16.都築家が俺についての認識をいろいろ間違えている(俺は嫁じゃない)  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

「篠原、すげえキーホルダー持ってるんだな」

 スマホを取り出そうと、失くしてはいけない物を入れているジッパー付きのポケットから最初に鍵を取り出しているところを、彼女ができたウフフフと自慢するためだけに俺を呼び止めた柏木が口笛なんか吹いたから驚いた。

「へ?これ都築がくれたんだよ」

「都築!…やっぱり、御曹司の贈り物は桁違いだな」

 チャラッと、少し涼し気な音をさせた月と星、それからアイビーのキーホルダーを見せたら、ムムム…と顎に手を当てながらジックリと見つめている。
 ちょっと羨ましそうだ。

「はあ?」

「これ、2つともプラチナだろ。ほら、この部分に小さくptって入ってるじゃん。pt1000とかすげえ。こっちのアイビーにはダイヤモンドが入ってるな。これちっさくてメレっぽいけど、この光りかたとかたぶんすげえ希少なダイヤだと思うぞ。カラーとかでダイヤは変わってくるからさ」

「え?え?プラチナとか、何の話だ?これシルバーだろ。都築も安もんだって言ってたぞ」

 やたら詳しい柏木にも驚いたけど、プラチナってあの超高級な貴金属の代名詞、金と同じぐらい高価なモノだろ?何を言ってんだ、これシルバーだって都築も言ってたんだぞ。

「…おいおい、確りしろよ篠原。じゃあ聞くけど、このキーホルダー、くすんだこととかあるかよ。ちょっと黒っぽくなったり」

「あ、そうか。シルバーって手入れしないと黒ずむよな。じゃあ、ステンレスかな?」

 弟が欲しがっていたシルバーのゴツい指輪を誕生日にプレゼントしたけど、その時、部活かなんかで手入れを怠ったばかりにあの指輪は真っ黒になってたな。
 そう言えば一度も手入れしていないけど、キーホルダーはずっと銀色のままだ。

「バカだ!俺の幼馴染みが大馬鹿野郎だ!!!」

 ガクーッと床に両手と膝を付いて項垂れそうな勢いで思い切りディスられて、俺もちょっとムッとする。ステンレスって丈夫でくすまないから、ちょっとそうじゃないかなって思っただけなのにさ!

「これ、どうみても高級な宝飾品だろ!こっちの月と星のは少なくとも20万は超えてるぞ。アイビーの方はダイヤの価値で変動すると思うけど、少なくとも30万は超えてるんじゃないか」

「嘘だろ。柏木、冗談だろ?」

 青褪める俺に、どうも違った角度で青褪めた柏木が乾いた笑いを浮かべながら言う。

「冗談つーか…でも、なんつーか。価格もさるものながら、アイビーの方はちょっと執念深い怖さを感じるよね」

「へ?何が怖いんだ」

 価格以外に何が怖いっていうんだよ。
 俺は泣きそうな顔をして柏木を見ていたけど、その俺の震える両手の中で無頓着に太陽の光を反射するダイヤモンドがキラリと光っている。

「お前、本当に何も知らないんだな。そんなんだと都築にヤラれ放題だろうなぁ」

「う、何いってんだ」

 確かに都築には尻に指を入れられるはチンコは擦られるはチンコは咥えさせられるは咥えられるは、最近なんか抱き着くとかキスは当たり前みたいにしてくるし、背後から抱えられたら頬にチュッチュは日常茶飯事になりつつある…ってこと、まさか知ってるんじゃないだろうな。俺から何かだだ漏れてんじゃないだろうか…ハッ!柏木って超能力者だったのか?!

「アイビーの花言葉って知ってるか?」

 軽い混乱による意味不明の考え事を打ち破るように、柏木が困惑した顔で呟くようにヒソヒソと言った…けど、ごめん。この会話、全部都築にだだ漏れだったわ。
 そう言えば俺、盗聴器持ってたんだ。
 でも、まあいいか。

「あ、それは都築が教えてくれた」

「ほうほう」

 どうぞ、都築の言った内容を話してごらんと促されて、俺はちょっぴり感動したことは内緒にして話してやった。

「友情と誠実と不滅ってんだろ?不滅の友情とか格好いいよな」

「…バカだ。俺の友達がやっぱり大馬鹿野郎だッ」

 やっぱりガクーッと膝を付きそうになりながら顔を覆った柏木は俺をディスってから、胡乱な目付きで顔を上げると、やれやれと溜め息を吐いた。

「なんでだよ?!」

 食って掛かる俺を軽くプゲラして丁寧に説明してくださった。

「あのなぁ、アイビーってのは最近だと結婚式とかプロポーズの鉄板の植物なんだぞ。なんで知らないんだよ。花言葉も都築が教えたモノだけじゃなく、永遠の愛とか結婚てのもあるんだ」

「マジか」

 アイツ、男同士では結婚できないけど、入籍と式は挙げられるから嫁にするとか巫山戯たこと言ってたよね。でもまさかそんなこと、本気で考えているんじゃないだろうな。
 それでアイビーを選んだとかだったらどうしよう…思い切り気持ち悪い。

「大マジだ。それともうひとつ、アイビーには怖い花言葉がある。たぶん、都築はそっちに重点をおいてるんじゃないかな」

 そうか、柏木は都築の嫁発言を知らないんだ。

「もうひとつってなんだよ?」

 恐る恐る聞く俺に、柏木は勿体振ることもせずにスパァンッといっそ潔くキッパリと男前に教えてくれた。

「死んでも離れない」

「…嘘だろ」

 思わず俺のほうが崩れ落ちそうになりながら青褪めると、柏木は本当に同情する目付きでご愁傷様ですと悼んでくれた。
 俺の人生、まだ終わってねえっての。非常に気持ち悪いけども。

「で、ダイヤの石言葉が永遠の絆だろ?都築は死後もお前と繋がっていたいって思ってんじゃねえのか」

 何だか憐れむように双眸を細めてヨシヨシと頭を撫でてくれるけど、思い切り気持ち悪いじゃねえか。

「なんだそれ、気持ち悪い」

 でも、都築の気持ち悪さなんて今に始まったワケじゃないし、都築の属性に追加要素が1つ加わったぐらいって考えればいいのかな。
 と、そんなことを考えていたらチャラリ~ンと変な着信音が鳴って、「あ、絵美ちゃんだ!もしもーし!」とか、さっきまであんなに同情してくれてたのにスッカリ他人事で電話に出る柏木を恨めしげに睨んでいると、その視線を敏感に感じ取ったのか、幸せ満面の笑みで目尻を下げてニヤニヤ笑う、コイツも気持ち悪い柏木は吐き捨てるように言いやがった。

「知るかよ。今度都築に聞いてみたら?」

「うん。そうしてみる」

 そんなに素っ気ない態度を取ってるとだな、菅野からのギャルキャピメールという呪いを受けて、大変残念な結果になったって知らないんだからね!…なんつって、幸せになる呪いをかけてやる!

□ ■ □ ■ □

 そろそろ夕食の準備を始めようかなぁとか考えながら、俺はこちらに背中を向けて、久し振りに社会人から学生からが勢揃いしている、モン狩りの約半月間開催されているらしいイベント期間中を堪能している都築を冷ややかな目で見つめていた。

「都築、お前死んだ後も俺と一緒にいたいのか?」

 PS4の前に陣取って仲間と華麗にモン狩りをしている都築は、横に座って顔を覗き込んだ俺をチラリと横目で見てから、なんだそれと聞き返すこともせずに当然そうなデフォの仏頂面で首を左右に振った。
 やっぱり、昼間のアレは筒抜けだったんだなと判った。

「…いや」

 へ?否定するってことは別に死後も一緒にいたくないってことか??
 なんだ、じゃあやっぱりアレは柏木の思い違いで…

「死んだ後は当然だが、できれば死ぬ時も一緒がいい。墓は土葬にしたいから海外に埋葬して貰うように手配しておく。場所は2人で相談だな。思い出をたくさん作って、その場所に埋葬して貰おう。それでお互いの手首にプラチナの手錠を嵌めてから手を握った状態で、一緒の棺桶に入りたい。生まれ変われるのなら一緒に生まれ変わりたい」

 ずっと考えていることなんだろう、家族でも恋人でも主従関係でもペットでもなんでもいいんだとか、淀みなくスラスラ饒舌に答えるから俺の目付きが遠くを見るものになっていたのは仕方ないと思う。
 柏木の予想の真上あたりを疾走された気分だ、不気味だな。

「ふーん、死後じゃなく死ぬ時からスタートなんだな。なかなか気持ち悪いプランだ。でもお前、俺のこと好きじゃないんだろ?」

「そうだな、好きでもなければタイプでもないけど…」

 何時もと違ってちょっと言い淀む都築は、俺の次の言葉をちゃんと判っているんだろうと思う。だから、期待を外さずにきちんと説明してやることにした。

「だったら、俺は好きな人には長生きして欲しいから一緒に死にたいとは思っていないんだ。好きな人とずっと一緒にいたいからお前とは一緒に死なないし、墓にも一緒には入らない。生まれ変わる時も好きな人と一緒に生まれ変わる。来世があるならお前とは関わらない」

「巫山戯んな。オレより後に死んだら絶対に許さないからなッ」

 否定して、今度は見当違いなことを言ってくる。

「…え?普通は俺より先に死ぬなって言わないかな」

「オレより先に死んでくれないと一緒に死ねないだろうが」

 会話しながらもモン狩りも滞らずに進行させつつ、チラチラと俺を横目で見る不機嫌そうな都築の言葉に、不意にゾッとした。

「都築さん、しっかりして!俺たちまだ10代だから死を考えるのは早すぎるよッ!」

「お前が言い出したんだろ?別にオレはこの世に未練もクソもねえしな。お前がいなかったら、どうせまたあの空虚でつまらない日々に逆戻りなんだ。考えただけでゾッとする。それなら、オレはお前と一緒に死んだほうがいい」

 都築はまだ若いくせにそんな悟りきったようなおっさん臭いことをブツブツと言って口を尖らせている。そんなんだから、女子高生におっさん呼ばわりされるんだよ。
 俺が真剣にコイツ気持ち悪いなんてもんじゃないんじゃないかと眉を顰めつつ考えていると、都築はモン狩りに勤しみながらもさらに腹立たしそうにブツブツと不平を垂れ流している。

「そもそもオレはできればお前を家に閉じ込めておきたいんだけど、素直に閉じ込められていないだろうし大学もあるから、今は我慢してるんだぞ」

「何をだ」

 これ以上、何を気持ち悪いこと言おうとしているんだ、コイツは。

「だから閉じ込めて一緒にいたいんだよ。仕事も在宅でできるように手配しているし、順調だし、お前独りぐらい不自由なく幸せに養えるんだ」

 最近興した会社が軌道に乗っていて、漸く少し余暇が出てきたもんだから俺んちに入り浸るようになった都築は、ラップトップさえあれば何でもできるのにとブツブツ唇を尖らせて悪態を吐いているのが愈々気持ち悪くなって、俺は溜め息を吐きながら立ち上がろうとしてそれから徐にハッとした。

「そうだ、お前!これ、すげえ高価なキーホルダーだったんじゃないか!!」

 俺は都築に返そうと思ってポケットに入れていたキーホルダー2つを取り出すと、両掌に載っけたソレを差し出しながら言い募った。

「…別に安モノだってば。お前んちに置いている時計の方がはるかに高い」

「え、ええ?ああ、そうなのか…って、そうじゃない!」

 何を言い包められようとしているんだ、俺!

「こんな高価なモノは貰えないよ。だから、返す」

 はいと差し出した俺の手をジックリと見つめていた都築は、不意に嫌そうに眉根を寄せると、フンッと鼻を鳴らしてそのままモン狩りの画面に目線を戻してしまった。

「使用済みなんかいらねえよ。返されても困る」

「でも、俺はこんな高価なモノは…」

「じゃあ、捨てろ」

 にべもなくキッパリと言い切る都築のこれは本気だから、受け取る気はさらさらないんだろう。
 都築が置いていったシャツやズボンを未だに着用しているのを目の当たりにした時、都築は何かやたらと興奮して饒舌にブツブツと意味不明な気持ち悪いことを喋った後、いきなり俺を捕獲してからベッドに一緒に転がって頭や頬にスリスリスリスリしながら何時の間にか眠ってしまったことがあった。
 捨てろと言っても捨てない俺の性格を見越した回答なんだろうなぁ。
 うーん、困った。

「じゃあ、せめて幾らぐらいの品物なのか教えてくれよ。持っておくための心構えが必要だ」

 その値段の半分…いや、3分の1のモノでもいいから、お礼ぐらいはするべきだと思うんだよね。
 都築は嫌そうに眉を寄せたまま、俺を見ようともしない。あんなに視姦してくるくせに、こう言う時は無視ってなんなんだお前は。

「さあ?値段なんか気にしてないから判らねえよ。たぶん、総額で3、4万ぐらいじゃないか?」

「え?プラチナってそんなに安いのか??」

「あの店は都築家御用達だ。太客だから便宜を図ることだってあるんだよ」

「そうなのか?だったら、そっか。よかった!俺、目玉が飛び出る金額だったらどうしようかって思ってたんだ。今度の都築の誕生日の時に、その半分ぐらいしか出せないけど、お礼がてらに何かプレゼントするよ」

 ホッとしてニコッと笑ったら、不意に都築が横目でそんな俺をジッと見ていたくせに、ちょっと身体を屈めるようにしてチュッと口に軽くキスしてきた。
 こう言うキスはもう何度もされているので、今さら気にならないから、前みたいに真っ赤になってアワアワと狼狽えることもしない。童貞の俺を誂っている都築を楽しませないための涙ぐましい努力の結果だ。成長してるだろ、俺も。
 まあ、ビビッて思い切り両目は閉じてるし、唇も引き締めていたりするんだけども。

「お前からの誕プレか。じゃあ、金で買えないヤツがいい」

「金で買えないって…ええ?難しいな。どんなものがいいんだよ」

「そうだなぁ…やっぱりお前のしょ」

「ストップ!やっぱ金で買えるものにしてください」

 なんだか不穏な言葉を聞きそうな予感がして慌てて遮ると、都築のヤツは途端に不機嫌そうに眉根を寄せて「金で買えるものなら自分で買えるんだ」とかブツブツと唇を尖らせやがる。

「確かにお前に買えないものなんてこの世の中にはないかもしれないけど、やっぱり自分で買うのと他の人が買ってきたものだと全然違うと思うぞ。そのものにこめられる想いが違うんだよ」

 丁寧に説明してやっているのに、都築のヤツはいまいちよく判らないと言うツラをして、「でもやっぱりオレはお前の処女がいい」とか「せめて毎日キスさせて欲しい」とか、こっちの方が何がいいのかさっぱり判らない要望をブツブツ口にしている。
 それだと何時かどうにかなった時に、思い出がカタチとして残らないじゃないか。

「都築って刹那主義なんだな」

 ちょっとムッとして言ってやると、欲しいものは何でも手に入ってしまうお坊ちゃまは訝しそうに双眸を細めて、それから俺が怒っていることに困惑したみたいだった。

「別に刹那主義とかじゃないけど…」

「嘘だ。思い出をカタチにして残さなくていいなんて、その場が良ければそれでいい刹那主義だ」

 プイッと外方向いてやると、思い出をカタチ…とブツブツ言っていた都築は、唐突にハッとしたようにして、それからまるで不思議の国のアリスのチェシャ猫みたいにニンマリと笑った。

「そうだな。せっかくお前がくれるって言うんなら貰っておきたい」

「…高いのは無理だぞ?」

 気持ち悪い予感しかしないけど、自分から誘った手前、やっぱごめん、お前みたいな変態が欲しがるもんなんて見当もつかないからやめる…なんて言える雰囲気でもない。
 失敗した予感しかしない。

「別に金額は気にしない」

「そっか。じゃあ、何が欲しいんだ?」

 できるだけマトモな回答が欲しいと祈りを込めて都築をみると、ヤツは画面の中でどうやら巨大モンスターを仕留めたらしく、みんなで喜びを分かち合っているみたいだ。
 現実の世界じゃ友達やセフレの話なんか上の空だって言うのに、オンラインの中では楽しんでいるみたいで、リア充のはずなのにこんな生活で大丈夫なんだろうかコイツは。

「コレが欲しい」

 そう言った都築が指差した画面には、モン狩りを終えて街に帰ったメンバーがドロップしたアイテムの分配を終えると、装備の修理だとか、素材の合成、いらないものを売却するとか買い足すとか、各々自由に動き回っている。
 その中で、独りの小柄な女の子のテクスチャのキャラが、豪奢な装備に違わずにさっきの狩りでも他の追随を許さない圧倒的な強さを見せつけた都築のキャラに、モジモジしながら何かを差し出したみたいだ。

「何だこれ?」

 首を傾げてよく見れば、それはリングみたいだった。

「これ、装備品か?」

「…このゲームってさ、ゲーム内で結婚できるシステムがあるんだよ。で、オレはいま求婚されている。狩りの後は何時もあるイベントなんだけど」

 そう言った都築は彼女からの申し出をアッサリと断ってしまったみたいだ。

「このレベルでもまだ誰とも結婚していないから、求婚が引っ切り無しなんだ」

「ふーん。じゃあ、俺が一緒にゲームしてこのリングを渡せばいいってワケ?それだとさっきの話しと一緒で…」

「違う違う!何を聞いてたんだ、お前は。オレはこんなリングが欲しいって言ってるんだ」

「指輪を買えばいいのか?でも俺、お洒落なセンスはないよ」

「構わない。だってお前が言ったんだろ?そのモノにこめられる想いが違うってさ。だからオレは、センスも値段なんかも気にしない。そのかわり、絶対に心を込めて選んで欲しい」

「…なんかよく判らないけど、判った。頑張って格好いいリングを選んでみるよ」

「おう。シンプルなものでもいいからさ」

「OK」

 モノなんかいらないとか不機嫌そうに言ってたくせに、途端に機嫌よく口笛でも吹きそうな感じで、さらに3人のキャラの求婚とやらを断っているみたいだ。
 別に現実でもないんだから、この中の誰かと結婚してみればいいのに。そうしたら、少しは俺に構わなくなって楽になるんじゃないかなぁ…やれやれと俺は溜め息と共に夕食の準備をするために改めて立ち上がろうとした。

「なんだよ?」

 その腕を掴んだ都築が、色素の薄い琥珀のような双眸の奥に、何か急に、禍々しいような何かを隠しているような色を浮かべて、俺のことをジッと物静かに眺めてくるから、なんとなく嫌な予感がしつつも俺は首を傾げて尋ねてみた。

「…お前が死ぬ時にまだ処女だったら、ちゃんと屍姦してやるからな。それで責任持ってオレが式を挙げるから、その後に一緒に棺桶にはいればいい」

 唐突な都築の言葉に、ふと脳裏に、前にネットか何かで読んだ中国の話しを思い出した。
 死んだ時に処女だった女の子は、その村の村長が屍姦して女にしてから、花嫁衣装を着せて埋葬する。そうすると悔いを残した悪霊化することがなく、穏やかに極楽に逝けるとかなんとか…

「お前まだその話を引き摺ってたのか。俺、女の子じゃないから別に処女で死んでもいいよ。屍姦とか気持ち悪いこと言うな」

 それよりも童貞をなんとかしてからじゃないと悔いが残って悪霊化しそうとか、プゲラしながら都築の手を離そうとしたら、都築のヤツは「そうか、それもあるのか」とか不穏なことをブツブツと言っているから、例の中国の話しをコイツも知っているんじゃないかと思った。

「死んだらチンコって固くなんのかな?だったら、オレに突っ込ませてやるよ」

「やめろ。想像したら気持ち悪い。変なこと想像させるな」

「あ、死ぬ前がいいか。気持ちよくなって死んだほうが悔いが残らないよな?」

 新しいメンバーとモン狩りに勤しむ背中を思い切り叩いて、俺はムッツリと腹を立てながらキッチンに立った。プゲラしている都築が憎い。それだけで悪霊化しそうだ。

「どうせなら美人なお姉ちゃんに手解きしてもらいたいですー」

「誰が手解きさせるか。お前の全部はオレが貰うって決まってんだよ」

「都築さん、俺たちまだ10代だからそう言ったお話はお爺ちゃんになったら聞きます」

「なんだよ他人行儀だな」

 何が気に入らないのかブツブツ悪態を吐いている都築は、爺さんになってもオレが全部戴くとか気持ち悪いことを物騒に言いやがった。でも、なんとなく、本当に実行しそうで怖いんだよなぁ、都築って。

「まあ、大学を出てからだよな…」

 クククッと、どうせ何か気持ち悪いことを想像しているんだろう、巨大な恐竜のようなモンスターを仲間と協力しながら剣戟を散らす都築はニヤニヤ笑っていて、絶世のイケメンじゃなかったら引き篭もりレベルの問題児だよなと俺はなんとなく納得していた。

□ ■ □ ■ □

「手土産とかいらないから」

 ナケナシの手持ちで購入した都内某所で美味しいって噂の苺のケーキとカヌレを人数分購入して都築に見せたのに、チラッと一瞥しただけでこの言いようである。

「女の子たちだから甘いものが鉄板だと思ったんだけどなぁ」

 ついつい癖でぷぅっと頬を膨らませて、白いシンプルなケーキボックスに入っている苺のケーキとカヌレを見下ろしていると、都築のヤツは胡散臭い顔付きをして「クソッ」とやっぱり吐き捨てやがってる。

「お前、俺が頬を膨らませるとだいたい怒ってるよな。どうしてなんだよ?」

「可愛い顔するからだ。先が言えなくなるだろ」

 どうやら俺の顔に魅入ってしまうから、続けて悪態を吐くことができなくなることが不服でぷちギレしてるんだそうだ。なんて意味不明なんだ。

「なんだ、そりゃ」

 理不尽な理由に呆れて肩を竦めると、都築は不満そうに首を左右に振っている。

「手土産なんていいんだよ。お前の手作りじゃないから今回は許すけど。アイツ等に手作りなんか食わせなくていいんだからな」

「…はいはい。お前さ、昨日あれだけたくさん焼いたフィナンシェを独りで全部食べてしまったくせに、まだ文句があんのかよ」

 藤堂さんのレシピを貰う前に、練習のつもりで都築がタブレットで見せてくれたクックパッドのレシピを見ながら、本日都築家への手土産にと焼いたフィナンシェをコイツが全部食べちまったんだ。

「…オレはフィナンシェが大好きだって言っただろ」

「それはそうだけど。全部はねえだろ。少しぐらい俺にも寄越せよ」

 味見もできないなんてどうかしてんだろ。
 都築は全く反省の色もない顔をして、声だけは神妙に「そうだな、反省する」とか言ってやがるけど、きっと反省なんかしないし次にも同じことをやらかすんだろうと思う。そう思えてしまうところが、そのツラで判っちまうんだけど、都築は隠そうともしないからやっぱり本気で反省しているワケじゃないんだろう。いっそ本気で殴ってみるか。
 …と言うのが、東京の閑静な一等地に居を構える都築邸の豪奢な玄関前で繰り広げられた会話だ。
 門扉からウアイラでまるで公園の中の小道みたいな場所を進んだ先に、古城みたいな洋館の豪邸が建っている。ここ日本だよな?!東京だよな??!大丈夫なのかこの敷地ッッ…と、ウアイラの中で窓に齧りついたまま青褪める俺を、都築のヤツは怪訝そうなツラをして首を傾げたぐらいだった。
 俺が何に驚いて、どうして青褪めているのかなんて判ってもいないツラは、これが産まれた時から日常生活の都築にしてみたら、狭い部屋でコツコツと暮らしているひとたちが目に入っていたとしても、その心情までは読み取ることはできないんだろう。
 玄関先で車を管理しているらしい青年が寄ってきて恭しく都築からキーを受け取ると、そのままウアイラに乗って駐車スペースまで車を移動してしまった。自分で駐車場に駐めてから、さあ行くか…じゃないんだぞ。お金持ちの家ってみんなこんななのか。

「はあ…緊張するなぁ」

「別に緊張することはないさ」

 そりゃ、お前は生まれ育った家だからそう言えるんだろうけど、俺なんかチビの頃から部屋は弟と一緒ってぐらいのこじんまりした家で質素に生活していたから、こんな目の醒めるような豪邸を前にすると回れ右して帰りたくなるんだよ。
 最近、やっと都築んちに慣れてきたってのに、今度は桁違いの豪邸に連行されるとか、俺前世で何か悪いこととかして都築に恨まれてるんだろうか。
 都築が何やらニヤニヤしながら玄関の扉を開くと、待ってましたとばかりにパタパタと軽快な軽い足取りで誰かが走り出てきて、ビックリする俺の前で無造作に都築に抱き着いたみたいだ。

「一葉ちゃん!お帰りなさいッ」

 190センチ超えの大男の首根っこには抱きつけなかったらしくて、150センチそこそこの小柄な少女が都築の腰に腕を回してお腹の辺りにグリグリと頭を擦り付けている。
 この目が醒めるような美少女が、陽菜子ちゃんだろうか。

「万理華、お前さぁ…篠原を連れて来たからって地味な嫌がらせしてんじゃねえぞ」

「…バレたか。こんな美少女が抱き着くロリコン野郎だって思われて別れたら面白いと思ったのよ。わたくし、光太郎ちゃんが大好きだもの。一葉ちゃんには勿体無いわ」

「煩い煩い!知らない間に交流してやがってッ」

 まるで虫でも追い払うような大雑把さで腕を振り払った都築は、呆気に取られてポカンとしている俺を振り返ると、ちょっと驚いたように眉なんか上げた。

「おい、何を固まっているんだ?」

「あ…ええと、こちらは万理華お姉さん?」

「そうよ!ああ、光太郎ちゃん!!お会いしたかったんだからっ。一葉ちゃんとばっかり遊んじゃって、陽菜子ちゃんもお待ちかねよ」

 都築に聞いたつもりだったのに、小柄でツンとすました飛び切り美少女の万理華さんがぎゅむーっと抱き着いてきて答えてくれたけど、どうみても小学生にしか見えない…これで俺たちより年上だと?

「離せ!篠原はオレの嫁だッ」

 抱き着く万理華さんの腕力は万力並みに強力で、思わず俺が「ギブギブ」と言っても聞いちゃくれない。でも、こんな時は都築の変態力に助けられる。
 姉妹にも地味に嫉妬して容赦ない洗礼を浴びせる(但し姫乃さんは除く)のが都築だから、俺に抱き着く万理華さんをベリッと剥がしてポイッと玄関の奥に投げ捨てた!
 ええ?!大丈夫なのそれ??
 ギョッとしたものの、まるでゴスロリの人形みたいな万理華さんは、ベシャリと床に倒れることもなく着地すると、苛立ったように都築を可愛らしいアーモンドアイでキリリと睨んでいる。

「勝手に嫁認定しているだけじゃない!今の光太郎ちゃんはフリーなんだからねッ」

「なんだと?フリーなワケあるかッ」

 玄関先で派手な姉弟喧嘩をおっ始めた2人にどうしていいか判らずにオロオロしていたら、不意に左手の豪奢な扉が開いて、ぼんやりした眠そうな表情のちょっとボーイッシュで綺麗な女の子がトコトコと歩いて来ると、俺の服の裾を掴んでからボソッと呟くように言ったんだ。

「この2人は喧嘩を始めたら周りが見えなくなるよ。こっち。応接間で姫乃お姉ちゃんが待ってるよ」

 そう言って困惑している俺の服の裾を掴んだままで、導くようにスタスタと歩き出した。

「ええと、もしかして陽菜子ちゃん?」

「…ふふ。そう」

「あ、やっぱり!こんちにちは。俺は篠原です。これケーキを持ってきたけど、陽菜子ちゃんは苺は好き?」

 無難なところを選んだんだけど、どうかなぁ?
 応接室に行くまでに長い回廊があって、左手は大きな窓が嵌め込まれていて、陽射しが惜しみなく降り注ぐなか、年齢相応の身長の陽菜子ちゃんは俺の顔をジッと見上げたままで、口許にほんのりと笑みを浮かべている。

「好き。私は苺も光太郎お兄ちゃんも好き」

「あは。嬉しいな」

 ニッコリ笑ったら陽菜子ちゃんはちょっとビックリしたように眠そうな目を見開いて、それからゆっくりと目線をもとに戻しながら照れ臭そうにボソボソと言った。
 こう言うところは、都築に似てるなぁ。やっぱ兄妹だもんな。

「でも、一葉お兄ちゃんも万理華お姉ちゃんも好きだよ。だから、光太郎お兄ちゃんが一葉お兄ちゃんと結婚するのは大賛成」

「いや、そこは思い切り反対してくれていいんだよ」

「?」

 キョトンっと見上げてくる陽菜子ちゃんに、思わずマジレスしてしまった俺は、慌てて何か話題はないかと首を捻った。

「都築のヤツ…じゃなかった、一葉くん?はお家でも俺のこと、その…嫁とか言ってんのかな?」

 一葉くんとか気持ち悪い呼び方したけど、都築本家で都築って呼ぶと誰のこと言ってるか判らないんだから仕方ないか。ここに都築がいなくて心底良かった。じゃないと、どんな顔でプゲラされるか判らないからね。

「うん。ずっと一緒にいたいんだって。死んじゃっても離せないからどうしたらいいかなぁって、よく私に相談してくるよ」

 都築!相手は小学生!!
 俺がアイツいったい何やってんだと頭を抱えそうになったところで、陽菜子ちゃんがマホガニーみたいなしっとりとした飴色に濡れて見える、手触りの良さそうな扉を開いて手招きしてくれたから、俺はノコノコとその室内に足を踏み入れた。
 個人宅の応接室なのにまるでベルサイユ宮殿みたいなロココ調の室内に、思わず吐血しそうになったけど、HPを削られるのはまだ待てと自分に言い聞かせていたら、傍らからススッと音もなく近付いてきた執事さんらしきお爺ちゃんにそっと声を掛けられた。

「お待ちしておりました、篠原様」

「あ、ど、どうも。あの、これお土産です…」

 こんな室内を見せつけられたら、確かに都築に手土産なんかいらねえよって言われた理由がよく判った。1つ700円前後のケーキなんか食べるのかな、ここの人たち。
 有難うございますと恭しく受け取った執事さん…執事さんもいるよね。お爺ちゃんはやはりススッと音もなく動くと、傍らに控えていたメイドさんにシンプルな白いケーキボックスを渡してから、ニコニコと俺を見つめている。
 知り合いかな?レベルの満面の笑みに、胡散臭さが入れば興梠さんだなとか勝手に考えていたら、ロココ調の豪華な椅子に腰掛けていた姫乃さんが嬉しそうに振り返って声を掛けてくれた。

「お待ちしてましたわ、光太郎さん」

「姫乃さん、お久し振りです。先日はどうも有難うございました」

「いいえ、宜しくてよ。あの出来事は全て一葉のせいですもの」

 ペコリと頭を下げると、姫乃さんはクスクスと笑いながら椅子を勧めてくれた。俺が恐縮しまくって椅子に座ると、姫乃さんは「ちゃんとお客様をお通しできたのね」と言って隣りに腰掛けた陽菜子ちゃんを褒めている。陽菜子ちゃんはちょっと嬉しそうに笑っていた。
 そんな2人を微笑ましく眺めている俺は、不意に声を掛けられた。
 あれ?誰かまだいたんだ。

「こんにちは。君が篠原くんかな?」

「あ、ご挨拶が遅くなってすみません」

 座ったままだと失礼だと思って立ち上がって頭を下げたけど、見下ろしたそのひとは、都築より随分と落ち着いて見えるものの、これまた高校生ぐらいの容姿にしか見えない青年だった。

「礼儀正しいね。ボクはそう言う人は嫌いじゃないよ」

 クスッと笑うそのひとは片手を差し出すようにして、どうぞ座ってと促してくれたから、俺はちょっと居心地悪い気持ちで、その俺と同じぐらい見事な黒髪と深い色を湛えた暗色の目をしたひとをコソッと見つめた。
 もしかしたら、都築の弟なのかな。都築は2人のお姉ちゃんと1人の妹がいる4人姉弟だって言ってたんだけど…弟もいたのかな。

「姫乃が言ってもちょっと疑っていたんだけど、なかなか純粋そうな顔をしているんだね。とても可愛いよ」

 ニコッと笑うそのひとの発言に、どこか馥郁と都築臭が漂っていて、間違いなく家族であることはよく判った。
 ヒクッと頬を引き攣らせたぐらいの時に、不意にバタンッと大きな音をさせて扉が開くと、都築と万理華さんが慌てたように入って来て、それから都築は俺が腰掛けている3人掛けの猫脚ソファにドカッと腰を下ろしてしまった。
 3人掛けなのに大男の都築がどっかり座ってしまうと2人でいっぱいになってしまって、俺の横に座りたかったらしい万理華さんがぐぬぬぬ…と都築を睨んで、「独活の大木だ!」とかなんとか、腹立たしそうにディスってから姫乃さんの横にちゃっかり座ってしまった。

「こらこら、万理華。女の子がそんな言葉遣いをしてはダメだよ。一葉もお姉ちゃんに譲ってあげたらいいのに」

「嫌だね。どうして姉だからって理由だけでこっちが退かなきゃならないんだ。断る」

 フンッと鼻を鳴らしてブツクサ悪態を吐く都築は、そのまま俺に凭れるようにして腕を組んだ。お前は背凭れに凭れろよ。重いんだって。

「さて、全員揃ったワケだけど、一葉。ボクは今日、君の恋人兼婚約者を紹介してくれると聞いて此処にいるんだけど…その人は何処にいるんだい?」

 青年はやわらかく双眸を細めて、都築家の長男を見つめている。
 万理華さんの例もあるから、もしかしたらこの人が長男なのかもしれないな。都築家には男子がなかなか産まれなくて、都築一葉はその待望の一粒種の男子ってことで、自由奔放に我儘が許される立場だ…って噂で聞いていたけど、違っていたのかなぁ。
 って言うか、紹介ってなんだ。
 恋人とか気持ち悪いってお前言ってたじゃねえか、婚約者ってなんだよ?!
 そもそも、俺は万理華さんと陽菜子ちゃんに会いに来ただけなのに…悪い予感がメチャクチャ当たってんじゃねえか!!

「は?何いってんだ、目の前にいるだろ」

「…目の前って、もしかして篠原くんのことかい??」

「篠原以外に誰がいるんだ?」

 都築が思い切り呆れたように鼻で息をして、凭れている俺の身体にスリスリと頬を擦り寄せてくるから気持ち悪い。つーか、ご家族の前で羞恥プレイをするのはやめろ。

「篠原くん…って君、彼は男の子じゃないか」

「ああ、それがどうかしたのか?」

 あれ?都築兄(?)は常識的だぞ。さっきの可愛い発言は、本当に冗談のつもりだったんだろうな。
 よし、この兄ちゃんにこっ酷く叱ってもらおう。
 ちょっと絶句する都築兄は、呆然としたように俺を見つめてきた。

「君はその、ゲイなのかい?一葉は昔から少しヤンチャなところがあってね。もし無理矢理何かされているのなら…」

「あの…」

「無理矢理なんかじゃねえよ。篠原の処女は初夜まで大事にとっているんだ。それに篠原はゲイじゃねえよ、バカか」

 ゲイじゃないです、都築にムリヤリ嫁とか言われてて困ってるんですって訴えようとしたのに、俺の口を塞ぐように都築が先にブツブツ言ってから、俺をぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。バカはお前だろ。
 万理華さんにあからさまに対抗しているようなんだけど、離せ、都築兄が固まってるじゃねえか。

「え?え??処女って、彼は男の子だよ、一葉」

「何度も言われなくても判ってる。どうせ、都築は姫乃の子どもが継ぐんだ。オレはソイツが大人になるまで支えていればいいんだろ?その代り、オレが何をしようと口は挟まないって約束じゃなかったか、パパ」

 パパ?!

「パパって??ええ?!」

 俺がギョッとすると、都築兄…と思っていた人はやれやれと肩を竦めながら、驚く俺に困ったようにニッコリと笑ってくれた。

「一葉のパパだよ。宜しくね、篠原くん」

「よ、宜しくお願い…ええー?」

 どう見ても高校生ぐらいにしか見えないのに…俺がジッと都築を見てしまうと、不穏な視線を感じたのか、都築のヤツは胡乱な目付きをして「なんだよ?」と俺を見上げてきた。

「都築ってお母さん似なんだなぁと思って」

「はあ?ああ、パパは若く見えるからさ」

 なんだ、そんなことかと肩を竦めるのを見つめながら、若く見えるってレベルじゃないだろと独りで心のなかで突っ込んでみた。

「ルミはボクの唯一の光だったのに…その名の通り、儚く消えてしまったよ」

 悲しそうに肩を落とす都築パパに、姫乃さんが困ったもんだと眉を顰めて確りしなさいと言っている。これじゃあ、どっちが親か判らないね。
 都築のお母さんは都築がまだ小学生の時に亡くなったんだそうだ。
 陽菜子ちゃんのお母さんはその後に来た後妻さんらしい。しかも、姫乃さんと万理華さんのお母さんも違うひとらしくて…都築パパ、結婚しすぎ。で、離婚しすぎ。
 都築のお母さんとだけは離婚していないらしいから、後妻とは言っても、実際は認知だけで籍には入っていないらしいから、都築パパも爛れすぎ。

「篠原くんは一葉を愛しているのかい?」

 都築ママを思い出して鼻の頭を赤くする都築パパに聞かれても、俺は別に都築を愛しているなんて気持ち悪いことはこれっぽっちも想っていないって、この際ハッキリ否定しておこうと口を開いたら…

「当たり前だろ?何いってんだ」

 都築が否定させてくれない、と言うか、全面的に認めている。

「都築、おま!ちょ…ムグググ」

 んちゅーっとキスされて言葉を飲み込まざるを得ない俺を、都築パパは唖然としたように見つめてくるし、姫乃さんはあらあらと嬉しそうで、万理華さんは呆れたように肩を竦め、陽菜子ちゃんはニヤニヤしている。

「あれ?でも篠原って言ったら…篠原くんのご実家はもしかして、篠原製作所かい?」

「え、ご存知なんですか?」

 都築とのキスに耐性はあるものの、みんなの前での公開処刑は話が違うから、思い切り顔を押し遣りながらビックリして聞き返してしまった。
 あの小さい会社がこの大企業の社長に知れ渡ってるなんて…親父、何かあくどい事でもしてるんだろうか。

「そうか…篠原製作所の光太郎くんか」

「俺を知ってるんですか??」

 ちょっと驚いていると、オレから拒絶されてイラッとしたままギュウギュウと抱き締めている都築が、何故か都築パパを強烈に悪意のある陰惨じみた色素の薄い琥珀みたいな双眸で睨み据えたみたいだった。

「だったら仕方ないね。認めるよ。いつ入籍するの?」

「え?反対してぐえッ」

 いきなり認められてしまった俺が、そこは全力で反対だろパパ!と、思わず言いそうになったってのに、都築のヤツが後ろから満足そうに囲い込んだ腕に力なんか込めやがるから、最後に変な声しか出なかった。

「バカか。入籍は大学を卒業してからだ」

 軽く俺をディスってから、都築は満足そうにニンマリして都築パパに頷いた。

「ふうん。じゃあ、その前に姫乃を結婚させないとね」

「ちょ、ま…」

「上遠野もいい年だ。そろそろ認めてやれよ、パパ」

 勝手に進む話にウチの事情とか了承は必要ないの?!と言いたいのに、このビリオネア一家はヒトの話なんてこれっぽっちも聞いちゃいねえ。いや、聞いてもくれない。
 そんな俺の耳に衝撃の事実。

「え?!姫乃さんのお相手って上遠野さんなのか??!」

「もう、腹に子どもがいるんだぜ。なのに認めないとか、パパはちょっと横暴だよな」

 まるで影のようにひっそりと姫乃さんを護っていて、姫乃さんはそれが当然のような顔をして、ニコリとも笑いかけもしないあの2人が、まさか愛し合っているなんて!

「仕方ないだろ!上遠野は今年で43なんだぞ。28の姫乃を嫁がせるなんて…」

 ニコニコ笑っている都築姉妹すらもそっちのけで、うう…と涙ぐむ都築パパをうんざりしたように見遣りながら、都築のヤツは俺の肩口に頬を寄せると呆れたように吐き捨てる。

「40で18のルミを嫁にしたお前が言うな」

 40の時に都築ママと結婚したのか、前に都築が聞いてもいない誕生日をリークする時に、自分は両親が結婚した翌年に産まれたって言ってたから、それで計算すると都築パパの年って…

「パパさん、いま還暦?!」

「そうだよ?上遠野とはそんなに年が変わらないのに、パパって呼ばれちゃうんだよ!」

 おい、どう言うことだこれは。
 都築パパ、パパって言うのも烏滸がましいほど、見た目どうみても高校生だぞ。
 下手したら、都築をパパって呼んだほうがシックリきそうなのに。
 なんか、どっかの漫画家のレベルの若さだよな…

「パパって呼ばれるだけ有り難いと思え。どうせ、上遠野のことだ、パパのことなんか『社長』って真顔で言うに決まってんだろ」

 愕然とする俺を無視した都築の台詞に、鼻の頭を赤くてズビッと鼻を啜った都築パパは、それもそうだけどねぇとまだ納得していない顔をしているけど、結局、都築と俺の入籍を決めるのであれば先にお姉さんの姫乃さんを嫁がせるのが道理だと考えているみたいだ。

「でも、一葉のことだから光太郎くんと海外で派手に挙式するんでしょ?だったら、その前に姫乃と上遠野の挙式も派手にしないと。姫乃はお姉ちゃんだからね」

 姫乃さんをメロメロに溺愛していると言う噂は本当のようで、都築パパはうっとりと幸せそうに姫乃さんを見つめながら言ったけど、すみません、言っている意味が判らないです。
 あなたもさっき仰ったように、俺は男なので、海外で派手に都築と挙式する予定は今のところは全然ありません。

「パパさん、俺はつづ…一葉くんと挙式する予定はないです!」

「お前、初めて名前を呼んだな…今日は帰りにホテルで食事をしよう」

 なんだかちょっとビックリしたような顔をしていた都築は、どう言ったワケかもうさっぱり判らないけど、薄っすらと頬を染めて俺の手なんか握ってきやがる。気持ち悪い!
 都築一家勢揃いのところで都築はないだろうが!
 名前を呼んだだけなのに、どうして話しをややこしくしようとするんだッ。

「…婚約者とは言ってもまだ学生なんだから、犯りすぎないようにね」

 何時も通りの気安さでうっとりした目付きでキスしてこようとする口を抑えて必死で抵抗する俺に、都築パパは溜め息混じりの冷水を浴びせかけてくれる。
 俺は都築と…練習とか言って尻に指を入れられたり、フェラさせられたりされたり、顔射されたり、平気でキスされたり外で恥ずかしげもなく手を繋がされたり、死ぬ時は一緒で死んだ後も一緒にいるとか気持ち悪いことを言われたり、閉じ込めてずっと2人でいたい(最近新たに追加)とか言われたけども、別にエッチは犯っちゃいない!
 それに婚約なんてしてないッ!

「バーカ、篠原の処女は大事にとってるって言っただろ?コイツは他の連中どもとは違うんだ」

「…そうなのかい?」

「だったら、セックスはどうしてるのよ?一葉ちゃんは溜まり過ぎるとちんちん痛いって泣くじゃない」

「泣くかよ。そりゃ、セフレと犯ってるに決まってんだろ」

「え?!」

「はあ?!」

 皆さん、小学生がいるんだから!
 なんで由緒正しき血筋でビリオネアの都築家だって言うのに、こんな爛れた会話を平気でしているんだ。子どもの前で!!
 そもそも、参戦した万理華さんもちんちんって!!
 俺がアワアワと陽菜子ちゃんを気にしていると言うのに、当の陽菜子ちゃん本人は、万理華さんたちと同じように、まるで雷に打たれでもしたようなショックを受けたように都築を見開いた目で見つめ、それから何故かお兄ちゃんを憎々しげに睨み据えたりしたんだ。

「…一葉お兄ちゃん、サイテー」

 姫乃さんの横に腰掛けている陽菜子ちゃんは、姫乃さんの腰に腕を回して抱き着きながら、お兄ちゃんを汚いものでも見るような目付きで吐き捨ててくれた。
 よく判らないけど、スカッとするな。
 たまには都築は凹むべきだよ。内容は別として。

「はあ?何故そんな目で見られているんだ??どうしてサイテーなんだよ??」

「…光太郎くんと言うヒトがありながら、セフレはないよね」

「一葉ちゃんに清廉潔白なんか求めていないけど、光太郎ちゃんの前でそれはないんじゃないの?心は光太郎ちゃんに、でも身体は可愛いセフレたちにくれてやるってこと?サイテーじゃない」

「???」

 都築は本当に都築パパや万理華さんが言っていることが判らないようだった。
 性に奔放だったし、それに何より、都築は別に俺に心を寄せているワケじゃない。何かよく判らない、得体の知れない執着から俺を構い倒しているに過ぎないんだ。
 だから、都築が彼らの言葉を理解できなくても仕方ないんだよ。
 俺自身、別に都築が誰と何処で何をやっていようと気にならない。不意に懐いてきた大きな犬ぐらいにしか思っていないからね。
 俺は困惑して二の句が告げられない都築をソッと見遣ってから、それから溜め息を吐いて、蚊帳の外から蚊帳の中に入ることにした。

「すみません、パパさんと万理華さん。つづ…一葉くんは別に俺のこと好きでもなければタイプでもないんです。だけど、どう言うワケか俺を嫁にとかワケの判らないことを言ってるんですよ。だから、好きでもない俺に操なんか立てたりしないです。そんな理由で、今言われている意味が判っていないんだと思います。それと、つ、一葉くんにもちょうど良かったので、皆さんの前で言わせて頂きます。俺は別に彼と入籍する気もなければ婚約する気もありません」

「巫山戯んなッ」

 巫山戯てるのはお前だろ。都築家の絶対君主の前で何を宣言してやがったんだ。
 さっきは言えなかったけど、やっと言えるんだから全部否定しておく。

「別に巫山戯てないだろ?じゃあ、お前。お前は俺のことが好きなのか?」

「…それは」

 何時ものような即答は返ってこなかったけど、それでもやっぱり言い淀むところが正直者なんだよな。別に嫌いじゃないけどさ。

「だろ?何度も言うけど、俺は好きな人と結ばれたい。ちゃんと愛し合ったヒトと結婚したいんだ。だから、パパさんに勘違いされちゃ困るんだよ」

 都築のヤツはグッと唇を噛み締めて、それから困惑したように俺を見下ろしてきた。
 そんな目をしてもダメだ、この場でちゃんと断っておかないと、後々絶対に大変なことになる。

「…一葉、お前は光太郎くんを愛しているワケじゃないのか?」

「それは!」

「なあんだ!だったら、心配して損しちゃった。これで心置きなく、光太郎ちゃんにアタックできるのね」

 万理華さんが畳み掛けるように言った言葉で、都築はもうダメだった。
 いきなり俺を肩に担ぐと、目を白黒させている都築一家に怒り心頭で吐き捨てたんだ。

「巫山戯んな、お前ら!オレがコイツを好きでもなんでもなくても、オレが自分のモノにするって決めたらオレのモノなんだよッッ」

 なんだ、その理不尽な物言いは!

「バ、都築!俺は認めないからな、そんなの…」

「煩い、黙れ!お前はオレのモノだッ」

 不意に都築の必死さに、俺は言葉を失くして眉を寄せた。
 だって、好きでもタイプでもないくせに、どうしてそんなに荒ぶってるんだよ。お前なんか、誰だって選り取り見取りだろう。相手は俺じゃなくてもいい、いや、心も寄せられない俺じゃないほうがいいに決まってるのに、どうしてそんなに必死になってるんだよ。
 お前、バカじゃないのか。
 俺たちが都築の剣幕に困惑して一瞬黙り込んだ時、不意に軽やかな声音でクスクスと誰かが笑ったみたいだった。
 声の方向に顔を向けたら、それは紅茶と、何時の間にか俺が持って来ていた苺のケーキとカヌレに舌鼓を打っていた姫乃さんだ。

「困ったものね、一葉」

「…何がだよ?」

「長いこと遊んでばかりいるからそんな大事なことにも気付けないのですよ」

「…煩い」

「だってあなた、光太郎さんが初恋なのでしょう?」

「ぐっは!」

 思わず吐血しそうになる俺を肩に担いだままで、猛然と憤っている都築は姫乃さんに悪態を吐いてからそのまま帰ろうとしていたんだけど、俺を吐血させかけた台詞に眉を寄せると足を止めて、不機嫌そうに姫乃さんを振り返った。

「はあ?」

「だから、自分の気持ちすらも判らずに光太郎さんを傷付けているのよ。想像してごらんなさい。属が光太郎さんを愛していると言って、光太郎さんも求愛を受け入れたとします。その時のあなたの心は今、どうなっていますか?平気?なんてこともない?…いいえ、違うでしょう。荒れ狂って苛立たしくて信じられなくてどろどろとした憤り…でも、そのなかに引き千切れてしまいそうなほどの、涙が溢れてしまう痛みがあるんじゃなくて?…一葉、それが恋というもので、愛すると言うことですよ」

 淡々とした姫乃さんの台詞に、ポカンッと目を見開いていた都築は、それからまるで目からポロポロと鱗でも零したのか、キラキラした双眸で担いでいた俺を下ろしてジックリと見下ろしてきた。
 嫌だ、なんだこの展開。
 これは絶対にあってはならない方向に話が転がっている。
 俺の危険ダメ絶対アンテナがビンビン不穏な空気を感じで、今すぐ逃げろと言っている。
 逃げたい、走り出したい!!
 この間、僅か数秒だったに違いない。目まぐるしく怯える俺の目を見据えて、都築が頷いたみたいだったけど、不意にハッとして、それからムスッと不機嫌そうに眉根を寄せたから、逃げ出したい俺は別として、都築姉妹と都築パパは首を傾げたみたいだ。

「だったとしても、オレは別に篠原に恋なんかしていないしタイプでもないんだ。ムリヤリ押し付けるのはやめろ」

 何時もの都築節に俺はホッとしたけど、ほんの少しだけど、ちょっと納得ができなかった。そんなに好きでもない相手なのに、都築家みたいな大富豪でもない町工場の冴えない普通よりちょっぴり貧乏な俺んちとの政略結婚とかでもないのに、どうして都築は俺のことを嫁にしたいとか一緒にいたいとか、棺桶まで一緒で、生まれ変わるなら一緒に生まれ変わりたいとか気持ち悪いことを言うんだろうか。
 全く頑なねと苦笑する姫乃さんや、コイツ何いってんだって表情の万理華さん、都築パパはもう困惑しっぱなしだけど、とうの都築は俺を射殺すぐらいの凶暴そうな目付きで見下ろしてくるだけで何も言わない。
 言わないというか、言えないような感じだ。

「…じゃあ一葉は、過去の罪悪感だけで光太郎くんを嫁にしようと思っているのかい?」

「え?過去の罪悪感??」

「違うッ」

 キョトンっとする俺の傍らで、都築が慌てて困惑している都築パパに食って掛かった。

「光太郎くんは…そうか、忘れてしまっているんだね。高熱が続いたから記憶に齟齬があるかもしれないと、篠原さんも仰っていらしたから」

「…高熱?って、俺が子どもの頃、工場の機械で腕を痛めたことを知っているんですか?」

「知ってるも何も、その原因は一葉だったからね」

「え…?」

 都築はこんな展開になると思っていなかったのか、唇をキュッと噛み締めてからまるで観念したようにどこか痛いような表情で俯いてしまった。

「君のご実家の工場とうちの子会社が提携を結んでいてね。ボクは関連企業などにこっそり視察に行くのが好きで、ちょうど融資の相談があったそうだから、その内情の確認も兼ねて学校が休みだった一葉を連れて旅行がてら九州に行ったんだよ。あの頃から一葉は悪ガキで。大人の退屈な話に飽きてしまったんだろう、独りで勝手に工場内を探検してしまったんだ。今と一緒で護衛を撒くのがとても上手でね、お祖父様は彼を忍者だって思っていたぐらいで…だからあの日も、みんなで一生懸命捜しているところに、当の一葉が大泣きで現れて君を助けてくれって言われて駆けつけたら」

 言葉を切った都築パパは当時の凄惨な現場を思い出したのか、申し訳無さそうな双眸で俺をジッと見つめてきた。
 まるで霧がパッと晴れたみたいに、俺の脳裏に鮮やかに蘇る綺麗で可愛い可憐な少女の泣き顔、彼女を庇った俺は右腕を機械に挟まれて血まみれで、あの噎せ返るような血の匂いのなかで必ず責任を取るから死なないでと彼女は泣きじゃくっていた。

「あ…ははは、あの子、そっか。あの子が都築だったのか」

「オレは、その、責任を…」

 ボソボソと歯切れ悪く言い淀む都築に、俺は自分の右手を見た。
 一級のお医者さんのお陰で醜く残るはずの傷痕は綺麗に消えていて、ただ、目には見えないし、パッと見では判らない、指先にかすかな震えが残る後遺症がある。
 ふとしたときにモノを落としてしまう程度で、それほど大袈裟なものじゃない。
 ただ、その後遺症で職人としての後を継ぐことができなくなったから、俺は経済学部に進学して、経営の方で親父を助けようと思ったんだ。
 それを10年以上も気にしていたのか、なんだ、そうだったのか。
 それで都築のこの異常な執着の意味が判った。好きでもタイプでもないのに俺を欲しがって独占したがるこの異常な執着の…意味が判ってしまうとなんとも呆気なくて、過去の罪悪感に縛り付けられたままで、だからお前、何も楽しいことがないなんて、つまらない日常だなんて気持ちになってしまっていたんだよ。
 今にして思えば、あの一級のお医者さんは都築家が用意してくれたんだな。
 そこまでしてくれてるのに、バカだな。
 だったらもう、俺が許そう。
 そうして、都築が都築らしく生きられるように、本当に好きな人と愛し合えるように。

「前にお前が言っていたように、ホント、チビの頃のお前って可愛かったよね。俺ずっと、女の子だって思ってた」

 アハハハっと明るく笑うと、少し暗くなりかかっていた雰囲気が…って、それで姫乃さんたちも俺をあんなに気遣ってくれていたんだなぁと思ったら、なんだかとても申し訳ない気持ちになってしまう。

「なんだ、じゃあもういいよ。ほら見ろよ。俺の手はどこもおかしくないだろ?グーパーもできるよ。光景じたいはトラウマレベルのショッキングなものだったかもしれないけどさ、俺も問題なく成長してるし、都築が気にすることなんか何もないんだよ。だから、もう気にしなくていい。こんな好きでもタイプでもないヤツのことは忘れてしまっていいんだ」

 何だかどこか痛いみたいな表情のままの都築の前で、俺はニッコリと笑って両手を結んだり開いたりしてみせた。

「都築…長いこと縛っててごめんな?ずっと心配してくれてて有難う。でも、俺はもう大丈夫だからこれで終わりにしよう」

 俺はグイッと都築の頬を両手で包んで引き寄せると、額に額を合わせて、今にも泣きそうなツラをしている情けない大男の双眸を覗き込んでニコッと笑って言ってやった。
 意外と心配性だってことはずっと一緒にいて判っていた。その性格も、俺とのトラウマで刻み込まれちゃったんだなぁ…可哀想なことをしてしまった。
 首に腕を回してギュッと抱きしめてやると、都築は応えるように背中に腕を回してギュウギュウと抱き締め返してきた。

「ごめん、篠原。ずっとオレ、言えなくて。言ってしまったらお前が離れていくと思ったから…」

 謝ることもしていない…って都築がらしくなく声を絞るようにして言うから、バカだなぁと俺はやっぱり笑ってしまった。

「全然気にしてないって!だから、お前も忘れていいんだよ」

「忘れるもんか、絶対に忘れない…でも、許してもらえてよかった」

 ほんのりと目尻に涙を浮かべた都築が、らしくなく素直にホッと息を吐いているのが、ちょっとだけど可愛いなと思った。
 このワンコみたいなヤツは、これでやっと前に向かって歩きだすことができるんだろう。

「良かったわね、一葉」

「一葉お兄ちゃん、良かったね」

「罪悪感がなくなったらもういいんでしょ?だったら、光太郎ちゃんに改めて交際を申し込んじゃおうっと」

 都築姉妹はそれぞれ思い思いのことを口にしているし、都築パパは俺のことを「なんていい子なんだ」と、涙脆くウッウッと泣いているみたいだ。
 都築は俺をギュウギュウ抱き締めたままでうっとりと双眸を細めている。
 安心して気が抜けちゃったのかな。

「それじゃあ、もう婚約とかなんだとか、気持ち悪い話はこれで無しでいいよね」

 ポンポンッと背中を叩いて宥めてやりながら言ったら、不意に都築は身体を僅かに離して俺の顔を見下ろしながら、妙にスッキリしているくせに困惑しているような表情で首を傾げてきた。

「はあ?どうしてそうなるんだ。婚約はするし、大学を卒業したら入籍もするぞ」

「…………は?」

 え、だってお前、過去の罪悪感で俺に執着を…

「子どもの頃のことは許してもらえて良かったよ。あのことが引っ掛かって入籍されないとかだったらどうしようかと懸念してたけど、お前が気にしていないなら良いんだ。婚約も入籍も、それとこれとは話が別だからさ」

 安堵したように溜め息を吐いたあと、都築はもういつもの都築に戻っていて、いや、さらに何かパワーアップしたツラで嬉しそうに宣言してくれやがった。
 だから、俺は恐る恐る聞いたんだ。

「……都築さん?君は俺に罪悪感があるから、責任を取って嫁にするとか、そんなちょっとアレなことを考えたんじゃないのか?」

「ああ、昔はそうだったな。だからパパにも言っていたんだ。オレが結婚するのは篠原光太郎しかいないってさ」

 都築パパはグスッと鼻を啜りながら、親指を立てて「そのとおり」とか言ってる。
 大企業の社長さんが、そんな茶目っ気出してどうするんですか。

「だったら、もう全部解決したんだから責任を取る必要なんてないだろ?」

「ああ、その件ではな」

「その件では…って、他に何があるんだよ?」

 愕然として聞くと、都築は何いってんだとでも言いたそうな、訝しげな表情をして俺を見下ろしたまま言いやがった。

「オレがお前と一緒にいたいってことだ。それはずっと言ってるじゃないか」

「……???」

 もう何がどうしてこうなっているのか、バカな俺の頭じゃサッパリだったけど、ちょっと閃いたから、軽く笑いながら言ってみた。

「あ、そっか。じゃあ、友達だ。友達でいいだろ?別に入籍とかそう言うのはなしで、友達で一緒にいたら十分じゃないか」

「……友達はダメだろ」

 都築の即答に、ニッコリ笑ったままで固まった俺は首を傾げた。

「なんでだよ?一緒にいたいだけだろ??」

「友達とセックスしたらセフレじゃねえか。それに、前も言ったけど。オレはできるならお前を閉じ込めて、ずっと2人きりで一緒にいたいんだ。死ぬ時も一緒がいい。棺桶にも一緒に入りたい…それなのに友達だったら、お前が別のヤツなんかと結婚しやがったら一緒にいられなくなるだろうが」

 ちょいちょい不穏な台詞が挟まれているけど、結果的に都築は、過去の罪悪感にも囚われていたけど、それとは別の次元で俺とべったり一緒にいたいと思っているってことか?なんだそれ。

「お前さぁ、俺のことで10年も罪悪感を抱えていたから、根本の部分が捻じ曲がっちゃったんじゃないか?罪悪感を一緒にいたいって勘違いしてるんだよ」

「あ、それはパパもそう思う」

 俺たちの会話を紅茶を飲みながら興味津々で聞いていた都築家の面々の、この場の長である都築パパが気軽に同調してくれたけど、都築の射殺すような目付きに言葉を飲み込んでしまった。パパ、頑張って!

「それは違う。罪悪感は確かに感じていたけど、あの一件の前にオレはお前に会ってるんだよ。その時から気になっていたから、あの一件は謂わばオレにとって、お前に近付けるチャンスになった。だから、あの事件だけでお前を気にしてるってワケじゃない」

「…へ?」

 俺んちはちっぽけな町工場で、でもその腕前は実は世界にも通用できると評価が高いらしくて、よく色んなひとが来ては親父と話しをしていた。都築パパは視察が好きだとか言ってたから、あの一件の前にも幼い都築を連れてうちの工場に来たことがあるのかもしれない。

「でもよかったよ。お前にトラウマを残したあの事件を許して貰えたんだ、これで心置きなくお前を嫁にできる。パパ、あの約束は守ってくれよ」

 子どもの頃に約束させたっていう、嫁は篠原光太郎のみってアレか。

「…うーん、仕方ないね。光太郎くんはとてもいい子だし、一葉はバイだからね。男の子とも添えるのなら、ボクは君たちの入籍を許してあげるよ」

 許さないでってば、パパ!
 たとえ姫乃さんのお子さまが次期後継者とは言っても、都築はこの家の長男なんだよ!
 昔気質の古い考えかもしれないけど家督を継ぐとか、都築家はちょっとフリーダムすぎるよッ。
 って言うか大金持ちってホラ、ドラマでもよくあるけど、政略結婚とかさせなくてもいいのか?それとも、ビリオネアにでもなると向こうからすり寄ってくるから、却って自由に結婚できるとでも言うのか…ハッ!パパも奔放だった!

「よし。じゃあ、今度は篠原の実家に挨拶に行かないとな」

「待て待て待て待て!ちょっと待ってくれ。俺は認めてないってば!」

「オレの何が不服だって言うんだ?お前の望みならなんだって叶えてやれる。パパや親戚連中にガタガタ文句を言わせないように、オレ個人の会社だって持った。そこから得た収入でお前を養うんだ。文句を言われる筋合いもないんだぞ?」

 パパもそう思う…とか認めないで!そこで地味に頷いてないでよ都築姉妹!

「だから、俺は別に養って欲しくなんかないって」

 俺の右手をヒョイッと掴んだ都築は、思わずこっちがトゥンクってなるほど優しげな、言葉は違うかもしれないけど、愛しげに双眸を細めて俺を見つめたまま指先にキスしてきた。

「この右手は俺のために傷付いた。ずっとこの右手を抱えてお前は生きていくんだ。だから、オレはその傍らで、ずっとお前に寄り添っていたい。お前の右手の代わりにだってなる」

 だからオレと結婚してくれ…と、都築は甘やかに俺にプロポーズしてきた。
 おい、こんな都築一家勢揃いの家族全員が見てる前でやめてくれ。
 全然ドキドキしないぞ、違った意味で心臓がバックンバックンしてるけどさ!

「俺の右手は俺の右手がちゃんと可動しているので結構です!」

「何故だよ?!」

 都築にしてみたらとっておきのイケメンオーラだったんだろうけど、男の俺にはこれぽっちも効かないんだってこと、どうして気付けないんだろうか。
 これなら篠原を落とせるはずなのに!って、都築がブツブツ悪態を吐きながら抗議してくるから、俺は溜め息を吐きながら首を左右に振って言い返した。

「お前、根本が解決していないだろ?!俺のこと好きでもタイプでもないのに結婚とか…いや、結婚になっちゃってるなこれ?!入籍とかしないよッ」

「それは仕方ないだろ!お前さぁ、前も言ったけど、オレを逃すとちゃんとした結婚とかできないぞ。親の勧めなんかで40過ぎぐらいで見合い結婚してみろ、バツイチ子持ちならまだいいけど、メンヘラとか事故物件だったらどうするんだ?そんなお前が可哀想だから、オレが嫁にもらってやるんだ。有り難く思え」

「都築、お前ぇ…」

 最凶の事故物件が何をほざいてるんだよ!
 そもそも、好きでもなければタイプでもないから、そうやって気軽に俺をディスれるんだよな。そう言うヤツとこの先の長い人生を、どうして一緒に歩いて行けるなんて思ってんだお前は。

「光太郎くんには食事を作ってもらいたいから、できれば実家で一緒に暮らして欲しいなぁ」

「姫乃がお嫁に行くからって、いきなり実家暮らしなんて光太郎ちゃんが可哀想よ」

「光太郎お兄ちゃんは陽菜子とお菓子を一緒に作ってくれるかなぁ」

「いいお義姉さんになってくれたら良いですわね」

 姫乃さん、お義姉さんじゃないし!
 俺は男だ!お義兄さんだ!!…は、違うッ。
 だいたい、既に嫁認定で勝手なこと言わないで!

「…そっか。俺が40過ぎで見合い結婚しそうな幸薄そうな顔をしているから悪いのか。だったら都築が同情して俺を嫁にするとか気持ち悪いこと言って、都築一家がそれを何故か受け入れて、派手な勘違いをしても仕方ないんだな。うん、判った。断固として断る!」

「巫山戯んな!来月には篠原の親父さんが退院するから快気祝いがてら九州に行くからなッ」

「お前また勝手に…って言うか、どうして俺より俺んちの事情を熟知してるんだよ?!」

 来月退院なんて聞いてないぞ。
 それよりも都築と一緒に九州に帰るとか有り得ないからな。

「光太郎くん、どうか一葉を宜しくね。この子はちょっと頑固だから、君以外に手綱を握れるヒトはいないって納得できました」

 よろしくしないで、納得もしないでパパ!

「一葉がそれだけ執着してるんじゃ仕方ないわよね。大学卒業を待たずにもう結婚しちゃったら?」

 万理華さん、大学卒業しても結婚しないってば!

「都築光太郎とか素敵じゃねえかよ。オレの家族からは認められたんだし、これで文句はないだろ」

 都築はいろいろと間違っている都築家に愕然としている俺を、人を喰ったような、不思議の国のアリスのチェシャ猫みたいにニンマリと笑って覗き込んでくると、そんな出鱈目なことを言いやがった。

「あとはお前の両親に認めてもらえれば、もうお前も素直にオレの嫁になるしかないな?」

 よくよく見れば都築の双眸は笑っていないし、その声音はかすかに低い。
 そうかコイツ、さっきの断固として断る発言を地味に怒ってるんだな。
 怒りたいのはこっちなのに、どうしてだろう、都築の色素の薄い琥珀のような双眸を見つめていると、なんとなく両親にも周到に根回しされているんじゃないかって不安になる。
 俺のことを好きでもなければタイプでもない都築の、滴るような執着に、その時になって漸く俺は、都築が本気で俺を嫁にしようと企んでいるのではないかと思い至り、これは由々しき事態ではないかとバカみたいに危険をヒシヒシと感じまくっていた。
 ずっと、こんなこと言ってても、御曹司の質の悪い冗談だとばっかり思っていたんだよ。
 都築の背後で姫乃さんの結婚式と俺たちの結婚式を同時に挙げてはどうか、国内外を問わずに多くの参列者を募れば、賑やかで家族円満のアピールにもなるとかなんとか、ニコニコ笑っている姫乃さんや俺たちを無視した会話に盛り上がる都築家の面々も、なんとなく魑魅魍魎の類なんじゃないかと青褪めた俺は、取り敢えず気持ち悪い都築の脛を蹴っ飛ばしていた。

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●事例16.都築家が俺についての認識をいろいろ間違えている(俺は嫁じゃない)
 回答:お前さぁ、前も言ったけど、オレを逃すとちゃんとした結婚とかできないぞ。親の勧めなんかで40過ぎぐらいで見合い結婚してみろ、バツイチ子持ちならまだいいけど、メンヘラとか事故物件だったらどうするんだ?そんなお前が可哀想だから、オレが嫁にもらってやるんだよ。有り難く思え
 結果と対策:…そっか。俺が40過ぎで見合い結婚しそうな幸薄そうな顔をしているから悪いのか。だったら都築が同情して俺を嫁にするとか気持ち悪いこと言って、都築一家がそれを何故か受け入れて、派手な勘違いをしても仕方ないんだな。うん、判った。断固として断る!