ピチュピチュと、明るくなっているカーテンの向こうの世界から鳥の声がして、耳鳴りがする重い頭では思考回路もまだハッキリしていないけど、どう見てもそこは俺の部屋で、見慣れた天井が視界に広がっている。
「…俺、どうやって帰ってきたんだ?」
掠れて拉げたような声が出て、軽く咳払いをしたらどうにかまともな声が出せたんだけど…ふと筋肉痛に軋む腕を持ち上げて前髪を掻き揚げようとしたら、目に飛び込んできた白い包帯を見て、漸くハッキリと意識を取り戻せた。
グハッ、拙い!
こんなの母さんに見られたら、何があったんだと根掘り葉掘り聞かれた挙句、暫く夜間の行動が禁止されちまう…って、別に夜間に出歩かなくていい理由ができるんだ。何、焦ってんだよ俺。
いや、そうだ!
俺にとっては正当な理由だけど、あのカタラギはそうじゃない。
イキナリ家に押しかけてきて、母さんとか親父に危害を加えるかもしれない。そうなると俺的に非常に拙い。だから、夜間の出歩きを禁止されたら大問題じゃねーか!
…と、なんか必死に理由をつけてるようでバツが悪いけど、ギシッと軋むような身体を起こして、俺は溜め息を吐きながら、感覚が乏しい足を床に下ろして顔を顰めてしまった。
何処も彼処も痛い。
こんな身体で学校に行けるかな…いや、根性で行こうとしてるんだから、スゲーよな。
だってさ、兵藤に聞きたいことがたくさんあるんだ。
あの時はてっきり悪夢だとばかり思っていたのに、放課後に兵藤が言ったはずの言葉が耳から離れない。
あのエヴィルとかって化け物…世間に浸透してるって言うのか?
どうして、俺はそんなスゲーことを知らないんだ?
よく判らなくて…でも、何か知ってるはずだと考えようとしたら頭がズキズキする。
顔を顰めながら何気なく触れた下腹部にギクッとした…だってさ、気持ち的には目立つほどでもないんだけど、やっぱり少し、膨らんでいるような気がする。
と言うことはだ、意識を失くした俺を、カタラギは抱いたんだろうか。
俺の胎内からエヴィルが放った精を憎々しげに掻き出したあの、燃えるように熱い指先で、意識を失くしたままの身体を、隈なく辿って抱き締めたのか。何か香でも焚き染めているのか、カタラギは独特の匂いがした。その匂いに抱き締められて、突き上げられながら俺、夢の世界にいたなんて。
目が眩むような淫靡な光景を想像して…って、何を考えてるんだと、唐突にハッとして顔を真っ赤にしたら…おい、信じられるかよ。
ま…ぁな、朝の生理現象なんだからそう言うことだって起こって当たり前だよな、まさか、そんな馬鹿なこととかないとは思うけど、カタラギの温もりとか匂いとか、貫かれた時の痛みとか…そんなモンを思い出して、まさか勃起したなんてこたねーよな。何、考えてるんだ俺!アハハハッ。
……なんか、非常に拙いことになってると思うぞ。
あんまり、カタラギから『オレの女』を連発されて、脳内で妙な具合で捻じ曲がって、カタラギみたいに曲解しようとしてるんじゃねーだろうな?
具合の悪さは昨日の朝よりも酷かったけど、それでも鬱々と部屋で寝転んでるのも落ち着かないし、何より、母さんに適当な言い訳でも考えないと、最後には学校にだって行かせて貰えなくなるぞ。
うんざりするほど面倒臭いんだけどさ、俺は溜め息を吐きながらノロノロと制服に着替えると、重くなる足を引き摺りながら階段を下りてダイニングに行った…けど、母さんはいなかった。
ふと、朝食の用意がされたテーブルの上を見ると、几帳面な母さんらしい綺麗な字で書置きがあった。
『光太郎へ。昨日はエヴィルに襲われて大変だったそうね。たまたまハンターが通りかかったから良かったものの、気をつけなくちゃ駄目よ。もし、学校に行けるようなら、兵藤くんにちゃんとお礼を言いなさいよ。お母さん、仕事に行くからね。今日は遅くなるけど、暫くは夜間の外出禁止よ。判った?じゃあ、行ってきます』
…思わずポカンッとしちまった。
あの冷静沈着で、物静かで、幽霊とか信じない母さんが書置きに『エヴィル』とか『ハンター』とか、何を書いてるんだと目を疑って、俺は実に5回も読み直してしまった。
早く家を出ないと遅刻は免れないってのに俺は、慌ててリビングに行くと、テレビのリモコンを引っ手繰るように手にして、慌てて電源を入れたんだ。
見慣れたキャスターが聞き慣れない台詞を連発して、俺は呆然と立ち尽くしながら、母さんがソファに置いて行った新聞を引っ掴んで開いてみたんだ。
確かに、新聞にも小さな記事が出ている…って、おい、待てよ。
どうして、あんな怪物が暴れたってのに、一面じゃないんだ?!
何が、どうなっているのか、まるで判らない。
カタラギに出会って、一夜明けたら『エヴィル』は当たり前のように、生活の一部みたいにして普通に報道されている。まるで日常茶飯事のことだから、そんなに気に留めることもない…みたいな、なんだよ、この泥棒が出たぐらいですみたいな扱い方は。
ネトゲばっかやってるからって、これは異常だ。
「学校…そうだ、学校に行こう。そんで、兵藤をつかまえないと」
アイツは正真正銘のエヴィルだ。
でも、そこまで考えて俺は違和感を覚えた。
そうだ、学校にまで入り込んでいるほど、エヴィルの存在は浸透しているじゃないか。
どうして俺、そんな大切なことに気付かなかったんだろう。
カタラギと出会ってから、何かが微妙に歯車を狂わせたみたいに、チグハグな気分になる。
何もかもがシックリいっているようなのに、何処かが微妙におかしくて、何か大事なことを見失っているような心許無い気分になるんだ。
俺は学生鞄代わりのスポーツバッグを引っ掴むと、知らず乱暴にドアを閉めて鍵をかけて、痛む身体を忘れたみたいに走り出していた。