燃えあがる焚き木の炎にオレンジの眸が揺らぎ、彼女の心の深い部分までも照らし出しているようだ。不思議な髪は薄いブルーと淡い紫が混ざり合っている美しい色で、肩口でキチンとつみ揃えられている様子は、どこか高貴さが漂い、動きやすい衣裳に身を包んであっても彼女には気品があった。
意志の強さを秘めたオレンジの眸が一瞬細められて、次いで傍らに片膝をついて控えた長身の、漆黒の甲冑に身を包んだ場違いな男を振り返る。
「王城が遠く霞んでいるわ。こんなに近くにあっても、あたしはなんて非力なのかしらね…」
「姫君…」
肌も露なTシャツにホットパンツのようなズボンを穿き、片足だけ股まである靴下を穿いた快活そうな少女の、まるで出で立ちに似合わない小さな溜め息のような呟きに、黒甲冑の男は兜に見えない表情を僅かに曇らせた。
「心配しないで、ローラディン。あたしは、だからこそ生きていけるのだから。あの、懐かしい城を取り戻すまでは、けっして死んだりしないわ」
幾分かホッとしたように黒甲冑が身動ぎすると、憂いを秘めた少女のオレンジの双眸が、僅かに優しく揺れる。
「ごめんね。お前たちには無理ばかりさせて…」
「姫君。案じられますな。我らは姫と共にあることこそ無上の幸福なれば、誰も貴女さまを責める者などありますまい」
些か不満そうに呟く黒甲冑に、少女はすぐにクスッと微笑んだ。
自分たちをもっと信じてくれと、黒甲冑が雰囲気に漂わせる強い意志が、少女の頑なな心をいつも平常心に戻してくれているのだ。
ホッとする。
少女は申し訳なく思いながらも、自らの小さな胸に沸き上がる不安や恐怖のようなものが一蹴されることを感じて目を閉じた。
大丈夫、きっと明日も生きていける。
《ブルーランドには魔族がいるのね》
『魔族?』
ルウィンが出掛けてくると言って部屋を空けた殺風景な室内で、光太郎はベッドの上にちょこんと座って胸に抱き締めた小さな飛竜の顔を覗き込んだ。
《そう》
チビ竜は温かな光太郎に抱き締められることが何よりも好きで、良くこうして会話を交わしている。
《昔は他種族とも仲が良かったのね。でも、ある日突然彼らは叛乱を起こし、ブルーランドを攻めたの》
『てことは、もともとブルーランドって国は魔族のものじゃなかったんだね』
チビ竜は神妙な面持ちで頷くと、溜め息を吐いて首を左右に振った。
《どうしてそうなっちゃったのか、きっと魔族にも判らないと思うのね。昔はあんなに仲が良かったのに。ルーちゃんの…》
そこまで言って、ルビアは慌てたようにハッと口許を押さえた。
もちろん、光太郎は目敏くそれに気付いて、怪訝そうな表情をすると首を傾げてルビアの顔を覗き込んだ。
『ルウィンがどうかしたのかい?』
《な、なんでもないのね》
取り繕うように笑うと咽喉を晒して光太郎を見上げるルビアのエメラルドの大きな瞳は、微かな動揺に揺れていて、光太郎に不信感を抱かせるには充分だった。
『教えてよ、ルビア!』
その晒した咽喉をコチョコチョと擽りながら、光太郎がクスクスと笑ってじゃれ付くと、ルビアもイヤーンと笑いながら緩慢な仕草で身動ぎする。
《なんでもないの!ルーちゃんの初仕事の場所だったってだけなのね!》
ケラケラと笑いながら、あながち嘘でもないことを言って暴れるルビアに、光太郎はその擽っていた手を止めると驚いたような表情をした。
『初仕事…ってやっぱり、賞金稼ぎの?たった一人で、魔族の王城に行ったのかい!?』
笑いすぎて肩で息をする小さな真紅の飛竜は息を整えると、驚いたように見開かれた夜空色の漆黒の瞳を見つめながら頷いた。
《ルーちゃんは強いの。でも、ナイショだけど。ルーちゃんはその任務を失敗しちゃったのね》
『当たり前だよ!たった一人で魔族の王城に行くなんて!自殺行為じゃないかッ』
本気で怒る光太郎にルビアは少し驚いたように目を見張ったが、すぐに小さく微笑むと、その身体を小さな両手で必死に抱き締めた。
普通なら、このアークで生きる住人ならば、賞金稼ぎが仕事に失敗すると言うことは致命的で、以後けして雇おうなどとは思わない。馬鹿にされる要素なのだ。
だが、異世界から来た住人は、掛け値なしでルウィンの身体だけを心配している。
そう言う人間もいるのだとルビアは純粋に嬉しくて、そして、どうしてそんな人物が【竜使い】なのだろうかと悲しくなった。
だからこそ、なのかもしれないが…
『ルビア?』
【竜使い】の悲しい定めを知る小さな飛竜は、飛竜族でありながらけして思ってはならないことを自分が考え始めていることに気付いて愕然とした。
光太郎が竜使いじゃなければいいのに…ずっと、一緒に旅ができたらいいのに。
神竜が待ち焦がれている竜使い、もしかしたら、悲しいルウィンの心を満たすことができるかもしれない光太郎。
ルビアは唐突に浮かんだ思いに、いったいどうしたらいいのか判らなくて、光太郎の呼びかけに答えることもできにずに不思議そうに小首を傾げるその身体に抱きつくしかなかった。
「ルウィン=アルシェリア。あら、珍しい。ハイレーンの賞金稼ぎね。しかもトップクラス。こんな田舎町じゃ滅多にお目にかかれない 銀鎖の剣 が見られるなんて、あたしってばラッキーねぇ」
お喋りな受付嬢はクスクスと笑うと、預かっていた銀色のプレートのようなものをルウィンに差し出した。
それはある種の通行手形のようなもので、行った先々の町で必ずギルドの事務所にそれを提示し、仕事の斡旋を受けたり生きていると言うような生存確認の登録をするのだ。いわば身分証明…つまり賞金稼ぎの免許証のようなものである。
「はい、登録しておいたわ」
美形の賞金稼ぎに町娘はやや舞い上がっているように頬を上気させ、うっとりした双眸で見つめてくる。そんな視線にも慣れているのか、ルウィンは銀色の無機質なプレートを無表情で受け取って懐に仕舞うと、机を指先で弾きながら訊ねた。
「仕事が欲しいんだけど、何か手頃な依頼はないかな?」
「手頃って言うと、たとえば?」
受付嬢は、どうやら依頼の掲載されているらしい膨大なリストを持ち上げると、胸元に垂らしていた眼鏡をかけて上目遣いにルウィンを見上げてきた。
「そうだな…日数のかからない、まあ、ぼちぼち金になるヤツだったらなんでも」
「日数のかからない…って言うと、護衛系は無理ってことね。じゃあ、魔物退治なんてどう?」
そのページを 捲 る受付嬢に曖昧に頷いて、ルウィンは良く聞こえる耳を欹てて、遠くで屯しているこの町の下級賞金稼ぎたちの会話に耳を傾けた。受付嬢は膨大なリストから希望の依頼を弾き出そうと、熱心に俯いて無口になっている。
「おい、聞いたかよ。ティギの村でまたカークーが襲われたんだと」
「マジかよ。この月に入って何羽目だ?」
「3羽か…4羽ぐらいじゃねぇか?あの村も災難だな。シーギーに目を付けられるなんて」
「下級妖魔だと誰も相手にしねーからなぁ。貧しい村だと思うような報酬も得られんし、普通の賞金稼ぎは避けて通るよ。大方、出せても300ギールがいいところだろう」
「あの村はもう駄目だな」
口々に言っては溜め息を吐く。だが彼らの言う通り、大概の賞金稼ぎはその名の通り報酬の為に命を張るもので、下級クラスの魔物や低い報酬には見向きもしない。
中級から上級クラスの魔物となれば、報酬も良ければ自分の名に箔がつく、そう言った理由から賞金稼ぎは下級の依頼は国王の命令でもない限り受けたりはしない。いや、たとえ国王の命令だとしても、断固として撥ね付ける賞金稼ぎもいるぐらいなのだから、その厳しさが判るだろう。
たとえそのせいで村が壊滅的な被害に遭おうと、彼らの知ったことではない。彼らは慈善事業家ではないのだ。
よほどの物好きがいれば話は別だが…
「ティギの村の依頼はどうなってるんだ?」
突然話題を振られ、リストに齧り付いていた娘は顔を上げると怪訝そうな表情をしたが、大方、この旅の賞金稼ぎもそこらで近隣の村の情報でも耳にしたのだろうと思ったのか、言われたとおりにそのページを指で探って見つけ出すと内容を目で追いながら眉を顰めた。
「あなたの希望通りじゃないみたいよ。シーギー退治で250ギール。最低ね。これじゃ、誰も見向きなんてしないわよ」
「ふーん…じゃあ、それでいいや。伝令鳥を出しておいてくれ」
受付嬢は驚いたように眉を上げて、それから徐に胡乱な目付きをした。
「ちょっと、本気なの?興味本位ならよしてよ。途中でやーめた、なんて言われたら、あたしたちギルドの 沽券 にも関わるんだからね」
「判ってるさ。ほんの小遣い稼ぎでいいんだよ。次の町まで行ける路銀になればな」
この金額でどこまで行くのかと言いたげな疑い深そうな表情をしていた娘はしかし、幾分か嬉しそうな表情をして紹介状を取り出した。
「それなら、伝令鳥を出しておくわ。これは紹介状ね。…正直、ちょっとホッとしたわ。誰もこの依頼を引き受けてくれなかったから、あの村はもう駄目だって思っていたの」
羽根飾りのついたペンで羊皮紙にルウィンの名とそのクラスを明記しながら、娘は綺麗で優しい賞金稼ぎに幾分か心を奪われているようだった。いくら小さな村とは言え、自分たちの暮らす町からそう遠くない場所で、ひとつの村が終焉を迎えようとしているのは気持ちの良いものではない。しかし、だからと言って命を落とすかもしれない魔物退治に、喜んで行くのは報酬目当ての賞金稼ぎぐらいだ。それだって、強かな金額でなければ首を縦には振らないだろう。ましてやトップクラスの賞金稼ぎとなればなおさらだ。
しかし、この美しくも最高のクラスに立っている賞金稼ぎは、誰も見向きもしないような依頼を引き受けようとしている。
「じゃあ、ここにサインして…これでギルドの契約は終り。これ、村までの地図ね。じゃ、後は村の責任者と契約してちょうだい」
紹介状と地図を受け取ってギルドを後にしようとするルウィンの良く聞こえる耳に、慌てたように駆け寄る足音が聞こえる。あの受付嬢はこの町のギルドでは看板娘だったのだろう。先ほど会話をしていた連中が口々に彼女に問い掛けているようだ。
「なあ、今のハイレーンの賞金稼ぎだろ?お、俺、初めて見ちまった」
「綺麗でカッコイイよな!なあなあ、紹介状を渡してたじゃん!どんな依頼を請けたんだ!?」
「あの 銀鎖の剣 はSクラスだ。5000ギールの依頼か…いや、10000ギールはいくかもな!」
言いたい放題言う下級クラスの連中に、受付嬢は厚いリストでバンッと机を叩くと、かけていた眼鏡を外しながら怒鳴った。
「あんたら腰抜けと違って、たった250ギールの依頼を平然と請けたのよ!恥を知りなさい恥を!依頼はまだ山ほどあるんだからね!登録ばっかりしてないで少しは仕事を請けてちょうだい!」
受付嬢の 一喝 で 蜘蛛 の子を散らすように去って行く男たちに溜め息を吐く気配を感じて、ルウィンはクスッと笑った。どこの町も同じだが、ギルドの娘は強いなと思ったのだ。
当たり前だ、荒くれ者の連中相手に値段の交渉も彼女達がするのだ。低いだの高いだの、 一喝 で 纏 められるほどの勢いがないと、賞金稼ぎのギルドでは仕事ができないだろう。
ルウィンはそれほど頑丈ではなさそうな扉を開いて外に出た。
傾きかけた陽射しに町が暮れなずもうとしている。
今夜は光太郎たちを久し振りのベッドでゆっくりと休ませてやろう。
光太郎を連れての初めての仕事なら、シーギー退治でちょうどいいだろうとルウィンは安易に考えていた。