第一章 転生してみた  -転生したら悪役令嬢だったので全力で破滅フラグをへし折って、取り敢えずラスボスルートを攻略してみようと思う、俺が。※このお話はBLです。-

 暖かい気配を感じてふと目が覚めた。
 見慣れたお洒落な天井…じゃなくて、朝の光を透かすやわらかそうなヴェールが覆っていて、左右に垂れた部分がひらひらと風に踊っている。
 こう言うのちょうど昨日の夜に読んだ小説に出ていたよな、なんて言ったか小難しい…そうだ、天蓋とか言うヤツだ。
 不肖の叔父さんを慕ってくれる甥っ子が、ネットで小説家を目指す人たちに向けて開設された『小説家だろう』ってサイトで書いていた小説が巷で大人気になって乙女小説から漫画化、アニメ化から乙女ゲームまで出るなんて盛況ぶりで俺も大好きで小説は完読、スマホゲームは時間があればやってるような始末…とは言え、そんな文才にも長けた可愛い甥っ子は、情けない話、流行り病による不況で例外なく勤め先の会社が倒産して暫く無職になった叔父さんの受け入れ先になってくれた。
 そんな可愛い甥っ子が書いた小説の物語も、こんな風に天蓋付きのベッドで主人公は爽やかな目覚めからスタートしてたっけな。
 何度か微睡みのなかで瞬きして、いや待てよ。確かに俺の甥っ子は28歳のリーマンとは言え驚くほど文才があるんだけど、ちょっと夢見がちでロマンチックな好青年だ。ロマンチックな好青年ではあるが、漸く仕事に就くことができて毎晩の楽しみは甥っ子の小説を読むとか乙女ゲームにハマるってことぐらいで、あとは疲れて安らかに眠っている43歳の叔父さんに無断でベッドを天蓋付に変更するなんて嫌がらせはしたことがないし、しない。
 何より部屋が違う。
 待てよ、ひょっとするとこれは夢なんじゃないか?
 小説を読み込んでから甥っ子の描いた世界観が面白いスマホで遊べる乙女系ゲームにハマったまんま寝たモンだから、主人公になったつもりの夢を見てるんじゃないかなこれ。
 そう考えれば、舞台が中世ヨーロッパ風なんだから広い部屋に大理石の床、豪華な装飾の壁に垂れさがる清々しいほど大げさなシャンデリアの意味も判るよな。
 なんだ夢かよ、ビビらせんなよ。てっきり43歳のおっさんが15歳のピッチピチの可愛いお嬢さんになっちまったのかって気持ち悪い妄想に嫌気が差すところだったぞ。
 まあ、夢ならいいんだ。こうして伸びをするつもりで伸ばした腕がほっそりと華奢で、天蓋のヴェールを掴もうとするような指先が折れそうなほど細いなんて夢なら十分有り得るモンな。
 よし、目覚めようぜ俺。
 なんたって今日は平日なんだから、一流企業のリーマンから作家に華麗に転身した甥っ子の為に朝飯を作ってやって、それから電車に揺られて出勤だ。
 最近はリモートなんて在宅勤務ができるようになったから甥っ子が喜んでいたけど、今日は週に1回の出勤日なんだよ。早いとこハーレクイン?みたいな夢から覚めて会社に行く準備をしなくっちゃな。
 甥っ子は会社なんか辞めて自分の為のハウスキーパーになってくれって言うんだけどさ、一緒に住まわせて貰ってるだけでも有難いのに、甥っ子から給料まで貰うって叔父さんとしてアレだし、兄貴にも義姉さんにも申し訳がたたないから断り続けている。
 そう言えばおっさん臭い俺を毎朝抱き付いて起こしてくれる甥っ子が今日はまだ抱き付いてこないんだな。
 さてはアイツ、昨日俺が夢中でスマホゲームしてる横でカタカタカタカタ何やら書いていたようだから寝坊してるな。
 作家様には朝も夜もないって聞いたことあるし、若いのに頑張ってるモンな。よしよし、叔父さんが早起きして美味いもん作ってやろう。
 可愛い甥っ子を思い浮かべてちょっとキモイぐらいニヤニヤして目を閉じてパチッと開いてみるけど高いところに繊細そうな…そんで開けられた大きな窓から入ってくる気持ちいい朝の風に踊ってるヴェールしか見えない。
 なんだこれ?起きられないとかって、映画か何かで観たことある展開だ。
 冗談はホントやめてくれ。
 溜め息を吐いて目を閉じて開いてもやっぱり目に見えるモノは一向に変わらないし埒も飽かないんで、まあ仕方ないし起きてみるか。
 えいやっと起き上がってみるモノの、何時もは重たいおっさんの身体じゃないからか、思ったよりも軽やかな起き上がりにちょっとビビった。
 ふと胸元を見下ろすと、質の良さそうな材質のネグリジェの胸元がふっくらとやや盛り上がっているように見えるし、さらりと肩から零れ落ちた髪は光の加減によって発光したように蒼くも見える不思議な黒色で、意味は違うのかもしれないがまるで天藍石のようだなと思った。
 こんな憂鬱そうな色合いだと言うのに、爽やかな風に心躍ってでもいるかのように落ち着きなくさらさらと揺れている。
 ベッドの縁に腰かけて手足を見下ろすと、まるで壊れそうなほど華奢で儚そうだ。
 なんだ俺、顔は見てないから判らないけど、これが夢じゃないのなら女の子になっちゃってるんじゃないのかこれは。
 片手で自分の掌に触れてみる。ギュッと握らなくても生々しいほどの手触りに背筋が震えた。
 ダメだ起きよう!
 俺の顔した女の子とかだったら絶望しかないし、そんな気持ち悪い夢からはさっさと起きるべきだ。
 腰かけたままでバタンと背後に倒れてスプリングの効いたベッドに受け止められ、このまま眠っておけば自然と起きるだろとか冴えている自分が内心で笑っている…つもりになっていたけど、笑っているのは自分じゃない。
 なんだこれ、頭に響いているのか…?
 いやまさかそんなこたないだろ…と俺が首を振りかけた時、嫌にハッキリとした声音で得体の知れないヤツが言った。

『忙しないなルージュ。いや、栗花落光太郎(つゆりこうたろう)と呼ぶべきか?』

 パチッと目を開いた先、翼を持った蜥蜴のようなドラゴンのクッキリとした幻影が浮いていて、ソイツはニカッと笑って牙を覗かせた。
 大きな目はまるで炎のような水晶だなって思った時には俺の口から絶叫が迸っていた。

□ ■ □ ■ □

「ルージュ様!どうなさいましたっ、ルージュ様!」

 目が覚めるとかそんなレベルの話じゃないんだよこれが。
 重厚そうな扉をバーンって開いた在り来たりのメイド服を着た女性が、ベッドに腰かけたようにして引っ繰り返っている俺に慌てたように近付いてくる。
 いや、俺…と言うかほっそりとした白い腕を持っている少女な俺?…なんだそりゃ。
 この夢の中にいる少女の名前はルージュって言うのか…ん?ルージュ??まさかルージュ??おいおい、比較的最近の記憶にある名前で呼ばれてるぞ。そう言えば、さっきの飛竜もそんな名前で呼んでたな。
 まさか、そんな馬鹿な…

『ベルが呼んでるぞ。白目をむくな』

 呆れた声で喋って…はいないんだろう、真っ白なドラゴンは燃えるような水晶の瞳を煌めかせて浮いているのに、メイドは怯えた様子もなくましてやそっちを見ることもない、ただただ必死の形相で俺の顔を覗き込んでくる。
 酷く心配しているような薄茶色の双眸と同じ色の髪を束ねて一つに纏めて結い上げている侍女…そうだ、彼女の名前はベル。
 ベル?なんで俺は彼女の名前がベルだと確信しているんだ。
 いや、なんとなくそのワケが判らないけど判る気がするぞ、ルージュと言う名だって知っているしさ。
 ルージュ・ウィリアン・メイデルっつー公爵令嬢だろ?
 パチッと目を開いて、ゆっくりと心配そうなベルを見上げる。
 見知った、とても信頼のおける優しい双眸だ。

「大丈夫だよ、ベル。ちょっと虫がいたみたいなんだ」

 鈴を転がすように可愛らしい声…ではないな、ゲームの中では少し甲高いヒステリックな声だったから、印象はとても落ち着いたモノに変わっちゃったけどさ。
 そうだ、俺はこのキャラを知っている。
 メインキャラ攻略の時、いろんな意味で散々、悩まされた宿敵と言ってもいい好敵手の悪役令嬢だ。イケメン皇太子に何時もぴったりくっ付いていて、甲高い声でオーホッホッと笑いながら地味な嫌がらせを繰り出してくる。そのくせ、大好きな皇太子からは見向きもされずに、主人公と抱き合ってるところなんかを見せつけられるちょっと可哀想な悪役令嬢だ。

「まあ、ルージュ様!虫なんてとんでもありませんわ!珠のようなお肌に傷でもできたら大変ですもの。駆虫しなくては…」

 課金したら悪役令嬢が選択できる仕様があって、プレイしてみると何時も苛々したようにベルに不平を言っている筈のルージュの唇は笑みを浮かべている。
 過保護なほど心配してくれている彼女の優しさが嬉しい。
 あんなモブイベントの中身って、こんな風に優しかったのかー、知らなかったし、ルージュでプレイしてたのに気にもならなかった彼女の人生の一コマだ。

「ふふふ!有難う、ベル。でも大丈夫だってば!きっと虫と何かを見間違ったんだと思うよ」

 上半身を起こしたルージュにベルはまだ心配そうに眉根を寄せている。

「そうでしょうか…でもルージュ様。お気を付けくださいませね。明日は皇太子殿下主催の舞踏会ですもの。美々しく着飾られて、婚約発表を待たなくてはなりませんから」

 うふふふと隠し切れない嬉しさを滲ませたようにベルが優しく微笑んで両手を握って覗き込んでくる、そして俺の顔色が青褪める。
 フラッシュバックのように思い出す記憶。
 執筆中の甥っ子の邪魔にならないようにコッソリと家を抜け出して、歩いて僅か3分ほどのコンビニにアイスを買いに出かけた、そのほんの数分で俺の身体は宙に投げ出されたんだ。
 衝撃に思わず身体が震えて我が身を抱き締めると、ベルが驚いたように目を瞠ったものの、判っていますと言うように俺の身体を優しく抱き締めてくれた。

「大丈夫ですわ。ルージュ様にとっては一足お先のデビューで喜ばしいだけですもの。ご婚約者はきっとリリー様で決まりますわ!これで漸く、竜の呪縛から逃れることができますわね。ですからご安心くださいませ、ルージュ様」

 背中を擦ってくれるベルに、俺は『ん?』と眉根を寄せてしまう。
 俺はきっとあのコンビニに行く道すがらで事故に遭って昏睡状態か死んだのかもしれない。で、何の因果でかは判らないが、甥っ子が世に送り出した乙女小説『光と闇の幻影』通称ヒカヤミのキャラに生まれ変わっている?んじゃないかと思うんだ。それかこれが夢であるのか…世界観が似た何処かの世界に生まれ変わっているのかもしれないけれど…
 いやいやちょっと待てって。甥っ子が読んでいた転生したら悪役令嬢だった…みたいな小説があったけど、あの展開では元々の悪役令嬢が前世の記憶を取り戻して破滅ルート回避に勤しむって内容が殆どだぞ?今の俺はルージュを乗っ取ってるような感じだ。それに小説やスマホゲームのシナリオと微妙に違ってるから夢を見てるってのが正解なのかな。
 と言うのも、今ベルが口にした言葉だ。
 あの『ヒカヤミ』の悪役令嬢であるルージュはイケメン皇太子にメロメロだった。ちょっとどうかと思うぐらい、お前悪役令嬢だろって突っ込みたくなるぐらい可愛らしく皇子に惚れ込んでいたんだ。
 そのルージュを知っている筈のベルが、何故かルージュにとっての恋敵であるリリーが婚約者に指名されることを願っているように口にしてるんだぜ。
 しかも、シナリオ通りなら今回の舞踏会で皇太子はリリーの存在を知って一目惚れするはずだろ?それをどうして、ベルは最初からリリーの存在を知っているんだろう。
 ましてやその物言いだとルージュは皇太子を嫌っているようだし…
 つーか、17歳のルージュが一足お先のデビューってどう言う事だ?ルージュは16歳で社交会デビューは済ませてる筈だろ。
 おかしい…物語が違う。

『ククク…面白いな光太郎。皇太子をどんなかたちで攻略しても破滅エンドになるってのに、ルージュが皇太子に惚れていないことがおかしいのか?』

 それまで事の成り行きをだんまりで眺めていた白い竜が小馬鹿にしたように笑っている。

「ね、ねえベル。そこに浮かんでいる白い竜は何?」

 中空に浮いている白いチビ竜が俺にしか見えないのか、それともチビ竜が居ることが普通だから無視しているのか確認したかった。
 ルージュであるはずの俺を光太郎と気軽に呼んでいるところを見ると俺以外には見えていない可能性がある、でも頭の中に語りかけるような感じの話し方だし、個別に対応ができるのかもしれないから油断できないよな。

「白い…竜でございますか?この部屋に竜はおりませんよ?またいたとしましてもルージュ様、この国には闇竜はおりますが、白い竜は絶滅して久しいではございませんか」

 闇竜設定は同じなのか。

「ああ、そっかそうだったね。まだ夢の続きを見ているのかな…」

 思わずと言った感じで笑って見せたら、ベルが少し痛ましそうに表情を暗くして微笑んだみたいだった。

「さあ、ルージュ様!美味しい朝食を頂きましょう」

 精一杯明るい声で言うベルにニッコリと微笑んで、俺はそうだねとご令嬢らしく応えつつ、どうやらベルの横に暢気に浮いている白いチビの飛竜は俺以外には見えないようだと確信できた。
 ベルと数人の侍女によって着替えさせられた俺は朝食に赴く前に、少し時間を貰って窓辺の椅子に腰を据えた。
 そして、相変わらず暢気に浮いている白のチビ飛竜をひたと睨み据える。
 おいこら、聞こえてんだろチビ飛竜!

『おう、聞こえているぞ』

 よし、じゃあまずは聞かせてくれ。たぶん、お前はここが何処で俺が何者かを知っているんだろ?だったら、今の状況を理解したいから話してくれ。

『まずはオレの正体は…気にならんのか。まあいい、お前が想像している通りだ。此処はお前が生前目にしていた『光と闇の幻影』の舞台となるコーンディル大陸だ。その中の1国、お前が攻略しなければいけない皇太子の皇族が治めているアグランジア皇国だな』

 よし、判っている名前がジャンジャン出てくるな。ってことはだ、明日の舞踏会を主宰している皇子は公爵を賜ったカイン・ヴァレット・ディーエールだな?

『そうだ』

 なるほど…解せないのはお前だなチビ飛竜。『光と闇の幻影』にお前みたいな白い飛竜は出てこないぞ。
 腕を組む俺を見下ろして、白いチビ飛竜は炎のような双眸を細めたみたいだ。

『今気になるのか?…そりゃあ、あくまで舞台と言うだけで物語にはないはずのそれぞれの国にそれぞれの現実があるように、全てがシナリオ通りにいくってワケじゃない』

 なるほどな。あくまで大筋は『光と闇の幻影』の世界観ではあるが、そっくりそのままってワケじゃないってことだな。じゃあチビ飛竜、どうしてベルはルージュが大好きだった皇太子を主人公のリリーとくっ付けようとしているんだ?

『…パーシヴァルだ、光太郎。オレの名はパーシヴァル。興味がないにも程があるぞ。竜の眷属に対して名前を呼ばないと言うのは失礼だ』

 そうなのか?それは悪かった。
 俺は謝りつつ、白くて燃えるような水晶の双眸を持つチビ飛竜パーシヴァルを見つめた。

『まあいい。ベルがカイン皇太子を嫌っているのは、アレが残虐非道で冷酷無慈悲な皇太子だからだ』

 ………は?
 いやいやいや、待て待て。
 この40過ぎのおっさんがハマってるヒカヤミこと『光と闇の幻影』ってのは色んなイケメンを聖女の皮を被った無敵パワーの空気が読めないドジっ子性悪バカ女(笑)が次々と堕としていく俺の甥っ子が仕事の片手間で書いていた、俗に言う恋愛乙女系の小説が元になっているスマホゲームだ。
 小説かなとも思ったけど、攻略とか言ってるからたぶんスマホゲームのほうの『ヒカヤミ」なんだろう。
 このゲームが面白いのはいろんなルートがあって、分岐によっては様々な結果を生み出すマルチエンディングの仕様なんだけど、そのなかでもメインストーリーの主要キャラであるカイン皇太子ルートは非常に簡単で、プレイ開始直後のプレイヤーがまずは堕としておくキャラだ。
 キャラを堕とせば堕とすほどゲームが複雑化するとかで他の恋愛乙女系ゲームとは一線を画した内容になっている。なかなか頭を使う仕掛けとかもあるんだけど、既に攻略キャラ数が30人を超えていて、その中には隠れキャラとかラスボス級のキャラもいる。だがここでハッキリ言うが、カイン皇太子はよく言えば生真面目で優しい、悪く言えば頑固な堅物だ。と言うのも、俺たちプレイヤーが動かすのは主人公の聖剣を手にすることができると言う伝説の聖女(笑)リリーで、コイツがまあ本当に空気を読まないドジっ子で天然の性悪なバカなんだけど、カイン皇太子は一途に彼女を愛していて、本当なら申し分ない身分で才女のメイデル公爵令嬢ルージュが最適な婚約者候補なのに、皇太子を好きすぎてリリーに意地悪をしてしまうばかりにカインから手酷い仕打ちを受ける紛う方なき悪役令嬢の中の悪役令嬢なルージュの愛を無視する。実直故に(笑)
 まあ、そんなメインストーリーの2人を差し置いて申し訳ないが、俺はこのルージュが好きだった。
 課金をすればリリーじゃなくてルージュを選ぶことができたから、専ら、俺はルージュで攻略をしていたんだけど…そう言えば、カイン皇太子だけはどんなエンディングを迎えても、たとえばそれがリリーであっても、どんなエンディングに行っても必ずルージュを殺害エンドになってしまうんだったよな。
 だけどそれはルージュにとってであって、リリーにしてみれば楽勝皇子だったはずだ。
 そんな頑固で堅物とは言っても柔和な皇子が残虐非道とはまた、あまりにもかけ離れすぎていて信じられん。

『百聞は一見に如かずだ。お前の目で見るといい。だが、気を付けろよ光太郎。お前は今は悪役令嬢のメイデル家のルージュだ。皇太子は鬼門だぞ』

 まあ、そうなんだよな。
 じゃあ、明日の舞踏会はぶっちするってことでいいんじゃないか?

『皇太子直々の招待を蹴るのか?』

 いや、それは既に破滅フラグが立つな、やめておく。
 あー、そうだった。明日の舞踏会はエピソード4の聖女リリーを皇妃に指名して、ラストの皇太子の戴冠式で挙式まで婚約者にするためのイベントだったよな。
 ははは、だったらそこで騒がなきゃ破滅フラグを折れるんじゃないのか?

『…アグランジア皇国の皇太子は血も涙もない残虐非道な化け物だ。皇太子が制圧に行った近隣諸国の王族は赤子と言わずほぼ皆殺しで、王女や王妃は兵士の慰み者にされて…』

 まて、待て待て待て!乙女ゲームだぞ、乙女恋愛小説だぞ?!
 その舞台の輝ける最高峰の地位にありながら超絶イケメンなのに攻略簡単って言うあの優しい皇子が!堅物でまんまとリリーに骨抜きにされているバカ皇子…失礼、がだ!なんだその病んでるサイコパス設定。
 え?え?じゃあ、リリーもお断りって感じなのか??
 確か、舞踏会で一目惚れしたカイン皇太子がリリーに求婚して婚約者確定じゃなかったか。で、ルージュはそこで騒いで投獄されたのち侮辱罪か何かで鞭打ちされて家名に泥を塗ったとかで爵位はく奪のうえ国外追放だったんじゃなかったっけ?

『カイン皇太子のここでの通り名は血塗れ皇太子だ。武勲は挙げているから皇帝の覚えは目出度いんだが如何せんその性格がな…』

 やめてくれ…俺の中のイケメン皇太子がどんどんドス黒くなっていくだろ。今なんかもう無表情で目がビカァッて光ってる図しか想像できないぞ。でも血塗れか、そうか血塗れなのか…花や小鳥や蝶が舞い踊る華やかなスチルで登場した金髪碧眼の、あの柔和な笑みがイケメンで、主人公リリーともどもちょっと噴き出すぐらいおバカな皇太子が血塗れなのか。
 確か、ここで騒げば鞭打ち痛いけど唯一死なないルートだったと思いだしたぞ!

「判った、明日騒ごう」

「る、ルージュ様!明日は騒いではいけませんわ!」

「あ、ベル…」

 どうやら部屋の外で待機していたもののあんまり遅いから迎えに来たらしいベルは、赤い顔や青い顔をしている俺に気後れして、声を掛けられずにいたようだ。

『まあ、カイン皇子の件はベルによくよく聞くといい。いや、聞け。言っておくがお前が今回の生を全うして安泰で生き残りたければカイン皇太子を攻略しなくてはいけない』

 はあ?!ラスボスになってる皇太子を攻略しろって言うのかよ??!
 嫌だぞ?!この世界観が『ヒカヤミ』なら、攻略対象ではないんだけど俺はハル似の王宮魔導師ロミオを攻略したいぞ!…俺の可愛い甥っ子の悠希はどうしてるんだろう。叔父さんはヘンなところに来てトホホな悪役令嬢をやってるよちくしょう。
 パーシヴァルからサラッと言われたけど、今回の生を全う…ってことはやっぱ栗花落光太郎はあの日死んだんだな。で、何故か『ヒカヤミ』もどきな世界で暮らすルージュに転生したって小説とか漫画の流行りの展開になってるんだろう。
 そうか、転生か…ゾッとしないな。
 しかも俺(ルージュ)の今後を左右するイベント前に覚醒したってワケだな。でもおかしいな?転生モノの小説とか漫画なんかだと、だいたいルージュの記憶に少しずつ前世の記憶が甦るって仕様が殆どだってのに、俺は目が覚めたらルージュだった!しかもルージュの記憶は一切ない…なんてことになってるんだぜ?ルージュの記憶も寄越せよコラ。
 ラスボスの皇太子とか避けて通りたいわマジで。

『それはダメだな。ロミオにはそのうち会えるだろうから勝手に攻略すればいい。だが、皇太子攻略が最優先だと言うことは忘れずに覚えておけ。皇太子攻略の為にお前は女子力と言う乙女レベルを上げないといけない。最初の試練は明日だ。避けて通れないイベントだからな、まずは乙女レベル(女子力)を15ほど上げるといい。今回はそれで乗り切れる』

 ああ、なるほど。
 小分け小分けで攻略するんだな。
 それで、俺が男だから本来のゲームにも小説の設定にもない乙女レベルとかって胡散臭い女子力を上げて戦うってワケか。
 戦うんだな、カイン皇子と!

「ベル、悪いんだけどカイン皇子のこと教えて!できるだけ詳しく、明日の舞踏会までにッッッ」

「え?あ、は、はい!?」

 唐突に両手をギュッと握って恐らく凄まじい形相になっているだろう懇願する俺に、ベルは目を白黒させながらコクコクと頷いてくれる。

『ククク…いい心掛けだ』

 そこで笑ってるチビ飛竜、お前だって協力させるからな俺は!
 まあ…こうして、気付いたら大好きな小説とゲームが舞台のよく判らん世界で43になるおっさんの俺が悪役令嬢ルージュとして生まれ変わってしまったそうなので、まずは破滅フラグを圧し折りつつ、しかも安泰で生き残りたければラスボスルートのカイン皇子を堕とさなくちゃいけないらしいので、乙女レベルと言う女子力(失笑)を上げつつ攻略していこうと思います。

 まず皇太子カインを攻略する為には情報収集が必要だよな。
 この世界のカインについて俺は何も知らないし、問題のファーストコンタクトである明日の舞踏会前に、少しでも武装しておかないといきなり破滅フラグを回収することになるぞ。それは全力で圧し折らないと。
 そりゃあ、この世界のルージュがカインを大好きだったって言うのなら、おっさんは張り切って皇太子攻略に勤しむんだけど、問題のルージュの記憶がないモンだから彼女の意思がこれっぽっちも判らない。
 となれば、何か問題があって闇落ちして血塗れなんてデスワードで呼ばれるようになったのか、それとも生まれながらのサイコパスなのか見極めが重要なんだよ。
 何処かで性格が捻じれたのであれば、ルージュがカインを好きだった可能性はあるワケだから、攻略に何かのヒントにもなるかもしれないし、こんな若い身空でおっさんに身体を乗っ取られた気の毒なルージュの想いも遂げてやりたいしさ。

「皇太子殿下はそれはそれは聡明なお方でしたが…」

 お、やっぱり途中で闇落ちが正解か?
 朝食を終えて急き立てる俺に、ベルはポツポツと話し始めてくれた。
 とは言え、なんで知っている筈のルージュが自分に聞いてくるんだろうと訝しんでいるところはあるモノの、明日の舞踏会に緊張していて、他者から見た皇太子の印象を聞きたいと思ってくれたようだ。
 いい方向に勝手に受け止めてくれるベル最高だな、ゲームをやってる時には気付かないぐらいモブ化してたけど、こうして見ると美人だし優秀だ。
 …俺、なんでルージュなんて女の子に生まれ変わってんだ。心が野郎で身体が女の子とか、性転換はできないのかよ。
 ルージュが可哀想だろ、こんなおっさんに身体を乗っ取られるとか。

「幼い頃から小動物を痛めつけたり気に食わない家臣を平気で斬り捨てたりされる非常に恐ろしい方でもありました」

 あー、最初から病み属性のサイコパスだったんですね了解です。
 こりゃ、ルージュも避けて通ってたんだろうな。

「ルージュ様もお話は聞いておられると思いますが…」

 一瞬、引き攣れたように声を呑んで躊躇ったベルは、青褪めたまま口許に手を添えて溜め息を零すように呟いた。
 嫌な話をさせているんだろうな、ごめんなベル。
 でも俺は、それを知っておかないといけないんだよ。

「皇太子殿下が血塗れなどと呼ばれる所以となってしまったあの一連の武勲、このアグランジア皇国は嘗ては小国で常に近隣諸国から干渉を受けておりました。15歳になられました皇太子殿下は我が国を大国とするべく、知略と力でもって次々に制圧を行われたことで皇帝陛下の覚えも目出度く、そうしてお力をつけられて、それで…18歳の時に皇太子様を弑し奉られまして皇太子としての地位を得られたお方でございます」

 …そうか、悠希の描いた世界のカインは裕福な大国アグランジア皇国のたった一人の皇子で、何不自由なく育てられたまさに幸福の皇子そのモノだった。だけど、この世界のカインは小国であり常に四方を囲む近隣諸国の干渉を受ける貧しい国に生まれ、上には兄がいて自由もそれほどなかったんだろう。
 一番ビビったのは15歳の少年が僅か3年で近隣諸国を制圧したってのもあるけど、カインって今何歳なんだ??
 確か、皇太子主催の舞踏会の時、ルージュは17歳だったはずだ。
 此処のカインも年上だろうなとは思っていたけど、話を聞く限りだと20代であることは間違いないだろう。
 確か『ヒカヤミ』では20歳の誕生日を兼ねた舞踏会で…

「今年で25歳になられますし情勢も落ち着いていることから、皇帝陛下の強い要望もありまして、25歳の生誕祭を機に、この舞踏会で殿下のお妃様候補をお決めになられるのですわ。まだ15歳のルージュ様は社交界デビューできないお年ではございますが、国中の年頃のご令嬢を集めた舞踏会ですので、ルージュ様も招待されてしまったのですわ」

 お労しいと泣きそうな顔で溜め息を吐くベルには悪いけど、ルージュ15歳なのか!でカインは25!…待てよ、確か『ヒカヤミ』ではリリーが15歳でルージュは17歳、カインが20歳だった。
 だからカインにはルージュのほうが最適な相手だって説明されていたよな。と言うことはリリーが17歳?いや、カインが25歳だから年に関してはバラバラなんだろう。
 10歳も年上の相手を堕とすのかよ…いや待て、これ見向きもされないパターンじゃないか?25にもなれば女なんか引く手数多だろうし、それだけ生まれながらの病み堕ち皇子なら女遊びもしこたまやってんだろ。
 確か転生モノで極悪非道な攻略対象はたいてい女遊びをして子どもを作ったりしてるんだが、カイン皇子は皇帝が心配するほど子作りには興味ないのかもしれないな。病み堕ちサイコパスだからな。
 とは言え今さら乳臭いガキのルージュ(俺)よりも、成熟した妖艶なご令嬢たちに目が向くんじゃないか?
 ダメだパーシヴァル、属性が子どものルージュじゃ勝ち目がないわ。ってことで逃亡路線じゃダメかな?
 できれば俺、どっかひっそりとした村とかで余生をのんびり過ごしたい。

『…逃亡路線ねぇ。まあ、試してみてもいいんじゃないか?』

 なんだ、その投げ槍感。
 結局、カインを絶対堕とさないとダメなのか?堕とすってのは惚れさせるってことなのか?それとも、ルージュを何かで認めさせるってことなのか?その辺り、解釈が判らないと攻略を進められないぞ。
 俺はてっきり攻略って言うからスマホゲーム感覚で恋愛路線を考えていたんだけど、たとえばルージュの賢さとか、立ち位置をカインに認めさせることができれば陥落と言う捉え方なら、もしかしたら破滅フラグを圧し折って攻略できるんじゃないかと思い始めたんだよな。
 カインがペドならルージュにも目が行くだろうけど…病み皇子がペドだったらそれはそれで気持ち悪いし怖いな。
 それに俺、いくら身体が女の子だからって、野郎とセックスなんかしたくねーぞ。

『捉え方…か。生憎とカインの性格についてまではオレは知らない。お前の目で実際に見て感じて考えるしかない。そのうえで、どう攻略をするのかはお前次第ということになる。と言うことはだ、裏を返せば攻略方法は何通りもあるワケだな』

 なるほど、そうと判れば絶望視ばっかりしてるのはバカらしいな。
 15歳のルージュに何処までできるかは判らないが、中身は43歳のおっさんだ。無駄に年を食ってるワケじゃないんだから、ルージュの破滅フラグは全力で圧し折って、ラスボスであるカインの攻略を開始するかな。
 路線は苦手な恋愛モノじゃなくて、兎も角、何か功績を立ててカインにルージュを認めさせるって方向でいこう。で、余生を何処かの村でゆっくりできるようにお願いするまでが攻略だと考えよう。
 この舞踏会で残念ながらルージュが婚約者に指名されることは有り得ない、その部分は、素直で可憐で無敵の美少女のリリーにお任せすればいい。
 …ってことで、ベルに聞いたカインの生い立ちから現在までを考えて、『光と闇の幻影』のストーリーもここでお浚いしておこう。
 舞踏会の設定を見る限りだと、『ヒカヤミ』のストーリーにも沿っているんじゃないかって思うんだ。
 取り敢えず、疲れたからとベルを下がらせて、俺は豪華だけど機能性を重視した机に向かって腰を下ろした。
 小さな引き出しにはふわっと何かいい匂いが香る淡い菫色の綺麗な便せんが何枚も入っているし、鉛筆やボールペンの代わりに羽ペンが用意されている。これ万年筆みたいなモンだよな。
 小瓶に入っているインクにペン先を浸して、これで準備はOKだ。
 『光と闇の幻影』の舞台はコーンディル大陸にあるアグランジア皇国がメインとなる。まあ、話が進めば他の国の王子なんかも関わってくるけど、カインをターゲットにするならメインシナリオに絞られるからサブストーリーは無視していいだろう。誰かが関わって来たら、またその時に考えよう。
 メインシナリオはこうだ。
 アグランジア皇国にはいにしえから言い伝えられている伝承がある。
 それは闇竜の呪いと聖なる乙女の話だ。まあ、どの物語にもある在り来たりの内容だな。
 アグランジアを治める皇家には闇竜の呪いがかかっていて原因となる竜を封印しないと呪いは連綿と引き継がれていく。竜を封印できるのは何処かにあるという聖剣だけ。そしてその聖剣を扱えるのが聖なる乙女だ。
 竜の呪いはカインが引き継いでいて、呪われている彼は30歳まで生きることはできない。最後は闇竜になって次の子孫に呪いをかけるって言うオチだ。
 そこで華々しく登場するのが聖女リリー、彼女は身分の低い男爵家に生まれたものの、皇族の一部しか持たない魔法を持っていた。それも皇族は闇魔法しかないが退魔などが行える白魔法だ。白魔法が使えるリリーは闇竜の呪いを断ち切る聖剣を振るうことができる聖女で、それでなくても主人公パワーで完璧な可憐さと儚さと美しさを兼ね備えた美少女なんだから、カインが一目で恋に落ちるのは言わずもがなである。
 病み堕ちしてるカインだからこそ、聖なる美少女にクラッといくだろうとは思うから、小生意気なツンケン悪役令嬢(俺)なんかには目もくれないだろう。今となってはそれでよかった。
 この『ヒカヤミ』はRPG要素も盛り込まれているから遣り込むにはもってこいのスマホゲームなんだよな。
 で、2人は数多の苦難(ルージュの妨害とかもな)を乗り越えて攻略したキャラの助けを借りつつ聖剣をゲットだぜ!で闇竜の呪いを断ち切ってハッピーエンドとなるワケだ。
 そして俺はメインストーリーを攻略済みなので何処に聖剣があるか知ってるんだよな。
 聖剣を渡してとっととずらかるって手段もあるけど、トゥルーエンドされたらルージュが殺されるからなぁ。

『おい光太郎、股を閉じろ。お前は深窓のご令嬢だぞ』

「あ、やべ…」

 呆れたような声が響いて、俺は唐突に自分の態度にハッとした…と言うのも、あまりにも悩んでいたせいで、腕を組んで「うーん」と唇を尖らせて唸りつつ思い切り股を開いて座ってたんだなコレが。
 パニエでふんわり広がっているように見える重ったるいスカートのおかげで足が見えなくて良かったけど…って、パニエとかなんで頭に浮かんだんだ?
 そんなことを思っていたら耳許でテレレテッテレーとかどっかで聞いたことがあるような効果音が本当に小ちゃく、ともすれば聞き落としてしまうぐらいの音量で響いた気がして首を傾げた。

『深窓のご令嬢はやべとか言わんぞ…ああ、乙女レベル(女子力)が上がったみたいだな』

 は?こんなことでレベルアップするのか女子力!パネぇな。

「どれぐらい上がったんだ?」

『声は出すな、闇憑きと思われたら厄介だ。今ので10だな』

 ヤミツキと言うのがやみつきになるって言う意味で言われてないことは判るけど、小さな飛竜がどんな意味で言ったのかは判らないが、ワクワクしていた俺はパーシヴァルが険しい声音で注意するぐらいだから余程のことだと思ってシュンっとしつつも、自分から破滅フラグを立ててどうするんだって思ったから反省した。
 すまんすまん。でもパニエでレベル10も上がるとかすげーな。

『男はパニエなど知らないヤツが多いからな。意味まで理解していたから大幅レベルアップだ。あと5だな、頑張れよ』

 へーへー、頑張るよ。
 えーっと何処まで考えてたんだっけかな?淡い菫色の便箋を見下ろすと、丁度聖剣の場所ってところで丸印が付いていた。
 そうそう聖剣だ。
 トゥルーエンドでのルージュの結末ってのはどんなだったかな。
 腕を組んで思い出そうとすると、思い切り嫌な感じがした。そりゃそうか、トゥルーエンドだとルージュは2人の犠牲になるんだ。
 幸せそうに抱き合う2人を涙して眺めながら絶命する、俺が一番大嫌いな終わり方だったな。
 カインのことが大好きで大好きで仕方ないルージュは、闇竜の呪いをその身に引き受けてリリーに斬り殺される。綺麗な夜空色の瞳に涙をいっぱい浮かべて、暗黒のドロドロしたモノに汚されながら、それでも最後ぐらいはカインに抱きしめて欲しいと華奢な腕を伸ばすのに…ヤツは呪いを断ち切ったリリーを褒め称えてその腕に抱きしめ感謝の言葉を贈る。ルージュのことは一顧だにせずに。
 がーーーーー!!!ふっざけんなよクソ皇太子!!!俺、大人気ないかもだけど本当は心の底からカインとリリーのことが好きじゃないんだよな。
 だいたい、闇竜の呪いを他者の身体に移すことができるってのなら、あんなに傍に居たリリーでも良かったんじゃないのか?
 どうしてあんだけ毛嫌っていたルージュに、そんな時ばかり頼るんだよってさ。
 俺、ずーっとルージュ一択だったんだぜ。
 やれやれと頭を掻きながらカイン攻略とかマジかよって溜め息が出る。

『面白いヤツだ、たかが他人事だと言うのに』

 黙れパーシヴァル、今は他人事じゃなくて我が身っつーリアルだ。
 ククク…っと笑い声が聞こえるけど無視だ無視!
 トゥルーエンドは一先ず保留だな。
 『保留にするのかよ』って声が聞こえるけど無視して、俺はそれから明日の舞踏会のイベントについて考えることにした。
 ベルも言ってたけど舞踏会とは名ばかりのお見合いパーティーだったよな確か。
 こっちのカインはどうか知らないが、『ヒカヤミ』のカインは実直が故の奥手でなかなか女性との交際に踏みきらないから皇帝が心配して皇太子名義で開催したって経緯だった。
 皇帝としては身分も品格も申し分ないルージュとの交際を支援していたんだけど、ベタベタするルージュを不実と詰ってカインは相手にもしない。
 ベタベタっつっても手も握れずに傍にいるだけで、いじらしい乙女心じゃないか。確かにちょっとえぐい口撃とかリリーにしてたけど、それだって恋心をアレだけ無視されれば何か言いたくもなるだろう。
 その口撃も「話し方に品位がない」とか身分が上のルージュより先にカインに話しかけるなんて礼儀がないことに「もう少し令嬢としてのお勉強をなされたら?」なんて小言レベルの可愛いモンだけど、リリーには余程堪えるのか、カインに酷いことを言われて心が折れそうみたいなこと言って泣きつくんだよな。またそれを間に受けるバカ皇…んフンゲフン。
 あの実直で清廉潔白の代名詞みたいな温和な皇子ですらルージュにアレだけ酷いことができるんだから、この世界で君臨する冷酷非道なカインがリリーにメロメロになったら…いやたぶんなるだろうから、そうしたらもっと残虐な結末が待ってるんじゃないのか俺に。

「……」

 ちょっと言葉が出てこないぐらい青褪めはしたけど、頭を押さえつつふーっと長い溜め息を吐いて恋愛路線には絶対に踏み込まない、恋愛ごとで絡まない、寧ろ2人を応援して国外追放されて順風満帆な余生を送ろうと決意した。
 まずは明日の舞踏会では大人しくしていよう。どうせ15歳そこそこの小娘なんて、本当は誰も相手になんかしないだろう。メイデル家のご令嬢だから皇太子も無碍にはしないだろうけど、ソッとしておけば見逃すレベルだと思うしさ。
 舞踏会は19時頃から開催されるそうで、本来なら豪奢なフルコースみたいな食事が振る舞われるそうなんだけど、ベルに聞いたら今回はお見合いパーティーってこともあり、気軽な立食式のブッフェらしいから何時もより少し遅い時間からスタートするんだとか。
 って事で準備はお昼頃から行いますって言ってたからこの後、街の様子を見に行くのもいいかもなって思ってる。
 どうも此処は正規のストーリーとは若干違っている様だし、何か俺が逃げ出す際に役立つモノがないか、何処から抜け出すかとかも早めに確認しておくほうがいいような気がする。
 よし、じゃあ明日の作戦だ!
 最重要事項はできるだけ目立たず隅っこにいてカインとリリーに拘らない。
 但し、拘らざるを得ない場合、嫌な気分だがお見合いパーティーって事だから顔合わせぐらいはあるかもしれないっつー可能性を考えて、その場合はできるだけ面白味のない平凡なお嬢様を演じよう。
 平凡なお嬢様ってなんだ。
 
『非凡な才能を見せつけなくていいのか?』

 あー、俺もそれを考えたんだけど、よく考えたら俺普通のおっさんだし、非凡な才能をそもそも持っていないんだわ。ははは、だから目立たないのが一番だと思うワケよ。
 パーシヴァルのヤツは呆れたような気配をしたけど、仕方ねぇだろ!俺は平凡な一般人だったんだから。
 まあいいや、明日はこの作戦で行く!
 ……って事で。

「ベルー!ベル、私街に行きたいッ」

 椅子から勢い良く立ち上がって、本来なら何か呼び鈴の様なモノで楚々と侍女を呼び付けるらしいんだけど、そこはまだ43のおっさんには慣れないらしくて、俺は思わず深窓のご令嬢に在るまじき大声で呼ばわるなんてことをやらかしてしまい、ベルには叱られるはパーシヴァルには呆れられるわと言う失態をやらかしちゃったんだよね。
 とほほほー…

3

 侍女のベルは勿論のことだけど、護衛騎士を1人引き連れていないと外(街)に出さないと止められたので、俺は渋々ベルの申し出に頷いた。
 できればこの物語に関わるかもしれないキャラには積極的に関わりたくないんだけど、優しい面立ちのベルの般若の様な顔を見たら「お、おう…」と頷かざるを得なかったんだよ。
 現れた騎士が意味のないモブなら御の字だったっつーのに、何故か皇宮に居る筈の皇宮騎士団の副団長エリス・フェイル・シェイルザードが立っていて色んなものを噴き出しそうになった。
 え?なんでお前さんがいるんだ??
 スチルでは陽光の中で爽やかな笑顔を浮かべた好青年として描かれているけど、実際に見てみるとそりゃイラストとは違ってリアルだから雰囲気が違うのは仕方ないモノの、それにしても原作通り長身ではあるモノの、実直そうでやや融通が効かないところがありそうなイケメン朴念仁と言う見てくれは違いすぎるだろ。
 この世界の人間にありがちの濃い茶髪と、相手の動向をさり気なく観察する鋭い双眸も色素の薄い琥珀色だ。
 短髪は風には靡かないけどなかなかよく似合っている。
 いやいや違う、そう言うんじゃなくてどうしてエリスが此処にいるんだよ。確かストーリー上ではルージュとエリスが出会うのは舞踏会(お見合いパーティー)後のイベントだった筈だぞ。
 こんなところでファーストコンタクトとか聞いてないんですけど…
 そして勿論コイツはリリーとルージュの攻略対象だけど、リリー版ではルージュを破滅に追いやる男だ。
 課金してルージュを選択したとしても、カインは破滅エンドしかないけど、コイツとはトゥルーエンドがあるモノのだいたい散々で鬱展開だったんだよなぁ。
 どんなトゥルーエンドかって言うと、まあ悪役令嬢だから仕方ないんだろうけど、コイツはルージュを嫁にしているくせに最期までリリーに想いを寄せているクソ野郎になるんだよ。
 最期っつーのは遠征先で戦死エンドだから、その今際の際に思い出すのがリリーってワケ。ルージュ版ではそれがエリスのトゥルーエンドだ。
 可愛いルージュを嫁にできてるっつーのにとんでもねぇ男だぜ。嫁にできるだけでも有難いと思って欲しいよな。とは言え、俺版ルージュではお断りエンドだけどさ、ははは。

「ええと…エリス様ですよね?どうしてその、わたくしなどの護衛騎士としていらっしゃったのですか」

 吃驚ではなくドン引きで、手にした扇で口許の困惑を隠しながら聞いてみた。
 ベルを通すべきなのかもしれないが面倒くせーし、とは言え被ってるドレスの色味に合わせた帽子では胡散臭そうな目付きが隠せていないのは難点かもしれないけどさ。顎の下でキュッとリボンで結ばれてるんだぜ。
 天藍石の髪は結い上げずに緩やかに背中に流しているから、その髪の色に併せた淡いブルーのドレスも帽子もとても良くルージュ(俺)に似合う。

「貴方には重要な務めがあるのではないですか?」

 小首を傾げてやると、実直な男の寄っている眉根が少し和らいだ様に見える。
 このエリスと言う朴念仁は、最初からルージュを嫌っていた。
 ツンケンとしたお嬢様なルージュの性格が合わないんだろう。俺だってそんなエリスに合わせようなんざこれっぽっちも思っちゃいないがね。

「これは異なことを。私を指名したのはメイデル公爵令嬢、貴女ではありませんか」

 あ、和らいだんじゃない。小馬鹿にして呆れやがったんだ。
 チラッとベルを見るとソッと目線を外すから、どうやら犯人はベルらしい。
 残念だが俺はあんたと関わりを持ちたくないし、目立たれるのも嫌なんで、こちらから指名したとは言えお断りさせて頂く。

「まあそうでしたわね、ごめんなさい。折角お越し頂いたというのに無作法で申し訳ありませんが、どうぞお戻りになってくださいませ」

「は…?」

 胡散臭さを隠さずに眉根を寄せるエリスにはイラッとするが、そこは俺も大人だ。勝気な面立ちのルージュに精一杯可愛らしい、思慮深い優しさの滲む笑みを浮かべさせてやる。

「此方からお呼びだてしてしまってお忙しいのに申し訳ございませんでした。どうぞ気兼ねなくお戻りくださいませ」

 呼び付けたくせに帰れとは無礼な…って普通は思うだろ?でもな、コイツはルージュを嫌っているから、1分だってこの場に居たくないと思うんだよ。
 だったら、変なフラグが立つ前にサッサと撤収して頂くに限る。
 更に嫌われようがどうでもいいし時間が惜しいんだよこっちは。

「…街に行かれるとか。侍女と2人きりと言うのは物騒では」

 ニコニコ笑って見上げている俺と困惑気味のベルを寄せた眉根の下の琥珀の双眸で見た後、ちょっと固い声でそんなことを言ってきやがる。
 なんだ、一緒にいるのが嫌なくせに変なところで気遣うのかよ、面倒くせーな。

「大丈夫ですわ。わたくし、こう見えて足が速いし力持ちなんですよ。緊急事態であればベルを引っ張ってちゃんと逃げます」

 ふふふっと笑って力瘤を作って見せると、ベルが「ルージュ様…」と恥ずかしそうに声を掛けてきたけど、任せろって、俺こう見えて本当に逃げ足だけは自信があるんだからさ。

「大切な国を護る務めのあるお方に、わたくしなどのお遊びにお付き合いして頂くワケにはいきません。お戻りになられて大丈夫です!逃げ足にはちゃんと自信があるんですから」

 困惑している様な表情を浮かべるエリスには、何だこの野郎俺の言葉が信じられねーのかよと大人気もなくムッとしそうになったけど、そうか、令嬢がそう言っても呼び出された手前ってのがあるんだろうな。

「…ご心配して頂けますのなら、では、皇宮騎士団の部下の方にお願いすることはできますか?それでしたら、心配性の侍女も納得させることができると思うんです」

 そして俺は無駄なフラグに怯えることもなくなるしな。モブを貸してくれモブを。
 ニコニコっと他意を感じさせない様に、15歳にしてはちょっと幼さの残るルージュだからこその、可愛らしいご令嬢らしく小首を傾げて屈託なく笑いかけたら、考える様に目線を外したエリスは、それから胡散臭さのなくなった真摯な双眸で俺を見つめ返してきた。
 うん、なんか嫌な予感がする。

「仰る通り、皇宮騎士団は国と皇族を護ることが務めであります。国には国民も含まれますから、メイデル公爵令嬢も国民ですので私には護る義務があります」

 そう来たか。困ったな…

「その様に私の責務のために困惑なさらないでください。足が速く力持ちの公女様。必要ないかとは思いますが、どうぞ微力ながらこのエリスめにもどうか名誉ある護衛の任をお与えください」

 困った様に眉を寄せる俺にちょっとだけ苦笑して、それからルージュを嫌いなあのエリスが珍しく胸許に手を当てて、そして腰を折って笑いかけてきやがる。
 腰を折ると言うのはこの国では上級の敬意を示していることになる。最上級の敬意は片膝をつくんだけど、どちらも皇族以外には滅多にしない行為を、ましてやこんな年端もいかないお嬢様にされたのだから無碍にはできない。
 できないだろ、くそぉぉぉ!

「判りましたわ、有難うございます。でもわたくし、エリス様を引っ張ることができるかしら?頑張りますわね!」

 ふふふ!っと笑うしかないから(内心ギリギリしながら)両手でガッツポーズをして頼り甲斐を見せたってのに、とうとうベルから「ルージュ様!」と本気で嗜められて肩を竦めてしまう。
 よく考えたら皇宮騎士団副団長に頼り甲斐を見せてどうするんだって感じだから、ヤバイと思いつつ首を竦めてエリスを見たら、ヤツは肩を震わせながら噴いていた。
 んー、いきなり散々なスタートだなこりゃ。
 まあ、怒っていないようなんでフラグも立ってないだろうしヨシとして出発するか!

□ ■ □ ■ □

 俺とベルは当初馬車に乗って護衛のエリスが馬で出発って予定だったんだけど、今、ルージュが滞在しているのは皇宮に近い実家ではなく、市街に近い高級住宅地らしく徒歩でもさほど時間が掛からずに市街に出られる距離という事もあり徒歩での出発となった。
 お嬢様はどんな時でも馬車使用と言うのが常識だと思っているエリスは度肝を抜かれているようだったけど、どうやら元々お転婆だったらしいルージュを知るベルは情けなさそうに頭を抱えている。
 そもそも、街が近いからとお転婆な娘に激甘なパパとママに強請ってこの館を購入したとベルが愚痴っているのを聞いて、俺はちょっとだけ嬉しくなった。
 『ヒカヤミ』のルージュは厳しい両親に令嬢としての心得を叩き込まれて、他の兄妹より冷たくされていた。政治的な道具として皇子に嫁がせる為だけに育てられていたから、皇子がリリーに夢中になった事で家族にも捨てられてしまう定めだった。
 こっちのルージュはちゃんと家族に愛されているんだ。
 15歳のルージュはちゃんと年相応に人生を謳歌していたのなら、やっぱりそんな冷酷非道な病み堕ちサイコパスのラスボス皇子となんかくっ付かせたくないしくっ付きたくない。俺がお断りだ。
 幸せなルージュからその人生を奪い取ったのは本当に胸が痛い。今からでも遅くないならこの人生を返してやりたい。だが、その前に病み堕ちサイコパス皇太子からは逃げておいてやらないとな。
 フフフと内心で企みつつ心地よい風に天藍石のような黒髪に光を反射する煌めく藍色を散らした髪を揺らして鼻歌混じりの上機嫌で歩いてきた街並み、俺は物珍しそうに本当に数分で辿り着いてしまった市街地に感動してキョロキョロしてしまう。
 中世ヨーロッパのような佇まいではあるものの、何処かアジアを思わせる雑多な下町の活気にあふれていて、病み堕ちラスボス皇子が手に入れた大国としての地位のおかげなのか、商魂逞しい掛け声に国の豊かさを知った。
 俺としてはご遠慮願いたいラスボス皇太子は、この国の人々にとってはまさに救国の英雄に他ならないのだろう。
 たとえばその制圧が惨虐極まりないもので、不平を言う貴族や重臣を血祭りにしたとしても、平民たちには噂だけで、国民の前に生首を並べたり串刺しの死体を見せつけて力を誇示した恐怖政治をしたワケでもなく、非情も非道も全て皇子と騎士たちが引き受けたに違いない。
 だから、この国の人々は笑っていられるんだろう。
 ベルに聞いたら、干渉を受けていた当時、各国は他国に非情だった皇子と同じぐらいこのアグランジアに残酷だったと言う。
 国境沿いの村の娘が拐かしに遭うなんてことはざらで、酷い状態の遺体が村に投げ込まれていた事もあったってベルが言葉を濁しながら言うんだから、病み堕ちラスボス皇太子が本領発揮したとしても、この場合は良かったんじゃないかって俺も思わず腹を立ててしまった。

「みんな幸せそう。国民が幸せってことは、国が豊かだと言う証拠だ」

「え?」

「ルージュ様!」

 行き交う多国籍っぽい様々な人種を見詰めながら思わずニンマリしていたら、ベルに叱られてエリスには驚かれた。
 あ、やべ。つい何時もの口調で喋っちまった。
 ベルに謝っていたら、不意に出店で果物を売っているおっちゃんから声を掛けられた。

「おお、ルージュちゃん!今日はお目付役と一緒かい?なんでも持っていきなよ」

 って陽気にガハハハと笑って言われるからには、どうやらルージュは単身で館を抜け出していたと思われる。横でベルが般若になってるから間違いない。
 呆気に取られていたエリスがククク…っと噴いてるのが判ったけど、俺がこの場合取る行動はひとつだ。

「あら、おじ様。人違いですわよ」

 すっ恍けてツンとした後、こっそり横目で片目を瞑ってしーと指で唇を押さえる真似をすると、おっちゃんは呆気に取られた顔をして、それからまた陽気に笑ってエリスに柑橘類のような果物を投げて寄越した。

「よう、旦那!ルージュちゃんによく似た可愛いお嬢様に食わせてやってくんな」

「あ、いや私は…」

 旦那と言うキーワードに動揺するエリスに、賑わう街が更に賑わって、俺も純朴なエリスがおかしくって声を立てて笑ってしまった。
 『ヒカヤミ』のエリスは朴念仁のくせにルージュに冷たくて嫌いだったけど、こっちのエリスは人間味があって嫌いじゃないな。
 この世界では15歳は社交界デビューにはまだ早いモノのもう十分年頃で、既に婚約者が居てもおかしくない年齢だ。で、『旦那』ってキーワードは、エリスのような爵位のある騎士にとってはルージュお嬢様は勿論、年頃の令嬢は全てそう言った対象に考えられるから冷やかしの言葉に使われるんだってさ。
 豪快に笑う俺にエリスは面食らっているようだったけど、あー悪い悪い。他の、リリーみたいなご令嬢みたいに一緒になって赤くなる、なんつー芸当は俺にはできないんだわ。

『赤くなっていたら乙女レベル(女子力)がアップしただろうな』

 え?こんな時でも乙女レベル(女子力)って経験値になってんのかよ?!そう言う大事なことは早く言ってくれよマジで。
 とほほっと内心で思っている俺は、ルージュが館を抜け出している事実に青褪めたベルから、道中真剣にこんこんと叱られた。素直にごめんなさいと謝っていたら、ふと、賑やかな街並みの片隅、ちょうど噴水のあるアリーケ広場の奥の建て込んだ暗がりに蹲っている人を見つけた。
 何をしているんだろう、何処か悪いのかと歩み寄ろうとしたその腕を、失礼と声を掛ける、片手に街の人から貰った荷物を抱えたエリスに掴まれて止められてしまった。
 
「先の戦で流れ込んだ移民と貧しい者が住む居住区です。公爵令嬢の赴かれる場所ではありません」

 静かだがハッキリとした厳しい口調で、その暗がりから先がとても危険で、そして寂しいスラム街であることを知った。
 皇子のおかげで大国になったとは言っても、やっぱりこう言う場所は存在するんだな。

「以前、流行病が蔓延した際に移民の大半は亡くなったそうですが、職を失くした者たちが居住地を求めて入り込んだのであまり変わりはないのですよ」

 そう言ったのはベルだった。
 先の大戦も流行病も、ルージュがまだ幼い頃の出来事だったから、これを機にベルは学ばせようと思ったようだ。
 ああそうか、皇子が15歳の時、ルージュはまだ5歳だったもんな。
 それで皇子のこと教えてと言った時も、訝しまずに教えてくれたんだ。

「ルージュ様はまだ幼かったですからご存知なくとも致し方ありませんわ。今から多くを学び、正式に18歳におなり遊ばしましたら社交会デビューを致しましょうね」

 あれ?確か『ヒカヤミ』の社交会デビューの年齢って16歳じゃなかったか?だからルージュは17歳で既に舞踏会に参加できてたのに、リリーは特殊枠だったから15歳でもよかったけど…そうか、これも相違点だな。
 俺の場合は、今回は令嬢たちの添え物として招待されたってパパが言ってたっけ。
 添え物ってなんだ、皇帝陛下も酷いヤツだな。
 今回の舞踏会(お見合いパーティー)の主催は皇太子って事になっているけど、実際に令嬢に招待状を送って呼び立てたのは皇帝陛下だったりする。
 だから添え物とか巫山戯んなって思ってる俺でさえ、パパの為にはぐぬぬぬと歯噛みしながら参加しないといけないんだよ。

「その通りだよ、ベル。私はもっと多くのことを知る必要があると思う。だからたくさん勉強するよ!先生になってね、ベル」

 でもまあ気を取り直して、優しい侍女にニコッと笑ってその両手を取ると、ベルはちょっと照れたようにはにかんだものの、すぐに嬉しそうに頷いてくれた。

「有難う!ベル。大好き」

 お嬢様特権でベルにギューッと抱きついていると、思わずと言った感じで誰かが噴いた。
 いや、誰かって言えばエリスだけどな。

「…ルージュ嬢は不思議な方だ。この国で由緒正しき尤も名門のメイデル家のご令嬢だと言うのに、まるで庶民に溶け込んだようにおおらかであられる。私は外面に惑わされて内実から目を背けていた。恥じ入るばかりです」

「エリス様…」

 えーっと、それはつまりなんだ?
 名門出を笠に着た鼻につくお嬢様だと思って毛嫌いしていたら、内面は庶民感覚を持っているお転婆で親しみ易いお嬢様だった。人を見る目がなかった、やべー恥ずかしいってことかな?

『ククク…そう言うことじゃないか?』

 なるほどな、やっぱりか。
 ちょっと思い出したんだけど、この世界のルージュは両親にも兄妹にもめちゃくちゃ溺愛されていた。だけど娘を良いところに嫁がせたいと思っているママは、けっこう躾に厳しいみたいでベルの般若の顔に被って何か見えた気がしたぞ。
 悪寒が背筋に走った。
 これはたぶんきっと、ルージュの記憶だ。

「あのう、わたくしがお転婆だってことはエリス様とベルとわたくしだけの秘密にしてくださいませね。お母様に知られてしまうと、もの凄く叱られてしまいます」

「あら、ルージュ様!お優しいエリス副団長は懐柔されても、このベルは共犯にはなりませんからね!奥様にきちんと報告致します」

「ええ?!そんな待ってベル!ママに言うのは絶対ダメッ」

 ルージュのママの柔和な笑みが浮かぶ美しい顔が脳裏に浮かんで、やっぱり背筋がゾクゾクするからベルに泣きつくけど許してくれない。
 うう…エリスは相変わらず噴いてるし、ベルが心配してくれてるのもよく判るけど、それでも今回の自分的市街地散策イベントはルージュのお転婆な秘密がバレてはいけないベルにバレただけの結果で終わっちまったような気がするちくしょう。
 ごめんよ、ルージュ。

4

 結局、そんなこんなをワァワァ言ってるうちに、やせ細って蹲っていた人はいなくなっていて、思ったよりは体調が悪くなかったのかとちょっとだけ安心した。
 もしまだ居るようだったら、エリスにお供をお願いしてでも何かしてやりたいと思ったからだ。
 いいんだよ別に偽善だったとしても。
 よく言うだろ?最後まで面倒が見られないなら手を出すなって。
 ありゃ、都合よく煩わしいことに関わらないようにする為の、そんな自分たちを悪く見せないようにする体のいい逃げ口上なんだよ。
 一時的にでも餓えや苦しさを感じないなら、ずーっと辛い中にあるよりも本人にとっては少しでも楽になると俺は思うんだよね。
 もし命の灯がそこで終わってしまうとするのなら、猶更、最期ぐらいは美味しいモノを食わせて暖かい布団で眠らせてやるべきだ。
 それが情けってモンだよ。
 このアグランジア皇国の暗部とも呼ぶべきスラム街をチラッと肩越しに振り返りつつホッとしていたら、どうやらそんな俺をエリスのヤツはまじまじと観察していたみたいだ。
 で、心配になったのかその帰り道でのことなんだけど…
 令嬢ともなると、ましてや実力者のメイデル家の公爵令嬢ともなれば、正式に護衛騎士の契約を皇宮騎士団と交わすべきではないかとエリスが心配そうなツラをして真摯にベルに帰途の道中で延々と話していた。
 公爵家からの申し出であれば皇太子の許可も下り、メイデル家ともなればおそらく団長クラスの騎士が護衛に就くことになるだろうって言ってたっけ。
 皇宮騎士団は第1騎士団から第8騎士団まであって、優秀で名門出身であるエリスは第1皇宮騎士団の副団長を務めている。
 ルージュなら知っていたかもしれないが俺は知らなかったから、護衛騎士の契約の許可をどうして皇帝ではなく皇太子が承認するのか首を傾げていたら、それに気付いたエリスが微笑みながら教えてくれた。
 最初の態度からたった1日でよくもガラッと変わるもんだと胡乱な目付きをしたかったが、そこは可愛い子ぶりっ子で長身のエリスを見上げてうんうんと頷いて学んだ。学びは何事においても大事なことだからな、特にこの世界で破滅フラグを圧し折って生き抜くにはさ。
 エリスが言うには、近隣諸国の制圧を完了したカイン皇太子がまだ皇子だった18歳の時に、全騎士団の指揮権を皇帝からカイン皇子に譲渡されたのだとか。当時はまだ皇太子が存命だったから、皇太子を飛ばしてカイン皇子に譲渡では醜聞が悪いと騒ぎ立てた何人かの重臣はその場で(恐らくイラッとした)皇子に斬り殺されたんだそうだ…重臣でも斬り殺すのか、いやまあそれは置いておいて、幸いなことにやり手でも穏健派のルージュのパパは『ではカイン皇子に将軍の地位を賜れば問題ないのでは』と進言したおかげて地位がさらに安泰したとかなんとか、ルージュのパパが健在で良かったし地位を確立しててくれて本当に良かったと思うよ。
 とは言えその進言でカイン皇子の覚えが目出度くなっちゃったモンで、メイデル卿のご令嬢は皇太子妃候補にまだ15歳だって言うのに選ばれちゃったなんて言う余計なお土産がついたワケだ。
 パパよ…
 皇太子になっても将軍のままだから全騎士団は現皇太子の号令があれば何時でも戦に赴くってことで、護衛騎士の契約の許可は将軍の皇太子が出すし、そんなメイデル公爵令嬢の護衛なんだからすぐに出るよってエリスは言ったワケだ。
 公爵令嬢で15歳ともなれば既に護衛騎士が居てもおかしくないのにとエリスは首を傾げていたけど、ルージュのパパが娘をあんまり溺愛し過ぎていたせいで、絶対に館から出さないとかママに駄々を捏ねて、爵位のある騎士イコール悪い虫は付けたくないってことで契約を宙ぶらりんにしているのですと困惑と疲れと恥ずかしさの入り混じった複雑な表情でベルが漏らしたから、俺もエリスも思わず「お、おう…」って言っちゃうのは仕方ないよね。
 爵位のある騎士の中には社交界の爛れた色に染まる前の初心なご令嬢と既成事実を作って嫁にする、なんて強者も居るらしいから、強ち、親馬鹿パパの行動は理に適っていたりするんだよな。
 勿論、強者に喰われるのも嫌だし、この世の中を渡り泳いで本当の意味での俺のトゥルーエンドを迎えなきゃいけないんで、できれば護衛騎士なんて欲しくない。今はパパの案にどっかり乗っかってるつもりだ。
 そんなこんなで市街地散策イベントを終えてからヘトヘトに疲れた俺は、夕食を済ませて入浴をして、今はフッカフカの天蓋付きのベッドの中で瞼を閉じたまま考え事をしている。
 明日の朝、目を覚ましたら甥っ子の遥希ことハルに抱き着かれていないかなーとか淡い期待はあるものの、まあ十中八九ムリだろとも諦めてるからそのことはいいんだけど、今日の市街地で経験したことは面白かったし考えさせられた。
 大国になった弊害なのか、貧民窟化してたあの一角はどうにかならないのかな。
 俺がどうして彼処に行こうとしたのかって言うと、蹲っていたのは痩せっぽっちの少年で、何処か痛そうな辛そうな顔をしていたんだ。
 病気とか馬車に跳ねられたとかの事故だったら、この国にも病院のような医科寮って所があるから連れて行ってやりたかった。でもその前にエリスに止められて、あっさり話を変えられちゃったまま帰途を促されたんだよ。まあ、あの子がいなくなっていたから俺も素直に帰りはしたんだけど。
 なんやかんや、やっぱ組織を束ねる副団長さんは人心を掌握するのが上手いよなー

『バカなお前が気付かないようだから忠告しておいてやる。あの子どもは囮だ。裕福そうな娘が通り掛かったから死に掛けた子どもに気を取らせておいて、近付いてきたら捕まえて売るつもりだったんだろう』

 はあ?!そんな企みがあったのか??!

『エリスは気付いていたようだ。建物の陰に複数の男が潜んでいることに』

 うへーマジか。ああ、それで話している間にあの子は居なくなったのか。
 死に掛けている子ども…ってことは、あの子はもうダメだったのかな。

『命の匂いがあまりしなかったから、もう意識もなかったんじゃないか。なんにせよ、甘ちゃんのお前には格好の餌だっただろうよ』

 …甘ちゃんで悪かったな。パーシヴァルは本当に頭が宜しいようでご立派ですわねフン!だ。
 どーせ周りを見渡せない年ばっかり食ったとっちゃん坊やだよ俺は。

『…だが、そんな甘ちゃんのおかげで、目出度く乙女レベル(女子力)がアップしたぞ』

 フンフンッ!とムカついて布団を被っていじけていた俺は、パアァァっと顔を輝かせて布団から覗かせた夜空色の双眸で中空に浮いているパーシヴァルを見た。
 え?え?マジでマジで??何時レベルアップしたんだ?
 あのどこかで聞いたことがあるようなレベルアップの効果音、ちょっと小さいんだよな。必死に何かやってる時とか聞き逃してしまうボリュームなんだよ。
 で、レベル幾つになったんだ??何気にレベルアップって嬉しいよな。

『12になった』

 12!!!2しか上がってねーじゃねえかッ!
 は?なんで??今回は可愛いこととか敢えて何度か言ったんだぞ俺。
 言葉遣いも何時もよりお嬢様っぽくしたし、ちょっと無邪気な可愛らしさを仕草にしてだな。

『あざとすぎたんだよ。本当ならアリーケ広場で5は上がっていたけどな、諸々があざといと判断されたワケだ』

 …誰が判断して乙女レベル(女子力)を上げてんだよ。
 そう言や聞いてなかったな、誰の判断で結果を出してるんだ?

『乙女レベル(女子力)の判断だと?そんなもの、このオレに決まっているだろうが。その為に傍にいるんだ。それぐらい気付けよ間抜け』

「お前かよ…」

『声を出すなと言っているだろう。間抜けだけじゃなくてバカでもあるんだな』

 うるせーわ!お前ならゴチャゴチャ言わずにササッとその乙女レベル(女子力)とかってのを上げてくれればいいだろ!
 俺、恥を忍んで今回は結構頑張ったんだぞッ。

『ああ、エリスに上目遣いとかして可愛い子ぶりっ子してたってヤツか?あんなのはわざとらし過ぎて純朴な皇宮騎士ならぐらつくだろうが、大国を治める冷酷非道な皇太子には鼻クソレベルであしらわれるぞ。精進しろ』

 グッハ、ムカつく!グッハ、ムカつく!
 40過ぎのおっさんが、自分だったら可愛い女の子にこんな態度をしてもらったら萌えキュンってのを追求した結果で上目遣いでニコッをだな…ってコラ、何消えてんだよパーシヴァル!
 やい、パーシヴァル!出て来いったら!!…と、ガバッと起き上がって両手をブンブン振り回しながら虚空に空しく(心の中で)呼んでも小さな真っ白い飛竜はもう姿を現してくれなかったから、俺は渋々ベッドにダイブして、迫りくる第一波の波に抗える勇気をくれとハルに祈ってそのままスヤッと眠りについた。
 眠りにつくのはえーな俺。

□ ■ □ ■ □

 翌日はやたらゆっくり惰眠を貪らせてくれたベルだったけど、昼近くになってから途端に慌しくなって吃驚した。
 目が覚めたらハルが…ってのはやっぱりダメだったワケだが、昼食が終わってからいきなり風呂に入れられて、その風呂だって何時もなら独りでぷっかぷっか浮いたり沈んだり小一時間ほど遊べるんだけど、その日はベルと数人の侍女たちがてんやわんやで美肌にはやれリージーエキスを湯船に入れるだとか、同じくリージーオイルがどーだとか言って薔薇に似た花びらが浮く湯船に浸かったままでこれでもかって全身マッサージされてとんだ目に遭った。
 リージーってのは薔薇よりも美肌になる成分が50%も多いらしくて、凄く高いんだけど令嬢は舞踏会とかお茶会に参加する前にはよく使用しているらしい。
 花も匂いも薔薇に似てるんだってさ。
 そのエキスをふんだんに含んでいるとかって布を身体のあちこちに貼られて、顔にも鼻と口を開けた布を被せられた。
 この状態で1時間は横になっていろって広い浴場の外にある脱衣室?みたいなところに置かれている寝台に有無を言わさず寝かされるって言うね。
 ご令嬢とは、いや女性ってのは大変なんだなぁと、どれだけ自分が男だからとかそんな理由で怠惰な生活を送っていたかってのを痛感して、次に男に生まれ変わった時にはせめてもう少し肌の手入れはしようって思った。
 とは言え、ルージュはそんなことしなくてもお肌スベスベで綺麗なんだけど、もっと綺麗になんなくちゃいけないってのは大変だよね。
 まあでも、40代のおっさんから言わせたら、実はルージュは年相応の女の子よりちょっと幼いんだよな体型が。
 胸もふっくらレベルだし腰に括れもない、だから幼児体型と言えばそれまでだけど、手足だけはすんなりと細くて華奢だ。
 だから、幼児体型なんだけども。
 そんなワケで俺の心のチンコもおっきしないし、俺、ペドじゃないからルージュの裸体を見てハァハァもならない。そりゃ、最初は女になったってことで少しはハアハアして胸とかアソコとか触ってみたけど、あまりに幼い感じで申し訳なくて一瞬でスンッてなっちまったよ、ははは。
 それと不思議なんだけど、この身体はもう俺のモノなんだからヘンなことすんなって自分自身にも腹が立つし、他の野郎にも好きにさせて堪るかって思えてきて悪戯とかしようとも思わないし気持ち悪いぐらいなんだよな。意味は違うのかもしれないけど自己嫌悪しちまうんだよ。
 あ、そうそう。ご令嬢ってのはすげーよな。
 風呂、1日に3回から5回は入るからな。
 たった1日と半日で風呂のあり方と自分の身体に対する気の持ちようが型にハマるレベルの入浴時間だからさ。
 まあ正直、風呂入りすぎだろとは思ってる。
 そんなことを考えている間に1時間はあっと言う間に過ぎて、いい匂いのパウダーを顔や全身にパフパフされた後、今度は衣装の着付けになる。
 ギュッと括れのないルージュの腰に括れを作るコルセットでグエッと呻かされて、パニエを着用、それから選びに選ばれたドレスを着付けるワケだが…このドレス、選んだのはママとベルと数人の侍女たちらしい。
 俺の意見は一切無視…と言っても、本当は俺になる前のルージュは一緒になってキャッキャ言って選んでたらしいけど、残念ながらまだ俺にその部分のルージュの記憶が戻ってないからよく判らん。
 でもこのドレス、確かにルージュが好きそうだなってのは判るんだ。
 淡い菫色が大人しそうなのに華やかで、大人っぽいのを意識してるクセにアクセントで散らばるお転婆な遊び心の青いリボンが可愛い。
 ルージュが青とか菫色とか緑とかが好きな感じだってのはよく判る。ルージュって名前なのにピンクや赤はあんまりお気に入りじゃないみたいだ。
 それはやっぱり、まだ社交界デビューはできない幼さを残す、背中に緩やかに垂らした天藍石のような髪色に合わせているんだろうか。
 整えるように梳いてくれる黒髪は光の加減で煌めく藍色が散らばるように輝いて、まるで宝石のようにハッと人目を惹きつける。その頭に、青の花と緑の植物を飾った華やかなカチューシャを乗っけられた。
 ルージュ(俺)は舞踏会(お見合いパーティー)でパパの威信を示す為だけの添え物で参加する公爵令嬢だから、年齢に達していない決まり事の衣装を身に付けなければいけないんだ。
 その最たるものがカチューシャと後ろに流した纏めていない髪。
 子供っぽいだろ?本当だったら纏めて結い上げて首筋の細さを見せつけて男心をゲッツしなくちゃいけないんだよ、こう言った社交界は将来の旦那様を見つけるためでもあるんだから。
 とすると、皇帝が画策して皇太子が渋々主催した舞踏会(お見合いパーティー)は社交界らしい社交界って言えるけどな。
 ルージュは年の割には背も低いし体型もお子様だから、実はこのドレス姿はとても様になっていて可愛らしい。
 姿見に映る美々しくも可愛らしい自分の姿には惚れ惚れするわマジで。
 他のお嬢様を見たことがないから判らないけど、ルージュは勝気な面立ちをしているから意地悪そうに見えるんだけど…まあ、悪役で華々しく登場するご令嬢なんだからそれは仕方ないけど、俺様の弛まぬ努力で子供らしく美少女らしい仕草と表情で、凄くやわらかい優し気な顔付きになってくれちゃってるぜ。
 まあ、リリー大好きルージュ死ねってエリスですら、最後には俺の身を案じて気を揉んでたくらいだからな。俺の女子力の賜物だよ、すげーだろパーシヴァルって言いたいところだけど、あざとすぎて減点を食らったんでちょっと今日のお見合いパーティーでは大人しくしていようと思う。

「まあぁ!ルージュ様、本当にお可愛らしい」

「きっとどのご令嬢がたにも負けませんわ!」

「ルージュ様が一番お可愛らしいですわッ」

 おうおう、もっと褒めてくれてもいいんだぜ?
 今日のルージュ(俺)は本当に可愛い。なんなら、あのリリーにだって負けてないんじゃないか、わははは!

「18歳になりましたらグッと大人っぽくなられまして、きっともっとお美しいご令嬢様にお成り遊ばされるわね」

 頬を両手で押さえて感動したように溜め息を漏らしていたくせに主を下げてくれる侍女たちがキャッキャッと楽しそうに笑っているけど、あーそうですね、あくまで可愛いのであって大人の魅力も色っぽい美しさも全く醸し出せていませんよハイハイ。
 でもいいんだよ、今回のお見合いパーティーはリリーと皇太子がドキ!初対面でラブゲッチュ(古)イベントなんだから。
 ルージュ(俺)は会場の片隅でブッフェを堪能しつつ破滅フラグが立たないかどうかを冷や汗垂らしながら警戒しとくだけなんだから。そんで、初めて会う(笑)パパの顔に泥を塗らない程度に可愛らしく微笑んで愛嬌を振り撒いていれば満点なんだよ。

「さあ、ルージュ様!このお屋敷から皇宮まではお時間がかかりますので、そろそろご出立致しますわよ」

 ベルが余所行きを着てニコニコと笑っている。と言っても、ベルは控えの間で待機していて広間には入れなんだけどな。
 入れるのは招待された爵位のある連中だけってワケだ。
 ベルも侍女だけど本当は子爵家のお嬢様だったりするんだが、何故かルージュを気に入って侍女に志願してくれた経緯があったりする。
 これは『ヒカヤミ』の設定にちゃんとある。
 ほんの僅かなベルの顔色の悪さは、有り得ないとは思いつつも、可愛らしいお嬢様がどうか皇太子の目に留まりませんようにと願っているんだろう。
 判ってるよ、ベル。
 可愛い戦闘服に身を包んで、唯一の武器である扇を片手に、さあいよいよ第一関門に出撃だ!
 こう見えても俺だって、メチャクチャ緊張してるんだけど、それはみんなには内緒だ。
 あくまでも馬鹿みたいに楽しそうにニコニコしてるのが、俺の武装なんだから、待ってろよ皇太子!きっちり敵前逃亡してやるからなッ!
 『逃亡するのかよ』って見えないまま噴き出す飛竜は軽く無視して、今回は純白の馬に引き立てられたこれまた純白に豪奢な金の装飾が散らばる馬車に気合を入れて乗り込むのだった。フン!

□ ■ □ ■ □

 すげー…いったいどれぐらい金掛けてるんだこの広間。
 ボー然と見上げるのは豪奢なシャンデリア、それも幾つも天井から垂れ下がっていて、煌めく水晶が光を乱反射して広間の中は驚くほど明るい。
 壁や柱にも黄金の装飾が施されているようだから、なるほど、夜でも昼間のように明るくすることができるって造りか。
 ふわー、この額縁ひとつで家ぐらい経つんじゃないのか日本の金相場の価格だと…とか妙にリアルなことを考えている傍らで、パパがニコニコしながらそんな下世話な思考に耽る愛娘を見ているみたいだ。
 初めて対面したお髭のパパは強面の悪人ヅラのクセに長らく会っていない、いや会えなかった、これも違うな、会ってくれない愛娘に久し振りに会えた喜びと可愛らしい姿に大興奮で、「ルゥ~ジュぅ~」と涙目で両手を広げて折角ベルたちが整えてくれた髪を乱す勢いで抱き付いてきて喜んだ。

「今日のカイン殿下はそれはそれは見目麗しくご立派でご機嫌だったぞぅ?お前があと2歳でも年を取っていたら、今日の主役はお前だったかもしれないねぇ、可愛いルージュ」

 溺愛パパは猫可愛がりに娘を褒め称えて、それを遠目で見ている夫人や娘を持ってるんだろう爵位あるおじさんたちがニヨニヨしてる。
 本当は冷酷非道で残虐で病み落ちサイコパスのラスボス皇太子なんかに嫁がせたくない~って顔に書いてんのが見え見えだぜ、父ちゃん。でもそれは、皇太子だけじゃなくてどんな野郎にも嫁には出さないオーラばりばりって感じだけどさ。
 ルージュには10歳になる妹のマリーヌがいるけど、きっとマリーヌもこんな強面の悪役ヅラした愛妻家の子煩悩な父ちゃんをウザがってるんだろうな。
 そんでその目尻を思い切り垂れたパパの横にはこれまた悪役ヅラなのにそこそこイケメンの青年が、そんなパパを困ったように笑いつつ、こんな顔だけどメッチャ優しく労わるように声を掛けてくれるからパアァァと夜空色の双眸を煌めかせて抱き付いた。

「久し振りだね、ルージュ。今日は大変だけど頑張るんだよ」

「ランシートお兄様!」

 横で羨ましそうにしているパパを無視して、兄妹で和気藹々と近況報告やなんかに花を咲かせた。と言うのもこのお兄ちゃん、現在20歳で婚約者持ちだったりする。
 そろそろ結婚に踏み切るべきじゃない?とこましゃくれて後押しする生意気な妹にも、嬉しそうに微笑むお兄ちゃんもパパもママも悪人ヅラってところが可哀想だよな。その点、一番末の妹のマリーヌは吃驚するほど可愛らしい顔をしてるから、その半分でもお姉ちゃんに寄越せよ。
 いやいい、ルージュは可愛い。
 ルージュは可愛い、大事なことだから2回言っておくぞ。

「さて、お父様とお兄様はこれからウザ…大事なご挨拶回りに行ってくるからね。ルージュはゆっくりしていなさい」

 一時でも離れたがらないパパに手を振って…って父ちゃん、今ウザいって言いそうになっただろ。政界の重鎮と恐れられているメイデル家の家長がうっかりでも滑らせていい言葉じゃないぞ。

「ああ、そう言えば。今日は本家のほうに帰るんだよ。お母様がお話があると言っていたからね」

「お、おぅ…判りました」

 いっそこっちのほうがハラハラしていたらパパからの爆弾発言で思わず顔が引き攣っても仕方ないよな。

「皇太子殿下のお目通りが叶ったら、一曲僕のお相手をお願いするね」

「もちろん!お兄様も頑張って」

 パパもパパもってランシートの横で涙目で訴えるパパを無視して、お兄ちゃんに手を振ってお見送りすると、2人はニコニコして軽く手を上げて狐狸たちが蠢く人波に消えてしまった。
 本当に、ルージュが家族に愛されているようで良かった良かった。俺は嬉しいよ。
 原作だと冷ややかで無情の手腕がそれでも高く評価されているランシートだけど、実際はあんなに穏やかそうで優し気な雰囲気のお兄ちゃんだったんだなぁ…とか考えながら、俺は華やかで煌びやかなご夫人やご令嬢の人波を素知らぬ顔で通り抜け、会場の片隅に設置されているブッフェの各テーブルを「ふおぉぉぉ…」と興奮しながら見渡した。
 それなりに爵位のある方々が招待された舞踏会だとベルが言っていたけど、そう言った連中は発泡酒だとか果実酒の酒類のみ手にして談笑に興じているフリをする。そうしながら相手の粗がないかボロが出ないか面白い噂話はないかをイロイロ試しつつ、駆け引きに勤しんでいるように見える。
 と言うことで連中が見向きもしないご馳走とデザートを前に大興奮したモノの、珍しく専属の料理長が出て来てて目を光らせているのがどうも気になった。
 誰が何を好んで食ってるのかとかが気になってるみたいだけど、殆ど手付かずのままだからしょんぼりしているようにも見えるな。
 じゃあ、ヒマってワケだ。

「ごきげんよう。美味しそうなお食事の提供を有難うございます」

 可愛らしくニッコリ笑った小さなお嬢様が挨拶すると、料理長は驚いたように目を白黒させるも、可愛らしいご令嬢に眉尻が下がったみたいだ。
 噂ではメイデル家のお嬢様は陰険な我儘とか言われているらしいから、最初はみんな必ずギョッとして戸惑うんだけど、俺の弛まない努力の成果の可愛らしい仕草や笑顔にコロッと意見を翻してくれるんで、本当はそんなに過去のルージュの素行は悪くなかったんじゃないかなって思う。
 優秀なパパと兄へのやっかみ半分、メイデル家の顔付きの悪さ半分で噂がまことしやかに広がったんだと推察するのが正しいんだろうな。やれやれだ。
 まあ、ルージュの噂が本当に地に落ちるのは、この舞踏会後からになるんだけど…聖女に悪態を吐くは皇太子を独占しようとするわで令嬢にあるまじき陰険・我儘・下品とかって叩かれてたよな。
 でも大丈夫だ、今の俺はヤツらには絶対に関わらないって決めてるし。

「これはこれはご丁寧に。メイデル公爵令嬢のお口を満足させられれば光栄でございます」

「こちらのたくさんのお食事は、舞踏会が終わったらどうなるのですか?」

 あんまりにも減っていないから、これらはこの後、下働きの人たちの胃袋を満たすんだろうか。
 公爵令嬢が食事の行く末を気にするとはおかしなモノだとでも思ったのか、料理長はどう答えるのが正解か考えあぐねているようだ。
 じゃあ、えーっと…

「余ればこのあと皆様で召し上がるの?」

 可愛らしい上目遣いで警戒を解かせる飛び切りの笑顔で小首を傾げて…もレベルアップの効果音が聞こえないから、パーシヴァルのヤツめ評価が辛口だなちくしょう。

「はあ、そうでございますね。しかし大半が余ってしまうので廃棄処分になるかと思います」

「まあ!勿体無いッ。こんなに美味しいのに」

 お喋りしつつもパクパク食べているご令嬢のお子様感覚に、料理長は困惑しながらもちょっと嬉しそうに笑っている。
 どれもこれも本当に美味いんだよ、メイデルの料理長も料理が上手なんだけど、如何せんちょっと量が俺には足らないんだよね。だからここで、腹いっぱい食べられるのは本当に幸運だ…コルセットさえなけりゃな。
 トホホホ…っと思いつつも、美味しい美味しいと頬張る俺に、料理長がとっておきのローストビーフらしきお肉を切り分けてくれた時だった。
 不意に料理長の顔色が変わって取り分け用のトングを持つ手がブルブル震えてて、顔色は蒼白に近いのに腰を折るようにして頭を垂れている。よくよく気付けば、それまでざわざわと騒がしかった室内が静まり返って、まるで無頓着に生演奏の音楽だけが響いている状況…なんだこれ。

「…メイデル卿の息女か?」

 艶のある重低音の声は耳に心地よくて「おお、イケボだ!」って興奮もするけど、その端々に腹の底が凍てつくような、何か不穏な響きがあるようで料理長じゃなくても食器を持った手が震えそうだ。

「…確かルージュとか」

 深々と身体に沁み込む真冬の冷気のようなモノ、実際はそんな状況ではないんだけど、どうか俺の名前を今この場所で呼ばないでくれと叫びだしたくなるぐらいには凄惨な響きが篭ったイケボだ。

「ご、ごきゅげんよう、皇太子殿下」

 ゴキュッと咀嚼中の食い物を慌てて飲み込んだばかりにちょっと噛んだ俺は、それでもずっと練習に励んでいた可愛い女の子の渾身の笑みを浮かべて振り返るなり長身の皇太子を見上げてご挨拶をした。
 手に持っている皿を置くまでの頭は回らなかったが、今回の俺は添え物の筈なのに、まさか一番会っちゃいけない相手に真っ先に会うとか思うかよ、その辺りは顔に泥を塗っていたらごめんなさいお父様。
 そろっと、ゲームだとイケメンスチルにヒャッハーする場面を妄想しつつ、今日はご機嫌だと言う血塗れ皇太子の顔を見た。
 見て後悔する。
 だって、美々しく華やかに正装している姿は確かにパパが言うように立派でイケメンなんだろうけど、虫けらでも見下ろしてるんじゃないかって冴え冴えと凍てつく、しかも冷たさにさらに冷気を纏わせてるようなアイスブルーの双眸とガチで目を合わせたら普通の令嬢なら卒倒してるだろ。ましてやルージュはまだ子どもだ、内面が俺で本当に良かった。
 思わずおしっこちびりそうになりながらも、内心でパパに「何処がご機嫌なんだよ、普通に10人ぐらい殺しそうな目付きをしてるじゃねーか!」と思い切り悪態を吐きたかったけど、この背景に思い切り血飛沫と雷鳴が轟く暗黒スチルな皇太子の登場を遣り過ごすことに集中しねえと破滅フラグ一直線だぞ。

「料理が気に入ったのか?」

 怯えたように控えている料理長を陰鬱な影を落とす双眸で興味もなくチラッと見て、それからキラキラと水晶に乱反射する光でもってまるで王冠でも戴いているようなアイスシルバーの髪を微かに揺らした皇太子がさらに話しかけてくる。
 え?今、飯の味とか全然判りませんが?

「………はい、とっても美味しいです」

「そうか…あまり減っていないようなのでつまらぬモノを提供したのであれば、その命を持って償ってもらおうかとも思っていたが、そうか。まあいい」

 さらーっと殺害予告を淡々と仄めかす皇太子に背筋が震えっぱなしだけど、こんな美味しい料理を作る料理長を亡き者にしようとか、国の宝を敢えて失おうとするなんて皇太子にあるまじき行為だぞ。
 ちょっとなんか言い返してやろうかと思ったモノの、今度は無言でジロジロと観察されて途端に居心地が悪くて生きた心地がしなくなった。
 おい、こっち見んなよ。

「メイデル公爵令嬢はどうして髪を結っていないんだ」

 気になるところはそこかよ?!
 もっとなんか言うことはないのか…って、まあ何か言われても困るだけだし適当に話を合わせておこうっと。

「あの、わたくしは15歳になったばかりです。なのでまだ、社交界デビューのできる年齢ではなくて…」

 髪を結わないのは今宵の殿下の相手(婚約者候補)ではありませんって意思表示でもある。それはまあ、年齢的に合わないんだから仕方ないけど、皇太子もそれほど気にしている素振りはないクセに聞くとかもうね。

「それでカチューシャか…」

「は、はい」

 そう言った瞬間、血塗れサイコパス病み落ちラスボス皇太子が、何を思ったのか俺の頭に手を伸ばしてきたんだ!頭を握り潰されるとか思ったし、声を上げて逃げたいとも思ったけど、俺はそうせずにグッと下腹に力を溜めて踏ん張った。
 皇太子はグシャリと花の飾りを握り潰すようにして掴むと、そのままカチューシャを引き抜いてしまう。

「誰がこんなものを選んだんだ。お前の髪にこれは似合わない」

 たったそれだけを言って、握り潰された花が無残なカチューシャを床に落とすと、呆然とする俺の前でまるでゆっくりと踏み締めるようにして足で潰してしまった。
 …?!
 は??なんで今、俺は衆人環視の真っただ中で、縁も所縁もない血塗れ皇太子に貶められてるんだ??!
 別に俺、美味しいご飯を料理長に感謝して食ってただけだぞ??アンタが溺愛するリリーに悪態を吐いたとか、意地悪とか全然してないだろ?それどころか、さっきアンタが言ったように減らない食事を胃袋に収めて、却って貢献してるぐらいだぞ??
 気付けば血塗れ皇太子の背後に皇宮騎士団の副団長である筈のエリスが控えていて、畏れ多い筈なのに焦ったように、無表情で暗澹とした双眸の血塗れ皇太子に背後から「殿下、それは誤解を…」とかなんとか言っている。
 この吃驚するぐらい不機嫌そうな無表情の皇太子にとっては取るに足らない些末なことなのかもしれないし、目の前にいる小さい令嬢のことなんかどうでもいいんだろう。
 でも俺は、ベルたちが楽しそうに、俺のことをとても大事そうに着飾らせてくれたことを知っているし、このカチューシャだって吟味して選び抜かれた逸品なんだ。
 アンタの大好きなリリーのように天然の可愛らしさもなければ見劣りもするんだろうけど、だからと言って何の理由もなく貶されるいわれなんかねーだろ、これは業腹だ。
 俺は血塗れ皇太子が踏み締めてグチャグチャに壊してしまったカチューシャをしゃがみ込んで拾うと、それを大事そうに両手で抱き締めるように持って意を決して立ち上がった。
 それから無表情に俺を見下ろす冷酷そうなアイスブルーの双眸をひたと見据えてやる。
 そこで漸く、感情の起伏のない虚無のような恐ろしい目付きのラスボス皇太子が「おや?」と声に出さずに興味を示したみたいだった。

「殿下、確かに仰るようにこの美しいカチューシャは子どもの私には似合わないのかもしれません」

「…」

 幼い子どもでも容赦なく叩き殺す病み落ちラスボス皇太子に食って掛かる公爵令嬢に、それまで水を打ったように静まり返っていた場内の其処彼処から小さな悲鳴が上がっているけどそんなこた無視だ。

「でも、これを私の為に造ってくれた人も、私に似合うと思って選んでくれた人たちも、そしてこのカチューシャだって何も悪いところなどありません。精一杯、とても素敵に造ってくれて、そして可愛いと思って選んでくれたんです。こんな風に踏みつけられる理由はないと思います。それでもお目汚しと言うのであれば、それは私のせいです。罰するのであればどうか私を罰してください。大変申し訳ございませんでした。これ以上、殿下を不愉快にしてしまうわけにはいきませんので今はこれで失礼させて頂きます」

 小さな令嬢はそれだけ言うとペコッと頭を下げて、それから無言で見下ろす興味のなさそうな血塗れ皇太子に別れを告げると、颯爽と踵を返そうとしたんだよ。
 言ってやったぜドヤァ…とか思うけど、この場にこれ以上居たら俺の命が不味い、非常に不味い。
 途中でちょっと我に返ったんだよね、死亡フラグを自分から回収しに行ってどうするんだよってさ。
 できれば沙汰を待っています的な感じでこの場から立ち去って、そのまま荷物を纏めて逃げようと思った。
 自力国外追放ってヤツだな。

「…誰が退出していいと言った」

 はい、まあそうですよね。
 こんな小娘に公衆の面前で詰られれば黙ってるサイコパスじゃないですよね。
 俺は無言で立ち止まるとまた、さっきとは格段に冷えている雰囲気の中、冷気とか殺気とかを撒き散らす冷酷そうなラスボスの、すらっと形のいい鼻筋辺りに目線を据えて覚悟を決めて息を呑んだ。
 流石にちょっと、その凶悪殺人鬼も裸足で逃げ出しそうなアイスブルーの双眸を見据えるだけの毛が生えた心臓は持っていないんだ。
 震えそうになる指先でギュッとカチューシャを握り締めた。

「…なるほど、そのみすぼらしいモノを気に入っていたのだな。それは悪いことをした」

 ブリザードか何かかと思った。
 幻覚かもだけど一瞬で身体中が凍り付いたような気さえしたんだ。
 その一言で、また場内がしんと静まり返る。
 声音こそ低く感情が込められていないけど、その表情をなんと表現したらいいのか俺には思い付く言葉がない。
 こんなに表情のない顔を俺は知らないんだよ。
 そのくせ、酷薄そうな薄い口許には悪いなんてこれっぽっちも思っていないと判る悪意のある作った笑みを浮かべているんだ。
 冷酷で残忍な血塗れの皇太子が悪いとか言って謝るとか、それを聞いた俺も、下手をするとここにいる貴族連中も殺されるんじゃないかと思った時だった。

「これはこれは、殿下!ご生誕おめでとうございます、心よりお慶び申し上げます」

 不意に陽気でのんびりした声音が響いて、微かに震わせていた肩を優しく抱いてくれたパパが悪人ヅラでニコニコしている。
 入場の合図もせずに傲慢に登場したはずの冷徹な皇太子にも怯まずに、パパは皇太子にお決まりの口上を述べた後、不意に真摯な表情をして腰を折ると頭を垂れた。

「この度は我が娘の不敬を心よりお詫び申し上げます。年端もゆかぬ娘故、お招きを辞退させて頂いておりましたが、殿下直々のご招待を受け、喜びのあまり可愛い愛娘をついつい出席させてしまいました。親馬鹿ゆえの失態でございますれば、責は全てこのメイデルにございます」

 パパ、一度は辞退してくれていたんだ。
 でも皇太子からの二度目の要請にはそりゃ出ないとまずいから、渋々了承したってのに、なんだよこの仕打ちはってことを言外に言ってんのかな。
 他のご令嬢は陛下からのご招待だったのに、ルージュの場合は口頭でまずは血塗れ皇太子から参加したらいいって感じでお誘いを受けたけど年齢的にもまだ早いからって言って辞退、その次は正式な招待状…って流れだったそうだから断れないって言われたのはそのせいだったのか。
 なんだよ、ルージュ(俺)のことをこんな風にコケにするつもりで招待したのかよ。
 18歳の時、パパが助けてやったってのに、後ろ足で泥を引っ掛けられた気分だ。
 目許に涙でも浮かべていればもう少し同情を引けたかもしれないけど、生憎とそんな可愛い性格をしていないモンだからついついムスンとしている。

「…不敬とは思っていない。気に入っていたカチューシャを壊したのは悪かった。後ほど、代わりの物を用意しよう」

「おお、身に余るご恩情のお言葉を有難うございます」

 パパの登場でそれまで水を打ったように静かだった場内が、また密やかに賑わいを取り戻しつつあった…ってのも、本来なら殺伐とするシーンをパパの悪人ヅラに反比例する和やかな声音が皇太子の只ならない不気味さを少し緩和しているってのもあるんだろう。
 自分の言いたいことだけを言った後、皇太子はムスンとしている俺をチラッと見てから、何も言わずにそのまま謁見で使うっぽい造りの左右に重厚で豪華なカーテンが留められている舞台の中央に椅子が設置されているところに立ち去ってしまった。その後を心配そうに俺のほうを見ていたエリスが慌てて追っかけて行く。
 そうか、エリスは皇太子付きの護衛騎士だったんだ。だから、俺が勝手に発生させた市街地攻略イベントの時に不機嫌だったのは、なぜ自分が令嬢の護衛如きに呼ばれたんだって思ってたワケか。
 3段ほどある階段を豪奢な外套を翻しつつ進む皇太子の登場で、漸く皇太子様のご入場が高らかに宣言されたけど遅いっつーの!

「パパ、ごめんなさい」

「ふふふ。久し振りにルージュにパパと呼んで貰えたから十分だよ。それに、殿下は全く怒っていらっしゃらなかった。どちらかと言うと機嫌が良かったよ」

 え?!あんなに不貞腐れてるみたいな無表情で殺気を漲らせていたのに、アレで怒ってもいなければ機嫌が良かったって言うのか?!…ってことは、あの皇太子が本気で怒ったら俺消し炭確定なんじゃないか。
 うう、リリーに絡むのやめよう。絶対やめよう。

「殿下は未だに7年前のことを恩義に感じてくださっているようでねぇ。もういいのだけれども。それで今回の舞踏会にルージュのことを思い出してくれたようで、ルージュには軽い気持ちで遊びにくればいいと仰られたんだよ」

 ニコニコ笑いながらやれやれと吐息するパパを見上げていたら、パパは可愛くて堪らないって顔をして俺を見下ろすと眉尻を下げた。
 軽い気持ちで遊びに来て命の危機に晒されるとかおかしいだろ。

「まあ、お前はちゃんと教養を身につけてはくれているけれど、とてもお転婆に育ってしまったから、ママとも話してお断りしたんだよ。まだ早いってね。だけど殿下が拗ねられて、とうとう正式な招待状まで送って来られたから断るワケにもいかなかった。お前には辛い思いをさせてしまったが…」

 あの皇太子が拗ねるのか。
 拗ねたら天変地異ぐらい起こすんじゃないのかアイツ。

「んーん。マーティ料理長のご飯も美味しいけど、皇宮のお料理も種類がたくさんあって美味しくって私は楽しんでるよ」

「恐らく皇太子妃候補の選別会には参加しなくてもよいだろうと思うから、ダンスは楽しみなさい」

 選別会か…なんか嫌な言葉だなぁ。でも、そのとおりだからなんとも言えないんだけどね。

「うーん、でもパパ。私、カチューシャを壊されちゃったからこんな見っとも無い姿で踊りたくないなぁ」

 つーか、昨日の今日でダンスレッスンとか全くやってないから、何をどうしたらいいのか全然判らない。たぶん、立ち往生しかできない自信がある。

「おお、そうだったね。パパたちはもう少しここにいないといけないけれど、皇太子殿下ともお会いできたことだから、もう退出しても許されるだろう。ベルを呼ぶから先に帰っていなさい」

 やったぜ!パパ、超サンキュー!!
 もう少しってのは、殿下がリリーを皇太子妃候補にするのを見届けないといけないからかな。あと、そう言えばこの国の皇太子はお妃の他に側室を持つことができるから、どのご令嬢を指名するのか確認して、これからの勢力図を新たに更新すんのかな…まあ、なんにせよ俺には関係ないことだし、お洒落な靴ってのは疲れるから先に帰っていいってのは本当に助かった。

「うん!パパたちは頑張ってね」

 デレデレするパパをニコニコして見送った後、俺はベルが来るまでもう少し食べていようと、復活してニコニコしている料理長からお皿を受け取った。
 お兄ちゃんも遠くで心配そうにしていたけど、パパがニコニコ近付いたらホッとしてるみたいで良かったよ。
 んー、そう言えばあの病み落ちサイコパスのムカつくぐらいイケメンなラスボス皇太子、容姿が原作と違っていたな。
 原作のカイン皇子は陽光を集めたようなハニーブロンドに、自然に愛されているみたいな翠の瞳を持っている、天に祝福された(笑)無敵の外見を持ったイケメン皇子の筈だったのに…イラストだから実際の人間だとどんな容姿になってるのか楽しみにしてたんだ。だけどまず原作と性格がぜんっぜん違う段階で会いたくなくなっていたけど、折角会ったのなら確認したくなるのが人間だよね。ってことで確かに恐ろしいほどの、こんな人間がいるのかと思うほど冷ややかで美しいって表現がぴったりで、一見したらあんまり無表情だから人形みたいにも見えるリアルイケメンであることは納得した。
 ちょっと顔色が悪そうに見えるのは青褪めた白い肌のせいなのか、似合いのアイスシルバーの髪、すらりと通った鼻筋、酷薄そうな薄いくせに形のいい唇、そして冷徹を極めたアイスブルーの双眸…睨まれたら玉ヒュンどころの問題じゃないぐらい怖い。
 だいたいにおいて皇太子って地位もあるもんだからなかなか不遜な男だからさ、上から目線で見下ろされたらスンってなるよな。
 しかもこの皇太子、睨むとかじゃなくて圧なんだよ。さして興味もないからなのか、感情を窺わせない冷めた双眸をして、目線だけで唯々見下ろされているだけなのに、なんかいろいろ吐きながら卒倒しそうになるんだって絶対。
 それにいちいち背が高いんだよ!
 無駄な筋肉がついていないからガチムチってワケじゃなく、かと言ってヒョロいのかと言えばそうでもない、スタイルはメチャクチャいい。それが滲み出ている正装姿がイケメンを通り越して神々しかった。
 天は二物を与えずって言うけど与えまくってるよ。その帳尻合わせであの性格だってなら仕方ないのかもしれないと思うほどだ。
 185とかそんなんじゃないだろ。190ぐらいあるんじゃないのかな…ルージュが150に届かないぐらいだから、対峙すると結構見上げないと顔を拝むことができないんだよね。
 でもあの目を見ないですむなら背が低くてよかったのかもな。
 だけど、統治する立場にある皇族なら、あれぐらい背が高いほうが見栄えもすれば、将軍なんだから戦闘時に先陣に立たれると安心感があるんじゃないかな。
 背後に控えるエリスも誇らしそうだったし、アレだけ静かなる狂暴皇子だけど騎士には信頼されているんだろう。
 俺は今後全く関わり合いたくないけども。
 もぐもぐ口を動かしていると、不意に侍従が声を高らかにして宣言した。

「本日お越し頂きましたご令嬢の皆様、殿下よりお言葉がございます」

 お!愈々、お見合いスタートか。
 あ、そう言えばリリーも来てるんだよな。
 リリーを見てみたい。主人公の超絶美少女パワー(笑)が見てみたい。
 あの冷たい美貌(笑)の皇太子と並んだら、主人公超絶美少女パワーがフル発揮で見応えがあるだろうな。
 ベルとか侍女とかパパとかお兄ちゃんとか俺はルージュを可愛い可愛いって言ってくれるし言うけど、今朝ドレスを着た時にリリーにだって負けてないとか思って自惚れたけど、あの男版メインキャラの皇太子を見てしまうと、ルージュは本当に悪役として登場させる為だけに創られたモブキャラだったんだなってのがよく判った。
 可愛いけど平凡な令嬢って感じなんだよ。平凡ってなんだ。
 釣り気味の目付きだし、男に比べればそりゃ華奢だけど、お転婆だって言うだけあって他の令嬢に比べると、同じ年頃の誰よりも結構逞しい(笑)んだぜ。
 キョロキョロしてリリーを捜そうとしていたら、不意に背後にニコニコ笑っているエリスが立っていた。

「…えっと、エリス様?ごきげんよう」

 皇太子の時と同じようにお皿を持った状態で挨拶したら、エリスにニッコニコ笑って皿を奪われたんだけど…ちょっと不気味でゾッとした。
 悪寒しかしない。

「このようなところにまだ居られましたか。ささ、中央にお越しください」

「は?なんで私が中央に行かないといけないんですか??」

 俺は添え物で呼ばれてないよ?

「足が速くてお力もある公女様も招待をお受けされているではありませんか。ささ、時間がないのでお急ぎください」

「や!ちょ、ま!こ、こんな見苦しい姿で皇太子殿下の前に出るワケにはいきません!」

 格好がどうのじゃなくて、もう二度とアイツとは向き合いたくないってのが本音だ!

「大丈夫ですよ。公女様はそのままでもお可愛らしいです」

「そ、そんなお世辞は結構ですよ!」

 見当違いなエリスとわあわあ言ってる間に中央に引っ張り出されて、引っ張ったエリスはニコニコしながら立ち去るし、遠くでパパと兄ちゃんがギョッとした顔をしているのもハッキリ見える。
 ギョッとしてるしイミフだし心臓がバクバクしてるのは俺も一緒だよ、パパんとお兄ちゃん。
 とは言え、ずらっと並んだ妙齢のご令嬢たちの一番端に並ばせられたから、そんなに目立つことはないだろうけど、見栄え要員にはなれてるっぽい感じに王座に座っている皇太子が本当に憎たらしくなった。
 みんなの真似をしてドレスの裾をちょんっと上げながら腰を折って敬意を表しながらチラッと皇太子を盗み見たら、詰まらなさそうに肘掛けに肘を置いて頬杖を付いた、投槍に足を組んでいる大雑把な姿勢の皇太子と何故かバッチリそのアイスブルーの双眸と目がかち合ってしまった。
 ヤベッと思って目線を下げたところで、退屈そうな美声が面倒臭そうに言葉を紡ぐ。

「今宵はようこそ我が祝祭にお越し頂いた。だが、型にはまった挨拶は結構だ。単刀直入に言えばオレが皇妃に求めるのは美しさや在り来たりの教養ではない」

 頬杖を付いたままで不遜に宣うとか、自由な皇太子様だなー。

「皇妃としての資質だ」

 キッパリと言い切るわりには然程興味はなさそうで、感情を読み取るのも困難な無表情を令嬢たちは怯えたように見つめている。

「さて、お前たちに聞くが、国の為に必要なモノとはなんだ?」

 皇太子妃を選ぶなんて大袈裟な企画のわりに、聞くのは拍子抜けするほど簡単な質問なんだな。
 悪いけど、そんなのひとつしかないだろ。
 誰だって判るよ、そんなのはさ。
 居並ぶ令嬢たちもあんまり簡単すぎて却って困惑しているし、会場内も少し騒ついている。

「わたくしは国を守る兵士だと思います」

 オズオズと1人が言うと、やはり遠慮がちに令嬢たちが口を開いた。

「経済力だと思います」

「陛下の存在でございますわ」

 思い付くものがかぶってしまった令嬢たちは、悔しそうだけど何も言えないまま扇を弄んでいる。

「なるほど、武力・財力・統治力か。他にはないか?」

 淡々とした静かな問い掛けに、応える声がないと判断して、皇太子が軽く溜め息を吐いた時。

「わたくしは想い合う優しさだと思います」

 不意に、こんな声だったら人生勝ち組だろうなぁなんて妄想しそうな、耳に煩くない可愛らしい声が可愛らしいことを言った。

「…優しさ、とはまた抽象的だな。優しさがあれば国を護れるのか?」

 もし此処にスポットライトとか、バックライトとかあったらこうなるんじゃないかってのが、光源がないのに発生してる光り輝くってのはなんだ?!
 確かに見事なブロンドでもなければ、豊満なボディでもない。
 質素な茶髪は腰のところまで長く、でも大きなもの問いたげな咲き初めの勿忘草を閉じ込めたような水晶の瞳も、熟れきらない苺の瑞々しい唇も、質素なドレスに身を包んでいるって言うのにハッとするほど愛らしくて美しい…なんだこれ!なんだこれ?!
 ドレスなんて中身が良ければどうでもいいんじゃないか!ぐっ、今朝の自分の思い上がりが恥ずかしい。
 俺を含めて居並ぶ令嬢たちが声もなく敗北を認めた男爵令嬢は、興味もなさそうな皇太子の言葉に嬉しそうにはにかんで大きく頷いた。
 う!笑顔が眩しい!!目が焼ける!!!!!

「勿論です!優しさがあればいがみ合うこともなくなり平和になりますわ」

 流石、聖女リリー!
 言ってることはメチャクチャだが、なんか言い返せない説得力がある。
 完敗だ!完全に完敗だよちくしょう。
 主人公の美少女パワーすげーな!超絶すぎるだろ。

「なるほど。他にはないか?」

 既に完敗している俺たちに何が言えるって言うんだ?
 そりゃ、原作のメインキャラのアンタは目が焼けることもなければ気にもならないんだろうけど、モブキャラの俺たちは瀕死レベルもんだよ?
 ってことで俺は数人の令嬢たち同様に黙っていることにした。
 まあ勿論聖女様に完敗したってのもあるけど、ヘンに目立つのも嫌だし、何よりカイン皇太子がリリーに興味を示したんだからこのイベントは終了だろうとも思うワケ。
 まあ、興味つーかちょっと小馬鹿にした感じではあるけど、それだって俺にとってはどうでもいい。
 手放しでリリーに惚れた原作とは異なっているし多少は違うところがあるけど、物語通りには進んでいるみたいだから問題ないだろ。
 いや、物語通りってのは問題大ありか…
 とは言え、ベルとかママとか侍女たちが選んでくれたカチューシャを壊すような男と話すのはごめんだね。

「エリス、此処に居る令嬢たちの家には跡取りはいるんだな?」

「は、陛下より殿下の希望に沿った令嬢にお越し頂いているとのことです」

「そうか、判った」

 不意に、なんだか、突然背筋が凍り付くような寒気がした。
 このまま、此処で黙っててはいけないような気がビンビンするんだ。

「あ、あの!皇太子殿下。私も発言をお許しして頂けますか?」

 添え物だけど答えたいッス!

「…ルージュ嬢か。遅い発言ではあるが許してやろう。大層、考えあぐねた答えだろうから楽しみにしているぞ」

 ぐぬぬぬ…このサイコパス皇太子め。

「私が国の為に必要だと思うのは、国民です」

「…理由は?」

「国を動かしているのは国民だと思うからです。お仕事をして国に税金を支払っているのも、兵隊として国を護っているのも、そしてより良い国に導いていくのも国民だと思います。国民は国の宝であり力です」

「…我ら皇族も国民の一員ということになるのか?」

 皇太子の冷たい無表情を見ていたら絶望しか感じないけど、それでも俺は意を決して頷いた。
 その途端、会場内が騒ついた。
 カチューシャを壊されたばっかりに、纏まりのない髪は光を受けて宝石みたいに藍色を散りばめてはいるものの、落ち着きなくバラついてるしきっとちょっと見苦しかったと思う。
 でもこれは皇太子のせいだからな、気にしない。

「はい!勿論そのとおりです。あの、それで差し出がましくはありますが、本日の舞踏会で余ったお食事を、貧しい国民に分けては如何でしょうか。国民は国の宝で力です。ひとりでも飢えたり貧しさで病に斃れさせるべきではないと思って…」

「…あのダニどもに施しだと?」

 不意に、無表情なのに何処か忌々しそうに呟いて舌打ちしたみたいだ。

「え?」

「よく判った。リリー嬢、こちらへ」

 おざなりな返事にはイラッとしたけど、まあリリーには負けるから仕方ないか。

「はい、皇太子殿下」

 リリーは物静かだけど華のある美しさを持つ可愛らしい存在だった。
 だから、地味なドレスでもどんな令嬢にも見劣りしないほどだもんな。もう俺、目とか焼き切れてるしね。
 嬉しそうに頬を紅潮させていれば、どんな男だってクラリとくるに違いない。
 選ばれたのはやはり聖女リリーかと、他の令嬢たちは少し残念そうだけど、大半がホッとしているように見えた。まあ、血塗れ皇太子の嫁になるなんか、名誉ある後々の皇妃でも嫌だよね。命懸けの結婚とか冗談じゃないよ。
 勿論、俺も冗談じゃない。

「衛兵、女どもの首を斬り落とせ」

 ホッとしている俺たちの耳が信じられない言葉を捉えた。
 は?何言ってんだコイツ。

「在り来たりの答えはいらんと予め言っておいただろう。オレの言葉を聞いていない女など必要ない。目障りだ、殺せ」

 スクッと立ち上がった皇太子は、周囲の空気を絶対零度まで冷え込ませて、淡々とした無表情で言いやがる。

「いやぁ!」

「やめて!助けてぇ」

「お父様ぁー!」

 なんてヤツだ、なんてヤツだ!
 最初からリリーだけを選ぶつもりで、遊び半分であんな質問を令嬢たちにしやがったんだ。
 本当は最初から殺すつもりだったんだ!コイツ、重臣でさえ平気で殺してたって言うからな。
 驚いたように口許に拳を当てるリリーは痛ましそうに俺たちを見るけどそれだけで、何やらうっとりしたように皇太子を見つめてやがる。聖女様なのに残虐非道な皇太子を止めてくれないんだな、やっぱり原作通りクソッタレな連中だ!
 こんなところで死ぬなんてちくしょう…何か、何か一矢報いてやりたい!
 衛兵から押さえつけられながら悲鳴を上げる令嬢たちに、成す術もない父親たちは震えながら見つめることしかできずにいた。
 俺も衛兵の1人に押さえられながらギリギリと奥歯を噛み締めて、でも腕を掴まれて頭を押さえられてるから暴れることもできない。
 こんなに非力だったのか俺は…

「…ルージュ、来い」

 ギリギリと奥歯を噛み締めたまま 引っ立てられる俺をじっと見ていた皇太子が、不意に呼び止めて腕を差し出してきた。
 …パパの手前、俺だけ助けるつもりなのか?
 俺を今まさに殺そうとしてるヤツの許へ行って側室にでもなれって?
 何の罪もない令嬢を殺すこんなヤツが治めるこの国で、こんなヤツの横にリリーのように嬉し気に立って、こんなヤツが見る国の行く末を見届けるのか…?
 冗談じゃねぇぞ、馬鹿じゃねーのか?
 誰がお前の手なんか取るもんか。

「いいえ、結構です」

 カチューシャもなくて身動いだりして抵抗したモンだから髪はボサボサだし、別に悪いこともしてないのに衛兵に腕を掴まれてる、そんな状況でじっと見つめる先の皇太子は、傍らに奇跡みたいに綺麗なリリーを従えたまま腕を差し伸べている。
 夢みたいに綺麗な対だ…俺にとっては悪夢みたいな対だけど。
 冷たい空気を纏わせた皇太子の顳顬がピクッと動いたような気がした。

「…なんだと?」

 殺されたって別にいい。
 そう思ったら急に気が楽になった。
 生き残りたいって思えば思うほど恐怖心が募り、悪い方向に進むような気がするから。
 それならいっそ、パパやママや…それこそルージュには悪いけど、俺は此処での生を一旦終わらせていいと思うんだ。
 いつかまた、転生した時は今度こそ頑張るからさ。

「私は殿下に答えました。国の為に必要なものは国民だと。その国民を蔑ろにされる殿下の傍には行けません。殿下は令嬢1人を殺めるのではなく、多くの国民を殺めるのです。令嬢ひとりひとりに家族がいます、そして彼女を必要としている侍女たちがいます。令嬢の為に働いている人たちはたくさんいます。みんな国民です。令嬢を大切にしている家族の心を殺め、支える多くの人たちの働き口を奪い、失業によって住む家だって奪われかねない…彼らの生活を殺めるも同じだと考えます。在り来たりと言われるのならそうなのかもしれません。ですが殿下、私はそんな貴方が治めるこの国でそして貴方の傍で生きることは難しいと思います。ですから殿下が命じた斬首を受け入れます。きっと、お父様も私の決意を信じ許してくださいますわ」

 そう思ったら言いたいことがスラスラ言えてスッキリした。途中、殿下に対して傲慢だとかなんだとかヒソヒソと罵られていたから、あーあ、明日には悪い噂が広まって、皇太子の手を拒絶したことに青褪めているパパには悪いことしちゃったよ。
 ルージュの悪女伝説がこんな形で実行されたら申し訳ないな。
 でもそれでもいい、何もせずにむざむざと殺されるぐらいなら、口撃ぐらいしないとムカつくじゃないか。
 スッキリして言い切ったぞとニッコリ微笑みながらそんなことを考えていると、不意に其処彼処から啜り泣くような声がしてあれ?と思った時には、恐怖で必死に抵抗していた令嬢たちも、呆然と俺を見つめてそれから力を抜き、俺と同じような静かな面持ちで覚悟を決めたようだった。彼女たちを取り押さえている衛兵も、何処かバツが悪そうな嫌な顔をしている。
 何が起こったんだろう…?
 ふとラスボス皇太子の背後にいるリリーに目が行って、彼女だけがそんなみんなの態度に吃驚したような顔をしているけど、何がおかしいのかヘラヘラと微笑みは絶やさない。
 …うげ。いかれた皇太子にいかれた聖女ならお似合いだ。
 もういい、こんなクソッたれどもがいる国でビクビクしながらいつ訪れるか判らない死の恐怖に怯えながら生き残ろうなんて思わない。何処か平和な世界に、また転生できたらそれでいいんだ。
 折角ヒントをくれていたってのに、皇太子攻略ができなくてごめんなパーシヴァル。
 
『残念だが光太郎、お前の乙女レベル(女子力)は25だ。その願いは聞き届けられないだろう』

 は?
 なんでいきなり13も上がるんだ?

「…なせ」

 無言で手を差し伸べていたサイコパス皇太子が何か言ったようだった。だけど、俺も、俺の腕を掴んでいる衛兵も何を言われたのかよく判らずに困惑していた。
 と。
 ゴウッと凄まじい風が吹き抜けたら横にいた衛兵が吹っ飛んでいてギョッとした、ギョッとしたまま唖然として何が起こったのか判らないままサイコパス皇太子を見たら…死ぬほどビビって腰を抜かすところだった。
 身体中に暗黒の風を孕みながら、よくよく見たら僅かに宙に浮いているし、闇の中にゆらりと煌めいているアイスブルーの双眸には憎悪しかない。
 ゴクリと息を呑んだ、コイツ、そんなに俺が憎いのか。
 好かれるワケがないのは知ってるけど…別にいいんだけど。
 ふと、膝が床について、俺はそのままギュッと瞼を閉じた。このまま、みんなの前で殺されるのかな。それでいいんだけど…胸許でカチューシャを無意識に抱きしめた。

「…何処か痛むのか?」

 呆気に取られるほど冷たい声がすぐ傍で聴こえたから顔を上げようとしたら、すぐ目の前に暗い闇を孕んだアイスブルーの双眸が無表情で見つめてくるから、何時の間にか目の前まで来ていて、どうやら片膝を付いて俺を覗き込んでいるようだ。

「強く握られたのか?」

 呆気に取られるよりも理不尽さに「はあ?」と眉が寄ったってのに、病み堕ちサイコパスの血塗れ皇太子は全く気にせずにグイッと強引に腕を掴んできやがる。
 痛い痛い!
 衛兵よりお前の方が力が強すぎて折れそうだわ!

「赤くなってるな…」

「それは皇太子様が…ーーー」

 ビクッとした。
 忘れてたけどコイツ、鬼ほども恐ろしい残虐非道で冷酷な皇太子だった。しかも理不尽だ…
 冷徹で心臓まで凍り付きそうな冷ややかな双眸がスッと、俺の腕を掴んでいたばっかりに何処から現れたか判らない黒い風に弾き飛ばされた散々な衛兵に向けられた、その途端に青褪めて声も出せない衛兵がガタガタ震えながらその場に平伏したんだ。
 いや、衛兵さんは少しも強く握ってなかったからね?
 申し訳ありません申し訳ありませんとガタガタ震えている衛兵に片手を挙げようとしたから、なんだか嫌な予感がして咄嗟にその手をギュウッと握っていた。

「全然痛くないです!それにこれは…そう!かぶれです!!」

 ザワッとその場が一瞬騒ついたけど、判ってる、自分だって判ってる。無理があるってことは重々判ってるんだよ。
 でも絶対に否定しないと、何かとんでもないことになりそうな気がするんだ。

「…」

 不気味な沈黙の後、皇太子は赤くなっている俺の腕を口許に持っていくとフッと息を吹きかけた。途端に赤味がとれて、僅かにひりついていた痛みも取れるとかすげぇ!…でもこれって癒しの魔法のはずだ。
 カイン皇太子は闇竜の呪いをその身に受けるほど、皇家の血を色濃く引いているが故に、絶大な暗黒魔法の遣い手だ。
 さっきの黒い風も彼の魔法だったと思う。
 それなら判る…でも、癒しの魔法は白魔法で、この世界では白魔法を遣えるのは聖女リリーしかいない。リリーしか遣えない…でも、リリーが傍に居たからまさか闇竜の呪いを持つカインも白魔法を遣えるようになるのか?
 なんだ、じゃあやっぱカインとリリーが結ばれるのが一番なんじゃないか。
 腕を見て、それから目の前の皇太子を見て、そして背後で皇太子の肩に手を添えて寄り添うリリーを見て、当初の目標どおり2人を応援しようと改めて決意した。

「有難うございました。もう大丈夫です」

 ニコッと笑って、だからとっとと離れてくんないかな。とか、恩知らずに思っていたせいなのか、ジーッと不気味なぐらい見下ろしていたサイコパス皇太子が、何かを取り出したかと思うと不意に俺の頭に取り出したその何かを載せたんだ。

「…オレが壊したカチューシャの代わりだ」

「!」

 リリーが驚いたように目を見開いたし、会場内もざわめいて、青褪めていたパパの顔が真っ赤になって嬉しそうだし、何が起こったのかよく判らない俺だけがキョトンとしているこの状況、なんだって言うんだ?!

「カイン殿下…皇太子妃はルージュ様なのですか?」

「は?!」

 慌てて、頭に載っている飾りを取ろうとしたけど、俺の反応より素早い仕草で血塗れ(?)皇太子は考えたくない髪飾りを軽く弄ってからジックリと観察してひとつ頷いた。
 おい、どうすんだよ!あまりの奇行っぷりに俺の頭の中の皇太子の異名に(?)がついちゃったじゃねえか!

「よく似合っている…皇太子妃はそれで構わない」

「や!嫌ですッ」

 ニコリとも、フッとも笑わない、表情筋が崩壊してるに違いない、血流の温かさを全く感じられない蒼白い肌に鋭利な双眸を持つ、氷の彫像のような殿下が認めようとするから思わず全力で断っちまった。

「………なんだと?オレの妃になるのは嫌だと言うのか」

 表情がないくせに無駄に迫力はあるし、何なら今は殺意すら出ているので、俺は破裂しそうな心臓を抱えて目の前の不気味に冷静なアイスブルーの刃物のような瞳を見つめた。
 たぶん、目線を外したら襲い掛かってきて殺される…熊だ。熊と同じレベルだ。

「ご令嬢様たちの首を刎ねるようなお方を慕うことなんてできませんッ」

 いきなりの急展開で衛兵がどう対応したらいいのか呆気に取られて困惑しているおかげで、斬首のためにひっ捕らえられているお嬢様方は、殺される恐怖もあるだろうに、伝説の聖女を差し置いて闇竜の呪いがかかっている皇太子が普通の公爵令嬢を嫁にするとか言い出したモンだから、恐怖心そっちのけで頬をピンクにしてロマンスに小さな声でキャアキャア言ってる。
 他人(俺)の気持ちも考えて!つーか、自分たちの立場も考えよう?!ヤバイんだよ!

「…なるほど、令嬢は丁重にお帰り頂こう。メイデル卿!」

「は」

 お帰り頂くという短いフレーズで、アグランジア皇国の優秀な衛兵たちは即座に理解し、拘束されていたお嬢様方を無事に解放した。
 跪いていた衛兵も早い段階で仲間に支えられて退場させてるから、衛兵さんたちは本当に優秀だと思う。ってか、殿下の機微に敏感ゆえの判断力と行動力なんだろうか。
 ご令嬢たちはすぐさまご家族の元に走るだろうって俺の予想は外れて、この闇の皇太子と極々普通の公爵令嬢とのロマンスの行方が気になって仕方ないみたいで、心配そうに駆けつけてくる家族への返事もそこそこに、ソワソワとその場に留まって興味津々って感じで頬を染めてこっちを見てる。
 言っておくけど君たち、さっきまで死にかけてたんだからね?
 恩に着せるワケじゃないけど、俺のことも助けてくれたら嬉しいけど見てるだけだよね。
 つーか、なんだこの展開?え?さっきのは茶番だったってことか??

「妃の入城は明後日とする」

 何時の間に傍らに来ていたのか、パパはニコニコ悪人ヅラで笑っているけど、結構深刻に悩んでいるみたいだ。
 父親としては皇家に嫁がせること、また嫁ぐことはとても名誉あるお話だし、今後のメイデル家の繁栄にものすごく有利になる。もともと優秀だからそんなに心配することもないんだけど、そこはやっぱりメイデル家を支えるお兄ちゃんの地位が盤石になるともなれば、本当は嫁がせるべきなんだよな。
 父としては賛成であるが、宰相としては、やっぱり闇竜の呪いを受けている皇太子のお妃様は聖女リリーであるべきだと考えているみたいだ。
 それで間違いないよ、パパん。

「はぁ?!」

 素っ頓狂な台詞に思わずビビる俺の腕をグイッと掴んで(痛い痛い)立ち上がると、俺がか弱い女子とか子どもとかさっぱり気遣うこともできない病み堕ちサイコパス皇太子にやっぱり殺気を孕んだ胡乱な目付きで無表情に冷たく見下ろされてしまった。

「承知致しました」

「ええ?!」

 あれだけ悩ましそうにしていたくせに、認めるの早ッ!
 つーか、認めちゃうのかパパん…

「この後、詳細を打ち合わせる」

 波乱を含んだ舞踏会は、本当なら此処でルージュは手酷い仕打ちを受けて、このアグランジア皇国でも歴代の悪女に名を連ねることになる事件が起きる筈だった。
 なのに、実際に起こったのは聖女リリーの皇太子妃発表…ではなく、メイデル公爵令嬢との婚約発表だとかなんだそれ。
 違った意味で酷い仕打ちなんじゃねーかこれ。
 原作の設定から大きく逸脱している、ヘンな話、ルージュ好きが書いた二次創作っぽくなってるんだが大丈夫かこれ。
 しかし、よく俺もこの世界に馴染めたよな。
 だって仕方ないよね、初日からいきなりヘンな白いチビ飛竜に脅されるわ、翌日にはもう運命の舞踏会とかだわで、悲観に暮れたりビビったりする暇が全然ないんだよ!
 そうこうしてる間に、思い切り感情移入していたルージュがこの世界では幸せそうだと思ったら、ちょっと嬉しくなって、だったらもっとよくしてみようって思うだろ?まあそれはたぶん、ルージュとしての意識じゃない、栗花落光太郎のままルージュを客観的に見ることができるから、そこまで凹むことがないんだろうと思う。
 あと、あのチビ飛竜、パーシヴァルが俺のことをずっと『光太郎』って呼んでくれるから、自分を否定されない安堵感も大きく作用しているとは思うんだ。
 ただ遺してきた甥っ子のことはかなり気になるけど、それ以外で、俺を前世に引き留める未練がないってのも問題なのかもしれないけどさ。
 結局、パパは今後の話し合いとか言う胡散臭い密会の為に皇宮に残るそうなので、俺は入内の準備とかのために先にベルと帰ることになって、その際に、俺に護衛騎士が何故いないんだと血塗れ皇太子がブリザード級の冷気を纏ってエリスに聞いたから、彼はここぞとばかりに説明をして護衛騎士の派遣を訴えてくれた…いらないのになぁ。
 で、早々に派遣することを約束してくれて、カイン皇太子はエリスに護衛騎士(仮)になるよう指示した。げ、エリスが護衛騎士(仮)かよ。遣り難いなぁとか思いつつも、仕方ないしでベルと一緒にエリスとも帰宅する羽目になった。
 まあ、エリスは結構嬉しそうだったし、ベルも一安心みたいだったから良かったんだろう。
 因みにベルは俺が皇太子のどんな形かはまだ判らないけど、お妃か側室になるってんで、何故かアレだけ反対っぽそうだったのに喜んでいた。
 絶対に自分も入内の際にはお供するし、張り切って用意も致しましょうと、フンフンッ!てやる気満々でこっちが苦笑せざるを得ないほどだった。
 本当ならそれだけ喜ばしいことなんだろうけどさぁ…
 うーん…当初の目論見からかなりずれずれにずれちまったんだけど、これが乙女レベル(女子力)の成せる業なんだろうか。
 兎も角、グズグズ脳内でパーシヴァルに聞いたけどヤツはコチリとも返事をくれないので、今夜は取り敢えず大人しく眠ることにした。
 入内の為に実家に帰らざるを得なかったからママにもお転婆を叱られたもんだから心身ともにヘトヘトで、正直疲れちゃったんだよ俺は。
 舞踏会なのに全然踊らなくてよかったのも助かったけど、まあ何はともあれ、大変なことになりました。