死人返り 10  -死人遊戯-

 もと来た道を戻りながら、僕は必死で祈っていた。
 国安の妹の言った言葉が頭の中をグルグルと回って、それが何を意味しているのかなんてことは、頭の疎い僕じゃ判らないけど、それでも、なぜか国安が無事でありますようにと願っていたんだ。
 獣道を下った先に祠があって、僕はホッとした。
 たぶん、何事もないんだと思う。
 だってほら、社はあんなに明るくて…明るい、明るすぎないか?

「き、匡太郎!」

 僕が思わず弟の名を呼びながら翠祈を振り返ると、社を睨みつけるようにして立っていた弟の顔をした荒神は忌々しそうに舌打ちした。

「どうやら火がついてるようだな、面倒くせぇ。おおかた、国安の妹が死んだってのも不審火に因るものなんだろ?」

 僕に尋ねるようにチラリと見下ろしてきた翠祈の双眸は、どこかつまらなさそうな、虫けらでも見るような冷たいものだった。それが彼の癖なのか、僕には判らないけれど、そんなことを気にしている余裕なんか今はない。

「は、早く行かないとッ」

「無駄だ」

 不意に歩調を緩めた翠祈は、それから何かの気配を探るように周囲に耳を欹てて視線をぐるりと巡らせた。
 僕には何のことか判らないし、もし社で生きながら焼かれているのかもしれない国安を、そんなゾッとする想像に取り憑かれてしまう脳裏を首を激しく横に振って追い出しながら、僕は今も助けを求めているかもしれない親友の為に、サッサと歩き出す翠祈の腕を掴んで引き止めた。

「無駄ってどうして?そんなこと判らないじゃないか!翠祈にはどうでもいいことでも、僕にとっては大切な友人なんだッ。翠祈が行くって言うなら勝手に行ってもいいよ!僕は1人でも国安を助けに行くんだからッ!」

 掴んでいた腕を振り払って、感情が昂ぶってしまった僕は、こんなヤツを少しでも信用しようなんて思った自分の浅はかさを凄く後悔した。
 それで走り出そうとした僕の首根っこを引っ掴んだ翠祈は、慢性の偏頭痛でも抱えている人のように、こめかみを押さえながら睨み付けてきたんだ。

「あのな、お前はオレの話を何にも聞いちゃいなかったんだな?オレは言っただろ、この島には鬼が住んでいると」

「う、うん。それは聞いたけど…って、翠祈は僕にそんなに詳しく説明してくれてないじゃないかッ」

 もう、あんまり睨まれても負けなくなってくれた僕の心臓は、それでもバクバクしながらそんな翠祈の双眸を見据えて僕も言い返した。
 ちょっとキョトンとした翠祈の表情は、よく見慣れた匡太郎のそれで、僕は思わず懐かしくなってしまって泣きそうになった。もうこのまま、この翠祈ってヤツが弟の身体を乗っ取ってしまうんだろうか…ってそんなことを考えたら寂しくて仕方なくなったんだ。
 でも、僕のそんな気持ちには一向にお構い無しの翠祈は、僕の首根っこを引っ掴んだままで暫し考え込んでいたけど、説明するのも本当は面倒臭いって言いたそうな顔をして手を離して口を開いたんだ。

「この島に住んでいる死霊鬼ってのは死体を喰らう鬼なんだよ。だが、死霊鬼は怨念の塊みたいなヤツだからな、怨念となった魂の憎しみの在り処が死霊鬼に判れば、死体を喰らわずともその根源の生気を吸い続ければ生きていける。つまり、煉獄の炎に焼かれるような苦しみを味わいながら、死霊鬼の恨みの元はしっかり生かされ続けるのさ。これがまあ、俗に言う子々孫々まで恨むっつー成れの果てだな。あの文献を読む限りじゃ、死霊鬼の怨念は壱太の先祖にあるらしい。と言うことは、死霊鬼がそう容易く壱太を殺すはずがないだろう?もう、用のない社は必要ないのさ。これで判ったか、この間抜け」

 肩を竦める翠祈に、僕は鈍い頭をフル回転させながら考えてみた。
 つまり、壱太の先祖が犯した罪を、壱太の命で贖おうとしてるってことだよね…?

「そんなのダメだ!翠祈、どうしたらいいの!?」

 僕は思わず間抜け発言は無視して、翠祈の胸倉を掴むようにしてその顔を覗き込むと、弟の顔を持つ全く別人の翠祈は、そんな僕を見下ろしながら溜め息をついた。

「捜すしかねぇんじゃねーか?」

 至極当然な回答だけど、こんな広い島の中をどうやって捜せって言うんだよ!?
 僕は泣き出しそうになって…ああ、こんなときでもこの僕は、なんて役に立たないダメなヤツなんだろう。ずっと影ながら助けてくれた国安を助けてあげることもできず、弟の謎を究明することだって、良く考えたらまるで他人任せでここまで来たんじゃないか。
 僕は…

「落ち込むのはいいが、オレはサッサと蹴りをつけたいんでね。置いて行くけど知らねーぞ」

 どんどんドツボにはまっていく僕を、いつものように虫けらでも見るような目つきで見下ろしたあと、翠祈はウンザリしたように下唇を真っ赤な舌でペロリと舐めて歩き出した。

「あ、あ…ちょ、ちょっと待ってよ!僕も行くよッ」

 慌ててその後を追い駆けたら…

「あれ、ついて来るんですか?勇ましく壱太くんを1人で助けに行くんじゃないんですか?」

 なんて、笑い出したいのを堪えているような双眸をした翠祈は、フフンッと鼻先で笑ってからそんな嫌味なことを言ってさっさと歩き出してしまう。ムゥッと頬を膨らませて睨んでも、もちろん気にもしていない翠祈にいったい、どんな効力が出るかは判らないけど、その時の僕はそうしないと気が済まなかったんだ。

「…まあ、あの。今年の『御霊送り』ってヤツか?それの為に選ばれていた死体が動いていた時点で、ちょっとヤバイ事になったかなーとは思ったんだけどな」

 クックックッと楽しそうに笑いながら下唇を舐める翠祈を、見上げていた僕はちょっとゾッとしてしまったけど、それよりもそんな時から判っていたのならもっと早く言ってくれれば良かったのにと悪態を吐いた。そしたら翠祈は、馬鹿にしたような目付きでそんな僕を見下ろすと、肩を竦めて鼻先で笑ったんだ。

「文献読まなけりゃ、オレの存在ですら疑ってたヤツがよくそんな口が叩けるな」

「あれは!…あれは不可抗力だよ。死んだ弟が生き返ったってだけでもビックリしてるのに、突然別の人物がその身体の中に共存してるなんて聞いたら、誰だって信じられないって思うに決まってるよ」

「へぇ、そんなもんかよ?まあ、いいがな。しかし、こうも手掛かりがねぇと打つ手がねーな…特徴的な氣でも掴めれば話は別なんだが」

 出鱈目に山の中に分け入ってるだけなのかと思っていたら、どうも翠祈は、確たる自信を持って突き進んでいたようだった。でも、その思いに翳りが見えたのか、ピタリと足を止めた翠祈は周囲を見渡し、それから木々の隙間から覗く星空を仰いでいる。

「氣?」

「ここは淀んでいるからな、長い歴史が培った凶悪な気配がプンプンしてる。その中から死霊鬼の氣を掴もうなんざ、砂漠の砂の中から1ミリ前後の砂粒を見つけようってなモンだ。ムリムリ」

 ふざけてるのか真剣なのか、いまいち読み取れない表情で溜め息を吐く翠祈の傍らで、困ったなと眉を寄せた僕がふと視線を彷徨わせた先に、つい先程見掛けた白い着物が森の中をふわりと走って行った。

「す、翠祈!」

「ん?幽霊でも見たか?」

「うん、幽霊を見た!こっちだよッ」

 頷いて走り出す僕に呆気に取られたような顔をした翠祈は、それでも下唇をペロリと舐めると、仕方なさそうに後を追って走ってついて来ているようだった。
 でも今の僕にはそんなことよりも、目の端にふわりふわりと、まるで僕たちを誘うように見え隠れする真っ白な着物から目が離せないでいたんだ。
 国安の、あの寂しそうな目をした妹が着ていた純白の着物。
 こんな淀んだ島の雰囲気の中にあってもそれは、まるで穢れることなく凛としていた。
 なんにでも首を突っ込みたがる長兄を心配して出てきてしまったんだろう、国安の妹は、彼女のできることをしてくれようとしているに違いないんだ。僕はその合図を見逃すわけにはいかない。
 彼女は確かに言ったのに。

(お兄ちゃんだけは絶対に来てはいけない島なの…ここに棲みついているアイツは)

 アイツは死霊鬼で、国安の魂を食い物にしようとしていたんだよね?
 早く気付いてあげられたらよかったのに…僕が、国安をこんなことに巻き込んでしまった。

『ううん、それは違うよ。お兄さんは導かれただけ…』

「え?」

 思わず立ち止まってしまった僕の後ろで、ゆっくりと歩調を緩めた翠祈がぼんやりと浮かぶ少女の魂を見つめていたが、何も言わずに肩を竦めて見せた。

『この島に棲みつく死霊鬼は、解放されたがっているの…私ではダメだった。アイツはお兄ちゃんの魂を欲しがっているから…』

 思わず傍らに並んだ翠祈を見上げると、彼はまるで何もかも悟っているような顔をして、そのくせ、それらには全く興味がないんだがなぁと言いたそうなうんざりした顔をしている。

「100年以上も前の色恋沙汰に、オレたちを巻き込むなと言ってやれ」

 邪悪な笑みを浮かべて言い放つ翠祈に、不意にビクッとした沙夜ちゃんの魂は、それでも何かを感じたのかその場から動かないままで頭を下げたんだ。

『私には見えないけれど、そこにお兄さん以外の誰かがいるのね?だったらお願い、私にも見えないような人だもの。貴方ならきっとお兄ちゃんを助けることができると思うわ。お願いだからお兄ちゃんを助けて…』

 悲痛な叫びのようなか細い声で呟く少女を、でも無視した翠祈は少し屈むようにして僕の耳元に唇を寄せながらニヤニヤと笑ったんだ。

「お前よりもオレを頼りにしてるみたいだぜ?残念だな」

「煩いよ!そんなことはどうだっていいんだ。どうせ僕にできることなんてそんなにないって判ってるから、沙夜ちゃんの願いを聞いてあげてよ」

 ムッとしてその顔を覗き込みながら言うと、翠祈はどうしようかな?っとでも言いたそうに視線を彷徨わせてから、下唇をペロリと舐めてニッと笑ったんだ。

「お願いとあらば仕方がねーな。その代わり、オレは匡太郎とは違って見返りを戴くからな」

「ええ!?み、見返り?そんなの僕…」

 持ってないよと言いそうになって、鼻先で笑っている翠祈から鼻の頭を指先で弾かれてしまった。
 意地の悪そうな微笑を浮かべて…って、あれ?からかわれただけなのかな??
 釈然としない気持ちでムッとしながら翠祈を見上げていると、彼はそんな僕をやっぱりまるで無視して、腕を組んで沙夜ちゃんの魂に言ったんだ。

「壱太はどこにいるんだ?」

 その瞬間、沙夜ちゃんの顔は忌まわしいものでも見たような、腹立たしいような、なんとも言えない恐ろしい顔をしてスゥッと音もなく森の奥深くを指差した。

『化け物の屋敷にいるの。死霊鬼に魂を喰われてしまった、動く死体がたくさんいるから注意してね』

「うん、判った」

 本当はちっとも判っていないし、あんな国安の友達の姉さんみたいな死体がたくさんいるところなんか、足が竦んで行く気なんか全くしないのに、それでも僕は頷いていた。
 だって沙夜ちゃんは、そんな恐ろしい形相に成り果てていても、涙をぽろぽろ零していたから…そんな風に、死んでしまってもなお君を哀しませてしまったのは、誰でもないこの僕だから。
 国安を引っ張り込んでしまったのはこの僕だから、そうだ、翠祈にばかり頼っていちゃダメなんだ。
 事の発端は僕が起こしてしまったんだから、最後まで僕がやり遂げないと…
 そんな僕の心の内が判ったかのように、不意に翠祈が声もなく嗤ったんだ。
 さもおかしそうに、ニヤニヤと。

「な、なんだよ」

 ムッとして言ったら。

「別に?だがまあ、あんまり無茶はするんじゃねーぞ。オレが迷惑だからな」

 ニヤッと嗤って嫌味を言って、そんな風に茶化しながら、僕の気持ちを静めてくれてるんだろうか…?
 僕が思っているよりも本当は、この翠祈は優しい人なのかもしれない。
 だって、神様なんだものね。

「ホント、マジで頼んますわ。できればあの船の中で、終わるまでくたばっててくれた方がありがてーんだけどな」

 心底嫌そうに呟いた翠祈が、盛大に溜め息なんか吐いてくれるから…
 僕は笑顔で前言撤回。
 少しでも優しいなんて思った僕が馬鹿だった!
 ええいッ、今度こそ本当に翠祈なんかに頼らずに自分で何とかしてやるんだ!
 ムッとして両拳を握り締めていると、ぼんやりと立ち竦んでいる沙夜ちゃんの魂が目に映って僕はハッとしてしまった。ど、どうしよう、恥ずかしいところを見られちゃったな。
 こんな連中だと頼りないって、沙夜ちゃんが思っていなければいいんだけど…
 そんな風に思っていたら、沙夜ちゃんが、あの恐ろしいまでに歪んだ形相を浮かべていた沙夜ちゃんが、不意に元通りの柔らかな表情に戻ってフッと微笑んだんだ。
 あんなに憎しみに歪んでいたあの形相が…

『お兄さん達になら安心してお願いできるね…ありがとう。もう、私には時間がないから…』

 呟いて消えそうになる沙夜ちゃんの魂は、それでも不意にその場からスゥッと音もなく動いて僕に近付いてくると、抱き締めるようにして擦り抜けて行ってしまった。
 何か言おうと口を開きかけた瞬間、不意に掌に何かがあることに気付いて改めて両手を見たら、耳元で沙夜ちゃんの掠れかけた声が呟いた。

『もう、私が持っていても意味がないから…お兄さんにあげるね……』

 翠祈が僕の手を覗き込んで、からかうような尻上がりの口笛を吹いた。

「よかったな、いいもの貰ったじゃねーか」

 ニッコリと笑ったような沙夜ちゃんの魂は、いつもはスッと消えてしまうのに、空に吸い込まれるようにしてこの森から、ううん、この島から…いや、この世の全てからとうとうその気配を消してしまった。

「国安にせめて一目でも逢わせてあげたかったのに…」

 僕が、沙夜ちゃんから貰った忘れ形見をジッと見下ろして呟いたら、翠祈は双眸の上で片手を翳すようにして星空を見上げながら軽い口調で言ったんだ。

「見られて嬉しい姿がどんなモンか、まずは考えてから口を開くんだな。この間抜け」

「う?わ、判ってるってば!煩いな、翠祈はッ」

 匡太郎の姿をした風変わりな荒神と言う名の神さまは、クックックッと意地悪そうに咽喉の奥で笑ってから、きっと、凄く怖いことが待ち受けているに違いない山奥の、村人達が長い時をかけても忘れられないでいる化け物の住処へと歩き出したんだ。
 飄々と、まるで怖れるべきものなどこの世にはないと言った感じで…
 翠祈をこんなことに巻き込んでしまったのも、やっぱり僕のせいなんだと思う。
 でも、翠祈はあんなに嫌味だとか、意地の悪いことしか言わなくても、それで僕を責めたことは…驚くことに一度もないんだ。
 それは匡太郎の心なのか、翠祈の心なのか…

「翠祈、待ってよ!」

 僕は沙夜ちゃんから貰った奇妙な槍の柄を握り締めて、翠祈の後を追い駆けた。