戦の臭いは魔物を呼び寄せ、世界の破滅を予言する。
海が色を失い、空に枯れた悲鳴が木霊する。
声が出ない。
助けてくれと慈悲を請う声。
助けてくれるなと拒絶する声。
渇きが満ちた世界に希望などない。
全てが死の臭い。
死の声。
救いなどない。
覚えておけ。
◆ ◇ ◆
冬にしては珍しい生温い風が、生臭い匂いを孕んで路地裏を吹き抜けていく。
漆黒の闇には切れかけた電飾が、所々抜け落ちた看板を馬鹿みたいに彩っている。
空には星が見えるのか、或いはこの腐敗した街を覆う偽りの光を映し出しているのか、無頓着に夜空がビルの谷間に広がっていた。
OLは足早にマンションへの近道を急いでいる。
上司との不倫はバレてはいけない。だからこそ、彼女は昼なお人通りの少ないこの裏路地を、足早に通り過ぎようとしている。
1日中、世間を騒がせている猟奇的殺人事件の概要は彼女も理解していた。しかし、『自分には関係のないこと』だと割り切っていたOLは、いずれ我が身に降り掛かる災いすらも他人事のように高いヒールで砂利を蹴りつけながら、まるで日中の雑踏に取り残されたような寂れた路地を進んでいる。
切れかけた電灯がチラチラと研ぎ澄まされた鋭い爪に、鈍い輝きを落としていた。
シュウシュウ…
聞き慣れない音が風に混じって聞こえてくる。
「やだ、何かしら?それにここ、とっても臭いわ!」
ふと立ち止まった彼女は背後の異様な気配を感じ取り、研ぎ澄まされて鋭敏になっている自分に呆れながら悪態を吐いた。
「だいだい、部長も部長だわ!こんな時間に呼び出すなんて失礼しちゃうッ」
薄暗い路地への恐怖を上司への怒りに換えて、彼女はブツブツと綺麗に口紅を塗った唇をツンと尖らせて悪態を吐くと、綺麗にマニキュアでコーティングした爪を弄りながらマンションを目指す。
…と。
闇からズルリッと何かが這い出してきて、長く鋭い爪が電飾の明かりを弾いて不気味に鈍く光っている。
「…?」
彼女は何度目かの気配を感じて、なんなのよ、もう!と、呟きながらもう一度背後を振り返った。
振り返った先に立っている異形の化け物を目にした瞬間、彼女は腰が抜けてその場にへたり込んでしまう。薄闇ではハッキリしないが、彼女の座り込んでいる場所が静かに水浸しになっていく。
「ひ…ひ…」
声にならない悲鳴を聞いて、爬虫類のような、その滴り落ちる鮮血を思わせる濁った双眸を細めると、化け物は人間のものとは思えないほど大きな牙を有した口を大きく広げて威嚇する。
『ギギ…ギシャァ…』
「きゃあああ…ッ!!」
思わず悲鳴を上げた瞬間、化け物の鈍い光を放つ鋭い爪が容赦なく腹部を貫いた。そのまま引き抜くと同時に引き裂いて内臓を引きずり出すと、周囲に血の匂いが充満して、ムッとする生臭さを心地よさそうにうっとりしながら化け物は爪に付着している肉の塊を貪った。
「あ…ア…ヒィ…」
自分の引き裂かれて空洞を晒す腹部を信じられないものでも見るように見下ろしていた彼女は、撒き散らされた血液や内臓を拾い集めようとするような仕種をしたが、もはや人間ではない声をあげながら狂ったように頭部を掻き毟る。
『ギギ…ちぃ…ちぃぅおもっとぉ…』
「ヒ、ヒギ…ギィ!!」
鈍い光を放つ鋭くて大きな爪を振り翳して、化け物は女の首を事も無げに跳ね飛ばした。
ブシュゥッ!っと噴き上がる鮮血を全身に浴びて化け物が咆哮する。
そして事切れた女の身体に覆い被さると餓えを癒すかのようにその身体を貪り喰らった。
内蔵を引き出し、胃袋で消化しきれていないものまで噛み砕き、内容物を含んでいる腸を引きずり出して咀嚼するとブシュブシュウッと噛み潰された腸から出た体液が口の端を滴り落ちる。筋肉と脂肪でピンクになっている骨をしゃぶって噛み砕く。
地獄のような饗宴は、それから暫く続いたのだった。
生臭い匂いが充満して、偽りの世界は何事もなかったかのように淡々としていた…
◆ ◇ ◆
「遠き異国の旅人?ボクが?まっさかぁ!」
なんとなく、やっぱりまだ違和感がある口から出る言葉に、俺はなぜか居心地の悪さを感じながら頷いていた。
デュークのヤツは行き付けの店だからと言って、1件のブティックらしきところに俺を連れてきたんだ。妖魔の仲間が経営している店らしいんだが、お得意さんは妖魔だけじゃなくて、なんと人間の!それも有名人だとかそんな連中も買いに来るってんだから凄いよな。だから、外でお買い物の時はデュークは言葉でちゃんと話すんだそうだ。俺といる時もそうしろよと言ったら、これが結構疲れるんだよね、と言われてしまった。疲れてもいいじゃねーかよ。ふん!
ブティックなんて貧乏探偵の俺には縁も所縁もないし、なんたってガラじゃねぇんだ。
ソワソワして背中の辺りがむず痒くなっちまうよ。
野郎でも専用の服の店なんかあるんだなぁ、ちょっと感心した。
だってさ、俺なんかドン・キ○ーテだとかユニ○ロにしか服なんか買いにいかねぇもんな。気に入った色のフリースがあれば御の字だし、安ければ安いほどラッキーだったり…情けねぇな俺。
あ、泣きたくなってきた。
いや!そんなこたどうだっていい!!
問題はそんなことじゃねぇ!!
「違うのかよ?」
胡乱な目付きで腕を組んで睨んでやると、服を選んでいたデュークは灰色のセーターを手に取りながら、肩を竦めて鼻先で笑いやがる。
「あら!デュークが『遠き異国の旅人』なワケないでしょお?オツム弱そーね、今度の彼女ぉ」
このブティックのオーナーを兼任しているお姉ちゃん言葉がやけにお似合いの店長は、恐らくデュークと同じ属性の住人なんだろう。こうして見ると、デュークやアリストアが言うように俺たちが住んでいるこの世界には本当に闇の住人が多いんだと改めて思い知らされた気分だ。
俺がムッとして傍らに立つヒョロッと細長いクネクネした長身の店長を睨んでいると、デュークはクスッと笑って灰色のセーターをソイツに投げた。
「またタートルネックぅ?あんたも好きねぇ」
やれやれと溜め息を吐く店長に、肩を竦めてスタスタと嫌味なほど長い足で店内を動き回る。
今度はコートかよ!?
「おい!まだ質問に答えてないぞ!」
コートは店に入る時に店に預けていたから、俺はデュークの薄い黒のセーターの腕を掴んで呼び止めたんだ。
「だから、タスクが言ってるようにボクは『遠き異国の旅人』じゃないよ」
「じゃあ、なんなんだよ?吸血鬼でもないって言うし…お前たちみたいな連中はあとどれぐらいの種類がいるんだ?」
ムスッとして聞き返すと、デュークはコートが整然と陳列している場所まで俺を導きながら小首を傾げやがる。
「なんだ、『遠き異国の旅人』の実態も知らなくて追っかけてたの?すっごいムチャするね、ボクの奥さんは」
クスクスと笑う。
全部がサマになっているからムカツクんですけども…
「ボクはただの『旅人』だよ…って言っても判らないね。うーんと、そうだねぇ。ここで1つ、ボクが光太郎にレクチャーしてあげるよ」
振り返ってニコッと笑うデュークの笑顔は顔が引き攣るほど恐ろしいものがあるし、コイツに言われたってのがムカツクんだけど、言われてみたら俺は本当にこの件の『犯人』について何も知らないんだ。あまりにもコトが起こり過ぎて、脳内がショート寸前で細やかなことが何もできなかった。つーか、してるヒマもなかったんだっけ。
アリストアのヤツもいまいち言葉を濁しているようだったし…『遠き異国の旅人』ってヤツはなんなんだ?
「ちょっとデュークぅ…いいのぉ?『旅人』に知れたら厄介じゃない?」
「構わないよ」
デュークは殊の外あっさりとタスクと呼ばれた店長に頷いて、それから横に立つ俺をチラッと見下ろしたんだ。
「ボクの奥さんに、これ以上危険なコトに首を突っ込んで欲しくないからねぇ」
誰が奥さんだ、誰が。
でも今はそれに貝のようにムッツリと口を噤む。何か言って外出禁止になるよりは、今のこの有効な立場を利用しないとな。何やら聞き出せそうな気配もプンプンするし…
「あらやだ!ホントに奥さんだったのぉ?意外ねぇ、デュークはもっとメンクイだと思ってたんだけどぉ」
余計なお世話だ、不細工で悪かったな。
「アークちゃんよりもあっけらかんとしてんのねぇ、あんた」
「タスク。ねえ、事務所に行ってなよ」
OKだと呟いたものの、タスクは俺を不躾なほどマジマジと見やがって、それから不機嫌そうにしているデュークを呆れたように見た。
「テキトーに選んじゃいなさいよぉ。お会計の時はアタシを呼んでねぇ」
「OK」
肩を竦めてタスクを追い散らしたデュークは、それから徐に陳列しているコートに興味を移しやがるから…おいおい、そうじゃねえだろう。
「レクチャーその1。『旅人』と『遠き異国の旅人』の違いについて」
しかし、デュークのヤツは別に忘れていると言うわけじゃなくて、コートを繁々と物色しながら話し始めた。
「ボクはね、『旅人』と呼ばれる集団に属してるんだよ。そして、その集団から逃亡した連中のコトを『遠き異国の旅人』と言うんだ」
そう言ってコートを元のハンガーに掛け直したデュークは唐突に俺を振り返ると、鼻先が触れ合うほど近くに顔を寄せながら覗き込んで、目を白黒させている俺にクスッと笑いながら首を傾げてきた。
「ねえ、光太郎。ボクはかっこいい?」
「…はあ?」
何を突拍子もないこと言い出すんだコイツは。前々から変なヤツだとは思っていたけど、いよいよどこかおかしくなったのか?なんにしたって、春はまだ来ないぞ?
「人間として見たら…ってコトだよ。かっこいい・美形・美しい・綺麗・秀麗・端正…などなど。賛辞の言葉はたくさんあるね。でもそれは、外見上ってコト」
そう言って身体を起こしたデュークは腕を捲りながら淡々と、まるで今までの惚けっぷりが嘘のような冷静な態度で話すもんだから、この話がどれほど重要なのか、それとも、デュークが、本当はこの話をしたがっていないんじゃないかとか思ってしまった。なぜか、とか良く判らないんだけど…もしかしたら、怒ってるように見えるせいからかな?
そんなことを考えていると、黒のセーターを肘まで捲り上げたデュークはつっけんどんに目の前にその腕を差し出してきた。
「レクチャーその2。触って確かめてみよう」
「は?」
首を傾げると、デュークは口元だけで小さく笑って言葉を続ける。
「ボクたちのこの姿はあくまでも仮初めの姿。本来あるべき姿を自制心で抑制をかけて人間に馴染もうとするのが『旅人』。自制心を見失って、本来の姿に戻ってしまった連中のコトを『遠き異国の旅人』って言うんだよ。ほら、触って確かめてみよう」
ズイッと腕を差し出されて、俺は恐る恐るデュークの見た目よりも逞しい腕に触れてみた。触ってみて、ギョッとする。思わず引っ込めそうになった手をグッと上から押さえられて、俺は直接その感触を味わった。
本来、人間の持っている腕は筋肉がどんなに付いているヤツでも、ある程度肉に弾力があって柔らかかったりする。でも、このデュークの腕は…
この腕は…
「硬いでしょ?それに、ちょっとゴツゴツしてる。明らかに人間の腕ではないね」
はい、終了~と言って、デュークは俺の手を名残惜しそうに離してから、捲くっていた袖を元に戻しながら肩を竦めたんだ。
「妖魔にしろヴァンパイアにしろ、悪魔系の住人が綺麗でかっこいいワケないでしょ?本来の姿が醜いからこそ、自制心により磨きをかけて、愛するヒトの為に綺麗になるんだよ~…なんてね」
クスッと笑う。
でもそれは、切なくて、なんて俺が口にしてもサマにならない言葉だけど、ちょっと悲しそうだった。
「光太郎の好きなアシュリーが、妖魔じゃなきゃいいね」
ポツリと呟かれて、俺はハッとしたようにデュークを見上げたけど、ヤツは不機嫌そうに唇を尖らせてフンッと鼻を鳴らすだけで、それ以上は何も言おうとしない。
明らかに、そう。確かに、明らかに人間とは違う感触だった。脈動も独特で、薄皮1枚隔てた向こう側にあるものは、何かおぞましくて不気味で…ゴツゴツと硬いワニか何かのような感じだと思う。実際にワニに触ってみてないからなんとも言えないんだけど、視覚的な感じがあんなもんだ。
「レクチャーその3。ボクを嫌いになったでしょ?」
唐突にそんなことを言われても…俺はなんて言ったらいいのか判らなくて、ムスッとしたままでなんとなく情けなく見える妖魔を見上げた。いつもは、どこにそんな自信があるんだよ!?と聞きたくなるほどの自身過剰屋で、強引’グマイウェイのはずのデュークが、どこかバツが悪そうに、諦めたような顔をしているんだ。出会ってから初めて見る表情にビックリだ。
「妖魔なんて端から信じていなかったんだ!今更綺麗だとか醜いだとか関係あるかっての。肝心なのはハートだろ?ハート!」
「…光太郎って、変わってるね」
はじめ、酷く驚いたような顔をしていたデュークは、次いで、どこか物悲しげに笑って首を左右に振るから、俺はその頬を両手でガッチリと引っ掴んで顔をグイッと引き寄せてやった!
「良く言われるよ、サンキューな!あんたの本当の姿とやらを見ても俺は驚くぐらいに決まってんだろ!?なんせ、子供の頃からお伽噺やゲームなんかで、魔物と言えば変わった姿をしてるのが殆どだったからな!却ってお前みたいに綺麗な顔をしてるヤツの方がよほどビックリしたよ。そう言うこと判ってないだろ、デューク。お前こそ、人間のことをもっと良く誰かにレクチャーしてもらうんだな!」
目を白黒させながら、珍しく間抜けな顔をしていたデュークはしかし、突然ギュッと俺を抱き締めてきたんだ!ぎゃあッ!なんで抱き締めるんだよ!?そう言う話をしてるわけじゃないだろうが!
ぎゃあぎゃあ喚く俺をギュッと抱き締めて、デュークは頬を摺り寄せながら嬉しそうだ。
冗談じゃないぞ!
「光太郎ってば優しい。ボクを心配して勇気付けてくれるなんて…ボクは最高の伴侶を手に入れました!レクチャーは光太郎にしてもらおうっと」
「ななな…!?なんで話しがその方向に行くんだよ!?」
「さいっこうにイイ気分だから!今日は奮発して現金キャッシュ!カードなんて使わない」
現金もキャッシュもおんなじ意味だぞ、おい。とか!そんなツッコミどころじゃねーんだ!
いい加減下ろしてくれよ~
思わず泣きが入りそうになった時、事務所から騒ぎを人間の数倍は良く聞こえる耳で聞きつけたのか、タスク店長がノソノソと出てきて、抱き合って店内でクルクル回っている俺たちを見つけると呆れたように腕を組んで溜め息を吐いた。首まで左右に振ってくれている、嫌だ、恥ずかしすぎるぞ…
「もう決まったのぉ?」
「あ、タスク。ねえねえ、聞いてよ」
デュークが嬉しそうに話そうとするその口を、俺は思わず捻り上げたくなった。もちろん、そんなことができていれば今頃俺はここにいないんだけどな…ふんッ。
「今日はキャッシュでお支払い」
なんだ、そっちの話か…なんてホッとしてる場合じゃないぞ!いい加減下ろせッ!このスカンチン野郎!!
「キャッシュぅ~?いや~ん、やったわねぇ」
嬉しそうに擦り手をするタスク店長を、コイツも妖魔のくせに人間社会に馴染みまくってるなぁ…と思って呆れちまった。
「それじゃあ、ボクと光太郎の…」
と、デュークはそこまで言うとハッとしたように周囲に注意を払った。
すぐに伝染するようにタスクも背後を振り返る。
「チッ」
デュークにしては珍しく舌打ちなんかして…いや、でもこの気配は。何かゾクッとするようなこの異様な気配は…
デュークは反射的に俺を床に下ろすと、気配の糸を手繰り寄せるようにして意識を集中しているようだったが、次の瞬間、いきなりパンッ!と音を立てて次々と電気が破裂して室内が一瞬だが真っ暗になった。すぐに予備灯が点灯したが、それも音を立てて破裂したんだ!
な、何が起こってるんだ!?
《タスク!光太郎を地下室へ》
《了解!》
突然、脳内に声が響き渡って俺は思わず耳を押さえたけど、緊迫した2人の気配を直接肌で感じている現状では文句も言えない。俺には良く判らないけど、確実に今この時、何かが起こっているんだ!
連れて行こうとする腕を思いきり振り払って、俺は真っ暗な闇の中、気配だけでデュークを捜しながら叫んだんだ。
「地下室なんか行かないぞ!何か来ようとしてるんだろ!?『遠き異国の旅人』じゃないのか?」
《いけない。それはダメだよ、光太郎》
「何が駄目なんだよ!?」
見えない暗闇からスッと腕が伸びてきて、少しひんやりする掌が頬を包み込んでくる。
《光太郎は人間だから、暗闇は味方しない。なぜ、『遠き異国の旅人』が暗闇を好むのか…》
《デューク、時間がないわよ》
判っているよ、と呟くデュークは俺の頬から手を離したんだ。
《人間を狩りやすくする為だよ》
突き放すようにそう言ってデュークの気配が一瞬消える。
「デューク!」
叫ぼうとすると、両方の頬をグッと掴まれて何かが顔を覗き込んできた!
金から血のような鮮紅色に変化する双眸が間近に俺を見据えて、俺は思わず震え上がってしまった。
《地下室に行け、光太郎!ボクにビビッてるようじゃまだまだ甘い》
ドンッと突き飛ばされて俺は何かに受け止められた。漸く目が闇に馴染んでくると、ディープブルーが仄かに煌く不思議な髪を目印に、鮮紅色の濡れた双眸を持つデュークが店の扉を見据えて立ちはだかっているのが見える。
何か来る。
気配がビンビンと肌を刺すような刺激にゾワゾワしながら、俺は確実にこの殺気の持ち主がここに来ようとしていることを感じていた。
アリストアなんか目じゃない。この感じは…デュークが怒った時に良く似ている。ただ、もっと禍々しいおぞましさをプラスすれば、たぶんもっと良く似てくるような気がする。
《さ、早く!こっちよ!!》
「でゅ、デューク…!」
名前を呼んでみたけど、あのふざけた妖魔はピクリともせず俺を振り返ることもなかった。
腕を引かれながら連れて行かれようとする、でも俺は…!
俺は…あの時、お袋さんと約束したんだ!娘さんの仇は絶対に取るって…ッ!
「デューク!俺だってそれなりに戦えるんだ!アリストアの時は不意打ちみたいなものだったし…今度は心構えもある!」
腕を振り払ってデュークの腕を掴むと、チラッとだけ深紅の双眸で俺を見ただけで、仕方なさそうに溜め息を吐いた。
《ボクでも、アークかタスクがいないと1匹狩るのが精一杯なんだよ?判る?》
「う…判る!判るとも!おお、もちろんだぜ!!」
《降参しなさいよ、デューク。奥様の気の強さは知ってるんでしょ?》
諦めなさいと言うタスクに、デュークは肩を竦めた。
《判った…でも、きっと気をつけてね。ボクもできる限り守るから》
「お、おう!」
頷くと、タスクが苦笑する。このヒョロくてクネクネしてる妖魔が緊迫した時でもどこか抜けてるように思えるのは、やっぱりそのお姉ちゃん言葉のせいなんだろう。
デュークは少し溜め息を吐いて、それから紅蓮に燃えるような双眸で扉を焦がすんじゃないかと思えるほど禍々しく睨みつけていた。
《アリストアのコトは後で詳しく訊くからね》
「…へ!?」
ギクッとした瞬間、扉が突然外から内側…つまり俺たちに向かって吹っ飛ばされてきた!!
《!》
「わ!」
ガンッ!と音を立てて床に叩きつけられた扉は奇妙な形に歪んでいて、その力の凄まじさが良く判る。
デュークが一瞬早く俺を横抱きにして跳び下がっていなかったら、あの鉄の塊の扉が直撃していたことになる。変形してコンクリートの床に突き刺さっているあの扉の餌食だ…
俺は、もしかしたら…デュークが言うようにとんでもないことに首を突っ込んじまったんじゃないだろうか?
生唾をゆっくりと飲み込んだその時、のっそりと化け物が姿を現した。
巨大な爪を有するガタイの大きなヒルのように滑る肌を持つ化け物…
これが。
これが『遠き異国の旅人』なのか…?