死人返り 17  -死人遊戯-

 僕は白い砂浜で、寄せては返す波を見詰めながら、膝を抱えて座っていた。
 あの後、翠祈の指示通りに人間の姿になった死霊鬼と国安、それから僕は来た時と同じように船に乗って波埜神寄島を後にしたんだけど、その頃は既に空が白んでいたし、村人が起きていないとも限らないからと、途中で死霊鬼である楠鬼が僕を抱えて海に飛び込んで、国安は一人で浜辺に戻ることになった。
 僕は泳ぎは苦手ではなかったけど、山登りや歩き回ったせいで、思い切り足が攣りそうになって、楠鬼が支えてくれながら反対側の浜辺に泳ぎ着いたんだ。
 イロイロとあってヘトヘトだった国安と楠鬼は、今は国安の実家で休んでる。何かを悟っているような国安のお母さんが、恭しく2人を家の中に招き入れてしまったから、僕は、この島に来たばかりの頃のことを思い出していた…って、そんな前の話じゃないのにね。
 思い出すと、僅か数時間の出来事だったんだけど、僕にはもっともっと長く感じてしまっていた。
 この島に来たばかりの頃、国安は村の人から『壱太さま』と呼ばれていた。国安自身、両親に聞けば『時が来れば判る』と曖昧に誤魔化したって言ってたけど…その『時』って言うのが、きっとこの日だったんだろうと思うよ。
 国安は凄い力を持っていたって言うお壱さんの生まれ変わりだったから、いつか、紫紺の槍を受け継がねばならない人だったから、村の人たちは国安を大事に育てていたんだと思う。
 でも、今の波埜神寄島を見ると、最初の頃の禍々しさが嘘みたいに、淀んでいた空気も澄み渡って、どんよりしていた空も真夏らしくピーカンで気持ち良いぐらい晴れ渡っているんだ。
 だから、村の人たちには何が起こったのか、薄っすらと気付いているんじゃないかな。
 国安がもう『御霊送り』はしなくていい、と、ただ一言いっただけなのに、これだけ長く連綿と受け継がれてきた風習を、村長さんはいともあっさりと聞き入れたんだから。
 それに、突然合流したと言って連れて来た友人の男に対する彼らの態度は、畏怖と恐怖心と、安堵のような奇妙な表情をして受け入れてしまったんだ。僕と匡太郎のときはあからさまに警戒していたのに…だから、僕の計り知れないところで、何かが終焉したんだなと思えた。
 国安もそうだったのか、ホッとしたように息を吐いたけど、安心したように楠鬼を見上げていた。その顔は…同じ学科の美紀ちゃんが泣いてしまうね。
 それでも仕方ないのか。
 今の国安の顔を見ていたら、美紀ちゃんが可哀想だとか、口が裂けても言えないもの。
 それから、紫魂の槍はどうしたかと言うと、国安はもうこの村に紫魂の槍は必要ないからと、この先、もしかしたら僕たちにこそ必要になるときが来るかもしれないからって、僕に持っていて欲しいと言ったんだ。それで、今はあるところに隠してる。帰るときに、持って帰るつもりだ。
 村の人たちには、紫魂の槍の在り処どころか、その槍の存在自体、国安は知らないふりを決め込むことにしたようだった。誰も何も言わないから、このままきっと、永遠にこの村で紫魂の槍の存在は消えてしまうんだろうなぁと思うよ。
 そうして知らない人の、僕なんかの手に渡ってしまって…でも、だからこそ、これで本当に国安の一族も、そしてこの島の人たちも、縛り付けていた過去の因縁のような呪縛から解放されるんだろうね。
 国安は、翠祈が戻ってくるまで僕にも休むように言ったけど…って、それは翠祈がそうしろって最後に波埜神寄島で別れる時にしつこく言っていたからなんだけど、僕は眠って翠祈を待つ気にはなれなかった。
 だから、こうして真っ白な砂浜で膝を抱えて海を見詰めているんだ。
 もう、何時間ぐらいそうしていたのか…そうしたら、波頭に見え隠れする薄茶色の何かが見えて、僕は砂を振り払うのももどかしかったんだけど、慌てて立ち上がって額に両手を翳して遠くを、その茶色の何かが近付いてくるその場所を見たんだ。
 翠祈が言ったように、元に戻った姿は匡太郎で、何処にも翠祈の面影はないんだけど…滴る水滴はそのままで、海の中からザブザブと海水を蹴るようにして上がって来た匡太郎は全裸だったから、僕は慌てて小脇に服を抱えるようにして、両手で持っていたバスタオルを広げながら走り寄っていた。

「お帰り…えーっと?」

「匡太郎だよ、光太郎」

 ずぶ濡れの弟は僕からバスタオルを受け取って、髪の水滴を幾分か取った後、そのまま首に掛けて、僕から服を受け取りながら、なんだかバツが悪そうな顔をしてニッと笑ったんだ。
 その顔は確かに匡太郎で、なんだか、弟と会うのも久し振りのような気がして、僕は思わずニコッと笑ってしまっていた。

「匡太郎!お帰りッ」

 改めて言い直す僕の顔を、匡太郎は一瞬だけど、眩しそうに色素の薄い双眸を細めて見詰めていたけど、途端にちょっと不機嫌になって唇を尖らせると、素肌にジーンズを穿いてTシャツを着たんだ。
 ど、どうしたんだろう?

「翠祈と居てから、光太郎は変わったんだな」

「ええ?そんなことないよ、たった数時間しかいなかったのに…ところで、今、翠祈はどうしてるの?」

「心配?」

 匡太郎は顎を伝う水滴を、Tシャツの下から引き摺り出したバスタオルに吸い込ませながら、意味深な目付きで見下ろしてきてそんなことを言うから、意味もなく僕はドキッとしてしまった。

「そ、そりゃ、あのまんまで別れたんだから、心配じゃないって言えば嘘になるよ」

 それに僕は、お前のことだって心配してたんだからな!…と、ムッとしたように唇を尖らせたら、匡太郎は、翠祈だと絶対に見せない明るい顔で楽しそうに笑ったんだ。

「そっか、俺のことも心配してくれたんだね」

「当たり前だよ、こんなワケが判らなくて…そもそも、翠祈が匡太郎を甦らせたのなら、今回の旅行は全く意味がなかったってことになるじゃないかッ」

 そうなんだ、僕は匡太郎と翠祈が入れ替わってから、聞きたいことがたくさんあった。
 匡太郎は翠祈のことを秘密にしていたから、僕はこの生き返った現象に、何かの役に立つんじゃないかってこの神寄憑島に来たって言うのに、荒神の翠祈が甦らせたのならここに来た意味がないよ!
 『憑黄泉伝説』も死霊鬼のことだったし…はぁ、ホント、僕たちは何をしに来たんだろ。

「意味がないことはないよ。俺だって、翠祈が何者かは知らなかったんだ。ただ、必死に生きたくってさ。このまま死ぬなんて冗談じゃない!…って思ってたら、黒い靄みたいなのが近付いてきて、それが犬みたいな形になったから、俺は我武者羅に掴んでいたんだよ、その足を」

「それが、翠祈だったのか…」

「うん」

 匡太郎は至極真面目に頷いて、ちょっと話そうかと、僕が腰掛けていた場所に腰を下ろしたから、僕もそれに倣って真っ白い砂浜にもう一度座ったんだ。

「翠祈から、お前はもうダメだって言われて。なんだか判らないんだけど、よくないモノに殺されたからもう人間ではどうすることもできないから、黙ってくたばれとか言ったんだぜ、あいつ」

 酷いよなと呟いて、匡太郎は溜め息を吐いた。
 偶に見せていたあの大人びた表情は、翠祈を憑依させて、何か得体の知れないものに殺された恐怖を押し隠していたから、そんな表情になっていたのかもしれない。
 これは匡太郎が抱えていた秘密なんだ。

「最初は犬が喋るかよってビビッたけど、それどころじゃなかったし、もしかしたら神の化身とか…その時の俺は必死で、なんでもいいから縋りつきたかったんだよ。だから、なんでもするから助けてくれって言ったら…翠祈は、じゃあ、自分にその身体を寄越せって言ったんだ。慰める時に両手が欲しいからって、なんだか良く判らないことを言ってたんだけど、俺、それを承諾するしかなかったから頷いたんだ」

 だって、あんな感じで別れたままってのは嫌だったんだ…と呟いた匡太郎は、疲れたような顔をして僕の肩に頭を預けてきた。

「逢いたかったんだ、兄貴に…こんな俺って軽蔑する?」

 不安そうな上目遣いで見上げられて、僕は苦笑するしかない。
 僕にとって翠祈は、あの山で出逢った唯一の友人だった黒い犬だった。そして、手離してしまった最愛の弟が…どんな姿ででも、帰って来てくれたことを、軽蔑するなんて冗談じゃないよ。
 それどころか、僕は大いに歓迎だってしてみせるんだから。
 …確かに、昔の僕なら、そこまでして生きたかったのかと、気持ち悪いって言って、匡太郎を傷付けていたと思う。

「軽蔑なんかするワケないだろ?帰ってきてくれて有難う」

 照れ臭かったから、満面の笑みってのはできなかったけど、ちょっと笑って見下ろしたら、匡太郎はピーカンの夏の青空が似合うような笑顔を見せてくれた。
 釣られたように僕も笑って、それから、心からホッとしていた。
 どんな形でもいいから、弟を僕に返してくれた翠祈…君にも、心からお礼を言うよ。

「今は翠祈が寝てるからいいけど。思念は翠祈の方が強いんだ。だから、入れ替わるのも翠祈次第なんだよ。選択間違ったかな~って、今は後悔してる」

 ブツブツ悪態を吐く弟がおかしくって、僕は声をたてて笑ってしまった。
 そんな僕を見上げて笑っていた匡太郎は、ふと、一瞬だけ目蓋を閉じてしまった。

「覚えてろよ、匡太郎。後で酷いからな」

 半分眠っているんじゃないかってほど寝惚け声で呟いたら、匡太郎はハッとしたように目を覚まして、途端に眉を寄せてしまうんだ。

「うーん…やっぱ、選択を間違ったよなぁ」

 そんな風に真剣に眉を寄せて悩んでる姿もおかしかったけれど、一瞬でも、翠祈らしい言葉が聞けて、僕は漸く本当に安心して、心から笑うことができたんだ。
 よくないモノに殺されたと言う、匡太郎が翠祈から聞いたって言う言葉はとても気になったんだけど、翠祈がいる限り匡太郎は僕の傍にいるんだから、この旅行は確かに良かったのかもしれない。
 青い青い、何処までも澄んでいる空を見上げて、一抹の不安は心の奥に隠したまま、僕はそれでも全てを感謝して受け入れたいと思っていた。
 どんより暗かった僕の心は、波埜神寄島に渦巻いていた思念のように一掃されて、晴れやかだった。
 僕はもう、この心をけして忘れたりはしない。

-了-