第一章 転生してみた  -転生したら悪役令嬢だったので全力で破滅フラグをへし折って、取り敢えずラスボスルートを攻略してみようと思う、俺が。※このお話はBLです。-

 暖かい気配を感じてふと目が覚めた。
 見慣れたお洒落な天井…じゃなくて、朝の光を透かすやわらかそうなヴェールが覆っていて、左右に垂れた部分がひらひらと風に踊っている。
 こう言うのちょうど昨日の夜に読んだ小説に出ていたよな、なんて言ったか小難しい…そうだ、天蓋とか言うヤツだ。
 不肖の叔父さんを慕ってくれる甥っ子が、ネットで小説家を目指す人たちに向けて開設された『小説家だろう』ってサイトで書いていた小説が巷で大人気になって乙女小説から漫画化、アニメ化から乙女ゲームまで出るなんて盛況ぶりで俺も大好きで小説は完読、スマホゲームは時間があればやってるような始末…とは言え、そんな文才にも長けた可愛い甥っ子は、情けない話、流行り病による不況で例外なく勤め先の会社が倒産して暫く無職になった叔父さんの受け入れ先になってくれた。
 そんな可愛い甥っ子が書いた小説の物語も、こんな風に天蓋付きのベッドで主人公は爽やかな目覚めからスタートしてたっけな。
 何度か微睡みのなかで瞬きして、いや待てよ。確かに俺の甥っ子は28歳のリーマンとは言え驚くほど文才があるんだけど、ちょっと夢見がちでロマンチックな好青年だ。ロマンチックな好青年ではあるが、漸く仕事に就くことができて毎晩の楽しみは甥っ子の小説を読むとか乙女ゲームにハマるってことぐらいで、あとは疲れて安らかに眠っている43歳の叔父さんに無断でベッドを天蓋付に変更するなんて嫌がらせはしたことがないし、しない。
 何より部屋が違う。
 待てよ、ひょっとするとこれは夢なんじゃないか?
 小説を読み込んでから甥っ子の描いた世界観が面白いスマホで遊べる乙女系ゲームにハマったまんま寝たモンだから、主人公になったつもりの夢を見てるんじゃないかなこれ。
 そう考えれば、舞台が中世ヨーロッパ風なんだから広い部屋に大理石の床、豪華な装飾の壁に垂れさがる清々しいほど大げさなシャンデリアの意味も判るよな。
 なんだ夢かよ、ビビらせんなよ。てっきり43歳のおっさんが15歳のピッチピチの可愛いお嬢さんになっちまったのかって気持ち悪い妄想に嫌気が差すところだったぞ。
 まあ、夢ならいいんだ。こうして伸びをするつもりで伸ばした腕がほっそりと華奢で、天蓋のヴェールを掴もうとするような指先が折れそうなほど細いなんて夢なら十分有り得るモンな。
 よし、目覚めようぜ俺。
 なんたって今日は平日なんだから、一流企業のリーマンから作家に華麗に転身した甥っ子の為に朝飯を作ってやって、それから電車に揺られて出勤だ。
 最近はリモートなんて在宅勤務ができるようになったから甥っ子が喜んでいたけど、今日は週に1回の出勤日なんだよ。早いとこハーレクイン?みたいな夢から覚めて会社に行く準備をしなくっちゃな。
 甥っ子は会社なんか辞めて自分の為のハウスキーパーになってくれって言うんだけどさ、一緒に住まわせて貰ってるだけでも有難いのに、甥っ子から給料まで貰うって叔父さんとしてアレだし、兄貴にも義姉さんにも申し訳がたたないから断り続けている。
 そう言えばおっさん臭い俺を毎朝抱き付いて起こしてくれる甥っ子が今日はまだ抱き付いてこないんだな。
 さてはアイツ、昨日俺が夢中でスマホゲームしてる横でカタカタカタカタ何やら書いていたようだから寝坊してるな。
 作家様には朝も夜もないって聞いたことあるし、若いのに頑張ってるモンな。よしよし、叔父さんが早起きして美味いもん作ってやろう。
 可愛い甥っ子を思い浮かべてちょっとキモイぐらいニヤニヤして目を閉じてパチッと開いてみるけど高いところに繊細そうな…そんで開けられた大きな窓から入ってくる気持ちいい朝の風に踊ってるヴェールしか見えない。
 なんだこれ?起きられないとかって、映画か何かで観たことある展開だ。
 冗談はホントやめてくれ。
 溜め息を吐いて目を閉じて開いてもやっぱり目に見えるモノは一向に変わらないし埒も飽かないんで、まあ仕方ないし起きてみるか。
 えいやっと起き上がってみるモノの、何時もは重たいおっさんの身体じゃないからか、思ったよりも軽やかな起き上がりにちょっとビビった。
 ふと胸元を見下ろすと、質の良さそうな材質のネグリジェの胸元がふっくらとやや盛り上がっているように見えるし、さらりと肩から零れ落ちた髪は光の加減によって発光したように蒼くも見える不思議な黒色で、意味は違うのかもしれないがまるで天藍石のようだなと思った。
 こんな憂鬱そうな色合いだと言うのに、爽やかな風に心躍ってでもいるかのように落ち着きなくさらさらと揺れている。
 ベッドの縁に腰かけて手足を見下ろすと、まるで壊れそうなほど華奢で儚そうだ。
 なんだ俺、顔は見てないから判らないけど、これが夢じゃないのなら女の子になっちゃってるんじゃないのかこれは。
 片手で自分の掌に触れてみる。ギュッと握らなくても生々しいほどの手触りに背筋が震えた。
 ダメだ起きよう!
 俺の顔した女の子とかだったら絶望しかないし、そんな気持ち悪い夢からはさっさと起きるべきだ。
 腰かけたままでバタンと背後に倒れてスプリングの効いたベッドに受け止められ、このまま眠っておけば自然と起きるだろとか冴えている自分が内心で笑っている…つもりになっていたけど、笑っているのは自分じゃない。
 なんだこれ、頭に響いているのか…?
 いやまさかそんなこたないだろ…と俺が首を振りかけた時、嫌にハッキリとした声音で得体の知れないヤツが言った。

『忙しないなルージュ。いや、栗花落光太郎(つゆりこうたろう)と呼ぶべきか?』

 パチッと目を開いた先、翼を持った蜥蜴のようなドラゴンのクッキリとした幻影が浮いていて、ソイツはニカッと笑って牙を覗かせた。
 大きな目はまるで炎のような水晶だなって思った時には俺の口から絶叫が迸っていた。

□ ■ □ ■ □

「ルージュ様!どうなさいましたっ、ルージュ様!」

 目が覚めるとかそんなレベルの話じゃないんだよこれが。
 重厚そうな扉をバーンって開いた在り来たりのメイド服を着た女性が、ベッドに腰かけたようにして引っ繰り返っている俺に慌てたように近付いてくる。
 いや、俺…と言うかほっそりとした白い腕を持っている少女な俺?…なんだそりゃ。
 この夢の中にいる少女の名前はルージュって言うのか…ん?ルージュ??まさかルージュ??おいおい、比較的最近の記憶にある名前で呼ばれてるぞ。そう言えば、さっきの飛竜もそんな名前で呼んでたな。
 まさか、そんな馬鹿な…

『ベルが呼んでるぞ。白目をむくな』

 呆れた声で喋って…はいないんだろう、真っ白なドラゴンは燃えるような水晶の瞳を煌めかせて浮いているのに、メイドは怯えた様子もなくましてやそっちを見ることもない、ただただ必死の形相で俺の顔を覗き込んでくる。
 酷く心配しているような薄茶色の双眸と同じ色の髪を束ねて一つに纏めて結い上げている侍女…そうだ、彼女の名前はベル。
 ベル?なんで俺は彼女の名前がベルだと確信しているんだ。
 いや、なんとなくそのワケが判らないけど判る気がするぞ、ルージュと言う名だって知っているしさ。
 ルージュ・ウィリアン・メイデルっつー公爵令嬢だろ?
 パチッと目を開いて、ゆっくりと心配そうなベルを見上げる。
 見知った、とても信頼のおける優しい双眸だ。

「大丈夫だよ、ベル。ちょっと虫がいたみたいなんだ」

 鈴を転がすように可愛らしい声…ではないな、ゲームの中では少し甲高いヒステリックな声だったから、印象はとても落ち着いたモノに変わっちゃったけどさ。
 そうだ、俺はこのキャラを知っている。
 メインキャラ攻略の時、いろんな意味で散々、悩まされた宿敵と言ってもいい好敵手の悪役令嬢だ。イケメン皇太子に何時もぴったりくっ付いていて、甲高い声でオーホッホッと笑いながら地味な嫌がらせを繰り出してくる。そのくせ、大好きな皇太子からは見向きもされずに、主人公と抱き合ってるところなんかを見せつけられるちょっと可哀想な悪役令嬢だ。

「まあ、ルージュ様!虫なんてとんでもありませんわ!珠のようなお肌に傷でもできたら大変ですもの。駆虫しなくては…」

 課金したら悪役令嬢が選択できる仕様があって、プレイしてみると何時も苛々したようにベルに不平を言っている筈のルージュの唇は笑みを浮かべている。
 過保護なほど心配してくれている彼女の優しさが嬉しい。
 あんなモブイベントの中身って、こんな風に優しかったのかー、知らなかったし、ルージュでプレイしてたのに気にもならなかった彼女の人生の一コマだ。

「ふふふ!有難う、ベル。でも大丈夫だってば!きっと虫と何かを見間違ったんだと思うよ」

 上半身を起こしたルージュにベルはまだ心配そうに眉根を寄せている。

「そうでしょうか…でもルージュ様。お気を付けくださいませね。明日は皇太子殿下主催の舞踏会ですもの。美々しく着飾られて、婚約発表を待たなくてはなりませんから」

 うふふふと隠し切れない嬉しさを滲ませたようにベルが優しく微笑んで両手を握って覗き込んでくる、そして俺の顔色が青褪める。
 フラッシュバックのように思い出す記憶。
 執筆中の甥っ子の邪魔にならないようにコッソリと家を抜け出して、歩いて僅か3分ほどのコンビニにアイスを買いに出かけた、そのほんの数分で俺の身体は宙に投げ出されたんだ。
 衝撃に思わず身体が震えて我が身を抱き締めると、ベルが驚いたように目を瞠ったものの、判っていますと言うように俺の身体を優しく抱き締めてくれた。

「大丈夫ですわ。ルージュ様にとっては一足お先のデビューで喜ばしいだけですもの。ご婚約者はきっとリリー様で決まりますわ!これで漸く、竜の呪縛から逃れることができますわね。ですからご安心くださいませ、ルージュ様」

 背中を擦ってくれるベルに、俺は『ん?』と眉根を寄せてしまう。
 俺はきっとあのコンビニに行く道すがらで事故に遭って昏睡状態か死んだのかもしれない。で、何の因果でかは判らないが、甥っ子が世に送り出した乙女小説『光と闇の幻影』通称ヒカヤミのキャラに生まれ変わっている?んじゃないかと思うんだ。それかこれが夢であるのか…世界観が似た何処かの世界に生まれ変わっているのかもしれないけれど…
 いやいやちょっと待てって。甥っ子が読んでいた転生したら悪役令嬢だった…みたいな小説があったけど、あの展開では元々の悪役令嬢が前世の記憶を取り戻して破滅ルート回避に勤しむって内容が殆どだぞ?今の俺はルージュを乗っ取ってるような感じだ。それに小説やスマホゲームのシナリオと微妙に違ってるから夢を見てるってのが正解なのかな。
 と言うのも、今ベルが口にした言葉だ。
 あの『ヒカヤミ』の悪役令嬢であるルージュはイケメン皇太子にメロメロだった。ちょっとどうかと思うぐらい、お前悪役令嬢だろって突っ込みたくなるぐらい可愛らしく皇子に惚れ込んでいたんだ。
 そのルージュを知っている筈のベルが、何故かルージュにとっての恋敵であるリリーが婚約者に指名されることを願っているように口にしてるんだぜ。
 しかも、シナリオ通りなら今回の舞踏会で皇太子はリリーの存在を知って一目惚れするはずだろ?それをどうして、ベルは最初からリリーの存在を知っているんだろう。
 ましてやその物言いだとルージュは皇太子を嫌っているようだし…
 つーか、17歳のルージュが一足お先のデビューってどう言う事だ?ルージュは16歳で社交会デビューは済ませてる筈だろ。
 おかしい…物語が違う。

『ククク…面白いな光太郎。皇太子をどんなかたちで攻略しても破滅エンドになるってのに、ルージュが皇太子に惚れていないことがおかしいのか?』

 それまで事の成り行きをだんまりで眺めていた白い竜が小馬鹿にしたように笑っている。

「ね、ねえベル。そこに浮かんでいる白い竜は何?」

 中空に浮いている白いチビ竜が俺にしか見えないのか、それともチビ竜が居ることが普通だから無視しているのか確認したかった。
 ルージュであるはずの俺を光太郎と気軽に呼んでいるところを見ると俺以外には見えていない可能性がある、でも頭の中に語りかけるような感じの話し方だし、個別に対応ができるのかもしれないから油断できないよな。

「白い…竜でございますか?この部屋に竜はおりませんよ?またいたとしましてもルージュ様、この国には闇竜はおりますが、白い竜は絶滅して久しいではございませんか」

 闇竜設定は同じなのか。

「ああ、そっかそうだったね。まだ夢の続きを見ているのかな…」

 思わずと言った感じで笑って見せたら、ベルが少し痛ましそうに表情を暗くして微笑んだみたいだった。

「さあ、ルージュ様!美味しい朝食を頂きましょう」

 精一杯明るい声で言うベルにニッコリと微笑んで、俺はそうだねとご令嬢らしく応えつつ、どうやらベルの横に暢気に浮いている白いチビの飛竜は俺以外には見えないようだと確信できた。
 ベルと数人の侍女によって着替えさせられた俺は朝食に赴く前に、少し時間を貰って窓辺の椅子に腰を据えた。
 そして、相変わらず暢気に浮いている白のチビ飛竜をひたと睨み据える。
 おいこら、聞こえてんだろチビ飛竜!

『おう、聞こえているぞ』

 よし、じゃあまずは聞かせてくれ。たぶん、お前はここが何処で俺が何者かを知っているんだろ?だったら、今の状況を理解したいから話してくれ。

『まずはオレの正体は…気にならんのか。まあいい、お前が想像している通りだ。此処はお前が生前目にしていた『光と闇の幻影』の舞台となるコーンディル大陸だ。その中の1国、お前が攻略しなければいけない皇太子の皇族が治めているアグランジア皇国だな』

 よし、判っている名前がジャンジャン出てくるな。ってことはだ、明日の舞踏会を主宰している皇子は公爵を賜ったカイン・ヴァレット・ディーエールだな?

『そうだ』

 なるほど…解せないのはお前だなチビ飛竜。『光と闇の幻影』にお前みたいな白い飛竜は出てこないぞ。
 腕を組む俺を見下ろして、白いチビ飛竜は炎のような双眸を細めたみたいだ。

『今気になるのか?…そりゃあ、あくまで舞台と言うだけで物語にはないはずのそれぞれの国にそれぞれの現実があるように、全てがシナリオ通りにいくってワケじゃない』

 なるほどな。あくまで大筋は『光と闇の幻影』の世界観ではあるが、そっくりそのままってワケじゃないってことだな。じゃあチビ飛竜、どうしてベルはルージュが大好きだった皇太子を主人公のリリーとくっ付けようとしているんだ?

『…パーシヴァルだ、光太郎。オレの名はパーシヴァル。興味がないにも程があるぞ。竜の眷属に対して名前を呼ばないと言うのは失礼だ』

 そうなのか?それは悪かった。
 俺は謝りつつ、白くて燃えるような水晶の双眸を持つチビ飛竜パーシヴァルを見つめた。

『まあいい。ベルがカイン皇太子を嫌っているのは、アレが残虐非道で冷酷無慈悲な皇太子だからだ』

 ………は?
 いやいやいや、待て待て。
 この40過ぎのおっさんがハマってるヒカヤミこと『光と闇の幻影』ってのは色んなイケメンを聖女の皮を被った無敵パワーの空気が読めないドジっ子性悪バカ女(笑)が次々と堕としていく俺の甥っ子が仕事の片手間で書いていた、俗に言う恋愛乙女系の小説が元になっているスマホゲームだ。
 小説かなとも思ったけど、攻略とか言ってるからたぶんスマホゲームのほうの『ヒカヤミ」なんだろう。
 このゲームが面白いのはいろんなルートがあって、分岐によっては様々な結果を生み出すマルチエンディングの仕様なんだけど、そのなかでもメインストーリーの主要キャラであるカイン皇太子ルートは非常に簡単で、プレイ開始直後のプレイヤーがまずは堕としておくキャラだ。
 キャラを堕とせば堕とすほどゲームが複雑化するとかで他の恋愛乙女系ゲームとは一線を画した内容になっている。なかなか頭を使う仕掛けとかもあるんだけど、既に攻略キャラ数が30人を超えていて、その中には隠れキャラとかラスボス級のキャラもいる。だがここでハッキリ言うが、カイン皇太子はよく言えば生真面目で優しい、悪く言えば頑固な堅物だ。と言うのも、俺たちプレイヤーが動かすのは主人公の聖剣を手にすることができると言う伝説の聖女(笑)リリーで、コイツがまあ本当に空気を読まないドジっ子で天然の性悪なバカなんだけど、カイン皇太子は一途に彼女を愛していて、本当なら申し分ない身分で才女のメイデル公爵令嬢ルージュが最適な婚約者候補なのに、皇太子を好きすぎてリリーに意地悪をしてしまうばかりにカインから手酷い仕打ちを受ける紛う方なき悪役令嬢の中の悪役令嬢なルージュの愛を無視する。実直故に(笑)
 まあ、そんなメインストーリーの2人を差し置いて申し訳ないが、俺はこのルージュが好きだった。
 課金をすればリリーじゃなくてルージュを選ぶことができたから、専ら、俺はルージュで攻略をしていたんだけど…そう言えば、カイン皇太子だけはどんなエンディングを迎えても、たとえばそれがリリーであっても、どんなエンディングに行っても必ずルージュを殺害エンドになってしまうんだったよな。
 だけどそれはルージュにとってであって、リリーにしてみれば楽勝皇子だったはずだ。
 そんな頑固で堅物とは言っても柔和な皇子が残虐非道とはまた、あまりにもかけ離れすぎていて信じられん。

『百聞は一見に如かずだ。お前の目で見るといい。だが、気を付けろよ光太郎。お前は今は悪役令嬢のメイデル家のルージュだ。皇太子は鬼門だぞ』

 まあ、そうなんだよな。
 じゃあ、明日の舞踏会はぶっちするってことでいいんじゃないか?

『皇太子直々の招待を蹴るのか?』

 いや、それは既に破滅フラグが立つな、やめておく。
 あー、そうだった。明日の舞踏会はエピソード4の聖女リリーを皇妃に指名して、ラストの皇太子の戴冠式で挙式まで婚約者にするためのイベントだったよな。
 ははは、だったらそこで騒がなきゃ破滅フラグを折れるんじゃないのか?

『…アグランジア皇国の皇太子は血も涙もない残虐非道な化け物だ。皇太子が制圧に行った近隣諸国の王族は赤子と言わずほぼ皆殺しで、王女や王妃は兵士の慰み者にされて…』

 まて、待て待て待て!乙女ゲームだぞ、乙女恋愛小説だぞ?!
 その舞台の輝ける最高峰の地位にありながら超絶イケメンなのに攻略簡単って言うあの優しい皇子が!堅物でまんまとリリーに骨抜きにされているバカ皇子…失礼、がだ!なんだその病んでるサイコパス設定。
 え?え?じゃあ、リリーもお断りって感じなのか??
 確か、舞踏会で一目惚れしたカイン皇太子がリリーに求婚して婚約者確定じゃなかったか。で、ルージュはそこで騒いで投獄されたのち侮辱罪か何かで鞭打ちされて家名に泥を塗ったとかで爵位はく奪のうえ国外追放だったんじゃなかったっけ?

『カイン皇太子のここでの通り名は血塗れ皇太子だ。武勲は挙げているから皇帝の覚えは目出度いんだが如何せんその性格がな…』

 やめてくれ…俺の中のイケメン皇太子がどんどんドス黒くなっていくだろ。今なんかもう無表情で目がビカァッて光ってる図しか想像できないぞ。でも血塗れか、そうか血塗れなのか…花や小鳥や蝶が舞い踊る華やかなスチルで登場した金髪碧眼の、あの柔和な笑みがイケメンで、主人公リリーともどもちょっと噴き出すぐらいおバカな皇太子が血塗れなのか。
 確か、ここで騒げば鞭打ち痛いけど唯一死なないルートだったと思いだしたぞ!

「判った、明日騒ごう」

「る、ルージュ様!明日は騒いではいけませんわ!」

「あ、ベル…」

 どうやら部屋の外で待機していたもののあんまり遅いから迎えに来たらしいベルは、赤い顔や青い顔をしている俺に気後れして、声を掛けられずにいたようだ。

『まあ、カイン皇子の件はベルによくよく聞くといい。いや、聞け。言っておくがお前が今回の生を全うして安泰で生き残りたければカイン皇太子を攻略しなくてはいけない』

 はあ?!ラスボスになってる皇太子を攻略しろって言うのかよ??!
 嫌だぞ?!この世界観が『ヒカヤミ』なら、攻略対象ではないんだけど俺はハル似の王宮魔導師ロミオを攻略したいぞ!…俺の可愛い甥っ子の悠希はどうしてるんだろう。叔父さんはヘンなところに来てトホホな悪役令嬢をやってるよちくしょう。
 パーシヴァルからサラッと言われたけど、今回の生を全う…ってことはやっぱ栗花落光太郎はあの日死んだんだな。で、何故か『ヒカヤミ』もどきな世界で暮らすルージュに転生したって小説とか漫画の流行りの展開になってるんだろう。
 そうか、転生か…ゾッとしないな。
 しかも俺(ルージュ)の今後を左右するイベント前に覚醒したってワケだな。でもおかしいな?転生モノの小説とか漫画なんかだと、だいたいルージュの記憶に少しずつ前世の記憶が甦るって仕様が殆どだってのに、俺は目が覚めたらルージュだった!しかもルージュの記憶は一切ない…なんてことになってるんだぜ?ルージュの記憶も寄越せよコラ。
 ラスボスの皇太子とか避けて通りたいわマジで。

『それはダメだな。ロミオにはそのうち会えるだろうから勝手に攻略すればいい。だが、皇太子攻略が最優先だと言うことは忘れずに覚えておけ。皇太子攻略の為にお前は女子力と言う乙女レベルを上げないといけない。最初の試練は明日だ。避けて通れないイベントだからな、まずは乙女レベル(女子力)を15ほど上げるといい。今回はそれで乗り切れる』

 ああ、なるほど。
 小分け小分けで攻略するんだな。
 それで、俺が男だから本来のゲームにも小説の設定にもない乙女レベルとかって胡散臭い女子力を上げて戦うってワケか。
 戦うんだな、カイン皇子と!

「ベル、悪いんだけどカイン皇子のこと教えて!できるだけ詳しく、明日の舞踏会までにッッッ」

「え?あ、は、はい!?」

 唐突に両手をギュッと握って恐らく凄まじい形相になっているだろう懇願する俺に、ベルは目を白黒させながらコクコクと頷いてくれる。

『ククク…いい心掛けだ』

 そこで笑ってるチビ飛竜、お前だって協力させるからな俺は!
 まあ…こうして、気付いたら大好きな小説とゲームが舞台のよく判らん世界で43になるおっさんの俺が悪役令嬢ルージュとして生まれ変わってしまったそうなので、まずは破滅フラグを圧し折りつつ、しかも安泰で生き残りたければラスボスルートのカイン皇子を堕とさなくちゃいけないらしいので、乙女レベルと言う女子力(失笑)を上げつつ攻略していこうと思います。

 まず皇太子カインを攻略する為には情報収集が必要だよな。
 この世界のカインについて俺は何も知らないし、問題のファーストコンタクトである明日の舞踏会前に、少しでも武装しておかないといきなり破滅フラグを回収することになるぞ。それは全力で圧し折らないと。
 そりゃあ、この世界のルージュがカインを大好きだったって言うのなら、おっさんは張り切って皇太子攻略に勤しむんだけど、問題のルージュの記憶がないモンだから彼女の意思がこれっぽっちも判らない。
 となれば、何か問題があって闇落ちして血塗れなんてデスワードで呼ばれるようになったのか、それとも生まれながらのサイコパスなのか見極めが重要なんだよ。
 何処かで性格が捻じれたのであれば、ルージュがカインを好きだった可能性はあるワケだから、攻略に何かのヒントにもなるかもしれないし、こんな若い身空でおっさんに身体を乗っ取られた気の毒なルージュの想いも遂げてやりたいしさ。

「皇太子殿下はそれはそれは聡明なお方でしたが…」

 お、やっぱり途中で闇落ちが正解か?
 朝食を終えて急き立てる俺に、ベルはポツポツと話し始めてくれた。
 とは言え、なんで知っている筈のルージュが自分に聞いてくるんだろうと訝しんでいるところはあるモノの、明日の舞踏会に緊張していて、他者から見た皇太子の印象を聞きたいと思ってくれたようだ。
 いい方向に勝手に受け止めてくれるベル最高だな、ゲームをやってる時には気付かないぐらいモブ化してたけど、こうして見ると美人だし優秀だ。
 …俺、なんでルージュなんて女の子に生まれ変わってんだ。心が野郎で身体が女の子とか、性転換はできないのかよ。
 ルージュが可哀想だろ、こんなおっさんに身体を乗っ取られるとか。

「幼い頃から小動物を痛めつけたり気に食わない家臣を平気で斬り捨てたりされる非常に恐ろしい方でもありました」

 あー、最初から病み属性のサイコパスだったんですね了解です。
 こりゃ、ルージュも避けて通ってたんだろうな。

「ルージュ様もお話は聞いておられると思いますが…」

 一瞬、引き攣れたように声を呑んで躊躇ったベルは、青褪めたまま口許に手を添えて溜め息を零すように呟いた。
 嫌な話をさせているんだろうな、ごめんなベル。
 でも俺は、それを知っておかないといけないんだよ。

「皇太子殿下が血塗れなどと呼ばれる所以となってしまったあの一連の武勲、このアグランジア皇国は嘗ては小国で常に近隣諸国から干渉を受けておりました。15歳になられました皇太子殿下は我が国を大国とするべく、知略と力でもって次々に制圧を行われたことで皇帝陛下の覚えも目出度く、そうしてお力をつけられて、それで…18歳の時に皇太子様を弑し奉られまして皇太子としての地位を得られたお方でございます」

 …そうか、悠希の描いた世界のカインは裕福な大国アグランジア皇国のたった一人の皇子で、何不自由なく育てられたまさに幸福の皇子そのモノだった。だけど、この世界のカインは小国であり常に四方を囲む近隣諸国の干渉を受ける貧しい国に生まれ、上には兄がいて自由もそれほどなかったんだろう。
 一番ビビったのは15歳の少年が僅か3年で近隣諸国を制圧したってのもあるけど、カインって今何歳なんだ??
 確か、皇太子主催の舞踏会の時、ルージュは17歳だったはずだ。
 此処のカインも年上だろうなとは思っていたけど、話を聞く限りだと20代であることは間違いないだろう。
 確か『ヒカヤミ』では20歳の誕生日を兼ねた舞踏会で…

「今年で25歳になられますし情勢も落ち着いていることから、皇帝陛下の強い要望もありまして、25歳の生誕祭を機に、この舞踏会で殿下のお妃様候補をお決めになられるのですわ。まだ15歳のルージュ様は社交界デビューできないお年ではございますが、国中の年頃のご令嬢を集めた舞踏会ですので、ルージュ様も招待されてしまったのですわ」

 お労しいと泣きそうな顔で溜め息を吐くベルには悪いけど、ルージュ15歳なのか!でカインは25!…待てよ、確か『ヒカヤミ』ではリリーが15歳でルージュは17歳、カインが20歳だった。
 だからカインにはルージュのほうが最適な相手だって説明されていたよな。と言うことはリリーが17歳?いや、カインが25歳だから年に関してはバラバラなんだろう。
 10歳も年上の相手を堕とすのかよ…いや待て、これ見向きもされないパターンじゃないか?25にもなれば女なんか引く手数多だろうし、それだけ生まれながらの病み堕ち皇子なら女遊びもしこたまやってんだろ。
 確か転生モノで極悪非道な攻略対象はたいてい女遊びをして子どもを作ったりしてるんだが、カイン皇子は皇帝が心配するほど子作りには興味ないのかもしれないな。病み堕ちサイコパスだからな。
 とは言え今さら乳臭いガキのルージュ(俺)よりも、成熟した妖艶なご令嬢たちに目が向くんじゃないか?
 ダメだパーシヴァル、属性が子どものルージュじゃ勝ち目がないわ。ってことで逃亡路線じゃダメかな?
 できれば俺、どっかひっそりとした村とかで余生をのんびり過ごしたい。

『…逃亡路線ねぇ。まあ、試してみてもいいんじゃないか?』

 なんだ、その投げ槍感。
 結局、カインを絶対堕とさないとダメなのか?堕とすってのは惚れさせるってことなのか?それとも、ルージュを何かで認めさせるってことなのか?その辺り、解釈が判らないと攻略を進められないぞ。
 俺はてっきり攻略って言うからスマホゲーム感覚で恋愛路線を考えていたんだけど、たとえばルージュの賢さとか、立ち位置をカインに認めさせることができれば陥落と言う捉え方なら、もしかしたら破滅フラグを圧し折って攻略できるんじゃないかと思い始めたんだよな。
 カインがペドならルージュにも目が行くだろうけど…病み皇子がペドだったらそれはそれで気持ち悪いし怖いな。
 それに俺、いくら身体が女の子だからって、野郎とセックスなんかしたくねーぞ。

『捉え方…か。生憎とカインの性格についてまではオレは知らない。お前の目で実際に見て感じて考えるしかない。そのうえで、どう攻略をするのかはお前次第ということになる。と言うことはだ、裏を返せば攻略方法は何通りもあるワケだな』

 なるほど、そうと判れば絶望視ばっかりしてるのはバカらしいな。
 15歳のルージュに何処までできるかは判らないが、中身は43歳のおっさんだ。無駄に年を食ってるワケじゃないんだから、ルージュの破滅フラグは全力で圧し折って、ラスボスであるカインの攻略を開始するかな。
 路線は苦手な恋愛モノじゃなくて、兎も角、何か功績を立ててカインにルージュを認めさせるって方向でいこう。で、余生を何処かの村でゆっくりできるようにお願いするまでが攻略だと考えよう。
 この舞踏会で残念ながらルージュが婚約者に指名されることは有り得ない、その部分は、素直で可憐で無敵の美少女のリリーにお任せすればいい。
 …ってことで、ベルに聞いたカインの生い立ちから現在までを考えて、『光と闇の幻影』のストーリーもここでお浚いしておこう。
 舞踏会の設定を見る限りだと、『ヒカヤミ』のストーリーにも沿っているんじゃないかって思うんだ。
 取り敢えず、疲れたからとベルを下がらせて、俺は豪華だけど機能性を重視した机に向かって腰を下ろした。
 小さな引き出しにはふわっと何かいい匂いが香る淡い菫色の綺麗な便せんが何枚も入っているし、鉛筆やボールペンの代わりに羽ペンが用意されている。これ万年筆みたいなモンだよな。
 小瓶に入っているインクにペン先を浸して、これで準備はOKだ。
 『光と闇の幻影』の舞台はコーンディル大陸にあるアグランジア皇国がメインとなる。まあ、話が進めば他の国の王子なんかも関わってくるけど、カインをターゲットにするならメインシナリオに絞られるからサブストーリーは無視していいだろう。誰かが関わって来たら、またその時に考えよう。
 メインシナリオはこうだ。
 アグランジア皇国にはいにしえから言い伝えられている伝承がある。
 それは闇竜の呪いと聖なる乙女の話だ。まあ、どの物語にもある在り来たりの内容だな。
 アグランジアを治める皇家には闇竜の呪いがかかっていて原因となる竜を封印しないと呪いは連綿と引き継がれていく。竜を封印できるのは何処かにあるという聖剣だけ。そしてその聖剣を扱えるのが聖なる乙女だ。
 竜の呪いはカインが引き継いでいて、呪われている彼は30歳まで生きることはできない。最後は闇竜になって次の子孫に呪いをかけるって言うオチだ。
 そこで華々しく登場するのが聖女リリー、彼女は身分の低い男爵家に生まれたものの、皇族の一部しか持たない魔法を持っていた。それも皇族は闇魔法しかないが退魔などが行える白魔法だ。白魔法が使えるリリーは闇竜の呪いを断ち切る聖剣を振るうことができる聖女で、それでなくても主人公パワーで完璧な可憐さと儚さと美しさを兼ね備えた美少女なんだから、カインが一目で恋に落ちるのは言わずもがなである。
 病み堕ちしてるカインだからこそ、聖なる美少女にクラッといくだろうとは思うから、小生意気なツンケン悪役令嬢(俺)なんかには目もくれないだろう。今となってはそれでよかった。
 この『ヒカヤミ』はRPG要素も盛り込まれているから遣り込むにはもってこいのスマホゲームなんだよな。
 で、2人は数多の苦難(ルージュの妨害とかもな)を乗り越えて攻略したキャラの助けを借りつつ聖剣をゲットだぜ!で闇竜の呪いを断ち切ってハッピーエンドとなるワケだ。
 そして俺はメインストーリーを攻略済みなので何処に聖剣があるか知ってるんだよな。
 聖剣を渡してとっととずらかるって手段もあるけど、トゥルーエンドされたらルージュが殺されるからなぁ。

『おい光太郎、股を閉じろ。お前は深窓のご令嬢だぞ』

「あ、やべ…」

 呆れたような声が響いて、俺は唐突に自分の態度にハッとした…と言うのも、あまりにも悩んでいたせいで、腕を組んで「うーん」と唇を尖らせて唸りつつ思い切り股を開いて座ってたんだなコレが。
 パニエでふんわり広がっているように見える重ったるいスカートのおかげで足が見えなくて良かったけど…って、パニエとかなんで頭に浮かんだんだ?
 そんなことを思っていたら耳許でテレレテッテレーとかどっかで聞いたことがあるような効果音が本当に小ちゃく、ともすれば聞き落としてしまうぐらいの音量で響いた気がして首を傾げた。

『深窓のご令嬢はやべとか言わんぞ…ああ、乙女レベル(女子力)が上がったみたいだな』

 は?こんなことでレベルアップするのか女子力!パネぇな。

「どれぐらい上がったんだ?」

『声は出すな、闇憑きと思われたら厄介だ。今ので10だな』

 ヤミツキと言うのがやみつきになるって言う意味で言われてないことは判るけど、小さな飛竜がどんな意味で言ったのかは判らないが、ワクワクしていた俺はパーシヴァルが険しい声音で注意するぐらいだから余程のことだと思ってシュンっとしつつも、自分から破滅フラグを立ててどうするんだって思ったから反省した。
 すまんすまん。でもパニエでレベル10も上がるとかすげーな。

『男はパニエなど知らないヤツが多いからな。意味まで理解していたから大幅レベルアップだ。あと5だな、頑張れよ』

 へーへー、頑張るよ。
 えーっと何処まで考えてたんだっけかな?淡い菫色の便箋を見下ろすと、丁度聖剣の場所ってところで丸印が付いていた。
 そうそう聖剣だ。
 トゥルーエンドでのルージュの結末ってのはどんなだったかな。
 腕を組んで思い出そうとすると、思い切り嫌な感じがした。そりゃそうか、トゥルーエンドだとルージュは2人の犠牲になるんだ。
 幸せそうに抱き合う2人を涙して眺めながら絶命する、俺が一番大嫌いな終わり方だったな。
 カインのことが大好きで大好きで仕方ないルージュは、闇竜の呪いをその身に引き受けてリリーに斬り殺される。綺麗な夜空色の瞳に涙をいっぱい浮かべて、暗黒のドロドロしたモノに汚されながら、それでも最後ぐらいはカインに抱きしめて欲しいと華奢な腕を伸ばすのに…ヤツは呪いを断ち切ったリリーを褒め称えてその腕に抱きしめ感謝の言葉を贈る。ルージュのことは一顧だにせずに。
 がーーーーー!!!ふっざけんなよクソ皇太子!!!俺、大人気ないかもだけど本当は心の底からカインとリリーのことが好きじゃないんだよな。
 だいたい、闇竜の呪いを他者の身体に移すことができるってのなら、あんなに傍に居たリリーでも良かったんじゃないのか?
 どうしてあんだけ毛嫌っていたルージュに、そんな時ばかり頼るんだよってさ。
 俺、ずーっとルージュ一択だったんだぜ。
 やれやれと頭を掻きながらカイン攻略とかマジかよって溜め息が出る。

『面白いヤツだ、たかが他人事だと言うのに』

 黙れパーシヴァル、今は他人事じゃなくて我が身っつーリアルだ。
 ククク…っと笑い声が聞こえるけど無視だ無視!
 トゥルーエンドは一先ず保留だな。
 『保留にするのかよ』って声が聞こえるけど無視して、俺はそれから明日の舞踏会のイベントについて考えることにした。
 ベルも言ってたけど舞踏会とは名ばかりのお見合いパーティーだったよな確か。
 こっちのカインはどうか知らないが、『ヒカヤミ』のカインは実直が故の奥手でなかなか女性との交際に踏みきらないから皇帝が心配して皇太子名義で開催したって経緯だった。
 皇帝としては身分も品格も申し分ないルージュとの交際を支援していたんだけど、ベタベタするルージュを不実と詰ってカインは相手にもしない。
 ベタベタっつっても手も握れずに傍にいるだけで、いじらしい乙女心じゃないか。確かにちょっとえぐい口撃とかリリーにしてたけど、それだって恋心をアレだけ無視されれば何か言いたくもなるだろう。
 その口撃も「話し方に品位がない」とか身分が上のルージュより先にカインに話しかけるなんて礼儀がないことに「もう少し令嬢としてのお勉強をなされたら?」なんて小言レベルの可愛いモンだけど、リリーには余程堪えるのか、カインに酷いことを言われて心が折れそうみたいなこと言って泣きつくんだよな。またそれを間に受けるバカ皇…んフンゲフン。
 あの実直で清廉潔白の代名詞みたいな温和な皇子ですらルージュにアレだけ酷いことができるんだから、この世界で君臨する冷酷非道なカインがリリーにメロメロになったら…いやたぶんなるだろうから、そうしたらもっと残虐な結末が待ってるんじゃないのか俺に。

「……」

 ちょっと言葉が出てこないぐらい青褪めはしたけど、頭を押さえつつふーっと長い溜め息を吐いて恋愛路線には絶対に踏み込まない、恋愛ごとで絡まない、寧ろ2人を応援して国外追放されて順風満帆な余生を送ろうと決意した。
 まずは明日の舞踏会では大人しくしていよう。どうせ15歳そこそこの小娘なんて、本当は誰も相手になんかしないだろう。メイデル家のご令嬢だから皇太子も無碍にはしないだろうけど、ソッとしておけば見逃すレベルだと思うしさ。
 舞踏会は19時頃から開催されるそうで、本来なら豪奢なフルコースみたいな食事が振る舞われるそうなんだけど、ベルに聞いたら今回はお見合いパーティーってこともあり、気軽な立食式のブッフェらしいから何時もより少し遅い時間からスタートするんだとか。
 って事で準備はお昼頃から行いますって言ってたからこの後、街の様子を見に行くのもいいかもなって思ってる。
 どうも此処は正規のストーリーとは若干違っている様だし、何か俺が逃げ出す際に役立つモノがないか、何処から抜け出すかとかも早めに確認しておくほうがいいような気がする。
 よし、じゃあ明日の作戦だ!
 最重要事項はできるだけ目立たず隅っこにいてカインとリリーに拘らない。
 但し、拘らざるを得ない場合、嫌な気分だがお見合いパーティーって事だから顔合わせぐらいはあるかもしれないっつー可能性を考えて、その場合はできるだけ面白味のない平凡なお嬢様を演じよう。
 平凡なお嬢様ってなんだ。
 
『非凡な才能を見せつけなくていいのか?』

 あー、俺もそれを考えたんだけど、よく考えたら俺普通のおっさんだし、非凡な才能をそもそも持っていないんだわ。ははは、だから目立たないのが一番だと思うワケよ。
 パーシヴァルのヤツは呆れたような気配をしたけど、仕方ねぇだろ!俺は平凡な一般人だったんだから。
 まあいいや、明日はこの作戦で行く!
 ……って事で。

「ベルー!ベル、私街に行きたいッ」

 椅子から勢い良く立ち上がって、本来なら何か呼び鈴の様なモノで楚々と侍女を呼び付けるらしいんだけど、そこはまだ43のおっさんには慣れないらしくて、俺は思わず深窓のご令嬢に在るまじき大声で呼ばわるなんてことをやらかしてしまい、ベルには叱られるはパーシヴァルには呆れられるわと言う失態をやらかしちゃったんだよね。
 とほほほー…

3

 侍女のベルは勿論のことだけど、護衛騎士を1人引き連れていないと外(街)に出さないと止められたので、俺は渋々ベルの申し出に頷いた。
 できればこの物語に関わるかもしれないキャラには積極的に関わりたくないんだけど、優しい面立ちのベルの般若の様な顔を見たら「お、おう…」と頷かざるを得なかったんだよ。
 現れた騎士が意味のないモブなら御の字だったっつーのに、何故か皇宮に居る筈の皇宮騎士団の副団長エリス・フェイル・シェイルザードが立っていて色んなものを噴き出しそうになった。
 え?なんでお前さんがいるんだ??
 スチルでは陽光の中で爽やかな笑顔を浮かべた好青年として描かれているけど、実際に見てみるとそりゃイラストとは違ってリアルだから雰囲気が違うのは仕方ないモノの、それにしても原作通り長身ではあるモノの、実直そうでやや融通が効かないところがありそうなイケメン朴念仁と言う見てくれは違いすぎるだろ。
 この世界の人間にありがちの濃い茶髪と、相手の動向をさり気なく観察する鋭い双眸も色素の薄い琥珀色だ。
 短髪は風には靡かないけどなかなかよく似合っている。
 いやいや違う、そう言うんじゃなくてどうしてエリスが此処にいるんだよ。確かストーリー上ではルージュとエリスが出会うのは舞踏会(お見合いパーティー)後のイベントだった筈だぞ。
 こんなところでファーストコンタクトとか聞いてないんですけど…
 そして勿論コイツはリリーとルージュの攻略対象だけど、リリー版ではルージュを破滅に追いやる男だ。
 課金してルージュを選択したとしても、カインは破滅エンドしかないけど、コイツとはトゥルーエンドがあるモノのだいたい散々で鬱展開だったんだよなぁ。
 どんなトゥルーエンドかって言うと、まあ悪役令嬢だから仕方ないんだろうけど、コイツはルージュを嫁にしているくせに最期までリリーに想いを寄せているクソ野郎になるんだよ。
 最期っつーのは遠征先で戦死エンドだから、その今際の際に思い出すのがリリーってワケ。ルージュ版ではそれがエリスのトゥルーエンドだ。
 可愛いルージュを嫁にできてるっつーのにとんでもねぇ男だぜ。嫁にできるだけでも有難いと思って欲しいよな。とは言え、俺版ルージュではお断りエンドだけどさ、ははは。

「ええと…エリス様ですよね?どうしてその、わたくしなどの護衛騎士としていらっしゃったのですか」

 吃驚ではなくドン引きで、手にした扇で口許の困惑を隠しながら聞いてみた。
 ベルを通すべきなのかもしれないが面倒くせーし、とは言え被ってるドレスの色味に合わせた帽子では胡散臭そうな目付きが隠せていないのは難点かもしれないけどさ。顎の下でキュッとリボンで結ばれてるんだぜ。
 天藍石の髪は結い上げずに緩やかに背中に流しているから、その髪の色に併せた淡いブルーのドレスも帽子もとても良くルージュ(俺)に似合う。

「貴方には重要な務めがあるのではないですか?」

 小首を傾げてやると、実直な男の寄っている眉根が少し和らいだ様に見える。
 このエリスと言う朴念仁は、最初からルージュを嫌っていた。
 ツンケンとしたお嬢様なルージュの性格が合わないんだろう。俺だってそんなエリスに合わせようなんざこれっぽっちも思っちゃいないがね。

「これは異なことを。私を指名したのはメイデル公爵令嬢、貴女ではありませんか」

 あ、和らいだんじゃない。小馬鹿にして呆れやがったんだ。
 チラッとベルを見るとソッと目線を外すから、どうやら犯人はベルらしい。
 残念だが俺はあんたと関わりを持ちたくないし、目立たれるのも嫌なんで、こちらから指名したとは言えお断りさせて頂く。

「まあそうでしたわね、ごめんなさい。折角お越し頂いたというのに無作法で申し訳ありませんが、どうぞお戻りになってくださいませ」

「は…?」

 胡散臭さを隠さずに眉根を寄せるエリスにはイラッとするが、そこは俺も大人だ。勝気な面立ちのルージュに精一杯可愛らしい、思慮深い優しさの滲む笑みを浮かべさせてやる。

「此方からお呼びだてしてしまってお忙しいのに申し訳ございませんでした。どうぞ気兼ねなくお戻りくださいませ」

 呼び付けたくせに帰れとは無礼な…って普通は思うだろ?でもな、コイツはルージュを嫌っているから、1分だってこの場に居たくないと思うんだよ。
 だったら、変なフラグが立つ前にサッサと撤収して頂くに限る。
 更に嫌われようがどうでもいいし時間が惜しいんだよこっちは。

「…街に行かれるとか。侍女と2人きりと言うのは物騒では」

 ニコニコ笑って見上げている俺と困惑気味のベルを寄せた眉根の下の琥珀の双眸で見た後、ちょっと固い声でそんなことを言ってきやがる。
 なんだ、一緒にいるのが嫌なくせに変なところで気遣うのかよ、面倒くせーな。

「大丈夫ですわ。わたくし、こう見えて足が速いし力持ちなんですよ。緊急事態であればベルを引っ張ってちゃんと逃げます」

 ふふふっと笑って力瘤を作って見せると、ベルが「ルージュ様…」と恥ずかしそうに声を掛けてきたけど、任せろって、俺こう見えて本当に逃げ足だけは自信があるんだからさ。

「大切な国を護る務めのあるお方に、わたくしなどのお遊びにお付き合いして頂くワケにはいきません。お戻りになられて大丈夫です!逃げ足にはちゃんと自信があるんですから」

 困惑している様な表情を浮かべるエリスには、何だこの野郎俺の言葉が信じられねーのかよと大人気もなくムッとしそうになったけど、そうか、令嬢がそう言っても呼び出された手前ってのがあるんだろうな。

「…ご心配して頂けますのなら、では、皇宮騎士団の部下の方にお願いすることはできますか?それでしたら、心配性の侍女も納得させることができると思うんです」

 そして俺は無駄なフラグに怯えることもなくなるしな。モブを貸してくれモブを。
 ニコニコっと他意を感じさせない様に、15歳にしてはちょっと幼さの残るルージュだからこその、可愛らしいご令嬢らしく小首を傾げて屈託なく笑いかけたら、考える様に目線を外したエリスは、それから胡散臭さのなくなった真摯な双眸で俺を見つめ返してきた。
 うん、なんか嫌な予感がする。

「仰る通り、皇宮騎士団は国と皇族を護ることが務めであります。国には国民も含まれますから、メイデル公爵令嬢も国民ですので私には護る義務があります」

 そう来たか。困ったな…

「その様に私の責務のために困惑なさらないでください。足が速く力持ちの公女様。必要ないかとは思いますが、どうぞ微力ながらこのエリスめにもどうか名誉ある護衛の任をお与えください」

 困った様に眉を寄せる俺にちょっとだけ苦笑して、それからルージュを嫌いなあのエリスが珍しく胸許に手を当てて、そして腰を折って笑いかけてきやがる。
 腰を折ると言うのはこの国では上級の敬意を示していることになる。最上級の敬意は片膝をつくんだけど、どちらも皇族以外には滅多にしない行為を、ましてやこんな年端もいかないお嬢様にされたのだから無碍にはできない。
 できないだろ、くそぉぉぉ!

「判りましたわ、有難うございます。でもわたくし、エリス様を引っ張ることができるかしら?頑張りますわね!」

 ふふふ!っと笑うしかないから(内心ギリギリしながら)両手でガッツポーズをして頼り甲斐を見せたってのに、とうとうベルから「ルージュ様!」と本気で嗜められて肩を竦めてしまう。
 よく考えたら皇宮騎士団副団長に頼り甲斐を見せてどうするんだって感じだから、ヤバイと思いつつ首を竦めてエリスを見たら、ヤツは肩を震わせながら噴いていた。
 んー、いきなり散々なスタートだなこりゃ。
 まあ、怒っていないようなんでフラグも立ってないだろうしヨシとして出発するか!

□ ■ □ ■ □

 俺とベルは当初馬車に乗って護衛のエリスが馬で出発って予定だったんだけど、今、ルージュが滞在しているのは皇宮に近い実家ではなく、市街に近い高級住宅地らしく徒歩でもさほど時間が掛からずに市街に出られる距離という事もあり徒歩での出発となった。
 お嬢様はどんな時でも馬車使用と言うのが常識だと思っているエリスは度肝を抜かれているようだったけど、どうやら元々お転婆だったらしいルージュを知るベルは情けなさそうに頭を抱えている。
 そもそも、街が近いからとお転婆な娘に激甘なパパとママに強請ってこの館を購入したとベルが愚痴っているのを聞いて、俺はちょっとだけ嬉しくなった。
 『ヒカヤミ』のルージュは厳しい両親に令嬢としての心得を叩き込まれて、他の兄妹より冷たくされていた。政治的な道具として皇子に嫁がせる為だけに育てられていたから、皇子がリリーに夢中になった事で家族にも捨てられてしまう定めだった。
 こっちのルージュはちゃんと家族に愛されているんだ。
 15歳のルージュはちゃんと年相応に人生を謳歌していたのなら、やっぱりそんな冷酷非道な病み堕ちサイコパスのラスボス皇子となんかくっ付かせたくないしくっ付きたくない。俺がお断りだ。
 幸せなルージュからその人生を奪い取ったのは本当に胸が痛い。今からでも遅くないならこの人生を返してやりたい。だが、その前に病み堕ちサイコパス皇太子からは逃げておいてやらないとな。
 フフフと内心で企みつつ心地よい風に天藍石のような黒髪に光を反射する煌めく藍色を散らした髪を揺らして鼻歌混じりの上機嫌で歩いてきた街並み、俺は物珍しそうに本当に数分で辿り着いてしまった市街地に感動してキョロキョロしてしまう。
 中世ヨーロッパのような佇まいではあるものの、何処かアジアを思わせる雑多な下町の活気にあふれていて、病み堕ちラスボス皇子が手に入れた大国としての地位のおかげなのか、商魂逞しい掛け声に国の豊かさを知った。
 俺としてはご遠慮願いたいラスボス皇太子は、この国の人々にとってはまさに救国の英雄に他ならないのだろう。
 たとえばその制圧が惨虐極まりないもので、不平を言う貴族や重臣を血祭りにしたとしても、平民たちには噂だけで、国民の前に生首を並べたり串刺しの死体を見せつけて力を誇示した恐怖政治をしたワケでもなく、非情も非道も全て皇子と騎士たちが引き受けたに違いない。
 だから、この国の人々は笑っていられるんだろう。
 ベルに聞いたら、干渉を受けていた当時、各国は他国に非情だった皇子と同じぐらいこのアグランジアに残酷だったと言う。
 国境沿いの村の娘が拐かしに遭うなんてことはざらで、酷い状態の遺体が村に投げ込まれていた事もあったってベルが言葉を濁しながら言うんだから、病み堕ちラスボス皇太子が本領発揮したとしても、この場合は良かったんじゃないかって俺も思わず腹を立ててしまった。

「みんな幸せそう。国民が幸せってことは、国が豊かだと言う証拠だ」

「え?」

「ルージュ様!」

 行き交う多国籍っぽい様々な人種を見詰めながら思わずニンマリしていたら、ベルに叱られてエリスには驚かれた。
 あ、やべ。つい何時もの口調で喋っちまった。
 ベルに謝っていたら、不意に出店で果物を売っているおっちゃんから声を掛けられた。

「おお、ルージュちゃん!今日はお目付役と一緒かい?なんでも持っていきなよ」

 って陽気にガハハハと笑って言われるからには、どうやらルージュは単身で館を抜け出していたと思われる。横でベルが般若になってるから間違いない。
 呆気に取られていたエリスがククク…っと噴いてるのが判ったけど、俺がこの場合取る行動はひとつだ。

「あら、おじ様。人違いですわよ」

 すっ恍けてツンとした後、こっそり横目で片目を瞑ってしーと指で唇を押さえる真似をすると、おっちゃんは呆気に取られた顔をして、それからまた陽気に笑ってエリスに柑橘類のような果物を投げて寄越した。

「よう、旦那!ルージュちゃんによく似た可愛いお嬢様に食わせてやってくんな」

「あ、いや私は…」

 旦那と言うキーワードに動揺するエリスに、賑わう街が更に賑わって、俺も純朴なエリスがおかしくって声を立てて笑ってしまった。
 『ヒカヤミ』のエリスは朴念仁のくせにルージュに冷たくて嫌いだったけど、こっちのエリスは人間味があって嫌いじゃないな。
 この世界では15歳は社交界デビューにはまだ早いモノのもう十分年頃で、既に婚約者が居てもおかしくない年齢だ。で、『旦那』ってキーワードは、エリスのような爵位のある騎士にとってはルージュお嬢様は勿論、年頃の令嬢は全てそう言った対象に考えられるから冷やかしの言葉に使われるんだってさ。
 豪快に笑う俺にエリスは面食らっているようだったけど、あー悪い悪い。他の、リリーみたいなご令嬢みたいに一緒になって赤くなる、なんつー芸当は俺にはできないんだわ。

『赤くなっていたら乙女レベル(女子力)がアップしただろうな』

 え?こんな時でも乙女レベル(女子力)って経験値になってんのかよ?!そう言う大事なことは早く言ってくれよマジで。
 とほほっと内心で思っている俺は、ルージュが館を抜け出している事実に青褪めたベルから、道中真剣にこんこんと叱られた。素直にごめんなさいと謝っていたら、ふと、賑やかな街並みの片隅、ちょうど噴水のあるアリーケ広場の奥の建て込んだ暗がりに蹲っている人を見つけた。
 何をしているんだろう、何処か悪いのかと歩み寄ろうとしたその腕を、失礼と声を掛ける、片手に街の人から貰った荷物を抱えたエリスに掴まれて止められてしまった。
 
「先の戦で流れ込んだ移民と貧しい者が住む居住区です。公爵令嬢の赴かれる場所ではありません」

 静かだがハッキリとした厳しい口調で、その暗がりから先がとても危険で、そして寂しいスラム街であることを知った。
 皇子のおかげで大国になったとは言っても、やっぱりこう言う場所は存在するんだな。

「以前、流行病が蔓延した際に移民の大半は亡くなったそうですが、職を失くした者たちが居住地を求めて入り込んだのであまり変わりはないのですよ」

 そう言ったのはベルだった。
 先の大戦も流行病も、ルージュがまだ幼い頃の出来事だったから、これを機にベルは学ばせようと思ったようだ。
 ああそうか、皇子が15歳の時、ルージュはまだ5歳だったもんな。
 それで皇子のこと教えてと言った時も、訝しまずに教えてくれたんだ。

「ルージュ様はまだ幼かったですからご存知なくとも致し方ありませんわ。今から多くを学び、正式に18歳におなり遊ばしましたら社交会デビューを致しましょうね」

 あれ?確か『ヒカヤミ』の社交会デビューの年齢って16歳じゃなかったか?だからルージュは17歳で既に舞踏会に参加できてたのに、リリーは特殊枠だったから15歳でもよかったけど…そうか、これも相違点だな。
 俺の場合は、今回は令嬢たちの添え物として招待されたってパパが言ってたっけ。
 添え物ってなんだ、皇帝陛下も酷いヤツだな。
 今回の舞踏会(お見合いパーティー)の主催は皇太子って事になっているけど、実際に令嬢に招待状を送って呼び立てたのは皇帝陛下だったりする。
 だから添え物とか巫山戯んなって思ってる俺でさえ、パパの為にはぐぬぬぬと歯噛みしながら参加しないといけないんだよ。

「その通りだよ、ベル。私はもっと多くのことを知る必要があると思う。だからたくさん勉強するよ!先生になってね、ベル」

 でもまあ気を取り直して、優しい侍女にニコッと笑ってその両手を取ると、ベルはちょっと照れたようにはにかんだものの、すぐに嬉しそうに頷いてくれた。

「有難う!ベル。大好き」

 お嬢様特権でベルにギューッと抱きついていると、思わずと言った感じで誰かが噴いた。
 いや、誰かって言えばエリスだけどな。

「…ルージュ嬢は不思議な方だ。この国で由緒正しき尤も名門のメイデル家のご令嬢だと言うのに、まるで庶民に溶け込んだようにおおらかであられる。私は外面に惑わされて内実から目を背けていた。恥じ入るばかりです」

「エリス様…」

 えーっと、それはつまりなんだ?
 名門出を笠に着た鼻につくお嬢様だと思って毛嫌いしていたら、内面は庶民感覚を持っているお転婆で親しみ易いお嬢様だった。人を見る目がなかった、やべー恥ずかしいってことかな?

『ククク…そう言うことじゃないか?』

 なるほどな、やっぱりか。
 ちょっと思い出したんだけど、この世界のルージュは両親にも兄妹にもめちゃくちゃ溺愛されていた。だけど娘を良いところに嫁がせたいと思っているママは、けっこう躾に厳しいみたいでベルの般若の顔に被って何か見えた気がしたぞ。
 悪寒が背筋に走った。
 これはたぶんきっと、ルージュの記憶だ。

「あのう、わたくしがお転婆だってことはエリス様とベルとわたくしだけの秘密にしてくださいませね。お母様に知られてしまうと、もの凄く叱られてしまいます」

「あら、ルージュ様!お優しいエリス副団長は懐柔されても、このベルは共犯にはなりませんからね!奥様にきちんと報告致します」

「ええ?!そんな待ってベル!ママに言うのは絶対ダメッ」

 ルージュのママの柔和な笑みが浮かぶ美しい顔が脳裏に浮かんで、やっぱり背筋がゾクゾクするからベルに泣きつくけど許してくれない。
 うう…エリスは相変わらず噴いてるし、ベルが心配してくれてるのもよく判るけど、それでも今回の自分的市街地散策イベントはルージュのお転婆な秘密がバレてはいけないベルにバレただけの結果で終わっちまったような気がするちくしょう。
 ごめんよ、ルージュ。

4

 結局、そんなこんなをワァワァ言ってるうちに、やせ細って蹲っていた人はいなくなっていて、思ったよりは体調が悪くなかったのかとちょっとだけ安心した。
 もしまだ居るようだったら、エリスにお供をお願いしてでも何かしてやりたいと思ったからだ。
 いいんだよ別に偽善だったとしても。
 よく言うだろ?最後まで面倒が見られないなら手を出すなって。
 ありゃ、都合よく煩わしいことに関わらないようにする為の、そんな自分たちを悪く見せないようにする体のいい逃げ口上なんだよ。
 一時的にでも餓えや苦しさを感じないなら、ずーっと辛い中にあるよりも本人にとっては少しでも楽になると俺は思うんだよね。
 もし命の灯がそこで終わってしまうとするのなら、猶更、最期ぐらいは美味しいモノを食わせて暖かい布団で眠らせてやるべきだ。
 それが情けってモンだよ。
 このアグランジア皇国の暗部とも呼ぶべきスラム街をチラッと肩越しに振り返りつつホッとしていたら、どうやらそんな俺をエリスのヤツはまじまじと観察していたみたいだ。
 で、心配になったのかその帰り道でのことなんだけど…
 令嬢ともなると、ましてや実力者のメイデル家の公爵令嬢ともなれば、正式に護衛騎士の契約を皇宮騎士団と交わすべきではないかとエリスが心配そうなツラをして真摯にベルに帰途の道中で延々と話していた。
 公爵家からの申し出であれば皇太子の許可も下り、メイデル家ともなればおそらく団長クラスの騎士が護衛に就くことになるだろうって言ってたっけ。
 皇宮騎士団は第1騎士団から第8騎士団まであって、優秀で名門出身であるエリスは第1皇宮騎士団の副団長を務めている。
 ルージュなら知っていたかもしれないが俺は知らなかったから、護衛騎士の契約の許可をどうして皇帝ではなく皇太子が承認するのか首を傾げていたら、それに気付いたエリスが微笑みながら教えてくれた。
 最初の態度からたった1日でよくもガラッと変わるもんだと胡乱な目付きをしたかったが、そこは可愛い子ぶりっ子で長身のエリスを見上げてうんうんと頷いて学んだ。学びは何事においても大事なことだからな、特にこの世界で破滅フラグを圧し折って生き抜くにはさ。
 エリスが言うには、近隣諸国の制圧を完了したカイン皇太子がまだ皇子だった18歳の時に、全騎士団の指揮権を皇帝からカイン皇子に譲渡されたのだとか。当時はまだ皇太子が存命だったから、皇太子を飛ばしてカイン皇子に譲渡では醜聞が悪いと騒ぎ立てた何人かの重臣はその場で(恐らくイラッとした)皇子に斬り殺されたんだそうだ…重臣でも斬り殺すのか、いやまあそれは置いておいて、幸いなことにやり手でも穏健派のルージュのパパは『ではカイン皇子に将軍の地位を賜れば問題ないのでは』と進言したおかげて地位がさらに安泰したとかなんとか、ルージュのパパが健在で良かったし地位を確立しててくれて本当に良かったと思うよ。
 とは言えその進言でカイン皇子の覚えが目出度くなっちゃったモンで、メイデル卿のご令嬢は皇太子妃候補にまだ15歳だって言うのに選ばれちゃったなんて言う余計なお土産がついたワケだ。
 パパよ…
 皇太子になっても将軍のままだから全騎士団は現皇太子の号令があれば何時でも戦に赴くってことで、護衛騎士の契約の許可は将軍の皇太子が出すし、そんなメイデル公爵令嬢の護衛なんだからすぐに出るよってエリスは言ったワケだ。
 公爵令嬢で15歳ともなれば既に護衛騎士が居てもおかしくないのにとエリスは首を傾げていたけど、ルージュのパパが娘をあんまり溺愛し過ぎていたせいで、絶対に館から出さないとかママに駄々を捏ねて、爵位のある騎士イコール悪い虫は付けたくないってことで契約を宙ぶらりんにしているのですと困惑と疲れと恥ずかしさの入り混じった複雑な表情でベルが漏らしたから、俺もエリスも思わず「お、おう…」って言っちゃうのは仕方ないよね。
 爵位のある騎士の中には社交界の爛れた色に染まる前の初心なご令嬢と既成事実を作って嫁にする、なんて強者も居るらしいから、強ち、親馬鹿パパの行動は理に適っていたりするんだよな。
 勿論、強者に喰われるのも嫌だし、この世の中を渡り泳いで本当の意味での俺のトゥルーエンドを迎えなきゃいけないんで、できれば護衛騎士なんて欲しくない。今はパパの案にどっかり乗っかってるつもりだ。
 そんなこんなで市街地散策イベントを終えてからヘトヘトに疲れた俺は、夕食を済ませて入浴をして、今はフッカフカの天蓋付きのベッドの中で瞼を閉じたまま考え事をしている。
 明日の朝、目を覚ましたら甥っ子の遥希ことハルに抱き着かれていないかなーとか淡い期待はあるものの、まあ十中八九ムリだろとも諦めてるからそのことはいいんだけど、今日の市街地で経験したことは面白かったし考えさせられた。
 大国になった弊害なのか、貧民窟化してたあの一角はどうにかならないのかな。
 俺がどうして彼処に行こうとしたのかって言うと、蹲っていたのは痩せっぽっちの少年で、何処か痛そうな辛そうな顔をしていたんだ。
 病気とか馬車に跳ねられたとかの事故だったら、この国にも病院のような医科寮って所があるから連れて行ってやりたかった。でもその前にエリスに止められて、あっさり話を変えられちゃったまま帰途を促されたんだよ。まあ、あの子がいなくなっていたから俺も素直に帰りはしたんだけど。
 なんやかんや、やっぱ組織を束ねる副団長さんは人心を掌握するのが上手いよなー

『バカなお前が気付かないようだから忠告しておいてやる。あの子どもは囮だ。裕福そうな娘が通り掛かったから死に掛けた子どもに気を取らせておいて、近付いてきたら捕まえて売るつもりだったんだろう』

 はあ?!そんな企みがあったのか??!

『エリスは気付いていたようだ。建物の陰に複数の男が潜んでいることに』

 うへーマジか。ああ、それで話している間にあの子は居なくなったのか。
 死に掛けている子ども…ってことは、あの子はもうダメだったのかな。

『命の匂いがあまりしなかったから、もう意識もなかったんじゃないか。なんにせよ、甘ちゃんのお前には格好の餌だっただろうよ』

 …甘ちゃんで悪かったな。パーシヴァルは本当に頭が宜しいようでご立派ですわねフン!だ。
 どーせ周りを見渡せない年ばっかり食ったとっちゃん坊やだよ俺は。

『…だが、そんな甘ちゃんのおかげで、目出度く乙女レベル(女子力)がアップしたぞ』

 フンフンッ!とムカついて布団を被っていじけていた俺は、パアァァっと顔を輝かせて布団から覗かせた夜空色の双眸で中空に浮いているパーシヴァルを見た。
 え?え?マジでマジで??何時レベルアップしたんだ?
 あのどこかで聞いたことがあるようなレベルアップの効果音、ちょっと小さいんだよな。必死に何かやってる時とか聞き逃してしまうボリュームなんだよ。
 で、レベル幾つになったんだ??何気にレベルアップって嬉しいよな。

『12になった』

 12!!!2しか上がってねーじゃねえかッ!
 は?なんで??今回は可愛いこととか敢えて何度か言ったんだぞ俺。
 言葉遣いも何時もよりお嬢様っぽくしたし、ちょっと無邪気な可愛らしさを仕草にしてだな。

『あざとすぎたんだよ。本当ならアリーケ広場で5は上がっていたけどな、諸々があざといと判断されたワケだ』

 …誰が判断して乙女レベル(女子力)を上げてんだよ。
 そう言や聞いてなかったな、誰の判断で結果を出してるんだ?

『乙女レベル(女子力)の判断だと?そんなもの、このオレに決まっているだろうが。その為に傍にいるんだ。それぐらい気付けよ間抜け』

「お前かよ…」

『声を出すなと言っているだろう。間抜けだけじゃなくてバカでもあるんだな』

 うるせーわ!お前ならゴチャゴチャ言わずにササッとその乙女レベル(女子力)とかってのを上げてくれればいいだろ!
 俺、恥を忍んで今回は結構頑張ったんだぞッ。

『ああ、エリスに上目遣いとかして可愛い子ぶりっ子してたってヤツか?あんなのはわざとらし過ぎて純朴な皇宮騎士ならぐらつくだろうが、大国を治める冷酷非道な皇太子には鼻クソレベルであしらわれるぞ。精進しろ』

 グッハ、ムカつく!グッハ、ムカつく!
 40過ぎのおっさんが、自分だったら可愛い女の子にこんな態度をしてもらったら萌えキュンってのを追求した結果で上目遣いでニコッをだな…ってコラ、何消えてんだよパーシヴァル!
 やい、パーシヴァル!出て来いったら!!…と、ガバッと起き上がって両手をブンブン振り回しながら虚空に空しく(心の中で)呼んでも小さな真っ白い飛竜はもう姿を現してくれなかったから、俺は渋々ベッドにダイブして、迫りくる第一波の波に抗える勇気をくれとハルに祈ってそのままスヤッと眠りについた。
 眠りにつくのはえーな俺。

□ ■ □ ■ □

 翌日はやたらゆっくり惰眠を貪らせてくれたベルだったけど、昼近くになってから途端に慌しくなって吃驚した。
 目が覚めたらハルが…ってのはやっぱりダメだったワケだが、昼食が終わってからいきなり風呂に入れられて、その風呂だって何時もなら独りでぷっかぷっか浮いたり沈んだり小一時間ほど遊べるんだけど、その日はベルと数人の侍女たちがてんやわんやで美肌にはやれリージーエキスを湯船に入れるだとか、同じくリージーオイルがどーだとか言って薔薇に似た花びらが浮く湯船に浸かったままでこれでもかって全身マッサージされてとんだ目に遭った。
 リージーってのは薔薇よりも美肌になる成分が50%も多いらしくて、凄く高いんだけど令嬢は舞踏会とかお茶会に参加する前にはよく使用しているらしい。
 花も匂いも薔薇に似てるんだってさ。
 そのエキスをふんだんに含んでいるとかって布を身体のあちこちに貼られて、顔にも鼻と口を開けた布を被せられた。
 この状態で1時間は横になっていろって広い浴場の外にある脱衣室?みたいなところに置かれている寝台に有無を言わさず寝かされるって言うね。
 ご令嬢とは、いや女性ってのは大変なんだなぁと、どれだけ自分が男だからとかそんな理由で怠惰な生活を送っていたかってのを痛感して、次に男に生まれ変わった時にはせめてもう少し肌の手入れはしようって思った。
 とは言え、ルージュはそんなことしなくてもお肌スベスベで綺麗なんだけど、もっと綺麗になんなくちゃいけないってのは大変だよね。
 まあでも、40代のおっさんから言わせたら、実はルージュは年相応の女の子よりちょっと幼いんだよな体型が。
 胸もふっくらレベルだし腰に括れもない、だから幼児体型と言えばそれまでだけど、手足だけはすんなりと細くて華奢だ。
 だから、幼児体型なんだけども。
 そんなワケで俺の心のチンコもおっきしないし、俺、ペドじゃないからルージュの裸体を見てハァハァもならない。そりゃ、最初は女になったってことで少しはハアハアして胸とかアソコとか触ってみたけど、あまりに幼い感じで申し訳なくて一瞬でスンッてなっちまったよ、ははは。
 それと不思議なんだけど、この身体はもう俺のモノなんだからヘンなことすんなって自分自身にも腹が立つし、他の野郎にも好きにさせて堪るかって思えてきて悪戯とかしようとも思わないし気持ち悪いぐらいなんだよな。意味は違うのかもしれないけど自己嫌悪しちまうんだよ。
 あ、そうそう。ご令嬢ってのはすげーよな。
 風呂、1日に3回から5回は入るからな。
 たった1日と半日で風呂のあり方と自分の身体に対する気の持ちようが型にハマるレベルの入浴時間だからさ。
 まあ正直、風呂入りすぎだろとは思ってる。
 そんなことを考えている間に1時間はあっと言う間に過ぎて、いい匂いのパウダーを顔や全身にパフパフされた後、今度は衣装の着付けになる。
 ギュッと括れのないルージュの腰に括れを作るコルセットでグエッと呻かされて、パニエを着用、それから選びに選ばれたドレスを着付けるワケだが…このドレス、選んだのはママとベルと数人の侍女たちらしい。
 俺の意見は一切無視…と言っても、本当は俺になる前のルージュは一緒になってキャッキャ言って選んでたらしいけど、残念ながらまだ俺にその部分のルージュの記憶が戻ってないからよく判らん。
 でもこのドレス、確かにルージュが好きそうだなってのは判るんだ。
 淡い菫色が大人しそうなのに華やかで、大人っぽいのを意識してるクセにアクセントで散らばるお転婆な遊び心の青いリボンが可愛い。
 ルージュが青とか菫色とか緑とかが好きな感じだってのはよく判る。ルージュって名前なのにピンクや赤はあんまりお気に入りじゃないみたいだ。
 それはやっぱり、まだ社交界デビューはできない幼さを残す、背中に緩やかに垂らした天藍石のような髪色に合わせているんだろうか。
 整えるように梳いてくれる黒髪は光の加減で煌めく藍色が散らばるように輝いて、まるで宝石のようにハッと人目を惹きつける。その頭に、青の花と緑の植物を飾った華やかなカチューシャを乗っけられた。
 ルージュ(俺)は舞踏会(お見合いパーティー)でパパの威信を示す為だけの添え物で参加する公爵令嬢だから、年齢に達していない決まり事の衣装を身に付けなければいけないんだ。
 その最たるものがカチューシャと後ろに流した纏めていない髪。
 子供っぽいだろ?本当だったら纏めて結い上げて首筋の細さを見せつけて男心をゲッツしなくちゃいけないんだよ、こう言った社交界は将来の旦那様を見つけるためでもあるんだから。
 とすると、皇帝が画策して皇太子が渋々主催した舞踏会(お見合いパーティー)は社交界らしい社交界って言えるけどな。
 ルージュは年の割には背も低いし体型もお子様だから、実はこのドレス姿はとても様になっていて可愛らしい。
 姿見に映る美々しくも可愛らしい自分の姿には惚れ惚れするわマジで。
 他のお嬢様を見たことがないから判らないけど、ルージュは勝気な面立ちをしているから意地悪そうに見えるんだけど…まあ、悪役で華々しく登場するご令嬢なんだからそれは仕方ないけど、俺様の弛まぬ努力で子供らしく美少女らしい仕草と表情で、凄くやわらかい優し気な顔付きになってくれちゃってるぜ。
 まあ、リリー大好きルージュ死ねってエリスですら、最後には俺の身を案じて気を揉んでたくらいだからな。俺の女子力の賜物だよ、すげーだろパーシヴァルって言いたいところだけど、あざとすぎて減点を食らったんでちょっと今日のお見合いパーティーでは大人しくしていようと思う。

「まあぁ!ルージュ様、本当にお可愛らしい」

「きっとどのご令嬢がたにも負けませんわ!」

「ルージュ様が一番お可愛らしいですわッ」

 おうおう、もっと褒めてくれてもいいんだぜ?
 今日のルージュ(俺)は本当に可愛い。なんなら、あのリリーにだって負けてないんじゃないか、わははは!

「18歳になりましたらグッと大人っぽくなられまして、きっともっとお美しいご令嬢様にお成り遊ばされるわね」

 頬を両手で押さえて感動したように溜め息を漏らしていたくせに主を下げてくれる侍女たちがキャッキャッと楽しそうに笑っているけど、あーそうですね、あくまで可愛いのであって大人の魅力も色っぽい美しさも全く醸し出せていませんよハイハイ。
 でもいいんだよ、今回のお見合いパーティーはリリーと皇太子がドキ!初対面でラブゲッチュ(古)イベントなんだから。
 ルージュ(俺)は会場の片隅でブッフェを堪能しつつ破滅フラグが立たないかどうかを冷や汗垂らしながら警戒しとくだけなんだから。そんで、初めて会う(笑)パパの顔に泥を塗らない程度に可愛らしく微笑んで愛嬌を振り撒いていれば満点なんだよ。

「さあ、ルージュ様!このお屋敷から皇宮まではお時間がかかりますので、そろそろご出立致しますわよ」

 ベルが余所行きを着てニコニコと笑っている。と言っても、ベルは控えの間で待機していて広間には入れなんだけどな。
 入れるのは招待された爵位のある連中だけってワケだ。
 ベルも侍女だけど本当は子爵家のお嬢様だったりするんだが、何故かルージュを気に入って侍女に志願してくれた経緯があったりする。
 これは『ヒカヤミ』の設定にちゃんとある。
 ほんの僅かなベルの顔色の悪さは、有り得ないとは思いつつも、可愛らしいお嬢様がどうか皇太子の目に留まりませんようにと願っているんだろう。
 判ってるよ、ベル。
 可愛い戦闘服に身を包んで、唯一の武器である扇を片手に、さあいよいよ第一関門に出撃だ!
 こう見えても俺だって、メチャクチャ緊張してるんだけど、それはみんなには内緒だ。
 あくまでも馬鹿みたいに楽しそうにニコニコしてるのが、俺の武装なんだから、待ってろよ皇太子!きっちり敵前逃亡してやるからなッ!
 『逃亡するのかよ』って見えないまま噴き出す飛竜は軽く無視して、今回は純白の馬に引き立てられたこれまた純白に豪奢な金の装飾が散らばる馬車に気合を入れて乗り込むのだった。フン!

□ ■ □ ■ □

 すげー…いったいどれぐらい金掛けてるんだこの広間。
 ボー然と見上げるのは豪奢なシャンデリア、それも幾つも天井から垂れ下がっていて、煌めく水晶が光を乱反射して広間の中は驚くほど明るい。
 壁や柱にも黄金の装飾が施されているようだから、なるほど、夜でも昼間のように明るくすることができるって造りか。
 ふわー、この額縁ひとつで家ぐらい経つんじゃないのか日本の金相場の価格だと…とか妙にリアルなことを考えている傍らで、パパがニコニコしながらそんな下世話な思考に耽る愛娘を見ているみたいだ。
 初めて対面したお髭のパパは強面の悪人ヅラのクセに長らく会っていない、いや会えなかった、これも違うな、会ってくれない愛娘に久し振りに会えた喜びと可愛らしい姿に大興奮で、「ルゥ~ジュぅ~」と涙目で両手を広げて折角ベルたちが整えてくれた髪を乱す勢いで抱き付いてきて喜んだ。

「今日のカイン殿下はそれはそれは見目麗しくご立派でご機嫌だったぞぅ?お前があと2歳でも年を取っていたら、今日の主役はお前だったかもしれないねぇ、可愛いルージュ」

 溺愛パパは猫可愛がりに娘を褒め称えて、それを遠目で見ている夫人や娘を持ってるんだろう爵位あるおじさんたちがニヨニヨしてる。
 本当は冷酷非道で残虐で病み落ちサイコパスのラスボス皇太子なんかに嫁がせたくない~って顔に書いてんのが見え見えだぜ、父ちゃん。でもそれは、皇太子だけじゃなくてどんな野郎にも嫁には出さないオーラばりばりって感じだけどさ。
 ルージュには10歳になる妹のマリーヌがいるけど、きっとマリーヌもこんな強面の悪役ヅラした愛妻家の子煩悩な父ちゃんをウザがってるんだろうな。
 そんでその目尻を思い切り垂れたパパの横にはこれまた悪役ヅラなのにそこそこイケメンの青年が、そんなパパを困ったように笑いつつ、こんな顔だけどメッチャ優しく労わるように声を掛けてくれるからパアァァと夜空色の双眸を煌めかせて抱き付いた。

「久し振りだね、ルージュ。今日は大変だけど頑張るんだよ」

「ランシートお兄様!」

 横で羨ましそうにしているパパを無視して、兄妹で和気藹々と近況報告やなんかに花を咲かせた。と言うのもこのお兄ちゃん、現在20歳で婚約者持ちだったりする。
 そろそろ結婚に踏み切るべきじゃない?とこましゃくれて後押しする生意気な妹にも、嬉しそうに微笑むお兄ちゃんもパパもママも悪人ヅラってところが可哀想だよな。その点、一番末の妹のマリーヌは吃驚するほど可愛らしい顔をしてるから、その半分でもお姉ちゃんに寄越せよ。
 いやいい、ルージュは可愛い。
 ルージュは可愛い、大事なことだから2回言っておくぞ。

「さて、お父様とお兄様はこれからウザ…大事なご挨拶回りに行ってくるからね。ルージュはゆっくりしていなさい」

 一時でも離れたがらないパパに手を振って…って父ちゃん、今ウザいって言いそうになっただろ。政界の重鎮と恐れられているメイデル家の家長がうっかりでも滑らせていい言葉じゃないぞ。

「ああ、そう言えば。今日は本家のほうに帰るんだよ。お母様がお話があると言っていたからね」

「お、おぅ…判りました」

 いっそこっちのほうがハラハラしていたらパパからの爆弾発言で思わず顔が引き攣っても仕方ないよな。

「皇太子殿下のお目通りが叶ったら、一曲僕のお相手をお願いするね」

「もちろん!お兄様も頑張って」

 パパもパパもってランシートの横で涙目で訴えるパパを無視して、お兄ちゃんに手を振ってお見送りすると、2人はニコニコして軽く手を上げて狐狸たちが蠢く人波に消えてしまった。
 本当に、ルージュが家族に愛されているようで良かった良かった。俺は嬉しいよ。
 原作だと冷ややかで無情の手腕がそれでも高く評価されているランシートだけど、実際はあんなに穏やかそうで優し気な雰囲気のお兄ちゃんだったんだなぁ…とか考えながら、俺は華やかで煌びやかなご夫人やご令嬢の人波を素知らぬ顔で通り抜け、会場の片隅に設置されているブッフェの各テーブルを「ふおぉぉぉ…」と興奮しながら見渡した。
 それなりに爵位のある方々が招待された舞踏会だとベルが言っていたけど、そう言った連中は発泡酒だとか果実酒の酒類のみ手にして談笑に興じているフリをする。そうしながら相手の粗がないかボロが出ないか面白い噂話はないかをイロイロ試しつつ、駆け引きに勤しんでいるように見える。
 と言うことで連中が見向きもしないご馳走とデザートを前に大興奮したモノの、珍しく専属の料理長が出て来てて目を光らせているのがどうも気になった。
 誰が何を好んで食ってるのかとかが気になってるみたいだけど、殆ど手付かずのままだからしょんぼりしているようにも見えるな。
 じゃあ、ヒマってワケだ。

「ごきげんよう。美味しそうなお食事の提供を有難うございます」

 可愛らしくニッコリ笑った小さなお嬢様が挨拶すると、料理長は驚いたように目を白黒させるも、可愛らしいご令嬢に眉尻が下がったみたいだ。
 噂ではメイデル家のお嬢様は陰険な我儘とか言われているらしいから、最初はみんな必ずギョッとして戸惑うんだけど、俺の弛まない努力の成果の可愛らしい仕草や笑顔にコロッと意見を翻してくれるんで、本当はそんなに過去のルージュの素行は悪くなかったんじゃないかなって思う。
 優秀なパパと兄へのやっかみ半分、メイデル家の顔付きの悪さ半分で噂がまことしやかに広がったんだと推察するのが正しいんだろうな。やれやれだ。
 まあ、ルージュの噂が本当に地に落ちるのは、この舞踏会後からになるんだけど…聖女に悪態を吐くは皇太子を独占しようとするわで令嬢にあるまじき陰険・我儘・下品とかって叩かれてたよな。
 でも大丈夫だ、今の俺はヤツらには絶対に関わらないって決めてるし。

「これはこれはご丁寧に。メイデル公爵令嬢のお口を満足させられれば光栄でございます」

「こちらのたくさんのお食事は、舞踏会が終わったらどうなるのですか?」

 あんまりにも減っていないから、これらはこの後、下働きの人たちの胃袋を満たすんだろうか。
 公爵令嬢が食事の行く末を気にするとはおかしなモノだとでも思ったのか、料理長はどう答えるのが正解か考えあぐねているようだ。
 じゃあ、えーっと…

「余ればこのあと皆様で召し上がるの?」

 可愛らしい上目遣いで警戒を解かせる飛び切りの笑顔で小首を傾げて…もレベルアップの効果音が聞こえないから、パーシヴァルのヤツめ評価が辛口だなちくしょう。

「はあ、そうでございますね。しかし大半が余ってしまうので廃棄処分になるかと思います」

「まあ!勿体無いッ。こんなに美味しいのに」

 お喋りしつつもパクパク食べているご令嬢のお子様感覚に、料理長は困惑しながらもちょっと嬉しそうに笑っている。
 どれもこれも本当に美味いんだよ、メイデルの料理長も料理が上手なんだけど、如何せんちょっと量が俺には足らないんだよね。だからここで、腹いっぱい食べられるのは本当に幸運だ…コルセットさえなけりゃな。
 トホホホ…っと思いつつも、美味しい美味しいと頬張る俺に、料理長がとっておきのローストビーフらしきお肉を切り分けてくれた時だった。
 不意に料理長の顔色が変わって取り分け用のトングを持つ手がブルブル震えてて、顔色は蒼白に近いのに腰を折るようにして頭を垂れている。よくよく気付けば、それまでざわざわと騒がしかった室内が静まり返って、まるで無頓着に生演奏の音楽だけが響いている状況…なんだこれ。

「…メイデル卿の息女か?」

 艶のある重低音の声は耳に心地よくて「おお、イケボだ!」って興奮もするけど、その端々に腹の底が凍てつくような、何か不穏な響きがあるようで料理長じゃなくても食器を持った手が震えそうだ。

「…確かルージュとか」

 深々と身体に沁み込む真冬の冷気のようなモノ、実際はそんな状況ではないんだけど、どうか俺の名前を今この場所で呼ばないでくれと叫びだしたくなるぐらいには凄惨な響きが篭ったイケボだ。

「ご、ごきゅげんよう、皇太子殿下」

 ゴキュッと咀嚼中の食い物を慌てて飲み込んだばかりにちょっと噛んだ俺は、それでもずっと練習に励んでいた可愛い女の子の渾身の笑みを浮かべて振り返るなり長身の皇太子を見上げてご挨拶をした。
 手に持っている皿を置くまでの頭は回らなかったが、今回の俺は添え物の筈なのに、まさか一番会っちゃいけない相手に真っ先に会うとか思うかよ、その辺りは顔に泥を塗っていたらごめんなさいお父様。
 そろっと、ゲームだとイケメンスチルにヒャッハーする場面を妄想しつつ、今日はご機嫌だと言う血塗れ皇太子の顔を見た。
 見て後悔する。
 だって、美々しく華やかに正装している姿は確かにパパが言うように立派でイケメンなんだろうけど、虫けらでも見下ろしてるんじゃないかって冴え冴えと凍てつく、しかも冷たさにさらに冷気を纏わせてるようなアイスブルーの双眸とガチで目を合わせたら普通の令嬢なら卒倒してるだろ。ましてやルージュはまだ子どもだ、内面が俺で本当に良かった。
 思わずおしっこちびりそうになりながらも、内心でパパに「何処がご機嫌なんだよ、普通に10人ぐらい殺しそうな目付きをしてるじゃねーか!」と思い切り悪態を吐きたかったけど、この背景に思い切り血飛沫と雷鳴が轟く暗黒スチルな皇太子の登場を遣り過ごすことに集中しねえと破滅フラグ一直線だぞ。

「料理が気に入ったのか?」

 怯えたように控えている料理長を陰鬱な影を落とす双眸で興味もなくチラッと見て、それからキラキラと水晶に乱反射する光でもってまるで王冠でも戴いているようなアイスシルバーの髪を微かに揺らした皇太子がさらに話しかけてくる。
 え?今、飯の味とか全然判りませんが?

「………はい、とっても美味しいです」

「そうか…あまり減っていないようなのでつまらぬモノを提供したのであれば、その命を持って償ってもらおうかとも思っていたが、そうか。まあいい」

 さらーっと殺害予告を淡々と仄めかす皇太子に背筋が震えっぱなしだけど、こんな美味しい料理を作る料理長を亡き者にしようとか、国の宝を敢えて失おうとするなんて皇太子にあるまじき行為だぞ。
 ちょっとなんか言い返してやろうかと思ったモノの、今度は無言でジロジロと観察されて途端に居心地が悪くて生きた心地がしなくなった。
 おい、こっち見んなよ。

「メイデル公爵令嬢はどうして髪を結っていないんだ」

 気になるところはそこかよ?!
 もっとなんか言うことはないのか…って、まあ何か言われても困るだけだし適当に話を合わせておこうっと。

「あの、わたくしは15歳になったばかりです。なのでまだ、社交界デビューのできる年齢ではなくて…」

 髪を結わないのは今宵の殿下の相手(婚約者候補)ではありませんって意思表示でもある。それはまあ、年齢的に合わないんだから仕方ないけど、皇太子もそれほど気にしている素振りはないクセに聞くとかもうね。

「それでカチューシャか…」

「は、はい」

 そう言った瞬間、血塗れサイコパス病み落ちラスボス皇太子が、何を思ったのか俺の頭に手を伸ばしてきたんだ!頭を握り潰されるとか思ったし、声を上げて逃げたいとも思ったけど、俺はそうせずにグッと下腹に力を溜めて踏ん張った。
 皇太子はグシャリと花の飾りを握り潰すようにして掴むと、そのままカチューシャを引き抜いてしまう。

「誰がこんなものを選んだんだ。お前の髪にこれは似合わない」

 たったそれだけを言って、握り潰された花が無残なカチューシャを床に落とすと、呆然とする俺の前でまるでゆっくりと踏み締めるようにして足で潰してしまった。
 …?!
 は??なんで今、俺は衆人環視の真っただ中で、縁も所縁もない血塗れ皇太子に貶められてるんだ??!
 別に俺、美味しいご飯を料理長に感謝して食ってただけだぞ??アンタが溺愛するリリーに悪態を吐いたとか、意地悪とか全然してないだろ?それどころか、さっきアンタが言ったように減らない食事を胃袋に収めて、却って貢献してるぐらいだぞ??
 気付けば血塗れ皇太子の背後に皇宮騎士団の副団長である筈のエリスが控えていて、畏れ多い筈なのに焦ったように、無表情で暗澹とした双眸の血塗れ皇太子に背後から「殿下、それは誤解を…」とかなんとか言っている。
 この吃驚するぐらい不機嫌そうな無表情の皇太子にとっては取るに足らない些末なことなのかもしれないし、目の前にいる小さい令嬢のことなんかどうでもいいんだろう。
 でも俺は、ベルたちが楽しそうに、俺のことをとても大事そうに着飾らせてくれたことを知っているし、このカチューシャだって吟味して選び抜かれた逸品なんだ。
 アンタの大好きなリリーのように天然の可愛らしさもなければ見劣りもするんだろうけど、だからと言って何の理由もなく貶されるいわれなんかねーだろ、これは業腹だ。
 俺は血塗れ皇太子が踏み締めてグチャグチャに壊してしまったカチューシャをしゃがみ込んで拾うと、それを大事そうに両手で抱き締めるように持って意を決して立ち上がった。
 それから無表情に俺を見下ろす冷酷そうなアイスブルーの双眸をひたと見据えてやる。
 そこで漸く、感情の起伏のない虚無のような恐ろしい目付きのラスボス皇太子が「おや?」と声に出さずに興味を示したみたいだった。

「殿下、確かに仰るようにこの美しいカチューシャは子どもの私には似合わないのかもしれません」

「…」

 幼い子どもでも容赦なく叩き殺す病み落ちラスボス皇太子に食って掛かる公爵令嬢に、それまで水を打ったように静まり返っていた場内の其処彼処から小さな悲鳴が上がっているけどそんなこた無視だ。

「でも、これを私の為に造ってくれた人も、私に似合うと思って選んでくれた人たちも、そしてこのカチューシャだって何も悪いところなどありません。精一杯、とても素敵に造ってくれて、そして可愛いと思って選んでくれたんです。こんな風に踏みつけられる理由はないと思います。それでもお目汚しと言うのであれば、それは私のせいです。罰するのであればどうか私を罰してください。大変申し訳ございませんでした。これ以上、殿下を不愉快にしてしまうわけにはいきませんので今はこれで失礼させて頂きます」

 小さな令嬢はそれだけ言うとペコッと頭を下げて、それから無言で見下ろす興味のなさそうな血塗れ皇太子に別れを告げると、颯爽と踵を返そうとしたんだよ。
 言ってやったぜドヤァ…とか思うけど、この場にこれ以上居たら俺の命が不味い、非常に不味い。
 途中でちょっと我に返ったんだよね、死亡フラグを自分から回収しに行ってどうするんだよってさ。
 できれば沙汰を待っています的な感じでこの場から立ち去って、そのまま荷物を纏めて逃げようと思った。
 自力国外追放ってヤツだな。

「…誰が退出していいと言った」

 はい、まあそうですよね。
 こんな小娘に公衆の面前で詰られれば黙ってるサイコパスじゃないですよね。
 俺は無言で立ち止まるとまた、さっきとは格段に冷えている雰囲気の中、冷気とか殺気とかを撒き散らす冷酷そうなラスボスの、すらっと形のいい鼻筋辺りに目線を据えて覚悟を決めて息を呑んだ。
 流石にちょっと、その凶悪殺人鬼も裸足で逃げ出しそうなアイスブルーの双眸を見据えるだけの毛が生えた心臓は持っていないんだ。
 震えそうになる指先でギュッとカチューシャを握り締めた。

「…なるほど、そのみすぼらしいモノを気に入っていたのだな。それは悪いことをした」

 ブリザードか何かかと思った。
 幻覚かもだけど一瞬で身体中が凍り付いたような気さえしたんだ。
 その一言で、また場内がしんと静まり返る。
 声音こそ低く感情が込められていないけど、その表情をなんと表現したらいいのか俺には思い付く言葉がない。
 こんなに表情のない顔を俺は知らないんだよ。
 そのくせ、酷薄そうな薄い口許には悪いなんてこれっぽっちも思っていないと判る悪意のある作った笑みを浮かべているんだ。
 冷酷で残忍な血塗れの皇太子が悪いとか言って謝るとか、それを聞いた俺も、下手をするとここにいる貴族連中も殺されるんじゃないかと思った時だった。

「これはこれは、殿下!ご生誕おめでとうございます、心よりお慶び申し上げます」

 不意に陽気でのんびりした声音が響いて、微かに震わせていた肩を優しく抱いてくれたパパが悪人ヅラでニコニコしている。
 入場の合図もせずに傲慢に登場したはずの冷徹な皇太子にも怯まずに、パパは皇太子にお決まりの口上を述べた後、不意に真摯な表情をして腰を折ると頭を垂れた。

「この度は我が娘の不敬を心よりお詫び申し上げます。年端もゆかぬ娘故、お招きを辞退させて頂いておりましたが、殿下直々のご招待を受け、喜びのあまり可愛い愛娘をついつい出席させてしまいました。親馬鹿ゆえの失態でございますれば、責は全てこのメイデルにございます」

 パパ、一度は辞退してくれていたんだ。
 でも皇太子からの二度目の要請にはそりゃ出ないとまずいから、渋々了承したってのに、なんだよこの仕打ちはってことを言外に言ってんのかな。
 他のご令嬢は陛下からのご招待だったのに、ルージュの場合は口頭でまずは血塗れ皇太子から参加したらいいって感じでお誘いを受けたけど年齢的にもまだ早いからって言って辞退、その次は正式な招待状…って流れだったそうだから断れないって言われたのはそのせいだったのか。
 なんだよ、ルージュ(俺)のことをこんな風にコケにするつもりで招待したのかよ。
 18歳の時、パパが助けてやったってのに、後ろ足で泥を引っ掛けられた気分だ。
 目許に涙でも浮かべていればもう少し同情を引けたかもしれないけど、生憎とそんな可愛い性格をしていないモンだからついついムスンとしている。

「…不敬とは思っていない。気に入っていたカチューシャを壊したのは悪かった。後ほど、代わりの物を用意しよう」

「おお、身に余るご恩情のお言葉を有難うございます」

 パパの登場でそれまで水を打ったように静かだった場内が、また密やかに賑わいを取り戻しつつあった…ってのも、本来なら殺伐とするシーンをパパの悪人ヅラに反比例する和やかな声音が皇太子の只ならない不気味さを少し緩和しているってのもあるんだろう。
 自分の言いたいことだけを言った後、皇太子はムスンとしている俺をチラッと見てから、何も言わずにそのまま謁見で使うっぽい造りの左右に重厚で豪華なカーテンが留められている舞台の中央に椅子が設置されているところに立ち去ってしまった。その後を心配そうに俺のほうを見ていたエリスが慌てて追っかけて行く。
 そうか、エリスは皇太子付きの護衛騎士だったんだ。だから、俺が勝手に発生させた市街地攻略イベントの時に不機嫌だったのは、なぜ自分が令嬢の護衛如きに呼ばれたんだって思ってたワケか。
 3段ほどある階段を豪奢な外套を翻しつつ進む皇太子の登場で、漸く皇太子様のご入場が高らかに宣言されたけど遅いっつーの!

「パパ、ごめんなさい」

「ふふふ。久し振りにルージュにパパと呼んで貰えたから十分だよ。それに、殿下は全く怒っていらっしゃらなかった。どちらかと言うと機嫌が良かったよ」

 え?!あんなに不貞腐れてるみたいな無表情で殺気を漲らせていたのに、アレで怒ってもいなければ機嫌が良かったって言うのか?!…ってことは、あの皇太子が本気で怒ったら俺消し炭確定なんじゃないか。
 うう、リリーに絡むのやめよう。絶対やめよう。

「殿下は未だに7年前のことを恩義に感じてくださっているようでねぇ。もういいのだけれども。それで今回の舞踏会にルージュのことを思い出してくれたようで、ルージュには軽い気持ちで遊びにくればいいと仰られたんだよ」

 ニコニコ笑いながらやれやれと吐息するパパを見上げていたら、パパは可愛くて堪らないって顔をして俺を見下ろすと眉尻を下げた。
 軽い気持ちで遊びに来て命の危機に晒されるとかおかしいだろ。

「まあ、お前はちゃんと教養を身につけてはくれているけれど、とてもお転婆に育ってしまったから、ママとも話してお断りしたんだよ。まだ早いってね。だけど殿下が拗ねられて、とうとう正式な招待状まで送って来られたから断るワケにもいかなかった。お前には辛い思いをさせてしまったが…」

 あの皇太子が拗ねるのか。
 拗ねたら天変地異ぐらい起こすんじゃないのかアイツ。

「んーん。マーティ料理長のご飯も美味しいけど、皇宮のお料理も種類がたくさんあって美味しくって私は楽しんでるよ」

「恐らく皇太子妃候補の選別会には参加しなくてもよいだろうと思うから、ダンスは楽しみなさい」

 選別会か…なんか嫌な言葉だなぁ。でも、そのとおりだからなんとも言えないんだけどね。

「うーん、でもパパ。私、カチューシャを壊されちゃったからこんな見っとも無い姿で踊りたくないなぁ」

 つーか、昨日の今日でダンスレッスンとか全くやってないから、何をどうしたらいいのか全然判らない。たぶん、立ち往生しかできない自信がある。

「おお、そうだったね。パパたちはもう少しここにいないといけないけれど、皇太子殿下ともお会いできたことだから、もう退出しても許されるだろう。ベルを呼ぶから先に帰っていなさい」

 やったぜ!パパ、超サンキュー!!
 もう少しってのは、殿下がリリーを皇太子妃候補にするのを見届けないといけないからかな。あと、そう言えばこの国の皇太子はお妃の他に側室を持つことができるから、どのご令嬢を指名するのか確認して、これからの勢力図を新たに更新すんのかな…まあ、なんにせよ俺には関係ないことだし、お洒落な靴ってのは疲れるから先に帰っていいってのは本当に助かった。

「うん!パパたちは頑張ってね」

 デレデレするパパをニコニコして見送った後、俺はベルが来るまでもう少し食べていようと、復活してニコニコしている料理長からお皿を受け取った。
 お兄ちゃんも遠くで心配そうにしていたけど、パパがニコニコ近付いたらホッとしてるみたいで良かったよ。
 んー、そう言えばあの病み落ちサイコパスのムカつくぐらいイケメンなラスボス皇太子、容姿が原作と違っていたな。
 原作のカイン皇子は陽光を集めたようなハニーブロンドに、自然に愛されているみたいな翠の瞳を持っている、天に祝福された(笑)無敵の外見を持ったイケメン皇子の筈だったのに…イラストだから実際の人間だとどんな容姿になってるのか楽しみにしてたんだ。だけどまず原作と性格がぜんっぜん違う段階で会いたくなくなっていたけど、折角会ったのなら確認したくなるのが人間だよね。ってことで確かに恐ろしいほどの、こんな人間がいるのかと思うほど冷ややかで美しいって表現がぴったりで、一見したらあんまり無表情だから人形みたいにも見えるリアルイケメンであることは納得した。
 ちょっと顔色が悪そうに見えるのは青褪めた白い肌のせいなのか、似合いのアイスシルバーの髪、すらりと通った鼻筋、酷薄そうな薄いくせに形のいい唇、そして冷徹を極めたアイスブルーの双眸…睨まれたら玉ヒュンどころの問題じゃないぐらい怖い。
 だいたいにおいて皇太子って地位もあるもんだからなかなか不遜な男だからさ、上から目線で見下ろされたらスンってなるよな。
 しかもこの皇太子、睨むとかじゃなくて圧なんだよ。さして興味もないからなのか、感情を窺わせない冷めた双眸をして、目線だけで唯々見下ろされているだけなのに、なんかいろいろ吐きながら卒倒しそうになるんだって絶対。
 それにいちいち背が高いんだよ!
 無駄な筋肉がついていないからガチムチってワケじゃなく、かと言ってヒョロいのかと言えばそうでもない、スタイルはメチャクチャいい。それが滲み出ている正装姿がイケメンを通り越して神々しかった。
 天は二物を与えずって言うけど与えまくってるよ。その帳尻合わせであの性格だってなら仕方ないのかもしれないと思うほどだ。
 185とかそんなんじゃないだろ。190ぐらいあるんじゃないのかな…ルージュが150に届かないぐらいだから、対峙すると結構見上げないと顔を拝むことができないんだよね。
 でもあの目を見ないですむなら背が低くてよかったのかもな。
 だけど、統治する立場にある皇族なら、あれぐらい背が高いほうが見栄えもすれば、将軍なんだから戦闘時に先陣に立たれると安心感があるんじゃないかな。
 背後に控えるエリスも誇らしそうだったし、アレだけ静かなる狂暴皇子だけど騎士には信頼されているんだろう。
 俺は今後全く関わり合いたくないけども。
 もぐもぐ口を動かしていると、不意に侍従が声を高らかにして宣言した。

「本日お越し頂きましたご令嬢の皆様、殿下よりお言葉がございます」

 お!愈々、お見合いスタートか。
 あ、そう言えばリリーも来てるんだよな。
 リリーを見てみたい。主人公の超絶美少女パワー(笑)が見てみたい。
 あの冷たい美貌(笑)の皇太子と並んだら、主人公超絶美少女パワーがフル発揮で見応えがあるだろうな。
 ベルとか侍女とかパパとかお兄ちゃんとか俺はルージュを可愛い可愛いって言ってくれるし言うけど、今朝ドレスを着た時にリリーにだって負けてないとか思って自惚れたけど、あの男版メインキャラの皇太子を見てしまうと、ルージュは本当に悪役として登場させる為だけに創られたモブキャラだったんだなってのがよく判った。
 可愛いけど平凡な令嬢って感じなんだよ。平凡ってなんだ。
 釣り気味の目付きだし、男に比べればそりゃ華奢だけど、お転婆だって言うだけあって他の令嬢に比べると、同じ年頃の誰よりも結構逞しい(笑)んだぜ。
 キョロキョロしてリリーを捜そうとしていたら、不意に背後にニコニコ笑っているエリスが立っていた。

「…えっと、エリス様?ごきげんよう」

 皇太子の時と同じようにお皿を持った状態で挨拶したら、エリスにニッコニコ笑って皿を奪われたんだけど…ちょっと不気味でゾッとした。
 悪寒しかしない。

「このようなところにまだ居られましたか。ささ、中央にお越しください」

「は?なんで私が中央に行かないといけないんですか??」

 俺は添え物で呼ばれてないよ?

「足が速くてお力もある公女様も招待をお受けされているではありませんか。ささ、時間がないのでお急ぎください」

「や!ちょ、ま!こ、こんな見苦しい姿で皇太子殿下の前に出るワケにはいきません!」

 格好がどうのじゃなくて、もう二度とアイツとは向き合いたくないってのが本音だ!

「大丈夫ですよ。公女様はそのままでもお可愛らしいです」

「そ、そんなお世辞は結構ですよ!」

 見当違いなエリスとわあわあ言ってる間に中央に引っ張り出されて、引っ張ったエリスはニコニコしながら立ち去るし、遠くでパパと兄ちゃんがギョッとした顔をしているのもハッキリ見える。
 ギョッとしてるしイミフだし心臓がバクバクしてるのは俺も一緒だよ、パパんとお兄ちゃん。
 とは言え、ずらっと並んだ妙齢のご令嬢たちの一番端に並ばせられたから、そんなに目立つことはないだろうけど、見栄え要員にはなれてるっぽい感じに王座に座っている皇太子が本当に憎たらしくなった。
 みんなの真似をしてドレスの裾をちょんっと上げながら腰を折って敬意を表しながらチラッと皇太子を盗み見たら、詰まらなさそうに肘掛けに肘を置いて頬杖を付いた、投槍に足を組んでいる大雑把な姿勢の皇太子と何故かバッチリそのアイスブルーの双眸と目がかち合ってしまった。
 ヤベッと思って目線を下げたところで、退屈そうな美声が面倒臭そうに言葉を紡ぐ。

「今宵はようこそ我が祝祭にお越し頂いた。だが、型にはまった挨拶は結構だ。単刀直入に言えばオレが皇妃に求めるのは美しさや在り来たりの教養ではない」

 頬杖を付いたままで不遜に宣うとか、自由な皇太子様だなー。

「皇妃としての資質だ」

 キッパリと言い切るわりには然程興味はなさそうで、感情を読み取るのも困難な無表情を令嬢たちは怯えたように見つめている。

「さて、お前たちに聞くが、国の為に必要なモノとはなんだ?」

 皇太子妃を選ぶなんて大袈裟な企画のわりに、聞くのは拍子抜けするほど簡単な質問なんだな。
 悪いけど、そんなのひとつしかないだろ。
 誰だって判るよ、そんなのはさ。
 居並ぶ令嬢たちもあんまり簡単すぎて却って困惑しているし、会場内も少し騒ついている。

「わたくしは国を守る兵士だと思います」

 オズオズと1人が言うと、やはり遠慮がちに令嬢たちが口を開いた。

「経済力だと思います」

「陛下の存在でございますわ」

 思い付くものがかぶってしまった令嬢たちは、悔しそうだけど何も言えないまま扇を弄んでいる。

「なるほど、武力・財力・統治力か。他にはないか?」

 淡々とした静かな問い掛けに、応える声がないと判断して、皇太子が軽く溜め息を吐いた時。

「わたくしは想い合う優しさだと思います」

 不意に、こんな声だったら人生勝ち組だろうなぁなんて妄想しそうな、耳に煩くない可愛らしい声が可愛らしいことを言った。

「…優しさ、とはまた抽象的だな。優しさがあれば国を護れるのか?」

 もし此処にスポットライトとか、バックライトとかあったらこうなるんじゃないかってのが、光源がないのに発生してる光り輝くってのはなんだ?!
 確かに見事なブロンドでもなければ、豊満なボディでもない。
 質素な茶髪は腰のところまで長く、でも大きなもの問いたげな咲き初めの勿忘草を閉じ込めたような水晶の瞳も、熟れきらない苺の瑞々しい唇も、質素なドレスに身を包んでいるって言うのにハッとするほど愛らしくて美しい…なんだこれ!なんだこれ?!
 ドレスなんて中身が良ければどうでもいいんじゃないか!ぐっ、今朝の自分の思い上がりが恥ずかしい。
 俺を含めて居並ぶ令嬢たちが声もなく敗北を認めた男爵令嬢は、興味もなさそうな皇太子の言葉に嬉しそうにはにかんで大きく頷いた。
 う!笑顔が眩しい!!目が焼ける!!!!!

「勿論です!優しさがあればいがみ合うこともなくなり平和になりますわ」

 流石、聖女リリー!
 言ってることはメチャクチャだが、なんか言い返せない説得力がある。
 完敗だ!完全に完敗だよちくしょう。
 主人公の美少女パワーすげーな!超絶すぎるだろ。

「なるほど。他にはないか?」

 既に完敗している俺たちに何が言えるって言うんだ?
 そりゃ、原作のメインキャラのアンタは目が焼けることもなければ気にもならないんだろうけど、モブキャラの俺たちは瀕死レベルもんだよ?
 ってことで俺は数人の令嬢たち同様に黙っていることにした。
 まあ勿論聖女様に完敗したってのもあるけど、ヘンに目立つのも嫌だし、何よりカイン皇太子がリリーに興味を示したんだからこのイベントは終了だろうとも思うワケ。
 まあ、興味つーかちょっと小馬鹿にした感じではあるけど、それだって俺にとってはどうでもいい。
 手放しでリリーに惚れた原作とは異なっているし多少は違うところがあるけど、物語通りには進んでいるみたいだから問題ないだろ。
 いや、物語通りってのは問題大ありか…
 とは言え、ベルとかママとか侍女たちが選んでくれたカチューシャを壊すような男と話すのはごめんだね。

「エリス、此処に居る令嬢たちの家には跡取りはいるんだな?」

「は、陛下より殿下の希望に沿った令嬢にお越し頂いているとのことです」

「そうか、判った」

 不意に、なんだか、突然背筋が凍り付くような寒気がした。
 このまま、此処で黙っててはいけないような気がビンビンするんだ。

「あ、あの!皇太子殿下。私も発言をお許しして頂けますか?」

 添え物だけど答えたいッス!

「…ルージュ嬢か。遅い発言ではあるが許してやろう。大層、考えあぐねた答えだろうから楽しみにしているぞ」

 ぐぬぬぬ…このサイコパス皇太子め。

「私が国の為に必要だと思うのは、国民です」

「…理由は?」

「国を動かしているのは国民だと思うからです。お仕事をして国に税金を支払っているのも、兵隊として国を護っているのも、そしてより良い国に導いていくのも国民だと思います。国民は国の宝であり力です」

「…我ら皇族も国民の一員ということになるのか?」

 皇太子の冷たい無表情を見ていたら絶望しか感じないけど、それでも俺は意を決して頷いた。
 その途端、会場内が騒ついた。
 カチューシャを壊されたばっかりに、纏まりのない髪は光を受けて宝石みたいに藍色を散りばめてはいるものの、落ち着きなくバラついてるしきっとちょっと見苦しかったと思う。
 でもこれは皇太子のせいだからな、気にしない。

「はい!勿論そのとおりです。あの、それで差し出がましくはありますが、本日の舞踏会で余ったお食事を、貧しい国民に分けては如何でしょうか。国民は国の宝で力です。ひとりでも飢えたり貧しさで病に斃れさせるべきではないと思って…」

「…あのダニどもに施しだと?」

 不意に、無表情なのに何処か忌々しそうに呟いて舌打ちしたみたいだ。

「え?」

「よく判った。リリー嬢、こちらへ」

 おざなりな返事にはイラッとしたけど、まあリリーには負けるから仕方ないか。

「はい、皇太子殿下」

 リリーは物静かだけど華のある美しさを持つ可愛らしい存在だった。
 だから、地味なドレスでもどんな令嬢にも見劣りしないほどだもんな。もう俺、目とか焼き切れてるしね。
 嬉しそうに頬を紅潮させていれば、どんな男だってクラリとくるに違いない。
 選ばれたのはやはり聖女リリーかと、他の令嬢たちは少し残念そうだけど、大半がホッとしているように見えた。まあ、血塗れ皇太子の嫁になるなんか、名誉ある後々の皇妃でも嫌だよね。命懸けの結婚とか冗談じゃないよ。
 勿論、俺も冗談じゃない。

「衛兵、女どもの首を斬り落とせ」

 ホッとしている俺たちの耳が信じられない言葉を捉えた。
 は?何言ってんだコイツ。

「在り来たりの答えはいらんと予め言っておいただろう。オレの言葉を聞いていない女など必要ない。目障りだ、殺せ」

 スクッと立ち上がった皇太子は、周囲の空気を絶対零度まで冷え込ませて、淡々とした無表情で言いやがる。

「いやぁ!」

「やめて!助けてぇ」

「お父様ぁー!」

 なんてヤツだ、なんてヤツだ!
 最初からリリーだけを選ぶつもりで、遊び半分であんな質問を令嬢たちにしやがったんだ。
 本当は最初から殺すつもりだったんだ!コイツ、重臣でさえ平気で殺してたって言うからな。
 驚いたように口許に拳を当てるリリーは痛ましそうに俺たちを見るけどそれだけで、何やらうっとりしたように皇太子を見つめてやがる。聖女様なのに残虐非道な皇太子を止めてくれないんだな、やっぱり原作通りクソッタレな連中だ!
 こんなところで死ぬなんてちくしょう…何か、何か一矢報いてやりたい!
 衛兵から押さえつけられながら悲鳴を上げる令嬢たちに、成す術もない父親たちは震えながら見つめることしかできずにいた。
 俺も衛兵の1人に押さえられながらギリギリと奥歯を噛み締めて、でも腕を掴まれて頭を押さえられてるから暴れることもできない。
 こんなに非力だったのか俺は…

「…ルージュ、来い」

 ギリギリと奥歯を噛み締めたまま 引っ立てられる俺をじっと見ていた皇太子が、不意に呼び止めて腕を差し出してきた。
 …パパの手前、俺だけ助けるつもりなのか?
 俺を今まさに殺そうとしてるヤツの許へ行って側室にでもなれって?
 何の罪もない令嬢を殺すこんなヤツが治めるこの国で、こんなヤツの横にリリーのように嬉し気に立って、こんなヤツが見る国の行く末を見届けるのか…?
 冗談じゃねぇぞ、馬鹿じゃねーのか?
 誰がお前の手なんか取るもんか。

「いいえ、結構です」

 カチューシャもなくて身動いだりして抵抗したモンだから髪はボサボサだし、別に悪いこともしてないのに衛兵に腕を掴まれてる、そんな状況でじっと見つめる先の皇太子は、傍らに奇跡みたいに綺麗なリリーを従えたまま腕を差し伸べている。
 夢みたいに綺麗な対だ…俺にとっては悪夢みたいな対だけど。
 冷たい空気を纏わせた皇太子の顳顬がピクッと動いたような気がした。

「…なんだと?」

 殺されたって別にいい。
 そう思ったら急に気が楽になった。
 生き残りたいって思えば思うほど恐怖心が募り、悪い方向に進むような気がするから。
 それならいっそ、パパやママや…それこそルージュには悪いけど、俺は此処での生を一旦終わらせていいと思うんだ。
 いつかまた、転生した時は今度こそ頑張るからさ。

「私は殿下に答えました。国の為に必要なものは国民だと。その国民を蔑ろにされる殿下の傍には行けません。殿下は令嬢1人を殺めるのではなく、多くの国民を殺めるのです。令嬢ひとりひとりに家族がいます、そして彼女を必要としている侍女たちがいます。令嬢の為に働いている人たちはたくさんいます。みんな国民です。令嬢を大切にしている家族の心を殺め、支える多くの人たちの働き口を奪い、失業によって住む家だって奪われかねない…彼らの生活を殺めるも同じだと考えます。在り来たりと言われるのならそうなのかもしれません。ですが殿下、私はそんな貴方が治めるこの国でそして貴方の傍で生きることは難しいと思います。ですから殿下が命じた斬首を受け入れます。きっと、お父様も私の決意を信じ許してくださいますわ」

 そう思ったら言いたいことがスラスラ言えてスッキリした。途中、殿下に対して傲慢だとかなんだとかヒソヒソと罵られていたから、あーあ、明日には悪い噂が広まって、皇太子の手を拒絶したことに青褪めているパパには悪いことしちゃったよ。
 ルージュの悪女伝説がこんな形で実行されたら申し訳ないな。
 でもそれでもいい、何もせずにむざむざと殺されるぐらいなら、口撃ぐらいしないとムカつくじゃないか。
 スッキリして言い切ったぞとニッコリ微笑みながらそんなことを考えていると、不意に其処彼処から啜り泣くような声がしてあれ?と思った時には、恐怖で必死に抵抗していた令嬢たちも、呆然と俺を見つめてそれから力を抜き、俺と同じような静かな面持ちで覚悟を決めたようだった。彼女たちを取り押さえている衛兵も、何処かバツが悪そうな嫌な顔をしている。
 何が起こったんだろう…?
 ふとラスボス皇太子の背後にいるリリーに目が行って、彼女だけがそんなみんなの態度に吃驚したような顔をしているけど、何がおかしいのかヘラヘラと微笑みは絶やさない。
 …うげ。いかれた皇太子にいかれた聖女ならお似合いだ。
 もういい、こんなクソッたれどもがいる国でビクビクしながらいつ訪れるか判らない死の恐怖に怯えながら生き残ろうなんて思わない。何処か平和な世界に、また転生できたらそれでいいんだ。
 折角ヒントをくれていたってのに、皇太子攻略ができなくてごめんなパーシヴァル。
 
『残念だが光太郎、お前の乙女レベル(女子力)は25だ。その願いは聞き届けられないだろう』

 は?
 なんでいきなり13も上がるんだ?

「…なせ」

 無言で手を差し伸べていたサイコパス皇太子が何か言ったようだった。だけど、俺も、俺の腕を掴んでいる衛兵も何を言われたのかよく判らずに困惑していた。
 と。
 ゴウッと凄まじい風が吹き抜けたら横にいた衛兵が吹っ飛んでいてギョッとした、ギョッとしたまま唖然として何が起こったのか判らないままサイコパス皇太子を見たら…死ぬほどビビって腰を抜かすところだった。
 身体中に暗黒の風を孕みながら、よくよく見たら僅かに宙に浮いているし、闇の中にゆらりと煌めいているアイスブルーの双眸には憎悪しかない。
 ゴクリと息を呑んだ、コイツ、そんなに俺が憎いのか。
 好かれるワケがないのは知ってるけど…別にいいんだけど。
 ふと、膝が床について、俺はそのままギュッと瞼を閉じた。このまま、みんなの前で殺されるのかな。それでいいんだけど…胸許でカチューシャを無意識に抱きしめた。

「…何処か痛むのか?」

 呆気に取られるほど冷たい声がすぐ傍で聴こえたから顔を上げようとしたら、すぐ目の前に暗い闇を孕んだアイスブルーの双眸が無表情で見つめてくるから、何時の間にか目の前まで来ていて、どうやら片膝を付いて俺を覗き込んでいるようだ。

「強く握られたのか?」

 呆気に取られるよりも理不尽さに「はあ?」と眉が寄ったってのに、病み堕ちサイコパスの血塗れ皇太子は全く気にせずにグイッと強引に腕を掴んできやがる。
 痛い痛い!
 衛兵よりお前の方が力が強すぎて折れそうだわ!

「赤くなってるな…」

「それは皇太子様が…ーーー」

 ビクッとした。
 忘れてたけどコイツ、鬼ほども恐ろしい残虐非道で冷酷な皇太子だった。しかも理不尽だ…
 冷徹で心臓まで凍り付きそうな冷ややかな双眸がスッと、俺の腕を掴んでいたばっかりに何処から現れたか判らない黒い風に弾き飛ばされた散々な衛兵に向けられた、その途端に青褪めて声も出せない衛兵がガタガタ震えながらその場に平伏したんだ。
 いや、衛兵さんは少しも強く握ってなかったからね?
 申し訳ありません申し訳ありませんとガタガタ震えている衛兵に片手を挙げようとしたから、なんだか嫌な予感がして咄嗟にその手をギュウッと握っていた。

「全然痛くないです!それにこれは…そう!かぶれです!!」

 ザワッとその場が一瞬騒ついたけど、判ってる、自分だって判ってる。無理があるってことは重々判ってるんだよ。
 でも絶対に否定しないと、何かとんでもないことになりそうな気がするんだ。

「…」

 不気味な沈黙の後、皇太子は赤くなっている俺の腕を口許に持っていくとフッと息を吹きかけた。途端に赤味がとれて、僅かにひりついていた痛みも取れるとかすげぇ!…でもこれって癒しの魔法のはずだ。
 カイン皇太子は闇竜の呪いをその身に受けるほど、皇家の血を色濃く引いているが故に、絶大な暗黒魔法の遣い手だ。
 さっきの黒い風も彼の魔法だったと思う。
 それなら判る…でも、癒しの魔法は白魔法で、この世界では白魔法を遣えるのは聖女リリーしかいない。リリーしか遣えない…でも、リリーが傍に居たからまさか闇竜の呪いを持つカインも白魔法を遣えるようになるのか?
 なんだ、じゃあやっぱカインとリリーが結ばれるのが一番なんじゃないか。
 腕を見て、それから目の前の皇太子を見て、そして背後で皇太子の肩に手を添えて寄り添うリリーを見て、当初の目標どおり2人を応援しようと改めて決意した。

「有難うございました。もう大丈夫です」

 ニコッと笑って、だからとっとと離れてくんないかな。とか、恩知らずに思っていたせいなのか、ジーッと不気味なぐらい見下ろしていたサイコパス皇太子が、何かを取り出したかと思うと不意に俺の頭に取り出したその何かを載せたんだ。

「…オレが壊したカチューシャの代わりだ」

「!」

 リリーが驚いたように目を見開いたし、会場内もざわめいて、青褪めていたパパの顔が真っ赤になって嬉しそうだし、何が起こったのかよく判らない俺だけがキョトンとしているこの状況、なんだって言うんだ?!

「カイン殿下…皇太子妃はルージュ様なのですか?」

「は?!」

 慌てて、頭に載っている飾りを取ろうとしたけど、俺の反応より素早い仕草で血塗れ(?)皇太子は考えたくない髪飾りを軽く弄ってからジックリと観察してひとつ頷いた。
 おい、どうすんだよ!あまりの奇行っぷりに俺の頭の中の皇太子の異名に(?)がついちゃったじゃねえか!

「よく似合っている…皇太子妃はそれで構わない」

「や!嫌ですッ」

 ニコリとも、フッとも笑わない、表情筋が崩壊してるに違いない、血流の温かさを全く感じられない蒼白い肌に鋭利な双眸を持つ、氷の彫像のような殿下が認めようとするから思わず全力で断っちまった。

「………なんだと?オレの妃になるのは嫌だと言うのか」

 表情がないくせに無駄に迫力はあるし、何なら今は殺意すら出ているので、俺は破裂しそうな心臓を抱えて目の前の不気味に冷静なアイスブルーの刃物のような瞳を見つめた。
 たぶん、目線を外したら襲い掛かってきて殺される…熊だ。熊と同じレベルだ。

「ご令嬢様たちの首を刎ねるようなお方を慕うことなんてできませんッ」

 いきなりの急展開で衛兵がどう対応したらいいのか呆気に取られて困惑しているおかげで、斬首のためにひっ捕らえられているお嬢様方は、殺される恐怖もあるだろうに、伝説の聖女を差し置いて闇竜の呪いがかかっている皇太子が普通の公爵令嬢を嫁にするとか言い出したモンだから、恐怖心そっちのけで頬をピンクにしてロマンスに小さな声でキャアキャア言ってる。
 他人(俺)の気持ちも考えて!つーか、自分たちの立場も考えよう?!ヤバイんだよ!

「…なるほど、令嬢は丁重にお帰り頂こう。メイデル卿!」

「は」

 お帰り頂くという短いフレーズで、アグランジア皇国の優秀な衛兵たちは即座に理解し、拘束されていたお嬢様方を無事に解放した。
 跪いていた衛兵も早い段階で仲間に支えられて退場させてるから、衛兵さんたちは本当に優秀だと思う。ってか、殿下の機微に敏感ゆえの判断力と行動力なんだろうか。
 ご令嬢たちはすぐさまご家族の元に走るだろうって俺の予想は外れて、この闇の皇太子と極々普通の公爵令嬢とのロマンスの行方が気になって仕方ないみたいで、心配そうに駆けつけてくる家族への返事もそこそこに、ソワソワとその場に留まって興味津々って感じで頬を染めてこっちを見てる。
 言っておくけど君たち、さっきまで死にかけてたんだからね?
 恩に着せるワケじゃないけど、俺のことも助けてくれたら嬉しいけど見てるだけだよね。
 つーか、なんだこの展開?え?さっきのは茶番だったってことか??

「妃の入城は明後日とする」

 何時の間に傍らに来ていたのか、パパはニコニコ悪人ヅラで笑っているけど、結構深刻に悩んでいるみたいだ。
 父親としては皇家に嫁がせること、また嫁ぐことはとても名誉あるお話だし、今後のメイデル家の繁栄にものすごく有利になる。もともと優秀だからそんなに心配することもないんだけど、そこはやっぱりメイデル家を支えるお兄ちゃんの地位が盤石になるともなれば、本当は嫁がせるべきなんだよな。
 父としては賛成であるが、宰相としては、やっぱり闇竜の呪いを受けている皇太子のお妃様は聖女リリーであるべきだと考えているみたいだ。
 それで間違いないよ、パパん。

「はぁ?!」

 素っ頓狂な台詞に思わずビビる俺の腕をグイッと掴んで(痛い痛い)立ち上がると、俺がか弱い女子とか子どもとかさっぱり気遣うこともできない病み堕ちサイコパス皇太子にやっぱり殺気を孕んだ胡乱な目付きで無表情に冷たく見下ろされてしまった。

「承知致しました」

「ええ?!」

 あれだけ悩ましそうにしていたくせに、認めるの早ッ!
 つーか、認めちゃうのかパパん…

「この後、詳細を打ち合わせる」

 波乱を含んだ舞踏会は、本当なら此処でルージュは手酷い仕打ちを受けて、このアグランジア皇国でも歴代の悪女に名を連ねることになる事件が起きる筈だった。
 なのに、実際に起こったのは聖女リリーの皇太子妃発表…ではなく、メイデル公爵令嬢との婚約発表だとかなんだそれ。
 違った意味で酷い仕打ちなんじゃねーかこれ。
 原作の設定から大きく逸脱している、ヘンな話、ルージュ好きが書いた二次創作っぽくなってるんだが大丈夫かこれ。
 しかし、よく俺もこの世界に馴染めたよな。
 だって仕方ないよね、初日からいきなりヘンな白いチビ飛竜に脅されるわ、翌日にはもう運命の舞踏会とかだわで、悲観に暮れたりビビったりする暇が全然ないんだよ!
 そうこうしてる間に、思い切り感情移入していたルージュがこの世界では幸せそうだと思ったら、ちょっと嬉しくなって、だったらもっとよくしてみようって思うだろ?まあそれはたぶん、ルージュとしての意識じゃない、栗花落光太郎のままルージュを客観的に見ることができるから、そこまで凹むことがないんだろうと思う。
 あと、あのチビ飛竜、パーシヴァルが俺のことをずっと『光太郎』って呼んでくれるから、自分を否定されない安堵感も大きく作用しているとは思うんだ。
 ただ遺してきた甥っ子のことはかなり気になるけど、それ以外で、俺を前世に引き留める未練がないってのも問題なのかもしれないけどさ。
 結局、パパは今後の話し合いとか言う胡散臭い密会の為に皇宮に残るそうなので、俺は入内の準備とかのために先にベルと帰ることになって、その際に、俺に護衛騎士が何故いないんだと血塗れ皇太子がブリザード級の冷気を纏ってエリスに聞いたから、彼はここぞとばかりに説明をして護衛騎士の派遣を訴えてくれた…いらないのになぁ。
 で、早々に派遣することを約束してくれて、カイン皇太子はエリスに護衛騎士(仮)になるよう指示した。げ、エリスが護衛騎士(仮)かよ。遣り難いなぁとか思いつつも、仕方ないしでベルと一緒にエリスとも帰宅する羽目になった。
 まあ、エリスは結構嬉しそうだったし、ベルも一安心みたいだったから良かったんだろう。
 因みにベルは俺が皇太子のどんな形かはまだ判らないけど、お妃か側室になるってんで、何故かアレだけ反対っぽそうだったのに喜んでいた。
 絶対に自分も入内の際にはお供するし、張り切って用意も致しましょうと、フンフンッ!てやる気満々でこっちが苦笑せざるを得ないほどだった。
 本当ならそれだけ喜ばしいことなんだろうけどさぁ…
 うーん…当初の目論見からかなりずれずれにずれちまったんだけど、これが乙女レベル(女子力)の成せる業なんだろうか。
 兎も角、グズグズ脳内でパーシヴァルに聞いたけどヤツはコチリとも返事をくれないので、今夜は取り敢えず大人しく眠ることにした。
 入内の為に実家に帰らざるを得なかったからママにもお転婆を叱られたもんだから心身ともにヘトヘトで、正直疲れちゃったんだよ俺は。
 舞踏会なのに全然踊らなくてよかったのも助かったけど、まあ何はともあれ、大変なことになりました。

21.学園祭でイロイロやらかす  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 俺が合コンに行っていることを実況で都築にリークした刑として百目木と柏木を呼び出したんだけど、絵美ちゃんとデートだからって柏木にあっさり断られて薄情だと歯軋りしていたら百目木は普通に来てくれた。
 1人しか欠員が出てないはずなのに、わざわざごねて菅野をうんざりさせて滑り込んだのは、都築の回し者だったからだとか聞いた時はマジで吃驚したんだからな。
 しかも、俺が知らない間に都築から相談されていて…ってアイツ、もうあの時は形振り構わずだったとは言えさ、結構気軽に誰にでも相談するよね。とは言え、ああ見えて人選は確りしてるみたいだから侮れないんだけども。
 俺にはなんの相談もないけど…聞けば大概(いや全部か)、俺のことを相談しているみたいだから、張本人の俺に何か相談するってことはないのか。
 いや待て、何かする前には、まずは俺にこそ相談するべきだろう。
 アイツ、そう言うところ全然判ってないよなぁ。
 勿論、興梠さんと属さんも呼び出したいところだったけど、あの人たちを呼び出したらこっちが火傷すると思ったからやめておいた。
 都築の元セフレと仲良くなっていたはずの百目木が、彼女に振られたって言ったのは2週間ほど前のことだ。元セフレってことには気付いていないようだったから不幸中の幸いだとは思うけど、ずっと気になっていたんだよね。都築の元セフレってのはすっげー引っ掛かっていたし、百目木には悪いけど、別れたって聞いてまあ良かったかなと思っていたことは内緒だ。
 その点で言ったら柏木と絵美ちゃんも心配なんだけど、あの2人はなんやかんや言いながら結構仲良くやっているみたいなんでまあいいかなとは思ってるけど、百目木と件の彼女の話は、なんかどうもヒヤリとする温度差を感じていたんだよ。
 何事にも鈍感なこの俺が、だ。
 百目木の会話でちらちら出ていた『カナちゃん』って子が彼女だったんだろう、俺に紹介したいんだって言ってくれてたけど、(色んな意味で)忙しかったから残念ながら直接逢うことはなかった。だから、実は名前も知らなかったりする。
 久し振りに逢った百目木が、ちょっと小太りしてるのが特徴だったのにスレンダーになっていて驚いた。
 いやこれ、スレンダーって言うか、窶れてんじゃないのか…

「来てくれて嬉しいけど、体調崩してんのか?」

 何時ものファミレスに呼び出したはいいんだけど、ふーふー息を切らしてんのがキモいとか言われていた百目木は、ブカブカの服で隠している、いや急に痩せて服が小太りの時のモノしかないのかもしれないけど、ほっそりとした手首を晒して「よお」って声をかけてきた。
 そりゃ、心配して気遣うよね。

「いや?ちょっと食欲なくて痩せちまっただけ。で?都築の件で呼び出しとかってなんだよ」

「悪い…じゃなかった!お前ら、何時の間に都築の味方になってたんだよッ」

 百目木の体調も心配なんだけど、やっぱ都築の件は確り釘を刺しとかないとな。

「味方とかじゃねーよ。都築さ、本当に凹んでるみたいだったし、篠原が合コンとか誰かと付き合うとか誰かと何処かに行くとか誰かに襲われたとか、何かあったりやってたりしたら教えて欲しいってすっげー心配そうに言ってたから、柏木とも相談してリークしたんだ」

 そうか、やっぱりリークはしていたんだな。
 ……都築が百目木と柏木に言っただろう『何か』の中身が普通に気持ち悪いけど、聞かなかったことにしよう。
 アイツ、誰彼関係なく相談するの止めてくれないかな。それで百目木と柏木が俺と都築の関係を思い切り誤解して認識してるんだぞ、メチャクチャ迷惑だって判んないのかな。
 あれ?これってもしかして…考えたくないんだけど、外堀を埋めてきてる?ははは、まさかそんなワケないって気持ち悪い!

「鈴木の件も篠原に嫉妬させたいだけの冗談だって都築は言ってんのに、お前は別れたとか言うから柏木と…」

「待ってくれ、俺はアイツにはもう拘わらないとは言ったけど別れるなんて単語は使ってないぞ!そもそも都築と付き合ってないからな」

 何度も言うけど!

「はいはい。柏木と何時もの冗談だろうと思って揶揄ってたのに、お前、真剣に合コンに行くとか言い出して、あれだけ凹んでる都築見たの初めてだったし、それだけは止めてやれよって思ったけど、篠原普通に合コンに参加しちゃっただろ?だから、何かあったんだから教えてやったんだよ。でも、そのおかげで誤解も解けて、元鞘に収まったんだから良かったんじゃないのか?」

「……」

 嫉妬事件パート2の後から、都築は驚くほどベタベタと俺の身体を触りまくるようになってきて鬱陶しいんだよな。良かったか?と聞かれても、全く良くないよって言えるぐらいには気持ち悪いんだよ。

「はぁ、まあ篠原が幸せならいいんだけどさ」

 俺がなんとも言い難いツラをしてムーッとしたってのに、それを華麗にスルーした百目木は疲れたように溜め息を吐いて、それからドリンクバーから持ってきていたコーラをじゅーっと啜っている。

「やっぱ、百目木さぁ。ちょっと調子悪いんじゃないか」
 
 幸せとかマジ何言ってんだって言い返したいけど百目木と同じようにスルーして、それよりもふっくら健康体が薄幸の少年っぽくなっているほうが気になるんだよ。
 美少年ではないから少年って言っておくな。
 でも、百目木は俺と違って薄い印象の顔立ちだけど、決して不細工とかそう言うのではなくて、こんな風に痩せるとスッキリと整った顔立ちが際立って、まあいい感じじゃないかなとは思う。
 ちょっと幼く見えるから、少年って言っておく。
 百目木に言ったら薄幸とか少年とか巫山戯んなって顔を顰められそうだけども。

「いや…実はさ、ここだけの話にして欲しいんだけど」

 ああ、悪い。俺にはここだけの話になるけど、都築のヤツにも筒抜けになっちゃうんだよなぁ、盗聴器のせいで…って前なら話していたんだけど、親友の百目木と柏木は、何時の間にか都築と仲良くなりやがっていたので、都築から懇切丁寧な説明をされてやがるから盗聴器とか監視カメラとかGPSの件は全部知っているんだよね。
 そもそも、俺以外には殆ど興味を示さない都築にとって、百目木や柏木に関する情報は特にどうでもいいから聞き流すってことで(それは問題なく)納得はしているものの、とは言え『盗聴に盗撮、さらにGPSかよ…』と青褪めて『うんうん』って話を半信半疑で聞いてはいたけど、一連の事件が終わった後に、どうも信じられなかったのか百目木は『篠原、よく今の状況に耐えられるな』って確認と心配で電話をくれたらしい。その時は今のところ実害とかないし大丈夫だって笑ったらドン引きされたんだけど、どうしてドン引くんだ。それよりも自分たちの情報も垂れ流しになるんだから止めてくれたらよかったのにって言ったら、その辺りは俺たちに完全無関心だって知ってるから大丈夫とかって笑ってたから俺のほうがドン引いたけどね。

「ほら、俺が振られたカナちゃんがいただろ?」

「うん」

「彼女、俺を振ったくせに、俺の部屋で他の男とセックスしてたんだよ」

「ぶっほ!」

「俺とは一度も関係を持ってくれなかったのにさー、相手の男、俺とは正反対の細マッチョのイケメンでさ。まるで見せつけられたみたいで凹んだわ。それでちょっと食欲なくなって痩せたんだ」

 まあ、結果的にはダイエットになって良かったけどとか、無理に明るく笑う百目木には同情が禁じ得ない。
 俺も自分の部屋じゃなかったけど、都築に鈴木とのエッチを見せつけられた時、なんかよく判んないけどすげーショックでさ、未だにモヤッてる部分があるけど、アレを自分の部屋でされるとか正直ドン引きどころの話じゃねえよな。
 友達のごにょごにょシーンを見せつけられてこれだけモヤるんだから、好きだって付き合ってた相手となると…想像もできねぇよ。

「ハア?!なんだそれ!鍵とかは…」

「俺、バカでさ。将来は一緒にとか夢見てて、合鍵を渡しちゃってたんだよ」
 
 別れた時に鍵を回収するの忘れててさとかって、百目木はコーラのグラスに挿しているストローで氷を突きながら、ちょっと自嘲的に笑ったんだけど、俺は苛々するだけで何も言えなかった。
 たぶん、都築と鈴木の件を百目木に話しても、きっとこんな気持ちで激しく怒ってくれるだろうけど、俺の気持ちを考えて困惑して何も言えないだろうなって思うんだよ。

「男ともども叩き出してやった時に合鍵は取り戻したけど、何にムカついてたのか知らないけど、当てつけみたいにラブホ代わりとかビビるよな。清純そうで大人しそうな可愛い子だったのに」

 …そっか、百目木は知らないんだ。
 その清純そうで大人しそうな子、あの都築のセフレだったんだよね。
 こればっかりは追い打ちになるから、相手も言っていないんだし俺が親友の傷口に塩を塗り込みたくはないから黙ってるけど、これは酷い仕打ちだと思う。
 溜め息を吐いて草臥れている百目木を『悪いとは思うけど、さっさと別れられてよかった』とかなんとか励まして、痛い出費ではあるものの、ファミレスの飲食代は全部俺持ちにした。
 今日はバイトの給料日あとだから、俺お金持ちでさ、お札を持っているんだよね。
 「ありがと、助かるわ」って言って疲れたように笑って帰ったけど、アイツも誰かに言いたくて仕方なかったんだろう。
 アレだけ痩せてるってことは、俺には言わないだけで、なんか酷いこととかも言われてんじゃねえのかな…
 独りで抱え込むにはデカすぎる内容だもんなぁ…とは言え百目木、あんまり食べてなかったからすげー心配だ。
 都築にリークした刑だったはずだけど、とんでもない話を聞かされたんだから、そりゃ嗾けた都築に責任取って貰わなきゃって思うよね。
 しかし、ウチの大学の品性をかなり疑ってしまうな。都築がいるからって、他の連中の風紀まで乱れてるってのはおかしな話だ。
 それなりに名のある大学だった筈なんだけど…好きな男ができたっつって振ったまでは判るけどさ、あのお人好しが服着てるような百目木の何にムカついたんだか、ムカついているとは言え他人んちを勝手にラブホ代わりに使うとかどうかしてる。
 都築の元セフレってことだったから、俺がムカムカ苛々しつつその日のうちにクレームを入れてやったら、相変わらず安物のスウェットにボサボサの色素の薄い髪、目が悪くなったら絶対にゲームはさせないって言ったらゲーム中は掛けるようになったPC眼鏡の奥の色素の薄い琥珀みたいな双眸を眇めて、相変わらず巨大なモン狩りをしている都築は俺を不機嫌そうな仏頂面で見上げたまま鼻先で笑いやがったんだ!

「セフレなんてやってる女だぞ?騙されるほうも悪い」

 百目木はあの子がお前のセフレだって知らないんだよ!俺だって言えるかよ、そんな酷いこと…知ってるクセにその言い草はホント頭にくるな。

「あー、そうかよ。騙されるほうが悪いんだな?よく判った」

 腕を組んで見下ろしていた俺が片目を眇めて鼻に皺を寄せながら厭味ったらしく言ってやったら、流石に拙いと思ったのか、都築はそれでもモン狩りは止めずに口を尖らせたみたいだ。

「……そもそも、オレはもう全員切ってるし関係ないだろ」

「仕掛けたのはお前だってこと、俺はちゃんと覚えてるからな」
 
 そんな理由で俺が逃がすとか思うなよ。

「それは悪かった。その件は反省している」

「悪かった、反省してるで済んだら警察は必要ありません」

 コイツ、いっつもこう言う話になると『悪かった』って言って『反省してる』んだけど、だいたい似たような内容のことやらかすから、絶対反省はしていないと思うんだよな。
 悪いとは思ってるかもしれないけどさ。
 俺が心底怒っていることは判っているような都築は、ちょっと困惑した不機嫌面でブツブツ言ってくる。

「そうは言うが、元セフレがやらかしたことまで責任は取れないぞ…百目木に別のアパートを借りてやればいいのか?」

「そこまでしなくていいけど…都築からも注意して欲しかったんだよ」

「あー…そうだな。オレが切ったから、腹癒せにやったのかもしれない」

「やっぱ、お前のせいじゃねーか」

 …ん?アレ、切った腹癒せって、だってそれだったらもう2ヶ月以上も前の話なのに、なんで今頃その腹癒せをするんだ?

「絵美は切ってもそんなことしなかったぞ?このまま柏木と付き合うからいいっつって、手切れ金だとか言って50万のピアスを強請って終わったな」

「………は?なにお前、柏木と付き合ってる絵美ちゃんとか百目木の彼女と切れてなかったのか?」

 都築が『セフレ』を切ったのは2週間ぐらい前の話だぞ。
 柏木と百目木が彼女たちと付き合いだしたのは2ヶ月以上も前の話しで、だから彼女たちが都築に切られたのはだから2ヶ月以上前で…え?は?都築は何を言ってるんだ??

「そう言う条件だったから、お前と付き合うことになるまでは、絵美ともカナとも普通にヤってたけど…」

「…………」

 ちょっと絶句して立ち尽くす俺にデフォの仏頂面で画面を見ていた都築は、俺の様子がおかしいと思ったのか、怪訝そうにこちらに視線を寄越して、それから途端にハッとしたように目を瞠ると、「別にそんな頻繁には会っていない」「週に1回とかその程度だ、ちょっとだけだ」「お前とのことを真剣に考えるようになってからは疎遠だった」とかなんとか、自分に都合のいいこととか後半は何を言ってるか判らないことをブツブツと言い訳しつつ、内心の動揺をダダ洩れにした焦った双眸で俺をチラ見してくる。

「……お前、最低だ最低だって思ってたけど、本当にクソ最低なヤツだったんだな」

 ああ、こんなヤツと俺、この先も友達続けられるのかな…つーか、大学のセフレはユキと鈴木で固定してるのかと思ってたのに、ちゃっかり女の子も食ってたのかコイツ。
 確か俺とゴニョゴニョするために男に切り替えたとかなんとか言ってたクセに、なんだかモヤッとする…って、その前になんかおかしいこと言ってなかったか??

「いや待て、その前に俺と付き合うってなんだよ?!お前みたいな節操なしと付き合うつもりなんかサラサラないぞ」

「はあ?!何が節操なしなんだよ!絵美たちの件はお前と付き合う以前の話だ!今はお前一筋だろッ…篠原は初めてセックスした相手と付き合わないのかよ?!」

「は、はあ?!それこそ何言ってんだよッ。セ…え、エッチとか、俺お前なんかとしてないぞ!!」

 思わず呆気にとられてドン引きしそうな気持ち悪いことを言う都築に、確かにえっち擬きみたいなことはいっぱいしてるかもしれないけど…とモゴモゴ言っていたら。

「素股も立派なセックスだぞ。お互いの体液をかけあ…」

「わーわー!!素股なんてせ、セックスじゃないだろッ」

 突拍子もないことでいきなり怒り出すから、俺は慌てて否定して拒否ってやる。

「それこそバカなこと言うなよ!素股は立派なセックスだ。AVのカテゴリにだってあるんじゃないのか?」

 都築は巫山戯んなとでも言いたそうにグッと眉間に眉根を寄せて、コントローラーを投げ出すなり胡乱な目付きで俺を見据えつつジリッと近付いてきた。

「へ?え、…あれ?す、素股ってその、せ、セックスに入るのかな??」

 俺の知識なんてAVレベルしかないんだけど…カテゴリには入ってるし、あれ?俺必然的に都築と、まさかその、せ、セックスしてたって言うのか??!
 え、嘘だろ…。

「入るに決まってんだろ!…なんだ、篠原。お前は真面目なヤツだって思ってたから、オレはイロイロと反省していたんだぞ。それなのに、オレの純情を弄ぶなんて篠原も最低じゃねぇかッ」

「え?え??あ、その、俺、そう言うことよく判らなくて…」

「判らなきゃ、セックスした相手を傷付けてもいいのかよ?お前の初めての相手なんだぞ、オレは!」

 なんで俺が謝らないといけないのかはよく理解できていないんだけど、でも、確かにエッチまでしてしまったのなら、自分が知らない間にたぶん無意識で都築を恋人と認めてたってことになる…のか?ええぇ…マジかよ。
 それで都築のヤツ、あんなにベタベタ必要以上に馴れ馴れしく触ってきていたのか。家では容認してたけど、最近は外でも偶に腰を抱こうとしてくることがあったんだよな。まあ、もちろん肘鉄は当たり前だったけど。
 ってことは何か、恋人だと信じてた都築に肘鉄喰らわせてたってことか?
 都築はもう恋人になったって思ってたんだろうに、そう仕向けてしまった当の俺がけちょんけちょんに言うのは違うし、酷いよね。
 ええー…なんだろうこの理不尽で納得いかないモヤモヤは。

「う、ううぅ…ご、ごめん」

「ごめんで済んだら警察はいらないんだろ?でもまあ、オレは心が広いんでね。1回だけ許してやる。だから、これからはちゃんとオレのことを恋人として、婚約者として確り認識しておいてくれよ」

 クソ意地悪い顔ではあるんだけど嬉しそうで、でも最後は念を押すようにきつく言いやがる都築には歯軋りも禁じ得ないけど、全ては自分が撒いた種だ。
 経験値の浅さから墓穴を掘っちまったんだろうけど、気持ち悪いし激しく悔しいけど、全部自分が悪いんだから諦めるしかない。

「……………ぐぬぬぬ、わ、判った。素股していいって言ったのは俺だからな。今日からちゃんと、お前の恋人として自覚する」

「ふーん、判ったんならいいや。じゃあ、お前からキスして仲直りだ」

 都築は完全に勝利者の顔でニヤリと笑いやがったけど、身から出た錆状態で断腸の思いに歯軋りしている俺は胡乱な目付きでヤツを睨みつつも、仕方ないからその(悔しいぐらい)ガッシリしている肩に手を添えて、ギュッと目を閉じて唇も引き結びながらニンマリしている唇にチュッとキスをした。
 「こんなもんかよ」「もっと攻めてきてもいいのに」「これだから初心な処女は」とか俺の腰に腕を回しながら相変わらずの仏頂面のくせにやたら上機嫌で何かブツブツ言いやがってるけど、俺としてはそれどころじゃないし、何よりも何か負けたようで悔しいしでギリギリ睨み据えるしかないけども、変態都築はやっぱりそんなの屁でもなさそうなんだよね。
 百目木のことで頭も痛いのに、新たな難題に目眩がする。
 あれ?人と付き合う時って、こんなに勝ち負けが関わる胸糞悪いもんだったっけ??
 俺、付き合ったこととかないからよく判らないんだよ・・・とは言え、とは言えだ!
 理不尽だし納得はいかないんだけど、でも、どうやら俺、都築とお付き合いすることになったようです。

□ ■ □ ■ □

 セフレを切ったって事で今度こそ本当に本命が?!とか噂される都築は、上機嫌で俺の腰を抱き寄せながら、ついでにうんざりした猫みたいにどんよりした顔をしている俺のことなんか御構い無しで、髪にキスしたり頬まで寄せたりなんかしてくれちゃったりしているから、外野には無駄にイチャイチャしているように見えているようです。畜生。
 この数式はどうだとか、これはこうすれば解けるんだぞとか、外野で聞いていれば砂かゲロを吐くだけでいいイチャイチャな会話も、当事者が自分だったら気持ち悪いと思って総毛立つしかないんだなぁって初めて知ったよ。因みに勿論砂もゲロも吐きそうだ。
 初恋人が男で都築とか、どんな悪夢なんだろう。
 本命は(やっぱり)篠原だったかー、アイツら最初から付き合ってたんじゃねーのとか篠原殺るとかって物騒なことまでヒソヒソ言われてるんだけど、ちょっと待て。
 言外のやっぱりってのは何だ、あれだけうんざりして気持ち悪がっている、そう、現時点でも問題なく気持ち悪がっているんだからな俺は。その俺のどこが、最初から都築と付き合っているように見えてたって言うんだよ。
 魂が抜けた顔で聞いていたけど、できれば泣きたいって両手で顔を覆ってシクシクしたら、都築からは「何やってんだ、顔が見えない」とか邪険に手を払われて顔を晒される。
 辛い、付き合うってこんなに辛いモンなのか?

「…都築さぁ」

「ああ、なんだ?」

 まるで当然の権利だとでも言うように身体をピッタリと寄せてきている都築は、そのうち家にいる時みたいに後ろから抱えようとでもしだすんじゃないかってほど機嫌が良さそうな声音と、そのくせデフォの仏頂面で俺の顔を覗き込んできてHPを削りやがる。

「俺、誰かと付き合ったこととかないからよく判んないんだけど」

「…家には誰も連れ込んでないみたいだったが、お子さまレベルの付き合いもしたことがないのか?」

「お子さまってなんだよ?!…まあ、いいや。そうだよ、付き合ったことないよ!」

「ふーん…ってことは、オレが初めてのカレシか」

「グッ」

 地味にクリティカルまで決めてくるんだよな、都築のヤツ。

「ああ、カノジョもいなかったんだから、オレが初めての恋人ってヤツか!なるほど、ふーん」

 追い打ちをかけんなよ!
 しかもなんだよ、デフォの仏頂面じゃなくてチェシャ猫みたいにニンマリ笑いやがって、また何か企んでるんじゃねーだろうな?
 気持ち悪い笑い方してるってのにさ、どうして都築よりちょっと離れたところに陣取ってる彼女とか彼氏は頬を赤らめてるんだ。
 確かに特級品の極上な面構えだとは思うけどさ、今のこの顔をイケメンって言うのはおかしくないか?おかしくないのか?俺がおかしいのかな…でも、なんか企んでそうなチェシャ猫のニンマリ微笑なんだぞ。

「まあ、そんなワケだから!俺、付き合うとかってよく判らないんだけど、恋人って何をするんだ?」

 恋愛初心者の都築に聞くってのもおかしな話なんだけどさ。
 俺にピッタリと身体を寄せている都築の顔を、下から覗き込むようにして首を傾げたら、都築はすぐに不機嫌なデフォの仏頂面に戻ってくれた。
 よかった、やっぱ都築の顔はこうじゃないとな!

「キスしたい。そんなの勿論、セッ…」

「即物的なことじゃなくてだ!」

 お前、ここを何処だと思ってるんだ?!
 曲がりなりにも大学の講堂だぞ?!お前とかお前のセフレが爛れていたり風紀を乱しまくってたりしているとしても、ここは一般的には勉学を学ぶべき学び舎なんだからな!判るか?JKだよ、JK。
 しかも、なんで最初にキスしたいとか意味不明な気持ち悪いこと言ってんだよ。

「…あー、陽菜子が言うには手を繋いでデートして、キスをしてハグをして、風呂に一緒に入って一緒に寝て、何時も一緒にいるってのが通常の恋人同士らしい」

 キスから風呂まではお前が付け加えたんじゃないだろうな…でも、陽菜子ちゃん、結構ススんでるからなぁ。
 恋愛関係に関しては、俺や都築よりも。
 まあ、だから都築が頼ってるんだよね、小学生にだけど。

「………」

「? なんだ、ヘンな顔をして」

「それ、だいたい普通にしてるな?」

 あれ?俺たち恋人とか気持ち悪い関係になる前から、そんな行動してなかったかな。
 最近はキスにも慣れてきてたし、おかえりただいま行ってきますのハグは当たり前だし、俺が風呂に入っていたら最近は専ら乱入してくるし、狭いシングルに男2人で寝てるし…この前買い物に行った時に、手繋ぎデートもしたんだよなぁ…ハハハ。

「そうだ。だから言っただろ?オレたちはもう付き合ってるようなモンだってさ」

「だったら、別に恋人とか明確にしなくてもいいん…判った、判ったから睨むなよ」

 お前はすぐにそう言うことを言いやがる…とかなんとかブツブツ言って、途端に物騒なほど不機嫌になった都築の機嫌なんかこの際どうでもいいんだけど、俺はうーんっと考えてしまう。
 だってさ、さっき言いかけたけど、別に都築が言ったことって全部恋人とかキモイ関係になる前からだいたいやってるんだし、それこそ今さらって気もしなくもないんだよね。
 友達だってここまでやるんなら、別に恋人なんてキモイ関係になる必要ってないと思うんだけどなぁ。

「友達でもやってることは一緒なのにな?」

「恋人じゃなかったらオレはまたセフレを作るぞ」

 それじゃセフレと一緒じゃねーかとやっぱり不機嫌そうにブツブツ言った後に、そんなことを言いやがるから。

「は?じゃあいいよ、作れば?」

 そしたら関係解消できるんなら、それこそ願ったり叶ったりだ。
 俺に非があって別れるとかだったら、今後都築からずーっと付き纏われてグズグズブチブチネチネチブツブツ言われ続けるんだろうってことは火を見るよりも明らかだからさ。
 都築の不貞で別れるんなら望むところだよ。

「バッカだな、やっぱりお前はバカだ」

「なんだと…」

「恋人同士なんだから、お前はオレのカレシなんだからさ、こういう時は止めるんだよ。今、そう言うフリだっただろーが」

 フリとか何言ってんだコイツ。

「はー、お前は本当に初心で処女だから、そう言うもっと恋人らしいことをたくさん経験して経験値を積んでさ。恋人レベルを上げないと人間としても底が知れた程度になっちまうぞ」

「ぐぬぬぬ」

「仕方ないからお前の恋人であるこのオレが手伝ってやるよ」

「何言ってやがる、お前だって恋愛童貞だろ。何を手伝うって言うんだよ」

 絶対にコイツにだけは言われたくないと思うようなこと言いながら偉そうにやれやれと首を横に振っている都築の身体を引き剥がそうとしつつその態度にはお冠にもなるし、心底からムカつきもするけど、コイツまたエッチとか気軽に言いやがるんじゃないのかって言った後にしまったと思ったけどもう遅い。

「決まってんだろ!恋人としてお互いを想い合うことだ」

「はあ?」

 予想外の返答にちょっと間抜けな声を上げてしまった。
 エッチなことしか言わないと思い込んでいただけに、ちょっとこれは予想外の展開なんだけど…

「早速だが、今度の学園祭はオレと一緒に行動しろよ」

 都築は機嫌が良さそうにニンマリして俺の顔を覗き込んでクリティカルを出してくる。

「え?ああ、別にいいけど…」

「学祭デートは当たり前だよな。恋人同士だからさ」

「グハッ」

 今度の土曜日にある学園祭、本当は百目木と一緒に行こうって言ってたんだけど、絶対に都築に邪魔されるからお断りされちゃってたんだよね。
 ホント、何が悲しくて都築と…俺は学祭はきっと女の子とキャッキャウフフしつつ楽しいデートができるって思ってたのに…百目木にはフラれるしキャッキャする女子もいない、ましてや今の俺は自滅で都築と付き合っていることになっているワケだから、仕方ないから、都築と学祭デートをしてやろうと思います。
 トホホホ…

□ ■ □ ■ □

 どうしてこんなことになったのか俺には判らない。
 高熱に苦しむ都築の頭を膝の上で抱えながら、阿鼻叫喚の声が漏れ聞こえる外部に意識を集中しながらも、俺は服の切れ端を簡易的な包帯として代用している都築の腕を擦った。
 息苦しそうな呼気の下で、喘ぐように歪む見慣れた綺麗な唇。
 もう、意識も朦朧としているだろうに、ひっそりと心配そうに顰められた眉根の下、揺れる双眸を僅かに細めて俺を見つめてくる色素の薄い瞳。
 大丈夫だよ、心配なんかいらない。
 お前は俺が守ってやるし、駄目ならもう、いっそのこと2人でここでくたばればいい。
 死んだって離れないってお前、ちゃんと俺に宣言してんだから。
 大丈夫、そんなに不安そうにしなくったって、俺はお前から離れないよ。
 不安に揺れる双眸を見下ろして、俺は安心させたくてニッコリと笑った。
 都築は俺のこと好きでもなければタイプでもないって言い張るんだけどさ、コイツ、俺の笑顔が大好きで、俺が笑うとちょっと不思議そうなツラをしてから、なんとも言えない嬉しそうな表情をしてジッと見つめてくるんだ。
 今は苦しいんだろう、朦朧とした半開きの双眸で、それでもやっぱりバカみたいに嬉しそうな光を浮かべた瞳で見つめてきやがるから、俺はなんだか泣きたくなっていた。
 この表情をもう見られないのかな。
 こんな風に、もう一緒にいられないのかな。
 それはなんだか、とんでもなく寂しい気持ちになる。
 息苦しく喘ぐ都築の頭を抱え直して、俺はコイツのことなんて好きでもなんでもないんだけど、手放したくない寂しさにぎゅうと抱きしめて、そして覚悟して瞼を閉じた。

□ ■ □ ■ □

 高校の文化祭を想像していたんだけど、想像を軽く超える本格的な出店とか(クレープ屋とかタピオカミルクティー屋なんてのもあるんだぜ!)、研究棟では各学部が研究している成果を発表していたり、本格的なプラネタリウムを講堂に作っている連中もいたりして、田舎の高校の文化祭しか知らない俺は目をキラキラさせてキョロキョロと見渡していた。
 そんな俺の様子を、勝手に手を繋いで(しかも恋人繋ぎだ…)俺のHPを削ってくる都築が、呆れたようなちょっと小バカな目付きをして見ているようだけど気にしない。

「楽しいのかよ?…ほらクレープだ」

「うん、楽しい。有難う」

 キョロキョロしてほえ〜と見惚れている俺の手を引っ張って、何時の間にか買っていたクレープを渡しながら都築が首を傾げるから、大道芸人とかいておもしれーなって眺めて俺は頷きつつ礼を言ってクレープを受け取った。
 都築同様、甘いモノには目がないんだよ。
 併設されているグラウンドには大道芸人とか、マジシャン、特設のステージではお笑いや漫才までしてる連中もいて、今回俺の学部では催し物はナシってことだったから、ちょっと残念な気持ちになっていたんだけど、見るだけでも十分楽しい、いや楽しすぎる。
 サークルには参加していない(都築に妨害された)し、ゼミでの学祭参加とかないからなぁ…来年は何か催し物に参加できたらいいな。

「ふーん、なら良かったけど。他に見てみたいところはあるか?」

「えー、全部見てみたい気もするけど…」

 俺の通っている大学は2日間に渡って学祭が行われるんだけど、1日目は各学部の催しで、2日目は外部から呼んだ講師やアイドルのステージがあって、2日間ともに夜はグラウンドで花火大会が行われるそうだ…ってことがプログラムには書かれているけど、1日目のこれ全部見るとなると夜までかかるよな。
 夜は夜でプロジェクトマッピングとかで、何か催しがあるみたいだし、ワクワクする。
 うーんうーんと俺が悩んでいると、俺の大事な食べかけのクレープを横から齧りながら都築は仕方なさそうに通常運転の仏頂面で、そのくせちょっと楽しそうにクスクスなんて笑ってやがる。

「仕方ねーなぁ…じゃあ、これなんかどうだ?お前、こう言うの好きなんだろ」

 都築が指差したプログラムは、13時、ちょうどこれから開始される第2部のプラネタリウムの演目だった。
 俺が擬似天体観測が好きで、良く百目木や同じ学部の仲間たちと出掛けていたのを知っているから、都築なりに気を遣ってくれたのかもしれない。
 都築はプラネタリウムとかって全く興味なさそうなんだけどな…ちょっと嬉しいとか思うなんて、俺も大概気持ち悪いな。

「俺は楽しいけど、都築は退屈なんじゃないか?こっちの軽音部の野外ステージの方がいいんじゃないのか?」

 俺が気を遣って聞いてやったって言うのに、都築はプログラムをチラッと一瞥しただけで、肩を竦めて不機嫌じゃないくせに不機嫌そうな仏頂面で面倒臭そうに言いやがった。

「どっちも興味ない。だったら、篠原が楽しい方でいい」

「お前な…」

「ほら、グズグズしてたら始まるぞ」

 恋人と言うワード(グハッ)にご満悦な都築だけど、根っこの部分は何も変わっちゃいない変人だから、やっぱり「嫁を気遣えるオレいい夫」「篠原も惚れ直すイケメン旦那」とか、よく判らないことをブツブツ言いながら嫁強調して胸を張りやがる男前のツラにはウンザリする。
 呆れを通り越していっそすげぇなと俺がポカンと見上げているのも華麗にスルーで、都築は上機嫌の仏頂面でプラネタリウムが設営されている講堂に俺を引っ張って行った。

「都築、なんだそのチケット?」

 朝から、俺が好きでジュージュー飲んでいるアイスカフェモカを購入するところからさっきのクレープを買う時も都築は何やらそのキラキラしているチケットを見せていたんだけど、今も講堂の入り口でチケットを見せるだけでお金は支払わずにパンフレットを貰っているみたいだった。

「これか?学祭実行委員会に寄付したらプラチナカードとか言って渡してきた。フリーパスなんだと」

 興味もなさそうにキラキラしているカードを振り振り答える都築に、うん、きっとコイツまたとんでもない額の寄付をしたんだろうなって思うけど、今回は楽しいので黙認することにした。
 日頃無駄遣いダメ絶対とか言ってる現金な俺だけど、こんな時ぐらいは大目に見てもいいんじゃないかって話しだ。

「食べ放題飲み放題とかすげー」

「観覧もし放題だぞ」

 特に自分ちのこととか金持ちなんだぜウェーイってなことは言わないし態度にも出さない都築のクセに、俺が喜ぶと途端に自慢を始めるのは何故なんだ…安定の仏頂面で胸を張りつつ俺の手に「すげーだろ?」とプラチナカードを押し付けてくる。
 いや、お前が諸々対応してくれていいんだけどと言いつつ受け取ってカードを見たけど、キラキラカードに加工されていて表面のナンバーは数個の0の後に1となっていて真ん中にプラチナって英語で書いていてその下に名前が入っている。
 結構本格的な造りなんだなと思いながら返すと、ヤツはそれを受け取ってふふんと「嫁をエスコートできるオレいい旦那だ」とか相変わらず意味不明のおかしなことをブツブツ言いつつ、どの辺りが良い席なんだろうと仏頂面で俺の腰を引き寄せて都築が歩き出したまさにその時だった。
 ドゥンッッ!…って腹の底を震わせるような振動、たぶんこの感じだと、とんでもなく重い何かが吹き飛んだんじゃないかな。
 咄嗟に頭を両手で覆うように庇おうとしたのに、それよりも早く都築が俺を抱き込んで、いや、確かに都築は俺よりも20センチも長身だし横幅もある、だからって大の男が庇うようにして覆い被さるってなんだそりゃ。
 でも確かに都築は覆い被さるようにして自分の胸の中に俺を囲い込んで、それで漸くホッとしたように周囲を慎重に見渡しているみたいだ。
 御曹司のお前こそが大事をとらないといけないって言うのに、どうして俺を一番に助けようとするんだよ、ホントバカなヤツだ!

「なんだ、特になんにもないみたいだな?テロかと思った」

 照れ隠しとか巫山戯た理由ではないけどムーッとしつつも都築の胸元を掴んで顔を上げた俺に、それでもまだ警戒を解かずに都築は仏頂面とはまた違った緊張した面持ちでそう言うと、同じように頭を庇いながらキャーキャー言っている連中を見渡した。
 中学2年の終わりから高校入学前まで海外に留学していた経験を持つ都築にしてみたら、今の爆発音は緊張を解くには早いヤバさなんだろうか…

『ピンポンパンポーン♪』

 緊迫した状況下で拍子抜けするほどの軽快な音の後に、冷静過ぎるほど冷静な声音が構内に、俺たちが居る講堂は勿論、敷地内に淡々と響いた。

『ただ今、研究棟で爆発を伴う事故が発生しました。数名の怪我人が出ている模様です。そのため、この時間より研究棟は封鎖となりますので、けして近付かないようにしてください。繰り返します、ただ今…』

「…あ!この声、鈴木じゃないか?」

「そうだな。アイツ、学祭実行委員を押し付けられたって不貞腐れてたんだけど…」

 俺と都築が恥ずかしながら抱き合う形で言い合っていると、漸く落ち着きを取り戻してきた講堂内のそこかしこで、「研究棟爆発とかw」「あいつ等の実験エグイからなー」とかとか、思い思いのことを言いながらスマホ片手に研究棟に行こうとする連中とかもいて、おいおいって俺が呆れていると…

「あれ?ネットが反応しない」

「ってゆーか、電波きてないよこれ??」

「え、電話もできないよ」

 途端にザワザワが大きくなって、いい加減抱き付かれているのも何だかなって思った俺が「まだ危ない」「抱き心地がいい」「もうこのままオレに紐か何かで括りつけて…」とかなんとか、後半よく判らない理由で渋る都築から身体を離しながら、デイパックの大事なモノが入ってるジッパー付きのポケットからスマホを取り出しているとまた鈴木の冷静沈着な声が響いた。

『ただ今の実験中の爆発事故で電波障害が確認されました。通話ができない、できてもすぐに切れてしまう、ネットに接続できない、接続しても遅い…などの症状が出ていますので、接続など試さずに復旧まで時間をおいてください。消防と警察への届け出に時間を要していますので、研究棟には近付かずに良識ある行動をお願いします』

「電波障害ってなにそれ怖ッ」

「おいおい、研究棟ぉ~~~」

「面白そうだから動画だけでも撮りに行かない?」

「弱くても電波きてるとこあるんだ。行ってみようよ」

 などなど、銘々に言い合いながらプラネタリウムそっちのけで講堂から出ていく人波を見ていたら、たぶんもう、プラネタリウムもやらないんじゃないかと思って都築を見上げてみた。
 ヤツも同じ考えだったようで、チラリと俺を見たあと諦めたみたいに肩を竦めて溜め息を吐きやがる。

「まあ、いいや。別のところに行こうぜ」

 俺が頷くよりも早く俺の腕を掴むと、都築はやれやれと薄暗い講堂から俺を連れだした。
 都築との身長差はだいたい20センチぐらいだから、腕を掴んで立たれるとグレイの気持ちにならないとも言えないんだよなぁ。
 そんなブルーな気持ちになりながら都築に引っ張られて講堂から出た俺たちは、電波障害か何か判らないけど、「外部と連絡取れないw」「映画みてーw」とかそれなりにこの状況を楽しんでいる連中が研究棟、実はこの講堂の目と鼻の先だモンだから、こぞってスマホ片手に煙が噴き上げている3階部分を撮影している様子を眺めていた。
 不意に研究棟から白衣姿で、どうやら煙で煤けた黒い顔を晒した連中がゾロゾロと出てきたんだけど…ん?なんか様子がおかしくないか。
 アレだけの爆発があったのに無事なのは良かったけど、白衣の連中はみんなぼんやりと視線が定まらない、なんとも言えない虚ろな様子でフラフラと歩いてるんだよな。
 爆発に巻き込まれたんだから、音とかのショックで放心状態なのかなぁ…

「都築、あのさ…」

「おい、お前らぁ!ヘンな研究してんじゃねーぞ、電波障害とかふざけん……な?…へ?」

「キャー!!」

 なんだか嫌な予感がして、何時の間にか腕を掴んでいた手で俺の掌を握って、恋人繋ぎだとか巫山戯た都築にこの場を離れようぜって言おうとした時、それから白衣の連中の動画を撮影しながらイキったヤツがバカみたいにヘラヘラ笑って集団の先頭をフラフラしてるヤツの肩を押した時だったんだ。
 女の子の甲高い絶叫を嘘みたいに聞きながら、俺は今、自分の目の前で起こっている事実を受け止めきれずに息を呑んでいた。
 無意識の汗まみれで都築の掌をギュッと握り締めたけど、都築のヤツも呆気にとられたように呆然と眼前の光景に目を瞠ってる。
 そりゃそうだよな。
 なんせちょっと離れた先で、イキった男子大生が白衣の集団に囲まれて喰われてるんだから。
 最初は肩を押された煤けた白衣を着た学生が軽くぐらついたぐらいだったんだけど、体勢を取り戻したかと思うといきなりその首に喰らいついて、きょとんと声を出した野郎の手から撮影中のスマホが高い音を立てて落ちたのを合図みたいにして、わらわらと数人の白衣が口から涎を垂らしながら食い千切られた首から真っ赤な血を吹き出すソイツに襲い掛かったんだ!
 その間はもの凄くゆっくりと時間が流れているような、瞬きの瞬間のような、当事者でもない俺にですら平衡感覚がまるで掴めない朧げな感覚が襲ってくるぐらいだから、きっと喰い殺された彼は自分に何が起こったのかも判らないままもみくちゃにされて血塗れになって、それを近くで絶句して見ていたJDが思わずと言った感じで悲鳴を上げたからさあ大変。
 獲物にありつけなかった数人の白衣の集団が、悲鳴を上げた女子大生に襲い掛かったんだ。
 人間、自分の常識を超えた範囲の出来事に遭遇した時ってすぐには声が出ないんだな。でも、脳みそが異常事態を伝えて、それが感覚的に判った段階で初めて声が出る。ただ、他人が先に声を上げてしまって、その状況が大きく動いてしまうと、声よりも身体が動くモンなんだよ。
 たぶん、無意識だったと思う。
 そんな連中が数人いて、都築の手を離した俺が白衣にもみくちゃにされて、たぶんもうダメだと思うんだけど、女の子の悲痛な声を耳にしながら助けようとしたってのに、すぐに追ってきた都築はそれを許してくれなかった。

「バカか!あの男も女も、もうダメだ。ここは危険だから逃げるぞッ」

「でも!」

 でもでもだってで言い訳して腕を振り払おうとした矢先に、両目が異常なほど充血している白衣の学生が俺に襲い掛かってきた!…んだけど、都築が殴るようにして押し遣ってから、俺の腕を掴んで走り出していた。
 その時にはもう、阿鼻叫喚になっていて辺りは騒然としていたし、俺を襲えずに口許を赤く染めたソイツは逃げる俺なんかすぐに諦めて、その場でオシッコ漏らしちゃってんじゃないのってぐらい大股開きで蹲ってガタガタ震えている、逃げ出しそびれた男子大生に襲い掛かっている姿が、そこで俺が目にした最後の光景だった。
 
 俺と同じように女の子を助けようとして白衣に齧られた学生たちも這う這うの体で逃げ出していたけど、そのうちの何人かと方向が一緒になった。でも、ヘンに息が荒くて、暑そうに額から流れる汗を拭っているのをどうしたんだとか不審に思って見ていたら、不意に都築のヤツが俺を引っ張るようにしてその集団から離脱したんだ。

「アイツら様子がおかしい。別行動しようぜ」

「ああ、判った」

「…なんだ、今度は素直なのか?」

「悪いかよ?!…ってそうじゃないな、ごめん都築。俺、どうかしてた。ヘンな正義感を出してたんだと思う」

 しょぼんと項垂れた俺を物珍しそうにマジマジと凝視しつつ、都築は顎に滴る汗を片手で拭いながら肩を竦めやがる。

「…正義感は時には必要かもしれないけれど、だいたい、正義感を出したヤツの半数以上は物語の序盤で死ぬんだぜ」

「なんだよ、それ」

「ハハ……ッ!お前が好きな映画がそんな感じだろ?」

 俺、結構サバイバル系の映画とかドラマが好きで、古い映画もよく観てるんだけど、大きいテレビをモン狩りに占拠されてるからさ、都築のヤツは俺に小さいブルーレイも観られるとかって万能か!なポータブルデッキ?を寄越しやがったんだよ。あくまでモン狩りはやめないんだよな。それで仕方なくモン狩り中のだらしないスウェット姿の都築に凭れて映画を観ていたってのに、ゲームしながらこっちの内容も観てたのか。

「なんだか、映画みたいだ…何が起こったんだろう」

 非現実的な出来事に頭はついていけてないから、都築に腕を引かれたままでトボトボと歩きながらポツリと言った俺に、都築は額で玉を結ぶ汗を片方の腕で拭いながら首を傾げたみたいだ。

「さあな?研究棟の連中がヤバイ実験をしていて、爆発でそれが漏れたか飛び散ったかして、連中があのザマになったって感じじゃねーのか?」

「ヤバイって…大学生の研究でそんなヤバイことってするのかな」

「知らねーよ。そう考えるほうが普通だって思っただけだ」

「人間が人間を食べるとか…映画ならいいけど、ちょっと…」

「今は何も考えるな。兎も角、救援が来るまで隠れておける場所を探そう」

 じっとりと汗ばんでいる都築の掌をギュッと握り締めて、俺は頷いたけど、でも気懸りなことがあったから都築に聞いてみる。いや、都築にだって判らないだろうけど、何より喋っていないと胸を締め付ける動悸だとか震えとかで叫びだしそうになるんだ。

「電波障害だっけ?それで外と連絡が取れないって鈴木が言ってただろ。そんな状態で助けなんか来るかな…」

「他の連中はどうだか知らないが、オレの生体反応をTASSの本部が管理しているから、異常を察してアイツらが駆けつけてくるだろ。そもそも、その道のプロもいるからな、向う見ずに入り込んで無謀なコトはしないさ。せいぜい、様子を見つつ慎重に行動するだろうから、ヤツらが来るのをオレたちは待っていればいい」

「……」

「心配するなよ。興梠も構内にいるんだ、何らかの方法で連絡を取ってるさ…っと、よしここに入ろう」

 無言になって俯いた俺を珍しく気遣うように軽く笑った都築は、それから遠くでワーワー騒ぐ声に耳を欹てながら様子を窺うと、建物の陰にひっそりと佇む物置のようなんだけど、意外とガッシリしてそうな重厚な鉄の扉が開くか試して、それから中の様子を探って誰もいないことを確認してから俺を先に入れて再度周囲を見渡すと、それから漸く扉を閉めてガチャリ…と重い音を響かせて鍵を掛けた。
 すぐにパチッと音がしたのは、都築が扉の横に据え付けられていたスイッチを押して電灯を点けてくれたからだ。

「ここなら大人数で押し掛けられても暫くは持ち堪えるだろ。オレたちは映画みたいな派手な武器は持ってねぇしな……どうしたんだ?」

 やれやれと息を吐いていた都築が黙り込んでいる俺にどこか悪いのか?と仏頂面でブツブツ言って、俯き加減の俺の額に掌を当てた。
 汗ばんでて熱い掌を。

「なあ、都築…お前さ、本当は調子が悪いんじゃないのか?」

「……」

「さっき、白衣に齧られた連中みたいに汗が凄いし息も荒い。それに、生体反応を管理してるTASSのひとたちが来るってことは、お前、本当は凄く調子が悪いんだろ?なあ、そうなんだろ?!」

「…バカだな、お前はやっぱりバカだ。走ったんだから汗も掻けば息もあがるだろ。何言ってんだ」

「本当だな?本当になんともないんだな??!」

「なんだよ、篠原はそんなにオレのことが心配なのか?やっぱお前の恋人であり旦那だから仕方ないか…」

 都築のヤツはまるで茶化したようにニヤニヤ笑いながら俺を促して壁際に座ると、そんなバカなことを言いやがる。

「そうだよ!そうだ、お前は俺の恋人なんだから、心配で心配で仕方ないよ!!だったらなんだって言うんだよッッ」

「……」

 驚くことに都築は、なんだかきょとんとしたように、自分が何を言われたのかいまいち理解できていないような表情をして、それから安定の仏頂面に戻ると、何故かその頬を赤く染めたりした。
 何時もだったら意味もなく気持ち悪いって思うその表情も、今は何となくホッとできるから不思議なんだけど。

「なあ、本当にどこも痛くないのか?苦しくないのか??調子が悪いんじゃ…って、なんだよコレ」

 不意に触れた都築の腕の部分、無残に引き裂いたような痕があるそこは、それでも黒い服だったから気付かなかったけど、じっとりと湿っていて、触った掌を見たら真っ赤だった。

「…アイツを振り払った時にどうも噛まれたみたいでさ。これ以上、調子が悪くなるようだったら、篠原をここに置いて出ていくつもりだった」

 額にびっしり汗を浮かべて色素の薄い前髪を貼り付かせたまま、何処か切なげに、やっぱり髪と同じように色素の薄い琥珀の双眸を細めて都築は諦めたようにはにかんだ。
 見たこともないそんな優し気な表情に、俺は意を決して上着を脱がせると袖を捲って傷口を確認しようとした、しようとして絶句して呆然と、都築の逞しい腕に晒された無残に引き千切られている傷痕を見つめた。

「ハ…ハハハ、バカ言うなよ。何言ってんだよ!こんなの何かの病気に決まってる。アイツらヘンな研究とかしてて病原菌が飛び散っただけで、国の偉い学者たちがすぐに良くしてくれるに決まってる!だからさ、そんな俺を置いて行くとか言うなよ。一緒に救出されてさ、新聞に一緒に載ろうぜ。映画みたいに華やかじゃないけど、俺たち、あの時凄かったんだぜって……みんなで笑って…話すんだ………っ」

「……篠原」

 もう、たぶん都築は随分と苦しかったんだと思う。
 重苦しい呼気を吐きながら、それでもうんうんって俺の話を聞きながら嬉しそうに笑ったりしてる。
 俺の頬をポロポロ散ってる雫に気付いているクセに、震える指先を片手でギュッと掴んで落ち着かせてから、都築のヤツはらしくもなく俺をニッコリ笑って見上げると指先で拭ったりするんだよ。
 着ていたシャツの裾を渾身の力で引き千切って、包帯代わりに都築の腕に巻きつけながら、何時もは都築の専売特許だけど、ブツブツ言う俺を面白そうに見てやがるからさぁ、本当は泣き言とか言いたくない。

「はは…篠原がオレの心配をして手当てしてくれてる」

 俯きながら唇を尖らせている俺を物珍しそうな、嬉しそうな表情をして覗き込むと、齧られていないほうの腕を伸ばして色気もクソもない髪に遊ぶように触れてくる。
 そんな仕草、お願いだからやめてくれ!
 俺はふと、都築に断って中身を覗いたスマホの、あの雨の日の動画を思い出していた。
 眠っている俺を大事そうに抱えて、雨だれが幾つも滑り落ちていた窓から見える灰色の空を、何がそんなに嬉しいのか楽しいのか…判らない幸せそうな表情を見せていたあの動画。
 同じようなツラして笑ってんじゃねぇ。

「はあ?そんなの当たり前だろ。俺、お前の恋人で婚約者だからな」

 ふと、尋常じゃない熱さから発熱が疑われる都築の額には、貼り付いた色素の薄い前髪の隙間、肌色部分にはびっしりと汗の粒が浮かんでいるけど、苦しそうに喘ぐ息遣いの下で、なんだか珍しい表情を浮かべたんだ。
 てっきり、不機嫌じゃないクセに不機嫌そうなデフォの仏頂面をして、やっぱりそうだろって何時もみたいに斜め上の解釈で喜ぶんだと思ったのに、都築はやけに静かな表情で俺をジッと、視姦じゃないかって疑いたくなるのはそのまんまだけどさ、俺の顔を見つめてきやがるんだよ。
 だからやめろ、照れ臭さでも顔が赤くなるだろ…って俺は思って、それから唐突に気付いちまった。
 都築のその視線の意味に。

「都築さ、お前バカだろ?あのキーホルダーの意味は死んでも離さないんじゃなかったのか?つーか俺、離れる気とかないから!病気なんか偉い学者がチャチャッと治してくれるんだよ。何、イケメンがカッコつけてんだ」

 綺麗に洗い流してやれる水もないし、千切れた肉が覗く腕の有様は酷いモノだったからマジマジと見る勇気もなくて、ないよりはマシな俺の服の切れ端でギュッと傷口を縛ってやりながら、俺は都築を見習ってブツブツ言ってやるんだ。
 都築が俺を見つめる琥珀のような双眸に浮かんでいるのは、『この目に焼き付けておこう』としている努力だ。
 今が幸せだから、だから覚えておこうとしている切ないほど一途な双眸…

「絶対にここから脱出してやるんだからな!」

 纏わりつく嫌な予感を払拭したくて大声で宣言したちょうどその時、不意に鉄製の扉がバァンッと大きな音を立てた!
 ビクッとして思わず都築の頭を抱えてギュッと抱き付きながら扉のほうを窺うと、どうやら白衣に齧られた連中の何人かが意味不明なことを喚き散らしながら扉を叩いているみたいだ。
 都築はもう反応する体力もないのか、だらんと腕を垂らして壁に凭れ掛かったまま、ハアハア言いながら億劫そうに視線だけ扉に向けている。
 抱き付いている俺を抱き締め返す気力も、もうないんだろう。
 俺がこんな風に抱きつくと、何時だってなんだかよく判らない、あの嬉しそうな仏頂面で力いっぱいぎゅうぎゅう抱き締め返していたクセに。

「…話し声を聞きつけてるのかな?ちょっと小声で話そうか」

 極力声を絞って都築の熱い身体を抱き締めつつギュッと目を閉じていると、バンバン叩いていた音が止んで、齧られた集団が何か喚きながら何処かに行ってくれたようで気配がなくなってホッとした。
 ホッとして、都築もあんな風になるんだろうかと不安になった。不安になったけど、俺が諦めたら絶対に終わる、そんな映画を観たことがあるから、バッドエンドは絶対に冗談じゃないんだ。
 額の汗を袖で拭ってやってたら、都築は少し呼吸が落ち着いたようで、それからウトウトし始めたみたいだった。
 色んなことがあって神経はビリビリに逆立ってるんだけど、著しく体力が消耗している都築の若干穏やかな呼吸を聞いていたら、俺もちょっと落ち着くことができた。
 正直な話、これからどうしようか。
 俺の肩に頭を預けて、それでも息苦しそうに眉根を寄せて眠る都築に頬を寄せながら、俺は同じように両足を投げ出して冷たい壁に背中を凭れかけた状態でぼんやりと鉄製の扉を眺めながら考えてみた。
 映画とか海外ドラマみたいに都築が変態…いやまあ、都築は変態で気持ち悪いんだけど、そうじゃない変態…って俺何言ってんだ。
 今じゃない状態になってしまったとしたらどうなるんだろう。
 考えないように、考えたくないから敢えて考えないフリをしてたけど、コイツは将来が期待されている大御曹司なんだぞ。それなのに、俺なんかを助けて腕を齧られて、俺なんかの言葉を真に受けて必死に今や風前の灯の命を生き永らえようとしてるんだぜ?ホント、バカなヤツだよ。

「なあ、都築…もしさ、お前があの白衣の連中みたいな病気になったら、俺、どうしたらいい?ここにお前を閉じ込めて、俺だけで助けを呼びに行ったらいいかな。それとも、誰か助けが来るまで、お前とここに居るべきかな…」

 息も絶え絶えのように辛そうな都築にそんな事を聞いたって、安らかじゃない眠りに苦しそうなのに答えてくれる筈もない。
 そんなの当たり前だ、何言ってんだ篠原光太郎!俺が確りしないでどうするんだ!

「………篠原?」

 ふと、浅い眠りから微睡むように目が覚めたのか、都築が虚ろな目で俺の名を呼んで、それから心配そうに辺りを見回しているみたいだ。
 その姿が心許ないし、何よりちょっとゾッとした。
 まさか、まさか目が見えてないとかそんな…

「俺ならここに居るぞ!大丈夫だ都築、ずっと一緒に居るって言っただろ?心配せずに眠ってろよ。お前はちゃんと俺が守ってやるんだから」

 仏頂面で何時もブツブツ言っている都築が、唯一嬉しそうにする時があって、それは俺が浮かれて陽気だったり、美味しいプリンが嬉しかったり、解けなかった問題が判った時とか、都築の背中とか肩に凭れて見上げながらニッコリ笑い掛ける時なんだ。
 俺、都築のことなんて好きでもなんでもないんだけどでも、だから俺は、心配そうな表情をする苦しそうな都築を安心させてやりたくて、その頭をぎゅうっと抱きしめながら、極上だってブツブツ言っていた満面の笑みを浮かべてやった。
 都築はそんな俺の顔を暫くぼんやりと見上げていたけど、安心したのか嬉しそうにフッと微笑んで、それからまた琥珀のような綺麗な瞳を瞼の裏に隠してしまった。
 これで決まった。
 俺が何をするべきなのか、どうしたら良いのか……もういい、都築と一緒に居よう。コイツが何かになるのなら、一緒にソレになってやろう。
 せめて最期ぐらいは、誰か傍に居てやらないと、だったら、その傍に居るべきなのは俺であるはずだ。
 俺のこと、好きでもなければタイプでもないとか言いやがるくせに、一瞬だって離れたがらない、棺桶にまで一緒に入って、死出の旅路さえ一緒に行って、できれば来世でも一緒に居たいなんて巫山戯たこと言う都築なんだぜ?
 よく判らない相手からバカみたいに俺を庇って、こんなバカみたいな形で人生が終わるとか…都築の十数年をずっと独り占めしていた俺こそ、なあ都築、一緒に居るべきだよな?
 気付いたら視界が霞んでいて、頬に滴が伝う感触で、自分がボロボロ泣いていることに驚いた。
 決意した気持ちは力強いし、覚悟もできた。でも、でもさ、こんな馬鹿げたことで死の淵にある都築の一生が余りに切なくて、せめて最期に何かコイツが喜ぶようなことができたら良かったのに。
 そう思いながら、それでも俺は覚悟を決めて、瞼を閉じた。

 どれくらい寝ていたのか、ハッと気付いた時には腕の中に都築が居なくて、俺は動揺して辺りの様子を探るようにして見回しながら立ち上がろうとした。立ち上がろうとして、もう少しで腰が抜けるところだった。
 俺の目の前にぼんやりと突っ立っていたのは確かに都築で、見間違うワケがなかった。
 ただ、その目が……俺が本当はコッソリと気に入っていた、あの琥珀色の瞳が、今は白く濁ったようになっていて、白目は充血して真っ赤だった。
 こう言うの、映画で観たことがある。
 どんよりと白く濁った瞳は、もう死んでいる証拠だ。
 皮肉なこととか嫌味とか、偶にワケの判らないことをブツブツ言ったり、俺を嫁だと恥も外聞もなく誰にでも言うその形の整っている綺麗な唇の端からは、粘る唾液が糸を引いて垂れている。
 都築の筈だ、都築だった筈のソイツは、これ以上は下がれないほど壁に張り付いている俺をぼんやりと見下ろしている。
 脳裏に白衣に喰われている男子大生の姿がフラッシュバックしたけど、一瞬だけ、後悔もしたけど、でも自分自身で決めたことだから俺は気付いたらへへっと笑っていた。
 それから両腕を伸ばして都築を見上げた。

「目が覚めたんだな。なあ、大丈夫か?抱っこしなくていいのか?」

「……篠原?」

「! そう、俺だよ!判るのか??」

 双眸も雰囲気も人間ならざる者になっていると言うのに、小首を傾げている都築は呆けたようにコクリと頷いた。

「だ、大丈夫やけな!俺が助けてやるけ、一緒にここから出ような!都築を助けるち決めちょるけ、お前が大丈夫なら俺は…」

「なぁ、篠原……オレとセックスしてくれないか」

 意識があるんだって嬉しくなって思わず方言で喋っていた俺に、ゆらりと動いた都築が覆い被さるようにして抱きついてきた。

「はぁ?こ、こげな時になん言いよんのお前…」

「ちゃんとゴムも付けるから」

 自分の体液が悪さをしないようにって、変なところで気遣いを見せるのとか反則だからな。
 こんな状況じゃなかったら、映画とかだったら笑うシーンなんだからな!

「だから!こんな非常時にお前はッッ」

「だからだよ」

「…ッ!」

 不意に、何時にない真摯な声音で確りと、そして淡々とした静けさで都築は言ったんだ。
 何時もみたいなブツブツと仏頂面とかでもなくて、真っ赤に充血した白目のなか、もうこの世ではない何処かを見ているような頼りない、瞳孔も開いて白濁に濁ってしまった双眸を虚ろに揺らめかせながら、多分きっと、最後の未練が都築をこの世に引き留めてるんじゃないかって思った。

「…多分、オレはもうダメだと思う。いいんだ、それならそれで。ただ、心残りがあるとすれば、それはお前だよ篠原」

「そんなこと言うな」

「外で喚きまくっているあんな姿になるのはちょっとヤだけどさ、その姿でお前を喰うなんてのはもっと嫌だ。だから、お前は気にせずにここから出てなんとしてでも生き延びて欲しい」

 息苦しそうに肩を揺らしている都築は気付いているのか、いや、ちゃんと自分の状態は把握しているんだろう。している上で、できる限り俺に自らの意志を伝えようとしているんだ。

「何言ってるんだよ、アレは研究棟のヤツ等がなんかやらかしただけだ!だったら、国とかもっと偉い機関が動けば絶対に何とかなる!だから諦めるとか…」

「その前にお前を痛い目になんか遭わせたくねーよ。それに、そう思うんだったら、気安く置いていけるだろ?」

「嫌だ!嫌っち言いようやろうが!一緒にいる」

 覆い被さる都築に伸ばした両腕で、聞き分けのない駄々を捏ねる子供のようにその首に縋り付いて喚いた。

「なぁ…1回でいいんだ。お前の処女をオレに」

 抱きつく俺の背中に両腕を回して、都築はぎゅうっと抱き締めてきた。
 これが最期なんだと想いを込めるように。

「いいよ、そんなの幾らでもくれてやる!但し、一緒にここを出てからだ」

「オレは…あんな化け物みたいになってお前に噛み付きたくない!……ああ、もしかしたらオレはもうバケモノになってるのか?だから、こんな姿だと…そうだな、誰だってこんな不気味なヤツとなんか犯りたくねぇよな。そうだな…」

「…こんバカタレが!判った。でも、最期とか言うな。俺をずっと、その、だ、抱きたいんなら、助かることを考えろよ」

 何処か諦めたように俺から腕を離そうとする都築に自分から抱きついて、それから異形の相貌に成り果てていてもイケメンなところが非常にムカつくけど、その濁った目を見つめながら顔を真っ赤にして言うと、都築はちょっと呆気に取られたような顔をしてから、ふふっと笑ったようだった。

「……お前らしいなぁ」

「じゃないと、俺…お前がどうかなったら、他のヤツと犯るからな!」

「それはダメだ!絶対に嫌だ、お前はオレと…」

 ハッとしたように都築は緩めていた腕に力を込めて俺を抱きしめる。
 それがお前の本音なんだよね。
 俺のこと好きでもタイプでもないくせに、俺を誰かに渡すことなんて頭にもないんだ。
 思わずプッと噴き出してしまった。
 そんなお前だから、俺は……。

「そうだよ、だから」

 咄嗟に都築は避けたけど、それでも俺は、胸許をぐっと掴んで引き寄せて、粘る唾液が滴る唇にキスをした。

「篠原……」

 都築は驚いたようだったけど、額に汗を浮かべたまま、奇妙な見たこともない双眸を細めて、嬉しそうに笑っているみたいだ。
 それから治療のために…って言うかただ傷口を縛っただけなんだけど、その時に脱がしていた上着の上に俺を横たえながら、都築は発熱で熱くなっている指先を破れ被れのシャツの裾から忍ばせてきた。

「ん」

 ヘンな声が出て恥ずかしいやら居た堪れないやらだったけど、それでも俺は頑なに我慢した。だって、もう覚悟は決めたんだ。
 キスだってした、だったら、もう行き着くところまで行ければそれでいい。
 俺の乳首を指先で捏ねるようにして揉みながら、時折弾いたりするから身体がピクンピクンしてヘンな声が立て続けに口から溢れちまう。
 ギュッと唇を噛もうとしたら、覆い被さるようにして口唇が塞がれると、ねっとりとした舌が俺の舌を捕まえて絡めあって、それから軽く噛まれて吸われる。
 それだけでもう息も絶え絶えなのに、都築はキスをしたまま自分の口の端を拭って、それから何時の間にかベルトを引き抜いてジッパーを下ろしたズボンの中、おっきしているチンコじゃなくてその奥、そうだよ尻の穴に指を這わせてきたんだよ。

「んんッ……ふ、ん…」

 ヌルヌルと、あの滑る唾液を塗りこむようにして襞に擦り付けながら、ゆっくりと挿入してくる。
 驚くほどスムーズに指が入ったのは、もう何度となく夜のエロ学習とか、一緒に眠っている時に弄り倒された時の成果だと思うよ、畜生。
 慣らさないとな、と嬉々として言った通り、都築はその晩からウトウトしている俺を襲っては、ローションと言う強力な武器を片手に尻の穴に指を突っ込んではぐちゅぐちゅと卑猥な音を立てて弄んだ。
 今、同じことをされているのに、あの時のウザった感とか気持ち悪さが湧いてこないのは、多分きっと、俺がソレを受け入れているからなんだろう。

「!」

 夢中になって互いの口腔を貪っていた都築は、ハッとしたように目を瞠って、瞼を閉じたまま悪戯が成功して緩く笑う俺を見下ろしたようだった。
 だって、ヤラれっぱなしとか普通に巫山戯んなって思うよね。
 だから、ジッパーを下ろして挿入する準備をしてる都築のフルおっきしてるチンコに指を滑らせて、それからやわやわと握り込んで扱いてやったんだ。

「ふ…ッ」

 堪らないように吐息する都築が唇を離して、俺の悪戯な手指を掴もうとするのを嫌がって、俺は逃げる唇を追いかけてまたぶちゅってキスをしてやった。
 とは言っても所詮俺の経験不足なキスなんだから、都築みたいなエロいキスはできない。
 言葉通りのぶちゅってキスに、都築はちょっと笑ったみたいだけど、俺に扱かれてチンコがビクビクしてるから気持ちがいいんだろう、眉根を寄せて何か耐えているみたいだ。
 尻穴への弄虐を再開されたから思わずヒンヒン言ってしまうけども、先走りでびちょびちょになりながらも手は緩めずに俺も都築を追い詰めてやる。
 こんな非常事態で都築なんか本当の意味で目の色だって変わってんのにさ、お互いの弱いところを弄りながら、伸ばした舌を絡めてエロいキスをして喉を鳴らして唾液を飲む。
 こんな時だからこそ生存本能で身体がヤル気になりまくってんのか、びちょびちょでガッチガチで血管を浮かべてゴリッゴリの都築のチンコのカリをグニグニしたり鈴口を穿ったりして追い立てると、随分前に見つけられてしまった前立腺とかって言うシコリみたいな部分を引っ掻くようにして弄ばれて叛逆に遭う。
 でもお互い声はエロいキスで封じられてるから、ぐちゅぬちゅと厭らしい音が響くだけで耳まで犯されるんだ。
 ぐ…ぅと都築がキスの合間の口許から声を漏らして俺の手に擦りつけるように腰を振りながら、俺のチンコに熱い精液を浴びせかけると、同時に俺が尻を弄られるだけで触られもしていないのに爆発してボロボロに破れてるシャツと腹が2人分の白濁に塗れた。
 はぁはぁと荒い息を吐きながらべったりと汗で貼り付いている前髪を掻き揚げつつ腹に飛び散った白濁を撫でさするようにして、それからぬっとりと指を引き抜かれてヒクつく尻を都築に向けると、もじもじと足を擦り合わせて恥ずかしくて仕方ないんだけどチラッと、ゴクリと咽喉を鳴らす都築を見上げた。
 都築は顳顬から滴る汗を顎から零して、たった今達ったばかりのチンコを扱きながら、ペロリと上唇を舐めて、既にこの世ならざる者のような双眸でじっくりと視姦するように俺の痴態を凝視し、目許に凄絶な色香を惜しみなく撒き散らして、1回出してるってのにまだバキバキの存在感たっぷりで既に臨戦態勢のチンコを扱いて見せつけてくる。
 今日こそは犯られるんだ…痛いだろうし怖い。
 だけど、顎に汗を滴らせる都築の人ならざるくせに悩ましげな双眸と目線を交えていたら、怖いよりもそれを上回る何かが胸を去来するから…そろそろと股を開いてから恥ずかしくて真っ赤になる。
 一瞬目を瞠った都築はゴクリと咽喉を鳴らして眉根を寄せて何かに耐えると、軽く息を吐いてから開いた俺の膝をガシッと両手で掴んで、グッと押し開いた先に腰を進めて先端を尻にぐにゅぐにゅと擦り付けてきた。
 怖い怖い…でも、これが都築の願いなら俺は…

「挿れるぞ」

 都築の絶対的な宣言に、観念して瞼を閉じた瞬間───…

□ ■ □ ■ □

『ぴんぽんぱんぽーん♪』

 底抜けに呑気な音が響いて、挿入のショックに堪えようと閉じていた瞼が引き攣るようにして開いた。
 同時に、何故か都築の舌打ちが聞こえる。
 なんでだ?!

『ただ今の時間をもちまして、経済学部の催し物【ソンビランドパニック】が終了しました。お楽しみ頂けましたでしょうか?それでは、爆破後の研究棟・トラック・白衣集団・自衛隊の皆様(偽)・ゾンビ化している皆さんなどは後半のアトラクションとしてお楽しみください。なお、動画や写真の撮影、SNSへの投稿などに関しては【ゾンビランドパニック】に登場した人物と建物に限り許可されています』

 相変わらずの淡々とした鈴木の声に、一瞬我が耳を疑った俺は、呆然としているところを無理に挿入しようとした都築の腹を蹴飛ばした。

「…………は?」

 ムクリと、何がなんだか判らないまま起き上がる俺。

「…」

 腹を蹴飛ばされてもビクともしないくせにわざと倒れるフリをして唐突に無口になる都築。

「………ゾンビランドパニック?」

 精液塗れのボロボロのシャツと脱げかけのズボンとパンツ姿で呆然とへたり込んだまま言葉が零れ落ちた。
 何言ってんだ、鈴木。
 今、大学内は大変なことになっているんだよ?何、映画のタイトルみたいなこと言ってくれちゃってるワケ??

「……」

 追いつかない頭には鈴木の最後の言葉が燦然と響き渡っている。
 人間て言うのはさ、極度の驚きの衝撃に最初は呆気にとられるんだけど、次にワケが判らない感情がこうドバーッと溢れてきて身体がぶるぶる震え出して、脳みそがその時になって漸く現状を理解しようと動き出すモンなんだなぁ。
 ってか待て、アトラクションってなんだ?!

「……アトラクションって、ええ?えええ?えええええええええぇぇぇ??!!!」

 今の俺みたいにな。

「……………すまん」

 倒れるフリをしていても仕方ないと思ったのか、頭をガシガシと掻きながら何時もの仏頂面で都築の野郎は何でもなさそうに起き上がりやがる。

「すまんじゃねぇだろ、何言ってんだお前。つーか、なんで普通に起き上がってるんだよ。さっきまでの苦しみはどうしたよ?!」

 どさくさに紛れて抱きつこうとするな!脱げかけていたのを穿き直そうとしているズボンを下ろそうとするな、尻を揉むなッッ!

「くそッ、アイツもう少し時間を稼げなかったのか!もうちょっとで篠原の処女を…」

 邪険に振り払われながらも屈しずに抱きつきながらブツブツと悔しそうに吐き捨てやがるんだぜ、コイツ。

「お前ぇぇ…さてはぜんっぜん反省してねぇな?!」

「いや、黙っていたことは悪かった反省している」

「違うだろ?騙してたことだろ…ってじゃあ、さっきのハアハアとかその目の色がおかしいのとか、全部偽物なのか?齧られた傷も本当に全部嘘だったのか??」

 都築は俺の表情で全部嘘でしたと言ったらとんでもないことが起こるんじゃないかとか考えているのか、よくできている真っ赤に充血した白目のなか白く濁った(ように見える)瞳をキョロキョロ動かして、動揺したような仏頂面で珍しく視線を外しやがるから、だから…

「全部嘘なんだな?!お前、何処も痛くないし苦しくもないんだよな??!」

「…ああ、全部アトラクションの一環だ」

 都築は観念したようにブツブツ言って、そうするともう隠すこともないと開き直って通常運転で俺を凝視してくるよね。
 何時もだったら凝視されて軽くクリティカルを貰うところだけど、今日の俺はちょっと違うんだ。

「なんだ…そっか、そうか。よかった…俺さ、ホントはもうお前がダメなんじゃないかって、だったらもう、ここで一緒に居てやろうって思ってたんだ…でも、よかった、本当に何もなくてよかった」

「篠原!オレは…ッ」

 ホッとして潤んだ目で都築の顔を見上げたら、感極まったように都築は両手で俺の頬を包み込もうとしたようだったけどそうはいくかよ。

「だからって許すとかは思うなよ…クソ野郎。どれだけ俺が心配したと思ってるんだ?!ってか、なんだよ『ゾンビランドパニック』って??!」

 邪険に手を振り払って思い切り都築の顔をバッチンと叩いて強引に押すようにしてキスしようとする顔を引き剥がすと、そうしながら俺はプッと頬を膨らませて怒ってるんだぞと態度で示した…ってのに都築のヤツは、「クソ!また可愛い顔しやがって」とかなんとかまたしてもぐぬぬぬって感じでよく判らないことをブツブツ言いやがる。
 とは言え、俺の掌を顔に貼り付けたままで、真っ赤に充血した白目のなか、俺を不安にさせる白く濁った瞳でジックリと視姦さながらに凝視しつつポツポツと事の次第を話し始めた。
 勿論、冷たいコンクリの上に正座でな。

「それはその…篠原はパニック映画が好きでよく観ていただろ?だったら、今度の学祭の催し物で大学ジャックして映画の世界にしたらどうかって考えたんだ。知っているのはごく一部の生徒と学長と副学長だけで、タイトルはアレなんだが、突発的に大学内にゾンビではない何かが蠢いたらどうする?的なだな、その…」

 何言ってんだコイツ。

「………」

 ちょっと絶句して、都築の頭の中身もちょっとよく判らないし、考えるだけでもそのスケール感に口が開かなかったけど、それを実現するとか……まあでも、コイツのことだからお小遣い使おうかぐらいの感覚で思い付いたんだろう。

「幾らぐらいかかったんだよ?」

 都築の顔から掌を剥がすと、予想に反してちょっと残念そうな顔をしやがるから眉も寄るけど、下世話上等で聞いてやる。

「そんな大した額じゃない。できるだけ傷口や見た目をリアルにしたいのと、建物やちょっとした細工なんかも本格的にしたいってこともあってさ。あとシナリオにも信憑性を持たせたかったからハリウッドで活躍しているシナリオライターと特殊メイクアップアーティストとエンジニアを呼んだぐらいだ。あとはトラックとかエキストラだとかそれぐらいだからさ」

 そんなにお金は使ってない…って目線を逸らすのは失敗してるだろ。
 つまりお前は、怒られる金額だと判っていて計画を立てたってワケだな。
 何を考えてるんだ、コイツは。

「…大掛かりにもほどがあるだろ?こんな建物のなかでずっと話してるだけだったのに」

「いや、それはオレの誤算だ」

「…は?誤算??」

「そうだ。本当は白衣の属をあの場で殴るんじゃなくてお前を連れて走り出すって計画で…」

「え?ちょっと待って?!アレ、属さんだったのか??」

 ちょっと痩せぎすっぽくて青白い顔して虚ろな目付きで…ってうわー、全然気づかなかった!つーかメイクアップもすげーけど迫真の演技の属さんもすげぇ!

「そうだ。予定が狂ってビビっていたみたいだが巧い具合に立ち回ってくれた。あそこで白衣役の属を振り払って、エキストラの噛まれ役たちと行動を共にする。その経緯で大講堂に逃げ込む手筈だったんだよ。そこで噛まれ役たちが発症して、オレと篠原で大講堂から逃げ出す、そうするとトラックが乗り込んできて自衛隊(偽物)がオレたちを誘導…と見せかけて、実は別で助けた噛まれ役に噛まれてたって体で発症して凶暴化してオレたちを襲ってくる。そこでオレは篠原を庇って噛まれて、この建物に逃げ込んで篠原の処女を奪う計画だった」

「すっげ!本当の映画みたいじゃないか、ショートカットされてもまるきり信じたし、そこまでされたら俺種明かしされてもすぐには信じられなかったと思うよ。うわー、ショートカットとか勿体無いなぁ…ああ、そうそう。最後の気持ち悪い内容は聞こえないからさ」

「なんでだよ?!」

 精液塗れの俺のこのボロボロの姿を見てみろ!まんまと騙されたんだぞ、畜生。

「勝手にこんなところで他人の貞操を云々してんじゃねぇよ!…どうして、あそこで属さんだった白衣に噛まれたんだ?…て言うか噛まれたところを見てなかったんだけど」

 「せっかくドラマチックな展開を考えたのに」「もう少しでオレのモノだった」「次に向けての宿題だな…」とかとかとか!最後また何か考えてるみたいなよく判らないことをブツブツ言っている都築に呆れ果てて聞いたら、真っ赤に充血している白目の中で、白く濁っている瞳でチラッと俺を見下ろしてから、都築のヤツは形のいい唇を尖らせて、やっぱり仏頂面でブツブツ言いやがる。
 どんな姿になっても超イケメンは超イケメンってのはホント、やっぱムカつくよな。

「……お前が襲われたのを見たら頭に血が上った」

「は?」

「属の野郎、ここぞとばかりに触りやがるし、お前が青褪めてるのを見たら頭に血が上っちまってさ。気付いたら殴ってた」

 まあ、勿論本気じゃなかったけどと、武闘家の本気は確かに見たくなかったので良かったんだけど、それにしてもあんなことぐらいで頭に血が上るなんてちょっと単純がすぎやしないか、都築よ。

「だから噛まれる設定はそこにはなくて、勢いでお前に信じ込ませるしかないからシナリオがガラッと変わったのはもう仕方なかったし、あとはアドリブでなんとか…って思ってたんだが、思ったより感情移入しちまって、最後は本気で死ぬ気になってたなオレは」

「俺だって道連れの気分だったよ、畜生!アレが全部演技だったとか、未だに信じられないからな!…でもまあ、いいや。そこそこ面白かったし、今回は大負けに負けて許してやるよ」

「そうか…あ、この腕の傷は仕込みだ。押すと流血する仕組みになっている。特殊メイクだ」

 やれやれと溜め息を吐いてガックリ項垂れていると、少しは申し訳ないと思ったのか、都築は腕に巻いているシャツの切れ端を丁寧に取ってポケットに仕舞ってから、噛まれたようにグチャグチャになっている腕を見せて種明かしをしてくれた。
 グッと押したら残っていた血液のようなモノが少しだけピュッと噴き出した。

「うわ!ホントだ、すげぇな」

 偽物だとは判ってても異常にリアルだから恐る恐る、こわごわ指先で突ついてみると、やっぱり少しだけピュッと血液みたいなものが噴き出てスゲーって感動していたら…

「ッ」

「え?!ホントはやっぱ痛いんだろう?!大丈夫か!」

 痛むのか眉根を寄せて顔を歪める都築に吃驚して、それから俺は慌てて傷付いている腕を摩りながらその顔を覗き込んだ。覗き込んで…んん?!

「はは、冗談だ」

「ざっけんなよ!こんバカタレがッ…ってことは、あの熱も嘘なのか?どうやって…」

 グーで殴る俺に軽く笑って両手を挙げると「悪い」と(何故か)嬉しそうに謝った都築は、俺の疑問に「ああ」と額の汗を服の袖で拭いながら頷いて教えてくれた。

「これは単純にホッカイロだ。服の下に厚手の布を巻いててさ、その上にカイロを幾つも付けているんだ」

「そりゃ汗も出るよな…なんだよ、お前のその涙ぐましい努力は」

「熱とかあった方がリアルだろ?目の特殊メイクも必要だったから、少し睡眠系の薬を噴霧してお前を眠らせてから…」

「ちょっと待て!俺、あの時強制的に眠らされたのか?!」

「そうだ。普通、人間は極度の緊張に少しの隙…今回の場合はオレの目覚めだけど、それで安心して眠ると思うだろ?映画とかでもお馴染みのシーンだ。だが、本来は極度の緊張に少しの隙は、却って不安を煽って眠気なんか一切こない。眠れるワケがないんだよ。だから強制的に眠って貰った」

 因みにオレは息を止めていた…んだそうだ。
 やっぱ、すげー手が込んでるな。
 まあ、ホラー映画のアレは俺もおかしいなとは思ってたんだけどさ。アドレナリンどばーって出てるのに眠るかなって、脳が自己防衛で強制終了させようとしてるのかとか考えもしたけど、命の危機が迫ってる時に強制終了したら本当に終了するもんな、脳だって眠らせないようにするんじゃないのかな。
 でも、そんなこと言ってたら映画として成り立たなくなるから仕方ないだろう。
 都築の解釈は正しいと思うけど、勝手にクスリを盛るな。
 何度も言うけど、盗聴と盗撮と同意なく体液やクスリを飲ませるのは犯罪なんだからな!そう言っても絶対監視カメラは防犯とか言ってやめねーからなぁ、困ったヤツだ。

「本当はリアルさを追求して、肌にも薄っすら血管を浮かせるとか、いろいろ考えたんだがやめた。肌は触れ合った時にバレる可能性があるからさ。今のメイクは触っても取れないとか技術力が向上しているんだが、少しでもバレる可能性があることは排除したかったから仕方ない」

 目の特殊メイクは確かに凄すぎる。瞳孔とか開いてるようにちゃんと見えるんだからさ。

「……」

 でもお前、尤もそうに言ってるけど俺を犯る気満々だったもんな?
 暑いと言って黒いシャツを脱ぐと、都築が言ったように同色の厚めの布が引き締まった見せ掛けじゃない筋肉を覆っていて、それを引き剥がすと布と布の間に貼り付けられるホッカイロがビッシリと貼られていた。
 こりゃ相当暑かっただろうなと思って、あの汗と尋常じゃない熱さはこれのせいだったのかとようやく納得できた。
 それで俺、この時になって漸く、本当にアレは都築が仕掛けた壮大なドッキリで、都築は何処も噛み付かれていないし、健康だし、あの目も偽物だって信じることができたんだ。
 ……でも、よく考えるとさ。
 今回の件って俺の、まあ外国だと童貞もヴァージンって言うぐらいだから語彙はないんだろうけど、都築の言うのは全く意味が判らないってことは置いといて、俺のその、尻の処女を狙って一計を案じたってワケだろ?
 なんだろうな、この執念…俺のこと、好きでもなければタイプでもないくせに。

「お互い酷い有様だ……あれ?興梠のヤツ、何をやってるんだ」

 俺の格好をジックリと舐め回すように見ていた都築は、何処か断腸の思いみたいな決心をして(意味が判らない)、「酷いけど最高だ」「俺のモノだ」とかブツブツ言いながら正座を崩して立ち上がると…ってほんとコイツは何処ででも正座ができるヤツだよな。俺だったら痺れてよろけるだろうに、ケロッと立ってスマホを耳に当ててるんだからさ。そう言った感覚が極端に鈍いんじゃないか都築って。
 訝しむ俺を無視してスマホで興梠さんを呼び出したみたいだけど、数回のコールでも出ないようで怪訝そうに眉を寄せて首を傾げている。
 それはスゲー珍しいことで、都築に黙って付き纏うことはあっても、姿を見せずに電話にも出ないなんてことは有り得ない。

「あ!アレじゃないか。電波障害で呼び出せないとかって…」

「いや、電波障害も仕込みだから今は解消している」

 なぬ?!電波障害も仕込みだったのか?!!
 いやもうこれはダメだろ。とんでもなくお金を遣っているとしか思えない。

「…都築、あとで総額をちゃんと教えろよ。教えなかったら今後一切家に入れないし触らせない」

「判った、あとでちゃんと教える。属か?お前、まだ白衣集団を演ってるのか」

『それが興梠さんと連絡が取れないんで俺だけ離脱してンすよ。インカムも切れてるみたいで』

 都築がスピーカーにしてくれたおかげで属さんの報告が筒抜けだ。
 インカムって、あの耳に何時もしてるイヤフォンのことかな。だったらそれも切れてるなんて、いったいどうしたんだろう…

「興梠は今回の統括責任者だ。故障ならTASSの連中から連絡があるだろう」

『今回はこんな騒ぎなんで不測の事態も考慮されてるんスよ。折角のイベントに我々が踏み込んでは無粋じゃないッスか。そんなワケで興梠さんが不可抗力で離脱した場合の権限は俺が引き継ぐことになってます。まあ、この騒ぎなんで誰かにぶつかったとかのショックで一時的に不通になってるのかもしれないッスけどね。ところで坊ちゃん、興梠さんを呼ぶってことはうまくいったんスね?!良かったッスねー!今夜はお祝いだ』

 ゲフンゲフンと都築が態とらしく咳なんかするから、俺はコホンと咳払いをして満面の笑みで言ってやった。
 見惚れてくれなくていいんだよ、都築。
 お前の為にやったんじゃねぇ。

「なんのこと言ってるのかサッパリですけど、ドッキリは成功しましたが俺は無事ですよ」

『あ…』

 何かを察したらしい属さんがスンと黙ると、バツが悪そうに都築のヤツはもう一度咳払いをして言ったんだ、偉そうに。

「そのことはどうでもいい。興梠の件はここを出てから考える。責任者代行は了解した。兎も角お前は用意しておいた服を持ってここに来い」

『あー、坊ちゃんの服ですよね?』

「いや、オレと篠原の分だ」

『へ?篠原様無事なのに服は着替えるんッスか??……あ』

 どうやらまた何やら察したような属さんが、申し訳なさそうに『了解でッス!すぐに行きます』とアタフタと通話を切ったみたいだ。
 残念そうな溜め息を吐いてスマホを片手に、都築は腰を抜かしてるワケじゃないけど呆れと張っていた気が一気に緩んで床にへたり込んでいる俺をマジマジと見下ろしてきた。

「なんだよ?」

「いや、その姿のまま持ち帰りたいなと思っただけだ」

 そう言っていきなりカシャカシャと片手のスマホで写真を撮り始める。とは言え俺も慣れちゃってるからさ、別に驚きもしないけど。
 ただ、こんな臭い状態でお持ち帰りされるとかは冗談じゃないけどね。

「服まで用意してるなんてどんだけ用意周到なんだよ」

 俺が呆れていると、いろんなアングルから異形の目をした都築が写真を撮ってるなんてシュールな光景に目眩がしそうなのに「服を破って手当てしてくれるかと思って…」「夢みたいだった」「オレは嫁に愛されてる」とかなんかワケの判らないことをブツブツ言うから反論しようとしたのに、重そうな鉄の扉を意に介した風もないノックが響いてちょっとビビってしまった。トラウマな。

『一葉様、いらっしゃいますか?』

 くぐもったように聞こえる声は間違いなく興梠さんのモノで、連絡が取れない(演出)→突然の来訪…これはもしや第2のドッキリか?!と、騙されないぞと身構えて都築を見ると、撮影の邪魔をされたことに対してもだろうけど、怪訝そうに眉根を寄せて通常運転の仏頂面で首を傾げている。
 あれ?都築も驚いてんのかな…でもコイツ、演技が上手いからなぁ。

「興梠か?鍵は空いてるから入って来い」

 へ?鍵はガチャンって掛かったよな??それから都築が開けに行ったとこなんて見てないから、空いてるワケがないんだけど…

「この倉庫自体がセットだから、鍵の音はするようにしているが最初から鍵は掛からない仕様になっている」

 人間は音で鍵が掛かったと認識すると、疑うことをしないからさと首を傾げている俺に都築が尤もそうに言いやがるけど、スケールの違いに驚きすぎてもう吃驚する反応を返すのも億劫になってきた。
 これ、今回の一連の出来事、マジでただの演出だったんだなぁ…都築、もう会社経営とか辞めて映画でも撮ればいいのに。主演も都築でな。

「先ほど、外で属に会いまして荷物を預かっております。属は白衣役に戻しました」

 無責任なことを思ってうんざりしていると、興梠さんが何時ものダークスーツに人を2、3人は殺してんじゃないかってな面構えで入って来て、手にしていた紙袋を都築に手渡した。

「ああ…お前、インカムが切れていたそうだな。電話にも出なかったが何かあったのか?」

「ご不便をおかけして申し訳ございません。外部からの入場がなかった分、大きな混乱は起こらなかったのですが、それでもパニックには陥ってしまったので数人の暴徒に遭遇してしまいインカムに不具合を出してしまいました。聞こえるが通話ができない状況でした」

「なるほど」

 俺たちの大学の学祭は、一般人の入場は2日目と決まっていて、1日目は大学内の連中が楽しむためだから都築もこの日を狙ったんだろう。でも、想定外のことって起こるからまあ、興梠さんも災難だったなってことだ。
 属さんの予想した通り、どうやら逃げ惑う連中とか暴れてる連中に遭遇して、興梠さんのインカムが破損したみたいだ。都築はそれに納得したように頷いていたけど、訝しそうに眉を寄せてチラッと興梠さんの背後を気にしたみたいだった。

「電話に出なかった理由は、まさかソイツのせいか?」

 偉そうに顎で示した先、興梠さんのダークスーツの背中部分をギュッと掴んで真っ赤な顔を俯けている人物が目に入って、そこで初めて俺は、興梠さんが独りじゃないことに気付いた。

「…って、え?あれ、百目木か?!」

「よ、よう」

 何とか興梠さんの背後に隠れようとしつつも、バレてしまっては仕方がないとでも思ったのか、百目木は真っ赤な顔に不自然な…って言うかヘンな笑顔を浮かべて空いているほうの手を振って挨拶してくる。
 あ、今俺スゲー恰好してるから気遣ってくれてるのか?!うっわ、だったらスッゲ恥ずかしい!

「パニックになった連中に倒され踏まれそうになっていましたので助けました。インカムに不具合があるものの状況は掴めていましたので、下手に介入するよりはと思いまして、智嗣さんと安全な場所に退避していました」

 都築の質問に直接答えない形で興梠さんが言うと、都築は大して興味がなさそうに「へぇ」と相槌を打つぐらいだ。

「瞳さんのおかげで助かったよ。その、都築たちのところに駆けつけるのが遅くなったのは悪いと思うけど…」

 都築はどうでもいいって顔をしているけど、俺は一連の会話の違和感にバッチリ気付いていた。
 息を呑んで成り行きを見守っていたんだけど、いたんだけど、どうしても確認しないと違和感のヤツがジッとこっちを見やがるし、意味もなく叫びだしたくなるほどジッとしてられない。

「…って言うか2人とも、なんか名前呼びとか親密度上がってないか?」

 ハハハ…と乾いた笑いを浮かべながら恐る恐る聞いてみる。
 だって!だってさ、俺なんか都築と出逢ってからこれだけ長く一緒に居るけど、興梠さんの名前が『瞳』と書いてアキラって読むとか知らなかったしな!入学からこれだけ長く居るのに百目木を『智嗣』でともつぐじゃなくサトシって名前で呼んだこととかないし!
 百目木は顔を真っ赤にして困惑したように眉を寄せて俯くけど、興梠さんは何処吹く風のような動揺も見せない表情で、それからニッコリと満面の笑みだ…意味が判らない。

「…主より先と言うのは心苦しいと思っておりましたが、一葉様ならびに篠原様、このような場所での報告となり大変申し訳ございません。来月わたくし興梠瞳は百目木智嗣と入籍する運びとなりました」

「!!!!!」

「え…ええ?あ、瞳さん?!」

「ふーん」

 三者三様の反応も全く意に介さない興梠さんは、え?なんでお前まで驚いてんだよって思っている俺の目の前で、思い切り動揺している百目木の腰を抱くようにして引き寄せると幸せいっぱいの表情を晒している。
 お前、もしかして聞かされていなかったのか…って聞きたい俺が愕然として見上げている横で、いい匂いのする温かい濡れタオルをジップロックから取り出して俺の破れた服を脱がそうとする都築はちょっとムッとしたような表情で片目を眇めている。

「漸く念願叶って手を付けたから早速囲い込むって算段かよ」

「念願…って?!はぁ??」

 大人しく服を脱がされて温かいタオルで身体を拭かれながら目の前の異形の目を持つ都築を見つめて首を傾げていると、ヤツは教育係兼お世話役が取られるからオコなんてことではなく、純粋に先を越されたことにオコしている感じで唇を尖らせたみたいだ。
 なんだ、それ。

「犯罪者のような言われようですが…まあ、そうですね。来週にはこちらへ引っ越して頂き、来月には籍を入れます。智嗣さん、異論はないですね?」

「え、あ、は…はい」

 勿論、異論は受け付けないって顔をしてる興梠さんに百目木が反論できるワケもなく…って突然のサプライズなプロポーズとでも思っているのか真っ赤になってる百目木も満更じゃなさそうだよ!全然反論する気ゼロだよ!!

「え?!待って待って!!今日1日で何があったんだ??!それとも、ずっと興梠さんと付き合っていたとか…?」

 気恥ずかし気にモジモジしていた百目木は、目線でちょっと俺に説明したいとでも伝えたのか、いや、目線で判り合える仲になっていたのか、お父さんどうしていいのか判らないぞ…とかなんか俺半端なく混乱してるぞ。
 興梠さんから離れた百目木がこちらに来ると、甲斐甲斐しく俺の世話をしている都築が一瞬凄まじい目付きで睨んだようだったけど、俺に背中を押されて渋々したように興梠さんのところに行って場所を交代した。
 地味じゃなく真剣に睨むなよ。

「今日さ、こんなアトラクションがあるとか知らなかっただろ?だから構内を独りでうろついてたところであのパニックだったんだ。逃げ惑う連中に押されて転んだところで瞳さんが助けてくれて、取り敢えず安全なところに行こうってことになって誰も使っていない空き教室に逃げ込んで、それで…」

 百目木はそんな華やかな顔じゃないしどちらかと言えば平凡なヤツなんだ、それなのに、頬を染めて目線を下げて恥じらっている姿は、静かな奥床しさがあって都築の派手なセフレのユキたちとは違う趣のある面立ちに見える。
 やっぱその、男同士ではあるんだけど、コイツ今、興梠さんと恋をしているんだろうか。だからこんな風にちょっと気恥ずかしそうな幸せそうな、そんなちょっと吃驚するような表情を浮かべているのかな。

「…お前たちもどっかに逃げてるかもしれないし、瞳さんは都築の護衛兼お世話係だろ?だから、俺は別に死んでも悲しむヤツなんてもう誰もいないし、都築やお前が傷付くと悲しむ人がたくさんいるんだから置いて行ってくださいってお願いしたんだけど…瞳さんはそのまま残ってくれてイロイロ話をしているうちに、その…」

 顔を真っ赤にしてモジモジしている姿を見れば、聞かなくてもエッチに雪崩れ込んじゃいましたってコトは百目木の雰囲気でよく判る。気怠げで幸せそうな、よく塚森さんが都築んちで浮かべていた表情に似てるからさ。とは言え、つい先日まで、カナちゃんがーって愚痴ってたヤツとは思えない転身ぶりに…カナちゃん事件で女の子がダメになって、こんなパニックの吊り橋効果で興梠さんに転がったんだとしても責められないよなって俺は思うワケだよ、うん。
 でも、そうか…興梠さんとその、下世話な話だけどヤっちゃったんだな百目木。

「せ、責任は取るって言ってくれたんだけど、まさか入籍とか聞いてなかったからさっきは驚いた、でも、やっぱその、長い人生を一緒に居てくれる人がいるのってちょっと嬉しいかなって…」

「…吊り橋効果でそんな気になってるだけとかじゃなくて?」

「うん…俺、どうやら自分が思っていた以上に家族が死んだのがダメージになってたみたいでさ。そう言うところを瞳さんは判ってくれていて、ずっと色んなことを話している間に気付いたら好きになってた。できれば…離れたくないと思ってる」

「……」

 ああ、そうか。俺、親友のそんな大事なことにも気付いていなかったんだな。自分のことで手がいっぱいで…なんて言い訳で見ていなかったんだろう。

「やっぱその、気持ち悪いよな。ごめん」

 勘違いした百目木がショボンと俯いたりするから、そうじゃないんだって俺はその肩を叩いて笑った。
 まあ兎も角、俺のあられもない姿を見て動揺してたワケじゃなさそうなんで良かったよ。
 ヘンなモン見せたって思ってたのはこっちの方なんだからさ。

「バーカ!誰が気持ち悪いとか思うかよ。都築みたいに気もないのに触ってきたり一緒に居たがったりするとかなら気持ち悪いけど、興梠さんはそうじゃないんだろ?」

「あ、うん…その、ずっと好きだったって言ってくれた」

 へへへっと照れ臭そうに頭を掻きつつ笑う百目木を見ていたら、俺別に同性愛とか気にならないし、好き合ってるのなら一緒に居ればいいって思ってるぐらいだから、吊り橋とか勘違いとかじゃないのなら祝福だってするに決まってる。
 ずっと寂しかった百目木が、幸せになれるなら、それがどんなカタチだって悪かないだろ?
 …ただ、あの凶悪な面構えの興梠さん、ずっと百目木のことが好きだったんだな。全然気付かなかった。

「今の状態の智嗣さんをこのまま大学に残らせるのは非常に気懸りですので、現場の責任を属に一旦代行させ、その間に智嗣さんを自宅に送り届けようと思っています」

「ああ、責任者はお前だ。好きにするといい」

「有難うございます」

「あー、それからカナの件なんだが…」

 都築は興梠さんと百目木の関係がハッキリしたのなら、大問題の百目木の元カノにして都築の元セフレのことを、ちょっと言い難そうに頭を掻きながら切り出した。
 そうだ、ちょっとは反省しろ。自業自得なんだよ。

「存じております。私の宛がった男では飽き足らずに智嗣さんに悪さをしたようでしたので、男ともども軽くお仕置きをして放逐しました。もう、手出しはしてこないでしょう」

「ハッ!なるほどな、お前のお仕置きならカナも随分大人しくなってるだろ。…それで来週に引っ越しってワケか」

「……」

 興梠さんは何も言わずにただただ静かに微笑んでいる。
 でもその笑顔がホラーレベルで超怖いと思うのは俺の気のせいかな…たぶん、カナちゃんがラブホ代わりにした部屋にもうどんなことがあっても百目木を置いておきたくないと思ってるんじゃないかな。
 冷ややかな微笑に背筋も凍るわ百目木は嬉しそうにニコニコしてて毒気を抜かれるけど、多少は都築にもお冠なのかもしれない。その表情からでは全く判らないけども。

「式は挙げないのか?」

「そうですねぇ…入籍など落ち着いてから、一葉様と篠原様だけを招待させて頂き、静かに挙げるのも悪くないとは思っておりますが」

 俺がそこはかとなく圧のある笑顔にゴクリと息を呑んでいるのに、都築のヤツは解決したならそれでいいってな感じでニヤニヤしてるんだから…その厚かましさがいっそ羨ましい。

「…まさかお前がこの機に乗じるとは思っていなかったが、恋愛らしい恋愛をしたことがない興梠がうまくいったんなら、主としては喜んでやるよ」

「個人としては先を越されて腹立たしくとも…ですか。大人になりましたね、一葉様」

「うるせーわ、もう行け」

 どうやら向こうも一段落したようだし、これからエッチ後の気怠さを撒き散らしている百目木を思い切り心配している興梠さんが連れて帰るって言ってるから、取り敢えず俺たちも着替えることにした。
 興梠さん本気なんだろうかって疑っていたんだけど、よろけるし足許も覚束ないしでハラハラする百目木を、優しく微笑みながら…そう、ここが大事だぞ。微笑みながら、俺は胡散臭いほほえみ以外は一度も見たことがない、都築に聞いたら興梠は優しく笑うのか?とか言ってたぐらいだから、それぐらい気心を許して確り百目木を抱きかかえる勢いで庇うようにして出ていく姿を見ていると、やっぱりもう、疑う余地なんかないよね。
 なんかワケが判らない都築が仕掛けた大掛かりなドッキリ、『ゾンビランドパニック』は、本人の思惑とは違ったところでホラーパニック系には珍しいハッピーエンドになったワケだから、このイベントはなかなかの良い出来だったんじゃないかって思ったり、そんで興梠さんにからかわれたのと的外れの結果に本当に不機嫌そうな都築を横目に眺めていたら俺は思わず噴き出してしまっていた。

□ ■ □ ■ □

「都築は興梠さんが百目木を好きだって知ってたのか?」

「興梠にしては珍しく意識していたからさ。そうなんじゃねーかなとは思ってた」

 服を着替えてセットの倉庫から出たらもう外は薄暗くなってて、構内のパニックがアトラクションの演出だと知った学生連中は、夜の部に突入してることもあってかそれはそれはわーわー賑やかに盛り上がってた。構内をゾロゾロ歩いているゾンビ化?した白衣の集団とか自衛隊(偽)とか噛まれ役だった生徒たちの動画やら写真をパシャパシャ撮っているのはちょっとした見ものだったけどさ。
 でも勿論、本格的に特殊メイクをしている超イケメンが無視されるはずもなく、寄って集って画像とか動画を撮られているようだったけど、何気に苛ついていたらしい都築は俺と肩を組みながらガオッと噛むふりとかして愛嬌を振り撒いて俺を巻き込みやがった。
 おかげで、その日のSNSのトレンドとか言うのに『イケメンゾンビ』とか『大学生を襲う』とか『ゾンビランドパニック』が堂々と登場していたらしい。らしいと言うのは俺も都築もSNSはやらないので、情報通の属さんが教えてくれたんだけどね。
 トレーラーとか内緒で撮っていたらしくて、イベントが開始されると同時に外部に向けて放映された超絶イケメンゾンビの都築が最後を飾るトレーラーはこれも動画サイトの上位を占めていたらしい。
 外部の連中ができれば参加したかったって話題になったみたいだけど、これはまた別の話だ。
 本来は今日1日ゾンビ化?メイクをして練り歩くって手筈だったらしいんだけど、都築が飽きた…目の痛みを訴えたから都築のみお役御免になって、今こうしてグラウンドの良さ気なところで花火が始まるまで待機しつつ、今回の件とか話をしているワケなんだ。
 まあ勿論、家にいる時みたいに背後から抱き締められながら、厚い胸板を背凭れ代わりにしている寛いだ姿勢ってのはどうかしてるんだけどさ。

「そっかー、俺は全然気付かなかった」

「まあ、興梠だしな。オレ以外は属でも気付いていないだろ」

「属さんかー…、そう言えば、よく見たらイケメンとか言われて、さっき女子たちに囲まれてパシャパシャされてたな?」

 プッと噴き出したら、「アイツは楽しんでるからいいんだよ」とか相変わらずデフォの仏頂面のクセに面白そうにブツブツ言ってる。

「この計画ってもしかしてさ、俺んちで鈴木と見積もりだの企画書だなんだの言ってたアレが関係あるとか?」

「ああ、そうだ。お前にバレないためにわざとイチャイチャしてみせた」

「嘘吐け。俺に嫉妬させたいとか言ってただろ」

「それもある」

 全く悪びれた様子もなくブツブツ言う都築にちょっと呆れたように笑ってしまう、コイツ開き直ったらタチが悪いんだよね。

「…はいはい。なんだ、会社の書類かなんかだと思ってた」

「ハイは1回だとお前が言ったんだ。そもそも、鈴木に会社の書類なんか見せるワケないだろ?パートナー契約は結ばなかったんだ」

「ふーん…」

「篠原の貴重な嫉妬も心配も色んな表情が見られたし、今回のイベントはまずまずの成果だ」

 興梠さんからは先を越されたけど、それは見ないことにしたらしい都築は、デフォの仏頂面のくせに機嫌は良さそうだ。

「別に嫉妬とかしてません~。心配はあんな状況なら誰だってしますー」

 何でもないことみたいに唇を尖らせて見せると、都築は軽く笑ったみたいだ。

「泣いてくれたから大満足だ」

 ぐっは!…お前、寝てたじゃねーかよ。

「グッ…起きてたのかよ」

「バッチリな」

 勿論、背後からずっと視姦レベルの凝視で見つめられているんだけど、その表情はちょっと悪戯っぽい。
 …そうだな、変態の都築のことなんだから、この奇妙な執着心で一から十まで観察していたに違いない。うん、気持ち悪い。

「…篠原」

 クリティカルを受けながら、何となく見つめ合っていたけど、別に嫌な気持ちにもならないからぼんやり見ていたら、都築が何とも言えないキモい…妙な顔付きをしてモジモジ呼んでくる。

「なんだよ?」

 まあ、嫌な予感しかしないよね。

「キスぐらいしてもいいか?」

「はぁ?この話の流れでどうしてキスすることになるんだよ」

「あれはただのアトラクションだったけれど、約束しただろ?あの倉庫を出たらなんでもするってさ」

 ぐ、覚えてやがったかこの野郎。
 とは言え、とは言えだ!アレは都築が嘘を吐いていたんだから不履行でいい筈だ。

「でも、アレは嘘だったんだから約束も無効だ」

「そう言うと思った…だが、オレたちは恋人同士だ。たとえば今回のゾンビランドパニックがアトラクションだったとしても、恋人同士で交わした約束なら少しぐらい守ってくれてもいいんじゃないのか?」

「…」

「セックスまでは求めない。ただ、こんな夜はキスぐらいしたいんだ。ダメか?」

 どんな夜だって言うんだよ?……はぁ、でもまあ処女だってくれてやるなんて啖呵は切ったワケだし、恋人だって言ってる都築がその気になれば、俺の貞操はこの辺りで終了にだってなりかねない。
 エッチを激しく求められるくらいなら、キスぐらい許容範囲だし。

「…うぅ、判ったよ。別にキスはもう慣れてるからいいよ」

 超渋々で頷いたけど本当は、コイツがちゃんと無事なんだと実感したくて、俺自身、都築に触れたいと思っていた。
 だから、結構気に入っている琥珀のような双眸に戻った眼差しで、まるで視姦するみたいにジックリと安定の凝視で見つめてくる都築の物言いたそうな瞳を見つめながら、それからギュッと目を閉じて与えられるだろうエロいキスを待っていたってのに都築のヤツ、ツイッと顎クイなんかしやがって赤面している俺のギュッと引き締めた唇にソッと唇を落としてきたんだよ。
 なんだろう、何時もみたいに息も絶え絶えに貪られるようなエロいキスじゃなくて、ソッと啄ばむような、唇を重ねるだけの他愛ない優しいキスなんて…お互い無事でよかったと思わせるようなそんな感慨に陥りそうになったまさにその時、ドォンッと轟音を響かせて、夏の花が夜の闇にパッと開花すると、吃驚して都築と一緒に見上げた先、ハラハラと炎の花びらを散らしながら消えていった。
 次いでまた注目しろと言わんばかりの音を響かせて夜空に花開いた色とりどりの炎たちは、はからずも涙みたいに花びらを散らして消えていく。

「ふわー…花火も本格的なんだな」

「まあ、成功したからさ」

 パラパラと乾いた音を纏って炎の花びらが散るのを、都築は感慨深そうな双眸で見つめながらポツポツ語る。
 何時もならバカみたいに視姦レベルで俺を凝視する都築も、見事な大輪の花には見惚れるんだな。良かった、真性の変態じゃなくて。
 夏の花の光が都築の横顔を彩って、それでなくてもイケメンなのに、何処か物悲しい表情にすら見えるから雰囲気ってのは大事なんだな。
 俺じゃなかったらトゥンクとかなるんだろう。

「え?まさか花火までお前が用意したのかよ」

「姫乃や万理華が言っていたが、学園祭の想い出の〆は花火なんだそうだ。だから奮発した」

「思い出って…まだ明日があるだろ」

 呆れたように言ったら、都築のヤツは安定の仏頂面をちょっとムッとしたように歪めて鼻先で笑いやがる。

「一般人が入場する学祭に思い出なんかできるかよ」

「え?そんな理由で今日学祭ジャックしたのか?」

「まあ、それだけが理由ってワケじゃない。篠原は全然恋人らしさを出さないし自覚もないだろ?だから恋人として想い合うことがどれだけ大事か、オレがお前にとってどれほど大事な存在かを教えてやったんだ。あわよくばお前の処女を手に入れて、結ばれてから入籍までを計画していた。恋人から嫁へのランクアップも大事だ」

 あわよくばとかゲロってるしな。

「…そっか、恋人らしくもないし自覚も持っていない俺が悪いのか。だったら、本来なら楽しいはずの学園祭を、みんな、なかでも俺を阿鼻叫喚の渦に叩き込んで、勝手にジャックして都築の計画の為に利用したって仕方ないよね。今後お前の恋人でいる自信がなくなったから辞退するって決めた。今日限りで別れる」

「は?巫山戯んな!別れるとか一切認めない。オレも篠原もちゃんと恋人らしく想い合うことができただろうが。なんで自信をなくすんだよ、バカか」

 一気に不機嫌を通り越してオコになっている都築は仏頂面のままで、背後から俺をぎゅうぎゅう抱き締めながらほっぺたにチュッチュなんてしてくるから堪らない。
 確かに花火が見えるこの場所は特等席だと思うけど、そう思っているアッツアツ(死語)のカップルは俺たちだけじゃないんだ。勿論、俺たちはアッツアツじゃないし、都築は暑苦しいだけだけども。場所を弁えろ場所を、TPOだTPO。
 其処彼処でアッツアツのお2人さんたちは、横でギャーギャー言ってる奇妙な男カップルのことなんかお構いなしで俺たちよりエロいチュッチュをしている有様だから、まあ都築の少しの奇行ぐらいは誰も気にしないか!俺以外は!!
 おかしなところはなかっただと?!何処をどう見てもおかしなことだらけだろうがッ!
 俺がブーブー悪態を吐いているってのに都築のヤツ、「恋人の自覚を持ったんだからいいだろ」「泣きながら抱き締められた時は思わず勃起した」「可愛いオレの嫁」とかとか、尖らせた口にチュッとキスして後半やっぱり何を言ってるのかよく判らないことをブツブツ言いやがるんだよ。
 真っ暗な空には満点の色とりどりの夏の花、淡く儚く消えるけど、当分、俺を背後から離さないぞと抱き締める腕が消えることはないんだろう。
 だったらまあ、いいかな。
 都築には言わないけど、それなりに面白かった。
 それに、気付いてやれなかった百目木の寂しさが、今日は解消された良い日なんだ。
 だから内緒だけど、今日のことは許してやる。

□ ■ □ ■ □

●事例21.学園祭でイロイロやらかす
 回答:篠原は全然恋人らしさを出さないし自覚もないだろ?だから恋人として想い合うことがどれだけ大事か、オレがお前にとってどれほど大事な存在かを教えてやったんだ。あわよくばお前の処女を手に入れて、結ばれてから入籍までを計画していた。恋人から嫁へのランクアップも大事だ。
 結果と対策:…そっか、恋人らしくもないし自覚も持っていない俺が悪いのか。だったら、本来なら楽しいはずの学園祭を、みんな、なかでも俺を阿鼻叫喚の渦に叩き込んで、勝手にジャックして都築の計画の為に利用したって仕方ないよね。今後お前の恋人でいる自信がなくなったから辞退するって決めた。今日限りで別れる。

20.セフレを使って嫉妬させようとするが結局自分が嫉妬している  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 その日の俺はきっとどうしていいのか判らない複雑な表情をしながらも、やっぱり名状し難い感情にギリギリと唇を噛み締めていたに違いない。
 と言うのも、例の都築が俺に嫉妬させたいグダグダ作戦を失敗してから、開き直ったアイツはほぼ俺んちに居を構えやがって、俺んちの質素なちゃぶ台で仕事なんかしやがるのだ。それも鈴木を横にピッタリと侍らせて。
 別にいいんだよ。鈴木と仲良し小好しはこの際なんだし、深夜を回ってもやれ見積もりがどーだとか、構成案がなんだとか2人で話しながら企画書だか見積書だかなんかそんなのを仲良く作成しているのはさ。
 俺が問題視しているのは、俺んちを事務所化するなってことだ。
 何時もウアイラを駐めていた、今は更地になってしまっているあのガレージを壊した理由を、俺はアレから数日後にいつもは開けても景色を見ようとも思わないアパートの裏に向いた窓を開けたことで思い知るに到ったんだけども。
 当分、借りる予定もないだろうと高を括っていたアパートの裏の駐車場が見事に潰れていて、5台ぐらいは格納できそうなガレージが設置されていたんだ。
 都築の得体の知れない異常な執着心からなのか、わざわざ住人に引越し費用と、今よりも格段上の条件のいいマンション…もう一度言う、俺の住んでいるところは築数十年のアパート、そうアパートだ。なのに、条件のいいマンションを通常なら20万とかそんな家賃を5万だぞ、半額以下で用意して追っ払ったんだ。信じられるかよ。
 その条件で俺も引っ越ししたいって言ったら、即却下された。
 俺に家を用意したいとか、自分ちに住ませたいとか散々ほざいていたくせに、いざとなったら却下かよ!と俺が怒り心頭で詰め寄ったら、都築のヤツは相変わらずの不機嫌そうな仏頂面の頬をちょっと緩めるというイミフな嬉しい感情を気持ち悪いほど見せつけながら、人差し指を立ててチッチッチと左右に振りやがった。
 お前は外国の俳優かよ。俳優さえ、今はそんなことしねーぞ。

「ここは思い出のアパートだ。お前が居て初めて成立するんだから、引っ越しは一切認めない。引っ越しをしたいならオレんちのマンションのみだ」

「は?!絶対イヤだッ」

「言うと思った」

 肩を竦める都築はあっさりと仏頂面に戻ってフンッと鼻なんか鳴らしやがって、それ以上は取り合いもしやがらなかった。
 都築の性癖上なんだろうけど、自分が妄想する領域を作っていて、その中には常に俺が居るってことをデフォルトにしているんじゃないかなって思う時がある。
 アイツ、無駄にお金持ちだから、その妄想を現実化できるんだよね。
 都築の実家のアイツの部屋の物置然り、それで飽き足らずにアパートまで手に入れるってさ…うん、よく判る。気持ち悪い!
 まあ、そんなワケなのかどうかは本人じゃないんでちょっと判らないけど、俺の住んでいるアパートを買い取ってオーナー様になった都築のヤツが、殆ど自分ちのマンションには帰らなくなったモンだから、ツヅキ・アルティメット・セキュリーサービス、最近知ったんだけど通称はTASSって言うんだそうだ。興梠さんが挨拶の度に正式名称で言うもんだから、通称なんてないって思ってたけど、このアパートに詰めるようになった若手の、とは言え都築家のお坊ちゃまを警護するんだから凄腕なんだろうけど、警護の人たちが元気に気安く俺に『TASS(タス)から来ました!』とか挨拶してくれて知ったんだけどさ。
 詰める…そうなんだよ。
 都築がこのアパートを買い取ってから入り浸り、確かに今までも7日間の間で5~6日は我が家に居座ってはいたけど夜にはたまに帰ったりと数時間とかだったのが、今や一週間大学と会社以外ではずっと居座っている入り浸り状態で、そうなるとセキュリティの万全なハイスペックマンションではけしてないオンボロアパートでは、世界に名だたる都築財閥の御曹司を気安く住まわせるなんて以ての外のザルなセキュリティを心配して、それならと乗り気になった都築に命じられた興梠さんが俺んちの左右と真下の部屋以外の空き部屋にTASSの連中を常駐させると言う異常事態なことをやらかしたんだ。
 今やどのアパートや下手なマンションよりセキュリティ万全になってしまったこの難攻不落化したアパートは、既に身勝手な都築が根城化していることは言うまでもない。
 メチャクチャ住み難い。
 そんな簡易的に事務所化するにあたり、俺にはさほど必要ない複合プリンターとかをこの狭い部屋に設置したりするんだぞ?迷惑以外のナニモノでもないよ。
 確かにレポートに必要な資料とか、図書館で借りた本の必要部分だけをコピーするのには内緒で使用しているけども…だってアイツ、御曹司のくせに見返りを寄越せとかケチ臭いこと言い出すから厄介なんだ。見返りも金銭なら話も判るけど、1回につきキスとハグのセットを1回とか何言ってんのか判んない内容には眉も寄るってモンだ。そもそも設置している場所は俺んちなんだけどね。
 就寝時間になると、何時もなら俺が先に寝ているから、コソコソとベッドに潜り込んでくるんだけど、最近は鈴木がいるからお客様用の布団をちゃんと敷いて、なんか2人で抱き合うようにして寝ていたりする。この部屋で流石にゴニョゴニョをおっ始めればすぐさま叩き出せるんだけどさ、一応気を遣っているのか、ただ睡眠欲求に負けて傾れ込んでいるだけみたいにもみえる、でも何にしてもウザい。
 で、最近の俺の野望は、どうすれば都築に気付かれずにアパートを引っ越せるのかってこと。
 都築に気付かれたら即却下だし、あんまりしつこいと暴れる俺をモノともせずに肩に担ぎ上げてウアイラに拉致、その後一直線に都築邸の高層マンションに直行されて、笑顔のポーカーフェイスが素敵なコンシェルジュのお兄さんの心のブログを荒らすことになるから、絶対に気付かれたくない。
 俺はさ、こんな足の踏み場もない男2人、しかも1人はガタイがいいときてる。そんな連中に床を占拠された挙げ句、飯時になると平気で自分たちの分も作れとか言いやがって、(イライラして)レポートができないから百目木んちに行くと言うと阻止されて(行くと宣言するだけ有り難いと思え)、そんな生活にそろそろ嫌気がさしてきているんだよ。
 そしてその嫌気がマックスに高潮したのは今日のこと。
 買い物袋を片手に、冷蔵庫の中身を模索しながら今夜は手軽に鍋でも作ろうかなぁとか考えて、手応えのない鍵穴に肩を落としつつ、扉を開いた先で目にしたものに冒頭の気分で唇を噛む羽目になったってワケだ。

「あ、おかえりなさい」

 ニコッと眼鏡の奥の双眸を細めて微笑んだ鈴木が、都築が持参してしつこく俺に付けろと言っていたフリルの可愛いエプロンをして、片手に新妻みたいにお玉を持った状態で振り返って言ったんだよ。
 俺は、つまり一般の主婦のようにキッチンは聖域だと考えている。神域とすら思っている。
 俺だけが立てる、とても神聖な場所だ。(注:厨二病ではない)

「おかえり。今夜は雅紀に夕飯を作らせるから、お前はここに座ってろ」

 安物のスウェットにボサボサの頭で、狭い部屋に似付かわしくない大型テレビの前に座り込んだ都築に、モン狩りに勤しみながら自分の膝をポンポンッと叩きつつ言われて、俺はもう駄目だなと思った。

「…俺、ちょっと買い忘れがあるからコンビニに行ってくる」

 そう言えば、最初にこの光景を見た時の鈴木は、面白いほどビビッていたっけ。
 そんなことをぼんやり考えながら呟いていた。

「そうか、じゃあオレも行く」

 のっそりと立ち上がろうとする都築を制して、鈴木がニッコリと笑った。

「一葉、いいですよ。僕が行きます。なんでも言ってください」

 気が利くんだなとか都築が誂うように笑って、鈴木は「もう」とかなんか唇を尖らせて応えている。そんな2人をやっぱりぼんやりと眺めながら、俺は極力気付かれないように繕った笑みを浮かべて首を左右に振った。

「じゃあ、悪いけど2人でこの荷物を仕分けして冷蔵庫に入れておいてよ。買い物は独りで行くから」

 都築は何か言いたそうだったけど、仕方なさそうに頷いて、それから鈴木が受け取ろうとした買い物袋をぶん取ってから、のそのそと冷蔵庫の前に腰を降ろしたみたいだった。
 俺が買い物してきた荷物の仕分けは都築の分担だったからか、鈴木が手伝おうとするのを断ったようだ。
 そこまでを見てから、俺は部屋を後にしてカンカンカンッと鉄製の階段を降りた。
 まるで、俺の部屋なのに俺の部屋じゃないみたいな居心地の悪さ。
 やっぱり、気の所為なんかじゃないよね。
 アイツ等、何時になったら出て行ってくれるんだろう。まさかこのままってことはないだろうな…
 ハァ…ッと溜め息を吐いてから、俺はコンビニ…には行かずに、鈴木の来訪を懸念した興梠さんが気を利かせて手渡してくれた鍵で俺の部屋の真下の部屋のドアをソッと開けると、それからやっぱり興梠さんが気を利かせて準備してくれているシングルベッドとか家具一式の収まる部屋に入り込んだ。
 もう、できればここに引っ越したい。
 部屋の明かりを点けると上階と同じレイアウトの部屋に一瞬ビビりながら、何処で手に入れたんだか、弟と気の置けない仲間がくれたリラックスしたクマや黄色のトリや、コリラックスしたクマのヌイグルミや枕カバーまで統一されていて笑ってしまった。
 腹はそこそこ空いていたけど、それよりもここ連日の午前様に、不意に眠気が襲ってきてベッドにモソモソと入り込んだ。
 手許のリモコン(このあたりは俺んちと違ってハイテクだ)で部屋の明かりを消して、それから、「ご自分の部屋を監視してくださいね」と言って、胡散臭い満面の笑みで興梠さんが手渡してくれた盗聴器を耳にして、ウトウトしていた。
 ウトウトしながらも自分の家を(何故か)盗聴しているのは、俺不在の部屋でおっ始めたら追い出す…んじゃなくて、最後通牒を突き付けて引っ越しを敢行できる足掛かりになるからだ。
 言っておくけど、都築がオーナーのアパートなんて本当はムカついてるんだからな。
 なんか、住まわせて貰ってる、みたいでさー。
 家賃はちゃんと払ってるけども。

『そんなにベタベタしてたら篠原くんに嫌われちゃうよ』

 クスクスと呆れたように笑いながら、都築の前では砕けた口調の鈴木の声が聞こえる。
 都築はそれには応えずに、ちょっと不機嫌そうな声で誰にともなくブツブツと言った。

『…やっぱりオレも一緒に』

『もう!ホラホラ、もうすぐご飯ができるから座ってなって』

 無意識にドアに向かおうとする都築を押し留めて、その大きな背中に両手を添えながら押し戻そうとする甲斐甲斐しい鈴木の姿がリアルに目に浮かぶ。
 俺がコンビニに忘れ物を買いに行くとき、本当は何時も都築は草臥れたスウェットでのこのこ着いて来ていた。今は鈴木が部屋にいて、俺以外が部屋にいるのをあまり好まない都築は仕方なく、最近は俺を独りで買い物や外に出すことを渋々了承している。
 そうしてでも、鈴木を傍に置いておきたいんだろうけど…
 暫く、ほんの5分ほどモン狩りの音やカチャカチャと食器の擦れる音が響いて、それから不意に心配そうな都築の声がまたしてもブツブツと聞こえてきた。

『遅いな、アイツ。ちょっと見てくる』

『まだ5分も経ってないよ!』

 呆れたような鈴木の声は無視して都築がどんな行動を取ったのか、教えてくれたのはバイブにしていたスマホだった。
 ムームーッと震えるスマホが都築からの着信を報せて、暫くして切れると今度はピロンピロンッとメールの受信を告げる。
 鈴木の言う通り、まだ5分も経っていないのに…なに考えてんだ、都築。
 ソッと持ち上げたスマホを見ると、都築からのメールが届いていた。
 「今、どのあたりだ?」「まだ帰ってこないのか?」とか、そんな内容が羅列していて、俺は溜め息を零しながら既読スルーのままスマホの電源を切ってからゴロリと寝返りを打った。

『あ!また電源を落としやがったッ!!…と言うことは、コンビニじゃないのか?何処に行ったんだ!!』

 メールに続いてまた電話でもしたんだろう都築のあまりの怒号にちょっと吃驚したけど、鈴木はもっと吃驚したみたいだった。

『…それはもしかしたら、僕たちに気を遣ってくれたんじゃないの?』

 ちょっと含むような声音で媚びるように囁いた鈴木は、目にしなくても厭らしい顔付きをして都築にしなだれかかったに違いない。

『ここじゃしない』

 だって都築がそう言ったから。
 面倒臭そうなくせにやけにキッパリと言い切って、それから何かしているように一瞬無言になった。
 ここじゃしない、か。じゃあ、余所だとまだヤッてるんだろうな…ふん。
 脳裏に鈴木とヤッていた都築がフラッシュバックして、俺は慌ててそれを打ち消すとギュッと目を閉じた。キモいもん見せやがって。おかげで気持ち悪いフラッシュバックに悩まされるんだ。
 今度、慰謝料でも請求しようかな?

『…どういうことだ?篠原はここに居ることになっているぞ』

 そりゃそうだろ。
 俺は同じ部屋の下にいるんだから。
 どうやらGPSで居場所の確認をしたようだったけど、俺が動いた気配はない。
 あ、いや一瞬だけあるか。
 外の階段の上を通過してそのまま下の部屋に入ったんだもんな。
 そう言うこと判らない都築にしてみたら、俺が全く動いていないって感じになるんだろう。
 どう言うことだと騒ぐ都築にクスクスと意地の悪い気持ちで笑ってから、俺はウトウトしながら夢現で聞いていたけど、都築はすぐに部屋を飛び出したみたいで、その後を合鍵…くそ!鈴木まで俺んちの合鍵を持ってやがるのか、俺のプライバシーとは!!…合鍵で鍵を掛けながら鈴木も追いかけているみたいだ。
 乱暴に階段を降りる音が聞こえて、拙いな、この部屋に乗り込まれちゃうんじゃないのか。
 せっかくの安息の地だと言うのに。
 俺が馴染みのないシングルのベッドの中で身動ぎしていると、隣りの部屋の扉が叩き壊す勢いで開いたみたいだ。

「番匠谷!左沢!お前ら篠原を隠しているだろうッ」

 何の根拠もなく常駐してくれている若手の警護班のひとたちを疑うなよ。
 俺の部屋に突撃してくるのかと思ったら、隣りの部屋に突撃してくれたみたいで、安普請なアパートだからか声は筒抜けだ。しかも、都築の声は支配者のモノだから、少し声を張っただけでも腹に響く、ましてやこんな風に激怒していれば、対峙している2人にはきっと雷が落ちたぐらいの衝撃に腹の底がビリビリしてるんじゃないかな。

「は、え?!一葉様??…いえいえ、ここに篠原様はいらっしゃってはいませんよ?」

「お出かけになっているようでしたが、こちらには顔を見せられておりません」

 2人は一瞬キョドりながらも、そこはやっぱりTASSの精鋭揃いだ、すぐに状況を把握したようで確りとした口調で否定している。
 何度も言うようだけど都築を心配した興梠さんにそれならと命令して警備会社から精鋭を選んで常駐させているこの安アパートは、今ではたぶん、何処のビルよりも堅固な護りで難攻不落になってんじゃないかな。
 まあ、俺独りのためってなら笑ってお断りするけど、もちろん、都築のためって言うんだから鉄壁の護りも必要なんだろう。
 そう言えば俺が以前、どうして常駐させるんだ、俺の為だとか言うならやめて欲しいとうんざりしながら都築に聞いた時、都築は怪訝そうなツラをしてから、ちょっと馬鹿にしたように笑って「別にお前のためじゃない。大事なものを持ち込んでるからそれを護らせるためだ。どうしてオレがお前如きの為にわざわざ精鋭を引き抜いてまで常駐させないといけないんだ。なに自惚れてんだ」と言って鈴木にも失笑させてから俺を凹ませたっけ。
 興梠さんは胡散臭い満面の笑みで『一葉様のためです』って言ってたけども。
 そう言えば都築のヤツは会社の…とは一言も言わなかったから、ああ、アレか。
 都築はあの一件があってから鈴木をビッチ呼ばわりするくせに、片時も離さないようにして結構大事にしているようだから、持ち込んだものは鈴木なのかもな。
 だからこんな安アパートを買い上げようとまで考えたのか…あ、アパートを買ったの(だけ)は俺のためとか言ってたっけ。で、常駐させてるから安心とか言ってたけど、その舌の根も乾かないうちに、お前のためじゃないとか言い切るところはアイツ、情緒不安定なんじゃないかと心配になる。でも、心配になるだけでどうかしてやろうとはこれっぽっちも思っていない。
 アイツを想う気持ちもさらさらない。
 兎も角、鈴木といい関係なら早々に出て言ってくんないかな、アイツら。

「来ていないってどう言うことだ!篠原はこのアパートに居ることになっているんだぞ。スマホも持って行ってるみたいだし」

「篠原様の日々の護衛に加えこのアパートでの警護はプランSSSで受けております。篠原様に何かあれば真っ先に連絡が入るかと思いますが…」

 困惑したような番匠谷さんに…って言うか、なんだその俺の警護とか護衛ってのは。お前のためじゃない、自惚れんなとか言いやがったのは何処のドイツだ。
 部屋を探してみたけど俺のスマホがなかったんだろう。
 それなら、GPSは動作しているはずだ…つーか、俺の全身がGPSみたいなモンなんだろうけど。ぐぬぬぬ。
 なんかいろんな意味でムカムカしながら対岸の火事ぐらいの気持ちで聞いている隣りの部屋で、都築が苛々しながら疑ったって仕方ないんだけどさ…そっか、興梠さん。
 命令されて警護の人を常駐させたところまでは都築に報告してるけど、この部屋のことは内緒にしてくれたんだ。安全性の観点からきっと他の人たちにも言ってくれてるとは思う、でも、TASSの連中以外には誰にも言ってはいけない、それがたとえ都築であってもと箝口令を敷いてくれているんだな。じゃないと、部屋から出た後の俺の行動を全面的に管理している番匠谷さんが知らないとか言わないよね。
 あんなザマになりつつある俺んちでは気が休まらないだろうって、2、3人は殺してんじゃないかって面構えのあの人なりに、ちょっと心配してくれているみたいだったから…へへ、嬉しいな。
 俺んちと同じ…いや、色とか形は似てるけど、断然肌触りの違う掛け布団に包まりながらクスクス笑っていると、隣りでは何かを壊すような音が聞こえてきて、それに被さるように鈴木の短い悲鳴が聞こえた。
 俺のことになると子供っぽい癇癪を起こす都築が何か壊したんだろう。
 もう、どうして安眠させてくれないんだよ!
 お前なんか、鈴木と仲良く夕飯食べてモン狩りして、それからいそいそと会社の資料とか纏めるために午前様にでもなってりゃいいんだ。
 俺は眠い!もう夜中に目が覚めて、お前と鈴木が抱き合うようにして眠ってる姿を見てはうんざりするのなんかヤなんだよッ。
 このアパートを気に入ってるんなら鈴木と一緒に住めばいいだろ!飯も鈴木が作れるんだ、もう俺がいなくたってお前ら2人ならやっていけるっての!
 内心で悪態を吐きまくっている間にも、都築は困惑しているだろうTASSの精鋭に食って掛かっているみたいだ。
 そうこうしている間に誰かが…ホント何度も言うようだけどこのアパートはこの部屋と俺んち、それから俺んちの左右の部屋以外は、全部TASSの精鋭が常駐しているという異常事態になっているワケだから、上階4部屋、下階4部屋の横に長い2階建てアパートの、実に4部屋に各2人ずつ常駐している…ってことは8人も人員を割いてまで護るモノって都築以外だと何があるって言うんだ。
 やっぱ、ああは言ってたけど機密情報かな…まさか、プランSSSの俺のためとか、そんな冗談は言わないよな。
 そのうちの誰かが騒ぎを聞きつけたんだろう、興梠さんと属さんを呼び出したみたいだ。
 この部屋のことを属さんは知っている。何かの拍子で興梠さんと話しているのを聞かれてしまった時に、俺を安心させるように興梠さんがくれぐれもと釘を刺さしてくれたので属さんが都築に口を割ることはない。そこはたとえクライアントでも覆せない、会社の決まり事ってのがあるんだろうな。
 苛々しながらも眠りに逃げようとウトウトと夢現の俺の耳に届いたのは、興梠さんの落ち着き払った声だった。
 なんで落ち着いているんだよと都築の怒りが可視化できそうな不穏な声音に、どうやら興梠さんもここまでだと諦めたみたいだ。
 結局、俺の避難場所の秘密は1ヶ月しか保たなかったってことになる。
 でも、1ヶ月でも保ったのはいいほうだよね。
 凄まじい勢いで隣りのドアが開いて、続いて鍵を掛けているはずのこの部屋のドアが押し破られるようにして開いた。
 俺はこの1ヶ月の間、都築たちが寝静まってから、抱き合うような2人にうんざりしてそのまま部屋を出て…って、都築のヤツは警護の連中を常駐させるようになってから気が抜けているのか、ぐっすり眠ってしまって起きることがなかったから、避難するようにこの部屋で安眠を貪った明け方、自分ちに戻ると言う生活を続けていた。
 たまに都築が早く起きていて、何処に行っていたんだと険しい双眸で聞かれたことがあるけど、その時は早く目が覚めたから散歩してたって答えたら、次回からは自分も連れて行けと眠そうな目をショボショボさせて言いやがった。もちろん、お断りだったけど「うん」と承知しないと許してくれそうになかったから、俺は渋々頷いていた。
 寝穢くて早起きできないくせに何を言ってるんだかと内心では鼻で笑ったけどさ。
 そんな都築は暫くはスムージー事件から珍しく早起きして俺の様子を窺っているようだったけど、連日の午前様で身体が保たなかったんだろう、3日ほどで起きられなくなっていた。
 俺はぼんやりと寝たフリ…でもないけど、微睡みのなかでズカズカと都築が部屋に入ってくる気配を感じていた。
 明かりがパッと点いた感覚はあったけど、目は開けなかった。
 目が開かないかわりに眉根を寄せて、んん…っと煩そうに寝返りを打って都築に背を向ける。

「マジかよ…」

 室内を見た都築がギョッとしたような、当惑した声を出すからちょっと笑いたくなった…と言うのも、初めて興梠さんにこの部屋を見せてもらった時、俺もおんなじように驚いておんなじようなことを言ってしまったから。
 とは言え、都築のヤツはすぐに状況を判断したようで、たぶんきっと、目をキラキラさせながら室内を見渡しているんじゃないかって、目にしなくても判るほど異様な気配がビンビン伝わってくる。
 起きたくない、絶対に起きたくない。

「…篠原様が寝不足で体調があまり宜しくないご様子でしたので、こちらの部屋を用意させて頂いた次第です。寝不足の原因はお判りでしょう?相変わらず、篠原様を妬かせたいお気持ちは判りますが、それで体調を崩されては本末転倒ではないでしょうか」

「…」

 控えめながらもズケズケと言うのは、幼少の砌より都築一葉に仕えていたお世話係兼教育係だけあって、遠慮はないし的確な注進は流石だなと思う。
 恐らく、チラリと鈴木を見遣ってからの発言に都築はグッと言葉を飲み込んだみたいだったけど…なるほど、コイツまだ俺に嫉妬させたいとか馬鹿らしいことを考えていたのか。
 そんなことの為にこの1ヶ月を無駄に過ごさせたのかって…考えたら歯軋りしたくなったぞ。

「…え、なに。そんなことで僕をここに呼んだの?」

 困惑したような少し憤っているような小さな声音で、不穏に鈴木がブツブツ言っているけど、まだ何か思惑がありそうな気配でワクワクしていそうな都築はもうそれには反応しなかった。
 ギシッ…と、安物のベッド(通販サイトで買ったんだろうな)を軋ませて俺の傍らに腰掛けたらしい都築が、ふと、大きくて温かい掌で俺の頬を包んだみたいだ。あれ?相変わらず気持ち悪いぞ。
 ガッツリ眠るぞ!…と意気込んでいただけに、ウトウトが心地良すぎるせいか俺はなかなか覚醒できなくて、都築のその掌を厭うように嫌々と顔を振って剥がすと、そのまま掛け布団の中に逃げ込もうとしたってのに、都築はそれを許してくれなかった。
 何時ものようにモゾモゾと俺の傍らに忍び込もうとしていた都築は、そこで漸く玄関先で待機している興梠さんと呆気に取られている鈴木に気付いたみたいだ。

「お前たちにはもう用はない。帰っていいぞ」

 酷く冷たい素っ気ない声音に、興梠さんは相変わらずの胡散臭い満面の笑みを浮かべているだろう態度で深々と頭を下げたようだ。
 興梠さんは何故か俺が都築と一緒にいることを殊の外喜んでくれて、そしてそれが最重要事項だとか思っているみたいで、今回みたいにコソリと引っ越し計画なんかを企んでいると、その先手を取ってこんな部屋を用意し俺の野望を挫かせたりする。
 一度、興梠さんにそれとなく聞いたことがあるけど、その時、興梠さんはとても柔らかい表情をして「都築が恋に落ちた瞬間を見届けてしまいましたから、最後まで見守りたいと思っております」と見当違いなことを言って俺からカフェオレを噴かせた。
 誰と?ってことは敢えて聞かなかった。
 だってそれは、間違えているからだ。
 都築は俺なんかこれっぽっちも好きでもなければタイプでもないんだ。なんだかよく判らない気持ちの悪い独占欲とか薄気味の悪い執着心みたいなモノで、俺が他の連中に触られたり、その、有り得ないんだけど犯されたりするのが絶対に嫌だとかで、ものすごい心配性になっていて兎も角も一発ヤッて繋ぎ留めておきたいとか巫山戯たことを言ってるだけで、恋に落ちたとか有り得ない。
 そもそも、どうして一発ヤッたら繋ぎ留められるとか思ってんだって首も傾げたくなるよ。
 よく漫画で、『1回ヤッたぐらいで彼氏ヅラしないでよ』とかって言われてるんだけど、そう言うの知らないのかな。
 それとも少女漫画みたいに一夫一婦の概念がある俺の気性を既に見切っていて、身体を手に入れたら俺の全てを手にしたも同然とか考えてんのかな?
 …やれやれ、気持ち悪い。
 ニコニコ胡散臭い満面の笑みの興梠さんの横で、鈴木は呆れたように溜め息を零したようだった。

「じゃあ、上の部屋で待ってるから」

 セフレなんだから、こんな都築の姿に少しでも傷付いているだろうに、ヤレヤレと溜め息を吐きながら立ち去ろうとする鈴木に、件の冷血漢はすぐに怪訝そうな声音で否定するように口を開いた。

「言っただろ?もう用はないんだ、帰れ」

 1分でも、もしかしたら1秒でも俺んちに入るのが、もう許せないって、自分から招き入れたくせに物語る口調が苛立たしいよね。

「え?!それって完全に帰れってこと?ちょっと、なんだよそれ…ムグググッ」

 もちろん、鈴木もそうだったんだろう。
 勝手な言い分にカッとしたように言い募ろうと足を踏み入れようとしたみたいだったけど…

「一葉様、鈴木さんは私がお送りさせて頂きます」

「そうしろ。それから興梠!合鍵も回収しておけ」

 憤懣やる方なく言い募ろうとする…いや、その気持はよく判る、傲岸不遜で俺様で身勝手な冷血野郎の都築の物言いには怒っていい、俺が許す。そのカッカしている鈴木の口を煩そうに片手で塞いだんだろう、胡散臭い満面の笑みの興梠さんは、自分の主がこれから俺とのイチャイチャを繰り広げる邪魔をしないようにと乗り込もうとする鈴木を引き摺り出して頭を下げると、さっさとドアを閉じて連れて行ってしまった。
 興梠さん自身、言われなくても鍵回収は当然と思っているみたいだ。
 なんだこのとんでも主従関係は。

「鈴木のヤツ、頭はいいが肝心なところで使えない。実に中途半端なヤツだ」

 お前がそれを言うか。
 空気が読めないのはお前のほうだろ。

「これからオレが篠原で癒やされようとしているのに…やっぱり、興梠を兼任でパートナーにするべきかな」

 そのほうが使えるしなぁとか、不貞腐れたようにブツブツ言いながら、都築は無意識に嫌がる俺を抱き締めるようにしていそいそとベッドの中に入ってきた。

「はぁ…やっぱ抱いて眠るなら篠原だよな。この1ヶ月間は苦行だった。でも、嫉妬で夜中にこっそり抜け出す篠原には勃起がとまらなかったよ」

 ククク…ッと嬉しそうに笑う都築。
 なんだそれ、気持ち悪い。
 とまらない勃起は鈴木で癒やしたとかだったら打ん殴ってやるからな。

「行き先は興梠か属が把握してるから放置でいいとか言われたけど、すげぇ気になってたんだ。なるほど、こんなところに隠れてたんだな。寂しかったんだろ?オレも寂しかった。だからこれからはもう、ずっと一緒だからな」

 背後から抱きかかえるようにして俺の頭に鼻先を突っ込んで、すんすんと鼻を鳴らしながらぎゅうっと抱きついてくる都築の腕の力にグエッと蛙が轢き潰されるような声が出る。

「…お前さ。俺のこと好きでもなければタイプでもないくせに、俺がいなくて寂しいとか頭おかしいだろ」

 瞼は閉じたままで、背中に都築の鼓動を感じながらブツブツ悪態を吐くと、ヤツは驚きもせずに、それどころかちょっと嬉しそうな声を出すから殴りたくなった。
 俺、暴力的じゃないのに都築には手を出したい。
 それはきっと、都築があんまりにも自分勝手な変態野郎だからだと思う。
 …武道を嗜んでいる変態都築に、腕力でも常識面でも勝てる気はしないけど。
 ただ言っておくけど、別に俺、ウザいだけで寂しいとかは全然なかったぞ。

「なんだ、起きたのか?オレはお前なんか好きじゃないけど、一緒にいたいとはずっと言ってるだろ。でも、これでよく判ったはずだ。オレとお前の間に第三者は必要ない。オレはちゃんとソレを理解していたけどさ、お前には教えておかないといけないと思ったんだ」

「…なんだそれ。それが鈴木を傍に置いた理由なのか?相変わらず気持ち悪いことを思い付くんだな」

 とは言え、何を言ってるのかサッパリ判らない。

「気持ち悪くないだろ!お前も今回のことでよく判ったんだ、これからは百目木とか別学部のなんて言ったか、ミッキーとか巫山戯た渾名のアイツの家に行こうとか考えるなよ」

 ぐるりと寝返りを打って都築の方を向くと、怒っているはずのヤツはなんだか照れ臭そうな気持ち悪い顔をしたけど、俺はそれを敢えて見ないようにして溜め息を吐きながら言った。

「そっか、俺とお前の間に第三者は必要ないってのにミッキーや百目木とかと仲良くしていた俺が悪いのか。だったら、都築が鈴木とべったりで俺の神聖なキッチンに無断で立ち入らせても仕方ないんだな。今後、そんな必要ない怒りに晒されるぐらいなら傍にいないことに決めた。鈴木とでも誰とでも一緒に暮らしてください」

「巫山戯んな、なに言ってんだッ」

 都築のヤツは憤ったように上半身だけで俺に伸し掛かってきて、ちょっと前から感情ダダ漏れになったギラギラする色素の薄い琥珀みたいな双眸で見据えてくるから軽くビビるけど、その身体を押し遣りながら溜め息を吐いた。

「あのさ、都築。俺はお前と鈴木が抱き合って眠ろうが、2人で寄り添って会社の資料作成だかなんだかしてようが、ちっとも構わないし気にもならない。なんならあの部屋をお前たちに明け渡してもいいってぐらいには、どーでもいいんだよ」

「なんだと?!それはどう言う…ムググ」

 途端に更に険しくなる双眸も怖いけど、それよりもブツブツ悪態を吐く口を塞いでやってから、俺も胡乱な目付きをして唇を尖らせてやる。

「いいから黙って聞け。でもさ、そんな俺でも許せないことがあったんだ。それはお前が鈴木に料理を作らせたことだ」

「…」

 俺の掌の向こうでブツブツ悪態を言っているらしい都築は、不意に口を噤んだようだ。

「お前が口にするのは俺の料理だけじゃなかったのかよ?しかも、神聖な俺のキッチンに立たせるとか絶対に許せなかった。その件で言えば、確かに俺は鈴木に嫉妬した。俺だけの大事な場所を呆気なく渡した都築が憎かったし、鈴木を羨ましいとも思った…って、おい!なんで勃ってるんだよ」

 不意に股間部分に何やら凶悪な塊をゴリゴリと押し付けられて、俺はギョッとして身体を引き剥がそうとしたってのに、喜びを頬に刻んだ都築が問答無用の力強さで抱き締めて離してくれない。
 ゴリッゴリする!ゴリッゴリしてる!!

「篠原が言葉に出して妬くなんてレアだろ。勃たないワケがない」

「ちょ!だから俺はカードゲームとかそんなんじゃ…ってやや、やめろってッ。擦り付けてくんな!」

 俺を抱き締めようとする腕から必死に逃れようと抵抗してるのに、都築はまさに赤子の手を捻るような気軽さで俺の抵抗を捻じ伏せながら、首筋にキスなんかして下半身を絡めるように擦り付けてきやがる。
 キモい!キモいッ!!

「…篠原はさ、オレがお前を好きだと言えばヤラせてくれるのか?」

 耳元に唇を擦り付けるようにする都築の、荒い息と一緒に流れ込んできた言葉に、俺は何故かカッと頭に血が上るのを感じた。

「はあ?!なんでそんな話になるんだよ?!別にお前なんかに好きとか言われたくない。言われても絶対にヤラせないッ」

 口が酸っぱくなるほど『好きでもなければタイプでもないんだろ』と言って逃げていたせいか、ここにきていきなりフルおっきした下半身で俺の股間をぐりぐりしながら抱きしめてくる都築がバカみたいなことを言い出しやがるから頭にきた。
 確かにそういったことで拒絶してきたけどさぁ!好きと言う感情をどうして交換条件に持ち出されるのか、都築にとっての俺への好意というものがそんな程度のモノなのかとか…なんだかよく判らない怒りみたいなもので喚き散らしたい気分になった。

「何故だよ?どうしてそこまで拒否るんだ」

 俺の首筋の匂いとかすんすん嗅いでるくせに、チュッチュと口付けながら不満そうな都築の気持ちがよく判らない。

「判らないのか?俺はただの男だからだ。お前が日頃、手軽に寝てる連中とは違う、普通の男だからだよッ」

 その言葉が侮蔑であったり、誰かを傷付ける言葉だったとしても、それでも俺は言わずにはいられなかったんだ。
 ただの男だから、愛情もゴニョゴニョもその、キラキラしていて特別に大事なモノなんだと言ってやりたかった。

「他の連中と違うことぐらい判っている。別にオレは気軽にヤろうとかは考えていないぞ。お前との初夜はラップランドのオレの別荘で、蝋燭の炎が揺らめくなかでとか…暖炉の前でもいいな。クッションを敷き詰めて、肌触りのいいオーガニックの素材を使ったり。ああ、花びらを散らしたベッドの上でもいい。考え出すと止まらないんだけどイロイロと計画は練っているんだ。だが最近、それは新婚旅行でもいいんじゃないかと思っている。お前との思い出深い、上の部屋でするのが一番いいかなとかさ。でも、あの部屋でセックスするのは何故か気が引けてたんだけど、こんな部屋ができてるなら初夜はここでもいいワケだ…考えることが多くて、とても気軽にヤろうとかは思っていないぞ」

 都築は訝しそうに眉根を寄せて、むずがるように嫌がる俺をあやすみたいにして抱き込んでくる。
 いや、だからそう言うヤるばっかの問題じゃなくてだな…つーか、なんだその妄想は。
 え?お前、そんなこと考えてたのか…ロマンチックとか乙女チックとかマジでキモいぞ。
  まずは自分の図体を考えろよ、それから顔…はいいのか。クソ!なんかムカつくなッ。

「う!ちょ、おま、何処に指を挿れようとしてんだッ!しかもなんだよ、ソレッ」

 何時の間にか確かめるように揉まれていた尻が、下着ごと剥がされて丸出しにされていたようで、ぬるりと濡れた太い指先が遠慮なく潜り込もうとしている。

「…ローションだよ」

 ちょっと息を荒くしつつ、仏頂面だったくせに、今は嬉しそうに蕩けるような笑みを浮かべて、なに当たり前なこと聞いてんだよと馬鹿にしたように言いやがる。
 ギャップ!ギャップ萌えがあるとか言うけどそのギャップは嬉しくないッ。

「なんでそんなの…さては、鈴木とヤろうと持ってたんだろ!だから、そんなヤツだから俺は…ッ」

「はあ?鈴木とヤるのにどうしてオレがローションの準備をしないといけないんだ。準備をしてるのは向こうだろ」

 自分とヤるには予め準備をしておけ、気が向いたら何時でも突っ込めるようにしておけって?なんだ、その超我儘なクソクズ野郎の発言は。

「んなの知らねーよ!って、いいから指を抜けッ」

「やだね。これは何時いかなる時に初夜に突入するか判らないだろ?その時のために持っていたんだ。お前を傷付けたくないから」

 そう言いながら尻の違和感に背筋が凍るほど怖気を震う俺を抱きしめて、小刻みに震える頬に口付けながら都築はハァハァと息を荒げると長い中指で抉るようにグジュ、ニチャ…って粘つくような音を立てて腹を探ってくるんだ。

「…はぁ、すげえ音。エロい」

 ジュポッ、グプ…ッとますます酷くなる音は、どうやら指を増やしたからみたいだ。

「指2本か…4本は挿れられないと。やっぱまだ、無理か」

「う…んぅ…わ、判ったら、抜けって」

 残念そうに呟く都築に、何を言っても変な声になりそうな俺が、それでも腹を探られる息苦しさと奇妙な感覚にむずがるようにして訴えたってのに、都築は何処か嬉しそうに俺の目許に浮かぶ生理的な涙を唇で掬ったようだ。
 だから、そう言うのはいいから指を抜け!

「これから毎日練習しよう。早くオレを受け入れられるようにならないと…可愛いな!本当にお前は可愛いんだ。早く、早くオレのモノにしてしまわないと…」

 都築の目許は朱色に染まって発情した獣のように欲情してるってのに、その目付きだけが異常にギラギラしていて、まるで食い殺されるような錯覚すら感じてしまう。
 ああ、コイツ何言ってんだろ。
 駄目だ、頭が正常に動かない。
 腸内を掻き回す指が時折触れる凝った場所を擦ると、もう何も考えられなくなる。
 頭を激しく振る俺を押さえ付けて、都築が口付けてくる。
 甘さをたっぷり含んだ口付けに、畜生、俺はうっとりしてしまった。
 指で腸内を掻き回しながら、もう一方の手で思い切り扱かれて、俺は敢えなく都築の掌にビュルっと濃い精液を吐き出すことになっちまっていた。

□ ■ □ ■ □

 俺の精液を旨そうに舐めていた(うえ…)都築のフルおっきしている子どもの腕ほどもある逸物と呼ぶに相応しいんだろうそのチンコは…どうするんだろう。
 激しい快感にうっとりしていたのも最初だけで、快楽の熱が引くと現実が『こんにちは』するワケだから、賢者タイムに青褪めて見つめる先で、都築は自分の唾液と俺の精液に塗れた指先で血管をビキビキに浮かせてフルおっきしているえげつないチンコを掴んで扱き始めた。
 おい、信じられるか?
 引く手数多のセフレに縋られたり、歩いているだけで女が寄って集るようなあの都築が、今俺の目の前で、俺の色気もクソもない髪に鼻先を埋めながらグチュグチュと先走りで滑る逸物を自分で扱いてんだぜ。
 俺の目の前でな…
 確かに誰もが羨む大きさと長さを持ってるんだろうけど、あんまり大きいと女の子は退くんじゃないかって思うけど、誰も離れたがらないのを見るに怖がりもせずに群がられてるってワケなんだろう。
 俺は…俺はあんなのを尻に入れられるのかと思ったら正直逃げ出したくなる。
 ユキや鈴木、その他の男のセフレたちはどうして誰も怖がらずに都築から離れないんだろう…これだぞ、このビッキビキのバッキバキでゴリッゴリしてるこの逸物だぞ?
 やっぱ、慣れなのかな。
 恐る恐る目線を上げて都築を見ようとして、俺は固まってしまった。
 何時ものガン見は標準装備の都築のヤツが、泣きたいような何処か痛いような切なそうな、そんな見たこともない表情をして覗き込んできやがったからだ。
 な、なんなんだよ、その目付きは?!
 今までとは違う感情に濡れた表情に胸が高鳴ったりとかしないからな!このドキドキは強制的にオナったからであって、けしてお前のその表情にドキドキしてるんじゃないからな!!

「…挿れてぇ、篠原。篠原…」

 不意に耳元に声が落ちてきて、それからローションで滑る尻に指が這わされて…
 アワワ…となっちまった俺は、自分でも予想だにしなかった解決策をぶちかましてしまった。

「す、素股なら許す!…だから、尻には、挿れないで欲しい」

 うう…なに言っちゃってんだ、俺。
 泣き出しそうな顔で提案してみたら、パッと嬉しそうな表情をした都築のヤツは即了承したようで、未知の体験に震える俺をゴロンッと仰向けにひっくり返すと、両手で俺の膝裏を掴んでグイッと胸につくほども押し上げてきやがった。

「ぐえ」

「色気がない」

 力技に色気もクソもあるかよってんだ。
 嫌ならやめろよな、の目つきで睨んでやると、目尻を薄っすらと染めて発情している都築は、そんな俺のなけなしのプライドなんか屁でもないみたいにニヤッと笑って、抱えている足をグッとくっつけて一纏めにすると肩に担ぐようにして抱えたみたいだ。
 これからどんなことが起こるんだろうとハラハラしていたら…不意に股の間に何かヌルっとする固いものが差し込まれた。

「?」

 訝しく眉を寄せて自分の担がれている足の付け根を見て、それから俺はギョッとした。
 都築の逸物がこんにちはと顔を覗かせて、しかも俺のチンコの裏側からゴリゴリ擦り付けはじめたりするもんだからぷちパニックに陥ってしまった。
 しかもだ、都築がそうする度にパンッパンッと肉で肉を打つような音が響くし、俺のチンコと都築のチンコをねっとり濡らすローションが糸を引きながらヌチャヌチャ濡れた音なんかも響かせるもんだから、脳裏にパッと鈴木に突っ込んでいた都築の姿が浮かんでカッと頬に火が点いたみたいに熱くなった。

「んぁッ!…ぁ、なんだこれッ……や!…あッ…んんー…ッ」

「ハァ、ハァ!す、げぇなッ。篠原とセックスしてるみたいだッ」

 チンコの裏を血管が浮かび上がる逸物でしこたま擦られて、俺の足を持っている方とは別の指先で服をたくし上げてぷっくり立ち上がっている乳首なんか捻るし、都築が言ったようにまるでセックスしてるみたいな状態が更に俺の快楽中枢を刺激して、なんか俺はあられもない声を出して喘いでいるみたいだ。
 なんだ、これ?!素股ってこんな気持ちいいものなのか??!

「んッ!…ふ……はぁ、んんッ」

 都築のピストンが早くなって、それだけに擦られる速度も早まって強制的にビュッと白濁した精液を吐き出させられてしまった。
 ぐったり弛緩したいのに、都築が気持ちよさそうに俺を覗き込みながら唇を舐めているのを見上げるうちに、また下半身に熾き火のように燻っている快感に火が点いたりするから、俺はきっとだらしない顔をして都築を見つめていたに違いない。
 そんな俺を都築は何処か痛いような…切なそうな、って表現が似合う表情をして見下ろしているから…お前ってさ、そんな顔で鈴木ともヤってたのかよ。
 俺には背を向けていたから、あの時の表情を見ることはできなかったけど。

「…ふ、ぅ……つ、都築ぃ、んん……都築、都築…」

 何か脳内でスパークするみたいな焦燥感とか、奇妙な悔しさのようなモノが胸を締め付けて、それまで掴んでいたシーツから離した手を、俺は何故なんだろう…都築に向けて伸ばしていた。
 これじゃまるで、俺のほうが駄々を捏ねる子供みたいだ。
 ちょっと気恥ずかしくなったりとか、こんな状況で頭が沸いてんだろうって思って、伸ばした手を引っ込めようとしたのに、都築は不意に抱えていた足を離すと、伸ばした俺の腕を掴みつつぎゅーっと抱き締めてきた。
 嬉しいとかそう言うんじゃないとは思うけど、なんかちょっと安心しちゃってさ、俺は都築の肩口に額を寄せてホッとした…って、なんだこれ。

「は…ハハハ、オレ、素股なんか初めてだ」

 俺のこと抱きしめながらサラッとモテてますなうんこ発言をぶちかます都築にムッとして顔を上げた俺を、どこか困ったような男前のツラに汗を滴らせて、嬉しそうに眉根を寄せて見つめてくるから、ドキリとした…なんてことは絶対にないからな!
 うんこみたいな発言をするうんこ野郎のクセに無駄に男前だなってムカついただけだ。
 都築はムゥッと唇を尖らせる俺のそれにちょんっと唇を寄せて…キスはもう何度もしてるし、経験がない俺だってそこそこできるんだぜ。
 ヘヘヘッて思いながら瞼を閉じて、唇を重ねる都築のキスに応えたら、ヤツは吃驚するぐらい嬉しそうに口唇を合わせて、肉厚の舌先で俺の口腔を思うさま蹂躙して息を上がらせてから、名残りを惜しみつつ舌を吸って唇を離した。
 お互い、濡れた唇がちょっとエロいなって思ってたんだけど…

「こんな甘いのも初めてだ」

 それこそ打ん殴ってやろうかって思うようなこと言いやがって、でもその声音が、お前溶けちゃうんじゃないかってぐらい甘くって嬉しそうだったから、なんかカリカリする気持ちも身体の中で溶けたみたいだ。
 うう…ヘンだ、なんか俺、ヘンだ。
 頭が少し混乱してたってのもあったかもしれないけど、ワケも判らず目の前にある都築の肩をガブッと噛んでいた。
 それほど力が入っていたワケじゃないと思うけど、都築のヤツは一瞬グッと奥歯を噛んだだけで、噛まれているクセにちょっと嬉しそうなツラなんかしてんだぜ?ヘンなヤツ。
 肩にクッキリと付いている歯型を何故か誇らしげに見せつけつつ(誰にだ、まさか俺か?)ベッドにゆっくりと俺を押し倒した都築が、「痕を付けたいとか独占欲だな」「もうオレのモノだし、オレも篠原のモノだ」「可愛い」とかちょっとよく判らないことをブツブツ言いながら俺の頬や首筋にチュッチュッとキスをして、それからまた両足を抱え上げたから、甘さとか気持ちよさとかが綯い交ぜした奇妙な心地でシーツに縋りついて都築を見上げていた。
 うっとりと気持ちよさそうに額から蟀谷、頬から顎にかけて汗を滴らせながら一瞬でも色素の薄い琥珀色の目を離さずにジックリと平常運転で凝視してくる都築にガクガク揺すぶられてる俺は、いったい今、どんな顔をしているんだろう。
 って言うか、前にAVで観た時は素股なんて…ってバカにしてたけど、ホント、童貞の驕りでした、ごめんなさい。
 素股、メチャクチャ気持ちいいんだけど、どうしよう。

「…ん、んぅ…」

 眉根を寄せて、たぶんきっとヘンな目付きで見上げてるに決まってる俺の目線の先、都築がそんな俺のことをやっぱりジックリと見据えてくる。
 獲物を狙う肉食獣のような凶暴さは鳴りを潜めて、なんだか、俺のことなんか好きでもなければタイプでもないクセに、なんでそんな大好きそうな、大事そうな顔をして凝視してくるんだよ。
 アレか?その、え、えっちの最中は相手を好きになるとか、そんなタイプだったのか。
 全然、信じられないんだけど気持ち悪いな。
 身体中をそれこそ余すところなく弄り倒した挙句に、イく度に舐めるように俺の表情を凝視しまくった都築は漸く満足したのか、何度も強制的に吐き出させられてぐったりしているチンコとか腹に凄まじい量の精液をぶちまけやがった。
 ぶちまけられた時に反射的にちょっと出たのは…内緒にしておこう。
 素股のショックと激しく揺すられたのと精液をぶっかけられたことと何度も射精したせいとでぐったりしている俺の足を下ろすなり、都築は弛緩している俺に覆い被さるようにして抱きついてくると、ガシッと色気もクソもないだろう鬱陶しい黒髪を掻き分けるようにして頭を掴みやがって「可愛い可愛い」なんて意味不明なことを口にしながらポケッと開いている口にチュウチュウ吸い付くみたいなキスをしてくるから呆れた。
 呆れたけど、どうやら素股で満足したみたいだし、掘られそうにないようでホッと安堵してたりもする。
 汗に貼り付いてる色素の薄い前髪の隙間からの、必死の凝視に若干引き攣らせる俺の顔を覗き込むと、都築はまだ荒い息を整えもせずに頬を摺り寄せながら言うんだ。

「オレは篠原を手離さないからな。誰にもやらないし、オレだけのモノだ」

「お前はひとをモノ扱いすることを、まずは先に改めるべきだと俺は思うけどな」

 だいたい、何時、誰がお前のモノになるなんて言ったんだよ。
 今回は尻に指なんか突っ込まれた挙句に、ローションなんて新たな道具が追加された危機感で、仕方なく素股を許してやったに過ぎないんだぞ。
 断じて流されてとか、鈴木の件でちょっとごにょごにょって思ったとか、そんなことじゃないんだからな!

「…篠原はさ、オレのこと、もう好きだよな?」
 
 射精してスッキリしている筈なのに妙に興奮したままだなコイツ、って思っていたけど、なんかまたおかしなことを考えて勝手に盛り上がってるみたいだ。
 都築ってさ、いろいろ考えているみたいだけど、よくあんなに気持ち悪いことばっか思い付くよなぁ、ちょっと吃驚するぐらい気持ち悪い。
 気持ち悪いは重要だから2回言ってるんだからな。
 フンフン鼻息荒く全身で抱きつきながら、何時もの仏頂面をニヤけさせただらしない顔をする都築を見ていたら、なんかムカついてきた。
 よし、冷水を浴びせてやろう。
 そもそも、好きでもなければタイプでもない、なんて言ってるヤツをこれっぽっちだって好きであるワケがないだろ。

「はあ?そんなワケないだろ」

「嘘だな。じゃないと初心な処女のクセに素股してもいいなんて言うかよ」

「…それは、尻に突っ込まれるぐらいなら素股のほうがいいかなって、消去法で選んだだけだ」

 興奮したままで、ともすればまた勃起しそうな都築の身体を邪険に押し遣りつつ、漸く呼吸が整ったから起き上がって、枕元にご丁寧に準備されているウェットティッシュ(興梠さん…)を掴むとフンッと鼻を鳴らしながら外方向いてやった。

「尻だと、ネットで検索したら裂けて血が出る場合があるとか腰砕けになるほど気持ちいい場合があるって。そんなの、一度体験したら後戻りできないし、何より裂けて血が出るほど痛いのが怖い。でも、素股ならそんな風に大袈裟には気持ちよくならないだろうし痛くないだろ?それに何より気持ちが悪いに決まってるから、だから、素股の方を選んだんだ」

 俺に釣られたように起き上がって不満そうに話を聞いていた都築は、「なんだ、それ」とかなんとかブツブツ言いながらガックリしたみたいだったけど、俺としてはそうでも言っておかないと、今度また素股させろとか言われたらたまったモンじゃないからさ。
 都築には言えないけど…確かに吃驚するほど気持ちがよかった。
 ちょっと、クセになりそうだよね。
 散々、都築に性に疎いとか初心だとか、(何故か)処女だとか言われて馬鹿にすんなって思ってはいたんだけど、俺、本当にえっちなことに疎かったんだな…つーか、たぶんこれ、最近は鈴木がいたおかげで止まっていたけど、あの毎晩の睡眠エロ学習のせいなんじゃないかって思う。
 じゃないと、気絶しそうになるぐらい気持ちいいなんて思うワケがない。
 都築に背中を向けて真っ赤になった顔を隠しながら、俺は態と不機嫌そうなのを装いながらウェットティッシュで腹とかチンコから滴り落ちる、粘る精液を拭っていた。

「悪かった…」
 
 不意に背後から都築が抱きついてきて、一瞬、我が耳を疑うようなことを口にしたりするから、恥ずかしいやら照れ臭いやらで赤くなっていた頬が問題なく元に戻ったぞ。
 つーか、どうした都築。
 仏頂面標準装備で傲岸不遜な俺様御曹司が…謝るだと?
 何が起こったんだと一瞬思考停止していた俺は、でもすぐさまハッとして、恐る恐る背後を振り返ろうとしたんだけど、スンスンと後頭部とか首筋の匂いを嗅ぎながら乳首を弄りつつ、尻にゴリッゴリした股間を擦り付けてくる通常運転の気持ち悪い都築を打ん殴りたくなった。
 通常運転じゃねーか!…つーか、乳首を弄るな!尻に執着してたくせに乳首にまで興味を示すなッ。
 しかもお前、やっぱ勃ってんじゃねえか!

「悪いと思うなら最初っからすんなよ!エロ都築ッ」

「素股は悪いとは思っていない。寧ろお前はもっとオレとヤるべきだと思っているぐらいだ」

 んぎーっと引き剥がそうとする俺のことなんか蚊でも止まったレベルで抑え込んで、やれやれと首を振りやがる都築…コイツ何を言ってるんだ?普通に気持ち悪いんだけど。
 引き剥がす努力を早々に諦めて、困惑に眉を寄せつつも、飽きれたように溜め息を吐いてやる。

「そんなに何度も許すワケないだろ」

「クッソ!初心な処女だからこその身持ちの固さが忌々しいんだが……ッ」

 都築は悪戯を止めて本当に忌々しそうに背後からギュウッと抱き締めつつ、満更でもなさそうに「そこが可愛い」「オレのモノだ」とかちょっと何を考えているのかよく判らないことをブツブツ言っている。

「じゃあ、何が悪いと思ってんだよ?」

 俺の腹に腕を回して肩に額を擦り付けるようにしてスリスリしてくる気持ち悪い都築に、俺は不穏な気持ちになりつつ眉根を寄せたまま首を傾げてみた。
 俺の眉間、そのうち深い皺になるんだろな。
 
「篠原がはぐらかしている理由は怒っているからだろ?」

「はぁ?別にはぐらかしていないし、正真正銘の心からの理由だけど…」

 心から断言したってのに、都築のヤツは全く聞く耳を持たないようだ。
 最初っから俺の話とか、あんまり聞かないよな。
 あんまりじゃないな、聞いてないよな。
 やっぱり、普通に殴ってもこっちは心が折れそうなんだから正当防衛でいいんじゃないかな。

「無理に言い訳しなくてもいい。オレにはちゃんと判っている」

 あれ?コイツ、さっき引き剥がそうとした時にでも頭の螺子が緩んじゃったのか??
 ちょっと興梠さんを呼んだほうがいいかな…いや、待て待て。
 そうだな、こんな変態には親友擬きのこの優しい俺が懇切丁寧に教えてやらないと世間に迷惑をかけるだろってさ、折角張り切ろうとしたってのに都築のヤツは。

「お前が大事にしているキッチンに、鈴木を立たせたことは本当に悪かったと思っている。だから、これからはオレを満たすのは全部お前だけでいい」

「あ!そーだよ!!俺に無断で二度とキッチンに他人を立たせるんじゃないぞッ!今度やったら絶交のうえ叩き出すからな…ってなんでニヤニヤしてんだよ?」

 そう言えば思い出した怒りにプッと頬を膨らませて、俺がプリプリ激おこでバシバシ叩いているってのに都築のヤツ、意に介した風もなく肩に顎を乗せてニヤニヤしながら色素の薄い琥珀のような双眸で見上げてくるんだ。
 まあ、俺ぐらいの反撃なんか屁でもないんだろうけどさぁ、ムカつくよね。

「オレは生涯、お前の飯しか食わないんだろうって思ってさ」

「はあ?何言ってんだよ、余所で食べてくれて結構です。問題は、キッチンに他人を立たせるなってことで…」

「言い訳なんかいい、キスさせろ」

 んーっと唇を尖らせてご満悦の顔を寄せてくるから、それこそなに気持ち悪いことしてんだと片手で押し遣りつつムッとして俺は言ってやったんだぜ。

「言い訳じゃない。俺の家では俺が作るモノ以外の手料理は持ち込まない条件で置いてやってた話をしただけだぞ。神聖なキッチンに鈴木を立たせたお前は死ぬほど憎らしいって言ったのも事実だし、鈴木を羨ましいって言ったのはアイツ、いい道具持ってきてたから…ってなんだよ、その顔は。最後まで言わせなかったお前が悪いんだろ」

 都築はこれ以上はないってぐらいの不信感丸出しの仏頂面をして、俺を胡乱気に睨んできたんだよね。
 でも、これだいたい本音だからさ、そんな顔されても何にも出ないぞ。
 まあでも、ちょっとぐらいはぐらかしてる部分がないとは言わないけど…都築には内緒だ。

「いって!痛ッ!!…なんで噛むんだよ?!」

 不意に肩にガブリと噛みつかれて、俺は盛大に眉を寄せて派手に呻いてしまった。だってさ!本当に痛いんだよッ。本気で噛んでやがるな、コイツ。
 都築は「プロポーズだと思ったのに」とか「このまま突っ込んでやろうか」とか、気持ち悪いだけでよく判らないことをブツブツ言いながら、俺の肩に歯型をクッキリ付けても満足できなかったのか、痛い痛い言ってる俺を尻目に首筋にも吸い付いてばっちりキスマークまで付けやがった。
 俺も都築の肩に歯型をバッチリ付けたから、コイツ、あんな平気そうな顔して嬉しそうにしてたけど、本当は結構痛かったんじゃないか?
 恨めし気に俺の肩にある歯型を舐める都築が突っ込んでこないところをみると、どうもコイツは覚えていないようだけど、本当は興梠さんもキッチンに立ったことがあるんだよね。でもあれは、俺も了承していたし…ってのはちょっと言い訳かな。
 まあ、確かに『鈴木だったから』って点は大きかったのかもしれない。
 でもそんなこと、都築には言えない、言っちゃいけない気がメチャクチャするから黙っていようと思うんだ。

「ふん、今はそう言っていればいいさ。どちらにしても、もうお前はオレのモノだ」

「だから、誰が何時お前のモノになりますなんて言ったかよ?」

 忌々しそうな何時もの仏頂面じゃない不機嫌そうな顔で鼻に皺を寄せていた都築は、それでも何故かよく判らない持論でもって納得したように俺の色気もクソもない黒髪に頬をスリスリしてきて、そんなやっぱりワケの判らないことを言ってやがる。

「素股でも全然良かったな…大学を出るまでには初夜をって思っていたけどさ、お前処女だから、よく解さないと受け入れ辛そうだ。だから、慣らす間は素股でいい」

 お前にはいいかもしれないけど、俺は素股を受けれたワケじゃないんだぞ。
 ローションなんか持ち出しやがって、尻の危機にどうしていいか判らないから苦肉の策で素股なら許すって言ったんだ。

「……あのな、俺はケツに何か入れようとも思っていないし、素股だってそう何度も許さないって言ってるだ」

「セフレは全部切る。これからはずっとお前だけでいい」

 はぁ?!ヒトの話を遮って何を言ってくれてるんだッ!

「いや、ちょ、お前、ヒトの話を聞けってば!」

「聞いてるだろ?」

 ケロリとした仏頂面でジックリと俺を見下ろす都築の双眸は怖いぐらい真剣そのもので…これはヤバい。
 だってさ、都築って毎日抜かないとちんちん痛いって言うぐらいの絶倫猛獣なんだぞ…毎日あんな気持ちいいことされたら、俺、頭もおかしくなるだろうし何より身体がもたない。

「お前の性欲なんかに付き合えるかよ!絶対に嫌だ、セフレは切らずにそっちで勝手にやってろよッ」

「……」

 都築のヤツは何も言わずにニヤニヤと笑っている。
 そのツラを一発でも殴れたらいいんだけど、俺は青褪めてゴクリと息なんか飲み込みながら『マジかよ…』って都築を見て決意を固めた。
 よし、判った。
 なんとしてでもコイツから逃げよう、逃げ切ってみせる!
 なんて、我が身の危機に震えるほど怯えていた俺が、別に一回掘られるぐらい…とか後悔する日が来るなんて思ってもいなかった。
 こんな巫山戯た気持ちの悪いじゃれ合いが良かった…と思う日が来るなんて、俺は考えてもいなかったんだ。

□ ■ □ ■ □

●事例20.セフレを使って嫉妬させようとするが結局自分が嫉妬している
 回答:これでよく判ったはずだ。オレとお前の間に第三者は必要ない。オレはちゃんとソレを理解していたけどさ、お前には教えておかないといけないと思ったんだ。これからは百目木とか別学部のなんて言ったか、ミッキーとか巫山戯た渾名のアイツの家に行こうとか考えるなよ。
 結果と対策:そっか、俺とお前の間に第三者は必要ないってのにミッキーや百目木とかと仲良くしていた俺が悪いのか。だったら、都築が鈴木とべったりで俺の神聖なキッチンに無断で立ち入らせても仕方ないんだな。今後、そんな必要ない怒りに晒されるぐらいなら傍にいないことに決めた。鈴木とでも誰とでも一緒に暮らしてください。

19.毎朝作ってくれるスムージーに精液を入れる  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 以前、同じような感じで臨時講師だった『先生』とお付き合いしていた時のような派手さはないものの、都築は有言実行だとばかりに鈴木と付き合い始めたみたいだった。
 鈴木は、鈴木雅紀と言う名前で、やはり都築が取った俺とはかぶらない講義に参加しているヤツだった。
 まあ、これは百目木情報なんだけど。
 柏木と百目木には内緒だけど、都築のセフレだった子を彼女にしてご満悦のヤツらは、俺が都築と別れた(付き合っていない)ことを知ると腰を抜かすほど驚いていた。
 どうしてそこまで驚かれるのかこっちのほうがビビッたけど、どうせまた『先生事件』みたいに都築の画策なんじゃないかと疑わしそうな目付きをして、でも相手が鈴木雅紀だと知ると妙なことにすんなりと納得したみたいだった。

「鈴木なら仕方ないな。鈴木は平凡なツラをしてるけど名家の出だし、実家はグループ会社を幾つか持ってる企業の社長だから、都築にはピッタリの相手だよな」

 男でも、とちゃんと百目木は付け加えた。
 知らなかった情報を耳にして、ああ、それなら尚更アイツはとんでもない相手に手を出したのかと、今回の俺の決断は強ち的外れではなかったんだと納得できた。

「お、噂をすれば」

 柏木の視線の先を見て、俺は何故かソッと唇を噛んでいた。
 『先生事件』の時は、都築はこれでもかと俺に見せつけるように先生とイチャイチャしていたけれど、鈴木とはごく普通に歩いている。ただ、その目付きが優しい。
 愛しいひとを見るような優しい目付きで、特に肩を抱くワケでもなく、さり気ない気配りで相手を大切にしていることが判る仕草だ。
 なんだ、やればできるんじゃないか。
 俺にはウザいぐらい構い倒していたくせに、でも、その仕草に愛情は感じなかった。
 ただひたすら、自分のモノだと主張するみっともない独占欲と執着心だけが感じられる気持ち悪さだったけど、鈴木に向ける都築のそれは、紛れもなく愛情だと判る。
 そりゃ、そうだよな。
 アレだけの会話でも、都築が鈴木を気に入って大事にしているのが判ったんだ。
 鈴木の愛情に気付けば相思相愛になるのも時間の問題だったんだよ。

「なんか、篠原と一緒にいるときより落ち着いてるな」

「案外、しっくりしてるんじゃないのか、あの2人…っと、すまん」

「…なんでそこで謝るんだよ。別に気にしてない。清々してるぐらいだ」

 都築たちから目線を外してフンッと鼻で息を吐きだしてから、俺はアイスカフェモカをジューとストローで吸い上げた。
 そう言えば先生の時もカフェモカを飲んでなかったか?
 因果は巡るとか言うなよ…

「はぁぁ…可哀想になぁ、篠原。捨てられたからって落ち込むなよ。きっと素晴らしい出会いがあるって」

「うんうん。絵美ちゃんに友達紹介してもらおうか??」

 何故か俺が捨てられた設定になっていて、可哀想にと頭を撫でてくる百目木と柏木の憐れむようなバカにした目付きに苛々したから、俺は4本の腕を振り払いながらブウブウと口を尖らせて悪態を吐いていた。
 都築と目線が合ったんだけど、賑やかに構われる俺を小馬鹿にしたようにチラッと見ただけで、しょうがないヤツだなとでも言いたそうな目付きをして、それから何かを囁く鈴木にクスクス笑って首を左右に振りながら行ってしまった。
 …なんだよ、そのイケメン態度は。
 前みたいにギャンギャン言ってこないのはいい。確かにこれっきりと言って出て行った手前、嫉妬心むき出しでギャアギャア言うのはどうかしてるし、都築にだってそれなりにプライドがあるだろう。
 だからってお前から仕方ないヤツ扱いをされる謂れはないぞ。
 なんだよ、男同士で仲良くしかできないガキだって思ってんのかよ。
 …なんか、ムカつくな。

「絵美ちゃんはいいよ。でも、俺合コン行く」

「は?!」

「何いってんだよ!」

 テーブルの上でグッと拳を握る俺に、何故か百目木と柏木が驚いたみたいに双眸を開いてから、それから慌てて止めようとするんだ。
 何故だ!お前らだって(都築の元セフレとは言え)彼女ができて超ハッピーって浮かれてんじゃねえか。

「そもそも、俺が童貞だから都築にバカにされてきたんだよな。だったらこんなモン、大事に取っとく必要なんてないんだから、彼女を作って捨ててやるッ」

 別に彼女とかじゃなくてもいい。
 都築みたいに少しは爛れた関係を持てばいいだけだ。
 お持ち帰りで一発決めたら、都築だってあんなツラしてバカになんかしなくなるだろ。

「おいおい、ちょ、お前しっかりしろよ?!何があったか知らないけど、合コンはやめておけ合コンは」

「そうそう!自棄になんなって」

「自棄になんかなってないし、俺は別に通常運転だってのッ!それに…」

「なんだ、篠原。合コン行くって??」

 柏木の(何故か)必死な引き止めに百目木も頷いて、その一々に苛つきながら言い返そうとした時、背後でデイパックを抱えた菅野久美がスマホ片手に憎めないタレ目でニヤニヤしつつ声を掛けてきたみたいだった。

「そうそう!久美ちゃん、近々合コンってない?」

「ふ~ん…と、5日後にM女大との合コンがあるね。参加者がひとり行けないってんで欠員出てるんだ」

 既に学部内では久美ちゃんで通ってしまっている菅野は、呪いのメールを相変わらず炸裂しているものの、最近ではもう悪態は吐かなくなった。飲み会という名の合コンの時に、女の子から『久美ちゃんって可愛い(ハートマーク)』と言われたのがクリティカルだったんだろう。

「それ、参加する!…あ!都築は来ねえだろうな」

 アイツが参加するならやめるけど。

「都築?都築なら最近は合コンも飲み会も断ってるよ。本命ができたんだって噂だから、やっと子守から開放されて良かったな、篠原~」

 バシバシと肩を叩かれて、そっか、詳しく知っている百目木や柏木以外の連中には、俺は都築のお世話係としか見られていなかったんだよな。
 それはそれでなんとなくムカつくけど、合コンも飲み会もパスして会社に感けつつ、鈴木やイケメン秘書とゴニョゴニョに勤しんでいるんなら、都築としてはまともになってると言えるな。

「そっか!だったら俺、その合コンに参加するッ」

 宣言するように鼻息も荒く拳を握るのと、百目木と柏木が何故か青褪めるのは同時だった。

「別学部の連中も参加するから、篠原も交流の輪を広げるといいよ~」

 なんて菅野の間抜けた台詞に(何故か)百目木たちが青褪めたままで睨んだんだけど、俺は感謝して大いに頷いていた。

□ ■ □ ■ □

 一人分の夕食の準備をしていると、不意に立て付けの悪い安物のドアのノブがガチャガチャされて、勝手に鍵を開けた闖入者が恋人を伴って侵入してきやがった。

「…何しに来てんだよ」

 味見に小皿に取った出汁を舐めながら眉根を寄せると、都築は俺なんかどうでもいいようにフンッと鼻で嗤ってから、鈴木の腰に手を当ててその耳元に囁くように言っている。

「そこと、あそこにあるから、一緒に詰めてくれ」

「うん、判った。必要なものだけでいいの?」

「ああ」

 どうやら荷物を取りに来たようで、先生の時と違って俺が送り返さなくてもいいみたいで安心した。

「ついでに監視カメラと盗聴器も外して行ってくれ」

 俺を端から無視して2人の世界もいいんだけど、一言ぐらいは悪態を吐かないと、プライバシーのプの字もない俺が理不尽だ。
 少し塩気が足らないかなぁと、今夜のポトフの味見をしつつ、こっちこそフンッと鼻で息を吐き出すと、都築のヤツは「監視じゃない防犯だ」とかなんとかブツブツ言いながら、それでもストカーキットは放置する気満々みたいでうんざりする。

「すみません、食事の準備中にお邪魔してバタバタしちゃって…一葉が荷物は早いところ引き上げたほうがいいって言うから」

 とか、誰も聞いていない言い訳と謝罪を、腰に回る都築の手を意識して頬をほんのりと染めながら、鈴木は困ったように微苦笑して軽く頭を下げてきた。
 その双眸の奥に、何処か勝ち誇ったような色が見え隠れしたと思うのは、俺の卑屈な思い込みかな。

「別にいいよ。狭い部屋だから、余計なものは早くなくなったほうが助かる」

 バンッ!
 不意にビクッとしたのは、俺の言葉が言い終わるか言い終わらないうちに、いきなり都築が分厚い参考書を床に叩きつけたからだ。

「…安普請なアパートなんだから、あんまり大きな音を立てるなよ」

 思わずお玉を取り落としかかったなんてことは微塵も感じさせずに、俺は溜め息を吐きながら振り返りもせずに都築に言った。

「悪かったな、余計なモノを置いたままにして。そんなに邪魔なら、明日オレの家に全部持って来い。郵送は受け取らないからな。行くぞ、雅紀」

 粗方の荷物を詰め込んだボストンを肩に下げてから、ちょっと困惑している鈴木の肩を労るように優しく抱いて、都築は来た時と同じようにズカズカと大股で出て行った。
 何だよアイツ、なんなんだよ?!
 すれ違いざまにボストンが強かに当たっても、都築は謝るどころか、一瞥もくれずに出て行ってしまった。
 そんな風に無体にされる謂れなんかないぞ!
 明日荷物を持って来いとか言ってやがったけど、興梠さんか属さんに預けるワケにはいかないのか…ってそう言えば、都築とこれっきりになってから、あの2人を見なくなったな。
 結局都築と終われば、あの人達とも終わりってことで、見かけないってことは、どうやら今回は本当に都築は俺とこれっきりにする気になったんだろう。
 …だったら、あのダッチワイフも始末してくれるんだろうな。
 あの気持ち悪い抱き枕とかクッションとかも始末してくれるんだろう。
 都築んちなんか悪い予感しかしないから絶対に行きたくないけど、アレらを始末しているかどうかは確り確認しておかないと落ち着かないし…はぁ、嫌だけど行くしかないか。
 と言うことで、俺は両手でダンボールと、肩に都築のゴチャゴチャした荷物を収めた紙袋を下げた状態で、タクシーと言う痛い出費にもメゲズに都築んちの豪華なマンションのエントランスに立っているワケだけども。

「お待たせいたしました。都築様より確認が取れましたのでお通り頂いて結構です」

 顔パスだったと思ってそのままエレベーターに乗ろうとしたら、コンシェルジュのお兄さんと警備員のおっちゃんに捕まってしまって、なるほど、そこまで徹底することにしたんだなと氏名を名乗って都築に取り次いでもらった。
 で、OKが出たからエレベーターに乗ったワケだけど、だったら合鍵も取り上げておけよといらない恥を掻いちゃったじゃないかと苛々しつつ、合鍵で開けて入った室内はシンッと静まり返っていて寒々しかった。
 何が違うんだろうと思って、ああそうか、何時もなら都築が迎えに飛んで出てきて、何か小芝居をしてから入っていたから、初っ端のあの賑やかさがないのか。
 広い家は嫌いだな。
 リビングを覗いても暗くて誰もいる様子がなかったし、都築は専ら寝室で全部の用を足してしまうと何時か興梠さんが嘆いていたから、俺はそのまま主寝室まで行った。主寝室まで行って、「都築」と呼びかけながら扉を開いた。
 ああ、そうか。
 合鍵を返させなかったワケはこう言うことか。

「んぁ…あ、ああ…一葉、イイ…もっと奥!奥を突いてッ」

「クク…可愛いな、雅紀」

 ベッドの上で肌色が踊っていて、鈴木の両足を肩に担ぐようにして腰を叩きつけている結合部のリアルさ、ジュブジュボッと湿った音が響く室内は厭らしい匂いと気配で満たされていて、俺はぼんやりと初めて見る都築と他人のセックスにショックを受けたみたいに固まってしまっていた。
 いや、セックス自体、生で見るのは初めてだ。
 都築の逞しい背筋の隆起は惚れ惚れするほど引き締まっていて、男なら、一度はなりたい理想の体型だなと思う。ピストン運動に強張ったり弛緩したりする様は、無駄のない筋肉の流れみたいなものが見て取れて、鈴木のほっそりした足首が妙に艶めいて揺れている。
 汗の流れが筋肉の動きに沿うように流れポタポタ…と鈴木の白くてやわな腹に落ちる。
 薄いゴムから透ける血筋を浮かべるチンコがグッグッと突き込まれる度に結合部の微肉が誘うような厭らしい赤をチラチラさせて、鈴木の気持ちいいのか辛いのか、複雑な表情の中で唯一淫らに歪んでいる口許からは引っ切り無しに嬌声が婀娜めくように漏れていた。
 指先が乳首を弄んでいるところをぼんやり眺めていたら、不意に俺の手から荷物がドサリと重い音を立てて落ち、荒い息と激しい肉と肉のぶつかる音が不意に途絶えて、それから不意に汗に張り付いた前髪を掻き上げながら、都築がフゥッと息を吐き出して俺の方に振り返ったみたいだ。
 俺自身も荷物の音でハッと我に返った。

「荷物を持ってきたんだろ?そこに置いてさっさと出てけよ」

 どうでも良さそうな、面倒臭そうな気怠げな物言いにカチンときたけど、鈴木が「いやぁ、やめないでッ…もっとして!もっと突いてッ」と腰を擦り付けながら都築に甘えているのを見ると、俺自身も何だかどうでもいいような気がして溜め息を吐きながらダンボと紙袋を床に置いた。
 帰りにリビングのテーブルに鍵を置いておこうと思って、人形と犯ってるのとは違う生々しさはいっそキッパリと気持ち悪いもんなんだなとか思いながら何も言わずに立ち去ろうとしたのに、都築のヤツが「ちょっと待て」と傲慢に呼び止めるから、なんだよと胡乱な目付きをして振り返った。
 その矢先、何か硬質で硬いものが投げられて、俺は慌てて手を差し出したけど… 

「必要ないから返す」

 まるで不要なゴミクズを投げ捨てるように放ってきた俺の部屋の鍵は受け止めそこねて、やっぱり硬質な音を響かせて床に転がった。
 一瞬だけグッと拳を握りしめたけど、大丈夫、俺は傷付いちゃいない。
 こんなことぐらいで、涙なんか溢れもしない。
 俺は小さく息を吐き出して自分を落ち着けると、やれやれとわざとらしく溜め息を吐きながら投げ捨てられた…なんだこれ、マスターキーじゃねえか!合鍵だとばかり思っていたのに、なんで都築のほうがマスターキーを持っているんだ?!
 ハッ、いや、そんなこた今はどうでもいい。
 俺は自分の(何故か)マスターキーを拾ってポケットに取り敢えず避難させて、それからまだ鈴木に挿入したままで胡乱な目付きをしている都築を見て、ズカズカと近づいて行った。
 都築は俺が何か文句か泣き言でも言うのだろうかと、こんな時だってのに、鈴木と犯ってる最中だってのに、目をキラキラさせて俺の出方を待っているみたいだ。なんだよ、その目はムカつくな。
 セックスを見せつけたり鍵をゴミみたいに投げ捨てるだけが酷い行為じゃないんだぞ。
 ひとを傷付けるつもりなら、最後までキッチリやれよ。
 このヘタレ。
 ゴミ箱を覗くと昨日から犯ってるのか、それとも今日1日でこの量なのか、考えたくないから考えないことにしたけど、口も縛っていないゴムたちから大量の精液が零れているのを確認して、これで充分だと頷いた俺は、徐に顔を上げて、ついでに顎も上げて、ポケットから出した人差し指と親指で摘んでいるキーホルダーを見せた。
 それにはもう、都築んちの合鍵しかついていない。
 都築は怪訝そうな顔をしたけど、それから徐にハッとしたみたいだった。
 何故か焦ってチンコを引き抜いて泣いて嫌がる鈴木を喘がせたけど、俺はそんなこたどうでもいいってツラをしたまま、クッと顎を上げたまま、俺史上最強の上から目線で面倒臭そうに眉根を寄せてこれ以上はないぐらいの蔑んだ目付きで何か言おうとする都築を遮ると、南極のブリザードより冷ややかな馬鹿にした口調で言ってやる。

「使用済みはいらないんだったよなぁ。俺は返せないからさ」

 カシャン…と繊細な音を立てて俺の指を離れたキーホルダー、月と星、ダイヤとアイビーの愛らしい、都築がデザインまでしたなんつー厄介なプラチナの塊と都築んちの合鍵は無常にゴミ箱に落下して、予想して慌てて差し出した都築の指先を掠めると2人分が混ざっているんだろう大量の精液の中に埋もれてしまった。
 それは都築の想いの篭っているはずのキーホルダー。
 俺がどんなに無体な目にあわされていたとしても、文句も何も言わずに大事にしていることを、都築は知っていた。
 呆然とした都築は要領を得ない人みたいに、口を開きかけて、何も言えなくて閉じ、また開くを何度か繰り返してゴミ箱を凝視していたけど、俺は何をそんなに驚いてんだよと馬鹿にしたように鼻で嗤ってやる。

「…捨てるのか?」

 ふと、都築の薄く開いた唇から声が漏れて、俺は眉を顰めて蔑んだ目付きのままで笑って言った。

「安心しろよ。そんな汚ねぇの二度と拾ったりしないからさ」

 精液に塗れた静かな輝きは、薄汚れた俺みたいだなと一瞬思ったけど、都築にしても俺にしても、自業自得だ。これで良かったんだ。
 都築は色をなくしてしまったような双眸をゴミ箱から上げたみたいだったけど、俺は肩を竦めると両手をお手上げみたいにジェスチャーをして都築に背を向けた。

「それじゃ、これでホントにさよなら。お幸せに」

 それだけ言うとさっさと都築んちを後にした。
 鈴木は呆気に取られたみたいに、全裸の間抜け姿で呆然としている都築を見て、それから何故か批難したいように俺を見ていたけど、お門違いもいいところだ。お前ら2人で何を企んでたのか知らないが、馬鹿にされるのも、駆け引きしようとするのも、もううんざりなんだよ!
 本当はキーホルダーを捨てることまでは考えていなかった。せいぜい、ここに置いとくからなと言って適当なところに置いて、都築が投げ返してくるんだろういつかの日を待っていればいいとか、そんな安易なことを考えていたんだ。
 でも、都築が鈴木と寝ていて、初めて他人を抱く都築を見たら、アイツには腐るほどセフレがいて何を今更って思うんだけど、頭が沸騰したみたいに血が昇って胸はモヤモヤで押し潰されそうで、何も考えることができなかった。
 荷物を落とす音で我に返って、そしたら、こんな場面を見せつけるほど俺が憎いのなら、中途半端なことはせずに断ち切ろうと…頭の何処か片隅から、都築を傷付けて離れてしまえと声が聞こえた気がしたんだ。
 そうしてその声を決定打にしたのは、俺の合鍵(マスターだったけど)をゴミクズにしたことだった。
 都築は俺から心が離れても、きっとあのキーホルダーは特別に思っていると確信していたし、アレを俺が手放すことがどう言うことなのか、充分よく熟知している。
 だから、「捨てるのか」と呆然と聞いてきたんだろう。
 俺の思惑はどうやら的中したみたいだったから、クク…と喉から声が漏れて、俺は暮れなずむ茜色の空を仰ぎながら大声で嗤った。
 笑いながら、頬に散った雫が顎に滑り落ちていくのを感じていた。
 ここは都会で、ちょうど会社帰りの家路を急ぐリーマンとか学生とかがギョッとしたようにそんな俺を見たけど、誰も何も言わずに立ち去ってくれるから、俺は一頻り馬鹿みたいに笑ってから、滲む景色の中にフラフラと歩き出しながら、俺を傷付けた都築に「ざまあみろ」と呟いていた。

□ ■ □ ■ □

 バイトの帰り道に都築がウアイラを止めていたガレージの前を通ったら、何時の間にかガレージは壊されていて更地になっていた。
 もうこれっきりと言っていたし、俺もキーホルダーを捨てて、それから大学で何か言いたそうに近付こうとする都築を尽く無視しているから、漸く諦めて鈴木へと気持ちを切り替えたんだろうな。
 更地を横目にどうでもいいと思って家に帰ってシャワーを浴びて、それから仕込んでいた遅い晩飯に火を入れて、ホカホカのご飯でお腹を満たしてから、歯磨きしてぐっすり眠る。何時ものルーチンワークにスヤァ…ッと夢の国に行きかけた時、夜の静寂にブォン…と低く響く重いエグゾーストノートに瞼を開いた。
 寒い最中にエンジンを切って、その重いエグゾーストノートを持つ車の持ち主は、これから4、5時間はそこでジッとしているんだ。
 毎晩来る夜中の来訪者は人が起き出す時間になると姿を消す。
 属さんを捕まえた俺が脅しまくって部屋の監視カメラと盗聴器を外させたから、俺の動向は俺以外誰も知らなくなった。いや、本当はこれが正常なんだからな。
 服も一新して、昔の服は捨てるのが勿体無いから、そのまま部屋着で置いている。と言うことで、服に着けていた小型GPSも、スマホに入っていたアプリなんかを機械に詳しい柏木に頼んで一新してもらったから、GPSは全て今は役に立たない状態だ。
 はぁ…と、知らず口の端から遣る瀬無い溜め息が零れた。
 大学でチラリと見た都築は、若干眠そうなものの、鈴木と楽しそうに談笑しながら闊歩していた。何も問題はないと、その背中がキッパリと宣言している。
 ずっと無視しているから俺に近付くこともない…はずだったけど、気付いたら横に座っていたり、真後ろに座っていることが多々あった。ただ、もう俺のことは見ない。
 アレほど異常なまでに視姦レベルの凝視は鳴りを潜め、その分、鈴木をジックリと見ているようで納得した。なるほど、もう俺のことは何も気にならないから傍に寄って来れるんだよと主張しているワケか、って思ったね。思うよね、普通は。
 電話番号とメールは着拒したし、俺はラインとかSNSとかしないから、細やかな繋がりもなくなった。
 流石に引っ越しまではできなかったら、新聞受けに手紙が入るようになった。
 差出人は不明だし、返信を期待しない手書きの手紙…と言うかメモかな。
 今日は何処其処で見かけた、今日の服は可愛い(なんだそりゃ)、今日は誰それと話していたけど友達なんだろうか…とか、それもまた薄気味悪い内容で。
 それと、何故か使い捨ての容器に入れられたスムージー…なんだそれって思うよね。
 人が眠り込む3時半とか4時半頃に投函されている。
 最初にエグゾーストノートを聞いて目が覚めた時に、まんじりともせずに俺自身、起きて様子を伺っていたんだ。それが何日も続いて、何を考えているんだアイツはと思いながらも、メモはまだ捨てられずにいるし、モノを粗末にできない性格のせいで律儀に拾った時に冷蔵庫に保管したスムージーも朝食前に完食している。
 ただ、本当に気持ち悪いのは、そのメモとスムージーを投函する時に新聞受けを部屋側に押し開くんだけど、そのまま2~30分はジッとしているんだよな。その時間帯だと誰も通らないことを綿密に調べ尽くしているのか、ジッとしゃがんだ状態で、俺んちの部屋の中の気配を窺っているんだろう。
 もしかしたら匂いとかも嗅いでいるのかもしれない。何それ、キモい。
 枕をギュッと抱き締めながら様子を窺っていたら、俺んちの新聞受けには受け皿がなくて、そのまま床に直接新聞が落ちる仕様なんだけど、偶にニュッとスマホが挿し込まれてカシャカシャと写真を撮っているみたいで、その時は思い切り引いたなぁ。
 …はぁ、アイツ、何してんだろ。
 深夜と言うよりもそろそろ夜明け前だという時間帯に、やっぱり鉄製の階段を慎重に昇ってくる音がして、それからコツコツと歩く音、ピタリと止まる俺の部屋の前で屈み込んだのか、キィ…っと古い家屋には付き物の耳障りな音をさせて押し開いた新聞受けが開きっぱになっている。
 これが2~30分も続いてから、徐にかさりと音がして白い紙切れがポトリと落ちて、続けてゴトッと重い音がする。スムージーか…
 名残りを惜しむように一旦閉じた新聞受けが再度開いて、何か逡巡しているようだったけど、諦めたみたいに閉じられて、それからコツコツと足音が鉄製の階段を降りて行き、車のドアの閉まる音とエンジン音が響くと、今日の一連のお勤めが終了した都築は帰っていったようだ。
 本当にアイツ、何がしたいんだろう…!
 そして俺は今日も、眠れぬ夜を過ごすように頭を抱えて唇を噛みしめるんだ。

□ ■ □ ■ □

 少し前から仲良くなった別学部の学生に囲まれて、俺はそれなりに充実した日々を過ごしていた。まあ、夜の都築の奇行が意味不明で気持ち悪いけど、それでも実害もないワケだから、漸く本来なら4月から普通に過ごせるはずの大学生らしい生活を送れるようになった気がする。
 百目木とか柏木とか、同じゼミの連中といる時はさり気なく近付いていた都築も、流石にあまり交流のない別学部の学生と一緒にいると気後れするのか、それとも無意味にギリギリと奥歯を噛み締めているのか(限りなく後者に近いと思うが)、近付けずに遠目からこちらの様子を窺っているようで気にもならない。
 はじめからこんな風に、他学部の連中と面白おかしく楽しく過ごしていればよかったんだ。
 今夜の久美ちゃん主催の合コンに行く約束を華麗に交わしてから、上機嫌でマスターキーと(本来俺が持っている)合鍵がぶら下がる、別学部で仲良くなった光希ことミッキーがくれた有名ネズミのキーホルダーを片手で投げながら、口笛吹きつつ軽快に鉄製の階段を駆け上がった俺は、玄関を開けてキーホルダーごと鍵を落としてしまった。
 ついでに肩も落としてしまった。
 属さんと興梠さんが何故か俺んちの狭い玄関でギュウギュウしながら土下座をしている。

「???…あの、何をしてるんですか?」

 何処か遠い目をしながら、都築からこれっきりと言われてからこっち、殆ど顔を見なかった2人に致し方なく声を掛ける。掛けないと部屋に入れない。

「篠原様、どうかウチの坊っちゃんを許してください」

「篠原様、都築は悪気があったワケではなく、ただの子どもじみた悪戯だったんです」

 ああ、なんだやっぱり都築のことか!
 何事かと思っちゃったよ。

「アレを悪戯の範囲で納められるほど俺はできた人間ではないので、どうぞお引取りください」

 アハハハッと一旦笑ってから、至極真剣な表情の2人にそう言って玄関のドアを大きく開いた。

「篠原様!」

 思わずと言ったように興梠さんが腰を浮かしかけたが、逸早く背後の…もう部屋に入っちゃってるよね、な属さんが慌てたように言葉を継いでくる。

「坊っちゃん、あの日泣いたんですよッ」

「はぁ?」

 あの日って何時だ??
 俺の怪訝そうな表情に気付いたのか、属さんは詳細を説明してくれた。
 特に聞きたくはないんだけども。

「篠原様がキーホルダーをゴミ箱に捨てた日です。俺、あの日坊っちゃんに呼び出されて…追い出されて項垂れている鈴木さんと擦れ違ったんで、何かとんでもないことが起こったのかって慌てたんスけども。玄関を入るなり坊っちゃんがゴミ箱から拾ったキーホルダーを綺麗にするにはどうしたらいいんだって、ゴミ箱となんか白くてドロリとした液体まみれのキーホルダーを突き出して泣きながら聞くんですよ」

「はぁ…」

「しかもマッパだったんです!」

 食器用とか、中性洗剤で洗えばいいんじゃね?と他人事みたいに考えながら、なんでそんなことも大学生になって判らないんだアイツは、と、ちょっと他人事なんだけど都築の天才的だと噂の紙一重な脳みそが心配になった。
 他人事は重要な部分だから二回言っておくな。

「……」

 まあ、でも心底どうでもいい。

「あ、今どうでもいいって顔しましたね!確かに坊っちゃんはカッコつけではないんで、自分の身なりには無頓着なんスけど、あの日はガタガタでしたね。取り敢えず付けっぱなしのゴムを外させて、シャワーを浴びるように進めてから、藤堂のジッちゃまに連絡して聞いたんです。中性洗剤を泡立てて柔らかいブラシを使って洗えば細かい汚れも落ちると聞いたんで、坊っちゃんが浴室を出るまでに準備して洗ったんですけど…」

 そこで属さんが言い難そうにゲフンゲフンと咳をする。
 興梠さんも事態は全て把握済みなのか、申し訳なさそうに人を2、3人は殺していそうな顔を顰めて俯いている。

「綺麗になったキーホルダーを見て喜んだんスけど、それも束の間で、両手で大事そうに握ったまま泣き崩れてしまって」

「何事かと伺ったのですが、とても要領を得ず、捨てられたとそればかりで」

 恐らくヘルプを出した都築の状態が尋常じゃないと判断したんだろう、属さんは兎も角も上司である興梠さんにヘルプを出して、2人で都築邸に駆けつけたものの、可愛い恋人を追い出してマッパにゴムだけ装着の情けない格好で泣いている都築に驚愕したんだろう。
 俺がその場にいても、いよいよ頭がどうかしたのか?!とビビッたに違いない。

「これはもう、恐らく篠原様が関わっているのであろうと都築に聞いたのですが、篠原は関係ない、俺が悪い。俺が怒らせるようなことをしてしまったから、俺がただ…俺が捨てられたとそればかり仰って泣かれるのです」

 ふーん…あの都築がねぇ。
 まあ、たしかに身なりなんか気にしないだろうよ、他人に自分のゴニョゴニョシーンを見せつけられるぐらいなんだからさ。
 とは言え、あの一件から随分と時間が経ったのに、今さら俺に何の用だってんだよ。

「篠原には言わなくていいと仰るので、こちらの判断で暫く様子を見ていたのですが、毎晩泣いた後にキーホルダーを握りしめて何処かに行かれるので後を追ったところ、こちらのアパートの前に来てジッとしているんですよ」

「こりゃ、坊っちゃんが本気でヤバイと思いまして、取り敢えず喧嘩したなら毎朝欠かさないと約束したスムージーを持って、謝りに行ってはどうかと促したんです」

 それなのに!と、属さんは思わず床をドンッと叩きそうな勢いでガクーッと項垂れると、疲れ果てたような声音で俺に切々と訴えてくる。

「名案だって言って作ったモノを使い捨て容器に入れていそいそと出掛けるんスよ…真夜中に」

 謝るもクソもないだろと叫ばないのは渋面の上司の手前なんだろうけど、2人とも流石に毎晩の都築の奇行に弱り果てて、考え倦ねた末に都築に内緒で俺んちに凸してきたと言うワケだ。

「今もなんですよ。大学とか、篠原様の目のつくところでは、必死で取り繕っていますけどね、夜なんか駄目なんです。気付いたらマンションを抜け出して篠原様のアパートの近くでジッとしてるんスよ。偶に匂いを嗅ぎに行ってくるとか言ってフラフラ出ていこうとするんで止めてるんですけど。もう限界なんです」

「…」

 アイツ、たしか俺にこれっきりだとかなんだとか、豪い威勢のいい啖呵を切ってくれたよね。
 俺を傷付けて、なに諸刃の剣に斬りつけられて俺より重傷化してるんだよ。

「そのうち、坊っちゃんは間違いなく篠原様をレイプします」

「はぁ?!」

 至極、本当に切迫した真面目なツラで属さんと興梠さんが詰め寄ってくる。
 取り敢えず、俺は素っ頓狂な声をあげたものの、室内に入れてもらい興梠さんたちにも上がってもらって、漸く腰を落ち着けながら話を聞くことにした。
 玄関全開で聞く話じゃないよね。
 まあ、人は1人も通らなかったから良かったけどさ。
 まだ隣りのリーマンが帰ってくる時間帯じゃなかったのが救われた。

「鈴木さんやユキさんと一緒にいても上の空で、最近はセックスもまともにしていないようなんです。それどころか、篠原様が別学部のご学友と楽しげに話している姿を見ては泣きそうになってるんスよ。それから抑えられない嫉妬心で歯噛みもしていますし。そろそろアレは限界だと思います」

 俺がアウターを100円ショップで買ってDIYした服掛けに掛けながら、なんじゃそりゃと内心で突っ込みつつ、都築用に興梠さんが常備しているマロウブルーのハーブティーを淹れてオレンジピールを添えて2人の前に置くと、興梠さんも属さんも恐縮して礼を言いつつそれどころではない顔をしている。

「目的を完全に見失っているようですし、不明瞭なことをブツブツ言っているので、セフレのお2人も少し距離を置いているような次第でして…」

 天下の都築財閥の御曹司ともあろう者が、セフレにまで引かれるほど落ちぶれちゃってんのかよ。それも俺如きをスパンと切ったぐらいでさ。

「俺のこと…好きでもなきゃタイプでもないのにですか」

 呆れて溜め息を吐きながら、心温まる喉にも優しいハーブティーを飲みつつボヤくと、興梠さんは少し驚いたように目を瞠ってから、とんでもないと細かく首を左右に振った。

「好きですよ…都築は間違いなく篠原様を愛しています」

「愛してでもいなきゃ、あんな変態行為が持続できるワケないでしょうが」

 属さん自体は前に都築が俺に「好きでもなければタイプでもない」と胸を張って言っていたのを聞いていたけど、だからこそまだそんなこと言ってんのかと、何を巫山戯たことをとちょっと呆れた感じで溜め息を零している。

「よし判った!じゃあ属さんか興梠さんで、都築に俺を好きだって言わせてよ。そしたら戻ってもいいよ」

「!!」

 唐突な俺の承諾と条件に、都築の忠実な部下の2人が魂消たように目を瞠る。
 そりゃそうだ。
 何の信条を持っているのか、俺のことを再三貶すわ好きでもないとか言うわ、タイプなんかじゃ勿論ないと言い切るようなヤツが、これだけ凹んでるからって信条まで曲げて言うわけないっての。
 知っててその条件を出したのは、もう都築と関わる気が毛頭ないからだ。

「そもそも、俺をスパンと切り捨てたのは都築の方なんです。俺んちの合鍵もゴミクズみたいにして投げ捨てたから、同じようにアイツんちの合鍵をゴミ箱に捨ててやったんですよ。これは謂わば意地の張り合いなんだから、どんなに都築が凹んでようと、俺から折れる筋合いなんか絶対ないんです。折れるなら、俺を捨てた都築が謝って連れ戻さないと戻るワケないでしょ?じゃあ、俺はこれから合コンなんで失礼しますね!」

 スクッと立ち上がって、礼儀程度にお茶に手を付けた2人を立ち上がらせると、問答無用で玄関までグイグイ押し遣りながら宣言する。

「え?!合コンとか行っちゃ駄目ですよッ」

「それは勘弁してあげてください、篠原様!」

 なんでだよ、俺の勝手だろ!
 しかもお前ら、勝手に俺んちの合鍵をまだ持ってたんだな!返せって言われないだけ感謝しろよッ。姫乃さん経由だから仕方なく許してやるんだからな!都築に使わせたら承知しない。
 と、内心で悪態を吐きつつ、必死で食い下がる2人にニッコリ笑いかけて、それじゃあ俺は着替えますんでと言って追い出しに成功した後、ドアをバタンと無情に締めてガチャンと鍵をかけてチェーンをすると、背中を預けた俺はその場にズルズルと座り込んでしまった。
 アイツ本当に馬鹿だろ。
 笑いたいのか泣きたいのか怒りたいのか判らない…って昔、なんかの歌で聞いたことあるけど、まさにそんな状態だ。
 俺は両手で頭を抱えながら、長々と溜め息を吐いた。

□ ■ □ ■ □

 都築が泣くとか…ちょっと笑える。
 声に出してわーわー泣いたのかな、それともうぅ~って男泣きしたのか、どっちにしても俺なんかのことであの傲岸不遜の俺様大魔神が泣くとか思えない。泣いたのなら笑える。
 俺が枝豆をプチプチしながらクククッと笑っていると、隣りに座っているM女大の可愛い子ちゃん!…ではなく、俺と同じ大学の別学部の可愛い里奈ちゃんがふんわりゆるカールのやわらかそうな髪を揺らして小首を傾げると、「なにか楽しいことあった?」とウルぷるの唇をツンと尖らせて小悪魔みたいに可愛らしく笑ってくれる。
 全体的にやわらかい身体まで押し付けてくれて、サービス満点な里奈ちゃんに初心な男心が赤面しちゃいます。
 酒に強くない俺が都築を真似て粋がってハイボールなんか呑んじゃったから、目も回るし気分はフワフワで、日頃こんな風に女の子と話しなんかできないくせに、気持ちが大きくなってんのか、楽しげにニッコリ笑って「別に~?でも里奈ちゃんと話せるのは楽しいかなw」とかナンパなことを言っちゃってますよ。
 キャッキャウフフフな雰囲気で盛り上がってるのに、俺の目の前の百目木(柏木は急な絵美ちゃんの呼び出しで不参加になった)が胡乱な目付きで睨んでいるのでイマイチ気分が乗らない。
 なんだよ、自分は意中のあの子とキャッキャウフフフになってるくせに、俺が片手に花で浮かれポンチになってんのが気に食わないのかよ。

「いやぁ、篠原くんって楽しいんだね!あの都築と一緒にいるから、もっとクールなのかと思ったよ」

 俺の横でミッキーが気さくに肩なんか組んできて、面白くもないのにゲラゲラ笑っている。俺は里奈ちゃんと話したいのにさー

「里奈ねぇ、いっかいだけ都築くんとヤッたんだけど。彼、すっごいエッチが上手なのにヤり捨てするんだよ。酷くないぃ~?」

 ウルルン唇を突き出して、片手に焼酎なんか持っちゃった里奈ちゃんは、相変わらず可愛いけど絡み上戸だって判った。ただちにここから離脱したい。
 笑い上戸で引っ付きたがりのミッキーもウゼェ…百目木の胡乱な目付きは正解だった。
 俺様のモテぶりを羨ましがってるなんて、馬鹿な思い上がりをごめんなさい。お願いだから、助けて…

「篠原くんてぇ、都築くんのオトモダチなんでしょー?里奈のこと紹介してほしいのぉ。もいっかい、都築くんとヤりたーい!!」

「…里奈ちゃん、そう言うこと大きな声で言わないほうがいいと思うんだけど」

 酔いも一気に醒めそうな衝撃の告白に、里奈の隣りに座っているロン毛の黒髪が艷やかで綺麗な、年上のお姉さまみたいな見た目の沙織ちゃんが、これまたプリティーな唇を尖らせて里奈をツツいている。

「今日は都築くんの友だちが来るからってみんな勇んで参加したのに、ちゃっかり里奈が横に座るんだもん、狡いよねぇ!篠原くぅーん、沙織のことも都築くんに紹介してね」

 ハートマークが語尾に付きそうな媚びられ方に若干引き気味で、なるほど、みんなが合コンには行くなと言った理由がよく判った。アレだ、俺はきっと都築を釣る餌ぐらいにしか思われていないんだ、畜生。

「だめだめ!里奈を最初に紹介して?そしたらぁ、篠原くんともヤッてあげるから」

 やっぱり語尾にハートマークが付きそうなお強請りに、できれば片っ端から打ん殴りたくなったことは内緒にしておく。
 ついでみたいにヤるとか言うな。
 俺が青褪めて死んだ魚みたいな目でハハハッと乾いた笑いを浮かべていると、横のミッキーが胡散臭そうな目付きをして、都築を釣る餌(俺)に群がる亡者どもを睨みつつ悪態を吐いた。

「今夜は都築が参加しないからって渋ってたくせに、ヒトを疑似餌か何かと一緒にすんなっての!なぁ?」

 相変わらず肩に腕を回したままでブツブツ悪態を吐くミッキーには激しく同意だけど、お前も面倒クセェよ。なんか、早く帰りたくなってきた。

「でも、今の俺には餌の価値なんかないよ。なんせ、この間バッサリ捨てられちゃったからw」

 自棄糞で言ったのに、途端に女の子たちは見事なまでに手のひらを返すように白けた感じで態度を変えて、何だそれならそうと早く言えよ、このキモメンがとか小声で悪態まで吐かれる始末である。
 俺、凹んでもいいよね。今なら都築をぶん殴ってもいいはずだよね、グスン。
 百目木たちの言葉を借りて…つーか、興梠さんたちにも確り自分で言った台詞だけど、都築の存在感をこんなところでマザマザと感じることになろうとは…アイツ、俺のことで泣いたっていいんじゃないかな。お釣りが来るぐらい、俺は違った意味でも傷付けられてるぞ。
 溜め息を吐いた俺がハイボールを諦めて誰かが注文したまま放置している烏龍茶に口を付けた時だった、不意に合コン会場である居酒屋の大広間がそれまでにないざわめきに包まれて、何事かと烏龍茶を口にしたままで顔を上げたら、ギョッとしている百目木の隣りに険しい顔付きを隠しもせずに都築が立っていた。
 何時もの小ざっぱりしたお洒落な格好じゃなくて、トレーナーにジーンズという在り来りな、大雑把な性格の都築が本来好みそうな格好をしているにも拘らず、女の子たちはギャアギャア言って「ワイルドで素敵!」とか抜かしてる。
 同じ格好をした俺にはキモメンの挙げ句ヲタク野郎って言ったくせに。
 やっぱ顔なのか…
 俺が呆気に取られたまま見上げていると、都築はなんだか急いで駆けつけたみたいに肩で息をしていたけど、少し伸びている前髪を煩そうに掻き上げながら息を整えて、それから苛々したようにいきなり言いやがった。

「オレ、鈴木と結婚することにした!」

 なんだそれ、なんの宣言だよ。

「きゃー!!…いやぁ~、都築くんが誰かのモノになるとか冗談言わないで!!」

「学生結婚とかやるな!」

「いやぁ~!!都築くん、舞とも結婚してぇ…ッ」

 俺がアホらしいと溜め息を吐く前に、合コン会場は阿鼻叫喚だ。
 同じ大学の別学部の連中は判る、でも余所の大学の連中まで泣いたり拍手喝采ってどう言うことだ。都築は今集まっている大学の界隈じゃ有名人なのか…いやまあ、類を見ない御曹司なんだから当たり前か。
 何時も近くの量販店で買った草臥れたスウェットでモン狩りしているところしか見ていなかったから、都築が御曹司だってこと、偶にうっかり忘れちゃうんだよね、いけないいけない。
 何も言わない俺に焦れたようにギラギラしている強い双眸を細めて食い入るように…ってそう言えば、無視を決め込んでから久し振りにこんな風にジックリと見詰めてくる都築の琥珀みたいな瞳を見たなぁ。
 俺はその双眸をちょっとだけ見返してから、まるでスローモーションみたいに目線を外して、何事もなかったかのようにテーブルにある唐揚げを箸で掴みながら、口を付けていた烏龍茶を置いた。

「唐揚げうめぇ」

 ワアワアきゃあきゃあ言っている周囲の声なんか何のそので、箸で掴んだ唐揚げを口にしてホッコリ幸せそうに笑った俺を見た時点で、恐らく都築の中の何か必要なはずの箍が外れたんだと思う。
 それとも、重要な血管系の何かが切れたのか…つまり、都築はもう無視されることに限界を感じていたようで、顔を真赤にして何かパクパク言いたそうに口を開いたけど声も出ずに、だから行動に移すことにしたらしい。

「退けッ」

 狂犬、或いは猛獣のようなギラつく双眸で睨み据えてからの重低音の一喝に、俺の横を陣取って「やっぱり仲良いんじゃん!ねえねえ、紹介して!」と俺の腕をグイグイ引っ張りながらも、立ち尽くしていた都築に頬を染めてキャアキャア言っていた里奈ちゃんがビクッとしたまま腕を離してズザザッ…と身体を引くのと、面白半分で乾杯とか言って祝福気分でグラス片手に俺の肩に腕を回していたミッキーが、青褪めて引き攣りながらやっぱりズザザッ…と思い切り身体を離すのはほぼ同時で、邪魔者を蹴散らした都築は長い脚でテーブルを跨ぐようにしてヒョイと乗り越えると、いきなり唐揚げにほんわか至福の俺をまたもや気軽にヒョイッと肩に担ぎやがったんだぜ。

「おい!降ろせッ。こら都築!まだハイボール、全部呑んでないんだからなッッ」

 ギョッとした俺はなんとか降りようとジタバタ暴れてハイボールのグラスを指差すと、グラスの半分以上が残っているソレを身体を屈めるようにして掴んだ無言の都築は、あっという間に一気で飲み干しやがった。
 一瞬俺を降ろして脇に突っ込んだ手で猫の子か何かのようにブランとさせてから、これで文句はないだろうと至近距離で睨み付けてくるから、若干…どころか、綺麗な男の渾身の睨みに震え上がりながらも、これで負けるワケにいくかよ!好き勝手なことは絶対にさせないと自分を奮い立たせて、呆気に取られている間に再度担ぎ上げられた俺はプッと頬を膨らませて怒り心頭を訴える。

「お、俺はまだ合コンを楽しむんだッ!会費5000円の元を取らな…ッ!」

 何を言おうとしているのか逸早く察した都築は、やっぱり無言のまま、そして俺を肩に担ぎ上げたままで尻ポケットからウォレットを取り出して、1万円札を引き抜くと俺の尻ポケットに捩じ込んで。

「釣りはいらねえよ」

 とか、南極の氷点下より低い声音で凄むように言いやがるから、なんか俺はもう途端にシュンとして…って、たぶんいきなり酒が回ってきたのか、目眩を覚えながら小さく「はい」とか返事をしちまっていた。
 この一連の行動中、合コン会場は水を打ったような静けさに包まれていた。
 と言うのも、都築は大雑把でだらしない女好きと言う性格は既に周知の事実で、だからこそ女に関してはとても優しかったりする。その都築が、自分が持っている全ての愛嬌を媚にして、品を作って笑顔を振りまく里奈を睨み据えて恫喝…そう、恫喝するなんてことは天地が逆さまになっても、都築が俺を好きになるぐらい有り得ないことだったんだ。
 だからきっと、みんな呆気に取られているに違いない。だからきっと、誰も俺を助けてくれないんだと信じたい。
 都築はもう後は振り返りもせずに、来た時と同じようにサッサと居酒屋を後にすると、駐めているウアイラの助手席に俺を突っ込むと、慌てて起き上がろうとする俺より早く運転席側に戻って鍵を掛け、俺が勝手に外に出ないようにしてから、今度はご丁寧に俺の居住まいを正してシートベルトまでしてくれちゃって、茫然自失で座り込んでいる俺の膝の上に、何時の間に居酒屋から持って来ていたのかアウターとデイバックを置いた。
 その間、ムッツリと黙り込んで一言も喋らないんだから、正直、今まで都築を侮っていた俺はオシッコちびっちゃうぐらい怖かったりする。でも、絶対におくびにも出したりするもんか。
 雰囲気とは別にせっせと俺のお世話をした都築がエンジンをかけて軽快に走り出したウアイラの進行方向は、たぶん確認しなくても都築んちだと思う。
 俺はブスッと膨れっ面でサイドウィンドウが収まる部分に腕を乗っけて頬杖を付くと、流れていく夜の街の光を眺めながら不貞腐れたふりで口を開かない。口を開いたら、なんだか余計なことを言いそうな気がしたから。
 でも、都築は黙っちゃいなかった。

「お前、オレが鈴木と結婚しても気にしないのかよ」

「…」

「これ以上、オレを無視すると何をするか判らないぞ」

 軽く無視を決め込むつもりが、軽いジャブのくせに肝臓を抉られるようなパンチのある台詞を投げかけられて、俺は渋々、頬杖を止めて身体を前に向けた。
 この場合、都築の凶器は世界で一番綺麗なはずのウアイラだ。

「別に。恋人から結婚に昇格したんだろ?だったら、俺はおめでとうって言って祝ってやるよ」

「…」

 今度は都築がだんまりで、聞いてきたくせに放置とかなんだよお前は。
 ふと都築を見たら、運転に集中しながらもチラチラと俺の横顔を見ていたようで、俺と目が合うとバツが悪そうに舌打ちしてこちらを見なくなった。

「じゃあもうそれでいいよ」

 都築は投げ遣りにそんなことを言って仏頂面に不機嫌をまぶしたような、非常に険悪な表情をしたままでブツブツと吐き捨てた。

「だったら、これでお役御免じゃないのか?家に帰りたいんだけど」

 俺もフンッと鼻で息を吐き出すようにして嫌気を漲らせて吐き捨てたから、都築は苛ついたみたいに俺を横目で睨み据えて、それから馬鹿にしたみたいに嗤いやがった。

「だから家に帰ってるだろ?オレはもうお前を外に出さない」

「…はぁ?!何いってんだよ、お前」

 頭沸いたのか?それとも、やっぱりさっき外れた箍か、切れた血管が拙かったんじゃないだろうな…ってのは冗談としても、俺はその時でもまだ、都築が俺を脅かしているんだろうとしか思っていなかった。
 だって、都築は鈴木を選んだんだから、今さら俺をどうこうするとか思うワケないだろ。

「この道はお前んちに行く道であって、俺んちに帰ってるワケじゃないだろ」

 投げ捨てるように言ったら。

「どっちだって一緒だ」

 どうでもよさそうにそんなことを言いやがるからカチンと来た。

「…あのな都築、悪いんだけど俺はお前んちに行く用事とかないワケ。コンシェルジュに気軽に止められるのも面倒くせぇし、あんな馬鹿みたいに高級感あふれるマンションに俺はお呼びじゃないんだろ?あ、そうそう。因みに、お前が寄越した合鍵も、どっかのゴミ箱に捨てたから」

 俺が最後に吐き捨てた台詞に都築の肩がピクリと震えたように見えたけど、俺はそんなこと気にもしなかった。
 フイッと目線を外して窓の外を眺めれば、嫌でも目立つ高層マンションが姿を現して…あの角を曲がれば駐車場に一直線だ。
 都築が車を駐めたら即座に降りて、絶対に脱兎の如く逃げ出してやると決意する。

「ゴミは俺いらないし。残念だけど、もう俺がお前んちに行く理由もないし合鍵もないから入れな…ッ!」

 ヴォンと重低音のエグゾーストノートを響かせたウアイラは唸るようにしてスピードを上げて、上げすぎて、駐車場に曲がる道をギリギリで曲がり切ると馬鹿みたいな速度で場内に侵入し、駐車場係のお兄さんをビビらせていた。
 そしてそれは違わずに俺自身をもビビらせるには充分だった。
 角のところで遠心力に負けそうだった。
 よかった、事故らなくて…。
 ドアを叩きつけるようにして車を降りた都築にハッとして、当初ダッシュで逃げる予定だった俺は出遅れたものの、慌てて助手席のドアをヒョイッと開けると、地面に足がつくなり走り出そうとしたけど傍らに立っていた都築にヒョイッと捕まえられて、アッと言う間に肩上のヒトになってしまった。
 相変わらずの都築の奇行に慣れているのかいないのか、いまいち微妙なポーカーフェイスのお兄さんを無視した都築の肩の上から、キーが付いたままでエンジンのかかっているウアイラへ恭しく乗る横顔に、取り敢えず警察を呼んで欲しいんだけどと思ったけど、勿論口に出しては言えなかった。
 俺を肩に担いだままでエントランスにズカズカと乗り込む都築に、本来なら顔見知りのコンシェルジュのお兄さんが、やっぱり慣れているのかいないのか判らないポーカーフェイスのにこやかな笑みで挨拶なんかしてくれたけど、都築はそれを無視するから、俺が肩の上からにこやかに(それどろこじゃないんだけど)笑って頭を下げても、やっぱり迂闊に表情に出さないところはすげえなと思うよ。
 軽い重力を感じる最上階直通のエレベーターに乗ったところで、漸く俺はヤレヤレと溜め息を零しながら口を開いた。

「都築さ、一体何がしたいワケなの?」

「…」

「鈴木と恋人になるって宣言してゴニョゴニョまで俺に見せて、それから結婚もするんだろ?だったら、もう俺なんか必要ないはずだ。お前だってそう思ったから、スパンと捨てたんじゃないか。使用済みは拾わないんだろ?そのままにしておいてくれたら、俺は自分でどうとでも生きていくんだけどさ」

 ムッツリと押し黙ったまま都築は何も言わない。
 もうどうとでもしてくれていいよの猫の気持ちになりながら、俺はまた噛み殺せない遣る瀬無い溜め息を吐いた。
 都築の答えを聞く前に軽い重力を感じたらエレベーターが止まって、それから都築はやっぱり無言のままで鍵を開けてから独りには広い玄関を上がり、俺の足から靴を脱がすとポイポイッと放ってからスタスタと一直線に主寝室、都築の城に向かった。
 真っ暗な部屋に入るとすぐに電気を点けて、それから周囲を窺う隙きも与えずに俺をキングよりも広いんじゃないかと思うベッドに投げ出すんだ。
 本当にコイツ、俺のこと荷物か何かと思い込んでるよな!
 手軽に放り投げるんじゃねえッと怒り出す前に、都築の仕事机と思しきPCやモニターが並ぶ机の手前、こちらに背を向けるソファに俺が座っているみたいだ。
 この前、合鍵を捨てに来た時は確かいなかったと思ったけど…よく見れば、クッションだとか抱き枕も復活しているみたいだ。復活させなくていいのに。
 そう言えばこの前、ここでコイツ、鈴木とヤッてたんだよな。
 おんなじベッドに寝かせるとか趣味悪ぃな…とか思って、うんざりして上体を起こそうとしたってのに、俺は上から伸し掛かる都築にそのままベッドに張り付けられちまったんだ。
 なんだこれ。

「なあ、篠原。もうオレとヤッてよ」

 少し息の荒い都築は、目尻を染めてうっとりするぐらい匂い立つ色気が溢れていて、うっかりしていたら頷きそうなヤバさだと言うのに、そうはならずにゴクリと息を呑んでしまうのは、その琥珀のような色素の薄い双眸のせいだ。
 ギラギラと肉食獣みたいに獲物を見据える双眸はどこか剣呑としているくせに、渇望してやまない気配が色濃く浮かび、このままだと喉笛を食い千切られて、このケダモノが求める熱い血潮を飲み干されるような狂気じみた錯覚が脳裏に浮かぶ。
 ベロリと上唇を舐め上げて見下ろしてくる色気は半端ないけど、その双眸に浮かぶ狂おしいほどの暗い陰は背筋をゾクリと震わせるには充分なほど陰惨な雰囲気だ。

「…す、鈴木がいるだろ」

 なんとか言い逃れようと口にして身体をずらそうとするけど、都築がそれを許してくれず、俺の動きを封じようとでもするかのようにアッサリと両手を一纏めに掴まれてしまった。
 ヤバくない?この雰囲気…

「鈴木?誰だそれ」

 訝しそうに眉を寄せるも、空惚けている様子もない真剣な疑問に冷や汗が背筋を流れて、こんな状況は真っ平御免だと俺は足で都築を蹴り上げながら「鈴木雅紀だよ!」と藻掻きまくって叫んでいた。

「スズキマサキ?ああ、あんなクソビッチはどうでもいいよ…なあ、お願いだよ篠原。オレとヤッてよ。そしたらさ、オレはもうこんなに不安にはならなくなると思うんだ」

 不安?都築が一体、何をトチ狂って不安になんかなってるっていうんだよ。
 順風満帆な御曹司様がよ!しかも、鈴木のことは初心で処女だっつってたじゃねえかッ。

「せっかく設置したオレの防犯システムを、お前が全部外させただろ?あれはお前の防犯だけだけじゃなくて、オレの精神安定剤でもあったんだ。お前が何処かオレの知らないところで、誰か知らないヤツに触られてんじゃないかとか、犯られちまってるんじゃないかとか…心配なんだよ。オレは心配で心配で仕方ないんだ」

 俺に蹴り上げられても屁でもない仕草で、チュッチュッと何時の間にか熱心に語りながらも、都築は俺の首筋に口付けながら、スンスンと俺の匂いを嗅いでいて、今までで一番気持ち悪いと思った。

「バカ言え!俺だって普通の男だぞ、そんなに簡単に犯されるワケねえだろ!!」

「巫山戯んな!今日だってよく判らない連中にベタベタ触らせてたじゃねえか!…だから、もうお前をこの部屋に閉じ込めるんだ。それで寂しくないように毎日オレが抱いてやるから。だからお願いだから、オレに抱かれろよ。ほら、ココももう熱くなってるだろ?」

 とか何とか言って股間を擦り付けてくる都築に、俺史上始まって以来の最大の貞操の危機が訪れたワケなんだが、ゴリッゴリのチンコをジーンズ越しに擦り付けまくっていたくせに、不意に腕の拘束が外れたかと思うと都築はギュウッと抱きしめてきた。
 抱き締めながら頬にチュッチュッとキスするのは、何か不安から必死に逃れようとしているようにも見えるし、スンスンと匂いを嗅ぐのは通常運転のようにも思えて殴りたくなるんだけど…いやしかし、いよいよ本気で気持ち悪くなったな、コイツ。
 そんなに必死で、そんなに我武者羅にしがみついたって俺は許さないんだからな。

「鈴木のこと、初心で処女だって言ってたじゃないか。どうして今さらクソビッチなんて酷いこと言うんだよ?!」

 俺のことで有耶無耶にしようと思ってるんじゃねえだろうな。
 事と次第によっては…とか俺が考えつつも唇を尖らせていると、顔を上げた都築は、今まで見たこともないほどうっとりと双眸を細めて、嬉しそうに俺の尖らせた唇に触れるだけのキスをしてくる。
 いや、お前にキスさせるために尖らせたんじゃねえ。

「ああ、アレは嘘だから」

「なんだと…」

「オレ、お前にどうしても嫉妬して欲しくってさ。何時もオレばかりが嫉妬してヤキモキしているんだ。少しぐらいお前にも嫉妬して欲しかったんだよ。鈴木は都合のいいビッチだったから使ったんだ」

 出たぞ、人間をモノ扱いするクソ御曹司が。

「悪かったな。俺、ぜんっぜん嫉妬とかしないわ。まるで凪だわ」

「…ウソつけ。オレが贈ったキーホルダーを捨てるぐらいには嫉妬したんだろ?」

 俺の上にどっかり乗っかってニヤニヤ、ちょっとどうかと思うぐらい嬉しそうに笑う都築に…そうか、その方向性で考えることにして捨てられたショックを遣り過したんだな。

「残念だが違うな。お前がゴミクズみたいに俺の合鍵を投げ捨てたからお返しをしただけだよ」

「投げ捨ててない。投げただけだ。お前の運動神経が悪くて落としただけだろ」

 俺の胸の上でブツブツ言う都築が重くって身体の下から這い出ようとした。するとサッと顔色を変えると慌ててさせまいとギュッと抱きしめてくるから、「重いんだよッ」と言ってその背中をポンポンと軽く叩いてやったらちょっと安心したのか、でも疑心暗鬼で疑い深そうな目付きのまま、ちょっとでも逃げる素振りがあればすぐに捕まえるぞの構えでこっちを見てるけど、もう逃げ出す気もなければ帰る気もなくなったので、この際ジックリと話しを聞いてやろうと、腕を組んで胡座を掻く俺に都築は漸く安心したみたいだった。

「ぐぬぬぬ…運動音痴って言うな!それよりも、あの合鍵、マスターキーだったじゃねえかッ。なんで都築が持ってるんだよ??!」

 マスターキーとは本来、確か大家が持ってるんじゃなかったかな。それか、管理会社が持っているはずだぞ。俺が鍵を替えた時には、管理会社の担当の人に連絡してマスターキーを渡したと記憶しているんだけど。

「…オレの持ち物件になったからだ」

「は?」

「アレはオレのだから、返して欲しい」

 お前がいらないって捨てたのに今さら返すかよ…じゃなかった、ちょっと待て。今、何やら不穏で聞き捨てならない言葉が耳に飛び込んできたと思うんだけど、俺の気のせいかな?

「お前がいらないって言ったから返さない。で、持ち物件てなんだ?」

「いらないとは言ってない。今は必要ないから一先ず預けると言っただけだ」

 言葉数だな、お前に決定的に足らないのは言葉数と説明だと思う。
 でも知らなかったな、『必要ないから返す』の言葉の中に、『今は』と『一先ず預ける』が含まれるとか、日本語って難しいな…ってそんなワケあるか!

「…持ち物件ってなんだよ?」

 うんざりして前言を無視した俺に、都築はベッドの上に俺と同じように胡座を掻くと、ムッツリと口を尖らせて肩を竦めたみたいだ。

「返してくれるなら話す」

 交換条件とか都築のくせに生意気だな。
 ジリジリと睨み合ってもこの場合、勝者は都築ってことになる。と言うのは何故かと言うと、都築はそれこそ視姦レベル並に俺のことをジックリ見据えるのが(それでイロイロ妄想するのが)大好きなヤツなんだ。半端な気持ちで睨めっこしても必ず俺が負ける。

「ッ」

 ぐぬぬぬ…っと歯噛みして軽く睨みながら、都築がベッドの脇に落としていた俺のデイバックを拾い上げてから、大事なものを仕舞っているジッパー付きのポケットを開けて、某有名ネズミのキーホルダーを取り出した時だけ、ムッツリ不機嫌ヅラだった都築は何処か痛いような表情で息を呑んだみたいだった。
 それで溜飲は下がらなかったけど、俺は努めてなんでもないことみたいにマスターキーを外してから手渡した。
 ネズミーランドのお土産らしいけど、何時もより軽い感触は手に馴染まないってのも秘密だ。
 マスターキーを、と言うより、俺の手の中で所在なさげに揺れるネズミのキーホルダーをチラチラ見ながら、都築は少し下唇を噛んだみたいだった。俺はそれを見ないふりをして、わざとブウブウ言ってジッパーの中にネズミを滑り落とした。

「で?持ち物件てのは?」

「…あのアパートはオレが買い取ったんだ。だからオレがオーナーで大家ってワケだ」

「ぶっは!…おま、お前、なに考えてんだよ?!」

「嫁が住むところぐらい本来ならオレが用意するべきなんだよ。でもお前はオレとは住まないって言うし、じゃあマンションでもと思ってたら何もいらないとか言いやがるからさ。だからあのアパートを丸ごと買った。左右に男が住んでいるのも気に食わなかったし、水商売のあの女、時々お前に色目を遣っていたからムカついてたんだ。今は左右と下の部屋は空き部屋で、その他の部屋にはツヅキ・アルティメットの連中を常駐させている」

 だからもう危険もなくなって今は安心だと、都築は何やら上機嫌で常軌を逸した発言をぶちかましている。
 えっと、俺は今、どんな顔をしたらいいんだ??
 ええーっと、水商売のあの綺麗なお姉さんは俺じゃない、お前に色目を遣ってたんだよ?お前、全く相手しないし、俺に変態言動とか行動とか取るばっかりに、お姉さん、どっか冷めたような勿体無さそうな目付きをしてたのにも気付かなかったんだな。
 俺もお前があのアパートを買ってたなんてちっとも気付かなかった!
 それで最近、誰にも出食わさないしウアイラのエグゾーストノートが聞こえるぐらい静かだったのか…

「都築って…本当に御曹司だったんだな」

「御曹司じゃなくても家は買うだろ?」

 何を言ってるんだ?とでも言いたそうな顔で首を傾げるが、規模が違うんだよね、規模が。

「あ、因みに俺はもう嫁じゃないからな。外でヘンなこと言うなよ」

 そうそう、何時の間にかちゃっかり言い方を元に戻している都築にはちゃんと釘を刺しておかないとな。

「…は?オレの嫁はお前だけだ。何を言ってるんだ?」

 怪訝そうに眉を顰める都築の、何いってんだコイツ色をした胡散臭げな琥珀の双眸を、今すぐ目潰ししたい。

「あのさ、お前いっかい病院に行ったほうがいいと思うんだよね。俺が男だとかそう言うことはこの際大目に見ても、鈴木と結婚するんだから嫁か旦那かは判らないけど、伴侶になるのは鈴木だろ?」

「アイツはただの業務上のパートナーだぞ。公私ともにパートナーとなる嫁はお前だけだ」

 何を言ってるんだコイツ、みたいな顔つきもやめろ。
 その表情は本来、最初から最後まで俺が浮かべておくものだ。

「お前鈴木と結婚するって…」

「え?そんなこと言ったか??…ああ!アレは言い間違いだな。あの時はカッカしてたからさ…鈴木と契約することにしたって言ったつもりだったんだよ。だから、恋人とかそんなのはウソだし、でもお前には言ってなかったから、業務上のパートナーなら問題ないだろって、もう怒らずに許してくれてもいいんじゃないかって言いたかっただけだ」

 それで恋人から結婚に昇格とかワケの判らないことを言っていたのかとか、都築はブツブツ言いながら、誤解が解けたんだからまた一緒にいるもんだと思っている口調でホッとしているみたいだった。
 そうは問屋が卸すかよ。

「お前、俺に鈴木と結婚してもいいのかみたいに聞いていたのはどう言うことだよ」

「だから結婚じゃないって!鈴木とは寝ていただろ?職場も一緒で、これから出張なんかにも一緒に行くワケだから浮気とか心配するんじゃないのかって思ってさ。だから、鈴木と契約しても本当にいいのかって聞いたつもりだ」

「……」

 『オレと鈴木が結婚してもいいのか(一部語弊らしい)』の中に、『職場と出張が一緒』と『浮気を心配』の言葉が含まれるなん…て、もういい、もういいよ都築。
 たぶんきっと、頭を抱えてウガーッとなった時点で、俺の完全な敗北だと思う。
 諦めたほうが負けなんだ。
 俺は思い切り脱力して都築を見上げた。

「嫁とか結婚とか巫山戯んなって思ってるけどさ。お前の場合、どんなに大事なヤツができたところで、その浮気性は一生治らないんじゃないのか?だったら、別に業務上有利なら鈴木とパートナー契約を取るべきだと俺は思うけどね」

「…ふぅん。まあ、嫁がいいって言うなら鈴木に決めるか」

 ブツクサと面倒臭そうに言った都築はでも、徐に顔を上げてジックリと俺を獰猛そうな双眸を細めて見据えながら、獲物を狙う肉食獣のようにひっそりと呟くように言ったんだ。

「でも、浮気性は聞き捨てならない。オレはお前とセックスできるのなら、もう誰も抱かなくても満足するんだ。オレが浮気症だと言うなら、それは抱かせてくれない篠原のせいだ」

「ぶっは!」

 何時から俺がお前にアンアンうっふんって言って抱かれる立場になったんだよ!
 永遠にお断りだね。
 尻に指を突っ込まれても、フェラしたりされたりしても、睡眠学習とか言って悪戯されても、尻に何か突っ込まれるのと突っ込まれないのとじゃ大きく違うんだ。絶対にそれだけは拒み続けてみせる。

「…ゲホゲホッ。そんな話はもういいよ。ところで都築さ」

「なんだよ」

 そんな話と言われて、自分的には深刻なのにと思っているのか、不機嫌そうに唇を尖らせる都築のヤツに、俺はちょっと前から疑問に思っていたことを聞いてみる。

「どうして俺のこと見なかったんだ?何時もは馬鹿みたいに凝視してきてたのに」

 馬鹿とは何だよとブツブツ悪態を吐く都築は、それでもちょっとしょんぼりしたみたいに目線を落として唇を噛んだみたいだった。

「…お前が、オレのことを軽蔑する目を見たくなかったんだ。アレはすげえ辛かった。心臓が抉られるってのを初めて感じたよ。もう一度あんな目で見られたら、オレはきっと、間違いなく死ぬんだろうと思った」

 キーホルダーをゴミ箱に捨てる時に、今生の別れだと思っていたから、これ以上はないぐらい都築を傷付けてやろうと思って蔑んでたんだよな、確か。
 結局、またしても俺が折れて話し合いの場についてしまったワケだけども。

「もう二度と、あんな目は見たくないと思ったら、お前の顔を見られなくなった。見たくて仕方ないのに、見る勇気がなかった…でも」

 都築はそこで言葉を切ると、悔しそうな悲しそうな表情をして、俺の顔を覗き込んできた。

「お前、他学部の連中と仲良くなって、今までそんなに興味もなかったクセに合コンなんかに行きやがって!防犯グッズも持っていないのに、オレの手から擦り抜けるみたいに、他の誰かのモノになろうとしていると思ったら、そんなこと考えることもできずにウアイラを飛ばしていたよ。お前が楽しそうに笑っている顔を見るのは好きだった。でもその先にいるのはオレじゃなくて、知らないヤツなんだ。気付いたら合コン会場の居酒屋に乗り込んでてお前の顔をジックリ見られるようになっていた」

 連れ去って良かったとホッとしたように呟く都築に、俺はガックリと項垂れたくなる溜め息を吐きながら尻ポケットに捩じ込まれたクチャクチャの1万円札を取り出した。この1万円札はあの時の都築の必死さの現れみたいにクチャクチャで、俺は思わず笑いたくなっていた。

「この1万円は返すよ。あの合コンは、もう帰ろうと思ってたところだったしさ」

 クチャクチャを何度も伸ばして皺をなくそうとしながら口を尖らせると、都築はその札をジッと見下ろしてから、首を左右に振ったみたいだ。

「それは返さなくていい…ただ、これは貰ってくれ」

 ポケットにもう、ずっと突っ込んでいたのか、目線を彷徨わせていた都築はその目線を下げたままでオズオズと大きな掌に握り込んでいる何かをチャラッと差し出してきた。
 大方の予想は当たっているとは思うけど、俺はヤレヤレと半ば諦めたみたいに溜め息を零してから、大きな都築の握り拳の下に掌を差し出した。
 ほんの少し、見落としてしまいそうなほど微かに震えている拳が開いて、銀色に煌めくプラチナの塊がシャラシャラと綺麗な音を立てて俺の掌の上に落とされた。
 俺のこと、好きでもタイプでもないくせに捨てられたって泣くほど傷付いて、俺の嫉妬心を欲しがったり、一途に真摯に俺を抱きたいと切望したり、そして何はなくてもこのプラチナの塊たちをどんなことがあっても持たせておきたいなんてさ…ホント、呆れるほど言ってることと行動が伴わないんだよな、都築は。
 俺が大事なものを淹れているポケットを開いてネズミーランド土産の某有名ネズミのキーホルダーから外した俺んちの合鍵を、プラチナの月と星のチャームとアイビーとダイアモンドの指輪みたいな意匠の塊がシャラシャラと揺れるキーホルダー、あの日一緒に捨てた都築んちの合鍵のその傍らに加えると、俺んちの合鍵があるべきところにおさまったとでも言うように当然そうにカチャリと音を立ててぶら下がった。
 手に馴染むキーホルダーの不在は、どうやら思う以上に俺にもダメージを与えていたみたいだ。
 仕方ない、こればかりは認めるしかないのか。
 不意に手に馴染んだプラチナのキーホルダーを眺めている俺の前で、都築が脱兎の如き速さでネズミのキーホルダーを奪い取ると、もうつけさせるワケにはいかないんだと主張する勢いでゴミ箱に捨ててしまった。その上から、よく判らないゴミみたいなものを大量に入れて隠してしまう。
 …。

「…お前さぁ、大人げないよね。それ、ミッキーのネズミーランド土産なのに」

「なんとでも言え。キーホルダーなんか篠原には必要ない」

 他人のモノを勝手に捨てるとか…大人げなさすぎだろ。

「あーあ、属さんか興梠さんに、お前が俺を好きって言わせるまで戻らないつもりだったのにさ」

「…なんだそれ」

「お前、絶対に俺のこと好きとかタイプとか言わないだろ?だから、言わせることを条件にしてたんだよ」

 都築は暫く考えるように目線を上げてから、チラッと俺を見下ろして漸くデフォルトの仏頂面で頷いた。

「…お前がオレに抱かれるなら言ってもいいぞ」

「はぁ?絶対に嫌だ!死んでも嫌だ!!」

 だいたい、最初から言わせる予定のない賭けだったってのに、どうして自分の貞操を捧げてまでそんな気持ち悪い台詞を聞かなくちゃならないんだ。
 頭を下げて今までどおりにしてくださいって、言いたくない言葉をいやぁ~なツラをして渋々言いつつお願いするのはそっちだろうが。

「どうしてだよ?!もう精液だって飲んでる仲なのに…ッ」

 不意に都築が、珍しく尻窄みに言い淀む。
 目線が泳ぐのは、僅かに感じさせる「しまった」感だ。

「…は?俺、お前の精液なんか飲んでないぞ。口には出されたけど吐き出したしな。そんな気持ち悪い仲なんて…って、おい。なんで目を逸してんだ?お前、何か隠してるな!」

「別に何も隠してない。言い間違えたんだ」

 目線を逸して仏頂面に言い募る都築は怪しい。
 非常に怪しいぞ。

「ウソつけ、ならどうしてこっちを見ないんだ。俺の目を見て言え」

 何時もなら下からグイッと覗き込めば、何事かと驚きつつも機嫌よくジックリ見下ろして俺にダメージを与えてくるほどの男が、敢えて目線を泳がせて俺から顔を背けるのはおかしいよね。

「間違えただけだって」

 都築はさっきの話しに出た語弊をうまく使おうとしていて失敗している…と言うことは、アレは本当に語弊だったんだな。誤魔化すのが子どもレベルに下手だ。
 誤魔化してるってことは、ははーん、コイツまた夜だな。
 睡眠学習だろ!

「お前、まさか…」

「別にスムージーには…」

 またしても俺に睡眠学習をさせてたんだろ、気持ち悪い!って言うつもりだったんだ。
 そうだって、確信していた。確信していたのに…なんだと?

「俺が寝てる間に…って、今なんか思い切り不審なこと言わなかったか??!」

「言ってない!言ってないッ」

 俺が都築の胸ぐらを掴んでその大きな身体に伸し掛かると、若干嬉しそうな気持ち悪い顔をするものの、都築は必死に否定する。
 否定しながら俺の尻を両手で掴んでくるな。

「…まさかお前、スムージーに精液を混ぜてたんじゃないだろうな」

 あ、そっちの言い訳があったかみたいな閃いた顔をした時点でゲロッてるぞ、都築。
 俺にコイツの精液を飲ませる方法としたら、寝てる間の悪戯か都築の手製のモノで口にするぐらいだ…となるとスムージーが怪しいに決まってる!
 朝が弱くて寝穢い都築にしては珍しく、早起きしてせっせと作ってくれていた、いいヤツだなって見直してたっていうのに!!
 目線を外らせて絶対に言わない態度で俺の尻の感触を確かめるように揉むな。

「都築、確認するが。お前が来ない間、興梠さんが持って来てくれていたあのスムージーには、まさか興梠さんの…」

「違う!全部オレのだ…ッ」

 ハッとする都築の墓穴に、脳裏に過るのはタッパーに入っていたあのシャーベットみたいな白い塊。
 よく思い出せば、凍ったバナナとかイチゴとかベリーとか白いシャーベットの塊と一緒に、ヨーグルトをドバドバ入れてたな。ヨーグルト、カップから入れてたな…

「都築、どうして精液をスムージーに入れようとか気持ち悪いことを考えたんだ?」

 人間、自分の予想を遥かに超える出来事に遭遇すると、怒鳴ったり喚いたりできるもんじゃないんだなと身に沁みて思ったよ。
 俺は遠い目でニッコリ笑って首を傾げた。

「…お前がなかなかフェラしてくれないし、寝てても嫌がる。飲むなんて言語道断、まるで親の仇みたいな目で見たから、判らなくしてしまえば飲んでくれるんじゃないかと思ったんだよ。精液には幸福感を与える成分が含まれていて抗うつ効果もあるし、妊娠状態を安定化させて、安産に導く効果とかもあるんだ。その、何時か男同士でも妊娠出産が可能になった時にお前が妊娠しやすくなるんじゃないかって…」

 都築はぼんやりと俺の笑顔を見て許されたと安心したのか、ジックリうっとりと見下ろしながらベラベラとゲロッてくる。
 じゃあ、お前は俺の精液が飲めるのかよ?!って聞いたら、都築はなんだかアッサリとうんとか言いそうで、そんな薄ら寒くて気持ち悪いことが売り言葉に買い言葉ではけして言えやしないと思った俺は、更に意識が遠のくような遠い目をしてブツブツ言うしかないだろ。

「へええぇ…そっか。精液には抗うつ効果があって妊娠出産に有利になるから俺に飲ませようと思ったのに素直に飲まないしフェラしない俺が悪いのか。だったら都築がスムージーに精液を混ぜるなんて気持ち悪い真似しても仕方ないんだな。今後二度とお前の作る飲食物に手を出さないって心の奥底から決めた!信じられん…お前とは当分口を利かないッ」

 ガバッと跳ね起きて、そのままデイバッグを掴むと脱兎の如く逃げ出す俺を、ニッコリ笑顔にうっとりしていて出足が遅れた都築が、何故かジーンズのジッパーを上げてベルトを締めつつ追いかけてくる。
 気付いたら俺のジーンズが下ろされて半ケツしてんじゃねえか!

「待てよ!」

 …って言われて待つ獲物なんかいないだろ!

「気持ち悪い気持ち悪い!追いかけてくんなッ!!」

「嫌だね!何が気持ち悪いんだよ?!夫婦なら当然のことじゃねえかッ」

 エレベーターのボタンをダカダカ押しまくる俺に、オートロックの玄関の鍵は無視して、背後から追いついた都築がエレベーターのドアに掌をバンッと押し当てた。
 話題の壁ドンか!気持ち悪いッ。
 エレベーターのドアドンが正しいけどなッ。

「夫婦じゃないって言ってんだろ!100万歩譲って夫婦だったとしても、俺に無断で体液を飲ませるのは立派な犯罪なんだからなッ」

 チーンッと軽やかな音を響かせてエレベーターが登場したので、プリプリ腹立たしげに言った俺が乗り込むと、何故か都築まで後に続いて乗り込んでくる。

「無断じゃない!オレは健康にいいモノを飲ませてやるってちゃんとお前に言ったはずだ」

「聞いてない!」

「じゃあ、聞いてないお前が悪いんだ!」

 とかゴチャゴチャ言い合っている間に、音もなく停止階を報せるチンッと言う音と共に軽やかに開いたエレベーターからは、最初は魔獣よりも恐ろしい形相で青褪めた俺を抱えて入って行ったのに、何時間後かには自分の足で歩いて青褪めたまま「都築が悪い!この変態ッ」とギャーギャー喚きながら怒り心頭の面持ちで降りる俺と、その後を追って魔獣ではなく仏頂面の猫レベルの面持ちで「変態で上等だ!だったらもう遠慮しないからな、今度はフレッシュを飲ませてやるッ」とか意味不明の宣言をしながら出てくる、とは言え思い留まらせようと必死な御曹司の珍妙な本日の行為に、コンシェルジュのお兄さんはにっこりポーカーフェイスを決めているんだけど、きっと心のSNSには『コンシェルジュは見た!』とかのタイトルで炎上ブログが掲載されていることは間違いないと確信した…トホホホ。

□ ■ □ ■ □

●事例19.毎日作ってくれるスムージーに精液を入れる
 回答:お前がなかなかフェラしてくれないし、寝てても嫌がる。飲むなんて言語道断、まるで親の仇みたいな目で見たから、判らなくしてしまえば飲んでくれるんじゃないかと思ったんだよ。精液には幸福感を与える成分が含まれていて抗うつ効果もあるし、妊娠状態を安定化させて、安産に導く効果とかもあるんだ。その、何時か男同士でも妊娠出産が可能になった時にお前が妊娠しやすくなるんじゃないかって
 結果と対策:そっか。精液には抗うつ効果があって妊娠出産に有利になるから俺に飲ませようと思ったのに素直に飲まないしフェラしない俺が悪いのか。だったら都築がスムージーに精液を混ぜるなんて気持ち悪い真似しても仕方ないんだな。今後二度とお前の作る飲食物に手を出さないって心の奥底から決めた!

18.俺と仲良くするヤツは(男女共に)だいたい適当な相手を宛がわれている。結果ぼっちになる  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 都築の実家に否応なく挨拶に連行された日、結局、目が覚めた俺はゴワゴワの腹とか下半身にうんざりして、都築と一緒ってのはもうデフォルトになってしまっているから仕方なくだけど、洋風から檜から露天風呂を楽しんで、あの狂気の小部屋で一泊することになった…そう、あの部屋で眠れって言ったんだぜあの変態。
 美味しいご飯と姫乃さんや万理華さん、陽菜子ちゃんとも楽しい会話で盛り上がったし風呂もクタクタになるまで入りまくって楽しんだから…ちょっとした旅館みたいだった!俺はもう狂気の小部屋だろうが、都築が高校までの青春時代を過ごしたんだとか延々と気持ち悪い話を聞かされたとしても、うんうんと適当に相槌を打ちながら何時の間にか眠りこけていた。
 人間、何処でだって眠れるもんなんだなって朝起きた時は感心したもんだよ。
 都築パパは昨日の夕食前から仕事の件で既に不在で、本当は家にいることって滅多にないから珍しかったんだよと陽菜子ちゃんが教えてくれた。そうか、都築パパはやっぱり大企業のCEOなんだなぁとこれまた感心してしまった。
 別れ難くて寂しそうにする陽菜子ちゃんとサヨナラするのは辛かったけど、また来るねって言ったら嬉しそうにはにかんでいたのが印象的で、都築のヤツに、可愛いって言うのは陽菜子ちゃんみたいなことを言うんだぞって教えてやったけど、ウアイラのハンドルを握る都築は不服そうに眉を寄せるだけで同意なんかは一切しなかった。
 うん、変態の考えることはよく判んないな。
 まあ、そんな感じで『突撃!都築さんち』から帰宅して数日経った現在だけども、俺は属さんがくれたモデルの都築が掲載されている雑誌をまんじりともせずに見ていた。
 雑誌で透かしたイケメンを気取る都築を、完璧な容姿やキマっている立ち姿にはケチの付けようがないから、コイツ本当は変態なんだぜとかプゲラしてから却ってダメージを喰らいながら眺めていたら、記憶の片隅に眠っているような何かが呼び覚まされそうなんだけど…なんだっけ?
 昼前に都築が久し振りにセフレと遊んでくると連絡してきた。
 今日はお泊りなしってことだったから、食事の支度も必要ないんだろう。
 結局あの後、帰宅途中で延々と説得を試みたら、嫁が公認するならしかたないとかなんとかブツブツ言いながら、セフレとの関係は続行することで納得したみたいだった。
 セフレでまかなっていた性欲を全部俺に向けられてみろ、きっとそう遠くない未来で俺の尻が崩壊する。
 今は都築が持つ理性を総動員して初夜まで我慢!を忠実に守ってくれているけど、それだってセフレがいるから守られているんであって、彼らの存在が失くなったら俺を護るべくファイアーウォールも跡形もなく消えちまうだろう。
 ほんの少し出口付近に突っ込まれそうになっただけでアレだけ痛かったんだ、そんな怖いこと考えたくもない。
 そんな都築の電話に「どうぞどうぞ」って応えたら、ヤツはなんだか不機嫌そうにブツブツ言って切ってしまった…怒ってるみたいだったけど、俺が安全ならどうだっていい。
 そんなワケで今日の俺はのんびり独りで家に居たりする。
 友達を呼ぼうかなと思ったけど、不機嫌な都築からピロンピロンッと受信音が煩いメールで、旦那が居ないからと誰か呼んでもバレるんだからなとかワケの判らない内容が鬼のように来たので、いろいろ煩いし後で絡まれるのもうんざりだったから、取り敢えず今日は独りで過ごすことにしたんだよ、畜生。
 なんてことを延々と語ってみたけど、実際は折角の日曜日なのに外はシトシトと雨が降っていて、そんなに寒くもないのに肌寒いような気がして、こんな日こそモン狩りに勤しんで背中にぬくもりをくれたらいいのに、欲しい時には傍に居ないなんてホント、アイツは俺にとっては今ひとつ物足りないとか思ってたりする。

「あーあ…退屈だなー」

 薄っぺらいカーペットが敷かれただけの安っぽいフローリングにゴロンッと横になって、俺は属さんがくれた都築のモデル時代の雑誌をペラペラと捲ってみる。雨だし外には行きたくないし、かと言って家でゴロゴロしてるのも何だか虚しい気がするなぁ。

「うーん…あ、そっか。家に呼ばなきゃいいのか。だったら俺が行けばいいんだ!」

 雨だから外に出たくないけど、何もせずに時間を潰すなんて勿体無い。
 閃いた俺は早速、自分のスマホをがっちり掴むと、連絡先から呼び出した百目木に電話してみた。

「あ、百目木?そうそう、俺。今日これからってヒマ?あ、そうなんだ~。じゃあ、13時ぐらいでいいかな。うん、判った。それじゃ待ち合わせは何時ものとこな!」

 百目木も雨で外出がドタキャンになったらしく、ちょうど良かったから遊びに行こうぜと快諾してくれた。俺からの連絡だから、おおかた都築は用事か何かでいないんだろうと最初から判っているみたいで、だから、話を通すのは早かった。助かる。
 じゃあ、早速外出用に着替えて、えーっと…多分行き先は映画館か疑似天体観測か、はたまた書店巡りとかゲーセンとかとか、やることがたくさんあってワクワクしてきた。
 一人で家にいるのは大好きだけどさ、(都築のいない)こんな日はやっぱり家でゴロゴロなんて勿体無いよね。
 俺がウキウキして服を着替えていると、待ち合わせまで30分ぐらいの時にいきなりスマホが着信をお報せしてくれた。
 あれ?メールじゃないから直接電話してきたのかな…毎回セフレに会いに行くとセックス中でもお構いなしに定期的に俺の様子を聞くために電話してくるから、これはたぶん、都築だろ。
 アイツ、GPSも盗聴器も隠しカメラまで全部の記録がスマホに届くように設定してるくせに、その気になれば俺の行動は全部把握することができるってのに、何時も何を考えて俺の様子を探るのかよく判んないんだよなあとか思いながらスマホを取り上げて見たら、着信相手は百目木だった。
 待ち合わせ場所の変更か、行き先に関してかな?だったら、メールしてくればいいのに、アイツも俺とおんなじでメール打つの遅いからなぁ。
 クスクス笑いながら電話に出ると、百目木の焦った声に「うんうん」と頷くしかない。

「あー、そっか。それじゃ仕方ないよな。いやいや!こっちは大丈夫。ただ、ちょっと暇だったから遊ぼうかって思ったぐらいだし。そんなことより頑張れよ!」

 電話の内容はつまり、前から気になっていた女の子からさっきいきなり電話が来て、よかったら今日遊びに行かないかって誘われたんだとか。彼女も雨でドタキャンになって街にいるんだけど、誰も来てくれないし、たまたま前回の合コンで連絡先を交換していた百目木を思い出して電話してくれたらしいから…まあ、それ以上は聞かないくても判るよ。
 だから頑張れって電話を切ることしかできないよね。
 あーあ、また暇になっちゃったなぁ。
 柏木は最近できた彼女(確か絵美ちゃん)と雨なのにデートですぅとか言って昨日、おおいに惚気けてくれたし張り切ってたし、ゼミの他の連中もそれぞれ用事があったり遠出してたりで誰も捕まらないから、仕方なく俺はまた都築の雑誌を適当に掴んでページを捲る。捲っていて…不意に思い出した。
 そのページに載っかっていた都築は不貞腐れたような表情に強い双眸をして、普通の高校生だと考えられないような、堂々とした態度で不遜にこちらを睨んでいる。
 この目…

「あれ?どうしてだろう。俺、この目を知ってるような気がする」

 んん??いや、知ってるワケないよな。高校2年生の都築かぁ…きっとメチャクチャ生意気だったんだろう。
 ゴローンッと床に転がってクスクスと笑いながら雑誌を見ていたけど、やっぱり退屈だ。
 最近は誰も彼も彼女だとか趣味だとかで、全然相手にしてもらえなくなった。確かに都築と一緒にいることが多くなったから、なかなか他の連中と交流を持つことがなかったとは言え、世間は恋人ラッシュみたいだし、都築もセフレとお楽しみで俺だけ取り残されているみたいだ。

「…変なの。なんで俺、独りでいるんだろ」

 前はこんな風に独りになることもあった。
 独りでいることも好きだったし平気だった…のは、それ以外の時間は程よい距離感で誰かといたからだ。
 でも、都築の野郎が必ずべったり一緒にいるもんだから、近すぎる他人のぬくもりに慣れてしまったせいなのか、最近は独りでいるとつまらない。
 いや、つまらないと言うよりも…
 俺はよっと身体を起こすと、それからスクッと立ち上がると中途半端に着替えていたけど、スウェットをジーンズに履き替えて、アウターを引っ掴むとデイパックを持って鍵を掴んだ。
 ちょうどその時、スマホが着信を告げるから、百目木がやっぱりこっちに来てくれるのかなとちょっと嬉しくなって着信相手も見ずに通話ボタンを押してしまった。

「もしもし?どう…」

『あ!あーッ、あ、あ、いくぅ!イッちゃうッッ』

「…??!」

 濡れた声は甲高くて、女なのか男なのか判断がつきかねるけど、もしかしたら新手の嫌がらせか何かで…と言うのも、都築のセフレから結構な嫌がらせを受けまくっていたから、これもまた大音量でAVでも流しているのかと思ったんだけど。

『…から、判ったか』

『あ、ああッ!あ!あん~ッッ!!そ、ソコばっかり!や、それ以上はだめぇぇぇッッ』

「……」

 どうやら盛大な喘ぎ声の向こうからブツブツと都築の声が聞こえているから、嫌がらせじゃなくて…いや、嫌がらせだろうけど、都築から何らかの連絡みたいだ。
 この声の近さだと、多分背後からセフレに覆いかぶさるようにして電話してるな。
 俺はまだ喘ぎ声と都築のブツブツが聞こえるスマホを冷ややかに見つめてから、スゥッと息を吸い込んだ。

「都築!!犯ってる最中に電話してくんなって言っただろッッ!!!」

 俺の大声なんか喘いでいる本人には聞こえていないのか、まだヒンヒン言ってるみたいだけど、都築はどうやらギョッとしているようだ。俺は鼻息も荒く通話を切ってスマホの電源も落とした。
 何だよ、アイツ。何時もバカにして。
 セフレとの付き合いはどうぞどうぞって認めたけど、俺まで巻き込めとは言ってない。
 こんな風に、相手をして欲しいワケじゃない。
 怒りに肩をブルブル震わせていたけど、不意に、無性に寂しくなった。
 玄関のドアを開くと外は雨で、百目木も柏木も相手が見つかって、自分からけしかけたとは言え都築は何時ものようにセフレが居て、なのに今この時間に俺はたった独りなんだ。
 何処かに行きたくて、傘を掴んで鍵を掛けると、俺はカンカンと音を響かせて鉄製の階段を小走りで駆け下りた。
 周りからどんどん人が消えていくような中二病みたいな寂しさを振り払いたくて、傘を差して小走りに走り出した町は灰色で、早く賑やかな場所に行きたかった。
 都築と行動を一緒にしていたら何時もアイツのウアイラで移動していたから、電車に乗ることもそんなになくて、久し振りの駅は雨にうんざりしつつも賑やかで独特の匂いにちょっとホッとした。
 何処に行きたいとかないんだけど、取り敢えず、俺は電車に乗って溜め息を吐いた。
 俺がこんな風に寂しくなっているのは絶対都築のせいだ。
 都築が俺を独占するせいで誘いも来なくなったし、そのくせ、セフレのためなら平気で置いていく。独りぼっちの家に誰か呼ぶのも禁止、呼んだら酷いことをするって脅されてさ。アイツの場合、その言葉が嘘じゃないから怖いし、怖いから独りでいることになる。そしたら急に寂しくなる…やっぱり都築のせいだ。
 都築は俺が独りでも大丈夫なようにゲームソフトや映画、漫画とか小説をあの狭い部屋にこれでもかと置いていってるけど、もともと確かにインドアではあるものの、何時も弟とか、誰かしら傍に居たのにこんな風に独りぼっちになるのは想定外だ。
 都築に独りがいいと言ったけど、アレはお前と一緒にいるぐらいならって意味だったんだよ。
 俺は基本、独りだと寂しくて死ねるウサギなんだぞ。
 いや、独りも嫌いじゃない。我儘ウサギなんだけども。

「…って、何思ってるんだろ」

 別に心の声なんて誰にも聞こえていないのに、俺は顔を真っ赤にしてトホホッと唇を尖らせた。
 聞き覚えのある駅名がアナウンスされて、そう言えばこの駅の近くに疑似天体観測ができるプラネタリウムがあったなと思いだして、迷わずにその駅に降り立った。
 雨足は強くなる一方だったけど、施設の中に入っていれば気にならない。
 どうせ都築にはGPSとか盗聴器で俺が何処にいるのか判るんだし、スマホは切りっぱなしでもいいよな。アイツも今日ぐらいはセフレとゆっくりしてくればいいんだ。俺をあの部屋に閉じ込めようとするからブツブツ文句を言っちゃうんだよね。
 都築が俺に仕掛けている盗聴器は特殊なものらしく、普通の盗聴器って言うのは受信機を近くに持ってこないと聞き取れないらしいんだけど、どう言った仕組みかは判らないけどどんなに離れていても声を拾えるんだとか。そう言えば、姫乃さんが持たせてくれている盗聴器もそんな感じだよな。
 都築の言い分はホントに身勝手なもので、自分が帰った時に俺がちゃんと家にいないと嫌なんだと。大学で帰りが遅いのは仕方ないけど、そのかわり真っ直ぐに帰って来いとか言われた時は殴りたかった。(実際小突いた)
 自分はセフレと楽しんで俺んちに来るくせに、それを俺はジッと待ってないといけないって理不尽じゃねえか。巫山戯んな。
 改札を出ると久し振りの人混みに、いつの間にか強張っていた肩からやっと少し力が抜けたみたいだ。
 プラネタリウムが入っているビルの横は公園になっていて、平日で晴れていたら近所の保育園の園児たちの賑やかな声が聞こえるし、休日は親子連れがのんびりピクニックなんて洒落込んでいるんだけど、残念ながら今日は雨だから、公園には殆ど人影が見当たらない。
 そんな雨に烟る公園をぼんやり眺めながらビルに入ると、今月の演目は何かなと掲示板に張り出されているポスターを見て、俺は眉根を寄せてしまった。
 何処までツイてないんだか。
 今日は第3日曜日だから機材の定期メンテでお休みらしい。
 あーあ、久し振りの疑似天体観測にワクワクしてたのにさ。
 溜め息を吐きながらビルから出た俺は、傘を差す間もなくいきなりガシッと腕を掴まれ、ハッとした時には口を塞がれて女の子みたいな悲鳴も上げられず、ほぼ小脇に抱える感じで拉致られてしまった。
 無言でズカズカ歩く犯人の顔を青褪めて見上げながら、連れて行かれた先が隣の公園の公衆便所ってところが非常にシュールだと思う、思うけどこの近くにはカフェとか雨宿りできる場所もないから仕方ないと言えば仕方ないんだけど、都築は初めこそ乱暴に小脇に抱えたくせに、何やら驚くほど優しく俺を蓋の閉まっている便座に降ろしてくれた。
 うん、でもこのジーンズは洗濯機逝きだ。

「どうしてここにいるんだよ?」

 電話を叩き切ってから2,30分ほどしか経ってないと思うんだけど・・・
 見上げたまま吃驚していたら、最近はニンマリ笑うことも覚えたみたいだけど、やっぱりデフォルトの仏頂面に不愉快を滲ませた都築は、腕を組んで胡乱な目付きで俺を見下ろしてきた。

「あの後、ユキをさっさとイカせて帰ったんだよ」

「はあ?お前、今日はお泊りなしだって言ってただろ」

「だから泊まらなかっただろ!あと30分ぐらいで帰るからって電話したぞ」

 ムスッとしている都築は公衆便所なんて全く似合わないイケメンだけども、比較的綺麗とは言っても公衆便所だ。若干臭っているのは気にならないのか、いや、気になっているから仏頂面なのか、何れにしても理不尽なことでまた腹を立てているようだ。

「え?お泊りなしって俺んちに泊まらないってことじゃないのか??」

「何いってんだ、お前はバカか。泊まりって言ったらセフレとだろ。どうして家なのに泊まるなんて言うんだ。お前、言葉遣いが間違えてるぞ。九州の方言が関係あんのかよ??」

 本気で首を傾げる大男を見上げたまま、田舎をバカにすんなとプッと頬を膨らませて腹を立てたけど、結局、意思の疎通ができていなかったと言うことなんだろうか。
 いや、そもそも俺んちに「ただいま」と言って来るのはなんか違うような気がするとは思っていたけど、まさか自宅に帰っているつもりだったとは思わなかった。
 お前の頭がおかしいだろ。

「あと30分で帰るって言ってんのに、お前どうして家で待ってなかったんだ?!わざわざホテルも一番近いところに行ったんだぞ」

 なんだ、その恩着せがましさは。
 あの派手な声はユキだったのか。女の子かと思った。

「お前のセフレの声がデカすぎて聞こえなかったんだよッ」

「…ああ。それで最中に電話すんなって怒ってたのか。それなら、ちゃんと声が聞こえないって言ってくれればいいんだ」

 声が聞こえないと言われたのならメールしたのにと、都築は見上げている俺をバツが悪そうにジックリ見下ろしながらブツブツと言っているけど、すぐにムスッとして眉根を寄せた。

「お前、すぐにスマホの電源切るのやめろ。姫乃のスマホも持ってないから連絡できないだろうが」

「セフレとゆっくりしてくればいいと思ったんだよ。俺は俺で、独りの日曜日を堪能する予定だったのに」

「巫山戯んなッ」

 不意に都築が覆い被さるようにして俺の顎なんか掴みやがるから、一瞬ひやりと背筋に冷たいものが走って…不意に心臓がバクバクして、あれ、どうして俺、こんなに都築に動揺して、そして怖いなんて思ってるんだろう。
 俺のソロ活動に非常に腹を立てるのは何時ものことだし、こんな風に覆い被さるようにして覗き込まれるのも日常的で慣れきっていたのに、どうして公衆便所の個室にいる状況と、都築の色素の薄い、琥珀のような双眸に睨まれることがこんなに怖いと思うんだろう。
 ふと凶暴な目付きで覗き込んでいる色素の薄い、この琥珀みたいな瞳にトイレの個室で睨まれたことがあるような気がしたんだと思う。
 既視感と言うんだろうか。
 でも、思い出そうとすると不意に頭が痛くなって眉を顰めてしまった。
 あとほんの少しで、引っ掛かっている何かを思い出せそうだったのに…

「どーせ相手してくれるヤツなんていないんだ。大人しく家にいれば、オレが土産とか買って帰ってやるんだから」

 俺の顔を覗き込んでジックリと見遣ってくるさまは、不機嫌には変わりないものの、どこか堪能している色を見せるからムカついた。

「なんで相手してくれるヤツがいないなんて思うんだよ…」

 胡乱な目付きで覗き込んでくる琥珀の双眸を見返せば、都築は一瞬だけ都合が悪そうな光を浮かべた双眸を隠すようにふいっと目線を逸した。

「…どうして相手してくれるヤツがいないって確信してるんだよって聞いていますけども?!」

「…百目木と柏木が気にしていた女がオレのセフレだったから付き合わせることにしたんだよ」

「はあ?!なんだ、それ!なんだよ、それ!?」

 柏木と百目木と都築が穴兄弟になんのかよ!…笑えない冗談にしてもたちが悪すぎる。

「付田とか、お前が交流を持っているゼミの連中には、アイツらが持ってるお前が知らない趣味に造詣が深い連中を紹介してやった」

 ここ最近、俺の周りから次々と人がいなくなる中二病みたいな怪現象…の犯人はやっぱり都築、お前だったのか。

「聞きたくない。うんざりするぐらい聞きたくないけど」

 溜め息と一緒に頭を抱えこんでいた俺はでも、せっまい個室に大男とギチギチに詰まってるのもそろそろ限界だったし、これ以上こんなところにいても服が臭くなるだけだからと変な言い訳をしながら顔を上げて、ジックリと不機嫌ヅラで俺を見下ろしている都築の顔を見上げた。
 黙ってりゃホントにイケメンなのにさ。

「どうして俺の周りから仲間を引き離すんだよ?」

 俺が知らない趣味の情報までわざわざ調べたり、セフレを貢いだり、よく考えれば涙ぐましい努力じゃないか。気持ち悪いけどさ。

「どうしてって…そんなの当たり前だろうが。嫁の周囲に男がいれば排斥するのが旦那の権利だ」

 オ・ト・コ!
 いいか、都築。俺は男だ。俺だって男なんだよ。
 その男の俺の傍にオトコの友人がいて、何がおかしい?おかしいか?おかしいのはお前の頭だろうが。

「そもそも、お前は少し無防備なところがあるんだよ。ちっさいくせに気が強くて可愛いくて、小脇にいつだって抱えることができるんだから、変態に拉致される可能性だって充分あるんだぞ?!」

 170弱の身長はけして小さくない。大事なことだからもう一度言うぞ。170弱の身長はけして小さくない!
 そして俺を小脇に抱える変態なんてお前しかいない。
 今だってサクッと拉致って小脇に抱えて公衆便所に連れ込んでるんだろ、いい加減、自覚しろ。自分が変態だって。
 俺がムカムカしながら見上げてるってのに、都築のヤツは自分でブツブツ言いながら腹立たしくなったのか、最後は吐き捨てるみたいに言いやがる。

「だからオレが毎回実演してみせてるだろ?お前なんか小脇にいつだって抱えることができるってさ」

「…そっか。俺が変態に小脇に抱えられて拉致られるほど間抜けだから悪いのか。だったら都築が俺の周りの連中を引き離したって仕方ないんだな。俺、変態に小脇に抱えられて拉致られないように都築から離れることにする。半径150メートル以内に絶対に近付くなよ?」

 ニッコリ笑って言ってやれば。

「巫山戯んな!何言ってるんだ。オレがいなかったらお前みたいな初心な処女はとっくに拉致られて輪姦されるに決まってんだろ」

 都築のヤツは案の定、他のヤツが聞けば、コイツなに言ってんだ…と両目を細めたくなるような巫山戯たことを言って、腹立たしそうに俺の脇に腕を差し込んで、それから何時の間にか鍵を開けていた個室のドアから外に引きずり出すとヒョイッと肩に担ぎ上げやがった。
 小脇じゃなくて肩か…雨が降ってても人通りがないワケじゃないんだが。

「ったく、心配で仕方ねぇよ。これからセフレと会うときはコイツも連れて行って…いや、セフレには見せたくねぇしな。じゃあ、やっぱりもうセフレは切ってコイツと犯ったほうが」

「聞こえない!」

 ブツブツと気持ちの悪いことを呟く都築の背中をバンバン叩きながら抗議しても、190の身長に程よく鍛えている背中はハエが止まるほどの苦痛も感じていないようで、ますます不気味にブツブツ呟いている。
 その顔が見えなくて良かった。ホントによかった。
 擦れ違う人が(違った意味でも)ビクッとするのを見ていると、荷物に徹してウアイラまでの道のりを揺られるのは激しい苦痛でしかなかった。

□ ■ □ ■ □

 都築は起業した当初はとても忙しそうにしていて、毎朝作って持って来ると言っていたスムージーも興梠さん任せにしていたんだけど、会社が軌道に乗って落ち着いてくると夜に一旦自宅に戻ると必要な道具を持って戻ってきて、朝が弱いくせにせっせとスムージーを作り出す。
 どうやって作るのか知りたくて一度覗こうとしたけど、都築が小さなタッパを開いたところで通常運転の仏頂面に不機嫌を混ぜて「あっちに行け」と言ったので渋々大人しく従うことにした。
 朝は特に機嫌がよくない都築なので、触らぬ変態になんとやらだ。
 ヨーグルトが隠し味的な事を言っていたから、あのタッパに凍っていた白いシャーベットみたいなのが、ヨーグルトなのかな。
 ヨーグルトも凍らせるんだなとか考えていたら、自宅から持ち込んだミキサーに食材を全部投入してから、欠伸をしながらスイッチを押したみたいだ。
 でかい図体で俺んちの狭いキッチンに立っている姿はちょっと笑えるけど、安物のスエットだからちょっと丈が足りていないのは仕方ないとしても、なんでも似合うモデル体型っていうのは羨ましいなぁ、畜生。
 今日はミックスベリーとバナナとヨーグルトのスムージーらしく、ほんのり紫色の液体が満たされたコップと、自分用のコーヒーの入ったマグカップを持って眠そうに顰められた表情のまま、薄っぺらいカーペットだけでは腰が痛くなるからと、頼んでもいないのに都築が勝手に買ってきたクッションに座った俺の前のテーブルにコップを置いて「召し上がれ」と不機嫌そうな眠い目で促された。
 都築はそんな俺の背後のベッドに腰掛けて、眠気覚ましのコーヒーを嫌々飲んでいるみたいだ。

「いただきまーす!」

 朝食とか弁当を作る前にスムージーを作るのが日課になっているから、俺が料理を始めると都築は二度寝に突入する。でも、俺がちゃんとスムージーを飲み干すまでは眠らずに、視姦レベルで凝視しているので残さずに飲むようにしている。

「美味いか?」

 ほぼ、寝惚けた声で聞いてくるけど、俺は今日も甘いスムージーに舌鼓を打って頷いてやる。いや、マジで美味いんだ。

「うん、今日も最高だった。有難う」

 ニコッと笑うと途端に嫌そうに鼻に皺を寄せてから、俺にマグカップを押し付けるとどうてもいいと言わんばかりの態度でシングルのクソ狭いベッドにゴロンと寝転んだ。
 だから、なんなんだ、お前のその態度は。
 そんなツラをするぐらいなら、毎回毎回律儀に聞いてくるんじゃねえよ。
 やれやれと溜め息を吐いてテーブルに手をつくと、おっさんみたいにヨイショと言って立ち上がった俺は、都築のマグカップと俺のカップを持ってキッチンに行った。
 都築のヤツは作ってはくれるがお坊ちゃんなので後片付けのスキルはない。
 一度、折角なんだから後片付けのスキルも磨こうぜと、夕食後とかの皿や、単にコップを洗うとか程度の練習をさせたら、なんでも器用にこなす都築だと言うのに、皿は2枚、コップは1個を割るという所業をしやがったので止む無く強制退場と相成った。
 皿は3枚、コップは2個の状態で割った数なんだ、強制退場も致し方ないよね。
 全部100円ショップで揃えたモノばかりだから別にいいんだけど、都築邸の厨房なんかには一皿ん十万とかってのもあるらしいから、絶対に都築は立ち入るべきじゃない。男子、厨房に入らずの古い仕来りがあるとかなんとか言い訳をブツブツ言っていたけど、その仕来りがあってよかったなと心から思ったもんだ。
 そんなキッチンではぶきっちょな男が、欠伸混じりに何時もは綺麗にセットしているボサボサな髪を掻き上げながら、無精髭とか眠そうな目をショボショボさせてカチャカチャしているのは見ていて楽しい。
 流石、元モデルってだけあってそんな姿も様になっているしさ。
 都築に聞いてもこんなの楽勝とか言ってまともな返事が返ってこないから、俺は何時も興梠さんや属さん、それから唯一俺と話す都築のセフレのユキに聞いたことがある。
 都築って料理とかするのか?ってね。
 興梠さんは。

『しませんね。日頃は横のものを縦にもしません』

 なるほど!掃除もしないのか。
 属さんは。

『見たことないですね。スマホは拭くみたいですけど』

 そうか!画面汚くなるもんな。
 ユキは。

『バカじゃないの?料理なんて食べに行くものでショ』

 お前に聞いた俺はホントにバカだと思う!
 …って結果だったから、都築は本当に深窓のお坊ちゃまだったらしく、厨房立ち入らずは伊達や酔狂ではないんだってのがよく判った。
 そうすると朝が弱い都築がせっせとスムージーを作るのは本当に珍しいことで、だったら、俺はその好意を無碍にはできないから有り難く毎朝完食することにしている。

「そう言えば、最近都築さ、腕に女の子をぶら下げてないな?」

 いつもユキとか、あと見たことないちょっと質素な顔立ちの男と一緒にいるとこしかみてないんだよな。前はあんなに女の子を腕にぶら下げて、キャーキャー言われてたのにさ。
 大雑把で女にだらしない性格だったくせに、会社を起ち上げてからは少しはまともになったんだろうか。
 仏頂面でゴロンしているくせにスマホを弄りつつ俺をジックリと凝視していた都築は、どうでも良さそうに欠伸しながら頷いた。

「ああ、女はもういい。お前と結婚するなら男の経験値を上げようと思ってさ」

「…うん、あんまり有り難くない情報だな」

 ハハハッと乾いた声で笑ったけど、たぶん目は笑ってなかったと思う。

「男の経験値ってさ…たとえば有名な二丁目とか行ってるのか?」

「前に一度行ったことがあるけど、雰囲気は嫌いじゃないが二度は行かなくていい。お前みたいに初心なのもいることはいるんだろうけど、アイツらゲイだし、お前を攻略するヒントにはならないと判断した」

 朝飯は洋食だと決めていた都築は俺んちに転がり込んでから、もうずっと和食なワケだけど、ブツブツ言いながらも完食するから作り甲斐はある。だから、今日もサクッと魚の煮付けを作りつつ、俺は青褪めて「そうか…行ったことあるんだ」と呟いた。

「ユキは感じすぎるとすぐに失神するからモニターには向かないんだよ」

 セフレをモニター扱いするな。
 と言うか、その情報は聞いてないから。

「他に一緒にいるヤツもセフレなのか?ほら、あのちょっと平凡そうな顔した…」

 まあ、俺の場合は地味面だから平凡より劣ると思うから、他人のことを言えた義理じゃないけどさ。

「他…?ああ!鈴木のことか。アイツはオレの会社のパートナー候補だ」

「パートナー?」

 耳慣れない言葉に振り返ると、スマホ…あ、俺のスマホを弄ってたのか、スマホを弄っているとばかり思っていた都築は、相も変わらず何が楽しいのか、ジックリと俺を熱心に観察しながら頷いた。

「そうだ。単独で起業するつもりだったんだけど。アイツ、なかなか使えるヤツでさ」

 不意に胸がチリッとした。
 都築のヤツが俺のスマホを弄りながら嬉しそうに笑ったからじゃない。
 声に含まれる親しげな気安さが気になったからじゃない。
 それに、嫁だなんだと言われながら、肝心の仕事についてはこれっぽっちも語らず、信頼を別の人間に向けているからだとかでは、断じてない。
 多分これはアレだ、最近レポートとかで忙しかったから、心臓あたりの筋肉が緊張して凝ったに違いないんだ。

「そう言えばお前の会社って何をする会社なんだ?」

 今更それを聞くのかよと、自分から言いもしないくせに呆れたような表情をする都築をこの際見ないふりをして、俺は鍋の灰汁を取り除いてから醤油を入れ落し蓋をしながら答えを待った。

「ITセキュリティ専門だ。ITセキュリティと言っても内容は豊富だけど、ウチは主に防犯システムの構築、それらに関連した機器の開発なんかを請け負っている」

 ゲッ、本格的な会社じゃねぇか。
 …とは言っても、俺の部屋に設置されている監視カメラとかGPSとか盗聴器とか、都築は防犯だって言ってるから、趣味と実益を兼ねているんだろう。

「ふーん。じゃあ、今のセフレってユキだけなのか」

 防犯システムについて語ってやろうかとジックリとこっちを見ている都築を無視して、俺はほうれん草の胡麻よごしを作るため煮魚の横でほうれん草を湯掻きながら適当に話を続けた。
 都築の相手は綺麗な連中ばかりだったから、鈴木ってヤツはちょっと気色が違うよな。俺みたいに質素でパッとしない感じだから不思議だったんだけど、パートナーとは流石に寝ないだろうと思っていた。

「いや。鈴木とも寝てる」

 そこはやっぱり都築なのか…
 俺がうんざりした顔で振り返ると、都築のヤツはスマホを弄るのを止めてベッドの上に起き上がっていて、料理に勤しむ俺を何時ものようにジックリと見ていたから驚いた。

「アイツさ。お前に少し似てるんだよ。料理とか掃除はそこそこだけどな。なんて言うか雰囲気とか…あと」

 そこで都築は俺には滅多に見せない面をして、クククッと笑った。

「アイツも気が強いんだよ。篠原みたいに平気でポンポン悪態吐くからな。一緒にいて飽きない」

「ふーん、なるほど」

 なんでもないことのように相槌を打った。

「アイツ、篠原のことを知ってから、料理学校に通って勉強し始めたんだぜ?笑えるだろ」

「そうだな」

 5分ほど湯掻いたほうれん草を水にさらしてから絞り、綺麗な緑を適当な幅で切って、予め混ぜておいた調味料と和える。

「勉強熱心なやつだから、きっとすぐ上達するんじゃないか?最近は会社の方に手作りの弁当を持ってきて味見してくれって言われる」

「鈴木ってヤツ、パートナー候補なのにもう会社に行ってるのか?」

「ああ。ま、バイト兼って感じで様子を見てるんだけど…」

 都築が不意に口角を上げてニヤッと笑うから、なるほど、下世話な御曹司の性格は1ミリだって変わっちゃいないのかと理解できた。
 おおかた、社長室に引っ張り込んでゴニョゴニョしてるんだろう。
 コイツの会社ってよくよく考えたら、すげぇ破廉恥な状態になってるんじゃねぇだろうな。

「お前ンとこの会社って、秘書は全員美人な巨乳で、その全員が社長のお手付きなんだろ」

 嫌味のつもりで言ったってのにさ。

「いや、全員男だ。言っただろ?今は男に絞ってる」

 …マジかよ。もう都築、お前ゲイじゃねえか。
 まあ、最初からコイツ、バイとかって巫山戯ただらしないヤツだったから、今更って言えば今更なんだろうけどな。
 しかし、全員お手付きなのか…

「…味見、してやればいいじゃん。俺の料理はばあちゃん直伝だから自己流だし、都築の味覚にはそっちのが美味いんじゃないかな」

「もちろんしてやってるよ。セックスのあとは腹も減るし」

 何時だったか、都築は俺の飯を食べるようになってから、外食以外で他の人間の手作り料理は口にしなくなった。セフレが偶に作ってくる弁当も、素っ気なく「いらない」と断って顧みない。
 そんなヤツが鈴木の弁当は食べてるのか。

「…綺麗なヤツばっか相手してたのに、趣向を変えたんだな」

「ああ…アイツ、すごい初心でさ。処女だったからいい練習になってるんだ」

 俺は大学で都築と歩く鈴木をちらっとだけ見たことがある。
 俺よりは小奇麗な顔をしているとは思うけど、何処にでもいる平凡な眼鏡くんだ。
 一度、都築は気付かなかったけど、都築の傍らでまるで特別になったように高揚した面持ちで、口許に笑みを浮かべる都築の言葉に嬉しそうに笑っている鈴木と目が合ったことがある。その時はセフレとか会社のパートナー候補とか知らなかったし、都築にしては地味なヤツとつるんでるんだな、後から取った講義の仲間なのかなとか思っていたけど、俺と目が合った瞬間、鈴木は嬉しそうな笑みを引っ込めて、何度か瞬きをすると、セフレたちとは違う自信を持った表情でゆっくり笑って軽く頭を下げた。
 そっか、あの時にはもう都築と寝ていたのか。

「それ…俺の為だとか言わないよな?」

「は?お前のために決まってるだろ。お前は処女だから、どうやったら痛がらずにセックスできるか…」

「俺の為に抱くなんて気持ち悪い!」

 そんな理由のために生真面目なヤツを抱くなんてどうかしている。
 会社のパートナー候補なのに、そんなことの為に禍根を残すなんか。

「…なぜだ?」

「何故って…ッ!」

 そこで俺はハッとした。
 別に都築が俺の為だとかなんだとか言って、勝手に鈴木を抱くのなんか俺の知ったこっちゃないはずだ。
 ただ、俺は都築が俺に触れる指先の熱を知っている…って言うか、強制的に覚えさせられた。熱心で必死で…あれ以上にたぶん優しく鈴木に触れているのだとすれば、俺と同じように平凡で冴えない顔をしている鈴木は都築にあっさり堕ちているに違いない。
 都築は婚約者として(勝手に)写真を見せて俺を紹介したらしいが、その時、じゃあ会社にいる時も外食だと悪いだろうからと料理学校に通い始めたって言ったけど、たぶんその理由は嘘だと思う。
 同じように冴えない平凡なツラの俺を見て、自分も料理ができるようになれば、公私共に寄り添えるのは、より都築が必要とするのは自分であるべきだと思ったんじゃないのかな。
 そりゃそうか。俺は都築の仕事のことなんか知らないし、都築自身、俺には言うつもりなんかサラサラなかったようだし?
 仕事上の信頼もない俺より、仕事もセックスもお手の物で、ましてや料理すらできるようになるんなら、俺なんかより鈴木のほうがはるかに都築の為になると思うよ。

「…いや、別にいいや。都築さ、そう言えば鈴木と会ってる時って俺に電話してこないな」

 俺はどうかしていたんだ。
 胸の奥がモヤモヤするから、なんか余計なこと考えちゃったんだよ。
 だってさ、よく考えてみろよ。
 これはもしかしたら、都築の底知れない不気味な執着にケリをつけることができるんじゃないのか?

「アイツが、スマホをイジらないでくれって言ったんだよ」

 不意に頭を掻きながらブツブツと言う都築に瞠目して、俺は「そうか」と呟くように言葉を落とした。
 都築はセックスがつまらないと言っていた。
 セックスしながら俺の動画を見てるんだと。
 でも、鈴木と犯る時はスマホを見なくても熱中できるってワケだ。

「鈴木の飯は美味いか?」

 唐突な俺の質問に、都築は少し面食らったようだったけど「まあ…」と、不味くない返事を寄越した。よしよし。

「そっか。じゃあさ、明日から朝昼晩の飯は鈴木んちで食べてくれないか?」

「は?!なんでだよ??!」

 煮魚の火を落として、喋りながらも味噌汁の準備をした俺の言葉に、きっと都築は唐突さを感じたに違いない。
 今日の朝食の献立は、カレイの煮付けにほうれん草の胡麻よごし、甘い玉子焼きにばあちゃん直伝のぬか漬けと大根の味噌汁だ。
 そして昼の弁当はなし。

「それで、暫く俺んちに来ないで欲しい」

 炊きたてのご飯を混ぜてからよそうと、ふんわりと優しくて甘い匂いがした。

「嫌だね、断る!」

「まあ、頭ごなしに否定するんじゃなくて聞けって」

 テーブルに朝食の準備を着々と進めながら、俺が物静かに日頃はけして浮かべない微笑で首を傾げるもんだから、不機嫌に険を含んだ双眸で慎重に、疑わしそうに俺を見据えて都築はそれでも話の続きを促した。

「…」

「聞けばさ、鈴木は仕事のパートナー候補でもう一緒に働いているんだろ?ってことは、一緒に出勤もするんじゃないのか?だったら、一緒に暮らすほうが何かと便利だと思う…って、待て。最後まで言わせろって。その、ゴニョゴニョだって俺の動画がなくてもイケるんなら理想的じゃないか。俺さ、レポートとか溜まってて、ちょっと集中したいんだよね。後期の試験もあるだろ?だから、1ヶ月ぐらい鈴木んちに厄介になっててくれよ。あ!鈴木んちじゃなくても、都築んちでもいいな」

 そうしてる間に、俺なんかよりも鈴木のほうが何倍も自分に役立つ恋人だって判るはずだ。俺んちにちょこちょこ来るから、大事なことが見えなくなるんだよ。じっくり1ヶ月べったり一緒にいたら、どれほど俺が無利益な男かって言うのが判ると思う。
 たとえガキの頃に気に入ったとは言え、ただそれだけだ。
 そのよく判らない執着を、鈴木に向けてみるといい。
 お前が本当に好きになった人に向けるだろう、直向きな想いってのを見てみたい気もするしね。
 一緒に暮らして、そのまま一緒になればいい。

「言いたいことはそれだけかよ?だったら1ヶ月は長い。譲歩できるのは1週間だ」

 前は3日でも離れたくないって駄々を捏ねるぐらいはしていたヤツが、すげえな、鈴木となら1週間は一緒にいられるってことだ。
 これだけだってかなりの収穫だけど、俺は腕を組んで眉を寄せた。

「1ヶ月」

「駄目だ、1週間」

 都築のヤツは頑として主張を覆さない。
 どうも、本当にヤツの限界は1週間みたいだ…とは言え、俺にだって我慢の限界ってのはちゃんとあるんだぞ。
 鈴木はきっと、とても生真面目な性格をしているんだろう。
 初めての相手で自分に好意を寄せてくれている男…男なんだよな、いやそんなこたどうでもいい話が逸れた、ソイツともっともっと一緒にいたい、恋人になりたいと、きっと思ったに違いない。
 薄情で酷い都築だけど、鈴木にとっては初めての人なんだから、せっせと料理を覚えるほどにはいじらしい恋心があるんだろう。
 信頼されるようにきっと、一生懸命仕事を覚えて、料理を覚えて、少しでも気に入ってもらえるように必死に努力して…
 写真で紹介された『婚約者』なんて巫山戯た肩書を持つ俺が、都築と寝てない(都築は誰にでも言っている、ホント勘弁してほしい)と知ったから、俺から奪う気満々でいるんだということも、その気持も、よく判るよ。
 そんなやわらかくて綺麗で、なんだかキラキラしている大切な気持ちがブリザードみたいな凶器になるところは見たくないし、その寒波に晒される俺の身にもなれってんだ。
 都築が初心だからとか可愛いとか言って甘やかすのをいいことに、寝てもやれない恋人崩れに都築は勿体無い!…と思っているに違いない。実際に、都築のセフレからそんな悪態を吐かれたこともある。
 今までセフレからどんだけ呪い殺したいような目付きで見られてきたと思ってるんだ。
 この先、そんな生真面目な相手にまで手を出すようなお前の節操のない態度に、傷付く連中の嫉妬の業火を浴びるのなんて真っ平だね!
 我慢も限界ってもんだ。

「だからレポートとか勉強に集中したいって…」

 ここいらで本当にスッパリ切れるなら、それがいい。

「それならオレがいたほうがいいはずだ」

 間髪入れずに言い募る都築に引く気はないようだ。

「…自力で勉強したいんだよ」

「1週間だ。それ以上は譲れない」

 都築は何かを疑っているような目付きは変えずに、腕を組んで静かに怒っているようだった。
 怒りたいのはこっちだ。

「どんなに言っても1ヶ月だ!都築さ、俺のこと大事にするとかなんとか言って、結局自分の我侭を押し通そうとするよね。そう言うの、本当にいい旦那って言えるのかな。一緒に過せよって言ってるのはお前の公私共にパートナーなんだから、不満なんてあるワケないよね。なのに、どうしてそんな我侭を言うかな」

「仕事上のパートナーであってプライベートは関係ないだろ!…1週間と言ったら1週間だッ」

 「こんなはずじゃなかったのに」とか「ヤキモチも焼かない」とか「やはり正攻法で犯したほうが…」とか何やら物騒にブツブツ言っているけど、俺は全く聞く耳を持たずに苛々していた。

「仕事上ってだけじゃないだろ?ご飯も美味しくてセックスもできる、最高のパートナーじゃないか。俺なんかよりずっとお似合いだと思うぞ。そうだ!いつもみたいに姫乃さんとか万理華さんに聞いてみればいいじゃないか」

 名案だと手を叩く俺に、都築のヤツはうんざりしたような顔をして首を左右に振っている。

「…お前はオレが鈴木と付き合ってもいいって言うのか?オレの性格だと今までお前に向けていたモノを全て鈴木に向けるぞ。そうしたら、オレはお前なんか二度と顧みない。それでもいいって言うのかよ」

「お前がそうするなら仕方ないと思う。むしろ、何も知らないヤツに手を出したんだから、責任を取ってやるべきじゃないかと思ってる」

「…チッ」

 俺が声を落とし、真摯な双眸を向けてキッパリと言い切ると、不意に都築は舌打ちした。

「1週間と言ったら1週間だ」

「駄目だ、1ヶ月」

「…~ッ!もういい、判った!オレは鈴木と付き合う。お前とはこれっきりだ」

 どう言っても俺が譲歩しないとみるや、都築は本気で怒ったように、まるで聞き分けのないガキのように大声で吐き捨てやがった。

「…へえ、そりゃよかった。思い付きで言ったとかはナシだから。鈴木の純情を踏み躙るようなヤツはこっちから願い下げだからなッ」

 なるほど、1週間しか我慢ができないと言って駄々を捏ねてたくせに、俺と一生会わない方を選択したってワケね。
 まあ、いっそ。
 本気で会わないほうが都築の異常な執着は消えるかもしれないな。

「…!」

 グッと言葉を飲んだ都築は、それからもう何も言わずに苛々したように洗面所に行って洗顔と歯磨きをし、スウェットを脱いで俺んちの押し入れに常駐させているジーンズだとかシャツを取り出して着替えた。
 苛々しているからそのまま出ていくんだろうと思った。
 俺とはこれっきりだから、最後の晩餐は昨夜のシチューってワケか。
 バタバタする都築を無視してクッションを椅子にして座った俺は、礼儀正しく手を合わせて頂きますを言い、ご飯をハグハグして胃袋を満たしながら、せっかく美味しくできた煮魚はちゃんと俺が弁当にして持って行こう…と、そこまで考えていたってのに、都築のヤツは苛々したままどかっと直接腰を下ろして胡座をかくと、両手を合わせて頂きますと言って朝食に手を付けやがった。
 おい、出て行けよ。
 そんな仏頂面で食べてたら魚が可哀想だろ。

「…ごちそうさま」

 黙々とあったかい朝食で腹を満たした都築は不機嫌そうに言って立ち上がると、ウアイラのキーとスマホ、ウォレットを尻ポケットに捩じ込んで、部屋を出ていこうとした。
 お坊ちゃまに後片付けスキルはない。
 だから俺はその背中を、今更ながらしげしげと見詰めながら。

「じゃあな、都築。今まで楽しかったよ」

 変に執着してるみたいで何時も気持ち悪かったけど、それなりに楽しめたよ。
 この部屋にある荷物や監視カメラや盗聴器、GPSに都築が寄越したキーホルダーとクレジットカードは興梠さんか属さんに預けよう。

「…」

 都築は一瞬ピクリと肩を揺らしたけど、何も言わずに俺んちの安物のドアを力いっぱい後ろ手に締めて出ていってしまった。
 バタンっと大きな音がしたから苦情が来るだろうけど、俺は溜め息を吐いて、都築が完食した皿と自分の皿をシンクに持って行くために立ち上がった。

□ ■ □ ■ □

●事例18.俺と仲良くするヤツは(男女共に)だいたい適当な相手を宛がわれている。結果ぼっちになる
 回答:そもそも、お前は少し無防備なところがあるんだよ。ちっさいくせに気が強くて可愛いくて、小脇にいつだって抱えることができるんだから、変態に拉致される可能性だって充分あるんだぞ
 結果と対策:そっか。俺が変態に小脇に抱えられて拉致られるほど間抜けだから悪いのか。だったら都築が俺の周りの連中を引き離したって仕方ないんだな。俺、変態に小脇に抱えられて拉致られないように都築から離れることにする。半径150メートル以内に絶対に近付くなよ?

17.勝手に俺んちの実家と交流を持っている(しかも仲が良い)  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 都築の脛を蹴っ飛ばした後、俺は帰りたいと要望を口にしたけど、都築一家はそれを良しとはしてくれなかった。
 と言うか、都築が折角実家に来たんだから、自分の部屋を見て行けと言うんだ。
 もう、悪い予感しかしない。

「…そう言えばお前さ、子どもの頃から俺のこと知ってたんだっけ」

「ああ、そうだ」

 万理華さんとか陽菜子ちゃんがもうちょっと話したいと言っているのに、丸っきり無視した都築に引き摺られるようにして、何処の舞台設備だと聞きたくなる豪華な宝塚歌劇団みたいな階段を上がって2階に行くと、右手廊下を進んだ先の突き当りの左手にある扉が都築の部屋らしい。
 今のマンションに越したのは大学からだそうだから、高校まで過ごしていた都築の部屋に興味がないと言えば嘘になるけど、開けてはいけない深淵の扉のようでもあると思うのは、きっと気の所為なんかじゃないと思う。
 都築が開けた扉の奥に、恐る恐る足を踏み入れて…それで俺はちょっと拍子抜けしていた。
 豪華なベッドや本棚、学習机がわりのディスク一式、マンションと同じく、この部屋だけで俺んちがすっぽり収まっちゃいそうな広さにはビビった。でも、中はなんにもない。
 なんにもって言うのは、もちろん俺に関する何かが何もないってことなんだけど。
 まあ、これだけ執着しだしたのは大学に入ってからなんだから、高校までの都築の部屋に俺に関するものがあるワケないか。あったら逆に怖いよな。
 家具にしても置いてあるインテリアにしても、どれをとっても一目で高価だってことは判るけど、室内はとてもシンプルで質素だった。
 そう言えば、都築のマンションも、俺に関するもの以外は特にざっくばらんで無頓着で、寂しい感じがするほど質素だったなと思い出した。

「何か飲み物を持ってこさせようか?」

「別にいいよ。それより、部屋の探検をしてもいいか?」

 自分に関する不穏なブツがないと判ったら、この広い部屋を、都築の弱味が何かないか探したい!とワクワクして振り返ったら、都築のヤツはちょっと呆れたように苦笑なんかして「どうぞ」と言いやがった。
 よぉーし、その余裕のツラを青くさせてやるからな!

「AVとかあるかなぁ~?リア充都築の秘密はないかな?」

 ワクワクウキウキしながら部屋中をキョロキョロ見渡していると、都築は肩を竦めて「なんだそれ」と呆れたようにブツブツ言うと、本棚から何かを取り出している。

「お前、柏木とホテルに行った時も部屋中を見て回っていたな。そう言うのが楽しいのか?」

 見たこともない洋書だとか経済学の蔵書が並ぶ本棚の前で、都築は大学とか会社に必要なモノなのか、何冊かの本を次々に取り出しながら最初は若干腹立たしそうだったけど、笑いを含んだ声で尋ねてきた。

「うん、楽しい。だって、都築一葉の知られざる高校生時代が何か判るかもしれないだろ?」

「なんだそれ」

 判らなくていいよ、これは庶民の楽しみなんだから。
 クローゼットのところに行って適当な鞄を取ってきた都築は、重そうな本を数冊それに仕舞っているけど、俺はそれを横目に折角都築が産まれてから高校までを過ごした部屋を思い切り漁ってやることにした。

「見事にモデル時代の本がない…ゲーム機もないな。でかいテレビはあるのに…なんか、思ってたのと違う」

「はあ?どう思ってたんだよ?」

「えー…都築はゲームヲタクかと思ってた」

「はは、なんだそれ」

 モン狩りは最近ハマったんだとかなんとか、どうでもいい情報には耳を傾けずに、俺はウロウロしていたけど、クローゼットの横に扉があることに気づいて、あれ?こんなところにも部屋があるのかと思った。
 あ、そう言えばお金持ちの部屋には物置みたいな小部屋があるって(百目木情報)言ってたから、それかもしれない。だったら、都築の知られざる幼少期の玩具とかあったりして。
 俺がワクワクして扉を開いたら…固まっている俺に気づいた都築が「ああ…」と小さく声を出した。

「その部屋はお前の部屋だよ。本当はそこに閉じ込めたいんだけどさ…」

 物騒な発言にグギギギ…っと首を回して都築を見ると、ヤツは見たこともないほど良い顔をして、ニッコリと笑っている。
 その笑顔を見た瞬間、一歩でもこの部屋に入ったら閉じ込められると直感した。

「ふぅん、気持ち悪い部屋を作ってるんだなお前。まあ、俺には関係ないけど。ところで、もう帰っていいかな?」

「何いってんだよ!折角だから、中も見ていけよ。いや、見せたいんだ」

 ガシッと都築に両肩を掴まれたら、タッパもウェイトも勝てる要素がないんだから、力だって負ける俺が嫌がってどうにか逃げ出せるレベルじゃないことは判るよね。
 背後にライオンか熊並みに震えるような威圧感を醸している都築が立っていて逃げられないし、押し込まれるようにして俺は、小部屋とは言えない広さの壁中に子どもの頃から現在に至るまでの俺の写真がビッシリ貼られている不気味さしかない部屋、年代別に纏められているんだろうファイルが所狭しと陣取る本棚、大事そうにジップロックに入れられているゴミ(としか言いようのないブツ)、失くしたと思っていたらこんなところにあったのか体操服とか中学時代頃のパンツとか下着(なぜ使用済みがここに?)、あらゆる意味で怖ろしい部屋の壁に寄せられたクィーンサイズのベッドの上には最近作ったんだろう抱き枕とかクッションが置かれていて、自分のバストアップがデカデカと貼られているクッションを抱かせられて座れと言われた。
 少し湿ったような匂いがする部屋はそれでも空調設備が整っているんだろう、物凄く快適だけど、ここに住みたいとは思わない。住みたいなんて思うヤツは気が狂ってるとしかいいようがない。

「ははは…ここに例のダッチワイフを置いていたのか?」

「そうだ。そうしたら万理華のヤツが属を入れやがって!…まあ、何も失くなっていなかったから許しはしたけどさ。でも、やっぱりいいな。お前がいるとこの部屋が完成したような気持ちになる」

 都築は酷くご満悦でこの狂気の部屋を見渡しているけど、ベッドの頭の方に置いている机にはディスプレイとノート型のパソコンが置いてあって、そこには何故か俺の実家の部屋が映し出されていた。
 中学に上がった頃から兄弟別々の部屋になって嬉しかったけど、物置を改造した部屋は狭くて、勉強机とベッドを置いたらいっぱいいっぱいの俺の城は、俺の青春時代そのものなんだけど…もちろん、シコったりしてたよね。それを赤裸々に、ここで上映されていたっていうのか?

「ああ、お前の部屋に防犯カメラを設置していたんだ。何かあったら困るからさ。暗視できるカメラだから、夜間でもしっかり確認できていた」

 上映されていたんですね、判ります。

「この部屋に属や万理華が平気で入っても困るから、外から鍵が掛けられるようにしたんだ」

 と言うことは、中から開けることはできないってワケか。
 まるで狂ったパニックルームみたいだな…あ、アレは中からしか鍵の開閉ができないんだったっけか。

「…喉が乾いただろ?飲み物を持ってくるよ」

 さっきは持ってこさせるとか言っていたくせに、自分で取りに出ようってことか?

「有難う。でも、俺をここに閉じ込めたら二度とお前と口をきかないし、キスもハグも全部拒否する」

 都築の希望は自分がキスしたりハグする際に、俺が拒絶せずに大人しくされるがままになっていることだから、これを言われるとグッと言葉を飲み込んだみたいだった。
 もちろん、ハグの中には背後から抱えて一緒に座ると言う行為も含まれているし、都築の背中を背凭れにすることも含まれる、つまり、今までの全部を白紙に戻して、全力で暴れて拒絶しますよと宣言しているんだ。

「だ、誰も閉じ込めるとか言ってないだろ?ただ、喉が乾いてんじゃないかって思っただけだ」

 もし鍵が誤って掛かったとしても、連絡用の設備も整っているから問題ないのにとかなんとかブツブツ言いつつも動揺している都築を無視して、俺はよくもまあ、これだけの写真やブツなんかを集められたモンだと、狂気じみてはいるものの、この奇妙な情熱を変に感心してしまった。
 あるところにはある金の無駄遣いだよな…とは言っても、都築にしてみたら他に趣味らしいモノもさほどないみたいだし、これぐらいはやっぱりお小遣いでどうとでもなるレベルだったんだろうか。

「…でも気になるんだけど」

「何がだよ?」

 結局、閉じ込めを拒絶したら飲み物を取りに行くことは断念したらしい都築の、その判り易い反応に頭を抱えたくなりながら、俺は唇を尖らせて悪態を吐いた。

「どうして実家の俺の部屋に監視カメラが付けられているんだ?」

「防犯カメラな。お前の様子が心配だったからだ」

 いや、そう言う意味じゃない。

「いつ、付けたんだよ?」

「お前が中学に入った頃だ。彼女とか作られたら全力で潰さないといけないだろ?」

 いいえ、いけないことではありませんよ、都築さん。

「……俺に彼女ができたらどうするつもりだったんだ?」

 なんとなく嫌な予感しかしないけど、俺は閉じ込め失敗を引き摺って若干不服そうではあるものの、自分が集めた宝物の山をまるで子どもがそうするように満足そうに見せびらかしてでもいるかのような都築に息を呑みながら聞いてみた。

「オレか属が転校して、お前の彼女を誘惑しただろうな」

「…属さんて中学から一緒だったのか?」

「いや、チビの頃からだ。幼馴染みなんだよ、アイツは」

 そうだったのか…確かにあの気安さは高校からの親友には有り得ない親密さがあるもんな。チビの頃からの幼馴染みならちょっと判るか。

「ふうん。じゃあ、お前のことならなんでも知ってるんだな」

「とは限らない。お前のことは黙っていたからさ」

 珍しいな。

「どうしてだよ?」

「アイツとオレのタイプがかぶるんだよ。だから黙っていた」

 都築は心底嫌そうに眉根を寄せて唇を尖らせるけど…タイプがかぶるってお前。

「は?お前、俺のことは好きでもなければタイプでもないんだろ??」

「そうだけど?」

 俺の指摘にもケロリとしている都築に、却って俺のほうが怪訝そうに眉を寄せて首を傾げてしまう。

「今お前、タイプがかぶるって…」

「ああ、言い方が悪かったかな。オレが興味を持つものに必ず興味を示すからさ。手を出されたら困るんだ」

 なんだそんなことかとでも言いたそうな都築にあっさり否定されて、そりゃそうだよね。コイツは俺のことなんか好きでもなければタイプでもないって常に公言しているんだから、ここにきて実は…なんてことがあるワケない。

「あ、なんだそう言うことか…でもお前、この監視カメラは外せよ。今は志郎の部屋なんだから」

「防犯カメラな。この部屋は今物置になっている」

「…は?」

「だから、今は物置になっているんだよ。光瑠と志郎は実家の庭に勉強部屋としてプレハブを建てたからそっちにいるし、浩治は元の部屋にいる。だから…」

「ちょっと待て。庭にプレハブ?建てたって??」

「…………安かったから」

 都築は普通に話しているつもりだったんだろう、俺の指摘にハッと琥珀のような双眸を一瞬閃かせて、それからバツが悪そうに目線を逸らすとブツブツと言葉を濁そうとしている。
 そもそもどうしてお前がやたら気安げに俺の弟たちの名前を呼んでいるんだ。しかも呼び捨てで。
 誰かとそんな風に気安い遣り取りをしているってことだよな??

「そう言う問題じゃないだろ?しかも、物置とか言ってるけど、俺が暮らしてた時のまんまじゃないか…お前、もしかして」

 俺はひとつのことに思い至って、それがあんまり気持ち悪くて一旦言葉を切ったけど、それでもやっぱり確かめずにはいられなかったから、戦々恐々でコクリと息を呑むようにして聞いてみた。

「もしかして、俺の部屋を温存しておきたくてプレハブを建てたんじゃねえだろうな」

「…お前が大学に進学した直後に、防犯カメラの件で篠原の親父さんに会いに行ったんだよ。その時に相談したら、プレハブの設置を快諾してくれて、お前の部屋は当時のままで保存してくれるって言うから」

 …気安い相手は親父だったっていうのか?!
 しかも、俺の部屋に監視カメラを設置するのまで許していただと?!

「あのクソ親父ッッッ!…お前、それだけ親父と親交があったのに工場に手を出すとか酷えことしたのかよ?!」

「あれはわざとだ」

「……………は?」

 なんだか聞いてはいけない言葉を聞いてしまったみたいな気持ちになったけど、俺は気持ち悪い都築の頭が本気でどうかしてしまったんじゃないかと思いながらも、呆気に取られたようにポカンっとしてしまった。
 頭がどうかしてしまいそうなのは俺のほうかもしれないけど。

「あの日…前の日に篠原のお袋さんに依頼してお前に電話するように言ったんだ。実際親父さんは、普通に病院で寝ていたと思う」

「え?でも姫乃さん…」

「あれは予想外だった。ちゃんと親父さんに相談してから取引中止関連の通達をさせていた。この話に信憑性を持たせるためにな。ただ、それはあくまでも表向きなことで、裏では普通に取引はしていたんだよ。だから親父さんが慌てて取引先に行くなんてことはなかったんだ。ただ、大学とかバイトはオレに思惑があったから本当のことだったんだけど…あわよくばあのままお前が大学とバイトを辞めて路頭に迷ったら望み通りだったんだけどさ。姫乃から阻止された」

 都築は最初、言い難そうにぶつぶつと言っていたけど、後半は姫乃さんの登場で思惑が外れてしまったことが腹立たしいんだとでも言いたげに、不服そうに舌打ちなんかしやがっている。

「…あの一件にそんな裏があったのか」

 思わず拍子抜けして呆然と俯く俺に、都築はちょっとバツが悪そうに唇を尖らせた。

「お前、大学とバイトを辞めたら九州に帰っただろ?その帰り道で拉致…」

「聞こえない!」

 不穏な台詞が飛び出しそうになったから慌てて都築を見上げて声を上げると、都築は少しホッとしたように肩を竦めている。

「仕方ないから正攻法でいくことにした。まずはオレの実家に挨拶だろ?」

「やっぱり挨拶だったのか!騙したなッ」

 ギッと睨むと、都築はどこ吹く風とでも言いたそうに、腕を組むと偉そうにじっくりと俺を見下ろしながらトンチンカンなことをほざくんだ。

「騙される方が悪い。それから篠原の実家に挨拶に行く。それで結納を交わして婚約って手はずだ」

「…えーと、その情熱って何処から来てるんだ??」

 もうこのまま床に滑り落ちてガックリと両手を突きつつ泣きたい。

「何いってんだ」

 都築は呆れたように溜め息なんか吐きやがるけど、ここに来てからの余裕な態度にはどうしても引っ掛かるし、なんだか俺の将来はもう決定済みなんだと思いこんでいるような仕草にもムカついたから…

「親父と話しができてるんだな?」

「…」

 確信を持って言うと、案の定、何時もは一瞬だって逸らさない目線を外す都築をギリギリと睨み据えながら、俺はポケットに突っ込んでいたスマホを取り出した。

「あ、親父?俺やけど…なんで電話に出ちょんの?」

 コール2回で颯爽と通話する相手…親父に胡乱な声を出すと。

『おう、光太郎か。なんか知らんが都築の坊っちゃんがお詫びち言いよってな。特別室に入れちくれたんよ。特別室は携帯が持ち込めるけ、電話に出られるんよ』

 意気揚々とした親父の声に若干イラッとした。
 そんな俺を、都築はハラハラしたように見据えてくる。

「…親父さぁ、都築となんか話ししちょるやろーが」

『なんか、もうバレたんか。あんな、坊っちゃんがお前と仲良くしたいち言いよるけ、父ちゃんがひと肌脱いでやったんじゃら。浩治らも坊っちゃんのこつ気に入っちょるけな』

 不審な俺の声に、あっけらかんとした親父の明るい声がかぶさって、俺をますますイラッとさせる。
 しかもなんだと、弟たちまで手懐けてるのかよ?!

「ひと肌脱ぐな。そもそも、その仲良くちなんよ?」

『坊っちゃんに聞いちょらんのか?お前、坊っちゃんなお前んこつ好きち言いよってな。子どもん頃からずっとやけ、もう認めてやるしかねえやろーが。やけ、お前が納得するように坊っちゃんと家族で話しおう…』

 ブツっと通話を切った。
 最後の不穏な台詞が俺の思考回路をショートさせかかったからだ。
 親父だけが都築と話してるのかと思ったら、コイツは俺以外の家族全員と交流を持ってやがったんだ…だから、弟が俺の動画や画像を送ってきたのか。
 なんつーか、背筋が震えた。

「…都築さ、親父は判る。弟とも交流を持ってるとか言わないよな?」

「ラインとか電話はしてるぞ。お前のことを相談したかったし。あ、篠原のお袋さんとも話してる」

「ぐはッ!」

 陽菜子ちゃんでもどうかと思ってたのに、まさかの弟たちとも相談してるとか!!
 思わず吐血しそうになっている俺を、都築のヤツは怪訝そうな表情をして見据えてくるもののちょっと心配そうだ。
 俺が都築のことをそれとなく話していた時、アイツ等はニヤニヤしながら聞いていたってことか…酷い。
 義母さんまで何を話しているんだ。

「判った。お前が俺んちの家族と俺が知らないところですげえ仲良しだってのは理解した。でもお前さぁ、子どもの頃から俺のことが好きだったの?」

 虚しい通話終了の音を響かせるスマホをポケットに仕舞ってから、溜め息を吐きながら首を左右に振って、バレてしまったと思って、だったらもういいかと開き直ったんだろう都築の熱心な双眸を見上げて聞いてみた。
 囲い込んで囲い込んで…そこまでの情熱は何処から来るんだ。
 俺は、それが知りたい。

「別に好きじゃない」

 キッパリと言う都築の違和感にソッと眉が寄る。

「でも、親父がそう言ってるんだけど…」

「あれは…そう言ったほうが協力してくれると思ったんだよ」

「じゃあ、嘘吐いたってことだな」

「…」

 グッと眉間にシワを寄せて睨み据えても都築にはイマイチ堪えていないようで、無言で肯定するその態度が癪に障った。

「そこどけよ。俺は帰る」

 不意にスクッと立ち上がった俺が大柄な都築の身体を押し遣ろうとしたけど、案の定、ピクリともしないから余計に苛立たしさが募るんだ。

「はあ?!なんでだよ。まだ話しは終わってないだろ!」

 俺の腕を掴む都築は、都築にとっては理想のこの気持ち悪い部屋に、大人しく俺がベッドに腰掛けていると言うシチュエーションが最高だったんだろう、なんとか元のように座らせようと試みるけど、完全に心が拒絶している俺は何時もみたいに仕方なく流されるなんてことはない。
 それに話しなんてもう終わりだ。
 こんなヤツと話すことなんてなにもない。

「うるせえ、離せ!俺は何が嫌いって嘘吐きが一番キライなんだよッ。騙されるヤツが悪いなんて言いやがるお前も大嫌いだッッ」

「…ッ!」

 不意に都築の顔が強張った。
 それまで俺が何を言っても泰然自若…と言うか寧ろ小馬鹿にしてるぐらいの態度を取っていたくせに、今の都築はこっちが驚くほど動揺しているみたいだ。

「お前の顔なんて二度と見たくない」

 だからと言って俺が許せるかと言うと、珍しい表情と態度に驚きはしても、許せるはずなんかないんだから、まるで力の抜けた都築の身体を押し遣りながら狂気の小部屋を出ようとした…のに、できなかった。
 電光石火みたいな速さで俺の身体を引っ掴むと、都築は俺ごとクイーンサイズのベッドに傾れ込んだんだ。

「うっぷ!…都築、離せ!離せないんなら少しでもいいから力を抜けッ、苦しい!」

 バンバンっと背中を叩いてもますます力を込めて、まるで縋り付くようにして抱き締めてくるから、それまでカッカしてた感情がゆっくりと波が引くみたいに冷静になってきた。
 いや、このままだと俺がヤバいだろ。

「なんだよ、急にどうしたんだよ?」

「…ごめん」

「!」

 素直に謝るなんて芸当は、都築財閥のお坊ちゃまは絶対にやらないってのに、今日は都築の有り得ない態度で調子が狂いっぱなしだ。

「嘘を吐いて悪かった。そうでもしないと、お前を手に入れられないと思ったんだ」

「…いや、子どもの頃から好きって言ってるだけで、男のお前に男の俺をくれてやろうって俺んちの家族も悪い」

 ホント、アイツ等はどうかしてる。
 俺は若干緩んだ腕の力に溜め息を零してから、ほんの少し震えている都築の背中をポンポンッと叩いて、仕方なく宥めてやった。

「お、お前…オレのこと、き…きら、嫌いって言った。初めてだ。顔射の時も土下座の時ですら言わなかったのに…お前、オレのこと、本当に嫌いになったのか??!」

 最初は動揺しすぎていたのか、要領を得ないひとみたいに吃っていたけど、話している間に冷静になったのか、さらに不安が募ったようで、直向きな縋るような目をして俺を見つめてくる。
 なんだ、そんなことで動揺したのか。

「ああ、大嫌いだね」

 だからって俺が労ってやると思ったら大間違いなんだからな。
 フンッと鼻を鳴らして視線を外してやると、都築のヤツは愕然としたように双眸を見開いてから、それから、背中に回している腕にやっぱり力を込めたみたいだった。

「どうしたら…」

「?」

「どうしたらいいんだ?オレはお前にだけは嫌われたくない。好きになってくれとは言わないから嫌わないでくれ…」

 まるで縋るようにギュウギュウと抱きしめてくる腕に眉を寄せながら、こんな風に必死になるくせに、これで俺を好きでもなければタイプでもないんだから、都築が本気で好きになったらどれぐらいの凄まじい束縛が待ち受けているのか…本気で惚れられる相手は可哀想だなぁと思っちゃったよ。
 まあ、俺じゃなくて良かったけど。

「…ったく。反省してるのか?」

「してる。嘘吐いてごめん」

「じゃあ、俺の家族に嘘吐いてましたってちゃんと言えよ」

「…」

 呆れながらも妥協案を出してやったってのに、不意に都築は黙り込んでしまう。

「なんだよ?ちゃんと言うんだぞ」

「…それは、できない」

 いやいやするように首を左右にふる都築を怪訝そうに見上げていたけど、ははーんと閃いた俺はニヤニヤしてしまった。

「どうしてだよ?…あ、お前。正直に言うと反対されるって思ってるんだろ?」

「…」

「まあ、もしかしたら反対されるかもしれないけど。でも、ちゃんと本当のことを言えよ。好きでもタイプでもないけど、俺と一緒にいたいってさ」

 だって、それが真実なんだから。

「……嫌だ」

「どうしてだよ?本当のことを言うだけだろ」

「こ、子どもの頃は本当に好きだったんだ。そう言う意味だったかどうかは判らないけど、確かに好意は持っていたから嘘じゃないだろ」

 必死に言い募る都築には違和感しかないけど、別に都築家の連中にはあっさり言い切ってたくせにどうして俺んちの家族には言えないんだよ。
 お前のそれは、もう一種の信念みたいなものなんだろうが。

「なんだよ、その屁理屈は。もう、仕方ないな!じゃあ、今は好きでもタイプでもないけどってちゃんと言えばいいじゃないか」

「…言わないと絶対にダメなのか?オレを嫌いなままなのか?」

 言い方を変えることで妥協案を出したってのに、それでもまだグズグズと言い募る都築には呆れ果ててしまう。

「だって、もし俺とお前が添い遂げるなら、お前は俺んちの家族になるワケだろ?家族にはちゃんとお前が俺のこと好きでもなければタイプでもないけど一緒にいるんだって知っておいてほしい…って言うかお前、自分の家族にはちゃんと言ってたじゃないか」

 俺の思惑としては、これで家族が激怒したり呆れたりして反対してくれることを願っているワケだから、何時もだったら口が裂けたって言わない台詞をポンポン言って都築をはめてやろうとしてるんだけど、都築のヤツは「家族になる…」とかちょっと嬉しそうに頬を緩めたけど、すぐにムッと口を引き結んでしまった。
 手強いな。

「お前の家族には軽蔑されたくない」

「なんだ、ちゃんと判ってるんだな。セフレがいることもこの際だからちゃんと言うんだぞ」

「…お前は酷いやつだ」

 都築だって本当はちゃんと判っているんだ。
 好きでもない、タイプでもない、しかもタイプなセフレまでいる自分が俺を欲しいなんて言って、何処の親が「いいよ」って軽く下げ渡してくれるなんて思えるんだよってな。

「何が酷いんだよ?お前はそれでいいと思っているからそうしてるんだろ。俺は酷いことなんか言ってないよ」

 俺は本当のことしか言ってない。
 抱きついてきている都築の胸元にフンッと鼻を鳴らして、やれやれと何時ものように頬を寄せていると、欲しいものは絶対に手に入るはずの、人生順風満帆のお坊ちゃまは初めて迎えるだろう難局に頭を抱えているみたいだ。
 ふん、悩め悩め。

「…かれる」

 暫く逡巡していた都築は、それから不意に、なにやら閃いたみたいにハッとしてブツブツと聞き取れない声音で呟いたんだ。

「は?」

 首を傾げる俺の肩を掴んでから、まるでチェシャ猫みたいにニンマリと笑いやがる。
 あ、俺この顔が一番イヤなんだよね。

「セフレとは別れる。だから、これからはお前と寝る」

「はぁ?!嫌だよ!」

 案の定、斜め上の思考で宣言する都築をキッパリハッキリと振ってやったんだけど、そこでめげるようなヤツは都築じゃない。

「挿入は初夜までしない。愛撫したりキスしたりフェラしたりで我慢する」

「我慢しなくていいからセフレと犯っちゃってこいよ!」

「嫌だね。お前の家族には嫌われたくない。だからセフレとは別れるし、お前を好きになる努力をする」

「しなくていいってば!」

 自分勝手な思考をぶつけてくる都築から逃げ出したくて、俺は強靭な腕の囲いから身体を引き剥がそうとするんだけど時既に遅かった。

「ベッドもあるし、早速愛を深めようぜ!」

 ニンマリと笑ったまま、どうやら本気の都築が俺のベルトを器用に片手で外して、引き摺り下ろそうとするからちょっと待ってくれ!

「嫌だ!判った!!もう家族に言えとか言わないから、だから…ッ」

 慌てて都築の腕を止めようと片手で引き剥がしにかかるけど、そうこうしている間にもう片方の手がシャツの裾から忍び込んで乳首に触れてくる。

「オレさ、いい加減セフレと一緒にいるのも飽きてきてたんだよ。アイツ等に挿れたまんま、お前の動画観てるしさ。そうなるとお前の動画観ながらオナホで抜いてるのと変わんないだろ?だったら、もう面倒臭い連中とは別れて、お前独りでいいかなって思ったんだ」

「思うな!!」

 俺の頬にチュッチュッとキスしつつ、都築は名案だ!とばかりにニヤニヤして俺の耳を噛んだり、そのまま唇を滑らせて俺が弱い首筋を舐めたりするから…

「んん…ッ」

 思わず変な声が出ちまって、都築は嬉しそうにやんわりとおっきしている股間を尻に擦り付けてくる。

「もう、初夜に拘らずに今日ここで犯ろうか?お前もその気になればいいんだ」

 ぐいっと下着ごと下ろされた素肌の尻のあわいに、何時の間にズボンを下ろしていたのか、都築の固くてデカイ、通常の野郎が羨ましがるレベルの勃起した逸物を直接擦り付けてきやがった。

「や、嫌だ!バカ都築ッ、離せってば!擦り付けてくんなってッ」

「このままぬるって入りそうだな?」

 そんなワケあるか!そこは入り口じゃない、人体の出口なんだぞッ。
 出て行っても入ることを許すわけねえだろうが…って、でもユキたちはここに都築のブツを挿れてんのか。人体の不思議…なんて言ってる場合か!

「…挿れたら本気で絶交だからな」

 グスッと思わず泣きそうになっている俺が上目遣いで睨みつつ言うと、荒く息を吐いている都築はぼんやりとそんな俺を見つめていたけど、不意に視線を逸して、それからボソッと呟いたみたいだ。
 その間も、先走りでぬるつく先端で俺の粘膜を捏ね繰り回してやがる。

「じゃあ、挿れなかったらオレのこと嫌いにならないか?」

「なんだよ、その交換条件…ヒッ」

 思わず都築に縋り付いた俺の背中を宥めるように擦りながら、ヤツは逸物の先端をグッと押し込もうとしやがったんだ!

「オレは別に今ここでお前を犯してもいいんだぞ。責任は取るつもりだしさ。困るのはお前だけだ」

 こんな身体にモノを言わせるみたいな卑怯な遣り方に思い切り睨み据えても、今の都築はどうやら無敵みたいで、それまで横抱きに抱き締めるようにしていた身体を起こすと、オレを仰向けにして、膝まで引き摺り下ろされていたズボンを邪魔臭そうに下着ごと剥ぎ取るとベッドの下に投げ捨てた。
 両足を掴んでグイッと割り開かれることで下半身はスッポンポンの丸出し状態だけど、羞恥より先に都築の股間で愈々充溢しているフルおっきした逸物を見せつけられると恐怖しか感じない。
 圧倒的に形勢逆転して不利な状態の俺を、都築のヤツは嬉しそうに見下ろしてきて、それから色気たっぷりに見せつけるみたいにしてペロリと上唇なんか舐めるんだ。

「オレのはさ、人一倍デカイんだよね。だから、よほど慣れていないと切れると思うぞ。でもまあいいか。処女なんだし、少しぐらいは破瓜の血が出たほうが興奮する」

 そんな怖ろしいことを完璧に見惚れる満面の笑みで言われたって嬉しくない。
 寧ろ、今すぐ俺を殺してくれって叫びそうになる。

「つ、都築…」

「ん?」

 ニコッと余裕の笑みを浮かべて俺を見下ろしてくる悪魔に、どうしてそんな台詞を吐き出したのか判らないけど、俺はフルフルと震えながら言っていた。

「お、俺…初めてだから、優しくして…」

 途端に都築の双眸がカッと見開かられて、額に血管なんか浮かべながらグイッと上体を倒して俺の顔を覗き込むなり、凶暴な目付きで睨みつけてきたんだ。

「あう!」

 その拍子にぬるんっと先走りに濡れた先端が穴の縁に引っ掛かって俺を喘がせた。

「なんだよ?!男に挿れられてもいいぐらいオレが嫌いなのか?!クソッ!…言え」

 俺の恐怖に怯えている双眸を真正面で睨み据えながら、都築はグイッと腰を押し込むようにして、肛門から袋の付け根に向けて逸物を滑らせると存在感を強調しながら低い声音で吐き捨てるように言う。

「言え、オレのことは嫌いじゃない…好きだって言え!さもないと、本気で突っ込むぞッ」

「や!嫌だッ、怖いッ」

「だったら言え!」

 グリグリと先端で抉じ開けようとされる恐怖に、俺は目尻に涙を浮かべて首を左右に振った。

「…じゃ、ない」

「聞こえない!ハッキリ言わないと挿れるからなッ」

 さらにグイッと突かれて、先走りに塗れてぬらぬらと淫らに光る肛門は、それでも大きすぎる亀頭に潜り込まれるには狭すぎるんだろう、ピリッとした痛みが走って俺を怯えさせるには十分だった。

「あう!き、嫌いじゃない!俺は都築を嫌ってないッ」

「嫌いじゃないならどう思ってるんだ?!」

 都築のヤツは脅すように低い声で俺に命じる強い口調は支配者のもので、じゅぷっと大量の先走りを塗りつけるようにして刀身で肛門と袋の付け根を押し上げるように前後に揺すっている。

「あ…や、いや…いたッ…いッ……す、き、好き。俺は都築が好きだ」

 時折、なんとか潜り込ませようと無理強いをするから、その度に引き攣れる痛みに首を激しく左右に振り立てながら、俺は諦めたようにポロポロと泣きながら言ってしまった。

「クッ!」

 その言葉を聞いた途端、激しくなっていた前後に揺する腰が止まって、ぐぅっと膨れていた先端からびしゃっと熱い白濁を飛び散らせて、俺の恐怖に縮こまっているチンコや腹をしとどに濡らしやがった。
 ハアハアと肩で息をしながら倒れ込んできた都築は、グスグスっと鼻を啜る俺に口付けてきたりするから、思わず侵入してくる舌を思い切り噛んでやろうと思ったものの、恐怖から解放されて気が抜けた無様な俺にはそんな気概も残っていなかった。
 舌を絡ませて唾液を啜り合うキスをしながら、都築はうっとりと俺の萎えている白濁まみれのチンコを揉み込んでいて、最近シコっていなかったソレはアッという間にオッキしてから都築の手にピシャッと迸らせてしまった。
 大人しく貪られながら射精した俺に満足したのか、都築は俺と自分の精液を俺の腹の上でぐちゃぐちゃに混ぜると、不意に太い指先にソレを絡めてから肛門に潜り込ませたんだ!

「あ!や、嫌だ…ッ?!」

 何やってんだ?!と目を見開く俺を落ち着かせるようにキスしながら、潜り込ませたお互いの精液まみれの指先を奥に擦り付けてから引き抜いて、精液を絡めて突っ込み、突っ込んで奥を探っては引き抜いて精液を…ってなことを繰り返していたけどぐるりと指を回転させて、それから満足そうにゆっくりと胎内から引き抜いてくれた。
 何がしたかったんだろうと涙目で唇を離す都築を見上げたけど、ヤツは何だか満足そうにニヤニヤと笑いながら前髪を掻き上げて、そのまま俺の横にゴロンッと大柄な図体を横たえた。

「お前、オレのこと好きなんだからもう嫁になるしかないな」

「巫山戯んな!ひとのこと脅して、股間にぶちまけやがってッ!し、しかも尻に指まで突っ込んで!!…絶対お前なんか好きじゃ……ッ…好きです」

 好きじゃないって言ってやろうと思ったのに、グイッと横抱きにされて、何時の間にかやんわりと復活している切っ先に肛門を突かれてしまうと、俺は情けなくも言い換えるしかなかった。クッソクッソ!!

「そうそう、素直にそう言えばいいんだよ。これからも我儘言ったらお仕置きだからさ」

 ニヤつくイケボな声音で言われても全然嬉しくない、却って気持ち悪い!と俺がムキッと腹立たしく背後の都築を睨もうとしたら、ヤツは俺の耳元に唇を寄せてから、「それにたった今種付けしてやったから、そのうち孕むんじゃねえか?」とか巫山戯たことを当たり前みたいに言いやがったんだ!
 本当はオレのチンコを突っ込んで直接奥に種付けしたかったんだけどさ…とかワケの判らないことをほざく口を、できれば何かで縫い付けてやりたい。

「なんだよそれ?!ひとの貞操をなんだと思ってるんだよッ」

「バーカ、お前の貞操なんてオレのモノに決まってんだろ。篠原家も把握済みだしな、挨拶に行くのが楽しみだ」

「…そっか、俺がお前のモノだって自覚がないから悪いのか。だったら、都築が俺んちの家族とすげえ仲良しでも、貞操を脅かされても仕方ないんだな。絶対お前に後悔させてやる」

「クク…できるもんならやってみろよ」

 チュッチュッと頬にキスしてくる都築は、口調こそ俺を思い切りバカにしまくってるってのに、その表情は蕩けてしまうほど甘ったるくて幸せそうだ。
 都築のヤツは下半身マッパで、俺は下半身マッパにシャツも捲り上げられて精液まみれにされた腹とか乳首とか晒した恥ずかしい格好だってのにさ、都築は気にしている風でもなく、俺を横抱きにして頬にキスして首筋を吸ってくる。
 ぴくんっと反応してしまうのは仕方ない。俺は首筋が弱いんだ。
 見上げる天井には桜が舞い散るなかではにかんでいる俺の巨大なポスターが貼ってあって…ああ、忘れていたけどこの部屋って四方八方から自分が見ているんだったっけ。
 ほんと、気持ち悪い部屋だな。狂気しか感じない。
 コイツ、この部屋でいったい何をしているんだろうと遠い目になった。

「…お前さ、絶対この部屋でシコってただろ」

「は?当たり前だろ。未来の花嫁が声を押し殺して自分を慰めてるところとか見せつけられてみろ、自然と勃起するだろ、バカだな」

 何を当然なこと言ってんだとでも言いたげな都築は、一発抜いたら眠くなったのか、フワァっと欠伸なんかかましやがる。
 コイツのセフレに言わせれば、何時も1回なんかじゃ満足しなくて、何度も何度も注がれてお腹がいっぱいになるんだと、聞いてもいないのに教えてくれるヤツがいるんだけど、都築は俺にちょっかいを出す時は決まって1回で満足するよな。
 まあ、俺なんて童貞だし手管なんて持ってるワケでもないしさ、何より生意気な俺をエッチで凹ませることができれば満足するんだろうから、セックスそのものには特別な意味なんてないんだろう。
 それに、最後までするワケじゃないし…ハッ!こんなこと言ってたら俺が最後までしたいって言ってるような感じじゃないか?!
 ヤバイヤバイ、都築には絶対に言っちゃ駄目なヤツだ。

「お前さぁ…中出しとか、本気で好きになったヤツ以外にはしちゃダメだぞ…」

 フワァっと都築の欠伸と眠気が伝染ったのか、俺もムニャムニャしながらボソッと呟いたら、背後から俺を抱き締める腕にやんわりと力を込めて、都築は本格的に眠る体勢でくしゃくしゃにされてしまったシーツを引っ張り上げる。

「当たり前だ。オレが中出ししたのはお前ぐらいだ」

 んん…?そう言えば、あの動画の中で突っ込んではいないものの、肛門に先端を押し付けてビュービュー出してたな。

「バカヤロウ!俺にこそ中出ししてんじゃねえよッ…あれぇ?でもだったらどうして、お前のセフレは何度も腹がいっぱいになるまで出されたとか言ったんだろ」

 眠い目を擦りながら首を傾げたら、背後の都築がムスッとしたように低い声音で物騒に言いやがる。

「なんだよそれ?誰が言ったんだ。オレはお前以外にはゴムを使ってんだぞ」

「俺にも使え」

 俺に厭らしいことをする時は何時もゴムをつけないもんだから、腹や胸、あと股間なんかが集中的にドロドロにされるんだよな。んで、眠気に負けるから後で乾いてゴワゴワして、それからすげえ臭えんだよ。

「嫌だね。そのうち男同士でも妊娠できるようになった時に、オレの精液に馴染んでたほうがいいだろ」

「お前、頭大丈夫か?」

 一瞬、我が耳を疑ったけど、まさか都築が本気でそんな馬鹿げたことを考えてるとは思わないから、取り敢えず、都築の優秀な頭の出来を疑って、気持ち悪いヤツだと俺は欠伸を噛み殺した。

「ったく、セフレが勝手にお前に接触してんだな。注意しとかねえと」

 都築は都築で、俺の発言なんかサラッと無視して、勝手に嫁認定している俺と可愛いセフレが接触するのは嫌なんだと不貞腐れてるみたいだ。
 だから俺は笑ってしまった。

「はは!なんだよそれ、奥さんが可愛い愛人と鉢合わせすんのは流石に嫌なのか」

 男を嫁にしようとか、常識がないお前でもさ。

「…愛人か。そっか、そうなんだよな」

 冗談のつもりで笑って言ってやったってのに、都築は抱き締める腕に力を込めてから、不意に「可愛いなんて思ってない」とか「寧ろお前が可愛い」だとか「嫁だって認めるのか」とかブツブツと何か言ってるみたいだけど気持ち悪いから無視することにした。

「ふわぁ…ちょっと眠いんだけど。あとで風呂に入ってもいい?」

 噛み殺せない欠伸を盛大にぶちかましてから、俺は目を擦りながら聞いてみた。
 昨日から都築家にお邪魔するって言うんで緊張してたし、久し振りに抜いたから眠気マックスは仕方ないよね。
 実家のお風呂は洋風と檜風呂、そして贅沢にも露天風呂まであるって都築が自慢してて、一緒に入るなら入らせてやってもいいとか、泊まらせる気満々で言ってたから、この際お泊りでもいいやって思って聞いてみたんだけど。

「おう。ちょっと眠ってから後で一緒に入ろうぜ」

「うん…そしたら頭、洗ってやるな」

 案の定、一緒に入る気満々の都築にウトウトしながら呟いたら、何だか都築は嬉しそうに頷いたみたいだったけど、その時の俺は既に夢の中だった。

□ ■ □ ■ □

●事例17.勝手に俺んちの実家と交流を持っている(しかも仲が良い)
 回答:バーカ、お前の貞操なんてオレのモノに決まってんだろ。篠原家も把握済みだしな、挨拶に行くのが楽しみだ
 結果と対策:そっか、俺がお前のモノだって自覚がないから悪いのか。だったら、都築が俺んちの家族とすげえ仲良しでも、貞操を脅かされても仕方ないんだな。絶対お前を後悔させてやる。

16.都築家が俺についての認識をいろいろ間違えている(俺は嫁じゃない)  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

「篠原、すげえキーホルダー持ってるんだな」

 スマホを取り出そうと、失くしてはいけない物を入れているジッパー付きのポケットから最初に鍵を取り出しているところを、彼女ができたウフフフと自慢するためだけに俺を呼び止めた柏木が口笛なんか吹いたから驚いた。

「へ?これ都築がくれたんだよ」

「都築!…やっぱり、御曹司の贈り物は桁違いだな」

 チャラッと、少し涼し気な音をさせた月と星、それからアイビーのキーホルダーを見せたら、ムムム…と顎に手を当てながらジックリと見つめている。
 ちょっと羨ましそうだ。

「はあ?」

「これ、2つともプラチナだろ。ほら、この部分に小さくptって入ってるじゃん。pt1000とかすげえ。こっちのアイビーにはダイヤモンドが入ってるな。これちっさくてメレっぽいけど、この光りかたとかたぶんすげえ希少なダイヤだと思うぞ。カラーとかでダイヤは変わってくるからさ」

「え?え?プラチナとか、何の話だ?これシルバーだろ。都築も安もんだって言ってたぞ」

 やたら詳しい柏木にも驚いたけど、プラチナってあの超高級な貴金属の代名詞、金と同じぐらい高価なモノだろ?何を言ってんだ、これシルバーだって都築も言ってたんだぞ。

「…おいおい、確りしろよ篠原。じゃあ聞くけど、このキーホルダー、くすんだこととかあるかよ。ちょっと黒っぽくなったり」

「あ、そうか。シルバーって手入れしないと黒ずむよな。じゃあ、ステンレスかな?」

 弟が欲しがっていたシルバーのゴツい指輪を誕生日にプレゼントしたけど、その時、部活かなんかで手入れを怠ったばかりにあの指輪は真っ黒になってたな。
 そう言えば一度も手入れしていないけど、キーホルダーはずっと銀色のままだ。

「バカだ!俺の幼馴染みが大馬鹿野郎だ!!!」

 ガクーッと床に両手と膝を付いて項垂れそうな勢いで思い切りディスられて、俺もちょっとムッとする。ステンレスって丈夫でくすまないから、ちょっとそうじゃないかなって思っただけなのにさ!

「これ、どうみても高級な宝飾品だろ!こっちの月と星のは少なくとも20万は超えてるぞ。アイビーの方はダイヤの価値で変動すると思うけど、少なくとも30万は超えてるんじゃないか」

「嘘だろ。柏木、冗談だろ?」

 青褪める俺に、どうも違った角度で青褪めた柏木が乾いた笑いを浮かべながら言う。

「冗談つーか…でも、なんつーか。価格もさるものながら、アイビーの方はちょっと執念深い怖さを感じるよね」

「へ?何が怖いんだ」

 価格以外に何が怖いっていうんだよ。
 俺は泣きそうな顔をして柏木を見ていたけど、その俺の震える両手の中で無頓着に太陽の光を反射するダイヤモンドがキラリと光っている。

「お前、本当に何も知らないんだな。そんなんだと都築にヤラれ放題だろうなぁ」

「う、何いってんだ」

 確かに都築には尻に指を入れられるはチンコは擦られるはチンコは咥えさせられるは咥えられるは、最近なんか抱き着くとかキスは当たり前みたいにしてくるし、背後から抱えられたら頬にチュッチュは日常茶飯事になりつつある…ってこと、まさか知ってるんじゃないだろうな。俺から何かだだ漏れてんじゃないだろうか…ハッ!柏木って超能力者だったのか?!

「アイビーの花言葉って知ってるか?」

 軽い混乱による意味不明の考え事を打ち破るように、柏木が困惑した顔で呟くようにヒソヒソと言った…けど、ごめん。この会話、全部都築にだだ漏れだったわ。
 そう言えば俺、盗聴器持ってたんだ。
 でも、まあいいか。

「あ、それは都築が教えてくれた」

「ほうほう」

 どうぞ、都築の言った内容を話してごらんと促されて、俺はちょっぴり感動したことは内緒にして話してやった。

「友情と誠実と不滅ってんだろ?不滅の友情とか格好いいよな」

「…バカだ。俺の友達がやっぱり大馬鹿野郎だッ」

 やっぱりガクーッと膝を付きそうになりながら顔を覆った柏木は俺をディスってから、胡乱な目付きで顔を上げると、やれやれと溜め息を吐いた。

「なんでだよ?!」

 食って掛かる俺を軽くプゲラして丁寧に説明してくださった。

「あのなぁ、アイビーってのは最近だと結婚式とかプロポーズの鉄板の植物なんだぞ。なんで知らないんだよ。花言葉も都築が教えたモノだけじゃなく、永遠の愛とか結婚てのもあるんだ」

「マジか」

 アイツ、男同士では結婚できないけど、入籍と式は挙げられるから嫁にするとか巫山戯たこと言ってたよね。でもまさかそんなこと、本気で考えているんじゃないだろうな。
 それでアイビーを選んだとかだったらどうしよう…思い切り気持ち悪い。

「大マジだ。それともうひとつ、アイビーには怖い花言葉がある。たぶん、都築はそっちに重点をおいてるんじゃないかな」

 そうか、柏木は都築の嫁発言を知らないんだ。

「もうひとつってなんだよ?」

 恐る恐る聞く俺に、柏木は勿体振ることもせずにスパァンッといっそ潔くキッパリと男前に教えてくれた。

「死んでも離れない」

「…嘘だろ」

 思わず俺のほうが崩れ落ちそうになりながら青褪めると、柏木は本当に同情する目付きでご愁傷様ですと悼んでくれた。
 俺の人生、まだ終わってねえっての。非常に気持ち悪いけども。

「で、ダイヤの石言葉が永遠の絆だろ?都築は死後もお前と繋がっていたいって思ってんじゃねえのか」

 何だか憐れむように双眸を細めてヨシヨシと頭を撫でてくれるけど、思い切り気持ち悪いじゃねえか。

「なんだそれ、気持ち悪い」

 でも、都築の気持ち悪さなんて今に始まったワケじゃないし、都築の属性に追加要素が1つ加わったぐらいって考えればいいのかな。
 と、そんなことを考えていたらチャラリ~ンと変な着信音が鳴って、「あ、絵美ちゃんだ!もしもーし!」とか、さっきまであんなに同情してくれてたのにスッカリ他人事で電話に出る柏木を恨めしげに睨んでいると、その視線を敏感に感じ取ったのか、幸せ満面の笑みで目尻を下げてニヤニヤ笑う、コイツも気持ち悪い柏木は吐き捨てるように言いやがった。

「知るかよ。今度都築に聞いてみたら?」

「うん。そうしてみる」

 そんなに素っ気ない態度を取ってるとだな、菅野からのギャルキャピメールという呪いを受けて、大変残念な結果になったって知らないんだからね!…なんつって、幸せになる呪いをかけてやる!

□ ■ □ ■ □

 そろそろ夕食の準備を始めようかなぁとか考えながら、俺はこちらに背中を向けて、久し振りに社会人から学生からが勢揃いしている、モン狩りの約半月間開催されているらしいイベント期間中を堪能している都築を冷ややかな目で見つめていた。

「都築、お前死んだ後も俺と一緒にいたいのか?」

 PS4の前に陣取って仲間と華麗にモン狩りをしている都築は、横に座って顔を覗き込んだ俺をチラリと横目で見てから、なんだそれと聞き返すこともせずに当然そうなデフォの仏頂面で首を左右に振った。
 やっぱり、昼間のアレは筒抜けだったんだなと判った。

「…いや」

 へ?否定するってことは別に死後も一緒にいたくないってことか??
 なんだ、じゃあやっぱりアレは柏木の思い違いで…

「死んだ後は当然だが、できれば死ぬ時も一緒がいい。墓は土葬にしたいから海外に埋葬して貰うように手配しておく。場所は2人で相談だな。思い出をたくさん作って、その場所に埋葬して貰おう。それでお互いの手首にプラチナの手錠を嵌めてから手を握った状態で、一緒の棺桶に入りたい。生まれ変われるのなら一緒に生まれ変わりたい」

 ずっと考えていることなんだろう、家族でも恋人でも主従関係でもペットでもなんでもいいんだとか、淀みなくスラスラ饒舌に答えるから俺の目付きが遠くを見るものになっていたのは仕方ないと思う。
 柏木の予想の真上あたりを疾走された気分だ、不気味だな。

「ふーん、死後じゃなく死ぬ時からスタートなんだな。なかなか気持ち悪いプランだ。でもお前、俺のこと好きじゃないんだろ?」

「そうだな、好きでもなければタイプでもないけど…」

 何時もと違ってちょっと言い淀む都築は、俺の次の言葉をちゃんと判っているんだろうと思う。だから、期待を外さずにきちんと説明してやることにした。

「だったら、俺は好きな人には長生きして欲しいから一緒に死にたいとは思っていないんだ。好きな人とずっと一緒にいたいからお前とは一緒に死なないし、墓にも一緒には入らない。生まれ変わる時も好きな人と一緒に生まれ変わる。来世があるならお前とは関わらない」

「巫山戯んな。オレより後に死んだら絶対に許さないからなッ」

 否定して、今度は見当違いなことを言ってくる。

「…え?普通は俺より先に死ぬなって言わないかな」

「オレより先に死んでくれないと一緒に死ねないだろうが」

 会話しながらもモン狩りも滞らずに進行させつつ、チラチラと俺を横目で見る不機嫌そうな都築の言葉に、不意にゾッとした。

「都築さん、しっかりして!俺たちまだ10代だから死を考えるのは早すぎるよッ!」

「お前が言い出したんだろ?別にオレはこの世に未練もクソもねえしな。お前がいなかったら、どうせまたあの空虚でつまらない日々に逆戻りなんだ。考えただけでゾッとする。それなら、オレはお前と一緒に死んだほうがいい」

 都築はまだ若いくせにそんな悟りきったようなおっさん臭いことをブツブツと言って口を尖らせている。そんなんだから、女子高生におっさん呼ばわりされるんだよ。
 俺が真剣にコイツ気持ち悪いなんてもんじゃないんじゃないかと眉を顰めつつ考えていると、都築はモン狩りに勤しみながらもさらに腹立たしそうにブツブツと不平を垂れ流している。

「そもそもオレはできればお前を家に閉じ込めておきたいんだけど、素直に閉じ込められていないだろうし大学もあるから、今は我慢してるんだぞ」

「何をだ」

 これ以上、何を気持ち悪いこと言おうとしているんだ、コイツは。

「だから閉じ込めて一緒にいたいんだよ。仕事も在宅でできるように手配しているし、順調だし、お前独りぐらい不自由なく幸せに養えるんだ」

 最近興した会社が軌道に乗っていて、漸く少し余暇が出てきたもんだから俺んちに入り浸るようになった都築は、ラップトップさえあれば何でもできるのにとブツブツ唇を尖らせて悪態を吐いているのが愈々気持ち悪くなって、俺は溜め息を吐きながら立ち上がろうとしてそれから徐にハッとした。

「そうだ、お前!これ、すげえ高価なキーホルダーだったんじゃないか!!」

 俺は都築に返そうと思ってポケットに入れていたキーホルダー2つを取り出すと、両掌に載っけたソレを差し出しながら言い募った。

「…別に安モノだってば。お前んちに置いている時計の方がはるかに高い」

「え、ええ?ああ、そうなのか…って、そうじゃない!」

 何を言い包められようとしているんだ、俺!

「こんな高価なモノは貰えないよ。だから、返す」

 はいと差し出した俺の手をジックリと見つめていた都築は、不意に嫌そうに眉根を寄せると、フンッと鼻を鳴らしてそのままモン狩りの画面に目線を戻してしまった。

「使用済みなんかいらねえよ。返されても困る」

「でも、俺はこんな高価なモノは…」

「じゃあ、捨てろ」

 にべもなくキッパリと言い切る都築のこれは本気だから、受け取る気はさらさらないんだろう。
 都築が置いていったシャツやズボンを未だに着用しているのを目の当たりにした時、都築は何かやたらと興奮して饒舌にブツブツと意味不明な気持ち悪いことを喋った後、いきなり俺を捕獲してからベッドに一緒に転がって頭や頬にスリスリスリスリしながら何時の間にか眠ってしまったことがあった。
 捨てろと言っても捨てない俺の性格を見越した回答なんだろうなぁ。
 うーん、困った。

「じゃあ、せめて幾らぐらいの品物なのか教えてくれよ。持っておくための心構えが必要だ」

 その値段の半分…いや、3分の1のモノでもいいから、お礼ぐらいはするべきだと思うんだよね。
 都築は嫌そうに眉を寄せたまま、俺を見ようともしない。あんなに視姦してくるくせに、こう言う時は無視ってなんなんだお前は。

「さあ?値段なんか気にしてないから判らねえよ。たぶん、総額で3、4万ぐらいじゃないか?」

「え?プラチナってそんなに安いのか??」

「あの店は都築家御用達だ。太客だから便宜を図ることだってあるんだよ」

「そうなのか?だったら、そっか。よかった!俺、目玉が飛び出る金額だったらどうしようかって思ってたんだ。今度の都築の誕生日の時に、その半分ぐらいしか出せないけど、お礼がてらに何かプレゼントするよ」

 ホッとしてニコッと笑ったら、不意に都築が横目でそんな俺をジッと見ていたくせに、ちょっと身体を屈めるようにしてチュッと口に軽くキスしてきた。
 こう言うキスはもう何度もされているので、今さら気にならないから、前みたいに真っ赤になってアワアワと狼狽えることもしない。童貞の俺を誂っている都築を楽しませないための涙ぐましい努力の結果だ。成長してるだろ、俺も。
 まあ、ビビッて思い切り両目は閉じてるし、唇も引き締めていたりするんだけども。

「お前からの誕プレか。じゃあ、金で買えないヤツがいい」

「金で買えないって…ええ?難しいな。どんなものがいいんだよ」

「そうだなぁ…やっぱりお前のしょ」

「ストップ!やっぱ金で買えるものにしてください」

 なんだか不穏な言葉を聞きそうな予感がして慌てて遮ると、都築のヤツは途端に不機嫌そうに眉根を寄せて「金で買えるものなら自分で買えるんだ」とかブツブツと唇を尖らせやがる。

「確かにお前に買えないものなんてこの世の中にはないかもしれないけど、やっぱり自分で買うのと他の人が買ってきたものだと全然違うと思うぞ。そのものにこめられる想いが違うんだよ」

 丁寧に説明してやっているのに、都築のヤツはいまいちよく判らないと言うツラをして、「でもやっぱりオレはお前の処女がいい」とか「せめて毎日キスさせて欲しい」とか、こっちの方が何がいいのかさっぱり判らない要望をブツブツ口にしている。
 それだと何時かどうにかなった時に、思い出がカタチとして残らないじゃないか。

「都築って刹那主義なんだな」

 ちょっとムッとして言ってやると、欲しいものは何でも手に入ってしまうお坊ちゃまは訝しそうに双眸を細めて、それから俺が怒っていることに困惑したみたいだった。

「別に刹那主義とかじゃないけど…」

「嘘だ。思い出をカタチにして残さなくていいなんて、その場が良ければそれでいい刹那主義だ」

 プイッと外方向いてやると、思い出をカタチ…とブツブツ言っていた都築は、唐突にハッとしたようにして、それからまるで不思議の国のアリスのチェシャ猫みたいにニンマリと笑った。

「そうだな。せっかくお前がくれるって言うんなら貰っておきたい」

「…高いのは無理だぞ?」

 気持ち悪い予感しかしないけど、自分から誘った手前、やっぱごめん、お前みたいな変態が欲しがるもんなんて見当もつかないからやめる…なんて言える雰囲気でもない。
 失敗した予感しかしない。

「別に金額は気にしない」

「そっか。じゃあ、何が欲しいんだ?」

 できるだけマトモな回答が欲しいと祈りを込めて都築をみると、ヤツは画面の中でどうやら巨大モンスターを仕留めたらしく、みんなで喜びを分かち合っているみたいだ。
 現実の世界じゃ友達やセフレの話なんか上の空だって言うのに、オンラインの中では楽しんでいるみたいで、リア充のはずなのにこんな生活で大丈夫なんだろうかコイツは。

「コレが欲しい」

 そう言った都築が指差した画面には、モン狩りを終えて街に帰ったメンバーがドロップしたアイテムの分配を終えると、装備の修理だとか、素材の合成、いらないものを売却するとか買い足すとか、各々自由に動き回っている。
 その中で、独りの小柄な女の子のテクスチャのキャラが、豪奢な装備に違わずにさっきの狩りでも他の追随を許さない圧倒的な強さを見せつけた都築のキャラに、モジモジしながら何かを差し出したみたいだ。

「何だこれ?」

 首を傾げてよく見れば、それはリングみたいだった。

「これ、装備品か?」

「…このゲームってさ、ゲーム内で結婚できるシステムがあるんだよ。で、オレはいま求婚されている。狩りの後は何時もあるイベントなんだけど」

 そう言った都築は彼女からの申し出をアッサリと断ってしまったみたいだ。

「このレベルでもまだ誰とも結婚していないから、求婚が引っ切り無しなんだ」

「ふーん。じゃあ、俺が一緒にゲームしてこのリングを渡せばいいってワケ?それだとさっきの話しと一緒で…」

「違う違う!何を聞いてたんだ、お前は。オレはこんなリングが欲しいって言ってるんだ」

「指輪を買えばいいのか?でも俺、お洒落なセンスはないよ」

「構わない。だってお前が言ったんだろ?そのモノにこめられる想いが違うってさ。だからオレは、センスも値段なんかも気にしない。そのかわり、絶対に心を込めて選んで欲しい」

「…なんかよく判らないけど、判った。頑張って格好いいリングを選んでみるよ」

「おう。シンプルなものでもいいからさ」

「OK」

 モノなんかいらないとか不機嫌そうに言ってたくせに、途端に機嫌よく口笛でも吹きそうな感じで、さらに3人のキャラの求婚とやらを断っているみたいだ。
 別に現実でもないんだから、この中の誰かと結婚してみればいいのに。そうしたら、少しは俺に構わなくなって楽になるんじゃないかなぁ…やれやれと俺は溜め息と共に夕食の準備をするために改めて立ち上がろうとした。

「なんだよ?」

 その腕を掴んだ都築が、色素の薄い琥珀のような双眸の奥に、何か急に、禍々しいような何かを隠しているような色を浮かべて、俺のことをジッと物静かに眺めてくるから、なんとなく嫌な予感がしつつも俺は首を傾げて尋ねてみた。

「…お前が死ぬ時にまだ処女だったら、ちゃんと屍姦してやるからな。それで責任持ってオレが式を挙げるから、その後に一緒に棺桶にはいればいい」

 唐突な都築の言葉に、ふと脳裏に、前にネットか何かで読んだ中国の話しを思い出した。
 死んだ時に処女だった女の子は、その村の村長が屍姦して女にしてから、花嫁衣装を着せて埋葬する。そうすると悔いを残した悪霊化することがなく、穏やかに極楽に逝けるとかなんとか…

「お前まだその話を引き摺ってたのか。俺、女の子じゃないから別に処女で死んでもいいよ。屍姦とか気持ち悪いこと言うな」

 それよりも童貞をなんとかしてからじゃないと悔いが残って悪霊化しそうとか、プゲラしながら都築の手を離そうとしたら、都築のヤツは「そうか、それもあるのか」とか不穏なことをブツブツと言っているから、例の中国の話しをコイツも知っているんじゃないかと思った。

「死んだらチンコって固くなんのかな?だったら、オレに突っ込ませてやるよ」

「やめろ。想像したら気持ち悪い。変なこと想像させるな」

「あ、死ぬ前がいいか。気持ちよくなって死んだほうが悔いが残らないよな?」

 新しいメンバーとモン狩りに勤しむ背中を思い切り叩いて、俺はムッツリと腹を立てながらキッチンに立った。プゲラしている都築が憎い。それだけで悪霊化しそうだ。

「どうせなら美人なお姉ちゃんに手解きしてもらいたいですー」

「誰が手解きさせるか。お前の全部はオレが貰うって決まってんだよ」

「都築さん、俺たちまだ10代だからそう言ったお話はお爺ちゃんになったら聞きます」

「なんだよ他人行儀だな」

 何が気に入らないのかブツブツ悪態を吐いている都築は、爺さんになってもオレが全部戴くとか気持ち悪いことを物騒に言いやがった。でも、なんとなく、本当に実行しそうで怖いんだよなぁ、都築って。

「まあ、大学を出てからだよな…」

 クククッと、どうせ何か気持ち悪いことを想像しているんだろう、巨大な恐竜のようなモンスターを仲間と協力しながら剣戟を散らす都築はニヤニヤ笑っていて、絶世のイケメンじゃなかったら引き篭もりレベルの問題児だよなと俺はなんとなく納得していた。

□ ■ □ ■ □

「手土産とかいらないから」

 ナケナシの手持ちで購入した都内某所で美味しいって噂の苺のケーキとカヌレを人数分購入して都築に見せたのに、チラッと一瞥しただけでこの言いようである。

「女の子たちだから甘いものが鉄板だと思ったんだけどなぁ」

 ついつい癖でぷぅっと頬を膨らませて、白いシンプルなケーキボックスに入っている苺のケーキとカヌレを見下ろしていると、都築のヤツは胡散臭い顔付きをして「クソッ」とやっぱり吐き捨てやがってる。

「お前、俺が頬を膨らませるとだいたい怒ってるよな。どうしてなんだよ?」

「可愛い顔するからだ。先が言えなくなるだろ」

 どうやら俺の顔に魅入ってしまうから、続けて悪態を吐くことができなくなることが不服でぷちギレしてるんだそうだ。なんて意味不明なんだ。

「なんだ、そりゃ」

 理不尽な理由に呆れて肩を竦めると、都築は不満そうに首を左右に振っている。

「手土産なんていいんだよ。お前の手作りじゃないから今回は許すけど。アイツ等に手作りなんか食わせなくていいんだからな」

「…はいはい。お前さ、昨日あれだけたくさん焼いたフィナンシェを独りで全部食べてしまったくせに、まだ文句があんのかよ」

 藤堂さんのレシピを貰う前に、練習のつもりで都築がタブレットで見せてくれたクックパッドのレシピを見ながら、本日都築家への手土産にと焼いたフィナンシェをコイツが全部食べちまったんだ。

「…オレはフィナンシェが大好きだって言っただろ」

「それはそうだけど。全部はねえだろ。少しぐらい俺にも寄越せよ」

 味見もできないなんてどうかしてんだろ。
 都築は全く反省の色もない顔をして、声だけは神妙に「そうだな、反省する」とか言ってやがるけど、きっと反省なんかしないし次にも同じことをやらかすんだろうと思う。そう思えてしまうところが、そのツラで判っちまうんだけど、都築は隠そうともしないからやっぱり本気で反省しているワケじゃないんだろう。いっそ本気で殴ってみるか。
 …と言うのが、東京の閑静な一等地に居を構える都築邸の豪奢な玄関前で繰り広げられた会話だ。
 門扉からウアイラでまるで公園の中の小道みたいな場所を進んだ先に、古城みたいな洋館の豪邸が建っている。ここ日本だよな?!東京だよな??!大丈夫なのかこの敷地ッッ…と、ウアイラの中で窓に齧りついたまま青褪める俺を、都築のヤツは怪訝そうなツラをして首を傾げたぐらいだった。
 俺が何に驚いて、どうして青褪めているのかなんて判ってもいないツラは、これが産まれた時から日常生活の都築にしてみたら、狭い部屋でコツコツと暮らしているひとたちが目に入っていたとしても、その心情までは読み取ることはできないんだろう。
 玄関先で車を管理しているらしい青年が寄ってきて恭しく都築からキーを受け取ると、そのままウアイラに乗って駐車スペースまで車を移動してしまった。自分で駐車場に駐めてから、さあ行くか…じゃないんだぞ。お金持ちの家ってみんなこんななのか。

「はあ…緊張するなぁ」

「別に緊張することはないさ」

 そりゃ、お前は生まれ育った家だからそう言えるんだろうけど、俺なんかチビの頃から部屋は弟と一緒ってぐらいのこじんまりした家で質素に生活していたから、こんな目の醒めるような豪邸を前にすると回れ右して帰りたくなるんだよ。
 最近、やっと都築んちに慣れてきたってのに、今度は桁違いの豪邸に連行されるとか、俺前世で何か悪いこととかして都築に恨まれてるんだろうか。
 都築が何やらニヤニヤしながら玄関の扉を開くと、待ってましたとばかりにパタパタと軽快な軽い足取りで誰かが走り出てきて、ビックリする俺の前で無造作に都築に抱き着いたみたいだ。

「一葉ちゃん!お帰りなさいッ」

 190センチ超えの大男の首根っこには抱きつけなかったらしくて、150センチそこそこの小柄な少女が都築の腰に腕を回してお腹の辺りにグリグリと頭を擦り付けている。
 この目が醒めるような美少女が、陽菜子ちゃんだろうか。

「万理華、お前さぁ…篠原を連れて来たからって地味な嫌がらせしてんじゃねえぞ」

「…バレたか。こんな美少女が抱き着くロリコン野郎だって思われて別れたら面白いと思ったのよ。わたくし、光太郎ちゃんが大好きだもの。一葉ちゃんには勿体無いわ」

「煩い煩い!知らない間に交流してやがってッ」

 まるで虫でも追い払うような大雑把さで腕を振り払った都築は、呆気に取られてポカンとしている俺を振り返ると、ちょっと驚いたように眉なんか上げた。

「おい、何を固まっているんだ?」

「あ…ええと、こちらは万理華お姉さん?」

「そうよ!ああ、光太郎ちゃん!!お会いしたかったんだからっ。一葉ちゃんとばっかり遊んじゃって、陽菜子ちゃんもお待ちかねよ」

 都築に聞いたつもりだったのに、小柄でツンとすました飛び切り美少女の万理華さんがぎゅむーっと抱き着いてきて答えてくれたけど、どうみても小学生にしか見えない…これで俺たちより年上だと?

「離せ!篠原はオレの嫁だッ」

 抱き着く万理華さんの腕力は万力並みに強力で、思わず俺が「ギブギブ」と言っても聞いちゃくれない。でも、こんな時は都築の変態力に助けられる。
 姉妹にも地味に嫉妬して容赦ない洗礼を浴びせる(但し姫乃さんは除く)のが都築だから、俺に抱き着く万理華さんをベリッと剥がしてポイッと玄関の奥に投げ捨てた!
 ええ?!大丈夫なのそれ??
 ギョッとしたものの、まるでゴスロリの人形みたいな万理華さんは、ベシャリと床に倒れることもなく着地すると、苛立ったように都築を可愛らしいアーモンドアイでキリリと睨んでいる。

「勝手に嫁認定しているだけじゃない!今の光太郎ちゃんはフリーなんだからねッ」

「なんだと?フリーなワケあるかッ」

 玄関先で派手な姉弟喧嘩をおっ始めた2人にどうしていいか判らずにオロオロしていたら、不意に左手の豪奢な扉が開いて、ぼんやりした眠そうな表情のちょっとボーイッシュで綺麗な女の子がトコトコと歩いて来ると、俺の服の裾を掴んでからボソッと呟くように言ったんだ。

「この2人は喧嘩を始めたら周りが見えなくなるよ。こっち。応接間で姫乃お姉ちゃんが待ってるよ」

 そう言って困惑している俺の服の裾を掴んだままで、導くようにスタスタと歩き出した。

「ええと、もしかして陽菜子ちゃん?」

「…ふふ。そう」

「あ、やっぱり!こんちにちは。俺は篠原です。これケーキを持ってきたけど、陽菜子ちゃんは苺は好き?」

 無難なところを選んだんだけど、どうかなぁ?
 応接室に行くまでに長い回廊があって、左手は大きな窓が嵌め込まれていて、陽射しが惜しみなく降り注ぐなか、年齢相応の身長の陽菜子ちゃんは俺の顔をジッと見上げたままで、口許にほんのりと笑みを浮かべている。

「好き。私は苺も光太郎お兄ちゃんも好き」

「あは。嬉しいな」

 ニッコリ笑ったら陽菜子ちゃんはちょっとビックリしたように眠そうな目を見開いて、それからゆっくりと目線をもとに戻しながら照れ臭そうにボソボソと言った。
 こう言うところは、都築に似てるなぁ。やっぱ兄妹だもんな。

「でも、一葉お兄ちゃんも万理華お姉ちゃんも好きだよ。だから、光太郎お兄ちゃんが一葉お兄ちゃんと結婚するのは大賛成」

「いや、そこは思い切り反対してくれていいんだよ」

「?」

 キョトンっと見上げてくる陽菜子ちゃんに、思わずマジレスしてしまった俺は、慌てて何か話題はないかと首を捻った。

「都築のヤツ…じゃなかった、一葉くん?はお家でも俺のこと、その…嫁とか言ってんのかな?」

 一葉くんとか気持ち悪い呼び方したけど、都築本家で都築って呼ぶと誰のこと言ってるか判らないんだから仕方ないか。ここに都築がいなくて心底良かった。じゃないと、どんな顔でプゲラされるか判らないからね。

「うん。ずっと一緒にいたいんだって。死んじゃっても離せないからどうしたらいいかなぁって、よく私に相談してくるよ」

 都築!相手は小学生!!
 俺がアイツいったい何やってんだと頭を抱えそうになったところで、陽菜子ちゃんがマホガニーみたいなしっとりとした飴色に濡れて見える、手触りの良さそうな扉を開いて手招きしてくれたから、俺はノコノコとその室内に足を踏み入れた。
 個人宅の応接室なのにまるでベルサイユ宮殿みたいなロココ調の室内に、思わず吐血しそうになったけど、HPを削られるのはまだ待てと自分に言い聞かせていたら、傍らからススッと音もなく近付いてきた執事さんらしきお爺ちゃんにそっと声を掛けられた。

「お待ちしておりました、篠原様」

「あ、ど、どうも。あの、これお土産です…」

 こんな室内を見せつけられたら、確かに都築に手土産なんかいらねえよって言われた理由がよく判った。1つ700円前後のケーキなんか食べるのかな、ここの人たち。
 有難うございますと恭しく受け取った執事さん…執事さんもいるよね。お爺ちゃんはやはりススッと音もなく動くと、傍らに控えていたメイドさんにシンプルな白いケーキボックスを渡してから、ニコニコと俺を見つめている。
 知り合いかな?レベルの満面の笑みに、胡散臭さが入れば興梠さんだなとか勝手に考えていたら、ロココ調の豪華な椅子に腰掛けていた姫乃さんが嬉しそうに振り返って声を掛けてくれた。

「お待ちしてましたわ、光太郎さん」

「姫乃さん、お久し振りです。先日はどうも有難うございました」

「いいえ、宜しくてよ。あの出来事は全て一葉のせいですもの」

 ペコリと頭を下げると、姫乃さんはクスクスと笑いながら椅子を勧めてくれた。俺が恐縮しまくって椅子に座ると、姫乃さんは「ちゃんとお客様をお通しできたのね」と言って隣りに腰掛けた陽菜子ちゃんを褒めている。陽菜子ちゃんはちょっと嬉しそうに笑っていた。
 そんな2人を微笑ましく眺めている俺は、不意に声を掛けられた。
 あれ?誰かまだいたんだ。

「こんにちは。君が篠原くんかな?」

「あ、ご挨拶が遅くなってすみません」

 座ったままだと失礼だと思って立ち上がって頭を下げたけど、見下ろしたそのひとは、都築より随分と落ち着いて見えるものの、これまた高校生ぐらいの容姿にしか見えない青年だった。

「礼儀正しいね。ボクはそう言う人は嫌いじゃないよ」

 クスッと笑うそのひとは片手を差し出すようにして、どうぞ座ってと促してくれたから、俺はちょっと居心地悪い気持ちで、その俺と同じぐらい見事な黒髪と深い色を湛えた暗色の目をしたひとをコソッと見つめた。
 もしかしたら、都築の弟なのかな。都築は2人のお姉ちゃんと1人の妹がいる4人姉弟だって言ってたんだけど…弟もいたのかな。

「姫乃が言ってもちょっと疑っていたんだけど、なかなか純粋そうな顔をしているんだね。とても可愛いよ」

 ニコッと笑うそのひとの発言に、どこか馥郁と都築臭が漂っていて、間違いなく家族であることはよく判った。
 ヒクッと頬を引き攣らせたぐらいの時に、不意にバタンッと大きな音をさせて扉が開くと、都築と万理華さんが慌てたように入って来て、それから都築は俺が腰掛けている3人掛けの猫脚ソファにドカッと腰を下ろしてしまった。
 3人掛けなのに大男の都築がどっかり座ってしまうと2人でいっぱいになってしまって、俺の横に座りたかったらしい万理華さんがぐぬぬぬ…と都築を睨んで、「独活の大木だ!」とかなんとか、腹立たしそうにディスってから姫乃さんの横にちゃっかり座ってしまった。

「こらこら、万理華。女の子がそんな言葉遣いをしてはダメだよ。一葉もお姉ちゃんに譲ってあげたらいいのに」

「嫌だね。どうして姉だからって理由だけでこっちが退かなきゃならないんだ。断る」

 フンッと鼻を鳴らしてブツクサ悪態を吐く都築は、そのまま俺に凭れるようにして腕を組んだ。お前は背凭れに凭れろよ。重いんだって。

「さて、全員揃ったワケだけど、一葉。ボクは今日、君の恋人兼婚約者を紹介してくれると聞いて此処にいるんだけど…その人は何処にいるんだい?」

 青年はやわらかく双眸を細めて、都築家の長男を見つめている。
 万理華さんの例もあるから、もしかしたらこの人が長男なのかもしれないな。都築家には男子がなかなか産まれなくて、都築一葉はその待望の一粒種の男子ってことで、自由奔放に我儘が許される立場だ…って噂で聞いていたけど、違っていたのかなぁ。
 って言うか、紹介ってなんだ。
 恋人とか気持ち悪いってお前言ってたじゃねえか、婚約者ってなんだよ?!
 そもそも、俺は万理華さんと陽菜子ちゃんに会いに来ただけなのに…悪い予感がメチャクチャ当たってんじゃねえか!!

「は?何いってんだ、目の前にいるだろ」

「…目の前って、もしかして篠原くんのことかい??」

「篠原以外に誰がいるんだ?」

 都築が思い切り呆れたように鼻で息をして、凭れている俺の身体にスリスリと頬を擦り寄せてくるから気持ち悪い。つーか、ご家族の前で羞恥プレイをするのはやめろ。

「篠原くん…って君、彼は男の子じゃないか」

「ああ、それがどうかしたのか?」

 あれ?都築兄(?)は常識的だぞ。さっきの可愛い発言は、本当に冗談のつもりだったんだろうな。
 よし、この兄ちゃんにこっ酷く叱ってもらおう。
 ちょっと絶句する都築兄は、呆然としたように俺を見つめてきた。

「君はその、ゲイなのかい?一葉は昔から少しヤンチャなところがあってね。もし無理矢理何かされているのなら…」

「あの…」

「無理矢理なんかじゃねえよ。篠原の処女は初夜まで大事にとっているんだ。それに篠原はゲイじゃねえよ、バカか」

 ゲイじゃないです、都築にムリヤリ嫁とか言われてて困ってるんですって訴えようとしたのに、俺の口を塞ぐように都築が先にブツブツ言ってから、俺をぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。バカはお前だろ。
 万理華さんにあからさまに対抗しているようなんだけど、離せ、都築兄が固まってるじゃねえか。

「え?え??処女って、彼は男の子だよ、一葉」

「何度も言われなくても判ってる。どうせ、都築は姫乃の子どもが継ぐんだ。オレはソイツが大人になるまで支えていればいいんだろ?その代り、オレが何をしようと口は挟まないって約束じゃなかったか、パパ」

 パパ?!

「パパって??ええ?!」

 俺がギョッとすると、都築兄…と思っていた人はやれやれと肩を竦めながら、驚く俺に困ったようにニッコリと笑ってくれた。

「一葉のパパだよ。宜しくね、篠原くん」

「よ、宜しくお願い…ええー?」

 どう見ても高校生ぐらいにしか見えないのに…俺がジッと都築を見てしまうと、不穏な視線を感じたのか、都築のヤツは胡乱な目付きをして「なんだよ?」と俺を見上げてきた。

「都築ってお母さん似なんだなぁと思って」

「はあ?ああ、パパは若く見えるからさ」

 なんだ、そんなことかと肩を竦めるのを見つめながら、若く見えるってレベルじゃないだろと独りで心のなかで突っ込んでみた。

「ルミはボクの唯一の光だったのに…その名の通り、儚く消えてしまったよ」

 悲しそうに肩を落とす都築パパに、姫乃さんが困ったもんだと眉を顰めて確りしなさいと言っている。これじゃあ、どっちが親か判らないね。
 都築のお母さんは都築がまだ小学生の時に亡くなったんだそうだ。
 陽菜子ちゃんのお母さんはその後に来た後妻さんらしい。しかも、姫乃さんと万理華さんのお母さんも違うひとらしくて…都築パパ、結婚しすぎ。で、離婚しすぎ。
 都築のお母さんとだけは離婚していないらしいから、後妻とは言っても、実際は認知だけで籍には入っていないらしいから、都築パパも爛れすぎ。

「篠原くんは一葉を愛しているのかい?」

 都築ママを思い出して鼻の頭を赤くする都築パパに聞かれても、俺は別に都築を愛しているなんて気持ち悪いことはこれっぽっちも想っていないって、この際ハッキリ否定しておこうと口を開いたら…

「当たり前だろ?何いってんだ」

 都築が否定させてくれない、と言うか、全面的に認めている。

「都築、おま!ちょ…ムグググ」

 んちゅーっとキスされて言葉を飲み込まざるを得ない俺を、都築パパは唖然としたように見つめてくるし、姫乃さんはあらあらと嬉しそうで、万理華さんは呆れたように肩を竦め、陽菜子ちゃんはニヤニヤしている。

「あれ?でも篠原って言ったら…篠原くんのご実家はもしかして、篠原製作所かい?」

「え、ご存知なんですか?」

 都築とのキスに耐性はあるものの、みんなの前での公開処刑は話が違うから、思い切り顔を押し遣りながらビックリして聞き返してしまった。
 あの小さい会社がこの大企業の社長に知れ渡ってるなんて…親父、何かあくどい事でもしてるんだろうか。

「そうか…篠原製作所の光太郎くんか」

「俺を知ってるんですか??」

 ちょっと驚いていると、オレから拒絶されてイラッとしたままギュウギュウと抱き締めている都築が、何故か都築パパを強烈に悪意のある陰惨じみた色素の薄い琥珀みたいな双眸で睨み据えたみたいだった。

「だったら仕方ないね。認めるよ。いつ入籍するの?」

「え?反対してぐえッ」

 いきなり認められてしまった俺が、そこは全力で反対だろパパ!と、思わず言いそうになったってのに、都築のヤツが後ろから満足そうに囲い込んだ腕に力なんか込めやがるから、最後に変な声しか出なかった。

「バカか。入籍は大学を卒業してからだ」

 軽く俺をディスってから、都築は満足そうにニンマリして都築パパに頷いた。

「ふうん。じゃあ、その前に姫乃を結婚させないとね」

「ちょ、ま…」

「上遠野もいい年だ。そろそろ認めてやれよ、パパ」

 勝手に進む話にウチの事情とか了承は必要ないの?!と言いたいのに、このビリオネア一家はヒトの話なんてこれっぽっちも聞いちゃいねえ。いや、聞いてもくれない。
 そんな俺の耳に衝撃の事実。

「え?!姫乃さんのお相手って上遠野さんなのか??!」

「もう、腹に子どもがいるんだぜ。なのに認めないとか、パパはちょっと横暴だよな」

 まるで影のようにひっそりと姫乃さんを護っていて、姫乃さんはそれが当然のような顔をして、ニコリとも笑いかけもしないあの2人が、まさか愛し合っているなんて!

「仕方ないだろ!上遠野は今年で43なんだぞ。28の姫乃を嫁がせるなんて…」

 ニコニコ笑っている都築姉妹すらもそっちのけで、うう…と涙ぐむ都築パパをうんざりしたように見遣りながら、都築のヤツは俺の肩口に頬を寄せると呆れたように吐き捨てる。

「40で18のルミを嫁にしたお前が言うな」

 40の時に都築ママと結婚したのか、前に都築が聞いてもいない誕生日をリークする時に、自分は両親が結婚した翌年に産まれたって言ってたから、それで計算すると都築パパの年って…

「パパさん、いま還暦?!」

「そうだよ?上遠野とはそんなに年が変わらないのに、パパって呼ばれちゃうんだよ!」

 おい、どう言うことだこれは。
 都築パパ、パパって言うのも烏滸がましいほど、見た目どうみても高校生だぞ。
 下手したら、都築をパパって呼んだほうがシックリきそうなのに。
 なんか、どっかの漫画家のレベルの若さだよな…

「パパって呼ばれるだけ有り難いと思え。どうせ、上遠野のことだ、パパのことなんか『社長』って真顔で言うに決まってんだろ」

 愕然とする俺を無視した都築の台詞に、鼻の頭を赤くてズビッと鼻を啜った都築パパは、それもそうだけどねぇとまだ納得していない顔をしているけど、結局、都築と俺の入籍を決めるのであれば先にお姉さんの姫乃さんを嫁がせるのが道理だと考えているみたいだ。

「でも、一葉のことだから光太郎くんと海外で派手に挙式するんでしょ?だったら、その前に姫乃と上遠野の挙式も派手にしないと。姫乃はお姉ちゃんだからね」

 姫乃さんをメロメロに溺愛していると言う噂は本当のようで、都築パパはうっとりと幸せそうに姫乃さんを見つめながら言ったけど、すみません、言っている意味が判らないです。
 あなたもさっき仰ったように、俺は男なので、海外で派手に都築と挙式する予定は今のところは全然ありません。

「パパさん、俺はつづ…一葉くんと挙式する予定はないです!」

「お前、初めて名前を呼んだな…今日は帰りにホテルで食事をしよう」

 なんだかちょっとビックリしたような顔をしていた都築は、どう言ったワケかもうさっぱり判らないけど、薄っすらと頬を染めて俺の手なんか握ってきやがる。気持ち悪い!
 都築一家勢揃いのところで都築はないだろうが!
 名前を呼んだだけなのに、どうして話しをややこしくしようとするんだッ。

「…婚約者とは言ってもまだ学生なんだから、犯りすぎないようにね」

 何時も通りの気安さでうっとりした目付きでキスしてこようとする口を抑えて必死で抵抗する俺に、都築パパは溜め息混じりの冷水を浴びせかけてくれる。
 俺は都築と…練習とか言って尻に指を入れられたり、フェラさせられたりされたり、顔射されたり、平気でキスされたり外で恥ずかしげもなく手を繋がされたり、死ぬ時は一緒で死んだ後も一緒にいるとか気持ち悪いことを言われたり、閉じ込めてずっと2人でいたい(最近新たに追加)とか言われたけども、別にエッチは犯っちゃいない!
 それに婚約なんてしてないッ!

「バーカ、篠原の処女は大事にとってるって言っただろ?コイツは他の連中どもとは違うんだ」

「…そうなのかい?」

「だったら、セックスはどうしてるのよ?一葉ちゃんは溜まり過ぎるとちんちん痛いって泣くじゃない」

「泣くかよ。そりゃ、セフレと犯ってるに決まってんだろ」

「え?!」

「はあ?!」

 皆さん、小学生がいるんだから!
 なんで由緒正しき血筋でビリオネアの都築家だって言うのに、こんな爛れた会話を平気でしているんだ。子どもの前で!!
 そもそも、参戦した万理華さんもちんちんって!!
 俺がアワアワと陽菜子ちゃんを気にしていると言うのに、当の陽菜子ちゃん本人は、万理華さんたちと同じように、まるで雷に打たれでもしたようなショックを受けたように都築を見開いた目で見つめ、それから何故かお兄ちゃんを憎々しげに睨み据えたりしたんだ。

「…一葉お兄ちゃん、サイテー」

 姫乃さんの横に腰掛けている陽菜子ちゃんは、姫乃さんの腰に腕を回して抱き着きながら、お兄ちゃんを汚いものでも見るような目付きで吐き捨ててくれた。
 よく判らないけど、スカッとするな。
 たまには都築は凹むべきだよ。内容は別として。

「はあ?何故そんな目で見られているんだ??どうしてサイテーなんだよ??」

「…光太郎くんと言うヒトがありながら、セフレはないよね」

「一葉ちゃんに清廉潔白なんか求めていないけど、光太郎ちゃんの前でそれはないんじゃないの?心は光太郎ちゃんに、でも身体は可愛いセフレたちにくれてやるってこと?サイテーじゃない」

「???」

 都築は本当に都築パパや万理華さんが言っていることが判らないようだった。
 性に奔放だったし、それに何より、都築は別に俺に心を寄せているワケじゃない。何かよく判らない、得体の知れない執着から俺を構い倒しているに過ぎないんだ。
 だから、都築が彼らの言葉を理解できなくても仕方ないんだよ。
 俺自身、別に都築が誰と何処で何をやっていようと気にならない。不意に懐いてきた大きな犬ぐらいにしか思っていないからね。
 俺は困惑して二の句が告げられない都築をソッと見遣ってから、それから溜め息を吐いて、蚊帳の外から蚊帳の中に入ることにした。

「すみません、パパさんと万理華さん。つづ…一葉くんは別に俺のこと好きでもなければタイプでもないんです。だけど、どう言うワケか俺を嫁にとかワケの判らないことを言ってるんですよ。だから、好きでもない俺に操なんか立てたりしないです。そんな理由で、今言われている意味が判っていないんだと思います。それと、つ、一葉くんにもちょうど良かったので、皆さんの前で言わせて頂きます。俺は別に彼と入籍する気もなければ婚約する気もありません」

「巫山戯んなッ」

 巫山戯てるのはお前だろ。都築家の絶対君主の前で何を宣言してやがったんだ。
 さっきは言えなかったけど、やっと言えるんだから全部否定しておく。

「別に巫山戯てないだろ?じゃあ、お前。お前は俺のことが好きなのか?」

「…それは」

 何時ものような即答は返ってこなかったけど、それでもやっぱり言い淀むところが正直者なんだよな。別に嫌いじゃないけどさ。

「だろ?何度も言うけど、俺は好きな人と結ばれたい。ちゃんと愛し合ったヒトと結婚したいんだ。だから、パパさんに勘違いされちゃ困るんだよ」

 都築のヤツはグッと唇を噛み締めて、それから困惑したように俺を見下ろしてきた。
 そんな目をしてもダメだ、この場でちゃんと断っておかないと、後々絶対に大変なことになる。

「…一葉、お前は光太郎くんを愛しているワケじゃないのか?」

「それは!」

「なあんだ!だったら、心配して損しちゃった。これで心置きなく、光太郎ちゃんにアタックできるのね」

 万理華さんが畳み掛けるように言った言葉で、都築はもうダメだった。
 いきなり俺を肩に担ぐと、目を白黒させている都築一家に怒り心頭で吐き捨てたんだ。

「巫山戯んな、お前ら!オレがコイツを好きでもなんでもなくても、オレが自分のモノにするって決めたらオレのモノなんだよッッ」

 なんだ、その理不尽な物言いは!

「バ、都築!俺は認めないからな、そんなの…」

「煩い、黙れ!お前はオレのモノだッ」

 不意に都築の必死さに、俺は言葉を失くして眉を寄せた。
 だって、好きでもタイプでもないくせに、どうしてそんなに荒ぶってるんだよ。お前なんか、誰だって選り取り見取りだろう。相手は俺じゃなくてもいい、いや、心も寄せられない俺じゃないほうがいいに決まってるのに、どうしてそんなに必死になってるんだよ。
 お前、バカじゃないのか。
 俺たちが都築の剣幕に困惑して一瞬黙り込んだ時、不意に軽やかな声音でクスクスと誰かが笑ったみたいだった。
 声の方向に顔を向けたら、それは紅茶と、何時の間にか俺が持って来ていた苺のケーキとカヌレに舌鼓を打っていた姫乃さんだ。

「困ったものね、一葉」

「…何がだよ?」

「長いこと遊んでばかりいるからそんな大事なことにも気付けないのですよ」

「…煩い」

「だってあなた、光太郎さんが初恋なのでしょう?」

「ぐっは!」

 思わず吐血しそうになる俺を肩に担いだままで、猛然と憤っている都築は姫乃さんに悪態を吐いてからそのまま帰ろうとしていたんだけど、俺を吐血させかけた台詞に眉を寄せると足を止めて、不機嫌そうに姫乃さんを振り返った。

「はあ?」

「だから、自分の気持ちすらも判らずに光太郎さんを傷付けているのよ。想像してごらんなさい。属が光太郎さんを愛していると言って、光太郎さんも求愛を受け入れたとします。その時のあなたの心は今、どうなっていますか?平気?なんてこともない?…いいえ、違うでしょう。荒れ狂って苛立たしくて信じられなくてどろどろとした憤り…でも、そのなかに引き千切れてしまいそうなほどの、涙が溢れてしまう痛みがあるんじゃなくて?…一葉、それが恋というもので、愛すると言うことですよ」

 淡々とした姫乃さんの台詞に、ポカンッと目を見開いていた都築は、それからまるで目からポロポロと鱗でも零したのか、キラキラした双眸で担いでいた俺を下ろしてジックリと見下ろしてきた。
 嫌だ、なんだこの展開。
 これは絶対にあってはならない方向に話が転がっている。
 俺の危険ダメ絶対アンテナがビンビン不穏な空気を感じで、今すぐ逃げろと言っている。
 逃げたい、走り出したい!!
 この間、僅か数秒だったに違いない。目まぐるしく怯える俺の目を見据えて、都築が頷いたみたいだったけど、不意にハッとして、それからムスッと不機嫌そうに眉根を寄せたから、逃げ出したい俺は別として、都築姉妹と都築パパは首を傾げたみたいだ。

「だったとしても、オレは別に篠原に恋なんかしていないしタイプでもないんだ。ムリヤリ押し付けるのはやめろ」

 何時もの都築節に俺はホッとしたけど、ほんの少しだけど、ちょっと納得ができなかった。そんなに好きでもない相手なのに、都築家みたいな大富豪でもない町工場の冴えない普通よりちょっぴり貧乏な俺んちとの政略結婚とかでもないのに、どうして都築は俺のことを嫁にしたいとか一緒にいたいとか、棺桶まで一緒で、生まれ変わるなら一緒に生まれ変わりたいとか気持ち悪いことを言うんだろうか。
 全く頑なねと苦笑する姫乃さんや、コイツ何いってんだって表情の万理華さん、都築パパはもう困惑しっぱなしだけど、とうの都築は俺を射殺すぐらいの凶暴そうな目付きで見下ろしてくるだけで何も言わない。
 言わないというか、言えないような感じだ。

「…じゃあ一葉は、過去の罪悪感だけで光太郎くんを嫁にしようと思っているのかい?」

「え?過去の罪悪感??」

「違うッ」

 キョトンっとする俺の傍らで、都築が慌てて困惑している都築パパに食って掛かった。

「光太郎くんは…そうか、忘れてしまっているんだね。高熱が続いたから記憶に齟齬があるかもしれないと、篠原さんも仰っていらしたから」

「…高熱?って、俺が子どもの頃、工場の機械で腕を痛めたことを知っているんですか?」

「知ってるも何も、その原因は一葉だったからね」

「え…?」

 都築はこんな展開になると思っていなかったのか、唇をキュッと噛み締めてからまるで観念したようにどこか痛いような表情で俯いてしまった。

「君のご実家の工場とうちの子会社が提携を結んでいてね。ボクは関連企業などにこっそり視察に行くのが好きで、ちょうど融資の相談があったそうだから、その内情の確認も兼ねて学校が休みだった一葉を連れて旅行がてら九州に行ったんだよ。あの頃から一葉は悪ガキで。大人の退屈な話に飽きてしまったんだろう、独りで勝手に工場内を探検してしまったんだ。今と一緒で護衛を撒くのがとても上手でね、お祖父様は彼を忍者だって思っていたぐらいで…だからあの日も、みんなで一生懸命捜しているところに、当の一葉が大泣きで現れて君を助けてくれって言われて駆けつけたら」

 言葉を切った都築パパは当時の凄惨な現場を思い出したのか、申し訳無さそうな双眸で俺をジッと見つめてきた。
 まるで霧がパッと晴れたみたいに、俺の脳裏に鮮やかに蘇る綺麗で可愛い可憐な少女の泣き顔、彼女を庇った俺は右腕を機械に挟まれて血まみれで、あの噎せ返るような血の匂いのなかで必ず責任を取るから死なないでと彼女は泣きじゃくっていた。

「あ…ははは、あの子、そっか。あの子が都築だったのか」

「オレは、その、責任を…」

 ボソボソと歯切れ悪く言い淀む都築に、俺は自分の右手を見た。
 一級のお医者さんのお陰で醜く残るはずの傷痕は綺麗に消えていて、ただ、目には見えないし、パッと見では判らない、指先にかすかな震えが残る後遺症がある。
 ふとしたときにモノを落としてしまう程度で、それほど大袈裟なものじゃない。
 ただ、その後遺症で職人としての後を継ぐことができなくなったから、俺は経済学部に進学して、経営の方で親父を助けようと思ったんだ。
 それを10年以上も気にしていたのか、なんだ、そうだったのか。
 それで都築のこの異常な執着の意味が判った。好きでもタイプでもないのに俺を欲しがって独占したがるこの異常な執着の…意味が判ってしまうとなんとも呆気なくて、過去の罪悪感に縛り付けられたままで、だからお前、何も楽しいことがないなんて、つまらない日常だなんて気持ちになってしまっていたんだよ。
 今にして思えば、あの一級のお医者さんは都築家が用意してくれたんだな。
 そこまでしてくれてるのに、バカだな。
 だったらもう、俺が許そう。
 そうして、都築が都築らしく生きられるように、本当に好きな人と愛し合えるように。

「前にお前が言っていたように、ホント、チビの頃のお前って可愛かったよね。俺ずっと、女の子だって思ってた」

 アハハハっと明るく笑うと、少し暗くなりかかっていた雰囲気が…って、それで姫乃さんたちも俺をあんなに気遣ってくれていたんだなぁと思ったら、なんだかとても申し訳ない気持ちになってしまう。

「なんだ、じゃあもういいよ。ほら見ろよ。俺の手はどこもおかしくないだろ?グーパーもできるよ。光景じたいはトラウマレベルのショッキングなものだったかもしれないけどさ、俺も問題なく成長してるし、都築が気にすることなんか何もないんだよ。だから、もう気にしなくていい。こんな好きでもタイプでもないヤツのことは忘れてしまっていいんだ」

 何だかどこか痛いみたいな表情のままの都築の前で、俺はニッコリと笑って両手を結んだり開いたりしてみせた。

「都築…長いこと縛っててごめんな?ずっと心配してくれてて有難う。でも、俺はもう大丈夫だからこれで終わりにしよう」

 俺はグイッと都築の頬を両手で包んで引き寄せると、額に額を合わせて、今にも泣きそうなツラをしている情けない大男の双眸を覗き込んでニコッと笑って言ってやった。
 意外と心配性だってことはずっと一緒にいて判っていた。その性格も、俺とのトラウマで刻み込まれちゃったんだなぁ…可哀想なことをしてしまった。
 首に腕を回してギュッと抱きしめてやると、都築は応えるように背中に腕を回してギュウギュウと抱き締め返してきた。

「ごめん、篠原。ずっとオレ、言えなくて。言ってしまったらお前が離れていくと思ったから…」

 謝ることもしていない…って都築がらしくなく声を絞るようにして言うから、バカだなぁと俺はやっぱり笑ってしまった。

「全然気にしてないって!だから、お前も忘れていいんだよ」

「忘れるもんか、絶対に忘れない…でも、許してもらえてよかった」

 ほんのりと目尻に涙を浮かべた都築が、らしくなく素直にホッと息を吐いているのが、ちょっとだけど可愛いなと思った。
 このワンコみたいなヤツは、これでやっと前に向かって歩きだすことができるんだろう。

「良かったわね、一葉」

「一葉お兄ちゃん、良かったね」

「罪悪感がなくなったらもういいんでしょ?だったら、光太郎ちゃんに改めて交際を申し込んじゃおうっと」

 都築姉妹はそれぞれ思い思いのことを口にしているし、都築パパは俺のことを「なんていい子なんだ」と、涙脆くウッウッと泣いているみたいだ。
 都築は俺をギュウギュウ抱き締めたままでうっとりと双眸を細めている。
 安心して気が抜けちゃったのかな。

「それじゃあ、もう婚約とかなんだとか、気持ち悪い話はこれで無しでいいよね」

 ポンポンッと背中を叩いて宥めてやりながら言ったら、不意に都築は身体を僅かに離して俺の顔を見下ろしながら、妙にスッキリしているくせに困惑しているような表情で首を傾げてきた。

「はあ?どうしてそうなるんだ。婚約はするし、大学を卒業したら入籍もするぞ」

「…………は?」

 え、だってお前、過去の罪悪感で俺に執着を…

「子どもの頃のことは許してもらえて良かったよ。あのことが引っ掛かって入籍されないとかだったらどうしようかと懸念してたけど、お前が気にしていないなら良いんだ。婚約も入籍も、それとこれとは話が別だからさ」

 安堵したように溜め息を吐いたあと、都築はもういつもの都築に戻っていて、いや、さらに何かパワーアップしたツラで嬉しそうに宣言してくれやがった。
 だから、俺は恐る恐る聞いたんだ。

「……都築さん?君は俺に罪悪感があるから、責任を取って嫁にするとか、そんなちょっとアレなことを考えたんじゃないのか?」

「ああ、昔はそうだったな。だからパパにも言っていたんだ。オレが結婚するのは篠原光太郎しかいないってさ」

 都築パパはグスッと鼻を啜りながら、親指を立てて「そのとおり」とか言ってる。
 大企業の社長さんが、そんな茶目っ気出してどうするんですか。

「だったら、もう全部解決したんだから責任を取る必要なんてないだろ?」

「ああ、その件ではな」

「その件では…って、他に何があるんだよ?」

 愕然として聞くと、都築は何いってんだとでも言いたそうな、訝しげな表情をして俺を見下ろしたまま言いやがった。

「オレがお前と一緒にいたいってことだ。それはずっと言ってるじゃないか」

「……???」

 もう何がどうしてこうなっているのか、バカな俺の頭じゃサッパリだったけど、ちょっと閃いたから、軽く笑いながら言ってみた。

「あ、そっか。じゃあ、友達だ。友達でいいだろ?別に入籍とかそう言うのはなしで、友達で一緒にいたら十分じゃないか」

「……友達はダメだろ」

 都築の即答に、ニッコリ笑ったままで固まった俺は首を傾げた。

「なんでだよ?一緒にいたいだけだろ??」

「友達とセックスしたらセフレじゃねえか。それに、前も言ったけど。オレはできるならお前を閉じ込めて、ずっと2人きりで一緒にいたいんだ。死ぬ時も一緒がいい。棺桶にも一緒に入りたい…それなのに友達だったら、お前が別のヤツなんかと結婚しやがったら一緒にいられなくなるだろうが」

 ちょいちょい不穏な台詞が挟まれているけど、結果的に都築は、過去の罪悪感にも囚われていたけど、それとは別の次元で俺とべったり一緒にいたいと思っているってことか?なんだそれ。

「お前さぁ、俺のことで10年も罪悪感を抱えていたから、根本の部分が捻じ曲がっちゃったんじゃないか?罪悪感を一緒にいたいって勘違いしてるんだよ」

「あ、それはパパもそう思う」

 俺たちの会話を紅茶を飲みながら興味津々で聞いていた都築家の面々の、この場の長である都築パパが気軽に同調してくれたけど、都築の射殺すような目付きに言葉を飲み込んでしまった。パパ、頑張って!

「それは違う。罪悪感は確かに感じていたけど、あの一件の前にオレはお前に会ってるんだよ。その時から気になっていたから、あの一件は謂わばオレにとって、お前に近付けるチャンスになった。だから、あの事件だけでお前を気にしてるってワケじゃない」

「…へ?」

 俺んちはちっぽけな町工場で、でもその腕前は実は世界にも通用できると評価が高いらしくて、よく色んなひとが来ては親父と話しをしていた。都築パパは視察が好きだとか言ってたから、あの一件の前にも幼い都築を連れてうちの工場に来たことがあるのかもしれない。

「でもよかったよ。お前にトラウマを残したあの事件を許して貰えたんだ、これで心置きなくお前を嫁にできる。パパ、あの約束は守ってくれよ」

 子どもの頃に約束させたっていう、嫁は篠原光太郎のみってアレか。

「…うーん、仕方ないね。光太郎くんはとてもいい子だし、一葉はバイだからね。男の子とも添えるのなら、ボクは君たちの入籍を許してあげるよ」

 許さないでってば、パパ!
 たとえ姫乃さんのお子さまが次期後継者とは言っても、都築はこの家の長男なんだよ!
 昔気質の古い考えかもしれないけど家督を継ぐとか、都築家はちょっとフリーダムすぎるよッ。
 って言うか大金持ちってホラ、ドラマでもよくあるけど、政略結婚とかさせなくてもいいのか?それとも、ビリオネアにでもなると向こうからすり寄ってくるから、却って自由に結婚できるとでも言うのか…ハッ!パパも奔放だった!

「よし。じゃあ、今度は篠原の実家に挨拶に行かないとな」

「待て待て待て待て!ちょっと待ってくれ。俺は認めてないってば!」

「オレの何が不服だって言うんだ?お前の望みならなんだって叶えてやれる。パパや親戚連中にガタガタ文句を言わせないように、オレ個人の会社だって持った。そこから得た収入でお前を養うんだ。文句を言われる筋合いもないんだぞ?」

 パパもそう思う…とか認めないで!そこで地味に頷いてないでよ都築姉妹!

「だから、俺は別に養って欲しくなんかないって」

 俺の右手をヒョイッと掴んだ都築は、思わずこっちがトゥンクってなるほど優しげな、言葉は違うかもしれないけど、愛しげに双眸を細めて俺を見つめたまま指先にキスしてきた。

「この右手は俺のために傷付いた。ずっとこの右手を抱えてお前は生きていくんだ。だから、オレはその傍らで、ずっとお前に寄り添っていたい。お前の右手の代わりにだってなる」

 だからオレと結婚してくれ…と、都築は甘やかに俺にプロポーズしてきた。
 おい、こんな都築一家勢揃いの家族全員が見てる前でやめてくれ。
 全然ドキドキしないぞ、違った意味で心臓がバックンバックンしてるけどさ!

「俺の右手は俺の右手がちゃんと可動しているので結構です!」

「何故だよ?!」

 都築にしてみたらとっておきのイケメンオーラだったんだろうけど、男の俺にはこれぽっちも効かないんだってこと、どうして気付けないんだろうか。
 これなら篠原を落とせるはずなのに!って、都築がブツブツ悪態を吐きながら抗議してくるから、俺は溜め息を吐きながら首を左右に振って言い返した。

「お前、根本が解決していないだろ?!俺のこと好きでもタイプでもないのに結婚とか…いや、結婚になっちゃってるなこれ?!入籍とかしないよッ」

「それは仕方ないだろ!お前さぁ、前も言ったけど、オレを逃すとちゃんとした結婚とかできないぞ。親の勧めなんかで40過ぎぐらいで見合い結婚してみろ、バツイチ子持ちならまだいいけど、メンヘラとか事故物件だったらどうするんだ?そんなお前が可哀想だから、オレが嫁にもらってやるんだ。有り難く思え」

「都築、お前ぇ…」

 最凶の事故物件が何をほざいてるんだよ!
 そもそも、好きでもなければタイプでもないから、そうやって気軽に俺をディスれるんだよな。そう言うヤツとこの先の長い人生を、どうして一緒に歩いて行けるなんて思ってんだお前は。

「光太郎くんには食事を作ってもらいたいから、できれば実家で一緒に暮らして欲しいなぁ」

「姫乃がお嫁に行くからって、いきなり実家暮らしなんて光太郎ちゃんが可哀想よ」

「光太郎お兄ちゃんは陽菜子とお菓子を一緒に作ってくれるかなぁ」

「いいお義姉さんになってくれたら良いですわね」

 姫乃さん、お義姉さんじゃないし!
 俺は男だ!お義兄さんだ!!…は、違うッ。
 だいたい、既に嫁認定で勝手なこと言わないで!

「…そっか。俺が40過ぎで見合い結婚しそうな幸薄そうな顔をしているから悪いのか。だったら都築が同情して俺を嫁にするとか気持ち悪いこと言って、都築一家がそれを何故か受け入れて、派手な勘違いをしても仕方ないんだな。うん、判った。断固として断る!」

「巫山戯んな!来月には篠原の親父さんが退院するから快気祝いがてら九州に行くからなッ」

「お前また勝手に…って言うか、どうして俺より俺んちの事情を熟知してるんだよ?!」

 来月退院なんて聞いてないぞ。
 それよりも都築と一緒に九州に帰るとか有り得ないからな。

「光太郎くん、どうか一葉を宜しくね。この子はちょっと頑固だから、君以外に手綱を握れるヒトはいないって納得できました」

 よろしくしないで、納得もしないでパパ!

「一葉がそれだけ執着してるんじゃ仕方ないわよね。大学卒業を待たずにもう結婚しちゃったら?」

 万理華さん、大学卒業しても結婚しないってば!

「都築光太郎とか素敵じゃねえかよ。オレの家族からは認められたんだし、これで文句はないだろ」

 都築はいろいろと間違っている都築家に愕然としている俺を、人を喰ったような、不思議の国のアリスのチェシャ猫みたいにニンマリと笑って覗き込んでくると、そんな出鱈目なことを言いやがった。

「あとはお前の両親に認めてもらえれば、もうお前も素直にオレの嫁になるしかないな?」

 よくよく見れば都築の双眸は笑っていないし、その声音はかすかに低い。
 そうかコイツ、さっきの断固として断る発言を地味に怒ってるんだな。
 怒りたいのはこっちなのに、どうしてだろう、都築の色素の薄い琥珀のような双眸を見つめていると、なんとなく両親にも周到に根回しされているんじゃないかって不安になる。
 俺のことを好きでもなければタイプでもない都築の、滴るような執着に、その時になって漸く俺は、都築が本気で俺を嫁にしようと企んでいるのではないかと思い至り、これは由々しき事態ではないかとバカみたいに危険をヒシヒシと感じまくっていた。
 ずっと、こんなこと言ってても、御曹司の質の悪い冗談だとばっかり思っていたんだよ。
 都築の背後で姫乃さんの結婚式と俺たちの結婚式を同時に挙げてはどうか、国内外を問わずに多くの参列者を募れば、賑やかで家族円満のアピールにもなるとかなんとか、ニコニコ笑っている姫乃さんや俺たちを無視した会話に盛り上がる都築家の面々も、なんとなく魑魅魍魎の類なんじゃないかと青褪めた俺は、取り敢えず気持ち悪い都築の脛を蹴っ飛ばしていた。

□ ■ □ ■ □

●事例16.都築家が俺についての認識をいろいろ間違えている(俺は嫁じゃない)
 回答:お前さぁ、前も言ったけど、オレを逃すとちゃんとした結婚とかできないぞ。親の勧めなんかで40過ぎぐらいで見合い結婚してみろ、バツイチ子持ちならまだいいけど、メンヘラとか事故物件だったらどうするんだ?そんなお前が可哀想だから、オレが嫁にもらってやるんだよ。有り難く思え
 結果と対策:…そっか。俺が40過ぎで見合い結婚しそうな幸薄そうな顔をしているから悪いのか。だったら都築が同情して俺を嫁にするとか気持ち悪いこと言って、都築一家がそれを何故か受け入れて、派手な勘違いをしても仕方ないんだな。うん、判った。断固として断る!

15.買い物に一緒に行ってみたらいろいろおかしい  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 講義が終わってやれやれと教本やノートなんかをデイパックに突っ込みつつ帰りの用意をしていたら、都築が相変わらず不機嫌そうな顔をして近付いてきた。
 前に先生事件で都築のべったりがバレたとは言え、大学ではあんまり関わらないようにしている都築が自分から近付いてくるのは珍しいから、俺は190超えの長身の大男を見上げながら首を傾げた。

「よう、都築。珍しいな。どうしたんだ?」

「おう。買い物に行くぞ」

「ん?」

 買い物に行こうと思うんだけど、お前も一緒に行かない?が正しい誘い方じゃなかったっけ。
 自分が買い物に行く=篠原も無論ついてくる○…って、この考え方は間違ってるんだからな。
 ニッコリ笑った顔のまま俺が固まっていると、都築は怪訝そうに眉を顰めて不遜な態度で見下ろしてくるから殴りたくなる。

「ふーん、行ってらっしゃい」

「バーカ、お前も一緒に来るんだよ」

「えー…どうして俺がお前なんかと買い物に行かないといけないんだよ?」

 都築が行きそうなところと言えばお洒落な服屋とかお洒落なデパートとかお洒落な…なんかそんなところだろ?できれば肩が凝りそうだから一緒に行きたくないなぁ。

「バカか。デートだろうが」

「…ははっ!そう言うことはセフレとどうぞ」

 思わず乾いた笑いで噴き出したけどよく考えたら気持ち悪かったから真顔になって、俺が片手を振りながら講堂から出ようとすると、都築は後を追いかけてきて唇を尖らせたみたいだ。
 女の子が見たら可愛い!と思わず頬を染めて瞳をキラキラさせる仕草も、男の俺から見たらただ単に我儘なガキが不貞腐れているようにしか見えない。だから、そんな態度をとってもダメなんだからな。

「姫乃と万理華が言ってたんだよ。嫁にするならまずはちゃんとお付き合いしろってさ」

 あの都築お姉ちゃんズは何を弟に吹き込んでいるんだ。
 コイツがまたアレほどセフレだなんだと爛れた生活を送ってきたくせに、恋愛事になるとまるきりのピュアッピュアなもんだから、判らないことや困ったことがあると、だいたいお姉ちゃんズや年端もいかない小学生の妹に助言をもらうってんだからどうかしてるよね。
 お姉ちゃんズはまだいい。
 11歳の陽菜子ちゃんに恋愛相談をするってどうなんだ。ハイスペックのイケメンとしては許されることなのか??

「付き合うと言ったらデートだろ?…オレがちゃんと付き合ってたと言っても、飯を食ってセックスするぐらいだったし、セフレとも同じようなモンだったからさ。デートとかよく判らないから、お前と精神年齢が近い陽菜子にも聞いてみた」

「…」

 そりゃね、陽菜子ちゃんは大人っぽいよ。だからって10代後半の俺と小学生の陽菜子ちゃんの精神年齢が近いってのはどう言うことだ。
 抜群に頭がいいくせに言葉の選び方がおかしいお前が、たとえ天才でもその色素の薄いやわらかそうな頭髪に覆われた頭をぶん殴ってやろうか。

「デートって言うと陽菜子は彼氏と買い物に行くんだと。途中で映画を観たり、パンケーキの店に行ったりするんだそうだ。それで、幾つかパンケーキ屋をピックアップしてみた」

 肩に引っ掛けているお洒落(失笑)な鞄からタブレットを取り出した都築は、俺と肩を並べて歩きながら、ピックアップしたと言う店舗の掲載されたページを見せてくる。

「ここのカワイイモンスターカフェってのがいいらしいけど、お前行きたいか?」

「え?こんなにお洒落な店がある中から、よりによってどうしてそんな男2人で入るには敷居の高い可愛らしい店を選ぶんだ??」

「はあ?別に敷居なんか高くないだろ。お前、何気に可愛いものが好きじゃないか」

 弟が(クレーンゲームで取ったはいいけど始末に困って)くれたキイロイトリのクッションとか、百目木が(サークルの飲み会で当てたはいいが始末に困って)くれたコリラックマの枕カバーとか、高校時代にクリパで引き当てた巨大リラックマのヌイグルミの件についてなら何も言うな。

「じゃあ、まあ一番人気のここに行ってみるか…」

 ブツブツ悪態を吐く都築はタブレットで場所を確認するとバッグに仕舞い、ちょっと楽しそうな仏頂面をしている。

「別に俺、お前と買い物に行くとは了承してないんだけど…」

「はあ?!今日、バイトない日だろッ」

「そりゃそうだけど…って、ホント、お前って俺のバイトのスケジュールを見事に把握してるよな」

 そんなの当たり前だろと、全然当たり前じゃないのに拗ねたみたいに不機嫌になる都築に、俺は半ば呆れながら肩を竦めた。

「…都築はセフレと飯を食べてからゴニョゴニョって言ってたけど、こんなお洒落なカフェには行かないのか?あ、あの華やかグループとかともさ」

「あー…たぶん、行ってるんじゃねえか?」

「んん??なんだ、その返事」

 今日はウアイラだと動きづらいから電車にするかと、電車なんて庶民の乗り物には乗らないんだろうと思っていた俺の認識を打ち砕きつつ、珍しく最寄り駅まで歩きながら都築は面倒臭そうに頭を掻いている。

「セフレと会う時は溜まってるからセックスが目的だろ?それに大学の連中とはレポート絡みとか、それぐらいの付き合いだから店に入っても殆どスマホしか見てねえんだよ。会話も店内にも興味ないしさ」

 そりゃあ、なんとまあ。
 もちろん、何処に行く?にも適当に返事をしてるから店名も覚えていないんだろう。

「アイツ等と適当に話しを合わせて、注文したモノを食ってりゃ時間は過ぎるしさ。最近はそんなことをしてるのが時間の無駄だって判ったから、そんな時間があるのならお前の観察をしているほうが充実しているから誘いも断るようにしてるんだ」

「…それで、最近まっすぐに俺んちに来てるのか」

 絶句していた俺は、ここ数日の都築の動向の意味を知ることとなった。

「そうだ。よく考えたらオレ、連中といてもスマホでお前のことばかり観てるしな」

 いや、おかしいだろそれ。
 都築の気を惹きたいセフレや、華やかグループの連中にしてみたら、そこに都築がいるだけで嬉しいんだろうけど、当の本人は会話も上の空で俺の動画や画像をみてるなんて知ってみろ、期待外れに思い切り凹むんじゃないか。
 外でも動画や画像をみられていると知った俺は、気持ち悪くて鳥肌が立ってるけどな。

「都築さぁ、友達やセフレといるときぐらいは、ちょっと俺から離れよう?動画や画像なんかは家でもみられるんだしさあ」

「…」

 都築は一瞬だけどポカンとした間抜け面をして、それから、ああそうか…と、1人で何事かを考え込んでいるみたいだったけど、納得いっていないように首を左右に振ってから、拗ねたように唇を尖らせてブツブツと言うんだ。

「家には本物がいるんだから動画や画像はみないだろ。外でもみてないし」

「へ?じゃあ、何のために撮ってるんだよ。と言うか、セフレや華やかグループと一緒にいる時に何を見てるんだ??」

 改札を抜ける頃には都築の周囲には女子高生とか、仕事中っぽいお姉さんなんかがチラチラ気にしている風にこちらの様子を伺っているけど、都築はそれらの視線をいっそ潔いぐらいキッパリと無視して、いつものことだけど俺を視姦レベルの凝視で見つめてきながら頷いた。

「防犯カメラの映像をリアルタイムで観てるに決まってるだろ?アイツ等と話しててもつまらないし、セックスしてる時もお前のことが気になるしさ」

 監視カメラか!!
 せめてエッチの間はやめろ!!!

「お前がバイトに行ってる時も、店舗のカメラをハッキングさせてるからリアルタイムで映像が観られるぞ」

「ぐはっ」

 すげえ渾身の一撃で吐血しかかったけど、お前何してくれてるんだ。

「都築、は・ん・ざ・い。犯罪って言葉判るか??監視カメラのハッキングは犯罪なんだぞ?!」

「…何いってんだよ。個人で楽しむ分は許されるに決まってるだろ。別にネットに垂れ流してるワケじゃねえんだし」

 お前はバカかとでも言いたそうな都築の呆れ顔に、あ、これはダメな子だと即座に理解できた。何を言ってもこのダメな都築は意に介さない。
 ヘンなところで頑固だから、言い出したらきかない都築は、巫山戯たツラをして俺をバカにしたように見下ろしてくる。
 くそ、くそ!横っ面を引っ叩きたいッ。

「お前がコンビニで働いているところと、倉庫で働いているところはハッキングしたカメラで録画しているんだ。『村さ来い』は店内に防犯カメラがないからさ、直接行って撮影してる」

 知りたくもなかった事実が次々と並べ立てられた俺が思わずその場に力が抜けて蹲りそうになった時には、お目当ての電車がホームに滑り込んできて、俺の腕をグッと掴んだ都築に「ほら行くぞ」と促されて引っ立てられた時にはもう、悔しいかな、御曹司様とのお買い物同行プランは実行に移されちまっていた。

□ ■ □ ■ □

 電車に揺られながら大男の都築を見上げていると、ヤツは相変わらずの熱心さで俺をジックリと見下ろしてきながら、映画は行くのかとか、欲しい服があるからショップにも行くぞとか、デートとか不穏な単語を使わない限りは比較的普通の友達同士の会話を交わしている。
 ただ、視姦レベルの凝視はやっぱりおかしいと周りも感じてはいるんだけど、時折、俺の言葉で表情を和らげる都築の無敵のスマイルに、何も言えないお姉さんや女子高生やおっさんたちが胸を撃ち抜かれているみたいだ。
 おっさんもか!
 脇目もふらずにジックリと俺を見つめる都築を見ていると、まだ知り合って間がない頃や、知り合いもしなかったゼミの連中と行った居酒屋で、綺麗なお姉ちゃんをサクッと引っ掛けてホテル街に消えていった姿が嘘みたいに思える。
 今だって俺の背後の椅子に腰掛けているOLっぽい綺麗なお姉さんが、チラチラと都築を見ては秋波を送っているのに、綺麗なお姉ちゃんやお兄ちゃんを見慣れている都築の眼中には届いていないみたいだ。
 そうか、綺麗なモノばかり見てきたから飽きてるんだな、コイツ。だから、俺みたいな地味メンでキモオタなんて都築のセフレから陰口を叩かれている俺なんかに興味を示して、最終的にはこんな気持ち悪い流れになっているんだ。
 まあ、でも初めて都築とお外で遊ぶワケだから、俺は新鮮で楽しいんだけど。
 でもデートはないな、デートは。

「この時間からだと映画を観ていたら帰るのが遅くなるけどいいのか?」

「あ、ダメだ。今日は夜からモン狩りするんだ」

「あー、イベントがあるとか言ってたっけ?」

「そうだ」

 この友達感溢れる会話でも、モン狩りやイベントの台詞が都築の口から出る度に、周囲があれ?みたいな顔付きをするのが許せない。
 確かに俺だって、モン狩りするもイベントがあるも、ヲタ顔の俺が言ったほうがシックリくるんだろうとは思う。思うけど、あからさまに反対でしょ的な顔付きはやめて欲しい。
 コイツはイケメンでクールでリア充に見えるけど、家じゃ安物のスウェット姿で頭ボサボサの、PS4の前から生理現象と飯の時以外は一切動かないゲームヲタだぞ。

「せっかく外に出てるんだ。今日は食って帰ろう」

 ちょっと機嫌が良さそうに誘ってくる都築に、俺は確か今日は何も仕込んでなかったよなと記憶にある冷蔵庫の中身と相談して頷いた。

「おう、いいよ。ファミレス行く?」

 たまには外食もいいよね。
 俺の予算ならファミレスが精一杯だ。

「それでいい。オレが奢るから好きなだけ食えよ」

 御曹司で向かうところ敵ナシの大金持ちのビリオネアな都築様ではあるけど、俺んちに転がり込んでくるようになってから、手料理はもちろんだが、もうひとつ都築は食事に関するジャンルを増やした。
 それがファミレスだ。
 ハンバーガー屋だとかチキン屋とかは高校から行っているから最初から知っていたみたいだけど、たまに手土産に山ほど買ってきては俺にアレンジさせてゲームをしながら全部食べてしまう。
 姫乃さんが心配する気持ちもちょっと判ってしまった。

「マジで?やったー!肉を食べる、肉ッ」

「ははは、バカか。そんなに肉がいいなら、ステーキとか鉄板焼きとかのほうがいいんじゃないか?」

「甘いのも食べたい」

 軽くディスってくる都築を無視して訴えると、ヤツは肩を竦めてから苦笑したようだ。

「これからパンケーキを食うのに夜も甘いのを食うのか?すげえな。まあ、オレも甘いのは大好きだからいいけどさ」

 そう、都築はこんなクールなイケメン面をしてるけど、味覚は思い切りお子ちゃまだから、甘いもの大好きなんだぞ。パンケーキなんて本当は俺をダシにして自分が一番楽しみにしていると思う。
 そんで俺をちょいちょいディスってるくせに、ファミレスでも平気でいちごパフェとか食べるんだぜ。
 今回のお買い物にしたって、最大の目的はデートと託つけて、陽菜子ちゃんが言ったパンケーキ屋に行きたかったんだと思う。独りでも平気で行けるヤツだけど、美味しいものは一緒に食べたいとかなんとか前に言ってたから、俺を誘ったんだろうよ。

「そうだな。今からパンケーキなんて食べたら夜が食べられなくなるから、パンケーキをやめて映画にしようか?」

「巫山戯んな。映画は次の休みに行けばいい」

 ほらね。
 ムスッとして、椅子を支える支柱に寄りかかりながら腕を組んだ都築が、ムゥッと胡乱な目付きで睨んでくるから俺は笑いながら謝った。

「…でも、お前が映画のほうがいいと言うなら、そっちでも構わない」

 たぶん、姫乃さんか万理華さんに「相手の意見も聞き入れなければいけない」と教えられでもしたのか、都築はムッと口を尖らせているものの、珍しく譲歩して俺の意見を優先しようとか無理をしてくれている。それがなんだか、ちょっとだけ嬉しかった。

「ははは!冗談だよ、冗談。俺もサイトに載ってたパンケーキに興味津々だ」

「だろ?」

 都築は電車なんて似合わないと思っていたけど、何処にいても自然と溶け込むスキルを持っているせいか、一種独特の雰囲気を持ってはいるものの、長身の派手なイケメンを除けば、普通に大学生が友達とキャッキャしているように見えるんだから不思議だ。
 これから行くパンケーキ屋への期待度が大きいのか、ああじゃないこうじゃないと講釈をたれながら、デフォルトの仏頂面だけど見慣れている俺にはそれなりに楽しそうだって判る。

「でもオレは…お前が作ったパンケーキが一番好きだけどさ」

 不意に電車が揺れて立っていた俺の身体を片手だけで支えると、都築はすっと耳許に唇を寄せて、それから密やかに声を抑えてボソボソと囁くように言ったんだ。
 なんだ、そのイケボは。
 ギョッとして耳を押さえながら俺が見上げると、色素の薄い琥珀みたいな双眸をやわらかく細めて、それから、それから…何、女の子も野郎もおっさんもよろけちゃうような色気垂れ流しのクリティカルスマイルなんか浮かべてんだよ!
 思わず、トゥンク…とかなっちゃうだろ!
 誰がって?隣に立ってるおっさんがだよ!!

「都築でも笑えるんだな」

 俺が全くトゥンク…ともならずに感心して言うと、都築のヤツは肩透かしでも食らったような顔をして、「あれ?セフレはこれで抱き着いてくるのに」とかなんとかブツブツ言いながらムッとしたみたいだった。

「はあ?なんだよ、とっておきの表情を作ってやったってのに」

「作り物なんかいりません。キラリと光る自然な微笑みのみ俺の心を擽るのです」

「なんだそれ」

 どっかの広告みたいな台詞を言ってゲラゲラ笑う俺に、都築のヤツは呆れたように噴き出したみたいだった。
 だっておっさんが顔を真っ赤にしてトゥンクってしてるんだぞ、笑うしかないだろ。そんな無邪気なおっさんを騙してやるなよ都築、せめて、とっておきのイケメンスマイルだったとか言って欲しかった!なんつって。
 都築が笑うと周囲にいる男女は大概の場合を除いては、ほぼ全員がうっとりとした視線を寄越してくる。前の都築はそれで好みのタイプを引っ掛けて、一晩のアバンチュール(失笑)を楽しんでいたみたいだけど、最近は溜まれば手近にいるユキか塚森さんでチャッチャッと済ませると、なぜか慌てたように俺んちに「ただいま」と言って戻ってくる。
 お前んちは一等地の高級タワーマンションの最上階だろって嫌味も受け付けない、剛の心臓の持ち主だなって思うけど、やっぱり武道を嗜んでいると心臓に毛が生えるのかなとか最近は思う。
 武道やっている人全般が都築みたいな言い方はよくないな。こんな変態なんて都築ぐらいだろうし。
 今だってイケメン都築の牡のフェロモンとイケボにクラクラやられちゃった女の子たちがこっちを見てるんだから、色気垂れ流しの都築がばちこーんってウィンクでもしてやれば車両の女の子は全員釣れるんじゃないかな。
 なのに、都築はジックリと俺を視姦レベルで眺めながら楽しそうだ。
 非常に不毛だ。

「都築さ、俺とお出かけで楽しいのかよ。女の子から逆ナンされたほうがいいんじゃないのか」

「何いってんだ、お前。デート中に…むぐぐ」

 それでなくても適度に混んでいる車両内で、なに不穏なこと口走っているんだよ。
 これからコイツと街に繰り出すのかと思うと頭が痛い。
 どうか、おかしなことになりませんように。

□ ■ □ ■ □

「うっせ、ブス。引っ込んでろ」

 開口一番の台詞に飲んでいたカフェオレを噴出してしまった。
 確かに都築のヤツは楽しみにしていたパンケーキに舌鼓を打って幸せを噛み締めていたし、同じく美味しいなぁとイチゴとベリーのパンケーキを頬張る俺をうっとりと眺めて、片手のスマホでパシャパシャ、パンケーキじゃなくて俺を写真に納めていたよ?
 そんな都築の態度に慣れっこだった俺も悪かったのかもしれない。
 超イケメンが(地味メンではなく)ブサメンと一緒なんか超おかしくね?と、隣の席に陣取ってきた女子高生がヒソヒソしているのも気付いていた。気付いていて少なからず凹んではいたけど、誰もが振り返るスーパー(但し残念な)イケメンの都築の傍に居ると、だいたいこんな陰口は日常茶飯事だったからそれも慣れっこだった俺が悪いのかもしれない。
 近頃は俺んちばかりにいたからうっかり忘れていたけど、そう言った陰口を聞くと都築の額にはいつも血管がぷくりと浮いて、気付いたらすげえ毒舌で相手を凹ませるんだよな。
 理由は俺なんかのためじゃなくて、自分が楽しんでいるところに水を差している、白けさせたんならそれ相応の罰は受けてもらわないと…って、完全に自分自身のためになんだけども。
 俺は都築がディスるのは慣れてるし気にもならないし屁でもないんだけど、一般人には相当堪えるようで、確かにこんなイケメンからズバッと言われると人間をやめたくもなるよね。
 俺は別にならないけど。
 女子高生たちはヒソヒソをやめると意を決したように立ち上がって、のこのこと俺たちの席までやって来ると、それから女子高生と言うブランドを武器に可愛らしく笑ってナンパしてきた。
 確かに2人ともすげえ可愛かったし俺ならソッコーでOKしちゃうところだけど、彼女たちは俺なんか眼中にもなくてひたすら頬を染めて、顔を上げもせずに熱心に写真を撮っている都築を見つめ続けている。
 周りにも可愛い子がたくさんいて…って、ここは流行のパンケーキ屋だから彼氏連れは勿論だけど、女の子同士のお客さんがそりゃあ多い。都築じゃなくてこれが百目木や柏木やゼミの連中だったら、ホントはナンパか逆ナン待ちじゃねえだろうなと疑いたくなるぐらいだ。とは言っても、あの連中でこんなお洒落カフェに来てたら逆ナンどころか、キモイと言われて周囲の席が空席になりそうな気がする…うう、なんて自虐的なんだ俺。みんなもごめん。
 彼女たちも都築と話しがしたかったんだろう、女子高生たちの勇気を羨ましそうに窺っていた。
 確かにツラもいいしお金持ちだし育ちの良さも滲み出ているけど、お嬢さんがた、コイツは俺に悪戯する変態なんですよ。こんなヤツに女子高生のブランドを使って本当にいいんですかって聞きたい。畜生。
 そんな勇気ある可愛い女子高生が「うちら2人だし、お兄さんとなら遊んでもいいよ」って気軽に話しかけてきたってのに、いきなり言い放ったのが冒頭の台詞。
 それも俺をスマホで撮りながらチラッとも視線をくれることもせずに、全く興味ナシの冷たい声で。

「……」

 女の子たちは自分が何を言われたのかちょっと理解できない感じでヒクッと頬を引き攣らせたけど、そこはやっぱり天下無敵の女子高生だ。

「なんだよ、おっさん!ちょっとカッコイイからって調子くれてんなッ」

「せっかくうちらが声かけてやったのに、なんだよ男同士でキモイんだよッッ」

 確かに大男だし、これで10代後半かって疑いたくなるぐらい落ち着いても見えるけど、おっさんはないんじゃないかな、おっさんは。
 掌返して悪態を吐くのは流石だけど、今回は相手が悪い。
 自分の容姿が持つ威力を誰よりも理解している、一番質が悪い男だ。

「はあ?勝手にヒトのお楽しみを邪魔しておいてなんだその言い草は。あったま悪そうなクソビッチはお呼びじゃねえんだよ。もう一度そのツラを鏡で見直してから、かけられるもんなら声をかけてこい」

 その時になって漸く都築がフォークを持った手で頬杖を突きながら、小馬鹿にしたように彼女たちのほうに顔を向けた。途端に、女子高生の顔が赤くなったり青くなったりの百面相で、言い返す隙を見失ってしまったみたいだ。
 都築の色気を持った色素の薄い琥珀のような双眸に見つめられて、悪態を吐けるのはきっと世界中では俺と都築三姉妹ぐらいだと思う。
 しかも無駄にイケボだから、耳から犯されて妊娠でもしそうな顔になった女子高生に、ごめんねと謝ってやりたくなった。

「いいか、オレは今コイツとデートしてんだよ。男同士でキモイ?上等じゃねえか。だったらオレがアンタらに興味がないって判んだろ。他にもテーブル待ちがいるんだから、食ったんなら下らねえこと言ってないでとっとと帰れ」

 店内の男女はもちろん、店員さんも女子高生も、そしてさらにカフェオレを噴き出す俺も、ブリザードに荒れ狂う氷点下に凍えたツラになって都築を見ているが、当の本人は腹立たしそうな仏頂面でさらに追い討ちをかけやがった。

「それから訂正しておくけど。篠原はブサメンなんかじゃねえぞ。アンタらよりも数百倍可愛いだろ」

「ぐはっ!もういい、もういいだろ都築!俺のHPが残り少ないぞッ」

 粗方食べ終わっていたしカフェオレを噴き出していた俺は慌てて口を拭いながら、凍りついて固まっている女子高生に「ごめんね、都築がう●こ野郎で」と謝ってから、氷点下の店内に居た堪れなくて、なんで邪魔されたオレたちが出ないといけないんだと食べ終わっているくせにブツブツ煩い都築の腕を引っ掴んで支払いを済ませて飛び出したのがパンケーキ屋での一件だ。
 ブツブツ悪態を吐く都築を掴んでいた腕を離してから、俺はプリプリと腹立たしく唇を尖らせてやった。

「あんな女子高生相手に本気で喧嘩するとかイケメンの風上にも置けないな!」

「向こうが仕掛けてきたんだ。全力で相手してやらないと失礼だろ?」

 フンッと鼻を鳴らす都築のヤツに、俺は呆れ果てて溜め息を吐きながら、どうせさっきの件も今頃SNSにアップされて笑い者にされているに違いないと思いつつ、都築から預かっていた支払いに使用したカードを返そうとした。

「それはお前が持っていていい。お前名義のカードだ。支払いはオレの口座から引き落とされるから気にせずに遣っていいぞ」

「はあ?!何いってんだよ、そんなの貰えるワケないだろ!」

「さすがにオレも普通はカードとか渡さないんだけどさ。お前はオレの嫁だから不自由させたくないんだよ」

 判るだろ?と嬉しそうに人の悪い笑みを浮かべられても、何度目かの絶句に空いた口が塞がらない、お前が全く何を考えているか判らない俺は酸欠の金魚みたいにパクパクするしかない。

「なに面白いツラしてんだ?ほら、さっさと行くぞ。次は頼んでたボトムが入荷したって連絡が入ってさ。そのショップに行きたいんだ」

 腕を掴まれて連行されるグレイの気持ちを味わいつつも、俺は都築になんとかカードを返そうと試みたけど悉く無視を決め込まれ、仕方なく財布に仕舞ってしまったけど、これを俺が使う日は永遠に来ないと思う。
 色素の薄い髪も琥珀みたいな双眸も、異国の血が混じっているから思い切り派手だけど、誰もが思わず振り返ってしまうのはガタイの良さも目立つからだけど、判らないでもないよね。これで芸能人じゃないってんだからすげえよな。
 こんなヤツが一般に紛れ込んでるとか詐欺だと思うよ。
 都築に引っ張られて…腕を振り払わせてもらえなかったので、必然的に手を繋いだ形になっているワケだけど、デートで手を繋ぐまでクリアされてしまって泣きたくなった。
 できれば可愛い女の子と手を繋いでキャッキャウフフフしながらデートしたかった。

「一葉様!ようこそお出で下さいました。お待ちしていたんですよ」

 表通りの豪華な店舗が並ぶ歩道を歩いていて、一際豪華そうなハイブランドのショップに俺を引き摺りながら入った都築に、店舗の奥から姿を見せた店長と思しき若い男が嬉しそうに挨拶をしてきた。
 見た目も綺麗だしハイブランドの服がしっくりくるのは、彼の品のある所作が堂に入ってるからなんだろう。
 俺なんかには目もくれずにフィッティングルームに都築を引っ張って行く後ろ姿を見送ってから、俺はその辺にあるシャツとかジャケットを見て、なんか似たり寄ったりだなぁとか思いながら値札を見て目が飛び出した。
 こんな薄っぺらいシャツ一枚で、弁償とかなったら俺のバイト代が全部吹っ飛ぶ。

「お気に召した品物はございましたか?」

 ニコニコ笑っている綺麗なお姉さんが音もなくススッと寄ってきて、青褪めている俺は都築が連れてきた友人なんだから、こんな冴えない見掛けでも何処かのお坊ちゃんだろうと見込んでいるのか、商魂逞しく幾つかのジャケットを持って「今季の新作なんですよ」とニコヤカに説明してくれる。
 そんな一着ン十万もするようなジャケットは買えないです、ごめんなさい。

「篠原!ちょっと来い」

 思わず謝りそうになる俺を呼ばわる都築に、お姉ちゃんは来たときと同じように音もなくニコヤカにススッと退いて、よく教育が行き届いているんだな、ハイブランドのショップってすげえなと俺を驚かせてもくれた。

「早く来い!」

 少しでも時間が惜しいのか、苛々したように呼んでいる都築にフィッティングルームから追い出されたのか、店長と思しき例の青年が見たことある目付きでムッとしたような表情をして俺を見ている。
 この目付きは…嫌な予感がする。
 こっちは店長のくせに教育が行き届いていないんだなぁと呆れつつ「はいはい」とうんざりしながら広くゆったりしている個室に入ると、注文していたボトムを穿いている都築が鏡の向こうからこちらを見ながら「どうだ?」と首を傾げてくる。

「香椎は似合うと言っているが信用できない。お前はどう思う?」

 香椎というのがさっきの店長さんなのかと思いながら、俺は鏡に写っている都築を見て、それから実際の都築をジックリと眺め回した。

「似合ってるけど、ちょっと丈が短いんじゃないか?それとも、そう言うデザインなのかな」

「そんなワケないだろ、バカか。じゃあ、やっぱりこれはダメだな…香椎!」

 相変わらず意見を求めるくせに応えたらディスってくる長い脚がムカつく都築にムッとしたものの、さっさと脱いでヴィンテージのお高いジーンズに履き替えた都築は顔を覗かせた先程の店長、香椎さんに尋ねた。

「海外サイズの入荷状況はどうだ?」

「このボトムは人気の商品で、海外でも品薄になっているんですよ。恐らく入手は困難かと…」

「そうか。じゃあ、もういい。篠原行くぞ」

「…有難うございました」

 残念そうに頭を下げる香椎さんが可哀想だなぁと思いつつ、そんな香椎さんにボトムを押し付けてスタスタ淀みなく歩く都築の背中を追いかけようとしたら、例のお姉さんから「お帰りですか?」と呼び止められてしまった。

「ああ、あの、有難うございました」

 せっかく、似合わないだろうに俺に似合いそうなジャケットやシャツを選ぼうとしてくれた優しいお姉さんに、言わなくてもいいんだろうけど礼を言っていると、歩いていた都築が足をとめて怪訝そうに見遣ってきた。

「葛城か。コイツに見立てていたのか?」

「はい。都築様のご学友様のようですので、宜しければ弊社のジャケットなど如何かと…出過ぎておりましたら申し訳ございません」

 慇懃無礼に頭を下げる綺麗なお姉さん、葛城さんに片手を振った都築は、それから閃いた!と、また何か悪い予感しかしない顔付きで頷きやがるんだ。

「ちょうどいい、コイツに何か良さそうなのを選んでくれ。来週実家に呼ぶことになっているんだ」

 初耳ですけどッ?!

「都築、実家って…ええ?!」

「いいから、葛城に見立ててもらえよ。きっと似合うと思う」

 ニコヤカに送り出した後、香椎さんが用意したお得意様用らしい座り心地の良さそうな豪華な椅子に腰掛けることもなく、結局、葛城さんにああじゃないこうじゃないとアレコレ注文をつけて、自分が気に入った衣類一式をホクホクと購入しやがった。
 しかも、その間もパシャパシャと俺の写真や動画を撮りまくっていた…フィッティングルームでパンイチになっている姿も確りと。御曹司じゃなかったらたぶん、ただの変質者だよな。
 総額目玉が飛び出す金額になっているのに気にすることもなく、しかもハイブランドのロゴが入っているバッグは自分の肩に引っ掛けて、やっぱり俺の腕を掴むと次は注文している品物が届いているから取りに行くぞと勝手に決めつけて歩き出した。

「誘われたから寝たら香椎のヤツ、フィッティングルームに入る度に必ずフェラしようとするんだよな。溜まってる時には便利に利用できたからいいけど、今日みたいに嫁とデート中は困るから今後はやめろとちゃんと断った」

 聞いてもいない爛れた情報にも「お、おう…」と頷くことしかできなかったけど、と言うかもう、嫁でもデートでもなんでもいい、訂正する体力もない。
 とは言え、あの目付きは都築のセフレに通じるものがあると確信した直感は間違っていなかった…長らく一緒にいるせいで気付かなくてもいいことまで目につきだしていい迷惑だ。

「嫁を優先できるようになったと褒めろよ」

「え、それ褒めることか?普通だろ」

 一般的な彼氏彼女とか、夫婦間ではセフレがいるとか普通は有り得ないからな。
 浮気症な男ならセフレの1人や2人いてもおかしくはなくて、彼女や奥さんを蔑ろにすることもあるのかもしれないけど、俺はそう言うの大嫌いだから、普通は有り得ないに一票を投ずる構えだ。

「そうか、普通なのか…いろいろと勉強することは多そうだな」

 なんか横でブツブツ言ってるけど軽く無視して、俺は腕を引いて首を傾げている都築を見上げると、口を尖らせて言ってやった。
 手を繋いでいる状況を周囲から奇異の目で見られていることはこの際無視だ。気にしていたらHPが尽きるし…

「来週、都築の実家に行くってどう言うことだよ?俺、お前に都合を聞かれたことないんだけど…」

「ああ、姫乃には会っただろ?それを聞いた万理華と陽菜子が自分たちも本物に会いたいと言い出したんだ」

 そうか、大学で姫乃さんにはお会いして思い切り懐かせてもらったんだっけ。でも、万理華さんと陽菜子ちゃんは本物って…あのダッチワイフか!

「万理華さんと陽菜子ちゃんの要望なのか。だったら行くけど」

「…なんだ、ソレ。オレの誘いだったら断るつもりだったのか」

 都築が胡乱な目付きでジロッと見下ろしてきたから、それこそ当たり前だろとプッと頬を膨らませてみせたら、何故かやっぱり都築は「クソッ!」と吐き捨てた。
 なんなんだ、お前は。そんなにムカつくのか。

「だって実家に行く理由が判らないだろ。お前んちで十分だ」

「まあ、それはそうだけど。都合については気にするな。バイトのない日と大学の休講がかぶる日はちゃんと調べてるからさ」

 …うーん、気にしないでおける情報じゃないよね、それ。
 だいたい、どうして都築の方が俺よりも先に俺の都合を理解しているんだ。

「まあいいや。じゃあ、お前の都合で俺を呼び出してくれたらいいよ」

「一緒に行くから呼び出すもクソもないけどな」

 御曹司のくせに口が悪いよな、都築って。
 やれやれと溜め息を吐いていたけど、そう言えばこれから何処に行くんだっけ?

「都築、今度は何処に行くんだ?確か注文していた何かが届いたとかなんとか」

「ああ、ジュエリーショップだ」

「…えっと、嫌な予感しかしないんだけど」

 来週、なんか勝手に都築の本家に行くことが決定していて、服を一式揃えられちゃって、それから今度は宝石店…まさか、指輪とか買ってないよね?

「なんだよ、その目は。お前はアクセサリーとか付けないだろ?だから、ちょっとしたものを買ったんだ」

「断固として拒絶する」

「何いってんだ、巫山戯んな」

 何を買ったかはよく判らないけど、おおかた、また目玉が飛び出るほど高価な買い物をしているんだろうから、それを貰う謂れのない俺はこの場合拒絶するべきだと思う。
 都築のことだから、高価な物品を貢いだんだから…とかで脅してくることはないだろうし、都築からしてみたらこれぐらいの出費はお小遣いでどうにでもなるレベルなんだろう。
 気の遠くなるお金持ちってどんな気持ちなんだろう。都築の傍にいても、コイツ自身があんまり感情を表に出さないからよく判らない。
 悪態は吐くけどひけらかすこととかしないし、量販店の安物でも喜ぶし、ゲームを始めたら動かないし、暇な時は俺の動画や画像を撮ってはパソコンで編集したりしてるそうだし…うん、桁違いのお金持ちになると思考回路がちょっとアレになるんだろうな。

「ここだ」

 その店は裏路地にひっそりと構えている、ハイブランドでもなければ有名でもないけれど、センスの良い店内には静かな雰囲気が満たされていて居心地がいい。
 店の奥から出てきたのは老紳士で、都築を見ると大らかでやわらかい微笑を湛えて恭しく頭を垂れる。

「ようこそお越しくださいました」

「例のモノが仕上がったと聞いたんだが」

「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 年輪を刻んだ皺は温厚そうな表情に深みを持たせていて、どうやらこの老紳士が独りで、この小さな店を切り盛りしているみたいだ。
 都築に促されて奥の部屋に行くと、小さなテーブルと椅子が上品に配置されていて、都築は促される前に腰掛けたけど、俺は気後れしてしまって老紳士に促されて、怪訝そうな都築にジックリと見つめられながら漸くアワアワと着席するような始末だ。
 今までの都築が連れ回した店が店だっただけに、いきなりこんな落ち着いたお洒落な店に連れてこられてしまうと恐縮してしまう。
 都築はそれなりにお洒落で上品な格好をしているから店の雰囲気も壊さずにキマっているけど、俺はTシャツにパーカーの上着とジーンズと言う、凡そこの店に全く不似合いな出で立ちなんだぞ?こんな店に来るんなら一言ぐらい言ってくれてたらよかったのに…そしたら一張羅のジャケットでも羽織ってたのにさぁ。

「前回の、月と星のモチーフは如何でございましたか?」

 老紳士は目尻のシワを柔らかく深めて、薄っすらと笑いながら都築に言って、それから俺に視線をくれた。
 どうやら、あの投げ付けられたキーホルダーはこの店の品物だったらしい。
 こんなお洒落で落ち着いた店には不似合いなほど、とても可愛くてシックリと馴染んでいる俺のお気に入りだ。
 この店はシルバーのアクセサリーも取り扱っているんだな。

「ああ、なかなか好評みたいだ。突き返されてはいないからさ」

 ゆったりとした時間が流れる懐かしい匂いのする店内を、キョロキョロと落ち着きなく見渡している俺と、何時もは落ち着きなくブツブツ文句を言ってばかりのくせに、妙に落ち着き払ってどっしりと構えている都築の前に、馥郁とした香り豊かな紅茶を置きつつ、老紳士は嬉しそうに双眸を細めている。

「左様でございますか。一葉坊ちゃんの大切な方が、今度のモチーフも気に入って頂けることを願っております」

「そうだな」

 饗された紅茶に口を付けながら都築は笑ったみたいだったけど、正直、そんな大人な都築なんか見たこともないから、俺はちょっとドキドキしてしまった。
 なんだ、この動悸は。病気かな?

「こちらは拙宅で焼いたフィナンシェでございます。お口に合えば宜しいのですが…」

「オレはこのフィナンシェが一番好きなんだ。ほら、お前も食ってみろ」

 都築に促されてアーモンドとバター、それからほんのり桜の香り漂う甘いフィナンシェを一口齧ったら、そのあまりの美味しさにほっぺたが落ちそうになった。ほっぺたが落ちそうになるって本当だったんだ!

「すごい美味しい!これ、家でも作ってみたいけど…オーブンがないから無理か」

「ホッホ…有難うございます」

 思わずと言ったように笑った老紳士に、都築はフィナンシェを齧りながら言った。

「マリーヌは元気か?」

「はい、相変わらず騒がしくしております」

「いいことだ。じゃあ、マリーヌにこのフィナンシェのレシピを聞いておいてくれ」

「お気遣いを有難うございます。レシピの件も承りました」

 クスクスと笑う老紳士と都築の会話を聞きながら、どうやらこのお爺ちゃんの奥さんは外国の人らしいなと思った。そう言われてみれば、お爺ちゃんは年だけど洗練されているし、やっぱり国際結婚をするひとはお洒落なんだな。
 都築はハーフだけど日本国籍らしいから、外国の人と結婚するとなると産まれてくる子どもってやっぱりハーフになるのかな?
 どうなんだろ。

「うちにはオーブンがあるから、貰ったレシピで試してみろ。失敗してもオレが全部食う」

「うん、判った」

 下らないことを考えていたら都築が上機嫌にそんなことを言うので、まあ、レシピさえ貰えたら都築んちに襲撃してみるかと思った。たまにはあの微妙に気持ち悪い寝室の様子も監視しておかないと、気付いたらおかしなことばっか思いついた都築がさらに気持ち悪く進化させていたりするからなぁ。

「それでは、お待たせ致しました。こちらが今回一葉坊ちゃまより承りました、アイビーのモチーフのキーホルダーでございます」

「ああ、やっとできたんだな…お前、指輪とかピアスとかしないだろ?だからキーホルダーにしてみたんだ。月と星のキーホルダーと一緒に鍵に付けとけ」

 アイビーの葉っぱをイメージしたキーホルダーは、滑らかなシルバーのリングの中央にアイビーの葉っぱが付いている、お洒落だけど可愛らしい造りになっていた。
 俺はいつも大事に持っている都築んちと自分ちの鍵に取り付けられている月と星の可愛らしいチャームの横に、たった今手渡されて、早く付けろと都築に急かされたシルバーのアイビーを付けてみた。
 擦れあった時、なんだか鈴が鳴るような不思議な音がして、綺麗だなぁと見つめていたけど、不意にアイビーの葉っぱの中央にキラリと光るものが目についた。
 裏側だったから気が付かなかったのか。

「うおぉ…これってダイヤモンド?!」

「当たり前だろ。アイビーと永遠に不滅のダイヤ…本当は指輪で贈りたかったんだけどさ。お前、付けそうにないし」

「ふわぁ…シルバーにダイヤって贅沢だな」

「!!」

 感動してジックリと見ている俺の前で都築とお爺ちゃん紳士が固まった。

「ええと…篠原様」

「いい、藤堂。黙ってろ」

 お爺ちゃん紳士こと藤堂さんが慌てて何か言おうとしたけど、首を傾げる俺の前で、都築が何故かそれを止めてしまった。
 なんなんだよ。

「でも、ダイヤモンドとか入ってたら持ってるのが怖いなぁ」

「そんなに小さいんだ、誰も気付かねえよ。お前は物持ちが良いから落としたりもしないし。まあ、安もんだから気兼ねなく持ってろ」

 作ってくれた人の前で安物とか言うのは良くないと思うぞ。
 こんなに落ち着いた店だから高価なモノかとちょっとビビッていたけど、安物って言うんなら大丈夫かな。たぶん、安いって言っても2~3万はしそうだけど。

「有難う、大事にするよ」

「おう」

 手の中の鍵とキーホルダーを大事そうに握って礼を言うと、都築は満足したのか、もう興味を失くしたようにフィナンシェに夢中になったみたいだ。それを藤堂さんがニコニコと微笑んで見守っている。

「でも、どうしてキーホルダーをくれたんだ?」

 そう言えば、どうしてこんなモノを寄越したのか意味が判らないことに思い至って、俺は首を傾げながらフィナンシェを摘んでいる都築に聞いてみた。

「え?だってデートの時にはプレゼントを贈るんだろ?」

 デフォルトの仏頂面でさらに訝しそうに眉を顰めて、都築は首を傾げながら質問に質問で返してきやがった。
 藤堂さんの前でデートとか言って欲しくないけど、もうその部分はスルーするって決めたしね。

「俺、別に貢いで欲しいとは思ってないけど」

 ムスッとして言い返すと。

「…プレゼントは普通はそんなに贈らないものなのか?」

 都築は途端に不安そうに眉を寄せてしまう。
 そうかコイツ、恋愛スキルは赤ちゃんだった。
 いや、俺に対して恋愛とかそう言うのはどうかと思うけど…

「(ホストとかキャバ嬢とかに)贈る人もいるだろうけど、買い物に付き合う度に何か買って貰うってのは、俺は嫌だな。それだったら、一緒に楽しめることをしたほうがいい」

「一緒に…いいな、それ。たとえば?」

「うーん、そうだなぁ…たとえばゲーセンに行ってクレーンゲームをするとか。それで取れた景品をくれるのは嬉しいかな」

「ゲーセン?何だそれ。行ったことないな」

 おいおい、その年でゲーセンに行ったことないのかよ…ってそうか、都築は高校時代は属さんとか悪そうな華やかグループとつるんでいて、モデルとかやってたから、クラブとかレイヴパーティーとかリア充ちっくな場所には行ったことあっても、ゲーセンは行ったことないのか。一緒に行く人もいなかったんだろうな。
 ゲームヲタなのに…

「よし!じゃあ、今度映画を観に行く時にゲーセンも行ってみるか」

「おう。調べておく」

 俺の提案に都築は仏頂面のまま嬉しそうに頷いた…あれ?俺ってばまた次の約束をしてしまっているぞ。いや、都築とお外で遊ぶなんて1回で十分だ。
 やっぱやめたいと言いかけたけど、都築が鼻歌でも鼻ずさみそうなほど仏頂面で浮かれているから、今さらやっぱ結構ですとか、自分から誘ったくせに絶対に言えないだろうな状態になっていた。
 まあ、いいか。
 貢がれなきゃそこそこ楽しかったし、パンケーキ美味しかったし。
 カフェオレは口と鼻から噴いたけど…
 ふと気付いたら、俺たちと同じテーブルに座っている藤堂さんが、なんだか優しそうに笑って都築と俺を見守っていた。
 ゲーセンなんかを都築お坊ちゃまに勧めてしまって、悪の道に陥れようとしていると思われていたらどうしよう。

「一葉坊ちゃまは、高校時代はそれはそれは悪さばかりされて…もう、悪いことなどされていないことがないだろうと諦めておりましたが、大学生になられてからは落ち着かれましたね。しかもこんなお可愛らしいお友達も傍においでになられていて、今はとても良い子になられております」

「う、煩い」

 都築が友達じゃなくて嫁だけどなと余計なことを補足しながらフンッと鼻を鳴らして外方向いたけど、雰囲気とか都築の反応を見ていると、このお爺ちゃん紳士はまるで都築の祖父みたいだ。でも、都築の祖父は都築グループの会長を現役でしているから、祖父ではないんだろうけど。
 って言うか都築、藤堂さんに心配されるほど、やっぱ悪いことばっかしてたんだな。

「都築って俺んちに来てずっとゲームばっかしてるんですよ!ちょっと怒ってください」

 プリプリと頬をふくらませると、都築は案の定「クソッ!」と悔しそうに吐き捨てるけど、藤堂さんはおやおやと穏やかに眉を跳ね上げて吃驚したみたいだ。

「ゲームですか。昔は少しもされたことがなかったので、良いのではないかと思いますよ」

「でも、視力がなあ」

「もともと視力はあまり良くないから、眼鏡になるならそれでも構わない」

「そう言う問題じゃないだろッ」

 おいおいと思わず突っ込みそうになったけど、そんな俺たちの遣り取りを、やっぱり藤堂さんは微笑ましそうに見つめている。
 うーん、こんなやわらかい双眸で見つめられたら、そうそう都築を怒ることもできないや。

「そう言えば、どうして月と星のモチーフとかアイビーのモチーフにしたんだ?これ、都築が決めたんだろ」

「ああ…夜空の月を見てたらさ、いつも小さい星が寄り添ってるんだよね。アレって大昔からずっと一緒に浮かんでるんだよ。だから月と星にしたんだ」

「ん?それだけ??」

「ああ、そうだけど?で、アイビーにしたのは…お前、アイビーの花言葉を知ってるか?」

「いや、興味がないから調べたこともないな」

「ふうん、まあいい。花言葉が友情、不滅、誠実でさ、ダイヤの石言葉が純潔、清浄無垢、純愛、永遠の絆だったから、これをペアにしたらお前っぽいと思ったんだ」

「ふはっ!石言葉とかあるんだな。でも、アイビーの花言葉の誠実ってお前に一番似合ってない」

 思わず噴き出して笑っていたら、都築はそんな俺をジックリと凝視していたけど、それから徐に肩を竦めてみせる。

「バーカ。そもそもお前に贈ったんだから誠実はお前のことだ」

「へえ、でも不滅の友情とかちょっと格好いいよね」

 掌の中で銀色の月と星、アイビーのキーホルダーが擦れあってしゃらんと綺麗な音を響かせた。

「そうか?」

「うん、大事にしようっと」

「おう」

 握っていたキーホルダーをデイパックの何時ものジッパー付きのポケットに仕舞うのを見つめながら、都築はやっぱり満足そうに頷いて紅茶を啜っている。

「…今日さ、買い物に行きたいって連れ出されたのに、結局俺のモノばっかり買ってたな。都築、お前何か欲しかったんじゃないのか?」

「オレはお前との時間が欲しかっただけだ…なんてな。お前があんまりにもぼっちで可哀想だったから、今日は相手をしてやっただけだ。オレとのデートが楽しかったんだろ?」

「…」

 俺を一瞬だけトゥンク…とさせたイケメンスマイルとイケボな都築は、だがすぐに人の悪い嫌味な笑みで口許を歪めると、フフンッと威張るようにしてぐぬぬぬ…と歯噛みする俺の双眸を覗き込んできやがった。
 ぼっちは誰のせいだ。その高い鼻梁を噛み千切るぞ。

「そっか。俺がぼっちで寂しそうにしていたのが悪いのか。だったら都築がデートなんて気持ち悪いことを言い出しても仕方ないよな。今後絶対に一緒に出かけてやらないって決めた」

「何いってんだ、そんなのダメに決まってんだろッ」

 俺の決意に間髪入れずに全否定してくる都築に、俺はそろそろ冷めそうな紅茶を戴きながらやれやれと溜め息を吐いて、それから不服そうに眉を顰めている都築をチラッと見てからニヤッと意地悪く笑ってやる。

「たった今決めたんだ。残念だったな、映画もゲーセンもなしだ」

「巫山戯んなッ」

 それこそ激怒しそうな都築が藤堂さんの前だと言うのにぎゅうぎゅう抱き着いてきて、俺が「ごめんなさい。映画もゲーセンも行きますってば」と泣きを入れるまで、頬にチュッチュとキスなんかする嫌がらせをしやがった。
 まあ、その後は(多分呆れながら)ニコヤカな藤堂さんが「ぜひまたお二人でお越しください」と言って見送ってくれるのに礼を言って店を後にしてからは、宣言通りファミレスに行って、俺は悔しくてステーキの洋食セットにドリンクバー付きと言う、このファミレスで一番高いセットを注文してやったけど、俺をスマホで撮っている都築には、どうやら痛くも痒くもなかったみたいだった。
 ヤツもステーキを単品で注文して、今日は電車だからさと胡乱な目付きの俺に言い訳がましくブツブツ言いながら、オマケにハイボールを注文していた。
 都築は普段は米沢牛のA5ランクを好んで食べているんだそうだけど、ファミレスの硬い肉とか平気なのかと以前聞いたら、高級な肉は良質とは言え脂がすごいのが玉に瑕で、だからたまにならファミレスの安い肉でもいけるんだと偉そうに言っていた。
 俺もそんな都築が食えと言って持ってきた米沢牛を堪能したけど、肉が溶けるっていうのを初めて経験した。
 それでますます、コイツよくこんな美味いものばっか食べてんのに、俺の手料理とかファミレスとかハンバーガーとかで食事ができるなぁと、得体の知れない都築舌に感心したもんだ。
 珍しく都築は上機嫌で、滅多に(俺にだけ)見せない笑顔を浮かべて周りを卒倒させそうになったけど、「またデートしような」と問題発言をぶちかまして周囲でキャアキャア言っている男女問わずの集団からジュースを噴き出させていた。
 相変わらず都築は、変態なんだけど罪な男だと思った1日だった。

□ ■ □ ■ □

●事例15:買い物に一緒に行ってみたらいろいろおかしい
 回答:お前があんまりにもぼっちで可哀想だったから、今日は相手をしてやっただけだ。オレとのデートが楽しかったんだろ?
 結果と対策:そっか。俺がぼっちで寂しそうにしていたのが悪いのか。だったら都築がデートなんて気持ち悪いことを言い出しても仕方ないよな。今後絶対に一緒に出かけてやらないって決めた。

14.エロ動画を撮っているのに反省しない  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 都築がぶっ壊したドアチェーンを改めて頑丈なものに付け直してはみたけど、都築がその気になればどうせこのチェーンもぶっ壊されるんだろうと言うことは判ってる。でも今回ばかりはぶっ壊したらそのまま俺との関係もぶっ壊れると理解しているようで、都築は大人しく出入り禁止を実行しているみたいだ。
 なので、毎朝恒例の果物や野菜のスムージーの配達は、申し訳無さそうな胡散臭い満面の笑みを浮かべている興梠さんの役目になっていた。
 大学でたまに都築と擦れ違うこともあるけど、そんな時は何か物言いたそうな表情で俺をジッと見据えてくるけど、俺は無視して誕生日プレゼントで弟にもらった携帯音楽プレイヤーで音楽を聴きながら素知らぬ顔を決め込むことにしている。
 姫乃さんに都築と属さんが酷いんですとチクリの報告をしたら、自分たちですら寝込みを襲うなんてそんな美味しいことはしたことないのに!と変な感じで激怒してくれて、姫乃さんからのお達しと言うこともあって都築は大人しくしているんだろう。
 今の間に思う存分セフレと遊べばいいんだ。
 属さんはと言うと、あの後、こっ酷く上遠野さんと興梠さんに叱られたらしく、あのチャラ男が襟を正して真面目に任務を遂行しているらしいから、ちょっとしたお灸にはなったんじゃないかな。
 ただ、俺の警護チームからだけは外れたくないと頼み込んだらしくて、興梠さんの監視なら間違いないだろうってことで、興梠さんの部下として一葉付きを条件として許されたらしい。火に油を注ぐ結果になったような気がしなくもないけど、まあいっか。
 そもそも、男の寝込みを襲うとかどうかしてるんだよ。
 珍しく独りになった俺に興味本位でみんな話しかけてくるけど、セフレを腕に下げた都築が何処かしらから凄まじい殺気で睨んでくるもんだから、そう長くお喋りも出来ずにレポートだとかノートを借りるとか貸すとかぐらいで、あとはそんな灼熱の視線にもめげない百目木とか柏木と話すぐらいで恙無い大学生活を久し振りにエンジョイした。
 それでも都築の我慢は一週間も持たずに、煩く付き纏うセフレをコバエみたいに追い払ったようで、歩いていた腕をグッと掴まれていきなり空き教室に引っ張り込まれた時は殺されるかと思った。
 色素の薄い双眸が我慢の限界を訴えて殺気立っていたからだ。

「…そろそろ許してもいいんじゃないか?」

「許す許さないは俺の勝手だ」

 壁に身体を押し付けられて両腕を折れんばかりに掴まれて顔を覗き込まれると言う恐怖に耐えながらも、自分の意思はしっかりと訴えておかないと都築の場合は調子に乗るからな。あっさり許してたら、もう俺が知るところなんだから次はこうしようとか、余計なことばっかり思い付くんだよ。

「オレは別にお前が無視していようと気にならないけど、属が反省してる。そろそろ全部解禁でもいいんじゃないか」

 今にも食い殺しそうな目付きをしてるくせに、何を属さんのせいにして全部許されようとしてるんだ。

「ふうん。じゃあ、属さんだけ許す」

「何故だよ?!オレが言い出したんだから、オレもお前の部屋解禁でいいだろ!」

「だって、都築は別に俺に無視されてもいいんだろ?それに属さんは俺の初めての相手なんだから大事にしないと」

 俺の前半の台詞にはぐぬぬぬ…っと奥歯を噛み締めたみたいだったけど、後半の台詞に都築は怪訝そうな表情をすると胡乱な目付きで見下ろしてきた。

「…なんだと?」

「だってさ。あの動画、俺の尻に属さんのがちょこっと入ってたんだろ?だったら、俺は処女だったんだから、属さんが初めてのオトコってことになるんじゃないのか?」

 必死で恥ずかしいことをイロイロと思い出した俺が頬を薄らと染めて目線を伏せながら恥ずかしげに言ったもんだから、都築のヤツはすっかりその言葉を信じ込んだみたいで、掴んでいた腕を放すと凄まじく何かを考えているようだ。
 例の動画を思い出そうとしているんだなと思った。
 いや、観た限りでは先っちょだけでも入れないと臨場感がないよと属さんは人の悪い笑顔で言っていたけど、都築の『GO』がなかったから擦り付けるぐらいで挿れてはいなかったんだけどな。
 都築に二度と同じことをさせないように釘を刺すつもりと、これ以上属さんと仲良くならないように牽制するつもりで言ったんだよ。
 でもまさか、これほど怒るとは思わなかった。
 都築は肩に下げていたバッグからスマホを取り出すと、俺では到底真似できない素早さでフリックとタップを繰り返して、それからそのままスマホを耳に当てた。
 俺はこの場からコソリと抜け出そうとそろりそろりと空き教室から出ようとしてたってのに、こっちを見もしない都築の壁ドンで再度壁際に追い詰められてしまった。
 ご機嫌の爽やか笑顔の都築から壁ドンされていたら、トゥンクとかなってたかもしれないけど、今の不機嫌と不愉快と殺気を滲ませた仏頂面では俎板の上の鯉、青褪めたまま好きにして状態だ。

「お前、篠原に挿れたのか?!」

 応答一番で都築が腹の底がビリビリするような声で怒鳴ると、電話の向こうの属さんは話の意図が見えないようで、何かをオロオロと言い募っているみたいだ。それに都築の怒りがさらにヒートアップした。

「どうしてハッキリ断言しないんだ?お前、篠原を好きだとか言ってやがったな。そこに行くから待ってろッ」

 自分でもあの時はどうかしていたと言っていただけに、都築自身、あの日のことはうろ覚え状態だったんだろう。だからこそ、属さんに問い質したのに要領を得なかったから、最悪の事態を想像してぶち切れたんだ。
 自分が仕出かしたことで、自分が大事に思っているものを壊してしまったんだ。
 そりゃ、ぶち切れるか。
 都築はどう言う観点でかは判らないが、どうも俺に対してだけは重度の処女厨らしく、俺が処女じゃないのは絶対におかしい、人間としてどうかしてるレベルに考えてるところがあって、どれぐらいのレベルかと言うと柏木との一件でヤツ自身がどうにかなって俺の寝込みを襲ったぐらい変になるレベルらしい。
 そのくせ、まあ処女じゃなくてもハウスキーパー=嫁にしたんだけどと嘯いていた。
 俺の腕を掴んで無言の怒りのまま空き教室を出た都築は、道行く学生どもがギョッとしても、都築を捜してキャッキャッしていたセフレどもが真顔で「お、おう」と言っているのもまるで無視で、そのまま駐車場に向かっているみたいだった。

「つ、都築!俺、4コマ目があるんだけど」

「腹痛だ、休め」

 何時もの休む理由を口にされてウグッと言葉を飲んだ俺は、ほんの冗談のつもりだった台詞を悔やみながら、引き摺られつつ地獄の仏頂面の都築を見上げた。

「何処に行くんだ?」

「駐車場だ。属がいる」

「マジか」

 あ、そう言えばこの前、姫乃さんが属さんは一葉付きの護衛になりましたとメールをくれてたっけ。駐車場で待機しているのか。
 だったら、早いところアレは嘘でしたって言わなくちゃ。

「都築、あのさっきの話だけど…ッ」

「属!」

 不意に腹に響く恫喝で呼ばわれた属さんが、慌てたようにウアイラの傍らから走り出てきた。
 何が何やらと言いたそうな驚いた表情なのに、引き摺られる俺を見て一瞬、なんとなく不穏な表情になった。

「…坊ちゃん、篠原様にあんまり酷いことは」

「お前、あの日篠原に挿れたのか?!」

 酷いことはしないで欲しいと言いかけた台詞に覆い被さるように都築から怒鳴られて、属さんはちょっとハッとしたような顔をして素早く俺を見た。

「だから都築、あの話は嘘…」

「挿れたかどうかは記憶にないですが、挿入されたと篠原様が仰ったんなら入っちゃったんじゃないッスかね。だったら、ちゃんと責任持って篠原様と付き合いますよ」

 なんとなく話が飲み込めたような属さんは、なんだそんなことかと言いたそうな表情をしてから、酷く生真面目に激怒の都築に応えている。なに言ってんだ、お前。

「巫山戯んな!」

 思わず都築と声がハモッてしまって、俺は慌てて咳払いした。

「属さんも巫山戯ないでください。都築、ごめん。さっきの話は嘘だ」

 掴んでいる腕をちょいちょいと触って見上げながら、俺は心底属さんにも都築にも申し訳ないと思いながら慌てて言い募ると、今にも属さんを殴ろうとしている雰囲気の都築が「ああ?!」と胡乱な目付きで見下ろしてきた。

「だから、嘘なんだってば!お前に二度とあんなことしないように釘を刺すつもりと、それから…お前と属さん、仲良しだろ?姫乃さんが今度はお前付きの護衛になったとか言ってたから、ちょっと仲悪くなってくれないかなって思ったんだよ」

「なんだよ、それは?!」

「うう、悪かったって!お前さぁ、俺のこと好きでもタイプでもないくせに、属さんと一緒になって俺を弄り倒すだろ。これ以上何かされたら嫌だから苦肉の策だったんだよッッ」

 殴られることはないにしても怒り心頭の都築は正直言ってライオンか熊に吼えられるぐらい怖い。その上、その色素の薄い双眸をギラギラさせて覗き込まれたら、さらに腹の底から震え上がって唇まで震えそうになっちまうよ。

「…坊ちゃんって篠原様のこと好きじゃないんですか?」

 不意に、ごめんごめんと謝っている俺と、やっと少しホッとしたように怒りを静めつつある都築に、属さんは有り得ない爆弾を投下してくれた。

「なんだ、てっきり俺、坊ちゃんは篠原様に参ってんのかと思ってた。違うなら、篠原様を狙ってもいいんスね♪」

 にこやかに略奪宣言をぶちかました属さんに、都築の額にぷくっと血管が浮いた。
 目にも留まらぬとかよく聞くけど、確かに呆気に取られてるときに真横で素早い動作をされてしまうと、視界に入らない。いや、入っているんだけど何が起こっているのかまでは視認できないし脳も理解できないようだ。

「…坊ちゃん。アンタ、憖な武道家じゃないっしょ!本気出したら俺より強いんだから殴るのはナシにしてくださいッ」

 下手したら死ぬんじゃないかと思える重い拳を受け止めて、属さんは焦ったように冷や汗を額に浮かべている。もしかしたら、全身、嫌な汗を掻いてたんじゃないだろうか。
 俺だったら間違いなくヒットして吹っ飛ぶぐらいはやらかしただろうその拳を、叩き出せる都築も凄いが一瞬のことでもちゃんと受け止めて防げる属さんも凄い。さすが、セキュリティサービスの人だな。
 俺だって横で空気が斬れるのを初めて体験したよ。オシッコちびるかと思った。

「オレは別に篠原を好きでもなければタイプでもない。だが、お前には言ってるだろ。コイツはオレの嫁だ。主から盗もうとしてるんだ、それなりの覚悟を決めてるから言ってるんだろうな?」

 いやいやいや、お前なにを真剣に言ってくれちゃってるんだ。俺はお前の嫁じゃないし、嫁になる気もない。ましてやお前のモノでもないぞ。

「好きでもないのに嫁にするのはヘンですよ、坊ちゃん。それは篠原様に失礼だ」

 至極まともなことを言う属さんを、思わず顔を上げて呆気に取られたように見つめてしまった。
 都築に関わる人で、まともな人っていたのか…

「なんだと?」

「だってそうじゃないッスか。篠原様を好きじゃないってことは、坊ちゃんには他に好きな人が出来る可能性があるってことですよね。だったらその時、悲しい思いをするのは篠原様だ。そんなの篠原様が可哀想だし、失礼だと思いますけどね」

 そうか、盲点だった!都築に他に好きな人を作らせれば俺が嫁とか言われて恥を掻くことはないんだ!!
 属さん、いいこと言うな。
 不機嫌そうな都築に、重い拳を受けた腕を軽く擦りながら属さんは眉根を寄せて、少し困惑したように俺を見下ろすご主人に口を尖らせた。

「だったら、ちゃんと篠原様を好きな相手に譲るべきじゃ…はいはい、もう言いません」

 ゆらっと色素の薄い双眸で睨むだけで、属さんは若干怯んだように両手を挙げて降参したみたいだった。
 あ、この反応は『都築に他の人を宛がう作戦』を実行したら消されるな。俺からのアクションはやめておこう。うん。

「それじゃ、俺はもとの警護に戻りますんで、また何かあったら呼んでください」

 属さんはやれやれと溜め息を吐いてから、困惑したようにあわあわしている俺をチラッと見て、ちょっと眉尻を下げてから頭を下げてさっさとその場を立ち去った。
 耳にイヤフォンをして、ダークカラーのスーツはちょっと大学だと浮いて見えるけど、都築家ご用達のツヅキ・アルティメット・セキュリティサービスの制服だったりするから仕方ないけど、パッと見、属さんは都築と同じぐらいの長身でイケメンの男前だ。
 何故だろう、俺は背の高い野郎に異常にモテるみたいだ。とは言え、都築は俺を好きでもタイプでもないからモテとはちょっと違うんだろうけど、色んな意味で構い倒されるから、興味は持たれているってことだよな?属さんは堂々と俺のことが好きだから付き合ってくださいって言って、俺に華麗に「ごめんなさい」をされてガックリしていた。
 でも、まだ諦めないのか。怖いし気持ち悪い。

「都築って武道ができるんだな!すげえな!俺、空手とか合気道とか憧れてるんだよね。カッコイイ!」

 拳を握って前に突き出したりキックしながら、俺は都築を見上げて笑った。
 目にも留まらぬってすげえよな。だからどんなに怒っても、都築は俺を殴らないのかと思った。と言うか、誰に対しても、煩わしくても鬱陶しそうにしていても、何時も薄ら笑いで相手にしないのは、拳を出すと死人が出るってちゃんと意識しているからなのか。
 うーん…今後は都築を怒らせないようにしよう。ガクガクブルブル。

「…別に。護身術で覚えさせられただけだ。チビの頃は誘拐とか普通だったから」

 ああ、そうか。今でこそ熊かライオンみたいな風体の大男だけど、コイツにもチビの頃はあったんだ。身代金目的の誘拐だとか、会社にダメージを与える為だとか諸々で、身の危険はそこらじゅうにあったに違いない。

「でもほら、一朝一夕じゃ覚えられないだろ?ちゃんと、真剣に学んだんだな」

「…オレのは古武術だ。真剣も扱う。今度、稽古を見せてやるよ」

「マジか!絶対絶対、約束だからなッ」

 パアッと本気で喜ぶ俺を仏頂面で見下ろしていた都築は、それから小さな溜め息を吐いて、唐突に俺の腰を掴むとグイッと引き寄せられて驚いた。思わず目をパチクリとしてしまった。

「もう、あんな嘘は言うな。全部、オレが悪い。それは認める。だからもう二度とあんな嘘はごめんだ」

「…うん、判った。俺もごめん。もう二度と言わないよ」

 まさかあんなに怒るとか思わなかったし、こんな人目がバッチリのところで抱き寄せられるなんて羞恥プレイをさせられるぐらいなら、軽いジョークのつもりでも絶対に言わない。約束する。
 ウアイラの陰から属さんが呆れたように覗いていたけど、真っ赤になっている俺はそれどころじゃない。早く離してくれないかな。

「じゃあ、もう解禁だよな?」

 ウキウキとしている都築を見上げて、あ、コイツ、今の話題に紛れて前回の件もナシにしようと企んでいるなと、俺の都築アンテナがビビッと反応したからニコッと笑って頷いた。

「もちろん、解禁でいいよ」

「!」

 都築がもし色素の薄いでかい犬だったら「やったぁ!」と吼えて尻尾をブンブン振るんじゃなかろうかと言う幻視が見えたけど、もちろん、ヤツは仏頂面だしニッコリ笑う俺は悪魔だ。

「但し、お前んちのパソコンのハリオイデッラのフォルダに入っている動画を削除したらだけどな。もちろん、完全消去で!」

「!!!!!」

 流石にギョッとした都築は二の句が告げられないのか、酸欠の金魚みたいにパクパク口を動かすだけで声が出ない。衝撃的過ぎて言葉を忘れてしまったみたいだ。うける。
 よく都築にはウケられてるんで、今回は俺がウケさせてもらった。
 都築は呆然としたように「いや、アレは」とか「貴重な記録だから…」だとかぶつぶつ何か言ってるみたいだけど、俺はいっそ全く聞いてないふりで都築の腕を掴んだ。
 動画と画像を全部消せって言ってるんじゃないんだから、どんなにか俺は優しいだろう。

「ほら!せっかく講義をサボったんだから、早く都築んちに行こうぜ」

 これ以上はないぐらいのやわらかい気持ちでニッコリ笑う俺がぐいぐいと腕を引っ張ってウアイラに導くと、都築のヤツは泣きそうな顔をしたままのらりくらりと歩きつつ、「畜生、こんな時ばっかり可愛い顔しやがって」とか何やら物騒なことをほざきやがる。
 それすらも無視してウアイラのドアを開けろとせっつくと、都築の警護だから自分の車に引き上げようとしている属さんが、「うわ、それはないわ…」とか素で言っていた。
 うるせえ、お前らは俺の逆鱗に触れていることを忘れるんじゃねえ。

□ ■ □ ■ □

「別に全部消せって言ってるワケじゃないんだから気を落とすなよ」

 そりゃ、すごい労力でこの短い間に腐るほど溜め込んだんだから、失ってしまうのは心がもがれるほど残念だろうけどな、同じぐらい羞恥心をもがれてる俺の慈悲深さに感謝しろよ。
 ハーマンミラーの椅子に座らせた都築の両肩に両手を添えて、まるで天使みたいな笑顔で悪魔の囁きを吹き込む俺に、都築は両肘を付いた姿勢で両手で顔を覆っている。画面いっぱいの満面の笑みの俺がそのまま後ろにいるんだ、嬉しいだろ?な?な?
 2ちゃんねるとかで良くある、「ねえねえ、いまどんな気分?」ってのを地でやらかしている気がするけど、今の都築にはちょっぴりの同情心も沸き起こらない。
 よく聞けば、あの練習とか巫山戯たフォルダ名の中身は、最初に見た分と都築のピックアップ以外は、全部属さんと一緒になって俺の身体を弄くっていたっていうじゃねえか。属の野郎も今度何らかのえげつない方法で〆てやらないと気がすまない。
 可愛いだのなんだの、気持ち悪いことを言ってるなぁと思ってたら、ほぼ毎晩気持ち悪いことを俺にしていて、その反応を思い出してはそんなことを言いやがっていたんだろう。
 大男から見たら170センチ弱の男は可愛い部類に入るんだろうかとか、真剣に不気味だと悩んじまっただろうが。多少睫毛の長いのが気持ち悪いと言われる地味メンを舐めてんじゃねえぞ。
 ご丁寧に見つかったとき対策とかで、最初は(スマホの?)カメラの撮る部分を覆ってサムネイルに表示されないなんて姑息な技まで使いやがって、アレは誰の知恵なんだ。都築か、属か?どちらかによっては制裁の凄惨さに違いが出るんだ。

「…都築さ。毎晩、属さんと俺を弄ってたらしいけど、属さんは俺のこと好きって言ってたけど、まあ上司の命令だから仕方ないとしても。お前は本当に俺のこと好きじゃないんだなぁと安心したよ」

 都築の肩から手を離して、俺は英字の単なる羅列みたいなフォルダをクリックして、その中から適当な動画を再生した。

「どうしてそう思うんだよ?」

「え?だってさ、好きな相手だったら、誰かと一緒に触ろうとか思わないだろ。俺なんか好きな相手を友達とでも共有するなんてイヤだもん。俺、独占欲が強いのかな?好きな人は俺だけを見て欲しいし、俺もその人だけ見ていたい。他の人に触られて感じてる姿なんか絶対に見たくない」

 どうせ、初心な童貞のファンタジーだなプゲラってとこだろうけど、これは俺の本音だったりする。
 だから、あの寝取られとか大嫌いだ。
 わざと旦那が他の人に預けるとか設定があって、結局、奥さんはそっちの男に惚れて言いなりになったりするのが許せない。
 どう言う心境であんなのを読むのか知りたいもんだ。

「寝取られとか属さんが言ってたけどさ、ああ言うの大嫌いだ」

「…だからオレを軽蔑したのか」

「うーん、それだけじゃないけど。でも、お前にしたら普通のことなんだろうけど、俺は嫌だなぁ。だから、お前が俺を好きで、恋人とかじゃなくて良かったって思ったよ」

「どうしてだ?」

「だから、もし恋人とかだったら100年の恋も一夜で冷めてたから、即お別れするところだったんだ。恋人じゃないから、今はここにいるけど」

「……」

 都築は不意に黙り込んで、ちょうど属さんが半裸で眠りこける俺を抱き締めながら、「可愛い」と言って頬に口付けている動画が流れているモニターを、食い入るように見据えた。
 何かぶつぶつ言っているみたいだったけど、都築は傍らでうんざりしたように眉を顰めて動画を覗き込んでいる俺を横目でちらりと見上げてきた。

「なんだよ?」

 都築の凝視なんて何時ものことだけど、あんまり熱心に見つめてくるからちょっと困惑してしまう。

「…高校時代も最近も、属とはセフレをよく共有していたんだ。3Pとか普通でしてたしな」

「うげ…やっぱ爛れてんな、お前も属さんも」

「お前ならそう言うだろうな。全然気にならなかった。どっちにしてもつまらないから、属が抱いているのを見ても2人でしても何も感じなかったんだ。ただ、溜まったモノを吐き出すだけ、ただそれだけ」

 なのに、と都築は俺を色素の薄い、感情を浮かべない静かな双眸で見つめてくる。
 そんな目で見られても、出てくるのは気持ち悪いって感想ぐらいだぞ?
 軽く眉を寄せて首を傾げながら見つめ返したら、都築は小さな溜め息を零した。

「最初は録画をさせてるだけだった。お前を両手で触ってみたかったから。だがすぐに属が何時ものように自分にも触らせてくれと言ってきて、何時ものことだから納得して触らせた。納得していたはずなのに…胸の辺りがモヤモヤして、腹の底が痺れるみたいで、苛ついていた」

 都築はそこまで言うと、モニターの中で俺を楽しそうに剥いていく属さんに目線を移して、それから苛立たしそうに動画を消してしまった。

「今日、その理由が判ったよ。お前はもう誰にも触らせない。動画も消す」

「…は?ふーん、そっか。俺は消してくれるならそれでいいけど…って、うわ!」

 不意に都築が身体ごと俺に向き直って、それからぎゅうと抱き着いてきた。
 俺の胸元に頬を擦り寄せて、それからすんすんと匂いを嗅いでいるみたいだ。
 どうしたんだろう、突然甘えたくなったのかな。でかい図体して気持ち悪いんだけど。

「お前も、誰にもこの身体を許すなよ。オレ以外に触らせたら許さないからな」

「はあ?!お前、言ってることがメチャクチャだぞ。だって、練習は俺が人肌に慣れるために、28歳でラブラブな結婚をするために協力してるんだって言ったじゃないか」

「それはそのとおりだ。人肌に慣れればいい。28歳でオレと入籍すれば問題ないだろ?」

 ギョッとする俺をぎゅうぎゅう抱き締めながら口を尖らせていた都築は、それから独りで納得したようにニンマリして、「最初からセフレとは違っていたんだ、ムカついて当たり前だよな」とか「属だって百目木や柏木、ゼミの連中と何も変わらなかったんだ」とかなんとか、勝手なことをほざきやがるから、俺はその腕から逃れようと両手を突っ張るんだけどやっぱ体格差と力不足で逃げ出せない。

「何いってんだ!俺は女の子とラブラブな結婚を…」

「バーカ、お前みたいな処女が女となんか結婚できるかよ。オレが幸せな生活を約束してやるんだ、それに、もうオレに慣れてきただろ?」

 …へ?あれ、そう言えば、最近都築に触られても気持ち悪いって思わなくなったな。今だって理不尽な物言いに腹が立っただけで、別にぎゅうぎゅう抱き締められているのは気にならなかった…これって拙いよね。

「あとはセックスだけだな。初夜はやっぱりラップランドのオレの別荘で…」

「はあ、お前さ」

 俺は諦めたように溜め息を吐いて、それから都築の腕を緩ませると、ハーマンミラーの座り心地のよさそうな椅子に座る都築の腿を跨ぐようにして腰を下ろすと、訝しそうに眉を寄せている頬を両手で掴んでその色素の薄い双眸を覗き込んだ。
 琥珀のように深い色を湛えた双眸はそんな俺を興味深そうに、大人しく見入っているみたいだ。

「忘れてるだろ?俺はラブラブで幸せな結婚をしたいんだよ。お前みたいに俺のこと、好きでもタイプでもないなんて言ってるヤツと一緒に居ても、ちっとも嬉しくもないし幸せでもない」

「そのことで考えたんだ。オレはどうしてもお前を好きになれないし、タイプでもないからさ。お前がオレを好きになれば問題ないんじゃないか?好きなヤツと一緒に居られたら幸せだろ」

「なんだそれ」

 呆れたように息を吐いたら、都築は俺の腰に腕を回して抱き寄せながら、至極当然そうにご機嫌の仏頂面で嘯きやがる。

「お前がオレを好きになるのなら、仕方ないから一緒に居てやるって言ってるんだよ」

 なんだ、その偉そうな態度は。

「あのなぁ、都築。何度も言ってるけど、たとえ天地が逆さになったって俺がお前を好きになることなんてないっての」

 途端に都築がムッとしたように唇を尖らせて「お前だってオレを好きにならないじゃないか」とかブツブツと何かを言いやがるけど、俺はそれを無視して、それから閃いたからニヤッと笑って色素の薄い双眸を改めて覗き込みながら言ってやったんだ。

「でも、お前が俺を好きになるって言うのなら、俺の考えも変わるかもな」

「可能性なんてクソ食らえだ」

 フンッと鼻を鳴らす都築にぶぅっと口を尖らせた俺は、その腿から降りながらその高い鼻をキュッと摘んでやった。

「だいたいエロ動画撮って俺を怒らせたのはお前なのに、ちょっと生意気だぞ。反省しろ、反省!」

「…練習は続けるから問題ないだろ。属との動画は消すけどさ」

「はあ?なんだそりゃ、俺はハリオイデッラのフォルダの動画を削除しろって言ったよな?」

「だから、ハリオイデッラの中の属の動画を削除するんだろ」

「…誰が属さんが映ってるヤツだけって言ったよ。俺の動画全部だ!」

「お前はそんなこと言わなかった。ハリオイデッラの中の動画を消せって言ったんだ。だから、属が映った動画は全部消す。それで問題ないだろ?」

 なんなら証拠の音声を聴くかと、スマホを持ち上げて俺に振ってみせる都築は、途端に人を喰ったような嫌な笑みをニヤリと浮かべやがった。
 コイツ、どっか抜けてるお坊ちゃんだと思っていたけど、全然そんなんじゃねえぞ。
 こっちの弱みを見つけたら獰猛な肉食獣のように喰らいついて、それから弱るまでジワジワと追い詰める、紛うことなき野生のハンターだ!

「そっか。俺の言葉が足らなかったのが悪いのか。だったら、都築がそんな風に揚げ足を取っても仕方ないんだよな。今後、絶対に動画は撮らせないって決めた!」

「はあ?!なんだよそれ。嫌だね、俺は撮るぞッ」

 自分が動画を撮るのだから俺に断る必要はない…なんて、どこの独裁者だお前は。
 いいか、都築。俺が常識を教えてやるからな。よく聞いておけ。
 この日本には盗撮って言葉があるんだ。被写体に断りなくエロ動画を撮ったり盗み撮ったりするのは、盗撮って言う立派な犯罪なんだ。
 と、俺が真剣に常識を説いたところで、都築は絶対に聞かない。飲酒運転ダメ絶対!とか、野菜を残すなとか、どうしてPS4を出しっぱなしで大学に行くんだとか、そう言った俺の小言は正座して神妙な顔付きで聞くくせに、自分が信念を持っている行動は絶対に聞く耳を持たない。曲げない。たとえそれがとても理不尽な内容であってもだ。
 でも、小言も神妙な顔して聞くくせに実行は伴わないよな。絶対に都築は俺をバカにしてる。
 何時か絶対、お前がぎゃふんと後悔するようなことをしてやるからな!

□ ■ □ ■ □

 久し振りに弟たちと電話で話したら、自分たちが撮った動画や画像に都築が(違った意味で)興奮して喜んでいたと知って、弟たちが撮っていた写真や動画を興味本位で送ってきた。
 撮り方が上手だから興奮したと勘違いしている弟たちに説明するのも面倒臭いし、自分が撮っている画像をSNSにアップしている弟がガックリするのも可哀想だから、俺は礼を言って昔の画像をスマホのフォルダに格納した。
 どうせ都築から見つけられて欲しがられるか、前回で覚えたかもしれない送信方法で勝手に盗まれるかに違いないけど。
 やれやれと溜め息を吐きながら鍵を開けて部屋に入って、俺は固まってしまった。
 今日は見かけないなぁとは思ってたけど…

「…お前たち、何してるんだ?」

 立ち尽くす俺の前で、都築と属さんが深々と土下座していた。
 困惑して眉を寄せる俺を、2人は恐る恐ると言った感じで顔を上げて見上げてくると、都築がボソボソと事の真相を話してくれた。

「お前がずっと怒っているし、オレにしても属にしても何時までも軽蔑されたままは嫌だから、どうしたらいいか姫乃に相談したら、まずは土下座だと言ったんだ」

 俺が怒っているのはお前がハリオイデッラのファイルを消さないからだろ。
 でもまあ、属さんや都築を軽蔑しているのは確かだし、だいたい独りをこんな大男2人で悪戯しまくるってのは、俺じゃなくても軽蔑するんじゃないか?

「土下座したら、次は美味しいもので詫びろ。それから旅行に連れて行けってことらしい。オレも属もいまいち詫びることが判らなかったから、姫乃に聞いたんだ。これから属と2人で割り勘して寿司を頼むから、許してくれ。それで、温泉も奢る」

 ボソボソ説明する都築も属さんも、これ以上はないぐらい眉尻を下げて縋るように見上げてくる姿は、どうやら本当に反省しているみたいだなと思える。
 都築はこの間、俺に証拠の音声を聞かせて納得させようなんて巫山戯たこと言ってさらに怒らせたから、本当に反省しているかいまいちよく判らないけど、属さんは本当に反省しているんだろう、今にも泣きそうな見たこともない面で唇を噛んでうんうんと頷いている。
 そんな属さんを何時までも苛めても可哀想だから、都築の件はまた後回しにして、俺は溜め息を吐いた。

「ふうん。だったらもういいよ。本当に反省しているみたいだしさ」

「マジか!」

「ホントっすか?!」

 肩に下げていたデイパックを何時もかけている100円で買って取り付けた物掛けに下げると、てくてくと歩きながら上着を脱ぐ俺をパアッと表情を明るくした大男2人が目線で追う。

「じゃあ、寿司を注文する!」

「坊ちゃん、都築家御用達の銀座の店ッスよね?」

 俺が寿司で納得するかどうか心配していたんだろう、ホッとした2人で勝手に話を進めて属さんが内ポケットからスマホを取り出すから、俺は部屋着に着替えるためにアウターを脱ぎながら首を左右に振った。

「寿司はいらない」

「え、何故だ??」

 驚いたように注視してくる都築は不意に少し不安そうな表情をしたから、俺がもういいよと言ったのは完全に見放そうとしているんじゃないかと、却って不安になったみたいだ。

「違うよ。ちゃんと許してる。俺、今日は豚の角煮を仕込んでるから寿司はまた今度がいいなってこと」

 ニコッと笑ってジーンズを脱ぐとスウェットを持ち上げて…ハッとして2人を見たら、都築も属さんもジッと俺のトランクスから伸びる素足を見ていた。こいつ等、絶対に反省してないだろ。
 ぶぅっと頬を膨らませつつそんな2人を睨み据えながらすぐにスウェットを穿いたら、都築が「くそッ」と呟いて床を叩き、属さんが「ホントっすね。可愛すぎますね」とかなんとか言ってなんだか鼻を押さえている。変なヤツ等だ。

「じゃあ、寿司はお前がいい時に頼むとして、だが何もしないのは気が引ける。何か注文してくれ」

 都築も属さんも正座には耐性があるのか、薄っぺらいカーペットを敷いているだけの硬いフローリングの上で正座したまま、納得できないとちょっと不機嫌そうな表情で都築に言われてしまった。

「うーん、別にこれと言って欲しいものもないしなぁ…あ、そうだ!」

 脱ぎ散らかした服を洗濯機に投げ込んでから、デイパックから取り出したスマホをちゃぶ台の上に置きつつ首を傾げていた俺は閃いた!と頷いて、正座したままで俺の行動を熱心に追いかけていた2人に、若干1名はちゃぶ台に置いたスマホが気になっているみたいだが気にせずに言った。

「俺、都築がモデルしてた時の写真が見てみたい」

 パアッと表情を明るくして頷く属さんの隣で都築が青褪めた。
 どうやら都築はモデル時代の写真を見せるのは嫌らしい、よし、じゃあどんなことがあっても見てやろう。ネットで検索すれば出てくるんだろうけど、せっかく本人が目の前にいるんだから直接見せてもらったほうがいいもんね。

「その、今は持ってないし…今度持ってく」

「俺、坊ちゃんが掲載されてる雑誌、ほぼ全部持ってるッス!ちょっと取ってきますね」

「属…!!」

 スクッと立ち上がってさっさと部屋を後にする属さんを都築が恨めしげに見送ったが、ベッドに腰掛けた俺を見るなりグッと言葉を飲み込んだみたいだ。そうだろうな、俺がニヤニヤ笑っているんだから、都築としては弱味だと取られたくはないんだろう。

「お前さあ、モデルって何時してたんだ?今もしてるの??」

「いや、もう辞めた。最初は読モだったんだよ。属と歩いているところを街で声をかけられて。高校までだ」

「その頃は興梠さんじゃなくて属さんが護衛だったのか?」

「いや?護衛は興梠で、属とは遊びに行っていただけだ。言ってなかったか?アイツとオレは同級なんだ。あ、お前とも同い年だな」

「!!」

 衝撃的事実にビックリして目が白黒してしまった。
 てっきり属さんは俺より年上だと思っていたから…ってそうか、それで都築と仲良しだったんだな。

「属は高校を卒業したら進学せずにすぐにアルティメット・セキュリティサービスに就職したんだ」

「もしかして、同じ高校だったとか?」

「ああ、もちろん」

「…そっか。で、同じくモデルをしてたと?」

「そうだな。2人一緒のほうが見栄えもしたから、向こうがそれを望んだしな」

 都築はもう諦めたように溜め息を吐いて全部話してくれたみたいだった。
 属さんが同い年と言う衝撃と都築と一緒にモデルをしていたと言う事実に、俺はどんな顔をしたらいいのか判らずに、袋と何冊か腕に抱えて戻ってきたにこやかに?マークを浮かべている属さんを複雑な表情で見つめてしまった。

「なんすか?篠原様、何かたまってんすか。可愛いな」

「モデルになった経緯を話していた」

 床に重い音を立てて雑誌と袋を置いた属さんの戯言を無視していると、都築がフォローを入れて、なんだそんなことかと言いたそうな顔をした属さんはニッコリと笑った。

「ああ、俺が同い年ってんでビビッてんすね。俺のこと年上だって思ってたみたいですもんね」

 クククッと笑った属さんに都築は肩を竦めたけど、俺は「そのとおりだよ!」と口を尖らせて言い募ると、ベッドから降りて床に置かれた雑誌をワクワクしたように見つめた。

「でも、どうして昔の雑誌を車に乗っけてたんですか?」

 それでも口調はいきなり改まらなかったから、属さんは苦笑しながら頷いて答えてくれた。

「坊ちゃん、昔の写真を見られるのすげえ嫌がるんすよ。だから無理難題とか押し付けられた時の防波堤に何時も車に乗っけてるんです」

「あー…なるほど」

 傍らで両手で顔を覆って見ようとしない都築を見ていれば判る。
 まあ、そんな都築は軽く無視して俺は早速、一番古そうな雑誌を一冊床に置いてページを捲ってみた。
 巻頭には当時人気だったアイドルが大きな顔で掲載されていたけど、ページの中頃、『街で見かけたイケメンくん!』とかなんとか、それっぽいタイトルが踊るページの一番最初に都築と属さんがででんと載っかっていた。他のイケメンはバストアップとか小さく掲載されているのに、2人はデカデカと掲載されていたから、突撃取材のカメラマンもインタビュアーも目を奪われたんだろうってことはよく判った。

「なんで嫌なんだ?カッコイイのに」

「…カッコイイ?」

「うん、カッコイイ。属さん、これって高校何年ぐらいの時の写真なんですか?」

「これは一番最初だから、1年の時ッスね。これと、これなんかは1年の時ッスよ」

「ふうん」

 属さんはちょんまげにしているやっぱりチャラ男風で二カッと笑っているけど、都築は今よりももっと子供っぽくて、少し拗ねたような表情はイケメンに甘さが入っていて憎めない。
 いずれにしてもどっちも、一緒に写っているイケメンが可哀想になるぐらいの一級品だ。

「これは仕事で撮ったヤツっすね」

 属さんが見せてくれたページの都築は少し大人びていて、綺麗なお姉ちゃんの腰を抱えながら写っているのは、まるで世界の中心は自分にあると思い込んでいる傲慢なガキのようにも、確かに両手で掴んでいて叶わないものなんて何もない不遜な成功者のツラのようでもあり、その時に着ている服に似合った表情だなぁと思った。

「…」

 俺が無言で魅入ってページを捲るのを都築は黙って見つめているようだったけど、不意に何を思ったのか、いきなり背後からギュッと抱きついてきた。

「うっわ!」

「坊ちゃん?!」

 俺と属さんは同時に声を上げたけど、都築は不機嫌そうに眉を顰めて、それからぶつぶつと言った。

「長いこと出入り禁止だったんだ。補給させろ」

「はあ?…はは、何いってんだか」

 俺が雑誌を読んでいたり本を読んでいるとき、モン狩りをしている場合は俺が背中を背凭れ代わりにして、モン狩りをしていない場合はいつもこんな風に後ろから抱きかかえてくるから、もう慣れてしまっている俺は都築の足の間に座り直して雑誌に目線を落とした。

「…うーん、坊ちゃん、篠原様を好きじゃないとか言うけど、充分ラブラブなんだけどなあ」

 ブツブツと属さんが困惑したような表情で何か言っているけど、都築の胸板を背凭れにして雑誌を捲る俺は気にせずに、俺の肩に顎を乗せてくる都築に言った。

「やっぱり都会の高校生ってすげえんだな。こんなの見てると、都築たちがモテまくってたってのも頷ける。俺が高校2年の時なんか夏と言えば川遊び、冬と言えばゲーム三昧とか…お前たちが高校のときの俺に会ってたら見向きもしなかっただろうなぁ」

 クスクスッと笑ってページを捲っていると、「高校のときに会ってたら間違いなくレイプしてた」とか「あの頃は性欲が有り余ってたから見境なかったと思うッス」とか、なんとも物騒で不気味なことを言いやがる2人に、やっぱりお前ら反省してないだろうと思いながら、数年後にこんな変態になるとは思ってもいないだろう雑誌の中の煌びやかな2人を眺めていた。

「この当時の坊ちゃんは飛ぶ鳥を落とす勢いっつーんですかね。超モテまくって、高校でもモデルでも喰ってないヤツがいないんじゃないかってぐらいだったんすよ」

「ははは、それって大学と一緒だな」

「…属、余計なこと言うなよ。オレよりお前のほうがあの頃は派手だっただろうが」

「グッ」

 だらしないのは嫌いだと宣言したときから、都築も属さんもできるだけ自分の交友関係を口にしようとしないけど、たまにこんな風に言い合うことがある。なんだよ、モテてます主張かよ。ムカつくなあ。

「あ、そうだ。属さん、ちょっと俺のスマホ取ってもらえます?」

 都築は俺のスマホを自分と俺以外が触るのを殊の外嫌うけど、背後からがっちりホールドされてるのに身動きできなんだ、仕方ないだろ。だからスマホを取ってくれた属さんを地味に睨むな。

「さっき弟が送ってくれたんだけど、俺が高校の頃の動画…ぶっ」

 ちくちくとフォルダを開こうとモタモタする俺の手からスマホを強奪した都築は、片手だって言うのにサクッとフリックとタップを決めて、弟が送ってくれたガキ丸出しの俺の動画を再生しやがった。誰が勝手に観ていいと言ったんだ。俺にだって選ぶ権利ぐらい寄越せ。

『やめろちゃあ、水がかかったらケータイ壊れるちゃ』

 アハハハッと賑やかな声が漏れているのは、どうやら夏のプール開きに向けて、みんなでプール掃除をしている動画らしい。タンクトップの下着と体操着の半ズボンで笑いながら、みんなでキャッキャッしてる動画なんて、お洒落でイケメンな都築たちが見たって面白くもないだろうに、それどころかガキだってバカにされると思ったから選びたかったのに。

「…これ、乳首見えてますよね」

「…半ズボンだと?」

 クソッとなぜか悪態を吐かれている俺の動画が可哀想になって、都築の手からスマホを奪おうとするけど、リーチの違いもあるし腰をガッチリ掴まれているせいで身動きが取れない。奪えない、ぐぬぬぬ…。

『夕方から雪が降るち義母ちゃんが言っちょったけ、やけ今日は早よ帰れよ』

 マフラーをした俺が鼻の頭を赤くして手袋の両手で口元を覆うと、俺を撮っている弟をジロッと横目で睨みつつ方言で注意するけど、なんか動画を撮られているとついつい笑いたくなる俺はやっぱり笑って「やめろちゃ」と言って携帯電話を押しやろうとしていた。

「学ランに方言…クソッ、レアだ」

「レアっすね」

 だから、俺の動画はバトルカードとかじゃねえぞ。

「なんだ、この宝の山は。篠原、これ全部欲しい」

「あ、俺もできれば欲しいッス」

「はあ?あげねえよ。なんで俺の動画をあげないといけないんだよ。これは、俺とお前たちの違いを見せようと…」

 俺がうんざりしたように口を尖らせたけど、都築のヤツは「これ送信はどうするんだ?」とか勝手に聞いて、「取り敢えず、坊ちゃんのパソコンに全部送りますね」とか属さんが答えて勝手に送信しやがったみたいだった。

「おい、画像もあるぞ。これは何時だ?」

 勝手に動画を送信しやがった都築たちは、画像フォルダまで勝手に開きやがって、膨れっ面の俺の目の前にスマホの画面に映った画像を見せてきた。
 山桜が散る中ではにかんでいるまだずいぶんとガキの俺が笑っているそれは、確か高校の入学式じゃなかったっけ。

「高校の入学式だと思うけど…」

「中学卒業したばっかッスか!可愛いッ」

 属さんが薄気味悪いことを言うからげんなりしていたけど、俺は都築が無言でその画像をじっくり魅入っていることに気付いた。
 なんだろう、ものすごく気持ち悪い予感がするんだけど…

「属、オレのスマホにこれを送ってくれ」

 すぐに属さんが俺が止める暇もない迅速さでサクッと送信するから、もう好きにすればいいと泣き出しそうな俺の前で、都築が手にしているスマホがピロンッと鳴って受信を報せ、胡乱な目付きの俺の前でヤツはそれを待ち受けに設定しやがった。

「都築、やっぱりお前気持ち悪い」

「はあ?こんなレアな画像、待ち受けにするだろ、普通は」

 いや、しないでしょ。普通に考えて。

「坊ちゃん、いいなぁ…」

「属はダメだぞ。ひとつなら動画をやってもいいが、全部はダメだ」

「ちぇッ。とんだ独裁坊ちゃんだ」

 お前らは何を言ってるんだ。
 あーあ、ちょっと田舎の高校生と都会の高校生の違いを見比べてみようとしただけなのに、結局画像も動画も全部盗まれてしまった。

「…じゃあ、俺の動画と画像はあげたんだから、この雑誌を全部ください」

 都築の囲いから抜け出せないままぐぬぬぬ…っと歯噛みしていた俺が、頬を膨らませたままでお願いすると、都築は嫌そうに一瞬眉を顰めたけど、属さんは気軽に「いいッスよ」と快諾してくれた。

「これから都築の防波堤がなくなるけど…」

「ああ、心配はご無用ッス。もうワンセット、別の車に乗っけてるんで」

 都築が「お前、なに考えて…」とうんざりしたように属さんを見てブツブツ言っているけど、それだけ準備していないと非常識でとんでもない命令を平気でされるんだなと言うのがよく判って、俺は都築をなんとも言えない表情で見上げてしまった。

「なんだよ、その顔は」

「都築さ、少しは護衛のみなさんを大事にしろよ」

「はあ?」

 属さんが曰くには今の都築は護衛なんか必要ないほど強いんだけど、お父さんと姫乃さんが心配してお守り代わりに付けているだけなんだそうだ。属さんは同級生だし気心も知れているからいいだろうし、興梠さんは昔からのお付きの人だからOKってことで、この2人以外は必要ないと断っているんだとか。

「篠原様に許してもらえてよかったし、可愛い写真や動画も見せてもらえてラッキーでした!んじゃ、俺はまだ任務があるんでこれで失礼しまッス」

 ホクホクした属さんが腰を上げてお暇するのを見送ってから…とは言え、背後から都築にがっちりホールドされているから玄関までお見送りはできなかったけど、俺の動画を機嫌よく観ている都築を振り返った。

「ま、強いってのはいいことだけど。でも、自分の力を過信せずに、ちゃんと危険なときは護ってもらうんだぞ」

 弟に言い聞かせるみたいに呟いたら、俺の腰を抱く腕に力を込めた都築は、それからクククッと笑ったみたいだった。

「了解、お兄ちゃん」

 誰がお前の兄ちゃんだ。
 ちぇ、心配して損しちゃったぜ。
 あったかいけど硬い都築の胸板に凭れてぶうっと頬を膨らませたものの、俺はそうかと頷いていた。
 どうして都築が何をやっても気にならなかったのか不思議だったんだけど、俺、どうやらコイツを弟たちと同じレベルで考えていたんだな。
 そっか、そうだったんだ…でも、この事実は都築には内緒にしておこうと思った。
 何故か、絶対に言っちゃいけない予感がしていたんだ。
 何故かって決まってる、弟ヅラした都築がきっと無敵になりそうな予感がしたからだ。
 長男だけど弟でお兄ちゃんをやってのけてる都築のことだ、甘える加減も、長男でずっとお兄ちゃんの俺より心得ていると思う。
 負ける、絶対に負ける。
 …うん、黙ってようっと。

□ ■ □ ■ □

●事例14:エロ動画を撮っているのに反省しない
 回答:お前はそんなこと言わなかった。ハリオイデッラの中の動画を消せって言ったんだ。だから、属が映った動画は全部消す。それで問題ないだろ?なんなら証拠の音声を聴くか?
 結果と対策:そっか。俺の言葉が足らなかったのが悪いのか。だったら、都築がそんな風に揚げ足を取っても仕方ないんだよな。今後、絶対に動画は撮らせないって決めた!

13.スマホやパソコンのなかみ・寝室などがいろいろ酷い(属、お前もか)  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

「都築のスマホって俺が見てもいいのか?」

 まあ、ダメだろうな。
 セフレとかそうじゃない大事なメールとかイロイロあるだろうから、俺なんかよりも交友関係も広いし、家の事情もあって、俺みたいに開けっぴろげができる立場でもないしな。

「いいぞ。ほら」

 恒例である俺のスマホの内容チェックをしている都築はなんでもないことのように言って、それからベッドに投げ出している自分のスマホを放って寄越すからビビッた。

「へ?…え、いいのか??」

「はあ?見たいって言ったのはお前だろ」

 別に都築のプライベートが知りたかったワケじゃないんだよね。アレだ、前に見せてもらった動画、できればアレを削除したい。
 都築は俺宛の迷惑メールとか女の子からのメールとか、内容をチェックしたら勝手に消してるからな。それに画像も。
 ちょっと前に百目木と行ったイベントで、可愛い初音ミクのコスプレイヤーさんが一緒に写真を撮ってくれたのに、都築のヤツはそれを見つけるなりいきなり消去しやがったんだ。それも完全に。
 もう復旧できないんだぞ、酷い。
 前にフィギュアと言えば喜んで遊びに来ると思ってんだろとか言ってたけど、喜んで遊びに行くような地味メンヲタです、ごめんなさい。
 だから(悔しいから)、脅しの道具にも使われかねないあの動画を勝手に無断で削除してやるんだ。
 …って言うか、もう削除されてたりしてな。
 あ、その考え方が正しいか。コイツのことだから、言い訳に動画を撮ってただけだろうし、下手に動画を観たらセフレとのアレやコレが映ってたらどうしよう。
 うん、観ない。
 でも、好奇心が…ちょっとだけ。ちょっとだけ、観てみよう。
 画像のフォルダはすっ飛ばして、動画フォルダと思しきものを発見したので開いてみた。
 都築には内緒だから音声を絞っておいて、最初に開いた動画はセフレとのモニョモニョで、コイツってハメ撮りとかするんだなと気持ち悪くなった。
 なんだ、これ。1分もない動画はまるで試し撮りでもした感じだな。いや、この相手ってユキっぽいから、初めての記念とかで取ってんのかな。都築ってそう言うの大事にしそうだから。
 とは言っても、一番古い動画がそのハメ撮りの3個で、その下の数十個はありそうなファイルは全部俺の動画だった。
 これ全部俺の動画なのか…気持ち悪いな。
 もう、随分と前のモノから…って、俺がまだ都築と知り合ってもいなかった頃の動画があって吃驚した。
 その動画は僅か1分半ほどの短さだったけど、入学したてで右も左も判らない俺と百目木が、困った顔で笑いながら桜並木を歩いているだけのなんの変哲もない動画。なんだか、エッチな動画を見つけるより恥ずかしいのはどうしてだろう。
 その他は、俺が食事の用意をしている後ろ姿だとか、大学の講義中のものや、本を読んでいるところ、家で勉強しているところやモン狩り中の都築の横で一緒に画面を見ていたり…何時の間に撮ってたんだ。
 そして1つの動画で手が止まった。
 それは雨が降っていて、何処にも行きたくない午後の俺のアパートだった。
 俺がウトウトと眠っているのを撮っていた都築は、小さいクシャミにスマホを床に置いて俺を抱き上げるとベッドに行こうとして不意に立ち止まり、それから思い直したようにアパートの安いサッシの窓辺に腰を下ろすと、俺を抱きかかえたままで雨粒が流れる透明の硝子を見上げている。
 少し肌寒かったのか、俺は夢現で都築に身体をぎゅうぎゅう寄せて、それからぬくもりにホッと安心したような息を吐くと、また夢の中に戻っていったみたいだった。
 声を出さないようにしているから判らなかったけど、都築は何かをブツブツ言って、それから俺の髪に頬を寄せてすごく幸せそうに笑うと、雨の烟る窓の外を見上げて眺めている。その横顔が、とても綺麗だった。
 なんだかおかしな気持ちになったから、俺は慌ててその動画を閉じると、他は全部似たようなモノばかりだったからフォルダそのものを閉じた。
 結局、お目当ての動画を探す気にもなれなかったんだよね。
 画像のフォルダもちょっと開いてみた。肌色だったら閉じようと思ったけど、やっぱりそこにも俺の画像が山ほどあるんだ。
 今度は試し撮りみたいなハメ撮り画像はなくて、大半は料理中の立ち姿だったけど、大学で道を急ぐ俺だとか、トイレに入っていて迷惑そうな顔をしている俺、風呂に入っていて恥ずかしそうな全裸の俺、それから眠っている俺…ってこれ全部、盗撮じゃねえか!!
 思わず都築のスマホを投げ出して、床にガクーッと膝を付きたい気分になったけど、俺は微妙な顔をして都築を見つめてしまった。

「何を見てるんだ?どうしたんだ??」

 そんな俺に気付いた都築が怪訝そうに眉根を寄せて尋ねてくる。

「お前ってさ、ホントにイケメンだよな。でも、気持ち悪い」

「はあ?」

 意味不明だったんだろう、俺のスマホの内容チェックをしていた都築は、俺の手から自分のスマホを取ると何を見ていたのか確認した。

「ああ…別によく眠ってるみたいだったから撮っただけだ」

「ふうん…あ、そうだ。お前、あの動画…」

「動画?!」

 ハメ撮りはパソコンにでも送って別で保管したほうがいいんじゃないかと軽い気持ちで忠告しようとしたら、動画に反応した都築が珍しく頬を真っ赤にしてギョッとした顔をしたから、その反応に吃驚してしまった。
 へえ、コイツでも恥ずかしいとか思うんだな。
 エッチに関することでもケロッと口にして俺を赤面させると、それが面白いって視姦してくるようなヤツが、ハメ撮りを観られて羞恥してるなんてすげえ。
 セックス中でも平気で電話したりメールしたりしてくるから、てっきり、エロシーンを観られても平気なんだとばかり思っていた。

「ははは。なんだ、お前でもハメ撮り観られたら恥ずかしいんだな。じゃあ、やっぱりあの動画はパソコンにでも保管しておいたほうがいいと思うぞ」

「…ハメ撮り?ああ、なんだこれか」

 怪訝そうに眉を寄せた都築は動画フォルダを開いて古い日付のファイルを確認すると、なんでもないことみたいにいきなり3個とも全部消してしまった。

「オレさ、スマホで動画撮るとか考えたこともなくて、何かを残したいとか興味もなかったんだよ。だから動画の撮り方がいまいち判らなかったから練習したんだ」

「…エッチの最中に動画の練習したり電話したりメールしたりするのはやめろよ」

「セックスなんてつまらないだろ?夢中になる時もあるけど、そんなの最近やっとそう思えるようになったぐらいだ。頼まれるからしてるだけで、溜まらなけりゃ本当はセックスなんかしなくてもいいんじゃないかって思ってる」

 面倒臭そうに不貞腐れる都築の態度に驚いた。
 コイツって性欲魔人で無節操だとばかり思ってたのに…でもそう言えば、前に穴なんか誰でも一緒だから外見ぐらいは綺麗なヤツと犯んないとつまらないとか言ってたな。あれはてっきりモテてるのを自慢してるのかと思ってたけど、本当につまらないと思ってたから言っていたんだ。

「でも、相手に悪いだろ」

「心配しなくても最中は誰も気付いてない」

 鼻を鳴らして素っ気ない口調の都築の反応を見ていると、自分は夢中になれないものにきっと夢中になりまくっている相手に違和感を持っているんだろうなと思う。

「ふーん、でも電話されるこっちは迷惑だ。大事な話でも声で…その、よく聞こえないし」

「ああ、アイツらよがり狂って声がでけえもんな。これからは気をつける」

「そうしてくれ」

 呆れて溜め息を吐いた俺は、それからふと思い出した。

「都築さ」

「なんだよ?」

「どうして入学したばっかの頃の、俺の動画を持ってるんだ?」

「!」

 俺はちょっと、声もなく驚いてしまった。
 ギクッとした都築のその反応。
 ジワジワと首からゆっくりと赤くなっていくのも吃驚だけど、バツが悪そうな、苦虫を噛み潰したような顔付きを初めて見たからだ。

「ソレは、その、アレだ。桜が綺麗だったから残そうと思ったんだ。そしたら、たまたまお前が映ってただけだ」

 確かに何時もの不機嫌そうな顔で言われたのなら納得していたけどお前、そんなあからさまに動揺している顔で言われても納得出来ないんだけど。

「ああ、あそこは余所からも来るぐらい有名な桜並木だもんな」

「そうだ」

「…でも、被写体は桜じゃなくて俺だったぞ?」

「………………お前が」

 都築は顔も、耳までも真っ赤にしたままでバツが悪そうに唇を噛んでいるみたいだったけど、どうやら観念したのか、その世にも珍しい表情をもっと見たいと覗き込む俺の顔を押し遣りながら、都築は軽く咳払いして話し始めた。

「道に迷ったからって同じ新入生だったオレに声を掛けてきたんだよ」

「へ?」

「…ち。おおかた在校生と間違えたんだろ。桜の花びらを髪にいっぱい付けて照れ臭そうに笑って大講堂にはどう行ったらいいかって聞いてきたんだ。その場所はパンフレットで知っていたから道順を教えてやったら嬉しそうに笑ったお前が、有難うと言ったんだ。だから、撮ったんだよ」

「…は?」

 今の何処に撮っておこうと思う瞬間があったんだ?
 ああ、でもそう言えば覚えてる。
 有名な桜並木で、満開が過ぎて散り始めた桜がとても綺麗だったから、百目木と夜とか灯りに照らされてたらロマンチックだろうなーとか童貞の妄想が炸裂してたら道に迷って、大講堂の場所が判らなくなったんだ。そこで誰かに聞こう!ってなったんだけど、百目木も俺も、その時は立派な地味メンヲタのコミュ障だったから、誰に聞こうかって、どっちが聞こうかって譲り合いになってジャンケンして、それで負けた俺が新入生ばっかのなかで、眼鏡をかけた大人っぽいヤツが1人、桜の下でぼんやり佇んでこっちを見ていたからてっきり在校生だと思って声を掛けたんだった。
 背が高くてイケメンで、こんなお伽噺の中の王子様みたいなヤツもいるんだなぁって、当時は先輩だって思っていた都築一葉に、恐る恐る声を掛けたんだけど、都築は唐突に不機嫌そうな顔をして突っ慳貪に大講堂の道順を、それでも丁寧に教えてくれた。
 その時はあんな噂とか知らなかったから、俺もこんな風に、格好いい大人になりたいなって…今からじゃ考えられないけど、都築に憧れたんだよなぁ。

「憧れは儚く散ったけどさ」

「?」

 照れ臭さの残った頬を冷やそうとでもするかのように片手でパタパタ扇ぐ都築は、俺のため息混じりの独り言に訝しそうに眉を顰めた。
 そう言えばコイツ、あの時から俺には不機嫌そうな面をしてたな。

「俺が有難うって言ったら動画が撮りたくなるのか?」

「煩いな!桜が綺麗だって思ったんだッ。それだけだ」

 あくまでその言い訳で乗り切ろうとする都築に呆れはしたものの、どんな答えを期待していたワケでもないから、俺は肩を竦めて納得してやることにした。そうしたら都築のヤツはちょっとホッとしたみたいで、そろそろ夕食の準備でもしようかなと立ち上がる俺をジッと見つめていたけど、徐に俺のスマホを見せながら言ったんだ。

「この、画像と動画が欲しい」

「…は?」

「家の前か?ここで笑ってる画像と、高校卒業の時の動画みたいだけど。これが欲しい」

 都築が俺に見せたのは、大学に入学するからと両親がプレゼントしてくれたこのスマホが嬉しくて、高校の卒業式に弟たちが試し撮りだと撮ってくれた動画と、東京に上京する記念だと言って工場の隣にある実家の前で、これまたやっぱり弟が撮ってくれた一番古い画像と動画のファイルだった。
 自分の隠し持っていた動画がバレたと思ったのか、都築はもう隠す必要もないと高を括ったみたいで、大っぴらにそれまで欲しいと思っていたけど我慢していたんだろう要望を隠さなくなった。

「高校は学ランだったんだな。これはレアだ」

 俺のスマホを差し出して頷いている都築に、俺の写真はバトルカードじゃないぞと言いたいのをグッと耐えて、まあ、別に何かに悪用されるってワケでもないから画像や動画のひとつぐらいどうってことないからくれてやることにした。

「なんだ、画像の送信とか知らないのか?」

「興味がなかったんだ。セフレはよく送ってくるけど、オレは送ったことはない。欲しがられても送る気にはなれなかったし」

「ふうん」

 都築ぐらいのリア充になったらSNSとか当たり前で、エッチ問わず動画の送受信ぐらいしてるんだろうと思っていたけど…そう言えば、コイツのスマホの中身って今のところ全部俺のファイルばっかだったな。

「都築ってスマホはこれ一台なのか?リア充ってさ、スマホを何台も持ってるんだろ?」

「はあ?スマホなんて一台あれば充分だろ。姫乃に言って、お前も献立の送受信はこっちでやるようにしたら面倒臭くないぞ」

 それって自分が確認する手間が省けるからじゃないだろうな…

「でも、画像を撮るから俺のスマホの容量だとすぐにいっぱいになるよ。あ、でもそうか。撮って送信したら消せばいいのか」

「消すなんて勿体無いだろ。SDカードを使えばいい」

 都築は容量のあるSDカードを使用しているらしく、あの大量の動画と画像はそっちに格納しているんだとか。だから、一台で事足りると言うんだけど、なんか見られたくないメールとかあるだろうにさ。

「見られたくないメールとかどうするんだよ」

「オレはセフレにスマホを見せる気はない」

 俺んちにいる時は外しているそうだけど、セフレと会う時は前もってパスを入れるんだとか。聞けば、セフレに俺の画像を消されたりするのを防止するためだってことらしいけど…そこまで俺のファイルに価値はないと思うぞ。それよりも、お前自身の個人情報を護るとか言えよ。

「まあ、お前がいいんなら一台でいいんだろうけどさ。ほら、送ったぞ」

 都築のスマホがピロンッと鳴って、受信を告げたらしく、ヤツは満足そうに何やら操作をしているみたいだった。

「そう言えば最近お前んちに行ってないけど、あのダッチワイフとかどうしてるんだ?セフレが気味悪がらないか??」

「…」

 俺の素朴な疑問に一瞬都築は動作を停止したけど、すぐに不機嫌そうに眉を寄せて淡々と聞かせてくれた。
 なんでも、あのダッチワイフを部屋に置いたままセフレを呼んだら、俺が言うように気味悪がられるし貶されるんでムカッとして、仕方ないから実家に持って帰ったんだと。そうしたら姫乃さんともう1人のお姉さんの万里華さんと妹の陽菜子ちゃんが興味津々で、ちょうど泊り込みで護衛に当たっていた属さんに抱いてみろと言ったらしい。

「属はお前を好きだからな。喜んで二つ返事だったらしい」

 都築は不機嫌と不満を併せ持った複雑な表情をして腕を組むと苛立たしそうに話を続けてくれるんだけど…属さん、確かに都築と離れてる時にお世話になったから食事とかご馳走していたけど、最後らへんで付き合ってくれと告白されたんだよな。でも、どうして都築家に関わる連中はみんなゲイを公言するんだろう。
 おまけにエロシーンを三姉妹に見せるなんて…今後、属さんとは絶対に口をきかないし目も合わせない。

「その事実を翌日実家に戻って知ったんだけど、属の野郎、隠しモードまで見つけ出して充分堪能した、あざーっすとか言いやがったんだぞ。姫乃の命令じゃなかったらぶっ殺してやるところだったけど、安心して実家にも置いておけないし、仕方ないからマンションに持って帰ったんだ。で、もう面倒臭いからセフレを家に呼ばないことにした。そうしたら、室内も充実できるって気付いたしな」

 …室内も充実できるだと?

「え?今のお前んちってどうなってるんだ??」

「別に普通だけど?」

 うん、判った。

「明日、お前んちに行ってみてもいい?」

「来るのか?!もちろん、いいぞ」

 都築は俺が都築んちに行くことをすごく喜ぶ。俺んちなんてお前んちみたいに寛いでるくせにどこが違うのかいまいち判らないけど、だけど、そんな都築が気持ち悪くてできるだけあの高級マンションには近付かないようにしていたんだけど…なんか一抹の不安に駆られたんだ。

□ ■ □ ■ □

 高級感満載の煌びやかなマンションを見上げていると、自分の存在が相変わらず浮いてんなぁと思いながらエントランスを潜り抜けてエレベーターに向かった。途中で、何があっても逃がすなと言われているコンシェルジュたちが、素直にエレベーターに乗る俺を見て、みな一様にホッとしているみたいだ。都築がお世話をかけてすみません。
 自分のせいではないはずなんだけど、なんだか申し訳なくてしかたない。
 このマンションは通常のセキュリティと違っていて、エレベーターの横にガードマンが居て、その人が全員の顔を覚えているもんだから、顔パスでエレベーターに乗れる人と乗れない人がいる。乗れない人はどうするかと言うと、なんとホテルみたいに受付に行ってから部屋番号と自分の氏名を名乗って呼び出してもらわないといけないシステムだそうだ。
 顔パスは住民だけで、お客さんはみんな受付へ行けってことらしい。
 信じられるか?ピンポーン、はい?ガチャリ…じゃないんだぞ。
 ピンポンすらない俺んちでは考えられないシステムだ。
 ホテルか会社みたいに電話で呼び出しがあって、約束の相手なら会うし、約束していない相手なら会えないとかって感じなんじゃないかな。いきなりの凸はお断り仕様だ。
 俺の場合は都築が俺の後頭部を押さえつけて青褪めるコンシェルジュとガードマンにくれぐれもと念を押したし、興梠さんにコピーさせた写真を全員に配布すると言う徹底ぶりだったから、誰も同情と遠い眼差し以外は引き止める人なんかいない。それどころか、今みたいに素直にエレベーターに乗り込めば心の奥底から喜ばれる。だいたい、都築のメールや電話にイラッとして引き返そうとするからなんだけど…
 都築はこんな感じでいいんだろうかと、何時も最上階の都築んちに軽い抵抗を受けながらスムーズに稼動するエレベーターで向かう度に、もっと真っ当な道を歩まないと、人間的にも都築グループ的にも拙いんじゃないかと思うんだけど、当の本人が何も気にしていないのでいいんだろうけどとちょっと理不尽な気持ちになってしまう。
 あの時投げつけられたまま俺が何も言わずに可愛らしい月と星のキーホルダーの付いた合鍵を使うのを、都築も黙っているけど、アイツの場合はちょっとご機嫌で黙っているところがある。何か言ったら、きっと俺が返してくると踏んでいるんだろう。
 まあ、何か言ってきたら返そうとは思っているから、最近、都築に俺の生態を把握されているんじゃないかと不安になる。
 特殊なシステムだから非常階段からもエレベーターからも不審者の侵入が、恐らく世界一困難なマンションなので、鍵は特殊な暗証番号だとか指紋認証とかは必要ない、普通のディンプルキーだ。あ、鍵自体は複製し難いディンプルキーだけど、それだって複製されても行き着けなかったら意味がないんだよな。
 鍵を開けて室内に入ると、広い玄関の右手がプライベートエリア、左手がパブリックエリアになっていて、正面にお客さん用の客室に行ける扉がある。俺が「お邪魔します」と声をかけて靴を脱いでいると、リビングから都築がムスッとした顔付きで顔を覗かせて、ご機嫌の不機嫌面とは違うから俺は首を傾げてしまった。

「どうしたんだ?」

「お前、お邪魔しますって言うよな?こう言う場合は、ただいまだろーが」

「…」

 なんだ、そりゃ。

「俺んちじゃねえもん。お邪魔しますで正解だろ」

「ブッブー、不正解です。はい、やり直し」

 脱ぎかけていた靴を履き直して遣り直せと言うことらしくて、このまま靴を履き直して帰ることこそが正解のような気がしてきた。

「…ただいま」

 それでもこのマンションは都築邸なので都築が王様らしく、一応お呼ばれしている俺は素直に靴を履き直して指示に従ってやった。
 だいたい、何時も玄関で小芝居が入るよな。
 変だよな、都築邸って。

「よし、お帰り!大学から直行したんだろ?偉い偉い」

 途端に上機嫌になった都築は呆れ果てながら靴を脱ぐ俺をひょいっと抱き上げて、片手でポンポンッと脱がせた靴を放ると、起き抜けの猫よりもぐったりしている俺を肩に担いで寝室に向かう。
 俺の意思はあからさまに無視らしい。
 ちょっとリビングで一息吐かせてもらおうとか、ジュースやお茶を出せとは言わないから、せめて水ぐらい飲ませてくれたら嬉しいんだけど、俺が来る=都築がやりたいことをするがデフォなのでもう何も言わない。

「お前が珍しくオレの部屋に興味を示したから、模様替えした寝室を最初に見せてやる」

 俺は別にお前の寝室に興味を示したワケじゃない。お前んちがどうなっているのか見たかっただけだ…けど、この場合は寝室を見るで正しいのかな。
 コイツ、家にいる時は殆ど寝室から出ないって興梠さんが困ってたからさ。

「お前、いつも寝室で何をやってるんだよ?興梠さんが引き篭りじゃないかって心配してたぞ」

「興梠、篠原に何を吹き込んでるんだ…別に、ただのネットだよ。株式を見たりイロイロだ。リビングより落ち着くし」

「あー、まあ広すぎるよね」

 都築の肩に揺られながら頷く俺は、興梠さんと2人でも此処は広すぎるよねと思ったりした。
 都築が主寝室のドアを開けて電気を点けると、室内は特別何処かが変わっている感じではなかった。ただ、大きなベッドの向こう、窓辺に机が配置されていて何台かのモニターとかパソコンが設置されているし、その手前に2人掛けぐらいの大きさのソファがある…ぐらいか?
 よかった、セフレを呼ばないとか言うから部屋中に俺の写真とかあったらどうしようかと思った。

「都築、もう降ろしてくれよ」

 いい加減、肩に担がれたままってのはおかしいだろ。
 小さな舌打ちが聞こえたけど、敢えて聞かなかったふりをして、渋々オレを降ろす都築を無視した俺は相変わらずベッドをこんもりさせているダッチワイフに嫌気がさしていたら、その横に見慣れないものを見つけて眉を寄せた。

「なんだこれ?」

「ヲタが偉そうに勿体振るからオレも作ってみた。抱き枕カバーと言うんだそうだ。写真があれば大丈夫だったけど、お前の場合は山ほどあるから選ぶのが大変だった」

 大変だったじゃねえ。駄目だろ、これは。

「ダッチワイフから写真を撮ってねえだろ、これ。どうやって撮ったんだよ?!」

 ムッツリと不機嫌そうな都築に食って掛かったのは、抱き枕のカバーが俺になっていたからだ。それも表に向いている方は何時ものスウェット姿で眠りこけているけど、裏面もあって、そっちは全裸の俺が眠りこけている。
 よく見ると部屋の片隅にはそんな抱き枕が幾つかあって、お洒落な感じに配置されているけど全部俺の顔だとかバストアップの画像がプリントされたクッションがあった。
 前に来た時はなかったソファも、どうも都築がパソコンに向かっている時は、ダッチワイフの俺がこのソファに座らされているようだ。
 なんか、思い切り気持ち悪い部屋になっているような気がする…

「加工だ!…そう、お前が風呂に入っている画像と眠っている画像をコラしたんだ。うん、いい出来だろ?」

 締め上げていた都築の胸もとから手を離した俺が唖然として見渡した部屋は、壁一面の写真よりもさり気なく気持ち悪い仕様に変更されていた。そんな気持ち悪さに呆気に取られている俺に、都築はベッドの上の抱き枕について嘘くさい説明をしている。

「パソコン…パソコンの中を見てもいいか?」

「いいぞ」

 抱き枕から意識が逸れると思ったのか、都築はすぐに電源を入れてパソコンを起動した。起動した画面を見て、その場にガクーッと跪きそうになってしまった。
 まず壁紙が笑顔全開の盗撮された俺の写真だし、気になってスクリーンセーバーを確認すれば学ラン着用で照れくさそうに笑っている俺の動画…あの時送ったヤツか。
 デスクトップには幾つかフォルダがあって、起業に必要なものや大学用と思しきもの、その他雑多なものと、あからさまに怪しい『KS』のフォルダ…俺のだろこれ。
 そう思って開こうとするとパスワードを聞かれる。

「…都築、これのパスは?」

「……全部見ていいワケじゃない。パスが掛かっているのは見たらダメだ」

 少し動揺したような顔で不機嫌そうに言う都築を、冷ややかに見返した俺は無言のまま前に向き直る。自分が全開で笑っている顔とご対面はかなりHPを削られるな。

「……」

 カタカタとまずは思いつく数字を打ち込んでみる。俺の誕生日だ。
 これは開かないか。
 ああ、もしかしたら俺と都築が初めて会話したあの入学式の2日後の日付はどうかな。都築はそう言う記念日的なモノを大事にしてるからな…ダメか。前に都築が聞いてもいないのに教えてくれた誕生日…適当に俺の誕生日と都築の誕生日と入学式の2日後の日付を入れてみたら、すげえ開いた!

「なんで開けるんだよ?!」

 都築もビックリだ。

「お前、頭いいけど単純だな。こう言う時はアナグラム的にさ、数字を並べ替えるとかしたらいいんだよ」

 あ、余計なこと言っちゃったかな。
 でも、都築のヤツは開いたことに動揺しているみたいで、俺の台詞なんか一向に聞いちゃいねえみたいだ。だったら、よし。
 開いたフォルダを見てそれでも俺はちょっとホッとした。
 都築が隠したがるから何か見てはいけないモノが隠されているんだろうと思ったけど、中にはただ膨大な量の俺の画像と動画があるぐらいだ。いや、もちろん、この量の画像も動画も気持ち悪いけど、見た感じ、肌色っぽいのはないので一安心だ。

「ん?なんだ、この記号みたいな文字のフォルダは」

「あ、それは開くな!」

 都築が思わずと言った感じで電源を強制的に落としやがったから、俺はそのフォルダを見ることができなかった。
 怪しいぞ。
 非常に怪しいぞ。
 確かharjoitellaって書いてたよな。
 少し青褪めて唇を引き結んでいる都築を疑いの眼差しで見上げていた俺は、それから徐に立ち上がって都築をビクつかせてから、都築の肩から降ろされたところに放置していたデイパックのところまで行くと持ち上げた。
 スマホを取り出して翻訳アプリを起動する。

「えーっと、H、A、R、J、O、I…」

「ハリオイデッラ、harjoitellaだ。日本語で練習って意味のフィンランド語だ」

 俺の行動の意味を知ったようで、都築は諦めたように答えを呟いた。

「練習?…俺はお前と何か練習してたんだっけ?」

「…」

「パソコンのハリオイデッラのフォルダを見せてくれるよね?」

 俺がスマホを持ったままでニッコリ笑うと、都築は息を呑んだようにそんな俺をジックリと見据えていたけど、やっぱり諦めたように溜め息を吐いたみたいだった。

□ ■ □ ■ □

「都築、前から変態だ変態だって思ってたけど、本当にどうかしてるな!」

 傍らでしゃがみ込んだまま両手で顔を隠している都築を、椅子に座ったままで胡乱に見下ろした俺は呆れを通り越して溜め息すら出ない。
 都築は確かに練習していた。眠っている俺を相手に。
 前に寝ぼけた俺にフェラさせた時に閃いたらしく、都築は俺に睡眠学習をさせているのを赤裸々に一部始終録画してパソコンに保存していたんだ。
 内容は大半がエロいことではあるけど、目を背けたくなるほど酷いものじゃないのが却ってリアルで、都築が俺に何をさせたいのかいまいち判らない。
 夜中にすやすやと眠っている俺を半覚醒状態で起こし、ひとつずつ指示を出してキスさせたり抱きつかせたり甘えさせたり…たまに乳首を抓んだりチンコを擦ったりしているんだ。

「…都築って俺のこと好きなのか?」

 そうじゃないとこんなことさせる理由が判らない。
 首に両腕を回して抱きつかせると、俺が都築の頬にすりすりと頬擦りしたりしている気持ち悪い動画や、都築の無精ヒゲが痛いとむずかるのをあやすように抱きかかえると、俺の頬にキスを落とす動画などなど。
 都築じゃなくて俺のほうが真っ赤になって顔を覆いたい。

「別に好きじゃない、タイプでもない」

 顔を覆ったままの真っ赤な首筋を見下ろす俺の耳には、相変わらずの都築節がくぐもった声音で届いてくる。

「じゃあ、どうしてこんな動画撮ってるんだ?なんの練習なんだよ」

 一見すれば、まるで付き合い始めたばかりの恋人が、2人きりで甘い時間を過ごしているような設定のなんかアレな動画なんだよな。エロビデオとかのストーリーものの最初に流れそうないちゃラブシーンみたいだ。気持ち悪い。

「…お前が28歳になったら幸せな結婚をするとか言うから、その希望を叶えてやるために睡眠学習をさせているんだ」

 見られて恥ずかしいと思っているくせに、饒舌に言い訳を口にするところを見ると、どうやら随分と前から見つかった時の講釈は考えていたみたいだな。

「お前は本当に初心な処女だから、人肌に慣れる練習をしていたんだ」

「…そっか。俺が28歳でラブラブな結婚をしたいとか未来予想図を言ったのが悪いのか。だったら都築が眠っている俺を半覚醒状態にして気持ち悪い動画を撮ってても仕方ないんだよな。今後絶対にソフレを解消する」

「巫山戯んな。善意の練習だ。ソフレはやめない」

「じゃあ、もう二度と睡眠学習とかするな」

 …と言っても、眠っている俺が今後何をされるかなんて判りっこない。
 だから、俺は半ば諦めの境地で首を左右に振った。

「何かさせたいなら、どうせ眠ってるんだから何をされても気付かないからもういいけど、でもエロいことは絶対にするなよ。この間のフェラみたいなのは勘弁して欲しい。暫く食欲がなかったんだからな!」

「…判った。善処する」

 善処するって何だ、善処するって。そこは判りました、絶対にしませんが正しいだろ。
 だいたいこの動画の数はなんだよ、ほぼ毎晩、俺を弄り倒してキスしたり甘えさせたりしているんじゃねえか。

「都築、こんな動画撮って何か面白いのか?」

 俺が頬杖を付いて見つめる先、モニターの中で胸を揉んだり乳首を抓まれたりして頬を染めて嫌がる俺を、都築がうっとりしたように目尻を染めながらじっくり観察して、それから気分が昂じたのか口を塞ぐようにしてキスする動画が流れていて頭を抱えたくなった。

「…別に面白くてやってるんじゃない。お前に人肌を慣れさせるためにやってるだけだ」

 体育座りでプイッと不貞腐れて外方向く都築が本気でそんなことを考えているんだろうかと首を捻りたくもなるけど、こんなことで本当に人肌に慣れるもんなんだろうか。

「こんなことしててもただ都築に慣れるだけで、女の子に慣れるとは思えないんだけどなぁ」

 ソフレしてて都築の匂いに慣れ始めてからは、コイツが傍にいても嫌な気もしないし、肩に抱え上げられても最初の頃みたいな違和感もなくなったから、睡眠学習なんかされても都築の存在にますます慣れるだけで、女の子には相変わらず軽いコミュ障のまんまだと思うんだけどね。

「ふうん。でもまあ、それもいいと思うけど…」

「は?」

「なんでもない。もうお前にもバレたし、これからは堂々と睡眠学習をするからな」

 開き直った都築のヤツは、いや少しは遠慮しろよと俺が慌てるのを無視して、いくつかの動画をピックアップして俺に観せようとする。
 もう、動画はお腹いっぱいですと言っているのに、隠すものがなくなると大胆になるのが都築で、俺からマウスを引っ手繰って嬉々として観たくもない動画を山ほど観せてくれた。
 俺の身体中を隈なく撫で擦る都築の両手に、ぴくんっと身体を震わせながら反応する俺を舐めるようにカメラが移動しているのを見ながら、都築に触られても最近、全く嫌じゃなくなったのはこの睡眠学習のせいじゃねえだろうなぁと胡乱な目付きになっていた俺は、それから唐突にハッとした。
 この動画、何かおかしい。
 俺は動画から自分の両手に目線を落として、それで何かをサワサワ触る素振りをしてみた。そんな俺をマウスをクリックして動画を早送りしたり消したりしている都築が訝しそうに怪訝な目付きで見下ろしてくる。

「…ああ!これ1人で撮ってないだろ?!!深夜の俺んちにいったい誰を入れてるんだ。興梠さんか?!」

 興梠さんだろうなぁ、こんな変態都築に協力するのなんか。

「……」

「なんで答えないんだよ?答えられないことやってんのかよ」

 都築がそそくさとマウスで動画を消してOSをシャットダウンさせると、素知らぬ顔の胡散臭さに苛ついてその胸もとをグッと掴んで睨み据えた。そうされると、流石に都築もしらを切りとおせないと判断したのか、観念したように白状した。

「…属だ」

「属さんと高校のときはブイブイしてたって言うけど、こう言うあくどいことする時は何時も属さんだな」

 お前たち仲良しだな。
 もう絶対に属さんを食事に招待なんかしてやらない。

「それから、暫くお前、俺んちの入室禁止な」

「は?!嫌だッ」

「嫌だじゃない!家主に断りもなく他人を入れて、家主を裸に剥いて動画を撮るような危険極まりない要注意人物なんだぞ。俺の心の衝撃が去るまでは立ち入り禁止だッッ」

 本当に属さんなのか確認するために、もう一度都築を押し退けてパソコンを起動すると、俺の笑顔の壁紙にHPを削られながら動画を再生した。
 何時から属さんを入れているのか気になったし…それに、色々とありすぎて俺の脳が軽くブルーバックしかかっていたせいで、ファイルの日付を確認するのを忘れていた。
 一番古いファイルは…これフェラ事件前じゃねえか!
 コイツ、こんな前から俺の寝込みを襲っていたのか。

『寝惚けてら…可愛いなぁ。そうだ、坊ちゃんに報告しよっと』

 一番最初の動画は先生事件後のフェラ事件前で、その動画に入っている声はどう聞いても都築じゃない。属さんだ。
 属さんは眠っている俺の唇を撫でると、モグモグと何かを食べているように口を動かしている俺を撮っているみたいだ。
 頭を抱えたくなったけど、無作為に選んだ次の動画を観ようとしたら、慌てたような都築に止められてしまう。

「それはダメだ。面白くない」

「…よし、観る」

 都築が止めるなら観るしかないだろう。
 マウスで再生をクリックすると、都築はまた両手で顔を覆ってその場に蹲ってしまった。

『坊ちゃん、カメラ固定した方がいいですか?』

 属さんの声がわりとクリアに聞こえるから、これだけ普通に喋っても起きないとか、俺、なんかの病気なんだろうか。

『いや、オレが撮るから属がやれ』

『はいはーい。喜んで』

 動画は声だけでまだ真っ黒い画面が出ているだけだったけど、ちょっと陽気な属さんの声がして、カメラなのかスマホなのか、ちょっと判らないけど画面がガチャガチャと揺れたら、何故か全裸の俺が自分のベッドで横たわっている姿が映し出された。
 今までが服を着ていた状態だったから安心していたけど、全裸もあったのか…ガクーッと床に両手を付いて蹲りたいのはこっちなのに、都築は若干青褪めて目線を泳がせている。

『こんな感じでどうッスか?ザ・寝取られって感じでよくないッスか』

 俺の横に下半身裸の半裸で横たわった男前の属さんが、ひとの悪い笑みを浮かべて俺の片足を抱え上げると、既にオッキしている逸物を尻から前方に擦り出しながらカメラのこちら側にいる都築に言っている。

『挿れるなよ。処女じゃなくても経験は1人で止めておきたい』

『了解でーッス!でも、先っちょぐらい挿れないと臨場感がないッスよ』

 そう言って属さんは、どうやらローションでも使っているのか、少し滑る先端をわざとらしくグニッと俺の尻の穴に擦り付けたんだ。画面が少し揺れて都築が何か言おうとした時だった。

『や…いや、やめて、くれ……』

 最初、これが例のダッチワイフならいいのにと儚い希望を持っていたけど、瞼を閉じたままで尻穴の危機を察して身体を捩る俺の額には汗が浮いていて、これが生身の人間、つまり俺自身だと如実に物語っていて腹の底が冷えた。

『拒絶されると犯してるみたいでヤりたくなりますね。ちょっとだけ突っ込んじゃダメっすかね?もう、処女じゃないんでしょ』

 唇の端をペロリと舐めながら、属さんが不穏な笑みを浮かべて俺の顎に手を当ててグイッと顔を上向かせると頬に口付けて、尻に逸物の先端をこれ見よがしに擦り付けて逡巡している都築を煽っている。どちらかと言うと、都築はお坊ちゃまだけど、属さんはワルイ男って感じだな。

『坊ちゃんを蔑ろにして男とホテルに行くなんてワルイ子はお仕置きしちゃいましょうよ』

 さらに唆す属さんに都築は考えているようだったが、それでもやっぱり、何か気に食わなかったのか、都築は属さんを止めたみたいだった。

『もういい。今日はここまでだ』

『ええ~、これからじゃないッスか!…はいはい、そんな睨まなくても止めますって』

 属さんは残念そうに肩を竦めて俺の足を下ろした。どうやら都築には忠実なようで、それ以上の悪戯はしないまま、画面が黒くなって動画が止まった。
 ファイルの日付を見ると、都築が先生とイチャラブしていて、ムカついた俺が柏木とホテルに行った2日後の深夜の日時になっている。
 属、あの野郎…

「都築、すぐに属さんを呼べ」

「…悪かった。あの日はどうかしていたんだ。柏木に寝取られとか言われて頭に血が昇って、属と話したらお仕置き動画を撮ろうってことになって」

「お前の言い訳はいい、属を呼べ」

 都築はその時になって漸く、俺が心底腹を立てていると言うことに気付いたようで、ちょっと青褪めながら息を呑んで、それからスマホを持って連絡したみたいだった。

「5分で来る」

「…」

 怒りのオーラを漂わせた俺を巨大な図体をしているくせに、都築は恐れているような態度で見下ろしてくる。
 都築がアワアワしている時に合鍵で入ってきた警護の属さんは、相変わらずな若干チャラ男っぽい男前のツラをして、スーツでバッチリ決めて姿を現した。

「あ、篠原様だ!相変わらず、すげえ可愛いッスね」

 長身の男前は嬉しそうに顔を綻ばせたものの、都築の青褪めた相貌と、俺の胡乱な目付きで逸早く何事かを察したようにすぐにグッと言葉を飲み込んだみたいだった。

「都築、属、そこに座れ」

 ゆらりと座り心地のいいハーマンミラーの椅子から立ち上がった俺の背後に立ち昇る陽炎のような殺気を感じ取ったのか、都築と属さんは何も言わずに大人しく床に正座をした。
 都築が目線でバレたと伝えているらしく、属さんは思い当たることが山ほどあるのか顔を顰めて肩を竦めたみたいだ。

「属さん。その節は護衛の任務を有難うございました」

「…いえ」

 慇懃無礼な俺の態度に短く答える属さんは、以前のような親しみ易さが失せていることに気付いたみたいで、残念そうに眉を顰めている。その傍らにしゃがみ込んで、ギョッとする属さんの肩に気安げに腕を置いて、こんな時なのに地味に嫉妬する都築を無視して俺はニッコリと笑った。

「属さんは当時、姫乃さんの言い付けで俺を護ってくれてたんですよね?」

「…そのとおりです」

「ですよね。でも、おかしいなぁ。属さんが護ってくれていたのに、俺が知らない間に、深夜に都築が家に入り込んでいたんですよ」

「…」

「これって由々しき事態ですよね?しかも俺、都築に裸に剥かれちゃってたんです」

「それはその…」

「で、なぜか裸の俺の横に属さんが寝てるんですよね、フリチンで。非常に拙い事態じゃないでしょうか」

「はい、とても」

「ですよね…さて!」

 ニッコリ笑って頷くと、俺は勢いを付けて立ち上がった。
 あまりの怒りに少し立ち眩みを起こしそうになったけど、頑張れ俺。

「何時もはなんとなく許してる俺だけど、今回は絶対に許しません。事実確認もできたので、この件は姫乃さんにも報告しておきます。それから都築、お前はさっき言ったように暫く俺んちの立ち入り禁止だ。属さんは未だに俺の護衛を姫乃さんが依頼しているらしいので即刻中止してもらいます」

「嫌だッ」

「嫌ですッ」

 俺の言葉が終わるやいなや、まるで申し合わせたように2人が同時に声を上げた。

「嫌だじゃないッ!!」

 激しい怒声に、今回ばかりは俺の怒りが凄まじいことを知ったのか、都築と属さんは青褪めたままグッと言葉を飲み込んだみたいだ。
 だいたいこれだけのことをしておいて嫌だってのはなんだ、一体何歳だお前ら。
 一歩間違えたら犯罪なんだぞ。

「お前たちはひとの良心を逆手に取って、自分勝手に好き放題しやがったんだぞ!誰がニコニコ笑って許してくれると思ってるんだッ。こんなこと、本当は絶対に許されるべきじゃないんだぞッ。特に属さん、あなたは信頼を寄せる人間を護るべきお仕事じゃないんですか?!」

「…」

「その人間の寝込みを襲うなんて…姫乃さんの良心に謝ってください。俺はあなたを見損ないました。軽蔑しますッ」

 都築に似た男前のくせに、正座したままでちょっと情けないぐらい眉を八の字にして縋るように俺を見上げていた属さんは、それから観念したように項垂れてしまったようだ。

「都築も御曹司だからって誰にでも言うことを聞かせられると思うな。俺はお前も軽蔑しているんだッ」

 同じく項垂れる大男2人を見下ろして怒鳴り散らしたせいで酸欠状態になってハアハアと肩で息をしていた俺は、それからフンッと鼻を鳴らして、それ以上は2人の姿も見ていたくなくて都築が「おい」と止めるのも聞かずにそのままデイパックを持ち上げると都築んちから飛び出した。
 コイツ等は少し反省をするべきなんだ!

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●事例13:スマホやパソコンのなかみ・寝室などがいろいろ酷い(属、お前もか)
 回答:お前が28歳になったら幸せな結婚をするとか言うから、その希望を叶えてやるために睡眠学習をさせているんだ。お前は本当に初心の処女だから、人肌に慣れる訓練をしていたんだ。
 結果と対策:そっか。俺が28歳でラブラブな結婚をしたいとか未来予想図を言ったのが悪いのか。だったら都築が眠っている俺を半覚醒状態にして気持ち悪い動画を撮ってても仕方ないんだよな。今後絶対にソフレを解消する。