死人返り 3  -死人遊戯-

 僕たちは電車と連絡船を乗り継いで神寄憑島に辿り着いた。車中ではまるで子供のように騒いでいた匡太郎と国安は、今は黙り込んで驚くほど静かだ。
 閉鎖的な村は国安の帰りは歓迎したものの、僕たちの存在は軽く無視されてしまった。それどころか、まるで嫌なものでも見るような目付きをしてコソコソと隠れてしまうんだ。
 だから匡太郎が怒って無言なのかと言うと、どうもそうではないみたいで。
 たぶん匡太郎も、僕がさっき感じたあの奇妙な違和感が原因で無口になってしまったんだと思う。

「壱太さま、よくぞお戻り下さいました」

「壱太さま」

 口々にそう言っては恭しく頭を下げる村民に、僕と匡太郎は面食らってしまったが、国安は苦虫を噛み潰したような表情をして適当に言葉を返していた。
 渡し守の役目…と言うことからでもなさそうなその村民の態度は、まるで昔からそうだったようにやけに自然な口調だったんだ。

「昔からなんだよな…別に村長の息子とかでもないのに」

 ポツリと国安が口を開いたんだけど、まるで僕の心中を透かし見たようなその台詞にドキッとしながらも、石造りのデコボコした緩やかな坂道を登りながら、僕は匡太郎と顔を見合わせた。

「どう言うことだ?」

 匡太郎が遠慮も臆面もなく口を開くと、肩越しにチラッと振り返って、国安は肩を竦めながら苦笑するんだ。

「言葉のまんまだよ。昔からこの村の住人は俺を『さま』付けで呼んで恭しく接するんだ。なんでかって親に聞いてみたけど、神妙な顔をして時が来れば判る…としか言わないんだよ。息苦しくってさ、それで村を出たってワケだ」

「ふーん。それも何かの言い伝えが原因とか?」

「さあな?俺も気になってそれを調べてるんだが、肝心なところが燃えちまっててワケが判らんのよ」

 わざとらしく溜め息を吐く国安に、匡太郎は視線を伏せて何かを考えているようだった。暫く会わないうちに、匡太郎は酷く大人びたと思う。
 以前のような無邪気さはときおり陰を潜め、思慮深く、ハッとするほど大人びた表情をするようになった。この1年、いったい匡太郎はどうやって過ごしてきたんだろう?誰と知り合って、何に縋りながら日々を過ごしていたんだろう。
 弟を支えてくれた人はいたんだろうか…
 僕は怖くて、まだ弟に空白の1年間のことは聞いていない。

「火事があったのか?」

「ああ、俺がまだガキの頃にな。文献が収められている波埜神寄島のあの社が燃えたんだ。その時、俺の2番目の妹が焼け死んだ」

「そいつは…悪い事を聞いた。ごめん」

 素直に謝る匡太郎に、国安は肩を叩きながら朗らかに笑って首を左右に振る。

「気にするなって。お前今年で17だっけ?だったら沙夜と同い年だな」

 生きていたら…と言って、眩しそうに双眸を細める国安に、それで匡太郎のことを無条件で可愛がるのかと僕は思った。僕は本当に冷たいのかもしれない、国安のことさえもこんなに知らないなんて…

「ほ、ほら!あそこで手を振ってるのって国安のお母さんじゃないのかい?」

 緩やかな坂を登りきった、見晴らしの良い高台に国安の実家はあった。
 旧い旧家の家屋は潮風に晒されながらも年月を積み重ね、荘厳とした佇まいでひっそりとそこに存在している。

「ああ」

 漸く笑顔らしい笑顔を取り戻した国安が腕を振り返すのを見て、僕はホッとしていた。この心の冷たさを知られたくなくて…事勿れ主義、うんざりする。

「あらま、イッちゃんの友達は男前じゃぁねぇ」

 恰幅の良い肝っ玉母さんを地でいっているような国安のお袋さんは、匡太郎を見て感心したようにほっこり微笑んでそう言った。

「電話で話しただろ?光太郎の弟なんだ」

「よう越しなったなぁ。はよう、家に入らんかね」

 嫌がる国安から荷物を奪い取ったお袋さんは、ニコニコと人の好い笑みを浮かべてガラガラと横引きのドアを開いて少し暗い室内に促してくれる。
 夏のキツイ陽射しの下から家の中に入ると妙にシンとして、一瞬暗くなったような錯覚になる。家屋の中は、ほんの少し潮の匂いがした。

「兄ちゃーん!お帰りぃ」

 唐突にドタドタと広そうな家の中に怒涛のような足音が響き渡って、チビッ子集団が姿を現すと問答無用で国安に飛び付いた。

「うわぁッ!」

 1、2…4人に飛びつかれたら誰だってこけそうになるよ。しかし、国安はもう、本当は予め判っていたんだろうなぁ。その子たちを全員受け止めて、あーあ、思いきり眦を下げちゃってるよ。兄弟思いなんだから…
 そんな微笑ましい光景を見ていたら、ふと傍らに立つ匡太郎に気づいた。
 微笑ましい光景に頬が緩んでいる匡太郎を、僕はこんな風に可愛がってあげることはなかった。小さい頃から当たり前のように傍にいて、懐いてくるのが当然のことだと思っていたんだ。
 僕は1度も、匡太郎を可愛がってあげたことはない。
 唐突に気付いて、不意にドキッとしたんだ。
 僕は、なんて冷たかったんだろう。
 兄だと思って甘えていたのは、本当は僕だったのかもしれないね…
 その弟が死ぬなんて…でも、死んだはずなのに目の前にいる。現時点でも、本当は既に死んでいるのに…そんな風に穏やかに笑っていると、まるで嘘みたいだね。
 夢でも見ているような気がするよ。

「よ、兄貴が帰ってくるなんて珍しいな」

 物思いに耽っていた僕を現実に引き戻すような声は、短パンにTシャツ姿の中学生ぐらいの少年のものだった。彼は一番最後に奥から出てきてアイスをぱくつきながら壁に凭れかかると、つまらなさそうに呟いた。

「出たな、ガキ大将。コイツは弟の二郎だ。で、この二人は兄ちゃんの親友とその弟だ」

 安直な名前が嫌いなのか、二郎と紹介された少年は不貞腐れた様に唇を尖らせて、それでも母親がニコニコ笑って見守っているから軽く頭を下げて挨拶した。

「こんちは」

「こんにちは」

 僕は笑って挨拶を返したけど、二郎くんの興味はすぐに弟の匡太郎にいったみたいだ。年齢的にはこの中で一番近いから、話が合うといいけど。

「はいはい、兄ちゃんたちを休ませてあげなぁねぇ」

 独特の方言で兄弟たちを散らすお袋さんに促されて、僕たちは漸く居間に通された。
 この島の無愛想な島民に比べて、国安の家族は比較的取っ付き易い。この大家族の中で国安の性格は構成されて、今の彼が存在するのだろう。僕は何となく、この家族に感謝したかった。
 僕のこの暗い性格でも受け入れてくれる国安の、その性格を築き上げてくれてありがとう、と。
 僕たちは先に国安の部屋に行った。
 そこは男3人で寝てもまだ広くて、狭い安アパートで暮らしていた僕としては凄く驚いた。でも、国安は慣れた様子(当たり前だけど)で、お袋さんから受け取っていた荷物を置いて、僕たちにゆっくりしてろよと言い置いて部屋から出て行ってしまったんだ。

「いい家族だよな」

 不意にポツリと匡太郎が呟いた。
 ハッとして顔を上げると、彼は小さく微笑んでいた。
 僕はその表情を見て、何も言えなくなった。
 ただ、微笑んでいるだけなのに、どうしてだろう。
 僕たちはすることもなく、何となく会話を交わしながら国安が来るのを待っていた。
 でも、僕の心の中は穏やかじゃなかったんだ。
 僕は、きっと弟を助けよう。
 そして、今度こそ、可愛がってやるんだ…