僕は思わず笑ってしまったけど、国安に胡乱な目付きで睨まれて俯いた。それでも肩が震える。
だって、大学の国安とは大違いだから。
女の子をナンパすることが生き甲斐で、けっこう見られる顔をしてるからそれなりに取り繕ってるのに、今の国安を見たらまるっきりただの兄ちゃんだ。同じ学科の美紀ちゃんが泣いてしまうよ。噂では国安のシンパの1人だって言うのに。
「お前さ、ちょっと笑いすぎ」
「そりゃ笑っちゃうよ。なんだい、その格好」
「Tシャツと短パンで何が悪い。おらおら、お前たちもぼぅっとしてないで着替える着替える!」
どっかりとペットボトルを直接床に置いた国安に、匡太郎と僕は追い立てられるようにしてボストンを投げられた。
そんなにモノの入っていないボストンを受け取って、匡太郎は僕を見下ろすと仕方なさそうに肩を竦めてるんだ。困ったような表情が、ワガママな匡太郎にしては珍しいな。
僕が思わず笑っちゃうと、匡太郎は訝しそうに眉を寄せて見下ろしていたけど、肩を竦めただけで別に何も言わなかった。
…で、結局は国安の思い通り着替えて寛いだ僕たちは円座を組んで部屋の中央で胡座をかいている。男が三人で顔を突きつけるってのは…あんまり色気のあるものじゃないよね。だからって国安の妹の乱入があっても困るんだけど。
「兄ちゃんたちは大切な話をしてるの!母さーん!由紀をここに来させるなッ!」
追い出して叫ぶ国安に、遠くの方でお袋さんの豪快な笑い声が聞こえて、小さな子供の泣き声が遠ざかっていく。障子を閉めてぐったりと座り込む国安に、匡太郎がクスクスと笑った。
「面白いほど賑やかな家族だな」
「放っておいてくれ」
「嫌味じゃないんだけど…」
クスッと笑う匡太郎に、国安がバツの悪そうな顔をして肩を竦めた。下唇を突き出して、そんな表情をするとさっきの由紀ちゃんによく似てる。
さすが兄妹。
「さて、本題に入ろうぜ!」
半ば自棄になって話題を変えようとする国安を、僕と匡太郎は顔を見合わせて笑った。笑って、僕は気付いたんだ。
この島に来てから、僕はやけに素直に笑えてる。
あれほど嫌で、逃げ回っていた弟とこんな風に和やかに会話ができるなんて…失ってみて初めて気付いた大切なものを、僕はもう二度と手放すつもりはなかったから必死だったのかもしれない。
匡太郎と肩を並べて歩いても、今の僕なら、あの中学生や高校生だった頃のように恥ずかしいとかそう言った感情はもうないし、喜んで歩けるかもしれない。
そんな風に思えるのは、きっと、本当は酷く閉鎖的で気が滅入りそうになるはずのこんな村でも、ちっともめげることなく大らかに生きている国安家のお陰なんだろうなって思う。
匡太郎も近頃よく見せていた奇妙な、あの大人びた表情が少し鳴りを潜めてるみたいで、警戒心が和らいでるのかも。
「結局、俺たちは深夜にあの島に行って、夜明け前にこっちに戻って来ないといけないんだ。その間の時間は7時までに戻るとして、3時間ぐらいしかない」
「7時で大丈夫なのか?田舎の朝は早いって言うけど…」
「大丈夫だ。この日だけは、みんなの起床は9時きっかりだと決まってる」
「…はぁ、なんかそれもすごい話だよね。脈々と受け継がれてるんでしょ?」
僕は思わず2人の会話に割り込んでしまって、ちょっと溜め息をついた。
だって、すごいと思わないかい?100年以上も昔から、この島の人たちはひっそりとこの行事を続けてきたんだよ。僕たちなんかが介入できない、この島にだけ受け継がれる神秘の営みに、本当に入り込んでもいいんだろうか…いや、僕はもう偽善者になることはやめたんだ。
弟の秘密が判るのなら、どんなことだってしてみせる。
それは償いだし、何よりも兄としては当然のことだと思うから。
「受け継がれてるけど…まあ、俺としては実際の話。こんなのは下らない風習だと思うんだよ」
匡太郎は無言で国安の顔を見詰めたけど、僕としてはどうしてそんなことを言うのか判らなくて首を傾げてしまった。
「考えてもみろよ。骨すらも残らないんだぜ?棺桶ごとなくなっちまうんだからな」
残された遺族を思えば…なるほど、それはそうかもしれない。
「うんざりしちまうよな?時代は21世紀に入って、都会じゃやれインターネットだケータイだって文明の利器を叫んでるのに、この村はいつまで経っても昔の因習に縛られたままなんだ」
溜め息をつく国安は、時代の流れに取り残されていく自分の故郷を心配してるんだろう。
何か名物になるものでもあれば観光地として生き残ることもできるかもしれないけど、こんな閉鎖的な村では、いずれ過疎化が進んで国安の故郷はなくなってしまうかもしれないんだ。
「…」
匡太郎はなぜか、唐突にどこか痛いような表情をして下唇を軽く噛んだ。
綺麗な色素の薄い髪がハラッと額を横切って、長い睫毛が縁取る同じように色素の薄い瞳が微かに伏せられた。いつの間にかそんな大人びた表情を覚えてしまった僕の弟は、いったい今、何を考えてるんだろう?
「…どうしたの?匡太郎」
僕が顔を覗き込むと、匡太郎は色素の薄い、綺麗な透明感のある目で僕を見つめ返して小さく、本当によく見ていないと見落としてしまうほど小さな笑みを浮かべたんだ。
「何でもないよ」
と呟いて国安を見ると、彼はなんだかバツの悪そうな顔をして視線を外してしまった。そんな態度を見ても、僕にはまだ2人が醸し出しているこの奇妙な雰囲気の意味が判らなかった。
不思議そうに首を傾げると、国安は舌打ちして匡太郎の脇腹を刺した。
そう、手刀でサクッと。
あう…と痛そうに眉を寄せた弟に、国安は首を左右に振ってやれやれと呟いた。
「匡ちゃんは鋭いなぁ。兄ちゃんも少しは見習わないと悪い奴に騙されちゃうぞ」
溜め息をついて子供扱いする国安にムカッとする僕に、弟は刺された脇腹を擦りながら子供らしい顔でニコッと笑うと、僕の肩をギュッと抱きかかえて親指を立てるんだ。
「大丈夫。俺がちゃんとアニキを守るから!」
弟に守られる兄…冗談じゃないぞ!
「弟に守られる兄なんかいるもんか!僕が匡太郎を守るんだッ」
怒鳴り散らすと、弟と国安は目を丸くして顔を見合わせたが、どちらからともなく噴き出しちゃって匡太郎はギュッと僕に抱きついてきた。
「守って!お兄ちゃんvどこまでもついていくから!!」
頬擦りしてくる匡太郎にギョッとしながらも、目の前で腹を抱えて笑う国安を睨みつける僕は、それでもなんだか嬉しくて思わず笑ってしまった。
いつの間に、最初はあんなに犬猿の仲だった国安と仲良くなっちゃったんだろう、匡太郎は。でも、もともと人懐こい性格だったから、ここの家族に打ち解けちゃったんだろうなぁ…
でも、それもいいか。
僕は幸せな気分で…あれ?何か忘れてるような…
なんだっただろう?
…んーと、ま、いっか。
僕は弟を首に齧り付けたまま、炭酸の弾けるコーラを咽喉に流し込みながら、本当は単純な僕はよく考えもせずにそのことを忘れた。
僕が冷たいって言う本当の理由は…この忘れっぽさにあるのかもしれない。