第二部 5  -悪魔の樹-

 アスタロトに導かれるままに、曲がりくねった回廊を進む俺たちの後を、灰色猫は無言でついてきていた。なぜ、灰色猫がついてくるのか、不審に思ったアスタロトが眉を顰めて尋ねてみても、小さな猫は大きな金色の瞳で俺を見上げるだけで、派手な悪魔の問い掛けには答えない。
 それでも、別に気を悪くもしていないアスタロトは、大きな扉の前で立ち止まると、うっふんと色っぽい眼差しで灰色猫を見下ろすと、俺の頬に頬擦りしながら蠱惑的に笑いやがった。

『ついてくるのは構わないんだけどぉ…ねぇ、ベッドの中まで覗くつもり?』

『…アスタロト様、レヴィアタン様はああ仰いましたが、どうかその奴隷だけはお許しを…』

 灰色猫らしくない弱々しい声音に、ベッドの中と言う単語が脳内をグルグルしている俺は気付かなかったんだけど、アスタロトは訝しそうに綺麗に整えている見事な柳眉をソッと細めたんだ。

『…灰色猫タン。君、どうしたの?やけにこの子にご執心ね』

『どうか、アスタロト様』

 取り澄ました表情であるはずの猫は、まるで切迫したように胸元で小さな両前足を拝むように合わせて、必死に怠惰な生活を好んでいそうなチャンランポランっぽいお惚け悪魔を見上げている。

『理由を聞かないと…考えることもできないじゃない?何か、あるんじゃないのか??』

 灰色猫はその台詞に、チラッとだけ俺を見たけど、俯くように目線を一瞬落としてから、思い切ったように顔を上げて頷いた。

『お兄さんは、レヴィアタン様のご主人さまなのですよ』

『…はぁ?』

 そりゃ、その反応は頷ける。
 『冗談を言うにも、もうちょっと面白いのじゃないとね~』とでも言いたそうに、灰色猫らしからぬ茶目っ気たっぷりの冗談だとでも思ったのか、アスタロトは肩を竦めて呆れたように溜め息を吐くと、腕の中で息を呑むようにして事の成り行きを見守っている俺を見下ろして、仕方なさそうに頬にやわらかくキスしてきた。

『人間がレヴィアタンのご主人って設定、見たい気もするけど、本人の前で言ってはダメだよ。アタシ、灰色猫タンってチョーお気に入りなんだから。死んで欲しくはないワケよ』

『冗談でも嘘でもありません。お兄さんとご主人は【悪魔の樹】の契約で結ばれた主従関係にあるのです』

『悪魔の樹!?…嘘ん、それなら信じちゃうけど。えー、君、それホントなの??』

 ヒョイッと、切れ長のクセに程よく垂れた、憎めない目付きで覗き込まれて、俺は動揺を隠さないまま頷いて、それから目線を伏せてしまった。
 たとえそれが本当のことであっても、今のレヴィには、俺のことなんか何一つ判りはしないんだ。

『ふぅ~ん。でも、さっきはケロッと手放してたじゃない。レヴィアタンは魔界一、嫉妬深い悪魔なのよ?そんなに大事なご主人を、そう容易く手放すのかしら??』

『それは…』

 言い淀む灰色猫の語尾を攫うようにして、ムゥッと唇を尖らせているアスタロトの顔を見上げながら口を開いていた。

「レヴィには、どう言ったワケか俺の記憶がないんだ」

『え?』

 唇を噛み締める俺を見下ろしていたアスタロトは、何かを考え込むように顔を上げて小首を傾げていたけど、何か合点がいったのか、頷きながら灰色猫と俺を交互に見ながら言ったんだ。

『なるほど~。つまり、レヴィアタンは何かの影響で記憶を失くしたワケで、彼を心配してわざわざご主人様が魔界に乗り込んできた~ってワケね』

『そう言うことなのです』

 神妙な目付きで見上げる灰色猫に、アスタロトは興味深そうに笑って、それから俺の頬にまたしてもキスしてきたんだ!
 俺はレヴィのご主人さまなのに、アスタロトはそんなこと、ちっとも気にした様子もなく、呆気に取られている灰色猫の前で、俺の灰色のローブを弄り始めたんだ。

「なな、何を…ッ!?」

『何を…って、ご主人が奴隷の身体を触って何が悪いの?』

「はぁ!?」

 いったい、何を聞いていたんだ、この能天気クルクルちゃらんぽらん悪魔は!
 俺はレヴィアタン、海王リヴァイアサンのご主人なんだぞ!?どうして、アスタロトの奴隷なんかにならないといけないんだ!!
 顔を真っ赤にして激怒してしまう俺の傍らで、困惑したような表情をする灰色猫に、レヴィと同じように古風な衣装に、それこそ女でもそんなにはつけていないだろうって思えるほどのアクセサリーをジャラジャラつけているアスタロトは、濃紺の巻き髪を掻き揚げながら事も無げに笑った。

『あらぁ?だって、件のレヴィアタンがアタシにこの子を奴隷としてくれたのよ。たとえ、記憶のないレヴィの判断とは言っても、言動には行使力が働くんだ。アタシだってヴィーニーを手放して、結構痛手があるんだから権利ぐらいはあるわよ』

『アスタロト様!』

 うふふんっと、上機嫌で笑いながら、灰色ローブに包まれている俺の身体を触り散らすアスタロトに、灰色猫はポカンッと一瞬、呆れたように呆気に取られていたけど、ハッと我に返ると、思い切り脱力したように溜め息を吐いた。

『…ご主人が記憶を取り戻したとして、その後どうなっても知りませんよ』

『いやん、怖い♪でも、こっちはヴィーニーを貸してるんだから、味見ぐらいするわよーだ』

 クスクスと笑って、それほどレヴィアタンを恐れてはいないアスタロトは、それだけ言うと俺を抱えたままで大きな扉から室内に滑るようにして入ると、そのまま灰色猫の鼻先でドアをバタンッと締めてしまった。
 灰色猫はまだ何かを言っているようだったけど、室内に入ると同時に問答無用で口付けてきたアスタロトに、俺は目を白黒させながら濃厚なキスに頭をクラクラさせて、腰に力が入らない恐怖に何かに縋り付きたくて、気付いたらアスタロトの背中に腕を回して抱き付いていた。
 歯列を割って潜り込んできた肉厚の舌は、まるで俺を翻弄するように逃げる舌を追い駆けて、気付けば身体ごと絡め取るような激しさで絡みつくと、軽く吸ったり、悪戯に噛んだり…思うさま、俺を味わっているようだ。

「ぅ……ん、ァ……ハ…ッ」

 息も絶え絶えのようにキスに翻弄される俺の、灰色ローブを思い切り捲り上げて、その下に隠れているTシャツとジーンズに一瞬、気を取られた隙に、俺は慌ててアスタロトの唇から逃れようと、背中に回していた腕を突っ張るようにして顔を背けてやった。

『レヴィアタンのご主人だって?ふふ、可愛いご主人さまだね』

「く…ぅんッ!……ふ、ざけ…るなッ」

 逃げ出そうとする身体はすぐに押さえつけられて、乱暴に睨み据えると、アスタロトは愉しそうにクスクスと笑って、捕らえた俺の身体を抱き上げて、そのまま豪奢な天蓋付きのベッドに放り投げたんだ!

「ぅわ!…わ、わわ…ッッ」

 スプリングが良く効いているせいで、反動で跳ねてしまう俺の身体に、可笑しそうにベッドに上がってきたアスタロトが覆い被さってきた。
 うう、どうもコイツは、このおネェ系悪魔は、どうやら本気で俺を抱くつもりのようだ。

「や、嫌だ!…やめ…」

『ううん、辞めないのよ♪だって、君ってさぁ、アタシの好みにドンピシャなんだもん』

 うわぁぁ…嫌なヤツの好みにドンピシャしちまったよ。
 キスしてこようとする唇から、なんとか逃れようと顔を背ける俺に、焦れもしないアスタロトは嬉しそうにクスクスと笑って耳の穴をベロリと舐めると、そのまま耳朶をパクンッと甘噛みなんかしやがったんだ!

「ん!」

 思わず、耳を塞ぎたくなるような声を出してしまって、真っ赤になった俺が唇を噛み締めて、ギュッと双眸を閉じていると、アスタロトは忍ぶようにクスクスと笑うから、俺の羞恥心は余計に煽られてしまう。
 クソッ、なんとか、なんとか逃げ出さないと…

『ねぇ、名前教えてよ?別に契約するワケじゃないんだし、名前ぐらいいいだろ』

「…」

 誰がお前なんかに、そんな意味を含んだ目付きで睨みつけたら、垂れ目の憎めない綺麗な顔をした悪魔は、ウフンッと蠱惑的な笑みに揺れる紫の双眸で覗き込んでくる。
 その目を見詰めてしまったら…流されそうになる心を叱咤するつもりで唇を噛んだら、ギリッと強い力で唇を噛み切るつもりだったのに、すぐにアスタロトに止められてしまった。

『なんてことする人間だろうね?そんなに、アタシに名前を知られるのが嫌?それとも、抱かれること??』

「どっちもだ」

 ベッドに押さえ付けられたままで見上げるアスタロトは、どう言う仕組みになっているのか、天蓋からハラハラと散る花びらを緩やかな濃紺の巻き髪で受け止めながら、ちょっと悲しそうに笑うんだ。
 どんな時でも、よく笑う悪魔だと思う。

『酷い~…どうせ、レヴィアタンだって今頃はヴィーニーを抱いているのよ?』

「うッ」

 痛恨の一撃宜しく、思い切り嫌なことを思い出させる台詞に、俺は唐突に現実を叩きつけられたような気がして項垂れてしまった。
 が、だからと言ってだ!してやったり顔で北叟笑むアスタロトの思い通りになるかと言うと、もちろん、んなワケはない。
 どっちにしても、レヴィ以外のヤツに抱かれるなんて冗談じゃない!

「は、離せ!」

『あらん。なんだ、もうちょっと傷付くかと思ったのに…でも、まあいいわ。アタシに名前を教えて大人しく抱かれるんなら、レヴィアタンの記憶に関していいことを教えてあげるんだけどな~』

「え!ま、マジ??」

『マジマジ♪』

 俺を力任せに組み敷いて、その気十分で下半身を摺り寄せてくるアスタロトの胡散臭い笑顔を見上げながら、俺は果たしてこの悪魔の言葉を信じていいものかどうか首を傾げてしまう。
 悪魔は嘘吐きだから…でも、信じられる悪魔も、確かにいるんだけど。

「…光太郎」

 ポソッと呟いたら、よく聞こえなかったのか、アスタロトは眉を顰めながら、それこそ鼻先が触れ合うぐらい顔を近付けて、まるでキスする寸前のような奇妙なシチュエーションで『よく聞こえないよ』と囁いた。
 だから、今度はもう少しハッキリと。

「光太郎。俺の名前は光太郎だ…でも、抱かれるかどうかは、お前の情報次第だな」

『…悪魔と取引しようなんて、アタシの光太郎は可愛らしいね』

 アスタロトは気分を良くしたのか、俺の額に口付けてから、その唇で俺の瞼、頬、首筋にチュッチュッと湿ったような音をたててキスしながら、淡々と話し始めたんだ。
 どうも、抱かない、なんてことは一切考えていないんだろうな…俺、レヴィの記憶のためなら、とか、自分の気持ちを隠しながらアスタロトに抱かれてみようとか、思ってる自分に驚いた。
 あの時のレヴィの姿が目に焼きついていて、そのせいで、脳内が焼き切れるほど…嫉妬してる。
 この感情はレヴィの専売特許のはずなのに、俺は性感帯を爪弾くように唇で暴いていくアスタロトのキスに軽く息を吐きながら、諦めたように花びらが降り注ぐ天蓋の天辺を見上げていた。

『レヴィアタンの記憶を取り戻すためにはね…この城から少し行ったところに魔の森があるのよ。その森には開けた丘があって、その丘に一輪だけ咲く、【約束の花】があるんだ』

「んぁ…ふ……ぅん…は…な…ッ?」

 アスタロトの指先が辿る端から服が消え失せて、気付けば全裸になっていた俺の胸元の肌よりも少し色素の薄い乳首をペロリと舐めて、俺を喘がせたアスタロトは、大人しくなってしまった自らの奴隷に気を良くしたのか、それとも退屈だと思ったのか、どちらにしても、その悪戯な指先は遠慮も躊躇いのなく俺の股間に伸ばされた。

「あ!…んッ」

 ハッと目を見開いてアスタロトを見る。
 ヤツは、クスクスと悪戯っぽく笑いながら、俺の顎に口付けてゆっくりと形作る陰茎に指先を這わせたんだ。
 そこは、きっと、まだレヴィしか触れたことがない。
 そんなこと、脳内で意識するよりも先に、身体が抵抗を示していた。
 嫌だ!…と、逃げ出そうとする身体は難なく無情な悪魔の下敷きになって、先走りがたらたらと漏れ始めた陰茎に、我が物顔で纏わりつく指先が怖かった。

『ふふ…やらしい声だね。アタシ、光太郎とどうしてもセックスしてみたいから、ちゃんとお話してあげるわよ。どこまで話したかな?そうそう、【約束の花】だ』

 アスタロトはそれでなくても暢気な喋り方をする男で、コトの最中だってのに、まるで涼しげな笑顔で俺を翻弄しようとしている。それに負けないように、必死でアスタロトの口から紡ぎ出される言葉に耳を傾けていた。
 その間にも、悪戯な悪魔の指先は煽るように先走りに滑る先端を指先でグリグリと弄っては、ビクンッと震える腿の辺りを空いている方の熱い掌で撫で上げたりするから…俺、顔を真っ赤にしたままで、どんな顔してりゃいいんだよ!?

『その花は満月の夜にだけ花開くから、願いを込めて摘むんだよ。そうしてそれを、上手にレヴィアタンに煎じて飲ませてあげるの。そうすれば、レヴィアタンの記憶はきっと、蘇ると思うわ』

 淫靡な笑みを口許に浮かべたアスタロトの濡れた唇が、気付けばキスを強請っているから、俺は震える瞼を閉じて濃厚な口付けを受け入れた。
 陰茎を思うさま弄られて、それでなくてもレヴィが教え込んだ身体は、たとえそれがレヴィではなくても、やっぱり素直に反応して、俺に自己嫌悪を植え付けていく。でも、それ以上に、俺は胎内でムクリと首を擡げる凶悪な劣情に身悶えして、まだ衣服すら乱していないアスタロトの下半身に、自らの下半身を摺り寄せてしまうと言う痴態を演じてしまった。
 ああ、穴があったら入りたい!

『男を誘う術を誰に習った?ああ、レヴィアタンね。彼、とっても上手でしょ??』

「ふ…んん……ッ、や、ああ…」

 ゆっくりと根元から先端部分にかけて、揉み拉くようにして陰茎の皮を剥いたり窄めたりして思うさま扱いてくれるんだけど、それだけでもイッてしまいそうになる俺の、ビクンッと痙攣しては爪先を突っ張る片足を持ち上げて、アスタロトは漸く興奮したように吐息を吐いて、震える腿に口付けた。

『ねぇ、もう挿れてもいい?アタシ、早く君を犯してみたい』

 明け透けな物言いに目許に朱を散らした俺は、強烈な快感に虚ろになる双眸で、期待に揺れる情熱的な紫の双眸を見据えて唇を噛んだんだ。

「そんなこと、普通、聞くかよ…ッ」

『あは♪それもそうだね。心の準備はオッケーってワケ?』

 今更…心の準備もクソもないような、両の足首を掴まれて大きく割り広げられている、こんなあられもない姿で「準備するまで、待って♪」なんて、この俺が本当に言えるとでも思ってんのか、この惚けた悪魔は!
 その軽口を叩くのほほんとしてそうな悪魔を睨み据えたら、それとほぼ同時に、まるで灼熱の杭をオブラートで包んだような、なんとも言えない感触の先端部分がぬる…っと、弄られもせずに既にヒクついている、どうやら淫乱な窄まりに押し当てられて、俺は思わず息を呑んでしまった。

「あ…あ……や、嫌だッ」

 条件反射で両手を突っ張るようにしてアスタロトの身体を押しやりながら、今まさに、唯一男が男と繋がるために使われる器官に、悪魔の逞しい屹立が潜り込もうとヌルヌルする先端で入り口を擦っている様をまざまざと見せ付けられて、思わず悲痛な声が漏れてしまう。
 信じられない目で見詰めながら、気付けば朱に染まる頬にポロポロと、どうして泣いているんだかまるで見当もつかないんだけど、零れる雫をアスタロトが唇で拭ってくれる。

『うふふふ…怖いの?』

「ちが…ぅぅ…や、やっぱり、それだけは…嫌…だッ」

 お願いだから、これ以上は…だって、俺の全てはレヴィのモノで、生涯、レヴィしか愛さないって約束したのに…どうして、俺はのこのことこんな得体の知れない悪魔に抱かれようと、身を任せようとしちまってるんだ!?

『あら…なぁに?情報だけ聞いて、後はお預けってワケ??それはちょっと、悪魔にも劣るんじゃないのか』

 アスタロトがのほほんと笑う。
 その顔が、やっぱり悪魔だ、凄みがあって震え上がってしまう。
 それでも、俺はカタカタと震えながら、ポロポロと涙を零して首を左右に振っていた。

「ちが…そうじゃッ、ないんだけど……俺、レヴィを…」

 やっぱりさぁ、裏切りたくないんだ。
 やわらかくキスする白い悪魔の、あの優しい包み込むような眼差しを…その瞳に見詰められるだけで、あの桃のようないい匂いに包まれるだけで、あんなに幸せで幸福だった。その白い悪魔が愛してくれるこの身体を、傲慢な我侭かもしれないんだけど、俺は大事にしたいと思ってしまったんだ。

『挿れちゃえば、楽なのよ。大丈夫、レヴィアタンを呑みこめる君だものね♪』

 それなのに、無慈悲な悪魔は一瞬呆れたような顔をしただけで、ペロリと唇の端を舐めながら、抜け抜けとそんなことを言いやがった。

『怖いんでしょ?』

「だ!……んなこと、言ってな…んぅッッ!……ひぃっ」

 思わず睨みつけようとした矢先、先端部分がグニッと潜り込んできて、俺は思わずめいいっぱいに双眸を見開いてしまった。
 見開いた目尻から涙が一滴零れると、嬉しそうにアスタロトが唇で拭ってしまう。

『レヴィアタンを裏切りたくないって?判ってるんだけどさぁ…ほら?彼だって今、ヴィーニーと愛し合ってるワケだしぃ』

 ああ、どうしてこんなことになっちまったんだろう。
 俺は、ただ、レヴィを…レヴィにもう一度逢いたくて…でも、レヴィは今、他の誰かに愛を囁いてるのに。
 アスタロトは心の深いところを抉るような口調で、ニヤニヤと平気で囁いてくる。
 これがホントの悪魔の囁きってヤツだな…とか思ったら、こんな状況なのに俺、馬鹿みたいに両手を組んで顔を隠しながら笑っていた。

『…光太郎?』

 なんでも余裕のアスタロトでさえ、一瞬訝しそうに眉を寄せるぐらいだ。今の俺は、十分、ちょっとヤバイ人になってるんだと思う。それでもいい、いや、だからこそ、いいのかもしれない。
 ポロポロ、ポロポロ…涙が零れる。
 こんなに悲しいのに、こんなに悲しいのなら、いっそ、何もかも俺の方が忘れてしまいたい。

「ち、くしょう!クソ…ッ!よし、挿れろよ、アスタロト!おう、望むところだ、コンチクショーッ」

 両足を抱えられたままで泣きじゃくるのも癪だったし、何より、同じ場所にいて、違う誰かを喜んでレヴィが抱いているのかと思うと、その意地だけで吐き捨てたような気がする。
 そう考えていないと、俺自身、あんまり滑稽で馬鹿で、哀れなんだと思う。

『ホント?嬉しい』

 嬉しげにエヘへッと笑うアスタロトの本当に嬉しそうな顔を見たら、ふと、こんなに綺麗で、望むものならなんでも手に入りそうな、のほほんとしてるクセに品のある悪魔は、俺の何処をそんなに気に入ったって言うんだろうと首を傾げたくなった。
 レヴィにはない、何処か思い詰めたような寂しげな紫の双眸を見詰めていたら、こんな時なのに、灰色猫の言葉が脳裏に響いていた。

[魔界はとても、寂しいところだからね]

 どんな寂しさを持っているんだろう…アスタロトも、そして、この魔界にいる悪魔たちは。 人間なんかじゃ計り知ることのできない寂しさの中で、ぬくもりを求めるようにして、人間の奴隷を傍に置くのか?
 …そっか、そうだよな。
 悪魔はけして人間を好きにはならないし、人間も悪魔を憎む…灰色猫の言っていたことって、本当はこの現実を言葉にしていただけなんだ。
 今だけ、許されるように…俺は悪魔を憎まないでおこうと思う。レヴィもアスタロトも、悪魔として当然のことをしているんだし、要求した者への見返りは当たり前なんだと思う。
 それを求めない灰色猫は、だから、本当はアイツこそこの魔界には不似合いな使い魔だ。
 寂しさとか、やり場のない怒りだとか…そんなものがどす黒く渦巻くこの魔界の中で、俺は寂しそうに笑う白い悪魔の幻を追うようにして両腕を伸ばしていた。
 縋りつくようにして首筋に抱きつく俺に、アスタロトはちょっと驚いたようだったけど、そんな俺の背中に、思うよりも逞しい腕を差し込んで、少し腰を浮かすようにさせてからゆっくりと自身を、アスタロトの先走りで滑る窄まりに押し当てて、そのままグッと潜り込ませてきた。

「!……ッ…ぅ」

 痛みは…やっぱりあるけど、狭い俺の後腔にゆっくりと巨大な灼熱の欲望を捩じ込んだアスタロトは、そのままギュウッと抱き締めてきたから、ちょっとビックリした。
 クラクラ眩暈がするほどの快感は、レヴィが心行くまで教え込んでくれたことだけど、このセックスはなんて言うか…ちょっとだけ、切なくて寂しいなぁと思う。
 だから、俺は我侭を言う何も知らない処女のように、「どうにかして欲しい」と言ってせがむんだ。
 だって、こうでもしないと、このままアスタロトの持つ寂しさに飲み込まれてしまいそうで、それが怖くて腰に力を込めていた。

『…ッ!なんだ、十分その気だったんじゃない』

「あ!」

 ずる…っと、まるで視覚できるような音を立てて腰を引いたアスタロトは、それから、ベッドを軋らせるほど激しく貫いてくるから、俺は馬鹿みたいに、壊れた人形のように「あ」を連発してしまった。
 言葉にできない、そんな恐怖に、思わず逃げ出しそうになる俺の腰を掴んで、アスタロトは強い力で引き戻すと、まるで逃げる隙なんか与えてもくれない。

「…くふぅん!……ク…ぁ、ぁあ……ッ」

 胎内でふっくらと膨らんでいる部分に、巨大な灼熱の先端がゴリゴリと押し当てられて、俺は傷みと快楽の綯い交ぜした快感に陶然として、強請られるままに口付けを交わしていた。
 離れていくアスタロトの舌に絡んだ銀色の糸が、キスを追う俺の舌とを結んで、嬉しそうな悪魔の顔がとても淫らで、突き上げられる腰の動きに反応して、胎内で燃え上がる快楽の火にさらに油を注いでくれるから堪らない。

『ふふふ…感じやすいんだね。レヴィアタンはどうして、こんなに可愛い君を忘れてしまったんだろう…』

 グイッと奥まで突き上げるようにして上体を倒すと、汗に張り付いた俺の前髪を掻き揚げながら、アスタロトは何故か、見事な柳眉をソッと細めて、綺麗な紫色の双眸を瞼の裏に隠したままで額にキスしてくれる。
 縋るものはもう、こんな風に攻め立ててくるアスタロトしかいないから、俺は生理的な涙が浮かぶ双眸を閉じて惚けた悪魔の背中に腕を回していた。
 身体の、もっと奥深くまで貪欲に飲み込みたくて、知らずに腰を揺らしていたらしい俺の身体の隅々までを丁寧に、まるで地図でも描き出すような仕種で快感の在り処を暴き出そうと、繊細な指先が辿る傍からゾクゾクと腰を貫く悦楽にヒクつく窄まりにキュッと力が入ってしまう。
 それを狙うようにアスタロトが思う様貫いてくるから、俺は既にはちきれんばかりに陰茎を勃起させて、先端からだらだらと先走りを吹き零しながら、「もっともっと…」と身悶える。

『ああ…どうしよう。アタシは君を忘れられなくなりそう』

 こめかみから零れた汗が頬を伝って顎から零れ落ちると、そんなささやかな感触にすら震えるほど感じてしまう俺には、アスタロトが何を言っているのか、何が言いたいのか、もうよく判らなかった。
 それよりも、もっともっと奥まで、思い切り大きな灼熱の棍棒で、俺の最奥を貫いて抉って…思う様堪能してくれたらいいのに。
 そうしたら、今だけは、悲しい記憶を忘れていられる。
 俺は、縋るようにアスタロトにしがみ付いて、許されはしないんだろうけど、愛に似たような言葉を囁いていたと思う。
 抱き締めているこの存在が、どうしてだろう、全く姿も形も違うと言うのに、俺に白い悪魔を錯覚させる。
 あの、包み込むようなムッとする桃に似た甘い陶然とする匂いすらないのに…どうして…
 そんな俺を掻き抱くように抱き締めたアスタロトの欲望の在り処が一瞬、大きく膨らんだ気配がして、訪れるだろう熱い飛沫の衝撃に堪えようと瞼を閉じた。
 閉じた瞼からポロリ…ッと零れ落ちたのは、大好きな人への悲しい溜め息に似た、涙。