第一話 花嫁に選ばれた男 18  -鬼哭の杜-

 ふと、俺は夢を見ているんだとばかり思っていた。
 蒼牙は何かを怒鳴りながら、意識が朦朧としている俺を抱き上げると、驚く座敷ッ娘を引き連れて、それでも心配そうに座敷牢のある蔵の外で辛抱強く待っていた眞琴さんと不二峰をまるで無視して、青褪めたまま走り出したんだ。
 驚いたような眞琴さんも不二峰も追ってきているようだったけど、俺は、必死な…ともすれば、泣いているようにも見える蒼牙の真摯な相貌を薄っすらとしか開けることのできない両目で見上げていた。
 何が起こったのかよく判らないんだけど、何故か、とても気分が悪いし、何より…ジーンズを濡らしている何かがとても気持ち悪かった。
 おいおい、もしかしたら俺ってば、失禁とかやらかしてんじゃねーだろうな?
 それだったら、6歳も年下の蒼牙にまたしても恥ずかしい場面を見られちまうワケなんだけども…それでも、そう思ったらクスッと笑ってしまっていた。でも、顔は笑っちゃいなかったんだろう。蒼牙は真摯な双眸そのままで、必死に母屋を目指しているからな…ああ、そうだ。
 こんな風に、俺はいつだって蒼牙には見っとも無い姿ばかり見せている。
 俺の方が年上なのに…蒼牙はいつでも、こんな俺を包み込んで大事にしてくれていたんだ。
 それなのに俺は、いつも自分は愛されていないんじゃないかって不安ばかりで、きっと、蒼牙よりも何歳も年下のような振る舞いばかりしてきたような気がする。
 こんなに幼いはずの蒼牙に…頼ってばかりで俺は…
 意識が遠ざかりかけて、もう少し、あと少しでいいから、もう少しだけ蒼牙の真摯で必死で生真面目な…この横顔を見ていたい。
 傾きかけた夏の夕日を浴びて、蒼牙の青白髪のはずの髪が真っ赤に燃え上がって、まるで山に棲むと言う伝説の鬼が具現化したような横顔には、焦燥の色がべっとりと張り付いていた。
 力なく垂れた腕が所在なげに揺れていても、蒼牙のガッシリした腕が、まるで何者からでも守ってくれているように俺を抱き締めてくれていたから、こんなに落ち着ける場所は他にはないと確信してしまったぐらいだった。
 もし、蒼牙が…俺ではない他の誰かを愛してしまったとしたら、やっぱり俺は、諦めきれずにグズグズ泣くんだろうなぁと、その横顔をぼんやりと眺めながら思ってしまった。そんな風に女々しくなってしまうのは、蒼牙にだけなんだけどな。
 そんなことを言えば、蒼牙はしてやったりの顔をして、フフンッと笑いながら俺を抱き締めてくれるんだろう。
 そんな幸福な夢を見ながら、俺はゆっくりと重くなる瞼を閉じていた。
 次に目覚める時はきっと、俺から告白しよう。
 俺は……お前を…

 俺の覚醒は案外早かったけど、やっぱりまだ夢の中にいるようにあやふやで、視界はぼやけたままだった。
 その時でも俺は、やっぱりこれは、何かの夢なんだろうとばかり思っていた。
 と、言うのもだ。
 あの蒼牙が泣き出しそうな顔をして、布団に横たわる俺の腕から脈を調べながら難しい顔をしている呉高木家のお抱えの侍医である、小林さんの様子をほんのささやかな変化すら見逃さないとでも言うように、真摯な顔をして見詰めているから…これが何かの夢だと思わなくてなんだと思うって言うんだ?

「小林!光太郎はどうなっているんだ!?」

 蒼牙がせっつくようにして随分と年を取っている小林さんを乱暴に揺すりながらそんなことを、まるで切羽詰ったように言うから、できれば俺は止めてやりたかったんだけど、どう言ったワケか腕がピクリとも動いてくれないんだ。
 あーあ、小林さんが困ってら。
 桂でも誰でも、早く助けてあげればいいのになぁ。

「どうと申されましてもな、蒼牙様。ご覧の通り、嫁御殿はご無事ですぞ?」

「そんなはずがあるものか!あ、足の間から、血が流れていたんだッ」

 蒼牙は信じられないとでも言うように一瞬だけど息を呑んだような仕種をして、それから普段から鋭い双眸に、さらに力を込めて小林さんを震え上がらせたんだけど、それでも流石に呉高木家代々からのお抱え侍医をしているだけはある。
 怯えた仕種も見せずに軽く咳払いをして、地獄の底から蘇った亡者のような胡乱さに磨きをかけて睨み据える蒼牙をあしらうように、小林さんは俺の腕を布団の中に隠しながらホッホッホッと笑うんだ。

「それはですなぁ…まあ、ワシよりも手当てをされた眞琴さんたち女人に聞くが宜しかろうがなぁ。簡単に申しますと、初潮でございますじゃ」

 は?

「…なんだと?」

「蒼牙様の御身体にも変化は生じましたじゃろうて。それと同じく、嫁御様の御身体も御子を授かるように変化なされたのですじゃ」

「…」

 双眸を見開いているような蒼牙の横顔をぼんやり眺めながら、俺はそんな信じられない話を聞いていると言うのに…それがどんな話なのか、いまいち判らないでいた。それどころか、話の中心が自分であることにすら気付けないでいるんだから…お目出度いよなぁ。
 トホホ…だ。

「そ、それは、つまり…禊の儀がうまくいったと言うことか?」

 あの蒼牙が…不遜が服を着ている若いくせに偉そうな呉高木家の当主が、まるで似合わない動揺したような声を出すから、余計に俺は呆気に取られちまって、やっぱり、こんな馬鹿みたいな話は夢なんだろうと思い込んでいた。

「そう言うことですな。おめでとうございます、蒼牙様!間もなく、お世継ぎ様のお顔をこの年老いた爺も見れますじゃ」

 ほぇほぇほぇ…っと、屈託なく笑う小林さんを、信じられないと言うように見詰めていた蒼牙は、それから、信じられないことに、ふと俯くと、まるで花が咲き綻ぶような力強さを秘めた笑みを浮かべたから…それはまるで、はにかんでいるようだった。
 嬉しくて嬉しくて…照れ臭くて、どんな顔をすればいいのか判らなくなる、あの一瞬だけどうしても浮かんでしまう、はにかむような嬉しそうな笑み…そんな馬鹿な。
 蒼牙がそんな顔をするのも吃驚だけど、何が一番驚いたかって…御子を授かる?
 それって、俺が子供を身篭るってことなのか?
 この、俺が??
 いや、確か23年間生きてきた間、ずっと鏡には野郎の顔しか映っていなかったし、風呂場で見た股間にも男のシンボルがぶら下がっていたと思うんだけど…それとも何もかも全ては夢で、本当は最初から蒼牙の為に用意されていた花嫁候補の光子ちゃんだった…って、そんなはずがあるくぅわッッ!!
 できれば今すぐにでも起き上がって反論したいところなんだけど、何故か猛烈な眩暈に頭がクラクラして、怒鳴るどころか起き上がることすらできないでいる。
 このままだと、俺が女にしか見えていないこの村の連中のことだ、きっと呉高木家の代々からのお抱え侍医の話を鵜呑みにして、これから顔を合わせる度に『跡継ぎはまだか』って言われるに違いないんだ。
 それは困る。
 大いに困る!

「そうか…光太郎は俺の花嫁になることを選んだんだな」

「勿論ですじゃよ、蒼牙様。こうして、ご立派な御身体にお成り遊ばしたのは、全てが呉高木の、いんや、蒼牙様の御為に他なりませんじゃて」

 小林さんはまるで芝居がかったような口調で蒼牙を煽りやがるから、どうしてくれるんだ、あの目付きは完全に信じ込んだに違いないぞ。これで、なんちゃって、ウッソーん♪…とか言ってみろ、綺麗に研ぎ澄まされた日本刀でスッパーン!と斬られちまうに違いないんだ。
小林さん、今のうちに逃げとけッ!!

「ですが、蒼牙様。今は嫁御様をソッとしておいておあげなされ。突然の変化に御身体も御心も驚かれておられるに違いありませんじゃて。何より、少し貧血も起こされておられるようじゃからなぁ」

「貧血か。それはいけないな。何か滋養に良いものを用意させておこう。小林!確り光太郎を診ていてくれよ」

「お任せあれじゃよ」

 ふぉっふぉっふぉっと笑う信頼ある侍医の小林さんに、蒼牙は会心の笑みを閃かせながら頷くと、まるで慌しく、いつもどおりの揺ぎ無い自信に満ちた足取りなんだけど、それでもどこか浮かれたように大股で部屋から出て行った。

「…さてと、嫁御殿よ。もう気付いておるんじゃろ?」

「……まだ、気分は悪いけど」

 以前、この小林の爺ちゃんとは話したことがあったから、もう気心が知れていたりする。 この間、プチ家出をしたときに足を痛めて(と言うか、ただの擦り傷だったんだけどなぁ)、大袈裟な蒼牙が小林さんを叩き起こして俺の往診をさせたんだ。その時に平謝りに謝っていたら、目を白黒させていた小林さんが、今みたいにふぉえふぉえっと笑ってくれたんだよなぁ。 

「然もあろうよ。立て続けに神経を草臥れさせて、ましてや子を身篭るよう、身体まで変化したんじゃ。気分ぐらいは悪うなろうて」

「んな、他人事みたいに…って、他人事か。やれやれだな。ところで、小林のじっちゃん。その、さっきも言ってたけど…子を身篭るってのはその…」

 瞼を閉じたままで話していた俺は、意を決したように双眸を押し開くと、ご機嫌そうに笑う好々爺の顔を見上げて眉間にソッと眉を寄せて尋ねていた。
 今は、他の誰でもない、呉高木家を代々支えてきた侍医である小林さんに話を聞かないで誰に聞くってんだ。

「ん?何も知らんのか??…じゃが、まぁ仕方ないのう。蒼牙様に無理に嫁御にされたと聞いたからの。禊の儀は済ませたんじゃろ?」

 まあ…無理に、って言われたらそう言うことになるんだろうけど、それでも、今は半分以上が俺の意思で『花嫁になる』って思ってるんだから、本当はもう無理やりってワケじゃないんだけどな。
 いや、そんな惚気は後にして(って、これって惚気なのか??)…禊の儀?って、あの朝、酒を呑んだ儀式のことだよな??

「禊の儀…って言われて眞琴さんが持ってきた桜色の酒を呑んだけど」

「ほぇっほぇっほぇ、それで十分じゃ」

 は?

「??…意味が判らんぞ、小林のじっちゃん」

「お主は禊の日に呑む御神酒のことも知らんのかの?」

 俺が横になったままで首を傾げていると、皺に埋もれてしまいそうなほど細い目を見開くようにして、一瞬驚いたような小林さんは、やれやれと呆れたように首を左右に振りやがるから…悪かったな、何も知らなくて。
 繭葵にも笑われたけどよ、こんな閉鎖的な村の行事のコトなんか、そんなに判ってるヤツなんていやしないっての!繭葵が異常に物知りってだけで、民俗学的なものに興味のないヤツってのは、きっと俺みたいな連中ばっかだって。
 そう言うこと、繭葵も小林さんも知らなさ過ぎるよ、全く。

「あ、ああ…」

 そんな内心じゃ天晴れなことを言ってるワリには口篭るようにして言いよどむ俺に、小林さんはゆっくりと皺に双眸を埋没させるようにして目を閉じると、ポツポツと教えてくれたんだ。

「禊の儀で呑む御神酒はのぅ、古から保管されとる呉高木家に代々伝わる龍の酒に、贄の血…そして、蛟龍の血を色濃く引いておる呉高木の御当主の血を混ぜて作られた、性別を変化させることのできる秘薬なのじゃよ」

「なんだって!?」

 思わずそんな荒唐無稽な話に声を上げてしまって、ハッと我に返った俺は、慌ててシーツを手繰ると口許を覆って小林さんの話の続きに耳を傾けた。
 どちらにせよ、桂と一緒で眞琴さんも嘘がうまいよなぁ。
 何が御神木の樹液由来の赤さだよ…あの『赤』は、あの時殺されたんだろう、高柳の息子さんと蒼牙の血液に因るものだったんじゃないか。
 うう…これが本当の話なら、なんか、更に気分が悪くなったような気がする。

「花嫁の禊の儀の前の晩に、蒼牙様も召し上がられた。性別を男に定めることは先々代との誓いじゃったから、蒼牙様は躊躇いもされなかった…じゃが、一抹の不安はあったようじゃの。お主が、はたしてどちらの性を選ぶのか、それは一種の賭けじゃったからなぁ」

「……」

 そうか、蒼牙は無性別…両性体でありながら中性なんだから、性別を固定しないといけないから、呉高木家の胡散臭い秘薬ってのを呑んだワケか。
 …って、あれ?でもちょっと待てよ。
 蒼牙は昨日、御神酒を呑んだことになる。
 …ってことは。

「蒼牙は今日にはもう、男になっていないとおかしいんじゃないか?」

 だって、不二峰と蒼牙は愛し合っていた。
 それも、男と女としてだから…ヘンだ。
 絶対におかしい。
 ああ、これはきっと壮大なウソなんだ。
 俺を担いでるに違いない、そんなの当たり前じゃないか。
 性別を変更できる薬なんか、この世にあるかっての。そんなモノが実在していれば、今頃ジェンダーに苦しんでる人なんかいないって。
 もう少しで完全に騙されるところだった。
 小手鞠とか座敷ッ娘とか見てきたから、つい信じてしまうところだった。
 危ない危ない。

「じゃから、蒼牙様にも一抹の不安があったようじゃと言うたではないか」

「へ??」

「迷いは即ち秘薬の力を弱めてしまう。強い意志こそが、秘薬の力を完全に発揮させる原動力になるんじゃよ。じゃが、蒼牙様は迷ってしまわれた。それは、お主の意志が判らなかったからじゃ」

 それはきっと、俺が蒼牙を愛しているのかどうか判らなくて、強引なくせにあの若き呉高木家の御当主さまは一歩手前で二の足を踏んじまった…ってことなんだろうなぁ。
 クッソー、やっぱ信じてしまいそうだよ。

「アイツはいつ、男になったんだろう?」

「今し方じゃよ」

「嘘ん!!」

「嘘などではない。蒼牙様がお主を抱きかかえて戻られたときには、既にワシには判っておったんじゃが、それでも呉高木家の侍医であるからにはお主を診た後に蒼牙様のお身体もちゃんと診察したんじゃ。蒼牙様がのぅ、お主を診ない間は自分の身体にも指一本触れさせん!…と怒り狂われたから、先にお主を診たんじゃよ。まあ、そんなことはどうでもよいのじゃが、いったい何が蒼牙様の迷いを消したのかは判らんが、蒼牙様は立派な呉高木家のご嫡男になられておったよ」

 蒼牙は…ふと、俺の脳裏に確信めいた答えが浮かんだような気がした。
 蒼牙はきっと、倒れた俺を抱き上げたあの瞬間、決意したんだろうと思う。
 何故、そんな風に考えたのか絶対的な自信とかはないんだけど、漠然と、でも何故だか確実にそう思うことができた。
 古い、幼い頃の記憶が蒼牙の中の迷いを消して、自らが進むべき、歩むべき道を見つけ出したんじゃないのかなぁ。
 俺の性が、男でも女でも…もう、どちらでもいいんだって思ったんじゃないかな。
 どちらであっても、俺は俺だし、蒼牙は蒼牙なんだ。
 たとえばきっと、このまま蒼牙が本当の男になっていたとしても、やっぱり俺はそんな蒼牙でも愛しているんだと思う。たとえ、外見や姿形が変わったとしても、俺は蒼牙の心の奥にある熱い想いを愛したワケなんだから、きっと、嫌いになることなんかできないと思うんだ。
 その思いを、蒼牙も感じたんじゃないかな。
 俺が男でも女でも、姿形が変わったとしても、俺の心は俺のままなんだから、蒼牙は全てを受け入れることにしたんだろう。
 だから、アイツは男になった。
 せめて…俺が女になっていたら、蒼牙を苦しませやしないのに。
 俺の身体はどこをどう見ても男だし、胸だってぺったんこのままだ。
 あんな薬は嘘で、蒼牙や俺を慰めようと、きっと小林さんが一芝居うったに違いない。

「俺が女だったら…こんなに悩んだりはしないのに」

「…はて?嫁御殿は外見こそ男じゃが、立派な女になっておるではないか」

 小林さんは俺を見下ろしながら、首を傾げて訝しそうに唇を尖らせた。
 は?どこをどう見たら、この俺が女に見えるんだ??
 確かに、この村に代々伝わる秘薬が実在するのだとすれば、村人や呉高木家の連中の『俺が女に見えている』んだろうと思われるあの発言も、百歩譲って信じられる。
 でも、この骨ばった指も咽喉仏も何もかも…股間にぶら下がっている男のシンボルでさえそのままだって言うのに、今の俺のどこが女に見えるって言うんだ。

「気休めはやめてくれよ、じっちゃん。俺だって、少なからずは蒼牙の為に女になれたらって思ってるんだから…」

「じゃから、お主は蒼牙様の為に女になったではないか」

「…」

 ホント、小林さん。
 1回殴るよ?
 俺はそれでなくても貧血を起こしてぶっ倒れてるって言うのに、そんなケロッとした口調の小林さんにニッコリ笑って、思わず本気で殴りそうになっていた。
 ヤバイ、ヤバイ。

「お主の中にも矢張り迷いはあったと見受けられる変化ではあるがのぉ。いやしかし、これで呉高木家も安泰じゃて」

「……言ってる意味が判りません」

「ほ?判らんとな!…まぁ、それも致し方あるまいて。お主は外見も内面も立派に男を残しとるが、確りと、子を生すべき部分は変化しておるんじゃよ。落ち着いたら、確認してみるもよかろうなぁ」

 子を生す部分が変化している…って、それってまさか。
 身体は見る限り何処も男を失くしてるってワケではないけど…まさか。
 まさか、子宮だとか、そんな部分が作られたって言うのか!?
 ま…まさか、俺に、あのAVで見た女の部分があるって、そんなこと、小林さんは本気で言っているのか!?
 思わずガバッと起き上がって、そのまま貧血にクラクラしながらも、俺は震える腕を伸ばすと、今では浴衣に着替えさせられてるんだけども…布団に隠れているその裾から忍ばせて、まさか、そんな馬鹿なことが起こってるはずないと確信しながらも、恐る恐る半信半疑の指先で触れてみた。
 触れてみて…

「小林のじっちゃん!!」

「うむ、丁度蟻の門渡りの部分にあるじゃろ?」

 何が…とは言ってくれないところがより現実的で、俺は呆気に取られたような、放心したような、それでいて動揺した表情をしていたんだろう、小林さんは落ち着かせてくれようと好々爺の顔つきで笑ってくれた。
 だからと言って、俺の感情が落ち着くはずがない。
 なんだ、これは??

「お主の身体は子を孕む為に一部分が変化したんじゃよ。それ故に、お主は高熱を出してのう。蒼牙様が豪く心配しておった」

 少しぬめる感触は、まるで身体の中央にポッカリと穴が開いたような…落ち着けない心許なさに、女はこんな気持ちをいつも味わってるのかと、自分の身体だって言うのに俺は、まるで他人事のように思っていた。

「俺…女になったのか」

「正確に言えば、両性具有体になったのじゃよ。嫁御殿の場合は、子宮を形成した時点で男である機能は逸してしまったのじゃから、両性具有と言うのも違うとは思うのじゃが、性器が残ってしまったからのぅ」

 ああ、そっか…俺は一部でも、ちゃんと女になったんだな。
 どうしてだろう、俺は…こんな常識では考えられない変化が自分の身体に起こったって言うのに、それを気味悪いだとか、勘弁してくれだとか、マイナスに考えてしまう要素がまるで沸き起こってこなかったんだ。それどころか、嬉しいような、照れ臭いような…はにかむような穏やかな感情がヒッソリと身体中を満たして、気付いたら小さく笑って腹を押さえていた。
 ここに…俺はきっと、蒼牙の子供を宿すんだろう。
 何故かな、それが凄く嬉しいと思ってるんだから…あーあ、どうやらあの秘薬とやらのおかげで、感情までもが女っぽくなったみたいだ。
 小林さんの声は聞こえていたんだけど、俺の脳みそはその内容までは理解していないようだった。
 それよりも俺は、不意に一瞬、一抹の不安に襲われていた。
 姿形が変わることなく、一部だけが変化してしまった俺を、蒼牙はどう思うんだろう?
 村人たちも、呉高木家の連中も、スッカリ俺が秘薬の力でもって完全な女になるんだと思っていたとしたら…それはそれで、ちょっと厄介だよなぁ。
 一難去ってまた一難…か。
 あーあ、やっぱり自然の摂理を無視したこの愛は、そう容易く成就するってワケでもなさそうだ。
 小林さんの、少し興奮したような饒舌な話が続く部屋の中で、俺はやれやれと溜め息を吐きながら開け放たれた障子の向こう、月明かりにぼんやりと浮かぶ日本庭園を見詰めていた。