荒れ狂う北の海を拠点に暴れると言う、深紅の髪がトレードマークの隻眼の男を筆頭に掲げる海賊〝疾風(ゲイル)〟にもその噂は届いていた。
珍しく晴れた穏やかな凪の日、遠くをのんびりと進む商船の目印とも言えるべき純白の帆を眺めながら、遠見鏡で肩を軽く叩く男が呆れたように後方を振り返ると、甲板に持ち出したデッキチェアに獅子のように長々と寝そべった深紅の髪の男、この船の船長であるレッシュ=ノート=バートンは、まるで牙の抜けたキングコブラか何かのようにダラダラとだらけている。
「あんなところにお宝が転がってますぜ、お頭。あたしを食べてvと股を開いてんですから喰いましょうよ」
「やだね。竜使いが絶世の美女だったらどうするよ?そうだな、ルウィン野郎のお袋さんみてぇなすっげぇ美人さ。あんな二束三文は放っておけ」
あの人は男じゃねーかよ、と言外に筋違いの悪態を吐きながら、見張りの男は残念そうに目の前を悠々と、しかし本人たちは死に物狂いの速度で通り過ぎていく純白の帆を恨めしそうに見送っている。
そして、唐突にハッと我に返った男はなんとも情けない顔をして大袈裟に頭をぶるぶると左右に振るのだ。
「そう言う意味じゃねぇよ、お頭!どうして突然、狩りを止めちまったんですかい!?」
遠見鏡を振り回す勢いで詰め寄るムサい男に、レッシュは面倒臭そうに眉を寄せて身体を退くと気の抜けた欠伸した。
「そりゃあ、ヒース。竜使いって至宝が降ってくるんだぜ?そいつをゲットしねぇであんなもんの尻を追い駆けてられっかよ。なぁ」
ちょうど船室から出てきた副船長のデュファンが不機嫌そうに寄せた眉で眉間に深い皺を刻んだまま、ダラダラと部下とじゃれ合う頭領に偏頭痛らしく顳かみを押さえながら首を左右に振って見せた。
「話の途中に参加させるな。それよりも遊んでねぇで航路ぐらい確認しろ」
ポンッと投げて寄越した紙切れをキャッチして、レッシュは厳つい顔の割には律儀なデュファンをニヤニヤと笑ってからかった。
「お前がいるから構わんだろうーが」
こっちが構うんだけどな、と言いたそうな表情をして溜め息を吐いたデュファンは、遠見鏡を持ってガックリと項垂れているヒースの肩をポンポンッと励ますように叩いてやる。
と。
「嵐が来るかもな。風向きが変わった」
不意に身体を起こしたレッシュが天を仰いでそう言うと、デュファンとヒースはそんな彼を振り返る。
「渡り鳥が騒いでるぞ。竜使いはすぐそこだそうだ」
まるで鳥たちのざわめきを理解できるかのようにレッシュは立ち上がると、遥か彼方を睨み付けるように見据えている。
「南だ。南に向けて全速前進!」
「イエッサー」
「やったぜ!やっと動けるぞーーーッ!」
デュファンが片手で挨拶して踵を返すのと、漸くだらだらした生活ともおサラバできるヒースが飛び上がらんばかりに喜んで叫ぶのとはほぼ同時だった。
レッシュはいつものことに鼻先で笑ったが、ふと、何故かいつもらしくもなく、胸の辺りにムクリッと何かが起き上がるのを感じて首を傾げた。
(何だ、この感じは?)
起き上がったもやもやは容易には消えそうもなく、それは不意に、意志とは無関係のところでソワソワと動き出した。
恐れのような…不安?
(まさか…な)
振り払うように首を左右に振って、彼は眼前に広がる海原を見据えた。
風が、彼の深紅の髪を巻き上げて吹き過ぎていく。
灰色の隻眼を僅かに細めて、目に見えない予言の獲物を肌で感じるように、彼は自信に満ちた双眸で遥か遠くを目指すのだ。
ほんの一握りの、一抹の不安を抱えながら…