プロローグ  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 俺の名前は篠原光太郎。俺には風変わりな友人(?)がいる。
 まず、この話をするためにその友人について説明するべきだろう。
 ソイツは入学時から何かと目立つ存在だったから、俺も名前と噂と顔ぐらいは知っていた。
 ヤツの名は都築一葉。かずはとかいちようと読みそうだが、いちはが正解だ。
 全体的に色素の薄い、かつ目鼻立ちのハッキリした高身長のイケメンは、ハーフは勿論のこと、海外の王族の落胤とか異国の血と交わったために追放されたどっかの国の王子などなど…真しやかにトンでもない噂が付きまとう御曹司様だ。
 実家はヤクザだとか某大企業の経営者だとか華族だとか、ヤツの背景の噂も千差万別で、いったい何が正しいのかよく判らなかった。
 後で判明した事実は、元華族出の父と北欧の小さな街出身の母を持ち、かつヤクザ紛いの手法で財を成した大企業の経営者が祖父で、その大企業の後継者なんだとか。
 ほぼ噂通りの期待を裏切らないヤツだってことは確かだ。
 そんな都築と庶民の俺との間に、知り合う接点なんか殆どなかった。
 合コンにしたって付き合う女や友達のレベルも違えば、取り巻く環境も何もかも違うし、何より俺、合コンとか行かないし興味もないしさ。
 俺らとは違う華やかなグループに属する都築と平凡な俺が知り合う切欠になったのは、たまたま被ったゼミの新歓コンパだった。
 気付けばヤツは、非常にすんなりと俺たちのグループに溶け込み、庶民の居酒屋で大きく口を開けてバカ笑いするような親しみやすさで、驚くほど呆気なく馴染んでいった。
 しかもオブラートに包まれていたみたいなその性格も、前期の試験前にはボロが出まくっていたっけ。
 都築は大雑把な感じの女好きで、酷いときには日替わりなんてこともあって、構内の女は全員竿姉妹になってるなんて、そんな下世話な噂が出るくらいにはだらしなかった。
 だから、それほど真面目ではないものの、童貞の俺からしたらやっかみ半分本音半分で苦手な相手だったのは確かだ。
 できれば絶対に関わりたくない都築と俺が今の関係に陥った決定的な最初の事件は、やっぱり出る気のなかった合コンにお互い参加したことだったと思う。
 都築と寝たい女が盛った薬か何かで体調が悪くなったヤツが、たまたま近くに座っていた同じゼミってだけが接点の俺に、自宅まで送れと言って来たんだ。
 かなり上から目線だったし、隣りに座ってんのは何時もつるんでるヤツなんですけど何で俺?と思わなくもなかったけど、気分悪い時に発情した女の相手もしんどいだろうし、何時もつるんでるヤツは都築そっちのけで一番可愛いって人気の彼女を口説いてる最中で都築どころじゃなさそうだし、指名されたし、おんなじゼミだし、具合悪そうなのを放っておけるほど鬼畜でもないし…まあ、正直に言えばそろそろ抜け出したいとも思っていたから仕方なく引き受けることにした。 
 長々と言い訳を言ったけど、それだけ俺は都築と関わり合いたくなかったんだ。
 豪華にタクシーで帰るって言うから、タクシーに乗せれば大丈夫かってたかをくくる俺に、青褪めた紙みたいな顔色をした都築はタクシー代を奢るから家まで送れと、やっぱり上から目線で不機嫌そうに言うから、仕方なく同乗して都築に聞いていた住所を人の善さそうな運転手に伝えて、具合が悪そうに眉根を寄せて瞼を閉じたまま俺に凭れ掛かる背中を撫でていた。

「吐きそうだ…」

 不意に口許を押さえる都築の呟きに、運転手が困ったようにバックミラーからこちらをチラチラ見るし、狭い車内で吐かれるのも面倒だし…何より都築の家より俺んちの方が近かったから急遽行き先を変更したら、都築のヤツは怪訝そうに俺を見たものの、額に汗を浮かべたまま何も言わずに大人しく肩に凭れてくれた。
 暫く走ってから到着した俺んちは、都築が住んでるだろう高級マンションとは程遠い、風呂とトイレが付いてるだけが自慢のボロアパートの2階に連行したものの、何か言いたそうに顔を顰めたけども、俺は何も言わせずに取り敢えず上着を剥ぎ取ってからベッドに眠らせた。
 毎日シーツは交換してるんだから、シングルだからって文句言うなと思いながら、用意した洗面器に途中で何度か吐いた都築に水を飲ませたり、汚れたシャツを量販店で買っておいたジャージに着替えさせたりしているうちに、だんだん具合も良くなったようで、そのうち静かに寝息を立てるようになったから、俺も諸々始末して、ベッドの横の狭いエリアにお客さん用の布団を敷いて横になった。
 その時はもう2時を回っていたけど、レポートで遅くなることもあるし、まぁ許容範囲かなと思う。
 欠伸をしてスヤァ…と眠って、朝食の準備で早起きする癖のある俺が寝苦しさで7時に目を覚ましたワケなんだか、一瞬、何が起こっているのかよく判らなかった。
 狭い布団に潜り込んで都築、お前は何を背後からしがみついているんだ。
 尻の少し上辺りにゴリゴリするモノを押し付けられていて、ああ、朝立ちかと理解しつつも朝から不愉快だし、ぎゅうぎゅう抱きついてくる腕も苦しいしで、たぶん女を連れ込んでると勘違いしてるんだろう都築に軽く肘鉄を喰らわせて半覚醒を促した。

「ほら、俺は女じゃねえよ。朝飯の用意をしてやるから、もう少しベッドで寝てろよ」

 半覚醒しながらも俺に抱きついたまま、すんすんと頭の匂いなんか嗅ぎやがるから、いよいよ堪り兼ねて起き上がり、何かブツブツ言っている都築の寝惚けた重い身体をベッドに放り出して、さっさと布団を畳んで押し入れに仕舞うと、欠伸をしながらユニットの洗面台で顔を洗って歯を磨いて、完全に目を覚ましたから朝食の準備に取り掛かった。

□ ■ □ ■ □

 完全に覚醒した都築は最初、非常に不機嫌な顔付きをしていた。
 なまじ整った顔をしてるもんだから、不機嫌さは手に取るようによく判る。
 食卓にも勉強机にもしているちゃぶ台に並ぶ和風の朝食に、何か食えないものでもあったのかと首を傾げていると、都築はキョロキョロと落ち着きなく俺の部屋を見渡してから、「マジかよ…」とぼやいて顔を顰めた。
 お持ち帰り予定の女の部屋じゃなかったことに、今更ながらうんざりしてるってワケか。なら、嫌いなモンがあるワケじゃないんだ、そのうち落ち着いたら食うだろぐらいの気持ちで、不機嫌野郎は無視して朝飯を胃袋におさめ始めたら、イライラしてそうに俺の顔を見た都築はもう一度、ちゃぶ台の上の朝飯一式を見下ろしたみたいだった。

「朝はエッグベネディクトかスラット、呑んだ翌日はフレンチトーストにエスプレッソって決めてんだけど…」

 えっぐべね…?なに言ってるんだ、コイツ。

「ほら、金を出すから買って来い」

 昨夜、ベッドに眠らせる前にズボンから抜いてヤツの横に投げ出していたウォレットを取り上げると、幾つかあるカードのひとつを抜いて、不機嫌そうに突き付けて来ながらコンビニにパシらせようとしやがる。

「えっぐべね…?かなんか知らんけど。篠原家特製和朝食だ、食ってみろって。コンビニの弁当より美味いぞ」

 ブツブツ言う都築に、俺は動かしていた箸で行儀悪く食卓を指し示しながらニヤッと笑った。
 都築は嫌そうに眉を潜めたものの、他は用意してやんねーよの態度を崩さない俺に諦めたのか、渋々箸を持って、まずはシジミの味噌汁に口をつけた。
 昨日の合コンで、酒に強いからってしこたま呑んでるみたいだったから、今日は冷凍していたシジミで味噌汁を作ってみた。
 本当はシジミの佃煮を作るつもりだったんだけど、まあ、俺も久し振りに呑んじゃったしね。
 ハーフな御曹司君はやっぱり朝飯もお洒落な洋食なんだろうけど、たまには庶民の和風な朝飯も食っとけってさ。
 一口啜ってちょっと眉をあげた都築は気に入ったのか、気付けばマコガレイの煮物もヒジキの煮物も祖母ちゃん直伝の糠漬けも甘めの卵焼きもすっかり完食して、シジミの味噌汁と俺特製のヒジキの煮物が気に入ったのか、もう少し食いたそうな顔をしていたからお代わりをご飯と一緒に出してやったら、ちょっと嬉しそうにそっちも完食してしまった。
 但し、都築は坊ちゃん仕様なので後片付け属性は全くないらしく、提供したものを嬉しそうに完食されて上機嫌の俺が茶碗を片付けるのを尻目に、ウォレットと同じく投げ出していたスマホをベッドに凭れたままで弄っていたようだったけど、茶碗を洗う俺をじっくりと観察しているみたいだ。

「お前、料理ができるんだな」

 ただ単に手遊びしているだけらしいスマホを適当に弄りながらぶっきら棒に言うから、俺は洗った茶碗を籠の中に伏せて水切りしながらニヤッと笑った。

「おう、貧乏暇なしの一人暮らしだからな。美味かったろ?」

 振り返らなくてもじっと見つめているのは判っていたから、肩を竦めてニヤニヤ言ってやると、最初あれだけブツブツ言ってたくせに見事に完食してしまってバツが悪いのか、都築は不貞腐れたように鼻を鳴らして言い返してきた。

「食えなくはない」

「ぶっは!」

 思わず盛大に噴出したのが不味かったのか、他人に笑われることもそんなにない御曹司はいよいよ不機嫌になってむっつりとスマホに集中するふりなんかしやがるから、なお更笑いたくなるのも仕方ないよな。

「都築って上品でお洒落さんだからさ、どーせ朝飯なんてちょっとしか食わないんだろ?たまにはたくさん食ったほうがいいんだよ。男の子なんだからな」

 夜に吐いたから腹が減ってたんだとかなんだとか、ぶうぶう拗ねる都築にテキパキと茶碗を片付けながら言ってやると、俺をじっと観察している都築は、暫く何かを考えているようだったけど、ふと思いついたように口を開いた。

「夜も自分で作るのか?」

「あ?いや、だいたいバイトの賄いかな。バイトが休みの日は自分で作るけど」

「ふーん」

 水切りの籠に全て洗い終えた食器を伏せてから、俺は布巾で手を拭いながらそう言えばと思い出した。

「そうだ、都築のシャツ。ゲロ塗れだったから洗ったんだけど、俺んちお洒落着洗い用の洗剤とかないから普通ので洗ったけど良かったか?一応、ぬるま湯で手洗いはしたけどさ」

「ああ、いいよ。あれはもう捨てる。新しい服を持って来させる」

 わざわざ人が寝る前に洗ってやったモノをなんだその言い方は。

「お前さ、金持ちなのは判るけど洗濯すればまだ着れるものを捨てるとか気軽に言うなよ」

 どこかに電話を掛けようとしていた都築は、相変わらず眉間に皺を寄せたままで、面倒臭そうに片目を眇めて言いやがった。

「勿体無いって?じゃあ、お前にやるよ」

「そう言う事じゃ…って、まあ、モノの考え方が違うなら何を言っても意味がないな。だったらもういいよ。有難く貰っとくよ」

 肩を竦めて溜め息を吐くと、都築は少し戸惑ったように「ああ…」と呟いてじっと俺を見つめてくる。
 じっと見つめるのはコイツの癖なんだろうか?
 ともかく、自分が悪いことを言ったという観念はないようで、どうして俺が呆れたように溜め息を吐いたのか判らないと言いたげな目付きをしていたけど、たった一度世話しただけで、今後はほぼ接点もない都築に説明するのも面倒臭かったんで、俺はその眼差しを無視することにした。

「都築、今日は何コマ目からあるんだ?」

 1コマ目でも余裕で行ける時間だけど、そう言えば聞き忘れていたな。

「他のヤツはやるって言ったら喜ぶのに、どうして篠原は喜ばないんだ。モノが悪いのか……あ?ああ、1コマ目からだ」

 またブツブツ言っていた都築はだけど、ハッとしたように顔を上げて、それから思い出したようにどこかに電話を掛けた。

「ああ、オレだ。適当にコーディネートして一式持ってきてくれ。住所は…」

 俺に目線で尋ねるから住所を教えてやると、都築はそのまま伝えて電話を切った。
 どうやら本当に新しいのを持って来させるつもりのようで、目の前の図体ばかりでかいガキみたいな男が、本当に御曹司なんだなぁと自分で散々言っておきながらも改めて実感した。
 周囲の噂だと、上にねーちゃんが2人、下に妹が1人の見事な女系一家に産まれた待望の1人息子ということもあって、金にモノを言わせて蝶よ花よと育てられたって聞くから、まあ、ゲロに塗れたシャツなんか、たとえ5万も10万もしても、もう着る価値なんかコイツにはないんだろうなぁ。

「じゃあ、服を持ってきてもらって着替えたら間に合うな」

 壁に掛けたシンプルな時計を見上げて言ったら、電話の間もじっと俺を見つめていた都築は、少し顎を上げるような、横柄な態度で聞いてきた。何にしても態度悪いんだよな、コイツ。

「お前は何コマ目からだ?」

「俺?俺は今日は3コマ目からだから余裕だ」

 何となく笑って言ったら、俯き加減に唇を尖らせて「ふーん」と気のない返事をしてきた。
 興味がないなら聞かなきゃいいのにと思いながらも、そこは未知の御曹司様の思考回路なんで、俺はやっぱり肩を竦めるだけだ。

「今夜はバイトか?」

「ああ、そうだよ」

「どこで、何時までするんだ?」

 唐突に聞いてくるから軽く頷くと、少し残念そうな顔つきをして、でもどうでもよさそうに頭を掻きながらさらに聞いてくる。だから興味がないなら…もういいや。
 御曹司だとバイトなんかしないで遊んで暮らせるワケだから、俺自身には興味はないけどバイトってモノがどんなものか気になるんだろうな。

「ほら、駅前に『村さ来い』って某有名チェーン店のぱっちもんみたいな名前の居酒屋があるだろ?あそこで1時までだよ」

 時給がいいし店長もいい人だし賄いは美味いしで、俺にとってのライフラインでありお気に入りのバイト先だ。

「この前、ゼミの連中で行った居酒屋?」

「あ、そうそう」

「ふーん」

 そう言えば都築は御曹司なんだけど居酒屋とかにも平気で来ていたな。
 都築の目鼻立ちのはっきりとした洋風の顔立ちを見ていると、カフェバーとか、ショットバーでお洒落に酒を嗜んでいるようなイメージがあるんだけど、たぶんあの華やかなグループとはそういった店にも行くんだろうけど、居酒屋で焼酎を呷りながら煙草を吹かせて、猥談に参加するようなオッサン臭いとこもあったりする。
 とは言え、そこは女好きの都築だ。解散時にはちゃっかりOLのおねえちゃんをお持ち帰りしていたけどさ。
 ちょうど話が途切れたころでドアがノックされたから、どうやら都築の洋服一式が届けられたようだと俺が玄関に行ってドアを開くと、ドアの向こう側には壮年の男が幾つかの箱を抱えて立っていた。

「篠原様、わたくしは『ツヅキ・アルティメット・セキュリティサービス』に所属しております一葉様付きの興梠と申します。この度は一葉様が大変お世話になりました。こちらは仰せ付かりました衣装となります。コーディネートは木村が行いましたとお伝え下さいませ」

「ああ、はいはい。って言うか、どうぞ入ってください」

 自分は怪しい者ではないとまず身分を名乗り、それから恭しく頭を下げられて、そして幾つかの箱を差し出すと言う一連の動作を玄関先で行われてしまった俺は、ご近所から奇異の目で見られないとも限らないので、気安くどうぞと身体をずらして招き入れようとした、のに。

「興梠!荷物は篠原に渡して下で待ってろ」

 こんな狭いアパートなんだから伝えるよりも伝わっていた都築が、何時の間にか俺の背後に来て不機嫌そうに腕を組んで立ったまま、横柄に顎で俺を指し示しながら胡乱な目付きで興梠さんを睨んだみたいだった。

「なんだお前、わざわざ荷物を持ってきてくれたのに礼もなしで待ってろって、ちょっと酷くないか?」

「とんでもありません」

 ぶすっとした都築が口を開く前に、興梠さんが即座に否定し、恭しく俺に幾つかの…数えてみたら5個ほどもある箱を渡して、頭を垂れる一礼をしてさっさと鉄製の階段を降りて行ってしまった。
 まあ、都築付きのひとってことだから、命令は絶対なんだろうけどさ。

「いいんだよ。興梠はオレが命じたことに従うためだけにいるんだ。謂わば感情のあるロボットみたいなもんだ。アイツもオレも礼なんか気にしない」

 お前たちの特殊な関係なら気にしないんだろうけど、一派庶民の俺は大いに気になるんだけど…とは言え、とは言えだ。今後、殆ど接点がなくなるだろう俺が、連綿と受け継がれる都築家の慣わしに口を挟める立場ではないんだし、「そっか」と言って肩を竦めるぐらいが妥当な対応だろうなと思うよ。
 そうして箱を持って部屋に戻る俺を、やっぱり少し動揺したような目付きで追ってきた都築は、自分の発言の何が俺を呆れさせ、諦めさせているのかがさっぱり判らないようで、何か言いたそうに何度か形の良い唇を噛んだみたいだった。

「…この部屋は狭いな」

 言うべき言葉が見つからなかったのか、不機嫌そうに都築は腕を組んで突っ立ったままで俺の部屋を貶しやがった。
 そりゃ、お前ぐらいタッパもウエイトもあればこの部屋は狭いんだろうが、日本人男性の平均身長と体重をちょっと上回っているぐらいの俺にはぴったりの居心地いい居住空間なんだよ!

「そりゃ、お前んちの何十畳もあるんだろう高級マンションに比べたら天と地の差だろうけど、このアパートは普通の貧乏学生が住むにしたって手頃でいい部屋なんだぞ」

 文句あるかとベッドに置いた箱の蓋を1つずつ開きながら軽く睨んでやると、珍しく少し慌てたような仕種で首を左右に振ると、俺の傍まで歩いて来て箱の中身を覗き込むようなふりをして都築はじっと俺を見つめながら口を開いた。

「オレのところ、空いている部屋が幾つもあるんだ」

 はいはい、お金持ちお金持ち。
 都築のマンション自慢とか珍しいなと思いながらも肩を竦めて、何万だか何十万だかするシャツやジャケットを取り出していると、すぐ間近で俺の横顔をじっと見つめながらポロッとおかしなことを口走ったんだ。

「お前、オレの部屋に住んだらどうだ。ハウスキーパーとかいいんじゃないか。お前のバイトの合計額の倍の金額で雇ってもいいぞ」

 ……は?
 高級そうなヴィンテージデニムを取り出しつつ振り向けば、思ったよりも近くにこちらをじっと見据える色素の薄い双眸があって、一瞬何故かひやりとした。

「幾つかバイトの掛け持ちをしているんだろ?後期試験もあるし、オレの部屋に住み込みなら家賃と光熱費と食費はフリーでいい。部屋の掃除と3度の食事、あと…」

 俺をじっと見つめながら少し考える仕種をした都築は、1人で納得したように頷いて言った。

「オレの話し相手になれ」

「あ、いや断る」

 少し身体をずらして距離を取った俺が、まさか断るなんて思ってもいなかったように、ぽかんと、見目麗しい都築にしては間抜け面をして眉根を寄せた。

「……どうしてだ?ちゃんと契約書も作成してやるぞ。条件の見直しも都度、行ってやってもいい」

 こんなに好条件なのに何が不満なんだと探るような目をして俺を見据える都築は、俺が開いた分だけ距離を詰めて首を傾げて言い募った。

「いや、だから住み込みでハウスキーパーとかガラじゃねえし」

 慌てて両手と首を横に振ってさらに断る俺に、ムッとしたような不機嫌丸出しの面で、都築は腰に手をやって片手で顎の辺りを擦りながら、何が問題なんだと思いつく限りのことを口にし始めたりする。
 いやいや、だからそうじゃなくて。

「お前の作る食事は悪くないし、部屋の中も掃除が行き届いている。確かにオレの部屋は友人連中のたまり場になることもあって、パーティーとかでかなり酷い状態になることもある。その時はちゃんと専門のハウスキーパーを雇うから、お前は休日にしていいんだ」

「俺は誰かと一緒に住む気なんてないんだよ。独りがいい」

 せっかく実家を離れて独り暮らしにウハウハしてるのに、どうして女好きの御曹司と一緒に暮らさないといけないんだ。
 きっと部屋にも女を連れ込むに違いないし、パーティーなんか噂では乱交だとか薬も飛び交うとか醜聞しか届いてこないし、それでなくても童貞なんだから都築が関わってる女なんかに食われたら堪らないよ。
 俺は健全な女の子と出会うためにコンビニとか色んなバイトをしてるんだ!
 もちろん、これは都築には内緒の話だが。

「…そうか。じゃあ、よく考えみてくれ。それで気が変わったら声を掛けろ。何か条件が必要なら相談に乗る」

「ああ、うん。判った」

 尚も食い下がろうとするから、俺は適当に頷くことにした。そうでもしないと、この押し問答が続いて都築が遅刻しかねないことになりそうだし、何より、押しの強い御曹司パワーに押し切られそうで怖かった。
 都築は俺の貸したジャージの上着とチノパンを脱ぐと、起き抜けに入った風呂で着替えていた大きさ違いでどうしようと思っていたボクサーパンツは(興梠さんは下着まで用意していたけど)そのままで、シャツにヴィンテージデニム、ジャケットを羽織るとこのボロいアパートには似つかわしくないイケメン御曹司様が出来上がっていた。

「じゃあ、気を付けてな」

 外しておいてやった時計とは違う高級腕時計を嵌めている都築に声を掛けると、ヤツはなんと言うか、ほんの少し途方に暮れたような顔をして、それから最初の時のようにキョロキョロと俺の部屋を見渡している。
 たった数時間しかいなかった部屋に愛着でも出てきたのか?
 いや、そんなまさかだ。
 でもまあ、狭い場所は広い家に住み着けた人間には落ち着くこともあるのかもしれないしな、よく判んないけども。

「チノパンも捨てるのか?時計は?」

 なかなか出掛けようとしない都築に、その辺りに放っている高級腕時計と脱ぎ散らかしているチノパンを掴んで見せると、ちょっと嫌そうに眉を寄せながらも、都築はやっぱり「いらない」と首を横に振った。
 チノパンは始末に負えるけども、さすがにうん百万はしそうな腕時計は始末できないぞと眉を寄せて困った顔をしてやったら、何か考えているようだった都築は、それから徐に顔を上げてきっぱりと言ったんだ。

「じゃあ、それは預けておく」

「はぁ?!」

 思わず素っ頓狂な声が出てしまったら、都築のヤツはうんざりしたような顔をして唇を尖らせたりするから、俺はどんな顔をすりゃいいんだよ。

「何時もは泊まらせてもらった礼で置いていくんだよ。でも、お前は絶対に受け取らないんだろ?」

 服だって本当はいらないと判っているのか、都築は少し真剣な表情をして首を傾げてみせた。

「だから、服も時計も預けておく。お前がオレのハウスキーパーになる時に、返してもらう」

「ななな…ッッ」

 自分の考えに満足したのか、ここに来て初めて爽やかにニッコリ笑った都築は、そう言うとさっさと部屋を出て行ってしまった。
 なんなんだ、アイツは。
 こんな防犯もクソもないボロアパートに、数百万の腕時計と数十万相当の服を一式置いて、預けるって何だよ?!盗まれたら、俺が弁償しないといけないんじゃないか??
 まあ、この部屋にそんな高級なものがあるなんて誰も想像もしないだろうけど、現物を見ている俺としては気が休まらないし不安しかない。
 これはアレか、ハウスキーパーにならせるための罠なのか。
 そこまで考えてガックリと部屋の中で膝を折った俺だったが、結局は都築が勝手に置いて行ったようなもんだし、アイツもいらねって唾でも吐きそうな勢いだったワケなんだから、保管だけ確りしておけばいいんじゃないかと思ったのは事実だ。
 ただ、これが。
 俺と都築を繋げる縁になるなんて、思いもしなかったけど…