Act.40  -Vandal Affection-

 俺たちは負傷したカルロスを連れて細いメンテナンス用に作られた通路を走っていた。
 鉄製の金網の床を蹴る音はカンカンと通路に響いて俺たちの緊張感をさらに研ぎ澄ませ、神経はその一つ一つの音に対しても敏感に反応した。所々に出ている蒸気が顔に当たるのを避けながら最初の難関で俺たちは立ち止まった。

「ここを三人が降りるのに要する時間は?」

「俺の計算だと3分から4分、悪いが俺が最後に降りるぜ。梯子が血だらけになるからな」

 カルロスがそう言って手を見せた。

「オーケー、先頭はオレで二番手はコータローだ!」

 そう言うなりバッとタユが階段をおり始めた。俺たちは気づいていなかったがその鉄梯子の脇に設置されている振動感知センサーが働いて、化け物の檻の扉を開く準備を始めていた。一番先に床に脚を着けたタユは一目散に扉目指して駆け出した。少し遅れて俺がタユの後を追う形で作戦が開始しされた。
 既にタユの姿は見えない。薄暗い通路には配管が壁を這うといった事も無く、どちらかというと今までの研究施設にあった通路と同じ造りをしていた。

「タユがヤツと出会う場所が3分の1辺りならこちらにチャンスがある。それよりも少なくなればタユの生存確率がゼロに近づくだろう…まぁ、ヤッコさんだけじゃなくなるがな」

「タユが張り切り過ぎてもアウトという事なんだな?」

 その言葉にカルロスが首を振って答えた。

「俺たちが、戦うタユの横を無事に通り抜けられるかってことだって問題になるだろう?タユがしくじっても俺たちの作戦は終了してしまうんだぜ」

 そう言いながら走る通路の先が乾いた音と共に光始めた。

「タユとヤツが遭遇したようだな」

 激しい雄たけびと何かが壁にぶつかる音がこの先に起こっている光景を物語っていた。

「タユ…ッ」

「とにかくタユが足止めできる時間が突破するカギだ、気を引き締めて行くぞ!!」

 俺たちは床を蹴る脚に込める力を最大限に振り絞って、一気にその場所までたどり着いた。
 通りすがり様にちらっと視界を掠めた薄明かりの中で、タユと見たこともないような大猿が死闘を繰り広げていた。

「ぐあっ!!」

 タユが不意に化け物の腕に首を掴まれそのまま吊るし上げられたようだった。

「タユッ!!」

 咄嗟に俺は声を上げ、その足を一瞬止めてしまったんだ。

「馬鹿!」

 カルロスの声が早いか化け物の反応が早かったかはこの後の状況で一目瞭然だが、俺はかなりヤバイ失敗をやっちまったようだ。

「うぐぐぅう!!」

 ビュッと風のような動きで俺の喉元に手を差し出した化け物が一気にタユと俺を吊るし上げていた。

「ぐぐぅ…このバカ…ッ、なぜ…だ」

 タユが苦しそうにサルの腕から逃れようともがくが全く自由になれる様子も無く、その反面で締め付けられていく首の圧迫感に意識が朦朧としてきた時のことだった。
 パンッ!!
 音が響くのと同時に何者かが鉄の床を蹴りながらその場を走り去る音があたりに響いた。
 急に大猿は俺たちを放り出すと、その場で仰向けにもがき始めたんだ。

「おいおい、どうしちまったんだ?」

 大猿に放り投げられて床に転がった俺たちは突然のことに呆然としながらも、タユのヤツが首を押さえてゆっくり立ち上がって猿を確認するよりも先に周囲を見回しながら訝しそうに言っていた。
 俺はと言うと、カルロスに助け起こされながらいきなり絶命した大猿の側へ近付いて行ったんだ。
 既に言葉通り化け物はまるで彫像のように筋肉を硬直させて固まっていた。

「どうやら誰かがオレたちを助けたようだ……」

 すぐに俺の傍まで来たタユがどうやら絶命しているらしい大猿の傍らに片膝をついて屈み込んで、入念に調べていたが針の付いた小瓶を首筋から見つけ出すとそれを見ながらポツリと呟くように言ったんだ。

「一体誰だって言うんだ。そんな事をするような仲間がお前たちに居るのか?」

 カルロスが訝しげにタユを見て言った。可能性の話から言えばかなりの狙撃の腕が無ければこの暗がりで大きいとは言え標的の首を狙って薬品の入った弾丸を撃つなんて芸当は、到底出来ないだろう。
 だが、カルロスの問いにタユは首を縦に振って答えた。

「オレの仲間が生き残っていたのなら可能性はゼロじゃないだろうがな。だが、問題はコイツに打ち込まれたこの薬品の中身がそれを否定してないかい?」

 タユが小瓶を注意深く調べていると何かを見つけたようで、自分がポケットに仕舞い込んでいたペンライトを小瓶の底に向けて照らし出したんだ。

「瓶の底がどうかしたのか?」

「いや、コイツは面白い事になってきたんじゃないのか?」

 タユがニヤッと笑いながらそう言った。
 そうして差し出された小瓶の裏には一年前の西暦でその使用期限らしいものが刻印されていたんだ。

「小瓶にはその生産された年数が刻印されているんだ。この小瓶が量産された薬品である証拠はそいつが表記されている事から判るだろう。となればその数が多く…つまりだ、俺たちの今現在の年数に近い数字という事はこの薬品は最近誰かの手で持ち込まれたって事になる」

 そこまで言うと腕を組んで考え込んでいたカルロスがある仮説を持ち出した。

「そうなると何かしらの目的で俺たち以外の人間がこの研究施設に脚を踏み入れているって事になるな。そして、その人間は少なくとも俺たちの行動を継続させたいと考えているに違いない。その目的はサトリやタユが考えているような事じゃないだろうがな」

「おいおい、カルロス。そのくらいの事は中身の詰まってないコイツの頭でも、オレのコンピューター並みの頭脳でも良く判るってもんだ。それにだ、オレたちは誰かに助けられたのは今回が初めてなんだぜ?」

 中身が詰まってない頭ってな誰に言ったんだ?まさか俺とか言うんじゃねーだろーなーと、それこそ胡乱な目付きで睨んでやると、ニヤニヤ笑ったタユが肩を竦めながら床に小瓶を投げ捨てて俺の方を振り返ったんだ。
 まるで須藤と一緒にいるような錯覚に一瞬懐かしさを覚えたものの、なんだよ、この野郎と軽く睨んでやるとタユのヤツは笑えば憎めないってのに、憎たらしい目付きでそんな俺を覗き込んできたんだ。

「どうやら何かの企みにうまくオレたちは乗せられちまってるのかもしれないな。この先は今以上に別の『敵』に対しても警戒しておかないと生きてはここから脱出なんて出来そうにないだろうよ」

 タユはそう言うとクルッと背中を向けると、目的の場所へと脚を向けたんだ。

「タユ…」

 俺はそれ以上の言葉を口にすることができなかった。本当は『脳味噌空っぽ』発言なんかどうだって良かったんだ、そんなことよりも何がどうなっているのかと問い詰めたくて仕方なかった。でも、この状況をこれ以上タユに問い詰めたからと言ってタユがそれに答えられる事も、ましてやその答えを導き出せるはずもないんだ。
 ただ。
 今回の件で俺に判ることは俺たち以外の何者かがこの研究施設に入り込んでいるってのがこれで証明されたという事だ。それと、その何者かは俺たちの行動がたまたま利害関係と一致したって事で俺たちを助けたんだろう。タユや、カルロスは口にはしなかったがこの『何者』かにはきっと近いうちに遭遇するだろう。それは相手が自分の存在を俺たちに知らせた事で十分判ることだからな…

「それにしても何が目的なんだろうな…」

 俺は大きな電子ロック製の扉の前でそう呟いた。脇ではカルロスが基盤を差し込むインターフェイスを探していた。

「おいおい、まだそんなことに拘ってるのか?…って、カルロスさんよ。アンタの話じゃ簡単に済むんじゃなかったっけ?」

 タユは俺とカルロスの顔を交互に見てそう言うと、辺りを見回しながらさらに付け加えた。

「これじゃ、オレがどんなに頑張っても無理だったってことじゃないのかい?」

 その言葉を耳にしたカルロスがプチンと何かが切れたような険悪な表情をして立ち上がると、やれやれと首を左右に振っているタユにいきなり掴みかかって行ったんだ。

「おい、よせよ!」

 俺は必死に殴り合おうとするタユとカルロスを引き離しながら二人の間に割って入ったん
だ。
 おいおい冗談じゃないぞ、こんな場所で喧嘩するなんて子供以下じゃねーか!

「こんな所でケンカなんてするなよ!今は、俺の友達を助けることだけを考えてくれてるんじゃなかったのか!?」

「…」

 二人は言葉を詰まらせながらお互いを睨み合っていたが、カルロスの方が先に根負けしたのか俺の側から自分の持ち場へと戻って行った。その行動が少し気に入らなかったのかタユは床に唾を吐くと近くの壁に凭れ掛かりながら外方を向いたんだ。
 そりゃあ、タユが言わんとすることも判らないでもない。
 いつだって命懸けの戦いなんだ…それだって、本当は俺の我が侭が発端で引き起こしたことなんだけど、それでもタユは『仲間を救いたい』と言う俺の情熱みたいなものに根負けしたのか、或いはこの施設の異常さに興味を覚えたのか…どちらにしても、命を懸ける救出劇の片棒を嫌そうな顔もせずに引き受けてくれたんだ。
 タユを信じて着いて行く俺を、コイツはきっと、足手纏いだと思っているに違いないってのに…その上で今回の件だ、いつもは皮肉屋のタユだって腹を立てても仕方ない。
 扉はまだ開いていない。
 何よりも大切な仲間であるタユにしてもカルロスにしても、ケンカなんかで消耗できる体力なんて何処にも残ってやしない事は十分知っているはずだし、そんな事をしても無駄だってことも子供じゃないんだから判るだろう。きっと、二人がそんなに神経を高ぶらせている原因はこのドアを守る化け物の並外れた戦闘能力を肌で感じたせいだったんじゃないかって、俺は勝手に想像していた。それだけにカルロスの作業が進まないと『もしもの時』の考えが頭を過ぎって落ち着かなくなるんだろう。

「作業が遅れて悪いが最悪の状況だ。誰かが強制的に一度ドアを開けた形跡があってな、その際にインターフェイスをショートさせているようだ。これじゃ、ICチップのカードどころかボードを差し込むだけでも開けることは不可能だ」

 その言葉に俺たちは息を呑んだ。

「それじゃこの先には進めないってのか!?」

 その言葉は俺の口からではなく、噛み締めた歯の隙間から零れ落ちたように、タユの喉の奥から搾り出すように響いていた。

「厳密に言えばそうなる。現状で何処までマザーボードと言う部分がダメージを受けているか調べている時間も道具も無いからな。これ以上ここに居ても…」

 最悪だった。
 この鉄の先には桜木や須藤が待っているんだぞ。
 それなのに…こんな所で。
 俺はその感情にどうすることも出来ない気持ちを厚く閉ざしている扉にぶつけた。

「畜生!!なぜだ、なぜなんだ!!こんなにしてまでここまで来たんだぞ!!」

 俺は激しく扉を叩く。抑えられない感情が爆発しちまったんだ。
 ああ、どうして…

「どうして開いてくれないんだ…たとえ、桜木や須藤が最悪の状況であっても、せめてもう一度その顔を見せてもくれないって言うのかよ!俺は俺は…ッ」

 取り乱す俺の肩をタユがどうすればいいのか判らないと言う顔をしながら優しく抱きしめてくれた。
 ここまで行動を共にしてきたタユには、この俺の遣る瀬無い感情の昂ぶりを誰よりもよく理解してくれている。そんなことは厚い鉄の扉に額を擦りつけながら途方に暮れている俺にだって、嫌と言うほどよく判る。

「コータロー…アンタは十分に頑張ったじゃないか。それはヨシアキやヒトミも良く判ってくれているさ」

「でも、だけど…」

 俺の言葉を、タユにしては珍しく優しく止めたんだ。
 いつものあの、嫌味っぽさはなりを潜めている。
 ああ、そうだ。タユのヤツはいつもこう、コッソリと優しかったりする。
 俺がへこたれて、もう駄目だと思う度に切り開くように的確な助言をくれる。
 コイツがいて、本当に良かったと思う。

「その先の言葉は希望を捨てたヤツが言うセリフじゃないのかい?オレたちは最後まで諦
めずに悪あがきをするって決めただろ?」

 タユがそう言ってニコッと笑った。
 その笑顔が嬉しくて、俺は冷たい鉄の扉から引き剥がした額を、規則正しく上下する温かな胸元に張り付かせていた。
 タユのヤツは一瞬驚いたようだったけど、突き放すでもなく嫌がるでもなく、弱気になっている俺の背中を擦って抱き締めてくれたんだ。

「カルロス、別の手段はないのか?」

 俺の気の高ぶりが落ち着くまで、気が済むまでずっと抱き締めてくれていたタユが、ふと、『うわー、また野郎同士の濡れ場を見ちまったぜ』とでも言いたそうな蒼褪めた顔をしているカルロスに声を掛けたんだ。
 そうだ、別の手段か。
 俺はタユの胸元から顔を上げて身体を離すと、こんな絶望的な状況下でも僅かに残っている期待のようなものを込めてカルロスを見た。

「別の手段か…」

 気を取り直したカルロスは、だが、俺の顔をすまなさそうに見ながら考え込んだようだった。
 電子制御された巨大な扉を前にして、他の手段や方法を探せといきなり言われても考えられる全ての手を尽くした今となっては考えるだけ無駄なようにも思えたが…
 不意に彷徨わせていたカルロスの視線が壁の中に埋め込まれた配管の上で止まった。

「自動じゃ開けることが出来なくても手動ならどうにかなるかもしれないぜ?」

「手動!?気は確かか??」

 見ただけでも何トンもありそうな扉を手で簡単に開くように言うカルロスを見ながらタユが驚いてみせる。

「大丈夫だ。手で開けるったって俺たちがこじ開けるんじゃないさ。まぁ、ちょっと待っててくれよ」

 そう言うと、もう一度基盤を片手に別の場所に設置された配電盤のような場所にしゃがみこんで作業を始めたんだ。
 俺とタユは顔を見合わせたが、それでも何もないよりはマシだと判断して大人しくその作業を見守ることにした。

「コー・・タロー…」

 俺はハッとして目を開けた。
 疲れてていたせいか一瞬眠っちまっていたのかもしれない。

「疲れているのか?カルロスのヤツがやったぜ」

 瞬時にハッキリと目が覚めたのは、ここに来てから身についちまった癖だったけど、言葉に促されるようにして俺の顔を覗き込むタユの向こうに見える鉄製の扉に視線を向けていた。
 なんびとも通すつもりはない!…とでも誇示するような、いや、事実誰も通れないんじゃないかと思わせるような凄味のような圧迫感がある重々しい鉄の扉は、だがどんな魔法を使ったのか、僅かだが人が通れるくらいの隙間が開いていた。

「どうやってこれを?」

 あれほど頑なに口を閉ざしていた扉の、それは僅かな綻びではあったけれど、それでも今の俺たちにしては飛び上がらんばかりに喜ばしいことであるには違いなかった。 
 満面の笑み、ってのは出てこなかったけど、ただただ驚いて目を見開きながら振り返る俺にカルロスが答えたんだ。

「オートメーション化と言っても動きは機械だろ?メインフレームをコイツに切り替えて、後はアナログ調にエアーバルブを上げたり下げたりで動かしてやればご覧の通りさ」

 肩を竦めるようにしてそう言ったカルロスは、酷く梃子摺らせたに違いないはずの鉄の扉を見上げて、それでもなぜか満足そうに小さく笑っていた。
 ああ!でもやったぞ!!これで先に進めるんだな!

「…とは言っても、これ以上俺は着いていく程体力に余裕が無いからな、この先はお二人さんで行ってくれよ」

 感慨深そうに扉を見上げていたカルロスは、ふと視線を俺に戻すとそう言ってニヤッと笑ったんだ。

「すまないカルロス、ありがとう」

 俺はそう言ってカルロスと握手を交わした。

「いや、感謝するならアレックス博士にしてくれ。機械的な部分はあの博士の専売特許だからな」

 照れた様子は今までのカルロスからは想像もつかなかったが、どうやらアレックス博士からの依頼が完了できた事が彼にとって一番嬉しかったのかも知れない。
 酷く具合が悪そうな顔色をしていながらも、今の彼は充足感で満ち足りたように見える。

「じゃ、ぐずぐずしてないで先を急げ」

 ふと、眉を寄せる俺の肩を押すようにしてカルロスが言ったから、俺は慌てて口を開いていた。
 なんでそんなこと、言ってしまったのか今となっては判らないんだけど…

「まるで天の岩戸を抉じ開けたみたいだ」

「へ?なんだそりゃ」

 タユとカルロスが顔を見合わせたが、まあ、当たり前といえば当たり前か。

「いや、日本の神話にあるんだよ。天手力雄命(アメノタジカラオノミコト)と言う神様が開かない扉を抉じ開けたのさ」

「へぇ…神様ね。じゃあ、差し詰めお前たちには神がついてるんだろう。このクソッタレな施設内にカミカゼでも起こしてみろよ。さあ、早く行け」

 軽く笑いながら言ったカルロスに見送られて、彼に背を向けた俺たちはこの先に待っている仲間の姿を求めて混沌とした空間に踏み入ったんだ。一度は、ああ確かに一度は諦めかけた希望は、こうして通り過ぎていく仲間たちに支えられながら俺を今より先の所へと引っ張って行ってくれる。
 頑張ろう。
 今はその気持ち以外は何もいらない。
 後は自分が出来る事を見極めて失敗しない事だけだ。
 待っててくれ、俺は必ずお前たちの場所に辿り着いて見せるからな!!