3  -EVIL EYE-

 何処をどう歩いて帰り着いたのか、気付いた時、俺はジリジリと脂汗が浮き上がるような痛みに引き攣る身体を引き摺るようにして玄関前に突っ立っていた。
 何が起こったのか、全部覚えている。
 あの後、信じられないんだけど、夜明けまでの中途半端な時間の中で再び俺を抱いたカタラギは、俺の胎内にもう一度子種を撒き散らして、名残惜しそうに射精することのない俺のペニスを弄びつつ、別れを惜しんでいるみたいだった。
 でも、その後の記憶がすっぽりない。
 たぶん、ここに立ち竦んでいるのは…状況だけ考えると、カタラギが俺をここまで連れて来たんだと思う。それで、あの時に言っていた奴らの棲み処?…か何か判らない場所の記憶を消して、何処をどう歩いて戻ったのか忘れさせたんだと思うんだ。
 俺は溜め息を吐いた。
 アレが全部、夢じゃないなんて。
 明け始めた空の彼方、朝焼けの中からそろそろ顔を覗かせる太陽を拝むには、なんとも退廃的な気分に陥って泣きたくなった。
 何処をどう見ても立派な男であるはずの俺が、何が悲しくて、たぶん何かの映画か漫画の影響を受けてるヲタクか変質者でしかない、あの奇妙なカタラギに犯されなきゃならないんだ。
 考え出せばきりがない。
 カタラギがエヴィルとか呼んでいた、あの謎の化け物の正体だって判らないのに…これから毎晩、俺はあの化け物に狙われるようになるって言うのか?
 何故か、カタラギの精液は俺の胎内に残ったままで、排出されないんだ。
 だからずっと、腹の奥がずーんと重いような、むず痒いような、なんとも言えない奇妙な気分になって落ち着かない。
 奇妙な感覚の残る下腹を押さえると、少しだけふっくらと膨らんでいるのが判る。
 まさか…本当に妊娠とかしてるんじゃねーよな?これはあの変態の精液が入ってるから、こうなってるんだよな…不安がグルグル渦巻きはするけど、男同士でその、エッチとかしたことがない俺には、この現象が何からきているのか判らなくて途方に暮れるしかない。
 いや、暗く考えるのはよそう。
 どーせ、夜中に外に出なきゃいいんだよ。
 そうしたら、俺はわざわざカタラギを捜すこともないし、ヘンな化け物に狙われることもねーだろ。
 ましてや、この腹だって一度クソをすれば引っ込むに決まってる。
 うん、俺、なんか自信が出てきた。
 絶対に、あの変態ヲタクとはもう二度と、顔を合わせたりとかするもんか!
 意を決して頷いた俺は、まだみんな寝静まってるに決まっている家に帰るため、玄関のドアをコソリと持っていた鍵で開けて中に入った。中に入って…ギョッと立ち竦んじまった。
 だって、母さんが腕を組んで立っていたから。

「か、母さん…」

「良かった…無事だったのね。お父さんから来ていないって連絡があって、事故にあったんじゃないかとか、何かに巻き込まれたんじゃないかとか、お母さん、心配したのよ」

 たぶん、一睡もしていないんだろう、真っ赤な目をした母さんは、今日も仕事があるって言うのに眠らないまま待っていてくれたんだ。

「光太郎が家出をするなんて…もう、高校生だものね。そんなはずないって思ってたんだけど、お母さん、心配しちゃったのよ」

「…ごめん。ちょっと、小学校の時の友達に会っちゃってさ。マックでさっきまで話し込んでたんだ。電話するの忘れてた」

 俺の嘘を頭から信じたのか、母さんはホッとしたように息を吐いてから、「そう」と呟いて、ずれたカーディガンを羽織り直して笑った。

「今日は学校だけど…行けるの?行けるようなら、少しでも寝なさい。酷い顔をしてるわ」

 俺はギクッとしたけど、殊更なんでもないように笑って頷いた。

「たぶん、行けると思う。行けなかったら、ごめん、1日休むよ」

 男にレイプされていましたとか、口が裂けても言えないし、軋む身体が辛いから今日は学校に行けるか判らない、だから、わざと眠そうなふりをして大きな欠伸をして見せた。
 そうすると母さんは、困った子ねとでも言いたそうな顔をして、仕方なさそうに苦笑したんだ。

「じゃあ、もう寝なさい」

「うん、有難う」

 俺は靴を脱ぐと、極力平静を装いながら、二階にある自分の部屋に行くために階段をトントントン…ッと軽快に上がって見せた。
 そうでもしないと、鋭い母さんのことだから、何かあったんじゃないかと勘繰るに決まってる。
 今だって、俺の顔色の悪さでなんとなく疑ってるみたいだったしな。
 別に俺、過去に家出したとか、そんな経験はこれっぽっちもない。
 ただ、母さんは昔からもの凄く心配性で、その間逆が親父なんだよな。親父はのほほんとしていて、何があっても順応力で乗り切るし、転勤族だったから自然とそんな性格になったのかな?まぁ、俺としては口煩くないから伸び伸びと過ごせるんだけどさ。
 俺が自由奔放じゃない理由は、母さんの心配性にある。親父があの性格のせいなのか、正反対の母さんは頗る心配性で、学校行事で遅く帰っても心配そうに玄関先とか、門扉の前とかで待っているんだ。
 俺、女の子じゃないのに…と言ったら、母さんは「大事な独り息子よ」と笑ってた。
 親父に言わせると、それが母さんのステータスらしいから、今はもう、そんな風に心配性の母さんでも慣れてしまっている。こう言うところは、順応力のある親父譲りなのかもしれない。
 俺は溜め息を吐いてベッドにダイブした。
 できれば、アイツが隈なく指先で、舌先で辿った身体に残る痕跡をシャワーで洗い流してしまいたいんだけど…この疲れ切って激痛の走る身体ではシャワーなんてとても無理だ。ここまで歩けたのだって奇跡だと思ってるぐらいなんだぜ。
 今は泥沼に沈むみたいに眠い。
 何も考えずに眠ったら、目が覚めるころにはスッキリして、爽快な気分で全てを忘れていたい。
 叶わない希望だって判っているけど、それでも俺は、男にレイプされた事実だけは消えて欲しかった。
 記憶を全部消してしまう決まりなら、何もかも消してくれたら良かったのに!
 …カタラギは、変態で、ヲタクで、鬼畜で、鬼で、悪魔だと思う。
 絶対に、そうだ…そう考えた後で、俺は目蓋を閉じて眠ってしまった。
 窓の外には何も知らない清廉な朝の光が満ちていて、無邪気な鳥が鳴いていた。