9.跡を付ける、付き纏う、待ち伏せする(逃げても無駄)  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 柏木と恙無くホテルでキャッキャッとカラオケやカレーやソフトやローション風呂を満喫したけども、俺はローション風呂で思い切りずっこけて腰を強打するし、柏木は調子に乗ってソフトとカレーをたらふく食べて腹を壊し、ベッドとトイレの往復を余儀なくされた。それでも、充分週末を楽しんだ翌週の大学で、俺は地獄よりも深い底まで落ち込んでいるような、不機嫌と怒りをだだ漏れにしている都築と鉢合わせた。
 と言うか、恐らく都築が待ち伏せしていたんだと思う。
 そうじゃないと今まで会いもしなかったのに、こんなところで偶然に出会うはずがない。
 此処が何処かって?都築が取っていないはずの講義がある大講堂だよ。
 何時もの取り巻きも怖がって近付かないほど不機嫌と怒りのオーラを垂れ流す都築に、できれば俺だって他の連中と同じぐらいビビッてんだからなって言えたらただの負け犬になると思ったからこそ、俺をジロジロと見下ろしてくる不機嫌の塊を無視して参考書を開くふりをする。
 何も言わずにこんな風にジロジロと凝視されることは慣れているけど、それは都築の機嫌がいい時ばかりだったから、今回みたいにこんな風に、うっかり口を開いたら秒殺で殺されるような雰囲気は知らない。

「…ッ」

 俺に聞くこともなく真横にドカッと腰を下ろした都築は、机に片手で頬杖を付いて俺の顔を覗き込むように凝視していたけど、不意に何かに気付いたらしく、その途端、さらに不機嫌さに磨きがかかる舌打ちなんかしやがった。
 都築が何に気付いたんだろうと首を傾げかけて、ああそうか、首筋のキスマークに気付いたんだなと思い至った。
 そうそう、あのホテルで既成事実を作ろうぜと笑えることを言った柏木が、思い切り俺の首筋に吸い付いたんだっけ。気持ち悪いし痛いしで、二度とするなよと言って一発殴って柏木はベッドに沈んだけど、アイツは実は都築並みの女好きで完全なヘテロだから、えーっとノンケとも言うのかな、完全な異性愛者だから俺を好きになることは万が一にもありませんと泣きが入っていたっけ。
 当たり前だっての。都築みたいなバイなんてそうそういないって。
 週末のことに思いを馳せていたら、都築が俺を殺してしまいそうな目付きで凝視しているのに気付いて、ああ、そう言えばコイツまだ隣りにいたんだと溜め息が零れ落ちた。なんだ、今日はこの不機嫌俺様傲慢御曹司と机を並べて学ばないといけないのか?
 絶対無理だろ、これ。そもそも都築は取ってないだろ、この講義。
 でも、絶対に俺からは話し掛けないって決めてたから、都築なんか空気、横にしこたま厚い空気の層があって、俺はその息苦しさに参っているただの人間だ。
 ふぅ…と息を吐いて、気怠げに小首を傾げるようにしてから、折角柏木が捨て身の技で付けてくれたキスマークを都築に見せつけながら、もう俺はお前の相手はしないからとっとと何処かへ消えてくださいのオーラを如実に出してみせた…のに、じっとキスマークを凝視していた都築の喉仏がゴクリと上下したことに気付いて、あれ?これはもしかして拙い展開になるんじゃないのと俺が懸念し始めたその時、不意に教授が室内に入ってきた。
 それほど多くの人はいないものの、結構人気の講義だし内容も奥深くて俺は大好きなんだけど、傍らに都築が居たんじゃ今日の講義は頭に入らないだろうなと思った。後で知り合いにノートをコピーさせてもらうか。
 傍らを気にしつつ時折痛む腰を擦り擦り静かに講義を受けている俺の横で、都築のヤツは「別に処女に拘ってるワケじゃないけど…」とか「処女なんて面倒臭いだけだから…」とか「初めてを他の男で済ませるヤツも多いし…手がかからないだけいいんだ」などなど、凡そ講義には全く関係のないことを自分に言い聞かせるようにブツブツ言って、今日は妙に密度の高い俺の周りに座っている男子学生の顔色を青褪めさせて、女子はなぜかキャアキャア言ってる。
 なんだ、コイツら。

「お前が柏木がいいと言うのなら、アイツと寝たことは許してやる。だけど、1回だけにしておけ。それと、オレを無視するのはやめろ。GPSもカメラも盗聴器も外すな。アプリも全部消したんだろ。スマホを寄越せ」

 不意に仏頂面で何も言わなかった都築がそんなことを吐き捨てて、傲慢に腕を差し伸べてきたから、俺はちょっとだけ振り返ってムッと唇を尖らせて見せた。

「俺が誰と何度寝ようと、誰を無視しようと勝手だろ?それに、俺が無視したのは百目木じゃなかったか?お前になんか興味もない。お前には先生がいるんだから、もう俺に関わって欲しくない。俺の監視もやめて欲しいし、もうスマホも勝手に見て欲しくない」

 キッパリと宣言したら、都築は少しだけ目を瞠って、それから猛烈な憤りを潜めた色素の薄い双眼を細めて、ギリリッと奥歯を噛み締めたみたいだった。
 俺から拒絶されるなんて思ってもみなかったんだろう。
 何時も勝手に見ていたスマホも、お前には見せたくない大事なメールがあるからと、問答無用で伸ばそうとした手を拒絶して両手で隠したら、都築はふと、まるで捨てられた犬みたいな心許無い奇妙な表情で俺の手許にあるスマホを見据えていた。

「お前、もう本当にオレから離れるつもりなのか?別にオレにセフレがいるのは何時ものことだろ。どうして…」

 何時もは俺の顔を凝視してるくせに、相変わらずブツブツと呟くように言った都築は、その視線を俺の手許で固定している。
 そんなに俺のスマホが見たいのか…でも、そうだよな。都築は俺んちにくると必ず、まずは俺のスマホの確認をして、何もないとホッとしたように自分のスマホを片手間で弄りながら、俺が夕飯の支度をしているのを面白くもないだろうにじっくり観察するのが日課で、そしてその空間が好きみたいだった。

「都築さぁ。正直言うと、俺はセフレとかそう言っただらしないヤツは大嫌いなんだ。お前は注意したって聞かずにズカズカ俺の領域に入ってきたから、仕方なく受け入れていただけだけど、できれば関わりたくないと思ってる」

 俺が嘘を交えて言うと、都築は漸く俺の顔に視線を戻した。
 別に俺は誰が都築のセフレだって構わない。それこそ、興味もない。
 ただ、たまに俺んちに来てごろんっとしてる姿を晒してくれるなら、別に何がどうってことは何もないんだよ。
 でも、俺はなぜか先生とだけは嫌だと思ったんだ。先生と都築が出来てるのなら、もう俺の傍にはいて欲しくない。

「それに、先生が本命だったんだろ?」

 クスッと小さく笑って言うと、都築は無言のまま、その俺の顔をまじまじと凝視している。

「一時期、付き合ってただけだ…」

 少し掠れた声で言い募る都築に、だから、そこが大事なんだろと内心で舌打ちしたくなった。
 セフレと遊ぶだけ遊んで、恋人なんて作ったこともないのは、その最初の初恋を引き摺っている証拠じゃねえか。

「まあ、どちらにしても俺にはもう関係ないことだから、出て行ってくれないか」

 俺はノートを取りながら片手を振って、もう都築の顔はみないようにした。
 男前でイケメンの見栄えのいい面は、今は物静かに押し黙っている。
 俺の全力の拒絶を、今更ながら、漸く都築は気付いたみたいだった。

「お前はオレのソフレじゃねえか」

「…それはもう、解消しただろ?」

 暗に行為を仄めかすように言い返した途端、いきなり都築が立ち上がって、それから何かをポケットから出すと俺に投げ付けてきた。
 突然の凶行に一瞬大講堂内がざわついたけれど、周囲のことなんか気にも留めない俺様御曹司の都築は舌打ちしたまま俺をギリギリと睨み据えてから、何も言わずに出て行ってしまった。その都築の背中を呆気に取られたように見送った俺は、さっき、都築が俺に、それでも当たらないように気遣いつつ投げ付けたものが何だったのかを見ようとして、それから思わず笑ってしまった。
 可愛い月と星のキーホルダーが揺れる、それは俺の家の新しい鍵と都築んちの鍵だった。
 アイツ、自分んちの鍵を投げ捨てて行ったのかと最初は思ったけど、よく見れば、俺んちの鍵も都築んちの鍵も、両方とも真新しい。どうやらあんなクソみたいなメールを送って俺を怒らせたくせに、合鍵を渡すつもりでいたみたいだ。思わず笑っちゃうだろ。
 こんなのは、先生に渡せばいいのに…手の中でチャラッと涼しげな音を立てる真新しい2本の鍵が、ご主人たちとは別次元で仲が良さそうに寄り添っていた。

□ ■ □ ■ □

 俺が都築に投げ付けられた鍵をどうしたものかと思案に暮れて大講堂を後にしてから、それからの行く先々に都築と先生の姿があった。
 別に避ける理由もないんだけど、今はちょっと見たくないなとか思いながら、ポケットの合鍵たちをギュッと握って避けているのに、どうしてかまた、その先の講堂でバッタリと鉢合わせてしまう。
 都築は俺を何の感情も浮かべていない冷めた双眸でチラッと見たぐらいで無視したけど、都築のお相手の非常勤講師はそうじゃなかった。彼は冴え冴えとした雰囲気の眼鏡が良く似合うハンサムで、中肉中背以外の俺との共通点を見つけることはできなかった。

「こんにちは、篠原くんだよね?」

 都築から聞いているのか、冷たそうな美貌にうっとりするほど綺麗な笑みを浮かべて、なるほど、これじゃ都築じゃなくても参るよね。

「こんにちは、河野先生」

 俺が律儀にぺこりと挨拶をすると、先生はクスクスと悪気なく笑って、本当に可愛らしいねと都築に相槌を求めている。都築のヤツが俺なんかを可愛いとか思うワケないだろ、なんだコイツ、と俺が白けていると、都築は俺をチラッと見てから、あからさまに嫌そうな顔をして先生の腰に腕を回した。

「もういいだろ。早く行こうぜ」

「あ…でも、まだ」

 先生が慣れ親しんだ腕に縋るように身を寄せながら何か言おうとクスッと笑うと、不意に都築は優しそうな表情をして先生の頬に唇を落とした。
 何時もの俺に見せ付けるキャッキャッウフフフにうんざりしたけど、最初から白けてるワケだから何も感じずに、「それじゃあ、失礼しまーす」と投げやりに言ってその場を後にした。ちょっと都築の舌打ちが聞こえたような気がしたけど気にしない。
 先生はしつこく食い下がろうとしているみたいだったけど、小さく声を上げて、それから押し黙ってしまったみたいだ。
 都築と構内で平気でキスをするようなひとなんだから、この人も大概、爛れてるんだろうなあと思いながら、俺は背後の気配を素知らぬ顔のまま振り返りもせずにスタスタと歩いた。
 そう、そうして嫌な邂逅から逃れたと言うのに、次の講堂でもやっぱり鉢合わせてしまう。
 先生が訝しそうな顔をして都築の胸元に頬を寄せると、俺を警戒したように見てくるから…ああ、俺が付き纏っていると思い込んでいるんだ。そして、都築自身がそう思い込ませようとしているんだ。
 と言うことはこの先生は、都築のセフレに寛容なタイプではないんだなと思った。
 きっと、俺のこともセフレの1人だと思っているんだろう。
 だから、さっきのアレも本当は威嚇だったんだろう。
 俺は思い切りばったり出会っているにも関わらず、フイッと視線を逸らして、今度はもう挨拶もしなかった。って言うかさ、本当は先生さえ話しかけてこなきゃ、別に挨拶する必要なんてないんだよ。関わって欲しくないって、マジで。
 うんざりした気分で講義を終えて、次の講堂に行きかけて、俺の脚が自然と立ち止まった。この次の講義は都築も取っている。あの調子なら俺の横なんか座らないだろうけど、なんとなく嫌な予感がした。
 俺は回れ右をして、この次の講義はふけることにする。
 それで構内にある気軽なカフェでお洒落にお茶をしていると、本物の百目木がふうふう言いながら歩いてきた。

「どうしたんだよ?」

 アイスカフェモカのストローを齧りながら聞くと、俺に気付いた百目木がちょっと驚いたように眉を寄せて俺の前の椅子に腰を下ろした。

「どうしたって、お前こそ珍しいな。講義サボってるなんてさ」

「たまにはいいんだよ」

 ツーンッと外方向いて取り澄ましたみたいな顔をしてやると、百目木がケラケラ笑って買ってきたばかりのアイスコーヒーをブラックのまま飲んだ。

「それよかさ、聞いたか?」

「何を?」

 カップから氷を一欠けら口に含んでガリガリしながら首を傾げると、百目木のヤツは心底うんざりしたように首を左右に振ってみせる。

「都築のことだよ!アイツさ、新しい非常勤講師といたるところで乳繰り合ってるって噂になってんだよ。大学側にたんまり寄付金つかませてるからって、今の都築はやりたい放題だよな」

「ふうん、別にいいんじゃね?」

「ありゃ、篠原くん。冷たい」

「はは。だってさ、都築だぜ?今まで大学で盛らなかったことのほうが、俺には不思議に思えるね」

「ぶっは!それもそうか。篠原ってば達観してるな」

「そんなんじゃねえよ」

 カロンッと爽やかな音を響かせるカップを見つめながら、俺は誰にも聞こえないほど小さな声で、「だって好きなら四六時中だって傍にいて触れ合っていたいもんだろ?」と呟いていた。都築にしては珍しく、今は独りに絞っているみたいだし。

「おっと…」

 不意に百目木が言葉を噛むようにして視線を向けてきたから、俺は傍らに立つ人影に顔を上げていた。

「篠原くん、また会ったね。今は一葉と同じ講義の時間じゃなかったっけ?」

 薄らとやわらかく微笑む眼鏡の奥、けして笑わない双眸を見据えて、俺は素知らぬ顔で「腹痛で欠席でーす」とどうでも良さそうな言い訳を口にした。
 百目木は噂の美貌の非常勤講師をガン見して、これなら都築も参るよねと知ったような口調で納得していたけど、先生は別段怒った様子もなく、いきなり俺の横の椅子に断りも入れずに座りやがった。
 俺は失礼しまーすと言って立ち去ろうとしたけど、「話があるんだけど」と、先生の微笑の威圧に屈服して、上げかけた腰を下ろしてしまった。そもそも、これが間違いだったと思う。
 百目木は居心地悪そうだったけど、そこは俺の友人だし、情報通だからこれはとんでもないスクープではないかと、立ち去る気配はまるでない。お前は芸能記者になるべきだよ。
 まあでも、片や少し前まで都築がべったりしていた俺と、片や今の都築が夢中になっている新任の非常勤講師の顔ぶれだ。百目木じゃなくても、周りの連中が耳をダンボにしているのが雰囲気だけでよく判る。
 こんなところでいったいなんの話をしようって言うんだ。

「君、町工場の長男なんだってね」

「はあ、そうですけど」

「凄い田舎で、経営もうまくいってないんだとか?」

「…それが何か?」

「一葉に聞いたんだけど、君。ずいぶんと彼に懐いていたらしいね」

 その台詞にギョッとしたのは百目木だ。それと周りにいた学生たち。
 何故かって?都築の態度と俺の態度を四六時中見ていた連中には、いったいどっちが付き纏ってべったりしていたか判っているからだ。
 都築がそう言ったのかどうかは知らないが、先生はどうやら俺が、金目当てで都築に取り入っていると思い込んでいるみたいだ。

「別に俺はそれほどでも」

「あれ?じゃあ、一葉が君に懐いていたって言うの?君に??ふふ…」

 不意に先生は綺麗な顔を醜悪に歪めて、バカにしたように笑った。

「どちらにしろ、今はもう離れているんで安心してください」

 俺のモノの言い方が拙かったのか、先生はかったるそうに話す俺にお頭にきたみたいで、苛々したようにアイスティーに突き刺しているストローでガシガシと氷を掻き回しながらつっけんどんに言った。

「ユキくんならまだしも、別に君に対してそう言った意味で何か心配していることなんてないよ。ただ…」

 そこで言葉を切って、先生は都築とは違った感じで俺を頭の天辺から爪先までを、まるで値踏みするようにバカにしたように見つめてきた。

「君、お金に困っているんでしょ。だから、行く先々に現れて一葉を困らせてるんじゃないの?」

「…都築がそう言ってるんですか?」

「僕が聞いても何も言わないけど…困惑はしているみたいだね」

 我が意を得たりと言いたそうに嫌な顔で嗤う先生を見て、都築ってこう言うのがタイプなのか、じゃあ、自分がタイプじゃないって言われていたのは救いだったんだなぁと、どうでもいいことを考えて、ほぼほぼ先生の話は聞いていなかった。
 おおかた、都築の困惑の理由は俺がアイツの相手をしないからなんだろうけど。
 都築に付き纏われた段階で、陰口なんて日常茶飯事だ。
 確かに俺んちは貧乏だしな。でも、それで引け目を感じたことなんかないから、こういう場合は黙って嵐が過ぎるのを待つに限るんだ。

「ほら、一葉ってあのとおり無節操でしょ?だから、君に何か期待をさせちゃったのなら許してやって欲しいんだよね。御曹司だから言い寄ってくる人をいちいち相手にしていたら大変なんだよ。ねえ、判ってあげて?」

 俺が当初抱いた第一印象の『嫌いなタイプ』はドンピシャで当たってたみたいだ。
 こんなヤツと付き合う都築とは、もう本当にさよならできてよかったと思う。

「ですから、俺はもう都築とはなんの関係もないと言ってるでしょう」

「そうかなぁ…だって、君、付き纏ってるじゃない」

 なんだ、この人。
 都築に輪をかけたようなイミフな人だな。

「そもそも、一葉も悪いんだよね。来る者拒まず去る者追わずの精神で、誰でも彼でも手を出すから…一葉のお姉さまの姫乃さんも躾出来てないって言うか、そもそもあの人もお嬢様だからちょっと足らないところとかある人だから。見た目ばっかり良くても外面だけじゃ意味がないんだよね。一葉が大事にしてるから一目は置いているけど、僕はあのひとが嫌いなんだ。あんなひとの弟だから一葉も無責任で節操が…ッッ」

 そこまで言ったところで、先生は言葉を止めてしまった。いや、止めざるをえなくなっていたんだ。
 俺が飲みかけのカフェモカの残りを、先生の頭にぶちまけたからだ。
 ちょっと頭冷やせよ、おっさん。

「俺のことはとやかく言ってもいいですけど、都築が大事にしている姫乃さんのことは悪く言わないほうがいいんじゃないですか?仮にもあんた、都築と付き合ってるんでしょ。都築の悪口も俺なんかに言わず直接本人に言ったらどうですか。それに、姫乃さんはどこも足らないところなんてない、立派な人だ。姫乃さんに謝るんだな」

 空になったカップを近くのゴミ箱に投げ捨てて、俺はそれだけ吐き捨てるとその場から立ち去ろうとした、でもそれは叶わなかった。
 誰かにカフェで俺たちが言い合っていると聞きでもしたのか、まだ講義の最中だろうに慌てたように急ぎ足で来た都築が、蒼褪めてブルブル怒りに打ち震えている先生に驚いて、それから優しげに寄り添うと、いきなり俺に向かって声を上げたんだ。

「お前、先生にまでなんてことしてるんだ!」

 その恫喝は腹の奥がビリビリするほどの迫力で、一瞬、呆気に取られていた俺は唐突に我に返って、ムッと唇を引き結んで睨み据えた。
 俺は悪いことなんかしていない。

「別に!当然の報いだと思うけどッ」

 ギリッと睨み据えていると、不意に先生がワッと泣き出して「こんなのは酷い」とか「もう、ここには来られない」とかとか、都築の胸元に顔を伏せてわあわあ泣く先生はえらい恥を掻いたと恋人にサメザメと訴えている。まるで俺が悪者みたいな態度には苛々したけど、そんなことよりも、その先生の背中を俺がぶちまけたカフェモカで服が汚れるのも構わずに、大事そうに擦っている都築の吐き捨てた台詞に俺は愕然とした。

「報いだと?だったらお前も、先生に恥を掻かせた報いを受けるんだな。お前は停学にしてやる」

「な、なんだよ、それ…」

 いくら御曹司で多額の寄付をしているからって、まさか都築にそこまでの権力なんかあるワケないだろうと、高を括っていた俺は甘かった。

「そんな都築、篠原は何も悪くないぞ…!」

 百目木だけじゃなくて、その場にいた全員が俺の味方だと言うことも癇に障ったのか、都築はワンワン泣く先生の肩を大切そうに抱き締めて、それから俺を憎々しげに睨み据えてきた。

「覚悟しておけ」

 他の連中が酷いと言って止めようとするのを腕を振り払って聞き入れようとしない都築は、とんだ色ボケ野郎だと呆れ果てて声も出ない。
 でも、都築の言葉が持つ本当の意味を、俺はそれからすぐに思い知ることになった。

□ ■ □ ■ □

 まず、本当に一週間の停学処分になった。
 理由は実に曖昧で、こんなことで停学になるのかよと驚くべき、教員に対する侮辱罪だとかなんだとか、こちらの言い分は何ひとつ聞き入れてもらえず、そのまま学生課に行って処分の行使を受けることになった。
 本当なら弁護士とかに相談したらいいのかもしれないけど、そんな金もないし、あの都築グループを敵に回してまで俺に味方してくれる弁護士なんていない気がする。
 停学だけなら俺の心も折れなかったけど、俺は次の日のバイトに行ってクビを言い渡された。そちらもやっぱり、たいした理由なんかなかった。日頃の態度が悪いとか何とか…店長は歯切れが悪く言わされている感満載で、近くにいた同じバイトの女の子がなに言ってるんだ、篠原が辞めたらてんてこ舞いだって助言してくれたけど、店長には俺を辞めさせないといけない理由があったようだから、俺は素直に「今までお世話になりました」と頭を下げて居酒屋を後にした。
 店長は引き止めたそうにしていたけど、そこは大人の事情があるんだから、仕方ないよな…
 家賃とか諸々はどうにかなるぐらい貯めこんでいる貯金があるから何とかなるけど、この調子だと、何処に行っても雇ってもらえないだろうな。コンビニとか倉庫の方も例に違わずクビを言い渡されていた。
 最も辛かったのは、停学明けで大学に戻った時、なぜか俺が悪人扱いされていたことだ。
 大好きな教授からも嫌なものでも見るような目付きで、反抗的な生徒だとレッテルを貼られてしまったらしい。
 俺の味方をしてくれていた学生も、どうやら都築が何らかの手を回したのか、みんな申し訳なさそうに眉を顰めるものの、口を開こうともせずにそそくさと立ち去ってしまう。
 …ノートのコピー、どうしよう。
 ベンチに座ってぼんやりそんなことを考えていたら、唯一変わることのない百目木があたふたと近付いて来て、俺の隣にドカーッと重い腰を下ろしてしまった。

「よお」

「はは、湿気ちゃった面してんね」

「都築にやられちゃったよ。金持ちを怒らせると怖いね。お前もあんまり俺と一緒にいないほうがいいんじゃねえの?」

「俺はいいんだよ。天涯孤独だしな。就職難になったら2人でニートになろうぜ」

 ハハハッと大らかに笑う百目木だけが頼りだなと思いながら、そっか、百目木んちは一昨年、百目木以外の家族全員が自動車事故で亡くなったんだったな。

「俺、悪いことなんかしてないと思ってるんだけど。ちょっと自信なくなってさ。あそこまでしなくても良かったのかなとか思ったりもするんだけど、でも、やっぱり腹立たしくなって、こんなことならもっと暴れてやればよかったと思ったよ」

 そんでメンヘラ認定でも受けて退学したほうがいっそスッキリしたかなと言ったら、珍しく百目木がご立腹で俺の脇腹を突いてきやがった。脇腹はやめて、弱いんだ。

「せっかく入った大学なんだから、理不尽なことで退学してやるなんて言うな!お前は悪いことなんかこれっぽっちもしてない。寧ろ、胸を張れ。都築はお前に感謝するべきなんだから」

「はは…そうかなぁ」

 百目木の賞賛と激励は嬉しかったけど、明日からバイトもない身分でちゃんと大学通えるかなぁと不安になっていたら、スマホに着信があった。
 誰だろうと首を傾げて見ると、どうやら実家から掛かってきたみたいだ。
 俺は百目木に実家からだって言うと、ヤツはそんじゃ俺は講義に出るよと手を振ってそこで別れた。

「もしもし?俺だけど、どう…」

 電話口の義母ちゃんは泣いているみたいだった。
 聞けば、腰を痛めた親父が入院中に、突然順調だった取引先から急な打ち切りの連絡があったとかで、親父は腰の痛みをおして相手方に交渉に行ったけど、曖昧に濁されて追い返されてしまったんだそうだ。
 このままだと不渡りを出すからと銀行に行こうとした今日、いきなり残りの取引先からも同じように打ち切りの連絡が来て、親父が倒れてしまったんだと言う。
 俺は真っ白な頭で義母ちゃんに大丈夫と意味のない言葉を繰り返して電話を切ると、その足で都築を捜すことにした…とはいえ、目立つヤツだからすぐに見つかった。と言うか、見つかるようにわざと待ち構えていた感じがする。
 華やかグループの連中と暢気に賑やかに談笑している都築の前に行って、俺はギュッと拳を握り締めた。殴り倒してやりたい気持ちは充分だったけど、それでも今は親父の取引先を何とかしないといけない。

「お前なんだろ?」

 俺の顔を見ようともしない都築は俺を無視していたけど、ある程度したところで、まるで今気付いたとでも言うようなわざとらしさで皮肉気に嗤った。

「なんのことだよ?」

「俺のことはどうでもいい。大学を辞めろって言うなら辞める。でも、親父の会社までは手を出さないでくれ」

 できるだけ感情を表さないように努めながら、俺は掌に合鍵たちを握り締めて言った。俺の言っていることが判っているだろうに、都築のヤツは怪訝そうに眉を顰めて、それから小馬鹿にしたように言い捨てた。

「町工場が潰れるぐらいなんだよ。あんな大勢のいる場所で恥を掻かされた先生のほうがもっと可哀想だ」

 十数人の工員たちより都築がお気に入りの1人の人間に重きを置く物言いには溜め息が出るが、今はコイツしか頼ることができないのだから、俺は唇を噛み締めて怒鳴り出したいのをグッと耐えた。目の下の皮膚がぴくぴくと痙攣したのを感じた。

「…俺が悪かったから、工場までは許して欲しい」

「それがひとにモノを頼む態度か?日本人らしく土下座でもしてみろよ」

 都築は冗談のつもりだったのかもしれないけれど、背に腹は変えられず、切羽詰っている俺はその場に跪き、それから両手を地面につけて額も一緒に擦り付けた。

「お願いします。工場は助けてください」

 俺の土下座に都築の視線は冷ややかだったけど、周囲の反応は凄かった。
 それぞれが、「うっわ!」だとか「ホントにやったよッ」と騒いだり、「あたし、生土下座初めてみたわ。ウケル」と言って指をさしながらゲラゲラ嗤われたけど、こんなのどうってことない。大丈夫。親父の工場さえ助かるのなら、俺の安っぽいプライドなんか幾らでも捨ててやる。

「ふうん、必死だなぁ。じゃあ、先生にもそうやって謝ってやれよ。先生、トラウマになっててカフェに行けなくなってるんだからさ」

 それはきっと、この件が公に知られているから、本当のことがバレるのを嫌ってるからに違いないとは思ったけど、俺はギュッと唇を噛み締めた。土下座したままで、額を地面に擦り付けたままで、俺はそれでも嫌だと拒絶した。

「それは嫌だ。俺は認めたくない」

「はー?お前、自分の立場が判ってるのか。このオレを怒らせてるんだぞ。オレがやれと言ったらやるんだよ」

「…いやだ。俺は認めたくないんだ」

「あっそ、別にいいけどね。オレには痛くも痒くもない話だしさ」

 ゆっくりと顔を上げて、俺は絶望したように都築を見た。
 先生に、俺が謝ってしまえば、俺まで姫乃さんをバカにしたことになる。それは、それだけは絶対認めたくないのに…

「何をしてるんだい?」

 不意に軽やかな口調で諸悪の権現が姿を現すと、都築は甘ったるい表情をして、これ見よがしに先生の腰を片腕で抱き締めた。

「コイツがさ、先生に謝りたいんだって。それで許してやってよ」

「ええ…?う、ん。まあ、一葉がそう言うなら」

「土下座するからさ、コイツ」

 プゲラする都築を膝を突いたままでじっと見つめると、ヤツはなんだか決まり悪そうな顔をしたものの、すぐに不機嫌そうな顔付きをして睨み据えてきた。

「なんだよ、その目は。言いたいことがあるなら聞いてやるぞ」

 その代わり、親父の会社は潰すんだろ?…もういいよ、俺の負けだ。
 完全に俺の負けだ。くそ、畜生。

「…お前は、酷いヤツだ」

 ポツリと呟いて、それから俺は声に出さずにボロボロ泣いた。こんなに悔しいことがこの世界にはあるんだなと、悔やんでも悔やみきれないほど、激しく悔しくて、声を押し殺しているつもりなのに、噛み締めて、噛み締めすぎて切れた唇の端から声が漏れても、俺は涙を留めることができなかった。
 地面に幾つも水滴が落ちては吸い込まれるさまに、不意に息をのんだようにその場にいた全員が凍りついたみたいだった。人間が独り、声を出さずに涙する姿は滑稽で哀れで、でも金持ちのお前たちには何も判っちゃいないんだろうな。

「おい、もうやめようぜ」

「都築、いい加減に…」

 それまで冗談半分で土下座する俺を笑い者にしていた連中は、俺の必死さと、それから震えるほどの惨めさを憐れんだのか、そんな声が聞こえた。

「僕は夜も眠れないんだよ?!ねえ、一葉。やっぱり土下座だけなんていやッ。土下座と退学を条件にして」

 けど不意に先生がヒステリックに叫ぶと、俺への同情に崩れかけたその場の雰囲気を掌握しようと躍起になったみたいだった。一瞬だけ、絆されたように俺に近付こうとしていた都築は、先生に縋られたからかグッと唇を噛んで、バカにしたような表情をして「それもそうだな」と無慈悲なことを呟いて肩を竦めるだけで止めようとはしない。
 他の連中が、一歩後退って、そんな都築と先生を何か意味もなく嫌なものでも見てしまったような目付きをしていた。
 でも俺は、ゆっくりと地面に額を擦り付け、涙に震える声で言うんだ。
 姫乃さんに心の底から謝りながら。

「だ、大学も辞める…だ、から……申し訳…ありませ…ッ」

 噛み締めた唇の端から絞り出すように言った時だった。

「お待ちなさい!」

 不意に凛とした声が響き渡って、俺を食い入るように見ていた都築が、ハッとして声がしたほうを見遣って、さらに驚いたように目を瞠った。

「光太郎さん、何をしていらっしゃるの。あらあら、こんなに泣いてしまって。仕方ないわね。さ、顔をお上げなさい」

 俺に気を取られていたせいで、どうやら人が近付いていたのに気付かなかったようだ。
 ギャラリーのせいもあるんだろうけど、器用に掻き分けて入ってきた、真っ白なワンピースに大きな帽子を被っている、その凛としたお姫様みたいなひとは、驚いている俺の涙で濡れた頬を優しくハンカチで拭ってくれながら、苦笑して頭をポンポンと叩いてくれた。

「もう大丈夫よ。一葉の愚行は止めました。大学も停学の事実は認めません。アルバイトにも戻られて大丈夫です。そして、お父様は安心なさって病院に戻られましたわ」

「有難う、姫乃さん…でも俺、ごめんなさい、ごめんなさい。絶対に認めたくなかったんだけど、都築がそうしないと工場をって…」

 うう…っと両手で顔を覆って謝る俺を、あらあらとやわらかく微笑んで、都築一葉がこの世で唯一怯えてしまう都築姫乃は優しく抱き締めてくれた。

「良いのですよ。判っておりますもの。そこのクソ馬鹿がしたことは都築家の恥ですわ」

 俺を抱き締めたままで凍り付く都築と先生を睨み据える姫乃さんの眼力は、その場にいる全員を無造作に撃ち殺すほどの威力だった。それは、本気で怒っているからこその迫力だ。

「…姫乃?なんでお前が此処にいて、篠原を庇ってるんだ??」

 都築は意味が判らないと言うように、混乱した頭で俺と姫乃さんを見比べている。

「光太郎さんとはもう随分と前から懇意にしておりますのよ。一葉のお食事の内容を聞いて、教えて欲しいとメールをしたのが最初でしたわ。光太郎さんはとびきりお料理と教え方が上手でわたくしも万里華も陽菜子も、光太郎さんにぞっこんですの。何かあってはいけないので、わたくしの護衛とGPSと盗聴器を携帯して頂いていたのよ」

 都築が俺のスマホをチェックしているのを知っているから、都築姉妹専用のスマホを1台、都築にチェックされるスマホとは別で持たされていた事実を知って、他より少し貧乏な庶民のスマホは1台だと思い込んでいたらしい都築は呆気に取られているみたいだった。
 その傍らで姫乃さんの台詞に、ひとり蒼褪めたのは先生だ。
 盗聴器とか護衛とか大丈夫ですよって言ったけど、そこはさすが都築の家系だ、とんでもないと言って、盗聴器による俺の赤裸々な日常を3人のお嬢様たちは聞きたがった。
 少なくとも、ほぼ都築が一緒だったから、離れている弟や兄のことが気になっていたんだろう。優しい姉妹たちだと思う。
 都築の変態行為には目に蓋を忘れていないようだし、本当に優しい姉妹だと思うよ…。

「ぜーんぶ録音されていましたのよ。あのカフェで起きた一連の事件も。光太郎さんが絶対に認めないからと仰るので何事かと聞いてみたんですの。わたくしったらあまりのことに開いた口が塞がりませんでしたわ」

 クスクスと笑うその双眸は全く笑っていなくて、都築と先生を見据える双眸は恐らく氷点下よりかなり冷たかったと思う。

「ねえ、光太郎さん。あなたは非常に良く耐えられました。ご自分のことを言われている間はとても平気そうでしたのに、わたくしのことを言われた時でしたわね」

 姫乃さんの台詞で先生は凍り付いたけれど、都築は「なんだと」と凍結から回復して眉を顰めると先生を見下ろした。
 都築にとって姫乃さんは誰にも代え難いほど大事にしているお姉さんで、色ボケでもその部分はちゃんと残ってたんだなと安心した。よかった。

「あなたはとても冷静で、わたくしのこと、そして一葉のことをとても大切そうに庇ってくださいましたわ。それをこの愚弟が…ッ、なんとお詫びしてよいのやら。もう、一葉には愛想が尽きましたけれど」

 はしたなくもお姫様は一瞬舌打ちしたみたいだったけど、俺の背中に回した手でぎゅうっと抱き締めてくれた。あたたかさでホッとする。
 もう、誰も助けてくれないと思っていたから、嬉しくてまた泣けてしまった。

「ああ、そんな風に泣かないでください。お可哀想に…ねえ、一葉?」

 不意に声を掛けられた都築が先生を見据えていた視線を姫乃さんと、彼女の胸の中で涙を流しているだろう俺の背中に向けて食い入るように見つめたようだった。

「お前には罰が必要ですわね。当分の間、お前は光太郎さんに近付いてはいけません。光太郎さんがもう良いと納得されるまで、けしてお傍に寄っては罷りなりません。宜しくて?お前はそれだけのことをしてしまったのですから、反省しなさい」

「……嫌だ」

 不意に都築が珍しく目線を外して、我侭を言うガキみたいに姫乃さんに反抗している。
 けれど、姫乃さんはけして許そうとはしない。

「嫌ではありません。光太郎さんのほうが、もうお前の顔など見たくもないでしょう」

 自分のしでかしたことは充分理解しているのだろう、心底バツが悪そうな顔を俯ける都築を横目で見ていた俺は、本当に悔しくて、本当にあんなことをする都築が信じられなくて、姫乃さんの言葉に頷いていた。

「もう、お前とは関わらない」

 グスッと洟を啜る俺に、お可哀想にとまた姫乃さんが呟いて、それから都築を見据えて言い放つのだ。
 都築は関わりたくないと言った俺を、何処か泣き出しそうな表情をして見つめてきた。
 そんな顔をしても駄目だ。あんなことされて、お前を受け入れたら俺はどんなバカだよ。

「わたくしたちまで光太郎さんに嫌われたくないのです。なので、河野先生。お前にも罰を与えます」

 名指しされてビクつく先生を、でも、事情が少しでも飲み込めたらしい都築は庇わなかった。そりゃそうだろうな、都築が大事にしている姫乃さんを貶めたヤツなんだ、これで庇っていたら色ボケじゃない、クズだ。

「わたくしはね、昔からお前が嫌いでした。一葉の純潔を奪い、お父様にまで色目を遣うお前は本当に気持ちが悪かった。こんなに優しくて素直で、一葉の我侭もやわらかく受け止めて、受け入れてくださる光太郎さんを貶めるなどと…さらにわたくしの中にあるお前への悪感情はヒートアップするばかりですのよ」

 うふふふっと何事もないかのように嗤う姫乃さんに、赤裸々な過去を暴かれた先生は終始無言で竦み上がっているし、同じく過去をばらされた都築は両手で顔を覆った。

「男好きのお前に良い職場があります。上遠野!」

「は!こちらに」

 凛とした姫乃さんの呼ばわりにサッと姿を現したのは、興梠さんと同じくツヅキ・アルティメット・セキュリティサービスに所属している姫乃さん付きの護衛の人だ。この人の部下で、属さんと言う人がいて、その人が都築と離れてから暫く俺を護ってくれていた。

「先生をご案内して?非常勤講師など、おこがましいもの」

 うふふふと笑うのはとても優雅で、時折ハッとするほど凛とした美しさを持つお姫様の姫乃さんに、俺はもうメロメロだった。こんなお姉ちゃんがいたら幸せだったと思う。都築は贅沢者だ。
 でも、本当に怖くて非常な人だけど、心根が深いから、それだけの決断をやってのけることが出来るんだと思う。
 尻尾があったら思い切り振っているだろう俺の頭を、姫乃さんは猫可愛がりに撫でてくれる。

「アレは海外に長いこといてね、向こうに男性がいらっしゃるのよ。それなのにわたくしの愚弟はうっかり騙されて…」

「知っていたさ」

 それまでの勝ち誇ったような傲慢な態度は何処へやら、嫌だ、やめて!と蒼褪めたまま絶叫しながら連れて行かれる様を、都築の率いる華やかグループとギャラリーが固唾をのんで見守る中、フンッと鼻を鳴らして、初体験の恥ずかしさから復活して既に先生に関しては興味を完全に失くしている都築は、腕を組んでブツブツと悪態を吐いているようだ。

「でも、お前は真剣に先生のこと…」

 グスッと洟を啜る俺の台詞に、都築のヤツは俺を自由にしている姫乃さんにも嫉妬してるみたいに見据えていたけど、それから言うべきかどうするか悩んでいるみたいだった。でも言わなかったから今回のような結果になったんだと閃いたのか、渋々と言った感じで話し出した。

「だからオレは先生なんか好きじゃないって。好きなんて一度でも言ったかよ。先生は副業で経営に関しての講師をしていたから……俺は、自分の金で養いたかったから起業しようと思って先生に個人講義を依頼したんだ。セックスしないと教えないって言うから、相手してただけだ」

「まあ、そんなことでしたらわたくしに聞けば宜しかったのに」

 こんなにおっとりしている姫乃さんは4つの会社の社長だ。一社に関しては会長をされていたりする。いずれもご自身で起業されたと言うから、ホント、先生が言うような頭の足らないひとなんかであるワケがない。

「都築グループだと意味がないだろ?結局は、都築の家の金だ。オレはそうじゃない。モデルで稼いだ金が充分あるから、その金で一から起業して、そこで得た金で篠原を養いたいんだ」

「ぐっは!」

 なぜそこで俺なのか。

「俺は別にお前になんか養われたくない。それに、もうお前にも関わりたくない」

 俺に土下座させるまで先生を大事そうにしていたくせに、何が好きじゃないだ。お前の言うことなんか、もう信じられない。

「…どうすれば許してくれるんだよ」

 プイッと外方向く俺に、不意に項垂れたように、都築にしては珍しく力なく唇を噛んだみたいだ。
 そんな俺の母性(なんだそりゃ)を擽るような、親から逸れて途方に暮れる迷子の子どもみたいな面をしたって許さないんだからな。

「じゃあ、どうしてあんなことをしたのか、まずは説明してもらおうか」

 漸く落ち着いたから姫乃さんにお礼を言って身体を離して都築を見据える俺を、姫乃さんは「あら、まだ抱きしめていても宜しくてよ」と満更でもない表情で残念そうに言うけど、そこで地味に睨むな、都築。

「……先生の個人授業を受けていた日。お前に、起業に向けて準備やら何やらで忙しくなるから暫く会わないとメールした日だ」

 何いってんだ、お前。
 起業に向けてとか一言も書いてなかったじゃないか。余計なことはピロンピロンと報告してくるくせに、肝心な部分が抜けてるってなんなんだ、お前は。

「シャワーから戻ったら、先生からスマホを見せられて、お前がもう二度と来るなとかワケの判らないメールを寄越していたから、理由を聞こうと電話しようとしたんだけど。その、先生からオレの気持ちも判らないような子にはちょっと意地悪なお仕置きをしようと持ちかけられて…先生には全部話していたからさ。そしたらお前がオレの贈った服はもとより、オレがお前の家に置いていた荷物も全て送り返して来るし、鍵は換えてるし、ドアチェーンまで付ける用意周到さで。余計に腹が立ってるところに先生から、自分を引き連れてお前なんかもうどうでもいいって態度をしていたら、傲慢なお前が反省して縋ってくるって言うから、先生に言われるままイロイロしちまったんだよッ」

 ポツポツと説明を苦々しく口にする都築を、俺だけじゃない、その場に居た華やかグループの面々もギャラリーも、ああ、都築って本当に生粋の箱入りお坊ちゃんなんだなあと思ったに違いない。
 アレだけ奔放に遊んでいるくせに、ひとの心の機微が判らないなんて。
 都築にベッタリされてもケロンとしている俺の何処が傲慢だっていうんだ…あれ?程よく傲慢なのかな、俺。
 とは言え、ちょっと聞き捨てならない台詞があったので、俺はムスッとしている都築に詰め寄った。

「あれは!あの日、お前が先生とエッチしてる時に煩い、メールしてくんな!とか酷いメールを送ってきたからだろ?!」

「はあ?!オレはそんなメールはしてないぞッ。確かにあの日は先生とセックスしてたけど、お前には初めての人か?って聞かれてそうだって答えたきりだ。そしたら、シャワーから出てきたら先生に、もう二度と来るなって来てるけど、我侭そうな子だねって言われたんだ」

 …何を言ってるのか判らない。
 確かに都築は俺に、お前うるさい、もうメールしてくるなって書いてきた。それを見たら凄くムカついて、そんなに先生が大事なら、もう二度と俺んちに来て構ってちゃんになるんじゃねえぞって思ったんだ。
 俺が悔しくて、そんなはずないってスマホを取り出している時、全ての合点がいったのか、姫乃さんが仕方なさそうに溜め息を零したみたいだった。

「…どうやら、わたくしの可愛い弟と光太郎さんとの間には何か行き違いが起こっているようですわね。その犯人は、あの困った家庭教師ですのね」

 姫乃さんの言葉で、なんとなくだけどだらしなくて無節操で、我が道を往く傲慢な子どもみたいな御曹司様は、どうやら完璧に箱入りで育てられたせいか、身体ばかりが大人になって気持ちいいことを先にカテキョのせいで覚えてしまったばかりに性に奔放な子どものままなんだと理解できた。
 小学校はわざわざ公立に行かせたくせに、何処かズレてるよな、都築家ってさ。

「光太郎さん、どういたしますか?愚弟はどうやらすっかりあの色情狂の愚か者に騙されていたようです。仕出かしたことはとても人間とは思えない惨い仕打ちでしたが…ごめんなさい、それでもわたくしの可愛い弟ですの。どうか、許してやっては頂けないかしら」

 俺も都築同様、姫乃さんには弱い。
 でも、それじゃ駄目なんだ。
 それだと、都築は何時まで経っても図体のでかいガキのまんまだ。

「姫乃さん…あなたに言われたら頷かざるを得ないけど、でも、今回は駄目です。都築が俺を自由に出来ることはよく判りました。だからこそ、俺は嫌です。俺は都築と同じ目線で一緒にいたいんです。脅されて怯える関係と隣り合わせなんて絶対に嫌です」

 何が良くて、何が悪いのか…こんな簡単なことぐらい、今教えないで何時教えるって言うんだ。
 俺がスマホを片手にキリッと言い返した時だった。

「…対等ならいいのか?」

 ポツリと都築が俺を見下ろして呟いてきた。
 その表情は真摯で、とても手放してしまった玩具を取り戻そうとしているようには思えない、失くなってしまった宝物が目の前にあるから、なんとか必死で手に入れようとしている、やっぱり子どもじみた目をしている。
 いや、もうこれが都築のデフォルトなんだろうな。

「そう言うワケじゃないけど…って、都築!なにやってんだッ、お前はそんなことしちゃ駄目だッ!!」

「こんなことぐらいでお前が離れていかないのならどうってことない。オレだって、お前と対等で一緒にいられるならこんなこと何とも思わない。お前の家は居心地がいい、オレが何をしていても全部許すのはお前ぐらいだ」

 だからって、こんな大衆の面前で大企業の御曹司たるお前が膝を折って、剰え土下座なんかするんじゃない!俺とお前とでは、抱えているものも、持ち合わせている自尊心も全然違うんだ。人間としてどうこう言ってるんじゃないぞ?俺は精々、従業員がみんな50過ぎの十数人しかいない有限会社篠原製作所の社長子息って言う肩書きだけだけど、お前は違うだろ。総勢数万人を抱える都築グループの会長の孫で、現社長子息だ。そんなヤツが俺のために大衆の面前で頭を下げることすらどうかしてるのに、土下座なんて絶対に駄目だ。
 跪く都築が頭を下げようとするから、慌ててその首に縋りつくようにして止める俺に、都築は怪訝そうに眉を寄せているようだったけど、「じゃあ、許してくれるのか?」と頓珍漢なことを言いやがる。
 ああ、もう駄目だ。そう、もう駄目なんだ。
 俺はこの自由で俺様で非常識でお坊ちゃんで変態の都築を、それでも1人の人間として好きなんだ。俺がさよならを切り出したからって怒り狂って、先生に唆されて、俺に焼きもち妬かせようと構内で珍しくベタベタしたりして、却って顰蹙を買ってるバカな都築だけど、もう憎めないんだろうな。

「もう、判ったよッ、許すよ!でも二度はないからな!もう一度、俺を土下座させる時は、きっぱり縁を切る時だからなッ」

「判った」

 頷く都築を諦めたように見つめ返したとき、はたと今の状況に気付いてしまった。
 にっこり微笑ましく笑っている姫乃さんと先生を部下に引き渡して戻って来た上遠野さん、そして何時の間にか馳せ参じている興梠さんの胡散臭い満面の笑み…そして、認めたくないけど大学中の学生が集まっているじゃないかってほどのギャラリーと華やかグループの面々…そして、教授たち。どうやら全員に俺が都築のお世話係りだと認識されてしまったようだ。
 ガックリと肩を落とした俺は、それでも頑張って思い切り素早く逃げ出したつもりだったんだ、けど、都築に回り込まれてしまって、結局やっぱりコイツとの日々が始まるんだなと思う。
 ただし、今回は今までとは違って、アイツに弱みができたことが俺の強みになるんだろうと思えば、少しはニンマリできると思うよ。

□ ■ □ ■ □

 みんながホッとしたように立ち去るなか、都築は仏頂面の上機嫌で、既に公衆の面前で自分のモノ宣言できたと思っているらしく、堂々と俺を背後から抱き締めて首筋に鼻先を押し付けている。すんすんと匂いを嗅がれるのは、正直言って非常にストレスだ。

「宜しかったわね、一葉。お前の大事な光太郎さんが戻ってきたわ」

 そんな青褪めた俺にクスクスと嬉しそうに笑って、姫乃さんが背後霊の都築に恐ろしい言葉を投げつけて、それから上遠野さんを従えて「ご機嫌よう」と優雅な一礼を残して去っていった。
 ああ、でもやっぱり姫乃さんが来てくれてよかった。
 あの酷い仕打ちを思い出せば涙も出るけど…それに逸早く気付いた都築が不機嫌そうに眉を顰めて、俺に泣くなよとかなんとか、バツが悪そうにブツブツ言っている。うるせえ、お前にだけにはとやかく言われたくない。悪いと思うなら今すぐこの腕を離せ。

「ソフレに戻るんだから、お前、もう俺の待ち伏せとかするなよ。受けてもいない講義に出られて、俺の周囲の密度を上げるんじゃねえよ」

「はあ?何を言ってんだ。オレは別に待ち伏せも付き纏ってもいない。たまたま、偶然が重なっただけだ」

「そっか、偶然が重なったことを勘違いした俺が悪いのか。だったら、都築が取ってもいない講義に出たり、行く手を遮るみたいに現れたとしても仕方ないよな。今後、徹底的に避けてやるって決めた」

「バーカ、お前みたいなドン臭いヤツ、オレがいなけりゃダメに決まってんだろ。これからも、仕方ないから一緒に居てやるよ」

 おい、おい、なんだその態度は。
 さっきまでのあの真摯さは何処にいったんだ。
 お前が俺んちに居たいって御曹司のくせに土下座までしようとするから、特別に許してやったんだぞ。腰痛を抱えた親父と、苦労性の義母ちゃんに余計なストレスを与えやがったお前なんか、本当は5回殺したって気が収まらないのを、しぶしぶ許してやったんだぞ?!

「あ、そうだ。お前の両親には詫びに行かないといけないな」

「ん?なんだ、そう言うことはちゃんとできるんだな。お坊ちゃまだけど偉いな都築」

 俺の内心のギリギリィッが聞こえたのか、都築はハタと気付いたように頷いた。

「当たり前だ。自分の感情のせいで罪もないお前の両親に苦労させてしまったのは猛省してる」

 お、おお…あの都築がまともなことを言ってる!
 すげえ、明日、雪が降るんじゃないか??

「近い内にお詫びの品を持ってお前の実家に挨拶に行くぞ」

「おう、いいぞ!…ん、挨拶?お詫びじゃないのか??」

 まともな都築なんかこの先絶対にお目にかかれないだろうと、浮かれて頷いていた俺は、都築の言葉の語尾の不穏さに気付いて首を傾げていた。

「詫びを兼ねた挨拶だろ?お前を貰うんだから、挨拶しないと失礼なんじゃないのか?」

「…いつ、俺がお前のモノになるって言ったんだ。ソフレごときで挨拶される親なんていねえよ」

「違うだろ。お前はオレのハウスキーパーになるんだ」

「お前、まだ諦めてなかったのか」

 思わずガクリと跪きそうになる俺を訝しそうに見下ろして、都築のヤツは不機嫌そうに唇を尖らせている。
 てっきり、ほぼ毎日顔を合わせているんだからハウスキーパーの件は諦めたモノだと思い込んでいたのに、「ちゃんとした形がないと、一緒に暮らしていないと今回みたいなことになったら困るんだ」とか何とか、ブツブツ言っている都築には参ってしまう。

「だとしても、ハウスキーパーぐらいで挨拶される親もいねえよ」

「…そうなのか?お前、まともな結婚もできないんだぞ」

「は?なんだそれ」

「籍を入れるぐらいはできるし結婚式もやりたければイタリアかフランスあたりで盛大に挙げてもいい…けれど、それはあくまでも婚姻に限りなく近いとは言えパートナーシップってだけで、婚姻による約束とかは何もないんだぞ」

 …。
 何いってんだ、お前。

「都築さ、お前って俺のこと好きなんだっけ?」

 呆れを通り越すと無我の境地に陥るんだと初めて知った俺が、ほぼ無表情で聞くと、都築は相変わらず小馬鹿にしたような表情をして見下ろしてきた。

「はあ?別に全然好きとかじゃないけど」

「じゃあ、俺のことタイプなのか?」

「だから、お前なんかタイプじゃないって言ってんだろ。自惚れんな」

 入籍だの結婚式だのなんだのは、俺の空耳だったんだよな!
 何時もの都築節に納得して、俺は朗らかにニコヤカに笑って頷いてやった。

「だよな!じゃあ、ハウスキーパーの件もそのなんかよく判らない話も全部却下な」

「なんでだよ?!」

 納得いかない!と眉間にシワを寄せて不機嫌そうに見据えてくる都築に、怯むことなく俺は言い聞かせてやることにする。
 何をって?もちろん、常識ってヤツだ。

「まず第一にだ、ハウスキーパーは嫁じゃない。籍を入れるんじゃなくて仕事としての契約書を交わすだけだ。そして第二に俺は、28歳ぐらいで愛し合っている可愛いお嫁さんを貰って可愛い子どもを作って、80歳で子どもと孫に囲まれて大往生するんだ。絶対にタイプでも何でもないって言うお前と生涯を一緒に過ごすことはない」

 えっへんと胸を張って未来予想図を口にすると、黙って聞いていた都築は途端に不愉快そうな表情をして首を左右に振ってみせた。

「なんだ、その絵に描いたような未来図は。そんなのお前には無理だっての。だいたい、この年まで童貞のくせに、28で本当に愛し合う相手なんか見つかるのかよ」

「そんなの、社会に出てみなきゃ判らないだろ」

 酷い言い草にギリィッと、俺みたいな庶民なんかと違って恙無く順風満帆な人生を過ごすことができるんだろうスーパー御曹司野郎に、奥歯を噛み締めながら言い返してやると、御曹司様は憐れむような目をして教え諭そうとしてくる。

「あのな篠原、自由が許される大学生の身分で恋人ひとりも作れないお前が、窮屈な社会に出て嫁を貰えると本気で思っているのか?愛し合ってる嫁?笑わせんな。精々、婚活してもダメダメなお前に業を煮やした親の勧めで40過ぎぐらいで見合い結婚するのがオチだよ。下手したら一生有り得ないね。だから、お前はオレのハウスキーパーになってればいいんだ。夜の生活は毎日が嫌ならオレはセフレで賄えばいいし、3食オヤツに昼寝付きの生涯安泰なんだから文句ねえだろうが」

「ぐぬぬぬ…絶対に嫌だねッ」

 何が悲しくてお前なんかの嫁にならないといけないんだ。しかもお前は俺のこと好きでもタイプでもないんだぞ。なのに、お前に仕方なさそうに抱かれるとか気持ち悪くて想像すらできねえよ。

「なんだと、オレはお前でいいって譲歩してるんだぞ?!」

「譲歩なんてしてくれなくて結構です。俺がいいってひとを幅広く捜します」

 ムカついて言い返すと、都築のヤツは本気で怒っているみたいに言い返してきた。

「バカ言うな。絶対に認めさせてやるからなッ。お前の両親への詫びはするが挨拶はそれからだ」

 この俺がお前なんかを嫁にしてやろうと言うのに、何が不満なんだとか思ってるんだろうな。嫁の段階で、俺は男なんだぞって言いたいことが山ほどあるけど、それすらも聞き入れちゃくれなさそうな雰囲気に、俺は青褪めて愕然としたまま、鼻息荒く、両親への詫びの品物をタブレットで検索し始めた都築を見つめていた。

□ ■ □ ■ □

「…今回の主従プレイはなかなか面白かった」

 俺の両親への高価な詫びの品物を幾つか検討して満足したのか、タブレットを仕舞いながら、不意に都築が気持ち悪いことを言い出した。
 都築が気持ち悪いことを言うのは、最近はもうデフォになっているから何時もなら聞き流すんだけど、今回は聞き流せなかった。

「お前…あんな酷いこと、プレイのつもりだったのか」

「それは悪かった、反省する。…でも、お前が土下座してるとき、本当は思い切り勃起してたんだ。誰もいなかったら無理矢理でも顔射してたと思う」

 少しだけとろりと目尻に色気を浮かべて、都築はそれこそ視姦なんてレベルじゃないぐらいジックリと俺を見下ろしてくる。

「お前ってヤツは…」

 お前はそんなことを考えながら、俺に土下座して詫びるつもりだったのか。
 全くブレないと言うかなんと言うか、開いた口が塞がらないぐらいの無節操で傍若無人だな、おい。

「でも我慢したんだよ。お前のあの時の顔は、誰にも見せたくないからさ」

 都築はニンマリして、かなり嬉しそうだった。
 コイツは変態で少しSが入ってて、それでやっぱり変態なんだ。
 今回も都築は、やっぱり都築らしい変態さんでした。

□ ■ □ ■ □

●事例9:跡を付ける、付き纏う、待ち伏せする(逃げても無駄)
 回答:オレは別に待ち伏せも付き纏ってもいない。たまたま、偶然が重なっただけだ。
 結果と対策:そっか、偶然が重なったことを勘違いした俺が悪いのか。だったら、都築が取ってもいない講義に出たり、行く手を遮るみたいに現れたとしても仕方ないよな。今後、徹底して避けてやるって決めた。