第一章.特訓!12  -遠くをめざして旅をしよう-

 根気良く説明を続けたルウィンが勝利したのはそれから暫く後のことで、片言の共通語と懸命に戦っていた光太郎が既にダウンしてベッドに大の字になって倒れ込んでいるその傍らで、小さな深紅の飛竜はパカッと大きく口を開いて欠伸をしている。
 光太郎が安らかな寝息を立て始めた頃に、ハイレーンの若い賞金稼ぎも壁に背を預けて、片膝を抱えながら双眸を閉じて息を潜めていた。
 中空に月が集う頃にはこの小さな村の住人は既に眠りの中で、星のざわめきさえも聞こえてきそうな夜のしじまにカークーの微かな息遣いが虫の音に混じって時折洩れ聞こえてくる。
 ルウィンの鋭敏な聴覚はそれら全てを正確に捕らえ、自然の紡ぐささやかな物音すらも何気なく聞いているほどだ。彼らの種族は魔と交わることによって得たものも少なくはないが、その分、それによって大切なものを見失ってしまったことも、また事実であった。
 夜の闇は永らくの友であり、また憎むべき仇でもある。
 双眸を閉じたルウィンが何事を思い、その静かな夜更けに思考を巡らせているのか、彼の小さな相棒には理解することができないでいた。
 小さな深紅の飛竜は傍らで寝息を立てる少年を起こさないようにと、左右のベッドに挟まれた床に静かに舞い降りてペタリと腰を降ろすと、その心の奥底までも見抜いてしまいそうなエメラルドの大きな双眸で、黒髪の少年の背中越しに見える窓から覗く月を見上げていた。
 月の前を雲が通り過ぎようとして、影絵のように浮かび上がる村や牧場に一瞬、天然のストロボが点滅すると、ふと、ルウィンの神秘的な青紫の双眸が姿を現して月を睨みつけた。

「来た」

 形の良い唇が微かに動いて低音のフレーズを紡ぐと、小さな飛竜はこの時を待っていたのだと言わんばかりの素早さでスクッと立ち上がって頷いてみせる。

《驚いたのね。こんな小さな村にシーギーが現れるなんて、何かの間違いなの。それを確かめるのね!》

 呟くように言った飛竜の傍らに降り立った長身の青年は、鞘に銀色の鎖が何かを封じ込めようとでもするかのように巻き付いた剣を片手で掴んで腰に下げながら、そんなルビアを見下ろした。

「お前はここにいてコータローを見張ってろ」

《…は?何を言ってるのね、ルーちゃん。護っていろの間違いなのね》

「いいや」

 ルウィンは人の悪い笑みをニヤリと浮かべると鬱陶しそうに銀色の前髪を掻き上げながら、肩を竦めて寝息を立てる光太郎を見下ろした。

「言葉どおりさ。どーせコイツのことだ、なんでも見たがって、目が覚めたら来たがるだろうからな。身動きしないように見張ってろ」

《…ふーん。先手必勝ってワケなのね》

 ルビアが呆れたように溜め息をつくと、ルウィンは肩を竦めて笑うだけで、何も言わずに部屋から出て行ってしまった。
 その長身の後姿を見送りながら。

《でもその約束が守られるかどうかは、約束できないのね…》

 ルビアが呟くように洩らしたその背後で、ガバッと起き上がった光太郎が口許を拭いながらキョロキョロと辺りを見回した。

『や、ヤバイよ!眠っちゃってた!!…って、あれ?ルビア、ルウィンは?…もしかして』

《その〝もしかして〟が正しいのね。ルーちゃんはシーギー退治に出掛けてしまったの》

『ええーッ!?…ってことは、足手纏いだから俺は置いてけぼりってこと~?』

 ガクッとベッドの上で両手を突いて項垂れる光太郎に、ひらりっと宙に舞い上がったルビアは《そう言うことなのね》と言って頷きながら彼の目の前に舞い降りた。

『…ねえ、ルビア。今から追いかけたら、やっぱりルウィンは怒るかな?』

 顔を伏せたままで恐る恐る尋ねる光太郎に、ルビアは無害な小動物のようにキュピンと大きなエメラルドの双眸を輝かせて覗き込むと、勿体ぶって大きく頷いてみせる。

『そんなー』

 伏せていた顔をガバッと上げて、今にも泣き出しそうな仕種でウルウルと涙ぐむ光太郎の縋るようなその眼差しに、あっさりと降参して白旗を振るルビアに約束を反故にしたことによるルウィンへの謝罪の気持ちなど微塵もない。

《…でも、ルビアがいなかったらピンチかもしれないのね》

 エメラルドの双眸で覗き込みながら小悪魔のように唆して追い討ちをかけるルビアに、まんまと騙された光太郎はハッとその瞳を食い入るように見つめていたが、ギュッと両目を閉じると、それから決意したように双眸を開いた。

『やっぱり追いかける!うん!ルウィンに何かあった後じゃ、絶対に後悔してしまうと思うから。だったら、ルウィンに怒られた方が絶対にいいに決まってる!』

 俺が怒られるから…そう言って膝立ちでグッと拳を握り締める光太郎が宣言するように言うと、ルビアはシメシメ…と思いながら尻尾をゆっくりと振ってにっこりと微笑んだ。
 結局、怒られる羽目になるのは二人なのだが、迂闊なルビアはしてやったりの顔で光太郎と共に部屋を後にするのだった。

 そんな迂闊なルビアの思惑になどちっとも気付いていないルウィンは、風が運ぶ、自然臭とは違う何か嫌な匂いに眉を寄せた。
 おおかた、シーギーの鋭い爪に殺られたカークーの断末魔が風に乗って瘴気を撒き散らしているのだろう。ルウィンは風に前髪を揺らして、中空にある月を見上げた。
 夜の農道は蛇が出そうで怖い…が、それをルウィンが恐れるかと言うともちろんそんなはずがあるわけもなく、スタスタと呑気に歩いて気配のある場所まで赴いている。そんなルウィンがさほど慌てた様子がないのには理由があった。
 シーギーは狩りをするとその場で喰らう習性があり、それは賞金稼ぎであるならば誰もが知っていることだ。しかし、月夜のシーギーは特に凶暴性を増していて、なんにせよ何かを犠牲に、この場合はカークーを一羽でも犠牲にしておかないと賞金稼ぎと言えども身体の保障はないのだ。あくまでも、身体の保障であるが。

「ま、賞金稼ぎに保障もクソもないけどな…ん?」

 月光の下で砂利を蹴りながら歩くルウィンが唐突に立ち止まると、同時に何かが、その鼻先を掠めてドサリッと重い音を立てて農道に転がった。途端にムッとする死臭が鼻腔を掠め、うんざりしたように眉を寄せるルウィンは腰に下げた銀鎖の剣を鞘ごと抜いて片手に持った。次の瞬間、安っぽい牧場の木の柵を飛び越えて、凶悪な何かが月光の元にその姿を現した。
 低い、地を這うような唸り声が夜陰のしじまを切り裂いた。

「こりゃ、驚いた!本当にシーギーかよ。ちッ、安っぽい獲物だな」

 舌打ちして、今現在生きて行くために必要なのは即ち金で、その金になる魔物を金としてしか見ることができない荒んだルウィンは、片手に持った銀鎖の剣をくるりと回転させて柄と先端を親指で掌に挟むように持ち、両方の4本の指をキチンと揃えて前方に突き出した。
 月明かりの下、魔物は巨大な鎌を持つ両腕を振り上げて、真っ赤な複眼を血塗れたようにギラつかせながら、奇妙な構えのルウィンが真一文字に持っている銀鎖の剣をクルクルと回しながら何事かを呟き、その足許に素早く文様を描く様を、シーギーはこの突然現れた小さな獲物が何を始めたのだろうかと不思議そうに見下ろして首を傾げるような仕種をしていたが、すぐに真新しい、それも極上の獲物に歓喜の雄叫びを上げて対の鎌をガチガチと鳴り響かせた。ちょうどその時、ルウィンは足許に奇妙な文様を描き終え、小さく息をついてニコッと笑っていた。

「…風園を統べる沈黙の主よ!」

 瞬間、ゴウッと凄まじい風が舞い上がり、魔物は得体の知れない突風に戸惑ったように一歩後退した。

「彼の者は謳われし者。蒼古の館に棲まう嘆きの静謐を司り、永らく語らう者よ!その永劫の導で眼前に巣食う闇を吹き消せ!」

 詠唱に併せるようにルウィンを取り巻いて風が舞い上がり、怯んでいたシーギーが襲いかかろうと鎌爪を振り上げたが、金切り声を上げて立ち往生してしまう。ルウィンが描いた足許の文様は発光して魔法陣を創り上げ、風に石が孕むと襲いかかるシーギーを食い止める、術者を護る為の一種の防護壁のようなものを完成させていた。

「お前にはこれぐらいで充分だ。よっしゃ、銀鎖の剣!一丁お手並み拝見!!」

 ニッコリ笑っていたルウィンは途端に凶暴そうにニヤリッと笑うと、暗闇に光り輝く魔法陣の中央に片手に持ち替えた銀の鎖が巻きつく刀剣を鞘ごと力任せに突き立てた!
 その瞬間―――…
 その剣を中心に大地から光と風が混ざり合った突風が襲いかかる。突風は魔物の身体を包み込むと、眩い光で戒めた。苦痛の絶叫を上げる魔物を尻目に、次の行動を予測して地面に突き立てた剣を引き抜きながらも、終わったな…とルウィンは思っていた。シーギーのレベルならば、この程度の術法で充分なはずだった。

「ッ!?」

 不意に一瞬、月が雲の裏側に隠れた時だった。本来ならば木っ端微塵に砕け散って然るべきシーギーが、風の名残を孕んでゆらりと立っていたのだ。ザシュッ…と、ルウィンの反応が一瞬でも遅れていたらその身体を貫いたはずの鋭い鎌爪が地面に突き刺さる。気配を察したルウィンは反射的に後方に跳んで、地面に片膝をついて目の前の魔物を呆気に取られたように見ていた。

「なんてこった。マジかよ!?ったく、オレもとんだお人好しだぜ…ちッ!クソッ、仕方ねーな!」

 忌々しく舌打ちして立ち上がったルウィンは、身体中からブスブスと煙を燻らせて地面に突き刺さる鎌爪を引き抜くと咆哮を上げる魔物を睨み据えながら、銀の鎖が戒めのように巻き付いた鞘から僅かに発光している刀身を引き抜いて構えた。
 と。

『か、カマキリのお化けだよ、ルビア!』

《こんなシーギーは初めて見るのね!》

 後方から上がった2つの声にギョッとしたルウィンは恐る恐る先端の尖った耳を上下させて、絶対に確認しなくてはいけないと判っているのだが、振り返ることを躊躇ってしまった。

『す、凄く大きいよ、ルビア!どうしよう、ルウィンが危ないよッ』

 実際、ルビア自身も初めて見る魔物に動揺していたせいか、光太郎に返事を返せないでいた。
 こんな武器で大丈夫かな!?と、不安そうな異世界の言葉にルビアの動揺の思念が被さって、嫌でもルウィンは振り返らなければならなくなった。その隙がルウィンを窮地に追いやるかもしれない…などと言うことは、長年傍にいたルビアにはどうでもいいことなのだ。
 ルウィンに隙が生じることなどあるはずがないことを、長いこと傍にいたルビアがもちろん知らないわけがない。長年培われてきたルビアとルウィンの信頼のようなものだろう。

「おーまーえーらーなぁ…」

 身構えたままで振り返ったその先には、パタパタと飛んでいる深紅のちび竜と、農夫の誰かが腕力を鍛える為に気紛れで作ったのだろう、玩具のような銅剣を構えた光太郎が立っていてルウィンは軽い眩暈を覚えた。
 へっぴり腰では玩具の銅剣すらまともに扱えないだろう。

「ルビア!オレは見張っていろと言ったはずだ」

 鋭い鎌爪がルウィンに襲い掛かって光太郎はアッと息を呑んだが、銀髪の賞金稼ぎは耳障りな金属音を響かせてそれを受け止めた。

《えー…っと、注意はしたのね》

 ウソだな…と、ルウィンは確信しながら素早い術法の言葉を呟いた。
 ギシャァアアア…ッ!!と、凄まじい絶叫を上げて魔物が複眼を押さえてのた打ち回ると、ルウィンはさらに剣の先で虚空に魔法陣を描く。

「る、ルウィン!戦うする、僕も!」

 本当は恐ろしくて足を竦ませているくせに、光太郎は重いばかりで役に立たない銅剣を構えて威嚇している。足がガクガク震えているのは恐ろしさの為なのか、重さの為なのか…健気なその姿は傍らで呑気に飛んでいる深紅のちび竜にこそ見習わせたいものなのだが、そこまで考えていたらルウィンは思わず笑いたくなってしまった。

「その件は後だ。言い訳をきっちり聞いてやるから覚悟してろ。クソッ!…大気に連なる古記の主よ!」

 ルウィンの言葉に反応したように、中空に浮かび上がる魔法陣がボウッと白い炎を吹き上げた。
 虚空に浮かび上がった魔法陣はホロホロと燃えながら青白い光を放つと、突然周囲に巻き起こった風に氷の刃が交ざる。ルウィンはスッと構えた剣で燃え上がる魔法陣の中心部を刺し貫いた。

「今こそ真実を償う時が来た。出でよ!我が道標となれ!!」

 剣を取り巻いていた白い炎が一瞬黒く燃え上がり、ルウィンを取り巻いていた氷風が意思あるもののように魔物に襲いかかった。
 ギシャァアアアア…ッと村中に響き渡るような断末魔の悲鳴を上げた魔物は、全身を凍りつかせると途端にバラバラと崩れてその場で融けると、地面にそのまま吸収されてしまった。

「終了!」

 ヒュウ…ッと冷たい風が村を吹きすぎると、ルウィンは白い炎の名残を留めた剣を一振りして払うと、落ちていた銀鎖の巻きつく鞘を拾いながら銀の前髪がハラハラと零れる額に血管を浮かべて振り返った。と、呆然と一連の出来事を呆気に取られたように見ていた光太郎は、ハッと我に返ってバタバタと怒れるルウィンに駆け寄った。

「ルウィン!大丈夫!?傷は?どこか!?」

 興奮しているのか、文法がてんでバラバラではあるものの何を言いたいのかは理解できたし、心配そうに覗き込んでくるその黒い双眸を見ていると、ルウィンには怒る気が失せてしまった。彼は彼なりに恐ろしかっただろうに、必死で心配する姿はいっそ健気だ。

(今回はその健気な心意気に免じて許してやろう…が!)

 ムッとした仏頂面で見下ろしていたルウィンは、その胡乱な目付きのまま素知らぬ顔でパタパタと背中の翼を羽ばたかせているちび竜を睨んだ。

「ルビア…」

《ルーちゃん!》

 地獄の業火に焼かれた亡者のような低い唸り声に被さるようにして、ルビアが慌てたように思念の声で語りかける。

《あんなシーギーは初めて見たのね!トーンシェリルで倒れないシーギーはいないの》

 不安そうな面持ちで周囲を旋回する小さな飛竜を、凶暴そうな視線のままでジロリと横目で睨みながらルウィンは溜め息をついた。

「暗黒の瘴気がこんな村にまで垂れ流しになってるんだろう。今夜のシーギーは強かった」

《ハイ・ブラッヂスクラスのルーちゃんのトーンシェリルも効かないし、デアデュラジオも効かないなんてヘンなの!リーブルに弱いシーギーが!》

 まんまと話をはぐらかしたものの、しかしそれは、先ほど駆けつけたときから感じていた違和感であり、疑問でもあった。

「まあ、簡単に言えば〝レゼル・リアナ〟の出現で世界の均衡が崩れてきている…と言う、あのエセ予言者たちの言い分が正しい…ってことだろ」

『???』

 ポンポンと耳慣れない言葉ばかりが飛び交う会話に、必死でヒアリングしながら彼らを交互に見ている光太郎から役に立たなかった重い銅剣を受け取りながら、ルウィンは肩を竦めて見せた。

「案外、竜使いってのは魔族たちの魔力を強める存在なのかもしれないな。それを制御するのが神竜…?そうすると文献とはえらい違いになるワケなんだが、まあ、これはオレの考えでしかないんだけど。日頃姿を見せないスライムと言い、さっきのシーギーだ。厄介なことにならなきゃいいんだが…」

 月明かりを背にして見下ろしてくるルウィンの物言いたげな双眸に、光太郎は頬を真っ赤にして小首を傾げている。それでなくても人間にはない美しさを持つルウィンに見つめられているのだ、ただの極平凡な高校生である光太郎が動揺しないわけがない。

『?』

 首を傾げる光太郎の頭を小さく苦笑しながらルウィンはポンポンと軽く叩いて、思いつめたような面持ちのちび飛竜の首をムンズッと掴むと目の高さまで持ち上げて、驚くルビアの顔を覗き込みながら意地悪く双眸を細めた。

「さて、そんなこたどうでもいい。取り敢えずお前たちには話がある。まずは部屋に戻って、それからだな」

 荒削りの血溝が彫られた銅剣の腹でポンポンと肩を叩きながら悪魔のように笑うルウィンから、ルビアが必死で逃げ出そうとしたことは言うまでもないが、首を傾げたままで話の見えない光太郎が困惑のし通しだったことも、もちろん言うまでもなかった。

 こってり絞られた翌日、ムッツリとしたルビアとヘコんでいる光太郎を引き連れたルウィンは、どんより暗雲を漂わせている背後の2人を前にニコニコ笑っている賞金稼ぎに困惑した面持ちの村長ラーディと対面していた。既に旅支度は整っていて、長居は無用だと判断したルウィンが早朝の出立を希望したのだ。

「…そうでしたか。竜使いの出現で村の付近にも凶暴な魔物が出没するようになりましてな」

 村長は持病の頭痛が再発でもしたのか、こめかみを軽く押さえて懐から丸薬を取り出すと口に放り込んで苦笑した。

「竜使いなんか死んじゃえ!」

《竜使いさまになんてこと言うのね!》

 村長の背後から顔を覗かせた少年は顔を真っ赤にして怒鳴ったものの、ルビアの剣幕にギョッとして泣き出しそうな顔をして後ろに隠れてしまった。

「これこれ、ゾル」

「ルビア!」

 ルウィンと村長がそれぞれを窘めると、少年はモジモジと村長の背後で泣いているようだったが、光太郎に抱き締められているルビアはムッとして口先を尖らせると、ブツブツ言いながら外方向いて光太郎の腕に頬杖を突いた。

「…ったく、子供じゃないだろ」

 結婚までしてるくせに…とルウィンが呆れたのは言うまでもないが、村長は可愛い孫の柔らかな頭髪を撫でてやりながら、光太郎に抱き締められている大切な村を救ってくれた賞金稼ぎのお供に頭を下げた。

「この通りですじゃ。どうか、許してやってくだされ。この子の両親は街に行く途中で魔物に襲われてしもうてな…とうとう帰ってこんかった。言葉が悪いのは大目に見てやってくだされ」

 しんみりと話すラーディに、光太郎は眉を寄せて悲しそうな顔をしたが、ルビアは《だからってどうして竜使いさまが関係あるのね》とブツブツとまだ悪態をついている。悪態は吐いているがそれ以上は何も言わないところを見ると、よほどルウィンに喰らった4時間説教が痛かったのだろう。

(レゼル・リアナ?…またその単語だ。そう言えば、確か初めて会ったときもルウィンがそんな単語を言ってなかったっけ?)

 光太郎は聞き覚えのある単語に眉を顰めて首を傾げた。

「ああ、このちび竜は気にしないでくれ。それよりも村長殿、ひとつ尋ねたいことがあるんだが…」

 改まった…いや、本来のルウィンらしい口調で尋ねると、村長は長衣の裾を握る孫の頭部から手を離して頷いた。

「なんですかの?」

「ここら一帯を治めているのは北の領主殿と聞いたんだが、ヴィール王国の次代後継者では?」

「…さようですじゃ」

 村長の言葉尻は暗かった。なるほど、やはりあの噂は本当だったのかと、ルウィンは村長や居並ぶ村人の反応で大体を予想した。

「我が国ヴィールはもう駄目ですじゃ。〝カルーズ・エア〟に竜使いが現れると諸外国の占者が予言してからと言うもの、有力な各国が挙って干渉しましてな。それでなくとも病弱であられる国王陛下が病に伏せられてから、王位継承者である北の領主皇太子殿下はコウエリフェルに骨抜きにされておりまして…我が村がたとえ貧困に喘ごうと、〝レゼル・リアナ〟探索の費用として用立てねばならぬ為に重税の軽減の見込みもありませぬよ」

 村人たちが顔を見合わせては溜め息をつく。
 どこの国も大変な今日だが、このヴィールは噂ほどには衰えてなどいないはずだった。

(重税の軽減か…北の領主は見た感じ賢い男のようだったけどな)

 まだルウィンが国からノコノコと逃亡していない10代の頃、彼は一度ヴィール王国の皇太子である北の領主に会ったことがあった。

(生意気なヤツだったから確か自慢の髪を切ったんだっけ?あ、思い出した。ヤツはバカな男だったな、そう言えば…と言うよりも今問題なのは、会うのは避けた方が得策ってことだ)

 今はまだ立太子していないとは言え、本来ならば立派に皇太子としての身分を持つはずのルウィンは、それでも事実上の強国ガルハ帝国の皇太子として対等に接しなければならない自分を、年下と言うだけで馬鹿にした態度をとったので、冗談半分の剣技の披露で北の領主のご自慢の長髪をバッサリと切り落としてやったのだ。その際、エヘッと笑って誤魔化しはしたが、かなり根に持っているとアンカーのモースが噂していたのを思い出した。

「いずれにせよ、コウエリフェルが干渉し続ける限りは、このヴィールに平和は訪れますまいよ」

 村長の溜め息に村人たちが全員で大きく首肯した。

「…ルウィン」

 不意にクイクイと服の裾を引っ張られて、ルウィンは傍らから見上げてくる光太郎を見下ろした。

「なんだ?」

 ルビアも首を傾げていると、光太郎は先ほどから飛び交う単語に首を傾げながらルウィンに質問した。

「カルーズ・エア…場所。初めて会う?」

 瞬間、ルウィンとルビアがギョッとしたように目線を交えた。

「グレイド・ボウ。融ける、服…レゼル・リアナ…」

 自分を指差しながらもどかしそうに話してはいるが、初めて会ったときの話ができそうな予感に光太郎は少し嬉しかった。超特急でここまで来たものの、そう言えば一度もルウィンたちと初めて会ったときのことを話していないことに気付いたのだ。

「黙れ!」

 突然、話を中断するように怒鳴られて、光太郎はビクッとした。いったい何が起こったのか、光太郎は一瞬、ワケが判らなくて身体を竦ませてしまった。

「ワケの判んねーことを言うな!お前の調子っぱずれたカタコトに付き合うのはもう、うんざりだッ」

 続けざまに言うルウィンを見上げたまま、光太郎は硬直してしまった…と言うか、その場にいた全員が、その美しい賞金稼ぎの恫喝に怖れをなして震え上がった。あのルビアまでもが、だ。

「ご…ごめんちゃい」

 服の裾を掴む手が震えていたが、離そうとはしない光太郎はビクビクしながら口を開いた。だが、それがまた思うように言葉にならなくて、泣きたくなった。

(ああ、どうしよう。またルウィンを怒らせちゃったよ…俺の言葉、本当は凄く聞き取りづらいに違いないのに…どうしよう、ごめんもまともに言えないなんて)

 ウルウルと今にも泣き出しそうな顔で俯く光太郎を暫く見下ろしていたルウィンに、村長がビクビクしながら詫びを入れた。

「も、申し訳なかった。いや、私どもが出過ぎたことを口にしたばっかりに、言葉を覚えようとしている彼には物珍しかったんですじゃろう。そう怒らんでください」

「ああ、いや別に…」

 ルウィンはハッとしたように我に返ったが、目を閉じると、スッと開いて村長に賞金稼ぎ特有の儀礼的な礼をした。

「任務終了の証を頂きたい。夜明け前には出立したいからな」

 霧の濃い村にはまだ朝日はなく、村長は慌てたように懐から出した書状をルウィンに手渡し、後金の小袋は拳で唇を押さえて泣き出さないように必死で頑張っている光太郎の胸元で、ハラハラしたように収まっているルビアに手渡した。

「風よ、疾くゆけ」

 人差し指と中指で挟んだ書状をフイッと一振りして空に投げると、鱗粉のような光の粉を振り撒きながら、どこからか現れた一人の妖精が空中でその書状を華奢で小さな両手でキャッチした。結んでいた革紐を自らの腰に巻きつけて、虹色の透明な羽を羽ばたかせると、可憐な容姿の妖精は悪戯っ子のように笑いながらルウィンにペコリと頭を下げて忙しくなく飛んで行ってしまった。
 その動作を見物していた村人たちは、初めて見る妖精の姿に感嘆の溜め息をこぼしていたが、ふと気付くと、件の賞金稼ぎは泣き出しそうな少年と心配そうな飛竜のお供を連れて、既に旅路に戻っていた。

「ああ、仲良くしてくれるといいんだが…」

 不安な面持ちで村長始め村人たちは固唾を飲んで見送っていた。

 ジメジメと落ち込んでいる光太郎は怒られたショックもあるのだろうが、このまま嫌われてしまったらどうしようかと不安を噛み締めて項垂れたまま、ルウィンの服から手を離そうとしないでいた。黙々と歩いていたルウィンは、自分よりも先を飛んでいるルビアが胡乱な目付きで小さな両手を組んで真正面からこちらを睨んでいるせいもあってか、いよいよバツが悪くなって口を開いた。

「判ったよ!ハイハイ、オレが悪かったです!」

《光ちゃんに謝るのね》

 そう言われて歩調を止めたルウィンは、俯いたまま足を止めた光太郎の柔らかそうな黒髪を見下ろした。ルウィンの気配に気付いて恐る恐る顔を上げた光太郎の、その双眸には涙がたまっていて、でも、絶対に泣かないぞと決意している表情は、申し訳なさそうに眉が垂れて情けなかった。
 その顔があんまり憐れで、ルウィンはあの場をやり過ごす為とは言え、ちょっと言い過ぎたかなと内心ではかなり反省している。

「えっと、まあその…」

 ルウィンが口を開くと、涙ぐんでいる光太郎は無理したようにニコッと笑ってごめんなさいと頭を下げた。

「言葉、カタコト。もう、言うしない」

「ああ、いや、そう言うワケじゃないんだ…」

 いっそのこと、お前は〝竜使い〟と呼ばれるファタルの遣いで、各国が挙って狙っている至宝の存在なのだと言ってしまおうか…と、ルウィンは葛藤に苛まされた。万が一教え聞かせたとしても、このポヤッとしている少年がどれほど理解できるのか、或いは、言ってしまって、下手な不安を覚えさせるのは今後に何か影響はしないだろうかと、ルウィンの懸念は答えをノーだと訴えている。

「…魔の森は、確かに初めてオレたちが出会った場所だ。スライムも見たよな?あの時お前、怖がってたもんな」

 クスッと小さく笑うと、光太郎は小首を傾げて聞いている。

「だが、そのことは忘れちまえ」

《ルーちゃん?》

 驚いたようにパタパタと飛んできたルビアを片手で払いのけて、ルウィンはキョトンとしている光太郎を見下ろたまま、今までにないほど真摯な双眸をした。
 光太郎はドキッとして頬を赤らめたものの、その発言が何を意味しているのか、必死で理解しようと耳を傾けた。

「そして誰にも言うな…魔の森なんか覚えていなくてもいい。スライムも、レゼル・リアナもだ。お前は謎の多いカタ族の出身で、道に迷ったところをオレに拾われた。行く場所がなく、オレが養っている。それでいいじゃないか」

「言う、しないがいいですか?でも、喋る、楽しい。いいですか?」

「もちろんだ。オレはまあ、お前のカタコトの言葉はけっこう好きだし…」

 ちょっとムッとしたように唇を尖らせるルウィンの、その雪白の頬が僅かに朱色に染まっているのは、どうやら珍しく照れているのだろう。ルビアはいまいち納得できていないものの、光太郎は昨夜の延長線で腹を立てているルウィンの剣幕が、魔の森と言うキーワードで爆発させてしまったのだと理解していた。
 ルウィンがいれば大概のことは全てうまくいく。何より、光太郎は少しでも長くこの銀髪の風変わりな賞金稼ぎの傍にいたいと思っていた。その人が困るのなら、自分が黙っていればいい。
 光太郎は納得して大きく頷くのだ。

「僕も、ルウィン大好き!喋る、楽しいッ」

「…へ?」

 ガバッと抱きついて現金な光太郎はホッとしたように笑った。抱きつかれたルウィンは先端の尖った耳を照れ臭そうに上下させて見下ろしていたが、ルビアがジーッと見つめているのに気がついてハッとしたように我に返った。

「わ、判ったからさっさと行くぞ!そら、ルビアもチャキチャキと先に進め!」

 慌てたように抱きつく光太郎を振り払って歩き出すルウィンの後を、ルビアの呆れたような呟きが追いかける。

《ルーちゃん、素直じゃないのね》

「余計なお世話だ。ほっといてくれ」

 初めて出会ったとき、炎の前にいたルウィンはとても綺麗で、そして寂しそうだった。
 世界から切り取られているのは迷子の自分の方なのに、そこにそうして座っているルウィンの方が、まるで孤独で独りぼっちのように思えたのはなぜなのだろう?…光太郎はそうして、何気なく彼と行動を共にしている間に、彼が持つ不器用な優しさに気付くようになっていた。仏頂面で無愛想なルウィンの傍にいるのはとても楽しいし、初めて見たものに雛鳥が懐いてしまうように、光太郎が絶対的にルウィンを信頼するようになるのにそれほど時間はかからなかった。
 何が起こっても、この人についていこう。

(たぶんきっと、その言葉は言っちゃいけないんだ。ルウィンがそれでいいと言うなら、俺だってそれでいい)

 きっと迷惑だろうに…それでも、律儀に世話を焼いてくれる飄々としたルウィンを、信頼してついていくんだと決めたのは自分なのだ。
 光太郎はグッと両手の拳を握り締めた。
 ふんっと鼻を鳴らして外方向くルウィンと、クスクス笑っているルビアを見比べていた光太郎だったが、さっさと歩き出す銀髪の風変わりな賞金稼ぎのその後ろ姿を追いかけて、彼について行くんだと改めて決心したのだった。