洋太がサンタになったワケ(番外編) 2  -デブと俺の恋愛事情-

 ブスッとした顔をしている俺に、店長はちょっと困ったように人の良さそうな眉を八の字にして、眼鏡の奥から様子を窺ってきている。そんな態度もいちいち気に障って、だからと言って俺のこの不機嫌が全て店長のせいってワケでもないから、憤りの天辺が見境なくなってしまう。
 クッソー。
 クリスマスは雪が降らないなんてジンクス、いったい誰が口にしやがったんだ?
 朝から降り出した雪は夜にかけて少し激しくなって、肩に雪を積もらせた本日何人目かのお客がクリスマスローズを購入したのは、俺がそんな風にブスくれて、店長が困った顔をしているときだった。

「プレゼント用にしてくれるかな?」

「あー、はいはい」

 愛想の悪い店員だって思われちまったかな…いや、そんなこたねーだろ。
 巷はクリスマスで浮かれてるし、こんな花を抱えて帰るもしくはどこかに行くってんだ、どーせコイツも浮かれてるに決まってら。フンッ!
 お客に対してこんな接客態度が許されるのは、恐らくこの人の良い店長が休みまくるバイトに悪態も吐けず、何とか1人GETした俺を大事に思ってくれてるからなんだろう。そんな店長には悪いが、今の俺はメチャクチャ機嫌が悪いんだ。
 こんな風に幸せそうな野郎どもを見ると、心が狭いだとか何だとか言われようが、ムシャクシャしてしかたがねーんだよ。くっそぅ…
 今頃本当だったら俺は、洋太の部屋でココアとか飲みながら、あったけー部屋でラブラブだったに違いねぇのに…いやマジでムカツクんですけどね!
 白い花束はこれから誰の手に渡るんだろう。
 渡される相手は、多分今日はすごく幸せに違いねーんだろうな。
 白い雪までがロマンチックにチラホラと降りやがって、ホント、俺に喧嘩売ってんなクソー。

「今日は最後まで残らなくてもいいからね。明日は休んでいいから…」

 ムカムカしている俺の不機嫌に、火に油を注ぎたくない店長は控え目にそんな当たり前のことを言いやがるけど…さすがにあからさまに牙をむくわけにもいかず、俺は額に血管を浮かべながらニッコリと笑って頷いた。

「そうッスね。今日はやたら冷え込むんで、早く帰りたいッスねぇ。テンチョー」

「うわぁぁ…今日の里野くん、また一段と機嫌悪そうだねえ。今日は誰かと一緒に過ごす予定だったのかな?」

 聞かなきゃいいのに、この野郎…
 ニコニコと笑いながらも、内心はマグマのようにドロドロと怒り狂っている俺に、店長は笑ったままで凍り付いてるようだった。
 外は雪だしな、凍ってもしかたねーや。フンッ。
 午後8時を過ぎると、通りの人影も疎らになって、深々と降り積もる雪の音が交通の麻痺した町に静かに降り注いでいる。暖房が適度に効いた部屋で仕事をしていたせいか、自分でしでかした行為とは言え怒り狂って頭から湯気が出そうなせいなのか、火照った身体を持て余して店先に出ると、真っ暗な空から雪の破片が散っていた。その光景がなんだかやたらと寂しくて、今この時、同じ空の下で、きっとどこかで、この同じ光景を見ているかもしれない洋太を思い出していた。
 アイツ、今日はあんまり目を合わせなかったな…くそ、やっぱ怒ってるんじゃねーかよ。
 身体に染み入るように雪を纏った冷気が寒気を呼んで、身体が震えてしまうけど、こんな時はお前が傍にいてくれればいいのに。何があっても、どんな時でも、洋太が傍にいれば俺はきっと寒くなんかないしこんな風に、世界中でたった独り取り残されてしまったような心細さなんか感じなかったに違いねぇ…
 口許から出た白い息は、ぼやけて滲んで消えてしまった。

「里野くん?ワッ!さっむいね!!ほら、ボーッとしてたら風邪引いちゃうよ」

 肩を掴まれて、俺は漸くハッとして、途端に寒さに気付くなんつー過ちを冒してしまった。
 いかんいかん。
 ははは…馬鹿だな、俺。
 こんなクソ寒いのに、洋太が空を見上げてるワケがねぇよな。

「あのバケツを奥に持っていってくれたら、今日はもういいよ」

「うぃーッス」

 軽く返事をして、バケツっつーよりも大きなペールを持って奥の倉庫に仕舞い込んだ俺が、今日は寒かったし、でも良く頑張ったなーと伸びをしながら、さて洋太にどんな言い訳を切々と語ってやろうかと首を傾げていると、店長がニコニコ笑いながら手招きしているのが見えた。

「里野くん、里野くん。これ僕と奥さんからクリスマスプレゼント♪」

 ニコニコと人の良い笑顔で綺麗にラッピングされたクリスマスローズを手渡しながら、まるで子供みたいに無邪気にはしゃぐ店長を見て、ああ俺も、俺もこれぐらい素直に笑えたら今頃洋太と喧嘩なんかしてなかったんだろうなぁとしょんぼりしてしまって、気付いたら溜め息が出ちまってた。

「売れ残りの花で悪いんだけど。きっと、君を待っている人は喜ぶんじゃないかと思ってね…若い人には今時花束なんかじゃ駄目なのかな?ああ、それともやっぱりもうプレゼントは用意しちゃってるよね。ごめんごめん、僕は全く気が利かなくって。よく奥さんにもそれで怒られるんだけど…」

 おお、いかん。
 俺の溜め息を当たり前だけど、誤解した店長が慌てたように言い訳を始めやがった。
 いや、店長。そうじゃないんだ。
 そうじゃない、一番売れる時期に俺の為に取っておいてくれたクリスマスローズが、そんな悪いわけないじゃないか。気付いたらアイツにプレゼントさえも用意していなかった俺の、身勝手で仕方ない性格には却ってその贈り物は感謝したいぐらいなんだ。

「店長、スミマセン」

「気に入ってくれた?ああ、良かった」

 店長の素直さが移ったのか、ペコンと頭を下げて礼を言う俺に、ホッとしたように胸を撫で下ろしながらフッフッフッと笑って、彼は人差し指を立てて左右に振るとこんなことを言った。

「でもね、里野くん。こう言う場合は『スミマセン』じゃなくて『ありがとう』って言うんだよ。その方がすごく素敵だと思わないかい?」

 ふと、店長のその言葉を聞いて、俺は遠い昔の記憶を思い出した。
 今日みたいに雪が降っていたあの日、大きすぎるマフラーで口許を覆った優しい眼差しのまだあどけないアイツが、寒さに震えながら強がってマフラーを投げ出しているクソガキに言ったあの言葉。

[ごめんね、洋ちゃん。ごめんね] [違うよ、光ちゃん。どうして謝るの?その場合は『ごめんね』じゃなくて『ありがとう』って言うんだよ] […うん、ありがとう]

 …ああ、くそ。ホント、あの頃の俺ってば絵に描いたように素直で、可愛いヤツだったんだよなぁ。
 いつからこんな捻くれたガキになっちまったんだろ。
 自分の馬鹿さ加減に、勝手に気恥ずかしくなって頭を掻きながら眉を寄せてしまう俺に、店長は気を悪くしたとでも思ったのか、困ったように眉を八の字にしながら笑ったんだ。

「単純かもしれないけどね。僕は『スミマセン』と言われるよりも『ありがとう』って言われる方が何倍も気持ちがいいと思うんだよ。同じ五文字の言葉なのに、こんなにも違っていて不思議だよねぇ」

「いや俺は…」

 別にそんなつもりじゃなかったと、言い訳しようと開きかけた口を閉じて、少し考えた。

「店長、俺ってすごい我が侭なんスよね」

「へ?」

 突然、話しの内容が変わって、当たり前なんだけど追いついてこれない店長はヘンな声を出して首を傾げたんだ。
 いや、ホント。俺でさえなんでこんなこと言い出したか判らないってのに、店長なんかもっとヘンな野郎だなって思ったに違いねーと思うが、それは勘弁してくれ。
 店長みたいに大人になれていない俺は、もう時期学校と言う守られた安住の地を飛び出して、社会と言う波に乗りに行かなきゃならねーんだ。自信なんてないし、愛するあのデブとずっとこのままでいられる自信すらも、ホントはなくて、怖くていつも不安ばかりを抱え込んでいる毎日って言えば、俺を知る連中は飛び上がって驚くだろうがな…
 唯我独尊を地でいってる俺にだって弱みぐらいはある。
 敢えて言い触らそうなんて気は、まず有り得ねぇけどな。

「店長が言ったように、今日は大事なヤツに我が侭言ってごり押しして来たんスけど…ああ、別に嫌味じゃないッスよ。ソイツ、いつも仕方なさそうな顔して、それでも笑っちゃうようなヤツなんスよね。だからついつい甘えて、俺は我が侭ばっか言ったりするんスよねー…でも、アイツはどうなんだろうって思うと、ちょっと気になったりして」

「…それは、きっと。いや、これはあくまでも僕の考えなんだけどね。その子はきっと、里野くんのことをすごく、すごーく好きなんだろうと思うよ。いや、若いのにすごいね。大事すぎて、きっと自分では我が侭を言うってことにも気付かないぐらい一生懸命なんだよ」

「はぁ…」

 店長のことだ、俺の大事なヤツはきっと可愛い女の子ってぐらいにしか思ってないに決まってる。こう言う場合は、俺の視点からモノを言っちゃ駄目なんだろうな。

「もし、店長だったらどうします?こんな場合、まあその、好きな子が我が侭言ったりなんかしたら」

「僕かい?僕の場合はね、これがまた奥さんが我が侭言いたい放題でね」

 そう言って店長は人の良い垂れ目をもっと垂らしながら、初めてできた子供を腹に抱えて笑っている、あの勝気な奥さんのことでも思い浮かべてるんだろう、幸せそうな顔をして答えやがるから、せっかく話しに乗ってもらってて悪いんだけど、正直殴りたくなっちまったってのは内緒だ。

「でもそれはきっと、他の誰でもない『僕』だから、奥さんは我が侭を言ってくれてるんだろうって思えてねぇ。それだけで本当に嬉しくなってしまうんだよ。ああいや、僕の場合は単純だからね」

 ハハハッと店長が少し困ったように笑った。
 笑ってる顔はホントに嬉しそうだって感じで、そのくせ、そんな自分にやれやれとでも思ってるんだろう。でもその笑顔は、俺はきっと、良く目にしている光景だと感じていた。
 洋太の、あの仕方なさそうなちょっと困った笑顔ってヤツだ。
 店長、そうなんだろうか?
 『洋太』だから俺は、安心して我が侭を言っている…んだろうか。
 それはアイツなら何でも言うことを聞いてくれる便利なヤツだから…とか、そんな感情を抜きにしてってことなんだけど。もちろん、そりゃ当たり前のことだ。
 『好き』って気持ちを教えてくれたのが『洋太』の存在なら、『好き』が『愛してる』に変わる感情だと言うことに気付かせてくれたのも、確かに『洋太』だった。
 世間で言えば、確かにおかしな感情なんだろう。
 『男』が『女』を『愛する』んじゃなくて、『男』が『男』に『恋』をして、ずっと『恋』しながらやがて『愛しい』なんて想っちまうんだからなぁ。
 まさかこんなことまで店長には言えやしねーけど、俺が抱いてしまったこの感情ってのは実に厄介で、奥が深くて、戸惑いばかりでホントに手に負えない代物なんだ。
 少しずつ整理しながら、自己完結で理解していかなきゃなんねーってのに、『恋』ってのはそのモノが本当に厄介だからさ、独りで自己完結で理解できりゃそれでいいってのに、何が厄介って、そこには常に『相手』がいるってことさ。
 ソイツのことを考えると、自分で理解して完結したって、終わらないし完結もしやしない。
 そうなのかと頷いたって、当の本人のことを考えると思い切り迷っちまう。
 でもこの感情を、アイツも感じているとしたら、心の奥底がポッと温かくなっちまって、自然と顔がにやけちまうから困る。困るけど、にやけちまうんだよなぁ…ん?
 ああそうか、洋太も感じていたのか。
 俺が我が侭を言う度に、『俺』がどう思ってるのか悩んで、自己完結しようとか躍起になって、でもそれができなくて仕方なくて、でも同じように『俺』が悩みながら、ただただ『恋しい』と想っている感情を互いに理解しているくせに難しい方向に考え込んじまって、もう笑うしかない状況に陥ったと気付いた途端、不意に浮かんじまうあの笑顔。
 ああ、なんか俺、ちょっと判ってきたような気がするぞ。

「そうか、店長。そうだったんだ!」

 不意に頷いて腕を取って振り回す俺に、店長は驚いたように目を白黒させていたけど、
そんなの構ってられるかってんだ。いや、店長には悪いけどな。
 そうかと納得して、そうなると大人しくしてられないってのが俺の悲しい性ってヤツでさ。

「店長!どーせみんな単純なんスよ。そんな簡単なこと、どうして気付かなかったんだろ?店長、今日はありがとっした!」

「へぁ…ああ。はいはい。気を付けてね」

 何がなんだか判らんぞ、とでも言いたそうな表情の店長をそこに残して、俺はその手から奪い取ったクリスマスローズとかすみ草の花束を抱えて、着替えを済ませると足早で雪の降り積もる町に飛び出した。
 深々と降り積もる雪。
 きっと、今夜は最高のクリスマスだったんだろう。
 全く、俺ってヤツは。
 どうしてこう、アイツに迷惑ばかりかけちまうんだろうな…
 恋しいのになぁ。
 こんなに、胸の奥底からホントに恋しいと想ってるのになぁ。
 それを気付かせてくれたクリスマスなんだ、最高に決まってるじゃねーか。

「ん?」

 もう人通りも疎らになった歩道に、ポツンと灯された街灯の下、こんな夜にお互いバイトなんて辛いよなーと思えてしまうサンタクロースが看板を抱えて不貞腐れたように壁に凭れて立っていた。
 交通の麻痺した車道を恐る恐る通る危なっかしい車を、気のない様子で見つめるその眼差しには覚えがある。いや、確かに俺はその目を知っている。
 いや、まさか。

「…洋太か?」

 洋太と言えばそんな気もする。
 なんてったって人目を惹く大きさだ。
 サンタと言われると、ああそんな感じだなって…ホントだ、良く似合ってる。
 雪の降る歩道に、やっぱり同じように、いやちょっとヘンなのは花束なんか抱えている俺の方なんだけど、立っているそんな俺の姿に気付いた壁に退屈そうに凭れていたサンタクロースはヒョイッと陽気そうに眉を上げたりしやがった。

「光ちゃん。遅かったね」

 バイトが終わるのを、端から待っていたような口調で大きな身体を起こした洋太は、やけに似合うサンタクロースの格好で近付いて来た。

「お前…何してんだ?」

 呆れたように言ったら、洋太はきょとんとした顔で自分の身形を改めて見下ろした後、眉をヒョイッと上げて生真面目に当たり前のことを言ってくださった。

「サンタクロースだけど?」

「いや、そりゃ見りゃ判るけどよ。ここで何してたんだって?」

「ああ、そのこと」

 頷いて、洋太はどこかのケーキ屋の宣伝が書かれた看板を容易く振って見せながら、ちょっとムッとしたような口調で肩を竦めて言ったんだ。

「家でボーッとしてたらね、叔母さんから電話で呼び出されちゃってさ。大好きな誰かさんがいないんだったら店の手伝いをして頂戴、だって。大好きな誰かさんはいるんだけど、今日は構ってくれないから仕方なく僕もバイトをすることにしたんだよ」

 いちいち嫌味とか言うなよ。
 そりゃ確かに、今日は俺が悪かったんだけどよー

「でもほら、この雪でしょ?人通りも少ないし、こんな時間だし…お役御免ってワケで、あとは大好きな誰かさんを待っていたんだ。もう終わったんでしょ?」

「ああ」

 頷いたら、大袈裟すぎる真っ白な髭と赤と白のお決まりの帽子の隙間から覗く、あの優しい眼差しが嬉しそうに細められて…俺は思わずドキッとしちまった。
 らしくもないんだけど、俺は洋太の笑顔が好きだ。

「お前、サンタの衣装が良く似合うよな。一瞬、ホントのサンタクロースかと思っちまった」

 へへへと、照れ隠しに笑って言ったら、洋太は嬉しそうな笑顔のままで頷いたんだ。

「だって、約束したよね。小さい頃、僕が光ちゃんのサンタさんになってあげるって」

「お前、あんな昔のこと覚えてたのか?」

 ちょっと驚いた。
 でもその後の台詞でもっと驚いたし、笑っちまった。

「当たり前でしょ?僕の記憶力はぴか一なんだから。だから光ちゃんがお嫁さんになってくれるってのも、ちゃんと覚えてるからね」

「なんだよ、それ」

 仕方なさそうに笑ったら、洋太はなんだとはなんだよとでも言いたそうにわざとムッとしたけど、それからすぐに笑って白い手袋をした大きな手で俺の手を掴んだんだ。

「約束通り、今夜は良い子の光ちゃんにサンタさんが来ましたよ。さあ、あの時のお願いを叶えてあげる」

「マジかよ」

 照れくせーのに洋太ときたら、そんな俺を引き寄せて、誰も人がいないことをいいことに髭のマスクを上げてキスしてきたんだ。
 そんな展開になるとは思ってもみなかったら驚いたけど、いや、洋太のヤツがこんなことするなんて思ってなかったから俺はどんな顔したらいいのか…なんてな、そんなのどうにでもなるさ。
 いつもは俺が奪うようにしか奪えなかった口付けを、珍しく洋太からしてくれたんだ、驚くとか人目を気にするとか、そんなどうでもいいことよりも思いきり舞い上がっちまって、嬉しくて仕方なかった。

「よ、洋太!?」

 それでも声が上ずるのは、不意打ちに照れてる姿を見られる気恥ずかしさからだ。

「光ちゃんの願いは、『サンタさん、僕を置いていかない人を連れてきて』だったでしょ?クリスマス前に、お父さんが亡くなって、雪がすごい降ってるのに光ちゃんはマフラーまで投げ出して、大声で叫んでたね。真っ白な頬を赤くして、泣きながら真っ暗な夜空を見上げていた。僕はどうしても、守ってあげたかった。でも光ちゃんをあの時守っていたのは、冷たい雪だけで…僕には守ることができなくて、ずっと考えていたんだ」

「洋太…」

 俺の耳元に唇を寄せた洋太は、ごく小さな声で「雪に嫉妬したんだ」とか、冗談とも本気ともつかない声音で言いやがるもんだから、ホント、俺はどんな顔したらいいのか判らなくなっちまうだろーがよ。

「今日、叔母さんにサンタクロースの衣装を見せられたとき、すぐに引き受けることにしたんだ。看板持ってればいいだけだし、夜には終わるから」

「俺のサンタになってくれたってワケかよ」

「そう思ってくれるならいいんだけど」

 自信なさそうな顔しやがって、ったく、俺のサンタは気が弱くていかんね。

「じゃあ、少しあのお願いを変更してもいいか?」

 どうせ誰もいねーんだし、洋太サンタの胸元に頬を寄せると、嬉しくて瞼を閉じながら言ったらサンタは、長い付き合いの俺にしか判らないと言う難有りなんだが、ちょっと首を傾げてから嬉しそうにクスクスと笑ったんだ。

「大人になった光ちゃんのお願いだね♪」

 嬉しそうに言うんじゃねー

「なんとでも言いやがれ。『俺を置いていかない人』じゃなくて、『俺を愛してくれる人』ってのはどうだ?連れてきてくれるよな、サンタさん」

「光ちゃん…うん、もちろん」 

 僕で良ければ…と呟いて、洋太が俺の顎を持ち上げてキスしてきた。
 啄ばむような、掠めるような、恋しさのこみ上げてくるような優しいキス。
 俺は洋太のサンタ所以の帽子とマスクを引っぺがすと、本来の洋太のあのふくふくした顔を見つめながら頬に手を添えて、鼻先が触れ合うほど近付いてその目を覗き込んだ。

「すげーな、俺を愛してくれる人を連れてきてくれるなんて…最高のクリスマスプレゼントだったぜ、サンタさん」

「うん、僕もそう思うよ。だって、白い花束を抱えた光ちゃんを見たとき、ドキッとしたもの。降りしきる雪がまるでヴェールみたいでね…僕だけのひとだったらいいのに」

 呟いて啄ばむようなキス、応えながら、当たり前だろと悪態を吐いてみたり。
 お前だけのモノに決まってるじゃねーか。
 こんな我が侭な俺を好きになってくれる物好きなヤツなんて、目の前のデブ以外にいるわけねーだろ。ホント、お前ってヤツはバカヤロだ。

「また、雪に嫉妬してしまうね」

「ずっとしてろよ。納得するまで嫉妬してていいんだぜ、それでいつか」

 うん、いつか。

「俺を見つけてくれたらいいんだ。それで、思いきり愛してくれ」

 俺みたいに。
 答えに近い何かを見つけて、納得して、ずっと愛していこうと思えるように。

「光ちゃん?なんだか、すごく…」

「ん?」

「…ううん、なんでもない。すぐに見つけに行くから、ちゃんと待っててね」

 ギュッと抱きしめられて、寒いはずなのに俺は、洋太と言うでっかいぬくもりに包まれて幸せで幸せで、瞼を閉じて頬を摺り寄せていた。
 クリスマスの夜。
 俺は洋太と言うでっかいプレゼントを抱きしめて、生まれて初めて、心から幸せを感じていた。
 洋太もそうであってくれたらいいのに…
 俺の『恋』は、それでもまだまだ迷路の中で、きっとこの先も洋太を捜し続けるんだろう。
 『恋』に答えなんかねーもんな。

「うん、洋太。うん…ありがとう」

 たった五文字の言葉なんだけどな。
 言ってみると照れくせーもんだ。
 でも、ありがとう。
 洋太。
 奇跡のようなサンタからもらったこのクリスマスプレゼントを、俺はきっと手放さないだろう。

□ ■ □ ■ □

 鼻を鳴らして泣く俺に、洋太はサンタになる約束をして、マフラーを巻いてくれた。

「僕、きっとサンタさんになるよ。それで、光ちゃんのお願いは全部叶えてあげるんだ」

 そんな嬉しいことを言って、降りしきる雪の中、きっと寒かっただろうに洋太はニッコリ笑っていた。
 ガキの俺は、そんな洋太の優しさがくすぐったくて、思ってもいないくせに唇を尖らせて。

「でも、それだと他の子が可哀想だよ」

 優しい洋太を困らせる。

「えーっと、そっか。光ちゃんは優しいんだねぇ」

 まるで愛しそうに双眸を細めて笑う洋太は、洋太こそが、雪の中で俺を守るように温かかった。

「ううん、僕が優しいんじゃないよ。洋ちゃんがすごく優しいんだよ!」

 自分の言葉に逆に腹を立てて首を振る俺に、洋太がちょっと驚いたように眉を上げて、それからはにかむように笑ったんだ。

「ええ?違うよー」

 えへへと笑う洋太、あの頃からきっと、俺はお前が好きだったんだ。

「違わないよ。ねぇ、洋ちゃん。じゃあ、僕だけのサンタさんになって?」

 唆すように囁いて、そのくせ、答えはちゃんと知っている。
 きっと、お前はその答えを言ってくれる。

「うん、いいよ」

「ホント?じゃあ、僕も洋ちゃんだけのものになるね」

 馬鹿だな、洋太。
 お前はちゃんと、最初から知っているんじゃないか。
 答えに一番近い何かを。
 俺が気付くよりもずっと早くから、お前はちゃんと知っていたんだよな。
 あのクリスマスの夜からリンクして、答えに近い何かに気付いたのは俺。

気付かせたのは、サンタになったお前…

洋太がサンタになったワケ(番外編) 1  -デブと俺の恋愛事情-

「泣かないで…」

 しんしんと雪が降る夜だった。
 泣きじゃくる俺を途方に暮れたように、マフラーで顎を隠した洋太が見詰めていることは知っていたんだ。それでも俺はガキで、半分以上はそんな洋太を困らせる為だけに駄々を捏ねてるようなもんだった。

「大丈夫だよ。光ちゃんはとてもいい子だから…きっとね、サンタさんは来てくれるよ」

「嘘だい!」

 投げ出してしまっていたマフラーを巻いてくれようとしながら優しく笑う洋太の腕を振り払って俺は、なんだか、その何もかも知ってますってな取り澄ました顔が許せなくて怒鳴っていた。
 洋太はそんな俺をちょっぴり困ったような顔をして見下ろしていたけど…仕方なさそうに、それでも、今にして思えば愛おしそうに両目を細めながら呟くようにして尋ねてきやがったんだ。

「嘘じゃないよ…ねえ、光ちゃん。何をそんなにサンタさんにお願いしたいの?」

 まだあどけなさなんかバリバリに残している洋太の頬に雪が零れて、息だってあんなに白くなってたってのに…俺はどうしてあれほど強情に洋太の優しさを受け入れようとしなかったんだろう?

「だって、だって洋ちゃん…あのね」

 耳を傾ける洋太にソッと唇を寄せて囁いた言葉は…
 結局、ただ洋太を困らせただけだった。

「じゃあね、サンタさんが来なかったら。きっと僕が、サンタさんの代わりにそのお願いを叶えてあげる」

「洋ちゃん、ホント?」

「うん」

 ニコッと笑う洋太。
 そんなの嘘だって判ってら。
 でも、小さかった俺には洋太のその言葉が嬉しかった。
 いやきっと、構って欲しかっただけなんだ。
 今にして思えばあれは、洋太を1人の人間として認めはじめた、いわば照れくせーんだけど、俺の初めての恋の始まりだったんだと思う。

□ ■ □ ■ □

「だから、そんなに怒るなよ」

 いつもは温厚なはずの洋太が、今夜はやけにぶすくれてる。
 それもそのはず、その原因を作ったのは…そう、まさにこの俺、里野光太郎にある。
 俺の愛すべきデブ野郎、長崎洋太にとって今度のクリスマスがどうしてそんなに大事なのか良く判らなかった。
 でもまあ、考えてみりゃ来年の俺たちは就職活動とか入試なんかあって、クリスマスを一緒に過ごせるかどうかも判らないんだよなー…まあ、そう言われてみたら、洋太の不機嫌さも判らないってワケでもねーか。

「別に、怒ってなんかないよ」

 ツンッと、らしくもなく外方向く洋太のふくふくした頬をぐいっと半ば強引に引っ張って振り向かせてやると、洋太のヤツは珍しく胡乱な目付きをして軽く睨んできやがった。
 …怒ってねーとか言って、バリバリ怒ってんじゃねーかよ。
 俺は洋太に弱い。
 いや、もしかしたら強いのかもしれないけど、まあそんなこたこの際どうでもいいとして、洋太のこんな風に拗ねた表情は滅多に見られるもんじゃないから嬉しくて…あ、いやいや、困った顔して俺は唇を尖らせたんだ。

「仕方ねーだろ?店長の奥さん、臨月間近だし、入院しちまったから頼れるのはバイトだけなんだ」

「別にね」

 洋太は間髪入れずにそう言ってから、ちょっと悲しそうに眉を寄せて溜め息なんかつくんだ。
 うう、そりゃあ俺だって、できれば洋太とクリスマスをイヴからずーっと一緒に過ごしていたいさ。別に俺がお前と一緒にいたくないからこんなこと言ってる…ってワケじゃないんだから、いい加減ヘソ曲げるのも勘弁してくれよ~
 俺ってヤツは、洋太のそんな顔を見るのがホントは大好きなんだけど、やっぱその、好きなヤツにはいつだって笑っていてほしいから、喧嘩っ早いクセだって治したってのに、こんなことぐらいで拗ねられるなんて正直思ってもいなかったから、ちょっと弱ってるのってのは確かで。

「あの花屋さんのバイトが光ちゃんしかいないってことぐらい、鈍い僕だって知ってるよ。だからって、そんなことで怒ってるわけじゃないんだ」

 なんだ、やっぱ怒ってんじゃねーかよ、お前。

「洋太~、お前いつからそんな、我が侭言うヤツになっちまったんだぁ?」

 ギシッとベッドを軋ませながら、こんもりと山を作っている洋太の傍らに這い上がった俺が、読んでもいない雑誌の下からそのぶすんと拗ねちまってる顔を覗き込もうとしたら、ヤツは大きな掌で俺の顔を押さえて阻止しやがったんだ。

「我が侭?…うん、そうかもしれないね。僕だって、大好きなひとに我が侭ぐらい言いたいよ」

 不意に、どうしてだろう?
 急に心臓がドクンッと跳ねやがった。
 太い指の向こうで、何か言いたそうな表情をした洋太が眉を寄せている。

「ねえ、光ちゃん。僕が我が侭を言うのは悪いことなのかな?そんなに変なことなのかな?」

 ドクンドクンッと心臓が跳ねて、不意に、洋太の掌が俺の顔から剥がれ落ちて、太い指先が半開きの俺の口許をゆっくりとなぞるから…お、俺って今、どんな顔をしたらいいんだ!?

「僕だって、光ちゃんに我が侭を言ってみたいよ。バイトなんかに行かないで、今年のクリスマスはイヴからずっと傍にいて欲しいって…」

 ベッドヘッドに枕を凭れさせて作っている背凭れから大きな身体を起こした洋太のヤツ
が、たぶんきっと、ポカンと間抜けな面をしてんだろう俺の顎をソッと掴んで、真摯な双眸で覗き込んできたりなんかするから悪いんだ。
 俺はそんな、こう言う雰囲気には慣れてねーんだからな!

「む、無理だって!洋太だって言ったじゃねーかよッ。真面目にバイトすることは喧嘩するよりいいことだって!」

 唇に息がかかるくらい近付いていた洋太に、俺は、ああなんだってこんな時に急に羞恥心なんかが沸き起こってきたりするんだ!せっかく洋太がその気になって、あわよくばこのまま押し倒すことだってできたかもしれねーってのに!
 馬鹿馬鹿馬鹿!俺の大馬鹿野郎!!
 不意に洋太はキョトンとしてから、それからちょっと拍子抜けしたような、寂しそうな表情をして視線を逸らすと、下唇を子供みたいに尖らせたままでベッドヘッドの大きな枕に凭れてしまったんだ。
 ああ、いかん!
 これじゃまるで倦怠期の連中みてーだ!!

「よ、洋太!今度のイヴとクリスマスは無理かもしれねーけどもッ!正月があるじゃねーか!な?な?それで手を打とう!」

 いや、全くもって手前勝手な言い分だとは思う。
 そーさ、俺だってそれぐらいの良識ぐらいは持ってるさ!
 でも、洋太。
 今回だけは譲れねーんだ…って、そうか。俺はいつだって、なんか我が侭に洋太を振り回してるような気がする。洋太のヤツがいつだって仕方なさそうに、ただちょっと笑ってるからいけないんだよ。  
 きっとそうだ。

「クリスマスが特別じゃないんだと思うよ。ただね、僕は光ちゃんと一緒にいたいだけなんだ」

 いつもの、あのちょっと仕方なさそうな表情をして笑った洋太が、ポツンと呟いた。
 でも、こんな時になって気付く俺も大概大間抜けなヤツだけど、その表情って本当は、すごく寂しそうに見えるんだな。
 いやでも、いつもはそんなことなかった…よな。
 なんか、やたら嬉しそうに笑ってて、だから俺も嬉しくなって我が侭を言ってしまったんだ。
 洋太が俺にこんな風に我が侭を言うことってあったか?
 …よく考えても思い出せやしない。
 洋太が我が侭を言う時に、また俺は我が侭を言ってコイツを蔑ろにしちまうんだろうか?
 ズキンッと胸の奥が痛んだ。
 洋太の我が侭。
 ただ、俺と一緒にいたいってだけのことなのに、俺は。
 俺ってヤツは…
 俺だって一緒にいたいさ。
 ああ、そうだよ。俺だって本当はバイトなんか放り出して洋太の傍にいたいさ!
 唇を噛み締めて、それでもその一言を口に出せないでいるんだからとんだ大馬鹿野郎だ。
 今回のクリスマスは、俺だってお前と一緒にいたいんだ。
 でも、どうしても抜けられないバイトだから、心を鬼にしてやっぱ…嫌だけど、本当は凄く嫌なんだけど、お前の誘いを断るしかないじゃねーかよ。
 クッソ、どうしてこんな風にいつもうまくいかねーんだろ。
 やっと両想いになれてるってのに、気持ちばっか先走って、空回りばっかしてんじゃ意味ねーじゃねーかよ。
 何か言いたくて、でも口を開いてしまったらせっかくしている決心が大いに揺らいでしまって、何もかも駄目になっちまうような気がする…だから俺は、無言で俯くしかないんだろう。

「…でもね、光ちゃん」

 暫く何かを考えていたようだった洋太は、ちょっと笑ってから、仕方なさそうに首を左右に振ったんだ。

「僕にとってやっぱり今回のクリスマスは特別なのかもしれないね。光ちゃんとこんなことで言い合うのも、なんだか珍しいなぁって思ってるんだ」

「洋太…」

 俺の眉がハの字にへにょっとなるのがすぐに判った。
 俺はな、ハッキリ言ってメチャメチャ洋太に惚れちまってるんだ。
 押し倒して無理やりにキスしてエッチだってしたい、お盛んな年頃の恋なんだ。
 そりゃもう、運命の女神様の悪戯だろうがなんだろうが、俺に洋太と言う存在をもたらしてくれたことにスッゲー感謝してるぐらいなんだぜ。
 そんな顔されちまったら、俺は…

「だから、イヴもクリスマスも諦めるよ。バイトじゃ仕方ないもんね…でも、やっぱりちょっと寂しいかな」

 そう言って笑った洋太の顔が、なんだかたまらなく切なくて、俺はどうしたらいいのか判らないまま気付いたらヤツのデブってる腹の上に馬乗りになっていたんだ。

「こ、光ちゃん?」

 ちょっと驚いたように目を瞠る洋太の顔を覗き込んで、その鼻先をギュッと抓んでやったんだ。

「クッソー、んな顔しやがって!」

 ちょっと笑って…仕方なさそうに大人のフリして我慢するなんて、そんな、襲いたくなるような顔をするお前が悪い。
 大人のフリをして本当はまだムカついてんだろーがよ?
 俺の愛すべきデブは、驚いたように目を身体と同じぐらいまん丸にして雑誌の向こうから、少しドキドキしてるんだろう、戸惑ったように見上げてくる。どーせもう、読んでもいないくせに、何をそんなに大事そうに雑誌なんか抱えてやがるんだ。
 洋太の瞳の中の俺が嬉しそうに笑ったりなんかしてるから、俺のデブは驚くことに、ますます意固地になってその雑誌を鼻先まで持ち上げる。

「俺だって寂しいに決まってんだろ」

 読んでもいない雑誌を取り上げて床に放り投げると、洋太はその気もないくせに小さく声なんか上げて床に落ちた本を眼で追いやがる。こらこら、お前が見ていいのは目の前にいるこの俺様だけだ。
 上体を倒して鼻先に自分の鼻を摺り寄せながら軽くキスすると、洋太はちょっと溜め息をついて、そんな俺の腰に腕を回してきた。

「イブって、お花屋さんは人気があるのかな?」

「だそうだぜ。俺は今年から入ったからよく判らねーんだけどな」

 啄ばむようなキスを繰り返しながら、それでも内心じゃやっぱ納得できないでいたんだろう、洋太のヤツにしては珍しく眉を寄せながら強い調子で間近にある俺の目を覗き込んでくる。やっぱそうか、ムカついていたのか…でも、そんな目で見られるとお前…思わず盛っちまうだろうがッ。

「…そうだね。クリスマス・イブは恋人たちにとってとっても!大切な夜だもんね」

 とってもに微妙なアクセントの強さを感じて、俺は思わず噴き出しそうになっちまう。
 そりゃないぜ、洋太。そんな態度は反則だ。
 やっぱ、俺はお前が大好きだ。

「俺たちにとっても大事な夜だってのは判ってるさ。でもなー、頼むよ。今夜はなんでもするから、だからどうか許してくれ」

 ガラにもなく素直に謝る俺に、もうそれ以上は何も言えなくなっちまったのか、いや、もう端からそんな俺を許してくれていたのか、洋太は深々と溜め息をついてぎゅむっと抱き締めてきたんだ。

「光ちゃんがそこまで言うんだから、僕は応援するしかないよ」

 そう言って俺の色気もない黒髪にふくふくした頬なんか摺り寄せるだけで、別に何もしようとしない洋太に、モチロンこの俺様が黙っているワケもなく…ニッコリ笑って洋太の腕を引き剥がすと、ヤツのパジャマのボタンに手を掛けたんだ。

「今夜はぜってー洋太と天国にいってみせるぜ!」

 サンタクロースなんかクソ喰らえだ。

「ななッ!?と、突然、何を言い出すんだい!?こ、光ちゃん?」

 相変わらず狼狽しやがる洋太をそのままに、俺は手際よくパジャマの前を肌蹴させると、馬乗りになったままでたぷたぷの胸元に唇を落としたんだ。
 肉厚なくせにドキドキしてる心音がダイレクトに唇に伝わってきて、なんてこった、やっぱ洋太だとすぐその気になれてしまう自分に今更ながら驚いてみる。

「洋太もその気になっちまえ」

 薄いパジャマしか穿いていない俺は、今夜は洋太と仲良く勉強するからお泊りします、と家族に言付けて出てきてるから、全くもって明日の休みを大いに利用してやろうと企んでるってワケだ。だから、薄い布越しに洋太の欲望の在り処を見つけ出して、尻で軽く擦ってやる。

「俺はいつだって、洋太と一緒にいたいんだぞ」

 コソッと秘密なんか暴露しながら、俺は洋太にもう一度口付けた。
 離れてなんかいたくないに決まってんだろ、ヘボたれ洋太!いつだってキスして、いっぱいエッチしたいってのに、クソッ!せっかくのイブだってのに、思い切り甘えてやろうと計画していた俺の悪巧みなんて店長の一言でまるっきりパァになっちまった…
 でも、それは仕方ないことだ。
 悔しいけど、どうしてもその日は休めない。
 だったらせめて、今夜はたくさんエッチしたい。
 祈るように口付けたら、洋太の少し厚めの唇が押し開いて、俺が誘いかける舌先を受け入れるように歯列が割れた。
 腰に回していた腕を器用にパジャマの裾から忍び込ませて、洋太しか知らない快楽の在り処に指先なんか這わせるから…

「…ん」

 やばい、声なんか漏れちまったじゃねーか!…とか言って、嬉しそうな顔してるから救えないよな、俺。

「僕だって、光ちゃんとずっと一緒にいたいよ…」

「…ッあ、洋太」

 ホントだな?そんな嬉しいこと、ホントに言ってるんだな?
 胸元に這う指先の感触に溜め息を零しながら、俺は嬉しくってついうっとりと笑ってしまう。
 それが以前、洋太が好きだと言ったあの笑顔ならいいのに。
 性急な仕種は俺の悪いクセで、でもそのぶん、洋太のゆったりとした戯れがいい感じでマッチしてるから、きっと俺と洋太の身体の相性ってのは抜群なんだと思う。
 ふふん、羨ましいだろう?…とか、誰にともなく威張ってみて、その馬鹿さ加減さにちょっとうんざりしてたら、洋太の太い指先が俺のパジャマのズボンを脱がしにくるから…ことの真っ最中に何を考えてるんだ、余裕あるな俺とか思ってみたり。
 でもそのくせ、素肌に洋太の指先を感じると頭のてっぺんがバーストしたみたいにカッと熱くなって、なんだかもう、何も考えられなくなってしまう。そんな風に俺を酔わせるのもきっと、世界中で洋太ぐらいしかいないんだろう。

「よ、洋太ッ」

 切羽詰った涙声は、欲望を曝け出す俺の下腹部に触れている太い指先の驚くほど繊細な動作のせいで、ヤツの肌蹴たパジャマをギュッと掴んで押し寄せる快楽に唇を噛むしかない。

「光ちゃん…もっと。ねえ、もっとよく顔を見せて」

 頬が嫌でも上気しているのが良く判る。
 ムチャクチャ恥ずかしいけど、それが洋太の願いなら俺は閉じていた目を開いて、欲望にチカリと光る洋太の男らしい眼差しを見下ろして、らしくもなくドキンと胸を高鳴らせてしまう。

「あッ!…よ、洋太」

 それしか覚えていない人形みたいに繰り返す名前を、俺の愛する世界中でただ1人のデブが嬉しそうに笑って受け止めてくれる…こんな幸せって、マジでありッスかと誰かに聞いてみたい気もする。

「…入れるよ?」

 解きほぐしてやわらかくなった内部をぐるりと指で掻き回されて、俺は洋太のふよふよの胸元にポタポタと涙を零しながらキスをねだった。
 うん、入れてくれ。早く欲しいよ、洋太。
 でもその前に、キスしてくれ。
 洋太の少しの厚めの唇が触れた瞬間、俺は灼熱で身体の中央を刺し貫かれていた。
 待ちに待ったその瞬間、ああきっと、俺は愛されてるんだと素直に感じる瞬間だ。
 でも本当は、エッチも好きだけど、キスの方が好きだなんてこと、言葉に出さなくても洋太のヤツはちゃんと知っているから、俺は洋太に溶け込むようなキスをしながら、高みへと高みへと、幸福の山を愛する洋太と一緒に駆け上がっていくんだ。
 洋太、俺…お前のこと、本当に好きだよ。
 呟いたら、洋太の唇が僕も、と声もなく応えてくれて…チックショー!今度のイヴはずっと一緒にいたかったのになぁと後悔してしまう。
 でも自分で決めたことだから、すまん、洋太。

「…ッ、ぅあ…ん、よ…たッ!好き…ッ」

「…僕もッ」

 一際激しいストロークを繰り出す洋太の腰の動きに焦燥感を煽られて、俺は闇雲に洋太の首とも言えない首許に両腕を回して噛り付きながら溜め息を零していた。まるで下半身を溶鉱炉の中に突っ込んだような熱さで、でもそれが脳天まで直撃してくるから、俺は自然と生理的な涙を零しながら腰に力を入れていた。
 洋太の灼熱がダイレクトに刺激してくる。
 一瞬、胎内で大きく震えた洋太の灼熱は、俺の最奥に熱くて激しい飛沫を散らしていた。

「んぁ…んん…ッ、ん…」

 俺もぷにぷにした腹に白濁を散らして、力をなくしてしまってそのままゆったりと倒れこんでしまう。俺の体重なんか、いとも容易く受け止めちまう洋太にうっとりして、ああ、今日も幸せだな!…と、満足してしまった。
 ああ、これでクリスマスも一緒に過ごせるんならサイコーなんだけど…なぁ。
 噛み合わない運命の歯車ってヤツに苛立ちながら、それでも、優しく背中を撫でてくれる洋太に守られるように抱き締められてしまうと、そんなこたもうどうだっていい気になってくるからいかん!
 ああでも、今は素直にこの温もりを抱き締めていよう。
 深く考えるのは、それからだな。
 うん。
 だからもっと…とか、おねだりしてみたり。
 つくづく、俺ってヤツは。

俺が旅行に行ったワケ 10  -デブと俺の恋愛事情-

 小林がコッソリと欄干に置いて行った部屋の鍵を引っ掴んで俺は、洋太の耳を引っ張りながら旅館に戻ってきた。ロビーで寛いでいた初老の夫婦はビックリしているようだったけど、そんなことに構ってられるかってんだ!
 フロントのお姉ちゃんは出て行った時の倍の形相でデブの耳を引っ張りながら戻ってきた俺に、なんて声を掛けたらいいんだろうと、困惑した面持ちで頬を引き攣らせていた。
 …取り敢えず、この旅館にはもう来れないかも。
 くそ!そう考えたら余計に腹立たしくなって、俺は癇癪を起こしながらグイッと洋太の耳を思いきり引っ張ってやった。

「い、いたたたた…痛いよ、光ちゃん。勘弁してよ~」

「泣き言を言ってんじゃねぇ!俺さまの心はお前の耳の2倍痛いんだッ。覚悟しろよ、洋太!」

「そ、そんな…」

 こんな時ばかりは恐れをなした佐渡も、素直に小林の後について部屋に戻って大人しくしているんだろう、鍵を開けて洋太の耳を引っ張りながら入った部屋の中央に敷かれている布団の上に連中がいなかったからそう思った。
 ここにヤツらがいたら俺はもっと暴れているに違いない。
 ムカムカして仕方がないからな!
 突き飛ばすようにして洋太を布団の上に投げ出すと、俺の突然の奇行に目を白黒させているこのデブ野郎に、俺は橋の上でした時と同じように馬乗りになって浴衣の首を締め上げるようにして両手で引っ掴んでその顔を覗き込んでやった。

「なあ、洋太くん。俺が普通の暮らしをしたらどうなると思う?俺はヤンゾなんだぜ?そりゃあ、ムシャクシャして手当たり次第に喧嘩をおっぱじめるだろうな。んでもって、家裁か少年院送りだろうよ。それでも怒りはおさまらないからそこでも喧嘩して、あら、いつの間にか刑務所に行っちまってたよ!…ってことにもなり兼ねねーんだぞ?いいのかよ、それで」

 それがお前の言う、『普通の暮らし』ってヤツなのかよ?

「だ、ダメだよ!そんなこと、絶対にダメだ。許さない…」

 洋太は俺になすがままにされながら、それでも大きな掌で片方の頬を包み込んでくれた。

「俺、もうずっと言ってるだろ。洋太がいないとダメなんだ。洋太がいないと、俺はあの頃のまま、荒んだ俺でしかないんだ。普通の暮らしなんて真っ平だ!洋太がいればそれでいい。なぁ、それだけじゃダメなのかな?」

 しおらしく洋太の大きな掌に頬を押し当てながら手の甲に触れると、勘違い野郎のデブはなんとも情けない面をして俺を見上げてきやがるから…う、なんとも煽情的なんですけども。
 俺は洋太のこの顔に弱い。
 こんな風に捨てられた犬みたいな顔をされちまうと、思わず抱き締めてキスをしたくなってしまう。いかん!今は怒ってるんだ、これで挫けたら元の木阿弥になっちまう!!
 必死で我慢して、眉間にシワを寄せながら洋太の大きなふくふくしてる顔を上から覗き込んでいたら、ヤツは唐突に顔を真っ赤にしてギクシャクと目線を逸らしやがった。

「俺を見ろよ、洋太!俺を見て、質問にちゃんと答えろよ!」

 逃げるなんて卑怯だぞ!

「こ、光ちゃん、その…えっと…」

「ああ?」

 胡乱な目付きで見下ろしたとほぼ同時に、唐突に洋太の腕が伸びて、あっと言う間に身体を入れ替えられてしまった…と言うことは、この状況は…もしかして、俺ってば初めて洋太に襲われてるのか!?マジで!?うっわ、すっげ嬉しいかも!!…って!そんなこと言ってる場合じゃねぇ!急にどうしたってんだよ?

「よ、洋太?」

「僕は…そんなつもりで光ちゃんに普通の暮らしって言ったワケじゃないんだよ。あと1年もしたら僕たちは卒業するんだ。今はこのままでも楽しいし、何も考えなくてもいいのかもしれない。でも、社会人になって、光ちゃんがもっと広い世界を見るようになった時、きっと僕のことで君は迷ってしまう」

 両手首を布団に押さえつけるようにして組み臥したまま、洋太はそんなことを、いつになくシリアスな表情で言いやがるから…俺はどんな顔をしたらいいのか判らなくなってしまった。

「足枷なんてコトは言えないけど…僕の存在で光ちゃんが苦しむのは嫌なんだ。それならいっそ、もっと冷たくして、光ちゃんが自分から離れて行ってくれるのを待っていた。僕は卑怯者だから、どうしても光ちゃんからじゃないといけなかったんだ」

「洋太…俺だって嫌だよ。洋太から離れるのなんて嫌だ!洋太、くそ!どうして…?」

 そんなの、ホントに卑怯じゃねぇか!俺からなんて…できるはずないだろ!こんなに好きなのに、空回りばかりしてるかもしれないけど、俺はこんなに洋太が好きなのに。

「どうして?決まってるじゃない。僕が光ちゃんを手放せるはずないからだよ。こんなに愛してるのに、今すぐメチャクチャにしたいほど愛してるのに…」

「洋太ぁ…」

 思わずふにゃ…っと泣きたくなった。
 最近、本当に弱くなっちまった涙腺を必死で宥めすかして、俺は泣かないようにしながら頭を持ち上げてすぐ目の前にある洋太の鼻に鼻先を摺り寄せてやった。

「お前ってばホント、バッカなヤツだ!なんで離れることしか考えねーんだよ?いつか、いつか洋太が言うように俺に好きなヤツができたとしたら、それはもう、洋太以外にはいないんだよ。俺は、お前の方が他に美人なお姉ちゃんを好きになるんじゃないかってハラハラしてんだぞ?」

「まさか」

 クスクスと、泣き笑いのような顔をして洋太が笑う。

「俺…バカだし。取り柄と言ったら喧嘩ぐらいだしな。嫌われる確立は俺の方が上だってコト、もっと把握しててくれよ!お前、頭いいんだから」

「僕はバカだよ。光ちゃんがこんなに僕のコトを好きだって言ってるのに、独りで勝手に不安がって…バカなんだよ」

「ああ!お前は大バカ野郎だ!」

 そう言って、俺は思わず笑ってしまった。
 笑ってたら、不意に口元が温かくなって、思ったよりもカサついた唇がキスしてきた。

「光ちゃんの唇は柔らかいね」

「あ?そうか?…なんでだろうな」

 首を傾げると、洋太はクスッと笑って、それから持ち上げていた頭を布団に押し付けるようにして深くキスしてきたんだ。断る理由もないしな、俺は有り難くそのキスを受け入れた。洋太からのキスなんて珍しいし、嬉しいし。
 洋太の肉厚の舌に口腔内を思うさま蹂躙されるのは気持ちいいし嬉しい、しかもそれに、浴衣の裾を捲り上げる仕種が付属されるとなると、飛び上がらんばかりに大喜びなんだけど…どうして、この手を離してくれないんだ?さっきまでは両手で掴まれていたけど、もともと洋太の手は大きいから、俺の手首なんか簡単に片手で持つことはできるだろうよ。

「…ッは!…うた!洋太ってば!ど、どうしたんだよ?」

 やけに性急な仕種に、ドキドキしながら不安でもある。

「だ、だって…」

 顔を真っ赤にしながらもごもごと口の中で呟くもんだから、聞き取れなくて苛々しながら濡れた唇を舐めていると、洋太はモジモジしながら下半身を摺り寄せてきた。

「光ちゃん…その、さっきからずっと…だし。僕も…」

 硬く隆起したものが腿の辺りに触れて、俺は期待しながらドキドキしてお互いバカみたいに顔を真っ赤にしてモジモジした。いつもなら喜び勇んで抱き付くところだけど、こんな風に両手を押さえ込まれて自由を奪われていると、途端に不安になってしまうんだ。
 でも、相手は洋太で、洋太以外の誰でもなくて…だったら、いいじゃねぇか。

「犯ろう、洋太。どうせ、あんなに楽しみにしていた旅行も今夜で終りだし。旅行最後の夜に、初夜ってのも悪くねぇと思うけど?」

 俺を、洋太のお嫁さんにしてくれよ。
 俺の夢だったんだ。
 ダメかなぁ、洋太…

「光ちゃん、僕のお嫁さんになってくれるの?」

 頬にたぷたぷの頬を摺り寄せながら洋太が嬉しそうに言うから、俺も嬉しくて嬉しくて…つい、意地悪になっちまうんだよな。バッカなヤツだな、俺も。

「洋太がプロポーズしてくれるなら、なってやってもいい」

 偉そうに言ったら、洋太はこんな格好の時で悪いんだけど、と呟いて、それから照れ臭そうに笑いながら俺の目をシッカリと見つめて、ドギマギする俺に囁くように言ったんだ。

「僕とずっと、一緒にいてください。卒業したら、一緒に暮らそう。もうずっと、離さないから」

 テレテレで、こう、纏まった言葉じゃなかったけど、それがよりリアルで、俺は思わず泣いてしまっていた。ポロポロ、ポロポロ…気付いたら大粒の涙が目尻から頬に零れ落ちていて、それでも俺はそれに気付かなくて、嬉しさが胸を占めているから嬉しいってことしか感じられないんだ。

「うん、洋太。俺を離さないでくれ。ずっと一緒に生きていきたい」

 掴んでいた手を離してくれたから、俺は躊躇わずに広い背中に両腕を回して洋太にキスをせがんだ。優しいキスはどんなに強烈で腰が砕けちまいそうなキスよりも刺激的でクラクラして、俺は泣きながら洋太のキスを受け入れていた。
 刺激的な夜を期待していたのに…こんな風に、優しい夜も好きだと思った。
 今夜からはどうか、いつも傍にいるこの温もりが、このままずっと続きますように…

□ ■ □ ■ □

「洋太、この野郎。俺が泳ぎが苦手だってコト、忘れてただろ?」

 それでもやっぱりエッチした俺たちは、気だるい真夜中に寄り添いあって眠っていた。

「え、ええ?わ、忘れてなんかなかったけど…頭に血が昇っちゃって。光ちゃんも悪い!僕以外の人に抱きつくなんて!」

「俺のせいかよ?だったら、これからはお前がずっと傍にいろよ!そうしたら、俺はお前以外のヤツなんかに抱き付いたりしない」

 フフンッと鼻を鳴らして偉そうに言うと、洋太はちょっと笑ってから、俺の裸の身体を抱き締めてきた。欲望の名残を残した熱い身体は、洋太に抱き締められただけでゾクゾクしちまう。今夜はいつもりもずっと感じやすくなってるから…もう、勘弁してくれよ。

「光ちゃん、大好きだよ」

「へ?お、おお!俺も大好きだ!」

 ヘヘヘッと笑って洋太に抱き付き返しながら、大きな身体に頬を摺り寄せて宣言してやった。

「洋太は父ちゃんの仕事を継ぐんだろ?だったら卒業したら大学生だな」

「え、う、うん。突然、どうしちゃったんだい?でも、光ちゃんはどうするの?」

 唐突に話しを振った俺に戸惑いながらも、洋太は優しい目付きをして覗き込んでくるから、闇に馴染んだ目でふくよかな顔を見つめ返しながら大らかに笑ってやる。

「俺はバカだから大学なんか行かないって。だったら、暫くは俺が洋太を食わせてやらなきゃな!任せろ、体力には自信がある」

 胸を張ると、洋太は困惑したように首を左右に振った。

「ダメだよ、そんなの。僕はバイトもするし…」

「いーんだ、俺、誘われてる仕事もあるし。卒業したらそこに就職するコトに決めてんだよ。お前は黙って俺について来い!」

 洋太の大きな身体に覆い被さるように乗っかって、大きな顔を覗き込みながらニヤッと笑ってやると、なんとも情けない表情をする俺の愛すべきデブ野郎は俺の腰を片手で抱き締めながら溜め息をついた。

「…僕はずっと光ちゃんについて行くよ」

 おお!ホントか!?
 だったらすっげー嬉しい。
 ついて来いよ。
 ずっとずっと、ついて来い。
 俺はしつこいから、地獄の底まで追っかけて行くって言ってただろ?それが嫌なら、今度はお前がついて来ればいいんだ。
 …なんてな、今度はずっと一緒に歩いて行けばいい。
 肩並べて、どこまでもずっと。
 未来設計も充実してるし、日本の未来は暗雲垂れ込めるほどお先真っ暗だけど、俺たちの未来はハッピーだな!
 なあ、洋太。

「光ちゃん、僕はしつこいからずっと一緒にいるけど。もう、逃がさないからね」

 逃げられないから…と呟くように耳元に囁かれて、俺はその声をうっとりと天上の鐘の響きのように聞いていた。
 今のところ、人生は上々。
 これから先だってきっと上々。
 何かあったってそれは上々になるための試練だって思えば辛くないよな。
 おお、俺ってばすっげー前向き思考だぜ!
 なあ、洋太。
 ずっと一緒に生きていこう。

─END─

俺が旅行に行ったワケ 9  -デブと俺の恋愛事情-

 息せき切って走って走って…俺は洋太を見つけた。
 洋太はどこにいたって良く目立つ。俺の大好きな大きな背中をこちらに向けて、佐渡が女の子のように可愛い顔を曇らせて取り縋っている。

「…ちゃん!どうしたって言うんだよ!?突然戻ってくるなり、いきなり出てっちゃうんだもん!里野くんは?ねえってば!」

 聞き分けのない子供のように駄々を捏ねる佐渡を煩そうに腕を振って振り払うと、洋太は不機嫌のオーラをそこかしこに漂わせながら石橋の欄干を思いきり叩いていた。ビクッとして、佐渡は小動物のように怯えながら、それでも必死に洋太の顔を覗き込もうと懸命に食い下がっている。

「さわた…」

 小林が佐渡を呼ぼうと声を掛けようとしたが、俺はそれを止めて歩き出した。

「ねえ、ねえってば!洋ちゃん、どうして…あ!」

 深呼吸しながら洋太に無言で近付いていくと、佐渡は敏感な子猫のように俺に気付いて、それからなぜか少しビクッとして、慌てたように俺たちの傍から離れると小走りで近寄ってくる小林の所へ行った。
 そんなこと気にもしないで俺は洋太に近付くと、その背中に片手をかけて振り返らせたんだ。

「…光ちゃん」

 少しビックリしたように目を開いた洋太は、でも、すぐにその目を逸らしてしまった。

「こっちを見ろよ、洋太」

 勤めて冷静を装いながら、俺は少し笑ってみせた。
 それでも洋太は俺を見ようとしないから、焦れて回り込むとその大きな頬を逃げ出さないようにガッチリと両手で掴んでグイッと引き寄せたんだ。

「俺を見ろ」

「光ちゃん…離して」

「嫌だ!」

 即座に答えて、それから俺はもう一度笑った。
 普段ならここでキスの1つでも盗んでやろうかって思うところだけど、今日はそんな気分になれなくて俺はもう一度小さく笑ったんだ。

「俺に言いたいことがあるんじゃねぇのか?」

 洋太は俺の顔を見下ろしながら、暫くは無言でマジマジと、そりゃもう恥ずかしいぐらいマジマジと見つめてくるから…あう、どうしろってんだよ。
 キス、したいなぁ。
 俺、洋太のこの、目を細めるようにして覗き込んでくる顔が一番好きなんだよなぁ。ズバリ、好き=性欲に繋がるお年頃のこの俺の下半身にズバンッとくる大好きな笑顔、でも、それよりも、やっぱり俺はキスしたいと思うんだ。
 ああ、本当にキスしたいなぁ…
 でも。
 俺はキュッと唇を噛み締めてそんな甘い誘惑を絶ち切りながら、目を逸らさずに洋太の少し茶色がかった双眸を真正面から見上げていた。
 洋太は今、何を考えているんだろう。

「光ちゃん…」

 洋太のヤツは話そうかどうしようか暫く逡巡しているようだったけど、諦めたように溜め息を吐いて、それから首を左右に振りながらポツリと、渋々口を開いたんだ。

「僕はね、もうずっと考えていたんだよ。この旅行でそれを言おうかどうしようか、ずっと悩んでいたんだ」

「洋太…」

 本当はドキドキしていた。
 何を言い出すのか、俺が聞きたくない言葉なのか。
 男同士の恋愛なんて所詮不毛なもので、いつだって不安の影が付き纏うモンなんだ。
 愛してる、好き、ずっと傍にいたい…そんな夢見心地で恋ができるのは通常の恋愛をしている連中ぐらいだろうよ。
 …俺、女に生まれたかった。
 ずっとそう思ってる。洋太とずっと一緒にいて、そのうち結婚とかして、子供を産むんだ。女の子と男の子が1人ずつ、幸せを絵に描いたような幸福な家庭で…夢だけど。
 絶対に、叶わない夢なんだけど…

「洋太」

 息苦しくて、唇とかカラカラに渇いて、咽喉の奥がヒリヒリしするのを堪えながら俺は洋太の名前を呼んだんだ。

「光ちゃんは同じ男から見ても強くてハンサムだから魅力的だし、それはきっと、女の子でも同じだと思うんだ。なんて言ったらいいか…うまく言えないんだけど、その。光ちゃんは普通に暮らした方がいいと思う」

 聞きたくない…言葉だったんだと思う。
 それは。
 普通の暮らしってのはなんだ?
 洋太を好きで、大好きで、いつだって傍にいてキスしてエッチして、それは普通の暮らしじゃないのかよ?
いや、普通とは違うと思うけど…でもだ!俺にとってそれが普通なら、誰にも迷惑をかけているわけじゃないんだ。いいんじゃねぇのかよ?

「洋太、それはもう、俺とは付き合えないってことか?」

 言いたくなくて、でも言わないわけにはいかないから、俺は渇ききっている下唇を何度か舐めながら恐る恐る聞いていた。

「そうじゃなくて!…僕はいつだって光ちゃんと一緒にいたいよ。でも、こんな風に、いろんな状況を見ていると、僕が光ちゃんを独り占めしてしまうのは良くないと思うんだ」

 光ちゃんは綺麗だから…呟いて、洋太は溜め息をついた。
 そうか、俺のことを嫌ってるってワケじゃねぇのか。
 なんだ、そっか。
 本当はコイツ、俺を独り占めにしたいんだな。
 そう言うことなんだ。
 いつもはバカみたいにハラハラしては、洋太に嫌われたくないって思ってる俺だけど、いや、現に今だって嫌われたくなくてハラハラドキドキしてるんだ。けど、『嫌われていない』って言う確信のキーワードさえ手に入れたら俺は、結構強気になるんだぜ?お前、知らないだろう?

「洋太」

「光ちゃんは綺麗だし、僕はこんなだから…それに、光ちゃんを好きだって言う女の子も、本当はたくさんいるんだよ?知らなかったでしょ??」

「洋太」

「僕は、僕自身に光ちゃんを縛りつけたらいけないんじゃないかって、もうずっとそう思っていたんだよ」

「洋太、俺はもう我慢できないから。手加減できねぇ。ごめん」

 一応謝ったし、もういい、聞きたくねぇんだ!
 両手を頬から離すと洋太は少し驚いたような顔をしていたけど、俺が腹の底から腹を立てているんだとヤツが知るのは、それからすぐだった。
 幻じゃない俺の右ストレートは見事に洋太の左頬にヒットして、その衝撃で洋太の大きな身体は僅かに右に揺れた。それだって、本当はパンチした方だって拳が痛いんだぞ。それに、心とか…いや!そんなこたどうだっていい!!
 ハアハアと肩で息をしながら、ポカンとしている洋太と、コトの成り行きをハラハラしながら見守っていた佐渡は顔を両手で覆って、小林はぶったまげたように目をまん丸にしているようだったけど、それだってもう目に入るもんか、殴った拳を擦りながらそんな洋太を睨みつけていた。

「いい加減にしろよ、洋太!女の腐ったヤツじゃねぇんだッ、グダグダ言いやがって!俺は洋太と一緒だったらもう何もいらねぇって言ってんだろうがよ!本当は、俺は女にだってなりてーんだ。そうなれたら、少しでも長く洋太と一緒にいられるのに…俺が誰といたいって?どんなヤツと一緒にいると幸せになれるって?本気でそんなコト言ってんのかよ!?この口で言ってんのか?ああ!」

 洋太を襲う時同様に押し倒して、もう人目なんか気にしてやるもんか!俺はヤツに馬乗りになるとその唇を思い切り引っ張ってやった。

「ヒレレレ…光ひゃん、ひひゃいよ、ひひゃい!」

「あったりまえだ!痛いように引っ張ってんだから痛ぇに決まってんだろ!この野郎!もう怒ったぞ、俺が普通の暮らしだと?この生活の何が普通じゃねぇってんだよ?ああ!」

「光ひゃん…ひひゃい」

 泣き言を言う洋太のたぷたぷの両頬をにょーんと引っ張って、それだって結構痛いってこた俺にだって判る、でもやめてなんかやるもんか!
 佐渡と小林は驚いているようだったけど、顔を見合わせて、なんだかホッとしたように溜め息を吐いているようだ。肩を竦めて、それから勝手に旅館に戻っちまった。
 俺は悔しくて、なんだか最近、やけに緩くなった涙腺から漏れそうになる水流を必死で食いとめながら、それでもこの怒りの矛先は目の前の肉にぶつけるしかないから、ボカボカと殴りまくってやった。
 俺の怒りが収まるのは、それから暫くしてだったけど、その間、洋太を殴り続けていたから…痛かっただろうなと、後になって凄く後悔した。でも、自業自得だからな!
 ふん、いいザマだ。
 この野郎、もう二度とおんなじことを言わせねぇからな!
 俺はしつこいんだ、『好き』って言葉なら喜んで聞くし、『愛してる』なんて言われるとそりゃあ…舞い上がっちまうとは思うけど、そう言う言葉なら喜んで何度だって聞いてやる。でも、もう二度とこんな言葉は嫌だ。
 洋太が、洋太が他に好きなヤツができて、俺の妨害にも屈せずにその思いを遂げようとするのなら、その時は俺だってそりゃあ、泣きながらなんとか、無駄に足掻きながら諦めてもやる。でも!俺を理由にして、自分が不安だからってんなら許してやらん!
 だから、バッカなヤツだって言うんだよ、洋太は。
 ホント、お前、大バカ野郎だ。
 そう言う不安はな、言葉に出さなきゃ判らないんだぞ…バーカ!
 でも、今は言ってやらないんだ。そう言う大事なことは、二人きりの時にゆっくりと教え込んでやる…
 くっそう…洋太め。
 後半戦は今夜だ!

俺が旅行に行ったワケ 8  -デブと俺の恋愛事情-

 軽く溜め息を吐いて、俺は軋る椅子から立ち上がった。
 ふと気付いたら目の前には大きな鏡があって、バカみたいに情けないツラをしている俺が立っている。
 迷子の子供のような、心許無い目付きのソイツはまるで、捨てられた犬だ。

「…バッカみてー…」

 小さく呟く声も嫌になるぐらい掠れてて、ああ、俺ってばマジで落ち込んでるんだなーと再認識したらなんかやたらと、マジでムカツイてきたんだ。
 いや、たぶん俺はさっきから異常なほどブチ切れてるんだと思う。
 掠れた声は怒りに震えてるってだけのことかもしれねーし。
 きっとそうだ。
 俺はさっきの洋太の態度にキレたんだ。
 畜生、あのデブ野郎…このか弱い俺さまが無粋な野郎に犯られかかってたってのに助けもしないで置き去りにしやがって!
 俺が好きで、両想いだって言うならちゃんとした証をくれなきゃパンチングだぜ!
 俄かに怒りに燃え立った俺は、半ば投げ込むようにして竹の籠に散乱している浴衣を引っ掴むと簡単に羽織って下着を装着すると廊下に出たんだ。暖簾をくぐってみても、もう洋太の姿はなくて。
 まあ、当たり前だって言えば当たり前なんだけど。
 あんな場所にボサッと座り込んでいたんだ、その間にサッサと部屋に戻ってるに違いねぇ。
 クッソ、今までは不安とかでハラハラしていたけど、今の俺はそんなに甘っちょろくねぇからな!覚悟しろよ、洋太!
 俺は決めたんだ。
 お前のことが好きだから。
 もう、絶対にお前を疑ったりなんかするもんか!…ってな。
 お前が何を考えてあそこからいなくなったのか…理解できるからさらにムカツイてるなんてことは、お前はバカだからぜってー気付いてねぇだろうけど。
 追いかけてやる。
 どこまでだってついて行ってやるから、勘弁してくれなんて言うんじゃねーぞ。
 お前が好きだよ、洋太。
 俺はけっこう、執念深いんだ。
 覚悟しろよ。

□ ■ □ ■ □

 息を切らせて部屋に戻った俺を待ち受けていたのは…仏頂面の小林で。

「なんだよ、小林。なんでお前が俺たちの部屋にいるんだ!?」

 てっきりそこにいるのは洋太の山のように大きな背中だとばかり思っていた俺は、的外れで拍子抜けしたと同時にやけに腹が立って、思わず怯える小林を怒鳴りつけていた。
 落ち着け、俺!

「悪ぃ、小林。俺、ちょっとメチャクチャ気が立っててさ…ところで洋太を知らないか?」

 あれ?そう言えば小林=佐渡ってぐらい一緒にいるコイツの横に、どうして佐渡がいないんだ?

「ちょっと前に部屋に戻ってきたんスけど…なんか怖い顔して俺たちを見るなり部屋から出てったんスよ。その後を佐渡が追っ掛けてって…いや!俺は止めたんスよ!?ここにいちゃ拙いって言って!」

 敷いている布団から少し離れた畳の上で正座している小林のヤツは、必死で弁明しながらチラチラと上目遣いで俺の気配を窺ってやがるから、俺ってばそんなに凄まじい顔付きをしてるのかとちょっと反省した。

「そっか。で、お前は居残りってワケか」

「そうッス。きっと里野先輩が心配するだろうからって、佐渡がここにいるようにって言ったんで…」

 佐渡の下僕らしく従順に従うところは素直でいいが、んな仏頂面してっと喧嘩を売ってんのとかわらねぇんだけど。
 ま、いっか。
 今はそれどころじゃねーんだ。

「そうか。サンキューな、小林。洋太と佐渡はどっちを曲がった?」

 きっと廊下までは追い縋ったんだろう小林の行動を考えて言うと、ビンゴだったのか、ヤツはすぐに頷いて答えを弾き出した。

「左ッス!で、外に出ましたッ」

 言葉が終わらない間に俺は廊下に飛び出して外に続くエントランスまで走った。
 温泉旅館は浴衣でも外に出ることはOKなんだけど、俺の凄まじい形相に恐れをなしたのか、ロビーにいる受付のお姉ちゃんがびっくりしたような顔をして口をあんぐりと開けている。呼び止められるかな…とも思ったけど、いいさ、関係ねぇ。
 まあ、どっちにしろ呼び止められれば殴ってでも強行突破しようとは思ってたんだけどな!
 俺の後を慌てたように追ってくる小林の手にはシッカリと鍵が握られていて…コイツ、ヘンなところが律儀なんだなとか思いながら、キョロキョロと周囲を見渡した。
 どこだ?
 どこにいる?
 肩で息をしながら、さっきはあんなにロマンチックだった石灯籠が薄明かりを燈す石畳の道を捜し回って走っていた。もう人も疎らで、息せき切って走る俺たちを不審そうな目付きで見て通り過ぎて行った怪しいカップルが一組、あとは息抜きに外に出ている夫婦らしい二人連れと擦れ違ったぐらいだ。
 どこにいるんだ、洋太。
 こんな初めて来た場所で俺を一人ぼっちにするのかよ?
 俺はここにいるんだぜ?
 俺はここにいるけど、お前はいない。
 なら、いいさ。
 俺がお前を見つけ出す。
 見つけ出してやる!
 だから待っててくれ。
 そこにきっと辿り着いてみせるから…
 俺は執念深いんだ。
 俺の根性をなめんなよッ!

俺が旅行に行ったワケ 7  -デブと俺の恋愛事情-

 湯煙は俺の意思なんかまるで無視したように、もうもうと立ち篭っていて…逆上せている頭には正常な考えなんか浮いてきそうもねぇ…
 ぴちゃん…と、やけにリアルな湯の跳ねる音が近付いて、俺の視界は湯の煙と奇妙な物体に遮られちまう。

「…は…」

 溜め息のように息が零れて、ソイツはまるで何を興奮してんのか、無造作に俺の身体を気持ち悪く撫で回しやがるから、その時になって漸く混濁していた意識が現実の世界に嫌な音を立てて引き摺り戻されたんだ。

「…う。ッ、この、放しやがれッ!」

 ボグッ!
 嫌な音がして、ソイツ、あのサラリーマンだか大学生だか判らんヘンな野郎は、思い切り目を見開いて湯船にダイブした。
 ふん!ザマーミロだ。
 後ろを自分で後始末した後にダイレクトな刺激を敏感になった身体中に施されていた俺は、それでなくても逆上せてるってのに…ったく、肩で息をしながら石造りの縁に片手をついた。

「何を考えてんだが、しらねーけどな!礼儀を弁えやがれッ!」

 …ん?そんな問題じゃねぇような気がするんだが…まあ、いいか。

「こんな、人がいつ来るか判らねー場所で何を考え…ぶっ!」

 足首を掴まれて、そのまま水中に引き摺りこまれる!
 逆上せてクラクラしている俺の膝蹴りを腹部に受けても平気ってこた…いまいち効いてなかったってことか。
 いや!そんなこと今は問題じゃない!
 うっわ、マジでヤベぇ!!
 俺…俺…泳げないんだよ!!
 思わず内心で声を裏返らせながら、咄嗟のことで口から大量の酸素を吐き出す俺をまるで覆い被さる様にして引き寄せてくるソイツに、溺れる者は藁をも掴む!の精神で思わず抱き付いちまったんだ。後から思えば冗談じゃねぇと鳥肌の1つも立てていたところだけど、その時の俺にはそんなこと、悠長に考えてる余裕なんかなかった。
 口から洩れた肺の酸素を供給したくて、口付けて来るソイツに躊躇わずに俺は。
 ああ、なんてこった。
 俺は自分からキスしていたんだ。
 貪るように、砂漠に投げ出されて干からびる寸前の旅人が命からがらオアシスに辿り着いて、そして溢れる命の水を口にするように…洋太だけがその権利を持っているはずの唇を、俺は見知らぬ男に許しちまったんだ。
 それも、自分から、縋り付いて…
 でも、必死の俺はそんなことには微塵も気付かなくて、口付けながらソイツが尻に指を這わせてくるのもお構いなしに、ただただ、恐怖に縮み上がっていたんだ。
 ザバッ…っと浴槽をなみなみと満たす湯を蹴散らすようにして酸素のある場所に引き上げられた時でも俺は、ぐったりとしながらソイツの腕に凭れて、まるでキスの後のあの気だるげな気分に囚われているようだった…んだと思う。
 アイツの目を見たとき。
 驚いたように見開いたアイツの目を見たとき…

「…光ちゃん?」

 よ、洋太…

□ ■ □ ■ □

 でも俺は、最初その意味が判らなかったんだ。
 洋太が、ただ洋太が俺を助けに来てくれたんだとばかり思っていた。
 溺れて、とても苦しかった。
 お前だけを俺…呼んでたんだ。
 だから、何も知らずに笑っていた。
 でも、洋太は違っていたんだ。
 クッと少し厚めの下唇を噛んで、俺の大好きな洋太は、まるでともすれば地獄の業火のようにその黒く煌く両目の奥に光を閉じ込めて、俺とソイツ、サラリーマンだか大学生だか判らないヘンな野郎をゆっくりと見比べていた。
 それからゆっくりと息を吐くと、俺の方を真っ直ぐに見て首を傾げたんだ。

「どうしたの?」

 そのゾッとするような目付きに竦みあがっていた俺は、それから唐突に、そう、あまりにも唐突に自分の置かれている状況に気付いたんだ!
 ああ、バカだ!大バカ野郎だ!!
 ハッと気付いた。俺はそのヘンな野郎に抱き付いていたんだ!
 苦しくて、頭が逆上せてグラグラする脳味噌が弾き出した答えは…誤解された。
 たぶん、いやきっと、誤解してる!

「よ、洋太!ち、違うんだ、これはッ!」

「何が違うんだよ?アンタがしがみ付いてきてキスしたんじゃないか」

 脳天直撃。
 一昔前のゲーム機のキャッチフレーズが、爽やかに沸騰した脳味噌を貫いた。
 このクソ野郎!

「なな、何を言いやがるんだッ、この野郎!放せ!放しやがれッ!」

「抱き付いたり離れたがったり…忙しい奴だなァ」

 がーッ!!!
 俺が胡乱な目付きで睨み付けていると、それまで黙って俺たちの遣り取りを窺っていた洋太は、それからまるで何事もなかったかのように溜め息を吐いたんだ。

「心配で…でも、何事もなくてよかったよ。それじゃあ、僕は先に部屋に戻ってるね」

 呟くように洩れた声に、俺は愕然とした。
 違う!洋太、何事か起こってるんだよ!!
 平然とした口調の裏の動揺は…俺にくれる嫉妬?
 嬉しさとか、焦りだとか、綯い交ぜした焦燥感に心が悲鳴を上げて…

「よ、洋太!待って…」

「なんだよ、アイツ。君が想っている以上には、彼は君のことを想ってはいないんだよ」

 軽く鼻先で笑ってあしらうソイツに、俺はキレた…んだ。
 裸で抱き合ってりゃ誰だって勘違いするじゃねぇか!
 この野郎…元はと言えばお前さえ現れなきゃ…俺と洋太のラブリン旅行は恙無く進行する予定だったんだ!
 浴室から出て行ってしまった洋太の大きな後姿が目の裏にバッチリ焼き付いていて、俺は一刻も早くその後を追いたくてソイツの腹部に膝蹴りをカマしてやった。
 今度と言う今度は気合を入れて。
 ふざけるなよ、この野郎。
 俺の洋太の悪口を、後1回だって口にしやがったら今度は本気で殺してやる!
 …とか嘯いて、本当は悪口とかそんなもんじゃなくて、その台詞に俺の中に常に燻っている疑問に火をつけたってだけのことなんだ。
 蛙が轢き殺されたときのような声を上げて湯船に水没するソイツを無視して、俺は慌てて脱衣室に駆け込んだ。駆け込んで、その姿を捜したんだ。

「洋太…」

 姿はなくて、俺は取り残された子供のように項垂れてしまった。
 違うのに、別に好きだとか言って抱き付いていたわけじゃないのに…
 苦しくて、死にそうで…だって、洋太だって思ったんだ。
 そうだよ、ああ、そうだよ!
 俺はいつだって洋太なんだ。洋太が好きなんだ。
 だから…どんな時だって、たとえそれが洋太じゃないとしても、洋太であって欲しいと願うんだ。
 だから、お願いだから俺を独りにしないで。
 洋太の、あのふくふくした頬に触らせてくれ。大きな背中に両腕を回して、『好きだよ』って囁きながらその肩に頬を乗せて安心させてくれよ…
 俺の中にどす黒く煙るこの不安が形を作る前に、お願いだから洋太、俺を安心させてくれ。
 お前が思う以上に俺はお前が大好きだよ、洋太。
 エッチがしたい、キスがしたい…抱き付いて、もう離れたくないと言って鼻先を擦りつけたい。
 どうして…想いってのはこう、素直に相手に伝えることができないんだろう?
 大きな鏡がある前に、休憩用に設置された椅子がある。俺はとぼとぼと歩いていくと、素っ裸のままでそれに腰掛けた。

「…はぁ」

 溜め息を吐いて、前髪に片手を突っ込んだ。前髪を掻き揚げるようにして、空回る想いの虚しさに涙が出そうになる。
 あのヘンな奴が言ったように、俺が想っている以上には、洋太は俺を想ってくれていないんだろうか…でも、洋太は俺に言ったんだ。
 両想い…だって。
 その言葉だけで嬉しい。
 嬉しいのに…満足していない心が『違うだろ?』と唆してくる。
 俺は、俺は欲張りなんだろうか…

俺が旅行に行ったワケ 6  -デブと俺の恋愛事情-

「んもう~、すっごい心配したんだよ?」

「ほほう、心配していた奴が人の飯まで腹に収めていると?」

 案内された別室では、既にプリプリと腹を立てていた佐渡と小林とが座っていて、酒盛りならぬジュース盛りをしていやがった。
 仲居さんはクスクスと申し訳なさそうに笑って出て行ってからの発言だ。

「でも!里野くんたちの分はちゃんと取ってるもん」

 ツンッと外方向く。
 ああ、確かに俺たちの飯はある。
 飯はあるが…洋太と食おうと思って奮発した舟盛りが何で消えてるんだ!?

「マジかよ…5000もしたのに」

 畳にガックリと膝をついて、項垂れるように両手をついた俺の悲愴な肩に手を乗せながら、洋太はのほほんと笑って言ってくれやがる。

「ご飯は残ってるからいいじゃない。僕もうお腹ペコペコだから、早く食べよう?」

「そうじゃねぇだろ!畜生!俺の、俺のファンタジーがぁぁぁッ!!!」

 がるるる…っと、その渾名のように牙をむいて洋太に食って掛かる俺を、ヤツはまるで子供にするように頭をポンポンと撫でてくれて、両手を持って立ち上がらせてくれた。両手を持って促すと着席させられて…気勢の殺がれた俺は泣きたい気分で頭を抱えるしかねぇんだ。
 うう…覚えてろよ、佐渡。

「さ、里野先輩。俺、半分持ちますんで…」

 小林が申し訳なさそうに胡乱な目つきの俺に言いやがるもんだから、さらに腹が立つ。つーか、洋太!のほほんと合掌して飯を食ってるんじゃねぇ!
 ああ、もうマジで苛々するぜ!

「うるせぇっ!クソ後輩。黙って飯を食ってろッ」

 片膝を立てて頬杖をついた俺がコーラをビンのままで飲みながら胡乱な目付きで睨んでやると、小林のヤツは怯えたように身体を竦ませる。
 これじゃ、ただの酒飲んでくだをまいてるオヤジじゃねーか!
 俺って…
 佐渡の無法地帯とかした惨劇の部屋を後にして、さすがに初日で遊び疲れた俺たちは眠い目を擦りながらそれぞれの部屋に戻ることにしたんだ。
 外エッチして疲れてたけど…俺としてはもう一度風呂に入りたかったから、布団の上で大の字になっている洋太にそのことを告げて、傍らに屈み込むとその少し厚めの唇に口付けた。
 洋太はちょっとビックリしたようだったけど、眠いのか、目を擦りながら気を付けてねと呟いたようだった。
 何を気を付けるんだか…ま、行って来ますのキスを盗めたんだ。よしとしておくか。
 俺は鼻歌交じりに洋太を部屋に残して意気揚揚と風呂場に向かったんだ。露天風呂は時間外でもう無理だけどさ、内風呂も結構広くていい感じだったんでそこに向かったってワケだ。
 後始末したとは言ってもまだ体内に残ってるもんはある。
 部屋の風呂でもいいんだけどさ、やっぱこう、開放的な気分で入りたいよなー。
 部屋の風呂だと主成分が違うだけで家の風呂と変わんねぇだろ。
 狭いし…
 内湯はそれでもまだ早い時間だってのに誰もいなくて、開放的と言うか、ちょっと広すぎて怖い。
 …誰もいないのか、そうか。
 チッ、洋太を連れて来りゃ良かった。
 俺ってばホントに洋太が好きなんだよなぁ…つくづく、そりゃもう感心するぐらいには好きだと思うよ。
 あのでかい身体に組み敷かれて、身体の最も奥深い部分にアイツのでかい灼熱を捻じ込まれて…熱い飛沫を受け止めたりしたら…やべ、勃ってきた。
 今夜はもう、抱いてくれないだろうなぁ。
 疲れてたみたいだからなぁ…でもま、初っ端からガンガン犯りまくったらあとの4日間がもたないだろう。アイツのミルクタンクを空にするまで毎日だって頑張るつもりだったけどさ…アイツは、アイツはどうなんだろう?
 俺ばっかりが頑張ったって意味がねぇんだよ、アイツは俺の身体を抱きたいって思うんだろうか?
 毎日、壊れるまで抱き締めたいって思ってくれてるのかな…
 熱く火照った身体の熱を持て余した俺は、冷たいシャワーを頭から浴びながら目を閉じた。
 こう言う風に無防備にしていると、身体の奥に注がれた洋太の名残が足の間を伝って流れ落ちていく。何か大切なものが流れ出ていくようでソコに思わず力を入れたくなったんだけど、後始末を怠ると大変なことになるのを身を持って経験しているからな、出てしまうまで身体を震わせて待っていた。でも、最後の方は…やっぱ指で掻き出さないと出てしまわないだろう。
 いつもは洋太がしてくれて、それでまた興奮するんだけど。
 俺はパーテーションに区切られたシャワー室のような個室の壁に手をついて、目を閉じたままで後ろに指を這わせた。自分で自分のソコを触るのは、いつもドキドキするんだ。

「…ッ」

 なんだか1人エッチしてる気分に呆れながら、俺は最奥まで指を突っ込むと、ドロッとしたそれを掻き出したんだ。
 シャワーに流されたそれは排水溝に吸い込まれてしまう。

「…ぅ…ッはぁ」

 張り詰めていた息を吐き出して、思わずその場にへたり込みそうになった俺の肩を、唐突に誰かが掴んだんだ。

「うわ!なんて冷たいシャワーを浴びてるんだい!?風邪を引いてしまうよ」

 見知らぬ男だった。
 誰だコイツ?
 慌てたようにコックを捻ってシャワーを止めたソイツは、ボンヤリしている俺の腕を引いて熱い湯船に浸けやがったんだ!うっわ!マジで熱い!火傷しそう・・・つーか、心臓麻痺でも起こしそうだぜ!

「な、何をしやがるんだッ!」

「風邪を引くよ…君。やっぱり本当に男の子だったんだね」

「あぁ?」

 俺を見下ろしてくる得体の知れないソイツを胡乱な目付きで睨みあげると、ソイツはちょっとドキッとしたようにギクシャクと目線を逸らしちまった。

「なんだってんだ?」

「その、ああ言うことは…その、君は…あんな風に1人で…」

 いまいち要領を得なくて、俺は広い浴槽に伸び伸びと足を伸ばしてうつ伏せのように縁に両肘をついて頬杖をしたんだ。

「尻に指を突っ込んで1人エッチしてるのかって聞きたいのか?」

 直球で首を傾げると、ソイツは顔を真っ赤にして慌てふためいた。
 おもしれぇヤツだなぁ、コイツ。

「男が…好きなの?」

 言いよどんでるくせにそう言うことはハッキリ聞けるんだなぁ、まあ、いいか。

「いや、男が好きと言うよりもむしろ、俺は洋太が好きなんだ」

「洋太?あの、一緒にいた女の子みたいに可愛かった?」

「…ん?あんた、佐渡を知ってるのか?」

 俺が訝しそうに首を傾げると、ソイツはモジモジとしながら頷いた。
 顔を真っ赤にして…なるほど。コイツは佐渡が好きなんだな。
 まあ、それも仕方ねぇか。あいつ、ホントに守ってやりたくなるほど可愛いからなぁ。

「いいや、違うよ」

「え?じゃあ、あの背の高い…」

「それは小林。俺の愛してるのはあんな連中じゃねぇ!」

「…って、まさか」

 なんだよ、なんでそんなに驚くんだよ、このクソ野郎。
 俺がムチャクチャ不機嫌そうに眉間にしわを寄せて唇を尖らせると、ソイツは慌てたように両手を振って俺の横に滑りこんできた。
 ケッ、こんなヤツとは少しだって一緒にいたくなんかねぇぜ!もう、上がろうっと。
 そう思って立ち上がろうとしたら、急に腕を引かれてバランスを崩してしまった。そのままヤツの上にこけた形で…うっわ、鼻先がくっ付きそうな近くに顔があってムカツク。マジで、ムカツク。

「なにすんだ!」

「あんな、あんなデブ野郎と犯ってんのか!?」

「悪いかよ?つーか、お前!手を離しやがれッ」

 関係ないだろうがよ!
 暴れようとしても思った以上に力が強くて…この野郎。俺を本気で怒らせる気かよ、コイツ。
 俺が本気で暴れようとしたその時、バシャンッ水飛沫を上げてソイツは俺と身体を入れ替えるようにして組み敷きやがったんだ。両手を掴まれて、石の縁が背中に当たって痛いんだけどよ。
 …何をしてるんだ?
 何をしたいんだ?

「あんなデブ野郎に…こんな綺麗な…」

「あぁ?」

 眉を寄せて睨むと、唐突にソイツの顔が近付いてくる。
 こ、これは、まさか…
 き、キスなんか冗談じゃねぇぞ!行って来ますのキスをもらえたって言うのに、いや、実際は盗んだんだけどな!いや、そんなこたどうだっていい!取り敢えずコイツの手から逃げねぇと…急がねぇと俺、逆上せそうだ!
 どう、どうしよう。
 逃げるんだ俺!なんで旅館の内風呂でワケの判らねぇ野郎に組み敷かれてキスされんといかんのだ!?
 ったく、なんだって言うんだよ!?
 クソッ!逃げろ!逃げるんだ、俺!
 うう…洋太!助けてくれ!!

俺が旅行に行ったワケ 5  -デブと俺の恋愛事情-

 洋太の買った趣味の悪いバンダナで後始末して、俺が乱れた浴衣を直している傍らで、
ヤツは何だか不機嫌そうに俯いている。
 う?バンダナを汚したのが悪いのか?それともいえーいって思ったのがバレたとか…?
 バンダナは思い切り汚したからなぁ…洗ったって元には戻らねぇだろうし。よし、新しいのを買ってやろう!
 でも俺はそうは言わずに、洋太の太い首に両腕を回しながらニッと笑ってやった。

「なんだよ、良くなかったのかよ?不満そうな面しやがって。俺は初めての外エッチで興奮したんだけどな…」

 もう一度、整えた浴衣を脱がしてみるか?と首を傾げたら、洋太は慌てたように首を左右に振って条件反射で回した腰から腕を離すと俺の腕を掴んだんだ。

「もうすぐ夕飯の時間だよ。旅館に戻ろう。翔たちもきっと心配しているよ」

「よ、洋太?」

 相変わらずの仏頂面で俺の腕を引きながら大通りに出るから、俺はちょっと焦ってしまった。
 腕なんか掴んでるなよ、洋太。
 俺は別にかまわないけど、洋太が、お前が変な目で見られるじゃねぇか。
 洋太が変な目で見られたり、何か言われるのは嫌だ。すごい、嫌だ。
 なのに俺は…それが判っていながらでも、大して力も入ってないってのにその手を振り払えないでいる。
 変な目で見られるって判ってるってのに、クソッ!腕を掴まれて、このままどこまでだってついて行きたいなんて思っちまうなんざ…ったく。
 でも、嬉しいんだ。
 掴まれた部分がジンジンしてて、頬が真っ赤になっちまう。
 耳元で血が逆流してるのが判るし、目の裏がチカチカするほどドキドキしてる。
 ああ…これじゃ、俺が周りに目立つようにしてるんじゃねぇか!…なんてホントは、目立ちたかったり。
 見ろよ!俺、今すっげぇ好きな奴に腕を引かれてるんだぜ?いいだろう!って、世界中に言いたい。言い触らしたい。
 ヘンだ…俺。
 ぐいぐい引っ張られて、いつもは反対だからかな。こんな風に強引にされるとなんでも言うことを聞きたくなっちまう。もちろん、そんなの洋太だけだけどな!
 温泉町ってのは奇妙な習慣みたいなものがあるんだろう、一定の時間になると人影がなくなるんだ。宿屋がみんな同じ時間に夕食にするんだろう、ピタッと人影がなくなった石畳で、なのに俺は無言で歩く洋太の大きな背中を見ながら唐突に不安になったんだ。

「よ、洋太、どうしたんだよ?急に黙り込んで…」

 俺、ヤバイこと言ったかな?
 その、や、犯りすぎたのかな…
 恐る恐る尋ねると、洋太は俺の腕を掴んだままで突然立ち止まった。

「光ちゃんはきっと、自分が思っている以上に綺麗だって気付いてもないんだろうね」

 は?

「何を言ってるんだ、洋太。佐渡でもあるまいし…」

「そんなことないよ!」

 それから徐にバッと俺の方を振り返ったんだ。

「…ッ」

 思わずと言った感じで力の入った腕に少し顔を顰めたら、洋太はハッとしたように力を緩めたけど腕を離す気はないらしい。
 ったく、なんだって言うんだ!
 ワケが判らない状況に追い詰められると俺は、途端に苛々しちまう。
 どうしたってんだ、このデブ野郎は!向こう脛でも蹴り上げてやろうか。

「洋太、お前どうしたんだ?ちょっと変だぞ」

「変なのは光ちゃんだよ」

 間髪入れずに言い返されて、俺は目を白黒させながら首を傾げた。

「へ、変って…」

 やっぱ、旅行に来てて開放的になりすぎてるとか?
 エッチのしすぎだとか…あう。
 ふくふくの大きな顔を不機嫌そうに顰めて、洋太は俺を見下ろしている。そのただならぬ雰囲気に固唾を飲むようにして見上げたら、洋太はどこか痛そうな顔をして呟くんだ。

「変だよ。胸を触られてもなんにも言わないなんて、変だよ…」

 へ?
 それはその、別に野郎だし、変に何か言う方がおかしいと思うんだけど…あ!
 お、俺ってば確か、それで感じたから抱いてくれって言ったんだっけ?
 うっわ、それってマジでヤバイかも。
 つーことはなんだ?洋太はやっぱりヤキモチを妬いてるのか?

「アレはその、胸を触られたから感じたんじゃないぞ!」

 嘘をついた後ろめたさでいつもよりもずいぶん低い声で口篭もるようにモゴモゴと言い訳をすると、ヤツは疑い深そうに俺の顔を覗き込んでくるんだ。
 おお、ちょっと嬉しい。
 日頃は見てばっかりの俺を、洋太の方から覗き込んでくれるなんて…

「…だって、感じたって言ったじゃないか。あんなにすごくて…」

 ムッとして唇を尖らせる洋太の子供っぽい仕種に、俺はもうすごく嬉しくなって掴まれている方とは反対の手で洋太の浴衣の胸元を掴んだ。
 引き寄せるようにしてキスをしたら、洋太はちょっと驚いたように目を開いたけど、すぐに俺を引き離しやがるんだ。

「バッカだな!俺が洋太以外のヤツに感じるワケがねぇだろ!…アレは、お前が、洋太が嫉妬してくれてるんだって思ったら嬉しくなって…その、洋太で嬉しくなると下半身が熱くなるんだよ、俺は!」

 大して力の入っていない腕から手を離して掴みなおすと、人目がないことをいいことに、その大きな手を自分の胸元に当てて目線を伏せた。

「聞こえるか?今だってドキドキしてら…」

「光ちゃん…僕…」

 ホッとしたように息をついて謝ろうとする顔をキッと睨んで、俺はその鼻先を弾いてやった。

「バッカ、こんなときは謝るんじゃねぇ!キスするんだろ?」

 だって、確か恋人同士はそのはずだ。
 勘違いしてごめんねの時は、代わりにキスをするんだろ?そう、本で読んだ。
 人通りのなくなった石畳は、この時間になると省エネなのか、街灯も半分に落とされちまってる。それはそれで幻想的で綺麗だ。その薄ボンヤリと明るい街灯の下で、洋太は俺の頬に片手を当てて軽く上向かせながら、キスをしてくれた。
 唇を合わせるだけの簡単なキスだったけど、俺はすごく嬉しくて思わずエヘヘッと笑って肩口に頬を寄せて抱きついたんだ。
 すっげ嬉しい!幸せだ。
 頬に当てていた手を腰に回して抱き締めてくれた洋太は、そのぷくぷくしてる頬を俺の頭に押し付けてきた。
 おお!マジで嬉しい!!
 旅行に来て良かったな。
 洋太が俺で嫉妬するってのにも驚いたけど、こんな風に抱き締めてくれるのも嬉しい!
 旅先ってのは開放的になるって聞いたけど、マジだ!
 このままどんどん洋太が開放的になってくれりゃいいのに…
 俺はニヤニヤ笑いながら洋太のてっぷりしている背中に腕を回して、ほくほくとそんなことを企んだりしてギュッと抱き付いていた。
 うん、すごくしあわせだ。

俺が旅行に行ったワケ 4  -デブと俺の恋愛事情-

 …とか言いながら、しっかり散歩に来ている俺っていったい。
 カランコロンッと石畳にお約束通りの下駄の音を響かせて、クソッ!何を嬉しそうな顔をしてるんだこのデブ野郎!
 湯上りの火照った肌に5月の風は心地よくて、俺はボンヤリと街灯の脇にある、下に川が流れてるから橋みたいになっているんだよな。その欄干?らしきものに凭れながら町並みを見渡していた。
 それなりに由緒のある温泉町は、昼間見たときには家族連れや恋人らしき男女、俺たちみたいなグループで来てる連中でごった返してて、そんなに風情だとか趣だとか、綺麗だなんて思いもしなかったのに…なんだろう。
 両脇にずらりと、洋太が言ったように街灯が並んでいて、石畳の道路を幻想的に浮かび上がらせている。
 土産物屋も何時までやってるのか、軒先から洩れる明かりがどこか懐かしく感じる。
 ああ、綺麗だな、この通り。
 綺麗だと感じられるのは、それは、俺が洋太と2人だから…

「あ!このキーホルダー見て?オーソドックスだよねぇ」

 観光地の地名とキャッチコピーが刻まれた鉄製で真ん中にちっこい砂時計の入った、温泉町に行けば必ずありそうなキーホルダーを振り回してキャラキャラと楽しそうに笑って店員に睨まれている佐渡を、小林が慌てたように何かを言って注意しているようだ。ムッとした顔をして下駄の先で向こう脛を蹴った、うっわ!
 ありゃあ痛そうだ。
 楽しそうだよな…あれ?なんでこんなに虚しいんだ、俺。
 つーか!当たり前じゃねぇか!クソッ、何が2人だ!余計なコブが2匹もくっついてきてるんだぜ?2人なんて浮かれてるなよ俺!
 そんなことに浮かれる自分が情けない。泣きそう。
 もう、泣きたい。
 いや、泣く。
 俺の悲しげな表情にも気付かねぇであのデブ野郎は…あーあ、センスのわりぃバンダナなんか買ってら。
 それと…チッ、よく見えねぇな。
 俺は連中の輪に入って、来た早々から土産物なんか買う気にもなれなかったから、土産物屋の外で手持ち無沙汰にブラブラしていた。ブラブラって言っても歩き回ってるってワケじゃない、そんなことできるかよ!
 洋太を待って、ただボンヤリと立ってるだけさ。
 することもなくて…でも目線だけは絶対に離さない。
 アイツが行く気になった時にすぐに横に並べるようにしておかないとな。

「彼女、1人?それともグループ?」

「あぁ?」

 それでなくても苛々してるってのに、今時、軟派なヤツだってそんなこと言わねぇよってな台詞で誰かが声をかけてきやがった。胡乱な口調だからって気分を悪くしたって知るかっての!
 大学生か、もしかしたらサラリーマンかもしれないソイツは、振り返った俺を驚いたようにマジマジと見ている。なんだよ、コイツ。失礼なヤツだなぁ。

「っと、ごめん。男の子だったのか。こんな温泉町でやたら色っぽくて綺麗で切なそうな女の子がいるなーって思ったんだけど…失礼」

 言うなり、ヤツは俺が何か言おうと口を開く前に、いきなり両手でワシッと胸を揉んできやがったんだ!…って、おい。こんな薄っぺらな胸を掴んでお前、何が楽しんだ?変なヤツだ。
 洋太の胸ならまだしも、アイツの胸はふっくらしててヘタな女の胸を揉むよりは気持ちいいんだ…つーか、女にだったらホントに失礼だぞ。
 しかし、この俺さまが女に見えるってのか?バッカじゃねぇのか。
 こいつの目はきっと卵だ。
 それも温泉卵。
 腐ってそう。

「あーッ!!僕の里野くんに何やってるの!?誰だよ、君!許さないッ!!」

 思うさま土産物屋を物色して小さな紙袋を持った、けっきょくあのキーホルダーを買ったんだろう、なのに嬉しそうな顔もせずに酷い剣幕で走り寄って来た佐渡の、その上気した頬が人形のようなピンク色で可愛らしい顔を見て、ギョッとしたヤツは唐突に自分のしている行為が恥ずかしくなったんだろうな。慌てたように両手をパッと離した。
 照れた顔は…今度は佐渡を女と勘違いしたのか?
 そうそう、それが正常な反応なんだ。

「光ちゃん、大丈夫?」

 こんな軟弱ヤローは2秒でマット…もとい!石畳に沈めてやれるんだが、突然後ろから腕が引っ張られて、ハッとして顔を上げたら日頃は穏やかなくせにムッとしたような表情の洋太の顔があって、すぐに俺をそのでかい背後に庇いながらズイッと前に出るとヤツを睨むもんだから、なんかそんな気になれなくなった。
 だって、それどころじゃないって!
 少し厚めの唇を不機嫌そうに突き出して、ムッとしてる顔の洋太…って、まさか。
 まさかお前、ヤキモチか?洋太、アイツにヤキモチを妬いているのか?
 俺は俄かに嬉しくなって、ドキドキしながら洋太のその顔を見上げていた。
 可愛い佐渡と巨漢の洋太の双壁に立ちはだかられて、思いきり怯んだソイツは慌てたように仲間のところまで走って行っちまった。いや、ご愁傷様だがアンタには感謝だ!
 洋太の知られざる嫉妬の顔を見られたからな!
 そうだお前、少しは俺でハラハラしろよ。
 満足でニヤニヤ笑う俺を、洋太のヤツは不機嫌そうに少し厚めの唇を尖らせて見下ろしてきた。
 う、そんな顔で見られるとドキッとしちまう。
 男らしい両目を細めて…睨むような熱っぽい目は…その、イロイロと想像しちまうじゃねぇか!
 だって、その目は…アノ時の。
 うっわ、ヤベ…勃ちそう。
 ドキドキしだした胸元を押さえて、俺は洋太を見上げた。
 佐渡はまだヒステリックに何か言って小林を困らせてるけど、そんなこた気にもならねぇ
 男ってのは欲望のベクトルが本能に向くと、ダイレクトに下半身が変化しちまうもんなんだ。
 俺は頬を湯上りってだけじゃない熱で上気させながら、掴まれた腕をそのままに、モジモジして空いている方の手で洋太の浴衣を掴んだ。

「なあ、洋太。その…戻らねぇか?」

 思い切り誘ったつもりだったのに、洋太のヤツは突然ハッとしたように目を見張って俺を見下ろしてきた。

「こ、光ちゃん?もしかして、風邪を引いちゃったの!?身体が熱いよ。それとも、アイツにもっと変なこと言われたのかい?」

 な、なぬ?言うに事欠いて風邪だと、この野郎…
 泣きそうな顔で呆気にとられた俺は、それでも無言でその胸元に額を当てながら目を閉じた。

「光ちゃん!?」

 俺のソノ気に全く気付かないこの鈍感野郎!
 それが頭に来るんだ!…つーか、俺の火の粉をコイツにも被らせたい!!

「アイツに胸を揉まれたんだ…やらしくさ。感じそうだった」

 つーか、感じないって。
 痛いことはちょっと痛かったけど、それだけ。
 ぜーんぜん、これっぽっちも何も感じませんでした。

「光ちゃん?」

 ゴクッと咽喉を鳴らして俺を見下ろす洋太。
 潤ませた目で俺が見上げたからだ。
 欲情に濡れた目はおたがい様だ。でも、その原因が洋太だってことはナイショ。

「忘れさせろよ…」

 囁くように呟くと、洋太は俺から一瞬も目をそらさずに…頷いた?
 よく判らなかったけど、怒りの矛先を小林に向けている佐渡たちをその場に残して、洋太は俺の手を引くようにして2人で人込みに紛れたんだ。

□ ■ □ ■ □

 人のいないところなんかなかった。でも、町には死角になる場所がけっこうあって、喧嘩慣れしている俺はそう言うところを敏感に見つけ出す特技があるんだ。大立ち回りだけが喧嘩ってワケじゃねぇ、そう言うことは頭の悪ぃ連中がするもんだ。
 ああ、でも喧嘩もしておくもんだな!

「ん…」

 狭い路地裏の壁を背にして、俺は洋太の首にかじり付くように腕を回してキスをしていた。
 洋太の熱っぽい指先が浴衣の裾を割って、既に形を築いているそれに指を絡ませるから…それだけでもう、身体が震えてしまう。

「光ちゃん…すごい」

 先走りで滑るそれを緩やかに扱きながら、洋太が耳元に熱い息と声を吹き込んできた。

「胸を揉まれたせいかも…」

 溜め息のように嘘を呟いたら、洋太は途端にムッとした。
 すげぇな、あの兄ちゃんにはホント、感謝だ。
 洋太が俺のことで妬いてるんだぜ?それだけで身体の芯が真っ赤になりそうだ。
 性急な、と言うか、少し乱暴な仕草で右足を持ち上げられて、パンツなんかっとくに下ろされて足首で蟠ってるから尻が丸見えになって…うう、ちょっと恥ずかしいかもとか思ってたら、乱暴なくせに、先走りで濡れる指先をそんなに優しく擦り付けたらお前、それだけで…

「ん…よ、洋太!」

 生理的な涙を目尻から零しながらキスを強請ったら、すぐにやや厚めの唇が激しく塞いでくれる。逞しい舌が俺の舌を捉えると、積極的に煽ってくる。
 ああ…いつもこんな風に俺を求めてくれたら嬉しいのに。
 小さな吐息を漏らして唇を離しても、洋太は決定打をくれようとしない。
 酷いヤツだ。
 俺は洋太の耳元に口を寄せると、舌でそこを舐めてみた。
 確かそうすると気持ちがいいんだって、何かの本で読んだことがあるからな。
 はじめ舌先に苦味を感じたけどそれだけで、やりはじめると楽しいな、これ。
 洋太はちょっとビクッとしたようだったけど、嫌じゃなかったんだろう、俺の中に埋めた指を器用に動かして快楽のポイントを刺激してくれる。

「んぁ…洋太、早く…こんな風に…ッ」

 ちょうだい…と囁いて舌を耳の中に差し込んで動かすと、洋太は焦ったような性急な仕草で指を引き抜いたんだ。ちょっと溜め息をつくと、今度は熱い灼熱が入り口を擦ってくる。
 焦ったように性急なくせに、入り口をゆっくりと擦りやがって…クソッ!それだけでイッちまったらお前を殺す!そんなことを思いながらギュッと両目を閉じて快楽の波をやり過ごしていたら…

「あ?よ、洋太…や…うぅ」

 よくほぐれたソコに洋太の灼熱の一番太い部分が潜り込んできて、思わず見開いた目から涙を零して、それから俺はうっとりと快楽に酔いながヤツの肩に頬を寄せた。
 両手で必死にすがり付きながら、洋太のくれる激しくて気持ちいいリズムに涙を零しながら、キスを強請って顔を上げたら、洋太の切なそうな両目とかち合った。
 洋太…

「光ちゃん…ッ…気持ち、いい?」

 滅多にそんなことを聞いてこないくせに…ったく。

「サイコー!…も、俺…ッ…めろめろ」

 舌先で唇を舐めながらそう言ったら、はにかんだようなキスをくれた。

「よう…たは?洋太は…俺を感じてる?ちゃんと…気持ちいい?」

 熱に浮かされたように潤んだ目で見上げながら肩で息をして切なそうに聞いたら、洋太はグッと強く抱きしめてくれて微かに頷いたようだった。

「うん…光ちゃんの中は熱くて…優しくて…きもちいい」

 その言葉が嬉しくて泣き笑いみたいな表情になったら、洋太は貪るようなキスをくれた。舌と舌を熱く絡めて、溶けてお互いの身体に混ざり合って、そしていつかきっと一つになるんだって。絶対に無理なのに…そんな風に思えるから、俺はキスが好きだ。
 洋太もそうなのか、俺がなんとなく強請ってもキスはいつだってしてくれる。
 ああ…幸せだ。
 あの兄ちゃんには感謝だぜ。
 俺はこっそりニヤッと笑った。
 身体の一番奥深い場所に灼熱の飛沫を受け止めながら、これ以上はないってぐらいの幸福に酔いしれて、俺は洋太にしがみ付きながらしてやったりと笑うんだ。
 日頃は俺が誘わないとエッチしてくれない洋太の、知られざる顔が見られたんだ。
 これが笑わずにいられるかってんだ。しかも、洋太はけっこう乱暴なコトが好きみたいだし…今度、嫌がるフリをしてみようかな。
 もっと酷く…情熱的に抱いてくれたりして。
 そんなことを考えてたら自然と顔がニヤケてくる。
 うう、初めての外エッチv
 サイコーだぜ!もちろんじゃねぇか。
 いえーいvだ。

俺が旅行に行ったワケ 3  -デブと俺の恋愛事情-

 浴衣でエッチ。
 してやったり!
 ニヤリ笑いで浴場に向かう俺に、佐渡は慌てたように後を追ってきた。

「ぼ!僕も一緒に入る!…その、だめ?」

 両手にはキッチリお風呂セットなるものを持ってやがるくせに、今さら何が【だめ?】なんて可愛く小首を傾げて言ってやがんだ。でも、許してやる。
 俺は今、海よりも深く広い心でなんだって受け入れてやれるからな!
 おお!いいヤツだな、俺!
 頬に片手を当ててニッコリ笑ってやると、途端に佐渡はムッとした表情をした。

「洋ちゃんと…その、犯ってたの?今まで?」

 ムッとはしてるけど、それでも声を潜めながら不貞腐れたように聞いてきた。

「おうよ!文句あっか?洋太のアッツイ愛がたくさん俺の中に注ぎ込まれたからな、飯の前に風呂だ!そして飯が終ったらもう一発!」

 幸福でボルテージの上がってる俺に聞いたお前が悪い。
 今ならなんだって言える。
 空だって飛べるかもしれねぇ。
 ホクホクしてこの宿ご自慢の露天風呂に着く頃には、佐渡は何か言いたくて、でも言えなくて、何とも複雑な表情で同じ暖簾を潜っていた。

「ええっと…でもさ、ほら。その、中の始末って部屋の内風呂でしたほうが良くない?誰かに見られたら…」

「見られたって構うかよ」

 俺が着ていた浴衣や下着をポンポンッと竹でできた脱衣籠に放り込みながら言うと、頬を薄紅に染めて恥ずかしそうに呟いていた佐渡はちょっとショックを受けたように顔を上げると、目を見開いて、それから変に気を回した自分の偏見にうんざりしたように眉を寄せて落ち込みやがったんだ。
 …って、おいおい。

「冗談に決まってるだろ?俺が良くても洋太が困る。そう言うのは嫌だから、ちゃんと内湯で始末してきてるって。それよりもお前こそ、小林はどうした?いつも腰巾着みたいについて回ってたろ?」

「うーん。どうしてだか知らないけど、一緒にってせっかく誘ってあげたのにアイツ、後で行くって言うんだよ!洋ちゃんと行くから、僕は里野くんと行けって。変だよね?」

 いつもは煩いヤツなのに、と、それでも腰巾着がいないといつものような調子が出ないのか、佐渡はやけに不機嫌そうに呟くと唇を尖らせて浴衣を脱いだ。
 先に脱いでてスッポンポンで立ってるってのも何だかなって思うけど、少し恥らいながら、いや、実際は恥らってなんかねぇんだけど、可愛らしい雰囲気がそんな演出をしててそう見えるんだよ!
 まあ、恥らうように浴衣を脱ぐ佐渡ってのは…なるほどね。小林は来ないはず、もとい、来れねぇはずだ。
 ヤツも健康な野郎なら、この姿でイチコロだろう。
 とか何とか言ってたら、暖簾を潜って風流な和紙でできた障子張りの引き戸を開けて誰かが入ってきた。
 そっちに目を向けると…

「洋太!」

 俺が嬉しくて駆け寄ろうとすると、ほぼ、つーか全裸の俺に顔を真っ赤にした洋太の背後から、同じく真っ赤な顔をした小林が姿を見せた。俺を見てってワケじゃねぇんだろう…元凶は、アレか。

「あ!後で入るんじゃなかったの?」

 ムッとしたように唇を尖らせた元凶のワガママ坊ちゃんに、小林はモジモジと俯いて『長崎先輩が行くって言うから…』と、キッチリ洋太のせいにして言い訳をカマしてる。
 ったく、男らしくねぇな。
 オズオズと洋太の背後から入ってきた小林は、プッと可愛らしく頬を膨らませている沢渡から少し離れた脱衣籠に浴衣を脱いで放り込み始めた。

「光ちゃん、先に行ってなよ。その、風邪を引いちゃうよ?」

 モジモジしたように洋太がそう言って、俺は漸く自分が全裸だったことに気付いて頷いた。

「じゃ、先に行ってるから」

 タオルを片手に鼻歌交じりで行きかけたその時。

「え?あ、待って!僕も…」

 慌てたように浴衣を脱ぎ散らかして俺を追おうとした佐渡が、小さな声を上げてこけた。
 いや、正確には尻餅をついたんだ。

「きゃん!」

 ブッ!
 俺には確かにそんな音が聞こえたような気がする。
 振り向いた先、小林が鼻を押さえてへたり込んでいた。

「わわ!?大丈夫かい?小林くん!?」

 傍らでのん気に着替えていた洋太が慌てて屈みこむと、小林は何でもないですからと言いながらも、驚いたようにペタリと床に座り込んだままで心配している佐渡を見てさらに鼻血を出しやがる。
 …ったく、ご愁傷様なヤツだ。

「俺は露天風呂に入るんだ!勝手にやっとけ」

 やってられっかよ。
 溜め息をついて浴場に向かう俺と、洋太に支えられるようにして椅子に座る小林を見比べていた佐渡は、悩みもせずにすぐに俺を追ってきた。
 小林のガックリと項垂れる姿がチラッと目の端に写って…ホント、ご愁傷様なヤツだと俺は溜め息をついた。
 佐渡の鈍感さは洋太と同レベルだ。
 ったく、先が思いやられるよな、俺たち。
 俺はほんのちょっとだけ小林の気持ちが判ったし、ヤツに親近感すら覚えた。
 小林は純なヤツだから佐渡においそれとは手が出せないんだろう。ましてや身体が弱いときてる、今回の旅行も主治医を拝み倒して来たって言うじゃねーか。
 薬と注射器を常備してってのも可哀相だし、小林は精一杯、佐渡に良くしてやろうと努力している。でも、佐渡は俺が好きなんだよなぁ…
 少し熱めの湯に白い身体を浸けながら溜め息をつく佐渡を、同じ男湯に入ってる連中が驚いたように見ている。そりゃそうだ、女かと見間違えるほど綺麗な肌と顔をして、頬なんか桜色に染まってりゃ誰だって生唾ぐらいは飲みたくなるだろう。
 だからってそんなに気色ばむなよ、小林。つーか、いつの間に来たんだお前?

「に、忍者…」

 踏ん反り返って湯に浸かっていた俺が頬を引き攣らせながら思わず呟くと、傍らに湯を波立たせて入ってきた洋太が、でかい身体を伸ばしながらやれやれと溜め息をついた。
 お前はオヤジか。

「何が忍者なの?」

 首を傾げる洋太に、小林の立ち直りの早さだよ、とは言えなかった。
 まぁ、あんだけ根性がなきゃ佐渡を好きにはなれんだろうなぁ。俺が洋太と両想いになるのにだってしこたま時間がかかったんだ。あの調子だと、俺たちが卒業するまでにはくっ付かないかもな。
 妙な老婆心が芽生えちまう。
 俺は案外お節介だからな…クソッ!この旅行は俺と洋太の新婚旅行だってのに!なんで俺が他人の恋愛にまで気を遣わなきゃならんのだ!?

「洋太!風呂から上がったら夕飯まで…」

「うん、もちろん判ってるよ。なんだ、光ちゃんも同じことを考えていたんだ…なんだか嬉しいね」

 俺を離すんじゃねぇぞ!…と言いかける語尾に被さるようにして洋太が言ったから、ああ!コイツもとうとう俺のことを…って、嬉しくなった。
 もちろんじゃねぇか。
 ああ、洋太…俺も嬉しいよ!
 そりゃもう、泣きたくなるほど嬉しい!

「洋太!俺…」

「道の両端にずらーっと街灯がたくさん灯っていてね。すっごく幻想的だってパンフレットに書いていたよ。夕飯まで散歩しようね。浴衣で、下駄の音とか響かせて石畳を歩くんだ…風情があるよねぇ」

 ガクッ!ばしゃん!
 見事に水没。

「こ、光ちゃん!?」

「それ!僕も賛成!」

「佐渡が行くなら、俺も…」

 両手を挙げて万歳をするように喜ぶ佐渡に小林が小さく笑いながら頷いてるってのに、水面から顔半分を出して胡乱な目付きで俺が睨むもんだから洋太は何か悪いことを言ったかなぁとでも言いたそうな間抜け面をしやがる。
 コイツら…ぜってぇ、殺す!
 特にこのデブ野郎!お前は殺す!
 畜生!
 お前らまとめて逝ってよしッ!