Act.43  -Vandal Affection-

 この先に、いったい何が待っていると言うんだ…
 俺は、それにしても変な感じの部屋だな、と思いながら周囲を見回していた。
 この空間の何処に、別の研究施設へと続く入り口があるって言うんだ?
 俺は首を傾げる…だが、幾ら考えたとしても、それを予感させる入り口がポンッと出てくるはずもないよな。
 それにしても、この作業員が休憩するような小部屋の何処にマクベル博士が話すような
施設があるんだ…?
 俺たちが辺りをキョロキョロしている間に、まるで観光客みたいに周囲を見渡す俺たちに呆れたような顔をしていたマクベル博士が薄暗い部屋の壁に手をかざすと、光の筋が扉のような形に繋がり、いきなりそこが内側に開いたんだ!

「ど、どうなっているんだ??」

 須藤が俺の横で言葉を漏らした。
 桜木もこれにはびっくりしたのか口に手を当てて目を見開いていた。
 そんなの、俺に聞かれたって判るかよ…が正直なところだが、俺も呆気に取られてポカンッと口をあけちまってたから、大層なこたなんにも言えないんだけどな。
 忽然と壁に扉のような光の枠が現れるとそこがスライドドアのように内側に入り込んだ後、横へと移動したってワケなんだけど、スライド式のドアがそこにあるという認識さえあれば俺たちだってこんなに驚きはしないだろうが、その扉は完全に壁と一体化していて、そこに扉が存在しているように見えなかったんだ。
 いや、違うな。
 『見えなかった』じゃなくて、『無かった』が正しい表現だろう。
 どこをどう見ても壁だった…本当に壁だったんだぜ。

「敵を欺くなら何とやらか」

 尻上がりの口笛を吹いてから、タユが皮肉気に呟いた。

「最高機密にされている研究なのでね。表の標本が暴れだしてこちらにこられては困るのだよ。それだけではない、もしもの時にもこの構造にしておけば厄介な連中にも知られずにすむと言うものだ」

 マクベル博士は僅かに双眸を細めただけで顔色ひとつ変えないからか、タユはうんざりしたように胡乱な目付きで睨みながらマクベル博士に言葉を吐いた。

「こんな凝った仕掛けまで作って隠さなけりゃならないモノかよ…」

「当然だ。何せ、この先には【地球上の全てを握れる力】があるのだからね」

 マクベル博士は一瞬強い目付きをしたものの、それでも両手を広げて俺たちを馬鹿にしたような顔で見ながらそんなことを言いやがった。
 そして、まるで手にしていることを忘れていたとでも言うような、今気付いたような顔をして、手にしているリモコンを軽く振ってみせた。
 畜生…そうなんだよな。
 マクベルの手に須藤と桜木の命が握られてるんだ。
 手にしているスイッチのついたリモコン…それは須藤や桜木に取り付けられた装置を作動させる為の遠隔操作用の端末だ。

「つまりは、この装置と同じことだ。この小さなスイッチに彼らの全てが握られている事とね」

「ケッ、何処までもムカツク奴だな!」

 タユの顔をククッと笑いながら見ると、博士はその端末を白衣のポケットの中にしまってしまった。
 …まぁ、できればだ。
 あのリモコンを奪えたら須藤たちが助かって、マクベル博士は孤立無援になるってワケで…いや、それはないか。問題は『cord:』の存在だよなぁ。
 直情的にしか物事を考えられない俺が何かを言ったって、どうせどうにもならないんだ、ここはマクベル博士とタユに任せるしかないか。
 やれやれと、小さく気付かれないように溜め息を吐いたつもりだったのに、同じ気持ちを共有していたのか、須藤と桜木もチラッと俺を見て頷いたんだ。

「この先にあるモノを君らに見せてあげよう。ついて来たまえ…」

 まるで途方に暮れたような仕種で立ち竦んでいたマクベル博士が、だが、促すように片手を振って歩き出すから、俺たちは一瞬顔を見合わせてからゆっくりとその後を追って歩き始めた。

「それにしても奇跡とは信じるものだね。まさか君らのような一般人がこの施設内を徘徊するモルモット達の餌にされていないとは…正直驚いた。まぁ、ノイス君が一緒だと言うことが生存率に多少の変化を及ぼしたとは思うがね」

 アンタがノイスって呼ぶな…とブツブツ悪態を吐いていたタユだったけど、少し考えて、それでタユと呼ばれるのもうんざりだと思ったのか、不貞腐れたような顔をして肩を竦めるに留めたみたいだ。
 そんなタユを端から無視して、心底そう思っているのか、溜め息を吐きながらマクベル博士は言いたいことだけを言って天井からいくつもの布がベールのように垂れ下がる空間へと足を踏み入れて行く。ここは他の研究室とは異なっていて、壁も床も継ぎ目がない一枚の光沢のある板で作られているような冷たい感じのする部屋だった。
 そんな部屋の奥に青白い光を空中で放つ物体に目が留まったんだ。
 あれは…なんだ?
 この位置から見ると2メートル程の高さで何かを入れているガラス状の容器に見えるんだけど…俺が首を傾げるよりも先に、誰よりも早く反応したのはタユだった。

「マクベル、あれはまさか…」

 タユは俺たちより2、3歩先に歩み出るとそのガラス管の中に入っている“モノ”を凝視しながら言葉を吐き出した。
 マクベル博士は、やはりこの部屋に踏み込むときに見せた、あの途方に暮れたような何ともいえない顔でタユを見ると、ゆっくりと言葉を発したんだ。

「君は私の研究を誤解しているようだが、この研究はそもそも君の父親と私の妻の分野だったのだよ。私はその研究に少し力を貸したまでだ」

「何をした?」

 タユが眉を顰めた。
 そしてマクベル博士の顔を睨む。

「そんな怖い顔をすると言うことは…この研究について何かを知っているようだな。だが、君が何を調べていようともそれは全て『過去』の出来事に過ぎない。そう、全てが始まったあの日だ」

 マクベル博士が何かのスイッチを入れると辺りは薄ぼんやりとした、間接照明のような光に照らされて、そのガラス管が発する光の強さを和らげた。
 そうなると俺たちにはガラス管に入れられたモノがハッキリとしてくる。
 次第に視界に入っているモノの正体が…どうやら女性である事が明らかになると、彼女の異様さに声を出すのも憚られるような気持ちになってきた。
 試験管のような大きな容器に浮かぶ彼女は、幾つものケーブルを身体に取り付けられながらも瞼を閉じて眠っているようだ。ただ、静かに呼吸を繰り返している。

「佐鳥。ここまで来ると俺たちは常識をどこまでも超えたんだなとかさ、何かとんでもなくデカい何かに飲み込まれちまうような気分になるよな」

 須藤がガラス管、それを支える機械のタワーの様な設備を何度も見上げながら呟いた。
 桜木は口に両手を当てたまま痛々しいガラス管の女性の姿に言葉も出ない様子だった。

「須藤、これは…なんだ?」

 正直、俺に聞くなよ…とでも言いたそうな須藤も、やっぱり返事に困っているようだったが、しばらく考える仕草の後にこの状況を理解したのか遅れて言葉を口にしてくれた。

「簡単に言えば俺たちの想像を超えた代物だろうが、それが何かと言われれば俺にもどう説明して良いか判らない。ただ、何かの装置に人体を利用しているんじゃないのか?」

 俺たちの会話が耳に届いたのか、マクベル博士が苦笑いをしながらタユに話し始めた。

「君のお友達は一般人だからな、当然、この施設が何のために作られているのかさえ想像することもできないだろうね。無論、ここまで深い施設の存在を知っている一般人は君らしか居ないのだから、この装置の存在理由を理解する事などできるはずもないだろう。ましてこの施設の存在を知れば此処を無事に出られたとしても…」

「それはどう言う意味だ?」

 タユが、不意にきつい双眸をしてマクベル博士に問う。
 マクベル博士は装置の傍らに凭れ掛かりながら俺たちを見渡してゆっくりと話し始めた。

「君も軍の一員なら国家の使う手段と言うものを知っているだろう?この施設は国が最高レベルで機密としていた施設の残骸だ。多くの国家機密事項に相当する書類を君らはここに辿り着くまでに幾つも目にしてきたのだ。意味が判る判らないなど、そんなものは言い訳にならない。何よりも、諸君が目にした未知の生物などは世に知られてはマズイ存在なのだよ。たとえ見ただけに過ぎなかったとしても、無事に君らを家へ送り返すと言う保障はないだろう」

 マクベル博士は瞼を閉じながらこちらへと歩み寄ってきた。

「それを証明したような事件を君も過去に味わっているだろう…ノイス君」

 ハッと目を瞠るタユの胸に、思い当たることがあるだろう?…とでも言いたげに神経質そうな指先を突きつけたマクベル博士の、あの男と同じ銀色の眼鏡の縁が光を反射した。そして、唇をキュッと引き結んだタユを見ながら、博士は突きつけた指先を引っ込めて、それから溜め息を吐くように言葉を続けたんだ。

「今から十数年前…私とエルディナは君のご両親と親しい関係にあったのだ。君は小さすぎて覚えていないだろうがね。それは妻の研究とアレン…マックスウェル博士の研究が政府の依頼で統合される話が持ち上がってきていたからだ。君の両親はね、その研究のために私たち夫婦を良く夕食に招いてくれていた。私たちには子供がいなかったから、週末毎に会う君の成長が楽しみだったよ…そんな幸せな生活は統合される日まで続くが、統合されてからの妻とマックスウェル博士の生活は驚くほど一変してしまったに違いない。なぜなら、彼らはこの半島の地下施設、つまりこの施設内へ軟禁されたからだ。研究の成果を出す為に閉じ込められてしまったんだ。その時の私には為す術がなく、遠く離れた妻が寝る時間さえも拘束されながら研究する姿を毎日のように思い浮かべるしかなかった…そもそもの発端は、この国の権力を行使する連中が君の両親の不和を引き起こさせたことからスタートしたのだ。この研究を持ちかけたあの日に…」

 きっと、大きく成長したタユを我が子のように懐かしんでいるんだろうマクベル博士は、だが、微かに動揺しているタユからふと目線を逸らせて、それから機械の頂点に置かれたガラスケースの中でたゆたうように眠る女性を見上げた。
 すると床がまるでリフトのように持ち上がると足元の床はそのまま広がり、博士を女性の入れられたガラスケースまで歩み寄れるように変化したんだ!
 …ったく、もうどんな仕掛けにだって驚かないぞ、俺は。
 俺の気持ちと全く同感だったんだろう、傍観者を決め込んでいる須藤と桜木も無言のまま驚きを飲み込んだみたいだった。

「彼女も…君のご両親同様、国家の犠牲者なのだ。彼女は生きているだけ…いや、生かされている。この、設備が彼女の頭脳を利用する為だけに」

 不意に、博士を見上げながらタユが叫んだ。

「ふざけるな!よくもそんな馬鹿げたことを言えたな!!貴様がオレの成長を楽しみにしていただと?両親と親しかった?大嘘吐くのもいい加減にしやがれ!!オレの家には貴様も、そこで浮いてる女の写真も何もない。何もないんだ!貴様がオレの家族を研究に巻き込んでおきながら、それを国の責任に摩り替えているだけだろ!!」

 迷わずベルトから銃を引き抜いて片手で構えながら上空の博士に詰め寄ろうとするタユに、慌てて俺と須藤が抑えようとするその光景を見下ろしていたマクベル博士は、淡々とした目付きで困ったヤツだとでも言いたげな仕種で首を左右に振って言った。

「まだ、判っていないようだな。確かに私は研究を助長させてしまったが、そもそもの事の発端を築いた張本人ではないのだ。理解してはもらえないだろうが、いや、今さら理解できはしないのだろうが、いずれにしてもそれが真実と言うものだよ、ノイス君」

 博士は感情も何もかもをどこかに置き忘れてきた人のような、静かな双眸でタユを見下ろしながらそう言うと、不意に暗闇に垂れ下がったベールの後ろへ言葉を投げかけた。

「さて、いつまでそこで隠れているつもりかね。そこに居るのだろう?ジャクソン博士」

 ジャクソン博士だと?!
 あの、奥さんを癌で亡くし、娘さんを飛行機事故で失ってしまった…アイツに良く似た顔の悲しい博士か…?
 タユもハッとしたのか、額に浮かんでいる血管はそのままで、今は取り敢えず落ち着くことにしたのか、俺と須藤の腕を引き剥がしながらマクベル博士の視線の先を追ったみたいだ。
 暗闇に垂れ下がったベールのような布の陰で、誰かがククク…ッと声を漏らした。
 やはりそこに、誰かいたのか。
 パン・パン・パンッ…と、わざとらしく音を立てて両手を叩きながら薄笑う白衣の男がベールの脇から姿を現した。
 その瞬間、俺の背筋に感じたこともない悪寒が走り抜けていく。
 アイツだ。
 あの男だ。
 金糸のように滑らかな金髪、全てを見限ったような冷徹な光を放つアイスブルーの双眸、そして、全てが嘘でしかないと思い込んでいるような、どこか空々しい、あの酷薄そうな唇…
どれを取っても見間違うはずがない。
 この男こそ、アイツだ。
 アイツなんだ。
 不意に、俺の目の前が暗くなった。