Act.42  -Vandal Affection-

 静かにマクベル博士に向けた銃口を俺たちは下ろしながら、ヤツの行動を見守っていた。
 ヤツは俺たちに『その気』が失せたことを確認してから、やれやれとでも言いたげな溜め息を吐いてから、手にしていた覚醒装置の起動モードを解除した。すると、辺りに広がる試験管の脇のランプが元の赤いランプに一斉に変わった。
 それまで静かに呼吸を繰り返す中に眠っている「史上最悪な生き物」は、どうやら再び静かな眠りへと戻っていったようだ。

「それで何から話をしようか?」

 マクベル博士は軽く肩を竦めるような仕種をしてから装置を白衣のポケットに放り込むと、脇に立っている水槽に凭れ掛かりながら惚けた口調で訊ねてきた。
 タユはそんな男の姿を睨みながら口を開いたんだ。

「手始めにどうしてオヤジがこのコンカトスに戻らなければならなかったのか、オレたちを捨ててまで来なくてはならなかったのか…と言う、基本から始めたらどうだ?」

 タユが軽い調子でそんなことを言ったけれど、その眼差しはタユらしくもなく真摯で、その表情は驚くほど真剣だった。
 長年、自分が捜し求めていた“答え”を知る唯一の人物であろうこの男の口から、長いことベールの向こうに見え隠れしていた疑問の答えが、今正に解かれようとしている、そんな雰囲気だった。

「そうだな。君にはそれを知る権利があるだろう」

 マクベル博士はゆっくりと双眸を伏せると、淡々とした口調で話し始めたんだ。
 俺はタユの横で静か呼吸を繰り返す。須藤たちは先ほどまでの緊張感は無くなってはいたが、俺たち以上にこの男と接していた時間が長かったんだろう、ヤツの動向から目を離そうとはしていなかった。
 ふと、そのことで俺は疑問を覚えた。
 須藤たちのこの行動は何だろう?今までの緊張感から来る恐怖心ならば既に解かれていてもおかしくはないはずなのに…それなのに二人の表情からは明らかに今まで以上に緊張をしているように見えるんだ。

「ノイス君の父親であるマックスウェル博士は『人』と言う生き物と人間が生み出したテクノロジーの融合に関する研究では、世界に類を見ない権威を有した人物だった…」

 俺の思考を遮るようにマクベル博士の低い、淡々とした声音が施設の壁に反響して響き渡った。

「この研究所での真の目的は飽く迄営利を追求することにあるのだ。つまり、金だよ。世界中を相手にこの『紫貴電工』というブランドが頂点に君臨し続ける為には、もちろん君たちも理解できるだろうが、絶対的な『力』を有していなければならないのだ。それには他と同じことをしていても特出する事は出来ないのだよ。となれば、この企業が他社の追随を押しのけられるものとは何だと思うかね?」

 淀みなく話すマクベル博士は、俺の良く知るあの男の癖を真似しているかのように口許をクッと釣り上げるようにして笑みを浮かべて見せた。
 …いちいち、癇に障るヤツだけど、それでも今は大人しく話を聞かなければ。
 もしかしたら、この研究施設に纏わる、何かとんでもない話を聞くことになるかもしれないからな。

「薬だよ。君たちがこの施設に迷い込んで暫くすると、恐らく目に飛び込んできただろう奇怪な生き物や研究そのものを支えている、あの薬…そう、『HR-9』を抱えているからなのだ」

 端から俺たちの答えなんか期待していなかったんだろう、マクベル博士はスイッチとは反対側のポケットから小さなカプセル状の黄色い薬を取り出して俺たちの方に放り投げたんだ。それは弧を描いてタユの方へと飛んでいった。
 その小さなカプセルを、タユは事も無げに空中でキャッチすると面白くもなさそうに眉を上げたんだ。

「それはサンプルだ、中身は抜き取ってあるよ。施設内とは言え、最高機密に値する薬品だからね。それを所有できる人物は限られているのだよ。さて、話を元に戻そう。その薬が何時からこの施設に来たと言う話まではする必要が無いので省くが、君の父親は私の妻であったエルディナの研究と深く関わる様になってから、この悲劇は急速な展開を見せたのだ…」

「悲劇?」

 俺が思わず声漏らすと、マクベル博士はその声に応える様にして頷くと、軽い溜め息を吐いて話をさらに進めた。

「エルディナは当時、君らの親しみ深い言葉で言うコンピュータの研究に秀でていたのだ。つまり、世界で最も賢いパソコンの産みの親だったのだが、そんな彼女も追い求める物への限界を感じ始めていた。研究とは一朝一夕にしてなるわけではないが、前にも言ったが営利目的を優先させる企業では『時間』との追いかけっこなのだよ。当然、今まで以上の成果や発明をひねり出し、世界のリーダーであり続けなくてはならないこの企業の研究所で、私の妻と君の父親はある結論に達してしまったのだ」

 男がそう言いながら奥に見える薄い青色のライトに照らされた扉に僅かに視線を向けた後、もう一度静かにその双眸を閉じて自分の記憶を呼び起こし始めたようだった。

「当時、私もおぞましい研究に魅入られていてね。まるでこの薬さえあれば自分が創造主にでもなったような気でいたよ。ある日、この『HR-9』と言う薬に成分が非常に良く似た『Υ(イプシロン)』と言う薬が我々研究者の間で流れ始めたのだ。この研究施設内の所員たちは、君らの想像を絶する極度のストレスと重圧がその肩に重く圧し掛かっていた。つまり、そんな人間たちを僅かな時間でも楽園に誘う為のもの…」

「簡単に言えば、そのイプシロンってのはドラッグだったってことだろう?」

 タユがそう言ってマクベル博士を睨むと、ヤツは伏せていた目を上げて、どこか決意しているような…何かを秘めた双眸をして、そんなタユを見詰めたんだ。

「そうだ。この『イプシロン』と言う薬物は麻薬に似た症状を引き起こさせる効果のあるものとして生み出されたのだ。だが、ある事件がその薬物には別の一面があると言うことを私に教えてくれたのだよ。その薬には『堆積量』と言うものがあってね、堆積量が100%になると何と『融合』という奇妙な能力を発揮するようになるのだ。私はそのイプシロンに魅入られて…人間が脚を踏み入れてはならない領域へと立ち入ってしまった。だがその頃、エルディナは機械の限界という壁に阻まれ、研究成果という高い壁に直面していたのだ。そのような日々を送るなかで、私はある日、イプシロンを投与し『融合』の力に目覚めたラットが他のラットとの融合、ではなく、自らが入れられた檻と融合を始めたことに奇妙な興味を覚えたのだよ。そのラットは檻という金属の物体と溶け合って体の表面に金属の毛を生やす奇妙なねずみへと進化したのだ。つまり、このことが生物同士では無くとも融合が可能であると言う明らかな証拠となったのだ。このことで私は人生最大の過ちを犯してしまった…エルディナが、彼女が立ち向かう壁はコンピュータの記憶装置という膨大な情報の渦をどう整理、保存していくかと言う課題で、彼女はその追求に頭を悩ませ、疲弊していたのだ。同じ頃、ノイス君の父であるマックスウェル博士は世界を統一化させるコンピュータのOSを完成させるに至っていた。だが、そのOSと呼ばれるプログラムには致命的な欠陥があってね。それは膨大な情報量を収められず複数のコンピュータがその役割を分担せざるを得ないと言うものだったのだ。君たちでは理解し難いだろうが、世界の情報を統括するには、複数の情報分割と言う手段ではリスクが大きいのだよ。この施設を守るセキュリティの目が分散していることとはわけが違って、極秘情報を含めたあらゆる機密は必ず一つの場所で厳重に保管している方が、より安全で狡猾にその情報のやり取りができると言うものだからな。ここまで話せば、概ねこの後の話の内容が粗方推測できるだろう?」

 男はそこまで一気に説明すると、俺たちの顔を見渡した。
 だが、この話で十分な理解が出来るのは渦中にいるタユ本人で、俺たちとしては『おいおい、ちょっと待ってくれよ』的な状況に追い込まれるような、正直、何かとんでもないことに首を突っ込んでしまっているような気がして、同じように考えてしまったのか、須藤と桜木が息を呑むように俺を見詰めてきたんだ。
 須藤たちの顔を見ている間に、ふと俺は、あることに気付いた。
 これは飽く迄も俺なりの考えなんだけど…タユの親父さんはそのOSって言うモノの完成でここへ呼び戻されてしまったってことになるんだよな?それはつまり、親父さんがタユたちを見捨てたんじゃなくて、残してこの地へ再び引き戻されたってことを言いたいんじゃないだろうか。
 それならタユの話にもあった、お袋さんが英語に不自由しているのならば、故郷のこの国に戻って暮らした方が幸せだとタユの親父さん程の人物なら気付いたんじゃないだろうか?
 俺がそう思考していた横で、タユのヤツがその疑問にまるで応えるように口を開いたんだ。

「オヤジがここへ来た理由は…オレたちの身の安全を考えてのコトだったってワケかい?」

「えっ?ど、どうしてそんな話しになるんだ??」

 タユは思わず声を上げた俺の方を、片方の眉を器用に上げて、まるで怪訝そうに見ながら説明してくれた。

「話しを聞いていて判らなかったのか?この男はここが金の為なら何でもする『企業』ってヤツだと言ったんだ。そうなるとオレのオヤジが仕事に没頭する為には家族は足枷にしかならないってワケだろ?だから、オヤジの意思とは関係なくオレたちをこの企業は迷うことなく始末するだろうってことさ…そうか、オヤジはオレたちに酷い仕打ちをしながらも、最も安全な打開策を選んでいたってワケなんだな」

 ほんの一瞬、悔しそうに目線を伏せたタユのその言葉に、マクベル博士は微かに溜め息を吐いたようだった。

「少し考えれば…ノイス君の頭脳で直ぐに答を見出せたものを。だが…私はそれを責めたりはしない。この私も、その要因を産んだ一人なのだから」

 少し疲れたような陰を落とす表情で、マクベルはさらに話の続きを聞きたいか?と言うような口調で僅かに首を傾げるから…タユは静かに「当たり前だ」とでも言うようにその先を促したし、俺たちも顔を見合わせてから頷いて見せた。

「いいだろう。君たちは…全てを知ってこの先に脚を運ばねばならないのだから。そうして、ノイス君以外の人間は、その証人となるのだ。さて、話の本題に入るが、私の研究と彼らの研究に奇妙な共通点が生まれるまでにはさほど時間は掛からなかった。私の研究報告とエルディナの研究、それにマックスウェル博士の研究を統合したプロジェクトを始めると言う結論を、雲の上の人物たちが下したのだよ。これだけでは話が解り辛いだろうが、簡単に内容を説明すればOSと言うプログラムを動かす為には、それを保管する場所が必要で、さらにはそれを動かすには円滑な動きをする機械が必要になる。そして、それを動かし操作するオペレーターが必要なのだ。その全てを一つにしたような物を作れと言うことになり、私の研究が必要とされる意味を考えると…」

「そんな…オヤジの研究を辿っているうちに聞いた、あの『ある研究』って言うのは、まさか…」

 タユが驚愕したような顔で、弾かれたようにマクベル博士を見た。
 博士は冷たい視線をタユに向けたまま、淡々とした、静かな声音で言葉を吐き捨てたんだ。

「その『まさか』だよ、ノイス君。ここには世にも恐ろしい人体実験を目的とした施設が存在しているのだ。君が考えているようなモノが存在していても、何ら不思議でないだろう?君もそう思わなかったのかね、ノイス・タユ・マックスウェル君」

「ま、まさか…いや、そんなはずはない。オヤジは既に殺されてその亡骸もオレは確認した。確かにオヤジのものだったはずだッ」

 博士は冷たい表情のまま、タユの混乱した頭にまるで水をかぶせるように言い捨てた。

「君の頭には全ての答えが詰まっているのだろう?研究とは何か、そしてこの施設で既に進められ完成したモノとは…」

「言うな!!」

 愕然としたタユが耳を押さえながら叫んでいた。
 でも、俺には、いやたぶん、その場にいた須藤にも桜木にも、その行動は理解できなかったに違いない。 
 ただ、俺たちには、タユのその動揺ぶりからして、話の内容が徒事ではないんだろうと思うことぐらいしかできず、固唾を飲んで見守るしかなかったんだ。
 畜生…ッ、悲しくなるぐらい、どれほど俺たちは無能なんだ。
 タユを、俺たちを守ってくれたただ一人の仲間すら、救うこともできず、その思いを共有してやることもできないなんて…ッ!

「い、言うな…その先は絶対に言うんじゃねー!」

「クククッ、何を今更?君は、君の親父さんが何を考えてそのOSを考案したのか、この長い年月の間に知ってしまったのではないのかね?だが…君は思い違いをしている。そうさせたのはこの冷たい楽園を私たちに与えてしまった『神』…つまり、この企業なのだからね」

 マクベル博士は、形容し難い表情を浮かべて、冷たい金属の天に向かって両手を広げて仰いで見せた。

「そうだ、ここは禁断の研究施設。何が起こっていようと、どんな過ちさえ問われない“楽園”なんだ」

 タユはまるで、何かに激しく抵抗するように一点を凝視すると、額に浮かんだ汗もそのままに、何度も渇いてしまうんだろう唇を舐めながらそんなことを呟いて、どうやら自分の精神に揺さぶり起こして、そうして、自分自身を取り戻そうとしているようだった。

「ここで『アレ』は完成していたのか?」

 漸く、本来のタユに戻ったのか、口調は既に十分冷静だった。
 タユのその言葉に応じるように、天を振り仰いでいたマクベル博士もゆっくりと目線を戻すと、思わず我が身を抱き締めたくなるほど冴え冴えとした口調で、その答えを口にしたんだ。

「勿論」

 短い言葉だったが、今の二人にはそれで十分だったんだろう。
 タユは額に汗を浮かべながら、じっと、食い入るように博士を見つめていた。
 その視線の先にひっそりと佇むアイツに良く似た男は、伏せていた双眸を上げると、俺たちに向かって短くたった一言だけ呟いたんだ。

「説明は…必要かな?」

「それはアンタが判断しろ。ここにいる連中は、この馬鹿げた企業ってヤツが仕組んだ物語の証人なんだろう?それに、アンタの描いたシナリオのキャストに選ばれているんだ、それなりに物語の粗筋ぐらいは知っておいたほうが都合がいいんじゃねーのかい、マクベル博士?」

 タユの言葉に博士は終始無言だったが、何かを考えているような仕草をした後で、両手を広げて俺たちに注意を促すようなジェスチュアをして見せた。

「いいだろう。だが、私の身の保障を約束する為には窮屈だろうが仲間の首に付いている物は外さないでおく。首に付けてあるものはスイッチ一つで僅か数ミリまで縮小する金属の輪だ。私に何かあれば遠慮なく装置が作動すると言う仕組みになっていることだけは、そこの日本人らしい君の頭の片隅に覚えておいておくといい。それでは…君たちを私たちが冒した“『神』を冒涜する楽園”に誘うことにしよう。さぁ、来たまえ…その答えはこの扉の先だ」

「ど、どう言うことなんだ!?」

 その時になって漸く俺は、須藤たちの首を締め付けているような金属の輪に気付いたんだ。
 桜木と須藤の眉が、困惑したように寄っている。
 蒼褪めた表情は、何かを物問いたげな焦燥を浮かべていたけど、唇を噛み締めた須藤が俺の肩を陽気に叩いたりするから俺は…

「心配すんなって!取り敢えず、この話の『答え』とやらを拝みに行こうぜ」

「そ、そうだよ!佐鳥くん、きっと、大丈夫だよ…」

 あれほどか弱いと思っていた桜木までが、強い意志を秘めた大きな瞳で俺を見詰めると、力強く笑ったりするから、俺は…何故か、泣きたくなっていた。
 何時の間にか俺を置き去りにして、須藤も桜木も強くなっている。
 それなのに、俺は…

「深く考え込むのは日本人の悪いクセだな。なるようにしかならねぇんじゃねーのかい?コータロー、一緒に『答え』を見に行こうぜ」

 タユがわざと派手に俺の肩を引き寄せると、そんな気分なんかになれるはずもないと言うのに、おどけたようにウィンクして笑ったんだ。
 タユも須藤も桜木も、みんな強くなった。
 俺は…俺は?
 俺はこの施設に来て、何か変わったんだろうか。
 いや、きっと変わった。
 須藤、桜木、そしてタユと言う、掛け替えのない仲間を手に入れたじゃないか。

「ああ、見に行こう。必然的にこの話の渦中に引き摺り込まれたんなら、最後まで見届けてやろうじゃねーか!」

「そうこなくっちゃなッ!」

「佐鳥くん!」

 須藤と桜木が笑うと、タユのヤツは尻上がりの口笛なんか吹いてくれる。
 そうだ、俺には仲間がいる。
 メソメソしていたって、物事は着実に進んでいるんだ。
 この施設の謎を探る…そう決めたじゃねーか。
 『答え』はもう、きっと目の前なんだ。
 話は済んだのかね?とでも言うように肩を竦めたマクベル博士は、それから俺たちについて来いとジェスチュアをして身を翻した。
 俺たちはまるで確認するように顔を見合わせると、タユを先頭に薄い水色のライトに照らされた鉄の扉を開いて、その先に待っているんだろう『神を冒涜する楽園』へと続く道へと足を踏み出していた。
 その先に、たとえ何が待ち受けていようと、俺たちは進むしかないのだから…