死人返り 7  -死人遊戯-

「…っと、ここまで来ればもう大丈夫かな?」

 両手を祈るように組んでギュッと両目を閉じていた僕の耳に、目深に被っていたフードを背に払ったのか、比較的明瞭な国安の声が毛布の向こう側から聞こえてきた。
 不意に潮の匂いが鼻をついて、気付いたら国安のヤツが毛布を剥ぎ取りながら立ち上がるように促していたんだ。

「お疲れさん。さて、これからの行動について話し合おうぜ」

「OK」

 やたら気さくに頷く匡太郎は、どうも俄然やる気を出したのか、好奇心旺盛は死んでも治

っていないようで…嬉しく思えばいいのか哀しく思うべきなのか、僕はどんな表情をしたらいいのか判らなくて眉を寄せてしまう。

「ん?なんだ、酔ったのか光太郎」

 ヘンな表情をしてしまっている僕の顔を、潮風に吹かれる真っ黒の前髪を掻き揚げながら真っ直ぐに覗き込んでくる匡太郎に、なぜだかドキンとしてしまうから本当に自分自身が良く判らなくなってしまう。どうして弟にトキメイたりしちゃってるんだろう、僕…んー、ヘンだ!

 思わず顔を赤くした僕に気付いたのか気付いていないのか、ちょっとおかしな表情をした匡太郎はなんだか慌てたように僕の前髪から手を離して「大丈夫ならいいんだけどさ…」とかなんとかブツブツと言いながら外方向いてしまった。
 …ヘンな匡太郎だ。
 真っ暗だし、辺りは朧げな月明かりしかないから…もしかしたら気付かなかったのかもしれないけど…うん、きっとそうだ。
 全く、どうして僕たち兄弟ってこうソックリなんだろう?ヘンな顔するところまで同じじゃなくったっていいのにな。
 匡太郎は気を取り直したように国安と話し始めた。
 その態度はまるで僕なんか頼りにしていないって風で、うーん、兄貴は僕の方だって言うのに、どうしてこう子供扱いされちゃうんだろう。

「前にも言った通り、社に棺桶を置いて船に戻るまでに4時間ぐらいしかない。どんなに大急ぎで漕いでもざっと1時間はかかるんだ。往復で2時間…となると、やっぱ向こうでの行動は迅速にやらなけりゃいけないってワケだ」

「そうか、別に古式に則って片道に2時間もかける必要はないんだな。と言うことは正味2時間が余るってワケだから4時間の余裕がある。ってことは、4時間で社の文献を調べて、島の中央にあるって言う山の祠まで行ってそこを調べて戻って来ないといけないってことか。まあ、楽勝…ってことないか」

 その通り、と国安は肩を竦めて匡太郎を見た。
 僕はと言えば、どうして揺れる小船に2人が立て話していられるのか不思議なぐらいで、波が作る揺れに立っていられなくて船底に座り込んだままでそんな2人を見上げているのが精一杯だった。

「山がどんなものかオレたちは知らない。でも二手に分かれないとロスは多くなる…ってことはじゃあ、山の祠にはオレたちで行くよ。国安さんは悪いけど、社のほうをお願いできるかな?」

 どこをどうしたら島の状況を全く知らない僕たちが祠の方に行かないといけないんだ!?
 勝手に話を進める匡太郎に口をぱくつかせて声にならない抗議をしていると、国安のヤツはちょっとホッとしたような顔をして頷き返していた。

「良かった。俺もちょうどそう言おうとしていたんだ。社には妹との関係があるんだ。何か判らないかと思って調べたくてね。まあ、もともと光太郎を誘ったのもそれが理由でさ」

「か、勝手に話を進めるなよ!き、匡太郎!山の祠って言ったら何が出るか…」

 思わず匡太郎の服の裾を掴んで抗議してしまう僕に、弟は仕方のないお兄ちゃんを見下ろして溜め息なんかついてくれた。うう、判ってるよ!子供だって言いたいんだろう!?
 でも!怖いものは怖いんだから仕方ないじゃないか!!…って、もとはそれを探るために来たんだもの、ここで挫けちゃったら全部がパアになることぐらい僕にだって判る。判るんだけど、でも…

「大丈夫さ。アニキはオレが守るって言っただろ?大船に乗ったつもりで頼ってもいいんだよ」

 僕はそんなに不安そうな顔をしていたのかな?
 弟は柔らかく微笑んで僕の頬に片手を差し伸べてきた。
 だから、安心して…と、匡太郎の表情が無言で物語っているから、いつまでも駄々を捏ねていたらそれこそ恥ずかしいし、国安の目的はもともと社にあったワケなんだから、便乗させてもらってる僕たちとしてはもう祠の方に行くしかないんだよね。
 うん、判ってる。判ってるんだよ…でも~
 往生際が悪くブツブツと訴える僕を、弟は仕方なさそうに微笑みながらウィンクなんかしてくれた。

「安心しろって、お兄ちゃん。いざとなったらオレが抱き上げて連れて逃げてやるからさ!」

 ウキウキとそんなことを言うな。

「僕が抱き上げて連れて逃げてあげるよ!…うう、判ったよ。国安にはムリにお願いしたんだから、こっちが譲歩しないと恩知らずになっちゃうからね」

 子供みたいに唇を尖らせる僕を見下ろしていた2人は、お互いに顔を見合わせると、首を傾げる僕の前で国安のヤツが溜め息をつきながら首を左右に振って、匡太郎の肩をポンポンと軽く叩いて言ったんだ。

「可愛いお兄ちゃんですこと。心配で、心配で仕方なくって生き返ったんだろ?お前」

 思わずドキッとしていたら…

「ビンゴ」

 匡太郎がクスッと笑って肩を竦めるから、それが彼らなりの冗談なんだと知ってホッとした。
 いけないな、こんなちょっとしたことでビクビクしてるようじゃ、堂々としてる弟よりも早くにヘンに勘繰られてしまうよ。ダメな兄貴になってしまうな、僕。
 だから気を取り直して僕は、わざと不貞腐れたように頬を膨らませてあげるんだ。
 怒ったんだぞとみせかけて、そうしたら国安と匡太郎は2人でプッと吹き出した。
 結局、2人ともこんな僕を馬鹿にして喜んでるってワケだ。
 ふふん、でも今夜の僕はとっても寛大だから、君たちがお子様に見えるんだって。
 プッと噴き出している匡太郎と国安、内心でふふんと他愛のないことで威張っている僕たちを乗せた御霊送りの小さな船は、一路波埜神寄島めざして静かに進んでいる。

◇ ◆ ◇

 ザザーンッと背後で波の音を聞きながら、僕はゴクリと息を飲み込んだ。
 そりゃあね、確かに少しぐらいは陰鬱とした島かもしれないんじゃないかな…ぐらいは想像していたけど、まさかこんなに想像どおりの不気味な島だなんて思ってもいなかった。
 だから船から降りて、なぜかそのままもう一度小船に乗り込もうとしていたら、匡太郎に抓み出されてしまったんだ。

「ふーん、雰囲気ある島だな」

 朧げな月明かり、ぬるい風に揺れる奇妙に捩れた木だとか、荒削りな岩が浮かび上がらせる陰影は…こ、怖い!…のに、匡太郎と国安は別に怯えた様子も見せずにケロッとして突っ立っているんだ。きっと、コイツら僕なんかよりもはるかに心臓に毛が生えてるに違いないよ。
 寒くもないのに…と言うか、むしろ暑くすらある島のぬるい風に肌を撫でられて、嫌でも声を上げそうになって唇を噛み締めた。

「よし、じゃあ棺を社に運ぼう。まずはそこからスタートだ」

 国安の声を合図にボケッと陰鬱そうな島を見渡していた匡太郎は頷くと、僕を押し退けるようにして棺桶の片方を抱え上げる手伝いをした。

「へーえ!凄いな、匡ちゃんv案外力持ちなんだな~、ってことは。よかったな、光太郎。抱き上げてもらって逃げ出せるぞ」

 本来なら男が3、4人で抱え上げる棺桶を、用意されていた道具も使わずにヒョイッと抱え上げてしまう匡太郎を驚いたように尻上がりの口笛を吹いて覗き込む国安は、それでも助かったと言わんばかりに肩を竦めてただ見守っているだけの役立たずの僕に「腰が抜けても大丈夫だな!」と辛辣な嫌味を言う。
 し、仕方ないだろ?民俗学で土堀も経験してるってのにひ弱なヤツで申し訳ありません!
 …でも、死んだはずの匡太郎に初めて会ったときから感じていたんだけど…
 匡太郎は以前よりも強くなったと思う。それに、力持ちになった。
 ボウッとしてることも多くなったけど、どこか大人っぽい仕種をするときもあるんだ。
 あんな風に惨たらしく死んでしまって、生き返ったお前はどうしてしまったんだろう。
 死に直面した時の記憶は残っているのかい?全身を走る痛みに耐えながらきっと、身体中の血液が流れ出るのを感じて…1歩ずつ死に近付きながら身体が冷たくなっていくのを、薄れていく意識の中で感じていた絶望感みたいなものがきっとあったに違いないんだ。
そのことを、お前は覚えているのかな…それは、地獄よりももっと恐ろしい、とても堪え難い究極の恐怖だったはずだ。
 ねえ、こんな弱虫な僕は聞いてやることも、尋ねることすらもできないでいるんだけど…匡太郎、やっぱりお前は苦しんでいるんだろう。
 打ち明けてしまうにはお前の兄は、とても頼りがないって思ってるんだよね?
 死んでしまうその寸前まで、きっとお前が後悔したのは、頼りなくて情けない僕を置いて逝ってしまうことだったのかな…それともそれは、僕の勝手な思い上がりなのかな。
 国安の掛け声に応えるようにして進む匡太郎の後を追いながら、俯き加減の僕はキュッと唇を噛み締めた。
 どうして僕は、こんな風に役立たずなんだろう…
 もっと、匡太郎が頼れるぐらいには強くなりたいのに。
 もっともっと…そこまで考えて、僕は今さらになって漸く、今回この島に来た本当の目的を思い出したんだ。
 もちろん、死人返り伝説の文献を調べることも大事なんだけど、僕の本当の目的はこの旅で強くなるんだって決めたこと。匡太郎が安心できるように、もし、そんなことは考えたくもないんだけど…匡太郎が本当に最後の時を迎えた時は、弟が安心して逝けるように強い兄になるんだって決めていたじゃないか。
 なのに…どうして今この僕は、弟を死なせてしまいたくないと思っているんだろう?
 どうしてだろう?
 僕は、目の前の匡太郎の背中を見つめながら、最後の時なんかこなければいいのにと思っていた。
 大人っぽい仕種をするようになった弟の本当の安らぎが死であるのなら、兄である僕は懸命にその術を探してあげなければいけないのだろう。
 でも…噛み締めていた歯から力が抜けて、僕は居た堪れなくて俯いてしまう。
 僕は、弟に死んでほしくはない。
 まるでフラッシュバックするように脳裏に何かが閃いて、それまで頭の中でモヤモヤしてるものがなんであるのか判らなかったんだけど、僕はその正体が漸く判ったような気がした。
 迷っているなら成仏させてあげないと…幽霊みたいに他の人には見えないってワケじゃなくて、堂々と存在感のある匡太郎だけど、それでも迷って生き返ってしまったのなら成仏させてあげないと…バカみたいにそんなことばかり考えていることに、僕は引っ掛かっていたんだ。
 どうして成仏させないといけないんだろう?
 弟はこうして息こそはしていないけど、ちゃんと目の前に立って歩いてると言うのに、どうしてもう一度殺さなくちゃいけないんだろう?
 僕は、怖いとかそんな感情ではなくて…この島から逃げ出したいと思い始めていた…