ただ、俺の視覚が状況として捉えたのは、藤沢が下半身丸出しの状態で鼻血を出して寝転がっているってことだ。
限界まで開かれた足はだらしなくそのままで、切れた部分からはたまに何かぬるっとしたモノが零れるような感覚がある。な、何が起こったんだろう…?
上半身を起こそうとして、眩暈を覚えた俺はそのまま吐きそうになった。
「…その、大丈夫か?」
不意に頭上から聞き慣れた声が落ちてきて…落ち着いて、でも無愛想なこの声は…
「つ、辻波!?」
あ、大声出したから頭がグラグラする。
「…桜沢に全部聞いた。おかしいと思ったからさ、その、来てみたんだ」
遅くなってごめん、と呟いて俯いた顔は、下から覗き込んだこととかなかったから、長い前髪の隙間からいつも覗いていたあのキリリとした双眸が心配そうに俺を見下ろしていた。
「辻波!俺、酷いこと言って…ッ!」
起き上がろうとして、腰に鈍痛が走った俺は奇妙な声でうめきながらズルズルとまた辻波の腕の中に凭れ込んでしまった。
「ムリするな。その、けっこう酷いことになってるから」
だいたいどんな状況なのか、驚きで意識がハッキリしてきた俺は理解していたから、バツが悪くて唇を噛むしかできなかった。
薄っぺらい毛布を被せてあったけど、でも下半身の不快感はある程度なくなっていた。痛みはまだあるけど、あのグチュグチュとした嫌なカンジはない。
もしかして…コイツが始末してくれたのか?
う!それはちょっと…どころかかなり恥ずかしいぞ!?
あうあう言いながら真っ赤な顔をして辻波を見上げると、ヤツはほんの少し頬を赤くしていたけど、思ったよりも俺が元気そうだと思ったのか、安心したように小さく笑ったんだ。
「…アイツ、どうしようか?警察に突き出してもいいけど、だったら東城が…」
辻波は俺の体裁を慮ってくれたのか、それだけ言って口を噤んでしまった。
「外、放っておいてくれてもいいけど…メンドイよな」
チッ!あの野郎、よくも人をお、犯しやがって!!身体がまともになったら殴り飛ばしてケチョンケチョンにしてやるからな!…っと、今はそれどころじゃねぇな。
どうしよう、アイツ。
「…外に出してもいいのか?一発殴ったらすぐに伸びたし、大丈夫だ」
頷いた辻波が俺の頭をゆっくりと下ろして枕に置くと、立ち上がって伸びている藤沢をヒョイッと肩に担ぎ上げて部屋から出て行ってしまった。
生ゴミに出しててくれ…
でも辻波、こんな狭い部屋で余裕だな。
意外だ、辻波って強かったのか。俺よりも弱いと思ってたのに…
ああ、俺、辻波になんて言おう。
ストーカーとか、みんながいる前で言っちゃったんだよなぁ。
そんなことを考えているとドアが開いて、暗くてボーッとしてるように見える辻波が入ってきた。
黒いタートルネックのセーターを着ていて、良く見ると男前なのにな。どうしてモテなんだろう。
ハッ!だからそんなことじゃなくて!!
「辻波…その、ごめん」
「え?」
首を傾げる辻波に、俺はなんとか上半身だけを起こしてヤツを見上げたんだ。
「みんなの前でさ、ストーカーとか言ったりして…あの」
「ああ、なんだそんなことか…」
ホッとしたように軽く吐息を吐いた辻波は、狭い室内だけどなんとか胡座を掻いて座り込みながら首を左右に振ったんだ。
「俺の方こそ…疑われるようなことしたし。それに、謝らないとな」
「…?」
俺が首を傾げると、辻波は小鼻の脇を人差し指で掻いて視線を泳がせた。
何か…隠してんのか?
「なんだよ、辻波。言えよ」
「…その、あのテープを…」
「観たのか!?…みんなの前でとか?」
自分はへっちゃらでなんでもしたくせに、いざ自分の番になると恥ずかしがる典型的な自己中野郎としては、ホントにどうしようかと考え込んでしまった。明日から、大学中の噂になってるだろうな。
東城光太郎は変態ホモ野郎だって…自分じゃないのに、やたら似てるせいで自分のことみたいに思えてしまうんだ。あの男優。
「いや。俺1人で観たよ」
ホッとしたのもつかの間。
「ち、違うんだからな!アレは俺じゃないから!!俺はあんな変態行為なんてしてないからな!!」
「…うん、判ってるよ。あれは東城じゃない」
言い切られて、拍子抜けしてしまった。
「へ?」
「冒頭だけ観て、東城じゃないって思ったらホッとした」
「う、うん」
モジモジしながら頷く俺に、辻波は不機嫌そうな仏頂面で首を左右に振ったんだ。
「確かに、俺は差し入れとか電話とかしてたし。ストーカーまがいだと思うよ。ただ、どうして東城がそんな俺の行動を受け入れてるのか判らなくて…きっと意地になってたんだと思う」
そんな風に淡々と語る辻波の少し伏し目がちのキリリとした目が好きで、俺は思わず見惚れてしまっていて、訝しそうに眉を寄せた辻波と目があってハッと我に返った。
「や、いや!ほら、辻波さ。入学して間もない頃、俺親の反対押し切って上京したわけだから極貧でさぁ。飯もまともに食ってなかったとき、腹が鳴って。みんなクスクス笑ってんのに、お前だけ仏頂面で、無愛想にオニギリを2個くれただろ?あのとき、真剣嬉しくてさ。コイツ、いいヤツなんだって思ったんだ」
辻波は呆気に取られたようにニコッと笑う俺を見下ろしていた。
たぶん、そんな単純なことで?と思ったに違いない。
そう、こんな単純なことで、俺は辻波を好きになったんだ。
…ん?好きになった?
不意にドキンと胸が鳴ったんだけど、俺はその意味が判らなくて胸元にかかる毛布を掴んで首を傾げていた。
「…東城って変わってるな。俺はそんなところが…」
何か言おうとして、辻波はまた黙ってしまった。
いつか、確か大学のあの並木道で見せたときのような、何か言いたそうなあの顔だ。
「辻波?」
「いや、それじゃあ俺は…」
そう言って立ち上がりかけた辻波のズボンを、俺は無意識の間に掴んでいた。
「…東城?」
不意に、ホントに唐突に、いきなり腰が抜けたと言うかなんと言うか、感覚がなくなったような気になって不安になったんだ。
行かないでくれ…そう言いたくて、でも言えないから、俺は縋るように眉を寄せて辻波を見上げていた。立ち上がりかけていた辻波は再び腰を下ろすと、俺の手をズボンから離そうとした。でも、今更恐怖に全身を震わせている俺の手にはヘンに力が入っていてなかなか離せなくて、辻波は仕方なく諦めた。でも、そうしたらスッと力が抜けて、俺は思わず辻波の服を掴んで額をその胸元に押し付けていた。
辻波はちょっと驚いたようだったけど、それは俺も同じことで、どうして自分がこんなことをするのか判らないんだけど、怖かったんだ。
なんか、無性に怖くなって。
独りぼっちになるって思ったらホント唐突で…
「辻波…俺…辻波…」
「コンビニに…その、何か栄養のつくものとか薬とか買ってこようかって思ったんだ。大丈夫、どこにもいかないよ。たぶん、夜から熱が出るだろうから…安静にしないと」
呟く辻波に、俺は嫌々するようにギュッと両手で辻波の胸元の服を掴んで顔を埋めた。
ええい、恥をかくならとことんだ!
「大丈夫だ。俺はここにいるよ…だから、安心して」
呟く辻波に安心して、力の抜けた俺はそのまま意識を失ってしまった。