第一章.特訓!5  -遠くをめざして旅をしよう-

『町だー!!』

 思わず通りを行き交う人々がギョッとするほど大きな声で叫んでしまった光太郎に、少し先を歩いていたルウィンがギクッとしたように首を竦めて訝しそうな表情をしながら胡乱な目付きで振り返った。
 その緩慢な動作に一瞬ハッと我に返った光太郎は慌てたように口元を両手で押さえて首を竦めてしまう。

「ごめんした」

「…」

 胡乱な目付きでジロッと見下ろすルウィンを恐る恐る上目遣いで窺いながら、光太郎は逸れないように背中の部分の服を掴んで言い訳を試みることにしたようだ。

『だって、この世界に来て初めてルウィン以外の人がいる場所に来たんだよ?そりゃあ、俺ももう高校生だし、町中で騒ぐなんて恥ずかしいと思うよ。でもホラ、やっぱり異世界の町なんて初めてだし、これはもう修学旅行と同じレベルだと思うんだよね』

 捲くし立てるように言いながら、怒られそうになっていると言うのにそれでも物珍しそうにキョロキョロする光太郎を、呆れてモノが言えなくなったルウィンは何か言おうと開きかけていた口を一瞬噤んで、無表情のままで止めていた足を動かした。

「お前の言ってることは判らん」

 どこかで聞いたことのあるようなフレーズで言うルウィンに気付いて、光太郎はニコッと笑いながらその言葉を繰り返した。そこで漸くルウィンは、そうか自分が何か喋ると、この変な異世界人は同じフレーズをそのまま鸚鵡返しにしてくるんだったと気付いて、途方もなく大きな溜め息をついた。

『?』

 疲れたような表情で首を左右に振るルウィンを不思議そうに見上げていた光太郎の興味はしかし、すぐに賑やかな大通りへと移されたようだ。

「ルウィン、町。大きい。なにする?」

 やれやれと溜め息をつくルウィンの服をクイクイと引っ張って光太郎が不思議そうに首を傾げると、まだ何かあるのかよとでも言いたそうな表情をしていた銀髪のハイレーン族の青年は肩を竦めながら、それでも面倒臭そうに答えてやった。

「大きい町で何をするかって?決まってるだろ、買い物をするんだ」

 それに、大きな町なら多少風変わりな出で立ちの光太郎でも目立たないだろう…と言うのは、敢えて口にはしなかったが。
 以前、手に入れたはいいが持て余していたカタ族の衣装がまさかこんなところで役に立つとは思っていなかったルウィンだったが、既に寝巻き用にしている彼のクリーム色の服とは違い、カタ特有の幾つかの布を重ね腰の部分を帯で縛る着物のような上着と黒いズボンは光太郎の体にピッタリだったので無駄にならなくて良かったと思っていた。

「かぬもの。なにかぬ?」

 矢継ぎ早の質問にも、ルウィンは商店通りをめざして歩きながら肩を竦めて答えてやる。

「…そう、買い物な。まあ、いろいろさ」

『そっかー、物資調達なんだ!それでこんな大きな町に来たんだね。やっぱり、この世界でも田舎だと思ったような商品って手に入らないのかな?通販とかもいいけど、やっぱり品物はちゃんと目で確かめておかないと信用できないよね。あ、でもそう言えば。この世界でもやっぱり十進法で計算とかするのかなぁ…?』

 呆れたように眉を跳ね上げて肩を竦めるルウィンにニッコリと笑いかけて、光太郎は興味深そうな顔をしてルウィンのめざす商店通りへと向かうことにした。

「アキラ?…そう言えば最初の頃もそんなことを言ってたな、お前」

 賑やかな町並みを見渡していた光太郎はふと、この大勢の中からひょっこりと彰が姿を現すような錯覚を感じて、思わずルウィンの服をギュッと掴んでしまった。道具の露天商から勧められている粉袋を片手に眉を寄せたルウィンがそんな心細そうな顔をして見上げてくる光太郎に気付いて首を傾げると、迷子になった子犬のような少年は寂しそうに眉を寄せる。

「お兄さん!それ、安いんだよ~?他じゃこの値段で売ってないって!マジで」

「ああ、だがちょっと高いな。あと20ギール負けたら2袋買うぜ?」

 交渉上手なルウィンがニッコリ笑うと、道具屋の主人は困惑したように眉を寄せて「う~んう~ん」と腕を組んで唸っていたが、顔色を窺うように上目遣いで銀髪の旅人を見上げると思い切って片手を出した。

「5ギールだ!」

「15ギール」

 間髪入れずにニッコリ笑う旅人に、主人は「じゃあ、10ギールだ!これ以上は負けられん!!」と言い募るとルウィンは「じゃあ、それで」と言って支払った。主人は毎度~っとは言ったものの、ちょっと不服そうな表情をしてとほほ…と渋い顔をする。

「はっはっはっ、このオレさまをぼったくろうなんざ甘い甘い」

 片手で奇妙な粉の入った袋をポンッと放ってタイミングよくキャッチしながら満足そうに笑うルウィンは、彼の服の腰辺りを掴んで怪訝そうな表情をしている光太郎に気付いて先ほどの会話を思い出した。

「アキラだったな。覚えてるって。そんなあからさまに疑い深そうな目をすんなよ」

 最近、喋ることはまだまだ覚束無いものの、漸く聞き取ることは幾分かできるようになった光太郎はルウィンを質問攻めしては、彼をうんざりさせている。

「アキラ、一緒。たぶん」

 身振り手振りでなんとか意思を伝えようとするものの、思うように言葉にできない。アークの共通語は英語よりも難しそうだ。

「一緒に来てるはず、って言いたいんだろ?」

 だが、ルウィンの努力の賜物で、彼は光太郎の意志を汲み取ることができるようになった。その成果は、異世界から突然降ってきた少年を安心させるには充分だった。

「あの時、お前と一緒には落っこちてこなかったけど…」

 町中でこのような会話をしても大丈夫なのだろうかと思われるだろうが、その点は光太郎が今着ている衣裳によってカバーされていたりする。
 謎の流民カタの衣裳を手に入れたルウィンは、それを躊躇うことなく光太郎に着せた。この衣裳を身につけていれば、多少竜使いや神竜の話をしていても誰も気にもとめないし、カタコトの共通語でもおかなしな表情はされない。
 もともと謎である流民は独特の言語を持っている。
 彼ら独自の楽器であるシュラーンを爪弾いて踊るカンターナを披露して世界中を回る場合はその場所場所の言葉を話しているが、仲間内では独自の言語であるカタ語で会話している。だから、共通語を喋ることができないカタ人がいたとしてもおかしくはないのだ。
 魔族が持っているような漆黒の髪と夜空色の瞳を持つ、独自の文化を花咲かせている謎多きカタ族。神竜や竜使いに尤も近い存在だとも噂されている。多少の奇行もカバーできるだろうと考慮しての結果だった。
 光太郎はその扮装をして、ルウィンと共に旅をしている。

「もしかしたら、別の場所に落ちたのかもな」

「タイヘン!助けるする」

「そりゃそうだけど」

 そう言って肩を竦めたルウィンは、光太郎の着ている独特の衣裳にあるポケットの中に、先ほど購入したばかりの小袋を仕舞い込んでやりながら言葉を続けた。

「どこに落ちたかにもよるだろうな。生きてるのか死んでいるのかも判らんし、何よりこの世界に来ているのかも定かじゃないんだろ?」

 ルウィンに入れてもらった小袋を不思議そうに見下ろしていた光太郎は、ハッとしたように顔を上げて銀髪の美しい賞金稼ぎを見上げた。

『えーっと、えーっと』

「ん?」

 必死に言葉を発せようと開きかけていた口は閉じ、顔は俯いてしまう。
 ボキャブラリーはまだまだ少ないのだ。

『判ってるんだけど、でも、何だか絶対に彰もここに来ているような気がするんだ。漠然とだけど…俺には判るんだよ。やっぱり、兄弟みたいな幼馴染みだからかもしれないけど』

 日本語で言ってもルウィンには理解してもらえない、判っているのだが、何かを口にして伝えたい気持ちがいっぱいある。そうしないと、いてもたってもいられない気分になってしまうのだ。叫びだしたいような、心許無い不安は、何処にいるのかも判らない幼馴染の顔を見ればきっと、落ち着くのだと確信している。
 だが…
 顔を上げてルウィンを見上げると、良く晴れた陽射しの中、とても綺麗な顔が困ったような苦笑を浮かべている。その表情が、この世界に来て初めて触れ合った”ヒト”と呼べる存在が良く浮かべる、温かな感情だと言うことをもう光太郎は知っていた。
 あっさりと突き放されるのでもなく、かと言ってベタベタと馴れ合うわけでもない。
 どこか一歩退いていて、でも近付いているような奇妙な感覚のその表情が、光太郎は優しさだと感じていた。
 この人と一緒にいれば大丈夫、漠然とだがそんな確信が何故か光太郎にはあった。

「仕方ないな…じゃあ、捜してやるよ。それで文句ないだろ?」

『あいたッ』

 ピンッと額を指先で弾かれて、光太郎は痛そうに眉を寄せて両手で額を押さえた。
 仕方なさそうな表情をするルウィンを見上げて、それでも嬉しそうに笑った。

『あれ?そう言えばルビアはどこに行ったんだろう?』

「ん?百歩も譲ってやったこのオレさまに、まだ何か文句があるのか?殺されたいのか?」

 やけに物騒な台詞を吐いてニッコリ笑いながら顔を覗き込んでくるルウィンに、光太郎はちょっと頬を赤くしてぶんぶんっと首を左右に振った。綺麗な顔に冗談でも笑顔で凄まれると、怖いしドキッとしてしまう。
 ともすれば美女にだって化けることができそうなルウィンだ、大抵の人間が見ればその美しさに強く惹かれるだろう。ハイレーン族の賞金稼ぎは、エルフのように美しい幻想的な相貌を持っている。

「ルビアない。どこいぬ?」

「ルビア?ああ、ヤツなら一足先に宿屋に行ったんじゃないかな。この人出だ、何かの祭りでもあるんだろう。宿が満室じゃなきゃいいが…」

 そう言ってルウィンが覗き込むように屈めていた上半身を起こして、大通りを見渡すと、独り言のように語尾を呟いた。
 先端の尖った独特な耳を持っているのは、この人手の中でもルウィンぐらいしかいないんだな、と光太郎は周囲を見渡してそう思った。
 髪の色も肌の色も様々なのに、取り残されたように異形の耳を持つルウィンの背中は、なぜか時折寂しく見える。それは光太郎の思い過ごしなのだが、彼はそう思うと、どうしてもルウィンの服を掴まずにはいられなくなってしまうのだ。
 このままここから消えてしまいそうで…そんな風に、本当に心細いのは、実は光太郎の方だったりするのだが。
 腰の辺りの服をギュッと掴んだ光太郎に気付いたルウィンがそんな彼を見下ろしたその時、不意に、まるで踊り子のようにあられもない姿の少女が銀髪の賞金稼ぎに突然抱きついた。

『わっ』

 驚いたのは光太郎で、抱きつかれた当の本人は別に気にした様子でもなく、緩慢な動作で少女を見下ろした。

「ルビア」

『へ?』

 間抜けな声を上げてマジマジと凝視する光太郎を無視して、僅かな部分だけを覆うような衣裳に身を包んだ小さな美少女は、ルウィンに思いきり抱きついて頬摺りをしながらクスクスと笑う。

「宿屋は一室だけ空いてたのね。でも、ツインしかなくて、トリプルにすることができないって言われちゃったの」

「構わんよ。お前は竜に戻ればいい」

「判ってるのね」

 しなやかな仕草で光太郎を振り返った美少女の大きなエメラルドの瞳だけが、彼女がルビアであることを物語るように縦割れだった。笑みに揺れる美しい少女の顔を、光太郎は驚きに見開いた双眸をしてマジマジと食い入るように見入っている。

「光ちゃんが驚いてるのね!おっかしーの」

 ケラケラと笑ってルウィンから離れた美少女ルビアは、そんな光太郎に思いきり抱きついて少し伸び上がるようにして頬を摺り寄せた。

『ルビア?変身もできるのかい!?』

 驚いたように声を上げる光太郎に、ルビアはちょっと困ったように眉を顰めて小首を傾げた。

「ごめんね、光ちゃん。ルビアは人型に変化すると、言葉が判らなくなってしまうの」

『あ、そうなんだ。…つくづく、ここは異世界なんだなぁって実感しちゃうよ』

 光太郎は呆然としたような、あんまりビックリしすぎて却って冷静になったように感嘆の吐息を洩らして呟いた。

『あれ?でもどうして女の子に変化してるんだろう?』

 光太郎の中に疑問を残したルビアの変化は、その後も様々に形を変えて現れるのだが、その度に彼は首を傾げることになる。…が、敢えてそれについて何か聞こうとはしない。と言うか、聞いてはいけないような気がするのだ。
 ニコニコと微笑むルビアが踊るように通りを宿屋まで案内すると、ルウィンは呆気に取られている光太郎に苦笑を洩らし、肩を竦めながら「ほら、行くぞ」と言って後を追うように促した。
 三人の背後に、運命を指し示す賢者の指先が風となって吹きすぎてゆく。