9  -ヴァンパイアと真夜中に踊れ-

 デュークは電球の弾け飛んだ殺風景な天井を見上げたままで、ポツリポツリと語り始めた。
 貧血を起こしていた俺は、そんなデュークの胸元に凭れたままで、悔しいけど話を聞いてるしかなかったんだ。

《あれは…16世紀の中期か後期ぐらいの頃だったと思うよ。もしかしたらもっと前かもしれないけれど…もう、随分と昔のことだからね、記憶が曖昧なのはご愛嬌だとでも思ってくれる?まあ、もともと、妖魔という生き物には家族という習性を持たないんだ。その当時、妖魔の間では奇妙な現象が流行していてね。血液の媒介で種族を増やす…とか。やっぱり、独りぼっちは寂しいのかな?》

 皮肉げに笑うデュークの話を聞いていて、俺は軽く息を吐きながら「ああ…」と頷いていた。
 俗に言う、あのブラム・ストーカーの吸血鬼が血を吸って仲間にするってことなんだろう。
 強ちウソでもなかったのか…

《ボクはそれに興味がなかった。仲間たちは人間をどんどん仲間にしていたし、それをしないでいるボクを異端の者でも見るような目でみていたけれど。自分たちこそ妖魔の癖にね》

 クスクスと笑いながら、デュークはそれでもどこか寂しそうだった。

《ボクは…人間を仲間にしても無意味なことを知っていたからね。本当は連中だってそうだったのに、それでも心の奥底にいつもポッカリと空いている穴は深くて、吹き上げてくる風は冷たかったから仕方なかったんだと思う。純粋な妖魔は次々と人間を仲間にしては、虚しさに苦しんでいた。そんな馬鹿げた行為が流行していた頃、ボクはあることにとり憑かれていたんだ》

 なんだと思う?…と小首を傾げながら覗き込んでくる金色の双眸をムッとしたままで見返してやった。判るかってんだ。

「判るかよ」

 素っ気無く答えたら、微かに発光するディープブルーの髪を持つ妖魔はクスクスと笑って、それでこそボクの光太郎だとかなんとか呟いていた。

《“創り出すこと”だよ》

「はあ?」

《判らないかな。ボクが、ボク自身が創り出すと言うことだよ。人間をただ仲間にするなんてゾッとしないしね。他の誰かと寝て子供を作るなんてことはもっとゾッとしない。だったら自分で創っちゃおかな~とか、安直に思いついてしまってね》

 困ったな~とでも言いたそうに笑うデュークを、この時になって俺は漸くコイツが、実はとんでもなく強い妖魔で、限りなく我が侭で、半端じゃない間抜けなんだと言うことに気付いたんだ。
 安直に思いついただけで妖魔を創り出すって言うのか!?
 いや、寧ろどうやって創りだしたって言うんだ?
 俺は呆れながらも興味深々でデュークの言葉に耳を傾けていた。

《手始めに創りだしたのがアークだよ。彼にボクは、ボクの持つ力…まあ攻撃力ってヤツかな?それを与えたんだ》

 突拍子もない台詞に俺の思考回路がバーストしそうになった。
 は?今、なんて言ったんだ??
 アークを創りだした?
 アイツとは双子じゃなかったのか??
 クエスチョンマークだらけになる俺の頭なんかお構いなしに、デュークは一方的に話を続けていた。

《これが意外と面倒臭いことに気付いたのは別の妖魔に攻撃された時でね~。結局、ボクは自らの血液を代償にしないと戦うことも出来なくなったんだ》

「…つーことは、アークが死ねばお前も死ぬのか?」

 なんか、ワケの判らん質問だったかもしれないけど、面倒臭い存在のアークを消せないとなると、やっぱりそう思うのが自然なことじゃないかな。

《別に?ボクが死ねばアークも死ぬけど、アークが死んでもボクには攻撃力が戻ってくるってだけのことだよ。ボクがアークを消せなかったのは…他の妖魔と一緒、独りになるのが忍びなくてね》

 照れ臭そうに笑ったのは、長い時間を独りぼっちで過ごしてきたデュークが手に入れたモノは、俺たち人間が考えるよりももっと奥深いものだったからなんだろうと思えた。ただ、それがどれほど貴重なものであるかなんてことは、今の俺では…いや、人間として生きている俺では到底はかり知ることなんてできない領域の問題なんだろうけど。

《調子に乗ったボクは、死にかけた人間を見つけたんだ。雨が降っていて、薄ら寒い午後だった。ペストが流行った後の街はどこも蛻の殻で寂しいぐらい静かで、その時もアークはあの調子でふらふらしていたから、唐突に独りぼっちになったみたいで寂しかったのかな?死にかけた人間に、悪戯に生命力を与えたんだ。やった行為が結局、ボクが笑ってた連中と同じだったかどうかと言うことは今となっても判らないんだけど…それがシークだよ》

 遠い昔の出来事で、記憶が曖昧なんだと釘をさしながらも、デュークのヤツはどうやらその脳裏に当時のことを鮮明に思い出してるようだった。

《ボクたちの性格はそれぞれバラバラでね。アークはボクが創り出したせいかそれこそ顔はソックリだったんだけど、なぜか性格はまるで正反対だった。ボクはどちらかと言うと執着心の強いタイプだけど、アークの場合は闘争心が強いカンジ。恋愛とかよりも喧嘩を優先しちゃうタイプだね。シークの場合は…妖魔のボクが言うのもなんなんだけど、鬼畜とでも言うのかな?》

 言い難そうに言葉を選んでいたデュークは、仕方なさそうにポツリと言ったんだ。

《人間だった時の性格が妖魔の体質にどんな影響力を与えたのかはボクには判らない。ただ、よほど人間の時は女好きだったみたいでねぇ…仲間にした後に放り出すのも忍びなくて、嫌がるアークを説得して傍に置いていたんだけど。シークはいつも古巣に女を連れ込んでいたよ。そのくせ、仲間にするワケでもなく食餌にしては打ち捨てていた。酷いヤツでしょ?》

 クスクスと笑いながらも、デュークの金色の双眸はそれほど愉快ではないと物語っている。
 このデュークと言う妖魔は、どうも妖魔らしくないと思う。
 恐らく、アークに攻撃力を与えた時に妖魔としての本質も手渡してしまったのかもしれない。いや、コイツらはきっと2人で1人なんだろう。妖魔の残虐性と素っ気無さはアークが、妖魔がどこかに持ち合わせている人間を憐れむ優しさのようなものがデュークに残ったんじゃないのかな。
 アークが不思議がっていた俺を好きだという気持ちも、別の固体を生み出してしまった副作用のようなものなんだろう。
 あくまでもこれは、俺の勝手な推測なんだけど…

《そんなある日…あれは、17世紀もそろそろ終焉を迎えていた時だったかな、シークが1人の少女を連れて帰ってきたんだ。日本人かどうかは今となっても判らないけれど…アジア系のその少女は酷く怯えていた。どんな方法で連れてきたのかはだいたい想像はついたけど、それでも結局、ボクには興味がなかったからね。沙弥音と言う名前で食餌にする気だとシークは言っていたよ》

 デュークは言葉を切って何事かに思考を廻らしているようだったけど、不意に小さく苦笑したんだ。

《名前を覚えていたってだけでも目覚しい進化だね…シークは賢い妖魔ではあったけど、とても愚かでもあった。自分の恋心にも気付けなくて》

 誰かを思いやる心なんか、妖魔が持っていちゃおかしいと俺は思う。
 でもそれは、妖魔は残酷かもしれないと言う先入観を持っているからそう思うのであって、本物の妖魔ってヤツには、もしかしたらこんな風に、人間と同じようにいろんな性格のヤツがいるのかもしれないなぁ…

《沙弥音は大人しい素直な娘だったよ。無体に扱われても、奴隷のように過酷な命令を与えられても従順で大人しくて…瞳をキラキラさせながらシークを慕っていた》

 そこでデュークはちょっと考え込んで、頷いた。

《うん、きっと最初から沙弥音はシークを好きだったんだろうね。シークもそれに気付いていたのかな?どんな気紛れだったのか、どこでその方法を聞きつけたのか、ある日シークは沙弥音を仲間にしてしまったんだ》

「仲間…って言うとその、同じ吸血鬼にしたってことか?」

 判り切っていることだったけど、今さらながら聞く俺に、デュークは小さく肩を竦めて見せた。

《吸血鬼…なんて呼ぶのは人間だけだから。はたしてボクがそうだよと言ってもいいのかどうか判らないけどね。面倒くさいから、もうそれでもいいよ》

 この野郎…と俺が思っても仕方ないと思うけど、そんなことぐらいでいちいち話を中断しても面白くないんで、俺はムッとしたまま黙り込んで先を促したんだ。その沈黙をどう受け取ったのか、デュークはでも、別に気にした様子もなく遠い昔話に戻った。

《仲間にしたことをアークは酷く怒っていたようだったけど、シークは丁度良い小間使いができた程度にしか思っていないみたいだった。まあ、現に沙弥音は実によく働いていたよ。シークは金色の髪と白い肌が好みでね、沙弥音は愛する妖魔のために、バカみたいに2日おきに女を調達していた》

 ふと、見上げたデュークの双眸が険悪な光を宿していて、語尾のきつさからもその行為を酷く嫌悪しているんだなと言うことは判った。
 どうでもいいことだとか言いながら、デュークはもしかしたら、その沙弥音と言う少女を結構気に入っていたんじゃないかと思う。
 …と言うか、デュークはもしかしたら、考えたくはないんだがコイツはまあ、簡単に言えば一夫一婦制と言う道徳心を重んじてるんじゃないだろうか?
 いや、全く考えたくはないんだが。

《どんな気分だったんだろうね?好きな男が他の女と戯れるのを傍らで見ているってのは?ボクは実に執着心が強いから、そんなマゾヒスティックなことはお断りだけど》

 フンッと鼻先で笑って、デュークは溜め息をついた。

《きっと、シークはそんな時間がいつまでも続くと信じてしまったんだろうね。沙弥音の無償の愛が、何かを狂わせて、ボクたちが簡単に手に入れてしまう永遠と言う膨大な時間を無意味なものにしてしまったのかな…》

 独り言のように呟いたデュークは、もう弾けて、何の意味もなさない電灯の残骸を見上げていた。
 その胸に去来する思いが、いったいどんなものなのか、俺は知ろうとも思わなければ知りたいとも思わなかった。
 なんだかそれは、とても陰惨で冷たいもののような気がしたからだ。

《あの日も雨で、街はまるで沈黙に支配されてでもいるかのように静かだった。シークは丘の上の館に住む貴族の娘を気に入ってしまって、でもモチロン、その頃はもう人間で言うところの“吸血鬼”の噂は実しやかに流れていたし、ヴァンパイアハンターと言う胡散臭い連中が我が物顔で低級妖魔を狩っていた時代でもあるから、食餌を調達するのはなかなか骨折りだったんだ。そのくせ、シークは怠惰な生活に溺れきっていたからその全てを沙弥音に任せていた》

 語尾を吐き捨てたデュークは少しハッとしたようで、照れ臭そうに前髪を掻き揚げて話を続けた。

《沙弥音も従順にそれに従っていたから、シークが望む娘を手に入れようと、あのバカな娘は考えてしまったんだろうね。シークはモチロン、本当にその娘を手に入れる気なんかなかったんだよ》

 そう言われて、唐突に俺は首を傾げた。
 だっておかしいじゃないか。今までの話だと、沙弥音はシークが欲しがるものは全て手に入れてきたんだろ?だったら、丘の上の貴族の娘だって、気に入れば手に入れる気だってことじゃないか。

「どうして手に入れる気なんかなかったんだ?」

 素朴な疑問に、デュークは金色の双眸を細めて見下ろしてきた。

《さっきも言ったと思うけど、その当時はもうヴァンパイアハンターなんて言う俗な仕事が当たり前の時代だったから、モチロン、その高貴な娘が巷を賑わせている“吸血鬼”に狙われると予め予測していた父親がハンターを雇っていたんだよ》

 それを聞いて俺はなるほどと頷いた。
 ヴァンパイアハンターなんかに煩わされなくても、コイツらなら簡単に人間なんか襲えるんだろう。
 今こうして、俺を労わるこの腕だって、一皮むけば兇器以外の何ものでもないんだ…

《コイツが厄介なハンターでね。良く言えば腕が立つってことなんだろうけど、とんだ狸親爺だったってワケ》

 肩を竦めるデュークから並々ならぬ嫌悪感を感じ取って、なるほど、相当手を焼かされたに違いないんだろう。

《妖魔になって日も浅いし、高々人間上がりの妖魔とも呼べない半人前が創り出した半人前以下の沙弥音なんかが、到底倒せる相手なんかじゃないことをシークもボクたちも知っていたからね。シークの悪い冗談が始まったぐらいにしか思っていなかったんだ…でも、沙弥音は違った》

 言葉を噛み締めるようにいったん思考を閉ざしたデュークは、まるで人間がするように思念の声にあわせてゆっくりと口を開いたんだ。

《アレは無邪気でお人好しでバカな娘だったから、シークの言葉をそのままいつもの要望として受け止めてしまったんだろうね。ボクが行ったときには、沙弥音はもう半死状態だったよ》

 妖魔は死なないと豪語していたデュークに、ふと違和感を覚えて見上げたものの、そこには人間から妖魔になった存在と、最初から妖魔だった存在では何かが違うんだろうと言うことを、俺だってここまで聞けば少しぐらい判るようになってたから敢えて何も口にしなかった。
 でもデュークは、俺がやっぱり理解していないだろうと思ったのか、ちゃんとご丁寧に説明してくれた。ありがとうよ、フンッ。

《ある特殊な条件下でならボクたち妖魔にだって完全なる死があると言うことを言ってなかったね。知りたい?だったらいつか、その時が来たら教えてあげるよ》

 そう言って、デュークは凄く綺麗な顔で微笑んでから先を続けた。

『完全なる死に導くための条件』

 聞きたいような聞きたくないような、こんな強い連中にどんな弱点があるって言うんだ、聞いてもどうせ掴み所のない飄々とした内容に違いない。そうして俺は、また煙に巻かれるんだろう。
 だったら聞かない方がいいや。

《雨が降り出した街は酷く寒くて心細くて、ボクは奇妙な焦燥感に駆り立てられていた。ある種の予感のようなものがボクを焦らせて、そして、別に行く気もなかった丘の上の洋館まで導いたんだろうね。ボクがそこで目にしたのは…》

 一瞬、言葉を区切って、デュークにしては珍しく小さな溜め息を零した。
 口からキチンと『はぁ』と言ったんだ。
 鼻先だけで溜め息を吐くことはあったんだけど…なんと言うか、そう言う小さな変化にもドキッとしてしまう俺がいる。
 今耳にしている話は、もう100年以上も前の話だと言うのに。
 どこかで、あの不気味な化け物に成り果ててしまったシークのヤツが、血塗られたような真っ赤な双眸をぎらつかせながら耳を欹て、闇の中で呼吸しているような気がして知らず強張らせた身体をデュークに寄せていた。
 そんな俺の態度に気付いたのか、デュークのヤツは背中に回していた腕に力を込めて、俺の髪に頬を埋めてきたんだ。

《沙弥音の哀れな姿だったよ…ヴァンパイアハンターって言うのは目下名ばかりの連中で、低級淫魔や、ともすれば偶然姿を現した精霊なんかを捕まえては、性行為に耽るような輩が多くてね》

 そこまで言われて、俺は沙弥音がどんな風になっていたのか想像がついてしまった。
 同じ人間としてそれは、許されないことだろうし、妖魔よりも悪質で顔を上げられなかった。

《なまじ、霊力?とでも言うのかな、そんなものを持っている人間ってのは性質が悪い。ボクが言うのもなんだけど、その力を良い方向性で行使すれば丸く収まるところでも、どうしてなんだろうね、人間と言う生き物は必ずそれを悪用したがるんだ》

 デュークの言いたいことは痛いほどよく判る。
 本来ならその台詞は、妖魔と対峙した人間が声高に叫ぶ正当性であるはずなのに…妖魔に言われちゃ面目ない。

「沙弥音はその…やっぱり…」

 言葉を選ぶ俺に、優しさをチラリと見せるくせに、すぐに妖魔の顔に戻ったデュークは肩を竦めてズバリと言いやがる。

《犯されていたよ。見るも無残なほど出鱈目に。虫の息の沙弥音を見た瞬間…んー、ボクとしては珍しく頭に血が上っちゃった》

 照れ臭そうにポツリと呟くデュークを、頭に頬をくっ付けられている格好じゃ見上げることもできないんで、俺は不思議に思っていた。

《沙弥音は、ボクにしてみたら可愛い妹みたいなものでね。アークやシークとも違う、その、なんて言うか穏やかさがあったんだ。物事を良く聞いてくる子でね、ヒマな午後なんか読書をしてると足許にちょこんと座って「アレはなんですか?」「これはどう言うことですか?」ってね、よく尋ねられて。ボクはぼんやりとそれに受け答えながら永遠に続く退屈な日々を過ごしていた。でも、ボクはその時間がとても好きだったんだよ》

 話を聞いてるだけで浮かんでくる情景は、古い街並みに似合う洋館で、暖炉の前で退屈そうに本を読んでいるコイツの足許に座り込んで、興味津々で見上げている少女…人間のような、いやもしかすると人間よりも人間らしい感情を持っているデュークなら、きっとそれは、愛すべき日々だったに違いない。

《結局、ボクはヴァンパイハンターを名乗る彼の首を圧し折って沙弥音を助けたんだけど…彼女の双眸はもう虚空を見つめてしかいなかったし、うわ言のように呼ぶのはシークだけだった。でも》

 呟くように囁いて、デュークは一旦言葉を切ると、溜め息をついて話を続けた。

《一瞬だけ正気を取り戻した彼女は、光太郎みたいに勝気な黒い瞳をキラキラさせて、最期にボクに言ったんだ。なんて言ったと思う?》

 困ったような口調の質問に俺は首を横に振るだけだった。

《「わたしはシーク様を忘れないでしょうか?」…忘れないかだって?そんなのボクに判るワケないじゃない。でもね、沙弥音は常々ボクに聞いていたんだよ。妖魔は死ねば魂が残らないから転生することもない。でも人間は、生まれ変わることができる。では、人間から妖魔になった者はどうなるんだってね》

 妖魔で、なんでも知っているデュークにすら難解な質問を、俺なんかが答えられるはずもなく、黙ってその先を聞いてることにしたんだ。

《ボクは考えもしなかった。妖魔は消えてしまっても、残される人間は形を変えても生き続ける…光太郎を愛するまで、そんなこと思い出しもしなかったよ。ボクが死ねば、ボクのこの想いはどこにいってしまうんだろう…シークはそれに耐えられなくて遠き異国の旅人に成り果ててしまった。半人前の妖魔が創り出した半人前以下の妖魔に人間の規定が当て嵌まるのだとしたら、沙弥音は次の形に変わって甦る、でも、半人前とは言え、正当なる妖魔が作り出した自分の魂やその想いは、いったいどこに行ってしまうんだろう?》

 ともすれば自分に言い聞かせるように話し続けるデュークの、その身体中からチリッと大気を焼くような奇妙な気配が流れ出していることに俺は気付いた。
 それは殺気?それとも怒り?それとも…まさか、不安?

《シークはね。沙弥音を抱きしめて大急ぎで帰ってきたずぶ濡れのボクを見て、はじめは笑っていたよ。攫ってきた娘を抱きながら、血と精液がこびり付いた哀れな沙弥音の遺体とボクを交互に見比べて、酒に酔っていたのか、それとも、ボクが悪戯に教えた輪廻の仕組みを覚えていたのか、彼はその時、まだ沙弥音が生まれ変わるんだと信じていたようだった。「言うことはない?」と聞いても、肩を竦めて鼻先で笑うだけだったから、ボクは首を左右に振りながら「そう」とだけ答えていた。沙弥音に声が伝わるのは今だけなんだけどって言っても、シークは目先の快楽に溺れちゃっていてね、とうとうその声は沙弥音に届くことはなかったんだ。ほどなくして、妖魔らしく、指先から崩れだした沙弥音の灰は開け放たれた窓から、濡れた街に流れて逝ってしまった。もう、どこに逝ったのかも判らなくて、その後を追うこともできない場所に逝ってしまったんだ》

 そこまで一気に話したデュークは、軽く呼吸を整えると、俺の頭にもっと頬を摺り寄せながら先を続けてくれた。

《その様子を見て、その時になって漸く、あの愚かな妖魔は自分の犯した過ちと失態に気付いたのか、それとも不安になったのか、ボクに詰め寄ってきたんだよね。だから沙弥音がどうなってどうなるのか教えてやったってワケ。でも、気付いたって今さらもう遅いんだよ。そこで、人間上がりの半人前の妖魔が下した結論は、ボクが沙弥音を誑かして丘の上の洋館に行かせたって思い込むこと。本当は好きだったくせにね。手離して初めて気付いても、もう遅いんだ。何もかも遅すぎるんだよ》

 呟いて、溜め息。
 どうしたって言うんだ、デューク。
 妖魔なんだろ?妖魔じゃないか。
 どうしてそんなにもお前は、痛ましそうに話すことができるんだよ。
 そんなの、妖魔らしくないじゃないか…

《ねえ、光太郎。光太郎はいいね、人間だから。想いを抱えたまま何度だって転生することができる…でも、妖魔は違うんだよ。思いを抱えたまま、どこに逝ってしまうんだろう。いや、人間ですら、その想いを抱えられることもなく、どこか遠い場所で彷徨ってしまうことだってあるんだ。いわばルーレットのような確率に縋るしかないってワケ。『死』は矛盾ではないよ。いつだって、ボクたち妖魔に永遠があるように、死にも永遠が付き纏っているんだ。妖魔と死は表裏一体なんだよ。シークはそれに気付くのが遅すぎたんだろうね》

「死に永遠?俺にはよく判らない」

 呟くと、デュークは小さく笑った。
 光太郎はまだ幼いから判らなくても仕方ないんだ…不可視の、声にも思念にもならないような感情がそんな風に語りかけてきたような錯覚がした。
 俺も大概、デュークに感化されつつあると思う。

《死は永遠だよ。『永遠の別れ』だ》

 それは妖魔にも繋がることだと、コイツは言いたいのだろう。
 妖魔の仕組みも、死の仕組みも俺なんかにはよく判らない。
 だが、今回のこの厄介な事件の背景には、それが色濃く染み付いちまってるんだろう。
 シークは沙弥音を恋焦がれて遠き異国の旅人になった。そして、その姿のまま、沙弥音の魂を持っている女性を、或いは男を、或いは動物を…捜しているんだろう。見つかることなんか、きっとないだろうと本能のどこかで知りながら、それを信じることができなくて、最悪の姿になってまでも手離してしまった最愛の宝を捜し続けている…悲しい妖魔の話だ。
 ああ、だからデュークは、コイツは少しでも俺を離そうとしないし、執着しちまってるんだろう。
 妖魔の中に普遍に受け継がれている確信が、コイツを常に不安にさせているんだ。
 愛しあえるのは今だけ、そんな刹那の感情を俺には理解できない。
 寂しいな、と思うし哀れだとも思う。
 だけど。
 ああ、だけど。
 デュークは言わなかったか?
 人間ですら、転生の確率はルーレットのようなモノだ…ってことは、転生しないことだってある、賭けのようなものってことだろ?
 妖魔にしろ人間にしろ、もう一度、逢えるなんて確証はまるでないんだ。
 そんな一瞬の邂逅だからこそ、俺たちは必死でお互いを繋ぎとめようと努力するんじゃないか。
 だからこそシーク、俺はアンタを見逃すわけにはいかない。
 俺は。
 この瞬間を必死で生きているあのお袋さんの願いを、人間として叶えたい。
 たとえそれが、妖魔にとって身勝手な行為だとしても、俺は叶えたいんだ。
 俺は、人間だから。