「やい、洋太!今日の塾はサボりやがれッ」
バンッと、本を読んでいるヤツの机にカバンを投げ出してそう言うと、洋太は驚いたように小さな目をパチクリさせたが意味が判らなくても頷いた。そう言うところが従順なんだけどな。
放課後、帰り支度をしていた他の連中は驚いたように怯えているが、そんなこと構ってられるかっての!
俺は、コイツに話があるんだ。
「おいおい、光太郎。冗談じゃないぜ!」
「そうだよ、デブと一緒じゃナンパもできねーじゃん」
「暑苦しいっつの!」
薄っぺらいカバンを持って振り向いた高野たちがウザそうな顔でそう言ったが、うるせーんだよ!おめぇらには用はねぇッ。とっとと帰りやがれ!腰巾着ッ!
俺がいつだって学校をサボらずにわざわざ最後までいるのは、洋太がいるからだ。洋太の広い背中を一番後ろの席から眺めるのが大好きなんだよ!
それなのにイロイロと言いやがって、そんなに文句があるならお前らだけサボればいいんだよ!
「うるっせぇっつってんだろーが!とっとと帰りやがれッ!!」
俺の凄まじい剣幕にヤツらはビクッと震え上がり、免疫のないクラスメイトは思わず腰を抜かし、女子は泣き出した。なのに、洋太だけは訝しそうに眉を寄せて首を傾げている。コイツは、小さい頃から俺の癇癪には慣れてるからな。
「行くぞ!洋太ッ」
俺に連れられて教室を後にする洋太を、この時ばかりはクラスの連中も哀れに思ったようだった。俺から、完全にシメられると信じて疑っていない恐怖の目付きは、フンッ!いっそスッキリするぜッ。
暮れなずむ夕暮れの校舎は不気味に静まり返って、幽霊が出ると噂の南校舎まで歩いてきた俺は、二階の一番奥にあるトイレに洋太を連れて来たんだ。
「心配するなよ。今日は別にエッチがしたいわけじゃない」
本当はしたい。
今すぐにでも抱きついてキスしたい。
そう、俺は洋太にだけは淫乱になる。俺を淫乱にするフェロモンのようなものが、洋太からは発散されてるのかもしれない。これが他の野郎じゃ冗談じゃねぇけどな。
俺を犯そうなんざ度胸のあるヤツがいれば、今ごろ東京湾あたりには漂ってるかもしれねぇ。
「…光ちゃん。どうしたの?」
真っ暗な、それでも窓から射し込む夕日が茜色に染めるタイルを見下ろしながら、洋太は誰もいないことを確認するように気配を窺ってからモジモジと手遊びして問いかけてきた。
「お前さ、今日怒ってただろ?お前こそ、どうしたんだよ」
「僕は…」
それから唐突に顔を上げて、夕日に染まる俺の顔を遠くを見るような眼差しで見つめてきた。
う、そんな目をしないでくれよ。
まるで、そのデッかい身体がポンッと煙のように消えてしまいそうな錯覚がして、俺は思わず洋太の腕を掴んでいた。
「こ、光ちゃん?」
驚いたような顔をする洋太に、俺は、たぶん縋るような目をしていたと思う。
だって、お願いだから、その口でもうこんな関係は嫌だとか言わないで欲しいんだ。
エッチする関係だけでも、俺は満足するから。
心までは求めないから、だから、お願いだからもう終りにしようなんて言わないでくれ…
「光ちゃん…光ちゃんは本当に綺麗だと思う」
突然、突拍子もないことを言われて俺は眉を顰めた。
洋太の言いたいことが判らなくて、首を傾げる俺の手を掴んだヤツは何も言わずに唐突に抱きしめてきた。これは嬉しい誤算だったから、俺は躊躇わずにその背中に両腕を回してうっとりと瞼を閉じた。
「ねえ、光ちゃんはもう忘れた?小さい頃の約束」
「覚えてるさ!俺はお前を守ってやる!絶対なッ」
俺の後頭部を大きな手で優しく撫でる洋太は、俺よりも背が高い。その肩口に頬を押しつけて、うっとりと目を細めていると、洋太の溜め息が聞こえた。
「違うよ、やっぱり忘れてるね。光ちゃん、小さい頃は体が弱くて、僕が守ってあげるって約束したじゃないか」
ん?そう言えばそんな気が…
「でも、光ちゃんはすごく可愛い顔をして、ニコッて笑って言ったんだよ。僕が守るからって。だから…」
「だから?だから、俺はなんて言ったんだ…」
やべぇ、覚えてねぇや。
そう、チビのころの俺は身体が弱くて、いつも家の中にいたから真っ白で、今みたいに目付きも悪くねぇとんだお姫さまみたいな子供だったんだ。誰も遊んでくれなくて、近所の幼馴染みの洋太だけが家に顔を覗かせてくれていた。
あの頃は洋太の方がガキ大将で、女みたいな俺をよく虐めていたんだ。信じられるか?俺はコイツに虐められていたんだ。
でも俺が泣き出すと、途端にヤツは優しくなってオロオロして、頬にチュウをしてくれた。
そんなに弱かったら大きくなっても虐められるから、俺が守ってやるって言ってくれたんだ。そう、確かにそう言ってくれたんだ、でも、俺はそれが嬉しくて…嬉しくて。あれ?なんか言ったような気がするんだけど…判らねぇ!
「すまん、やっぱ覚えてねぇや」
小さく溜め息をついた洋太はそんな俺をギュッと抱き締めて、プルプルの頬で俺の頭に頬摺りしてくれる。そう言う仕草をされると惚れられてるんじゃねぇかと嬉しくなって、俺はもっと強く抱きついてしまうんだ。
でもきっと、それは小さい頃の約束を守ってくれているコイツの優しさなんだと思う。
「ダメだよ。これは光ちゃんが思い出さなくちゃいけない約束だから。きっと思い出して」
俺はどんな約束をしたんだろう…どうしても思い出さないと。
きっとコイツは、俺のその約束で縛られているんだ。その約束を俺が思い出したとき、コイツはやっと俺から解放されるんだろうな…それが、コイツの願いなら、俺は思い出そうと決めた。
愛する洋太の為だ。
だったら、悲しくなんかねぇ。
…なんつって、すっげぇ悲しいじゃねぇか!
畜生、畜生ッ!ええい、この俺さまを切り捨てるつもりなら、いいさ!俺にだって覚悟がある。
「光ちゃ!?…んむぅ」
唐突にキスしてやった。
舌を絡めて、飛びきり濃厚なやつだ。
散々煽って、俺を抱きたい気持ちにさせてやる!
□ ■ □ ■ □
狭い個室の便座を跨ぐようにして立った俺は、いつ掃除したか判らねぇタンクに抱きつきながら背後から洋太を受け入れていた。悲鳴のような溜め息が漏れるのは、いつにもまして興奮している洋太のせいだ。いや、同じように興奮している自分のせいかもしれない。
粘りつくような厭らしい音が誰もいないトイレの室内に響いて、俺は幸福に酔いしれていた。
「ぅあ…んん…あ…ッ」
自分の声の甘さに気付いて思わず苦笑しそうになったが、それは胸元に戯れかけた洋太の指に阻止されてしまった。こんな狭い個室にデブの洋太と二人きりで、吐息を混じり合わせるなんて何日ぶりだろう。
荒い息遣いが響いて、ここは学校のトイレなんだと思うと、よけいに感じた。
洋太もそうなのか、俺が誘うとその時は渋々だけど、最後はノリノリで愛してくれる。
俺はそう思ってるから、いつだって感じられた。
「よう…たぁ…」
甘えたようにその名を呼べば、キスをくれる。
エッチをしてる時の、最高に幸福な瞬間なんだ。
そうしてお互いに夢中になっていたからかな、俺たちは気付かなかった。
トイレの外で様子を窺っている人影の存在に…
畜生…油断してたぜ。