Level.12  -暴君皇子と哀れな姫君-

 麗らかに良く晴れた午後の校舎の屋上は、ハッキリ言って誰もいなくて心地好い。
 絶好の昼寝日和の空にプカリと浮かぶのは、モチロン校則違反の紫煙のドーナツ。
 眼下の校庭では璃紅堂の生徒たちが思い思いの部活動に専念したり、この学校を取り仕切る暴君と名高い現生徒会長さまが闊歩して横切ったりしている。その先に、待っているのはやはり『硝子宮殿の姫君』…と呼ぶにはあまりにも男らしい生徒の1人で、ちょっと嬉しそうにはにかんでいる姿が恨めしい。

「タバコは校則違反じゃないの?」

 ピッと激しい仕種で吸いかけのタバコを取り上げられて、いつの間に近付いてきたのか、琴野原の可愛い顔がムッとしたように唇を突き出しながら見下ろしているのに、その時になって漸く宮本は気が付いた。

「チクリますか?」

「…別に。そんな面倒くさいことしないもん」

 恋焦がれていた想い人を奪われてしまった琴野原にとっての学校は、何か大事なものが擦り抜けて行った抜け殻のようになっていた。ぶらぶらとその辺りを歩いたあと、フェンスに凭れて両足を投げ出している宮本の傍らに唐突にペタンと座り込んだ。

「結局、ねえ?俊介は柏木くんとできちゃったの?」

 決まりきったことではあったが、琴野原はどうしてもコトの真相を情報通の宮本の口から聞き出したかったのだ。

「あの姿を見て、誰も付き合ってません。…なんて言えないッス」

 トレードマークのようになってしまったウォークマンの片方のイヤフォンを渡しながら、立原は柏木に何か話し掛けた後、何が楽しいのか、小さく笑っている。そんな仕種は、柏木が入学してくるまでは誰も見たことがない。
 もちろん、上辺だけのおざなりの微笑なら何度も見たことがある彼らにとってだが。
 口許の微笑は、満面の笑顔よりも珍しい。
 手に入れてしまったら飽きるんだろうと高を括っていた宮本にとって、その拍子抜けしてしまうほどあっさりと陥落した暴君の仮面を、よければニッコリ笑って引っぺがしてやりたいぐらいだ。

「ふーん、やっぱりそうなのか…ちっくしょー」

 可愛らしく唇を尖らせてフェンスをカシャンと掴んだ琴野原は、そうして、暴君皇子と哀れなお姫様が仲良く寮に戻って行く姿を恨めしそうに見下ろしていた。

「…」

 ぷかりぷかりと青空に吸い込まれていく投げ捨てられた煙草の煙が、大気に霧散して有害な空気になるのをぼんやりと見届けていた宮本に、唐突に立ち上がった琴野原は片足で蹴りを入れた。

「イテッ!」

「そりゃ痛いよ。わざと痛く蹴ったんだもん…ねえ、結局思い通りになったってワケ?」

 土曜の午後の気怠い陽射しを背にした琴野原は、しゃがみ込みながら柔らかそうな髪を風に遊ばせている。

「どう言う意味ですかな?」

「恍けてるでしょ?うーん、もう!別にいいんだけどね」

 疲れたように溜め息をついた琴野原はやはり宮本の傍らにぺたりと座り込んでしまう。
 キョトキョトとよく動く、まるで小動物のような可愛らしさだ。
 だが、件の暴君皇子はお姫様のように可愛らしい琴野原など眼中にもなく、どこをどう見たらそんな恋愛の対象になったんだ!?と思えるほど体格の良い、スポーツ特待生の柏木に心を奪われきっている。もはや、何もつける薬はない。
 可哀相に琴野原は、泣く泣く諦めなくてはいけないのだろう。
 ふと、ショボンと眼下を見下ろしていた琴野原の顎を掴んで、宮本は対面するように座っている彼の顔を自分の方に向けたのだ。

「なに?別に僕は落ち込んでなんか…」

 言い掛けた台詞が宮本の口腔内に吸い取られ、琴野原は一瞬ビックリしたように目を見開いていたが、うっとりと双眸を閉じて宮本の口付けを受け入れた。
 肉厚の舌を絡めて濃厚な口付けを交わす2人の姿が、一朝一夕でないことぐらい傍目にも明らかだ。
 軽く息を弾ませて宮本の胸元に頬を埋める琴野原の頭を撫でながら、宮本は溜め息のような苦笑を浮かべた。

「また笑ってるんでしょ?結局、宮本くんは俊介が好きだったし、僕は柏木くんが好きだった。でも、お互い手に入らないのなら僕たちが付き合って、彼らをくっ付けちゃったら幸せだ…なんて言ったのは、君なんだからね」

「賛同したのはお前だろ?」

 そうだけど…と、子供のように唇を尖らせた琴野原はしかし、あの登山大会が終了してから初めて見せる柔らかな微笑を浮かべて宮本を見上げた。

「でもね、今となってはこれで良かったんだって思えるよ。だって、僕はもう二度と先生たちとセックスをすることもなければ、大好きな人を奪われることもないんだもの…これは、たぶんきっと、幸せだって言うんだよね?」

 チカリと光る綺麗な瞳の中に、一瞬揺らめく不安を見つけても、宮本は琴野原の濡れた唇をペロリと舐めるだけだった。

「はじめはすごいビックリしたけど…でも、どうせ手に入らないのなら、僕は俊介も大好きだから、他の誰かに取られてしまうぐらいなら、2人をくっ付けちゃった方が、もう安心だものね」

 うっとりと両目を閉じて囁くように呟く琴野原に、宮本はもう一度口唇を重ねながら内心で苦笑していた。
 そう。
 これはあくまでも立原の計画。
 目障りな琴野原を宮本に押し付けて、自分はまんまと愛する者を手に入れる。
 だが…

「お生憎さまさ」

「…え?」

 キョトンと小動物のように小首を傾げる琴野原に何でもないと頭を振って、宮本は白い雲がのん気に流れている空を見上げていた。
 立原の思惑通りにいかないのが、人間が辿る恋路だろう。
 別に宮本は立原を好きでもなんでもない。
 そう、彼が好きなのは柏木に嘘だと思わせるためについた嘘…ではなく、あの真実の告白通り、他の誰でもないこの琴野原なのだ。
 いやしかし、あのエイリアンで暴君皇子の立原のこと、よもやそこまで考えていた…なんてことは、できれば考えたくない。
 何はともあれ。
 日本晴れの空の下、皇子は姫を手に入れて、忠実な家臣は夢にまで見た愛らしい小動物を手に入れたのだ。
 波乱万丈も若さで乗り切るお年頃。
 彼らのゆく手を待ち受けている一波乱があったとしても、大切なものを手に入れた彼らに怖いものなど、もうありはしないのだ。

エンドレスエンドで続く恋もある…のかもしれない。

─END─