一方的に那智と別れてから俺は、案の定と言うかなんと言うか、やっぱり下ろして貰えないままベントレーと帰路に着くことになったんだ。
「よーう、ベントレー!」
「なんだ、面白いの抱えてんなッ」
それぞれが勝手に声をかけてはゲラゲラ笑うと、左右の色が違う双眸を細めながら、向こうっ気の強そうなベントレーはニヤッと笑って肩を竦めて見せた。その態度は、那智や鉄虎と一緒にいる時とはガラッと違って、確かにどこか冷酷そうな冷やかさを持っているような気がする。
「手なんか出してんじゃねーぞ?コイツは那智さまの預かりもんだからなぁ」
「…那智だと」
どうでも良さそうにベントレーが気軽に言えば、馬鹿笑いしていた連中の声がピタリと止んで、違った声音でざわついた。
そうか、あんな風にニヤニヤ笑ってるだけでちょっと変わったヤツってぐらいにしか思えない那智は、やっぱり誰もが怖れるネゴシエーターなんだなぁと、連中の態度で今更ながら改めて思ったもんだ。
ヒソヒソと肩を寄せ合うようにして何やら悪巧みでもしているように見える連中に、ベントレーはそれ以上は興味がなさそうに肩を竦めて歩き出した。
外見こそヒョロリとしていて、どこか臆病そうに見えるんだが、このベントレーって男はやはりあんな化け物みたいな鉄虎や那智と一緒にいるぐらいだ、それなりに肝が据わってるんだろう。外見とは裏腹な印象が付き纏っている。
外見と内面がこれほど食い違うヤツも珍しい…そんな風に思いながらベントレーのジーンズの腰に無造作に突っ込んでいる二丁の銃を見下ろしていたら、唇を尖らせてると思しきベントレーが何やらブツブツ言っているのが聞こえたんだ。
「…ったくよぉ、なんでもかんでも人のモンに興味を持ちやがって!那智もそうだ。俺の可愛いスパイシーとキラーを遣いやがるしッ」
どうやら、よほど愛用しているカスタマイズ済みの拳銃を遣われることがムカついているのか、オレンジのツンツン頭をしたベントレーは溜め息を吐いている。
「スパイシーとキラーって…この拳銃のことか?」
「あん?」
大人しく肩に担がれたままでジーンズの腰に突っ込まれた銃を見下ろしながら俺が言うと、ベントレーは気のない返事を返してきた。
「まーな」
「触っちゃ、やっぱ拙いんだよな?」
「あー?」
カスタマイズした拳銃…と言うのを、俺は一度しか見たことがない。
と言うよりも寧ろ、こんな廃頽して荒んじまった町では、何もかもが貴重で容易く手に入るものではない。殊更、武器にいたってもそうだ。拳銃など、盗賊集団の頭領が持っているのを遠目から見たぐらいで、触るチャンスなんてこれっぽっちもなかった。
もちろん、拳銃を遣われることをこれほど嫌がっているベントレーのことだ、触らせろと言ってはいドウゾなんてこた、口が裂けても言っちゃくれないだろうなぁ。
半ば諦め交じりで訊いてみたら、ベントレーのヤツは暫く何かを考えているようだったけど、不意に嬉しそうに笑ったようだった。
「?」
訝しんで眉を顰めたら、オレンジのツンツン頭のネゴシエーターは薬でもやっていたのか、ボロボロになった歯をカチカチ鳴らしながらヒャハハハッと笑っている。
「そーか、そーか!お前も銃に興味があるんだな?鉄虎にしても那智にしても、飛び道具なんざ武器じゃねぇとか言いやがるからなぁ。そのクセ、那智のヤツは俺に無断でスパイシーとキラーを遣いやがるんだ。言ってることとやってる行動が意味判んねっての…お、そーだ!お前にも銃を造ってやろうか?撃ち方とかも教えてやるぜ」
「ホントか?!」
バッと顔を上げてオレンジの髪を引っ張ったら、ベントレーはニヤニヤ笑いながら快く頷いてくれたんだ。那智や鉄虎の仲間にしては、ベントレーはなかなかいいヤツだと思うぞ。
「手始めにスパイシーを触ってもいいぜ。っつーか、ぽちは礼儀のあるヤツなんだなぁ。俺の周りにいる連中は、断りもなく勝手に触るヤツばっかりでな!…ぽちならいつでも触っていい。なんなら遣ってもいいんだぜ?」
「ホントか?ありがとうな!」
機嫌が良さそうなベントレーに礼を言って、俺は無造作に覗いているグリップの部分を見下ろしながら、唐突にハタと気づいたんだ。
どっちがスパイシーで、どっちがキラーなんだ??
「グリップが白い方があるだろ?ソイツがスパイシーって言うんだ。ピリッとキレのあるヤツなんだぜ。あ、それと…ッ!」
ベントレーの説明の最中にズゥンッと腹に響くような銃声が響き渡って、ギクッとしたようにオレンジのツンツン頭は首を竦めてから言わんこっちゃないと額に片手を当てたみたいだった。発砲した当の犯人である俺としては、吹っ飛ばされそうになった身体をベントレーに受け止められて、ジーンッと両手を痺れさせたまま目を白黒させていた。
それでもスパイシーを手離さなかったのは天晴れだと言って欲しい。
飛び出した弾丸は地面に命中すると、乾いた埃を巻き上げている。
「…安全装置を外してるからさぁ、無闇に引き金を引くと今みたいなことになるってワケよ。判ったか?」
「わわ…判った。でも、安全装置を外してたら危ないんじゃないのか?」
「んなワケないだろ。スパイシーとキラーはお利口さんだからな」
俺を肩に担いだままで平然と歩行を再開したベントレーは、どうやら何よりもこの二丁の拳銃を信頼しているんだろう。確かに、この二丁の拳銃は常に安全装置を外しているわりに、未だにベントレーの身体に風穴を開けてるってワケでもないから、強ちツンツン頭のネゴシエーターの言い分に偽りはないのかもしれないなぁ。
「すげーな!俺、こんなの初めて見たよ。ベントレーは軽く操れちまうんだろうな」
「まーな。ふふん、どーだ」
見掛けや内面よりも子供染みた様子で胸を張るベントレーに、いったいコイツには幾つの顔があるんだと首を傾げたくなったが我慢することにした。せっかく機嫌がいいんだ、不機嫌になってイロイロ教えて貰えなくなるのも損だしな。
でも…この銃は違う。
あの男が持っていた拳銃は、もっとこう、銃身が長かったし口径が小さかったような気がする。まるで、そうだな。ちょっと遊びで持ってるんだけど、本当は肉弾戦の方が好きなんだ、とでも言いそうな雰囲気だったと思う。
残酷に人体を貫いた指先は真っ赤に脈打つ心臓を掴んだままで…そこまで思い出してゾッとする俺の態度が、勝手に発砲してしまって申し訳なく思って落ち込んでいると受け取ったのか、ベントレーは肩を竦めながら首を左右に振ったんだ。
「ま、気にすんな。誰でも初めてのときは失敗するもんだ」
「なあ、ベントレー?」
「あん?」
「アンタみたいにさ、銃を持ってるヤツってこの町には後何人ぐらいいるんだろう?」
「あーん?…そうだな、あんまり持ってるヤツって見たことがないからさぁ。せいぜい、5~6人ってとこじゃないか?」
この広い町でも5~6人しか持っていないのか。
それなら、案外捜し易いのかもしれない。
「ベントレーみたいにさ、銃をカスタマイズしてるヤツって多いのかな?」
「んなワケないって。カスタマイズには金がかかるだろ?俺以外のヤツは誰かから分捕ったか、或いは購入したのをそのまんま遣ってる連中が殆どさ…ってなんだ、まるで誰か捜してるみたいな口調だな」
ギクッとした。
案外、このスパンキーで子供っぽい、そのくせどこかお人好しに見えてしまうこのベントレーと言う男は、抜け目のない洞察力を持っているのかもしれない。
さり気なく聞いていたつもりだったのに…俺は息を呑むようにして首を左右に振ったんだ。
「い、いや。こんなに間近に銃を拝める機会なんてそうそうなかったからさ、つい好奇心で。気に障ったんだったら謝るよ」
「…」
俺の態度をどう思ったのか、那智とはまた勝手の違うベントレーは比較的体温が高いのか、俺の腰に回した熱っぽい掌で脇腹を擽るように落ち着きなく手遊びをしながら考え込んでいるようだった。
いや、ちょっと…脇腹は弱いんだけど。
思わず笑い出しそうになっちまった俺は、慌てて声を噛み殺しながら小刻みに身体を震わせている。
「…やっぱさぁ、ぽちは変わってるんだな。こんなクソッタレな町で謝るだと?そんなことしてたらお前、付け入られて骨の髄までしゃぶられながら殺されるんだぜ」
「え?」
想像していたのとはちょっと違う、呆れたような溜め息を吐きながらベントレーは心配そうな響きをその声に滲ませたんだ。てっきり、底意地悪く嫌味でも言われるもんだとばかり思っていた俺は、動揺してどう返事をしたらいいのか判らないでいる。
「あ、それで那智なんかにとっ捕まっちまったのか。バッカなヤツだな~!アイツはさぁ、鉄虎に言わせたら執着心の塊なんだってよ。そんなヤツに見込まれたら最後、地獄の底に堕ちたって連れ戻されるんじゃねーか?」
ヒャッハッハ!…と、なんとも小気味良さそうに笑うベントレーに、俺の頬が引き攣ったのは言うまでもない。いや、確かに那智はちょっとおかしいと思っていた。でも、そんな鉄虎が言うような執着心なんか凡そ持ち合わせていないように思えて仕方ないんだけどなぁ…
「那智はどこか飄々としてて、なんでもすぐに捨てちまうのに、執着心とか有り得ないだろ?」
「あーん?あ、そっか。ぽちは知らないんだな。那智の執着心は蛍都からはじまってるんだ」
「蛍都…」
また、その名前だ。
そうだ、那智には恋人がいたんだった。
ついさっき聞いた名前なのに、こうして改めて聞くとどうしてだろう?胸の辺りがズシリと重くなる。
嫌な、気分だ。
「那智がタオに入ったのってさぁ、俺よりもっと古いんだよな。俺が那智と知り合った時にはもう、その傍らには蛍都がくっ付いていたからよぉ、経緯とか詳しくは知らないんだけどさ。はじめは蛍都のヤツが那智にべったりで、すげー独占欲だなとか思ってたんだけど、ホントは違ったんだ」
「そうなのか?」
「ああ。蛍都がべったりくっ付いてるんじゃない。ホントは那智が片時も離れなかったんだ。蛍都のヤツはウザがっててさぁ、ふらふら1人で出歩くことを好んでたよ」
「…でも、なんかそれって那智らしいな。アイツってベタベタするの好きそうだし」
『犬、犬』と言って俺をヌイグルミか何かと勘違いでもしてるみたいにして抱き締めてくる那智の、あの嬉しそうなニヤニヤ笑いを思い出したら自然と笑いが零れてしまって、そんな俺にベントレーは「はて?」とでも言いたそうに首を傾げながら、どうやら眉でも顰めているようだ。
「ベタベタ…とかはしなかったぜ?なんつーか、どこか1本、キッチリと線を引いてるような…そのくせ、お互い離れるわけにはいかないとでも思ってるみたいでさぁ。なんか、見てて肩が凝るような関係だったよ」
「…は?それで恋人同士なのか??」
「そりゃあ、まーな。1日と空けずに、飽きもせずにセックス三昧だったからさぁ。恋人、って呼ばずになんて呼ぶんだ?セフレ?つーか、そんな生易しい関係でもなさそうだったし」
「そ、そーか!そりゃあ、まあそーだな!」
ベントレーの生々しい発言に、別に免疫がないワケでもないんだけど、なんとなくいつも傍にいた空気みたいにあやふやな存在だった那智が、唐突に生身の実体を持ってしまったような錯覚がして顔が真っ赤になってしまったんだ。
あの年だ、そりゃあ、セックスぐらいはするだろうな。
なに、動揺してるんだ俺は。
きっと、那智のヤツがどこか禁欲的で、凡そ性欲とかないんじゃないかって思えるほど人間離れしてる雰囲気を持っていたから、高を括っちまってたんだろう。
「ズルイよなー。人殺しのが楽しい、みたいなツラしやがってッ」
小声で毒づいたつもりだったのに、やっぱ耳の傍に顔があれば嫌でもベントレーに気付かれるか。
いや、もちろん。
狙ってたんだけどな。
「いや、正直に言えば那智はセックスよりも人殺しの方が達ける!…と豪語はしてたけどよ。蛍都は別なんだってさ。アイツは宝物なんだってよ。ワケ判んねーけどなー」
聞きたかった台詞を聞いたワケなんだけど、嬉しくないオマケまで聞いてしまった気分だ。
那智が宝物だと言って大事にしている蛍都…どんな美人なんだろう?
或いはもしかしたら、アイツを柔らかく包み込む可愛らしい面立ちの少女なのかな…
ちぇ!そんな可愛い恋人がいるんなら、俺なんか構わずに放っておいてくれてりゃよかったのに!
ワケもなく腹立たしくてムッツリ黙り込んでしまった俺のことなんかお構いなしで、ベントレーのヤツはどうでも良さそうに肩を竦めたんだ。
「まあ、なんにせよ。蛍都はどうあれ、那智がアイツに夢中ってのは間違いないだろうな。心の底から惚れてるようにも見えるしさ」
「そっか。でも、よかった。那智にはちゃんと、寄り添えて理解してくれる恋人がいるんだから」
あんな風に奇抜な嗜好の持ち主である那智を、確りと受け止めているひとがいる。
その存在があるからきっと、今の那智がいるんだろう。
人間なんてのはいつだって、心に拠り所がないと生きていけないんだ。
そう言うものを全て見失ってしまった俺が言うのもおかしいんだけど、そうじゃないと、身体が虚ろになって生きているのか死んでいるのかさえ判らなくなってしまう。
俺の空っぽな身体を抱き締めていた那智が可哀相で仕方なかったんだけど、ああ、でもよかった。
あのどん底のような街角から図らずも救い上げてくれた那智には感謝してるし、有り難いとも思っていた。その那智が、孤独ばかりを抱えているワケじゃないと判ったんだ。それでいいじゃねーか。
これで、なんて言ったらおこがましいんだけど、俺も安心してあの男を捜すことができる。
「…まあ、誰よりも理解はしてるだろうな。でもさぁ、よくぽちは平気でそんなことが言えるよな」
「え?」
俺、何か悪いことを言ってしまったか??
ベントレーの口調は明らかに不機嫌になっていた。
何か不味いことでも口走ってしまったかと、ハラハラしていたらベントレーが悔しそうに言ったんだ。
「那智は蛍都しか見ていないんだぜ?なのに、那智の傍にいてお前、よく平気でそんなことが言えるよな」
ああ…なんだ、そう言うことか。
それでベントレーは怒っているんだな。
こんな風に見えても、ベントレーにとっては那智も蛍都も大切な仲間なんだ。
遠い昔に、確かに俺にもそんな仲間がいたのにな…いつから、こんな風に空虚になってしまったんだろう。
「俺も、判ってるんだ。ついさっきまでは蛍都の存在とか知らなかったからさ、なんとも思っちゃいなかったんだけど…那智の恋人は病院で苦しんでるってのに、俺が傍にいるのはおかしいよな?このまま那智の家に帰るのも気が引けるんだけど…」
行く場所がないんだ…それは、単純な言い訳に過ぎない。
何処だって行けるはずだ。
俺はそうやって生きてきたんだ。
那智に触れて…この奇妙な関係に甘ったれてるに過ぎない。
でも、大丈夫だ。
「俺さ、那智に頼んでることがあるんだよ。ソイツが見付かったら、ちゃんと出て行くからそれまでは蛍都に目を瞑っていてもらいたいんだ。身勝手なのは承知だけどさ」
「…~って、ホント。ぽちってなんかワケの判んねーヤツだよな!あんなクソッタレで我が侭な那智なんかに振り回されやがって!!アイツはな、蛍都しか見てないんだぞ!?」
「…?うん、判ってるさ」
どうしたって言うんだ、ベントレーは。
薬でもやっていた名残りのギザギザの歯で迂闊にも歯軋りして、癇癪でも起こしそうな雰囲気で腹を立てているベントレーは、抱えている俺の腰に服の上からガブッと噛み付きやがったんだ!
「イテ!イテテッ!いてーよ、ベントレー!!」
「当たり前だ、わざと痛く噛んでるんだからな!!」
「な、どうしたって言うんだよ?!」
「…ちぇ!ぽちは忠犬なんだな。飼い主がよそ見してても、只管ジッと見詰め続けるんだろ?可愛がってくれるその指先だけを待ち侘びてよ。ゾッとしない話じゃねーか!」
いまいち、ベントレーが何を言いたいのかよく判らない。
そもそも、俺は犬じゃないんだが…と、那智ウィルスが蔓延してそうなベントレーに幾ら言い募ったところで、どうも堂々巡りにしかならないような気がして、俺は派手なクエスチョンマークを背後に背負ったままで黙り込むしかないように思えた。
「なんかもう、あったまきたな!飯でも喰うか!!行きつけがあるんだ。今夜はそこで我慢しろよ?」
「…う、うん」
独りでいきなり腹を立てて、それから思い出したように消沈させてしまうベントレーの不気味な行動に、俺は息を呑みながら頷くしかなかった。
とは言え、俺の腹の虫が盛大に食い物を求めた…ってのが、ベントレーの中の怒りに水をかけて、消火させてしまったのかもしれないけどな。
四方を薄汚れた、嘗ては白かったのだろう灰色の壁に囲まれた些末な病室に、荒い息が響いていた。
単調に響く電子の音は、その病室に横たわる者の生命の在り処を知らせているようでもあり、物悲しげに響いている。その音に被さるようにして、二匹の獣の交じり合う淫らな気配がしていた。
「ッ…うぁ…はぁはぁ…ッ」
静まり返った病室には切なそうに求める声が響いて、荒々しい呼気を繰り返すその口唇に、その身体に、覆い被さるようにして抱き締める男が、うっとりと口付けた。
「…くぅん…っぁ!…あ、…な、那智!」
「蛍都…好きだよ」
「…死に…やがれッ」
まるで無表情と取れるかもしれない冷めた双眸で、それでも熱く滾る蛍都の内壁を抉るように腰をグラインドさせて楽しむ那智に、蛍都と名前を囁かれた男はニヤリと嗤うと、その耳朶を噛み締めながら嘯いた。
いや、殺してやろう…と。
褐色の肌は浅黒く、引き締まったウェストには深い、ともすれば致命傷にもなりかねない傷痕が出鱈目に刻まれている。その膚を確かめるように那智の腕が辿ると、蛍都の男らしい釣り上がり気味の殺意を秘めた双眸がすっと細められて、空いている腕が緩慢な仕種で持ち上がると…
「ッ」
那智の顔を歪めるほどには強い力でもって、蛍都はその脱色し過ぎて痛んでしまった黄褐色の髪を強引に引っ張ったのだ。
そんな風に無体に扱われても那智は、まるで貼り付けたような笑みを口許に浮かべたままで、憎らしげに双眸を細めている蛍都に口付けた。
額に薄っすらと浮かんだ汗も、那智のスレンダーな体躯も、全てが組み敷いている蛍都よりも華奢ではあったが、力強さは互角か、はたまた上回っているに違いない陵辱者を、ベッドのシーツを乱しながら古くからの相棒は唇の端を捲り上げて見詰めている。
狭い病室に秘めやかな湿った音が響いて、もう何度もそうして那智を受け入れている後孔が淫猥にひくつくと、まるでゴムで出来た輪のように傍若無人に暴れる陰茎を締め上げた。滑る前立腺を亀頭でゴリゴリと擦り上げれば、その時になって漸く蛍都の口許から愉悦に濡れた声が漏れる。
ねち…っと、カテーテルの埋まった陰茎を震わせながら腰を振る蛍都の根元を、やわやわと掴んだ那智が尿道を犯しているゴムの管を確認でもするかのように揉み込むと、犯されている男は唇の端から透明な唾液を零しながら頭を激しく振ったのだ。
「…ひぁッ!…あッ、…ふゥん…アッ…ッ」
「そんなに頭を振ったらさぁ…また気分、悪くなるし?」
耳元に囁くようにして呟けば、忌々しそうに眉を顰めた蛍都がニヤッと嗤って、鼻先が触れ合いそうなほど顔を近づけている那智に乱暴なキスをした。
「ふん…ッ、…体調を崩せばッ!…辛いのはお前だ」
「…つれないね、蛍都。こんなに大好きなのにさー」
「なんとでも言え…ッ」
柔なベッドが悲鳴を上げるようにスプリングを軋らせ、動くことを放棄してしまってから長い不自由な右足を抱え上げられたまま、蛍都は那智の腰に片足を絡めながら更に奥へ、もっともっと…とせがむように唆すように内壁を蠕動させる。その痛いほどの締め付けの合間に、たゆたうようにやわやわと絡み付いてくる滑る腸壁の感触に、那智は目許を染めて亀頭で蛍都の最も奥深い場所を抉るのだ。
蛍都の熱く滾る前立腺を激しく擦りながら、殆ど抜けてしまいそうなほど腰を引くと、また粘膜をわざと押し開くような虫の這う速度で踏み入った。そうすると、奇妙な排泄感と圧倒的な圧迫感に翻弄されながら蛍都の熟れた内壁が蠢くようにして那智の陰茎に絡みつく。
「ふ…ぅア!…ん、…クゥッ…ぁ」
くちゅくちゅと粘着質な音を響かせて、那智は先走りで滑る鈴口から力なく垂れたカテーテルのゴム管を抓むと、膀胱に納まっているはずのそれをずるりっと引き抜こうとして蛍都を喘がせた。
狭い尿道にいっぱいに納まっているゴム管に、まるで嫉妬でもしているかのように那智は、カテーテルを乱暴に出し入れしながら蛍都の耳朶を甘く噛んだ。
「こんなところにこんなモノ咥え込んでさ。どんな気分なワケ?ムカツクんですけど。ここに、突っ込みたいぐらい」
「…ッ!…んな、こと…ッ…んぁ!」
押し殺したように喘ぐ蛍都はだが、たった今那智に尿道を犯されているような錯覚に眩暈を感じ、出入りするカテーテルのゴム管を求めるようにして腰を振れば、図らずも締まった尻で那智の陰茎を頬張る結果になってしまう。その快楽に漸くうっとりと笑う那智の顔を睨みつけながら蛍都は、そのくせ恍惚とした双眸で誘うようにペロリと唇を舐めた。
「オレのセーエキ飲んでよ、蛍都」
いつも飲ませているくせに…蛍都はうんざりしたように、誘うように双眸を細めたが、毎回ゴムも着けずに胎内の奥深い場所に砲弾を撃ち込む那智の我が侭に、それでもそれでしか達けなくなってしまった自分を自嘲とも悦楽とも言えない顔で笑いながら、那智を咥え込んでいる襞を押し開くように指先で広げてニヤッと笑った。
「ここは病院だ。思うさま吐き出すといい」
「ゾクゾクするね。大好きだぜー、蛍都」
「ふん」
ニヤッと笑う那智に唆すような双眸を向ける蛍都は気付かなかった。
突発的にカテーテルと同時に、胎内の奥深いところに納まっていた陰茎までずるりと引き抜かれて、蛍都がギョッとするよりも早く蛍都の陰茎の先端に那智の鈴口が押し当てられる。
「何を…?」
「飲んでくれるって言ったじゃん」
那智がご機嫌そうに笑うと、一抹の嫌な予感を抱きながらも蛍都は、まだ那智を咥え込んでいると勘違いでもしているように収斂を繰り返す後孔から先走りをとろり…っと零しながら、両足を大きく割り開いてクスクスと笑って自ら陰茎を支えたのだ。
「いっぱい挿れろよ?」
「蛍都、大好き」
思わず語尾にハートマークでも飛ばしそうなほどご機嫌に笑いながら那智は、そんな蛍都を片手で抱き締めながら口付けた。
「…んぁ!…ひ…痛ゥ…クッ!」
「…ッ」
二、三度軽く扱いただけで、蛍都の胎内で悦楽に濡れていた陰茎は大きく膨らむと、その狭い尿管にゴプッと粘着質な音を響かせて白濁の奔流を叩き込んだ。尿道をジリッと焼くような錯覚がして、蛍都は本来なら排泄すべき場所に大量の精液を受け入れてしまい、なんとも言えない疼痛と快楽に口許から唾液をボタボタと零してしまう。
完結はしていなくとも、どうやら蛍都も達ってしまったようだ。
後孔が淫猥にひくついて、もうどちらのものとも言えない精液が陰茎の先端からプクリと浮き上がり、そして力なくぼたぼたと蛍都の浅黒い膚を汚していった。
「ぅ…あ、はぁはぁ…」
ぐったりと弛緩してしまってベッドに倒れ込む蛍都の腕を掴んだ那智は、ガクンッと身体を揺らして見上げてくる色素の薄い双眸を覗き込んだ。
全裸の蛍都は情事の名残りを艶やかに身に纏っていて、こんなところを彼の主治医が見れば目をむいて怒るか…さもなくば、その色香に惑って彼を犯してしまうだろうと考えて、その有り得ない妄想に那智はクスッと笑ってしまう。
自分以外の誰かがこの引き締まった男らしい体躯に、性的な意味で触れれば、いやそれ以外でも、この男の身体に触れればその息の根すら止まってしまうだろう。
浅羽那智が宝物のように大事にしている蛍都は、幾つもの戦場を駆け抜けた鍛え抜かれた褐色の体躯を持つ、色素の薄い髪と双眸の凶悪な殺気を纏った男らしい死神なのだ。けして、男に抱かれて喘ぐような存在ではない。
その蛍都を、地獄に叩き落したのは…
(オレ)
那智が貼り付けたような笑みを浮かべた。
その顔を、蛍都が何よりも嫌っているのを、知らない那智ではない。
「貴様はまたその顔をしやがるんだな。いったい何処で覚えた?」
「忘れた」
「ふん、まあいい」
まるで何かを見抜こうとでもするかのように双眸を細めた蛍都はだが、掴んでいる那智の腕を厭うように振り払ってベッドに腰掛けると脱ぎ散らかした患者用のガウンを羽織った。
「今日は端から機嫌がよさそうじゃねーか。いったい何があったんだ?」
「はーん?オレ、機嫌がよさそう??」
自分でも気付いていないのか、身支度を整えた那智は訝しそうに眉を寄せて顎を擦っているが、口許はニヤニヤと笑っている。
その仕種で、長年の付き合いである蛍都は那智の機嫌のよさを悟っていたが、本人は自分のことをいまいち把握はしていないのだろう。
「それはやっぱり、今日が月曜日だからさぁ」
ニコッと笑う那智に、蛍都は呆れたような、馬鹿にしたような目付きをして溜め息を吐いた。
「くだらん」
「蛍都に逢えるのは月曜だけだし?蛍都がいるだけでいいワケよ」
「…くだらんな」
那智の愛の告白をうんざりしたように蛍都は眉根を寄せて吐き捨てた。
この世から蛍都が消えてしまったら、恐らく那智の存在もなくなってしまうだろう。そう思っているのは那智だけなのか、この狭い病室で曇天の空から降り頻る雨に濡れた灰色の町を見詰める蛍都にとって、その言葉はくだらない足枷であり、捨ててしまいたい重荷だった。
何度身体を重ねたとしても、それはあくまで性的欲求を満たすための運動であり、それ以外の何ものでもないのだ。
「来週末には退院できるそうだ」
これ以上、不毛な会話をしていたくない蛍都がどうでも良さそうに呟くと、那智は一瞬ポカンッとしたが、ハッとしたようにして嬉しそうに笑ったのだ。
「マジで?鉄虎たちに報せないとなぁ」
「ヤツらはまだくたばっていないのか?」
「下弦も元気そうだぜぇ?」
ニヤッと笑って頷く那智に、蛍都は気のない返事をして、それから徐に色素の薄い仄暗い殺気を纏った視線を、目の前に立っている漆黒のコートに身を包んだ暗黒のネゴシエーターに向けた。
「どうでもいいが、那智。臭ぇぞ。何か匂うな。プンプンする」
「え?」
ギクッとしたように片方の眉をクイッと上げる那智に、蛍都は探るように双眸を細めてみせる。
人殺しをした…と言っても鋭い蛍都のことだ、だからなんだと言い返されてしまうだろう。
だが…言わないといけない。
蛍都が嫌っていると知っていたんだけど。
那智がほんの一瞬、しょんぼりと目線を落としたことに気付かない蛍都ではない。
「言え」
顎をクイッと上げて促す愛しい人に、那智は貼り付けたような笑みを浮かべたままで肩を竦めて見せた。
「犬を…飼ったワケ」
「犬だと?お前はまたそんなくだらないことをしているのか。言わなかったか?俺は犬は嫌いだ」
「…判ってるけど」
「俺が戻るまでに捨てておけよ」
日頃なら蛍都の言葉は即ち絶対で、即座に返事が返ってくると思っていた蛍都はだが、困惑したように笑ったままで固まっている那智に気付いて眉間に皺を寄せた。
それでなくても長いこと病院に縛り付けられていたのだ、虫の居所はとっくの昔に悪かった。
「俺の機嫌をこれ以上悪くさせる気か?なんなら、その犬は俺が殺してやる。さもなければ、お前の場所に俺が戻らないと言うだけだ」
「それは!…嫌だよ、蛍都」
ソッと目線を伏せる那智に、それまでの気迫が消え失せていた。
蛍都だけがこの世界の全て。
蛍都だけを守らないと。
蛍都がいなくなってしまえば。
こんな腐敗した世界などもういらない…
それは昔からの那智の想いだった。
それは揺るがないはずの不変の気持ちだった。
なのに…なぜ?
「判ったか?那智」
「蛍都…でも、犬は弱いし?こんなクソみてーな町に放り出したら死んでしまう」
「知ったことか。その犬と俺、選ぶ権利をくれてやるんだ。さっさと答えろ」
揺るがない自信に満ち溢れた蛍都の色素の薄い双眸を、弾かれたように見詰める那智の瞳にはいつものふざけた光は微塵も浮かんでいない。
ああ、でもそうか。
那智はふと考えた。
長年連れ添った大事な相棒であり愛しい人と、つい最近、気紛れで拾ったぽちを比べるほうがどうかしている。
ただ単に、漸く懐いてきたあの犬を、手離してしまうのが惜しいような気がしていたに過ぎないんだろう。
「判ったよ、蛍都。蛍都と比べられるワケないし?ぽちは捨てる」
「…当たり前だ。馬鹿馬鹿しい」
嫌気がさしたように瞼を閉じた蛍都は、枕代わりにしている大きなクッションに疲れたように凭れてしまった。
遠い昔の思い出が、那智を素直にさせたのだろう。
蛍都はふと思った。
『あの場所』で、那智が拾って可愛がっていたずぶ濡れの野良犬を、気に喰わないから捨てろと言ったのに那智は捨てなかった。その反抗的な態度にカッと頭に血が昇った蛍都は、無言のままでその犬を血祭りに揚げていた。
仕事から戻ってきた那智は、降り頻る雨の中で呆然と立ち尽くして、口の端から長い舌をだらりと垂らして息絶えている犬を見下ろしていた。泣くことも笑うこともしなかった当時の那智は、何の感情もなさそうに血塗れで死んでいた犬の身体を抱き上げて、暫くそうして雨に濡れていた。
「お前が犬を飼うだと?命を奪うことを何よりの糧にしているお前が?…笑わせるな」
「…判ってるさぁ。ただ、懐いたら可愛いし?蛍都も今度、何か飼ってみれば?」
「お前を飼っているから俺はよかろうよ。それよりも、そろそろ殺したくてウズウズしてるんだぜ?」
瞼を開いて何事かを企むようにニヤッ…と、腹の底から冷えるような笑みを浮かべる蛍都の、その昔どおりの凄味に鳩尾の辺りをゾワゾワさせながら、那智はワクワクしたようにニヤ~ッと笑った。
大好きな蛍都との殺戮の日々が戻ってくるのだ。
どれほど長いこと待ち望んでいたか…その時を夢見るようにニヤニヤと笑う那智の、その胸の奥が微かに痛んだことを、蛍都はもちろん、那智ですら気づかないでいた。
堕ちていく、錯覚に。
溺れてしまう…過去に。
救いを捜し求めて伸ばした指先に。
無常に触れる、恋しいあなた。