2.部屋に勝手に入っている(但し合鍵は渡していない)  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 よく晴れた平日の午後、店長の要請で連日バイトに入っていたせいでかなり寝不足な俺は、久し振りに午後のコマが休講で全滅したのでいそいそと部屋に戻ってきた。
 取り敢えず、今日はこれから思うさまガッツリ寝るぞって心意気で、鼻歌でも歌いたい気分で鍵穴に鍵を挿し込んで手応えのなさに…ああ、またかとガックリと肩を落としたくなる。
 ノブを回せば案の定、鍵はかかっていなかったようだ。
 何故なのか?決まってる。
 靴を脱いですぐにキッチンと部屋なワケだが、狭いその場所にはシングルベッドが置かれている。そのシングルベッドの足許側には、見覚えのない男の足がにょっきりと宙に浮くようにして生えている。

「都築。俺、お前に合鍵って渡してないよな」

 俺の枕に思い切り顔を押し付けて熟睡しているらしい不審者からの返事はない。どうせまた、昨日はバイト先で俺の観察と視姦とセクハラに勤しんだ後、華やかグループの仲間と連れ立ってクラブとかその辺りで明け方まで遊んだか、女の子と遊んだかして、そのまま俺の部屋に来てるんだと思われる。
 興梠さんが迎えに行ってくれるんだから、その足で自宅に帰って広いベッドで眠ればいいのに、都築は「ちょっと検討する」と言ったあの日からずっとこんな感じで俺の家に入り浸っている。
 しつこいようだが、合鍵は渡していない。

「都築、都築!お前がベッドで寝たら、俺が眠られないッ」

 朝に脱いで行った部屋着に着替えてから、剥き出しの肩に手を掛けて揺すっても、低く唸るぐらいで起き出す気配すらない。
 俺んちのシャワーを勝手に浴びて、押入れに突っ込んでいる服用の収納ボックス(100円ショップで購入)から俺が几帳面に畳んでいるスウェットのズボンだけ引っ張り出して穿いている現状は、御曹司と言うよりも家主だ。いや、家主は俺だ。
 恐らくご丁寧に脱いだ服は洗濯機の中に甘い匂いをさせて沈んでいるんだろう。
 もうヘトヘトだったからシャワーなんか浴びる気にもなっていない俺は、諦めたように溜め息を吐いて、それから押入れにある客用の布団一式を取りに行こうとやれやれと立ち上がった。立ち上がって、背後からにゅっと伸びた腕にグッと腰を掴まれてベッドに攫われてしまった。
 これは都築の無意識の行動で、おおかた、俺を遊んできた女の子とか男とかと勘違いしているんだろう。でも、もう眠気MAXの俺はそんなことどうでもよくて、サクッと抱え揚げられる猫なんかはこんなどうでもいいような気持ちなんだろうなぁとかどうでもいいことばかり考えながら、頬に触れる裸の肌の温もりに絆されて、うとうとと眠ってしまった。
 文句は言おう。起きてまだ居たら…
 ……。
 そりゃ居るよね。
 俺をガッチリと抱き締めるようにして眠る都築が居ないなんて、やっぱり睡眠不足は思考能力を低下させるんだなぁ。
 抱き枕宜しくしがみ付かれる息苦しさで目覚めた俺は、どうしようもない現実に鼻を鳴らして、それから腹が減ったなぁと思いながら都築の腕の中から問答無用で抜け出した。
 欠伸をしながらトイレとバスが一体になっているユニットの扉を開いたところで、合鍵なんか渡していないはずなのに、この狭い部屋の中の唯一の安らぎ空間を占拠していた長身で大柄の男は低く呻きながら覚醒したみたいだった。
 時計を見ると19時を少し回ったところで、小用を足して洗面台で手を洗ってから、眠気覚ましに顔を洗おうとしていたら、背後から大男に圧し掛かるようにして腰を抱き締められた。
 色素の薄いやわらかな頭髪を持つ都築は、酷く眠そうな感じで額を俺の肩に擦り付けながら意味のない言葉をブツブツと呻いている。どうやら昨夜行ったクラブで軽いドラッグを引っ掛けて酒でも飲みながら女の子と遊んだんだろう、その薬が抜けないとほざいているみたいだ。

「知るかよってな。シャワー浴びても駄目なんだから、うちに居ないでお前んちに帰って興梠さんにどうにかしてもらった方がいいんじゃないか?」

「酷いな、すぐ追い出そうとする。いいから夕食を食わせてくれ」

 欠伸を噛み殺しながら胡乱な目付きで鏡の向こうから睨む都築に、100円ショップで買ったゴムで前髪を縛りながら、俺は呆れたように溜め息を吐きつつ舌を出してやった。

「魔法使いじゃないので頼まれてすぐにお出しすることはできません。家に帰って出前でも頼んでください」

 長身の大男を背中に乗せたままでジャブジャブと顔を洗っていると、都築のヤツは少しムッとしたような顔をして「すぐに用意しろって言ってるワケじゃない」とかなんとか、不機嫌そうに唇を尖らせているみたいだ。
 誰も居ないと思っている部屋に帰宅した時に鍵が開いていて、部屋の窓を見れば電気が点いていたときは、すわ親父が上京でもしてきたんだろうかと期待半分、頑固で礼儀正しいあの親父が何の連絡もなくいきなり尋ねてくることはまずないと確信しているだけに、不安とこんな何もないボロアパートにまさかの泥棒かと少し怯えながらドアを開いた時の衝撃を今でも忘れられない。

「…俺、都築に合鍵って渡してなかったよな?」

 初めて都築に不法侵入された時に開口一番で言った台詞を、フェイスタオルで顔を拭きながら鏡の中の仏頂面の男に呟けば、都築はあの時と全く同じ台詞を返してきた。

「お前がうちに来ないんだから、オレが来てやってるんだ。何が悪い」

 そっか、俺が行かないから悪いのか。だったら、都築がピッキングだか不正取得した鍵で合鍵を作ってんだかして部屋に不法侵入してても仕方ないよな。今後、絶対に鍵を替えるって決めた。
 そもそも、返事になっていないだろ。

「俺が契約している不動産屋って、確かオリエンタル不動産って言うんだけど…都築んとこの系列か?」

「…」

 腰に回していた腕をそのままで、抱き締めるようにしてくっ付いている男を引き摺りながら部屋に戻る俺の頭上で、恐らく都築は素知らぬ顔で外方向いているんだろう。

「俺は知りませんなんてツラしてても許さないからな。鍵の出所を言わなかったら飯にあり付けると思うな。今後は叩き出されると思え」

 どうやら俺が本気でご立腹してプリプリしていると理解したんだろう、都築は参ったように腰に回していた両腕を挙げて、それから仕方なさそうに不機嫌にぶつぶつと口を開いた。

「オリエンタル不動産は都築グループ傘下の不動産屋だから、興梠と視察だと言って店舗に行って、それから、適当な理由でこのアパートの鍵を借りたんだ。それで、興梠に合鍵を作らせた」

 しぶしぶと言った感じでちゃぶ台に投げ出していたウォレットから取り出された、まだ真新しいこの部屋のコピーされた鍵を見せられて、まあ、薬だの乱交だの凡その悪いことはなんでもやってるとは言えお坊ちゃんだから、ピッキングなんて真似はしていなかったんだなと少し安心した。
 ピッキングだったら二度と家に入れるつもりはなかった。問答無用で叩き出してやる。
 軽く溜め息を吐いたら鍵を奪われると思ったのか、都築は素早くウォレットの中に隠してしまった。俺が勝手にウォレットを触らないと知っているからの所業なんだけど、目に余るなら問答無用で取り上げるけどね、俺は。

「…せめて、部屋に来る前に連絡ぐらいくれ。それから、寝るのはいいけど鍵は掛けておいてくれ。何もないとは言っても、泥棒にでも入られたらお前が危ないだろ」

 豚肩スライスと、この前都築が絶賛した鰤のあら煮を作った時に余った生姜があったからさっくりと生姜焼きを作ってガッツリお肉を食うぞとフライパンを出しながら言うと、都築は少し神妙な顔をしたものの、肩を竦めて呆れたように言い返されてしまった。

「オレが居る間はこの部屋は常に監視されているんだ。泥棒なんか入れない」

 ああ、まあそうだな。
 都築王国のたった1人しか居ない次代後継者たる王子様なんだ、こんな安っぽい鍵しかないアパートで爆睡できるのは、俺の知らない見えないところで絶対的なセキュリティが発動しているからなんだろう。
 確か興梠さんを派遣しているツヅキ・アルティメット・セキュリティサービス株式会社とかって警備保障が業界No.1って宣伝しているぐらいなんだから、その中でも興梠さんは凄腕だろうな。
 あれだ、SPとかってヤツじゃないのかな。
 たぶん、今この時も興梠さんだけじゃなくて、すげー人数でアパートを取り囲んでたら笑えるよなぁ。

「ふぅん。じゃあ、心配しなくてもいいのか」

 思わずぷふっと笑いながら言ったら、一瞬、何か言いたそうな表情をしたものの、結局都築は何も言わず、少し甘めのタレを意識して調味料を混ぜる俺をじっくりと、相変わらず嘗め回すって表現が一番しっくりくる感じで見つめてきた。
 都築は実によく酒を呑むし酔わないし、酒好きだと公言しているぐらいの酒豪なんだけど、味覚はお子様なのか甘いものが大好きみたいだ。
 酒好きと言うとどうしても辛党だと思ってしまうけど、都築はチョコレートを肴に日本酒を呑むと言っていた。
 それって普通なんだろうか。
 都築が曰くには、「ぬる燗の日本酒とチョコはなかなか良いマリアージュだと思う」とのことらしい。
 まりあーじゅってなんだ。
 洋食大好きの都築(興梠さん情報)だったらしいけど、俺んちは俺が中学1年の頃に母ちゃんが鬼籍に入ってたんで、親父と俺と弟たちは祖母ちゃんの飯が育ててくれた。俺は長男だと言うこともあって、祖母ちゃんからあらゆる料理のレシピやコツを教わっていたから、高校1年の時に脳卒中で倒れてしまった祖母ちゃんの代わりに家族の胃袋をガッツリ掴むことができた。
 それでも大学進学が決まった時に親父が再婚してくれたから、親父と弟たちを飢えさせることなく上京することができたんだ。
 たまに義母ちゃんから篠原家特製カレーの秘伝やらなんやらを、こそりと教えて欲しいとラインが来るけど、秘伝は義母ちゃんの愛で充分だよと笑わせて、とあるスパイスを入れるんだと教えると意味不明なスタンプが大量にきて感謝される。笑えるけど。
 そんなワケで洋食なんてお子様が好きなハンバーグかカレーかシチューかオムライスとなんちゃってナポリタンしか作れない。
 祖母ちゃん直伝の和食がメインになるんだけど…カレーと言えば、都築からカレーまで甘めがいいと言われた時はどうしてくれよう、レトルトのおこちゃまカレーでも食わせるぞと思ったものの、小学生だった弟たちに作ってやった甘いカレーを思い出して提供したら喜ばれたな。
 この前はケチャップを使ったなんちゃってナポリタンとオムライスを作ったら、お子様大好きな甘い味だったから、いつもは死んだ魚みたいな世の中なんてどうでもいいような目付きをしているくせに、その時はすげー嬉しい!って目をキラキラさせて食べてたな。ちょっと気持ち悪かったけど。
 都築、俺が作るのが和食だけだって知った時はちょっと残念そうだったけど、取り敢えず作れる洋食のレパートリーを言ったら「それで充分だ」と満足そうに頷いたっけ。
 朝食は和食でもいいけど、夕食はたまに洋食にして欲しい。できればお子様ランチ的なものを作ってくれると有難いとか薄気味悪いことを言っていたので、どうしてそう言うのが食べたいんだと聞いたら、子供時代にお子様ランチを食べたことがなくて、親の意向で子供のときは庶民に混じって勉学を学べと言う教えから公立に通っていたらしいんだけど、その時、同級生が昨日ファミレスでお子様ランチを…的な話題についていけなかったのが悔しかったんだそうな。
 まあ、天下無敵の都築家のことだから、恐らく子供じゃ口にできないようなものをお子様ランチ代わりに食べていたんだろうことは、容易に想像できるんだけども。
 大人になってからじゃ流石にファミレスには行けても、お子様ランチを注文するにはかなり勇気がいるだろうな。
 そんな理由で、できれば今味わってみたいとのリクエストだったから、今度の土曜日にでもご馳走してやるかって検討してる。
 ……あれ?よく考えたら一週間で5日ぐらい夕飯と朝の和定食を食べさせてないか。
 …。
 ……。
 このままだったら済し崩しにハウスキーパーにされちゃうじゃないの俺?!

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●事例2:部屋に勝手に入っている(但し合鍵は渡していない)
 回答:お前がうちに来ないんだから、オレが来てやってるんだ。何が悪い。
 結果と対策:そっか、俺が行かないから悪いのか。だったら、都築がピッキングだか不正取得した鍵で合鍵を作ってんだかして部屋に不法侵入してても仕方ないよな。今後、絶対に鍵を替えるって決めた。