死人返り 14  -死人遊戯-

「壱太はその部屋なんだな?後は任せたぞッ」

 思わず竦み上がった僕とは正反対に、嬉しそうに立ち上がった翠祈は、犬歯を覗かせてニヤッと笑いながら死霊鬼に言っているのか、それとも僕に言ってるのか、どちらとも取れるような取れないような口調で言って、いきなり館の裏庭に飛び降りたんだ!

「まま、任せたって…僕が国安を助ければいいの?!」

 そんな判りきったことを聞きながらも僕は、決心して紫魂の槍を握り締めながら、それでも動く死体に囲まれた翠祈のいる庭に飛び降りていた。

『己…小賢しき人間ども』

「残念でした。オレは荒神だぜ、死霊鬼さん」

 僕の行く手を遮ろうとする死霊鬼に、兵士の頭を思い切りぶん投げて意識を逸らしてくれる、ほぼ壊滅状態にまで叩きのめした兵士を踏みしめて、ニヤニヤ笑う翠祈を、死霊鬼は微かに驚いたような表情をして、眉を顰めて睨んだみたいだった…と言うのも、必死だった僕はそこまで確認できなかったんだ。

『なんだと?荒神とは…貴様、物の怪の身でありながら、何故、人に加担するのだ』

「オレの勝手だ。光太郎!さっさと行けッ」

 ぶわっと真っ白の髪が逆立って、思い切り口が裂けてギザギザの牙を覗かせながら浮き上がる死霊鬼と対峙する翠祈は、立ち竦みそうになる僕を叱咤するように叫んでから、兵士が握っていた役に立たない日本刀を掴んで、後から後からうじゃうじゃと湧いてくる動く死体を切り倒すんだ。
 返り血…と呼ぶのもおぞましい粘着質のどす黒い異臭を放つ液体を浴びて、それでも翠祈は、挑むように死霊鬼を視野から離さない。
 僕は竦みそうになる足に力を入れて、紫魂の槍を握り締めながら国安が突き飛ばされた部屋に走り出していた。出鱈目に振り回す紫魂の槍に恐れをなす兵士たちを追い払うことはできたけど、死霊鬼は、鬼と呼ぶに相応しい耳まで裂けた口にギザギザの刃のような歯、今や真っ赤に濡れたように光る双眸、両手にはナイフのような爪が閃いている、その凄まじい形相で僕の行く手に立ちはだかったんだ!

『人間の子よ…貴様、何故、アレを私から奪おうとする』

「お、お前はもう何百年も前に死んでるんだッ。く、国安は今を生きてるんだよ!生きる時代が違うのに…ッ」

『戯言を』

 腕を伸ばしただけで、僕の身体は不自然に宙に浮いて、ハッとした時には圧倒的な力で首を締め上げられていた。

「光太郎!ちッ、死霊鬼!お前の相手はオレだッ」

『痴れ者』

 長い兇器みたいな爪を持つ片手を振っただけで、あれほど強いはずの翠祈が、目に見えない不可視の風圧を受けたように日本刀を握る両手を交差させて受け止めているみたいだった。

『物の怪如きが言うてくれる』

「物の怪、物の怪言ってんじゃねぇ!光太郎といいあんたといい、オレをなんだと思ってんだ!畜生がッ」

 吹き荒ぶ風に、翠祈はギリッと奥歯を噛み締めて押し返しながら、苛々したようにそんなことを言った。
 指先をクイッと上に動かすだけで僕の首はギリギリと万力で絞められるような激痛と圧迫が増し、片手を横に振るだけで、翠祈を襲う風はますます強くなる。もう、死霊鬼が自由に操っていた動く死体たちは木っ端微塵に飛び散ってしまっている。
 涙目で紫魂の槍を握り締めた時、ふと、槍全体がボウッと青紫の光を帯び、遠くなりそうな意識の中で僕は、死霊鬼の驚愕の声を聞いたような気がした。

『貴様!もしや、その槍は…ッ』

 その次の瞬間には咽喉の圧迫が取れて、有り得ないことなんだけど、持ち上げられていた身体が地面にドサッと落とされたんだ。強かに背中を打っているから思わず息ができなかったけど、それでも、あの凄まじい圧迫と激痛から開放された咽喉は、新鮮な空気を貪ろうと焦るあまり噎せて、咳き込んでしまった。

「なるほど。紫魂の槍にはもうひとつ使い道があるんだな」

 翠祈の冷やかな声音が響き渡った。
 僕は、鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔で、激しく咳き込みながら片目を開いて翠祈を見たんだ。
 だって、その声は…今まで、匡太郎の声で話していたってのに、翠祈の声は、僕が聞いたこともない、いや違う、もう随分と昔、僕が小さい頃に聞いた声だったから。

「すい、き…ッ」

 仄かに煌く紫魂の槍を握り締めたままで見詰める先、漆黒の髪を逆立てて、やや釣り上がり気味の切れ長な鋭い真っ赤な目をした見たこともない男が、牙をむいてニヤッと笑って立っていたんだ。
 匡太郎とは似ても似つかない邪悪な顔立ちに、ああ、もしかしたらこれが翠祈の本当の姿なんじゃないかな…と、朦朧とする意識の中で思っていた。

『そうか、紫魂の槍を…貴様、何者だ?』

 旋風のような風を纏って前髪を掻き揚げる翠祈は、ニヤニヤと笑いながらジーンズのポケットに素っ気無く片手を突っ込んで立っていた。窮屈な場所から開放された喜びに、これ以上はないほど喜んでいるのが、淀んだ大気を震わせて伝わってくる。

「さっきから言ってるじゃねーか!オレは荒神だッ」

 それでも、やっぱり翠祈は翠祈なんだ。
 死霊鬼に誰何されて、ガックリしそうになった黒髪の翠祈は苛々したように吐き捨てて、それから日本刀を握っていたはずの両手を上向きに掲げたんだ。そうすると、その両手の上にボウッと青白い炎の玉が浮かび上がった。

「反撃開始だぜ?」

『ぬぅッ!』

 宣戦布告した翠祈が両手に持っている光の玉を投げつけると、死霊鬼は長い凶悪な爪を持つ両手でそれを弾くように振り払った。でも、炎の玉は空中で霧散すると、まるで大気の粒子を吸収したように再び集まって、長い槍のように細長くなると、死霊鬼に向かって襲い掛かっていた。
 死霊鬼は間一髪でそれを避けたんだけど、そうすると、前はがら空きになるんだから、隙を見逃さない翠祈が瞬時に移動して、ハッと漆黒の目を見開く死霊鬼にニヤッと笑ったんだ。

「オレは荒神だ、ちゃんと覚えとけよ?このクソッタレッ!」

 言うなり、翠祈の後ろに引いて反動をつけていた拳がその頬に思い切りクリティカルヒットした!
 僕はもう、だいぶ意識がハッキリしていたし、翠祈の変貌ぶりに目を白黒させていたんだけど、思わず倒れたままで、紫魂の槍を握ったまま両手で拳を握り締めてしまっていた。
 凄い凄い!翠祈、凄いッ!!
 咽喉がゼィゼィと喘ぐから言葉が出せないんだけど、僕はそれでもめいいっぱいの賞賛を翠祈に送っていた。
 流石に死霊鬼は腐敗した動く死体たちとは違って、首がもげたり頭が飛んだり、頬骨を砕いたりはしなかったんだけど、強かな衝撃はあったんだろう、口許から真っ赤な血を零しながら翠祈を突き飛ばし、フラフラと身体をよろけさせた。
 それでも、すぐにギッと睨み付けると、爪のはずなのに、金属的な音をガチガチと響かせて、凶悪な爪を構えて身構えたんだ。

「死霊鬼如きが荒神であるこのオレに敵うと、本気で思ってんのかよ?」

 神様なんだぜと、呆れたように嫣然と嗤う翠祈は、ジーンズとシャツって言う、匡太郎の服装には不似合いな邪悪さを持っていた。でも、どうして翠祈は、匡太郎じゃなくなったんだろう。
 匡太郎はどこに行ったんだろう…

『何故だ…荒神とは山神の下僕である山犬の物の怪ではないか。何故、山におらぬ?ましてや貴様を裏切った人間どもの子の為に、禁を冒してまで私と諍うのか』

 山犬の…物の怪?
 翠祈を裏切った人間の子…って、それは僕のことなの?
 死霊鬼は油断なく翠祈の様子を窺いながら、忌々しそうに吐き捨てた。
 僕は何がなんだか判らずに息苦しさに喘ぎながら、忌々しそうな顔をして下唇を突き出すような子供っぽい仕種の翠祈を見詰めていたんだ。

「そりゃもう、遠い昔の昔話だ。オレはあの、あたたかい手を忘れちゃいねーよ」

 でも翠祈は、顎を引いて、少し上目遣いに死霊鬼を見ると、犬歯を覗かせて嗤っている。
 纏う気配はどれも凶悪で凶暴そうだと言うのに、それでも僕は、翠祈がそうしてその場に立って、死霊鬼と対峙してくれている事実はとても心強いと思うことにして、今は考えずにおこうと思ったんだ。

『…ならば、貴様ならば、判るのではないか?』

 この想いが…声にならない死霊鬼の言霊が、何故か僕には聞こえたような気がした。

「ああ、判る。だが、それはダメだ。壱太は壱太であって、お前が恋焦がれる巫女じゃねぇ」

 それは翠祈も同じだったのか、それまでニヤニヤ嗤っていた口許を、不意にキュッと引き締めて、今までのおちゃらけっぷりからは想像もできないほど真摯な相貌をして死霊鬼を見詰めているようだった。
 僕には判らない長い時間を生きる2人には通じるものがあるのかもしれない、けど、僕にはそれは判らなかった。でも、翠祈が何を言いたいのか、それだけは、そんな僕にも判るような気がした。
 だってそれは、僕も感じていたことだから…誰かの身代わりに国安を連れ去ったのだとしたら、それはその人じゃなくて、それは国安なんだよ。巫女…に流人が恋をしていたことは初めて知ったけど、でも、それなら尚更、その人はもういないのに。
 もう、随分と昔に、いなくなってしまったのに。

『私はアレの魂を求めていた。今この手に戻ってきたあの清らかな魂が、現の身に宿ったとて、それはアレに代わりない』

「それは違うよッ」

 不意に、死霊鬼と翠祈が僕を見た。
 思わず、声に出してしまっていた思いに、僕は一瞬気圧されたけど、それでも、死霊鬼に間違って欲しくないと思っていた。僕と同じような、あんな過ちは犯してほしくないんだ。

「…たとえ誰かの生まれ変わりでも、国安は国安なんだ。他の誰でもない、国安なんだ!そうじゃないと…今ここにいる国安の心はどうなってしまうんだい?巫女の想いばかり優先して、じゃあ国安の心は?見向きもせずに、見捨てるなんて…そんなのは悲しいよ」

 そうだ、僕だって、誰かの身代わりで愛されたいなんて思わない。
 それに、誰かの身代わりとして愛することだってできないよ…
 だから、弟を失った両親が、執着するように僕を求めた時、僕は逃げるように家を出てしまった。だって、僕は僕なのに…たとえ弟を殺してしまった僕でも、やっぱり、小さい頃から僕を見て欲しかった。
 ポロポロと泣いてしまう僕に、死霊鬼は怪訝そうに眉を顰めたけど、翠祈は仕方なさそうに頬の緊張を緩めたみたいだった。

「光太郎の言うとおりだぜ。たとえ輪廻が存在したとしても、それは魂であって、本人ではない。現世を生きる魂は、国安壱太と言う人格を形成している。もう、あんたの巫女じゃねーんだよ」

 その言葉が、死霊鬼の何に触れたのか、それまで間合いを取るように身構えていた死霊鬼は、凶悪な面構えから、ふと、耳まで裂けていたはずの口が元に戻ってしまった。

『だが、それでは…私が鬼になった意味がない』

「それでもさ。凄まじい執念は賞賛に値するよ。だが、もう巫女はいない。あんただってそれは、とっくの昔に気付いていたはずだ」

 凶悪な爪ですら、今では元の長さに戻ってしまった。
 まるでホロホロと、執念と憎悪の殻が剥がれ落ちるように、死霊鬼の身体は最初に見た姿に戻ろうとしている。
 これだけの執念だったのに、でも、本当は死霊鬼が一番、この島から解放されたがっていたのではないかと僕は思っていた。
 いや、違う…死霊鬼が一番、巫女の死を認めていなかったんだ。

『…』

「あんたが必要とした巫女はもういないんだ。それはあんたが、壱太を抱いた時に気付いた筈だ」

 翠祈は淡々と呟いた。
 死霊鬼は無言で俯いているようだった。
 それなのに、不意に僕の身体はとてつもない悪寒に襲われてゾクッとしてしまった。

『…だが、それでも私にはアレの魂が必要なのだ!』

 叫ぶように言った途端、憎悪の権化のような姿になった死霊鬼は、長い爪で翠祈に襲い掛かった。一瞬でも油断してしまっていたのか、翠祈は僅かに避けきれず、その爪を肩と脇腹に受けてしまったようだった。思わず悲鳴を上げそうになった僕の目の前で、翠祈は唇を噛み締めるようにして言った。

《お前はバカだ。本当は何が必要なのか、お前は判っているはずなのに。そんなことも忘れ去って、過去の妄執に囚われもがき足掻いても報われず、巫女の思惑に堕ちるのか?》

 牙をむいて、真っ赤な紅蓮の双眸で睨みながら、口許から鮮血を滴らせる翠祈は、貫く指先はそのままで、両手を持ち上げると死霊鬼の頭を掴んで、それでもゆっくりと、しわがれたような、この世の者ではないような声で囁いていた。

《オレは気は長くない。死ね》

 翠祈は、驚愕に真っ黒な双眸を見開く死霊鬼に引導を与えようと、その両手にグッと力を込めようとした。でも、翠祈はその手を止めてしまったんだ。
 だって…

「や、めてくれ…頼む。ソイツは悪くないんだ」

 よろけるようにして、なんとか重い障子を引き摺り開けた国安が、縁側によろよろと姿を現した時、死霊鬼が、たった今殺されかかっていたはずだと言うのに、死霊鬼は全ての意識を国安に向けてしまったんだ。それは全身を無防備にするのと同じなんだから、あっと言う間に翠祈に殺されてしまったとしても仕方ないのに、それなのに、心配だったのは国安のことばかりだった。
 ああ、翠祈の言うとおりだと、僕も思うよ。

『来るな、お前は来るな…ッ』

 伸ばした指の爪はすぐに元の長さに戻っているし、顔も元のままだった。国安には、怨念に満ちた自分の浅ましい本性は見て欲しくないのかな。

「悪いのは、俺たちの一族なんだ…どうか、楠鬼を許してくれ」

 クスキと呼ばれた死霊鬼は、よろけて倒れそうになる国安の許に駆け寄ろうと、翠祈の存在など忘れてしまったかのように、真摯で必死な真っ黒の双眸で見詰めている。

「何も知らない楠鬼をこんな島に閉じ込めて、そのくせ…俺の先祖は楠鬼に束の間の愛を教えてしまった」

 本当はそんな気はなかったのに…と、国安はポロポロと泣きながら、助けるように抱き留めた死霊鬼の、血に染まる胸元に頬を寄せたようだった。

「巫女は…、この島から誰よりも逃げ出したかった巫女は、流れ着いた流人だった楠鬼を外の世界を見るためだけに利用して…愛することを教えたんだ。でも、巫女の愛は本気じゃなかった、その事実に気付いた楠鬼は死霊鬼になってしまったんだ。それでも、楠鬼は俺たち一族を恨むこともせずに、ただ、静かに巫女の生まれ変わりを信じて待ち続けていた。だから…悪いのは俺なんだ。楠鬼に殺されるなら、仕方ないよ」

 溜め息のように呟いた国安に、死霊鬼は、静かに涙を零しながら目蓋を閉じて首を左右に振っている。
 恐らく、恨みから酷く傷付けてしまった国安の身体は、思う以上のダメージを受けているんだと思う。なのに、死霊鬼は、翠祈が予想したように気付いてしまっていたんだ。
 何が必要で、何が大切なのか。

『私は…巫女の魂を待っていたのではない。私を心から受け入れてくれる壱太の魂だ』

「楠鬼…」

 泣きながら国安の額に額を寄せるようにして呟く死霊鬼に、僕は唐突にハッとして翠祈を見た。だって、翠祈は死霊鬼を殺そうとしたんだ、僕は翠祈を止めておかないと…振り返った先、翠祈は、漆黒の髪に真っ赤な双眸の、大きな犬歯を覗かせてニヤッと嗤っている翠祈は、穏やかな表情で見守っているみたいだった。
 ああ、そうか。
 殺す気なら、もうとっくの昔に両手に力を入れていたに違いない。でも翠祈は、そうはせずに、振り払われるままに身体を離していた。
 口許から血を零しながら、本当は痛いに違いないのに、それでも翠祈は、らしくもなく、満足そうに笑ってるんだから、おかしいね。

「翠祈…」

 どうしよう?と、僕が眉を寄せて首を傾げたら、翠祈は肩を竦めて両手を挙げて降参のポーズをしてから仕方なさそうに笑うと、そのガッシリとした腕を伸ばしてへたり込んでいる僕を引き起こそうとしてくれた。だから僕は、取り敢えず、2人が落ち着くのを待とうと思って、差し伸べられた腕を掴んで翠祈を見たんだ。
 翠祈を見て、僕は驚愕に双眸をこれ以上はないほど見開いて凍り付いてしまった。
 だって、翠祈の腹を貫いて、白くて華奢な血塗れの白い手が伸びて、僕が握る紫魂の槍を握り締めていたんだ。

「う…ッ、グ…は…ッッ」

 噛み締めた口許から鮮血が零れて、翠祈は額に脂汗をビッシリと浮かべながら僕の手を離すと、伸びている華奢でか細い腕を両手で掴んで呻いたんだ。

「す、翠祈!」

「こ…の、チクショッ……ゆ、だんしたッ」

 まるで苦悶に顔を歪める翠祈を嘲笑うかのように、華奢で白い腕はグリグリと蠢きながら紫魂の槍を僕からもぎ取ろうとしている。

「離すな!」

 翠祈の声が悲鳴のように響いて、僕は泣きながら凄まじい力で奪おうとする小さな腕から、紫魂の槍を護ろうとしていた。
 その僕の目に映ったのは、翠祈の腰を掴みながら、ニタリ…ッと嗤う沙夜ちゃんの顔だった。