なぜかって?
決まってるだろ。俺がどんよりと暗雲を背後に背負ってブスッと窓の外を見てるからだよ!
俺はな、楽しみにしていたんだ。ホンットーに!楽しみにしていたんだよッ。
冬の終わりごろから今まで、もうずっと気の休まる暇なんかなかった。
ああ、そうさ!
このデブ野郎との恋愛事情で右往左往してて、漸くその恋が成就して、俺たちは2人きりでゴールデンウィークを利用した旅行をすることにしたんだ。
2人きりでな!
遠くは、高校生如きの収入じゃまるで無理だからってんで、近場の温泉にした。
温泉だぜ!?温泉!
想像しただけでも鼻血もんだってーのに、この野郎…
「どうしてここに佐渡と小林がいるんだよ!!」
俺の傍らにピッタリと身体を寄せて座る天使なんか目じゃねぇ、フリルがふわふわしたドレスでも着せればビスクドールとして高く売れそうな人形よりも可愛い佐渡と、洋太の横で窮屈そうに身体を強張らせてる小林。
何でこいつらがいるんだ!?
俺はジロリと睨んでやる。
巷では地獄の狂犬…番犬じゃないところがなんだかな、と言いたくなるような曖昧な渾名で呼ばれる俺、里野光太郎さまの鋭い眼光に睨まれたんだ、洋太のヤツは卒倒ぐらい起こしかねないほど緊張してんだろう…とか思うだろ?
ところがどっこい、洋太のヤツはその件に関してはいまいちビビってねぇんだよな。
まあ、当然かも。
コイツは俺なんかより数倍も強いから、そんなことに渋い顔をしてるんじゃねぇんだよ。
きっと俺の機嫌だ。
朝からニコリとも笑ってやってねぇからな。
当たり前だっつの!
ほんの僅か数時間前の電話じゃ、そりゃあラブラブだったさ!俺だって思い切り甘えた声を出してた。それだって、宿での洋太とのあんなことやこんなことを想像してメチャメチャ興奮してたからな。
浴衣から素肌の腿を覗かせたらどんな反応をするだろうかとか、浴衣のまま抱かれるってのも風情があるなとか、家族風呂を借りて逆上せるほど抱かれたらどんな気分なんだろうだとかな!
いろいろとシチュエーションを考えてはワクワクしてたってのに…俺のファンタジーを悉く破壊しやがって!
どんなに謝っても今日と言う今日は許さん!
いつもは許してやるけど、今回はぜっっっっったいに!許してやらん!
…とか言って、あのでかい身体に圧し掛かられて、組み敷かれてキスなんかされたりしたら、きっと俺。1も2もなく許しちゃうんだろうけど。
ヤバイぐらい、洋太が好きだから。
チッ!
「ん~、ちょっと気分悪ッ!トイレに行って来るね」
「あ、佐渡俺も!」
佐渡が少し具合が悪そうに立ち上がるから、俺は不意に心配になってヤツを見上げたけど、それよりも早く小林が立ち上がってついて行くと言い張るもんだから、佐渡は渋々と言った感じで引き連れて行っちまった。
よし、これで邪魔者がいなくなった。
見送っていた俺が途端に胡乱な目付きで振り返ると、洋太はそのデカイ身体をこれ以上はないってぐらいに小さくして、叱られた動物みたいに項垂れてやがる。
「洋太。俺は今、かなり怒ってる。そりゃ、判るだろ?お前との旅行の為だけに、やりたくもねぇバイトだってしたんだ!」
そうさ!近所のファミレスで慣れないウェイターなんかして、夜中は年齢を偽って、人の好い店長を騙しながらコンビニでもバイトしたんだぞ。まあ、それもこれも貯金もせずにあればあるだけ遣ったお鉢が回ってきた、つまり自業自得なんだけどよ。
いや、そんなことじゃねぇ!微妙に1人で脱線するところだったぜ!
「わ、判ってるよ、光ちゃん。僕も言うつもりなんかなかったし、実際には誰にも言ってなんかないよ!僕だってその…光ちゃんと2人きりで旅行したかったから…」
「だったらなんだって佐渡が知ってるんだよ!?」
「そ、それは…その…」
モグモグと口の中で言葉を噛み切る洋太の煮え切らない仕種に苛々しながら、俺は膝頭をそっと擦りつけながらごった返す列車の中で、声を極力絞って洋太にしか聞こえない程度に囁いてやった。
「俺と犯りたくねぇのかよ。温泉なんだぜ?浴衣の俺は、きっと色っぽいと思うぞ?その俺をひん剥いて、ああいや、ひん剥かなくったってそのまま突っ込んだっていいんだ。やらしいこと、いっぱいするつもりだったのに…」
洋太は違うのかよ?…と、何かを取るついでのように洋太の方に身体を伸ばした俺は、その耳に掠めるように囁いてやる。そうするともう、洋太は茹でダコのように顔を真っ赤にしてモジモジしながら俯くしかないんだ。
ふん!いいざまだ。
これぐらいの意地悪をしたっていいだろ!?俺の夢のようなファンタジーを悉く台無しにしやがったんだからな!本当だったら、こんな混んでる電車の中でだってお前を押し倒せるんだぜ、俺は。
そうしなかっただけありがたいと思え。
苛々している俺は、いまいち腑に落ちなくて、真っ赤になって項垂れてる洋太に腕を組んで唇を尖らせて言ってやった。
「で?どうしてお前が言ってねぇのに、佐渡たちが知ってたんだよ?」
「それは、ええっと…」
もごもごする洋太の席の方から、人込みを掻き分けるようにして佐渡を庇う小林の姿が見える。
クソッ!もう戻ってきやがった。
俺が苛々しだすと、洋太は仕方なさそうに溜め息をついた。
「切符を見られちゃったんだよ。その、光ちゃんと買って帰った、翌日に…」
なんてこった。
一週間も前からバレてたって言うのか!?
しかも、全部が全部洋太のせいってワケでもねぇ理由のせいで?
そうだ、あの日。
俺は嬉しくて嬉しくて…見境なくも洋太が気を失うほど犯っちまったんだ。もちろん俺だって意識は手離したけど…合鍵を持ってる佐渡のことだ、泥沼に嵌り込んだように眠る俺たちにムカムカしながらも、きっとテーブルの上に出しっ放しにしてあったチケットだのクーポンだのを見たんだろう。
そうか、俺のせいでもあるのか。
ああ!クソッ!
だからってそれでも洋太が悪いんだ!
合鍵なんか渡しておくなよ、くそったれ!
「お待たせ~♪」
鼻歌混じりに戻ってきた佐渡は俺の腕に抱き付くように座って、車内にいる殆ど全員の視線を釘付けにし兼ねない満面の笑みを浮かべてくださった。
「ぼ、僕もちょっとトイレ…」
慌てたようにやや前屈みで席を立つ洋太を、佐渡と小林は不思議そうに見上げたけど、俺はいたって冷静に言ってやる。
「お早いお帰りを!」
洋太は真っ赤になりながらオズオズと人込みを掻き分けて行っちまう。その広い背中を見送りながら、俺は悲しみに唇を噛み締めて真剣に思うのだ。
ざまーみろ!