1  -悪魔の樹-

「お兄さん、そこのお兄さん」

 呼ばれたような気がして振り返れば、そこにはいかにも胡散臭そうな灰色のローブを着てフードで顔を隠した占い師らしき怪しいヤツが、覗いている口許をニヤニヤさせながら手招きなんかしている。
 う、思い切り怪しい。
 今日は試験で思うような点を弾き出せなかったから、それでなくても鬱陶しい顔でもしてたんだろうか、安っぽいパイプ椅子に腰掛けて、壊れかけたような机には薄汚れたクロスを掛けただけの、いかにも怪しい呪いで生計は立っていませんとでも言いたそうなその占い師は上機嫌で俺を手招いては「早く来いよ」と急かしているようだ。
 嫌だ、行きたくない。
 素直な感情をそのまま出せれば俺だって天晴れなんだけど、17歳にもなって自己主張できない優柔不断な性格では、内心で喚きながらも押しの強い手招きに負けてフラフラと近付いてしまった。
 ああ、馬鹿だ。

「よく来たね。ヨッシヨシ!んじゃ、そんなお兄さんにはこれをあげよう」

「…は?いらないです」

 手渡されたグロテスクなものを、俺は「うわぁぁぁ…やっぱ来るんじゃなかった」とメチャクチャ後悔している薄ら笑いを浮かべて、懇切丁寧に妖しい占い師の手に突き返して差し上げた。

「…!」

 掴んだ手が、異常に冷やりとしていてビクッとしたら、フードから僅かに覗く口許を一瞬キョトンと噤んだソイツは、途端にニヤァ~ッと笑って犬歯を覗かせたんだ。

「ほら、木枯らしが吹いててね。ここはとても寒いんだ。あと、コイツを捌かさなきゃ帰れないんだよね。ね?だから、あげるって♪」

「いや、俺、そんな趣味はないッス」

 俺たちの間で押し問答されている茶褐色のソレは…見るからに、俺の股間にもぶら下がってるヤツと同類じゃないか。そりゃ、干乾びかけてはいるけどな。
 とは言え、勿論本物じゃないのは判ってるけど、どう見てもエグイしキモイ。

「んん?なんか、勘違いしてないかい?お兄さん。これは『悪魔の樹』と言って、ちゃんと育ててやればアラ不思議、悪魔が誕生しましたとさ。と、言う世にも不思議な…って、ああ!逃げるな逃げるな!!」

「いらないッスよ、いりません。そんな胡散臭いものはそこら辺に捨ててさっさと帰ればいいじゃないですか!」

「うっわ、マジで非道いね!こんな寒空の下でガタガタ震えながら頑張ってるのに、そんな言い方はないでショーが!コイツはね、ちゃんと育ててやればキッチリ言うことを聞いてくれる、大変重宝な悪魔の奴隷が誕生する世にも得難い魔法の樹なんだよ?」

「…はいはい。じゃあ、アンタが育てればいいじゃねーか」

「…」

 フードの男は優柔不断を絵に描いたようなこの俺が、まさかここまで強情を張るとは思っていなかったのか、それまでのお茶らけた態度を改めるように口許を引き締めると、スッと冷たい人差し指を伸ばしてビシッと俺の顔を指差すと、事も無げに淡々と言い放ったんだ。

「お兄さんさぁ、今度の試験で赤点取ったら留年ケテイでショーが」

「う!なな、何故それを!?」

 的を得たような俺の反応に、フードで顔半分を見事に隠したソイツは、一瞬、鬱陶しいほど伸び放題の前髪からキラリと光る瞳で睨んでから、ニヤァッと笑って肩を竦めやがるのだ。
 そうだ、今日俺は、担任の小暮先生から「この次、欠点を取ったら残念だけど、留年だ」と言われてしまっていた。それだけに憂鬱になっちまってて、だから、こんなワケの判らん占い師なんかにとっ捕まっちまったんだろう。

「そんなのはね、占い師なら当然判るものですよ。だから、この『悪魔の樹』を持って行きなさいって。悪魔は叡智を持ってるからね、教えろと命令すれば姿を隠してでも耳元に答えを囁いてくれるよ。これは悪いことではないからね。ちょっと、他の人より近道をしているだけなのさ」

「…」

 だからと言って、ソレをポケットに入れて家に帰る気には、どうしてもなれない。
 干乾びた野郎のポコチンなんかよー…トホホ。

「帰ってから直ぐに水をあげて、そうすればちゃんと葉をつけるから」

「…へ?葉っぱが出るのか??」

「当り前でショーが。これを何だと思ってるんだ?あくまでも『樹』だよ」

 う、改めて言われると俺の方がヘンなことを妄想しているようで、却って気恥ずかしくなってしまった。

「うう…なんか、よく判んねーけど。人助けだと思って貰ってやるよ」

「うははは♪そうこなくっちゃね。んじゃ、はい」

 『悪魔の樹』、なんつー世にも胡散臭いものを成り行きと勢いだけで手に入れてしまった俺が、途方に暮れたようにその干乾びてしまってカサカサのソレを見下ろしていたら、フードの男がニヤニヤ笑いながら片手を突き出してきたんだ。

「へ?」

「毎度あり♪もちろん只じゃないでショーが、普通」

 うげ!なんか、悪徳詐欺に引っ掛かった気分だぞ。

「金を取るのかよ!?んじゃ、いらない」

「バッカだね!金を取るからいいモノなんじゃないか…そうだね、お兄さんは最後のお客さんだから、特別に100円でいいよ」

「グハッ!さらに胡散臭ぇぇッ」

 ニヤニヤ笑うフードの占い師に、それでも今更突っ返すのもどうかと思って、まあいいや、消しゴムでも買ったと思って諦めるか。
 募金だ、募金。
 そう思ってポケットから財布を取り出すと、俺んちは片親だから晩飯の用意を頼まれてて、その日の買い物をするための1万と小銭は100円玉が1個しか入っていなかった。

「お釣りがね、ないワケよ」

 伸び過ぎて鬱陶しい前髪に灰色のフード、少し大きめの口許がニヤァッと笑って胡散臭い男が肩を竦める。
 俺の所持金を知っていたのか…いや、そんなまさか。

「…アンタを信じたワケじゃないけど。これはあくまで!募金だからなッ」

「ククク、いいよ」

 咽喉の奥で笑ったソイツは、俺が突き出した100円玉を恭しく受け取ると、銀色に光る硬貨にニヤッと笑ったままでチュッとキスをしたんだ。

「毎度あり♪」

 そんな胡散臭いフード男とは、一刻も早くオサラバしたいと思っていた俺は、グロテスクでエグくてキモイ、そのなんとも言えないモノを学ランのポケットに突っ込んでから、学生カバン代わりのスポーツバックを抱え直して歩き出そうとした。
 その背中に。

「あ、そうそう。お兄さん」

 胡散臭い灰色フードの男が、ついでのようにヒョイッと声を掛けてきたんだ。

「なんだよ、まだ何かあるのか?」

「あるある、大あり」

 雰囲気通り怪しいほど軽い口調でそう言ってから、フード男は鬱陶しい前髪の隙間から、キラキラ光らせている双眸を微かに覗かせて俺を見据えているようだ。

「その樹には、水以外の液体をかけてはダメだよ」

「…は?お茶とかダメってことか??」

「そうそう。それと、唾液とか、精液とかね」

「…はぁ?」

 フード男は意味深にそんなことを言ってから、途端に陽気にウハハハッと笑いやがったんだ。

「涙もダメだよ。ただ、汗だけはなぜかいいんだけどね。あと、凄い誘惑があるかもしれないけど、それはまぁ、ほら『悪魔の樹』だし?困難を乗り越えてこそ最強の奴隷を手に入れられるってワケだから♪」

「…かけたら、どうなるんだ?」

 恐る恐る聞いたら、フード男は一瞬ニッと笑って口を噤んだけど…

「…まあ、なんとかなるよ」

 なんなんだ、その間はぁぁぁ!!

「いらん!やっぱ、こんな胡散臭いモンは返す!!」

「ナマモノですので返品不可」

 ニコッと犬歯が覗く口許を笑みに象ってから、男は凍えてしまって冷たくなった掌でポンポンッと、嫌がる俺の肩を叩いてそんなことを抜かしやがった。
 う…そう言われてしまうと、根が単純な俺は掌の中にもう一度掴んでしまったそのエグイもの、根元にはちゃんと根っこが生えてるんだけど…それがまた、なんとも…ただ、干乾びているから枝みたいに細くなっているソレを見下ろして、仕方なく溜め息を吐いた。

「判ったよ。返品はしないから、どうなるかぐらい覚悟させろよ」

「…そこまで言うなら。主従関係が逆転するってだけだ」

 コーヒーはホットだよ、と気軽に注文するような気安さで言った男の顔を、俺が青褪めてマジマジと見詰めたことは言うまでもない。

「…何日ぐらいで悪魔ができるんだ?」

 青褪めはしたものの、まだまだ半信半疑だし、もうどうでもいいやと投げ遣りな気持ちで頭を掻きながら聞いたら、男は少し考えてから頷いた。

「人にも因るけど、お兄さんの場合だと早くて2日、遅くても5日ぐらいかな?」

「そんなに早いのか!?」

「うん、花はゆっくり3分で咲いてから、10秒で枯れる。すぐに種ができて、そこから生まれるんだ」

「そ、そうなのか」

 花は3分も費やして咲くってのに、たった10秒で枯れるなんて…どうなってるんだ、この植物は。
 蝉よりも哀れじゃないか。

「悪魔は本当の名前は教えてくれないけど、それでも、必ず聞き出すといいよ。方法はお任せするけどね」

「…へ?どうしてだ」

「それは…より深い契りのためさ」

「…ワケ判らん」

 はぁっと溜め息を吐いて頭を抱え込みたくなった俺を、それまであんなにニタニタ笑っているだけだった灰色フードの男は、ふと笑みを引っ込めると、冷え切った手で口許を覆うようにしてボソボソと何かを言った。
 よく聞こえなかったけど、「最高だ」とかなんとか、そんなことを呟いていたようだ。

「はぁ…もういいや。面白い悪魔が生まれるように頑張ってみるよ」

「あ、もうひとつ忘れるところだった!」

「はぁ!?まだ何かあるのかよッ」

「うん、毎晩心を込めて…」

 そう言ってから、灰色フードの男はニィッと笑ったんだ。

「根元を扱いてやるんだよ」

「はぁ!?」

「そうすると生育が良くなるんだ。すぐに大きくなる」

「ぜ、絶対にそれをしないといけないのか??」

 思わず目玉が飛び出るほど驚いたってのに、俺に胸倉を掴まれて揺す振られている怪しいフード男は、シレッとした顔をしてなんでもないことのように頷いたんだ。

「まあ、植物を育てる時に肥料をあげるでショ?それと一緒だって思えば判り易いかな」

「…アンタ、俺をからかってるんだろ?」

 ジトッと胡乱な目付きに睨みつけてやったら、フード男は途端にムッとしたように口許を引き結んでから、ちょっと唇を尖らせた。

「からかうつもりだったら水遣りの件は教えません。あくまでも、最強の悪魔が生まれるように心から協力しているだけです」

 それまでの軽い調子なんか嘘だったかのように、灰色フード男は懇切丁寧な口調でそう言ってくれた。
 だから余計に俺が萎えちまったとしても、致し方ないと思う。

「はぁぁぁ…判ったよ。んじゃ、俺、もう行くよ」

「はいはい♪『悪魔の樹』の3つの約束を忘れないようにね。1に『水以外はやるな』で2に『根元を扱く』、それから3番目は尤も重要な『悪魔の名前を知ること』。この3つの約束は絶対に忘れないように!」

「へいへい」

 いつまでもこの寒空の下に立って、こんな下らない話ばかりしているのもどうかしてると思った俺は、やれやれと頭を振ると、後ろ手に手を振って別れを告げてから仕方なくトボトボと一路、商店街を目指すのだった。
 その時はもう、あの灰色フードの男も引き止めることはしなかったけど、もう見慣れてしまったニヤニヤ笑いを浮かべたままで「またね」と手を振っていた。
 できればもう二度と、アンタとは会いたくない。

 家に帰ってから、2歳下の弟と会社帰りでは何もしてくれない父親の為に猛烈な勢いで夕飯を作ってから、貯まりに貯まっている洗濯の山を片付けて、風呂を用意してグルグル目を回して、全てを終わらせて気付いた時には23時を大幅に過ぎていた。
 クタクタになった風呂上りでベッドに寝転がろうとして、ふと、脱ぎ散らかしていた制服のポケットから露骨なモノが転がっていて、俺は真っ赤に赤面すると「うわぁぁぁ」と叫びながら慌ててソレを拾い上げた。
 ゲーム貸せよと、勝手にズカズカ入って来る弟に!お父さん、ワイシャツの替えが何処にあるか判んないとクスンと泣きそうになって入ってくる父親に!んなモン見つかったらなんて言われるかッッ!!
 弟にいたってはシレッとした冷たい双眸で、兄貴の趣味ってそんなモンだったのかと蔑まれて、一生ヤツの奴隷になってしまう。父親はショックを受けたらそのまま気絶して、次の日には俺は病院送りになってるだろう。
 どちらにしたって、けして愉快な結果にはならない。

「…悪魔の樹かなんだか知らないけど。お前も厄介なヤツだよな。はぁ、でも俺に貰われて感謝しろよ。なんかの植物なんだろうから、ちゃんと育ててやるよ」

 とは言ったものの、母さんが死んでから植木鉢なんてお目にかかってもないし、まあ仕方がない。
 俺はみんな部屋に戻ってしまってガランとしたダイニングに行くと、もうヒビが入っていて、いつ割れてもおかしかないだろうってな大きなお椀を持って外に出ると、庭から土を掘ってお椀に入れ、それから2階の自室に戻ったんだ。
 薄暗い部屋にはデスクの電灯がほの暗く室内を照らしているだけで、そうでもしないと、こんなグロテスクなモノを抓んでせっせとお椀に植えてる姿なんて…誰にも見られたくないし、自分だって見たくない。だからわざと薄暗くしているんだけど、こっちの方が却って怪しかった。
 迂闊だ、俺!

「やれやれ、こんなモンかな?さてと、水以外は遣っちゃダメだったよな」

 デスクの上に置いた『悪魔の樹』にコップに汲んできていた水をかけてやりながら俺は、そうだ、紙かなんかに忘れないように3つの約束を書き留めておこうと思っていた。
 3つの約束なんて…なんかの映画で観た内容に似ていないこともないけど…まあ、胡散臭いフード男の言葉なんか信じるつもりはなかった。でも、それでもこんな見たこともない植物の育て方とか判らないし、少しは忠実に従ってやろうとは思う。
 はぁ、俺も厄介なモンを押し付けられちまったよな。
 でも、いつもそうなんだ。
 母さんが死んだ時も、結局、俺が家事全般をする破目になったし…家事とか、こんな晩くまでしなきゃいけないから、勉強だって追いつかない。
 いや、完全に言い訳なんだけど。
 頑張れば勉強だってできるはずなんだ、なのに俺は、この環境にどっぷり嵌ってて、「逃げ」の口実にしているに過ぎないんだ。
 だから、『悪魔の樹』なんて恐ろしい名前のものを押し付けられちまったんだろう。

「ダメダメだなぁ、俺…って、ん?」

 水をやった後に溜め息を吐いて考え込んでいる間に、どうやら『悪魔の樹』はたっぷりの水に生き返ったようにシュゥシュゥ…ッと、なんか根元から煙が出てるんですけど…

「なな、なんだ!?水だぞ!おい、水を遣ったんだぞ!!」

 どうしてこんな変化が起こるんだ!?俺は聞いてないぞ!!
 思わず椅子から仰け反っていると、煙みたいなものを撒き散らしていた『悪魔の樹』は漸く落ち着いたのか、少しは煙を纏ったままで…立派なチンコになっていた。
 ああ、くそ。
 なんだよ、俺の部屋って。
 思わず椅子に腰掛けたまま髪の中に指先を突っ込んでガックリと項垂れていたけど、いつまでも項垂れっぱなしってのもどうかしてるし、かと言って、水気を帯びて却ってぬらぬらとグロテスクになっちまったチンコを前にするってのもなぁ。
 どちらにしたって気も引ければ腰だって抜けそうだ。
 あ、そうか。
 3つの約束のもうひとつに、根元を扱くんだったっけ。
 それじゃやっぱり、立派なチンコじゃねーか。
 あの灰色フード野郎…はぁぁ…でも、この際だ。
 どーせ騙されてるんだから、こんなのただの大人の玩具だと思って触ってやろうじゃねぇか。
 いや、正直に言えば嫌だけど。物凄く、嫌だけど…好奇心の方が勝ったってのはナイショさ♪
 そーだ、どうせならじっくり観察してやろうじゃねぇか。育ててもらってるんだから、お前だって少しぐらいは我慢しろよ?…とか、喋ることもしない植物に俺ってば何を言ってるんだか。
 ぬらぬらと水気を帯びて、デスクの光を凶悪に反射させるその男の逸物と見間違えても、ちっとも全く全然おかしかないソレは、よくよく見れば確かに植物…それも硬質な皮を持つ樹だ。そもそも既に怒張しているソレは、まるで生々しく浮かんでいる血管みたいなものを巻きつけているけど、どうやらそれも木の皮が変質してできただけのモノのようだ。

「…んだ、やっぱちゃんとした樹だったのか。うわ…また俺、なんかヘンなこと考えちまってたぜ。でもなぁ、お前も悪いんだぞ。こんな見掛けチンコですってな姿しやがってさ」

 ガックリと脱力してしまって背凭れに項垂れてしまった俺は、それでも片手で真っ赤になってしまった顔を覆いながら、ムッと唇を尖らせて逸物もどきの『悪魔の樹』を胡乱に睨むと指先でピンッと弾いてやった。
 微かにふるふると震えはしたものの、それ以上の反応は何もない。

「いや、当り前だって」

 はぁ…っと、本日何度目かの溜め息を吐いてから、俺はそれならもう大丈夫だと思いながら、灰色フードの男が言っていたように根元をギュッと掴んでみた。
 なぜか、たぶん気のせいだとは思うんだけど、手の中でその、並の男よりは大きいだろうと思えるそれが、一瞬ブルッと身震いしたような気がしたんだけど…いや、まさかな。
 恐る恐る上下に扱いてみたら…思った以上に滑らかな手触りで、硬質な樹にしては少しやわらかくて、掌に吸い付いてくるような感触には思わずうっとりしてしまう。

「いかん!相手はチンコもどきのただの植物だぞ!!」

 何をうっとりしてるんだ、俺よ!!
 思わずギュッと『悪魔の樹』を掴んだままでウガーッと叫んでいたら、隣の部屋からドカッと壁を蹴る音が聞こえて、どうやら弟が「うるせーッ」と無言の抗議をしたらしい。
 言葉よりも先に足の出るヤツだからなぁ…
 スマンと片手で隣の部屋を拝んだ後、俺は手にしている『悪魔の樹』をもう一度、ズッズ…ッと扱いてみた。その手触りと、この異常な状況が相乗効果になったのか、ついつい一心不乱で扱くことに夢中になっていた。
 指先に冷やりとした液体が触れて、その時になって漸くハッと我に返った俺は、気恥ずかしさに思わず真っ赤に赤面して、耳まで真っ赤っかだ。これじゃあ、誰が見たって茹でタコじゃないか。
 トホホホ…でも、待てよ。
 なんか今、手が濡れたような気がしたんだけど…

「って!なんだ、これ!?なんか出てる…」

 俺の手をねっとりと濡らしているソレは…明らかに亀頭部分にしか思えない先端部分の、ちょっと窪んだところからプクリと浮かび上がった雫が、とろとろと俺の手の動きにあわせるようにして零れていたんだ。
 あ、なんだ。

「…これって、樹液か何かか?クッソ、灰色フード男め!こんなの聞いてないぞ」

 思わず濡れそぼってしまった手を離してティッシュか何かで拭こうとしたんだけど、フワリと鼻腔を擽った匂いがあまりに甘くて、桃みたいに爽やかだったから…だから!その、好奇心。
 うん、好奇心でちょっと、ほんのちょっと、舐めてみたいって思っちまった。
 顔を真っ赤にして、とろりと掌を濡らす『悪魔の樹』の樹液に、恐る恐る震える舌を伸ばしてペロリと舐めたそれは、一瞬ビリッと舌を痺れさせたけど、身体中に染み渡るような甘い、甘い桃の味が溢れていたんだ。
 思わずうっとりしてしまう匂いの渦と、その甘さに、俺は貪るようにして甘い樹液に濡れた指先を嘗め回していた。
 一度知ってしまうと、その味は忘れられなくて、もう掌にはどこにもついていないしで俺は、ふと『悪魔の樹』に魅入ってしまった。
 『悪魔の樹』はなんでもないように、ただヒッソリと勃起したまんまの逸物みたいにぬらぬらと、あの甘い樹液に塗れて屹立している。

「…甘い。もっと、もっと舐めてみたい…」

 思わず声が上擦っていて、それなのにどうして俺はおかしいっておもわないんだろう?
 頭がボウッと上気していて、もう、目の前にある『悪魔の樹』しか見えていないのに。
 唾液に塗れた掌を伸ばして扱けば、身震いするように『悪魔の樹』は震えて、先端の窪みからプクリと液体を溢れさせる。指先についた甘い樹液を舐めて、それから両手で扱いてさらに、もっとたくさん溢れさせて…

「…ッ……ハゥ…ん」

 別に、何が厭らしいってワケでもないのに俺は、妙に興奮していて、片手で『悪魔の樹』を扱きながら、気付いたらパジャマの裾から忍び込ませていた片手で自分の陰茎に触れていた。
 甘い『悪魔の樹』の樹液に塗れた指先で扱けば、すぐにムッとする桃の匂いが広がって、陰茎がビクンビクンッと震えていた。いつもよりも数倍感じていて、俺は知らず目尻から生理的な涙を零しながら掌に零れる樹液を舐めていた。

「ん……んふ、…ア……もち、いい…ッ」

 誰かが、もっとと要求する。
 頭の片隅で、もっと甘い樹液を啜りたいと熱望している。
 そんなのはきっと錯覚で、快楽と甘い匂いに溺れた俺が聞いた幻聴にすぎないんだろうけど…俺は、目尻を赤く染めたままで、胸の奥底から湧き上がる『悪魔の樹』の樹液を啜りたいと言う欲求のまま、口を開いて、いつもの俺なら信じられないって言うのに、その時はごく自然に『悪魔の樹』を咥えていたんだ。

「ん…ふ…んん……あま…ふ、……ッ」

 ちゅうっと先端から零れる樹液を吸って、それから零れて濡れ光る根元にも舌を這わせて、そんな行為が脳内にある快楽中枢でも刺激したのか、ビクンビクンッと震える陰茎を思う様、濡れた音を響かせて扱いていた。

「ふぁ…ッ……んぁ、はぁはぁ…あ、も、出る…ッ」

 頭も、口も、陰茎も…何もかも犯されているような錯覚を感じて、俺はむずがるように涙を零しながら『悪魔の樹』に吸い付いて、久し振りに味わう快感に自分の鈴口を人差し指で穿って、その快楽に身悶えながら一気に扱いて射精していた。
 パジャマの中、パンツともどもしとどに濡らして俺は、濃くてどろりとした精液を吐き出しながら、凶悪で厭らしく…そして、甘く誘惑する『悪魔の樹』を舐め続けていた。
 その甘ったるい匂いに、暫く痺れたように酔いながら…

「どど、どうしよう」

 ハタと我に返った俺は、自分の指を濡らすモノが『悪魔の樹』の樹液なのか、それとも自分が放ってしまった精液なのか、もうよく判らなくなってしまった両掌を見下ろしたまま、呆然と青褪めていた。
 パジャマもパンツも乾いてガビガビになり始めているし、そうすると、愈々1番目のお約束を思い切り破ってしまった事実が愕然とする俺に、嫌でも今までのことが夢でも幻でもないと思い知らせてくれる。

「思わず、思わず舐めたりしゃぶったり、精液塗れの指で扱いちまった!おい、大丈夫か!悪魔の樹ッッ…って、ん……ッ」

 思わず『悪魔の樹』の変化が気になって覗き込もうとしたら、甘ったるいあの匂いが鼻腔を擽って、またしてもトロンッと瞼が閉じそうになってしまった。

「う…い、いかん!流されるな、俺!悪魔、悪魔の樹は大丈夫なのか??」

 匂いに頭をクラクラさせながらも、デスクの上でぬらぬらと濡れ光っている『悪魔の樹』を見詰めて、濡れている以外には何の変哲も見せない植物に、思わずホッと溜め息を吐いていた。

「…な、なんだ、何もないじゃないか。よかった。あの灰色フード野郎め!嘘吐いたんだなッ」

 それとも、もしかして樹液に毒があったりして…うお!?俺、マジで即死だったんじゃ??
 そう思ったらメチャクチャ怖くなったけど、よく考えてみたら身体はピンピンしてるし、何より、一発抜いたから頭がスッキリしていたりする。
 うははは、なんか現金だなぁ、俺。
 これだと、今度のテストはバッチリいけそうな気がしてきた。結局…俺ってば欲求不満だったのか??
 顔を真っ赤にして独りで騒いでいたら、俺の目の前にいた『悪魔の樹』はゆっくり、茎の部分から細い枝を伸ばしたんだ。それは、あの血管だとばかり思っていた部分で、ゆっくりと幹から剥がれるようにして細長い枝を伸ばすと、それから小さな葉っぱがシュルシュルと開いた。

「あ、葉っぱだ…ホントだな、葉っぱが出てきた」

 そうして見ると、確かにまだまだグロテスクでエグクてキモイんだけど、ちゃんと立派な植物に見えてきたから不思議だ。

「…なんか、エッチなことに遣っちゃって悪かったなぁ。うわ、すげー俺ってば恥ずかしい。ごめんな、悪魔の樹!」

 そう言ってから、時計に気付いて、うお!?もう2時じゃないか。
 いったい、何時間遊んでたんだ!!?
 くはー、もうすげー恥ずかしいのな。
 俺は弟や父親に見つけられでもしたらコトなんで、置いてあった本を出して開いた空間に『悪魔の樹』を納めると、それからカモフラージュにイロイロとモノを置いたんだ。こうすると、面倒臭がりの弟は手を出さないし、家事全般を任せっきりの父親は見ようともしないだろう。
 横にあるものも取らないような父親なんだ、俺の部屋に来る時はワイシャツの替えがない時か、買い置きの煙草のある場所が判らないか、それから腹が減った時ぐらいだ。
 弟以外は悩むことは全くない、天晴れ陽気な我が家族ってな。
 ホント、何言ってんだろ、俺。

「さてと、悪魔の樹も仕舞ったことだし、俺も寝るか」

 早ければ2日、遅くても5日で悪魔ができるのか…なんか、絶対に嘘くせぇって完璧に思ってるんだけども、頭の何処か片隅では、できるかもしれないとか期待している俺もいるんだよな。
 どんな悪魔なんだろう?
 やっぱり、角とか生えてて、牛みたいな顔してて、蛇がうじゃうじゃ出てくるんだろうか…嫌だ。
 そんな悪魔はやっぱり嫌だ。
 できればカッコイイ悪魔がいいなぁ…でも俺、ヘンなことしちまったから、淫魔とかできたりして。
 うわぁ、精気吸い取られて干乾びて死ぬのなんて嫌だなぁ。

「悪魔の樹、お願いだからカッコイイ悪魔を作ってくれよ」

 物の影に隠れてしまったえげつない『悪魔の樹』に、俺は馬鹿みたいに両手を合わせて拝んでいた。
 神だとか仏じゃなくて、悪魔だって言うのに、俺はホントどうかしてる。
 眠い目を擦りながら、明日は晴れたらいいなぁと、ベッドに潜り込みながらぼんやりと考えていた。
 『悪魔の樹』も、早く大きくなれ。