俺が旅行に行ったワケ 9  -デブと俺の恋愛事情-

 息せき切って走って走って…俺は洋太を見つけた。
 洋太はどこにいたって良く目立つ。俺の大好きな大きな背中をこちらに向けて、佐渡が女の子のように可愛い顔を曇らせて取り縋っている。

「…ちゃん!どうしたって言うんだよ!?突然戻ってくるなり、いきなり出てっちゃうんだもん!里野くんは?ねえってば!」

 聞き分けのない子供のように駄々を捏ねる佐渡を煩そうに腕を振って振り払うと、洋太は不機嫌のオーラをそこかしこに漂わせながら石橋の欄干を思いきり叩いていた。ビクッとして、佐渡は小動物のように怯えながら、それでも必死に洋太の顔を覗き込もうと懸命に食い下がっている。

「さわた…」

 小林が佐渡を呼ぼうと声を掛けようとしたが、俺はそれを止めて歩き出した。

「ねえ、ねえってば!洋ちゃん、どうして…あ!」

 深呼吸しながら洋太に無言で近付いていくと、佐渡は敏感な子猫のように俺に気付いて、それからなぜか少しビクッとして、慌てたように俺たちの傍から離れると小走りで近寄ってくる小林の所へ行った。
 そんなこと気にもしないで俺は洋太に近付くと、その背中に片手をかけて振り返らせたんだ。

「…光ちゃん」

 少しビックリしたように目を開いた洋太は、でも、すぐにその目を逸らしてしまった。

「こっちを見ろよ、洋太」

 勤めて冷静を装いながら、俺は少し笑ってみせた。
 それでも洋太は俺を見ようとしないから、焦れて回り込むとその大きな頬を逃げ出さないようにガッチリと両手で掴んでグイッと引き寄せたんだ。

「俺を見ろ」

「光ちゃん…離して」

「嫌だ!」

 即座に答えて、それから俺はもう一度笑った。
 普段ならここでキスの1つでも盗んでやろうかって思うところだけど、今日はそんな気分になれなくて俺はもう一度小さく笑ったんだ。

「俺に言いたいことがあるんじゃねぇのか?」

 洋太は俺の顔を見下ろしながら、暫くは無言でマジマジと、そりゃもう恥ずかしいぐらいマジマジと見つめてくるから…あう、どうしろってんだよ。
 キス、したいなぁ。
 俺、洋太のこの、目を細めるようにして覗き込んでくる顔が一番好きなんだよなぁ。ズバリ、好き=性欲に繋がるお年頃のこの俺の下半身にズバンッとくる大好きな笑顔、でも、それよりも、やっぱり俺はキスしたいと思うんだ。
 ああ、本当にキスしたいなぁ…
 でも。
 俺はキュッと唇を噛み締めてそんな甘い誘惑を絶ち切りながら、目を逸らさずに洋太の少し茶色がかった双眸を真正面から見上げていた。
 洋太は今、何を考えているんだろう。

「光ちゃん…」

 洋太のヤツは話そうかどうしようか暫く逡巡しているようだったけど、諦めたように溜め息を吐いて、それから首を左右に振りながらポツリと、渋々口を開いたんだ。

「僕はね、もうずっと考えていたんだよ。この旅行でそれを言おうかどうしようか、ずっと悩んでいたんだ」

「洋太…」

 本当はドキドキしていた。
 何を言い出すのか、俺が聞きたくない言葉なのか。
 男同士の恋愛なんて所詮不毛なもので、いつだって不安の影が付き纏うモンなんだ。
 愛してる、好き、ずっと傍にいたい…そんな夢見心地で恋ができるのは通常の恋愛をしている連中ぐらいだろうよ。
 …俺、女に生まれたかった。
 ずっとそう思ってる。洋太とずっと一緒にいて、そのうち結婚とかして、子供を産むんだ。女の子と男の子が1人ずつ、幸せを絵に描いたような幸福な家庭で…夢だけど。
 絶対に、叶わない夢なんだけど…

「洋太」

 息苦しくて、唇とかカラカラに渇いて、咽喉の奥がヒリヒリしするのを堪えながら俺は洋太の名前を呼んだんだ。

「光ちゃんは同じ男から見ても強くてハンサムだから魅力的だし、それはきっと、女の子でも同じだと思うんだ。なんて言ったらいいか…うまく言えないんだけど、その。光ちゃんは普通に暮らした方がいいと思う」

 聞きたくない…言葉だったんだと思う。
 それは。
 普通の暮らしってのはなんだ?
 洋太を好きで、大好きで、いつだって傍にいてキスしてエッチして、それは普通の暮らしじゃないのかよ?
いや、普通とは違うと思うけど…でもだ!俺にとってそれが普通なら、誰にも迷惑をかけているわけじゃないんだ。いいんじゃねぇのかよ?

「洋太、それはもう、俺とは付き合えないってことか?」

 言いたくなくて、でも言わないわけにはいかないから、俺は渇ききっている下唇を何度か舐めながら恐る恐る聞いていた。

「そうじゃなくて!…僕はいつだって光ちゃんと一緒にいたいよ。でも、こんな風に、いろんな状況を見ていると、僕が光ちゃんを独り占めしてしまうのは良くないと思うんだ」

 光ちゃんは綺麗だから…呟いて、洋太は溜め息をついた。
 そうか、俺のことを嫌ってるってワケじゃねぇのか。
 なんだ、そっか。
 本当はコイツ、俺を独り占めにしたいんだな。
 そう言うことなんだ。
 いつもはバカみたいにハラハラしては、洋太に嫌われたくないって思ってる俺だけど、いや、現に今だって嫌われたくなくてハラハラドキドキしてるんだ。けど、『嫌われていない』って言う確信のキーワードさえ手に入れたら俺は、結構強気になるんだぜ?お前、知らないだろう?

「洋太」

「光ちゃんは綺麗だし、僕はこんなだから…それに、光ちゃんを好きだって言う女の子も、本当はたくさんいるんだよ?知らなかったでしょ??」

「洋太」

「僕は、僕自身に光ちゃんを縛りつけたらいけないんじゃないかって、もうずっとそう思っていたんだよ」

「洋太、俺はもう我慢できないから。手加減できねぇ。ごめん」

 一応謝ったし、もういい、聞きたくねぇんだ!
 両手を頬から離すと洋太は少し驚いたような顔をしていたけど、俺が腹の底から腹を立てているんだとヤツが知るのは、それからすぐだった。
 幻じゃない俺の右ストレートは見事に洋太の左頬にヒットして、その衝撃で洋太の大きな身体は僅かに右に揺れた。それだって、本当はパンチした方だって拳が痛いんだぞ。それに、心とか…いや!そんなこたどうだっていい!!
 ハアハアと肩で息をしながら、ポカンとしている洋太と、コトの成り行きをハラハラしながら見守っていた佐渡は顔を両手で覆って、小林はぶったまげたように目をまん丸にしているようだったけど、それだってもう目に入るもんか、殴った拳を擦りながらそんな洋太を睨みつけていた。

「いい加減にしろよ、洋太!女の腐ったヤツじゃねぇんだッ、グダグダ言いやがって!俺は洋太と一緒だったらもう何もいらねぇって言ってんだろうがよ!本当は、俺は女にだってなりてーんだ。そうなれたら、少しでも長く洋太と一緒にいられるのに…俺が誰といたいって?どんなヤツと一緒にいると幸せになれるって?本気でそんなコト言ってんのかよ!?この口で言ってんのか?ああ!」

 洋太を襲う時同様に押し倒して、もう人目なんか気にしてやるもんか!俺はヤツに馬乗りになるとその唇を思い切り引っ張ってやった。

「ヒレレレ…光ひゃん、ひひゃいよ、ひひゃい!」

「あったりまえだ!痛いように引っ張ってんだから痛ぇに決まってんだろ!この野郎!もう怒ったぞ、俺が普通の暮らしだと?この生活の何が普通じゃねぇってんだよ?ああ!」

「光ひゃん…ひひゃい」

 泣き言を言う洋太のたぷたぷの両頬をにょーんと引っ張って、それだって結構痛いってこた俺にだって判る、でもやめてなんかやるもんか!
 佐渡と小林は驚いているようだったけど、顔を見合わせて、なんだかホッとしたように溜め息を吐いているようだ。肩を竦めて、それから勝手に旅館に戻っちまった。
 俺は悔しくて、なんだか最近、やけに緩くなった涙腺から漏れそうになる水流を必死で食いとめながら、それでもこの怒りの矛先は目の前の肉にぶつけるしかないから、ボカボカと殴りまくってやった。
 俺の怒りが収まるのは、それから暫くしてだったけど、その間、洋太を殴り続けていたから…痛かっただろうなと、後になって凄く後悔した。でも、自業自得だからな!
 ふん、いいザマだ。
 この野郎、もう二度とおんなじことを言わせねぇからな!
 俺はしつこいんだ、『好き』って言葉なら喜んで聞くし、『愛してる』なんて言われるとそりゃあ…舞い上がっちまうとは思うけど、そう言う言葉なら喜んで何度だって聞いてやる。でも、もう二度とこんな言葉は嫌だ。
 洋太が、洋太が他に好きなヤツができて、俺の妨害にも屈せずにその思いを遂げようとするのなら、その時は俺だってそりゃあ、泣きながらなんとか、無駄に足掻きながら諦めてもやる。でも!俺を理由にして、自分が不安だからってんなら許してやらん!
 だから、バッカなヤツだって言うんだよ、洋太は。
 ホント、お前、大バカ野郎だ。
 そう言う不安はな、言葉に出さなきゃ判らないんだぞ…バーカ!
 でも、今は言ってやらないんだ。そう言う大事なことは、二人きりの時にゆっくりと教え込んでやる…
 くっそう…洋太め。
 後半戦は今夜だ!