Act.1  -Vandal Affection-

 俺は膝を抱えて蹲っていた。
 いったい何がそうして、こんな状況に陥ってしまったのだろう…
 考えても始まらない夜は、暗い暗い、月明かりだけが頼りの熱帯雨林の中で暮れようとし
ていた。

 冒険家───確かにそんなものに憧れていた時代もあった。
 高校を出る頃にはそんな夢物語、とっくの昔に諦めていたはずだった。
 大学に入ってから、それでも忘れられないでいた子供の頃の夢が半端に叶って、俺は考古学を専攻することに成功したんだ。
 老いぼれた教授は博士号を習得していて、その分、嫌になるほど頑固なジジィでもあった。点付けとかも厳しく、ほんの一時間でも授業をすっぽかすと落第だと喚きたてる、そんなヒステリックな一面を持っている、実に厄介なジジィだ。
 でも、今回の俺はそんなジジィ博士に感謝しなくてはいけない。

『新しく発掘するべき旧世界の遺産が、南米のコンカトス半島で発見された』

 それは、俺たち考古学の教室がある構内で実しやかに流れた飛びきり一級品のニュースだった。
 外れるだろうな。俺は運が悪いから。
 発掘隊のメンバーは、この大学での伝統的慣わしになっている抽選で決まる。
 伝統と言ったってたかが知れてる。
 まあ、なんと言うか…あみだくじとか、あるいは単なるくじ引きと言った感じだ。
 どちらにせよ、ジジィ博士の気紛れで決まるってのは言うまでもない。
 俺は、あの博士には睨まれているからなぁ…
 普通のサラリーマンの家庭で、一流とも謳われた私立の大学に行くことは自殺行為でもある。
 その上、俺の家はある意味、適度に貧乏だ。
 だから、単位を落とさない程度に授業を受け、あとは四六時中バイトに明け暮れている俺の身体はそれなりに肉体労働には向くようになっていた。でもまあ、そんな身体を作ってるが為に、ジジィ博士に目をつけられることになっちまったんだけどな。
 つまり、えーっと…そんなヒステリックな博士の授業中でも、俺はその、お構いなしに熟睡しちまうってワケだ。
 夜明けと共に起き出して、次の日の夜明け近くに眠る。
 そんな奇妙な習慣が、俺に毛の生えた太い神経を培わせた。
 そんな俺でもやっぱりドキドキはするんだなと、当選確率の極めて低い抽選箱に、汚い字で走り書いた学科名と名前と学生番号の記載された白い紙を投入した。
 当たりますように…必死で願っていた。
 その結果が、俺に人生で最悪の道を歩ませることになるなんて、思いもせずに…

「佐鳥光太郎!やったじゃーん!」

 突然、高校時代からの友人である御前崎彰が背後から抱きついて、構内で、しかも人の目もあるというのに問答無用で歓声を上げた。…いや、奇声とでも言うべきか。

「なんだよ、彰。いきなり人をフルネームで呼びやがって」

「…って、何だよ。感動が足りねぇなぁ…って、もしかしてまだ知らないのか?」

「知るって、なんのことだよ」

 俺はこれからジジィ博士に呼ばれてるんだ。たぶんに、授業態度と成績のことなんだろうけど。だから御前崎に付き合ってる暇はないんだよ。
 明らかに訝しそうに眉を寄せる俺に、同じ構内にある教育学科の御前崎は含めた笑みを零しながら、俺の脇腹を肘で小突いた。痛いんだってマジで。

「とにかく、大講堂の前に行ってみろよ。すんげぇものが拝めるんだって」

 【すんげぇもの】…と言われてもいまいち感動できない。大方、コイツが言ってるのは春先に行われる寮祭に来る芸能人のことだろう。
 プッチモニとか、ミーハーな連中が喜びそうなヤツを連れてくることから、この有名私立大学の寮会長の人気は鰻上りなんだ。俺としては、あんまり興味がないんだけど。

「行けって!いいから、ほら」

 背中を押されても困る。だから俺は、これからジジィ博士んとこに行かなきゃ拙いんだって。

「いいよ、別に。興味ないし」

「マジで!?だったらなんで応募なんかするんだよ」

 不満そうに唇を尖らせる御前崎。
 ん?今、何て言った。

「なに、ヘンな顔してんだよ。自分で決めたくせに。あ~あ、派手に喜んでやってソンした気分だぜ」

 御前崎はガッカリしたように溜め息を吐いて、胡乱な目付きで俺を睨んできた。
 いい、ちっとも怖くなんかねぇ!

「どう言うことだ!?まさか…発掘隊の…」

「メンバーリストが貼ってあるんだよ。合格者の」

「こいつ!そう言う大事なことは早く言えッ」

 親切にも教えてくれた上に喜んでくれた友人の脇腹を、俺は容赦なく手刀で突いて、あまりの痛さにうめいて蹲る御前崎を残したまま脱兎の如く大講堂まで走った。
 スマン、御前崎。今はお前のことなんか構ってるヒマはないんだ。
 俺が肩で息をしながら到着した時にはもう、数人の見知った顔が神妙な顔付きで講堂の出入り口付近の壁を睨みつけながら、ある者は落胆し、ある者は嬉々とした顔をし、またある者は当然そうにニヤリと笑っていた。
 そのニヤリ笑いの男、秀才の須藤義章に俺は声を掛ける。

「その顔だと受かってたんだな」

「ん?なんだ、佐鳥か。まあな、あの倉岳博士がこの俺を選ばないはずがなかろう」

 誰もが一目置く秀才の須藤と、誰も俺の名前なんか知っちゃいねぇ佐鳥の組み合わせは、知らない内に構内でも噂になっているらしい。
 コイツと知り合ったのはごく簡単な切っ掛けだった。
 別にそれほど大した理由じゃないと思う。
 たまたま講堂で席が隣同士になり、たまたま奴が間抜けにもシャーペンを忘れ、たまたま俺がそれを貸してやった。ただそれだけのことなんだ。

「へいへい、秀才さまは完璧でいらっしゃる」

 俺が呆れたように肩を竦めて嫌味を言うと、須藤はちょっとムッとしたように唇を尖らせたが、次いですぐにその口角をクッと上げてニヤリと笑った。

「お前も受かってるぞ。どうした気紛れだろうな?あの倉岳博士が」

 よほど意外だったのか、須藤のみならず、その場にいて聞き耳を立てていた考古学専攻の学生どももこっそりと頷いていたりする。
 なんだよ、その反応は。
 でもま、当たり前と言えば当たり前なんだがね。
 落ちこぼれのこの俺さまが、まさか受かってるなんて、何かの間違いじゃないのかと落っこちた連中が思うのも無理はない。
 俺は、結局色んな奴から教えてもらったけど、漸く自分の目で事実を確認することができた。
 嬉しくて嬉しくて、柄にもなくドキドキしながら。
 五十音順で縦に並んでいるサ行に、その名前は載っていた。
 110人中、奇跡の12名だ。
 博士の達筆な字で、1名1名直筆で書いていた。
 名前の下に各所属が、これはワープロか何かで打ち込まれている。

【佐鳥光太郎 ─所属:運搬部─】

 やっぱり。
 体力にだけは自信のある俺のことだ、大方そんなもんだろうと高は括っていたし、だからと言って行きたくないなんて言うわけもない。運搬だろうがなんだろうが、喜んで引き受けるさ。
 費用も渡航手続きも全て大学持ちなんだ。
 こうして、俺の生まれて初めての海外旅行はジャングルに決定したのだった。

 ジジィ博士の用件はつまり発掘隊のことで、俺だけじゃなくて須藤以下10名も呼ばれていた。
 簡単な講習を受け、さらに適正を入念に調べた上で漸く本決定となる。
 その晩俺は嬉しくて、寮の同室である御前崎と祝杯を強かに上げた。
 渡航日は1週間後に迫っていた。