4  -EVIL EYE-

 結局、午後から学校に行くことにした俺は、昼休みで賑やかな教室のドアの前で深呼吸をした。
 俺は、こう見えても友達は多いほうだ。
 中には、俺の表情で今日の気分を見抜くヤツだっている。
 だから、昨夜のことは全部嘘だと自分に言い聞かせて、震える指先を握り締めながら、教室のドアに手を掛けた時だった。突然、内側から勢い良く横開きのドアが開いたんだ!
 …ったく、いったい誰だよ?
 学生鞄の代わりに愛用しているスポーツバッグを肩から提げている俺に気付いたソイツは、ちょっと驚いたように、鬱陶しいぐらい伸び放題の前髪の隙間から陰気そうなツラをして見下ろしてきた。

「なんだ、安河か。あれ?こんな時間に何処に行くんだよ」

 目障りなほど鬱陶しい前髪に両目を隠して…って言うか、コイツの場合、図体のわりには驚くほどボーっとしてて、実際、何を考えてるのか判らないところがあるもんだから色んなヤツに目を付けられる。んで、何も言わないし、小突かれてもぼんやりしてるばっかりに、ヤンゾーたちに目を付けられてパシリとか、丁度いい小間使いに使われるんだよな。
 そう言うの見てるとムカムカしてたから、何時からか俺はコイツの友達になっていた。
 とは言っても、口数とかメチャクチャ少ないし、友達らしいこととかそんなにしたことはないんだけどなー
 何時も目の端にいる存在だし、朝の声掛けも、まぁ、昼飯も一緒に食うこともあるんだけど、日曜日に映画に行くとか、何処かに遊びに行くほどの付き合いはない。それなのに、気付いたら安河は俺に懐いていた。

「相羽…ちょっとパンを買いに行こうかって…」

「パン~?この時間に行っても、もうねーんじゃねーのか」

 俺が呆れたように笑ったら、ちょっと動揺したような顔をしてフイッと目線を逸らしてしまう。
 これ、コイツの悪い癖だよな。
 人と話してる時に目線とか離すから、ヤンゾー連中に絡まれて小突かれるんだよ。
 でも俺は、すぐにムッと唇を尖らせるんだ。

「さては、また誰かにパシられてんな?ったく、今度はどいつだよ?」

 頭ひとつは上にあるんじゃないかって、俺たちのクラスでも背の高い方に入る安河は、いつもボヘーッとしていて、何を考えてるのか判らないツラをしてんだよな。そのくせ、臆病でビクビクするから、ヤンゾー先輩たちに目を付けられて、気分次第で財布を取り上げられるんだよ。

「いや、違う。今日は自分の…相羽が来なかったから、気付いたらこんな時間に…」

「え?あ、そーか。何時も学食に連行してたモンな。そっか。俺も昼飯食ってないんだよなぁ…今から学食つっても、もう時間もないか」

「…」

 いつもはボーッとしてるくせに、たまにこんな風に動揺してるようにモジモジするのは、たぶん、一刻も早くこの場所から立ち去りたいんだろうと思う。
 コイツは何時もそうだ。
 みんな、見ていて苛々するから、よく俺が根暗の安河やすかわ 万里ばんり とつるんでるなと不思議がっている。俺だって苛々する、苛々はするんだけど、別にそれほど嫌ってワケでもないし、女子が言うほど気持ち悪いヤツでもない。
 話せば意外と真面目な返事もすれば、小さな犬にはにかむように笑う一面だって持ってるんだ。一概には信じらんねーんだけど。
 ただ、コイツはどうも俺のことは敬遠してるみたいだ。
 できれば、避けたいとか思ってるに違いない。
 そのくせ、腕を引っ張って学食に連行しようと、体育の時に集中的に狙っても文句一つ言わず、俺にされるがままになっているし、こんな風に、俺がたまに相手をしないとぼんやり待ってるような一面もあるから、嫌なんだけど、懐いてる…ってそんな感じだと思う。
 まさかとは思うけど、俺が生活の一部…ただの習慣になってるだけだとか?
 だから、嫌なんだけど切り離せない、絶対悪みたいな存在…とかだったら、嫌だぞ。

「ま、いっか。帰りにラーメンでも食うし。安河は…って、お前はパスだよな?」

 と言うか、今は俺が安河に近付きたくない。
 丁度、アイツもこれぐらいの長身だったし…いや、もっとデカかったな。190センチは余裕であるんじゃないか?俺を軽々と抱え上げたり、見上げる目線の高さももっと上だったような気がする。でも、こんな風に見下ろされていると、もしかしたら、いや、そんなのは妄想で、そんなことはあの変態野郎以外には考えもしないってこた判ってるんだけど、このまま覆い被さってこられたら…俺は逃げ出せないと思うから、怖いんだ。
 今だって、よく判らないけど緊張して、却って俺のほうが不自然だと思う。
 だから、困ったように笑って、安河がそうであってくれることに感謝しながら、片手をヒラヒラと振ったんだ。

「!」

 ふと、いきなりガシッと手首を掴まれてギョッとした。
 振り払いたいのに、イキナリの行動に脳が追いつかないのか、判らないんだけど硬直したように身体が固まってしまった。

「…な、何だよ」

 漸くそれだけ搾り出せたんだけど、安河のヤツは相変わらず何を考えてるのか判らない感じで、モゴモゴと篭ったような口調で言いやがった。

「手首…」

 それで、漸く我に返ったように、俺はハッとして掴まれた腕を振り払って自分の手首を掴んでしまった。
 見られた、縛られて擦り切れて、鬱血してしまっている手首を…

「何か…」

「な、なんでもないんだよ。ハハハ、ちょっと怪我しちゃってさ」

 見っとも無いほど動揺して笑ったりすれば、何か起こったんじゃないかってことがバレるに決まっているんだけど、それでも俺は誤魔化すように笑うしかない。
 ぼんやりしている安河は…「そうか」と呟いただけで、それ以上は詮索しようとしないから、俺は思い切り安堵してホッと息を吐いた。

「あっれぇ?なんだ、相羽じゃん。遅いご登校ですこと…って、なんだよ。また安河にストーカーしてんのか」

「誰がストーカーだ」

 安河を押し遣るようにして教室から出てきたのは、コイツもやっぱりムカツクぐらい長身の兵藤だ。
 気のいいヤツで、クラスでもそれなりに人気があって、悔しいかな、女子には頗る大人気の兵藤要王子さまだ。どうかしてるよな、女子って。こんなこと面と向かって言ったら殺されるけどさ。

「昼飯について講義してたんだよ。な?安河」

「え?…えっと、その」

 ぼんやり俺たちの話を上の空で聞いていた安河は、突然話を振られて言葉に詰まっているみたいだ。
 その姿に兵藤は思わずと言った感じでプッと笑ったけど、俺は呆れたように溜め息を吐いて、ムッと口を尖らせてやった。

「ちゃんとさ、俺たちの話も聞いてろよ?」

「え?そっちかい」

 兵藤が驚いたように眉を跳ね上げるけど、こっちこそ「はぁ?」だよ。

「安河は人の話を聞かな過ぎるんだよ。だから、なんか何時もボーっとしてるって勘違いされるんだ」

 兵藤はたまげたとでも言いたそうにヘンな顔をしやがるけど、安河は驚いたように鬱陶しい前髪の隙間から俺を見下ろしている。

「髪型もいかんね。切ってみたり、上げてみりゃいいんじゃねーかな?」

 ヒョイッと気軽に前髪を掻き揚げたら、もう、俺の行動に成す術もないと観念しているみたいな安河は、されるがままになりながら、ジッと見ていたはずの視線をふいっと逸らしてしまった。
 顔立ちもイイ感じなのにな、どうして、安河は兵藤みたいに派手な感じで格好つけたりとか、お洒落とかしないんだろう。兵藤よりは似合うと思うんだけどなぁ。
 そう言えば、兵藤はスゲー派手なヤツだから、アイツ等の仲間かも…って言えば、そんな感じだよなぁ。
 年齢とか判らないけど、たぶん、俺よりも1個か2個ぐらいは上なんじゃないかと思う。
 身体能力とかずば抜けてるみたいだったし…ホント、アイツ等は何者だったんだろう。

「おいおい、何を見詰め合ってんだよ。つーか、一方的に相羽が見詰めてる感じだけどな」

 安河はと言うと、急所を掴まれた動物みたいにまんじりともせずに、俺の出方を怯えたように観察しているみたいだ。そろそろ、手を離してくれればいいのに…とか、やっぱ考えてるんだろうな。

「おっと、いかん。微妙にトリップしてた。ごめんな、安河…って、もう予鈴がなっちまったな。じゃ、またな」

 俺はパッと掻き揚げていた手を離して慌てたんだけど、頭上で暢気なチャイムが、授業が始まるぞクソガキどもがと言うように鳴り響いたから、結局、お互い昼飯抜きなんだけど仕方ないよなと笑って、安河に手を振ってやった。
 バサバサと前髪が被さって表情はよく見えなかったけど、安河はちょっと頬を赤くして頷いたみたいだった。そりゃ、男の俺にマジマジと凝視されたんだ、居心地悪くもなるよな。
 これが普通の反応なんだ、カタラギがどうかしているんだ。

「おいおい、ヒッデーな!俺への挨拶はなしかよ?」

 肩をグイッと掴まれて、兵藤は何時ものように気軽なつもりの行動だったんだろうけど、激痛のある身体を持て余している俺としては思わず「うッ」と顔を顰めてしまった。だけど、苦痛の声が出る前に女子の黄色い声がワッと上がったりするから、痛みに青褪めながらも思わず驚いてポカンとしちまったじゃねーか。

「やっだー!兵藤くぅーん」

「ヘンなカンジぃ」

「キャハハハッ」

 美形の兵藤が俺なんかと戯れるのがそんな面白いですか、シンパの皆さまがた。
 黄色い声に気圧された俺は、なんかドッと疲れてやんわりと首に腕を回してニヤニヤ笑っている兵藤の脇腹にエルボーを食らわせて、呆気なく撃沈させながら自分の席に着いたんだ。
 今までなんとも思っていなかったこんな触れ合いの一つ一つに敏感になって、緊張するなんか思いもしなかった。ましてや、身体に激痛が走っている今なんかは、冗談でも触って欲しくない。
 はぁ…草臥れた。
 まだ1時間も経っていないのに…来なきゃよかったな、学校。