう。
タユがはぐらかすように、恐らくこれから待ち受けている現実はやっぱりそれほど生易しいものじゃないんだろう。
カルロスに「やっぱりお前たちって…」と言いたそうな胡散臭い目付きで見られながらも、タユは別に気にした様子もなく、それどころか役得とばかりにニヤニヤ笑って外方向いている。そうして、そんな二人を見ていた俺は、不意に唐突にこの場からタユがいなくなることを想像してゾッとした。
じゃあ、俺はどうすればいいんだ?
決まっている。
避けられない道は切り開くしか他に方法なんてねーじゃねーか。
そうだ、そしてそのことを、俺はここで十分思い知らされてることになるんだがな!