3  -悪魔の樹-

『ご主人さま!大丈夫ですか!!?』

 慌てたようにその男、恐らく悪魔は気障ったらしい仕種で優雅に片膝をつくと、倒れてしまった俺の身体をソッと抱き起こしたんだ。

「お、おおお、おま、お前はお前は誰だ!?」

 冷たく冴えた、冬の大気のように凛とした綺麗な顔立ちのソイツは、怪訝そうに白い眉を寄せて、「はて?」と首を傾げやがったが…何をしても、いちいち様になるからなんかやたらと腹立たしいんですが。

『悪魔に決まっているじゃないですか。あなたが育ててくれた悪魔の樹から生まれた、悪魔です』

 自らを『悪魔』と名乗った悪魔は(こう言うとかなりおかしく聞こえるが、はたしてその通りだから仕方ない)、至極当然そうにキリリとした顔立ちで宣言するように言い放った。

「あ、くま?」

『ヘンなところで切らないでください。悪魔ですよ、ご主人さま』

「悪魔って…呼び難いじゃないか。名前はなんて言うんだ?」

 俺は当初、あの灰色フード男に言われた約束を綺麗サッパリ忘れていた。でも、俺を抱き起こしていた悪魔が微かに眉根を寄せたのを見た瞬間に、パッと思い出したんだ。

【悪魔は本当の名前は教えてくれないけど、それでも必ず聞き出すといいよ。方法はお任せするけどね】

 確か、あの灰色フード男はそんなことを言っていた。
 じゃあ、この悪魔とか言うヘンチクリンなヤツも【本当の名前】ってのは教えてはくれないんだろう。

『…なんとでも。ご主人さまがお呼びくだされば、即ちそれが私の名前となるでしょう』

 悪魔はやたら優雅にニコリと笑った。
 一瞬の怪訝そうな顔などまるで嘘みたいに、そのくせ、自らが名乗ることはしないんだ。
 確かに、灰色フード男の言うとおりだなぁと感心していた。
 いや、抱き起こされたまま感心しているのもどうかしてる。
 俺は真っ赤になりながら白い悪魔の腕をソッと押し遣りながら身体を退こうとして、思わぬ強い力に拒まれてギョッとしてしまった。
 それでも悪魔は、優雅にニッコリ笑っている。

「えーっと…じゃあ、ポチ」

『…ポチですか?構いませんよ、それで。では、今日から私はポチです』

「じ、冗談に決まってるだろ!?あくまでも外見上は人間なんだ、えーっと、えーっと…俺、名付けるのって苦手なんだよな。アンタの本当の名前を聞こうとは思わないけど、渾名ぐらいは教えてくれよ」

 素直にネーミングセンスの悪さを認めて見上げると、白い髪の悪魔は、真っ白な睫毛をパチパチと瞬いてから、暫く考えるような仕種をしていたけど、ふと、シニカルに笑いやがったんだ。

『そうですか。本当の名前について、何か聞いているのですね。人間にしては珍しいですね。私たち悪魔の本当の名を知りたがらないなんて』

「知ってどうなるかも判らないのに、別に知らなくてもいいよ。呼び易いように、渾名ぐらいは知りたいけど」

 やれやれと溜め息を吐いて、離してくれそうな気配もない、どうやら悪魔らしいソイツの腕に体重を預けながら見上げたら、綺麗な顔立ちの白い悪魔は口許に悪魔らしい蠱惑的な笑みを浮かべて囁くように呟いた。

『では、そうですね。ベリアルとお呼びください。ご主人さま』

「ベリアル?」

『ええ、知り合いの悪魔にベリアルと言う者がいまして。同性愛を推奨する悪魔です。私はけして興味はありませんが、今は一応男性体であり、ご主人さまを求めていますから、ヤツの名を名乗るのも面白いかもしれません』

 白い悪魔はククク…ッと、それはそれは邪悪な顔をしてニタリと笑ったけど、俺がそのあまりに綺麗な邪悪な顔に一瞬青褪めると、逸早く気付いた悪魔はバツが悪そうな顔をしてションボリしたようだった。それにハッと気付いたから俺は、ムッとして悪魔のひと房だけ伸びた宝飾に彩られた肩に下がる飾り髪をグイッと引っ張ってやったんだ。

「お前さぁ、バカだろ?」

 人間なんかにバカ呼ばわりされて、多少はムッとしてるんだろうけど、悪魔は「はて?」と首を傾げながら俺を金色の双眸で見下ろしてきた。

「どうして他の悪魔の名前なんかで呼ばないといけないんだ?お前にはお前の、個性ってのがあるんだからちゃんとお前らしい名前で呼びたいよ。そうだな、待ってろよ。俺がもっといい名前を考えてやるからな。ネーミングセンスのことはとやかく言うな」

 ヘヘヘッと笑ったら、悪魔は面食らったように驚いているようだった。
 悪魔に説教する俺ってのもどうかしてるけど、それでも、他の悪魔の名前なんかで呼べるかよ。
 本当の名前を知られたくない、悟られたくもない、と思ってるんなら、俺が何かいい名前を考えてやるしかないワケだ。それなら、ネーミングセンスとかとやかく言わず、何かいい名前を考えてやろう。
 何か、何かいい名前ってないかなぁ…?
 俺が首を捻って考え込んでいると、表情を読み取らせない無表情で俯いていた白い悪魔がポツリと言ったんだ。

『…では、ご主人さま。私のことは、レヴィとお呼びください』

「へ?レヴィ??」

『はい。私の、渾名ですよ』

 悪魔は静かに笑った。
 それは、とても綺麗な笑顔だったから、いけないとは判っているのに、俺はレヴィと名乗ったこの悪魔のことを、ほんの少しだけど、好きだなと思ってしまった。

「れ、レヴィ?何をしてるんだ??」

『何を?決まっているではありませんか。私たちは主従関係にあるワケですから、お互いの事をもっとよく知り合わなくてはいけません』

「そ、それと俺をベッドに押し倒すことと何の関係があるんだ?」

 その台詞には、白い悪魔のレヴィはニッコリ笑うだけで答えようとしない。
 だから余計に、怖いんだけど。
 渾名とは言え、名前を名乗った白い悪魔のレヴィは、俺を両腕に抱え上げたままでスクッと立ち上がると、狭い部屋ではその威圧感さえ漂わせる長身の悪魔には狭すぎるとさえ思えるベッドの上に、抱えていた俺をユックリ下ろすとそのまま圧し掛かってきたんだ。
 ギシッとベッドが軋んで、悪魔なんて何かの冗談だと思うはずの俺に、今さらながらこれは現実なんだと叩きつけられたような気がする。

「ちょ…待って」

 思わずグッと、白い悪魔であるレヴィの腕を掴んだら、その実体はあまりに確かなもので、安心させるつもりなのか唆すつもりなのか、綺麗過ぎるほど綺麗な男らしい顔で笑うレヴィには泣きたくなった。

『ご主人さま、どうぞ力を抜いて…私にお任せください』

 やわらかく口付けられて…それがファーストキスだってのに、俺は心臓をバクバクさせながら思わず瞼を閉じていた。
 ひやりと冷たい唇に触れてギクッとしたのも束の間、レヴィの情熱的な舌先が唆すように歯列を突付いて、それでなくても恥ずかしいのに俺は、知らずに口を開いていた。
 キスは濃厚で、あの、甘ったるい桃のような芳香が狭苦しい部屋一杯に広がって、思わず条件反射でトロンッとしちまった俺は、引き剥がすつもりで掴んでいた手で、もっとと、強請るようにレヴィの背中に腕を回していた。
 その事さえ気付けずに、甘いレヴィの唾液に酔い痴れる俺を、人間なんかいとも容易く掌中にできるこの白い悪魔は、いったいどんな思いでその金色の双眸で見下ろしているんだろう?
 そんなクダラナイコト、蕩ける頭で考えながら、シャツの裾から忍び込んでくる冷たい指先に理性を飛ばしてレヴィの頬に自分からキスしていた。
 俺は、きっとどうかしてる。
 レヴィが甘い、桃と思っちまうなんて!

『ご主人さま…オレ、貴方のことが好きですよ。こんな気持ちは初めてだ』

「へ?」

 ふと、レヴィがクスッと笑いながら何か言ったような気がしたけど、それはあまりに微かな呟きでしかなかったし、俺自身は教え込まれた桃のような甘い芳香に酔い痴れていてそれどころじゃなかったから、目尻を染めながらトロンッと見上げるしかない。

『大丈夫ですよ。痛いのはきっと、最初だけですから』

 冷たい指先で乳首を弄られ、男なのに乳首なんか弄られてもきっとくすぐったいぐらいで何も感じやしないのに、と高を括っていた俺は、それが全く甘ちゃんな考えであったことをレヴィに思い知らされてしまった。

「…ッ…ふ……や、嫌だ、もう、胸は……ッ」

 なにやら恐ろしいことを呟きながらクスクス笑うレヴィに嫌々するように首を振れば、白い悪魔はニタリと真っ赤な唇で笑って首筋に口付けながら寝巻き代わりのジャージのズボンを下着ごと剥ぎ取ったんだ。

「!?…レヴィ、な、何をするんだ?」

 桃の芳香が思考回路を狂わせるけど素肌に空気の冷たさを感じて、却って不安になった俺は綺麗な白い悪魔を見上げていた。

『人間界で言うところのセックスです。ご主人さま、人間と言う生き物は、身体を重ねることで信頼を得るのでしょう?私は、貴方に私を信じてもらいたいのです』

「はぁ?レヴィ、それは間違ってるよ。男同士でその、え、えっちとかはできないし、それに別にそんなことをしなくても信頼ってのは…」

『ダメです。ご主人さまはまだ幼くて、繋がりを理解していらっしゃらないだけなのです。私に全て委ねて下さい。そして、私を信頼してください』

 レヴィが切実に言い募って、それから震えるようにキスしてきた。
 そうされてしまうと、男同士のセックスなんてどうするんだろう?と訝しくは思ったものの、桃の芳香が俺を狂わせたのか、レヴィの切ない金色の双眸が思い込ませたのか、どちらにしてもこの白い悪魔が嘘を吐いているような気がしなくて強張らせていた身体の力を抜いていた。
 レヴィは悪魔なのに、俺はまんまとその罠に嵌ってしまったんだって気付いたのは、それからすぐだった。

「うあ!?…あ、…や、ヤだよ……レヴィ、は、恥ずかしい……ッ」

 真っ白な頭髪を掴んで引き剥がそうとする俺のことなんか一向に無視して、レヴィは半勃ちしていた欲望の証をペロリと真っ赤な舌で舐め上げるなり、パクンッと咥え込んだんだ。
 そんなの信じられなくて、俺はこれ以上はないってぐらい大きく両足を開かされて、その間に古風な衣装に身を包んだレヴィが居座る様を、それこそ暴れるようにして嫌がりながら抵抗したって言うのに、白い悪魔の齎す舌戯に翻弄されて、次第に指先の力は弱々しくなっていった。
 う、気持ちよすぎる!!
 レヴィは外套すらも乱していないのに、下半身丸出しで、上着も思い切り捲り上げられているあられもない姿の俺って…そう考えただけも羞恥で真っ赤になるって言うのに、熱い舌に舐め上げられて、先走りをとろりと零す鈴口を舌先でグリグリされただけでも、身体がビクンッと跳ねて、揺らめく腰をとめることもできない。
 どうしよう、怖い。
 涙目になって、どうしていいのか判らないままでガクガク震えていたら、そんな俺の姿に気付いたのか、片足の腿を掴んで陰茎に舌先を這わせて翻弄しておきながら、レヴィはゆったりと笑いやがったんだ。

『気持ちいいんですか?それとも、怖い?』

「うぇ…ヒ……ど、っちも…」

 グスグスと鼻を啜るようにして目元を染める俺を、レヴィのヤツはクスクス笑いながら陰茎の根元は掴んだままで、伸び上がるようにしてキスしてきたんだ。

『大丈夫です、心配しないでください。私は貴方の怖がるような事はしません。私が齎す快楽にどうぞ、心ゆくまで溺れてください』

「れ、レヴィ…う……ッ、…レヴィ…」

 気付いたらポロポロと頬に涙が零れていて、俺は恐怖心と気持ちよさに、そうしているのは白い悪魔のレヴィだと言うのに、縋るようにして頬に触れながらレヴィのキスを受け入れるつもりだった。
 なのにレヴィは、突然どうしたのか、冷たい唇をキュッと引き結びなり、またしても身体を戻して俺の陰茎に舌を這わせたりするから、俺はヒクッと身体を震わせて嫌々するように首を左右に振るしかなかったんだ。

「ヒッ!?…うぁ…ッ、い、痛い……レヴィ!」

 悲鳴のような声は、突然レヴィが陰茎に這わせていた舌を、その奥、更に奥にある本来なら排泄行為にしか使わない窄まりに這わせて、桃のような甘い匂いのする、もちろん味も甘いんだけど、その唾液と一緒に繊細そうな長い指先まで潜り込ませてくるから身体が波打ち際の魚みたいに跳ねてしまった。

「い、嫌だよ、レヴィ!そこは、そこは汚い…ッッ」

『汚くなど…貴方の身体は何処も甘いです』

 嘘ばっかりだ。
 レヴィの身体の方が、まるで何かの果物でできてるような甘ったるさじゃないか。

「レヴィは…嘘つきだ」

『スミマセン、私は悪魔ですから』

 尻に舌先を潜り込ませて長い指先で奥まで貫きながら、レヴィは思わず笑っちゃうようなことを言ってくれるから…ついつい、身体の力を抜いてしまったじゃないか。

「んぁ!…あ、……ヒゥ…ッ…い、イタ……ッ」

『でも、嘘ではありません。貴方は甘いです』

 身体を起して、男なのにポロポロと、未知の恐怖に涙を零す俺の頬に唇を落としながら、白い悪魔はどこか痛いように眉を寄せて綺麗な白い睫毛の縁取る瞼の裏に金色の双眸を隠すと、真っ赤な唇に笑みを刻んで俺の力の入らない両足を抱え上げたんだ。

「…レヴィ?」

『ご主人さま、どうか私を受け入れてください』

「?……~ッッッ!!」

 カッと見開いた目、涙が限界の目尻から零れ落ちて、視線の先、白い悪魔のレヴィがゆったりと冷たく微笑んでいる。
 強烈な圧迫感は内臓すらも貫いて、身体の芯に灼熱の棒を捩じ込まれて串刺しにされた錯覚に陥ったのは一瞬のことで、引き抜かれる絶望的な痛みには脳が真っ白になってしまった。
 ヌル…ッと滑るのは、レヴィの甘くて脳みそがクラクラするような芳香を漂わせる先走りのせいばかりじゃなくて、鈍い音が胎内で響いたから、きっと肛門が切れたんだと思う。
 レヴィの陰茎は、驚くほどでかい。
 それともそれは、男を胎内に受け入れたことのない俺だから、ただただ、その圧迫感と苦しさと痛みで、そんな風に思っているだけなのかな…

「…ッ……ハッ……ッッ」

『息を吐いてください、ご主人さま。そのままでは辛いですよ』

 じゃあ、抜いてくれ。
 目尻から情けなく涙を零しながら痛みに耐えてレヴィを見ると、さっき見たあの悪魔のように冷酷そうな微笑が嘘のように、白い悪魔は心配そうに真っ白な眉根を寄せている。
 ガクガクッと、まるで壊れた人形のように、レヴィの動きにあわせて力なく足が揺れているけど、抵抗しようにも力が出ないんだ。
 全くもっての無防備は、それでも、レヴィの許しを請うようなキスには蕩けてしまいそうな甘さがあった。
 ああ、どうしてだろう…俺。
 こんなに意味もなく非道いことをされているのに、俺はレヴィを憎むこともできなければ、恨むこともできない。ましてや…嫌うことさえできないでいるのは、きっと、どこかおかしいんだろう。
 こんな時なのに俺は、クスッと笑っていた。
 そんな余裕はどこにもないと言うのに。

『…ご主人さま?』

「レヴィ…」

 何か言いたくて、でも言えなくて。
 咽喉の奥で引っかかってしまった言葉は、悲鳴のようにヒューヒューと切ない呼吸音しか響かない。
 レヴィの灼熱の飛沫を胎内の奥で受け止めた瞬間、きっとコイツの精液はピンクなんだろうとか、そんなどうでもいいことを考えながら、桃のような強い芳香に包まれたまま俺は意識を手離していた。

 ふと、意識を取り戻した時には着衣もキチンとしていたし、布団もかけられていた。 ただ、性行為の名残と言えば下半身の非道い激痛と、少し身体を動かしただけでドロリ…ッと肛門から零れるレヴィの精液の感触だけだ。
 う、うわぁぁぁ…俺、レヴィと犯っちまったのか!?
 初めて会った悪魔なのに!
 人間じゃないヤツなのに!!
 いや、悪魔だからなのか…?
 起き上がるのも億劫だったけど、それでも身体を起してアワアワと泡食っていると、傍らで何かが動く気配がしてハッとした。

『ご主人さま!ああ、よかった。目覚められたんですね!?あんまり目覚められないので、私は…』

 綺麗な顔には似つかわしくないほど、うぇ…ッと眉を顰めた白い悪魔が、半べそ状態で抱き付きながら叫びやがったから堪らない。

「い、いてててッ!!だ、抱き付くなよ、大丈夫だからッ」

『あ、申し訳ありません!…無理をさせてしまいました』

 悪魔のクセに、あんまりションボリするもんだから、俺は思わず抱き締めてくるレヴィの背中に腕を回しながらクスクスと笑ってしまった。

「レヴィってヘンな悪魔だよな!人間とこんなことしたって面白くないだろうにさ」

『…面白いとかそう言うワケではないんです』

「ああ、そうだったな。お互い分かり合う為だったっけ?んじゃ、レヴィは俺のこと、少しは判ってくれたのか??」

 古風な衣装に身を包んでいるレヴィの身体はどこか冷たくて、その感触だけが、ああ、コイツは人間ではないんだなぁと思わせていた。でも、だからと言って幽霊のように実体があやふやってワケでもないし、いったいレヴィって何者なんだろう。
 本当に悪魔なのかなぁ?

『よく判りました。貴方は我慢強く、そしてお人好しだ』

「はぁ?」

 レヴィは何が楽しいのか、クスクスと笑いながら痛む身体を労わるように優しく抱き締めてくれるから、その背中に腕を回したままで、俺はこの白い悪魔に凭れながら首を傾げてしまう。

『貴方は私のことは非道い悪魔だと思っていますね?』

「悪魔に非道くないヤツなんかいるのか?レヴィはヘンなヤツだ」

 アハハハッと笑ったら、思うよりもガッシリした体躯を持っているレヴィは、そんな俺を身体が痛まないように気を遣いながらギュウッと抱き締めてきたんだ。

「くる、苦しいんだけど。どうしたんだよ、レヴィ?」

『悪魔の本質を受け入れるなんて、ご主人さまこそ変わられた方だ。そんな貴方が、ご主人さまで本当に良かったと、感慨に耽っているのです』

「…やっぱ、レヴィはヘンなヤツだ」

 ニッコニッコ笑いながら抱き締めてくる古風な衣装の白い悪魔に、俺は呆れたように笑いながらも、コソッと思うのだ。
 俺の方こそ、レヴィのような風変わりな悪魔と知り合えて良かったと。
 俺、あんまり痛くないなら、これからもレヴィとその、エッチしてもいいとさえ思う。
 なんでそんな風に思うのか良く判らないんだけど、この白い悪魔を手離したくないと思っていた。

「光太郎!…顔色が悪いみたいだけど大丈夫なのか?」

 翌日、よく晴れた休日の朝なんだけども、欲求不満を解消してきたらしい弟はツヤツヤした肌をして生き生きと俺を振り返って、それから途端に眉間に皺を寄せたんだ。
 う、そんなに顔色が悪くなってるのか?
 やっぱ、レヴィは悪魔じゃなくて幽霊で精気を吸い取られて…ひー。

《そんなワケないじゃないですか!ご主人さま、非道いです》

 思わず『るー』と泣いていそうな気弱な声で、俺の肩に乗っかっている小さな蜥蜴が舌を出している。
 どうも、蜥蜴に化けるとレヴィは俺の考えている事が【読め】るらしく、厄介なんだど、何か伝えたい時は便利だなぁと思ってしまう。

《昨夜、無理をさせてしまったので心配です》

 ションボリと蜥蜴が首筋に頭を摺り寄せてくるから、ヨシヨシとその小さな身体を撫でて「そんなことないよ」と安心させてやりながら、俺は朝帰りの弟を胡乱な目付きで睨むのだ。

「中学生が朝帰りとは戴けないな。本当に友達の家だったのか?」

「あっれ?光太郎ってば心配してくれてるの??それともヤキモチ?今日も甘い匂いがしてるな~」

 そう言ってから茜のヤツは、んーっと、父親がいないのをいいことに思い切りうちゅぅっとキスしてきやがったんだ!!

《!!》

「んんッ!?…ッ、んの、何をするんだよッッ…!?」

「いってぇぇッ!!」

 後頭部に手を当てて、ご丁寧に舌まで入れてきた俺より長身の弟、茜はギョッとしたように頬を押さえて離れたんだけど、その頬は血こそ出てはいないものの、真っ赤に腫れている。
 レヴィがガッツリ食いついたんだ。

「せ、茜??大丈夫なのか!?」

「んだよ、その蜥蜴!光太郎、蜥蜴なんか飼い出したのか??」

「へ?あ、うん。レヴィって言うんだ」

 俺は肩に乗っかって《ご主人さまに何をする!?》と、鼻息荒く怒っている小さい蜥蜴を掌に乗せて茜に見せながら頷いた。

「うっわ、すげー。コイツ、何?アルビノ??」

「あ、ああ。綺麗な白だったから…」

「噛まれないように気をつけろよ」

 指先で突付こうとして、パカッと口を開いた白い蜥蜴にビクッとしたのか、恐れをなしたような茜はやれやれとでも言いたげに肩を竦めて不機嫌そうだ。

「ちぇ!ソイツの名前、バウンサーってのにすればよかったのに」

「用心棒?どうしてだ」

 首を傾げたら、茜は不機嫌そうに肩を竦めるだけで何も言わなかった。
 そのまま朝食はいらないからと言って2階に上がってしまったんだけど…茜のヤツ、いったいどうしたっていうんだ?

《ご主人さまの弟君は、兄上に懸想していらっしゃるんですねッ》

 ムスゥッとしたように白い蜥蜴は咽喉の下を掻きながら不機嫌そうに呟いたけど、俺は「懸想?なんだそれ」と首を傾げながら夜勤で帰ってくるだろう父親の為の朝食の支度を始めたんだけど…そうか、昨日作っておいた肉ジャガがあったんだっけ?

「そーだ、レヴィ。お前は飯とか食わないのか?」

《食事ですか?私の食事は大気に含まれる純粋なものです。ですが、ご主人さまが食せと言うのならば何でも食べます》

 ゴロゴロと、そんなはずはないのに咽喉でも鳴らしているように目を細めて頬に頭を摺り寄せる白蜥蜴に、俺は肩を竦めながらエプロンをつけて首を傾げて見せた。

「人間のモノを食わせたら腹を壊すかもなぁ」

《そんなことはありません。ご主人さまが自らお作りになったもので腹を壊すなど、畏れ多いことです》

「ははは。レヴィは大袈裟だよ」

《そうでしょうか?》

 ムゥ?っと理不尽そうに首を傾げる白蜥蜴に笑っていたら、たいそう不気味そうに背後から声を掛けられてしまった。

「…光太郎、大丈夫か?」

「わわッ!?あ、なんだ茜か」

「なんだじゃねーよ。誰と話してたんだ??」

 胡散臭そうに片目を眇める茜に下から覗きこまれるようにして、俺は焦ってお玉を持ったままエプロンを握り締めてしまった。

「誰にって…レヴィに腹は空いたかって聞いてただけだ」

 アハハハッと笑ったてみたけど、どうも、かなり疑われてしまったらしい。
 んー、わざとらしすぎたかな??

「白蜥蜴なんか虫でも食わせとけばいいんじゃね?…っと、なんだよ、この蜥蜴。なんか今、一瞬だけど壮絶に睨まれたような気がする」

 そりゃ、そうだろ。
 悪魔に向かって虫を食えなんて…人間を馬鹿にしてるかもしれないってのに。 悪魔のプライドを傷付けたんだ、睨まれるぐらいはするさ。

「んじゃ、俺さ。出掛けてくる」

「…はぁ!?お前、今帰ってきたのにまた出掛けるのかッ!?」

「いーじゃん、今日は休みだし?なんか、光太郎ってばホントにお母さんだよなぁ。いつかきっと、嫁さんにするから覚悟しとけよ♪」

「断る!」

「ははは!んじゃ、行ってきまーす♪」

「あ!ちょ、コラ待て…って、行きやがった。中学生のクセになぁ」

 伸ばしたまま行き場を失った手でそのまま頭を掻きながら、やれやれと溜め息を吐いていたら、肩の上でジーッと俺を見上げていた白蜥蜴、レヴィが不思議そうに首を傾げている。

《ご主人さまは出掛けられないのですか?》

「へ?」

《弟君は楽しげに出掛けられた。ご主人さまはどこにも行かれないのですか?》

 ああ、俺は…あれ?そう言えば俺、いつからこんな風に出かけなくなったんだろう。
 確か、母さんが亡くなる前は悪友の篠沢たちとカラオケに行ったりゲーセン行ったり…それなりに楽しんでいたと思う。
 ああ、そうか。
 母さんが死んでから、高校生らしい生活とかしてないよな、俺。

「よし!じゃあ、今日は朝食の準備をしてから出掛けるかな。レヴィは行きたいところとかあるか?」

 一大決心だ。
 父親には、昼食は出前で我慢してもらおう。

《私ですか?私は、ご主人さまが行かれるのなら何処へでも》

「はは、そう言うと思った」

 白蜥蜴はそんな俺にキョトンッとしたようだったけど、それでもなぜか、嬉しそうに頭を頬に摺り寄せてくる。

《…しかし、強いて挙げるのならば》

「お?どこか行きたいところでも見つかったのか??」

 小さな蜥蜴を掴んで目の高さまで持ち上げると、金色の双眸をクルクルさせて、レヴィはパカッと口を開いて見せた。

《スーパー銭湯へ!》

「なぬ!?」

 思わずギョッとすれば、白い悪魔の化身である蜥蜴は、それこそニヤッと笑ったように無機質な双眸をスッと細めて見せたんだ。

《お身体は大丈夫ですか?》

 ソッと囁かれて、途端に俺の頬が赤くなるけど、レヴィはそれこそキョトンッとしている。
 あのなぁ…結構気恥ずかしいもんだな、俺をこんな身体にした張本人に気遣われると。
 それでも、照れ臭そうに笑ってしまう俺も俺なんだろうけど。
 ああ、でもそれで。
 スーパー銭湯なんてワケの判らないことを言い出したんだな。

「スッゲー、美形のクセにスーパー銭湯とか言うな」

《はて?容姿など関係ないではありませんか。ただ、ご主人さまのお身体が心配です》

 真摯に呟く蜥蜴ってのもヘンなもんだけど、そうして誰かに心配されるのも久し振りだったから、腹の辺りがこそばゆいような気がして思わずエヘヘッと笑ってしまった。
 今までは俺が弟や父親の心配ばかりしていたから、母さんがいなくなってから誰も俺のことなんか気にかけてもくれなかったし…だから、本当は凄く嬉しかったんだ。

「ありがとう、レヴィ」

《礼を言われるようなことはまだしていませんが?》

 はてはて?と首を傾げる目の高さの白蜥蜴に、なんでもないんだよと呟いて、それから俺はエヘヘッと照れ隠しにレヴィの身体に頬を摺り寄せてしまった。それが嬉しかったのかどうだったのか、俺には判らないんだけど、白蜥蜴は少しだけ身動ぎして身体を乗り出すように俺の頬に自分の頭を持ってこようとしているようだった。

《よく判りませんが、感謝を示すのなら唇に口付けて欲しいです》

 躊躇いも恥ずかしげもなくそんなことを抜かすレヴィに盛大に照れてムッとしたものの、キョトキョトしている小さな白い蜥蜴はそれだけでも可愛くて、俺はクスクスと笑ってしまう。

「はいはい、それじゃあ取って置きのキスを」

 そう言って、持ち上げた白蜥蜴の冷たい鱗に覆われた口許にブチュッとキスしてやった。

《では、お返しは夜の営みにて♪》

「ぐはっ!!」

 嬉しそうにてれんと垂れている尻尾を左右に振り振りの蜥蜴に思わず吐き出すのと、漸く帰宅した父親にバッチリ、蜥蜴とのキスシーンを見られてしまって身悶えるのはほぼ同時だった。
 トホホホ…

 久し振りの外出に、さすがの俺もテストの赤点なんかなんのそので、気分も軽やかにウキウキしていた。
 たとえ外が、こんな時に限って雨だったとしても、今の俺にはなんら気になるような状況じゃない。
 だって、肩に白蜥蜴を乗せている…って状況じゃぁないからな。
 じゃあ、どう言う状況なんだ?って言われれば、白髪と金眼、大きくて長い耳を隠したレヴィが、黒髪で黒い瞳の普通の人間になって俺の傍らに立っているんだ。
 道を行く女も男も、みんな例外なく振り返るのは、やっぱり悪魔が持つ独特のフェロモンのようなモノの成せる業なのか、はたまた、レヴィ特有の独特な香水のような匂いに釣られているのか、それともその、人間離れした美しさのせいなのか…たぶん、全部当て嵌まるんだろうけど、冷たい相貌で道行く人間たちを悉く無視する(今こそ本当にそれらしく見える)悪魔は、ぼんやり見蕩れている俺に気付いたのか、ニコッと屈託なく笑いかけてくるんだ。
 その気持ちがいいことと言ったらない。

「どうなさいました、ご主人さま」

「…ッ!!だから、その喋り方はNGだって」

「あ、そうでしたね。では、光太郎さん。どうしました?」

 あんまり変わらないんだけど、これが精一杯のレヴィの譲歩なら、俺だって無碍にするワケにはいかないし…でもホント、よくあんなチンコの樹から、こんな綺麗な悪魔が生まれたよなぁ。
 絶対、あの灰色フードの占い師は詐欺師だって思ってたのに…

「信じてみるモンなんだな」

「…?何をですか??」

 ポツリと呟いた台詞を耳聡く聞きつけたのか、レヴィが何か、面白そうな表情をして俺を見下ろしてきた。
 身長差が茜よりもあるモンだから、それでなくても威圧的に見えるレヴィはますます高圧的に見えてしまう。でも、それを打ち消しているのはポヤポヤとした笑顔のせいだ。
 ともすれば、酷く冷酷な、酷薄そうな面立ちにだって見える白い悪魔のレヴィは、笑うと憎めない犬歯が覗いて、それだけでも可愛いヤツだなぁと思えるから、きっと女はイチコロなんだろうと思う。

「なんでもないよ…ああ、ここだ!ここに灰色のローブを着た占い師がいたんだよ」

「…そうですか」

「悪魔の樹をくれたんだけど。ちゃんとレヴィと出逢えたって報告しようと思ったんだけどなぁ…」

「必要ありませんよ。さあ、行きましょうか」

 ふと、冷たく言い放ったレヴィはまるで、そう、まるで虫けらでも見下ろすような蔑みに満ちた双眸をして、俺が指差した灰色フード男のいた場所を一瞥しただけだった。
 そんな目付きのレヴィを何度か見たことがあったけど、いつも、どうしてか判らないけれど胸の奥がざわめいていた。どうして、そんな落ち着かない気分になるのか全く判らないんだけど…俺は、レヴィのその、悪魔らしい表情が大嫌いだった。
 ホエッと笑う、ホノボノしたレヴィが大好きだ…なんてことは、直接本人には言えないんだけど。
 恥ずかしくてなー

「ごしゅ…光太郎さんはいつもは何をしているんですか?」

 あの町角を離れて、俺たちは商店街をブラブラしていたんだけど、やっぱり道行く人たちはみんなレヴィを見ている。この町で、一番人の多い場所だと言うのに、レヴィはそれでも群を抜いて目立っていた。

「俺?俺は…夕飯の支度をしたり、弁当だとか朝食の買い物をしたり…主に家事かな」

 17歳の男子高校生には有るまじき日常生活に、トホホホ…ッと、思わず項垂れてしまう俺の気持ちなんかまるで無視して、レヴィはいつもの、悪魔のクセに見る者全てを幸せにするような穏やかな笑みを浮かべたんだ。

「そうですか。私は貴方の作る肉ジャガが大好きです」

 ほえ~っと笑うレヴィに絆されていると、今は黒い悪魔になっているレヴィはそんな俺をジックリと見詰めてくるんだ。

「な、なんだよ?今夜も肉ジャガ作ってやるよ。アレは母さんの直伝で…」

 料理を誉められるのは少なからず嬉しい。
 花の男子高校生がそんなことじゃいかんとは思うんだけど、それでも、手料理ってのはある意味格闘以外の何ものでもなくて、いつも献立に頭を悩ませては火の調整や味への追求を怠るわけにはいかない。だからこそ、誰かが口にした時に「美味しい」と言って貰えると不思議に疲れが吹っ飛んで、嬉しい気持ちになる。
 でも、最近の父親も茜も料理の感想を言ってくれなくなった。
 それがもう、当り前になっていたから…だから、レヴィに「好き」だと言われて、久し振りにこそばゆいような、面映いような気持ちになってしまったんだ。
 そこまで言ってくれるのなら、俺は張り切って作っちゃうんだぜ~♪

「私は幸せです。貴方の顔を見ているだけで幸せな気分になるのは何故でしょう?」

 悪魔のクセにそんな奇妙なことを言って笑いながら、思い切り注目を集めているこのすかぽんたんのレヴィを誰かなんとかしてください。

「そ、それは、その…俺にも判らないよ」

「そうですか。仕方ないですね」

 そう言ってニコリと笑うレヴィには内緒だ。
 俺だって、もうずっとそう思ってることは。
 俺だって、レヴィの嬉しそうな、幸せそうな顔を見ていると凄く、凄く…

「あっれぇ?瀬戸内じゃん、何してんだ??」

 綺麗なレヴィの顔を見上げていた俺の背後で誰かが呼び掛ける声…そう、見なくても判る篠沢だ。

「うげっ、篠沢」

「なんだよ、その思い切り傷付いちまう台詞は…っと、なんだ、連れがいるんだ?」

 誰だよ、この美人は…と、コソリと胡乱な篠沢の目付きが訊ねてくる。
 俺の知らないうちに、いつの間にこんな美人と知り合ったんだよと、相変わらず面食いの篠沢は、大方俺がカラオケとかの誘いを断っている原因はレヴィだと思い込んでいるに違いない。

「誰だよ、紹介しろよ」

 肘で突付かれてしまうと…俺はハタと気付く。
 いったい、なんて紹介したらいいんだ?
 まさか、チンコに似た『悪魔の樹』から生まれた白い悪魔のレヴィ…とか紹介できないし、コイツには教えようとか思っていたけど、いざそうなると、なぜか言いたくなくなってしまう。
 どうしてだろう?

「えーっと、コイツはその…」

「私は光太郎さんのペンパルでレヴィ・バレンタインと言います。日本に来ていて、光太郎さんの家に厄介になってるんですよ」

 ぬな!?

「あ、あー…そうなんだ。外国の人か、そうだよな。顔立ちが日本人と違うし、でも、日本語がお上手なんですね」

 篠沢はコロッと優等生の顔をして、ちゃっかりレヴィと握手なんか交わしてやがる。
 なんか、ムッとしていたら、篠沢はケラケラと笑ってから、まるで秘密を打ち明けるようにおどけてレヴィに言ってくれたんだ。

「でもま、レヴィさんが日本語お上手なんで信じましたよ。だって、瀬戸内に英語の理解力があるなんて到底思えないからさ。コイツってば赤点大魔王なんですよ♪」

 俺の恥を。
 うう、クッソー。

「大魔王なんですか?それは凄いですね」

 レヴィがニコニコと笑って、どうやら本気で感動しているらしいその姿を、ただの日本語がいまいち理解できていない外国人だと認識している篠沢が、拙いことを言っちゃったかなぁと頭を掻いて照れている。
 そう、照れている。
 あの、言い寄る女の子や親衛隊をモノともしない、あの篠沢が。
 すげー、恐るべしレヴィの魔力!…ってヤツかな?よく判らないんだけども。

「赤点取って凄いヤツがいるもんか。ところで篠沢はこんなところで何してんだよ?」

 ムゥッとして口を尖らせると、レヴィは訝しそうに眉を顰めたようだった。
 いったい、俺が何に対して腹を立てているのか判らない…その表情が、さらに俺に追い討ちをかけてるなんてこた、きっとレヴィには判らないんだろう。

「俺?ん~、ここに来れば瀬戸内に会えるかと思ってさぁ。ま、会えるこた会えたんだけどね。コブ付きで」

「は?」

「いんや、なんでもない。ところでさ、今日ヒマそうじゃん?これから…」

 あのなぁ、篠沢。
 見て判らないのか?俺は今、レヴィと…

「申し訳ありません、篠沢さん。光太郎さんは今日、ずぅーっと私と一緒にいてくれるんです。だからヒマじゃありません」

 ニコッと、威圧感のある笑顔で押しを強く言ったら、篠沢はギクッとしたような顔をした。
 そうだ、美人が凄むと怖いんだ。

「し、仕方ないよな。そうだよな。せっかく遠くから来てるんだし…なぁ?」

 いきなり、篠沢は俺の肩にいつもどおり腕を回すと、耳元にコソコソと話し掛けてきたんだ。

「今度、俺んちに来いよ。あの時話してた本が手に入ったから見せてやるって」

「ホントか!?うっわ、マジで嬉しいな。学校じゃなんだし、うん。今度行くように都合つけとくよ♪」

「お前さぁ、忙しいって言って中学の時から1回も俺んちに来ないだろ?たまには本ぐらい読みに来いよなー。約束だぜ?」

「そ、そうだったっけ?うん、判った。任せとけ!」

 いつも以上にベタベタするのはとっておきの秘密を打ち明けているからだ。こんな時の篠沢はホント、悪巧みをするガキっぽくて、そんな姿が女子に人気があるってことを、アイツはちゃんと計算に入れてるんだからスゲーよな。
 まあ、俺にはとうてい真似なんてできないけどよー
 「んじゃなー」と手を振って立ち去って行った篠沢の後姿を見送りながらふと、傍らで様子を窺っていたレヴィに気付いて見上げたら。

「お話は終わったんですか?」

 ニコッと笑いかけてくる。
 一瞬だが放って置いてしまって悪かったな…と思ったんだけど、レヴィのヤツはさほど気にした様子もなさそうでホッとした…その矢先だった。

「…でも、あまりあの方と関わるのは戴けませんね」

「は?」

「悪魔の勘とでも言いましょうか?」

 レヴィは申し訳なさそうに眉を寄せて肩を竦めたが、俺はちょっとムッとしてしまった。
 中学からの悪友で、確かにイロイロとアイツとの間にはあったけど、それだって一過性のモノで、今更蒸し返すような事でもないし、何より、もうずっと友人できたんだ。
 誰よりも良く知っている…その友人を、レヴィに悪く言われたような気がして、俺は傷付いた。
 そうだ、傷付いてしまったんだ。

「レヴィには関係ないだろ?お前の知らない時間ってのがあるんだ。余計な事に口を出すなよ」

 だから、口調がやけに刺々しくなっていたのは認める。
 認めるけど、だからってそんなにショックを受けたような顔をするなよ。
 眉を寄せて、寂しそうに小首を傾げるレヴィ…でも、そんな顔したって駄目なんだからな。
 よりにもよって親友とも呼べる友人を、悪く言われる筋合いとかないんだ。

「も、申し訳ありません。ですが、彼は…」

「あー、もう!聞きたくないって言ってるだろ!?なんだよ、お前。どうしてお前にそんなこと言われないといけないんだ!?」

 伸ばされた腕を邪険に振り払って、どうしてこの時の俺は、こんなに頭にきていたんだろう。
 レヴィはただ単に、悪友ってだけあって、影で悪い事をしているだろう篠沢の、もちろん俺はそんなことはとっくの昔に知り過ぎるほど知っているんだけど、知らないレヴィは注意するように忠告してくれているに過ぎないってのに…
 それが、なんだかとても嫌だった。
 俺が付き合っている友達を否定された、ひいてはそれは、俺自身を否定されたような気がしたんだ。

「…申し訳ありません、ご主人さま。どうぞ、私を捨てないでください」

 ショボンッと俯いてしまうレヴィの長い睫毛に、ゆっくりと降り頻る雨の雫が、まるで涙みたいな玉を結んでいたからドキッとしたけど…バカな俺は、そんないちいち様になるレヴィに対してさらに腹立たしく思ってしまった。
 何もかも手にしている悪魔のクセに、そうして、人間をバカにしているんだろ?
 ああ、これ以上、動くな俺の口。

「捨てる?捨てられるはずないだろ??お前は綺麗な悪魔なんだ、それだけでも優越感に浸れるしな!どーせ、それだけの価値しかねーじゃねぇかッ。そんなヤツに俺の友人の悪口なんか言われたかないね。篠沢はお前なんかよりずっと大切なんだッ」

 瞬間、レヴィは俯いていた顔を上げて、そう言った俺の顔を見詰めてきた。
 物言いたげな表情は、まるで裏切られた時に見せる絶望のようなものを含んでいたけど、俺は観衆の大注目の中にあることにハッと気付いて、レヴィを思い遣ってやる余裕をなくしていた。
 だから、フォローなんて考えもしないで、取り敢えずその場から立ち去ることを選んだんだけど…
 それでもレヴィは、あの白い綺麗な悪魔は、物静かに俺の後に大人しくついてきていた。
 この世界で、頼れる者は俺しかいない、俺だけが全てなんだとでも言いたそうに…
 レヴィの一瞬、金色に輝いた瞳は、切ない光に揺れていた。
 俺は敢えてそれを見ないふりをして、わざと苛立たしげに歩いていたんだけど、どうしてそ
んな態度を取ってしまったんだろう。
 レヴィと一緒にいる時の方が、こんなに安らげるのに。
 本当はたぶん、篠沢よりもレヴィの方が大切だと思っているのに…そんなこと、本人には言えないんだけど。

『…うぜぇな、アイツ』

 ポツリと、背後で何かを呟いたレヴィに振り返ったら、今は黒くなっているけど、白い悪魔はションボリした顔をして俯いていた。
 綺麗な眼差しを地面に落として、俺に嫌われてしまったんじゃないかとビクビクしている姿は、とても悪魔には見えないし、何より、その際立つ美しさには不似合いだった。
 そんな姿を見ていると、さっき何か言ったように感じたのは気のせいだったのか…
 俺が立ち止まると気配を感じるのか、無言のままで立ち止まるレヴィ。
 今にも泣き出しそうな綺麗な瞳は伏せたまま、ごめんなさいと態度が物語っている。
 そんな、ホントはただの八つ当たりなのに、そこまでしょ気られてしまうとなんだか物凄く

悪い事をしているような気になって、俺は誰もいないことをいいことに、コホンッと咳払いをして俯いているレヴィを下から覗き込んでやった。

「なんだよ、悪魔のクセに。そんな落ち込むようなことかよ?」

「…だって、ご主人さま。私には貴方しかいないのに。嫌われてしまったらそれで終わりなんです。そんなのは嫌です…出過ぎたことを言ってしまいました。申し訳ありません」

 ショボッと目線を伏せるレヴィの、人間らしく今風の服を着込んでいる胸倉をグイッと掴んで、何事かと視線を上げてきたその切なく揺れる瞳を見据えたままで、何故か俺は、気付いたらキスをしていたんだ。
 どうしてそんなことしたのか良く判らないんだけど、それでも俺は、瞼を閉じてキスしていた。
 触れるだけの、掠めるだけのキスだったけど、唇が離れるか離れないかのところでレヴィがちょっと驚いたように呟いた。

「…ご主人さま?」

「お、俺にも良く判らないけど!レヴィとキスしたいし、ずっと一緒にいたいって思う。誰がレヴィと離れるなんて言ったんだ!…俺は、我が侭なんだよ」

 ブスッと膨れっ面をしたら、レヴィはキョトンッとしたけど、ちょっと嬉しそうに綺麗な顔ではにかんで、恐る恐ると言った感じで抱き締めてきたんだ。
 俺だって、レヴィを好きなのに。
 嫌いになんてなるわけないじゃないか。

「私は我が侭なご主人さまも大好きです」

 ポツリと、そんな嬉しいことを言ってくれるから、俺はレヴィの背中に腕を回して、同じように抱き締めながら瞼を閉じていた。
 たぶんきっと、レヴィを嫌いになんてなれるワケがない。
 初めて俺を見下ろしたあの瞬間の、あの金色の双眸を忘れられないんだから…

『…それにしてもホント、アイツはウザイ』

 口の中だけで呟くようにレヴィが何か言ったけど、その時の俺には、この白い悪魔が何を言っているのかよく聞き取れなかったんだ。