俺は呼び出された屋上で、まるで無頓着に流れていく白い雲を眺めながら、聞かされた
台詞に信じられなくてゆっくりと俺を呼び出したヤツに振り返った。
「なんて言ったんだ、てめぇ」
「だからよぉ…」
ゆっくりと組んでいた腕を解くとポケットにその手を突っ込んで、ブラブラと散歩でもするように俺の傍まで近付いてくると、風に揺れる俺の前髪に触りながら目を細める。
俺はそれを嫌って首を振ると、高野のヤツはわざとらしく両手を小さく上げて降参するようなポーズを取った。でも、その目は一向に降参する気なんかなさそうだ。
「見ちゃったんだって。お前と、あのデブが犯ってる現場を」
「ヘッ、だからどうしたよ?俺を脅してんのか?バッカじゃねぇの」
そんなので脅される俺じゃねぇっての。傍にいて気付かなかったのかよ、この間抜け。
「ああ、お前はな。…でも、長崎のヤツはどうだろうなぁ?こんな噂を流されたら、優等生のあのデブ…」
言いかけた言葉を飲み込んだのは、俺の双眸がこれ以上はないってぐらい釣りあがり、物騒な雰囲気を漂わせたからだ。人一人、殺したって後悔なんざしねぇ…それが俺の口癖だ。
「で、どうしろって言うんだ」
「…ヘッ、聞き分けのよろしいことで」
冷や汗流しながら言ってんじゃねぇよ。チッ、シクったな。
よりによって高野のヤツに見られちまうなんざ…しかし、あんな誰もいない南校舎になんの用事があって来てたって言うんだ?フンッ、おおかた俺たちの後でもつけて来たんだろう。
「お前さぁ、やけに色っぽいんだな」
前髪から、今度は襟足に触れながら高野は粘っこい口調でそう言った。
なるほど。
「俺を抱きたいのか?」
直球の台詞に高野のヤツは面食らったようだったが、俺が乗り気だと誤解しやがったのか、尻上がりの口笛を吹いて肩を竦めて見せた。
「抱きたいっつーか、興味があんだよ。男と犯ったことなんかねぇからさ、試させろよ」
俺はダッチワイフじゃねぇっつの!…でも、ここで断れば明日から洋太は、あのデけぇ身体を縮こめて登校する羽目になるんだよな。おまけに一人暮しもパアになって、呑気な母ちゃんたちから付き合いもとめられちまうんだろう。
そんなのは絶対に嫌だ!
あの約束を思い出すまでのもう少しぐらい、洋太の傍にいたいんだ!
「…判った」
「それから」
「まだあるのかよ!?」
俺がムッとして高野を見ると、まるで当然そうに今までは一度だって触れもしなかったくせに、俺の肩に馴れ馴れしく腕を回しながら頷いた。
「あったりまえだろ?それから、あのデブとは付き合うな。もう二度と抱かれるんじゃねぇ」
「なんだと、この野郎…」
俺が胡乱な目付きで睨み付けると、高野は少しだけビビッたようだったが、すぐにニヤリッと笑って耳元に口を寄せてきた。
「写真があるんだよ。バラまかれたい?」
「…ッ!」
声を失った俺は唇を噛み締めると、諦めたように双眸を閉じて小さく頷いた。
満足したのか、高野はやおら俺の顎を片手で上向かせ、やけに慣れた仕草で口付けてきた。
吐き気がするほど気持ち悪いキスは続き、俺は双眸を閉じたまま怒りに打ち震えながら両手の拳を握り締めていた。
□ ■ □ ■ □
「里野くん…」
洋太がオズオズとノートを差し出してきたそれを、俺は目を合わせないように受け取って机に投げ出した。
洋太はきっと、俺がなんで怒っているのか判らないだろうな。
いつもの癇癪とも違うし…ごめんな、お前に怒ってるわけじゃねぇんだ。自分自身が情けないんだよ。
「ああ、洋太。もうノートはいいから。これからは、使いッ走りもしなくていい」
「え?」
本来なら、虐められッ子はこう言われれば喜ぶだろうに、洋太は明らかに愕然としたように、驚いたような表情をして首を傾げた。
「ぐだぐだ言ってねーでさっさと行けよ、デブッ!目障りなんだよっ」
「鬱陶しーんだよ、デブ!」
高野が机を蹴っていつものように洋太を散らそうとしたが、俯き加減に目線を合わせようとしない俺の肩にさり気なく置かれた高野の腕を、洋太は食い入るように見ているようだった。
「里野くん…」
もう一度俺の名を呼ぶ洋太。
お願いだからもう向こうに行ってくれ。
お前の声も姿も、もう見たくないんだ。見てしまうと、聞いてしまうと…縋りつきたくなる。愛してるのはお前だけだって叫びたくなるんだ。
お前に抱かれなくなって1週間が経つ、その間、俺は貪るように高野に犯されていた。
慣れた身体は高野をすんなりと受け入れたが、俺の心は完全に拒絶していた。吐き気もするし、飯だってここ最近はまともに咽喉を通らない。
首筋には、明らかにお前とは違う男がつけた口付けの痕がクッキリと所有権を主張して
いる。
吐きそうだ。
眩暈がする。
「それじゃあ…」
呟いて、洋太が向こうに行こうとした。
俺は反射的に顔を上げて洋太を見た。
違うんだ、お前を嫌ったりなんて、絶対にしていない。むしろ、むしろ大好きだよ!
だから、だから俺はお前から離れるんだ…
すぐに俯いてしまった俺を、お前はいったいどんな表情で見たんだろう。
「さっさと行け!」
ガンッと机を蹴る。洋太はビクッとしたようだった。
と言うか、その場にいた全員がビクッとしたようだった。
俺は怒りに任せて机を蹴った。鼻にシワを寄せて、歯を食い縛って、底冷えする目付きで。机の傷を睨みつけながら、洋太にそう言っていた。
まるで誉めるように高野が軽く肩を叩いた。その腕を振り払って殴れたらいいのに…コイツ、いつか殺してやる。物騒なことを虚ろに考えながら、今夜もこの腕に抱かれるのかと思ったら、吐き気がした。
□ ■ □ ■ □
洋太は俺が校門を潜って出てくるのを待っていたようだ。
俺の傍らには高野がいて、ヤツは気安く俺の肩に腕を回して下らないことばかり喋っていたが、洋太の姿を見止めると途端に胡乱な目付きで睨み据えた。
「光ちゃん…」
学校ではそんな呼び方をするな、目を付けられちまうから…と、あれほど注意したってのに、洋太はキツイ双眸をして俺を昔ながらの呼び方で呼んだ。
「ああ?なんだよ、デブッ。ウゼぇなぁ」
高野が俺を引き寄せながら片目を眇めたが、洋太はそれに怯まずにまっすぐに俺を見つめている。穴があったら逃げ込みたい気分だ。
「光ちゃん、僕との約束。思い出してくれた?」
「俺は…」
声が咽喉に張りついて、やたらカサカサに乾いた唇を舐めながら目線を泳がしていると、高野がムカついたように洋太の胸倉を掴んだ。
「よせ、高野!そいつはもう関係ないんだ!!」
俺が叫ぶように言うと、洋太は弾かれたように俺を見たし、高野は満足そうに鼻で笑って掴んでいた服を突き放すようにして離した。
そうだ、もう、関係ないんだ。
「…それが光ちゃんの答えなの?」
辛そうに唇を噛み締める洋太に、俺は視線を合わせないままで頷いた。
答えかだって?違うに決まってるだろ!この世界で俺ほどお前を愛してるヤツが他にいると思うのか?このバカ…
「だそうだぜ、長崎。残念だったなぁ、ええ?」
ゲラゲラと笑って高野に促されるままに俺は学校を後にした…吐きてぇ。